髙橋昌明氏による『中世の罪と罰』の書評

 網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』(東京大学出版会、1983年、私が所有している第9刷の刊行は1993年)が講談社学術文庫で再刊された、との呟きをTwitterで見かけました。新たに解説が所収されたのは魅力ですが、以前よりも日本中世史の優先順位が下がっているので、親本を所有しているのに新たに購入すべきか否か、迷っています。上記の呟きでは、『日本読書新聞』1984年5月21日号1面に掲載された、髙橋昌明氏による『中世の罪と罰』の書評が紹介されています。この書評は髙橋昌明『中世史の理論と方法 日本封建社会・身分制・社会史』(校倉書房、1997年)に所収されており、同書は一部の書店でまだ入手可能なようです。髙橋氏は、『中世の罪と罰』において4人の著者の間でほぼ共通の了解事項となっている論点を、以下のように整理しています。

(1)罪と罰の対応関係を現代風に割り切ることはできません。中世では、古代に淵源する罪と穢と禍を同一視する観念が強固に存続しており、そこでは穢と禍の除去=祓こそが問題でした。犯人にたいする刑罰の意識は希薄か、もしくは祓の観念を基底に中世的な刑罰が形成されました。

(2)統治者の側と在地では質的に異なった罪と罰の体系があり、ほとんどの中世人にとって現実に効力を有していたのは在地側の方でした。

(3)村落の秩序保持者たる在地領主と荘園領主の罪観念は異質なもので、後者の罪にたいする消極的な対応とは異なり、前者は積極的で厳しい処罰を強行しました。

(4)中世では路・辻・山・海などとそれ以外、あるいは夜と昼の世界など、場の性格と世界の違いにより、同一の好意が民事訴訟に基づく自力救済になったり、犯罪になったりしました。また、早い時代には正当な行為とされていたことが、時代が降ると罪になる場合もありました。

(5)物と人の本来的な一体性が損なわれた状態は不自然・不吉で、あってはならないこと、という呪術的な観念が広範に存在しました。

 髙橋氏は『中世の罪と罰』をこのように整理し、同書に代表される現在(1984年時点)の「社会史ブーム」は、高度に管理化された現代社会の重圧、あるいは高度経済成長以後のさまざまな精神的荒廃にたいする反発や、失われた人と人の絆、人と物、人と自然の結びつき、自立的・主体的労働の回復などといった人間的な願望に深く根差したものだろう、と指摘します。そのうえで髙橋氏は、こうした願望は、未来への展望が困難な中で、前近代社会、とくに最も非管理的で個人の実力がものをいう中世社会への興味・関心となって現れたのではないか、との見解を提示しています。

 髙橋氏はこのように1984年時点での「社会史ブーム」を解説したうえで、それが、こうした現代人の内面の不満とはかなりずれたところで、仲間内にしか通用しない「隠語」で高度な議論の遊戯にふけっているかに見える、マルクス主義史学も含めた戦後歴史学にたいする不信・鋭い批判にもなっている、と指摘します。髙橋氏は、歴史学の一部に見られる、「社会史には課題意識がない」とか「一種の知的遊戯」とかいった、生真面目ではあるものの高慢な論難は、天に唾する行為に他ならない、と指摘します。社会史には「課題意識がない」のではなく、違った視角からの、違ったスタイルの「課題意識」がある、というわけです。当時、髙橋氏をアンチ「四人組(『中世の罪と罰』の著者4人)」とみなす人もいたようですが、髙橋氏は『中世の罪と罰』を高く評価し、戦後歴史学「主流」側の奮起を促しています。髙橋氏はとくに、笠松氏と勝俣氏について、法制史の伝統的見地を十二分に踏まえた正統派の知的営為で、両氏に比肩するほどの後継者は容易に現れないだろう、と高く評価しています。

 また髙橋氏は、「四人組」との評価は不適切で、4人の立場や現代的な関心も相当に異なる、と指摘します。髙橋氏は、笠松・勝俣両氏と網野・石井両氏の違いとして、網野・石井両氏が笠松・勝俣両氏と多くの点で意見・認識を共有しながら、主題を戦後歴史学と直接切り結ぶところに設定している、と指摘します。髙橋氏は、おそらく4人のうちで笠松氏と網野氏がその両極をなすだろう、と評価しています。髙橋氏はそこから、驚くべき密度を誇る笠松氏の所論にもしアキレス腱があるとすれば、案外それは笠松氏の現代法にたいする理解ではないだろうか、と指摘します。髙橋氏は、「課題意識」とその根底にある現代にたいする認識において、我々は自他ともにもう少し厳しい問いかけをすべきだ、と締めくくっています。

 髙橋氏の書評は、当時の学界の雰囲気が窺えるという点でも興味深いものになっています。『中世史の理論と方法』の後書きを読むと、大学紛争以後の学問をとりまく環境と若者の生態・価値観・政治意識が急速に変わりつつあり、そうした背景で社会史が劇的に台頭した、との髙橋氏の認識が窺えます。同書からは、階級闘争や国家論を主題とした戦後歴史学で育った髙橋氏がこの急速な変化にどう対応すべきか、苦悩していたことが窺えます。髙橋氏は学部生だった1960年代半ばに、出張講義に来た黒田俊雄氏にたいして、「もっと階級的にやってください」と注文をつけたそうです。1960年代半ばには、学部生(とはいっても、「意識の高い」一部だったのでしょうが)が研究者にたいしてこのように発言する雰囲気もあったのでしょう。それが、1980年代半ばには大きく変わっていたようです。

 私の実体験は1990年代前半ですが、ある研究者(日本中世史専攻ではありません)は、1970年代と比較して現在(1990年代前半)の学生の気質は大きく変わった、「反左翼的な」見解を述べても強く反発する学生はほぼいなくなった、と発言していました。1970年代から1980年代前半にかけて日本社会の若者をとりまく知的状況は大きく変わり、それは冷戦終了とソ連崩壊により決定的になったのかもしれません(髙橋氏の書評から窺えるように、上の世代の研究者ではまた様相が異なるのでしょうが)。これを堕落と考えるような人も日本社会にはまだ少ないながら存在するのかもしれませんが、マルクス主義が絶対的な権威から転落したこと自体は、たいへん歓迎すべきではないか、と私は考えています。

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