イラン高原西部のネアンデルタール人の歯

 イラン高原西部のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の歯に関する研究(Zanolli et al., 2019)が公表されました。イランとイラクにまたがるザグロス山脈では、1940年代後半の発掘以来、中部旧石器時代~上部旧石器旧石器時代の遺跡が発見されてきました。これらはおおむね、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3~2の間と推測されてきました。イラクのクルディスタン地域のシャニダール洞窟(Shanidar Cave)では、ネアンデルタール人遺骸が発見されています。イランでは、イラン高原西部となるザグロス山脈中央西部のケルマーンシャー(Kermanshah)州の旧石器時代遺跡で人類遺骸が発見されています。ケルマーンシャー州の東北端に位置するベヒストゥン洞窟(Bisitun Cave)では人類の右側橈骨が発見されており、ネアンデルタール人や中部旧石器時代の早期現生人類との比較ではネアンデルタール人に分類でき、アジア南西部の中部旧石器時代の早期現生人類(Homo sapiens)とは異なります。

 本論文は、9000年前頃の人類遺骸が発見されている(関連記事)、海抜1430mに位置するケルマーンシャー州のウェズメー洞窟(Wezmeh Cave)で発見された、年代の不確実な人類の歯について報告しています。このウェズメー1(Wezmeh 1)標本は、6~10歳の個体の上顎小臼歯の未萌出歯です。昨年(2018年)、ケルマーンシャー州でネアンデルタール人の子供の乳歯が発見された、と報道されており(関連記事)、それがウェズメー1のことなのかとも思ったのですが、その子供の歯の発見場所はヤワン(Yawan)の丘で、ウェズメー1は未萌出歯ですから、違うようです。ウェズメー1は、ウラン系列法では70000~11000年前頃、歯を直接測定したガンマ分光法では25000~20000年以上前とされており、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3~2と推測されています。

 ウェズメー洞窟では、完新世の考古学的資料とともに、後期更新世~完新世にかけての動物遺骸が多数発見されました。肉食獣ではブチハイエナ(Crocuta crocuta)やタイリクオオカミ(Canis lupus)やヒョウ(Panthera pardus)など、雑食・草食動物ではイノシシ(Sus scrofa)やアカシカ(Cervus elaphus)やオーロックス(Bos primigenius)などです。その他に、ウサギや昆虫のような中型~小型動物も発見されています。これらの動物遺骸は、年代推定に利用できます。

 本論文は、ウェズメー1を、ヨーロッパのネアンデルタール人や近東の中部旧石器時代の現生人類や上部旧石器時代のヒトや完新世のヒトと比較しました。中部旧石器時代の現生人類には、イスラエルのカフゼー(Qafzeh)遺跡で発見された人類遺骸が用いられました。以前の研究では、ウェズメー1の表面形態のみが報告されていましたが、本論文は、X線断層写真術を用いて表面形態だけではなく内部構造も調査し、歯冠組織の比率を定量化しました。また本論文は、ウェズメー1のエナメル質の厚さの分布や、EDJ(象牙質とエナメル質の接合部)に基づく形態測定分析も行ないました。

 分析の結果、内部構造、とくにEDJに基づき、ウェズメー1はネアンデルタール人と分類されました。中部旧石器時代の現生人類は、完新世の現生人類とネアンデルタール人の中間に位置づけられます。ウェズメー1は、シャニダール洞窟遺跡の人類遺骸とともに、後期更新世のザグロス山脈におけるネアンデルタール人の存在を確証します。ウェズメー1の年代に関しては、上述のようにOIS 3~2と推定されていますが、本論文は、共伴した動物遺骸から早期OIS 3である可能性が高いと指摘します。これは中部旧石器時代に相当します。

 ウェズメー洞窟を中心に周囲30km以内に13ヶ所の中部旧石器時代遺跡があり、その石器群はザグロスムステリアン(Zagros Mousterian)に類似していますが、その製作者については不明です。しかし、ウェズメー1は、中部旧石器時代のケルマーンシャー州におけるネアンデルタール人の存在を確証したわけで、少なくとも一部の担い手がネアンデルタール人であることは間違いないでしょう。ただ、現代人の主要な祖先集団ではなかったとしても、8万年以上前となるユーラシア東部への現生人類の早期拡散があったかもしれない、と指摘されているので(関連記事)、現生人類が6万年以上前にザグロス山脈に拡散していた可能性も想定しておくべきだろう、とは思います。


参考文献:
Zanolli C. et al.(2019): A Neanderthal from the Central Western Zagros, Iran. Structural reassessment of the Wezmeh 1 maxillary premolar. Journal of Human Evolution, 135, 102643.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2019.102643

アメリカ合衆国における先住民の遺伝的影響

 アメリカ合衆国におけるアメリカ大陸先住民の遺伝的影響に関する研究(Jordan et al., 2019)が報道されました。アメリカ大陸には、ユーラシア西部系に近縁な人類集団と、アジア東部系に近縁な人類集団との混合により形成された人類集団(関連記事)が、ベーリンジア(ベーリング陸橋)経由で最初に拡散してきました。その年代は遅くとも16000年前頃(関連記事)までさかのぼります。その後、15世紀末以降に、まずヨーロッパ系集団が侵略してきて征服地(植民地)を拡大していき、アメリカ大陸先住民集団がヨーロッパ系集団の持ち込んだ疫病などで激減した後、アフリカから多数の人々が奴隷として強制連行されてきました。もちろん、その他にもアジアなどから多数の移民がアメリカ大陸に到来しました。現在、アメリカ大陸の住民はおもにヨーロッパ人の子孫とアフリカ人の子孫で構成されています。しかし、アメリカ大陸先住民集団はヨーロッパ系およびアフリカ系とも混合していきました。

 本論文は、15620人を対象として、アメリカ合衆国における主要な遺伝的系統をヨーロッパ西部系とアフリカ系とスペイン系と把握し、それぞれにアメリカ大陸先住民集団がどのように遺伝的影響を残しているのか、検証しました。これら3系統は、それぞれ独自の遺伝的構成を示します。ヨーロッパ西部系もスペイン系もともにヨーロッパ系の比率が高くなっていますが、スペイン系ではアメリカ大陸先住民系の比率がヨーロッパ西部系よりもずっと高くなっています。一方、ヨーロッパ系では先住民系も含めて非ヨーロッパ系は0.2%程度とひじょうに低くなっています。スペイン系は、メキシコ人と遺伝的に密接に関連しています。アフリカ系の遺伝的構成は、その大半(85%)がアフリカ系ですが、14%がヨーロッパ系、1%が先住民系です。本論文は、アメリカ合衆国本土への到着が比較的遅いことから、アジア系については考慮していません。これらアメリカ合衆国の主要な3遺伝系統集団は、明確な地理的分布を示しており、これは人口統計とほぼ一致します。アフリカ系は南西部、ヨーロッパ系は中央北部と西部、スペイン系は西部山脈地帯で比較的高い比率を示します。

 これら3系統の遺伝的混合では、性的偏りが見られます。最も偏っているのはスペイン系で、ヨーロッパ系の男性と先住民系女性との組み合わせが多くなっています。これは、ヨーロッパからアメリカ大陸への早期の移住者が、植民者・侵略者として男性主体だった歴史を反映しています。アフリカ系でも、アフリカ系の女性とヨーロッパ系の男性という組み合わせが多くなっています。一方ヨーロッパ系では、こうした顕著な性差は見られません。こうした性差は、男性優位なアメリカ合衆国の社会において、ヨーロッパ系集団がアフリカ系集団や先住民系集団よりも社会的に高い地位にあったことを反映しているのでしょう。

 スペイン系では、遺伝的に異なる2集団の存在が確認されます。一方は現在のアメリカ合衆国に早期(1598~1848年)に移住してきた「新メキシコ人(Nuevomexicano)」集団で、もう一方はもっと後にメキシコからアメリカ合衆国に移住してきた集団です。この新メキシコ人集団は何世紀にもわたって明確な文化的特徴を維持しており、他のスペイン系よりもヨーロッパ系統の比率が顕著に多く、逆に先住民系の比率がずっと低くなっています。一方、メキシコ人は先住民の遺産を明確に認識し、メスティーソと呼ばれています。こうした新メキシコ人の祖先はキリスト教に改宗したスペインのユダヤ人(コンベルソ)で、宗教的迫害を避けるために早期にアメリカ大陸へと移住した、と推測されています。新メキシコ人は、スペイン人や他のヨーロッパ人集団と比較して、ユダヤ人とより多くのハプロタイプを共有しています。ただ、アメリカ大陸の他のスペイン人の子孫集団と比較すると、ユダヤ人とのハプロタイプ共有率はさほど変わりません。

 アフリカ系は全体的に先住民系の比率が低く、地域間の差も大きくありません。さらに、アフリカ系に見られる先住民系要素は、ヨーロッパ西部の南東部系の子孫の場合と同様に一つのクレード(単系統群)を形成します。これは、アフリカ系の子孫が南北戦争前にアメリカ合衆国南部の先住民と混合した可能性を示唆します。南北戦争後、20世紀初頭から半ばにかけての大移住の時代に、アフリカ系はアメリカ合衆国全域に拡散しました。ヨーロッパ西部系において先住民系統の比率が最も低いのは、ヨーロッパからアメリカ合衆国への大規模移民と、雑婚の社会的および法的禁止と一致します。また、アフリカ系とは異なり、ヨーロッパ西部系では、先住民系の比率の地域差が大きくなっています。これは、ヨーロッパ西部系の子孫集団が現在のアメリカ合衆国領域を西進したさいに、低頻度ではあるものの継続的に先住民集団と交雑したことを反映しています。全体的に、アメリカ合衆国における各系統の遺伝的構成はすでに知られていた歴史を反映しており、今後は世界各地で同様の研究がさらに進展していくだろう、と期待されます。


参考文献:
Jordan IK, Rishishwar L, Conley AB (2019) Native American admixture recapitulates population-specific migration and settlement of the continental United States. PLoS Genet 15(9): e1008225.
https://doi.org/10.1371/journal.pgen.1008225

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第37回「最後の晩餐」

 河野一郎は田畑政治に予告した通り、国会で1940年に東京で開催予定の夏季オリンピック大会の中止を訴えます。日中戦争(当時は公式には事変扱い)もすでに始まり、河野のようにオリンピック開催を危ぶむ人もいるなか、オリンピック組織委員会は一枚岩にはなれず、会場をどこにするかで揉めていました。副島道正はすでに建設されている神宮の拡張で対応しようとしますが、ベルリン大会の壮大な規模に圧倒された嘉納治五郎は、神宮では狭すぎると考えていました。副島はついに東京オリンピック中止を訴え、嘉納と激しく対立します。

 水泳選手たちも身近な者が出征していくなか、東京でオリンピックを開催できるのか、不安になります。金栗四三は河野に抗議するために朝日新聞社に赴き、オリンピックを目標にしている選手たちを失望させないよう、田畑に訴えます。しかし、田畑もついにオリンピック中止を嘉納に訴えます。それでも嘉納は意見を変えようとはしません。カイロで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、嘉納は中国をはじめとして各国の委員から責め立てられ、具体的な反論を一切できませんが、自分を信じてもらいたいと訴え、改めて東京オリンピック開催が認められます。ここは、これまでに描かれてきた嘉納への信頼が活かされており、よかったと思います。

 今回は、1940年東京オリンピック大会をめぐる人々の思惑と焦燥が描かれました。田畑や副島と嘉納との決裂は、世代間の対立でもあるように思います。先の短い嘉納の老いと焦りが、この先も長く責任を負い続けていかねばならない田畑と副島の責任感と上手く対比されていたように思います。初回からずっと登場し続けた嘉納ですが、ついに今回亡くなりました。平沢和重も本筋では今回が初登場なり、世代交代と新たな展開を印象づけました。今後はしばらく重苦しい展開が続きそうですが、そこをどのように描いてくるのか、注目しています。

デニソワ洞窟の堆積物の微視的分析

 シベリア南部のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の堆積物の微視的分析に関する研究(Morley et al., 2019)が報道されました。デニソワ洞窟(Denisova Cave)はシベリア南部のアルタイ山脈の山麓丘陵に位置し(北緯51度23分51秒、東経84度40分36秒)、その開口部から30mほど下をアヌイ川(Anui River)が流れています。デニソワ洞窟では、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の断片的な遺骸が発見されており、高品質なゲノム配列が得られていることから、大きな注目を集めています。そもそも、デニソワ人はデニソワ洞窟で発見された遺骸で初めて同定された分類群で、基本的には形態学的に定義されている人類の分類群としては異例です(関連記事)。デニソワ洞窟では主・東・南の3空間で発掘が行なわれてきました(関連記事)。本論文は、デニソワ洞窟の主空間と東空間の堆積物における生物の微細痕跡(火の使用や巣穴など)を調査しました。

 デニソワ洞窟では過去30万年以上にわたる生物の痕跡が確認されており、人類遺骸だけではなく石器も含めて人工物が発見されていることから、人類が利用していたことは確実です。しかし、デニソワ洞窟の層序の微視的分析からは、火の使用の証拠となる木炭はごく少量しか発見されていません。本論文は堆積物の形成過程から、火の使用痕がその後の作用で完全に失われた可能性は低く、人類はデニソワ洞窟を温暖期にも寒冷期にも利用しており、人類にとって待避所として機能していた可能性があり、個々の利用間がある程度の長さになった場合はあるとしても、全体的には断続的だった、と推測します。

 デニソワ洞窟では人類ではない動物の痕跡も発見されています。たとえば糞石は、おもに4区分されています。それぞれがどの種のものなのか、全てについて断定できるわけではありませんが、区分1は洞窟ハイエナ(Crocuta crocuta spelaea)、区分2はオオカミ(Canis lupus)に分類されており、区分3および4は特定の種に分類できません。糞石は石器の発見されている層でも確認されています。人類とハイエナは通常共存できないことから、人類遺骸と堆積物から人類のDNAが確認されているにも関わらず人類の痕跡の稀な層では、ハイエナが人類遺骸を持ち込んだかもしれません。じっさい、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代であるデニソワ11(関連記事)は、ハイエナに食べられた可能性が指摘されています(関連記事)。

 本論文は、デニソワ洞窟の全体的な利用状況として、人類の関与は最小限と評価しています。石器は多数発見されていますが、これはかなりの年代間隔で蓄積されており、人類による複数の断続的な利用を示唆します。燃焼副産物のような人類による微細遺骸は容易に再堆積するので、更新世における火の使用の痕跡の少なさについて本論文は、調査対象が限定されているため標本抽出が偏っているか、デニソワ洞窟の更新世の利用者、とくに現生人類(Homo sapiens)ではないだろう早期集団が、火を多く使わなかった可能性を提示しています。

 一方、豊富な糞石の記録は、デニソワ洞窟がほぼ連続的に人類ではない動物により占拠されていた、と示します。糞石の分析から、その主要な種は更新世のアルタイ山脈の上位肉食獣である洞窟ハイエナと考えられます。骨は肉食獣により洞窟に蓄積されるかもしれませんが、糞はその動物のものである可能性が高いと考えられます。その意味でも、更新世デニソワ洞窟の主要な居住者が洞窟ハイエナであった可能性は高そうです。その次にデニソワ洞窟を利用していたのはオオカミと推測されています。人類糞石は、東空間第11.4層および11.2層のような、霜の作用の影響を受けた層で高頻度に確認されています。ただ、洞窟の特定の場所、たとえば壁に近い場所が動物の「社会的排泄」の場所として利用されることもあり、遺跡全体の複数の場所での標本抽出の必要性を本論文は強調します。

 本論文の知見からは、人類が更新世にデニソワ洞窟を利用していた期間は短く、断続的だった、と推測されます。デニソワ洞窟は、確認されているネアンデルタール人の生息範囲としてはほぼ東端となります。一方、デニソワ人はデニソワ洞窟とチベット高原東部(関連記事)でしか遺骸は確認されていませんが、アジア東部に広く拡散していた可能性が指摘されています(関連記事)。また、デニソワ人の遺伝的影響は現代人ではオセアニア系集団でとくに高いことから、デニソワ人系統はアジア南東部もしくは南部に存在した可能性も考えられます。ネアンデルタール人はユーラシア西部中緯度地帯を東進してアルタイ山脈まで到達し、デニソワ人はユーラシア南岸を東進してアジア東部まで拡散して、そこから北西へ進んでアルタイ山脈にまで到達したのかもしれません。そうだとすると、デニソワ人にとって、ユーラシア中緯度地帯では、デニソワ洞窟が生息範囲の西端だったと考えられます。ネアンデルタール人はヨーロッパとアジア南西部、デニソワ人はアジア東部・南東部・南部が主要な生息範囲で、少数集団が時としてシベリア南部まで拡散したと考えると、デニソワ洞窟では人類の痕跡が少ないことを説明できそうです。もちろん、これは推測を重ねただけなので、強く主張したいわけではなく、今後の研究の進展により修正していかねばなりませんが。


参考文献:
Morley MW. et al.(2019): Hominin and animal activities in the microstratigraphic record from Denisova Cave (Altai Mountains, Russia). Scientific Reports, 9, 13785.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-49930-3

中野等『太閤検地 秀吉が目指した国のかたち』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年8月に刊行されました。本書は太閤検地を、一貫した方針・基準のもとに遂行されたものとして把握するのではなく、その時々の政治情勢から読み解いていきます。豊臣政権に服属したばかりの大名の領地、豊臣秀吉から疑いを抱かれていた大名の領地、秀吉により改易され、新たな領主が入部することになった地域など、太閤検地は多様な状況で行なわれ、豊臣政権中枢の奉行の関与も、見地の基準もそれぞれ異なっていた、というわけです。

 本書は太閤検地の歴史的意義として、国家・国制の水準での変化を挙げます。第二次世界大戦後、太閤検地の歴史的意義として、重層化した土地権利の一元化と中間搾取たる小作料(加地子)の否定が重視されてきました。しかし本書は、検地帳の記載に関係なく土地移動が行なわれており、土地所持の慣例や移動の実態も領主によって把握されていない、と指摘します。本書は、太閤検地は農民の土地保有権や経営権の確保などではなく、境界の確定による「村」の立ち上げと村請制の確立を目指したもので、富の掌握と再分配という点ではじゅうらいの諸権力と変わらない、と指摘します。

 しかし本書は、豊臣政権が検地結果の朝廷への報告という形式を採用し、多分に虚構的なところもあったとはいえ、何よりも石高という単一の基準を採用したことから、国家・国制の水準での太閤検地の歴史的意義は大きかった、と指摘します。太閤検地により、豊臣政権は臣下を容易に異動させられるようになりました。本書は、豊臣政権において戦国時代以来の故地を領有し続けた毛利家などこそ例外で、原理的にすべての「国土」は天皇あるいは豊臣政権に属することになり、江戸時代の「鉢植え」領主を準備した、と指摘します。もちろん、中世後期の変化を前提としてのことですが、豊臣政権が近世を切り開いたとの評価は過言ではないように思います。

最初期の鋏角類


 最初期の鋏角類に関する研究(Aria, and Caron., 2019)が公表されました。鋏角類は節足動物(関節のある付属肢1対を備えた体節が複数ある動物群)を構成する主要な動物群で、現生の鋏角類にはクモ類・サソリ類・ダニ類・ウミグモ類などが含まれ、おもに昆虫の捕食者として、また分解者として、現在の陸上生態系に著しい生態学的影響を及ぼしています。かつて鋏角類にはさまざまな絶滅種が数多く存在しましたが、その起源については議論が続いています。化石記録からは、鋏角類が古生代の海洋生態系において、遅くともオルドビス紀という早い時期に多様化していたことが示されています。しかし、鋏角類が出現した時期、さらに鋏角類の最初期の構成種を特徴付けるボディープランの種類に関しては、議論が続いています。これまでに、大付属肢類(Megacheira)は鋏角類に類似していると解釈されており、サンクタカリス類(Sanctacaris)を含むハベリア類(Habeliida)は鋏角類の直接のステム群系統に属することが示唆されていますが、鋏角類の特徴である特殊化した摂食用付属肢(鋏角)の存在を示す証拠は得られていません。

 この研究は、有名な中期カンブリア紀のバージェス頁岩(カナダ・ブリティッシュコロンビア州マーブルキャニオン)の極めて保存状態の良い豊富な化石試料を用いて、新種Mollisonia plenovenatrixが両眼の間のごく前方に頑丈で短い鋏角を有する、と明らかにしています。これは、鋏角がおそらく短い小触角の変形したものとして、特殊化した摂食機能を早期に獲得した、と示唆しています。頭部には1対の大きな複眼があり、その後ろに3対の長い単枝型歩脚と3対の太く丈夫な顎基の咀嚼用付属肢が位置していて、この配列はハベリア類を真鋏角類(ウミグモ類を除く「真の」鋏角類)と結びつけるものです。胴は、最後部に4つに分節した尾節があり、また全体にわたって11対の同一構造を持つ肢が並んでいます。これらの肢は、それぞれ3つの幅広い層板状フラップからなる外肢で、内肢は縮小しているか存在しません。これらの重なり合う外肢フラップは真鋏角類の書鰓に類似していますが、真鋏角類に特徴的な蓋板は持っていません。さらに、M. plenovenatrixの眼は3つの視覚ニューロピルによって神経支配されており、これは、軟甲類様の複雑な視覚系が全てのクラウン群真節足動物の原始形質であったかもしれない、とする見解を裏づけるものです。この化石は、鋏角類がカンブリア爆発の中心において、底生の微小捕食者として大顎類と共に出現したことを示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


古生物学:鋏角および原始的な書鰓を有する中期カンブリア紀の節足動物

古生物学:明らかになった最初期の鋏角類

 鋏角類は、節足動物(関節のある付属肢1対を備えた体節を複数持つ動物群)を構成する主要な動物群である。現生の鋏角類にはクモ類、サソリ類、ダニ類、ウミグモ類などが含まれるが、かつてはこの他に、さまざまな絶滅種が数多く存在した。鋏角類の起源については議論が続いている。今回C AriaとJ Caronは、カナダ・ブリティッシュコロンビア州の中期カンブリア紀の有名なバージェス頁岩から得られたMollisonia類の一種について化石を調べ直し、最初期の鋏角類がどのような動物だったかを解き明かしている。新たな化石標本からは、鋏角類を定義付ける特徴的な鉤爪様の鋏角の他、鰓や神経系の構造など、これまでほとんど知られていなかった数々の特徴が明らかになった。総合すると今回の化石は、鋏角類の全般的な定義を改善するものである。



参考文献:
Aria C, and Caron JB.(2019): A middle Cambrian arthropod with chelicerae and proto-book gills. Nature, 573, 7775, 586–589.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1525-4

陸上生物多様性の絶滅リスクを半減させる原生自然地域

 原生自然地域が陸上生物多様性の絶滅リスクを半減させる可能性についての研究(Marco et al., 2019)が公表されました。生物の消滅は人類に取り返しのつかない影響を及ぼすと考えられるため、全球的な生物多様性の喪失を減速させることは、人類が直面している重大な課題となっています。現在、生態系の継続的な劣化とそうした生態系を構成する種の絶滅については充分に立証されていますが、残された原生自然地域が全球の生物多様性の危機緩和において担う役割に関しては、ほとんど知られていません。この研究は、生息地の条件と種組成の空間的変動とを組み合わせて生物多様性の存続確率をモデル化し、これらの残された原生自然地域の保持が国際的な保全課題に不可欠である、と明らかにします。

 この研究により、原生自然地域の群集に属する種の絶滅リスクは平均して、非原生自然地域群集の種の絶滅リスクの半分に満たず、原生自然地域が種の喪失に対する緩衝として働いている、と明らかになりました。全ての原生自然地域には固有の保護価値がありますが、この研究は、各大陸において生物多様性の存続への相対的寄与が最も高い地域を特定しました。しかし、これらの地域は生息地の喪失による生物多様性への影響がより顕著であると考えられるにも関わらず、充分に保護されていません。原生自然地域は全球的に高速で失われていることから、より劣化した環境の保護および回復に取り組むとともに、これらの地域を優先的に保護して生物多様性の長期的な存続を確保することが緊急に求められている、とこの研究は提言しています。


参考文献:
Marco MD. et al.(2019): Wilderness areas halve the extinction risk of terrestrial biodiversity. Nature, 573, 7775, 582–585.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1567-7

アシューリアン期レヴァントにおける用途に適した石器の製作

 下部旧石器時代のレヴァントにおける用途に適した石器の製作に関する研究(Venditti et al., 2019)が報道されました。レヴァントでは、下部旧石器時代の文化であるアシューリアン(Acheulian)は140万~40万年前頃まで続きました。アシューリアンは、両面加工石器もしくは握斧や鉈様石器のような大型の切断用石器の製作および使用と関連づけられています。アシューリアンにおける大型切断用石器の100万年の持続は、創造性の欠如に起因する停滞との見解も提示されています。しかし、アシューリアン遺跡でも2~3cm以下の剥片石器が発見されていることから、下部旧石器時代の伝統と多様性が再考されつつあります。

 本論文は、イスラエルのレヴァディム(Revadim)遺跡のアシューリアン石器群について報告しています。レヴァディム遺跡では、大型剥片や大型切断用石器とともに小型剥片も発見されています。これらの石器群は、火の使用や大型動物の狩猟とともに、古代型(非現生人類)ホモ属の認知的に複雑な行動の一部です。レヴァディム遺跡の石器群は、レヴァディム遺跡では、動物の解体において大型石器が用いられていた直接的証拠も提示されています(関連記事)。レヴァディムは50万~30万年前頃の開地遺跡です。ほとんどの小型剥片は、区域C14の第3層で発見されました。本論文は、これらの石器群の使用痕と残留物を分析しました。

 分析の結果明らかになったのは、レヴァディム遺跡の人類集団は意図的に小型剥片を製作し、目的に応じて使用していた、ということです。小型剥片は握斧のような大型石器の製作に伴う廃棄物ではなく、廃棄された大型石器を再生利用するやり方でも製作されていた、というわけです。小型剥片には、脂肪・骨組織・コラーゲン繊維が顕著に確認されます。本論文は、小型剥片は獲物解体の一連の段階において、特定の段階で使用された、と推測しています。たとえば、すでに大型石器により皮が剥ぎ取られ、ある程度解体された後に、より精確な作業が要求される段階において、効率的に肉や骨髄を得る目的で、肉や腱や靭帯を切るために小型剥片が用いられたのではないか、というわけです。

 本論文は、アシューリアンの小型剥片は多目的で柔軟に使える万能道具ではない、と指摘します。たとえば、骨の切断や皮の剥ぎ取りなどは小型剥片では不可能なので、大型石器が用いられただろう、というわけです。また本論文は、小型動物の屠殺でも、全過程で小型剥片が使用されたわけではないだろう、と推測しています。50万年前頃のレヴァントの人類集団は、屠殺の各段階で要求される作業を効率的に行なうために、多様な道具一式で獲物を解体していくような、認知的柔軟性を有していた、と本論文は指摘します。

 考古学的記録からは、狩猟に基づく肉食が、人類の生物学的および文化的進化における最大の原動力の一つだった、という確かな証拠が提示されます。本論文は、50万~30万年前頃のレヴァディム遺跡の事例が、50万年前頃までに人類史において起きた顕著な変化を示している、と指摘します。ホモ属においては60万年前頃の脳容量の増大が指摘されており(関連記事)、この変化と関連している可能性が高そうです。おそらく脳容量の増大は、環境変化(動物・植物相の変化)や技術や社会関係も含む文化変化と密接に関連しているのでしょう。具体的にはどのように関連しているのか、現在の私の見識では上手く説明できませんが、今後、ある程度は説明できるように色々と調べていきたいものです。


参考文献:
Venditti F. et al.(2019): Animal residues found on tiny Lower Paleolithic tools reveal their use in butchery. Scientific Reports, 9, 13031.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-49650-8

現生人類の起源に関するモデル

 現生人類(Homo sapiens)の起源に関するモデルについての研究(Scerri et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。1980年代以降、現生人類の起源をめぐっては、大別すると多地域進化説とアフリカ単一起源説との間で議論が続いてきました。もちろん、それぞれの仮説も細分化されますし、とくに多地域進化説は当初より大きく変わりました(関連記事)。古典的な多地域進化説は、現代人の祖先を過去200万~100万年に世界の大半(たとえば、アメリカ大陸は含まれません)に拡散した系統とみなし、各地域における人類集団の継続性を強調しました。本論文で「単純な出アフリカモデル」と呼ばれるアフリカ単一起源説は、過去10万年におけるアフリカの単一地域からのアフリカからの拡大を提案しました。どちらも現生人類の起源の理解に貢献しましたが、考古学・形態学・遺伝学・古生態学のデータがさらに豊富になった現在も有効だろうか、と本論文は問題提起します。本論文が代わりに提起するのは、構造化されたメタ個体群モデルです。メタ個体群とは、たとえば対立遺伝子の交換といった、あるレベルで相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群のグループです(『カラー図解 進化の教科書 第1巻』P80)。

 本論文はまず、古典的な多地域進化説は遺伝学的研究により繰り返し論破されてきたものの、はさまざまな装いで戻ってくるので、遺伝学的研究は多地域進化説の否定を繰り返す必要がある、と指摘します。これは重要だと思います。多地域進化説派の研究者による2015年に刊行された一般向けの本でも、多地域進化説は近年の遺伝学的研究とも矛盾しない、と主張されているからです(関連記事)。遺伝的データは、過去200万~100万年前頃に地域的に進化したホモ属集団が非アフリカ系現代人のゲノムに大きく貢献したという見解を支持せず、非アフリカ系現代人の主要な遺伝的起源は、もっと後にアフリカから拡散してきた集団に由来する、と本論文は指摘します。最近の推定では、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から非アフリカ系現代人へは1.5~2.8%、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)からオセアニア人とアジア東部人へは0.3~5.6%の遺伝的影響が確認されます。これも多地域進化説「復権」の根拠とされますが(関連記事)、非アフリカ系現代人の系統の91.8~98.5%は、おそらく過去10万年以内にアフリカに存在した集団に由来することから、本論文は古典的な多地域進化説およびその「穏健な改良版」にも否定的です。厳密な生物学的種概念では、ネアンデルタール人のような10万年前頃の大型の脳を有する人類も、ホモ・サピエンスの多様体とみなせるものの、サピエンスの主要な祖先集団はおもにアフリカ人で、化石がその見解を変える可能性は低いだろう、と本論文は指摘します。

 サピエンス系統は、「古代型人類(archaic hominins)」とよく呼ばれる他のホモ属メタ個体群と遅くとも50万年前頃には分離した、と考えられています。「古代型人類」とは、現生人類の同時代の個体群とその祖先系統に適用される分類上の曖昧な用語です。しかし、上述のようにネアンデルタール人を現代人の多様な個体群の一つと考えることもできるわけで、ホモ・サピエンスという種区分の問題点と、もっと一般的で曖昧な用語の再検討の必要性を本論文は指摘します。本論文は、現生人類がネアンデルタール人やデニソワ人と交雑したことから、ホモ属進化を表すための単純な進化系統樹を用いることの問題と、遺伝子流動または枝の融合といった、より網状のモデルを考慮する必要がある、と強調します。系統樹・種・交雑の概念がまだ有効であるかもしれない一方で、それらはヒト進化の新たな像を制約し、誤解させるようになったのではないか、というわけです。

 その上で本論文は複数の証拠から、サピエンスの起源をより現実的な枠組みで理解したい場合、大陸全体としてのアフリカが研究の焦点であるべきだ、と指摘します。化石データは、現代人を特徴づける派生的な身体的形質が、1地域で漸進的に現れたわけではない、と示しているからです。代わりに、そうした特徴はアフリカ全土で異なる年代と多様な系統的特徴を伴う異なる組み合わせでモザイク状に現れたように見え、現生人類の形態への断片化されたアフリカ大陸規模の傾向を示唆している、というわけです。同様に、現代的な認知能力の出現を反映すると多くの人々に考えられている中期石器時代は、アフリカ全土で多中心体的起源を有するように見える、と本論文は指摘します。古気候の研究からは、気候変動が示されます。居住可能な領域は急速に変化し、同じ地域でも繰り返し現れては消えます。これらの古気候データは、早期サピエンスが強く構造化されたことを示唆する、と本論文は指摘します。つまり、早期サピエンスは時として相互に孤立していたメタ個体群を形成する相互接続された亜集団のセットを構成し、それはネアンデルタール人やデニソワ人や存在したかもしれない未知の人類集団のような他のメタ個体群セットとは異なります。本論文は、メタ個体群モデルの、分裂・融合・遺伝子流動・地域的絶滅の継続的過程としての、進化的系統内の構造と接続性の重要性を強調します。本論文は、メタ個体群モデルと、は単一の祖先集団からの分岐を推定するモデルのどちらがより妥当なのかは、ゲノムデータにより決まる、と指摘します。

 次に本論文は、系統樹の問題点を指摘します。系統樹は、遠い系統の種を表す場合には明らかに有用であるものの、メタ個体群を考慮されると誤解を招くかもしれない、というわけです。じっさい、祖先集団の分岐年代のような系統樹モデルの主要なパラメータを推測する場合、現実には単一の系統集団が存在しないメタ個体群モデルに近い場合、どのように解釈されるべきか、不明になってくる、と本論文は指摘します。本論文は他の解釈の問題として、集団構造を無視するモデルは、発生しなかったかもしれない集団規模変化の事象を推測し、年代を特定する危険性を指摘します。人口統計学的推論におけるメタ個体群モデルの使用は限定されているものの、メタ個体群モデルは豊富な理論史を有しています。個体群の孤立と混合事象を詳細に述べる高度にパラメータ化されたメタ個体群モデルを探すのは困難かもしれませんが、このモデルの利点は、多数のパラメータを必要とせずとも表せることだ、と本論文はしてはします。これは、分岐事象の年代測定に焦点を当てるよりもむしろ、分離と遺伝子流動への移行に関連する長期の人口変遷の強調により達成されます。本論文は、長期的な人口史の主要な特徴を識別するために、単純なものから始めて、メタ個体群モデルへと努力を集中すべきだ、と提案します。

 この枠組みでは、単純な出アフリカモデルは生態学的変化の結果としての地理的に構造化された亜集団の間での動的な接続を充分反映できないことから、本論文は否定します。本論文は、多地域進化説や単純な出アフリカモデルよりも構造化メタ個体群モデルの方が、考古学的・古人類学的・遺伝学的・古気候学的データをよりよく説明でき、現代人の進化のパターンを記述して説明する、より理論的な柔軟性を提供できる、と主張します。たとえば、構造化メタ個体群モデルは、球状の頭蓋や小さくて華奢な顔や頤といった現生人類と関連するさまざまな派生的な形態学的特徴の進化をよりよく説明します。これらの特徴は、アフリカ全土の異なる化石で異なる時期に別々に最初に出現しますが、一括して見られるようになるのは10万~4万年前頃以降です。これらや他の派生的特徴が異なる亜集団で個別に進化し、変動する遺伝子流動を通じて拡大したという構造化メタ個体群モデルは、そうした派生的特徴の出現の連続性の欠如を説明できる、というわけです。

 構造化メタ個体群モデルはまた、中期石器時代の物質文化のより拡大した一般的特徴と、地域特有の技術の双方を説明するのに役立つかもしれない、と本論文は指摘します。いくつかの理論的研究は、より大きな人口集団がより大きな文化的複雑および遺伝的多様性を維持する、と示します。しかし、集団構造はメタ個体群水準におけるより高い遺伝的多様性を維持するものの、地域的な遺伝的多様性はより低くなり、地域およびメタ個体群水準の両方で文化的複雑さを減少させる、と本論文は指摘します。局所的な複雑さに関する構造の類似した効果と、全体的な遺伝的および文化的複雑さに対する反対の効果を考えると、構造化モデルこそ、遺伝的および考古学的パターンをともに説明する唯一の方法である可能性がある、というわけです。

 本論文は、このアフリカ構造化メタ個体群モデルは便宜上、「アフリカ多地域進化説」と称されるものの(関連記事)、古典的な多地域進化説もしくはその穏健な改良版と混同すべきではない、と強調します。古典的な多地域進化説は地域的継続性を強調し、各地域集団の祖先系統が「常にそこにいた」という信念と関連づけられてきました。対照的に、単純な出アフリカモデルは、現代人が子孫である単一の「植民」集団を想定している点で問題だ、と本論文は指摘します。多地域進化説も単純な出アフリカモデルも、ほとんどの哺乳類種が成功してきたものを過小評価している、と本論文は指摘します。それは、生息範囲を拡大し、新たな環境を活用し、変化する環境に適応し、定期的に集団間の接続性を維持する能力です。他の侵入種と同様に、現代人系統も繰り返し、アフリカ内部およびそれを越えて拡大した、というわけです。

 本論文はまとめとして、現代人への形成といたる人類進化を理解するには、完全な孤立が見られるものの、それは例外的で、変化する集団構造のモデルが必要と指摘します。これは、変化する構造がヒトの多様性に影響を及ぼす唯一の過程だったとか、あるいは、構造だけがヒト進化のある時点で役割を果たし始めたとかいうことを示唆しません。構造化メタ個体群モデルは、多地域進化説と単純な出アフリカモデルとの間のような、激しくて見落とすところもあるような議論に陥ることなしに、ネアンデルタール人のようなアフリカ外のメタ個体群からの限定的な遺伝子流動を伴う、アフリカ起源説の古人類学的・考古学的・遺伝学的証拠を説明する、と本論文は主張します。ヒト進化のモデルはどれも、遺伝的・形態的・文化的データ構成における多様性のパターンを充分に説明し、更新世に我々の生態系を形成した気候変化と一致しなければならず、ヒト進化研究の今後10年の最も偉大かつ刺激的な挑戦の一つだろう、と本論文は指摘します。

 本論文の見解はたいへん考えさせられるものだと思います。現代人の起源に関して、古典的な多地域進化説と単純な出アフリカモデルのどちらも、形態・遺伝・物質文化・古気候など蓄積されてきた多様なデータを整合的に説明できなくなっていることは否定できないでしょう。その意味で、本論文の提示するアフリカ構造化メタ個体群モデル(便宜的に「アフリカ多地域進化説」と称されます)はたいへん興味深いと思います。とくに、後期ホモ属の各系統間での複雑な交雑が明らかになってきたことにたいする、系統樹の限界性の指摘は重要だと思います。とはいえ、現生人類もネアンデルタール人もデニソワ人も遺伝的に異なる分類群として把握できますし、本論文の指摘するように、遠い系統関係を表すのに適しています。その意味で、系統樹は限界性を踏まえたうえで今後も使われ続けていくのでしょう。


参考文献:
Scerri EML, Chikhi L, and Thomas MG.(2019): Beyond multiregional and simple out-of-Africa models of human evolution. Nature Ecology & Evolution, 3, 10, 1370–1372.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0992-1

Zimmer C, and Emlen DJ.著(2016)、更科功・石川牧子・国友良樹訳『カラー図解 進化の教科書 第1巻 進化の歴史』(講談社、原書の刊行は2013年)
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ヨーロッパ北西部最古のアシューリアン

 ヨーロッパ北西部最古のアシューリアン(Acheulian)に関する研究(Antoine et al., 2019)が報道されました。ヨーロッパにおいては、人類の拡散は140万年前頃にはさかのぼりますが、アシューリアン石器群を有する人類の拡散はもっと後になると考えられています。両面加工石器のようなアシューリアン的技術は、アフリカ東部では175万年前頃(関連記事)、レヴァントでは140万年前頃、疑問も呈されていますが、スペインでは90万年前頃までさかのぼります(関連記事)。また近年、フランス中央部では70万年前頃、イタリアでは67万~61万年前頃のアシューリアン技術が報告されています。しかしヨーロッパ北西部、とくにイングランドとフランス北部(北緯50度以上)では、最古の両面加工石器技術は55万年前頃となる海洋酸素同位体ステージ(MIS)14とされていました。

 本論文は、フランス北部のソンム川流域のムーラン・キニョン(Moulin Quignon)遺跡の石器群の年代を測定し、これまでの有力説を見直しています。この石器群には、大きな剥片や石核や5個の両面加工石器が含まれます。ムーラン・キニョン遺跡では1837~1868年に最初の両面加工石器が発見され、1863~1864年には人類遺骸が発見されましたが、すぐに偽物と見抜かれ、近年では年代測定により(報告された19世紀時点で)現代人のものと明らかになっています。この事件のため、ムーラン・キニョン遺跡はその後の150年以上、忘れ去られた遺跡となっていました。しかし、ムーラン・キニョン遺跡での発見には両面加工石器と80万~50万年前頃の化石種が含まれており、近年ではムーラン・キニョン遺跡への関心が高まっています。本論文は、2017年のムーラン・キニョン遺跡における野外調査での発見を報告します。それは、堆積物の年代測定と、石器インダストリーの比較分析です。

 ムーラン・キニョン遺跡の石器群の年代に関しては、電子スピン共鳴法(ESR)による年代測定では、2点の標本で686000±5800年前と650000±37000年前という結果が得られ、ムーラン・キニョンの堆積層全体の平均年代は672000±54000年前です。石器群は寒冷期の堆積層で発見されたため、676000年前頃に終わったMIS17ではなく、67万~62万年前頃となるMIS16のものと考えられます。本論文は、ムーラン・キニョン遺跡の石器群の年代を67万~65万年前頃と推定しています。密度など石器の分布状況から、当時の人類がムーラン・キニョン遺跡を利用していたのは夏季の短期間だろう、と本論文は推測しています。本論文は、ムーラン・キニョン遺跡石器群は、ヨーロッパ北西部のアシューリアン石器群としては既知の最古のものより10万年以上さかのぼる、とその意義を指摘します。

 本論文は、このヨーロッパ北西部のアシューリアン石器群の担い手がおそらくハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)だろう、と推測しています。本論文は、ハイデルベルク人が寒冷期のMIS16にヨーロッパ北西部に拡散していたことの意義を指摘します。60万年以上前となるヨーロッパ北西部への人類の拡散は間氷期だけではなかった、というわけです(MISは奇数が間氷期、偶数が寒冷期となります)。ヨーロッパにおける50万年以上前のアシューリアンの担い手はハイデルベルク人だけではないかもしれませんが、それはともかく、当時の人類が寒冷期にもヨーロッパ北西部に進出できるだけの能力を有していたことは確実なようです。


参考文献:
Antoine P. et al.(2019): The earliest evidence of Acheulian occupation in Northwest Europe and the rediscovery of the Moulin Quignon site, Somme valley, France. Scientific Reports, 9, 13091.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-49400-w

末期更新世における大型動物の絶滅の影響

 末期更新世における大型動物の絶滅の影響に関する研究(Tóth et al., 2019)が報道されました。現生大型哺乳類はヒトの活動に起因する絶滅の危険性が高く、その絶滅は生態系に深刻な影響を与える可能性があります。たとえば大型草食動物の絶滅は、景観全体を変えるかもしれません。本論文は、長年理由が議論されてきた北アメリカ大陸の更新世末期の大型哺乳類の大量絶滅と、その後の影響を検証します。具体的には、更新世から完新世にかけて生き残った大型哺乳類の、占有率と生態的地位サイズと種の共存パターンを利用して、絶滅種と比較するとともに、相互作用とその影響を調べました。時代区分は、21000~11000年前頃の末期更新世、11000~2000年前頃の(過去2000年を除く)完新世、2000年前頃~現代です。

 生存種では全体的な傾向として、更新世から完新世にかけて、優勢種はより優勢にさえなり、希少種はそのままか、より地位を低下させました。完新世と過去2000年の間では、占有パターンに実質的な変化はありませんでした。一方絶滅種は、末期更新世の生存種よりも気候と地理で範囲が小さくなっています。これに対して生存種の気候および地理的範囲は平均して、末期更新世から完新世にかけて拡大しました。末期更新世の生存種ではコミュニティにおいて凝集が優勢で、完新世と過去2000年では分離が優勢です。更新世から完新世への移行は、占有率・生態的地位サイズ・関連パターンのかなりの変化により特徴づけられます。生存種が絶滅種よりも大きな潜在的範囲を示したという事実は、狭い範囲に特殊化すると絶滅の危険性がより高い、という見解と一致します。完新世における生存種の気候的生態的地位の拡大は、大型動物の絶滅による競争から解放された空白の生態的地位を埋めていったことが反映されているかもしれません。

 完新世に始まる分離への全体的な変化は、種の共存の生物的および非生物的構成の相対的効果における変化に起因しました。気候および地理的生態的地位における増加は、完新世における種間の潜在的な範囲の重なりを増加させ、これが生物的および非生物的関連の凝集における変化を引き起こしました。対照的に、相互の潜在的範囲内の共存は減少しました。環境要因への種の反応は、顕著な気候変化にも関わらず、一貫して時間が経過してもコミュニティ凝集へとつながります。一方、生物的相互作用に起因する共存パターンは、末期更新世の後には減少しました。生物的相互作用は凝集を促進する傾向があるので、生物的関連の喪失は分離を増加させます。したがって共存の減少は、生物的関連の弱化と集約される生物的関連の傾向の減少の複合効果により促進されました。そのため本論文は、気候変化ではなく、大型動物相の消滅もしくはヒトの出現といった生物的要因の変化を、生態系激変の原因と評価しています。

 生存種の共存における変化が、生存種と犠牲種の相互作用の損失の直接的結果だったのか、あるいは大型動物の消滅もしくはヒトの影響の増加のような他の同時的変化に間接的に影響されたのか、本論文の結果から決定するのは困難です。更新世の捕食者はしばしば特殊化しており、その消滅により生存種はより広い範囲の獲物種を消費できるようになるため、共存への必要性を減少させます。さらに、大型の獲物の消滅は、獲物種により多くより小柄な分類群への移行を引き起こし、特定の獲物種への適合度を減少させたかもしれません。分離もまた、相互の潜在的範囲内の量と大きさにおいて増加しました。

 これらの事象の潜在的な説明の一つは、捕食種と競合種の消滅は、最終的には競争を強化して排除を増加させた急速な競合的開放シナリオにおいて、生存種の数を増加させた、というものです。生態系において比較的少ない生物量でも生態系へ大きな影響を与えるキーストーン種(中枢種)の消滅は、生物的相互作用の損失を通じて、他の種やコミュニティへの直接的および間接的効果を引き起こします。そのような損失は、しばしば生物多様性の減少と生態系健康の低下をもたらします。大型動物の絶滅は、類似の経路、とくに捕食圧と資源の解放を通じて、コミュニティにおいてかなりの変化を引き起こしたかもしれません。凝集から離れる傾向は、共存がより高次の相互作用を通じての生物多様性を増大させ、生物多様性は現代の保全努力の中心的焦点である、ことからも重要です。

 末期更新世の絶滅は、単純な生物多様性の損失を越えた、哺乳類コミュニティへの測定可能で永続的な効果を引き起こしました。本論文の分析が示唆するのは、これらの損失は、凝集の高水準を支持した種の相互作用のネットワークを破壊し、大陸規模の種の関連が現在では気候と拡散の制限により強く制御され、分離によりますます特徴づけられる現代の動物相へとつながる、ということです。種の相互作用や範囲の動態のような生物的メカニズムは、種が大陸規模で共存した在り様に一貫して影響を及ぼすことにより、哺乳類コミュニティ凝集において測定可能な役割を果たした、と本論文は指摘します。完新世に生存した種間の相互作用はおそらく、より小さい規模で、もしくはより短い時間の枠組み内で日和見的に起きます。全体的に、生物的メカニズムは今や、大陸規模での種の共存を更新世よりも減少させ、この変化はおそらく、更新世の大型動物相の絶滅により促進されただろう、と本論文は推測しています。アメリカ大陸に限らず、現生人類(Homo sapiens)は後期~末期更新世にかけての大型動物の絶滅に大きな影響を及ぼしたと考えられますが(関連記事)、その後の生態系への影響も大きいと示されたことは、第六の大量絶滅が進行中とも言われる現在、今後の生物保全にも重要になってくると思います。


参考文献:
Tóth AB. et al.(2019): Reorganization of surviving mammal communities after the end-Pleistocene megafaunal extinction. Science, 365, 6459, 1305–1308.
https://doi.org/10.1126/science.aaw1605

大相撲秋場所千秋楽

 今場所は横綱・大関陣がきょくたんな不振で、大混戦となりました。大関の高安関は初日から、横綱の白鵬関は初日に負けて2日目から、横綱の鶴竜関は4連勝の後に3連敗し、8日目から休場となりました。鶴竜関の師匠の井筒親方(坂鉾関)が9日目に亡くなり、すでに状態が深刻なことは鶴竜関も今場所前から知っていたでしょうから、動揺して相撲が乱れてしまったのかもしれません。これで、横綱2人はともに途中休場となり、大関陣では豪栄道関と栃ノ心関というカド番の2人だけが出場を続けることになりました。

 栃ノ心関は、場所前から不調が伝えられていたので、勝ち越すのは難しいかな、と覚悟していましたが、やはり相撲内容がたいへん悪く、14日目に負け越しが決まり、6勝9敗で大関から再度陥落しました。膝の状態が悪そうですから、来場所10勝以上することはかなり難しそうで、残念ながらもう大関復帰はないでしょう。栃ノ心関は結局、大関としては二桁勝利がなく、大関として最初の場所で初日から5連勝だったのに、6日目に負傷してそのまま休場となったことが本当に悔やまれます。しかし、小結から大怪我で幕下まで落ち、そこから優勝して大関にまで昇進し、大関から陥落しても一度は復帰したのですから、新入幕の頃から10年以上応援し続けてきた私は、よくやってくれたと本当に感謝しています。

 豪栄道関は14日目まで優勝争いに絡み、10勝5敗で大関残留を決めました。若手が伸び悩んでいるので、もう少しは大関の地位を維持できそうです。横綱2人は満身創痍といった感じで、とくに鶴竜関は、もう引退に追い込まれていても不思議ではありませんが、若手が伸び悩んでいるため、横綱の地位を維持できているといった感じです。白鵬関はもう1~2年くらい現役を続けられそうですが、師匠が亡くなって気落ちしているだろう鶴竜関の方はたいへん心配で、年内の引退もあり得ると思います。若手が伸び悩んでいるだけに、何とか復活してもらいたいものですが。モンゴルやヨーロッパからの入門者もいるとはいえ、やはり人数では日本出身力士が大半を占めるだけに、日本社会の少子高齢化が進むなか、全体的な水準が以前より低下しているのではないか、と私は考えています。

 優勝争いは、14日目の時点で3敗の御嶽海関・貴景勝関・隠岐の海関に絞られました。まず、3敗同士の貴景勝関と隠岐の海関が対戦し、貴景勝関が隠岐の海関を圧倒して押し出しで勝ち、3敗を守りました。次に御嶽海関と遠藤関が対戦し、御嶽海関が立ち合いから圧倒して遠藤関に勝ち、貴景勝関と御嶽海関の優勝決定戦となりました。両者ともに千秋楽は素晴らしい内容で勝っただけに、優勝決定戦では熱戦が期待されましたが、貴景勝関が引いてしまい、あっさりと御嶽海関が勝って2回目の優勝を果たしました。それだけ御嶽海関の立ち合いの圧力が強かった、ということなのでしょう。貴景勝関は12勝3敗で大関復帰を決めました。若い大関だけに、横綱昇進まで期待したいところですが、研究されてきている感もあり、まだすぐに横綱に昇進できるだけの力はないように思います。また、貴景勝関は優勝決定戦で胸を負傷したかもしれず、この点も心配されます。

 来場所は、5日目から休場して1勝に終わり、かなり番付を下げるだろう逸ノ城関に期待しています。まあ、上体を起こされると脆いのは相変わらずで、攻略法が確立されている感もあり、大関昇進は難しそうですが、弱点を完全に克服するよりも、むしろその力強さを磨く方向で稽古し、何とか大関までは昇進してもらいたいものです。逸ノ城関は本来なら、照ノ富士関とともに、今頃横綱として君臨し、白鵬関も鶴竜関も引退に追い込んでいるくらいの逸材だったと思うのですが、本当に残念です。照ノ富士関は復調しつつあるとはいえ、以前の力を取り戻すのはもう無理でしょう。その意味でも、逸ノ城関には期待しています。

アフリカ東部の5000年前頃の巨大な墓地

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、アフリカ東部の5000年前頃の巨大な墓地に関する研究(Hildebrand et al., 2018)が報道されました。巨大建造物の出現は社会の複雑さを示す指標とされ、それは階層化の進展を伴う人類史における画期として注目されてきて、人口密度の高い定住社会で発達した、と以前は考えられていました。本論文はこの問題に関して、ケニア北西部のトゥルカナ湖(Lake Turkana)近くのロサガム北柱遺跡(Lothagam North Pillar Site、以下ロサガム遺跡)について報告し、複雑な社会の発達が人口密度の高い定住社会以外でも起きる可能性を提示しています。

 ロサガム遺跡は約700㎡の高台と、その東方の少なくとも9ヶ所のストーンサークルと6ヶ所の石塚から構成される700㎡ほどの区域を有する巨大な墓地です。詳しく調査された1区画では新生児から高齢者まで多様な年齢の男女36人が埋葬されており、被葬者は全体で580人ほどと推定されています。この巨大墓地を建造したのはアフリカ東部で最初の牧畜民集団で、年代は5000~4300年前頃です。本論文はこの背景として、14800~12000年前頃に始まったアフリカの湿潤期が5500~5000年前頃に終わったことを挙げます。この湿潤期に、漁撈狩猟採集民が現在のサハラ砂漠、当時は「緑のサハラ」に居住するようになり、岩絵などを残しました。7400~6500年前頃に牧畜民もサハラ砂漠へと拡散し、同じく岩絵などを残しました。

 しかし、6500年前以後に乾燥化が進み、トゥルカナ湖周辺の景観は大きく変わりました。前期完新世には、漁撈狩猟採集民が定期的に湖岸を利用していましたが、5300~4000年前頃にトゥルカナ湖の水位は約55m低下しました。これは草食動物にとって新たな生息地をもたらしました。乾燥化により牧畜民はサハラ砂漠から南方や東方へと拡散しましたが、トゥルカナ湖周辺に拡散してきたのには、草食動物にとっての生息地の拡大という環境変化もあったようです。このように気候と環境が大きく変動するなか、アフリカ東部にも5000年前頃に初めて牧畜民集団が拡散してきて、これ以降、アフリカ東部では集団間の複雑な相互作用が進展していき(関連記事)、社会的ネットワークと文化も変容します。前期完新世の漁撈民はおもに地元の石材を使用していましたが、中期完新世の牧畜民は遠方の黒曜石を使用し、土器の様式も変わりました。

 ロサガム遺跡の墓地では多数の副葬品も確認されています。副葬品には、鉱物製のビーズやカバの牙の腕輪や象牙の指輪などがあります。405個のアレチネズミの歯でできた頭飾りも発見されており、当時アレチネズミは家畜化されていなかったので、わざわざ多数を捕らえたことになります。このように豪華な副葬品もありますが、被葬者の安置パターンと副葬品からは、社会的階層化進展の証拠は見つかっていません。本論文は、アフリカ東部の初期牧畜民集団の間では、気候変動と在来の漁撈狩猟採集民集団との微妙な関係の中で、団結を誇示するような巨大墓地が建造されたのではないか、と指摘します。ロサガム遺跡の事例は、社会の複雑さの指標となる巨大建造物は人口密度が高く階層化の進展した定住社会で初めて出現する、という以前には有力だった想定に大きな修正を迫ります。アジア中央部の事例でも、巨大建造物が遊動的な集団で発達する、と示されています。社会的複雑さへの経路は単一ではなかった、というわけです。ただ、ロサガム遺跡に関しては、より広い区画を発掘することで、階層化を示唆する証拠が見つかるかもしれない、とも指摘されています。


参考文献:
Hildebrand EA. et al.(2018): A monumental cemetery built by eastern Africa’s first herders near Lake Turkana, Kenya. PNAS, 115, 36, 8942–8947.
https://doi.org/10.1073/pnas.1721975115

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第36回「前畑がんばれ」

 今回は前畑秀子が実質的な主役です。前畑は1932年にロサンゼルスで開催された夏季オリンピック大会の水泳平泳ぎ200mで2位となり、その後世界記録も出し、日本人の多大な期待を寄せられていました。前畑は重圧を感じながら、ベルリンで開催される1936年夏季オリンピック大会に臨みます。重圧で苦悩する前畑は、水泳平泳ぎ200mの予選で世界記録を出しながら、準決勝では遅い時計を出してしまい、不安定な精神状態のまま決勝前日を迎えます。両親の夢を見た前畑は、国民からの期待をともに泳ぐことだと考え、覚悟を決めて決勝に臨みます。

 今回は、前畑のオリンピックでの優勝が描かれました。じっさいの競技場面は、なかなか盛り上げてくる脚本・演出だったと思います。この後は1940年に開催予定の東京オリンピック大会の中止が描かれるわけで、しばらくは暗い展開が続くでしょうから、今回は後半の山場という位置づけなのだと思います。それに相応しい内容になっており、しばらくは落差を感じさせることになりそうです。というか、すでに今回終盤の時点で、河野一郎のオリンピック反対論予告や日中戦争(当時は公式には事変扱い)の始まりなど、1940年の東京オリンピック大会をめぐって不穏な空気が描かれていました。

 オリンピックの負の側面も描いてきた本作ですが、1936年のベルリン大会に関しては、ナチス政権下で行なわれたこともあり、日本チームのユダヤ系ドイツ人通訳の自殺や、嘉納治五郎もベルリン大会の影響を強く受けて平静ではない、という副島道正の指摘など、とくに強調された感があります。嘉納の退場は次回かその次のようですが、これは嘉納の老いも踏まえての描写なのでしょう。マスコミでは大河ドラマ史上記録的な低視聴率という話題が多く取り上げられていますが、オリンピックの多様な側面が描かれており、傑作だと私は考えています。

DNAメチル化地図から推測されるデニソワ人の形態(追記有)

 DNAメチル化地図から種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の形態を推測した研究(Gokhman et al., 2019)が報道されました。種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)は、DNA解析結果から、現生人類(Homo sapiens)よりもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の方と近縁で、現代人ではおもにメラネシア系とオーストラリア先住民に遺伝的影響を残していると明らかになっていますが、その形態はほとんど知られていません(関連記事)。南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されたデニソワ人の1個体(デニソワ3)からは高品質なゲノム配列が得られており(関連記事)、解剖学的特徴に関するじゅうぶんな情報が含まれている可能性がありますが、どの遺伝子がどの特徴にどのように関わっているのか、まだ詳しくは解明されていません。

 直接的な方法は、タンパク質配列を変える置換の結果の調査です。しかし、デニソワ人およびネアンデルタール人と現生人類との非同義置換は少なく、大半は非コード領域の変化もしくは非同義置換です。非コード領域の変化の多くはおそらく(ほぼ)中立的ですが、遺伝子活性を変えるものもあり、形態に影響を及ぼすと考えられます。しかし、こうした多様体を正確に特定することはひじょうに困難です。こうした問題を回避する方法は、さまざまな特徴に関連していると知られている一塩基多型の複合効果を予測することです。皮膚や髪や目の色素沈着のような特徴の予測精度はヨーロッパ人では80%を超えていますが、顔面の形態も含む特徴の大半では、ゲノム規模関連研究(GWAS)に基づく予測の精度は低い水準です。さらに、ヨーロッパ人に基づくGWASを他集団に適用しても精度は低いと明らかになっており、おそらくこれは、GWASが最近生じた多様体による人口集団内の多様性を反映しているからです。

 理想的には、デニソワ人の形態をさらに理解するには、非コード配列変化よりも容易に解釈できる遺伝子発現を直接的に測定しなければなりませんが、RNA分子は古代の標本では急速に分解するため、配列には使用できません。そのため本論文は、遺伝子活性の標識として、ゲノムの重要な調節機能となるDNAメチル化を使用しました。本論文は、デニソワ人のDNAメチル化パターンを、現生人類・ネアンデルタール人・チンパンジーと比較し、どの遺伝子が各系統で上方制御もしくは下方制御されているのか、推測しました。本論文は次に、機能喪失変異のためと知られており、そのために活性が減少する表現型の分析により、これらの変化を潜在的な表現型変化と関連づけました。本論文はこの方法をネアンデルタール人とチンパンジーに適用し、その精度を定量化しました。その結果、ネアンデルタール人と現生人類を分離する特徴の復元において82.8%、変化の方向性において87.9%の精確性が示されました。チンパンジーでは、それぞれ90.5%と90.9%になります。本論文は、この方法をデニソワ人に適用することで、デニソワ人の形態を推測します。

 ネアンデルタール人とデニソワ人のDNAメチル化地図は、すでに報告されています(関連記事)。本論文は、デニソワ人1人とネアンデルタール人2人と現代人55人チンパンジー5匹のメチル化地図を作成し、比較しました。本論文はまず、年齢や健康状態や性別など個体要因によりメチル化の水準が異なる遺伝子座を除外し、系統固有のメチル化水準の違いを識別しました。それは、現生人類の873ヶ所、ネアンデルタール人とデニソワ人で共通の939ヶ所、ネアンデルタール人固有の570ヶ所、デニソワ人固有の443ヶ所、チンパンジーの2031ヶ所となります。次に本論文は、系統特有のメチル化の変化と遺伝子活性水準の変化の反映を特定し、さらに遺伝子活性の変化と既知の表現型とを関連づけました。最終的に本論文は、597ヶ所のメチル化遺伝子を、1528ヶ所の骨格の表現型と関連づけました。

 本論文はすべての表現型を、方向性と非方向性に二分しました。方向性表現型は、変化が高低や加速と遅延など一次元で表現でき、たとえば骨格成熟の遅延や両頭頂骨間の狭小化などです。非方向性表現型は、顔面異常や歯の不正咬合など、一次元では表せないものです。本論文は、815ヶ所の方向性表現型を分析しました。本論文はメチル化水準の違いによる予測を2区分しています。一方は、特徴の分岐の予測で、たとえば両系統間の指の長さの違いです。もう一方は変化の方向性が分かる分岐の特徴の予測で、たとえばどちらの系統の指がより長いのか、ということです。

 本論文はこの方法を用いて、デニソワ人の形態を復元しました。デニソワ人の特徴は、ネアンデルタール人とともに現生人類と異なるものと、ネアンデルタール人と異なるものに二分されます。前者は現生人類系統もしくはデニソワ人とネアンデルタール人の共通祖先系統で進化し、後者はデニソワ人系統で進化したと考えられます。全体として、デニソワ人において現生人類もしくはネアンデルタール人と異なる56ヶ所の特徴が識別され、32ヶ所では変化の方向性が予測できました。32ヶ所の単一指向性特徴から、デニソワ人の骨格の特徴を推測できます。予想通り、デニソワ人の特徴32ヶ所のうち21ヶ所はネアンデルタール人と共有される、と予測されています。共通の特徴は、頑丈な顎や低い頭蓋や厚いエナメル質や広い骨盤や大きな胸郭や突き出た顔などです。

 他の11個の単一指向性特徴は3区分されます。第一は、デニソワ人系統で出現した変化した3ヶ所で、現生人類およびネアンデルタール人と異なると予想されます。それは、長い歯列や拡大した下顎頭や広い頭骨の幅です。第二は、ネアンデルタール人特有の変化2ヶ所で、デニソワ人の特徴はネアンデルタール人よりも現生人類の方と類似している、と予想されます。それは、下顎前部と比較しての広い側頭骨と、永久歯の早期の喪失です。なお、今月(2019年9月)公表されたばかりの検証なので本論文では言及されていませんが、デニソワ人の指はネアンデルタール人よりも現生人類の方と類似している、と指摘されています(関連記事)。第三は、現生人類もしくはネアンデルタール人およびデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人系統で出現した6ヶ所で、3系統でそれぞれ特徴が異なると予測されます。これらの特性は、骨密度・顔面の広さ・骨幹端と骨幹の幅・顔面突出(下顎前突)・肩甲骨のサイズ・骨格の成熟時期です。

 これらの特徴は、化石記録の豊富なネアンデルタール人では照合できますが、デニソワ人で照合できるのは歯と今年(2019年)新たに報告されたチベット高原東部の下顎(関連記事)だけです。本論文はデニソワ人の特徴8ヶ所の予測を化石記録と検証し、長い歯列など7ヶ所でじっさいの形態と一致する、と明らかになりました。一方で、ネアンデルタール人と似ていると予測されたデニソワ人の下顎前部は、じっさいの形態ではネアンデルタール人よりもかなり長いと報告されています。これは、アルタイ地域とチベット高原東部ではデニソワ人の系統が異なる可能性を反映しているのかもしれません。以下、本論文の結果に基づくデニソワ人の復元画像を上記報道から引用します。
画像

 本論文で復元されたデニソワ人の特徴の多くは、中国の中期~後期更新世の古代型(非現生人類)ホモ属遺骸で確認されました。これら古代型ホモ属化石はネアンデルタール人のよう特徴を示しますが、その系統分類は未定のままです。おそらくネアンデルタール人に最も類似しているのは、中華人民共和国河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された、125000~105000年前頃の頭蓋です(関連記事)。これら中国の中期~後期更新世の古代型ホモ属の頭蓋はネアンデルタール人と類似しているため、デニソワ人に分類できる可能性が高まっています。許昌頭蓋には頭蓋冠と頭蓋底が含まれ、側頭骨の横方向の拡大など10ヶ所の方向性形態のうち7ヶ所が、復元されたデニソワ人の特徴として確認されました。

 中国の中期~後期更新世の古代型ホモ属化石すべてがデニソワ人系統に分類できるとは限りませんが、デニソワ人がアジア東部に広く拡大していた可能性は低くなさそうです。そうすると、デニソワ人はどのようにアジア東部にまで拡大してきたのかが問題となります。仮に、デニソワ人がユーラシア南部を東進してきたのだとしたら、アジア南部および南東部にもデニソワ人系統が存在したことになります。そうすると、アルタイ地域のデニソワ人は、アジア東部から北上してきた集団だったのかもしれません。デニソワ人に関しては、今後の課題として、より保存状態の良好なデニソワ人遺骸の発見が挙げられます。それにより、本論文の予測がどの程度妥当なのか、総合的に確認できます。

 本論文はDNAメチル化パターンから、系統間の特性を80%以上の精度で復元し、この方法の有効性を示しました。本論文の提示した方法は、断片的な遺骸からも形態をかなりの精度で推測できるようになったという意味で、たいへん意義が大きいと思います。デニソワ人もネアンデルタール人も、DNAメチル化地図は断片的な遺骸から高品質なゲノム配列の得られた個体で作成されています。古代DNA研究が新たな方法で飛躍的に発展する可能性を秘めている現在(関連記事)、化石記録の残存性に依拠せず形態を推測できる本論文の方法は、今後重要な役割を果たしていくだろう、と期待されます。


参考文献:
Gokhman GS. et al.(2019): Reconstructing Denisovan Anatomy Using DNA Methylation Maps. Cell, 179, 4, 180–192.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.035


追記(2019年9月25日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

『卑弥呼』第25話「光」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年10月5日号掲載分の感想です。前回は、暈軍に捕らえられたイスズとウズメが山社の門前にて、日見子(ヤノハ)は我々を見捨てなかった、と希望を見出している場面で終了しました。今回は、那軍が山杜(ヤマト)の目前まで迫った場面から始まります。山社は望国(クニミ)の丘の上にあり、倭国の聖地とされています。トメ将軍は輿から降り、夜まで休憩するよう命じます。総攻撃は真夜中なのか、とヌカデに問われたトメ将軍は、暈(クマ)軍は自軍の倍で高地に陣を張り有利なので、自軍の苦戦は必至であるから、無駄な死者を出したくない自分はまだいつ攻撃するのか決めていない、と答えます。

 丘の上の暈軍の陣営では、テヅチ将軍がタケル王に、山社は武器の放棄を条件に暈軍の山社入場を認める、という条件を提示してきた、と伝えていました。それは降伏勧告かとタケル王に問われたテヅチ将軍は、もしくは休戦の提案だろう、と答えます。するとタケル王は激昂し、山社の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズと副長のウズメを斬首せよ、と命じます。テヅチ将軍は冷静に、山社のミマト将軍が代わりの人質として自分の息子であるミマアキではどうかと提案してきた、とタケル王に伝えます。タケル王はその提案を認めようとします。息子が斬首されればミマト将軍は怒りのあまり砦から出撃してくるだろうから、自軍の楽勝というわけです。しかしテヅチ将軍は、ミマト将軍は生粋の戦人なので、自分の子供よりも兵の命を優先し、那軍が暈軍を攻めるまで耐えるだろう、とタケル王に進言します。

 那軍と山社軍に挟み撃ちにあっても暈軍が負けるとは限らないだろう、とタケル王に問われたテヅチ将軍は、那軍はオシクマ将軍の指揮する最前線の暈軍を撃破して士気がきわめて高く、暈軍の苦戦は目に見えている、と答えます。タケル王は嘆息し、何もかもオシクマ将軍のせいだ、那軍が大河(筑後川と思われます)を渡ることをおめおめ許し、挙げ句の果てに全滅とは何と無能な男だ、と言い放ちます。タケル王は愕然としている様子のテヅチ将軍に、暈軍は那軍の倍で、たとえ戦で半数に減っても、その時の敵の数はもっと少ないはずだ、と言い、ミマアキとイスズとウズメを即刻斬首し、暈軍の士気を高めるよう、命じます。タケル王の裁定を伝えに来たテヅチ将軍を、イスズとウズメは不安そうに見上げます。

 山社を目前に休憩している那軍の陣営では、ヌカデがトメ将軍に、暈軍に勝利すれば那の王からどのような褒美を貰えるのか、と尋ねていました。ウツヒオ王のことだから、自分を次の戦いでも総大将に任じる程度だろう、と答えるトメ将軍に、それで満足なのか、とヌカデは尋ねます。トメ将軍は悟りきったような表情で、一番欲しいものは永久に手に入らないからな、と答えます。トメ将軍が一番欲しいものは、大陸との通商を一手に司り、望めば漢にまで行ける島子(シマコ)でした。示斎(持衰)として何度も韓まで行ったトメ将軍は、海はいいぞ、と愉快そうに言います。暈討伐という那の悲願を達成しても島子にはなれないのか、とヌカデに問われたトメ将軍は、ウラ家があるからと答えます。トメ将軍はヌカデに、那に伝わるウラ家にまつわる有名な伝説を語ります。ある日、釣りに出たウラ家の先祖は、魚の代わりに大きな亀を釣りあげます。亀は海神の娘で、美しい姫に変身し、ウラ家の先祖を蓬莱山(トコヨノクニ)の仙衆(ヒジリタチ)に会わせます。それ以来ウラ家は、大亀に守られている一族なので、島子を任せれば航海は絶句安全と言われるようになりました。日見子(ヒミコ)様(ヤノハ)なら島子になるというトメ将軍の夢を叶えてくれるかもしれない、と言うヌカデに対して、そうなれば日見子(たるヤノハ)に一生ついて行く、とトメ将軍は語ります。

 夜になり、テヅチ将軍が輿で眠っているタケル王を起こします。侍従である拾遺(オモビト)がいないことに疑問を抱くタケル王に、拾遺は全員山社に入った、就寝中のタケル王には声をかけなかった、とテヅチ将軍は説明します。タケル王は嬉しそうに、山社は降伏したのか、と言います。タケル王に那軍の動静を尋ねられたテヅチ将軍は、影も形も見えない、と答えます。山社が落ちた今、トメ将軍との戦いが待ち遠しい、と愉快そうに語るタケル王ですが、大量の武器が放置されていることを不審に思います。するとテヅチ将軍は山社の門で待ち構えているミマト将軍に、タケル王を渡す、と力強く宣言します。裏切ったのか、と慌てるタケル王に対して、オシクマ将軍を罵倒するタケル王は日見彦(ヒミヒコ)ではないと確信した、それどころか人の上に立つ天分すらない、とテヅチ将軍は言い放ちます。山社の兵は暈の兵士たちに、諸君は俘虜ではない、山社の客人だ、と告げ、暈軍の兵士たちとともに宴会を始めます。

 ヤノハはテヅチ将軍に、タケル王を見限ったことに感謝します。テヅチ将軍はヤノハに、タケル王に代わって倭国統一を目指すのか、と尋ねます。ヤノハは、倭国を統一する気はまったくない、と答えます。驚いたテヅチ将軍は、では何をするつもりなのか、と尋ねます。するとヤノハは、自分は天照様と倭人をつなぐ光で、光は万人に平等に降り注ぐのみ、あれこれを命じることは絶対ない、と答えます。自分はただ倭国が平らかになるよう、人々に光を注ぐのみだ、というわけです。テヅチ将軍はヤノハの返答に感銘を受けたようです。タケル王の処遇をどうするのか、ミマト将軍はヤノハに尋ねます。ヤノハはタケル王をトンカラリンの洞窟に置き去りにします。イクメは、タケル王が迷路になっているトンカラリンの洞窟を持っていたことから、記憶力がよければ生き残るのではないか、と懸念します。しかしヤノハは、本当に自分だけが選ばれた存在なのか、天照様を試したくなった、とイクメに言います。選ばれた者が天下に2人顕れれば、倭国はさらに乱れる、と懸念するイクメに、その時は自分が消えればよい、とヤノハが答えるところで今回は終了です。


 今回は、話が大きく動きました。テヅチ将軍がタケル王を見限り、タケル王はトンカラリンの洞窟に置き去りにされました。テヅチ将軍がタケル王を見限った直接的経緯は、タケル王が最前線から多数の兵を引き抜いたことこそ、暈軍崩壊の決定的要因となったのに、タケル王が自身の責任をまったく認めず、オシクマ将軍に責任を押し付けて罵倒したからでしょう。オシクマ将軍は武人として優れており、敵のトメ将軍もそうですが、多くの武人から一目置かれる存在だったようです。タケル王のあまりにも身勝手で幼稚な態度に、オシクマ将軍と同じく武人であるテヅチ将軍は愛想が尽きた、といったところでしょうか。テヅチ将軍の対応は、説得力のある描写になっていたと思います。

 タケル王を日見彦と認める人も一定以上いるようなので、タケル王はかつてトンカラリンの儀式から生還したのでしょうが、タケル王も認めるように、配下の者にトンカラリンの洞窟の地図を作成させ、それを頼りに脱出したのでしょう。それを知っている暈の国の「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部(イノリベ)の幹部たちは、追放されたヒルメをはじめとしてタケル王が偽の日見子だと考えていたのだと思います。タケル王がこの窮地を脱するのか分かりませんが、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、タケル王が死んでも誰かが日見彦(卑弥弓呼)に擁立されるのでしょう。鞠智彦(ククチヒコ)も、暈の最強の実力者でタケル王の父であるイサオ王も、タケル王が不出来であることをよく認識していますし、イサオ王は冷酷な人物ですから、すぐにタケル王の代わりを擁立するのではないか、と思います。『三国志』から推測すると、日見子(卑弥呼)たるヤノハと暈は今後も対立し続けるでしょうから、イサオ王と鞠智彦がヤノハを日見子として認めて擁立する、という展開にはならないように思います。ここまで、ヤノハの思惑通りに事態が進んでいるように思いますが、今後は、イサオ王と鞠智彦を相手に、ヤノハが苦境に立たされる場面もありそうです。

 ヤノハがあえて自分に不利な状況設定も用意するところは、生に執着するという人物造形から見てどうなのか、と思わなくもありませんが、ヤノハが執着しているのは生きることであり、日見子として擁立されることではない、と解釈するのがよいでしょうか。あえて自分に不利な状況設定も用意するところは、ヤノハの胆力と知恵と自信をよく表しており、人物描写がぶれている、とは考えていません。山社軍と暈軍が合流し、すっかり打ち解けた後、トメ将軍がどう行動するのかも気になるところです。ヤノハはアカメに、トメ将軍を陥れるよう、那国で噂を流せと指示しており、トメ将軍をその兵士たちとともに新生「山社国」に迎え入れるつもりなのかもしれません。トメ将軍は、島子を任せられればずっと日見子(ヤノハ)についていくと明言しており、今後、ヤノハがトメ将軍を朝鮮半島、さらには後漢の後継王朝たる魏との通行に活躍するのかもしれません。そうだとすると、『三国志』に見える、倭国から魏に派遣された大夫の難升米がトメ将軍という設定になりそうです。今回も面白かったのですが、今後、ますます雄大な規模の話が展開していきそうなので、本当に楽しみです。

Craig Stanford『新しいチンパンジー学 わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか?』

 クレイグ・スタンフォード(Craig Stanford)著、的場知之訳で、2019年3月に青土社より刊行されました。原書の刊行は2018年です。本書はまず、チンパンジー観察の難しさと、この分野におけるグドール(Dame Jane Morris Goodall)氏の功績を強調します。今では当然のように考えられている、チンパンジーが道具を使い、狩りを行ない、集団で攻撃するといった行動のグドール氏による報告は、当時のチンパンジー観を大きく変え、それを現代の若者が想像するのは困難である、というわけです。

 チンパンジーは狩りも行ないますが、本質的に熟した果実のスペシャリストだと本書は評価しています。チンパンジーは父系的な社会を形成しますが、同じコミュニティの雄の血縁度はさほど高くなく、ただそれでも雌よりはやや高いそうです。最近では再検討も進められているものの、一般的に雌は雄ほど社会的ではなく、複数のコミュニティに所属している可能性があり、雄は雌を支配するために同盟する、と本書はチンパンジー社会の構造を把握しています。チンパンジーのパーティーサイズを決定するのはおもに食料と雌の繁殖サイクル)で、後者の方が影響力は大きいようです。チンパンジーの社会行動については、広い分布域全体で他の霊長類よりも一様と評価されています。

 グドール氏の大きな功績というか、以前のチンパンジー観を変えたのは、チンパンジーの暴力性でした。本書は、チンパンジーの暴力を、さまざまな環境条件において恒常的に生じるという意味で、きわめて「自然」と評価しています。チンパンジーのコミュニティ間の暴力は、勢力が不均衡な場合に起きやすくなっています。一般的にチンパンジーは、他のコミュニティよりも数で優勢な時には攻撃を仕掛けますが、互角な時には暴力行使に慎重になります。コミュニティ間の暴力で雌が雄に殺されることもありますが、これは、食資源との兼ね合いから、コミュニティにおいて順位の高い雄にとって、新たな雌を迎えるよりも縄張りを拡大して食資源を充実させる方が、適応度を上げられることと関連しているだろう、と本書は指摘します。チンパンジーの暴力性の表れとされる狩りには季節性があり、それは初期人類と同じく、乾季に集中しているそうです。しかし、乾季には葉が落ちて観察しやすいという偏りが生じている可能性も指摘されています。狩りの中心は雄です。

 チンパンジーの雌はおおむね11歳前後で最初の性皮膨張を経験し、1~2年後に出生コミュニティを出ていきますが、隣接コミュニティで数ヶ月過ごした後、出生コミュニティに戻る場合もあります。しかし、13歳頃までには出生コミュニティとは別のコミュニティに落ち着き、そこで一生を過ごします。チンパンジーの雌はゴリラの雌とは異なり、最初の移住の後に再度移住することは稀です。最初の子が成熟する確率は50%未満です。雌はおおむね5年間隔で出産し、高齢になるほど妊娠しにくくなりますが、ヒトのような突然の閉経を迎えることはありません。ただチンパンジー社会では、時として出生コミュニティから離れない雌も存在しますが、それは高順位の家系だからと推測されています。

 チンパンジーの選択については、雌が注目されてきましたが、近年では雄の側も注目されています。チンパンジーの雄は、ヒトとは異なり、年長の雌を好む傾向を示します。その理由について完全に解明されているわけではありませんが、チンパンジーの雌の地位は高齢個体の方が若い個体よりも高いことと関連している、との見解が提示されています。乱交的とされるチンパンジーですが、近年、特定の異性間の長期の絆が確認されるようになってきており、ヒトとの類似性が指摘されています。

 チンパンジー研究は人類進化研究に有益である、と本書は強調します。もちろん本書は、チンパンジーが初期人類とそっくりと主張しているわけではなく、チンパンジーは初期人類の進化の適切なモデルとなり得る、と指摘しているわけです。また本書は、そもそも一夫一妻制は霊長類において他の哺乳類より多く見られるとはいえ、珍しい特徴であり、最初期人類も一夫一妻ではなかっただろう、と指摘します。そもそも、本書も指摘するように、現代人も厳密には一夫一妻とは言えなさそうです。人類進化史における配偶形態の変遷について、決定的な証拠を得るのは難しいでしょうが、今後も研究は進展していくでしょうから、注目しています。

 本書はアフリカ南部で発見されたホモ・ナレディ(Homo naledi)について、最初期ホモ属であるハビリス(Homo habilis)とよく似ており、アウストラロピテクス属に分類する研究者さえいることから、ナレディによる遺骸「埋葬」の可能性を全否定しています。もちろん、ただ、本書はナレディの年代について100万年前頃の可能性が高いとしていますが、じっさいには335000~236000年前頃で、現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)系統に見られる派生的特徴も見られることから、系統的にも単純にハビリスと関連づけることはできないように思います(関連記事)。また、ナレディの存在した年代には初期現生人類もしくは現生人類の直近の祖先系統がアフリカ南部に存在したと考えられることから(関連記事)、ナレディが遺骸を洞窟の奥深くに運んだのではなく、初期現生人類が関与していた可能性もあると思います。もちろん、これはまだ思いつきにすぎず、可能性は低いかもしれませんが、1ヶ所の空洞に少なくとも15個体分のナレディの遺骸があることから、本書の想定するような偶然の蓄積の可能性も低いのではないか、と思います。

参考文献:
Stanford C.著(2019)、的場知之訳『新しいチンパンジー学 わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか?』(青土社、原書の刊行は2018年)

内因性カンナビノイド系によるヒトの精巣への影響

 内因性カンナビノイド系によるヒトの精巣への影響に関する研究(Nielsen et al., 2019)が公表されました。内因性カンナビノイド系(ECS)は、神経伝達物質の一種である内因性カンナビノイド、それに関連する受容体、酵素、タンパク質からなるシグナル伝達系です。ヒトのECSは、精子の質と機能に関連していると考えられてきました。しかし、ヒト精巣組織におけるECS成分の存在や、それが精子細胞の発生に関与している可能性に関する情報はほとんどありません。

 この研究は、精巣胚細胞癌患者15人の精巣組織試料中にECSの個別成分が存在しているかどうか、調べました。その結果、ヒトの精巣に、主要な内因性カンナビノイドの1つである2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)など、数々のECSの成分が存在する、と明らかになりました。また、2-AGを分解するFAAHおよびABHD2などの酵素と内因性カンナビノイド受容体が、生殖細胞の発生のさまざまな段階に存在しており、この研究は、生殖細胞の成熟過程の各段階で異なったECS成分の発現パターンを検出しました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【細胞生物学】内因性カンナビノイド系がヒトの精巣の生理機能に関与している可能性

 15人の患者の組織試料を用いた研究が行われ、内因性カンナビノイド系(ECS)が、ヒトの精巣の生理機能(例えば、精子細胞の発生)の調節に直接関与している可能性のあることが明らかになった。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 ECSは、神経伝達物質の一種である内因性カンナビノイド、それに関連する受容体、酵素、タンパク質からなるシグナル伝達系である。ヒトのECSは、精子の質と機能に関連していると考えられてきた。しかし、ヒト精巣組織におけるECS成分の存在やそれが精子細胞の発生に関与している可能性に関する情報はほとんどない。

 今回、Niels Skakkebaekたちの研究グループは、精巣胚細胞がん患者(15人)の精巣組織試料中にECSの個別成分が存在しているかどうかを調べた。その結果、ヒトの精巣に数々のECSの成分[例えば、主要な内因性カンナビノイドの1つである2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)]が存在することが明らかになった。また、2-AGを分解するFAAHとABHD2などの酵素と内因性カンナビノイド受容体が、生殖細胞の発生のさまざまな段階に存在しており、Skakkebaekたちは、生殖細胞の成熟過程の各段階で異なったECS成分の発現パターンを検出した。



参考文献:
Nielsen JE. et al.(2019): Characterisation and localisation of the endocannabinoid system components in the adult human testis. Scientific Reports, 9, 12866.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-49177-y

エディアカラ紀の蠕虫様動物

 エディアカラ紀の蠕虫様動物に関する研究(Chen et al., 2019)が公表されました。カンブリア紀の始まりとなる約5億4000万年前に生物は爆発的に進化し、現生動物のほぼ全てのボディープランはこの時に進化したと考えられています。カンブリア紀の直前となるエディアカラ紀にも生物は存在しましたが、その姿は現生のどの生物とも関連づけるのが困難です。しかし、左右相称動物の運動性の起源は、エディアカラ紀後期(約5億8000万~5億3900万年前)だったと考えられており、その証拠は、痕跡化石(痕跡・足跡・巣穴などの化石)によって得られています。ただ、少数の例外を除いて、どのような動物がエディアカラ紀後期にこうした足跡を残したのか、分かっていません。

 この研究は、中国南部の長江の峡谷にある、エディアカラ紀末期(約5億5100万〜5億3900万年前)となるDengying層から出土した化石を新属新種(Yilingia spiciformis)に分類しました。この新種化石は35点採集され、幅が約5~26 mm、長さが最大27cmで、約50個の体節からなる細長い分節した左右相称動物で、体は三裂単位の反復によって構成されている、と推定されています。各単位は1つの中心葉と後方を向く2つの側葉から構成され、これは体および体節の極性を示しています。また、13点の痕跡化石も発見され、体化石と直接つながったmortichnium(動物が死ぬ直前に残した痕跡)の化石が含まれていました。このmortichniumは、幅が25 mmであることなどといった特徴から、Yilingia属動物の運動によって形成されたものと示されています。そのためこの新種化石は、連続的な這い跡を作る能力を持つことが示されたエディアカラ紀の既知で最古かつ唯一の体化石分類群と主張されています。

 これらの知見は、エディアカラ紀後期の数多くの痕跡化石を残した動物の正体に関する手掛かりになる、と指摘されています。また、この新種化石は左右相称動物である汎節足動物やステム群環形動物と近縁である可能性があり、左右相称動物における分節構造の起源の解明に役立つと考えられます。これまでにも、左右相称動物はカンブリア紀以前に進化した、と分子生物学からは予測されていましたが、その具体的な化石証拠が得られた、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【古生物学】初期の蠕虫様動物による「死の行進」

 約5億5100万年~5億3900万年前に生きていた蠕虫様動物の化石を紹介する論文が、今週掲載される。この論文には、この動物が死ぬ直前に残した痕跡(mortichnium)の詳細が記述されており、この動物が運動性を有していたことが示されている。これまでのところ、この時代の動物種で、動く能力が備わっていたことが実証された例は非常に少ない。

 動物に運動性が備わったのは、エディアカラ紀後期(約5億8000万~5億3900万年前)だったと考えられており、その証拠は、痕跡化石(痕跡、足跡、巣穴などの化石)によって得られている。しかし、少数の例外を除いて、どのような動物がこうした足跡を残したのかは分かっていない。

 今回、Shuhai Xiaoは、中国南部の長江の峡谷にあるDengying層から出土した化石種Yilingia spiciformisについて記述している。Xiaoたちは、その化石を35点採集し、幅が約5~26ミリメートル、長さが最大27センチメートルで、約50個の体節からなる動物だったと推定している。また、13点の痕跡化石も発見され、体化石と直接つながったmortichniumの化石が含まれていた。このmortichniumは、その特徴(幅が25ミリメートルであることなど)からYilingia属動物の運動によって形成されたものであることが示されている。

 今回の研究で得られた知見は、この時代の数多くの痕跡化石を残した動物の正体に関する手掛かりになると、Xiaoたちは結論している。


古生物学:分節した三裂の左右相称動物の死に際の痕跡から明らかになった初期の動物進化

古生物学:最初の蠕虫様動物の最期の歩み

 カンブリア紀は約5億4000万年前に生命の爆発的な進化で始まったことで知られ、現在生きている動物のほぼ全てのボディープランはこの時に進化したと考えられている。直前のエディアカラ紀にも生物は存在したが、それらは奇妙で、現生のどの生物とも関連付けるのは難しい。果たして、エディアカラ紀にも現代的な姿をした動物は存在したのだろうか。分子的研究からは肯定的な結果が得られているが、化石証拠は乏しく、異論は多い。今回S Xiaoたちは、中国で発見された、エディアカラ紀末期(5億5100万〜5億3900万年前)の細長くて分節した体を持つ蠕虫様動物の化石について報告している。この動物の体の幅は5〜26 mmほどで長さは27 cmに達する。この化石標本は、この動物が移動した際にできた堆積物中の這い跡のちょうど先端にこの動物自体が保存されているという、まさに「死の行進」を捉えたものである。こうした這い跡からは、この動物に運動性が備わっていたことが明らかになるとともに(エディアカラ紀の動物ではこれが必ず議論になる)、この動物は、連続的な這い跡を作る能力を持つことが示されたエディアカラ紀の既知で最古かつ唯一の体化石タクソンであると主張された。この動物はおそらく左右相称動物(ステム群環形動物または汎節足動物)の一種と見られ、こうした生物がカンブリア紀以前に進化したという分子時計からの予測が裏付けられた。



参考文献:
Chen Z. et al.(2019): Death march of a segmented and trilobate bilaterian elucidates early animal evolution. Nature, 573, 7774, 412–415.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1522-7

出芽酵母のゲノム構造と安定性

 出芽酵母のゲノム構造と安定性に関する研究(Puddu et al., 2019)が公表されました。遺伝子の機能的役割の定義付けには大きな進歩があるにも関わらず、比較的単純な生物であっても、遺伝子機能の影響は完全に理解されているとは言えません。出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)遺伝子ノックアウトコレクション(YKOC)の完成は、こうした方向性における画期的な出来事となります。YKOCにより、ハイスループットの逆遺伝学・表現型スクリーニング・合成的–遺伝的相互作用の解析が可能になりました。

 その後の実験的研究から、YKOCにはいくつかの矛盾や誤りがあることや、特定のノックアウトの影響を再均衡化するゲノム不安定性事象があることも明らかになっていますが、これらについての完全な全体像は得られていません。ゲノム安定性の維持に必要な遺伝子の特定と解析は、伝統的にレポーターアッセイや個々の遺伝子の欠失の研究に依存してきましたが、現在は全ゲノム塩基配列解読技術により、原理上はゲノム不安定性を全体的かつ大規模に直接観察できます。

 この研究は、ホモ接合性二倍体YKOCからなる4732株のほぼ全ての全ゲノムの塩基配列解読を行ないました。この研究は、縦列および散在するDNA反復配列のコピー数変動についての情報を抽出することで、ほぼ全ての非必須遺伝子について、その喪失によって引き起こされるゲノム変化を説明します。このデータセットの解析から、さまざまなゲノムエレメントの維持に影響を及ぼす遺伝子群が明らかになり、核とミトコンドリアのゲノム安定性間のクロストークが明示され、個々の非必須遺伝子が存在しない中で、株がどのように生活に遺伝的に適応してきたのか、示されます。


参考文献:
Puddu F. et al.(2019): Genome architecture and stability in the Saccharomyces cerevisiae knockout collection. Nature, 573, 7774, 416–420.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1549-9

ネアンデルタール人の足跡

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の足跡に関する研究(Duveau et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現代人やほとんどの現生霊長類のように、ネアンデルタール人も社会集団で生きており、おそらくは性の異なるさまざまな年齢階級の個体群で構成されていました。ネアンデルタール人集団の規模と構成は適応に重要な役割を果たしたかもしれませんが、考古学と古人類学の記録から推論するのは困難です。居住領域と民族誌的類推といった間接的方法からは、ネアンデルタール人集団は平均10~30人と推定されています。そうした方法は、考古学的遺物の蓄積が単一の居住を反映していると仮定していますが、それは不確かです。

 同時期の複数個体の死亡が推定される惨事では社会集団の構成が得られますが、そうした事象はネアンデルタール人においても稀です。一方、化石足跡は急速に埋没すると保存されるので、その集団構成の少なくとも一部を表すと考えられます。そのため、足跡は人類集団の規模と構成を直接調査する手がかりとなりますが、人類の足跡のある遺跡は少なく、完新世よりも前では40未満で、4遺跡から9点のネアンデルタール人と推定される足跡が確認されています。

 本論文は、フランスのノルマンディー地方のマンシュ(Manche)県にあるルロゼル(Le Rozel)遺跡で発見された、8万年前頃となる257点の人類の足跡を報告します。ルロゼル遺跡は115000~70000年前頃の後期更新世に形成された古砂丘システムの一部で、1960年代に発見されました。足跡は5ヶ所のサブユニット(D3b-1~D3b-5)に分散し、おもに2ヶ所のサブユニット(D3b-2およびD3b-5)の砂泥に集中しています。本論文は、最もよく保存されている層序サブユニット「D3b-4」の足跡104点に焦点を当て、単一のネアンデルタール人集団の規模と年齢階級構成を調査します。

 5ヶ所の各サブユニットで、豊富な考古学的遺物が今日墓と関連しています。これらは豊富な中部旧石器時代石器群と約8000点の動物遺骸を含んでおり、屠殺や石器製作といった人為的活動が証明されています。また、炉床や石器を製作するような、いくつかの構造を備えた遺跡内の空間パターンが確認されました。堆積学および地質年代学的研究からは、各サブユニットが形成されてすぐに風成砂に覆われ、足跡が表面侵食から保護された、と考えられています。こうした風成のため、各サブユニット内で見つかった考古学的遺物および足跡は、単一の短期間の居住事象を反映している、と推測されています。

 2012~2017年に発見された足跡のうち、257点の人類の足跡が確認されました。足跡の約80%(104点)は、92㎡のD3b-4にあります。足跡の長さは11.4~28.7cmです。D3b-4の足跡104個のうち、39個は縦方向に完全で、100個は幅を測定するのに充分な大きさです。足跡の長さの範囲は11.4~28.7cm、幅の範囲は4.5~14.2cmです。足跡の分析から、この104個の足跡は少なくとも4人、おそらくは13人のものと推定されています。推定身長の範囲は65.8~189.3cmですが、最大個人間偏差を用いると、最も高い個体の身長は175cm程度です。この個体は、ネアンデルタール人の性的二形パターンから男性と推定されています。ルロゼル遺跡の足跡はおもに子供(長さを基準にすると64.1%、幅では47.0%)と思春期(長さでは28.2%、幅では43.0%)のもので、成人は少ない(長さでは7.2%、幅では10.0%)と推定されます。最も短い長さの11.4cmの個体は2歳と推定されます。

 ルロゼル遺跡の足跡は、形態からネアンデルタール人に分類されます。また、8万年前頃のヨーロッパ西部で知られている人類はネアンデルタール人だけで、共伴した石器がムステリアン(Mousterian)であることからも、ルロゼル遺跡の足跡はネアンデルタール人と考えられます。ルロゼル遺跡の足跡は13人が残したと推定されていますが、これは考古学的に推定されてきた10~30人というネアンデルタール人集団の規模と一致します。D3b-4の年齢構成は身長の推定に基づいて評価されました。ただ、現代人とネアンデルタール人とでは、足の長さと身長の比率に違いがあるかもしれません。そのため、第2中足骨と大腿骨の長さの比が分析され、おおむね足跡からの推定身長が妥当だと示されました。

 ルロゼル遺跡の足跡を残した集団の身長の範囲は66~189cmと広く、その半分以上は130cm未満です。ただ、上述のように、最大個人間偏差を用いると、最も高い個体の身長は175cm程度です。化石記録からは、ネアンデルタール人の成人の身長の範囲は147~177cmと推定されており、この範囲に収まります。しかし本論文は、この範囲を超える180cm以上の高身長個体がルロゼル遺跡に存在した可能性もある、と指摘します。D3b-4集団は子供と思春期の個体で約90%を占めます。身長には個体差がありすまが、ネアンデルタール人の成人の身長範囲の下限である147.5cmを成人と未成年の区分として利用した場合でも、成人の足跡の頻度は21%を超えません。また、体重の軽い未成年の足跡が成人よりも残りにくいことからも、足跡に占める成人の比率は低く、おもに子供と思春期個体で占められている、と推測されます。

 ネアンデルタール人の社会的集団の構成に関する信頼できる情報を提供できる遺跡としては、このルロゼルの他に、スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)があります。エルシドロン遺跡では、成人が7人、思春期が3人、学童期(juvenile、6~7歳から12~13歳頃)が2人、幼児が1人と推定されています。エルシドロン遺跡では、現代の狩猟採集民集団のように、成人の比率が高くなっています。ネアンデルタール人遺骸の発見されているクロアチアのクラピナ(Krapina)遺跡と、早期ネアンデルタール人もしくはネアンデルタール人の祖先集団と近縁な集団の遺骸が発見されているスペイン北部の「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡でも、成人が多いと推定されています。ただ、両遺跡では遺骸が同時期に死亡したものなのか定かではないので、集団の構成員の比率を表しているのか、不明です。本論文は、ルロゼル遺跡とエルシドロン遺跡から得られた現時点での証拠に基づき、ネアンデルタール人の社会集団の構成が多様だった可能性を示唆します。

 ただ、ルロゼル遺跡の足跡において未成年の比率が圧倒的に高い理由については、その時たまたま外にいた構成員のものもで、集団全体の構成比を表しているとは限らない、とも指摘されています。ネアンデルタール人の足跡としては、ジブラルタルで発見されたものがあり、28450±3010年前という推定年代でも大いに注目されますが、こちらは現生人類(Homo sapiens)の足跡である可能性も提示されています(関連記事)。一方、ルロゼル遺跡の足跡はほぼ間違いなくネアンデルタール人のものでしょうから、ネアンデルタール人の社会的集団構成がどのようなものだったか推測するうえで、たいへん貴重な遺跡であることは間違いないでしょう。


参考文献:
Duveau J. et al.(2019): The composition of a Neandertal social group revealed by the hominin footprints at Le Rozel (Normandy, France). PNAS, 116, 39, 19409–19414.
https://doi.org/10.1073/pnas.1901789116

ヒトの胎盤で観察された黒色炭素粒子

 ヒトの胎盤で観察された黒色炭素粒子に関する研究(Bové et al., 2019)が公表されました。黒色炭素粒子は日常的に大気中に放出されており、その大部分は化石燃料の燃焼に由来します。この粒子は、妊娠の転帰に有害な影響を与えると理解されており、たとえば、早産や出生時低体重と相関しています。大気汚染地域での妊娠ケアを改善するには、黒色炭素粒子が、胎児への直接的な影響や母親を介した間接的な影響を通じて、どのように妊娠に影響するのかを解明する必要があります。

 この研究は、高分解能撮像により、5例の早産と23例の満期産において採取された胎盤から黒色炭素粒子を検出し、黒色炭素粒子が妊婦の胎盤の胎児側に到達する証拠を示しました。さらに、住宅に用いられる黒色炭素粒子に妊娠中に曝露した母親のうち、曝露濃度が高い(1立方メートル当たり2.42マイクログラム)10人の母親の場合の方が、低い(1立方メートル当たり0.63マイクログラム)10人の母親の場合よりも、胎盤中の黒色炭素粒子が高濃度と明らかになりました。胎盤組織における黒色炭素粒子の蓄積が、妊娠中の大気汚染への曝露に関連する悪影響の原因なのかどうかを解明するには、さらなる研究が必要と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【公衆衛生】ヒトの胎盤で黒色炭素粒子が観察された

 28人の女性を対象とした観察研究が行われて、妊娠中に大気汚染にさらされた女性の胎盤の胎児側に黒色炭素粒子が見つかったことを報告する論文が、今週掲載される。この粒子が胎児へ到達するかどうかを判断するには、さらなる研究が必要となる。

 黒色炭素粒子は、日常的に大気中に放出されており、その大部分は化石燃料の燃焼に由来する。この粒子は、妊娠の転帰に有害な影響を与えると理解されており、例えば、早産や出生時低体重と相関している。大気汚染地域での妊娠ケアを改善するには、黒色炭素粒子が、胎児への直接的な影響や母親を介した間接的な影響を通じて、どのように妊娠に影響するのかを解明する必要がある。

 今回の研究で、Tim Nawrotたちは、黒色炭素粒子が妊婦の胎盤の胎児側に到達することを示す証拠を得た。高分解能撮像によって、5例の早産と23例の満期産において採取された胎盤から黒色炭素粒子が検出されたのだ。そして、住宅に用いられる黒色炭素粒子に妊娠中に曝露した母親のうち、曝露濃度が高い(1立方メートル当たり2.42マイクログラム)10人の母親の場合の方が、低い(1立方メートル当たり0.63マイクログラム)10人の母親の場合よりも胎盤中の黒色炭素粒子が高濃度だった。

 胎盤組織における黒色炭素粒子の蓄積が、妊娠中の大気汚染への曝露に関連する悪影響の原因なのかどうかを解明するには、さらなる研究が必要とされる。

 この論文との関連で、Clinical Epigeneticsに掲載されるNawrotたちのReviewでは、大気汚染によって引き起こされる胎盤の分子的変化(エピジェネティックな変化を含む)の概要が説明されている。



参考文献:
Bové H. et al.(2019): Ambient black carbon particles reach the fetal side of human placenta. Nature Communications, 10, 3866.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11654-3

ストレス耐性のあるサンゴの耐熱性

 ストレス耐性のあるサンゴはの耐熱性に関する研究(Schoepf et al., 2019)が公表されました。海水温の変動の大きい海域で繁殖するサンゴ礁の存在が明らかになり、一部のサンゴは海水温の上昇に適応できるかもしれない、という期待が高まっていますが、気候変動に合わせて素早く適応できるのかどうかは不明です。この研究は、極端な海水温の変動に耐えているオーストラリア北西部のキンバリー地域のサンゴ礁のサンゴ群体を使って熱的実験を行ないました。

 この研究は、サンゴ群体を水槽内に移植し、水槽内の海水の温度を本来の生息地の水温より摂氏4度低い状態と摂氏1度高い状態にそれぞれ安定させ、あるいは水温を変動させました。このサンゴ群体は、摂氏4度低い状態に9ヶ月以上順応し、摂氏1度高い状態に6ヶ月以上順応しましたが、最高水温がそれぞれの季節の正常範囲を超えると、健康状態が低下し始めました。また、このサンゴ群体で2週間の熱ストレス試験が行なわれても、その白化閾値は上昇しませんでした。

 これらの知見は、極端な環境に適応したサンゴ礁でさえ、将来の海洋温暖化にはじゅうぶんに順応できないことを示唆しています。しかし、海水温が低下しても耐熱性を維持する能力をサンゴが持っているということは、そうしたサンゴ群体が天然の避難場所となり、そこから分散する幼生が、白化を起こしやすい低水温の海域に定着する可能性を示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】ストレス耐性のあるサンゴは海水温が下がっても耐熱性を維持する

 耐熱性のあるサンゴは、海水温が下がっても健康状態と熱波に対する耐性を維持するが、より高い海水温に順応してしまうと、白化閾値が上昇しなくなるという研究結果を報告する論文が、今週掲載される。この新知見は、極端な海水温条件下にあるサンゴを利用すれば、水温の低い海域で衰退したサンゴ礁の回復に役立つ可能性があるが、そのようなサンゴは、急速に温暖化する環境に十分に適応できなくなることを示唆している。

 海水温が大きく変動する海域で繁殖するサンゴ礁の存在が明らかになり、一部のサンゴが海水温の上昇に適応できるかもしれないという期待が高まっているが、気候変動に合わせて素早く適応できるのかどうかはわかっていない。

 オーストラリア北西部のキンバリー地域のサンゴ礁は、極端な海水温の変動に耐えているが、今回、Verena Schoepfたちの研究グループは、このサンゴ礁のサンゴ群体を使って熱的実験を行った。このサンゴ群体は、水槽内に移植され、水槽内の海水の温度を本来の生息地の水温、それより摂氏4度低い状態、摂氏1度高い状態にそれぞれ安定させ、あるいは水温を変動させて実験が行われた。このサンゴ群体は、摂氏4度低い状態に9か月以上順応し、摂氏1度高い状態に6か月以上順応したが、最高水温がそれぞれの季節の正常範囲を超えると健康状態が低下し始めた。また、このサンゴ群体で2週間の熱ストレス試験が行われたが、その白化閾値は上昇しなかった。

 今回の研究で得られた知見は、極端な環境に適応したサンゴ礁でさえ、将来の海洋温暖化に十分に順応できないことを示唆している。しかし、海水温が低下しても耐熱性を維持する能力をサンゴが持っているということは、そうしたサンゴ群体が天然の避難場所となり、そこから分散する幼生が、白化を起こしやすい低水温の海域に定着する可能性を示唆している。



参考文献:
Schoepf V. et al.(2019): Stress-resistant corals may not acclimatize to ocean warming but maintain heat tolerance under cooler temperatures. Nature Communications, 10, 4031.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-12065-0

数千人のゲノム規模データから推定される人類進化史

 数千人のゲノム規模データから系統や人口史や自然選択を推定する新たな方法についての研究(Speidel et al., 2019)が公表されました。本論文は、数千人のゲノム規模データから系統や自然選択を推定する、「Relate」という新たな方法を開発しました。これにより推定される現代人の系統はひじょうに多様で、深い分岐年代を示しますが、じゅうらいの研究と同様に、サハラ砂漠以南のアフリカにおいて最も深い分岐年代を示します。今後、大規模な人口減少や移動が起きない限り、この構造が変わることはなさそうです。

 現代人では、非アフリカ系とアフリカ系の分離が20万年前頃以降に始まり、6万年前頃まで続いた、と推定されています。その後、非アフリカ系現代人系統は4万~2万年前頃に明確なボトルネック(瓶首効果)を経験した、と推定されています。アジア東部系となる北京の中国人(CHB)とヨーロッパ系統であるイングランド人およびスコットランド人(GBR)の明確な分離は3万年前頃と推定されています。こうして非アフリカ系現代人のユーラシア系統が東西に分離した後、東西それぞれで、CHBと東京の日本人、GBRとフィンランド人が、1万年前頃以降に分離していった、と推定されています。フィンランド人系統は9000~3000年前頃に第二のボトルネックを経験し、現代フィンランド人に多い遺伝病関連の遺伝子頻度を高めた、と推測されています。ユーラシア(非アフリカ)系統と分岐した後のアフリカ系統では、強いボトルネックは検出されませんでした。

 多少の違いがありますが、非アフリカ系現代人全員のゲノムには、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域が同じような比率で存在します。アジアおよびオセアニア系現代人は、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)からの遺伝的影響も受けています。アジア東部および南部集団では、デニソワ人との15000年前頃以降の交雑が推定されています。中国南部で発見された15850~12765年前頃の祖先的特徴を有する人類が、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人やデニソワ人のような古代型人類集団との交雑集団かもしれない、との見解も提示されており(関連記事)、本論文の見解との関連が注目されます。非アフリカ系現代人集団では、ネアンデルタール人との3万年前頃までの交雑が推定されていますが、これは下限年代なので、正確な年代の推定にはさらなる検証が必要と指摘されています。アフリカ系集団においても、最近の研究(関連記事)と同様に、古代型人類集団との交雑が推定されていますが、それがどのような系統なのか、本論文も不明としています。

 自然選択に関しては、髪の色や体格指数(BMI)や血圧を含む複数のアレル(対立遺伝子)で確認されました。しかし、地域集団による違いも見られ、BMIに関して、ヨーロッパ北部および西部集団では強い選択が検出されましたが、アジア東部集団では強い選択は確認されませんでした。これは、アジア東部集団がヨーロッパ集団よりも強いボトルネックを経験し、選択の痕跡が弱められたからではないか、と推測されています。ボトルネックによる遺伝的浮動とともに自然選択も、現代人の各地域集団間の遺伝的構成および表現型の違いをもたらしたのでしょう。

 本論文は新たな方法である「Relate」をヒトゲノムに用いましたが、他の種でも機能するはずと指摘します。この新たな方法は自然選択と交雑も含む集団史の推定に有用で、今後多くの種に適用されていくのではないか、と期待されます。今後の課題の一つとして、古代DNA配列を蓄積して利用することも指摘されています。DNAの保存状況は年代よりも環境の方に大きく左右されるようなので、低緯度地帯のような高温地域は古代DNA研究に不利です。しかし、古代標本からのDNA抽出の新たな方法も提案されており(関連記事)、今後は高温地域でも古代DNA研究が進展するのではないか、と期待されます。


参考文献:
Speidel L. et al.(2019): A method for genome-wide genealogy estimation for thousands of samples. Nature Genetics, 51, 9, 1321–1329.
https://doi.org/10.1038/s41588-019-0484-x

最古の大麻喫煙

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、大麻喫煙の痕跡に関する研究(Ren et al., 2019)が報道されました。向精神的作用のある植物は、世界のさまざまな地域において儀式や宗教活動で使用されてきました。先史時代から歴史時代初期のユーラシア中央部で多く用いられたのは、ケシ(Papaver somniferum)やマオウ属種(Ephedra spp.)やアサ(Cannabis sativa)です。アサはアジア東部における最古の耕作植物の一つで、医療や儀式や繊維や油抽出などの目的で栽培されています。

 しかし、アサ属の植物は雑種複合体なの、分類に関して議論が続いており、野生個体群と栽培個体群との遺伝子流動が続いてきたことで、起源と拡散の研究は難しくなっていました。また、アサが先史時代の中国東部において油抽出のために栽培されたことは知られていますが、それ以外の地域での使用はよく分かっておらず、大麻の儀式化された消費の考古学的証拠は限られており、議論の余地があります。そのため、いつどのように、アサが大麻として用いられるようになったのか、そのための成分が進化してきたのか、詳しくは明らかになっていません。野生のアサはコーカサス山脈から中国西部までの冷涼な山麓に生えていますが、ほとんどの野生アサのカンナビノール(CBN)濃度は低く、最初に向精神的作用のあるテトラヒドロカンナビノール(THC)が高濃度で獲得された経緯は不明です。

 薬や儀式目的のアサは、経口摂取または乾燥させての煙や蒸気の吸入により使用されていました。現在、喫煙はパイプを用いることが多いのですが、これはアメリカ大陸から16世紀以降にユーラシアへともたらされた、と考えられており、それ以前の明確な証拠はありません。大麻の喫煙は、ヘロドトスが紀元前5世紀に『歴史』に記載しており、ユーラシアの一部の遺跡の炭化したアサの種子が報告されていますが、現在では疑問が呈されています。本論文は、中国西部のパミール高原のジルザンカル共同墓地(Jirzankal Cemetery)、別名クマン共同墓地(Quman Cemetery)の8ヶ所の墓で発見された、燃焼の痕跡のある石も入っている10個の木製火鉢を報告しています。ジルザンカル墓地の年代は2500年前頃です。

 本論文は植物化学分析により、ジルザンカル共同墓地の2500年前頃の木製火鉢10点のうち9点で、大麻が入れられ、焼かれていた証拠を明らかにしました。ヘロドトスによると、スキタイ人は熱い石の入った鉢でアサを燃やしており、ジルザンカル墓地の考古学的証拠と一致します。このジルザンカル墓地のアサは、中国北西部にある別の遺跡である加依墓地で発見されたアサにはないTHCが含まれていました。ジルザンカル墓地の大麻には、他の遺跡から発見されたものと比較して、THCが高濃度で含まれています。これは、そうした特製の大麻を人々が意図的に栽培した可能性を示唆します。また、大麻のTHC濃度は、交雑により高くなることも知られています。

 ジルザンカル墓地の人骨のストロンチウム同位体分析では、34人中10人が外来者と推測されています。ジルザンカル墓地では、アジア西部特有のガラス製ビーズと角型ハープが発見されており、当時からユーラシア東西間の交流があってアサの各個体群の交雑を促進し、より高いTHC濃度の系統を誕生させたかもしれない、と本論文は推測しています。ユーラシア東西の交流は漢代武帝期よりもずっと前から開かれており、相互に影響を及ぼしていた、と推測されます。金属器やコムギや家畜などを考えると、全体的にはユーラシア西部よりも東部の方がこの東西交流でより強い影響を受けた、と言えるでしょう。


参考文献:
Ren M. et al.(2019): The origins of cannabis smoking: Chemical residue evidence from the first millennium BCE in the Pamirs. Science Advances, 5, 6, eaaw1391.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw1391

アフリカ外最古となる人類の痕跡

 アフリカ外最古となる人類の痕跡に関する研究(Scardia et al., 2019)が公表されました。アフリカ北部で240万年前頃の石器が(関連記事)、中国北西部で212万年前頃の石器が発見されたことにより(関連記事)、人類は更新世初期にはすでにアフリカからアジアへと拡散していた、と明らかになりました。これらの石器には人類遺骸が共伴していませんが、現時点での証拠からは、190万年前頃と推定されているホモ・エレクトス(Homo erectus)の出現前に人類がアフリカからアジアへと拡散し、異なる環境に適応していったことを示唆します。アフリカでは280万~275万年前頃となるホモ属的な遺骸が発見されており(関連記事)、200万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散した人類は、初期ホモ属だったかもしれません。

 レヴァントは伝統的に、アフリカ北部からアジア南西部への拡散経路として機能したと考えられてきましたが、210万年以上前の人類の確実な痕跡は確認されていませんでした。これまでは、レヴァントにおける最古となるかもしれない人類の痕跡はシリアのアインアルフィル(Aïn al Fil)で発見されたオルドワン(Oldowan)石器で、古生物学および磁気層序学から200万~180万年前頃と推定されています。イスラエルのイーロン(Yiron)遺跡では247万±7万年以上前のオルドワン石器が報告されていますが、層序関係への疑問からその年代は広く認められているわけではありません。レヴァントにおいてこれまで210万年以上前の確実な人類の痕跡が確認されていなかったのは、アラビアプレートの活動など地質作用により初期人類の痕跡が失われたからだろう、と本論文は推測します。

 本論文は、ヨルダン渓谷の東側にあるザルカ渓谷(Zarqa Valley)のダウカラ層(Dawqara Formation)で発見された石器群を報告します。古地磁気とアルゴン-アルゴン法とウラン・鉛年代測定法により、ダウカラ層の年代は252万~195万年前頃と推定されます。500mほどの範囲の4ヶ所の発掘地点(330・331・332・334)からの石器の年代は、248万年前頃(334下部)、224万年前頃(334上部)、216万年前頃(331)、206万年前頃(330)、195万年前頃(332)と推定されています。252万年前頃以前となるドゥレイル(Dulayl)層では石器は発見されませんでした。技術分類的観点からは、ダウカラ層の石器群はオルドワン(Oldowan)インダストリーに分類され、礫器・石核・剥片から構成されます。ダウカラ層の石器群の時期には、少なくとも3系統の石器を製作していたかもしれない分類群が存在しました。それは、初期ホモ属とホモ・ルドルフェンシス(Homo rudolfensis)とホモ・ハビリス(Homo habilis)です。しかし、レヴァントではダウカラ層の時期の人類遺骸がまったく発見されておらず、本論文はダウカラ層の石器群の製作者について結論を提示していません。

 ザルカ渓谷の石器群は、更新世の最初期となる248万年前頃に、アフリカからアジアへの拡散経路となるレヴァントに人類が存在したことを確証しました。これは、初期ホモ属がエレクトスの出現よりもずっと前にアジアに存在したことを意味し、エレクトスの種内の多様性と、インドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の起源を説明できるかもしれません。フロレシエンシスの起源に関しては、ジャワ島のエレクトスから進化したという見解とともに、アウストラロピテクス属的な特徴を有する、エレクトスよりも祖先的な人類系統から進化した、との見解も有力です。祖先的形態を有する最初期ホモ属がアフリカからアジアへと拡散し、アジア南東部でフロレシエンシスへと進化したかもしれない、というわけです。

 更新世最初期の初期ホモ属のアフリカからアジアへの拡大は、ユーラシアにおける他のアフリカの動物相の拡散とも相関しており、気候変化とサバンナの拡大といった広い文脈に適合し、そうした環境変化が人類のアフリカからアジアへの拡散を促進したかもしれません。250万年前頃にアフリカからアジアへと拡散した初期ホモ属は、石器加工を繰り返し、石材として玄武岩よりも燵岩(チャート)を選択するといった能力も有していました。これは、資源を繰り返し観察して評価する技能を反映しており、環境変化に適応できる重要な資質となります。人類のアフリカからユーラシアへの拡散が250万年前頃までさかのぼる可能性はきわめて高く、人類進化史は、エレクトスが初めてアフリカからユーラシアへと拡散した人類だった、というような従来の想定よりもさらに複雑になってきました。今後、レヴァントとアジア東部との間で、200万年以上前の確実な人類の痕跡が発見される可能性は高いでしょう。また、200万年以上前のアフリカ外の確実な人類遺骸はまだ発見されていないので、石器だけではなく、人類遺骸の発見も期待されます。


参考文献:
Scardia G. et al.(2019): Chronologic constraints on hominin dispersal outside Africa since 2.48 Ma from the Zarqa Valley, Jordan. Quaternary Science Reviews, 219, 1–19.
https://doi.org/10.1016/j.quascirev.2019.06.007

イタリア半島の人口史

 イタリア半島の人口史に関する研究(Raveane et al., 2019)が公表されました。現代ヨーロッパ人は、旧石器時代~中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民、アナトリア半島起源の新石器時代農耕民、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を代表とする遊牧民集団の混合により形成されました(関連記事)。この草原集団は、ヨーロッパ東部およびコーカサスの狩猟採集民とイラン新石器時代農耕民系統の混合として説明されてきました。しかし、ヨーロッパ南東部の古代DNA分析では、コーカサス集団からの追加の遺伝的影響の存在が識別され、ヨーロッパ人のより複雑な系統構成を示唆します。イタリア半島のような地理的交差点の人口集団は、大陸の多様性を要約すると予想されますが、これまで体系的には研究されてきませんでした。そこで本論文は、イタリアの全20行政区から1616人と、140以上の世界規模の人口集団からの5192人の現代人標本で構成される包括的な一塩基多型データセットを分析し、それに古代人の利用可能なゲノムデータを追加して比較しました。

 現代イタリア人は遺伝的に大きく、サルデーニャ島と北部(北部および中央部北部)と南部(南部および中央部南部とシチリア島)の3集団に区分されます。現代イタリア人は、複数の古代系統の混合です。その基礎的な古代系統はおもに、アナトリア半島新石器時代農耕民(AN)・ヨーロッパ西方狩猟採集民(WHG)・ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)・コーカサス狩猟採集民(CHG)・イラン新石器時代農耕民(IN)です。これらの基礎系統の混合の結果、より新しい派生的古代系統である、ヨーロッパ早期新石器時代集団(EEN)、青銅器時代草原地帯集団(SBA)、青銅器時代アナトリア半島集団(ABA)が形成されます。現代イタリア人に占める基礎的な古代系統では、ANがおおむね56~72%と最多の比率を占め、サルデーニャ島では80%以上の高い比率を示します。ANの比率はイタリア南部よりも北部の方で高くなっており、AN以外はおおむねWHG・CHG・EHGで占められます。INはイタリア南部のみで検出されました。

 派生的な古代系統では、イタリア南部および北部で高い比率のABAとSBAが検出されました。ABAは南部で、SBAは北部で高い傾向を示します。この南北の違いについて、古代DNAから形成過程が推測されました。紀元前3400~紀元前2800年頃となるイタリアの人類のうち、レメデッロ(Remedello)個体といわゆるアイスマンは、それぞれANが85%と74%を占めていました。イタリア北部の鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団の紀元前2200~紀元前1930年頃の個体群は、ABAおよびANとSBAおよびWHGの混合としてモデル化されます。一方、シチリア島(南部集団)の鐘状ビーカー文化集団の紀元前2500~紀元前1900年頃の個体群は、SBAが5%未満で、ほぼABAで占められるとモデル化されました。イタリア半島南北のABAとSBAの比率の違いは、青銅器時代にまでさかのぼる、と推測されます。こうした古代の混合が起きた推定年代は、イタリアではおもに2000~1000年前頃で、ヨーロッパの他地域では2500年前頃です。

 本論文は、現代イタリア人におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺伝的影響も検証しました。非アフリカ系現代人のゲノムにはおおむね同じような比率でネアンデルタール人由来の領域が見られますが、地域による違いもあり、アジア東部はヨーロッパよりも有意に高い、と明らかになっています。さらに、ヨーロッパ内でも有意な違いが報告されており、北部は南部よりも高い、と示されています。シチリア島(イタリア南部集団)で確認されているように、ヨーロッパ南部では北部よりも強いアフリカからの遺伝的影響が見られるので、それがネアンデルタール人の遺伝的影響の違いに反映されているのかもしれません。しかし、アフリカ系統を有する個体群の除外後も、この点に関してイタリアとヨーロッパの他地域との違いが確認されました。この一因として、ネアンデルタール人の遺伝的影響を全くあるいは殆ど受けなかった出アフリカ系現生人類集団である、「基底部ユーラシア人」の遺伝的影響が指摘されています(関連記事)。本論文の再検証でも、基底部ユーラシア人の遺伝的影響の可能性が依然として示唆されました。

 本論文は、表現型との関連でもネアンデルタール人の影響を検証しています。ネアンデルタール人の遺伝子の中には、表現型との関連が明らかなものもあります。たとえば、精巣や日光暴露の遺伝子発現量の増加関連遺伝子(IP6K3とITPR3)や、心血管と腎臓疾患の感受性関連遺伝子(AGTR1)や、脆弱角膜症候群関連遺伝子(PRDM5)などです。これらの中には、一部の現代人に継承されているものもあり、ホスホリパーゼA2受容体と関連しているPLA2R1遺伝子では、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの比率が、ヨーロッパ北部で少なくとも43%、ヨーロッパ南部ではほぼ35%となります。全体として、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの比率には地域的な違いが見られ、たとえば、アジア東部で低くヨーロッパで高いものがあります。またヨーロッパ内部では、北部で高く南部で低いものや、その逆もあります。これは、何らかの選択が作用した可能性を示唆します。

 上述のように、現代イタリア人の間の遺伝的な地理的パターンは、南部・北部・サルデーニャ島で3区分され、その遺伝的構造はヨーロッパの他地域と同様に、先史時代以来の人口集団移動に続く孤立と、歴史時代のヨーロッパ他地域からの混合を反映しています。古代および現代の遺伝的データの分析からは、イタリア人集団では、CHGとEHGに関連する系統が少なくとも2つの起源から派生している、と示唆されます。その一方はSBA系統で、ポントス-カスピ海草原からの遊牧民集団と関連していま。上述の鐘状ビーカー文化集団の事例で示されているように、SBA系統はヨーロッパ本土からイタリア半島に、遅くとも青銅器時代には到達していました。

 他方はCHG系統と関連しており、おもにイタリア半島南部に影響を及ぼしています。CHG系統の起源はまだ不明ですが、イタリア南部において青銅器時代に存在した可能性があります。CHGの比率はサルデーニャ島とイタリアの古い個体群でたいへん低いのですが、現代のイタリア南部集団で見られることから、相互に排他的ではない複数の可能性が想定されます。それは、イタリアの早期狩猟採集民において、CHGとの遺伝的類似性の異なる集団が複数存在した可能性や、新石器時代にイタリア半島に遺伝的影響を及ぼした複数の集団でCHG系統の比率が異なっていた可能性や、新石器時代以後にCHG系統が増加した可能性や、歴史時代のヨーロッパ南東部からイタリアへの人類集団の移動に影響を受けた可能性です。CHG系統がアナトリア半島とヨーロッパ南東部において後期新石器時代から青銅器時代にかけて一時的に出現することから、本論文は新石器時代以後の流入を示唆しますが、これは古代DNA標本の追加分析により明らかにされる問題だ、とも指摘します。

 歴史時代では、ローマ帝国末期の「大移動」期と、1300~1200年前頃となる、アラブ勢力のヨーロッパ南部への拡大が、イタリア半島の人口構造形成に役割を果たした、と本論文は推測します。とくにアフリカからの流入は、イタリア南部とサルデーニャ島において検出された多様性に寄与したかもれません。サルデーニャ島はヨーロッパの早期農耕民と遺伝的に最も密接に関連する人口集団と確認されているにも関わらず、両集団の間の単一の遺伝的継続性の証拠はありません。サルデーニャ島集団は完全には孤立しておらず、イタリアの他地域のように、遺伝子流動の歴史的事象を経験し、古代の系統とアフリカ系も含む他の構成要素の影響を受けた、と本論文は推測します。

 非アフリカ系現代人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響の地域的違いの理由については、ユーラシア西部集団における上述の基底部ユーラシア人の影響や、アジア東部系現代人の祖先集団とネアンデルタール人との追加の交雑などが提示されています。本論文は、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの頻度に地域差があることから、何らかの選択が生じた可能性を指摘します。この問題も、今後の古代DNA研究の進展により解明されていくのではないか、と期待されます。

 ポントス-カスピ海草原からヨーロッパへの青銅器時代の遊牧民の移住は、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの到来と関連しています。本論文は、おそらく青銅器時代に到達したイタリアにおける追加の系統を識別し、ヨーロッパ大陸へのインド・ヨーロッパ語族集団による複数の移住の波の可能性を提示します。これと関連して本論文は、たとえばエトルリア語のようなイタリアにおける非インド・ヨーロッパ語族が歴史時代にも存続したいたのは、イタリア半島におけるSBA系統比率の減少と関連しているかもしれない、と指摘します。ただ、これらの関連性は魅力的ではあるものの、適切な調査と検証には専門的で学際的な方法が必要になる、本論文は指摘します。


参考文献:
Raveane A. et al.(2019): Population structure of modern-day Italians reveals patterns of ancient and archaic ancestries in Southern Europe. Science Advances, 5, 9, eaaw3492.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw3492

イベリア半島西部への現生人類の拡散

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、イベリア半島西部への現生人類(Homo sapiens)の拡散に関する研究(Haws et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P83)。以下の年代は較正されたものです。イベリア半島への現生人類の拡散に関しては、とくに南部というかエブロ川以南をめぐって議論が続いています。ヨーロッパにおける現生人類拡散の考古学的指標となるのはオーリナシアン(Aurignacian)です。イベリア半島北部では、較正年代で43270~40478年前頃にオーリナシアンが出現した、と推定されています(関連記事)。ヨーロッパでは、現生人類の拡散から数千年ほどの4万年前頃までにネアンデルタール人は絶滅した、と推測されています(関連記事)。

 しかし、イベリア半島南部というかエブロ川以南に関しては、上部旧石器時代となるオーリナシアンの出現が他のヨーロッパ西部地域よりも遅れ、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)によるムステリアン(Mousterian)の中部旧石器時代が37000~36500年前頃まで続いた、との見解も提示されています(関連記事)。生物地理学的にはイベリア半島はエブロ川を境に区分される、という古環境学的証拠が提示されています。この生態系の違いが現生人類のイベリア半島への侵出を遅らせたのではないか、と想定されています(エブロ境界地帯モデル仮説)。

 しかし最近、イベリア半島南部に位置するスペインのマラガ(Málaga)県のバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡の調査から、現生人類はオーリナシアンを伴ってイベリア半島南部に43000~40000年前頃に到達した、との見解が提示されました(関連記事)。これに対しては、年代測定結果と、石器群をオーリナシアンと分類していることに疑問が呈されており、議論が続いています(関連記事)。再反論を読んだ限りでは、年代測定結果に大きな問題はなさそうですが、石器群をオーリナシアンと分類したことに関しては、議論の余地があるように思います。

 本論文は、ポルトガル中央部のラパドピカレイロ(Lapa do Picareiro)洞窟遺跡の石器群を報告しています。ラパドピカレイロ遺跡の石器群には特徴的な竜骨型掻器(carinated endscraper)や石核や小型石刃が含まれ、早期オーリナシアンと分類されてきました。この石器群は、中部旧石器時代の47000~45000年前頃の層と、38000~36000年前頃のまだ分類されていない考古学的層との間に位置します。本論文はこの放射性炭素年代測定結果と堆積データから、ラパドピカレイロ遺跡の早期オーリナシアンの年代を40200~38600年前頃となるハインリッヒイベント(HE)4と推定しています。これは、イベリア半島西部への現生人類の拡散が、以前の想定より5000年ほど早かったことを意味します。

 本論文は、オーリナシアンはイベリア半島北部経由でイベリア半島西端へと拡大した、と推測します。また本論文は、ドウロ(Douro)とタホ(Tejo)というイベリア半島の主要2河川経由でオーリナシアンがイベリア半島西端へと到達した可能性も指摘します。一方、上述のように、イベリア半島でもエブロ川以南では4万年前頃以降もネアンデルタール人が生存していた、との見解が提示されており、ラパドピカレイロ遺跡の近くのオリベイラ洞窟(Gruta da Oliveira)遺跡も、4万年前頃以後のネアンデルタール人の存在の可能性が指摘されています。本論文は、イベリア半島西部や南部で、現生人類とネアンデルタール人が数世紀もしくは数千年にわたって共存していた可能性を指摘します。イベリア半島における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期はかなり複雑だったかもしれず、ネアンデルタール人の絶滅理由の解明にも重要となるでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Haws J. et al.(2019): Modern human dispersal into western Iberia: The Early Aurignacian of Lapa do Picareiro, Portugal. The 9th Annual ESHE Meeting.

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第35回「民族の祭典」

 ベルリンで夏季オリンピック大会の始まる前日の1936年7月11日、1940年夏季オリンピック大会の開催地を決定するIOC(国際オリンピック委員会)総会が開催されました。ローマが辞退したため、東京とヘルシンキの一騎討ちとなり、嘉納治五郎の演説の効果もあったのか、東京に決定します。嘉納に呼ばれて東京に戻って来た金栗四三も喜び、弟子の小松に1940年の東京大会で金メダルを取らせるよう、決意を固めます。いよいよベルリンで夏季オリンピック大会が始まり、ナチス政権による大規模で統制された内容に、嘉納をはじめとして日本人は圧倒されます。IOCのラトゥール会長はそんな嘉納に、東京はベルリンを真似る必要はない、と助言します。

 今回は、オリンピックの光と影が描かれました。本作はこれまでオリンピックの暗い側面も描いてきましたが、今回はナチス政権下の差別と日本の朝鮮統治の意味を問いかけるような内容にもなっており、近代史を舞台にした大河ドラマらしくなっていたように思います。田畑政治のベルリン大会への違和感を強調することで、ベルリン大会の問題点を浮き彫りにする構成はなかなかよかった、と思います。今回、シマの娘のりくが再登場しましたが、おそらくは五りんの母親なのでしょう。まだ、落語場面と本筋とのつながりは明示的ではありませんが、どのようにつながってくるのか、期待しています。

一般的だった後期ホモ属の各系統間の遺伝子流動

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、後期ホモ属の各系統間の遺伝子流動に関する研究(Hajdinjak et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P147)。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)という後期ホモ属からの遺伝的データは、近年飛躍的に増加しています。減数分裂の組み換えのため、各個体のゲノムはその祖先系統のゲノムのモザイク状となり、祖先系統由来の領域の長さと頻度は、集団の遺伝子流動の歴史を検証するのにたいへん有益です。つまり、より長い遺伝子移入領域は、より最近の遺伝子流動を示す、というわけです。

 本論文は、これら祖先系統からの領域を識別するために、新たに開発された経験ベイズ法を用いました。本論文の方法では、じゅうらいの方法とは対照的に、祖先系統からの領域はまばらで、しばしば混入する、と明確に示します。さらに本論文は、不確定な時系列のデータをモデル化するために有効とされる隠れマルコフモデルを用いて、ゲノムの特定領域における祖先系統を明らかにします。本論文は、網羅率が0.1倍と低くても確実に祖先系統を明らかにし、網羅率0.3倍のデニソワ人2個体のゲノムに遺伝子移入されたネアンデルタール人領域を見つけました。

 このモデルを全ての低網羅率のデニソワ人ゲノムに適用すると、より古いデニソワ2とデニソワ8は、それぞれ12%と10%のネアンデルタール人系統を有する、と明らかになります。この系統は最大20万塩基対のゲノム領域で見つかり、ネアンデルタール人系統からの遺伝子流動は30世代未満である、と強く示唆します。本論文はネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代であるデニソワ11(関連記事)も対象として、9万年前よりも古いデニソワ人すべてが、近い世代でかなりのネアンデルタール人系統を有していると見出し、ネアンデルタール人とデニソワ人との間の数万年にわたる繰り返しの相互作用示唆をします。さらに本論文は、高網羅率のネアンデルタール人(デニソワ5)におけるデニソワ人系統の領域を見つけ、これはネアンデルタール人とデニソワ人の双方で、交雑個体が繁殖力を有する、と示します。しかし本論文は、ずっと新しいデニソワ人(デニソワ4)ではネアンデルタール人との遺伝子流動の証拠を見出さず、この遺伝子流動は持続的ではなかったかもしれない、と指摘します。こうしたデニソワ人の基本的情報については、以前当ブログでまとめました(関連記事)。

 また本論文は、ユーラシア西部の現生人類の多数の遺伝的データを用いて、ネアンデルタール人から初期現生人類への遺伝子流動の時期をより詳細に解明しました。予想されたように、ネアンデルタール人系統の領域は一般的に(サハラ砂漠以南のアフリカ系を除いて)現生人類の間で共有されており、時間の経過とともにより短くなります。この遺伝子移入史は異なる3段階に区分できる、と本論文は指摘します。最初の段階は55000年前で、低水準の遺伝子流動が起きました。非アフリカ系現代人に見られるネアンデルタール人系統の大半は、55000~48000年前という比較的短い第二段階に初期現生人類集団にもたらされました。最終段階は、ヨーロッパの現生人類へのネアンデルタール人からの遺伝子流動事象で、4万年前頃に終了します。

 本論文はまとめとして、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の間の遺伝子流動は頻繁ではあったものの、遍在的ではなかった、と指摘します。デニソワ人とネアンデルタール人の間の遺伝子流動は、数万年続いた後は最小限に留まったように見えます。一方、遺伝子流動の推定される時期と、ネアンデルタール人への現生人類からの遺伝子流動の証拠の欠如は、現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の起源が、おもに現生人類のユーラシアへの拡大に起因し、おそらくは小規模な地域的ネアンデルタール人集団の局所的吸収を伴う、というモデルと一致します。

 本論文の見解はたいへん興味深いと思います。新たに開発された本論文の方法がどこまで有効なのか、門外漢の私には的確に判断できませんが、今後検証が進んでいくと思われます。後期ホモ属の間での遺伝子流動は珍しくなかったようですが、広範な地域・年代で均一に起きたわけでもなさそうで、今後はその詳細が解明されていく、と期待されます。そのためには、古代ゲノムデータの蓄積が必要となります。古代DNA研究は近年飛躍的に発展しているので、今後の研究の進展も大いに期待できます。ただ、DNAの保存状態への影響という点では、年代よりもむしろ環境の方が重要になってくるようですから、古代DNA研究における地域間の格差は今後ますます拡大していくかもしれません。


参考文献:
Peter B.(2019): Gene flow between hominins was common. The 9th Annual ESHE Meeting.

和田裕弘『織田信忠 天下人の嫡男』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年8月に刊行されました。本書は織田信忠の親族と事績を丁寧に解説しており、一般向けの信忠の伝記として今後長く定番になるでしょう。信忠は本能寺の変で落命したさいに数え年26歳で、すでに家督を継承していたとはいえ、実権は父の信長にあったので、一般的な印象はさほど強くないかもしれません。かつて(今でも?)言われていた俗説として、信長は徳川家康の嫡男である信康が優秀なのに対して、自分の嫡男の信忠が凡庸であることから、信康を警戒して自害に追い込んだ、というものがあります。

 しかし本書は、信康が自害した時点で、信忠の実績は信康を凌駕しており、他の戦国大名と比較しても遜色なかった、と評価しています。もちろん本書が指摘するように、信忠の実績は父である信長の威光あってのもの、という側面があったことは否定できません。しかし、信忠が、大軍を率いた1577年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の信貴山城攻めや1578年の播磨への救援や1582年の武田攻めなどで、大過なく功績を重ねてきたことは確かです。本書はとくに、信貴山城攻めについて、長年友好関係にあった上杉まで敵に回るなか、離反した松永久秀を短期間で攻め滅ぼした功績は大きかった、と指摘します。もしここで織田軍が退却するか城攻めが長期化すれば、織田は史実よりもずっと苦境に立たされていたかもしれない、というわけです。

 若くして落命したことと、父である信長の個性が強烈だったこともあるのか、信忠の逸話はあまり伝わっておらず、その中には信忠にとってあまり名誉とは言えないようなものもあります。たとえば、信忠の大きな功績と言える武田攻めでは、武田側に立つ軍記『高遠記集成』に、信忠は兵として勇敢であるものの、将の器ではない、とあるそうです。本書は、若い二代目が安全な本陣で堅城の攻略を命じても歴戦の兵卒が命懸けで攻めかかったのか分からないし、と信忠を弁護していますが、信忠はすでに大軍で実績を挙げているだけに、「天下人」の後継者としては軽率とも言えるかもしれません。

 信忠と父である信長との関係は、おおむね良好だったようですが、1581年には仲違いし、これは朝廷にも伝わるなど、広く知られていたようです。しかし、同年7月には和解しており、その後で尾を引いた形跡はない、と本書は指摘します。この父子仲違いは広く知られていただけに、1582年の本能寺の変のさい、信長がまず信忠の謀反を疑った、という話も生まれたのでしょう。その本能寺の変で、信忠が落ち延びることはじゅうぶん可能だったものの、それは結果論だろう、というのが本書の見解です。

イギリス海峡のイルカの汚染物質

 イギリス海峡のイルカの汚染物質に関する研究(Zanuttini et al., 2019)が公表されました。有害な有機汚染物質(とくに塩素を含む汚染物質)は、1970年代~1980年代に大部分の先進国で禁止されましたが、今でも海洋最深部の海洋生物から検出されています。こうした有機化合物にはさまざまな工業プロセスの副産物や殺虫剤が含まれており、脂肪や油に溶け込んでいます。環境汚染物質の濃度を調べる研究にはよくバンドウイルカが用いられます。これは、バンドウイルカの厚い脂肪組織層に有機化合物が蓄積するためです。

 この研究は、イギリス海峡のノルマンノ-ブレトン湾という生息地で自由に移動する、バンドウイルカ82頭の脂肪層に存在する有機汚染物質の濃度と皮膚の水銀濃度を測定しました。その結果、脂肪層から高濃度の汚染物質が検出され、その大部分(雄の場合は91%、雌の場合は92%)は、工業用流体に由来する塩素含有化合物でした。また、皮膚試料中の水銀濃度は、これまでに地中海とアメリカ合衆国フロリダ州のエバーグレーズに生息するバンドウイルカについて論文で報告された濃度に近い、と明らかになりました。この2海域は、水銀汚染のレベルの高いとすでに知られています。この研究は、ノルマンノ-ブレトン湾を特別保全区に指定して、ヨーロッパで最大級のバンドウイルカの沿岸個体群を保護すべきだという考えを表明しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境】イギリス海峡にいるイルカの皮膚や脂肪層から汚染物質が見つかる

 ヨーロッパで最大級のイルカの沿岸個体群において、脂肪層と皮膚に高濃度の汚染物質(工業用流体、水銀など)が蓄積されているという見解を示す論文が掲載される。今回の研究では、イギリス海峡に生息する82頭のバンドウイルカに検出された水銀の濃度が、このイルカ種に検出された最も高い濃度に分類されることが示唆されている。

 有害な有機汚染物質(特に塩素を含む汚染物質)は、1970年代、1980年代に大部分の先進国で禁止されたが、今でも海洋最深部の海洋生物から検出されている。こうした有機化合物は、特にさまざまな工業プロセスの副産物や殺虫剤が含まれており、脂肪や油に溶け込んでいる。環境汚染物質の濃度を調べる研究にバンドウイルカが用いられることが多いが、これは、バンドウイルカの厚い脂肪組織層に有機化合物が蓄積することによる。

 今回、Krishna Dasたちの研究グループは、イギリス海峡のノルマンノ-ブレトン湾という生息地で自由に移動するバンドウイルカ(82頭)の脂肪層に存在する有機汚染物質の濃度と皮膚の水銀濃度を測定した。その結果、脂肪層から高濃度の汚染物質が検出され、その大部分(雄の場合は91%、雌の場合は92%)は、工業用流体に由来する塩素含有化合物だった。また、皮膚試料中の水銀濃度は、これまでに地中海と米国フロリダ州のエバーグレーズに生息するバンドウイルカについて論文で報告された濃度に近い。この2つの海域は、水銀汚染のレベルの高いことがすでに知られている。

 Dasたちは、ノルマンノ-ブレトン湾を特別保全区に指定して、ヨーロッパで最大級のバンドウイルカの沿岸個体群を保護すべきだという考えを表明している。



参考文献:
Zanuttini C. et al.(2019): High pollutant exposure level of the largest European community of bottlenose dolphins in the English Channel. Scientific Reports, 9, 12521.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-48485-7

レヴァントオーリナシアンの担い手

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、レヴァントオーリナシアン(Levantine Aurignacian)の担い手についての研究(Hajdinjak et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P171)。レヴァントとヨーロッパのオーリナシアン(Aurignacian)の強い類似性は以前から指摘されており、その年代関係から、レヴァントオーリナシアンはヨーロッパからレヴァントへと移動してきた集団によりもたらされた、と考えられていました。しかし、この時期のレヴァントの人類遺骸はたいへん少なく、この問題の解明を妨げてきました。

 本論文は、現生人類に区分されている55000年前頃の部分的な頭蓋冠が発見されたこと(関連記事)で有名な、イスラエルの西ガリラヤ(Western Galilee)地域のマノット洞窟(Manot Cave)で発見されたホモ属の乳歯3本と永久歯3本を報告しています。マノット洞窟の文化的区分は、上部旧石器時代前様(Early Upper Paleolithic)が46000~33000年前頃となり、46000~33000年前頃の前期アハマリアン(Early Ahmarian)と、39000~340000年前頃のレヴァントオーリナシアンに区分されます。

 本論文はこのマノット洞窟のホモ属の歯6本を、前期および中期更新世のホモ属やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)といったホモ属と比較しました。咬合面については、2本の歯はひじょうに摩耗していたため、評価できませんでしたが、これらマノット洞窟の歯は質的にも定量的にも詳しく分析されました。その結果、マノット洞窟の歯は現生人類とネアンデルタール人の特徴をさまざまに示す、と明らかになりました。たとえば、上顎第一小臼歯はひじょうに現生人類的ですが、乳歯の上顎第二大臼歯と永久歯の上顎第二大臼歯が現生人類に分類されるのか、不明です。さらに、乳歯の下顎第二大臼歯はネアンデルタール人に分類されるかもしれない、と本論文は指摘します。

 本論文はこれらの結果に基づき、レヴァントオーリナシアンの担い手が現生人類もしくはネアンデルタール人と現生人類との交雑集団である可能性を提示しています。さらに本論文は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑集団だった場合、それが在来集団だった可能性も、外来集団だった可能性も指摘します。非アフリカ系現代人全員の共通祖先集団とネアンデルタール人との交雑はおそらくレヴァントで起き、年代は54000~49000年前頃と推定されているので(関連記事)、レヴァントオーリナシアンの担い手の中に、一部の形態でネアンデルタール人的特徴の強い個体がいても不思議ではないかもしれません。この問題の解明にはDNA解析がたいへん有効なのですが、レヴァントの4万年以上前の動物遺骸となると、残念ながらDNA解析は難しそうです。そのため、この問題の解明には、より多くのホモ属遺骸の発見が必要となるでしょう。


参考文献:
Sarig R. et al.(2019): Population composition and possible origin of the Levantine Aurignacian culture: the dental evidence. The 9th Annual ESHE Meeting.

過去136万年間の地中海の冬季降水量

 過去136万年間の地中海の冬季降水量に関する研究(Wagner et al., 2019)が公表されました。地中海性気候の特徴は、乾燥した夏季と湿潤な冬季の間の季節的な差違が大きいことです。冬季の降水量の変化は、地域的な社会経済の発展に重要ですが、第四紀の時間スケールで正確にシミュレートして再構築するのは困難です。この一因は、軌道配置、全球の氷床量、大気中の温室効果ガス濃度が異なる複数の氷期–間氷期サイクルにわたる、地域的な水文気候の記録が乏しいことにあります。さらに、変化とその持続性の根底にある機構はまだ調べられていません。

 本論文は、過去136万年にわたる地中海北中部の湿潤な冬季について、地域的な日射の季節による大きな差違と、夏季のアフリカの活発なモンスーンを伴って生じる傾向があった、と示しています。バルカン半島のオフリド湖から得られた今回の代理時系列は、過渡気候モデルによる784000年間のハインドキャスト(再予報)と合わせて、海面水温の上昇は、大陸の氷床量が少なく、大気中の温室効果ガス濃度が高い時期に局所的な低気圧の発達を増幅し、地中海に入る北大西洋低気圧を成長させた、と示唆します。最新の再解析データの比較からは、現在の地中海の降水量の駆動要因と、再構築された降水量の増大の駆動要因がやや類似している、と示されました。これらのデータは、多様な日射極大をカバーしているため、気候モデルの性能を検証する重要な基準となります。地中海の長期の気候変動ということで、人類進化史とも関わってくるだけに、今後の研究の進展が注目されます。


参考文献:
Wagner B. et al.(2019): Mediterranean winter rainfall in phase with African monsoons during the past 1.36 million years. Nature, 573, 7773, 256–260.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1529-0

頭蓋の比較によるアフリカの中期更新世後期人類の多様性と現生人類の起源

 頭蓋の比較によるアフリカの中期更新世後期(35万~13万年前頃)人類の多様性と現生人類(Homo sapiens)の起源に関する研究(Mounier, and Lahr., 2019B)が報道されました。中期更新世後期のアフリカの人類化石記録の不足のため、現生人類の進化に関しては未解決の問題が多く残っています。アフリカ北部では、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡の現生人類的な遺骸が315000年前頃と推定されており、現生人類の起源がさかのぼる、と大きな話題になりました(関連記事)。アフリカ東部では、北部よりも多くの中期更新世後期の人類遺骸が発見されています。たとえばエチオピアでは、20万年前頃のオモ1号(Omo I)やオモ2号、16万年前頃のヘルト(Herto)の完全な成人頭蓋(BOU-VP16/1)と青年頭蓋冠(BOU-VP16/5)です。ケニアでは、30万~27万年前頃のグオモデ(Guomde)の頭蓋冠(KNM-ER 3884)や、30万~20万年前頃のエリースプリングス(Eliye Springs)のほぼ完全な頭蓋(KNM-ES 11693)です。タンザニアでは、ラエトリ(Laetoli)で30万~20万年前頃の頭蓋(LH18)です。アフリカ南部では、南アフリカ共和国のフロリスバッド(Florisbad)遺跡で259000年前頃の部分的な頭蓋です。

 これら現生人類との類似性が指摘される化石群にたいして、南アフリカ共和国では現生人類と大きく異なる形態のホモ・ナレディ(Homo naledi)が発見されており、推定年代は335000~236000年前頃です(関連記事)。本論文は、ナレディを除外した場合でも、アフリカの中期更新世後期の人類遺骸の形態はひじょうに多様だと指摘します。ナレディを除く現生人類との類似性が指摘される化石群のうち、オモ1号とヘルト遺骸は異論の余地のない最古級の現生人類と一般的に分類されています。その他の化石群は、派生的特徴と祖先的特徴の混在から、「古代型サピエンス」と呼ばれています。

 本論文は、化石および現代の現生人類集団の頭蓋を、他のホモ属化石と比較しました。対象になったのは、最初期ホモ属であるアフリカのハビリス(Homo habilis)、アフリカの初期ホモ属であるエルガスター(Homo ergaster)、アフリカ外では最古級(177万年前頃)のホモ属となるジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)のジョルジクス(Homo georgicus)、おもにユーラシア西部に分布したネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)です。ネアンデルタール人は、早期と後期の近東およびヨーロッパ南部およびヨーロッパ西部に区分されています。なお、エルガスターをエレクトス(Homo erectus)に含める区分は珍しくありませんし(むしろ一般的と言えるかもしれません)、ジョルジクスという種区分はまだ定着していないように思います。

 これらのホモ属頭蓋の分析・比較から、初期ホモ属は現生人類およびネアンデルタール人と大きく異なることが示されます。前期ホモ属と後期ホモ属の違いとともに、現生人類とネアンデルタール人が後期ホモ属の始まりもしくは前期ホモ属の終わりの頃まで、共通系統だったことを示しているのでしょう。ネアンデルタール人と現生人類も明確に区分されますが、早期現生人類と早期ネアンデルタール人は比較的近縁で、現代人と後期ネアンデルタール人はそれよりも遠い関係になっています。現生人類とネアンデルタール人系統で、それぞれ特殊化が進んだことを反映しているのでしょう。現生人類系統では、イスラエルのスフール(Skhul)とカフゼー(Qafzeh)に代表される早期現生人類が、現代人系統と大きく異なる分類群を形成します。現代人系統では、やや異なる2系統樹が示されましたが、アフリカ系統の多様性が高く、非アフリカ系統はアフリカ系統の一部から派生する、という点では一致しています。これらは、DNA解析による地域集団の系統樹とおおむね整合的です。

 本論文はこれら2系統樹から、現生人類の仮想最終共通祖先の頭蓋(vLCA)を提示しています。vLCA1も2も形態はほぼ同じで、球状であることや比較的高い額や弱い眉上隆起と顔面突出など、現生人類に特有とされるほとんどの形態学的特徴を有しています。しかし、下顎がやや突き出していることなど、祖先的特徴も示します。本論文はこのvLCA1および2を、ネアンデルタール人および現生人類、さらにはエチオピアのオモ2号・ケニアの11693・タンザニアのLH18・南アフリカ共和国のフロリスバッド・モロッコのイルード1号というアフリカの中期更新世後期の「古代型サピエンス」と比較しました。これら中期更新世後期のアフリカの「古代型サピエンス」では、フロリスバッドがvLCA1および2との類似性を最も強く示し、オモ2号はネアンデルタール人と現生人類の中間、イルード1号は分析によってはネアンデルタール人との類似性も現生人類との類似性も示します。

 アフリカの中期更新世後期のホモ属頭蓋は、195000年前頃のオモ1号と16万年前頃のヘルト人(BOU-VP16/1)の前までは、祖先的特徴と現代的特徴の混在を示し、完全に現代的ではありません。本論文は、現生人類の出現は急速で、断続平衡説的だったかもしれない可能性を提示しているものの、中期更新世の化石記録において長期の安定の証拠はない、と指摘します。さらに本論文は、現時点での証拠では気候変動による顕著な環境変化が想定され、中期更新世後期アフリカの人類化石記録における多様性の高さは顕著な環境変化と一致する、と指摘します。

 本論文はアフリカの中期更新世後期の「古代型サピエンス」頭蓋を、大きく3区分しています。一つは、東部のLH18に代表される、現生人類化石ともvLCAとも類似性の低い集団です。次に、北部のイルード1号で、現生人類とネアンデルタール人の中間的形態を示します。第三は、南部のフロリスバッドや東部の11693およびオモ2号です。この第三集団は現生人類との近縁性が示され、上述のようにフロリスバッドはとくに強い類似性を示します。フロリスバッド遺骸の時代には、現生人類とは大きく異なる形態のナレディが存在しており、中期更新世後期におけるホモ属内の形態の複雑さを強調します。本論文は、中期更新世後期のアフリカのホモ属の中には、ナレディのように現生人類の形成には関与していなかった系統もあるだろう、と推測します。つまり、そうした系統は気候変動の中で絶滅した、というわけです。現生人類は形態的に確立した後に、中期更新世後期のうちにレヴァント(関連記事)やアジア東部(関連記事)まで拡散した可能性がある、と本論文は指摘します。

 現生人類の起源地について、アフリカでも東部・南部・北部が提示されていますが、複雑なパターンも指摘されています。本論文は、中期更新世後期アフリカのホモ属化石では、南部のフロリスバッドと東部の11693およびオモ2号が、vLCAおよび早期現生人類とのより強い類似性を示す、と指摘します。一方、イルード1号のようにネアンデルタール人との類似性も示す北部集団は、ネアンデルタール人に種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と近縁な「前期型」から現生人類とより近縁な「後期型」のミトコンドリアDNA(mtDNA)をもたらした(関連記事)かもしれない、と本論文は推測します。現生人類の起源はおもにアフリカ南部集団で、東部集団も関わっていただろう、というわけです。

 本論文は、中期更新世後期における現生人類の出現過程は複雑だと強調します。35万~20万年前頃となる前半段階には、異なる表現型の現生人類的な集団が各地域で形成されていったかもしれない、と本論文は推測します。続く後半段階に、集団の交雑と合同にいたるような集団の断片化と差異的拡大の期間が続いた結果、現代的な集団(解剖学的現代人)が20万~10万年前頃に出現し、それはヘルトやスフールやカフゼーの個体に代表される、との見通しを本論文は提示しています。これは、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」と共通するところもあると思います(関連記事)。

 しかし本論文は、中期更新世後期のアフリカの地域的ホモ属集団すべてが等しく、あるいは少しでも、現生人類系統に遺伝的に寄与した可能性は低く、地域的絶滅と創始者効果が、解剖学的現代人の出現をかなりのところ形成しただろう、と指摘します。中期更新世後期のアフリカの「古代型サピエンス」とされてきた集団でも、北部は現生人類の確立にほとんど寄与せず、南部とおそらくは東部が主体になっただろう、というわけです。本論文はvLCAの形態について、20万~10万年前頃という現生人類成立の最終段階に近いと推測しています。さらに本論文は、現生人類のより古い化石が今後発見される可能性を指摘しています。

 あくまでも頭蓋データに基づいていますが、本論文の見解は遺伝学の研究成果とも整合的で、興味深いと思います。私は近年、現生人類の起源について上述の「アフリカ多地域進化説」を支持していますが、中期更新世後期のアフリカのホモ属のうち、現生人類に近いと思われる集団の一部が、絶滅して現生人類の確立に寄与しなかったり、寄与してもわずかだったりすることは充分想定されると思います。また、頭蓋の類似性から、ネアンデルタール人の「後期型」の起源が中期更新世後期のアフリカ北部の「古代型サピエンス」集団にあるかもしれない、との見解も注目されます。ただ、現時点ではやはり中期更新世後期のアフリカのホモ属化石の少なさは否定できず、今後の発見の増加により、さらに正確な現生人類進化史像が描かれるのではないか、と期待しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化】現生人類の最終共通祖先のバーチャルな頭蓋骨

 全ての現生人類の最も近い共通祖先の頭蓋骨の仮想モデルを紹介する論文が掲載される。この研究成果は、ホモ・サピエンスの複雑な進化に関する手掛かりになると考えられる。

 今回、Aurelien MounierとMarta Mirazon Lahrは、現生人類集団(21集団)と化石人類集団(5集団)の頭蓋骨263点を調べ、系統発生的モデル化によって、全ての現生人類の最も近い共通祖先の頭蓋骨を仮説的仮想モデルとして再現した。次にMounierとLahrは、このバーチャルな頭蓋骨と中期更新世後期(約35万~13万年前)のアフリカのヒト族化石5点を比較して、このヒト族の集団が、ホモ・サピエンスの起源にどのような役割を果たしたのかを評価した。

 MounierとLahrは、これらのヒト族の系統がホモ・サピエンスの起源に等しく寄与したわけではなかったとする考えを示している。今回の研究結果は、ホモ・サピエンスがアフリカ南部の起源集団の合体、場合によってはそれに加えてアフリカ東部の起源集団との合体から生じた可能性があるという学説を裏付けている。また、MounierとLahrは、今回の研究で検討された化石の1つであるIrhoud 1がネアンデルタール人に形態が近いため、ホモ・サピエンスの起源がアフリカ北部である可能性は低いと主張している。



参考文献:
Mounier A, and Lahr MM.(2019B): Deciphering African late middle Pleistocene hominin diversity and the origin of our species. Nature Communications, 10, 3406.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11213-w

ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列を可能とする手法

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の高品質なゲノム配列を可能とする手法についての研究(Hajdinjak et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P77)。近年、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の古代DNA研究が飛躍的に発展し、起源・移動・相互の関係性など人類史の理解を変えてきました。

 しかし多くの場合、古代の人類の内在性DNAは標本から抽出されたDNAの小さな断片なので、高品質なゲノム配列を得るのは困難でした。ネアンデルタール人に関してはこれまで、3個体のみで高品質なゲノム配列が得られてきました。1人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された13万~9万年前頃の女性個体で、網羅率は52倍(関連記事)、1人はクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃の女性個体で(関連記事)、網羅率は30倍、もう1人は、まだ刊行されていませんが、南シベリアのアルタイ山脈のチャギルスカヤ(Chagyrskaya)洞窟遺跡で発見された8万年前頃の個体で網羅率28倍です(関連記事)。低網羅率の配列も遺伝的歴史の多様な側面を再構築できますが、集団規模の推定や近親交配の水準といった高精度の分析の多くは、高品質なゲノム配列に依存しています。

 最近の研究では、内耳錐体骨や歯のセメント質ではDNAがより多く保存されているかもしれない、と指摘されています。また、内在性DNAの保存は、単一標本の数mmの距離内でさえかなり異なるかもれない、とも指摘されています。古代の人類遺骸は希少で価値が高いため、破壊的標本抽出をできる限り少なく抑えることが重要となります。通常の標本抽出では、与えられた骨もしくは歯の単一の場所から粉末約50mgを採取します。

 この研究は、ロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟遺跡とベルギーのゴイエット(Goyet)の第三洞窟(Troisième caverne)遺跡のネアンデルタール人遺骸から、段階的方法での複数のより小さな標本を採取し、DNA回収を改善するのか、検証しました。この研究は、メズマイスカヤ1遺骸(肋骨断片)から8.5mg~27.2mg、メズマイスカヤ2遺骸(頭蓋断片)から2.5mg~35.1mg、ゴイエットのQ56-1遺骸(大腿骨断片)から5.8mg~53.8mgの骨粉を除去し、1標本あたり15~38の粉末サブセットと1抽出あたり粉末16.6mgを検証しました。

 この研究は、、汚染の影響を最小限に抑えるため、我々はDNA抽出の前に、各粉末の一定分量を次亜塩素酸ナトリウム0.5%溶液で処理しました。同じ標本からのDNA抽出は、現代人の汚染水準(0.2~50.3%)と同様に、内在性DNAの比率(0.07~54.7%)と核ゲノムの内容(0.01~78倍)で数桁異なります。抽出に用いられた粉末の量と、内在性DNAもしくは現代人のDNA汚染の水準の全体的な量との間に、顕著な相関はありませんでした。古代DNAの保存量は1標本内で大きく変わる、と改めて示されました。汚染除去手順と組み合わせ、より大きな1標本の代わりに複数の小さい亜標本群を人類遺骸から採取することで、DNA抽出量を劇的に改善するかもしれない、というわけです。

 この手法を用いて、上述のネアンデルタール人3個体から高品質なゲノム配列を得ることが可能となりました。このデータは、ネアンデルタール人の人口史、ネアンデルタール人系統に固有で時間の経過とともに変化した遺伝的多様体、ネアンデルタール人の適応の根底にある遺伝的基盤を解明するのに役立つ、と期待されます。この研究の手法は古代DNA研究を大きく発展させるかもしれず、大きな意義がありそうです。近年の古代DNA研究の発展は本当に目覚ましく、追いついていくのが大変なのですが、少しでも多くの研究を当ブログで取り上げていくつもりです。


参考文献:
Hajdinjak M. et al.(2019): Doubling the number of high-coverage Neandertal genomes. The 9th Annual ESHE Meeting.

鳴禽類の聴覚技能の学習

 鳴禽類の聴覚技能の学習に関する研究(Moore, and Nielsen., 2019)が公表されました。ヒトと鳴禽類が一生持ち続ける聴覚技能とコミュニケーション技能は、幼少期に体験した聴覚手掛かりから発達します。その結果、ヒトの聴覚皮質は他の音よりも発話音声に優先的に反応し、それと同様に、鳴禽類の聴覚皮質は合成音よりも囀りに優先的に反応します。しかし、この同調性が幼少期からずっと固定されているのか、それとも種特異的な発達の仕方があるのか、明らかになっていません。

 この研究は、キンカチョウ(Taeniopygia guttata)とオナガキンセイチョウ(Poephila acuticauda)という2種の鳴禽類の囀りの発達と聴覚皮質におけるニューロンの同調性について調べました。囀りの学習には、同種の他の個体から学ぶ場合と異種の「里親」であるジュウシマツ(Lonchura striata domestica)に教えられる場合があります。この研究では、手本を示す個体が同種か異種かということとは無関係に、幼鳥が手本となる個体の囀りの真似を学んでおり、幼鳥の聴覚皮質ニューロンが、学習したさえずりの特定の音に同調するようになった、と明らかになりました。

 この研究はこうした知見により、鳴禽類の聴覚符号化が幼少期の音声コミュニケーションによって作り上げられる、と結論づけています。またこの研究は、ヒトの場合、幼少期に言語特異的な音声に触れたことから成人期の音声知覚を予測できることは、この鳴禽類の場合と同様の過程を用いて説明できる、という見解を提示しています。鳴禽類においては、音声コミュニケーションが聴覚符号化を作り上げていますが、同様の過程がヒトの幼児期の発話学習を下支えしているのではないか、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ヒトの発話について鳴き鳥から学べること

 近くにいる成鳥のさえずりを学習している幼い鳴き鳥の聴覚皮質の深層に存在するニューロンが、その成鳥のさえずりの音響特性に同調するようになることを示した論文が、今週掲載される。この研究は、鳴禽類において音声コミュニケーションが聴覚符号化を作り上げる仕組みを明らかにしており、これと同様の過程がヒトの幼児期の発話学習を下支えしている可能性を示唆している。

 ヒトと鳴禽類が一生持ち続ける聴覚技能とコミュニケーション技能は、幼少期に体験した聴覚手掛かりから発達する。その結果、ヒトの聴覚皮質は、他の音よりも発話音声に優先的に反応し、それと同様に、鳴禽類の聴覚皮質は、合成音よりもさえずりに優先的に反応する。しかし、この同調性が、幼少期からずっと固定されているのか、種特異的な発達の仕方があるのかは明らかでない。

 今回、Sarah WoolleyとJordan Mooreは、キンカチョウ(Taeniopygia guttata)とオナガキンセイチョウ(Poephila acuticauda)という2種の鳴禽類のさえずりの発達と聴覚皮質におけるニューロンの同調性について調べた。さえずりの学習には、同種の他の個体から学ぶ場合と異種の「里親」であるジュウシマツ(Lonchura striata domestica)に教えられる場合がある。今回の研究では、幼鳥が、手本を示す個体が同種か異種かということとは無関係に、そのさえずりをまねることを学んでおり、幼鳥の聴覚皮質ニューロンが、学習したさえずりの特定の音に同調するようになったことが分かった。

 WoolleyとMooreは、以上の研究知見によって、鳴禽類の聴覚符号化が幼少期の音声コミュニケーションによって作り上げられることが明らかになったと結論し、ヒトの場合に幼少期に言語特異的な音声に触れたことから成人期の音声知覚を予測できることは、この鳴禽類の場合と同様の過程を用いて説明できるという考えを示している。



参考文献:
Moore JM, and Woolley SMN.(2019): Emergent tuning for learned vocalizations in auditory cortex. Nature Neuroscience, 22, 9, 1469–1476.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0458-4

2021年の大河ドラマは渋沢栄一が主人公の『青天を衝け』

 再来年(2021年)の大河ドラマは渋沢栄一が主人公の『青天を衝け』で、吉沢亮氏が演じる、と発表されました。再来年の大河ドラマについては、大隈重信もしくは福沢諭吉とのダブル主人公は予想していたのですが(関連記事)、一万円札の次の肖像に選ばれるという話題性もありますし、もともと知名度はそれなりにあると思いますので、納得の人選です。渋沢栄一が主人公ということで、幕末もそれなりに描かれるでしょうが、やはり近代の比重が大きそうです、本格的な近代史ドラマが期待されます。脚本は大森美香氏で、検索すると、『10年先も君に恋して』(関連記事)と朝ドラの『あさが来た』を視聴しており、そういえば『あさが来た』には渋沢栄一が登場していたな、と思い出しました。『あさが来た』はなかなか楽しめましたので、内容には期待しています。

 20代の男性が大河ドラマで主役を演じるのは2012年放送の『平清盛』以来となります。先週(2019年9月第2週)の『なつぞら』での天陽くんの最期がそこそこ話題になりましたから、相乗効果を狙ってのこの時期の発表でしょうか。大河ドラマの視聴率が低迷するなか、廃止も危惧していただけに、やや安堵していますが、大河ドラマで幕末と近現代の視聴率は苦戦する傾向にあるので、現在放送中の『いだてん~東京オリムピック噺~』のように、平均視聴率一桁もあり得るかな、と懸念しています。そうすると、大河ドラマ廃止論がNHKでも真剣に検討されるようになるかもしれません。まあ、来年は人気の戦国時代で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人が重要人物として登場するので、それなりの視聴率になりそうですから、しばらくは大河ドラマの廃止はないだろう、と予想しています。

ハリケーンは攻撃的なクモを助長する

 ハリケーンが攻撃的なクモを助長する、と報告した研究(Little et al., 2019)が公表されました。熱帯低気圧は、自然生息地に大規模な撹乱を生じます。しかし、低頻度で予測しがたいことが多いその事象の生態学的影響は、暴風雨の襲来前後で生息地を比較する必要があるため、研究するのが困難です。この研究は、2018年にアメリカ合衆国のメキシコ湾岸と大西洋岸を襲った3つの熱帯低気圧の前後で、集団生活を営むクモ(Anelosimus studiosus)のコロニーのサンプル調査を行ないました。

 この研究は、熱帯低気圧の経路を予想することにより、予想経路上にあるコロニーのサイズを評価し、それぞれのコロニーが模擬的被食者に対してどれだけ攻撃的に反応するかを調べました。この研究は、クモの巣を振動させて攻撃に出てきたクモを数え、さらに、低気圧の通過から48時間後に現地へ戻ってどのコロニーが生き残ったかを調べ、その後の2回の訪問で卵をいくつ産んだか、孵化した幼虫が何匹なのか、数えました。低気圧の前に攻撃性が高かったコロニーは、暴風雨襲来後の繁殖率と幼虫生存率が高い、と明らかになりました。一方、熱帯低気圧の影響を受けなかった地域では、穏やかなコロニーのほうが有利でした。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ハリケーンは攻撃的なクモを助長する

 熱帯低気圧の後では、攻撃的な性質のクモのコロニーの方が、穏やかな性質のクモのコロニーよりも生存率と繁殖率が高いことを明らかにした論文が今週掲載される。この研究は、極端な事象が、動物の行動の形成で役割を果たしている可能性があることを示唆している。

 熱帯低気圧は、自然生息地に大規模な撹乱を生じる。しかし、頻度が低く予測しがたいことが多いその事象の生態学的影響は、暴風雨の襲来前後で生息地を比較する必要があるため、研究するのが困難である。

 Alexander Littleたちは、2018年に米国のメキシコ湾岸と大西洋岸を襲った3つの熱帯低気圧の前後で、集団生活を営むクモ(Anelosimus studiosus)のコロニーのサンプル調査を行った。彼らは、熱帯低気圧の経路を予想することにより、予想経路上にあるコロニーのサイズを評価し、それぞれのコロニーが模擬的被食者に対してどれだけ攻撃的に反応するかを調べた。著者たちは、クモの巣を振動させて攻撃に出てきたクモを数え、さらに、低気圧の通過から48時間後に現地へ戻ってどのコロニーが生き残ったかを調べ、その後の2回の訪問で卵をいくつ産んだか、孵化した幼虫が何匹かを数えた。低気圧の前に攻撃性が高かったコロニーは、暴風雨襲来後の繁殖率と幼虫生存率が高かった。熱帯低気圧の影響を受けなかった地域では、穏やかなコロニーのほうが有利であった。



参考文献:
Little AG. et al.(2019): Population differences in aggression are shaped by tropical cyclone-induced selection. Nature Ecology & Evolution, 3, 9, 1294–1297.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0951-x

近東の家畜ウシの起源と遺伝的変容

 近東の家畜ウシ(Bos taurus)の起源と遺伝的変容に関する研究(Verdugo et al., 2019)が報道されました。日本語の解説記事もあります。絶滅したユーラシアのオーロックス(Bos primigenius)は10500年前頃に、肥沃な三日月地帯のユーフラテス川上流とティグリス川の間の限定的な地域で家畜化されましたが、その詳細な遺伝的起源とヒトの介在について詳細は不明です。現代の家畜ウシのミトコンドリアDNA(mtDNA)から、家畜ウシは母系では80頭程度が起源集団となり、遺伝的多様性が低いと推測されています。以下、単に「ウシ」といった場合、コブウシ(Bos indicus)ではない家畜ウシ(Bos taurus)を指します。

 ウシは母系では遺伝的多様性の低さが指摘されていますが、イギリスでは在来のオーロックスからの遺伝子流動があり、またインダス川流域からのコブウシからの遺伝的影響が近東で広がっていると指摘されているように、ウシと野生集団との関係は複雑です。ウシの起源に関しては二つの仮説があります。一方は近東のオーロックス起源を示唆しています。もう一方は、近東のウシ集団は東方からのコブウシの遺伝子移入の結果生じ、それは気候変動に対応した個別の能動的な過程か、または数千年にわたる消極的な融合だった、いうものです。

 本論文は、今では不明瞭な初期のウシのゲノムを分析するため、6頭のオーロックスを含む古代の67頭のウシ属からゲノム規模データを得ました。これは中石器時代から初期イスラム時代までとなり、近東というDNAの保存には適さない地域にも関わらず、平均0.9倍の網羅率が得られました。現代の家畜化されたウシ属の遺伝的多様性パターンは明らかになっており、ヨーロッパのウシ、アフリカ西部のウシ、アジア南部のコブウシに大まかには区分されます。近東やアフリカ東部のような地理的に中間のウシ集団は、遺伝的にはそれら3集団の中間に位置します。新石器時代~青銅器時代のウシは地理的には、バルカン、アナトリア半島およびイラン、レヴァント南部に3区分され、現代のアフリカとヨーロッパのウシはこれらと遺伝的に近縁ですが、コブウシはそれらと遺伝的距離がかなり遠くなります。これは、ウシの起源が少なくとも2つのオーロックス集団にあり、コブウシと家畜ウシが形成された、と示唆します。

 オーロックスに関しては、6頭のゲノムが解析されました。そのうち4頭は近東のもので、2頭は9000年前頃のレヴァント、1頭は7500年前のアナトリア、1頭は7000年前頃のアルメニアの個体です。この4頭は古代のアナトリア半島およびイランのウシと遺伝的に近縁で、その祖先系統と推測されます。この最初期の近東のウシのゲノムの痕跡は、後の混合により不明瞭になりました。

 コブウシは乾燥地域と熱帯地域に適応しており、その起源は8000年前頃と推定されています。しかし、肥沃な三日月地帯とインダス川流域との接触の考古学的証拠にも関わらず、コブウシのゲノムの影響がアジア南西部で検出されるようになるのは4000年前以後です。これ以降、近東やアジア中央部ではウシとコブウシの交雑集団が広く見られるようになります。この時期以降、コブウシの骨格証拠も確認されています。

 常染色体データとは対照的に、以前の研究で示されていたように、近東在来のウシのmtDNAのハプロタイプは持続しており、遺伝子移入は雄ウシによるものだったと推測されます。この急激な遺伝子流動は、4200年前頃の急激な気候変動事象として知られている、乾燥化の始まりに促進された可能性があります。この数世紀にわたる旱魃は、メソポタミアとエジプトの大国の崩壊およびインダス文化の衰退と一致しており、メーガーラヤン(Meghalayan)と呼ばれる完新世の最新の時代区分の開始年代となります。

 紀元前4000年以降のコブウシの流入は、適応とヒトの介在により起きた可能性が高そうです。その第一の根拠は、遺伝子移入の程度が単純な東西の勾配になっておらず、近東の西端となるレヴァントで著しいことです。第二の根拠は、遺伝子移入の範囲は広く、4000年にわたってほとんどコブウシの遺伝的痕跡が検出されなかったのに、比較的短期間でコブウシの遺伝的影響が拡大したことです。第三の根拠は、最大で70%のゲノム変化が観察されたのに対して、在来の家畜ウシのmtDNAのハプロタイプは保持されたことから、雄ウシの選択により遺伝子移入が起きたと考えられることです。家畜ウシとコブウシの交雑集団は、乾燥化が進んで気候で周辺地域に拡大したかもしれません。また、乾燥化による在来の家畜ウシの衰退も、コブウシの遺伝的影響の拡大の一因になったかもしれません。この時期に西方へのヒト移住の記録が残っており、スイギュウやアジアゾウのようなアジア南部の動物が近東に出現した、という考古学的証拠もあり、ヒトによる大型動物の移動が示唆されています。

 コブウシとの混合の前、レヴァント南部のウシは遺伝的にはアフリカの現代のウシと比較的近く、9000年前頃となる続旧石器時代のモロッコのオーロックスとはとくに近縁でした。7000年前頃の中石器時代のイギリスのオーロックスのゲノムは、近東の初期集団とは遠く離れており、新石器時代のバルカン集団と近縁でした。古代のウシにおけるこれらの遺伝的類似性は、多様な野生集団からの早期の家畜化を示唆します。レヴァントでは、レヴァントおよびアフリカ北部の類似したオーロックス系統が家畜化された、と推測されます。ヨーロッパでも、家畜ウシが導入された7000年以上前から、在来のオーロックスとの混合が始まった、と推測されます。

 これらのオーロックスは家畜ウシとは異なるmtDNAハプロタイプを有していますが、古代の家畜ウシは現代の家畜ウシに典型的なmtDNAハプロタイプを有します。そのため、家畜ウシはおもに雄のオーロックスと交配されたと推測されます。性的に成熟した雄ウシはその大きな身体サイズと攻撃性のために、新石器時代の村ではおそらく最も危険な家畜なので、オーロックスの雄による管理下ではない野外での受精は、初期の家畜ウシの管理で役割を果たしたかもしれません。

 アフリカ原産のウシの遺伝子の中には、熱帯感染症耐性関連などのように、アフリカのオーロックスの家畜化もしくは遺伝子移入によりもたらされた、と推定されるものもあります。しかし、古代レヴァントのウシのゲノムとアフリカ北部のオーロックスの遺伝的類似性は、この特徴が肥沃な三日月地帯の南部に起源があるかもしれない、と示唆します。ほぼアフリカのウシ集団で固定されている家畜ウシのmtDNAハプログループ(mtHg)は、レヴァント南部において最も高頻度で、それは最初期のウシでも見られますが、他の古代の家畜ウシでは見つかっていません。

 ウシは当初、肥沃な三日月地帯の北部の限られた遺伝的背景の集団に由来しましたが、この地域外の初期の家畜ウシは、ヨーロッパとアフリカの家畜ウシの祖先に特有のものも含めて、多様なオーロックス系統から遺伝的影響を受けました。4200年前以後、コブウシの拡大を反映する遺伝的構成の変容は、おそらく気候変動と関連して、アジア南西部および中央部の牧畜民の影響により進行しました。ウシに限らず、家畜化の進展は限定的な地域からの単純な拡散で説明できない場合が多そうで、これまでよく知らなかった分野だけに、今後は少しずつ調べていきたいものです。


参考文献:
Verdugo MP. et al.(2019):Ancient cattle genomics, origins, and rapid turnover in the Fertile Crescent. Science, 365, 6449, 173–176.
https://doi.org/10.1126/science.aav1002

Y染色体ハプログループDの改訂

 恥ずかしながら、3ヶ月近く前(2019年6月19日)に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂していた、と先週(2019年9月第2週)知りました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派のYHg- D1b1がD1a2aに変更されています。「縄文人」で確認されているD1b2はD1a2bに変更されています。なお「縄文人」では、現代日本人で多数派のD1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。もちろん、現時点では東日本の「縄文人」でしかYHgは確認されていないので、今後西日本の「縄文人」でD1a2aが確認される可能性は低くないでしょう。しかし現時点では、現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。

 このように変更された理由は、今年6月10日に公開された研究(Haber et al., 2019B)で、じゅうらいはYHg-DE*とされていたナイジェリア人の系統が、YHg-D0と新たに分類されたためだと思います。新たに提唱された分類名なので、既存の分類名を優先して整合的な分類とするため、D0と提唱された系統はD2にされたのだと思います。この研究は、じゅうらいのYHg-Dの名称を変更せずにすむように、D0という分類名を提案したので、そのままにしておけばよいのではないか、とも思うのですが、門外漢の私が的外れなことを言っているだけかもしれませんので、抗議するつもりも、否定してじゅうらいの分類名を使い続けるつもりもありません。


参考文献:
Haber M. et al.(2019B): A Rare Deep-Rooting D0 African Y-Chromosomal Haplogroup and Its Implications for the Expansion of Modern Humans out of Africa. Genetics, 212, 4, 1241-1248.
https://doi.org/10.1534/genetics.119.302368

アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成

 アジア南部の人口史関する二つの研究が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。なお、以下の主要な略称は以下の通りです。アンダマン諸島狩猟採集民(AHG)、古代祖型インド南部人関連系統(AASI)祖型北インド人(ANI)、祖型南インド人(ASI)、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)、中期~後期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSMLBA)、前期~中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSEMBA)、バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化。

 一方の研究(Narasimhan et al., 2019)は、すでに昨年(2018年)、査読前に公開されていました(関連記事)。その時点よりデータも増加しているので、今回改めて取り上げます。本論文は、中石器時代以降のアジア中央部および南部北方の、新たに生成された古代人523個体のゲノム規模データと、品質を向上させた既知のゲノムデータ19人分を報告しています。これらと既知のデータを合わせて、古代人837個体分のデータセットが得られました。現代人では、686人のゲノム規模データと、アジア南部の246民族の1789人の一塩基多型データが比較されました。

 本論文(サイエンス論文)はこれらの個体を地理的に3区分しています。それは、182人分のゲノムデータが得られたイランおよびトゥーラーン(アジア中央部南部、現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・アフガニスタン・キルギスタン)、209人分のゲノムデータが得られた草原地帯と北部森林地帯(ほぼ現在のカザフスタンとロシアに相当します)、132人分のゲノムデータが得られたパキスタン北部です。文化的に区分すると、(1)中石器時代・銅器時代・青銅器時代・鉄器時代のイランおよびトゥーラーンの集団で、紀元前2300~紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化も含まれます。(2)シベリア西部森林地帯の早期土器(陶器)使用狩猟採集民で、北部ユーラシア人の早期完新世の遺伝的傾向を表します。(3)ユーラシア草原中央部の銅器時代・青銅器時代の牧畜民で、青銅器時代カザフスタン(紀元前3400~紀元前800年)を含みます。(4)アジア南部北方で、後期青銅器時代と鉄器時代と歴史時代を含み、現在のパキスタンに相当します。

 イランおよびトゥーラーンでは、アナトリア農耕民関連系統の比率が西から東にかけて減少するという勾配が見られます。紀元前九千年紀~紀元前八千年紀のイラン西部ザグロス山脈の牧畜民は、特有のユーラシア西部関連系統を有していたのにたいして、広範な地域のもっと後の集団は、この独特なユーラシア西部関連系統とアナトリア農耕民関連系統との混合系統です。銅器時代から青銅器時代にかけて、アナトリア農耕民関連系統の比率が、アナトリア半島で70%、イラン東部で31%、トゥーラーン東部で7%というように、東から西へと減少していく勾配が見られます。アナトリア半島でもイラン農耕民系統が見られるようになり、農耕と牧畜を担う集団が双方向に拡散し、在来集団と混合した、と推測されます。

 紀元前三千年紀には、イラン東部とトゥーランでは、最小限のアナトリア農耕民関連系統だけではなく、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)系統の混合も検出され、イラン農耕民関連系統の拡大前にこの地域に存在した、まだ標本抽出されていない狩猟採集民からの交雑を反映している、と本論文は推測しています。ユーラシア北部関連系統は、ヤムナヤ(Yamnaya)遊牧文化集団の拡大前にトゥーラーンに影響を及ぼしました。ヤムナヤ文化集団の遺伝的構成では、WSHG関連系統よりもヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)関連系統の方が多いので、ヤムナヤがこのユーラシア北部関連系統の起源だった可能性は除外できます。また、ヤムナヤ文化集団にはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)U5aとY染色体ハプログループ(YHg)R1bもしくはR1aが高頻度で存在するものの、これらのハプログループは標本抽出されたイランおよびトゥーラーンの銅器時代~青銅器時代には見られないことからも、この見解は支持されます。

 紀元前2300~紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化集団は、アジア南部集団の主要な起源ではありませんでした。イランおよびトゥーラーンの青銅器時代のBMACとその直後の遺跡から、紀元前3000~紀元前1400年頃の84人のゲノム規模データが得られました。この84人の大半はトゥーラーンの先住集団と遺伝的に近縁で、BMAC集団の起源集団の一つと考えられます。BMAC集団の遺伝的構成は、早期イラン農耕民関連系統が60~65%、アナトリア農耕民関連系統が20~25%、WSHG系統が10%程度です。BMAC集団は、先行するトゥーラーンの銅器時代個体群とは異なり、追加のアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)関連系統を2~5%ほど有しています。アジア南部におけるこの南方から北方への遺伝子流動は、インダス文化とBMACの間の文化的接触と、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地を示す考古学的証拠と一致しますが、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地では古代DNAは得られていません。一方、逆の北方から南方への遺伝子流動は検出されませんでした。BMAC集団のアナトリア農耕民関連系統比率はやや高いので、古代および現代のアジア南部人類集団の起源集団にはならないだろう、と本論文は推測しています。

 以前の研究(関連記事)では、BMAC集団をアジア南部の現代人集団の祖先集団の一つとする可能性が提示されていましたが、対象となる標本数が本論文の36点に対して2点と少なく、BMAC期もしくはアジア南部の古代DNAが欠けており、本論文はその見解に否定的です。紀元前2300年頃、BMAC関連遺跡でWSHG関連系統を有する外れ値の3人が観察されます。紀元前三千年紀には、カザフスタンの3遺跡とキルギスタンの1遺跡で、この3人の起源として合致したデータが得られています。紀元前2100~紀元前1700年頃には、BMAC関連遺跡で西方草原地帯前期~中期青銅器時代(EMBA)系統から派生した系統を有する3人の外れ値が観察されており、ヤムナヤ派生系統は紀元前2100年までにトゥーランに到達した、と考えられます。ヤムナヤ系統は紀元前二千年紀の変わり目までにアジア中央部へと拡大した可能性が高そうです。

 紀元前2500~紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300~紀元前2000年頃のイラン東部遺跡から、11人の外れ値が観察されます。その遺伝的構成は、AHG関連系統が11~50%で、残りはイラン農耕民関連系統とWSHG関連系統の混合(50~89%)です。こうした外れ値の個体群では、BMAC関連系統では20~25%となるアナトリア農耕民関連系統が検出されず、BMAC集団が起源である可能性は否定されます。インダス文化集団の古代DNAなしに、これらの外れ値がインダス文化で一般的な遺伝的構成だった、と明確に述べることはできません。しかし、アナトリア農耕民関連系統が検出されず、11人全員でAHG関連系統の割合が高く、そのうち2人では現在おもにインド南部で見られるYHg- H1a1d2が確認され、インダス文化との交易の考古学的証拠があり、アジア南部関連の人工物が共伴していることから、この外れ値の11人はインダス文化後のインダス川上流近くの古代人86人の祖先として適合的だろう、と本論文は推測します。また、この11人におけるイラン農耕民関連系統とAHG関連系統との混合が紀元前5400~紀元前3700年頃に起きたと推定されることから、11人の遺伝的構成がインダス文化集団を表している可能性は高い、と本論文は指摘します。

 ユーラシアの草原地帯および森林地帯系統の遺伝的勾配は、農耕出現後に確立しました。ユーラシア北部の後期狩猟採集民は、西方から東方へと、アジア東部系統が増加する勾配を示します。新石器時代と銅器時代には、この勾配に沿った異なる地域の狩猟採集民が、異なる地域の系統を有する人々と交雑し、5つの勾配を形成しました。そのうち2つは南方(アジア南西部とインダス川周辺部)で、残りの3つはユーラシア北部に存在しました。草原地帯および森林地帯の最西端にはヨーロッパ勾配があり、アナトリア農耕民の拡大により紀元前7000年後に確立し、ヨーロッパ西部狩猟採集民と交雑しました。黒海からカスピ海に及ぶ緯度のヨーロッパの東端の勾配は、ヨーロッパ東部狩猟採集民関連系統とイラン農耕民関連系統の混合から構成され、いくつかの集団では追加のアナトリア農耕民関連系統が見られます。ウラル山脈の東ではアジア中央部勾配が検出され、一方の端のWSHG個体と、もう一方の端のトゥーラーンの銅器時代~早期青銅器時代の個体で表されます。

 紀元前3000年頃に、ユーラシアの多くの集団の遺伝的構成は、西方のハンガリーから東方のアルタイ山脈まで、コーカサス起源のヤムナヤ文化集団系統に転換していきました。この前期~中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯(WSEMBA)系統は、次の2000年にわたってさらに拡大して在来集団と混合し、西はヨーロッパの大西洋沿岸、南東はアジア南部まで到達しました。アジア中央部および南部に到達したWSEMBA系統は、最初の東方への拡大ではなく、第二の拡大によるもので、WSEMBA系統を67%、ヨーロッパ関連系統33%を有する集団でした。この中期~後期青銅器時代ユーラシア西方草原(WSMLBA)集団は、縄目文土器(Corded Ware)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化やシンタシュタ(Sintashta)文化やペトロフカ(Petrovka)文化集団を含んでいます。WSMLBAとは異なる中期~後期青銅器時代ユーラシア中央草原地帯集団(CSMLBA)も検出され、おもにWSHG関連系統の中央草原地帯の青銅器時代牧畜民に由来する系統を9%ほど有しています。

 シンタシュタ文化集団では、50人のうち複数の外れ値が検出されました。外れ値の一つはWSHG関連のCSMLBA系統の比率が高く、二番目はWSMLBA系統の比率が高く、三番目はヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)系統の比率が高い、と明らかになりました。現在のカザフスタンとなる中央草原地帯では、紀元前2800~紀元前2500年頃の1人と、紀元前1600~紀元前1500年頃の複数個体が、イラン農耕民関連系統からの顕著な混合を示し、トゥーランを経由してのアジア南部へのCSMLBAの南進とほぼ同時期の、トゥーランから北方への遺伝子流動を示します。紀元前三千年紀半ばから始まったこうした人類集団の移動は、考古学的証拠で示される物質文化と技術の動きと関連しています。

 クラスノヤルスク(Krasnoyarsk)市の草原地帯遺跡で発見された紀元前1700~紀元前1500年頃の複数個体は、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)関連系統と25%程度のアジア東部関連系統と、残りのWSMLBA系統という遺伝的構成を示します。後期青銅器時代までに、ESHG関連系統はカザフスタンからトゥーラーンまで至る所で見られるようになります。これら紀元前千年紀から紀元後千年紀にアジア南部において文化的・政治的影響の見られる文化集団は、アジア南部現代人にアジア東部系統がほとんど見られないことから、アジア南部現代人の草原地帯牧畜民系統の重要な起源ではありません。その起源として有力なのは、草原地帯の中期~後期青銅器時代集団で、トゥーラーンへと拡散してBMAC関連系統と混合しました。総合すると、これらの結果は、アジア南部に現在広範に見られる草原地帯系統がアジア南部に到達したのは、紀元前二千年紀の前半と推定します。ヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民集団の拡大前後での遺伝的構成は、本論文の図3で示されています。
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 以前の研究では、アジア南部現代人集団は、ユーラシア西部集団と近縁な祖型北インド人(ANI)と、ユーラシア西部集団とは近縁ではない祖型南インド人(ASI)との混合により形成された、と推測されました。本論文はまず、インダス文化との接触が考古学的に示されている遺跡で確認された、上述の外れ値の11人を取り上げます。この11人は、2集団の混合としてモデル化できます。一方は、AHG関連系統集団、もう一方は90%程度のイラン農耕民関連系統と10%程度のWSHG関連系統の混合集団です。このインダス川流域系統に合致する人々は、アジア南部現代人の祖先の大半を構成します。これはアジア南部に特有の系統をもたらす西方からの遺伝子流動というよりも、インダス川流域集団の人々のもっと後のアジア南部人への寄与です。

 アジア南部北方の紀元前1700~紀元後1400年の間の117人では、紀元前2000年以降に草原地帯系統が見られます。これは2集団の混合としてモデル化され、一方はインダス川流域集団、もう一方は41%程度のCSMLBAと比較的高いイラン農耕民関連系統を有する59%程度のインダス川流域集団の亜集団です。現代インド人で見られる遺伝的勾配の形成に合致したモデルは起源集団として、CSMLBAもしくはその近縁系統と、インダス川流域集団と、AHG関連系統もしくはAHG関連系統を比較的高頻度で有するインダス川流域集団の亜集団を含みます。

 インド南部のいつくかの集団では、CSMLBA系統が見られません。これは、ASIのほぼ直系の子孫が現在も存在することを示し、ASIはユーラシア西部関連系統を有していないかもしれない、という以前の見解の反証となります。つまり、インド南部のユーラシア西部関連系統はANI のみがもたらしたのではなく、ASIはイラン農耕民関連系統を有していただろう、というわけです。イラン農耕民関連系統とAHG関連系統の混合は紀元前1700~紀元前400年頃と推定され、インダス文化の時点では、ASIは完全には形成されていない、と推測されます。

 インドには、パリヤール(Palliyar)やジュアン(Juang)といった、ユーラシア西部系統の影響の小さいオーストロアジア語族集団も存在します。ジュアン集団は、更新世からアジア南部に存在したと考えられ、ユーラシア西部系統要素のない古代祖型インド南部人関連系統(AASI)系統(48%)およびアジア東部起源のオーストロアジア語族の混合集団(52%)の混合系統と、AASI(70%)とイラン農耕民関連系統(30%)の混合集団としてのASIとの混合としてモデル化されます。農耕技術から、オーストロアジア語族はアジア南部に紀元前三千年紀に到来した、と推測されています。ANIは、草原地帯牧畜民系統との混合年代が紀元前1900~紀元前1500年頃と推定されることから、インダス文化衰退後に形成されたと推測されます。つまり、現代インド人の勾配を形成する主要な2集団であるASIとANIは、どちらも紀元前二千年紀の前には完全に形成されていなかっただろう、ということになります。

 アジア南部最北端となるパキスタンのスワート渓谷(Swat Valley)の青銅器時代・鉄器時代の複数個体では、草原地帯系統が、常染色体において20%程度になるのに、Y染色体では、草原地帯においてはほぼ100%となる系統(YHg- R1a1a1b2)が5%と顕著に低く、おもに女性を通じて草原地帯系統が導入された、と推測されます。しかし、現代のアジア南部では、常染色体よりもY染色体の方でCSMLBA関連系統がずっと多い集団も見られます。これは、おもに男性により草原地帯系統が拡散したことを示唆します。類似の事象はイベリア半島でも見られますが(関連記事)、アジア南部はイベリア半島ほど極端ではありません。アジア南部でY染色体において草原地帯系統の比率の高い集団は、司祭の地位にあると自任してきた集団に見られますが、この相関はまだ決定的とまでは言えません。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。
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 本論文は以上の知見から、アジア南部における完新世の人口史を以下のようにまとめます。紀元前2000年まで、イラン農耕民関連系統とAASI系統の異なる比率を有するインダス川流域集団が存在し、本論文はこれを多くのインダス文化集団の遺伝的特徴と仮定します。ASIは紀元前2000年以後に、このインダス川流域集団とAASI関連系統集団の混合として成立しました。紀元前2000~紀元前1000年の間に、CSMLBA系統がアジア南部へと拡大し、インダス川流域集団と混合してANIを形成しました。紀元前2000年以後、ASI とANIが混合し、現代インド人に見られる遺伝的勾配を形成していき、アジア南部の現代の多様な集団が形成されました。

 インダス川流域集団はインダス文化の発展前となる紀元前5400~紀元前3700年に形成されます。これは、インダス川流域集団のイラン農耕民関連系統はインダス川流域狩猟採集民の特徴で、それはコーカサス北部およびイラン高原農耕民の特徴と同様だった可能性を提示します。イラン北東部の狩猟採集民におけるそうした系統の存在も、この可能性と整合的です。もう一つの可能性は、イラン高原から農耕牧畜集団が紀元前七千年紀にアジア南部へと拡大した、というものです。しかし、この仮説は、インダス川流域集団ではアナトリア農耕民関連系統がほとんど存在しない、という知見と整合的ではありません。

 そのため本論文は、アナトリア農耕民関連系統の東方への拡大がイラン高原およびトゥーラーンへの農耕拡大と関連していたという見解を支持しているものの、アジア南西部からアジア南部への大規模な移動は、イラン高原において全員にかなりのアナトリア農耕民関連系統が見られる紀元前6000年以後にはなかった、と推測しています。国家成立以前の言語は人々の移動に伴うのが通常なので、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族は、アジア南西部の農耕民拡大の結果ではないだろう、との見解を本論文は提示しています。

 これは、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族が草原地帯起源であることを示唆します。しかし、中期~後期青銅器時代の中央草原地帯とアジア南部の物質文化の類似性はひじょうに少ない、と指摘されています。ただ本論文は、ヨーロッパ西部起源と考えられるビーカー複合(Beaker Complex)文化が、ヨーロッパ中央部ではヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民系統を50%程度有する集団と関連していることから、物質文化のつながりの欠如は遺伝子拡散を否定するわけではない、と指摘しています。ヨーロッパでは、草原地帯系統集団が在来の物質文化を取り入れながら、遺伝的には在来集団に大きな影響を及ぼした、というわけです。

 本論文は、アジア南部集団が、ヤムナヤ文化集団に代表されるWSEMBAから、その影響を受けたCSMLBAを経由して(30%程度)、20%程度の影響を受けた、と推定しています。以前の研究(関連記事)では、アジア南部に草原地帯牧畜民系統をもたらしたのは直接的にはヤムナヤ文化集団ではない、と推測されていましたが、間接的にはヤムナヤ文化集団のアジア南部への遺伝的影響は一定以上あるようです。さらに本論文は、インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語文献の伝統的な管理者と自任してきた司祭集団において、男系を示すY染色体においてとくに草原地帯牧畜民系統の比率が高いことからも、インド・ヨーロッパ語族が草原地帯系統集団によりもたらされた可能性が高い、と推測します。

 アジア南部で2番目に大きな言語集団であるドラヴィダ語族の起源に関しては、ASI系統との強い相関が見られることから、インダス文化衰退後に形成されたASIに起源があり、インダスインダス文化集団により先ドラヴィダ語が話されていた、と本論文は推測しています。これは、インダス文化の印章の記号(インダス文字)がドラヴィダ語を表している、との見解と整合的です。また本論文は、先ドラヴィダ語がインダス川流域集団ではなくインド南部および東部起源である可能性も想定しています。この仮説は、インド特有の動植物の先ドラヴィダ語復元の研究と整合的です。

 ヨーロッパとアジア南部は、農耕開始前後にアジア南西部起源の集団が流入した後、銅器時代~青銅器時代にかけて、ユーラシア中央草原地帯起源の牧畜民が流入してきて遺伝的影響を受けたという点で、よく類似しています。しかし、更新世から存在したと考えられる狩猟採集民系統の比率が、アジア南部ではAASIとして最大60%程度になるのに対して、ヨーロッパではヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)として最大で30%程度です。これは、ヨーロッパよりも強力な生態系もしくは文化の障壁がアジア南部に存在したからだろう、と本論文は推測しています。

 これと関連して、草原地帯牧畜民系統の到来がアジア南部ではヨーロッパよりも500~1000年遅くて、その影響がアジア南部ではヨーロッパよりも低く、Y染色体に限定しても同様である、ということも両者の違いです。本論文は、この状況はヨーロッパ地中海地域と類似している、と指摘します。ヨーロッパでも地中海地域は、北部および中央部よりも草原地帯系統の比率はかなり低く、古典期には多くの非インド・ヨーロッパ語族系言語がまだ存在していました。一方、アジア南部では非インド・ヨーロッパ語族系言語が今でも高い比率で使用されています。これは、やや寒冷な地域が起源の牧畜民集団にとって、より温暖な地域への拡散は難易度が高かったことを反映しているのかもしれません。


 もう一方の研究(Shinde et al., 2019)はオンライン版での先行公開となります。インダス文化の遺跡では何百人もの骨格が発見されていますが、暑い気候のためDNA解析は困難です。しかし近年、内耳の錐体骨に大量のDNAが含まれていると明らかになり、熱帯~亜熱帯気候の地域でも古代DNA研究が進んでいます。本論文(セル論文)は、インダス文化最大級の都市となるラーキーガリー(Rakhigarhi)遺跡で発見された、多数の錐体骨を含む61人の遺骸からDNA抽出を試み、そのうち有望とみなされた1個体(I6113)から、31760ヶ所の一塩基多型データを得ることに成功しました。I6113は性染色体の配列比較から女性と推定され、mtHg-U2b2と分類されました。このハプログループは、アジア中央部の古代人では現時点で確認されていません。

 I6113は、上述のサイエンス論文で云うところの、インダス川流域集団に位置づけられ、アジア南部現代人集団の変異内には収まりません。つまり、I6113もアナトリア農耕民関連系統を有していないわけです。I6113は、イランのザグロス山脈西部遊牧民とアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)との混合としてモデル化されます。つまり、イラン系統と更新世からアジア南部に存在した系統の混合というわけです。上述のように、サイエンス論文では紀元前2500~紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300~紀元前2000年頃のイラン東部遺跡の外れ値となる11人はインダス文化集団からの移民との見解が提示されており、本論文(セル論文)でその具体的証拠が得られたことになります。インダス文化期のラーキーガリー遺跡ではI6113のような遺伝的構成が一般的だっただろう、と本論文は推測しています。

 本論文は、サイエンス論文の外れ値となる11人とラーキーガリー遺跡のI6113を合わせてインダス文化集団と把握しています。I6113には草原地帯系統が見られず、イラン系統が87%と大半を占めます。このインダス文化集団におけるイラン系統は、イラン系統が狩猟採集民系統と牧畜民系統に分岐する前に分岐した系統と推定されています。その推定年代は紀元前10000年よりもさかのぼり、イラン高原における農耕・牧畜の開始前となります。これは、インダス文化集団におけるイラン系統が、農耕開始前にアジア南部に到来したことを示唆します。紀元前7000年以後、イラン高原ではアナトリア農耕民関連系統が増加し、サイエンス論文で示されているように、西部ではアナトリア農耕民関連系統の比率が59%と高く、東部では30%と低い勾配を示します。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図3を掲載します。
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 本論文はこれらの知見から、アジア南部ではヨーロッパと同様に、最初に農耕の始まった肥沃な三日月地帯からの直接的な移住により農耕が始まったわけではない、と指摘します。ヨーロッパの場合は、アナトリア半島東部の狩猟採集民が外部からの大規模な移住なしに農耕を始め(関連記事)、その後でヨーロッパに拡散していきました。アジア南部の場合は、まだ特定されていない地域の狩猟採集民が、外部からの大規模な移住なしに農耕を始めたのだろう、と本論文は推測しています。ただ本論文は、アジア南部内で初期農耕民による大規模な拡大が起き、農耕の拡大とともに集団置換が起きた可能性も想定しています。そのような事象が起きたのか否かは、本論文が指摘するように、農耕開始前後の古代DNA研究で明らかになるでしょう。

 インダス文化集団は、アナトリア農耕民関連系統を有さず、イラン高原の古代の農耕民系統とは異なるイラン系統を有するため、アナトリア半島からアジア南部へ初期農耕民がインド・ヨーロッパ語族をもたらしたとする仮説と整合的ではない、と本論文は指摘します。本論文はサイエンス論文と同様に、アジア南部にインド・ヨーロッパ語族をもたらしたのは紀元前二千年紀に到来した草原地帯牧畜民系統集団だろう、と推測します。本論文は、I6113に代表されるインダス文化集団がインダス文化全体の遺伝的構成に共通している可能性を主張しつつも、まだ標本が少なく、今後広範囲で標本数を蓄積していき、定量的に分析していく必要がある、と指摘しています。サイエンス論文とセル論文の著者の一人でもあるパターソン(Nick Patterson)氏は、インダス文化集団は遺伝的にたいへん多様だっただろう、と推測しています。


参考文献:
Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487

Shinde V. et al.(2019): An Ancient Harappan Genome Lacks Ancestry from Steppe Pastoralists or Iranian Farmers. Cell, 179, 3, 729–735.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.048

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第34回「226」

 1936年2月26日、二・二六事件が起きます。弟子の小松とともに東京に行こうとしていた金栗四三は、東京が大混乱しているため上京を断念します。田畑政治のいる朝日新聞社もクーデタ部隊に襲撃され、田畑は兵士に抵抗して負傷します。田畑は、恩人の高橋是清も殺害されたことに衝撃を受け、こんな非常時にも東京に夏季オリンピック大会を誘致しようとする嘉納治五郎に苛立ちますが、オリンピックを開催したいという気持ちは変わりませんでした。嘉納の本気を見た田畑は、東京へのオリンピック招致に尽力する決意を固め、IOC(国際オリンピック委員会)のラトゥール会長の接待を任されます。ラトゥール会長は、嘉納や杉村陽太郎が率直に謝罪し、国民の間でオリンピックが浸透していることに感銘を受け、東京招致に同意します。

 今回は二・二六事件が描かれたのに、高橋是清は回想でしか登場しませんでした。演者の萩原健一氏が今年(2019年)3月に亡くなりましたが(関連記事)、「主な出演シーンはすでに収録を終えられていました」とのことですから(関連記事)、二・二六事件の収録は予定されていたものの、収録前に亡くなったのでしょうか。萩原氏の本作での登場時間は短かったのですが、存在感を示したと思います。改めて、萩原氏が68歳で亡くなったことは残念だと思ったものです。今回は四三の場面がわりと長く描かれました。すでに田畑が主人公となって10回目ですが、今後も四三の出番はそれなりにありそうです。

ネアンデルタール人よりも現生人類の方と類似しているデニソワ人の指

 デニソワ人(Denisovan)の手の小指に関する研究(Bennett et al., 2019)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事(Callaway., 2019B)が掲載されています。デニソワ人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、現生人類(Homo sapiens)ともネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とも異なる後期ホモ属の分類群で、種区分は未定です(関連記事)。デニソワ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)は3個体分解析されており、デニソワ人系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統との分岐は141万~72万年前頃と推定されています(関連記事)。一方、核DNAの解析では、デニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類系統との分岐が63万~52万年前頃、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統の分岐が44万~39万年前頃と推定されています(関連記事)。もっとも、この推定年代には幅があり、もっと古い年代を提示している見解もあります(関連記事)。

 mtDNAと核DNAとで、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類の系統関係は異なっているのですが、これに関しては、ネアンデルタール人のmtDNAは「デニソワ人型」だったのが、ある時点で現生人類系統とより近縁な系統のものに置換された、との見解も提示されています(関連記事)。デニソワ洞窟で発見されたデニソワ3(Denisova 3)はデニソワ人と分類され、高品質なゲノム配列が得られていますが、ネアンデルタール人との10万年前頃の交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。じっさい、デニソワ人とネアンデルタール人の交雑第一世代個体が確認されており(関連記事)、デニソワ人とネアンデルタール人の間の遺伝子流動が稀ではなかったことを示唆しています。以下は、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類の系統関係を示した本論文の図1です。
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 mtDNAの解析されているデニソワ人個体は全てデニソワ洞窟で発見されていますが、その遺伝的多様性はイベリア半島からコーカサスのネアンデルタール人よりも高い、と明らかになっています(関連記事)。デニソワ人は、少なくとも2系統以上存在し、デニソワ人の遺伝的影響の高いメラネシア系現代人の祖先系統が交雑したのは、デニソワ3の系統とは異なる系統だった、と推定されています(関連記事)。こうした遺伝学的知見から、デニソワ人はアジアに広範囲に存在していた、と推測されています。

 しかし、デニソワ人の形態学的情報は少なく、デニソワ洞窟の3本の歯と、チベット高原東部に位置する中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された右側半分の下顎骨くらいです(関連記事)。夏河下顎骨は中国の中期更新世のホモ属との形態学的類似性が指摘されています。また、夏河下顎骨には、ネアンデルタール人特有の派生的特徴のいくつかが欠けている一方で、ネアンデルタール人的特徴も見られます。このように、乏しいデニソワ人遺骸は現時点では、中期更新世ホモ属、とくに中国の遺骸との類似性を示し、それより程度は劣るものの、ネアンデルタール人との類似性も示します。デニソワ洞窟のデニソワ人の永久歯の大臼歯は複雑な咬合形態を示し、遺伝学で推定されているデニソワ人と未知の古代型人類との交雑(関連記事)からも、古代型人類から継承した可能性は否定できません。

 本論文は、手の小指の骨であるデニソワ3の形態を報告します。この指骨は2009年に切断されてより小さな近位部とより大きな遠位部に二分されましたが、切断前の写真は失われてしまいました。この指骨のより小さな近位部分はドイツの研究機関に、より大きな遠位部はアメリカ合衆国の研究機関に送られました。遠位部は現在行方不明ですが、写真撮影され、mtDNAが解析されていました。本論文は、まず遠位部のmtDNAの全配列を近位部のそれと比較し、ともに同一個体のデニソワ3のものと確証しました。本論文は次に、画像データから二分される前のデニソワ3を復元し、分析しました。

 デニソワ3は、以前には骨端癒合の始まる前の未成熟な状態の6~7歳の女児のものと推定されていました。しかし、本論文の分析では、成熟間近の状態と評価されます。本論文は、デニソワ3を13歳半くらいの思春期個体と推定しています。デニソワ3の小指は、ネアンデルタール人、更新世の現生人類、フランスとベルギーの新石器時代から中世の現生人類と比較されました。近位部の幅を除いて、デニソワ3は現生人類の変異内に収まりますが、ネアンデルタール人は現生人類の変異内に収まりません。

 ネアンデルタール人の小指は現生人類とは大きく異なる、と考えられてきました。これは、ネアンデルタール人の寒冷適応というよりは、機能的適応と関連している、と推測されています。上述のように、デニソワ人は遺伝的に現生人類よりもネアンデルタール人の方と近縁にも関わらず、その小指はネアンデルタール人の特徴を示さず、ほぼ現生人類の変異内に収まります。ホモ・ハビリス(Homo habilis)の正基準標本(OH 7)やジョージア(グルジア)の初期ホモ属であるドマニシ(Dmanisi)集団との比較から、デニソワ3の小指の形態は祖先的特徴を表している可能性が高そうです。ネアンデルタール人特有の手の指の特徴は、ネアンデルタール人系統がデニソワ人系統と分岐した後に進化しただろう、というわけです。

 ネアンデルタール人の小指で、現生人類の変異内の真中に位置する唯一の標本はフランスのムラゲルシー(Moula-Guercy)遺跡で発見されており、その年代は10万年前頃と推定されています。これは、ネアンデルタール人特有の手の指の派生的特徴が、ネアンデルタール人の進化史でもかなり遅い時期に進化したことを示唆します。デニソワ人において、手の指の形態が現生人類と類似していることは、その臼歯の形態が中期~後期更新世の古代型ホモ属と類似しており、現生人類とは異なることと対照的です。今後、形態学的にデニソワ人を識別するさいには、部分的にネアンデルタール人よりも現生人類と類似している可能性があることを考慮しなければならない、と本論文は注意を喚起しています。

 種系統樹と遺伝子系統樹が一致しないことは、たとえばゴリラ・チンパンジー・ヒトのように、分岐してから(進化史の基準では)さほど時間の経過していない種の間では珍しくないので(関連記事)、本論文の見解はとくに驚くべきではないように思います。しかし、それを実証することには大きな意義があり、とくにデニソワ人は形態学的情報が遺伝学的情報と比較してきわめて少ないため、本論文の成果はたいへん貴重であり、注目すべきだと思います。やはり、部分的な身体部位から種を分類したり系統関係を推定したりすることはなかなか難しく、ゲノム解析の威力を改めて思い知らされますが、ゲノム解析の可能な遺骸は限られているので、今後も人類進化の理解において形態学的研究がきわめて重要であることは変わらないでしょう。


参考文献:
Bennett EA. et al.(2019): Morphology of the Denisovan phalanx closer to modern humans than to Neanderthals. Science Advances, 5, 9, eaaw3950.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw3950

Callaway E.(2019B): Lost Denisovan bone reveals surprisingly human-like finger. Nature, 573, 7773, 175–176.
https://doi.org/10.1038/d41586-019-02647-9

古澤拓郎『ホモ・サピエンスの15万年 連続体の人類生態史』

 『叢書・知を究める』の一冊として(15)、ミネルヴァ書房より2019年4月に刊行されました。表題にあるように、本書は基本的に現生人類(Homo sapiens)のみを対象としています。本書の基調は、現生人類(人間)を「連続体(スペクトラム)」として把握することです。肌の色は何らかの能力と連動しているわけではなく、メラネシアの比較的狭い範囲でも遺伝的相違は大きく、人種区分は何の役にも立たないし、人間の性は連続的に変化するものだ、と本書は指摘します。本書は、人間を表す言葉として、区別を前提とする多様性よりも連続体の方がふさわしい、と主張します。

 本書のこうした見解は、いかにも現代の「先進諸国」の学術における主流を表している、と思います。本書の枠組みから外れた認識を表明するようなら、先進諸国の学界やマスメディアなど「リベラル」が主流の分野では異端視されることでしょう。その意味で本書は、「先進諸国」の主流・支配層でいるための、人類学的見地からの指南書にもなっているように思います。現代世界において、マスメディアなど「先進諸国」の影響力の強い分野の世界観・知的規範、つまり「リベラル」的価値観というか「正統派的学説」の一端を把握するのに、本書は有益だと思います。

 とはいっても、本書が偏向しすぎていると主張したいわけではありません。先住民は環境保護的といった素朴な観念について、そのように単純化できる問題ではないと指摘していることや、人間が介入することで自然がより豊かになることの解説など、私のような「アンチリベラル」側がつい押しつけてしまいがちな「リベラル」像とは異なる見解を、本書は提示しています。その意味で、生業や病気の解説など、本書には勉強なるところが多々あります。人口増加にも関わらずまだ食料不足が深刻になっていない理由として、人口が急増した地域では伝統的に肉食志向が弱く、穀類の消費が抑制されたからだ、といった指摘などは面白いと思います。

 ただ、人間の性を連続体と認識する主張にはやはり問題があると思います(関連記事)。人間の性的発達の最終結果の99.98%以上は明らかに男女です。性は過度に単純化されている、との指摘は誤解を招くものです。中間的な性は、性別が曖昧で、なおかつ(または)性的な遺伝子型と表現型が一致していない、ということであり、第三の性ではありません。性は連続体との主張も誤解を招きます。連続体とは連続的分布を意味するからです。人々を形態や遺伝子に基づいて性別に分類することに偏りがあるわけではありません。

 人種に関しても、通俗的な黒人・白人・黄人(黄色人種)という人種区分に大きな問題があり、それが多分に社会的構成概念としても、人口集団はそうではなく、人種は入れ子的な遺伝的構造の低解像度の描写です(関連記事)。人口集団間において実質的な遺伝学的差異があるのに、「正統派的学説」の立場から、それを無視したり、研究を抑制したりするようなことが続けば、集団間の実質的な遺伝学的差異の確たる証拠を提示された時に右往左往して対処できなくなるし、また抑圧により生じた空白を似非科学が埋めることになり、かえって悪い結果を招来するだろう、との懸念は妥当だと思います(関連記事)。人間の集団区分をより妥当なものとし、集団間の相違を提示しつつも、それに基づく差別は許されない、と明確に発信することの方が、人種区分は無意味と言ってすませることよりもずっと必要ではないか、と思います。

 まあ、主流派から見ると、こうした私の疑問は不勉強と偏見に起因する差別意識に他ならないのでしょうが。現代日本社会の「リベラル」派からは、私は「ネトウヨ」に他ならないと見えるでしょうし、「魂が悪い」などと罵倒されそうです。なお、私の「ネトウヨ」的価値観とは無関係(だと思います)なところで本書の問題点を挙げると、まずは精子にミトコンドリアは含まれないとの記述です(P61)。精子にもミトコンドリアはあり、受精後に分解されると思います。また、エピジェネティクスがラマルク説の原理をある程度指し示すことになった、と本書は評価していますが(P94)、エピジェネティクスとラマルク説は似て非なるものどころか、そもそも似ていると言えるのかさえ、疑問です。まあ、私のエピジェネティクスの理解は不足しているので、本書の見解を断定的に否定できるわけではありませんが。


参考文献:
古澤拓郎(2019)『ホモ・サピエンスの15万年 連続体の人類生態史』(ミネルヴァ書房)

北海道で発見されたハドロサウルスの新種

 北海道で発見されたハドロサウルスの新種に関する研究(Kobayashi et al., 2019)が公表されました。ハドロサウルスは白亜紀後期(1億50万年前~6600万年前頃)の恐竜の中で最も繁栄した一群に分類され、その化石が、南北アメリカ大陸やユーラシアや南極で発見されています。この研究は、北海道の函淵(はこぶち)層の海洋堆積物で発見されたハドロサウルス科恐竜を新属新種(Kamuysaurus japonicus)に分類しました。海洋の影響を受けた環境でハドロサウルスの化石が発見されることは稀で、この発見は、こうした環境におけるハドロサウルスの多様性の理解に寄与する、と指摘されています。

 この化石標本は、全長約8メートルで、中型のハドロサウルス科恐竜の成体とされ、年代測定によって7200万年前のものである、と明らかになりました。この研究は、頭骨上に小さな稜があること、一列に短く並んだ神経棘が前方に傾いていることなどの固有の特徴を報告しています。この新種恐竜は、中国のLaiyangosaurus、ロシアのKerberosaurusなどの極東のハドロサウルスに近縁なことも示唆されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】日本で発見されたハドロサウルスの新種が恐竜の多様性解明を進める

 白亜紀後期(1億50万年前~6600万年前)のハドロサウルス科恐竜の新種が発見されたことを報告する論文が、今週掲載される。この恐竜の化石は、日本で発見されたもので、極東におけるハドロサウルスの多様性と白亜紀後期のハドロサウルス科恐竜の進化についての理解を深めるものになっている。

 ハドロサウルスは白亜紀後期の恐竜の中で最も繁栄した一群に分類され、その化石が、北米、南米、アジア、ヨーロッパ、南極で見つかっている。

 今回、小林 快次(こばやし・よしつぐ)たちの研究グループは、北海道の函淵(はこぶち)層の海洋堆積物からハドロサウルス科恐竜の新属新種の化石を発見し、この恐竜をKamuysaurus japonicusと命名した。海洋の影響を受けた環境でハドロサウルスの化石が発見されることはまれで、今回の発見は、こうした環境におけるハドロサウルスの多様性の理解に寄与すると小林たちは考えている。

 この化石標本は、全長約8メートルで、中型のハドロサウルス科恐竜の成体とされ、年代測定によって7200万年前のものであることが判明した。小林たちは、頭骨上に小さな稜があること、一列に短く並んだ神経棘が前方に傾いていることなどの固有の特徴を報告している。この化石標本の分析からは、K. japonicusが、中国のLaiyangosaurus、ロシアのKerberosaurusなどの極東のハドロサウルスに近縁なことも示唆されている。



参考文献:
Kobayashi Y. et al.(2019): A New Hadrosaurine (Dinosauria: Hadrosauridae) from the Marine Deposits of the Late Cretaceous Hakobuchi Formation, Yezo Group, Japan. Scientific Reports, 9, 12389.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-48607-1

『卑弥呼』第24話「交渉」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年9月20日号掲載分の感想です。前回は、トメ将軍を陥れるような噂を流すよう、ヤノハがアカメに指示した場面で終了しました。今回は、暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)で、戦部(イクサベ)の師長であるククリが、山社(ヤマト)の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズと副長のウズメを見送る場面から始まります。暈軍と那軍が対峙する前線の伺見(ウカガミ、間者)から、那軍が大河(筑後川と思われます)を渡り、那軍のトメ将軍は鞠智(ククチ)の里へ向かわず、山社に向かった、と報告を受けていたククリは、護衛を断るイスズに、今山社に向かうのは危険だ、と警告します。それでもイスズは、ウズメとともに山社へと急ぎます。

 山社では、クラトが焚火の用意をしていました。クラトを信じてよいのか、とヤノハに問われたミマアキは、誰よりも忠実な戦人だ、と答えます。ヤノハはミマアキに、夜明け前にイスズとウズメの魂を根の国に吸いとった「地の鏡」2枚を火にくべるよう、命じます。ヤノハは養母から、熱した直後の鏡は簡単に砕ける、と教えられていました。銅鏡を粉々にすれば黄泉の国への道は閉ざされ、イスズとウズメは助かる、というわけです。ヤノハはイスズとウズメを相手に天照の儀式を見せた時、同じように火を焚きましたが、それはイスズとウズメに助かる機会を与えるためでした。人生最大の勝負に臨んでいたのに、相手にも勝機を与えるとは、ヤノハにとって全ては遊戯なのだ、とミマアキは感心します。イスズとウズメは山社に帰ってこられるだろうか、とミマアキに問われたヤノハは、イスズとウズメの帰還とともに山社は勝利するはず、と答えます。その頃、イスズとウズメは山社の近くにまで戻っていました。日見子(ヤノハ)の意向通りヒルメを追放したものの、それで我々の魂を黄泉の国から戻してくれるのか、ウズメは心配していました。イスズは、日見子は冷徹なので、疑いを抱いた我々を許してくれるはずはないが、真の日見子にただ従うのが祈祷女の務めだ、とイスズはウズメを諭します。

 山社に迫った暈軍では、トメ将軍率いる那軍が背後に迫っていると報告を受けたタケル王が、不安げな表情でテヅチ将軍に自軍の勝算を尋ねていました。山社は高台なので我軍は有利とテヅチ将軍が返答すると、山社を落とすと同時に那軍を滅ぼせるな、とタケル王は安堵し、日見彦(ヒミヒコ)たる自分に負けはないと言っただろう、と勝ち誇ったような表情を浮かべます。今回、人物相関図が掲載されており、タケル王は「わがままで幼稚な性格の人物」とありますが、その通りだな、と笑ってしまいました。能天気なタケル王に対してテヅチ将軍は、我軍が有利なのは那軍が単独で攻めてきた場合で、我軍と那軍の交戦中に山社の軍が那軍に呼応して討って出れば、形勢は逆転する、と警告します。慌てたタケル王は、鞠智の里と以夫須岐(イブスキ)に援軍を要請するよう指示しますが、時間がない、とテヅチ将軍は言い、山社の出入りを完全に封じれば、ミマト将軍に那軍追撃の情報は届かないはずだ、とタケル王を安心させます。そこへ、山社に戻ろうとしたイスズとウズメを捕らえた、との報告がテヅチ将軍に届きます。

 ヤノハが熱した銅鏡を割っているところに、暈軍のテヅチ将軍より和議の申し出があった、とイクメが報告します。テヅチ将軍は、捕らえたイスズとウズメを斬首されたくなければ、タケル王と暈軍の無血入城を即刻認めよ、と要求してきました。イクメの弟のミマアキは、即刻拒否すべきと考えますが、ヤノハはミマアキを使者として派遣し、ミマアキは捕らえられて死を覚悟しているイスズとウズメに、割れた銅鏡を見せた後、テヅチ将軍に、日見子(ヤノハ)の返答を伝えます。それは、タケル王と暈軍の山社入場を認めるものの、武器全てを放棄するのが条件になる、というものでした。テヅチ将軍は一蹴しますが、門の上に立っている山社のミマト将軍は、半日で那軍が到来し、暈軍の背後を突く、我々の要求を呑まねば、その時我々は那軍に呼応して出撃する、と伝えます。那軍のトメ将軍の動向を山社が把握していることに衝撃を受けたテヅチ将軍に、日見子様は千里眼なのだ、とミマアキは言います。イスズとウズメが、日見子(ヤノハ)は我々を見捨てなかった、と希望を見出しているところで、今回は終了です。


 今回は、山社に攻め込もうとする暈軍とヤノハとの駆け引きが描かれました。ヤノハが銅鏡を割ったのは、山社「独立」後の統治に必要だろうイスズとウズメの完全な忠誠を得ようとするためでしょうか。那軍の動向といい、ここまではヤノハの思惑通り事態が進んでおり、日見彦たる暈のタケル王は窮地に立っています。そんな中でも、テヅチ将軍の発言に一喜一憂し、急に弱気になったり強気になったりするタケル王は、『天智と天武~新説・日本書紀~』の中大兄皇子(天智帝)から、美貌と能力と胆力を低下させたような感じで、小物としてキャラが立っているように思います。

 ヤノハがこの事態をどう収拾しようとしているのか、まだ全貌が見えてこないのですが、ヤノハが表明した方針から推測すると、タケル王には日見彦の地位を降りてもらうものの、暈の王としての地位は引き続き認める、と考えているのでしょうか。ただ、能力と人望は低いものの、権力への執着は強く、「わがままで幼稚な性格の人物」であるタケル王が、日見彦の地位から降りることを承認するようには思えません。とはいっても、タケル王の失態と手詰まりは明らかですから、タケル王が日見子の地位を保てるとは思えません。

 ただ、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、今後も卑弥弓呼(日見彦)と卑弥呼(日見子)が対立を続ける、と予想されます。そうすると、以夫須岐にいるタケル王の父親であるイサオ王がタケル王を追放し、別人を日見彦として擁立するのでしょうか。ここまで、ヤノハの思惑通り事態が進行しているように思えますが、暈の鞠智彦(ククチヒコ)とイサオ王は一筋縄ではいかない人物なので、今後ヤノハが再度苦境に立たされる場面もあるでしょう。ヤノハの弟のチカラオも近いうちに登場しそうですし、今後がひじょうに楽しみです。

異なる気候下におけるシロイヌナズナのゲノム選択

 異なる気候下におけるシロイヌナズナのゲノム選択に関する研究(Exposito-Alonso et al., 2019)が公表されました。気候変動は、生物個体群にたいして、変化して適応するか、絶滅に直面するか、いずれかを強いる自然選択の要因となります。しかし、気候変動に伴う生物多様性のリスクについての現在の評価では通常、自然選択による各個体群への影響がそれらの遺伝的構成に応じてどのように異なるのか、考慮されていません。この研究は、シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)について入手可能な広範なゲノム情報を利用し、スペインとドイツで栽培した517のシロイヌナズナ自然系統の適応度が、降雨量の操作によってどのような影響を受けるのか、測定しました。これにより、ゲノム全体に働く選択の直接推測が可能になりました。

 その結果、自然選択がとくに強く働いていたのはスペインの高温乾燥地域で、そこでは系統の63%が死滅し、ゲノム規模の全多様体の約5%で自然選択による頻度の著しい変化が見られました。気候に駆動されるこうした多様体の自然選択の大部分は、実験場所により似た気候を有する地理的領域で見つかった遺伝的多様体が正の選択を受けていたことから、局所適応の特徴により予測可能でした。これらの予測はシロイヌナズナの分布域全域にわたり野外実験によって裏づけられ、こうした予測からは、この種の環境限界の辺縁に位置する地中海とシベリア西部の個体群が現在、気候に駆動されるものとして最も強い選択を受けている、と示されました。ヨーロッパでは旱魃の頻度や気温が上昇していることから、方向性のある自然選択はヨーロッパの南端から北へと移動するにつれて強まり、結果として多くのシロイヌナズナ在来個体群が進化のリスクにさらされる、とこの研究は予測しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


生態遺伝学:現在および将来の気候においてシロイヌナズナのゲノムが受ける自然選択

生態遺伝学:異なる気候でシロイヌナズナのゲノムが受ける選択

 D Weigelたちは今回、スペインとドイツの2つの野外研究施設で、517のシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)系統を用いて異なる気候をシミュレートする実験を行った。そして、得られたデータセットを解析することで、ゲノム規模での自然選択のパターンや、そうした選択の環境の違いとの相関を調べた。著者たちはまた、シロイヌナズナのゲノムが受ける環境に関連した選択のシミュレーションを行い、こうした手法が、植物ゲノムが受ける気候変動に駆動される選択を予測するための原理証明方法となると提案している。



参考文献:
Exposito-Alonso M. et al.(2019): Natural selection on the Arabidopsis thaliana genome in present and future climates. Nature, 573, 7772, 126–129.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1520-9

気候変動に関連しているヨーロッパの洪水パターン

 ヨーロッパの洪水パターンと気候変動との関連を報告した研究(Blöschl et al., 2019)が公表されました。河川による洪水は大きな犠牲を伴う自然災害で、それに伴う年間損失額は約11兆4400億円と推定されており、持続的な経済成長と都市化によってますます増えると予想されています。大気が暖かいほど保水能力が大きくなることに起因して、気候変動により河川洪水が増加するのではないか、というわけです。しかし、降水量には地域差が生じると予想され、既存の研究では空間的な範囲と水文観測所の数が限られていたため、洪水パターンに関する大規模な観測データがなく、河川による洪水に対する気候変動の影響を決定することは困難でした。この研究は、1960~2010年に3738ヶ所の水文観測所から発表されたヨーロッパの河川流量観測のデータセットを分析し、洪水を引き起こす主たる要因(最大降水量・土壌水分レベル・気温)の変化を評価しました。

 その結果、ヨーロッパ北西部では秋季と冬季の降水量の増加によって洪水が増加し、ヨーロッパ南部の中規模および大規模な集水域では降水量の減少と蒸発量の増加によって洪水が減少し、ヨーロッパ東部では気温の上昇に起因する積雪と融雪の減少によって洪水が減少している、と示唆されました。ヨーロッパの地域的な洪水流量の傾向は、10年当たり約11%の増加から23%の減少まで幅があります。これらの知見は、今後100年の気候モデルの予測とほぼ一致しており、洪水管理戦略を設計するさいに気候変動の影響を考慮に入れる必要があることを示している、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境科学】ヨーロッパの洪水パターンは気候変動に関連している

 ヨーロッパにおける河川による洪水に明白な地域差が存在していることが、気候変動の地域的パターンと関連しているという見解を示した論文が、今週に掲載される。ヨーロッパで洪水の増えている地域と減っている地域がある理由を大陸規模で分析したのが今回の研究だ。

 河川による洪水は、大きな犠牲を伴う自然災害で、それに伴う年間損失額が1040億米ドル(約11兆4400億円)と推定されており、持続的な経済成長と都市化によってますます増えることが予想されている。降水量に地域差が生じることが予想され、洪水パターンに関する大規模な観測データがないため、河川による洪水に対する気候変動の影響を決定することは難しかった。

 今回、Gunter Bloschlたちの研究グループは、1960~2010年に3738か所の水文観測所から発表されたヨーロッパの河川流量観測のデータセットを分析し、洪水を引き起こす主たる要因(最大降水量、土壌水分レベル、気温)の変化を評価した。その結果、ヨーロッパには、10年間に洪水が11%以上増加した地域がある一方で、23%減少した地域があることがわかった。北西ヨーロッパで洪水の規模が増大しており、その理由は、極値降水量と土壌水分の増加にあるとBloschlたちは考えている。また、南ヨーロッパでは洪水の傾向が弱まっており、それが冬季降雨量の減少による可能性があることをBloschlたちは明らかにしている。

 以上の結果は、洪水管理戦略を設計する際に気候変動の影響を考慮に入れる必要があることを示しているとBloschlたちは結論付けている。



参考文献:
Blöschl G. et al.(2019): Changing climate both increases and decreases European river floods. Nature, 573, 7772, 108–111.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1495-6

節足動物の眼の進化

 節足動物の眼の進化に関する研究(Lindgren et al., 2019)が公表されました。昆虫や甲殻類などの節足動物に見られる複眼は、動物界で最も一般的な視覚器です。複眼の進化は遅くとも5億2000万年前頃までさかのぼり、初期の複眼の例を研究することで、節足動物の眼の視覚能力に関する手掛かりが得られるかもしれません。しかし、化石生成論的過程や続成過程の結果として起こる構造の変化や化学的変化により本来の特徴が変化して、現生種との比較が必要となる場合もあります。

 この研究は、デンマークで発見された5400万年前頃のガガンボの眼の化石の組成と微小解剖を分析し、現生種のガガンボの眼と比較して、化石生成過程で複眼がどのように変化したのかを調べました。その結果、保存状態が良好な古代のガガンボの視覚器官は、石灰化した複数の角膜レンズから構成され、それらはユーメラニン色素を含む側壁によって隔てられていた、と明らかになりました。一方、現生のガガンボの個眼隔壁にユーメラニンが存在することも確認されました。これらの個眼隔壁では、ユーメラニンが複眼中の個眼の最も外側に色素壁を形成し、これがキチン質の角膜を包含しています。ユーメラニンは、光受容体を光から保護する遮蔽体として機能している可能性があります。

 この研究は、ガガンボの眼の化石には水晶体構造が石灰化した徴候が見られるので、これは、眼を保護し、視覚に関与するキチン質の組織が石灰化したものだろう、との見解を提示しています。一部の絶滅した節足動物において、この石灰化が生きている間に起こっていた可能性が先行研究で示唆されていますが、この研究は、そのような鉱化作用があれば、視力障害が生じた可能性があり、むしろ、カルシウムの沈着は化石の保存過程で生じたアーティファクトだろう、との見解を提示しています。

 これらの知見により、最古の節足動物群の1つである三葉虫の石灰化した眼に関して、長年の仮説を再考する必要があるかもしれない、と指摘されています。三葉虫の眼は機械的強度のために部分的に鉱化していた可能性もあるものの、より蓋然性が高いのは有機質の組成だったことで、もしそうならば、屈折率分布型の視覚およびレンズ形状の高度な制御によって機能がより強化されていた、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【進化】眼の化石に新たな見方

 節足動物に光を遮蔽するメラニン色素があったことを示す最も古い記録が、5400万年前のガガンボの眼の化石から得られた。この発見について報告する論文が、今週掲載される。この眼の化石のさらなる分析では、ガガンボの眼の構造が化石生成過程でどのように変化したのかも明らかになった。この新たな知見で、他の化石化した節足動物(三葉虫など)の眼の構造に関するこれまでの解釈を見直す必要が生じる可能性がある。

 昆虫や甲殻類などの節足動物に見られる複眼は、動物界で最も一般的な視覚器だ。複眼の進化の歴史は、少なくとも5億2000万年前にさかのぼり、初期の複眼の例を研究することで、節足動物の眼の視覚能力に関する手掛かりが得られる可能性がある。

 今回、Johan Lindgrenたちのグループは、デンマークで見つかった5400万年前のガガンボの眼の化石の組成と微小解剖を研究し、現生種のガガンボの眼と比較して、化石生成過程で複眼がどのように変化したのかを調べた。その結果、化石標本と現生種の標本のいずれからもユーメラニン色素の証拠が観察された。この色素は、光受容体を光から保護する遮蔽体として機能している可能性がある。

 ガガンボの眼の化石には、水晶体構造が石灰化した徴候が見られ、Lindgrenたちは、眼を保護し、視覚に関与するキチン質の組織が石灰化したものとする見方を示している。一部の絶滅した節足動物において、この石灰化が生きている間に起こっていた可能性が先行研究で示唆されているが、Lindgrenたちは、そのような鉱化作用があれば、視力障害が生じた可能性があり、むしろ、カルシウムの沈着は、化石の保存過程で生じたアーティファクトだとする考えを提唱している。今回の研究で得られた知見により、最古の節足動物群の1つである三葉虫の石灰化した眼に関する長年の仮説を再考する必要があるかもしれない。


古生物学:昆虫化石の眼から明らかになった三葉虫の視覚と節足動物の遮蔽色素

古生物学:太古の眼から得られた新たな視点

 今回J Lindgrenたちは、5400万年前のガガンボの眼の化石によって、節足動物のメラニン遮蔽色素に関する最初の記録が得られるとともに、また別の節足動物である三葉虫の良好に保存された眼の構造についてのこれまでの解釈に疑問が呈されると報告している。化石化したガガンボの眼には構造の二次的石灰化の証拠が見られ、これらの構造は生存中はキチン質であったと考えられる。三葉虫の眼は方解石に富んでいたというのが通説であるが、今回の研究は、生存中の三葉虫の眼に含まれる方解石がはるかに少なかったことを示唆している。



参考文献:
Lindgren J. et al.(2019): Fossil insect eyes shed light on trilobite optics and the arthropod pigment screen. Nature, 572, 7772, 122–125.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1473-z

ヒトとマウスの脳領域の細胞種の比較

 ヒトとマウスの脳領域の細胞種の比較に関する研究(Hodge et al., 2019)が公表されました。ヒト大脳皮質の細胞構造を解明することは、ヒトの認知能力や疾患への感受性を理解する上で重要です。しかし、ヒトの大脳皮質と類縁の哺乳類の大脳皮質を区別するものが何なのかはまだよく分かっておらず、それはこれまでの比較データが裏づけに乏しく、ばらつきのあるものだったからです。たとえば、ヒトの大脳皮質は、マウスの大脳皮質と比べて、面積とニューロン数が1000倍以上で、大脳皮質の基本的な構造は哺乳類種において保存されているようですが、以前の研究では、ヒト大脳皮質の細胞構成が複数の点で異なっている、と指摘されていました。

 この研究は、単一核RNA配列解読法を用いて、ヒト大脳皮質の1領域である中側頭回の細胞タイプを分類しました。この研究では、ニューロン以外の細胞(6種類)、興奮性細胞(24種類)、抑制性細胞(45種類)の合計75種類の細胞タイプが特定されました。次に、この研究は、マウスの単一細胞RNA塩基配列データセットを用いて、ヒトとマウスの大脳皮質を比較し、ヒトについて特定された細胞タイプの大部分は、マウスにも対応する細胞タイプが存在する、と明らかにしました。

 一方、この研究は、対応関係にあるヒトとマウスの細胞タイプ間に遺伝子発現レベルの差異があることも見いだしました。たとえば、セロトニン受容体は、ヒトとマウスの間で2番目に大きく異なる遺伝子ファミリーでした。この結果は、セロトニンのシグナル伝達が関係する神経精神疾患のマウスモデルの使用に疑問を投げ掛けるものになった、とこの研究は指摘しています。モデル生物の使用に加えて、ヒトの脳を直接研究することが重要というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


神経科学:ヒトとマウスの脳領域の細胞種を比較する

 ヒト大脳皮質の1つの領域に存在する75種類の異なる細胞タイプを特定した解析についての論文が、今週掲載される。今回の解析研究では、このデータをマウス脳の類似した領域のデータと比較することを通じて、この大脳皮質領域の構造と細胞タイプに類似点がある一方で、広範な相違点のあることも明らかになった。この研究知見は、モデル生物の使用に加えて、ヒトの脳を直接研究することの重要性を強調している。

 ヒトの大脳皮質は、マウスの大脳皮質と比べて、面積とニューロン数が1000倍以上である。大脳皮質の基本的な構造は哺乳類種において保存されているように思われるが、以前の研究では、ヒト大脳皮質の細胞構成が複数の点で異なっていることが指摘されていた。

 今回、Ed Leinたちの研究グループは、単一核RNA配列解読法を用いて、ヒト大脳皮質の1つの領域である中側頭回の細胞タイプを分類した。今回の解析研究では、ニューロン以外の細胞(6種類)、興奮性細胞(24種類)、抑制性細胞(45種類)の合計75種類の細胞タイプが特定された。次に、Leinたちは、マウスの単一細胞RNA塩基配列データセットを用いて、ヒトとマウスの大脳皮質を比較し、ヒトについて特定された細胞タイプの大部分は、マウスにも対応する細胞タイプが存在することを明らかにした。

 一方、Leinたちは、対応関係にあるヒトとマウスの細胞タイプ間に遺伝子発現レベルの差異があることも見いだした。例えば、セロトニン受容体は、ヒトとマウスの間で2番目に大きく異なる遺伝子ファミリーであった。この結果は、セロトニンのシグナル伝達が関係する神経精神疾患のマウスモデルの使用に疑問を投げ掛けるものになったとLeinたちは考えている。


神経科学:ヒトとマウスの皮質における異なる特性を持つ保存された細胞タイプ

神経科学:ヒト大脳皮質細胞タイプの高分解能アトラス

 ヒトの大脳皮質と類縁の哺乳類の大脳皮質を区別するものが何なのかはまだよく分かっていないが、それはこれまでの比較データが裏付けに乏しくばらつきのあるものだったからである。E Leinたちは今回、ヒトの大脳皮質中側頭回の凍結試料を用いて単一核RNA塩基配列解読を行い、ヒト大脳皮質の包括的な遺伝子発現アトラスを作製した。今回のカバー率の深度は、アレン脳科学研究所で最近作られたマウスのアトラスとの高分解能比較を可能にし、その結果、意外なほどよく保存された細胞タイプが明らかになったが、それらの割合や層分布、遺伝子発現、形態に劇的な変化も見られた。これは、脳の機能や疾患の動物モデルから得られた結果を解釈する際には、注意を払う必要があることを強調している。



参考文献:
Hodge RD. et al.(2019): Conserved cell types with divergent features in human versus mouse cortex. Nature, 573, 7772, 61–68.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1506-7

同じアジア人を差別する輩は絶対に許さねえ

 表題の古谷経衡氏の発言がTwitterで注目されているようです。全文を引用すると、

俺は反米右翼の民族保守だ。と同時にアジア主義者だ。同じアジア人を差別する輩は絶対に許さねえ。アジア国家の政権批判は全然良い。だが同じアジア人へのいわれなき差別は絶対に許さん。

となります。差別は誰が相手であろうとよくない、ということくらいは古谷氏も百も承知でしょうから、この点は無視します。私が気になるのは、

日本は西側国家でほぼ唯一、アラブ寄りとみられている(その幻影も崩れつつあるが)。よってアメリカが主導するホルムズ海峡有志連合などには間違っても参加してはならない。イランは日本の友邦であるから、イランを刺激してはならない。断固参加NOというべし。

発言し、イランはアラブではない、と多くの人から指摘されたら、

イランは反イスラエル、湾岸諸国という視点から「広義のアラブ」の含意として文中で使用したことは間違いではないのではないか。

弁明した古谷氏の考える「アジア」とはどこなのか、ということです。イランをアラブの一地域くらいに考えているというか、アラブとイランの区別のつかない人は、現代日本社会においてかなりの割合で存在するのではないか、と思います。名門高校→東大法学部→有名大手企業で現在は管理職という私の知人は、管理職に就任するずっと前ですが、イランもアラブの一地域と考えており、この経歴の人でもその程度の認識なのか、と驚いたことをよく覚えています。現代日本人の多くにとって、やはりイランもアラブも縁遠い地域なのでしょう。

 古谷氏の認識もこの程度ですから、上述の発言における「アジア」とは、最近当ブログで述べたように(関連記事)、おそらくアジア東部を指すのでしょう。具体的な国は、中国と南北朝鮮と日本(と台湾?)です。そもそも、アジアという概念がヨーロッパ発祥で、近代になってさらにヨーロッパ中心的な性格を強めましたから、本来ならば根本的に見直すべきなのでしょう。文化(歴史)的にも遺伝的にも、アジア南西部は日本も含めてアジア東部よりもヨーロッパの方とずっと近縁ですから、たとえばイランを日本と同じ「アジア」に区分し、ヨーロッパと対比させるというような枠組みには無理が大きいと思います。とはいっても、私程度の見識と能力では、適切な代替案が容易に思い浮かぶはずもありませんが。

近親交配と健康への影響

 近親交配と健康への影響に関する研究(Yengo et al., 2019)が公表されました。この研究は、イギリスのバイオバンクに登録された456414人の匿名化データを用いて、親子間のような第一度近親者間と、異父(異母)兄弟姉妹間のような第二度近親者間といった、きょくたんな近親交配の存在状況を推定しました。この推定は、ホモ接合連続領域(ROH;両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)に基づいて行なわれ、これが一定数の健康転帰に関連するかどうか、検討されました。

 この研究は、対象者の中から第一度近親者又は第二度近親者の間に生まれた子であることを示唆する遺伝データの125人を同定しました。また、この研究は、このコホートにおいて、きょくたんな近親交配が、肺機能や視力や認知機能の低下といった健康への悪影響に関連していると明らかにし、以前の研究によって得られた知見の正当性を確認しました。さらに、近親交配によって生まれた子は一般に疾患リスクが高いことも明らかになりました。

 ただ、この研究は、きょくたんな近親交配の事例数が少なく、イギリスのバイオバンクに登録バイアスが働いている可能性が高い(イギリスのバイオバンクの参加者の健康状態と学歴が平均してその他の人々よりも高い)ため、今回のデータの解釈には注意を要する、と指摘しています。この研究は近親交配による適応度低下を改めて示しました。近親交配はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅要因とも言われていますが、ネアンデルタール人にも近親交配を避けるような認知メカニズムが生得的に備わっており、近親交配は気候変動や現生人類(Homo sapiens)との競合による衰退の結果であって、絶滅の究極要因とは言えないように思います(関連記事)。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】近親交配と関連する健康転帰

 近親交配とその健康への影響可能性を分析する研究が行われ、その結果得られた知見を報告する論文が掲載される。

 今回、Loic Yengoたちの研究グループは、英国バイオバンクに登録された45万6414人の匿名化データを用いて、極端な近親交配、つまり第一度近親者間(例:親子間)と第二度近親者間[例:異父(異母)兄弟姉妹間]の交配の存在状況を推定した。この推定は、ホモ接合連続領域(ROH;両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)に基づいて行われ、これが一定数の健康転帰に関連するかどうかの検討も行われた。

 Yengoたちは、研究対象者の中から第一度近親者又は第二度近親者の間に生まれた子であることを示唆する遺伝データを持つ125人を同定した。また、Yengoたちは、このコホートにおいて、極端な近親交配が健康への悪影響(例えば、肺機能や視力、認知機能の低下)に関連していることを明らかにして、以前の研究によって得られた知見の正当性を確認した。さらに、近親交配によって生まれた子は一般に疾患リスクが高いことも明らかになった。

 Yengoたちは、極端な近親交配の事例数が少なく、英国バイオバンクに登録バイアスが働いている可能性が高い(英国バイオバンクの参加者の健康状態と学歴が平均してその他の人々よりも高い)ため、今回の研究のデータの解釈には注意を要することを指摘している。



参考文献:
Yengo L, Wray NR, and Visscher PM.(2019): Extreme inbreeding in a European ancestry sample from the contemporary UK population. Nature Communications, 10, 3719.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11724-6

試験でのパフォーマンス持続性の性差

 試験でのパフォーマンス持続性の性差に関する研究(Balart, and Oosterveen., 2019)が公表されました。この研究は、試験における受験者のパフォーマンスと、それが点数の男女差に及ぼす影響を二つの調査を行ないました。一方の調査では、15歳児の数学・科学・言語読解力のパフォーマンスを評価するために3年ごとに実施される、国際標準化試験「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」のデータが使用されました。2006・2009・2012・2015年に74ヶ国で実施された試験のデータが用いられ、読解力の試験では女子の成績が男子を上回り、数学と科学の試験では男子の成績が女子を上回っていた、と明らかになりました。これは、先行研究によって得られた知見を裏づけています。一方、試験の科目に関わらず、試験でのパフォーマンスの持続性は、女子が男子よりも高い、と明らかになりました。調査対象国の20%以上で、2時間の試験を実施した場合に、数学と科学の試験の点数における男女差が解消されたか、逆転していました。

 もう一方の調査では、さまざまな設問数の数学の試験(441例)における男女の成績のデータセットが用いられました。この調査では、設問数が多くなると試験の点数の男女差が縮まる、という関連性が認められました。STEM(科学・技術・工学・数学)の標準化された尺度は将来の教育とキャリアの選択や機会に影響する可能性があり、これらの知見は、試験でのパフォーマンスの持続性と設問数の多さが、STEM分野で働く女性が比較的少ないことを理解するさいのファクターである、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【教育】女性は男性より試験でのパフォーマンスが持続する

 読解力、数学、科学の試験において、女性は男性よりもパフォーマンスを持続させることができるという研究結果を報告する論文が掲載される。数学の試験では、長い試験(設問数の多い試験)の方が点数の男女差が小さくなるという関連性も認められた。

 今回、Pau BalartとMatthijs Oosterveenは、試験における受験者のパフォーマンスとそれが点数の男女差に及ぼす影響を調査するために2つの研究を行った。第1の研究では、15歳児の数学、科学、言語読解力のパフォーマンスを評価するために3年ごとに実施される国際標準化試験である「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」のデータが使用された。2006、2009、2012、2015年に74か国で実施された試験のデータが用いられ、読解力の試験では女子の成績が男子を上回り、数学と科学の試験では男子の成績が女子を上回っていたことが判明した。これは、先行研究によって得られた知見を裏付けている。一方、試験の科目にかかわらず、試験でのパフォーマンスの持続性は、女子が男子よりも高かった。調査対象国の20%以上で、2時間の試験を実施した場合に、数学と科学の試験の点数における男女差が解消されたか、逆転していた。第2の研究では、さまざまな設問数の数学の試験(441例)における男女の成績のデータセットが用いられた。この研究では、設問数が多くなると試験の点数の男女差が縮まるという関連性が認められた。

 STEM(科学、技術、工学、数学)の標準化された尺度が将来の教育とキャリアの選択や機会に影響する可能性があることを考慮すると、今回の研究で得られた知見は、試験でのパフォーマンスの持続性と設問数の多さが、STEM分野で働く女性が比較的少ないことを理解する際のファクターであることを示唆している。



参考文献:
Balart P, and Oosterveen M.(2019): Females show more sustained performance during test-taking than males. Nature Communications, 10, 3798.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11691-y

日本の多様性

 もう20年近く前(2001年5月24日)になりますが、大山誠一『聖徳太子と日本人』(風媒社、2001年)を取り上げました(前編および後編)。今となっては恥ずかしい限りですが、聖徳太子は架空の人物である、という大山説にたいして、批判的なところもあったとはいえ、当時はおおむね肯定的でした(関連記事)。その後、2008年頃までには大山説にかなり批判的になっており(関連記事)、近年ではおおむね否定的になりました(関連記事)。しかし今でも、「進歩的で良心的な」人が、大山説に肯定的な立場から聖徳太子「架空人物説」を「ネトウヨ」に突き付けている姿がたまに見られ、大山説の影響は根強いのだな、と残念に思います。やはり、地上波のテレビ番組でも取り上げられただけに、大山説は広く認知されているのでしょう。「ネトウヨ」に肯定的な立場から大山説を突き付けるような人は、聖徳太子の「存在を否定」すれば、「ネトウヨ」に精神的打撃を与えられる、とでも考えているのでしょうか。それはさておき、20年近く前も大山説に否定的だった見解の一つが、日本の多様性をめぐる評価です。『聖徳太子と日本人』は、以下のように述べています(P234)。

中国もインドもヨーロッパもアメリカも、確かに広いけれども、日本と比べて単調である。変化を感じない。それに反し、日本の多様性はどうだろう。北陸や東北の日本海側ほど雪が降るところは、地球上にないという。あるかも知れないが、人間が住んでいるところでは、ほかにないという。国境を越えると、もう違った世界ということが、どこでもそうなのだ。この日本の多様さは、まるで地球全体を凝縮したような感じである。

 20年近く前も、「欧州やインドや中国やアメリカは複雑多様な日本と比較して単調であるとの箇所は、正直なところ大山氏ほどの研究者にしては認識不足だと思う(特にインドについては)」と述べたのですが、その見解は今でも変わりません。今年(2019年)刊行された岡本隆司『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(東洋経済新報社)は、日本史研究では日本の多様性が主張されることもあるものの、中国社会と比較すると日本社会はずっと単一的で均質的だ、と評価します(関連記事)。日本の多様性に関しては、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』の方が『聖徳太子と日本人』よりもずっと妥当な見解を提示している、と私は考えています。

アフリカ熱帯雨林の形成を助けている森林のゾウ

 森林のゾウとアフリカ熱帯雨林の形成に関する研究(Berzaghi et al., 2019)が公表されました。森林のゾウは、アフリカ中央部および西部の森林に分布しています。これまでの研究で、大型草食動物は生態系に重大な影響を及ぼし得る、と示されていましたが、ゾウがアフリカ熱帯雨林にどのような影響を及ぼすのか、ほとんど分かっていませんでした。この研究は、ゾウがアフリカ熱帯雨林の構造や生産性や炭素貯蔵量に及ぼす影響を分析しました。この研究はこれらの影響を、ゾウによる擾乱(幹の幅が30cm未満の植物の破壊と定義されました)を取り込んだシミュレーションモデルおよび野外データに基づいて定量化しました。

 その結果、ゾウによる擾乱に起因する森林の幹数の減少が、木々の間での光・水・空間の競争に変化をもたらす、と明らかになりました。こうした変化により、大きな木密度を持つ、より少なくより大きな木々が出現しやすくなり、これによって炭素貯蔵量が増加します。この研究は、ゾウが1㎢当たり0.5頭から1頭という典型的な密度の場合、ゾウによる擾乱が、森林バイオマスを1ヘクタール当たり最大60トン増加させると推定し、森林のゾウが絶滅すると、アフリカ中央部熱帯雨林帯の炭素貯蔵量が7%減少する可能性を提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


森林のゾウはアフリカ熱帯雨林の形成を助けている

 森林のゾウが絶滅すると、森林バイオマスが減少し、中央アフリカ熱帯雨林帯の炭素貯蔵量が7%減少する可能性があることを示した論文が、今週掲載される。この研究は、ゾウがアフリカの熱帯雨林の構造を形づくる上で重要な役割を果たしていることを示している。

 森林のゾウは、中央および西アフリカの森林で見つかっている。これまでの研究で、大型草食動物は生態系に重大な影響を及ぼし得ることが示されていたが、ゾウがアフリカ熱帯雨林にどのような影響を及ぼすかはほとんど分かっていなかった。

 Fabio Berzaghiたちは、ゾウが、アフリカ熱帯雨林の構造や生産性、炭素貯蔵量に及ぼす影響を分析した。彼らはこれらの影響を、ゾウによる擾乱(幹の幅が30センチメートル未満の植物の破壊と定義)を取り込んだシミュレーションモデルおよび野外データに基づいて定量化した。その結果、ゾウによる擾乱に起因する森林の幹数の減少が、木々の間での光、水、空間の競争に変化をもたらすことが見いだされた。こうした変化によって、大きな木密度を持つ、より少なくより大きな木々が出現しやすくなり、これによって炭素貯蔵量が増加する。著者たちは、ゾウが一平方キロメートル当たり0.5頭から1頭という典型的な密度の場合、ゾウによる擾乱が、森林バイオマスを1ヘクタール当たり最大60トン増加させると見積もっている。



参考文献:
Berzaghi F. et al.(2019): Carbon stocks in central African forests enhanced by elephant disturbance. Nature Geoscience, 12, 9, 725–729.
https://doi.org/10.1038/s41561-019-0395-6

シンボリルドルフの海外遠征をめぐる議論

 13年前(2006年8月28日)、1980年代半ば~1990年代半ばの10年近く、最強クラスの馬の海外遠征が途絶え、これは明らかにシンボリルドルフの海外遠征の失敗の影響が大きかったと思う、と述べました(関連記事)。シンボリルドルフは4歳(当時の表記では5歳)までに無敗での三冠達成も含めて15戦13勝と素晴らしい実績を残し、日本の競馬界の大きな期待を背負って、1986年3月、アメリカ合衆国のサンタアニタ競馬場で行なわれたサンルイレイステークスGI(現在はサンルイレイハンデキャップGII)に出走しましたが、7頭立6着と、おそらくはほとんどの日本の競馬ファンにとって予想外の惨敗を喫してしまいました。結果的には、これがシンボリルドルフにとって最終レースとなりました。

 すでに遠征前よりオーナーと厩舎側は対立しており、遠征にはほぼ厩舎側は関われなかったのですが、惨敗後、野平調教師が週刊誌でシンボリルドルフは本調子には見えなかった、というような発言をしたことで、オーナー側と調教師側の間で「論争」になり、シンボリルドルフのような歴史的名馬にしては、何とも残念な現役晩年になってしまいました。当時、シンボリルドルフを嫌っていた私でも、シンボリルドルフの海外遠征での惨敗を残念に思いましたし、その後にオーナー側と調教師側が「論争」を始めたことに、居たたまれない気持ちになったものです。

 この「論争」に関して、手元に文献がないので正確ではありませんが、大橋巨泉氏は、調教師の言い分がほぼ全面的に正しい、と評価していました。調教師側の非としては、最初に週刊誌でオーナー側を批判したことが挙げられていた、と記憶しています。当時の論調をはっきり覚えているわけではありませんが、シンボリルドルフの状態をよく見極めずに強引に出走させたのではないか、との疑念から、オーナー側に批判的な声が大きかったように思います。一方、山野浩一先生のこの「論争」に関する評価は異なっています。以下、山野浩一『【競馬】全日本フリーハンデ1983-1988』(リトルモア、1997年)からの引用です(P569-570)。


敗戦の後にシンボリルドルフを巡って和田共弘オーナーと野平祐二調教師との間の週刊誌での大喧嘩があった。多くの人は醜い悪口の言い合いとか、シンボリルドルフのためによくないとか、両者のイメージダウンとかいうが、そういう考えこそ日本人の「甘えの構造」と「村意識、あるいは家族制度意識」というものに束縛された日本病的な考えだと思う。はっきりいって極めてレベルの高い議論で、日本競馬の問題点をよくついており、第二、第三のシンボリルドルフを生むためには避けて通れない問題だと思う。そして、シンボリルドルフのためにも、正しく必要不可欠な喧嘩である。もともと、オーナーと調教師の喧嘩などはいつの時代にもあるし、世界の競馬国のどこでも間断なくおこなわれていることだ。和田氏の発言が穏当でないという人もいるが、これも馬に本気の情熱をかける人間には当然のことで、外国の雑誌にはこれぐらいのことはいつも載っている。私はこういう議論を本気でせずに、人間の世界だけが円く治まることだけを考えてきたところに日本の競馬の最大の醜さを感じるし、日本文化の卑しさも感じるのである。誰もが本気で馬を愛するのなら、自らまず傷つかなければならない。私はそれを堂々と行った和田共弘氏と野平祐二調教師に真のホースメンの姿を感じることができる。その議論が競馬雑誌ではなく、通俗週刊誌に掲載されたことは残念だが、まあ、実情を知る人間にはしかたのないことと思う。現実に私も和田氏のあのような発言を耳にしていても、それを原稿にはできない。私個人としては書きたいが、雑誌社には雑誌社の事情もありポリシーもある。現実にこの議論を称賛する人間は私以外にさほどいないだろうから。
議論の内容に関していえば、全体としてやはり野平調教師の発言にごまかしがあると思う。むろん、野平祐二氏の調教師としての技能についてどうこうというところは、和田氏の発言が単に悪口にしかなっていない。これは野平調教師の今後の手腕に是非期待したいと思うし、一面で和田氏自身が長く評価してきたものを確実に持っていることは和田氏も認めなければならないだろう。だが、シンボリルドルフの管理について「シンボリルドルフだけを預かっているわけでないし、公人として他の仕事もある」というような発言はホースマンのものとは思えない。少なくとも、シンボリルドルフの存在よりも大きな意味を持つ用事など、この馬の調教師にとってはありえないはずだ。自分のことを言って恐縮だが、私は『新しい名馬のヴィジョン』を書くときには、作家としての仕事の90%を捨ててかかった。小説のほうでしなければならないことがあった時期には、競馬関係を『競馬ブック』一誌だけにしていた。ライフワークとはそういうものだと思う。そして、シンボリルドルフが野平調教師のライフワークでないというのなら、これも和田氏の発言を認めざるを得ないだろう。故尾形藤吉調教師がメイズイのためにどんなことをしていたか、武田文吾調教師がシンザンのためにいかなる日々を送ったかについては、野平調教師が我々部外者よりももっとよく知っているはずだ。
だが、むろん私は野平調教師を批判しようとしているのではない。野平調教師が故尾形調教師や武田調教師よりも愛馬精神がないなどとはまったく考えていない。一括したシステム管理の美浦トレーニング・センターで、故尾形調教師や武田調教師のような大御所ではない野平調教師にできることがどれだけ限定されていることか。野平調教師は、かなり昔から和田オーナーにあの発言のようなことを指摘されながらも、ずっと耐えてきたし、自分のプライドや面子を捨てるだけで治まることなら、そのようにしてきた。もともと、野平調教師と和田オーナーは同じ夢を見て、同じ希望を抱いてフランスに乗り込み、日本の競馬の貧しさを知り、本当の競馬の高い格調と研ぎ済まされた技術とすばらしい精神性に触れあった仲だ。だからこそ私は、野平調教師の発言にごまかしがあると思うのである。そして、そのようにごまかす必要もまた、先に述べたようなところに明らかである。
おそらく、和田オーナーもそう思うだろうし、私を含めた野平ファンの多くがそう思うだろうが、野平調教師が今の日本の競馬の世界で特別な存在であるのは、決して組織の中の人間としてうまくやっていけるからではない。野平調教師こそ、シンボリルドルフのために和田オーナーから指摘されるようなことしかできなかった状況に対し、本当の調教師の在り方を追求し、トレーニング・センターの馬不在の状況を改革していく人と期待してのものである。和田オーナーの名はシンボリルドルフによる革命的な調教方式によって日本の競馬史に大きな名を遺すであろう。しかし、組織の中の歯車の名はすぐに次の歯車に取り替えられるだけで忘れられるものだ。一人の野平ファンとして言わせていただくなら、「祐ちゃん、そこまで耐えることはないよ」と言いたい。カッコよく、感性の赴くままに精彩を放ってきた野平調教師が、「組織の一員」などと言わねばならないことに、私は大きな悲しみを禁じ得ない。もっとわがままをやろうよ。いざとなれば民間の牧場だって大歓迎してくれるし、我々のような競馬評論家の仕事だって決して見捨てたものではない。華々しく戦って、散ってしまったっていいではないか!

中国で「反日」デモが下火になった理由

 近年、中国での大規模な「反日」デモは報道されていないと記憶していますが、その理由について興味深い見解が掲載されていたので、以下に引用します。

このような過激な「愛国」行動を見て常に思うのは、ではなぜ彼らは日本や欧州、オーストラリアではなく、北京や上海など自国でやらないのか、ということだ。2000年代から2012年にかけて、中国で何度も反日デモが繰り返され、日本の大使館や商店が破壊や略奪にあったことは記憶に新しい。

実は8月18日に、北京で大規模な抗議活動が計画されていたのだという。ボイス・オブ・アメリカ(VOA)などの報道によると、香港で「反送中」デモが行われた18日に、北京の天安門広場で「国旗を守れ」という愛国デモが計画された。

ところが中国政府は支持をしなかったばかりか、この計画に関してネットを完全に封殺し、当日、天安門広場で大規模な警備を行い、「国旗を守る」いかなる愛国デモも認めなかったのだという。

これについて、カナダ在住の中国人作家で人権活動家の盛雪さんは、「不思議ではない」と次のように指摘した。

「中国の全体主義の政治体制は、あらゆる個人による意見表明を危険だと考えている。今の政権は特に強硬だ。たとえこの政府への支持を表明しても、潜在的な脅威とみなされてしまう。なぜなら人々が意見を公にしたり、人々が集まったりするだけで、一種の圧力とみなすからだ。意見表明に慣れた結果、突然政府への不満を言い出すのではないかと恐れている。それゆえ、たとえ中国の民衆が政府への支持を表明したくても、中国共産党が支配するこの状況では不可能なのだ。」

別の人権派弁護士も、2012年の反日デモを政府は当初認めたが、中国人の車の破壊や暴行事件、さらに政府への不満の声が起きたことで、当局は慌ててブレーキを掛けた、今回中国政府が香港問題で国内での愛国デモを認めないのも、こうした事件から得た教訓なのだと指摘した。

つまり中国政府は香港の抗議デモに対して、中国の民衆に国内で愛国デモを行わせようとはせず、海外の留学生や華人ら愛国者の力を利用しており、これを最近では「離岸(オフショア)愛国主義」と呼んでいると報じている。

以前本コラムでも紹介した中国の国営放送記者がイギリスで騒いだのもその一種だろう。


 つまり、「反日」デモ、さらには「愛国」デモに限らず、人々が意見を公にしたり集まったりすること自体を中国政府はきわめて警戒している、というわけです。支配者の側の心理という観点からは、説得力があると思います。もちろん、上記の見解だけで説明しきれる問題でもないのでしょうが。このような志向の中国が、今後ますます経済・軍事・政治で影響力を拡大していくと予想されますが、中国政府要人もおそらく認めているように(関連記事)、政治思想も含めて文化面の(あくまでも経済・軍事・政治と比較しての)弱さは否定できないでしょう。中国の影響力拡大については、経済・軍事・政治だけではなく、(広義の)文化面も注目しなければならないと思います。

 もっとも、中国の文化面でも、学術は現時点でも多くの分野で世界最先端級にまで発展しており、多くの分野で日本は突き放されているのではないか、と思うのですが、資金面からも、今後日中の差はますます拡大していくと予想されます。問題は、中国の抑圧的な体制が学術に与える悪影響ですが、分野によっては「核心的利益」に抵触して発展が妨げられることもあるかもしれません。今後の中国の動向と世界への影響について、地理的に比較的近い日本の一国民としては、やはりたいへん気がかりなので、今後も可能な範囲で追いかけていくつもりです。

退役軍人の心的外傷後ストレス障害の遺伝的解明

 アメリカ合衆国の退役軍人の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の遺伝的解明に関する研究(Gelernter et al., 2019)が公表されました。成人の約7%が一生の間にPTSDを経験し、戦闘経験者のPTSD有病率が高い、と明らかになっています。PTSDの症状には、覚醒亢進や回避や心的外傷を引き起こした出来事の再体験などがあり、こうした症状によって日常生活が破壊されることもあります。しかし、心的外傷を受けると必ずPTSDを発症するわけではなく、遺伝的性質などの素因がPTSDのリスクに影響しています。

 この研究は、アメリカ合衆国の「Million Veteran Program」の参加者165000人のデータを解析し、PTSDの再体験症状(心的外傷を引き起こした出来事に関する悪夢やフラッシュバックなど)の遺伝的関連を調べました。その結果、PTSDに関連する8つのゲノム領域が特定され、その中でストレスホルモン受容体をコードする副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン受容体1(CRHR1)遺伝子と関連している可能性も明らかになりました。この関連解析は、ヨーロッパ系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人の両方のデータを使って実施されましたが、有意な関連が認められたのはヨーロッパ系だけでした。この研究は、ヨーロッパ系アメリカ人のサンプル数の多さが原因だった可能性を指摘しています。今後は、PTSDを発症しやすくなる遺伝子多様体が淘汰されなかった理由など、人類進化の観点からの研究の進展も期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


米国の退役軍人の心的外傷後ストレス障害の遺伝的解明

 米国の退役軍人の遺伝情報を用いた大規模なゲノム規模関連解析が実施され、心的外傷後ストレス障害(PTSD)における心的外傷の「再体験」症状に関連する複数の遺伝子バリアントが特定された。今回の研究では、ストレスホルモン受容体をコードする遺伝子が関連している可能性も明確に示された。この結果を報告する論文が、今週掲載される。

 一生の間にPTSDを経験する者は成人の約7%を占め、戦闘経験者のPTSD有病率が高い。PTSDの症状には、覚醒亢進、回避、心的外傷を引き起こした出来事の再体験などがあり、こうした症状によって日常生活が破壊されることもある。しかし、心的外傷を受けると必ずPTSDを発症するわけではなく、遺伝的性質などの素因がPTSDのリスクに影響している。

 今回、Joel Gelernter、Murray Steinたちの研究グループは、米国のMillion Veteran Programの参加者16万5000人のデータを解析し、PTSDの再体験症状(心的外傷を引き起こした出来事に関する悪夢やフラッシュバックなど)の遺伝的関連を調べた。その結果、PTSDに関連する8つのゲノム領域が特定され、その中でストレスホルモン受容体をコードする副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン受容体1(CRHR1)遺伝子と関連している可能性も明らかになった。今回の関連解析は、ヨーロッパ系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人の両方のデータを使って実施されたが、有意な関連が認められたのはヨーロッパ系だけだった。この研究グループは、ヨーロッパ系アメリカ人のサンプル数が多かったことが原因だった可能性があると指摘している。



参考文献:
Gelernter J. et al.(2019): Genome-wide association study implicates CHRNA2 in cannabis use disorder. Nature Neuroscience, 22, 9, 1394–1401.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0447-7

クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自

 クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自に関する研究(Fernandes et al., 2019)が報道されました。人為的頭蓋変形はおそらく更新世にまでさかのぼり、広く世界中で見られ、20世紀まで続いた地域もあります。人為的頭蓋変形は長い時間を要する意図的で不可逆的な行為なので、生涯にわたって集団内の連帯を促進し、集団間の違いの視覚的表現の役割を果たす、と考えられます。頭蓋変形のタイプは多様で、頭蓋の変形部位とその形状により分類する見解も提示されています。頭蓋変形のタイプの分類とともに、その考古学的文脈と起源の理解も重要となります。頭蓋変形は古代ユーラシアに起源があり、複数地域で独自に発達したようです。

 考古学的証拠からは、頭蓋変形はフン人の移住にともないヨーロッパ中央部に導入された、と示唆されています。紀元後5~6世紀のいわゆる大移動期に、頭蓋変形はパンノニア平原(現代のオーストリア・クロアチア・ハンガリー・ルーマニア・スロヴァキア・スロヴェニア)地域にまで拡大し、とくにサルマティア人・ゴート人・ランゴバルド人・ゲピト人・フン人の間で広まりました。パンノニア平原の頭蓋変形を、「ドナウ流域タイプ」と分類する見解もあります。紀元後5~6世紀のパンノニア平原の頭蓋変形パターンは、軽度のものから強いものまで多様で、さまざまな頭蓋形状が含まれています。この頭蓋変形習慣の意味は、まだはっきりとは解明されておらず、貴種性の視覚的指標とか社会的地位の指標とかいった見解も提示されています。

 本論文は、クロアチア東部のオシイェク(Osijek)のヘルマノブ・ビノグラード(Hermanov vinograd)遺跡で発見された、紀元後5~6世紀(415~560年)の3人の部分的な遺骸についての分析を報告しています。この3人は全員、頭蓋は完全に保存されていました。3人のうち2人には頭蓋変形が確認され、これはアヴァール人到来前では最初に確認された事例となります。紀元後5~6世紀にかけてオシイェク一帯は、454年まではフン、473年までは東ゴート、567年まではゲピト、その後はアヴァールの支配下にありました。したがって、この3人はフン人か東ゴート人かゲピト人かもしれません。紀元後500年頃のバイエルンの人類集団に関する最近の研究は、頭蓋変形のない女性が他地域出身だった可能性を示唆しています(関連記事)。本論文は、オシイェクの3人に関して、その頭蓋変形タイプ、年齢、性別、健康度、DNAを分析します。

 オシイェクの3人(SU259・SU261・SU750)はいずれも思春期です。推定年齢は、SU259が14~16歳、SU261が12~16歳、SU750が12~14歳です。いずれも、骨に病気もしくは骨折の痕跡が見られますが、死亡前後の負傷の痕跡や解体痕は見られず、3人とも骨格は比較的頑丈なので、形態的には男性と推定されます。頭蓋変形は、SU261には見られませんでしたが、SU259とSU750では確認されました。SU259の頭蓋はかなり長く、傾斜しています。SU750の頭蓋は円形直立型の変形を示します。炭素と窒素の安定同位体分析では、SU750とSU261で分析に充分なコラーゲンが得られ、食性ではともに穀類への依存度がたいへん高く、動物性タンパク質の摂取量は比較的少なかった、と示唆されます。これは、5世紀のハンガリーの遊牧民の推定された食性とほぼ同じです。3人ともにDNAが解析され、遺伝的にも3人とも男性と明らかになり、形態学的評価と一致しました。網羅率は低いながら(0.0053~0.0077倍)ゲノムデータも得られ、SU259はアジア東部系現代人、その中でもカンボジア人に最も近く、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置します。

 オシイェクの3人は全員思春期の男性で、幼少期に健康状態が悪かったと推測され、病変の痕跡が骨格に見られるものの、何らかの病変や外傷が死因だった痕跡は確認されませんでした。本論文は、この3人が何らかの犠牲に供された可能性は低そうであるものの、ペルーの事例からも断定はできない、と慎重な姿勢を示します。SU261とSU750に関しては、栄養不足や代謝障害や感染症などの可能性が指摘されています。SU259の骨には治癒した痕跡が認められ、出生時の外傷や代謝障害やビタミンAの過剰摂取や白血病の可能性が指摘されています。本論文はこれらの知見から、3人が幼少期に栄養不足に関連する長期的な状態に苦しめられていた、と推測します。同時代の文献によると、大移動期のパンノニア平原では飢餓が頻発したようです。他の人類遺骸との比較から、オシイェクの3人の思春期男性は意図的に食事を与えられなかったのではないだろう、と本論文は推測しています。

 病理学や食性の点ではオシイェクの3人の思春期男性は類似していますが、頭蓋変形と遺伝的構成という点で、3人は大きく異なります。SU261には見られなかった頭蓋変形は、SU259とSU750で確認されていますが、上述のように前者は長い傾斜型、後者は円形型で、タイプが異なります。両者はともにドナウ川流域タイプの一部ですが、その中でもSU259の長い傾斜型は、ゲピト人もしくはフン人との関連も指摘されています。SU750の円形タイプはフン人の間でひじょうに高い割合で見られ、フン人のウラル山脈からドナウ川流域への拡大に伴い、この習慣も広まりました。同じ場所に埋葬された2人の頭蓋変形タイプが異なる理由は不明です。

 長い傾斜型の頭蓋変形を有するSU259は、上述のように遺伝的にはアジア東部系現代人と近縁です。主要な遺伝的構成がアジア東部系現代人と近縁な系統である個体が確認されたのは、大移動期ヨーロッパでは初めてとなりますが、すでに紀元後500年頃のバイエルンにおいて、1人の女性に関してはアジア東部系現代人との遺伝的類似性が指摘されていました。上述のように遺伝的には、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置しますが、この遺伝的構成は紀元後500年頃のバイエルンの人類集団とよく類似しています。SU261は、似たような遺伝的構成の紀元後500年頃のバイエルンの女生とは対照的に、頭蓋変形が確認されませんでした。

 これらの知見から、オシイェクの3人はフン人もしくはゲルマン人に関連している可能性が想定されます。頭蓋変形について、上述のように社会的地位や帰属集団の表明などの仮説が提示されていますが、本論文は、頭蓋変形のパターンもしくはその欠如が、少なくともオシイェクでは、大移動期のパンノニア平原でさまざまな文化が密接に相互作用する中、特定の文化集団と関連しているかもしれない、と推測しています。ただ、現時点では証拠が乏しいことも否定できず、本論文も指摘するように、問題の解明には遺伝学と考古学の組み合わせによる学際的研究の進展が必要となります。

 本論文の見解はたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。一ヶ所に埋葬された思春期男性3人の遺伝的構成が大きくことなることはたいへん興味深いのですが、現時点ではその理由の解明は難しく、かなりのところ推測に留まってしまうことは否定できません。スキタイ人が多様な遺伝的構成の人々を組み込んでいったと推測されていることから(関連記事)、フン人など大移動期の遊動的な人類集団も同様だったと考えるのが、現時点では妥当なのかな、とも思います。フン人の起源について、アジア東部の匈奴だったという説は昔からありますが、文化的にも遺伝的にも、フン人が一定以上匈奴系統の影響を受けていた可能性を想定してもよさそうです。


参考文献:
Fernandes D, Sirak K, Cheronet O, Howcroft R, Čavka M, Los D, et al. (2019) Cranial deformation and genetic diversity in three adolescent male individuals from the Great Migration Period from Osijek, eastern Croatia. PLoS ONE 14(8): e0216366.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0216366

気候変動により高まる夏の極端な気候現象の持続性

 気候変動により夏の極端な気候現象の持続性が高まる可能性を報告した研究(Pfleiderer et al., 2019)が公表されました。地球温暖化に伴って極端な高温現象と降水現象の発生頻度が全球的に上昇し、この傾向は、今後の温暖化によって継続すると予想されています。極端な高温と降水が増えると、人間の健康や農業や環境が影響を受けることもあり、たとえば森林火災のリスクが増加します。極端な気象現象については、強度や頻度を測定することが多いのですが、最も深刻な影響に関係することが多いのは、こうした現象の継続期間や持続性です。

 この研究は、北半球の中緯度地域における局地的気象条件の持続性に関するマルチモデル解析の結果を明らかにしています。この研究は、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇すると仮定すれば、中緯度地域で2週間超の高温期に見舞われる確率が、少し前と比べて約4%増加する可能性があるという解析結果を示しています。この研究は北アメリカ東部に関して、暑さと日照りの持続性が最大20%増加する可能性を推定しています。また、この研究は、中緯度地域における洪水を引き起こす恐れのある1週間以上の豪雨に見舞われる確率が、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇するシナリオで、平均26%増加する可能性があるという結果も示されています。ただ、温暖化による気温上昇を摂氏1.5度とした場合には、上述した増加のほとんどが回避されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


気候変動によって夏の極端な気候現象の持続性が高まる

 全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇すれば、北半球の中緯度地域では、夏の極端な気象現象(熱波、干ばつ、雨季など)の期間が長くなる可能性のあることが明らかになった。この新知見について報告する論文が、今週掲載される。

 地球温暖化に伴って極端な高温現象と降水現象の発生頻度が全球的に上昇し、この傾向は、今後の温暖化によって継続すると予想されている。極端な高温と降水が増えると、人間の健康と農業、環境が影響を受けることがあり、例えば、森林火災のリスクが増加する。極端な気象現象については、強度や頻度を測定することが多いが、最も深刻な影響に関係することが多いのは、こうした現象の継続期間や持続性だ。

 今回、Peter Pfleidererたちは、北半球の中緯度地域における局地的気象条件の持続性に関するマルチモデル解析の結果を明らかにしている。Pfleidererたちは、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇すると仮定すれば、中緯度地域で2週間超の高温期に見舞われる確率が、少し前と比べて約4%増加する可能性があるという解析結果を示している。そして、北米東部では、暑さと日照りの持続性が最大20%増加する可能性があるとされた。また、Pfleidererたちは、中緯度地域における洪水を引き起こす恐れのある1週間以上の豪雨に見舞われる確率が、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇するシナリオで、平均26%増加する可能性があるという結果を示している。ただし、温暖化による気温上昇を摂氏1.5度とした場合には、上述した増加のほとんどが回避された。



参考文献:
Pfleiderer P. et al.(2019): Summer weather becomes more persistent in a 2 °C world. Nature Climate Change, 9, 9, 666–671.
https://doi.org/10.1038/s41558-019-0555-0

私はアジア人と呼ばれる事に抵抗がある

 表題の発言をTwitterで見かけました。全文を引用すると、

私はアジア人と呼ばれる事に抵抗がある。私は日本人だ。中国人や朝鮮人と同じグループの一員ではない。それではドイツ人やフランス人をあまり好まないイタリア人はヨーロッパ人か?なぜ無知な西洋人の都合に合わせる?私はいつも「いや、違う。日本人だ!」と大声で答えてやる。

となります。アジアといっても広範囲なので、たとえばイランやイラクといったアジア南西部も「同じアジア」と言われても、多くの日本人に実感がなくても不思議ではありません。文化(歴史)的にも遺伝的にも、アジア南西部は日本よりもヨーロッパの方とずっと近縁です。アジア南部や南東部は、仏教というつながりがあるので(仏教発祥地のアジア南部では、今や仏教はごく少数派ですが)、距離の観点からもアジア南西部よりは日本人にとって馴染み深いでしょうが、それでも、多くの日本人にとって「同じアジア」という認識は薄いでしょう。上記発言では中国や朝鮮が対象となっており、現代日本社会で「アジア」という時、やはり想定されるのはアジア東部が多いと思います。アジア東部では、多くの地域で前近代において漢字文化が共有されていた、という歴史的経緯もあります。

 しかし、以前当ブログで取り上げましたが(関連記事)、中華人民共和国・日本国・大韓民国・中華民国(台湾)というアジア東部4ヶ国を対象とした調査ではっきり示されているように、現代日本人における「東アジア人意識」はかなり低く、上記の発言のように中国人や朝鮮人を強く意識している場合ではなくとも、「東アジア人意識」を持たないか希薄な日本人は少なくないと思います。これは、近代以降、漢字文化という共通基盤が急速に変容もしくは失われたことも大きいと思います。ベトナム(一般的には東南アジアに区分されるのでしょうが)はほぼ完全に漢字文化から離脱しましたし、その動きは朝鮮半島でも見られ、とくに北部で顕著なようです。第二次世界大戦後、中国は簡体字を、日本は新字体を採用し、ともにまだ漢字文化とはいっても、大きな違いが生じました。

 根本的な問題としては、漢字は習得が容易ではなく、前近代において漢字文化を修めた者はごく一部に限られていた、という事情があると思います。こうした状況で近代化と言われる実質的なヨーロッパ化が進展したわけで、中国人や朝鮮人に対する敵意から「東アジア人意識」を否定するのはどうかと思いますが、歴史的経緯を踏まえると、「東アジア人」という共通意識がアジア東部において低いのは仕方のないところでしょう。宗教が仏教・道教・イスラム教などの併存状況であることも、「東アジア人意識」の醸成を妨げているように思います。

 上記のアジア東部4ヶ国では、いずれも国民意識よりも東アジア人意識の方がずっと低く、国民意識では大差はありませんが、「東アジア人意識」に関しては、中国と台湾は日本と韓国よりもさらに低くなっています。この状況は、少なくとも短期的には、今後大きく変わるとはとても思えません。また、アジア東部とはいっても、漢字文化圏ではない地域も多く、「東アジア」なる概念を、安易に中華人民共和国の実効支配領域(モンゴル南部やチベットなど)にまで拡大することには慎重であるべきだ、と思います。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第33回「仁義なき戦い」

 1940年夏季オリンピック大会開催地を決定するオスロの国際オリンピック委員会総会が迫る中、嘉納治五郎は腰痛を再発し、副島道正がムッソリーニと会見することになります。1940年夏季オリンピック大会の開催地としてローマも立候補しており、ムッソリーニに開催地を東京へ譲ってもらうよう、要請しようとしたのでした。しかし、ムッソリーニとの会見の直前、副島は過労のため肺炎で倒れます。杉村陽太郎のとりなしもあり、回復した副島は再度ムッソリーニと会見します。病を押して会見に来た副島の熱意に感銘を受けたムッソリーニは、東京に譲ることを約束します。

 日本の関係者はもう東京で決定的と浮かれますが、総会ではローマがまだ候補地で残っていました。病気の副島に代わって総会に出席した杉村は、ムッソリーニとの約束を持ち出ますが、イタリアの委員は政治とスポーツは別だと言って譲りません。しかし、ムッソリーニの意向をやはり無視できず、イタリアは東京の支持を表明します。ところが、これが政治的圧力だとして、ラトゥール会長から投票の延期が提案されます。杉村はなおも東京への支持を訴えますが、ラトゥールからは、嘉納ならこんなことにはならなかった、と冷たく突き放されます。杉村は、東京への支持が嘉納への支持だったことを痛感します。嘉納はラトゥールを東京に招待し、接待することを提案します。

 今回は1940年夏季オリンピック大会開催地をめぐる駆け引きが描かれました。これまでの嘉納の人物造形と描写を活かした話になっていて、なかなか面白くなっていました。当時の国際情勢も踏まえた描写になっており、大河ドラマらしいと言えるように思います。一旦は東京への招致が決まりながら返上せざるを得なくなった理由の説明として、国際情勢の描写は必須だけに、ここはやや丁寧に描いていってもらいたいものです。今回は久々に美川が登場し、どこまで本当か分からない、関東大震災後の動向を語っていました。美川の発言も、当時の情勢を背景にしたもので、こうしたところは、大河ドラマらしさを意識しているのかな、とも思います。

古人類学の記事のまとめ(38)2019年5月~2019年8月

 2019年5月~2019年8月のこのブログの古人類学関連の記事を以下に整理しておきます。なお、過去のまとめについては、2019年5月~2019年8月の古人類学関連の記事の後に一括して記載します。私以外の人には役立たないまとめでしょうが、当ブログは不特定多数の読者がいるという前提のもとに執筆しているとはいえ、基本的には備忘録的なものですので、今後もこのような自分だけのための記事が増えていくと思います。


●ホモ属登場以前の人類関連の記事

ボノボと未知の類人猿系統との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_2.html

アウストラロピテクス・セディバがホモ属の祖先である可能性は低い
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_16.html

母親の存在により増加するボノボの雄の適応度
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_42.html

チンパンジーによるカメの捕食
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_45.html

パラントロプス属の分類
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_6.html

音楽と発話に対するヒトとサルの脳の応答
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_22.html

3000年前から「石器」を製作していたヒゲオマキザル(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_51.html

ボノボの食性と人類の進化
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_37.html

歯から示されるアフリカヌスの食性と食料不足への対応
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_38.html

アナメンシスの頭蓋(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_57.html


●フロレシエンシス・ネアンデルタール人・デニソワ人・現生人類以外のホモ属関連の記事

アジア東部の中期更新世のホモ属
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_7.html

最古のオルドワン石器とその技術的系統
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_10.html

中期~後期更新世のアラビア半島における動物相の変化および人類の拡散との関係
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_49.html

アフリカ南部の初期ホモ属の授乳期間
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_61.html


●ネアンデルタール人関連の記事

ネアンデルタール人によるイヌワシの捕獲
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_5.html

歯の進化率から推測されるネアンデルタール人と現生人類の分岐年代
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_29.html

片山一道「地球上から消えた人々」
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_40.html

ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先と未知の人類との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_19.html

『ドラえもん』「ネアンデルタール人を救え」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_25.html

12万年前頃のネアンデルタール人の核DNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_56.html

近藤修「ネアンデルタール恥骨成長分析の試み」
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_6.html

ジブラルタルのネアンデルタール人のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_39.html

コーカサスにおける旧石器時代の黒曜石の輸送
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_43.html

ネアンデルタール人と現生人類との交雑をめぐる認識の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_35.html


●デニソワ人関連の記事

デニソワ人と確認されたチベット高原の中期更新世の下顎骨
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_4.html

デニソワ人の生息範囲
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_10.html

デニソワ人についてのまとめ(2)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_31.html

臼歯の歯根数から推測されるアジア東部での現生人類とデニソワ人の交雑
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_19.html

アジア南部~南東部における後期ホモ属の複雑な交雑
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_40.html

アジア東部で最古となる線刻
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_7.html


●フロレシエンシス関連の記事

フロレシエンシスの脳および身体サイズの進化
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_34.html


●現生人類の起源や象徴的思考に関する記事

イベリア半島南部の最初期現生人類をめぐる議論
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_9.html

ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先集団のユーラシアでの進化
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_23.html

現生人類の初期の拡散をめぐる議論
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_35.html

森恒二『創世のタイガ』第5巻(講談社)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_44.html

双系的な現生人類社会
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_51.html

初期現生人類のユーラシア東部への拡散経路
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_20.html

澤藤りかい他「東アジア・東南アジアのヒトの遺伝的多様性とその形成過程」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_27.html

アフリカにおける現代人系統と未知の人類系統との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_34.html

Y染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_35.html

山極寿一、小原克博『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_44.html

高橋啓一「中国東北部~北部におけるマンモス-ケサイ動物群と北方系細石刃石器群」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_45.html

仲田大人「IUP(初期後期旧石器石器群)をめぐる研究の現状」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_48.html

山岡拓也「東南アジアにおける旧石器時代の考古資料と研究の特徴」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_50.html

髙倉純「北アジアにおける中期旧石器から後期旧石器時代にかけての編年の諸問題」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_60.html

アフリカ外で最古となる現生人類化石(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_25.html

日本列島最古の石器を遺したのはデニソワ人などの旧人である
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_56.html

アフリカ東部における4万年以上前までさかのぼる人類の高地への進出
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_19.html

ヨーロッパのホラアナグマの絶滅における現生人類の影響
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_30.html

アジア中央部および北東部における現生人類の早期の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_34.html

近年における過去100万年の人類進化史研究の進展
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_37.html

現生人類ユーラシア起源説
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_49.html


●日本列島やユーラシア東部に関する記事

現代日本人のY染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_11.html

シナ・チベット語族の系統関係と起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_12.html

神武天皇のY染色体
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_21.html

「縄文人」のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html

現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_43.html

鳥取市青谷上寺地遺跡の弥生時代後期人骨のDNA解析補足
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_46.html

北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

日本列島の言語
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_4.html

愛知県の「縄文人」のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html

古墳時代中期の会津地方の支配層男性の復元像
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_13.html

Y染色体DNA解析から推測される縄文時代晩期の人口減少
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_38.html

mtDNAに基づく漢人の地域的な違い
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html

「縄文人」とアイヌ・琉球・「本土」集団との関係
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_32.html

天皇のY染色体ハプログループ
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_44.html

中国史の画期についての整理
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html

縄文人と日本人には、遺伝的に何の繋がりも無いんだが
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_53.html


●アメリカ大陸における人類の移住・拡散に関する記事

アメリカ大陸の人類史をめぐる政治的対立
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_50.html

アメリカ大陸北極域とシベリアにおける人類集団の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_17.html

16000年前頃までさかのぼる北アメリカ大陸における人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_62.html


●ネアンデルタール人滅亡後のユーラシア西部に関する記事

バルト海東部地域のウラル語族の起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_18.html

バスク人の起源とインド・ヨーロッパ語族の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_20.html

ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html

樹脂の塊から解析されたスカンジナビア半島の中石器時代の古代DNA
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_28.html

フランスのブドウの歴史
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_21.html

ユーラシア草原地帯牧畜民の穀類消費の増加と地域間の相互作用
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_23.html

ポーランド中央部における新石器時代~前期青銅器時代の人類史
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_31.html

ペリシテ人の起源
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html

気候変動により分解の進むヴァイキング時代の遺物
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_30.html

ハンガリーとウラル地域の父系のつながり
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_54.html

フィンランド人のエキソーム塩基配列解読
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_29.html

遺伝学および考古学と「極右」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

ヒマラヤ山脈の人類遺骸のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_41.html

ヨーロッパにおけるブタの起源と遺伝的構成の変容
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_54.html


●進化心理学に関する記事

喫煙行動の関連遺伝子座
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_37.html

ニコチン受容体遺伝子と大麻の乱用との関係
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_4.html

性善説と性悪説
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_35.html

人種差別的な「科学的研究」の批判
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_55.html

遺伝的近縁性と親近感
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_21.html

平等と協力の関係
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_43.html


●その他の記事

Vybarr Cregan-Reid『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_17.html

mtDNAの選択における核DNAの影響
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_48.html

人類の分布範囲の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_56.html

アフリカ東部への牧畜の拡大
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_5.html

タンパク質解析が明らかにする人類進化
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_58.html

1970年代に社会主義への道を批判した市井人
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_21.html

アジア南部の現生人類の人口史
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_36.html

石浦章一『王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎』
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_41.html

近代日本において成果をあげた反進化論
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_45.html

過去2000年間における最近の気候変動の位置づけ
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_49.html

地域的な偏りのある人類進化研究
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_24.html

河辺俊雄『人類進化概論 地球環境の変化とエコ人類学』
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_46.html

太田博樹「ゲノム人類学から見たふたご研究」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_47.html



過去のまとめ一覧

古人類学の記事のまとめ(0)
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古人類学の記事のまとめ(1)
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古人類学の記事のまとめ(37)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_1.html