ヒマラヤにおける人類集団の長期の遺伝的安定性

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、ヒマラヤにおける人類集団の長期の遺伝的安定性に関する研究(Jeong et al., 2016)が報道されました。高地帯は人類の恒久的居住が遅れた場所の一つで、それは、起伏の多い地形や寒冷気候や低酸素や資源の相対的不足といった問題のためです。人類の恒久的居住地域として、ヒマラヤ山脈とチベット高原よりも高い場所は実質的になく、たいへん過酷な環境と言えるでしょう。現代人集団のゲノム規模研究は明確に、ヒマラヤ山脈がアジア東部集団とユーラシア西部集団との間の遺伝子流動への障壁だった、と示しています。しかし、ヒマラヤ地域全体の文化的および言語的多様性の広範な証拠も提示されており、地域を超えた接触の長い歴史を示しています。

 現在利用可能な考古学的および解剖学的データと現代人集団の遺伝的データは、最初のヒマラヤ地域の居住者の起源に関して、アジア南部・アジア中央部・低地アジア南東部・高地アジア東部という各地域の集団が想定されており、定説は確立していません。同様にその後のヒマラヤ地域の人口史に関しても、どの集団が強い影響を及ぼしたのか、ほとんど合意は形成されていません。高地環境の恒久的居住には多くの生理学的適応が必要で、最近の遺伝学的研究は、チベット人とチベット高原東部からネパールへと600~400年前頃に移住してきたシェルパ人における、低酸素症の適応の核たる正の選択の痕跡を識別してきました(関連記事)。

 現時点では、チベット人とシェルパ人だけが、アジア東部高地集団としては、ゲノム規模の研究が行なわれてきました。しかし、チベット高原の人口史と高地適応が熱心に研究されてきたのにたいして、チベット高原よりもずっと遅れるヒマラヤ地域への人類の拡散については、あまり明らかになっていません。ヒマラヤ地域は長い間、チベット高原とアジア南部(インド亜大陸)を結ぶ自然の回廊および交易経路として機能してきたため、その歴史の解明は重要です。さらに、ヒマラヤ地域の初期の拡散とその後の遺伝子流動における高地低酸素症への適応の役割は、完全に未解明です。そこで本論文は、古代DNA研究により、こうした問題に取り組みました。

 ネパールのムスタン王国のアンナプルナ保護地域(Annapurna Conservation Area)は主要な高地回廊(海抜2800~4500m)で、人類遺骸を含むヒマラヤ地域では最古となる既知の遺跡が確認されています。アンナプルナ保護地域(ACA)の先史時代の副葬品には、アジア西部(オオムギやコムギやレンズ豆やヒツジなど)とアジア東部(コメ)両方の家畜化・栽培化された品種が含まれます。在来の実用品に加えて、威信材には銅製装飾品や紅玉髄製ビーズなどアジア南部との強いつながりを示唆するものが含まれており、アジア中央部や新疆との接触を示唆する竹籠や木製家具なども含まれています。1750年前頃以後には、中国の絹、サーサーン王朝やインド中央部と南端のガラス製ビーズ、チベット西部やムー・カシミール州東部の地方であるラダック(Ladahk)やキルギスタンで見られるものと類似した金や銀のマスクも確認されています。ヒマラヤ渓谷の埋葬慣習は、当初は新疆で観察されたものと類似していましたが、1500年前頃以後には、複数起源だったかもしれないものの、おもにアジア西部文化と関連するような慣習を含みます。したがって、ヒマラヤ地域の早期人類集団は、イランから中国東部にいたるまで、ひじょうに広い地理的範囲から影響を受けた、というわけです。

 物質文化の複雑さを考慮すると、現在利用可能な考古学的データからは、こうした文化変容が、集団置換と文化的拡散のどちらに起因するのか、あるいは両方が影響していたのか、判断できない、と本論文は指摘します。さらに、現代人集団か言語学および遺伝学的データの解釈は、チベット帝国の興亡や大規模な戦争や現代国民国家の確立と関連した、過去1300年にわたる複数の歴史的記録に見えるチベット人移民により複雑化されています。これらの理由から、古代人のゲノム分析は、高地ヒマラヤの人類集団史についての競合する仮説の解決に直接的な手段を提供する、と本論文は指摘します。

 本論文はACAへの移住と早期集団史を調査するため、3150~2400年前頃のチョクホパニ(Chokhopani)、2400~1850年前頃のメブラク(Mebrak)、1750~1250年前頃のサムヅォング(Samdzong)という異なる3文化期の、8人のゲノム規模配列と高網羅率のミトコンドリア配列を得ました。チョクホパニ期では1個体(C1)、メブラク期では3個体(M63・M240・M344)、サムヅォング期間(Samdzong)では4個体(S10・S35・S40・S41)のDNAが解析されました。核DNA解析では、網羅率は0.044倍(M344)~7.253倍(C1)で、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、網羅率は20.8倍(M344)~1311.0倍(S41)です。S40を除いて全員男性です。

 この8人のゲノム規模データは、ネパールのシェルパ人4個体とチベット人2個体を含む、各地の現代人と比較されました。ACA の3期間に及ぶ8人全員は、現代のアジア東部集団と遺伝的に最も密接に関連していました。さらに本論文は、核DNA解析で網羅率1倍以上の5個体(C1・M63・S10・S35・S41)で、アジア東部のどの集団とより近縁なのか、検証しました。全体として、ACAの5人はチベット人やシェルパ人といった現代のアジア東部高地集団ときわめて近縁です。

 高地適応関連遺伝子では、EGLN1の一塩基多型の1ヶ所(rs186996510)で、ACAの5人のうち解読できた4人は全員、高地適応型のアレル(対立遺伝子)を有していました。これはチベット人では高頻度で確認されていますが、低地のアジア東部人では稀です。機能的研究では、このアレルは低酸素状態での酸素恒常性維持の役割を果たす、とされています。もう一方の高地適応関連遺伝子であるEPAS1では、高地適応型のアレルを有していたのは、5人のうち年代の新しい2人(S35・S41)でした。これらの結果は、ACAの古代集団と現代アジア東部高地集団との遺伝的類似性というゲノム規模データでの比較と一致します。また本論文は、高地適応関連遺伝子のEGLN1とEPAS1の高地適応型アレルの頻度の違いから、両遺伝子における高地適応型ハプロタイプの頻度上昇時期が異なると推測していますが、その正確な時期についてはより多くの標本が必要になる、と指摘しています。なお、チベット人に見られるEPAS1の高地適応型アレルについては、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)からの遺伝子流動が指摘されています(関連記事)。

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、ACAの8人全員で分類されました。C1がD4j1b、M63がM9a1a1c1b1a、M240がM9a1a2、M344がZ3a1a、S10がM9a1a1c1b1a、S35がM9a1a、S40がF1c1a1a、S41がF1dです。いずれも、現代のネパール人および/またはチベット人で見られ、現代インド人とパキスタン人では稀か存在しないハプログループです。ACAの8人で最古の個体となるC1のmtHg- D4j1bは、現代チベット人では主流のD4のサブグループです。現代チベット人のmtHg- D4は他のアジア東部集団のハプログループとは推定で27000~26000年前頃と深い分岐を示し、ACA集団と現代のアジア東部高地集団との遺伝的類似性を改めて支持します。Y染色体ハプログループ(YHg)では、核DNAの解析で網羅率2倍以上の4人で分類でき、C1・S10・S35がYHg-O2a2b1a1、S41がYHg-Dで、現代チベット人では、前者が29.86%、後者が54.50%と高い割合を示します。母系を示すmtHgだけではなく、父系を示すYHgでも、ACA集団と現代チベット人との遺伝的類似性が示されました。

 遺伝的水準では、ヒマラヤ地域はアジア南部とアジア東部の人類集団間の強い遺伝的障壁として機能してきた、と解釈されます。これは、ユーラシアの大半の人類集団構造の距離による一般的な孤立パターンとは顕著に異なります。ヒマラヤは長い間、南方ではなく北方への遺伝子流動の顕著な障壁として機能しており、この遺伝的境界は少なくとも過去3000年間安定している、と示されます。本論文で分析されたACA集団の8人は、現代アジア東部集団、その中でもとくにチベット人やシェルパ人のような高地集団と強い遺伝的類似性を示します。したがって、ヒマラヤ地域の最初の住民がアジア南部やアジア中央部やアジア南東部から到来したとか、これらの集団がその後でヒマラヤ渓谷の集団を置換したとか、もしくは大規模に混合したとかいう想定は支持されない、と本論文は指摘します。

 一方、ヒマラヤ地域の集団への遺伝子流動では、データは南方からよりも北方からの方が容易と示しており、これは、南方よりも北方の方が高低差は小さい、という地形上の理由に起因する、と本論文は推測します。ヒマラヤ地域の北側の集団は、長期間にわたって中程度の高地に留まり、遺伝的および文化的適応を蓄積できましたが、南側の集団にはそうした適切な緩衝地帯がなかった、というわけです。この想定は、チベット高原の考古学的記録により裏づけられます。チベット高原北東部の人類の痕跡は、ヒマラヤ渓谷における最初の人類の痕跡よりずっと古く、本論文刊行後の研究では、チベット高原高地帯における人類の永続的な定住は遅くとも7400年前頃までさかのぼる、と推測されています(関連記事)。さらにその後の研究では、チベット高原北部の海抜約4600m地点に、人類は4万~3万年前頃には拡散していた、と推測されています(関連記事)。チベット高原では5500年前頃以降に農耕が始まり、これはアジア東部からの影響と推測されていますが、これが人類集団の移動によるのか、それとも文化伝播なのか、本論文は判断を保留しています。なお、これらのチベット高原の人類の痕跡はまず間違いなく現生人類(Homo sapiens)の残したものですが、デニソワ人もチベット高原に拡散しており、その年代は16万年以上前と推定されています(関連記事)。高地適応関連遺伝子も、ヒマラヤ地域の人類集団における南北の遺伝的影響の非対称性を促進した可能性が高い、と本論文は指摘します。こうした高地適応関連遺伝子多様体を、チベット人系統は以前から高頻度で有していた、と推測されるからです。

 本論文は、ヒマラヤ渓谷の人類集団において、過去3000年の間に2回の顕著な文化的変化(メブラク期とサムヅォング期)が起きたにも関わらず、安定した遺伝的継続性が見られる、と指摘します。これは、大きな文化変容と大規模な人類集団の移動との関連が指摘されているヨーロッパの事例(関連記事)とは対照的です。本論文はこれを、高地への定住には遺伝的もしくは文化的な適応の特有のセットが必要だからだろう、と推測します。ただ本論文は、現時点での考古学的データはほぼ埋葬に限定されるので、アンナプルナ保護地域で観察される考古学的変化が本格的な文化変容ではない可能性も指摘しています。

 本論文の見解は、ある地域の文化変容において、人類集団の置換と人類集団の大規模な移動を伴わない文化伝播のどちらの比重が大きかったのか、という人類史に普遍的な問題を考察するうえで興味深いものです。これは複数のパターンが想定され、一様ではなかった、と私は考えています(関連記事)。ある地域における文化変容と遺伝的構成の関係については、特定の傾向はなく、個別に検証していかねばならないのだと思います。また本論文は、古代DNA研究の地域格差の観点からも注目されます。ユーラシア東部の古代DNA研究は、ユーラシア西部と比較して明らかに遅れているのですが、本論文のように研究が蓄積されつつあるので、今後は少しでも格差が縮小するよう、期待しています。


参考文献:
Jeong C. et al.(2016): Long-term genetic stability and a high-altitude East Asian origin for the peoples of the high valleys of the Himalayan arc. PNAS, 113, 27, 7485–7490.
https://doi.org/10.1073/pnas.1520844113