バンツー語族集団の拡大と適応

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、バンツー語族集団の拡大と適応に関する研究(Patin et al., 2017)が報道されました。バンツー語族の人口史については、本論文の後に公表された研究を当ブログですでに取り上げていますが(関連記事)、その研究の前提となる知見が提示されており、重要と思われるので、以下に本論文の内容を簡潔に紹介していきます。

 言語学・考古学的記録によると、バンツー語族は5000~4000年前頃に、アフリカ西部中央からアフリカ東部および南部へと拡大しました。これは農耕の拡大を伴っていますが、文化の伝播だけではなく、人類集団の移動によるものでもありました。しかし、これまでの遺伝学的研究は、アフリカ全体のバンツー語族話者の多様性パターンより、むしろ農耕民と狩猟採集民の比較に注目していたため、サハラ砂漠以南のアフリカ人の1/3(約3億1千万人)を占めるバンツー語族話者の遺伝的歴史の多くの側面は不明のままになっている、と本論文は指摘します。

 そこで本論文は、言語学的および人類学的によく定義された、バンツー語族の起源地(現在のナイジェリア南東部やカメルーン西部)を含むアフリカの西部および西部中央の35集団の1318人のゲノム規模一塩基多型データから、バンツー語族集団の遺伝的および適応的歴史を詳しく検証します。なお、本論文のバンツー語族集団は伝統的な農耕民集団のことで、バンツー語族の熱帯雨林狩猟採集民を含みません。本論文はこのゲノム規模一塩基多型データを、サハラ砂漠以南のアフリカの他のバンツー語族集団および非バンツー語族集団のデータと統合し、合計57集団から2055人の548055ヶ所の高品質な一塩基多型データを得ました。

 アフリカのバンツー語族集団では、西部中央・東部・南西部・南東部集団が遺伝的に相対的な均一性を示します。これは、バンツー語族集団がサハラ砂漠以南のアフリカ全体に拡大した後、比較的最近分離していったことを反映しています。バンツー語族集団は拡大していった地域で在来集団から遺伝的影響を受けており、西部中央集団はアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民から16%、東部集団はアフロアジア語族農耕民集団から17%、南東部集団はサン人狩猟採集民から23%程度と推定されています。

 サハラ砂漠以南のアフリカにおけるバンツー語族集団の拡散に関しては、二つの仮説が提案されてきました。一方は「早期分岐」仮説で、バンツー語族集団の中核地域内で西部系と東部系が分離し、各地へと拡大していった、と想定します。もう一方は「後期分岐」仮説で、バンツー語族集団の起源地から現在のガボンやアンゴラといった南方の赤道熱帯雨林に最初に拡大し、その後にサハラ砂漠以南のアフリカのその他の地域へと拡散していった、と想定します。本論文は、「後期分岐」仮説に近い、バンツー語族集団はアフリカ東部および南部に拡散して在来集団と混合する前に、熱帯雨林経由で南方へと移動した、という見解を提示しています。バンツー語族集団におけるアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民の遺伝的影響は、上述のように西部中央集団において16%ほどで、東部および南東部集団では5%以下です。本論文はこの推定から、バンツー語族西部集団とアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民との交雑は800年前頃に起き、それはバンツー語族集団がサハラ砂漠以南のアフリカに広く拡散した後だった、と推測しています。

 アフリカ東部および南部に拡大していったバンツー語族農耕民集団は、新たな生態系に急速に適応しなければなりませんでしたが、その適応的歴史はよく分かっていません。本論文はこの問題に関して、最近起きたと推定される正の選択の痕跡をゲノムで探しました。たとえば、遺伝的に密接に関連する参照集団と比較して、より大きな同型接合性(ホモ接合性)と集団分化の両方が見られるような、一塩基多型の高い割合を示す領域です。その結果、最近の正の選択の強い痕跡を示すゲノム領域が、バンツー語族集団の西部中央・東部・南東部でそれぞれ、8ヶ所・5ヶ所・7ヶ所検出されました。

 免疫応答を媒介するHLA(ヒト白血球型抗原)遺伝子座は、バンツー語族集団でも西部中央系と東部系でそれぞれ、50.5%と62.4%とゲノム規模での高い割合を示しました。バンツー語族西部中央集団でHLAの次に強い選択の痕跡領域はCD36遺伝子を含んでおり、これはマラリア原虫への感受性と関連しています。CD36の推定される選択された一塩基多型は、バンツー語族西部中央集団では25%ほど観察されましたが、アフリカ西部の非バンツー語族集団では基本的に見られませんでした。バンツー語族東部集団では、HLAの次に強い選択の痕跡が、ラクターゼ(乳糖分解酵素)をコードするLCT遺伝子領域と重なりました。これは、成人後もラクターゼを持続させるアレルC-14010と関連しています。バンツー語族南東部集団では、選択の痕跡の割合がより低く、異なる人口および適応的歴史を反映しているかもしれない、と本論文は推測しています。

 本論文は、バンツー語族集団におけるこうした正の選択を受けた領域に関して、非バンツー語族集団に由来するものがあり、それが拡散先の新たな環境における適応度を高めた可能性を指摘します。たとえば、バンツー語族西部中央集団のゲノムのHLA領域では、アフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民に由来するものが38%見られ、これはゲノム規模でのアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民からの平均的影響の16%を大きく上回ります。バンツー語族東部集団のゲノムのLCT領域では、ラクターゼを持続させる多様体に関して、同様に在来のアフリカ東部集団からのゲノム規模での平均的影響を大きく上回る影響が見られます。これは、現生人類(Homo sapiens)がアフリカから世界各地に拡散するさいに、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)から、交雑により新たな環境で適応度を高めるような遺伝子多様体を獲得した、と推定されていることと同様です(関連記事)。人類に限らず、生物史においてこうしたことは珍しくなかったのでしょう。

 本論文は、アフリカ系アメリカ人におけるバンツー語族集団の遺伝的影響も検証しています。本論文は、北アメリカ大陸のさまざまな地域の5244人のアフリカ系アメリカ人のアフリカ系統を分析しました。その結果、以前の分析とおおむね一致して、アフリカ系アメリカ人はアメリカ合衆国の北部と南部でそれぞれ、73%と83%のアフリカ系統を有する、と推定されました。本論文はアフリカ系統をさらに区分し、13%がセネガルおよびガンビア(セネガンビア)、7%が風上海岸(奴隷海岸)、50%がベニン湾、最大で30%がアフリカ西部中央(ほぼアンゴラ)に由来する、と推定しています。以下に掲載する、本論文の図4でこれが示されています。
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 アフリカ系アメリカ人のゲノムにおけるバンツー語族西部中央集団由来領域の推定値は、1619~1860年の間に北アメリカ大陸に連行された奴隷の23%はアフリカ西部中央に起源がある、と報告する歴史的記録と一致します。本論文はさらに、アフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民系統は、アフリカ系アメリカ人のアフリカ系統の4.8%以下を占める、と推定しています。アフリカの熱帯雨林狩猟採集民が直接的に奴隷として北アメリカ大陸に連行されたわけではなさそうだとすると、この4.8%は、アフリカ系アメリカ人のゲノムの巨大な断片は、16%程度のアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民系統を有するバンツー語族西部中央集団に由来する、と推測されます。

 本論文の知見は、アフリカ系アメリカ人の起源が以前に想定されていたよりも多様である、と示唆します。また以前には、大きなアレル頻度と、アフリカ西部の非バンツー語族集団であるヨルバ人に基づき、アフリカ系アメリカ人ではマラリアと関連するHBBおよびCD36遺伝子における選択圧が弱くなった、と推測されていました。本論文は、アフリカ西部集団のみを対象すると、この結果は再現されるものの、本論文で推定されたより多様な一連のアフリカ系統の起源を想定すると、同じ結果は得られなかった、と指摘します。以前の結果は、アフリカ系アメリカ人におけるアフリカ系統の唯一の起源集団としてヨルバ人を用いたことに起因する、と本論文は指摘します。さらに本論文は、アフリカ系アメリカ人のゲノムにおけるアフリカ系統では、上述のHLA領域やLCT領域のような平均を超える過剰な割合が検出されなかったことから、選択圧の大きな変化はアフリカ系アメリカ人の歴史では起きなかった、と推測しています。


参考文献:
Patin E. et al.(2017): Dispersals and genetic adaptation of Bantu-speaking populations in Africa and North America. Science, 356, 6337, 543-546.
https://doi.org/10.1126/science.aal1988