縄文人と弥生人の顔と性格の違いまとめ

 3年ほど前(2016年6月11日)に表題の記事が公開されましたが、性格云々の話はともかく、外見の記述に関しては、現代日本社会における一般的な認識に近いと思います。こうした認識は近年になって主流になったというよりは、かなり以前から存在したのではないか、と思います。すでに1980年代に、子供向けの雑誌で、「縄文人」と「弥生人」の典型として有名人が挙げられていて、「縄文人」は吉永小百合氏、「弥生人」は岩下志麻氏でした。なお、「弥生人」で最も有名な卑弥呼は、宮殿に籠って運動不足だっただろうから、淡谷のり子氏のような外見だっただろう、という失礼な一文があったことも記憶しています。

 上記の記事のような「縄文人」と「弥生人」に関する認識は現代日本社会においてかなり浸透していると思われますが、まず問題となるのは、この場合の「弥生人」が「渡来系弥生人」、つまり弥生時代にアジア東部から到来した人々およびその子孫と想定されていることです。そうした「弥生人」の定義は現代日本社会において一般的なので、現代日本人は「縄文人」と「弥生人」の混合で、後者の方が遺伝的影響はずっと高い、といった言説も珍しくないわけですが、やはり、「弥生人」と言う時は弥生文化の担い手と定義するのが妥当なところで、「渡来系弥生人」に限定するのは問題だと思います。

 それは、弥生時代にも「渡来系弥生人」がまず到来したであろう九州において、北西部で「縄文人」的な形態の人類遺骸が発見されており、遺伝的には「縄文人」と現代日本人の中間に位置づけられ、東北地方の弥生時代の男性は遺伝的に「縄文人」の範疇に収まるからです(関連記事)。「弥生人」は形態的にも遺伝的にも多様で、現代日本人の形成過程として、「縄文人」と「弥生人」を対比させ、両者の混合および後者のずっと強い遺伝的影響と説明するのは妥当ではない、と私は考えています。これは「縄文人」についても言えることで、「縄文人」をあまりにも均質な集団として把握することは問題だと思います。

 ただ、あくまでもまだ東日本限定ですし、年代による違いも考慮しなければなりませんが、「縄文人」は「弥生人」よりもずっと遺伝的に均質である可能性が高い、と私は考えています(関連記事)。現代日本人の形成過程に関しては、「縄文人」でもどの地域集団がより大きな影響を残しているのか、弥生時代以降にアジア東部から到来した集団の遺伝的影響の拡大においてどのような地域差と年代差があるのか(現時点では東日本の「縄文人」のゲノムデータしか得られていないので、今後、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られれば、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響の推定値は上方修正される可能性が高い、と私は考えています)、またアジア東部から到来した集団の起源地はある程度限定的なのか、それともかなり多様なのか、大きな移住の波は1回なのか複数回なのか、などといった観点から検証されていくのだと思います。

 ある文化集団を遺伝的に均一と考える傾向については、最近も懸念が呈されています(関連記事)。古代DNA研究の進展により、民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような19世紀~20世紀前半にかけての潮流に逆戻りしているのではないか、というわけです。こうした潮流を強く推し進めていったのがナチスでした。しかし、古代DNA研究でも、ある文化集団における遺伝的多様性が指摘されるようになっており、日本列島でも縄文時代~弥生時代の古代DNA研究が進めば、既知の集団との比較でとても特有の1集団にまとめられないような、「弥生人」の遺伝的多様性が明らかになっていくのではないか、と予想しています。