大相撲九州場所千秋楽

 今場所は休場が多く、何とも寂しい限りでした。これは、以前よりも八百長が減っていることを反映しているのかもしれませんが、そうだとすると、やはり1場所15日・年間6場所は、力士への負担を考えるとあまりにも多すぎるのでしょう。とはいえ、本場所や巡業の日数を減らせば、それだけ力士をはじめとして相撲関係者の収入も減るわけで、これは相撲の存続という観点から好ましいことではありません。これも人間社会の問題に多いトレードオフ(交換)と合成の誤謬に行きつくものなので、解決策は容易ではありません。

 休場した力士としてまず挙げねばならないのが横綱の鶴竜関で、すでに初日の取り組みも決まっていたにも関わらず、初日からの休場となりました。鶴竜関は、前師匠の井筒親方(坂鉾関)が亡くなったことで、精神的にかなり落ち込んでいるのかもしれず、来場所での引退も懸念されます。鶴竜関は肉体的にも満身創痍といった感じですから、状況は厳しいのですが、何とか復活してもらいたいものです。3人の大関陣のうち、豪栄道関は初日に負けて負傷し2日目から、高安関は3勝4敗で迎えた8日目から休場しました。高安関は大関から陥落し、来場所での復帰に挑むことになります。大関復帰をかけた関脇の栃ノ心関は、2連敗から2連勝して相撲勘が戻ってきたかな、と思ったところ、4日目の取り組みで負傷して5日目から休場となり、大関には復帰できませんでした。何とも残念ですが、大怪我から復帰してよく大関まで昇進したと思います。新入幕の頃から応援し続けてきただけに、優勝したことも含めて栃ノ心関には感謝しています。栃ノ心関とともに期待していた逸ノ城関は全休で、来場所は十両に陥落となります。何とか、早く幕内上位に戻ってきてもらいたいものです。

 優勝争いは、白鵬関が途中から単独首位に立ち、14日目に優勝を決め、千秋楽の貴景勝関との結びの一番にも勝ち、14勝1敗で43回目の優勝を果たしました。全盛期からかなり衰えた感のある白鵬関ですが、まだ現役最強であることは間違いないでしょう。というか、本来ならばすでに白鵬関も鶴竜関も引退に追い込まれ、世代交代となっていなければならないのですが、若手の伸び悩みにより、白鵬関と鶴竜関の両横綱は現役を続け、豪栄道関も大関の地位を保っています(来場所陥落しそうですが)。確かに白鵬関は相撲史に残る大横綱ですが、やはり、大相撲全体の水準が低下していることもあるのでしょう。日本社会全体の少子高齢化が進む中、旧悪と指弾されそうな要素の多い大相撲界に進みたいと考える少年も、息子を力士にさせたいと考える保護者も少ないでしょうから、全体的な力士の水準は以前よりも低下している可能性が高いと思います。いかにモンゴルやヨーロッパなどから有望な少年を入門させても、入門者で圧倒的に多いのは日本人ですから、日本社会の少子高齢化が進めば、力士全体の水準が低下しても仕方ないとは思います。これは容易に解決できる問題ではないので、大相撲も指導法などで大きな改善が必要なのでしょう。

 大関に復帰した貴景勝関は、先場所の優勝決定戦での大怪我が心配されましたが、9勝6敗と勝ち越しました。基本的には押し相撲で不安定なところがありますし、研究されてきて容易に勝てなくなっている感もありますが、次の横綱に最も近いとは思います。再度大怪我せず、早いうちにもう二段階くらい強くなって横綱に昇進してもらいたいものです。伸び悩んでいる若手力士の代表格とも言える御嶽海関(もう若手とは言いづらい年齢ですが)は先場所優勝し、今場所は、大関昇進、少なくとも足固めの場所として期待されましたが、6勝9敗と負け越してしまいました。御嶽海関は、白鵬関と鶴竜関が引退すれば、大関にまでは昇進できるかもしれませんが、稽古量の少なさも指摘されており、横綱昇進は難しそうです。一方、同じくすでに優勝経験のある朝乃山関は14日目まで優勝争いに加わり、11勝4敗として大関昇進への道を開きました。朝乃山関には成長も感じられ、あるいは貴景勝関よりも先に横綱に昇進するかもしれません。若手が伸び悩むなか、白鵬関と鶴竜関が引退したらどうなるのかと思うと恐ろしいくらいなので、貴景勝関と朝乃山関には早く横綱に昇進してもらいたいものです。

松本克己「日本語の系統とその遺伝子的背景」

 日本語の系統やその起源については以前当ブログで取り上げましたが(関連記事)、明らかに勉強不足なので、比較的近年の知見を得るために本論文を読みました。本論文はPDFファイルで読めます。日本語は系統的孤立言語の一つとされていますが、ユーラシア大陸圏における10近い系統的孤立言語の半数近くが日本列島とその周辺に集中している、と本論文は指摘します。日本語以外では、アイヌ語・アムール下流域と樺太のギリヤーク(ニヴフ)語・朝鮮語です。本論文は、こうした系統的孤立言語の系統関係を明らかにするには、伝統的な歴史・比較言語とは別の手法が必要になる、と指摘します。歴史言語学で用いられる、おもに形態素や語彙レベルの類似性に基づいて言語間の同系性を明らかにしようとする手法では、たどれる言語史の年代幅が5000~6000年程度だからです。つまり、たとえば日本語とアイヌ語の共通祖語があったとしても、少なくとも6000年以上はさかのぼる、というわけです。

 本論文は、伝統的な歴史言語学の手法では推定の難しい言語間の系統関係を推定する手法として、「言語類型地理論」を提唱しています。これは、各言語の最も基本的な骨格を形作ると見られるような言語の内奥に潜む特質、通常は「類型的特徴」と呼ばれる言語特質を選び出し、それらの地理的な分布を通して、世界言語の全体を視野に入れた巨視的な立場から、各言語または言語群の位置づけを見極めようとするものです。本論文は、ユーラシア大陸圏の言語をまず内陸言語圏と太平洋沿岸言語圏に分類し、さらに太平洋沿岸圏を南方群(オーストリック大語族)と北方群(環日本海諸語)に分類します。系統的孤立言語とされる日本語・アイヌ語・ギリヤーク語・朝鮮語は北方群に分類されています。本論文の見解で興味深いのは、内陸言語圏と太平洋沿岸圏にまたがると分類されている漢語を、チベット・ビルマ系の言語と太平洋沿岸系の言語が4000年前頃に黄河中流域で接触した結果生まれた一種の混合語(クレオール)と位置づけていることです。また本論文は、太平洋沿岸言語圏がアメリカ大陸にまで分布している、と把握しています。

 本論文は、言語学的分類を遺伝学的研究成果と結びつけ、その系統関係を推定しようと試みている点で、伝統的な言語学とは異なると言えるでしょう。遺伝学的研究成果とは、具体的にはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)の分類と、地理的分布および各地域集団における頻度で、本論文ではおもにYHgが取り上げられています。太平洋沿岸言語圏で本論文が注目しているYHgは、D・C・Oです。YHg-DとCは、出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団において、比較的早く分岐した系統です。YHg-Dの地理的分布は特異的で、おもにアンダマン諸島・チベット・日本列島と離れた地域に孤立的に存在します。本論文はこれを、言語地理学用語の「周辺残存分布」の典型と指摘しています。本論文はYHg-Cについても、Dよりも広範に分布しているとはいえ、周辺残存分布的と評価しています。本論文は、日本列島に最初に到来した現生人類のYHgはCとDだっただろう、と推測しています。しかし、本論文は地理的分布から、太平洋沿岸系言語と密接に関連するのはYHg-C・Dではなく、YHg-O1b(本論文公開時の分類はO2、以下、現在の分類名を採用します)と指摘します。YHg-Dが日本列島にもたらした言語は、人称代名詞による区分では出アフリカ古層系だろう、と本論文は推測しています。太平洋沿岸系言語と関連するYHg-O1bのサブグループでは、O1b1a1aが南方群、O1b2が日本語も含む北方群の分布とおおむね一致します。本論文は、アジア東部でもかつてはこうした太平洋沿岸系言語が存在したものの、漢語系のYHg-O2、とくにO2a2b1の拡散により消滅した、と推測しています。

 本論文は、日本語をもたらしたと推測されるYHg-O1b2の日本列島への到来について、アメリカ大陸における太平洋沿岸系言語の存在が重要な鍵になる、と指摘します。アメリカ大陸先住民の祖先集団は、アメリカ大陸へと拡散する前にベーリンジア(ベーリング陸橋)に留まっていた、とするベーリンジア潜伏モデルが有力です(関連記事)。このベーリンジアでの「潜伏」が最終氷期極大期(LGM)によりもたらされ、この「潜伏期」にボトルネック(瓶首効果)によりYHg-O1bが失われたとすると、日本語祖語となる太平洋沿岸系言語の担い手であるYHg-O1b2が日本列島に到来したのはLGM以前で、遅くとも25000年前頃だろう、と本論文は推測します。本論文は、この集団が石刃技法を有していた可能性も提示しています。このYHg-O1b2の到来により、日本列島の言語は、YHg-Dがもたらした出アフリカ古層系から太平洋沿岸系言語へと完全に置換された、と本論文は推測します。しかし、日本列島のYHg-Dは淘汰されず、現在でも高頻度(とくに高頻度のアイヌ集団を除くと3~4割)で足属している、と本論文は指摘します。

 本論文の見解はたいへん興味深く、今後、言語系統の研究と遺伝学的研究との融合が進んでいくだろう、と期待されます。ただ、YHg-O1b2系統における各系統への分岐が25000年前頃までに始まっていたのかというと、疑問も残ります。そうすると、日本列島へのYHg-O1b2の到来年代もずっと後になりそうです。何よりも、まだ「縄文人」においてはYHg-Oが確認されていません。YHg-O1b2はアジア東部にかつて現在よりも広範に分布しており、その中には弥生時代もしくは縄文時代晩期以降に日本列島へと農耕技術とともに到来した日本語祖語集団がいた、という想定の方が現時点では有力なように思われます。また、言語に代表される文化の変容と遺伝的継続・変容の程度との間には常に一定の相関が確認されるわけではなく、かなり多様だったと考えられるので(関連記事)、言語をはじめとして文化と遺伝的構成の関係については、固定的に把握してはならない、と私は考えています。日本語の起源と系統関係については、今後も長く議論が続いていきそうです。


参考文献:
松本克己(2012)「日本語の系統とその遺伝子的背景」千葉大学文学部公開講演会

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第44回「ぼくたちの失敗」

 1962年、ジャカルタで開催されたアジア大会において、アラブ諸国および中華人民共和国との連携を強化していたインドネシアのスカルノ政権がイスラム教徒と中華民国(台湾)を実質的に排除しようとしたため、田畑政治たち日本選手団は参加すべきか否か、苦悩します。田畑はけっきょく開会式直前に参加を決意しますが、日本ではこの決定が批判され、田畑が槍玉に挙げられます。オリンピック担当大臣の川島正次郎は、参加を決めたのは自分ではなく、東京オリンピック組織委員会の会長の津島寿一と都知事の東龍太郎と田畑だと責任転嫁を図ります。

 田畑は河野一郎から助言を受けて、正式大会から親善大会に変えようとしますが、インドネシア国民は激昂します。田畑は閉会後も国際陸連から責め立てられ、親善大会扱いにしようと画策しますが、失言によりさらに窮地に追い込まれます。川島はここぞとばかりに田畑と津島を責め立て、田畑と津島は国会に参考人として招致されます。田畑は国会で議員たちに糾弾され、自分がどこで間違ってしまったのか、考えます。田畑はかつて高橋是清と面会したさいに、政治家もオリンピックを利用すればよい、と言ったことを想起します。津島は批判に耐えられず、会長辞任を申し出ますが、田畑の辞任も条件とし、田畑は事務総長を解任されます。

 今回は田畑が解任へと追い込まれる政治劇でした。田畑が、自分の間違いの原点を探し、高橋是清との面会に思いが及ぶ場面は、長期の連続ドラマらしいつながりでよかった、と思います。ただ、今回もそれなりに長かった落語場面が、終盤になっても本筋と上手く接続しているとは言えないように思えるのは、残念です。まあ、田畑夫妻と落語の場面を重ねていたところは上手かったと思いますが。それでも、最終回では落語場面の重要な意味が浮かび上がってくるのではないか、と期待しています。