年末の挨拶

 いよいよ2019年も終わりが近づいてきました。ブログを始めてから13年半以上経過し、ほぼ毎日更新してきたものの、相変わらずの過疎ブログです。やはり、知名度が皆無に近い匿名人物のブログがある程度以上の人気を得るには、更新頻度もさることながら、有益な情報を提供するか、面白い記事を執筆しなければならないのでしょう。もちろん、多くの人が関心を持つような話題を取り上げることも重要になります。このブログでも多くの人が関心を持つような話題を取り上げることはありますが、有益な情報を提供できているわけでも、面白い記事を執筆できているわけでもないので、現状ではほぼ自分にとっての備忘録としてしか機能していない、と残念ながら認めざるを得ません。

 とまあ、昨年の大晦日の記事を流用して一部だけ修正したわけですが、どうも現在の能力・見識・気力では、今年を振り返って何か的確で有益なことを言えそうにありません。今年も、日本社会に関しては明るい話題より暗い話題の方がずっと多かったように思いますし、来年はもっと状況が悪化しそうですが、何とかしぶとく生き続けていきたいものです。来年も古人類学関連の情報を中心として、地道にブログの更新を続けていくつもりです。一年間この過疎ブログをお読みくださった方、さらには有益な情報を寄せてくださった方には感謝申し上げます。皆様よいお年を。

2019年の古人類学界

 あくまでも私の関心に基づいたものですが、年末になったので、今年(2019年)も古人類学界について振り返っていくことにします。今年の動向を私の関心に沿って整理すると、以下のようになります。

(1)今年も大きく進展した古代DNA研究。

(2)タンパク質解析の人類進化研究への応用。

(3)人類の出アフリカの時期と経路をめぐる新たな証拠。


(1)近年ずっと繰り返していますが、今年も古代DNA研究の進展には目覚ましいものがありました。当ブログでもそれなりの数の古代DNA研究を取り上げましたが、知っていてもまだ取り上げていない研究も少なくありませんし、何よりも、まだ知らない研究もおおいのではないか、と思います。正直なところ、最新の研究動向にまったく追いついていけていないのですが、今後も少しでも多く取り上げていこう、と考えています。とりあえず、以下に当ブログで今年取り上げた研究を、数行程度で簡単に紹介していきます。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった「古代型ホモ属」と現生人類(Homo sapiens)との交雑については関心が高く、今年も重要な研究が相次いで公表されました。それらの研究で提示された見解には食い違いも見られますが、全体的に、交雑も含めて後期ホモ属の各系統間の相互作用はたいへん複雑だった、と示す傾向が強いように思います。20年前と言わず10年前と比較しても、人類進化、とくに後期ホモ属に関しては、かなり複雑な想定が必要とされているように思います。

 具体的には、ネアンデルタール人とデニソワ人の混合系統とユーラシア東部およびオセアニアの現代人の祖先集団との交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_35.html
現生人類と複数系統のデニソワ人とが複雑に交雑し、デニソワ人系統が3万年前頃までニューギニア島(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸と陸続きでサフルランドを形成)に存在した可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_19.html
デニソワ人やネアンデルタール人と近縁な絶滅ホモ属と現生人類との複雑な交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_40.html
ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先と未知の人類との交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_19.html
アフリカにおける現代人系統と未知の人類系統との交雑の可能性を指摘した研究などがあります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_34.html

 古代型ホモ属の新たなDNA解析結果も報告されており、ドイツとベルギーの12万年前頃のネアンデルタール人個体のDNA解析結果を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_56.html
ジブラルタルのネアンデルタール人のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_39.html
DNAメチル化地図からデニソワ人の形態を推測した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_50.html
DNAを直接解析したわけではありませんが、臼歯の歯根数からアジア東部における現生人類とデニソワ人の交雑の可能性を指摘した研究も注目されますが、
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_19.html
これに対しては異論も提示されています。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_43.html

 古代型ホモ属絶滅後の現生人類の古代DNA研究も大きく進展しており、やはりヨーロッパを中心としてユーラシア西部を対象としたものが多く、当ブログでもそれなりの数を取り上げました。私がとくに注目した研究としては、アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html
アメリカ大陸北極域とシベリアにおける人類集団の変遷に関する研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_17.html

 また、古代DNA研究の威力を改めて示した研究として、十字軍兵士のDNA解析結果を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_33.html
ペリシテ人のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html
これらは、前後の期間では検出されない、ある時期の微妙な遺伝的構成の変化を検出しています。十字軍兵士のDNA解析の事例は史料の裏づけにもなっており、歴史学においても古代DNA研究がますます活用されていくだろう、と予想しています。ユーラシア西部やアメリカ大陸と比較して遅れているユーラシア東部の古代DNA研究も進んでおり、北海道の「縄文人」のDNA解析結果を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html
愛知県の「縄文人」のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html

 ただ、こうした古代DNA研究の問題点も指摘されています。古代DNA研究における植民地主義的性格を指摘した記事や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_43.html
古代DNA研究が「極右」に利用される可能性を指摘した論文があります。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html
また、古代DNA研究というよりは広く遺伝学、さらには「科学的研究」の中に、人種差別的性格があることを指摘した記事もあります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_55.html
これらの指摘の中には、同意できない見解も少なくないのですが、古代DNA研究が大きな問題を抱えていることも否定できないでしょう。


(2)このように古代DNA研究の近年の進展は目覚ましいのですが、年代に関しては限界があります。現時点でDNA解析に成功した個体は、人類では43万年前頃、それ以外の動物では78万~56万年前頃が最古の事例となります。そこで、古代DNA解析の限界年代を超えた古い年代の人類遺骸の遺伝的情報を得る手段として、タンパク質解析が注目されています。近年の古代タンパク質解析研究の進展に関する総説では、300万年以上前の動物遺骸のタンパク質解析も可能と指摘されています。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_58.html
人類ではありませんが、ジョージア(グルジア)の177万年前頃のサイ科動物のタンパク質解析結果を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_11.html
190万年前頃のギガントピテクスのタンパク質解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_19.html

 何よりも、チベット高原東部のホモ属下顎骨が、タンパク質解析により、それまではシベリア南部のアルタイ山脈の渓谷に位置するデニソワ洞窟(Denisova Cave)でしか確認されていなかったデニソワ人と確認されたことは、大きな成果だったと思います。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_4.html
今後、古代DNA研究の困難な年代・地域の人類遺骸の遺伝的情報が得られていくだろう、と大いに期待されます。


(3)人類の出アフリカについては、現生人類とともに、それよりもはるかに古い最初のものも注目されます。最初の出アフリカは「異論の余地のない(アウストラロピテクス属的特徴をほとんど示さない)」ホモ属によるものだった、との見解が長きにわたって有力でした。しかし、近年ではジョージアでアウストラロピテクス属的な特徴も有する180万年前頃のホモ属遺骸も発見されており、見直されつつあります。レヴァントでは248万年前頃の石器が発見されており、人類の出アフリカが以前の有力説よりもはるかに古かったことを示唆していますが、人類遺骸はまだ発見されていないので、どの人類系統が最初にアフリカからユーラシアへと拡散したのか、不明です。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_39.html

 遺伝学的な証拠からは、出アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカは6万~5万年前頃と推定されています。それ以前の現生人類の出アフリカは十数万年前頃で、レヴァントまで拡散したものの、絶滅したかアフリカに撤退した、と考えられてきました。しかし近年、現生人類の出アフリカの時期と範囲を見直すことになるかもしれないような証拠が提示されています。ギリシア南部では、21万年以上前と推定されている現生人類的な頭蓋が発見されています。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_25.html

 アジア南部でも10万年以上前までさかのぼる現生人類の痕跡の可能性が指摘されていますが、人類遺骸は発見されていないので、どの人類系統が担い手なのか、まだ断定できる段階ではありません。
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_43.html

 高地や砂漠などは人類にとって極限環境とされており、現生人類でも進出は遅れたと考えられていますが、現生人類の高地への拡散の最初期の事例として、47000~31000年前頃となるエチオピアの事例が報告されています。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_19.html


 上記の3区分に当てはまりませんが、その他には、ルソン島の後期更新世の新種ホモ属を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_17.html
中国南部の末期更新世の祖先的特徴を有する人類に関する研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_46.html
初期アウストラロピテクス属の進化を見直した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_57.html
最古のオルドワン(Oldowan)石器を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_10.html
研究がたいへん注目されます。


 この他にも取り上げるべき研究は多くあるはずですが、読もうと思っていながらまだ読んでいない論文もかなり多く、古人類学の最新の動向になかなか追いつけていないのが現状で、重要な研究でありながら把握しきれていないものも多いのではないか、と思います。この状況を劇的に改善させられる自信はまったくないので、せめて今年並には本・論文を読み、地道に最新の動向を追いかけていこう、と考えています。なお、過去の回顧記事は以下の通りです。


2006年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_27.html
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_28.html
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_29.html

2007年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200712/article_28.html

2008年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200812/article_25.html

2009年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200912/article_25.html

2010年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201012/article_26.html

2011年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201112/article_24.html

2012年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201212/article_26.html

2013年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201312/article_33.html

2014年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201412/article_32.html

2015年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_31.html

2016年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201612/article_29.html

2017年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201712/article_29.html

2018年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_42.html

ボノボの詳細な形態とヒトとの共通性

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ボノボ(Pan paniscus)の詳細な形態に関する研究(Diogo., 2018)が報道されました。これまで、ヒト(Homo sapiens)は他の動物よりもはるかに特殊で複雑と考えられる傾向にありました。こうした見解は、特定の筋肉がヒトだけで進化し、その独特な身体的特徴をもたらした、と示唆します。しかし、こうした見解の検証は、これまでおもに単一標本の頭部または四肢のわずかな筋肉にのみ集中していた霊長類の柔組織の記述が少ないため、困難なままでした。野生と博物館の双方で、霊長類、とくに類人猿の解剖標本は希少です。

 本論文は、類人猿の形態に関する以前の全情報をまとめるとともに、自然界で死亡した何頭かのボノボの形態を分析し、ヒトの7種の異なる筋肉が存在するかどうか調べ、これらの7種の筋肉が類人猿に類似した形態で存在している、と明らかにしました。たとえば、ヒト二足歩行と一意的に関連しているといわれる腓骨筋は、検査したボノボの半分に存在していました。同様に、少なくともチンパンジー(Pan troglodytes)および/またはゴリラには、独自の洗練されたボーカルの進化と関連すると考えられていた斜披裂筋と、顔面コミュニケーションの進化と関連すると考えられていた顔面筋の笑筋が存在する、と明らかになりました。

 これらの知見からは、ヒトの軟組織の起源と進化が明らかに複雑で、かつ例外的ではない、と考えられます。これらの筋肉が類人猿に存在し、場合によっては特定の種の個体群の一部にしか存在しない理由について、何らかの選択圧があるのか、あるいは単に他の機能の副生成物に関連する進化的中立的な特徴なのか、より詳細に調べる必要がある、と本論文の著者であるディオゴ(Rui Diogo)氏は指摘します。ヒトは他の類人猿と明確に区別できるわけではなく、全体的にはあまり変わらないので、ヒトの体と進化史をよりよく理解するためには、霊長類の形態の徹底的な知識が必要になる、とディオゴ氏は指摘します。

 本論文の知見は、ヒトの特定の筋肉が、二足歩行や道具使用や声によるコミュニケーションや表情など、ヒトの特質に対する特別な適応の選択圧の結果として進化したという、ヒト中心の見解に疑問を呈しています。ヒトも類人猿の一種であり、ボノボやチンパンジーなど他の類人猿と共通する形態と進化史を有しています。これまで、ヒトの形態について、二足歩行や道具使用といったヒトの顕著な特徴と関連づけてその特有性が過大評価される傾向にあったのかもしれませんが、今後は、本論文のような霊長類の詳細な形態学的研究により、どこが共通でどこがヒト特有なのか、より正確に把握されるようになっていく、と期待されます。


参考文献:
Diogo M. et al.(2019): First Detailed Anatomical Study of Bonobos Reveals Intra-Specific Variations and Exposes Just-So Stories of Human Evolution, Bipedalism, and Tool Use. Frontiers in Ecology and Evolution, 6:53.
https://doi.org/10.3389/fevo.2018.00053

1990年代のネアンデルタール人への低評価

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)への評価は19世紀における発見以降、大きく変容してきました(関連記事)。ネアンデルタール人への評価がとくに厳しかったのは、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、現代人とは異なる分類群であることが明らかになった1997年から、ネアンデルタール人と現生人類との交雑が有力説になった2010年5月までだと思います。ただ、この間のネアンデルタール人への評価の低さは、それ以前の議論を踏まえたものだったというか、その「発展型」だったように思います。

 1980年代後半~1990年代前半にかけて、現生人類(Homo sapiens)の起源をめぐり、アフリカ単一起源説と多地域進化説との間で激論が展開されました。その中で、アフリカ単一起源説側において、ネアンデルタール人への評価をひじょうに低く推定する見解が目立つようになってきたのは、多地域進化説を強く意識したからではないか、と思います。多地域進化説を否定するために、現生人類とネアンデルタール人との違い、さらに言えば後者にたいする前者の優位を強調しようとしたのではないか、というわけです。その代表的な一般向け書籍(Stringer, and Clive., 1997)の訳者あとがきにて、河合信和氏は以下のように指摘しています(P367)。

総合的に見て、本書で一貫している論調は、ネアンデルタール人の「半人前」ぶりである。こんな程度で氷河期のヨーロッパをネアンデルタール人はよく生き延びられたものだ、といささか首を傾げたくなる。寒冷適応していたとはいえ、もう少し彼らに高い文化度を認めてやらないと、二万七千年前(サファラヤの最後のネアンデルタール人)までは生きられなかったのではなかろうか。新人に比べて、ネアンデルタール人に対する著者の態度はかなり厳しいと思う。

 今となっては、河合氏の指摘は的確なものだったと思います。現生人類の起源に関して、近年の傾向は多地域進化説の「復権」とも解釈とも解釈できるかもしれませんが(関連記事)、あくまでも部分的なものであり、多地域進化説が妥当だったとまではとても言えず、アフリカ単一起源説が基本的には正しかった、と評価すべきでしょう(関連記事)。上記の河合氏の指摘はおもに考古学での評価についてですが、近年では、ネアンデルタール人と現生人類との技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、とも指摘されています(関連記事)。私は、認知能力においてネアンデルタール人と現生人類との間で潜在的な違いがあっても不思議ではないというか、その可能性が高いものの、ネアンデルタール人も現生人類に可能な行動の多くが可能だろう、と考えています。

 なお、ネアンデルタール人への評価の変遷に関して、「白人」のご都合主義によりネアンデルタール人の評価が好転した、という言説を取り上げたことがあります(関連記事)。これは、白饅頭(御田寺圭)氏という影響力の強いTwitterアカウント(あくまでも私の基準では)が、

「ネアンデルタール人がヨーロッパ人と混血していた」という事実が明らかになった途端、ネアンデルタール人想像図がイケメン化した現象、僕は忘れません。

と言及したこともあり、ネットではそれなりに浸透しているように思います。しかし、改めて確認してみると、その呟きは削除されていました。削除理由が批判されたからなのか否かまでは、確認できませんでしたが。御田寺圭氏は最近では大手サイトにも寄稿しており、ネットでは「論客」の一人として認知されるようになりつつあるのかもしれませんが、その「リベラル」を腐すような言説には、とても「リベラル」にはなれないと自覚している私のような不勉強で「魂の悪い」人間(関連記事)が安易に飛びついてはならない、と自戒すべきなのでしょう。


参考文献:
Stringer CB, and Clive G.著(1997)、河合信和訳『ネアンデルタール人とは誰か』(朝日新聞社、原書の刊行は1993年)

第65回東京大賞典結果

 近年では競馬への情熱をかなり失ってしまい、競馬関連の記事を掲載することが少なくなりましたが、有馬記念と東京大賞典だけは当ブログを始めてから毎年必ず取り上げてきたので、今年も記事を掲載することにしました。今年の東京大賞典には、無敗でチャンピオンズカップを勝った3歳のクリソベリルは出走してきませんでしたが、昨年(2018年)の1~3着馬のオメガパフューム・ゴールドドリーム・ケイティブレイブが出走してきて、GIとしてまずまずの出走馬構成になったと思います。

 レースは、アポロテネシーが逃げ、3番人気のケイティブレイブが差のない2番手という展開で続き、直線ではゴールドドリームが先頭に立ったものの、オメガパフュームが追い込んできて、内から差してきたノンコノユメと一騎討ちになり、ノンコノユメを突き放して1馬身差で連覇を達成しました。オメガパフュームは本当に大井の2000mでは強く、来年はJBCが大井開催となるので、帝王賞・東京大賞典と合わせて大レース3勝も狙えそうです。もちろん、大井開催以外の大レースでも有力ですが。デムーロ騎手は今年後半不調で色々と言われただけに、本当に安心するとともに、嬉しかったでしょう。ノンコノユメはもう大レースでは厳しいかな、と思っていましたが、まだ通用するようで、騙馬なのでまだ長く活躍し続けそうです。

人類進化に関する誤解補足

 昨年(2018年)9月に人類進化についてのよく見かける誤解をまとめましたが(関連記事)、その後、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)に関する誤解(関連記事)と、Y染色体ハプログループ(YHg)に関する誤解(関連記事)を取り上げました。ただ、mtHgとYHgに関する誤解は、さほど浸透していないというか、おそらく声の大きなごく一部の人々が騒いでいるだけのように思います。ネットでは、そうした声の大きな人々の発言が目立ちやすいので、その影響力を過大評価するなど、引きずられようにしないといけない、と自戒しています。

 その他に、7年前に現生人類(Homo sapiens)の起源に関する誤解を取り上げました(関連記事)。おそらく日本では今でも一般的にはあまり知られていないでしょうが、現生人類(Homo sapiens)の起源との関連でマスコミに大きく取り上げられた1980年代後半の現代人のmtDNAに関する研究(Cann et al.,1987)が、その後、試料選択とソフトの使用法の問題を指摘され、1992年までに基本的には否定されたことです(Shreeve.,1996,P98,312-314)。ただ、現代人の最終共通母系祖先が20万年前頃のアフリカにいただろうという当初の結論自体は、その後の研究でも基本的には揺らぎませんでした。

 また、Cann et al.,1987以前には、現生人類アフリカ単一起源説は提唱されていなかった、もしくはほとんど注目されていなかった、というような誤解もありますが(関連記事)、それ以前に形態学的研究からアフリカ単一起源説は提唱されていました(関連記事)。そもそも、現生人類多地域進化説自体も、類似した見解は1970年代以前より存在したとしても、現在認識されているような多地域進化説の成立は1980年代になってからと言うべきで(関連記事)、現生人類アフリカ単一起源説との比較でより歴史が長いとは言えないように思います。また、多地域進化説が成立当初より大きく変容したことも、あまり知られていないように思います(関連記事)。この点を無視して、近年の多地域進化説の「復権」傾向(関連記事)を受け入れてはならないでしょう。なお、多地域進化説の成立過程は、人種問題との関連でも注目されます(関連記事)。


参考文献:
Cann RL. et al.(1987): Mitochondrial DNA and human evolution. Nature, 325, 6099, 31-36.
https://doi.org/10.1038/325031a0

Shreeve J.著(1996)、名谷一郎訳『ネアンデルタールの謎』(角川書店、原書の刊行は1995年)

20世紀を駆け抜けたフェミニスト田中寿美子さん

 検索していて見つけた、表題の記事が興味深かったので、以下に備忘録として引用します(段落ごとに1行空けました)。


 田中さんの前半生、特に1945年の敗戦までは、夫稔男に導かれて社会主義活動家としての人生だった。戦前から戦後にかけて、女性史・女性論に取り組んだ女性たちのほとんどが、社会主義婦人論をベースに、物事を考え、運動にコミットしてきた。田中さんも、その一人であり、原始共産制から古代奴隷制、封建社会、そして資本主義社会へと、生産力の発展を原動力として人類史は推移し、その過程で、階級社会と女性差別が同時に発生したとする史的唯物論に基づく歴史観を前提として、階級社会を廃絶し、社会主義ないし共産主義社会の実現と共に男女差別も解消すると考えてきた。

 田中さんは、この社会主義婦人論を基に、フェミニズムの思想と運動にコミットしてきた。ところが、戦後、ボーヴォワールの『第二の性』などを読んだり、生物人類学者アシュレー・モンタギューの『女性、このすぐれたるもの』を翻訳したりする中で、社会主義婦人論の公式に疑問を持ち始めたようだ。1954年にアメリカのブリンマー大学に留学し、本格的に文化人類学を学んだことで、いよいよその思いが強くなったようだ。

 当時、社会主義婦人論の聖典とされた、エンゲルスの『家族・私有財産及び国家の起源』(1884)が定式化した乱婚→プナルア婚→対偶婚→単婚(一夫一婦婚)という家族進化論は、スイスの文化人類学者J.J.バッハホーヘンの「母権制」論や、アメリカの人類学者ルイス・H.・モルガンの著書『人類の血族と婚姻の諸体系』(1970)や『古代社会』(1877)に依拠していた。

 バッハホーヘンの「母権制」論は、家父長制社会成立による「女性の世界史的敗北」以前の古代社会で、女性が母性を持つ存在として、宗教的祭祀のみならず世俗的にも支配的な力を発揮したという論で、後に実証的にはその存在を否定されたものの、フェミニズムやユング派の精神分析等に大きな影響を与えた仮説である。モルガンは、インディアン社会(特にイロクオイ族)の研究を基に、人間社会の発展を、野蛮→未開→文明の3段階で説明する進化論的人類学を展開し、「アメリカ合衆国の人類学の父」とも呼ばれる人である。もっとも、このモルガンの議論は、ヨーロッパ白人文化の優位性を立証するものとして、後のアメリカ政府によるインディアン同化政策にも影響を与え、「科学的人種差別主義」とも呼ばれている。

 マルクスやエンゲルスが、史的唯物論を定式化した19世紀は、進化論が風靡していた時代であり、彼らは人類の歴史は進化してきたし、今後も進化し続けると考える中で、資本主義社会ないし階級社会を、人類史のある発展段階の一つにすぎず、やがて資本主義が崩壊し、階級のない社会、差別のない社会が到来するとの未来像を描くことができたともいえる。

 しかし、20世紀に入ると、世界各地でのフィールドワークが盛んに蓄積される中で、マリノフスキーやラドクリフ=ブラウンの機能主義人類学やレヴィ=ストロースの構造主義人類学が台頭し、「未開社会」にも、それぞれ一定の規範や諸制度が機能する文化や構造があるのであり、西洋社会の方が優れているとか、進んでいるとは一概に言えないとして、従来の西洋中心主義を批判する声が高まっていくことになる。後に女性学の「ジェンダー」概念生成に大きな影響を与えたマーガレット・ミードの『3つの原始社会における性と気質』(1935)、『男性と女性』(1949)なども、こうした人類学研究の地図の塗り替え作業の一環として位置づけることができよう。以上、素人の特権で、人類学の歴史を大雑把に単純化してまとめてみた。

 田中さんが留学した1954年は、ミードがコロンビア大学で教鞭をとり始めたことに象徴されるように、当時のアメリカは、進化主義ではない新しい人類学が幅を利かせていた時期であった。田中さんがイロクオイ族に関心を持ったきっかけは、たぶんモルガン→エンゲルスの言及の故ではないかと推測するが、しかし、これら先住民の文献を実際に読むに当たっては、動機はともかくとして、従来の進化主義的、発展段階論的人類学ではなく、機能主義的人類学の視点で読み解いた可能性が強い。田中さんはイロクオイ族の研究を論文にまとめ、帰国に際して送ったはずが、なにかのまちがいで、結局日本に届かなかったと、後に口惜しがっていた。だから、内容についてはついにわからずじまいだが。

 少なくとも、田中さんが母権制の存在を疑い、エンゲルス流の婚姻や家族の発展段階論の公式に疑問を抱いたことは疑いない。帰国後、加藤秀俊と共訳で、マーガレット・ミードの『男性と女性』を出版(1961)し田田中さんは、文化人類学を通じて、フェミニズム思想の新たな根拠づけを模索しようと考えたようだ。

 田中さんは、たまたま、中部スマトラのミナンカバウ地方に、母系制氏族が残っていることを知り、1956年暮れに、戦後まだ国交が樹立していなかったインドネシアのスマトラ島に、日本人として初めて入る機会を得て、現地で聞き取り調査を実施し、その報告を『婦人問題懇話会会報』(17号、1972)や、著書『パラシュートと母系制』(1986)に発表している。

 田中さんは、女性が男性を支配したとされる母権制の存在は否定しつつ、しかし、母系相続と母方居住制から成る母系社会では、女性が財産権とある程度の自由裁量権をもち、家父長制社会の女性たちに比べ、尊重され、自信を持って生活している事実を掘り起そうと考え、議員を辞めたら、本格的に母系社会の研究をしたいと常々話しておられた。実際には、療養生活のため、新たな研究をすることはできなかったが、ミナンカバウで出会ったジュスマ・マンシュルさんの伝記をどうしてもまとめたいということで、文化人類学者でミナンカバウに詳しい前田俊子さんの協力を得て、人生最後の著作『ジュスマ・マンシュルさん物語』を1991年に上梓した。ジュスマさんは、戦争中に、勤めていた百貨店からスマトラに派遣された日本人女性で、ミナンカバウの男性と結婚し、敗戦後もそのまま現地に留まった人である。


中略

 田中さんは自分とほぼ同世代(4歳年下)の社会主義活動家であり、かつ在野の人類学者でもあるリードさんに、親近感を持ったようで、ランチの間中、熱心に質問し、議論をしていた。残念ながら英語が苦手な私は、会話の内容についていけず、帰国して1年後に出版された邦訳本や、田中さんが月刊『ペン』(1974年10月号)に書かれた文章「ニュー・フェミニスト運動の展開―家族・性の抑圧からの解放」から、リードさんの思想の概要を知ったという体たらくであった。

 だが、今読み返してみると、田中さんがリードさんに傾倒した理由が、わかるような気がする。社会主義の公式論に疑問を抱いていた田中さんは、この頃、すでにアメリカのベティ・フリーダンやケイト・ミレット、イギリスのジュリエット・ミッチェルなどの著作を読んだり、婦人問題懇話会などを通じて、日本のウーマン・リブにも関心を示していた。しかし、家族からの解放や性の解放に問題を焦点化するラジカル・フェミニストたちに対しては、「女性の経済的独立、育児の共同化、家事の社会化」等がなければ「完全な性の自由を得る」ことはできないのであり、「現在、性の自由を主張し実行できる人たちは、底辺の婦人労働婦人たちではなくて、エリートの人々あるいは中流以上の経済力のある人たちなのである」と違和感を示し、資本主義体制の変革抜きに女性の解放はありえないとの立場を表明する。

 そして、アメリカで「社会主義政党」を名乗ってリブ運動に参加しているのは「リードさんたちのSWP(社会主義労働者党)のグループが一番目立ったものである」として、リードさんの議論に注目するわけである。田中さんに言わせれば、リードさんは、「資本主義は女性抑圧の物質的基礎」とする一方で、「フェミニスト運動は社会主義革命の欠くべからざる部分」と位置づける、アメリカの数少ない社会主義フェミニストであった。

 リードさんが、モルガン―エンゲルスの母権制論をそのまま支持していることについては、田中さんは、当時の文化人類学の成果を受け入れて、母権制と母系制を区別しなければいけないとしつつ、「母権制があったからなかったからということで、女性の権利や解放は否定されるべきではない」と主張。中絶の合法化や、無料の24時間託児所、家事の社会化等、「資本主義下の改良闘争の重要性」を説くリードさんたちの運動に共感を示したのであった。

 1970年前後から、マルクス主義をベースにしつつ、新たなフェミニズム理論を模索する動きが欧米各地で開始されるが、リードさんもそうしたマルクス主義フェミニストの先駆者の一人であったといえる。田中さんは、この後、議会活動等、現実の政治活動に忙しく、フェミニズム思想の新たな展開にどこまで目配りできたかは不明である。けれども、1970年代初頭に、少なくとも、当時最先端のフェミニズム思想に積極的に接触し、社会主義婦人論の公式から自由に、自分なりのフェミニズムを模索していた事実は特筆に値する。



 社会主義者の田中氏が第二次世界大戦後、エンゲルス流の婚姻や家族の発展段階論の公式に疑問を抱いていった、と述べられていますが、教条主義的解釈に安住することをよしとしない、田中氏の意欲的な姿勢が窺えます。エンゲルスはバッハホーヘンやモルガンの研究に依拠しましたが、モルガンの議論に「科学的人種差別主義」につながる側面があった、との指摘は重要だと思います。ただ、第二次世界大戦後に田中氏が新たな人類学として学んだマーガレット・ミードにしても、その後に批判されています。ラジカル・フェミニストに対する田中氏の批判は、現在でも通用するというか、現在の日本のフェミニズム的言論への重要な示唆になっているように思います。まあ、この問題は優先順位がさほど高いわけではなく、私の理解が浅いことはとても否定できませんが、今後も少しずつ調べていきたいものです。

とくに面白かった本(4)

 以前、ネットで取り上げた本のなかで、とくに面白かったものについて、2010年4月までの分(関連記事)と、2010年5月~2013年12月までの分(関連記事)と、2014年1月~2018年4月までの分(関連記事)をまとめました。今回は、2018年5月~2019年12月までの分を以下にまとめます。次からは、1年ごとにまとめていく予定です。


木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_14.html

David Reich『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_44.html

清水克行『戦国大名と分国法』
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_51.html

Eric H. Cline『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_24.html

Louise Humphrey、Chris Stringer『サピエンス物語』
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_7.html

馬場公彦『世界史のなかの文化大革命』
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_44.html

桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす 混血する古代、創発する中世』
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_2.html

山極寿一『家族進化論』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_13.html

義江明子『つくられた卑弥呼 <女>の創出と国家』
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_18.html

山田康弘『縄文時代の歴史』
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_42.html

篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html

大木毅『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_6.html

佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_14.html

大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_5.html

浅野裕一『儒教 怨念と復讐の宗教』
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_38.html


 これらのなかでもとくにお勧めなのは、『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』、『戦国大名と分国法』、『家族進化論』第4刷、『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』、『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』です。

渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』

 PHP新書の一冊として、2019年9月にPHP研究所より刊行されました。本書は、1600年9月15日(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の関ヶ原合戦の戦闘にまつわる見解・俗説を検証しているというより、関ヶ原合戦を長期の政治過程の転機として把握したうえで、そこへと至る政治情勢に関する見解・俗説を取り上げています。こうした本書の構成の前提として、関ヶ原合戦自体は1600年9月15日の西軍の戦術で結果を逆転できるものではなく、その時点ですでに勝敗は決定的になっていた、との認識があります。本書のこの認識は基本的に妥当で、政治情勢に関する見解・俗説を検証対象としたのは妥当だと思います。

 本書から窺える重要な教訓は、結果からの推測に陥らないよう、慎重に考えねばならない、ということです。たとえば、徳川家康は豊臣秀吉没後すぐに、あるいは秀吉の死が間近に見えてきた時点から、独自の政権(幕府)を開き、やがては豊臣氏を滅ぼす計算で行動していた、といった認識です。これは、それなりに一般層に浸透しているように思います。しかし本書からは、家康が豊臣政権の枠内で権勢を拡大していき、それに対する反発・警戒・恐怖が反家康陣営を結成させて関ヶ原合戦に至った、と窺えます。家康の行動にしても、秀吉という求心力の強い最高権力者が没して政治情勢が不安定な中で、まず豊臣政権の枠内で徳川家の安泰を図った、という側面が多分にあるように思います。しかし、おそらくは家康が当初は意図しない形で関ヶ原合戦に至り、その結果として、家康の地位は飛躍的に向上し、ついには幕府を開くことになりました。おそらく本書が指摘するように、織田信長没後の秀吉の行動にも、そうした側面が多分にあったのでしょう。

 結果論に陥らないよう注意しなければならないという点で言えば、そもそも史料自体が結果論から作られている場合も少なくない、と本書からは窺えます。これは、おもに編纂史料など二次史料に当てはまりますが、そこに所収されている書状でも、結果論に基づく偽作の可能性が高いものもあるようです。本書は、関ヶ原合戦において石田三成と上杉家重臣の直江兼続が事前に共謀していたとする説の根拠となる書状(編纂史料に所収)は、関ヶ原合戦の結果として上杉家が所領を大幅に削減された責任を、すでに家が断絶していた直江兼続に押しつけるための創作だった可能性が高い、と指摘します。なお、有名な「直江状」については、古くから偽作説が主張されてきましたが、その後は肯定説も提示され、現在でも議論が続いているようです。本書は、後世の創作・捏造・改竄である可能性を提示していますが、真偽を確かめるには原本の出現を待つしかない、とも指摘しています。

気候変動による環境ストレスが女性に及ぼす悪影響

 気候変動による環境ストレスと女性への影響に関する研究(Rao et al., 2019)が公表されました。家庭・地域社会・国家レベルで強化された確固たる社会構造は、男女各個人の気候変動の経験と気候変動に対する反応を形成しています。この状況下でのジェンダー研究により、移動性および資源の利用機会と役割分担が、気候の変化および社会構造と生活感受性により制約を受けている地域で、持続可能で平等かつ効果的な適応が重要である、と明確になりました。

 この研究は、アフリカとアジアの農業生態学的に異なる3地域(半乾燥地域・山岳地帯・氷河から溶けた水が流れ込んでいる河川地帯と三角州)における合計数千世帯を対象とした25の事例研究において、女性の行為主体性(有意義な選択や戦略的決定を行う能力)が適応応答にどのように寄与したのか、評価しました。その結果、大多数の事例で、男性季節労働者と女性の劣悪な労働条件が、制度上の欠陥又は貧困と組み合わさって、環境ストレス条件下の女性の戦略的意思決定能力を制約している、と見いだされました。また、この研究は、女性の活動が世帯構造や社会規範によって支持されている場合であっても、環境ストレスが女性に悪影響を及ぼすことも明らかにしました。

 この研究は、さまざまな状況下で女性の行為主体性を低下させる共通の条件を特定することにより、気候変動への適応能力を強化するために取り組めると考えられる重大な障害物が、男性季節労働者と女性の労働条件と貧弱な物質的条件である、と示唆しています。こうしたストレス要因は、世帯の適応戦略における女性が担う責任と負担の増大につながるかもしれない、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候変動】気候変動のホットスポットで環境ストレスが女性に悪影響を及ぼしている

 アフリカやアジアの気候変動のホットスポットでは、環境ストレスが女性の行為主体性(有意義な選択や戦略的決定を行う能力)に悪影響を及ぼしていることを示唆する論文が掲載される。こうしたストレス要因は、世帯の適応戦略における女性が担う責任と負担の増大につながる可能性がある。

 家庭、地域社会、国家レベルで強化された確固たる社会構造は、男女1人1人の気候変動の経験と気候変動に対する反応を形作っている。この状況下でのジェンダー研究により、移動性、資源の利用機会と役割分担が気候の変化、社会構造と生活感受性によって制約を受けている地域で、持続可能で平等かつ効果的な適応が重要なことが明確になった。

 今回、Nitya Raoたちの研究グループは、アフリカとアジアの農業生態学的に異なる3つの地域(半乾燥地域、山岳地帯、氷河から溶けた水が流れ込んでいる河川地帯と三角州)における合計数千世帯を対象とした25の事例研究において、女性の行為主体性が適応応答にどのように寄与したのかを評価した。その結果、大多数の事例で、男性季節労働者と女性の劣悪な労働条件が、制度上の欠陥又は貧困と組み合わさって、環境ストレス条件下の女性の戦略的意思決定能力を制約していることが見いだされた。また、Raoたちは、女性の活動が世帯構造や社会規範によって支持されている場合であっても、環境ストレスが女性に悪影響を及ぼすことを明らかにした。

 今回の研究は、さまざまな状況下で女性の行為主体性を低下させる共通の条件を特定することにより、気候変動への適応能力を強化するために取り組めると考えられる重大な障害物が、男性季節労働者と女性の労働条件と貧弱な物質的条件であることを示唆している。



参考文献:
Rao N. et al.(2019): A qualitative comparative analysis of women’s agency and adaptive capacity in climate change hotspots in Asia and Africa. Nature Climate Change, 9, 12, 964–971.
https://doi.org/10.1038/s41558-019-0638-y

胎児への大麻の影響

 胎児への大麻の影に関する研究(Frau et al., 2019)が公表されました。大麻入手の合法化が進むにつれて、悪阻や不安などの症状を治療するために大麻を使用する妊婦が増えてきています。大麻の使用が乳児の脳の発達に長期的な影響を及ぼす可能性を示す証拠が提示され始めていますが、そのメカニズムは明らかになっていません。この研究は、妊娠中のラットに大麻の主要な精神活性成分であるテトラヒドロカンナビノール(THC)を投与して、その仔が青年期に達した時に検査を行なうことで、出生前大麻曝露のラットモデルを作製しました。

 その結果、多くの精神疾患において損なわれている行動調節の指標となるプレパルス抑制パラダイムで、仔ラットのTHC感受性において雄は上昇しましたが、雌は上昇していない、と明らかになりました。また、報酬や動機付けに関与する脳領域(腹側被蓋野)のドーパミンニューロンの活動が亢進していることも観察されました。この研究は、アメリカ合衆国食品医薬品局(FDA)の承認薬であるプレグネノロンで青年期のラットを治療することにより、これらの行動とニューロンの変化を修正できました。プレグネノロンについては、大麻使用障害・統合失調症・自閉症・双極性障害の治療薬として臨床試験が行なわれています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【神経科学】母胎内でTHCにさらされたラットの脳と行動に生じる変化

 雄ラットでは、大麻の主要な精神活性成分であるTHCへの出生前の曝露が、前青年期におけるドーパミンニューロンの活動亢進と、THCの行動的影響に対する感受性の上昇に関連していることを示唆する論文が掲載される。

 大麻入手の合法化が進むにつれて、つわりや不安などの症状を治療するために大麻を使用する妊婦が増えてきている。大麻の使用が乳児の脳の発達に長期的な影響を及ぼす可能性のあることを示す証拠が出始めているが、どのようにしてそうなるのかは分かっていない。

 今回、Miriam Melisたちの研究グループは、妊娠中のラットにTHCを投与して、その仔が青年期に達した時に検査を行うことで、出生前大麻曝露のラットモデルを作製した。今回の研究では、多くの精神疾患において損なわれている行動調節の指標となるプレパルス抑制パラダイムにおいて、仔ラットのTHC感受性が雄は上昇したが、雌は上昇していないことが明らかになった。また、報酬や動機付けに関与する脳領域(腹側被蓋野)のドーパミンニューロンの活動が亢進していることも観察された。Melisたちは、米国FDAの承認薬であるプレグネノロンで青年期のラットを治療することにより、これらの行動とニューロンの変化を修正できた。プレグネノロンについては、大麻使用障害、統合失調症、自閉症と双極性障害の治療薬として臨床試験が行われているところだ。



参考文献:
Frau R. et al.(2019): Prenatal THC exposure produces a hyperdopaminergic phenotype rescued by pregnenolone. Nature Neuroscience, 22, 12, 1975–1985.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0512-2

ツキノワグマの食いだめ戦略

 ツキノワグマ(Ursus thibetanus)の食いだめ戦略に関する研究(Furusaka et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。ヒトをはじめとする動物は、食べることで得られる摂取エネルギーと、身体を動かすことで使われる消費エネルギーのエネルギー収支を健全に保つことで身体を維持しています。エネルギー摂取量がエネルギー消費量を上回ると体重は増え、逆の場合は体重が減少するため、エネルギー収支を明らかにすることで、栄養状態を評価できます。この研究は、ツキノワグマのエネルギー収支の季節変化とクマの食生活にとって重要な季節を明らかにするため、ツキノワグマのエネルギー収支に影響を及ぼす要因として、ツキノワグマにとって秋の主食であるブナ科の果実(ドングリ)の結実豊凶に着目し、エネルギー収支とドングリの結実豊凶との関係を調べました。

 この研究は、2005年から2014年にかけて、栃木県と群馬県にまたがる足尾・日光山地で追跡調査してきた計34頭の成獣に、日々の活動状態の計測が可能な機能を内蔵したGPS受信機を装着し、1日あたりのエネルギー消費量を計算しました。この研究はまた、山中で採取した1247個の糞からツキノワグマの食べ物を特定するとともに、野生のツキノワグマが採食している映像(計113時間)から、ツキノワグマが食べるそれぞれの食べ物の量を計算し、それぞれの食べ物のエネルギー量を掛け合わせることで、1日あたりのエネルギー摂取量を計算しました。この研究はそのうえで、エネルギー摂取量からエネルギー消費量を差し引くことで、1日あたりのエネルギー収支を算出し、季節間のエネルギー収支や、ドングリの豊作年と凶作年のエネルギー収支を比較しました。

 その結果、いずれの個体においても、春から夏にかけてのエネルギー収支はマイナスであったものの、秋には大きくプラスになる、と明らかになりました。また、ドングリの凶作年では、雌はエネルギー摂取量が減少することで、秋のエネルギー収支が低下することも明らかになりました。ツキノワグマは春から夏にかけてアリやキイチゴの果実などを食べます。これらはサイズも小さく、森の中に散らばって存在するため、ツキノワグマは効率的にエネルギーを摂取できません。一方、秋のツキノワグマは、木に登り、木の上にまとまって結実するドングリを食べるため、効率的にエネルギーを摂取できます。しかし、ドングリの凶作年では、雄に比べて行動圏が小さい雌は充分な量の食べ物を得られないため、エネルギー収支が低下した、と考えられます。

 この研究は、ツキノワグマのエネルギー収支が季節間で大きく変化し、秋のドングリで1年間に摂取するエネルギーの約80%を摂取、つまり食いだめを行なっている、と明らかにしました。これは、以前には不明であった野生のツキノワグマの栄養状態に関する様々な情報を得られることにつながります。また、秋のツキノワグマの人里への出没にドングリの凶作が影響していることは知られていましたが、他の季節の人里への出没にも前年のドングリの凶作が関係しているかもしれず、ツキノワグマの科学的な保護管理に大きく貢献する、と期待されます。


参考文献:
Furusaka S. et al.(2019): Estimating the seasonal energy balance in Asian black bears and associated factors. Ecosphere, 10, 10, e02891.
https://doi.org/10.1002/ecs2.2891

種系統樹と個々の遺伝子の近縁性が一致するとは限らない

 『ゲノム革命 ヒト起源の真実』で強調されているのは、種系統樹と遺伝子系統樹とは必ずしも一致しない、ということです(関連記事)。現代人(Homo sapiens)と近縁な現生系統としてゴリラ属とチンパンジー属がいますが、個々の遺伝子というかゲノム領域で比較すると、現代人とゴリラ属が近縁で、チンパンジー属がこれら2系統とはやや疎遠だとか、チンパンジー属とゴリラ属とが近縁で現代人がその2系統とはやや疎遠だとか、複数の系統樹が描けます。しかし、ゲノム全体の比較からは、現代人とチンパンジー属が近縁で、ゴリラ属がその2系統とやや疎遠であることは確定している、と同書は指摘します。また同書は、こうした不一致は分岐してから比較的新しい系統間で生じることが多い、と指摘します。

 種系統樹と遺伝的近縁性とが一致しないゲノム領域は、ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)では約30%と推定されています(関連記事)。これは、種系統樹と遺伝子系統樹との不一致や、ある系統において、特定のゲノム領域で選択圧や遺伝的浮動により急速に変異が蓄積した、という事例が想定されます。一部の遺伝子もしくはゲノム領域に基づく系統樹は危うい、と改めて了解されます。ただ、現代人とチンパンジー(Pan troglodytes)とニシローランドゴリラとで種系統樹と遺伝子系統樹とが一致しないゲノム領域に関しては、コード遺伝子の周辺ではかなり小さい傾向が見られます。とはいえ、現代人とゴリラ属の方が現代人とチンパンジー属よりも近縁な遺伝子もあるわけで、それは表現型やそれに基づく行動にも反映されることはあるでしょう。チンパンジー属には、発情兆候が明確であることや乱婚など、繁殖関連の行動の中に現生類人猿(ヒト上科)の中ではかなり特異的なものがあります。これはチンパンジー属でとくに派生的な特徴で、現代人とチンパンジー属よりも現代人とゴリラ属の方との近縁性を示し、何らかの遺伝的基盤があるのではないか、と予想しています。

 こうした種系統樹と遺伝的近縁性との不一致は、後期ホモ属の各系統間でも示唆されています(関連記事)。後期ホモ属では、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が近縁で、現生人類(Homo sapiens)はそれら2系統の共通祖先と分岐した、と推測されています。しかし、デニソワ人の手の指はネアンデルタール人よりも現生人類の方にずっと類似しています。これは、関連遺伝子では、ネアンデルタール人とデニソワ人よりもデニソワ人と現生人類の方が近縁であることを示唆します。10万年前頃のネアンデルタール人の手の指は現生人類と類似しているため、こうしたネアンデルタール人の手の指の特徴は、何らかの選択圧や遺伝的浮動による祖先型(デニソワ人と現生人類)との相違の拡大に起因するのではないか、と考えられます。また、ミトコンドリアDNA(mtDNA)では、デニソワ人とネアンデルタール人よりも、現生人類とネアンデルタール人の方が近縁で、これも種系統樹とは異なります。DNA解析技術の飛躍的進展により、遺伝的情報の蓄積は膨大なものになりましたが、一部の結果に惑わされて、的外れな推測をしないよう、自戒しなければなりません。

アマゾン川流域の火災により進むかもしれないアンデス山脈の氷河の融解

 アマゾン川流域の火災によりアンデス山脈の氷河の融解が進む可能性を報告した研究(Neto et al., 2019)が公表されました。この研究は、2000年から2016年までに収集した火災事象・煙流の動き・降水量・氷河融解に関するデータを用いて、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼がボリビアのゾンゴ氷河に及ぼす影響の可能性をモデル化しました。その結果、黒色炭素などバイオマス燃焼に由来するエアロゾルが、風によりアンデス山脈の熱帯氷河に運ばれる可能性がある、と明らかになりました。このエアロゾルは、熱帯氷河に運ばれることで、雪の中に堆積し、雪が黒色炭素や塵粒子により黒ずみ、その結果としてアルベド(光の反射率)が低下し、氷河の融解が進むかもしれません。

 この研究は、火災の季節がアマゾン川流域にとって最も危機的だった2007年と2010年のデータを集中的に解析し、積雪アルベドの低下について、黒色炭素のみが原因である場合と、以前に報告された量の塵が存在する状態で、黒色炭素が原因となる場合を調べました。この研究のモデルによれば、黒色炭素や塵が単独で氷河の年間融解量を3~4%増加させ、黒色炭素と塵の両方が存在する場合には、6%増加させる可能性があります。もし塵の濃度が高ければ、塵のみで氷河の年間融解量が11~13%増加し、塵と黒色炭素が存在する場合に12~14%増加する可能性がある、と推定されました。この知見は、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼の影響が、雪に含まれる塵に依存することを示唆しています。世界の食料需要に関連した圧力により、ブラジルの農業と森林伐採がさらに拡大すると考えられ、アンデス山脈の氷河に影響を与える可能性のある黒色炭素と二酸化炭素の排出量が増加するかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】アマゾン川流域の火災によってアンデス山脈の氷河の融解が進むかもしれない

 アマゾン南西部(ブラジル、ペルー、ボリビアのアマゾン川流域)の熱帯雨林の火災によって、アンデス山脈の熱帯氷河の融解が増加する可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。

 今回、Newton de Magalhaes Netoたちの研究チームは、2000年から2016年までに収集した火災事象、煙流の動き、降水量、氷河融解に関するデータを用いて、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼がボリビアのゾンゴ氷河に及ぼす影響の可能性をモデル化した。その結果、バイオマス燃焼に由来するエアロゾル(例えば黒色炭素)が、風によってアンデス山脈の熱帯氷河に運ばれる可能性のあることが判明した。この熱帯氷河に運ばれたエアロゾルは、雪の中に堆積し、雪が黒色炭素や塵粒子によって黒ずんでアルベド(光の反射率)が低下して、氷河の融解が進む可能性がある。

 Netoたちは、火災の季節がアマゾン川流域にとって最も危機的だった2007年と2010年のデータを集中的に解析し、積雪アルベドの低下について、黒色炭素のみが原因である場合と以前に報告された量の塵が存在する状態で黒色炭素が原因となる場合を調べた。今回作成されたモデルによれば、黒色炭素や塵が単独で氷河の年間融解量を3~4%増加させ、黒色炭素と塵の両方が存在する場合には6%増加させる可能性がある。もし塵の濃度が高ければ、塵のみで氷河の年間融解量が11~13%増加し、塵と黒色炭素が存在する場合に12~14%増加する可能性があるとされた。この知見は、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼の影響が、雪に含まれる塵に依存することを示唆している。

 世界の食料需要に関連した圧力により、ブラジルの農業と森林伐採がさらに拡大すると考えられ、アンデス山脈の氷河に影響を与える可能性のある黒色炭素と二酸化炭素の排出量が増加するかもしれない。



参考文献:
Neto NM. et al.(2019): Amazonian Biomass Burning Enhances Tropical Andean Glaciers Melting. Scientific Reports, 9, 16914.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-53284-1

2010年代の古人類学

 2010年代も残り10日を切り、この機会に2010年代の古人類学を振り返ります。2010年代にDNA解析技術の大きな向上により飛躍的に発展したのが古代DNA研究で、この流れは2020年代にさらに加速しそうです。この間の大きな成果としてまず挙げられるのが、2009年末の時点では否定的な人々の方が多かっただろう、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との交雑がほぼ通説として認められるようになったことです。

 さらに大きな成果として、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)という新たな分類群が設定されたことも挙げられます(関連記事)。現生人類やネアンデルタール人といったホモ属の各種や、さらにさかのぼってアウストラロピテクス属の各種もそうですが、人類系統の分類群は基本的には形態学的に定義されています。しかし、デニソワ人は人類系統の分類群としては例外的に、遺伝学的に定義された分類群です。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類を含めた後期ホモ属の関係はたいへん複雑で、相互に交雑していた、と推測されています。

 これにより、現生人類アフリカ単一起源説でも、現生人類がネアンデルタール人などユーラシアの在来の人類集団を完全に置換した、という2009年末の時点では有力だっただろう見解は過去のものとなりました。これは現生人類多地域進化説の「復権」とも解釈できますが(関連記事)、あくまでも部分的なものであり、多地域進化説が妥当だった、とはとても言えないでしょう(関連記事)。今後、古代DNA研究の進展により、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の単系統群とは大きく異なる系統の分類群が確認されることも期待されます。

 古代DNA研究の進展により、現代人の各地域集団の形成過程の解明も飛躍的に進み、とくにヨーロッパ集団に関してはかなり詳細に分かってきたのではないか、と思います。アジア南西部やアメリカ大陸に関しても、地域集団の形成過程は2009年末の時点と比較してずっと詳細に解明されている、と言えるでしょう。しかし、アジア東部を含むユーラシア東部に関しては、ユーラシア西部と比較して古代DNA研究がずっと遅れていることは否定できず、それだけに発展の余地があるとも言えます。しかし、その強大な経済力から今後の古代DNA研究の飛躍的な進展が期待される中国も、DNAの残存という点でヨーロッパと比較して自然環境は恵まれていないので、ヨーロッパとの差を縮めていくのは容易ではなさそうです(関連記事)。

 このように、古代DNA研究は2010年代に飛躍的に発展しましたが、地域と年代の点で限界があることは否定できません。現時点でDNA解析に成功した最古の人類は43万年前頃のイベリア半島北部集団で(関連記事)、これ以上古いDNAとなると、さらに寒冷な地域の人類化石が必要となりそうで、そうした年代・地域の人類化石は少ないので、50万年以上前の人類のDNAを解析することは難しそうです。こうした古代DNA研究の年代・地域の限界を大きく超えて遺伝的情報を得る手法として、近年大きく発展しつつあるタンパク質解析が注目されます(関連記事)。じっさい、190万年前頃の霊長類の歯でタンパク質解析が成功しており(関連記事)、歯はとくに残りやすい部位だけに、今後の人類進化研究への応用が期待されます。

 報告された人類化石で注目されるのは、2010年に報告された(関連記事)アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus)で、現時点では南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)遺跡でしか確認されていません。セディバの推定年代は197万7000年±7000年前です(関連記事)。セディバにはアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴が混在しており、報告者たちは現代人も含むホモ属の祖先ではないか、と示唆しましたが、その年代から、ホモ属の祖先である可能性は低い、と指摘されています(関連記事)。

 2015年に報告された280万~275万年前頃のホモ属的特徴を有するエチオピアの下顎化石は、ホモ属の起源を大きくさかのぼらせるとして、大きな注目を集めました(関連記事)。これ以降、ホモ属の起源を280万年前頃までさかのぼらせる傾向が強くなってきたように思いますが、全体的な形態は不明ですし、アウストラロピテクス・セディバのように、この個体がアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した分類群に属していた可能性もあります。おそらく、280万年前頃までにはホモ属的特徴が出現し始め、そうした特徴はじょじょに出現していき、200万~180万年前頃にほぼ異論の余地のないホモ属が出現したのでしょう。

 アウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した人類化石は、南アフリカ共和国で他にも発見されており、2015年にホモ・ナレディ(Homo naledi)と命名されました(関連記事)。報告者たちは当初、ナレディは鮮新世後期~更新世初期の人骨群で、アウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種である可能性が高い、と考えていました。しかし、その後になってナレディの年代は335000~236000年前頃と推定されており(関連記事)、これではとてもアウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種とは言えません。ナレディは、すでに現生人類的な集団の出現していた中期更新世後期のアフリカにおいても、おそらくは現生人類と大きく異なる系統の人類集団が存在していたことを示したという点で、たいへん貴重だと思います。人類史において、1種しか存在していないような時代は、最初期を除けば過去数万年程度のごく最近だけだったのかもしれません。

現代アジア東部集団とデニソワ人の交雑の根拠とされた臼歯に関する議論

 下顎大臼歯の歯根数から、現代アジア東部集団の祖先である現生人類(Homo sapiens)集団と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑の可能性を指摘した研究(Bailey et al., 2019)にたいする、批判(Scott et al., 2020)とそれへの反論(Bailey et al., 2020)が報道されました。以下、批判された研究はベイリー論文A、その批判はスコット論文、反論はベイリー論文Bとします。

 中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された16万年以上前の右側下顎骨は、タンパク質解析により種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)に分類されました(関連記事)。この夏河下顎骨には大臼歯で3本の歯根(3RM)が見られます。これは、アジアとアメリカ大陸以外では3.4%以下と稀ですが、アジア東部集団およびアメリカ大陸先住民集団では40%を超えるかもしれません。

 こうした特徴は、中華人民共和国広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)田東県(Tiandong County)林逢鎮(Linfeng Town)の独山洞窟(Dushan Cave)で発見された、15850~12765年前頃と推定されている初期現生人類(関連記事)にも、それよりもずっと古いアジア東部のホモ・エレクトス(Homo erectus)にも、またアフリカの初期現生人類にも見られません。近年まで3RMの最古の例は、フィリピンで発見された47500~9000年前頃の現生人類下顎骨でした。この現生人類遺骸では、下顎の両側で3RMが見られます。そのため最近まで、アジア東部集団およびアメリカ大陸先住民集団における3RMの高頻度は、現生人類がユーラシアへと拡散した後に獲得された、と考えられていました。

 しかし近年、ずっと古い3RMが報告されました。一つは、上述のチベット高原東部で発見された16万年以上前と推定されている夏河下顎骨です。もう一つは、台湾沖で発見された、非現生人類の澎湖1(Penghu 1)下顎骨(関連記事)でも3RMが確認されました。澎湖1の下顎は、頤のないことや厚いことなど「古代的」特徴を保持しており、その巨大な大臼歯の歯冠は、デニソワ人のそれとサイズが類似しています。夏河下顎骨と同様に、こうした巨大な大臼歯は、第三大臼歯の欠如と結びついています。こうした理由から、澎湖1とデニソワ人との近縁性が指摘されています。そのためベイリー論文Aは、3RMをアジア東部集団の祖先集団とデニソワ人との交雑によるものと推測しました(関連記事)。

 しかし、ベイリー論文Aの見解には疑問が残る、とスコット論文は指摘します。まず、夏河下顎骨では3RM は下顎第二大臼歯(LM2)に見られます。しかし、3RMはアジア東部集団およびその遺伝的影響を強く受けたアメリカ大陸先住民集団(関連記事)において、下顎第一大臼歯(LM1)では一般的であるものの、LM2では稀である、とスコット論文は指摘します。たとえば、LM1では38.4%ですが、LM2では1.4%です。3RMの頻度は、たとえば世界で最も高い集団であるアリュート民族でも、LM1では40.7%ですが、LM2では1.9%です。さらに重要なのは、夏河下顎骨の3RMは典型的な下顎大臼歯の3根(3RLM)とは異なる、ということです。第3根はひじょうに小さく、通常は他の歯根の約1/3のサイズで、遠心舌面にあります。しかし、夏河下顎骨の第3根のサイズは他の歯根と比較して1/3よりずっと大きく、遠心舌面ではなく近心舌面にあります。同様に、澎湖1下顎骨のLM2は、歯の近心と遠心の舌側の間に強い第3根を有しており、現代人とは発生する大臼歯も大臼歯での位置も異なります。

 スコット論文は、夏河下顎骨の3RLMが現代のアジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMと相同であることを示す証拠はじゅうぶんではなく、デニソワ人から現代アジア東部集団の祖先集団への遺伝子移入の証拠と解釈することはできない、と指摘します。さらにスコット論文は、交雑の表現型の特徴がまだ不明であることを指摘します。ヒト交雑個体は、両親それぞれの出自集団からの中間的もしくはモザイク状の特徴を示すだろう、としばしば想定されます。しかし、最近の研究が明らかにしているのは、遺伝的交雑はしばしば進化的革新につながる、ということです。したがって、潜在的な祖先的特徴のより強い表現型は、必ずしも遺伝子移入ではなく、単に古代型の特徴の保持を示唆しているのかもしれない、というわけです。絶滅種の研究において、残存しやすい歯は最も適した部位です。しかし、孤立した歯の特徴の過剰解釈には注意が必要である、とスコット論文は指摘します。

 スコット論文に対して、ベイリー論文Bは反論しています。まずベイリー論文Bは、LM2で3RLMが稀であるのは事実でも、3RLMはアジアと強く結びついている、と指摘します。少なくとも1つの臨床研究では、LM2の3RLMはアジア東部集団(およびその遺伝的影響の強い集団)では2.8%、それ以外の集団では1.7%と、アジア東部集団の方が60%ほど多く見られる、と報告されています。またベイリー論文Bは、3RLMの発現においてLM1とLM2もしくはLM3との違いがあるとしても、それが非相同的特徴を表していることにはなにない、と指摘します。歯科人類学と古人類学の文献では、異なる歯の位置の同じ特徴を相同的とみなしてきしたからです。

 夏河下顎骨の3RLMは現代人集団に見られる「典型的な」3RLMはではない、とのスコット論文の批判にたいしてベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMを再検証しました。その結果、夏河下顎骨のLM2は近心舌面起源と示され、その意味で、遠心舌面の位置を想定する「典型的な」3RLMとは異なるかもしれないものの、夏河下顎骨の3RLMは分岐した近心経路ではないことも示され、スコット論文の主張とは異なる、とベイリー論文Bは指摘します。さらにベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMが「単に古代型特徴の保持」という可能性を提示するスコット論文の見解には同意していません。3RLMは鮮新世もしくは更新世の他のあらゆる人類化石で観察されていないからです。

 ベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMのわずかに異なる形態学的特徴が非相同的である可能性は非常に低い、との結論を提示しています。さらにベイリー論文Bは、ほぼ排他的にアジア東部集団にしか存在しない3RLMが、わずかに異なる形状ではあるものの、アジアの非現生人類化石で発見されていることは、遺伝子移入でないとすれば、起こりそうもない偶然だ、と指摘します。歯根発達時期のわずかな違いは、遺伝的に相同的な特徴のわずかに異なる発現につながる可能性がある、とベイリー論文Bは指摘します。夏河下顎骨の3RLMが典型的な3RLMと相同的なのか、それとも最近のアジア東部集団におけるその発生は遺伝子移入の結果なのかどうかという問題の解明は、究極的には遺伝的基盤の特定に依拠する、とベイリー論文Bは指摘します。

 夏河下顎骨と現代アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMに違いがあることを指摘したスコット論文の意義は大きい、と思います。ただ、ベイリー論文Bが指摘するように、現時点での証拠からは、これを単に古代型の特徴の保持と断定することは、とてもできそうにありません。その意味で、現代人に見られる3RLMが、デニソワ人から現生人類への遺伝子移入によりもたらされた可能性もまだ充分あるとは思います。この問題の解明には、ベイリー論文Bが指摘するように、3RLMの遺伝的基盤の特定が必要になります。

 ただ、現時点で高品質のゲノム配列が得られているというか、そもそもDNAが解析されたのは南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の個体だけなので(関連記事)、デニソワ人が複数系統に分岐していた可能性(関連記事)を考慮すると、仮にデニソワ人と現代アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMに共通の遺伝的基盤があったとしても、アルタイ山脈のデニソワ人のゲノムにはその遺伝子多様体は見つからないかもしれません。つまり、アジア東部のデニソワ人系統においてのみ生じた変異かもしれない、というわけです。その意味で、スコット論文が提起した問題の解明には、3RLMの遺伝的基盤の特定とともに、アルタイ山脈以外のデニソワ人のDNA解析も必要になるでしょう。


参考文献:
Bailey SE, Hublin JJ, and Antón SC.(2019): Rare dental trait provides morphological evidence of archaic introgression in Asian fossil record. PNAS, 116, 30, 14806–14807.
https://doi.org/10.1073/pnas.1907557116

Bailey SE. et al.(2020): Reply to Scott et al: A closer look at the 3-rooted lower second molar of an archaic human from Xiahe. PNAS, 117, 1, 39–40.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918959116

Scott GR, Irish JD, and Martinón-Torres M.(2020): A more comprehensive view of the Denisovan 3-rooted lower second molar from Xiahe. PNAS, 117, 1, 37–38.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918004116

第64回有馬記念結果

 近年では競馬への情熱をかなり失ってしまい、競馬関連の記事を掲載することが少なくなりましたが、有馬記念と東京大賞典だけは当ブログを始めてから毎年必ず取り上げてきたので、今年も記事を掲載することにしました。今年の有馬記念には多くのGI馬が出走してきましたが、何よりも、現役最強馬のアーモンドアイも香港遠征を回避して出走してきたため、なかなか盛り上がっているように思います。じっさい、近年では最も豪華な出走馬構成になったように思います。圧倒的な人気となったのはもちろんアーモンドアイですが、鞍上のルメール騎手が、過去に騎乗してGIに勝った出走馬の中で、もう終わった感のあるレイデオロはともかくとして、まだ3歳で斤量でも有利なサートゥルナーリアよりも、遠征帰りのフィエールマンの方を警戒していたのは意外でした。

 レースは、アエロリットがひじょうに速い流れで後続を話して逃げましたが、さすがに速すぎて失速し、アーモンドアイは直線で先頭に並びかけたのですが、そこから伸びず、外から追い込んできたリスグラシューが突き抜けて、2着のサートゥルナーリアに5馬身差をつけて圧勝しました。リスグラシューの強さは分かっていたものの、この着差には驚きました。これで、リスグラシューが年度代表馬に選出されるのはほぼ確実でしょう。サートゥルナーリアは天皇賞(秋)で6着に負けてやや評価を落としていましたが、右回りの方が合う、ということでしょうか。来年は2000~2400mの王道路線で最強馬として君臨しそうです。3着はワールドプレミアで、状態がよかったのもありますが、菊花賞よりもさらに成長しているのでしょう。来年の天皇賞(春)の最有力馬と言えそうですし、2000~2400mでもサートゥルナーリア相手に好勝負できるようになるかもしれません。

 アーモンドアイは9着と完敗でしたが、熱発の影響もあったかもしれません。しかし、最大の敗因は、ひじょうに速い流れの中、仕掛けが早かったことだと思います。リスグラシューはアーモンドアイよりも仕掛けが遅く、この流れでは結果的に正解だったと思います。この流れで外を回る展開になったことも、アーモンドアイの敗因でしょうか。アーモンドアイの今後の予定は知りませんが、現役を続けて海外のレースに出走するとしても、凱旋門賞では勝ち目がほぼないように思います。そうすると、ドバイや香港の中距離レースを狙っていくことになりそうです。

フロレシエンシスの足

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の足に関する研究(Flohr., 2018)が公表されました。インドネシア領フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟では、6万年前頃までの人類化石が約100個発見されており、これらは新たなホモ属種フロレシエンシスと分類されました。この人類化石のうち60個以上が部分的骨格であるLB1のものとされました。LB1はフロレシエンシスの正基準標本とされています。

 LB1の足は大腿骨および脛骨と比較してひじょうに長く、これがフロレシエンシス特有の形態的特徴とされました。踵骨は見つからなかったので、「部分的な足の長さ」、つまり距骨から第二趾の先端までの長さを測定できました。踵骨も含むLB1の「最大の足の長さ」は、現代人の死体の研究に基づくと191mmと推定されています。これは現代人(Homo sapiens)の死体の足の研究に基づいており、生前には筋肉や皮膚などで平均2.73%長くなるので、LB1の生前の足は196mmと推定されます。LB1の大腿骨の最大長は280mmなので、生前のLB1の足の大腿骨に対する長さの割合は0.7となります。これは、平均0.542(0.493~0.589)という現代人の割合をはるかに超えているため、フロレシエンシス固有の特徴と考えられました。これは、「不均衡に長い」LB1の中足骨と指骨に起因する、と考えられています。本論文は、この推定が妥当なのか、刊行されているデータから検証しています。

 本論文は、LB1に分類された人骨群が本当にすべてLB1のものなのか、再検証し、LB1の足の長さは175mm(生前は180mm)と推定します。これは、大腿骨との長さの比率では0.64とまだ現代人の範囲を超えていますが、以前の推定値をずっと下回っています。また本論文は、推定されたLB1の足の骨のいくつかは現代人の手の骨とひじょうによく似ている、と指摘します。さらに本論文は、リアンブア洞窟で発見された人骨群の各個体への分類と復元の見直しと、LB1を病変の現生人類(Homo sapiens)とする見解も考慮して、リアンブア洞窟の人骨群を再検証するよう、提案しています。

 LB1を含めてフローレス島の6万年前頃までの人類化石群を病変の現生人類と考えることは無理がある、と思います(関連記事)。しかし、個々の人骨の各個体への分類や、その結果としてのLB1の復元が妥当だったのか、という検証は必要になってくるかもしれません。このように相互に検証を積み重ねていくことで、より妥当な見解が導かれるわけですから、本論文の意義は小さくないと思います。LB1の復元の見直しは、フロレシエンシスの系統的位置づけにも大きく関わってくるでしょうから、その意味でも注目されます。フロレシエンシスに関しては、2016年に大きく研究が進展し(関連記事)、その後も重要と思われる関連研究が公表されているので、そのうちまとめるつもりです。


参考文献:
Flohr S.(2018): Conclusions: implications of the Liang Bua excavations for hominin evolution and biogeography. Anthropologischer Anzeiger, 75, 2, 169-174.
https://doi.org/10.1127/anthranz/2018/0770

認知症リスクと生活スタイル

 認知症リスクと生活スタイルに関する研究(Licher et al., 2019)が公表されました。認知症は複雑な病気で、はっきりした原因はまだ分かっていませんが、遺伝的要因と生活要因(定期的に運動をしていないなど)が主な促進因子だと考えられています。これまでの研究のほとんどは、個別の防御因子に焦点を合わせて行なわれてきましたが、複数の要因が組み合わせると、有益な効果が個々の因子の総和よりも大きくなる可能性があります。この研究は、生活要因と遺伝的要因が認知症リスクに及ぼす組み合わせ効果を調べるため、ロッテルダム研究の55歳以上の参加者6000人以上のデータを解析し、望ましい健康要因や生活要因(たとえば、定期的な運動、健康的な食事、限定的なアルコール摂取、禁煙)に基づいて、個々の参加者に点数をつけました。

 その結果、遺伝的に認知症のリスクが低い人たちでは、望ましい生活要因の点数と、認知症リスクのさらなる低下との間に関連がある、と分かりました。逆に、遺伝的な認知症リスクが低い参加者であっても、生活要因の点数が望ましくない場合は、認知症リスクが高くなりました。またこの研究は、遺伝的に認知症のリスクが高い人では、生活スタイルが望ましくても望ましくなくても、認知症リスクには影響が見られないことも見いだしました。ロッテルダム研究は大規模で長期にわたる研究デザインというメリットがあるが、この研究は、これとは無関係な集団での解析も行ない、今回の知見を確かめる必要があると指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。



健康的な生活スタイルが認知症リスクの低下に結び付く

 健康や生活スタイルに関する要因を変えることによって、遺伝的に認知症のリスクが低いあるいは中程度の人では、そのリスクを下げられるかもしれないという報告が、今週掲載される。

 認知症は複雑な病気で、はっきりした原因はまだ分かっていないが、遺伝的要因と生活要因(定期的に運動をしていないなど)が主な促進因子だと考えられている。これまでの研究のほとんどは、個別の防御因子に焦点を合わせて行われてきたが、複数の要因が組み合わせると、有益な効果が個々の因子の総和よりも大きくなる可能性がある。

 今回、Silvan Licherたちは、生活要因と遺伝的要因が認知症リスクに及ぼす組み合わせ効果を調べるため、ロッテルダム研究の55歳以上の参加者6000人以上のデータを解析した。そして、望ましい健康要因や生活要因(例えば定期的な運動、健康的な食事、限定的なアルコール摂取、禁煙)に基づいて、個々の参加者に点数をつけた。すると、遺伝的に認知症のリスクが低い人たちでは、望ましい生活要因の点数と、認知症リスクのさらなる低下との間に関連があることが分かった。逆に、遺伝的な認知症リスクが低い参加者であっても、生活要因の点数が望ましくない場合は、認知症リスクが高くなった。著者たちはさらに、遺伝的に認知症のリスクが高い人では、生活スタイルが望ましくても望ましくなくても、認知症リスクには影響が見られないことも見いだした。

 ロッテルダム研究は大規模で長期にわたる研究デザインというメリットがあるが、著者たちは、これとは無関係な集団での解析も行って、今回の知見を確かめる必要があると述べている。



参考文献:
Licher S. et al.(2019): Genetic predisposition, modifiable-risk-factor profile and long-term dementia risk in the general population. Nature Medicine, 25, 9, 1364–1369.
https://doi.org/10.1038/s41591-019-0547-7

感情を表す言葉における普遍性と多様性

 感情を表す言葉における普遍性と多様性に関する研究(Jackson et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。愛という感情はほぼ全ての人が感じます。しかし、トルコ語のsevgiやハンガリー語のszrelem、それらの英訳であるloveが伝える感情は同じなのか、という問題があります。本論文は、世界の口語の1/3以上で感情を伝えるために使用されている言葉の意味のマッピングにより、感情をどう表現するかは文化によって大きく違う、と明らかにしました。これまでの研究ではおもに一つから二つの文化の徹底比較や感情の限定的な選択が行なわれていましたが、この研究の規模は前例のないものだったので、異文化間の大きな相違が明らかになりました。

 多数の人の言語を集めた語彙集には、感情を表す言葉が豊富に載っています。感情を表す言葉の多くはどの言語においても、人間の基本的感情を名づけたものだと考えられます。たとえば、loveやangerです。しかし、感情を表現するすべての言葉の意味が同じというわけではありません。たとえば、ポルトガル語のsaudadeは、厳密に言えば、ないものや失ったものへの切望が引き起こす深い憂愁の感情を表す言葉で、英語にはそれを直訳した言葉はありません。したがって、感情は人の状態を特徴づける一部分ですが、それらを表現するために使用される言葉の意味には微妙な違いがあり、単純な言い回しの中に強く複雑な感情を込めて伝えられます。

 しかし、感情があらゆる文化で同じ意味内容なのかどうかは依然として不明です。本論文は、「コレクシフィケーション」と呼ばれる、言葉の意味における多様性と構造を評価する比較言語学による新しい方法を用いて、話者が比較的少なく研究も進んでいない小言語を含む、20の主要語族2474言語の実例における意味パターンを特定しました。その結果、感情を表す言葉は、対訳辞書では同一となっていても、言語間でその意味に大きな違いがある、と明らかになりました。しかし、この違いのパターンは、言語の地理的分布とそれらが肯定的感情の表現か否定的感情の表現かで予測でき、これは感情という人間の体験は生物学的進化のみならずそれらを表現する言葉によっても形成されることを示している、と本論文は指摘します。


参考文献:
Jackson JC. et al.(2019):Emotion semantics show both cultural variation and universal structure. Science, 366, 6472, 1517–1522.
https://doi.org/10.1126/science.aaw8160

鳥類の嘴の進化

 鳥類の嘴の進化に関する研究(Friedman et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。オオハシからハチドリまで、鳥類がさまざまな形状や大きさの嘴を有しているのは、鳥の進化を示しています。嘴は鳥にとって、餌を食べたり、体温を調節したり、囀ることを可能にしていますが、鳥が生存するために必要なこうした機能は、嘴の長さやサイズの決定に関連しています。しかし、従来のほとんどの進化研究は、嘴が複雑なものであるにも関わらず、複合的機能が嘴の形にどのように影響するかよりも、体温調節のような単一の機能の部分にもっぱら焦点を当ててきました。

 本論文は、行動観察・形態学的測定・数学的分析により、嘴の形状は多くの機能との妥協の副産物である、と明らかにしました。つまり、嘴は進化で起きている微細な変化について貴重な洞察を提供してくれる、というわけです。さらに本論文は、嘴の形態が鳥の鳴き声に影響を与え、結果として交尾やコミュニケーションに影響を与えることも明らかにしています。本論文は、鳥類がどのように都市化の進行と気候変動に対応し、現在進行中で進化しているか、という問題の手がかりも提供します。

 生物学には、動物は暑い地域では四肢が長く、寒い地域では四肢が短い傾向にあるとする、アレンの法則と呼ばれる理論があります。また、大きな嘴を有する鳥は熱帯に、小さな嘴を有する鳥は寒冷地に生息する傾向があります。アレンの法則が妥当なのか確認するため、この研究は、オーストラリア産ミツスイの多様な種が耐えられる冬の平均最低気温と夏の平均最高気温を測定しました。ミツスイはオーストラリア全土で形態的にも地理的にも多様であり、数も多いことから、研究対象とされました。

 また、採餌行動との関連における嘴の進化も調べられました。これに関しては、オーストラリア全土に分布する74種のオーストラリア・ミツスイの採餌行動の1万回に及ぶ野外観察の研究結果が用いられました。この研究はまた、ロンドンの自然史博物館で525羽の鳥の標本の写真を撮影し、嘴の形態を詳細に分析するため、画像をデジタル化しました。この研究はさらに、何百もの鳥の鳴き声の周波数と速度を測定しました。本論文は、これらのデータを利用して、嘴の湾曲と深さなどのさまざまな機能に、食べた蜜や夏と冬の気温などをマッピングしました。分析が進むと、採餌生態は嘴の形が曲線か直線かということに大きな影響を与え、気候も嘴のサイズに大きな影響を与える、と明らかになりまし。嘴の形とサイズは、鳥のさえずり声にも影響します。大きな嘴はゆったりとした、より深い囀りにつながります。

 本論文は、嘴を介した囀り行動の三つ、つまり温度調節・アレンの法則・採餌行動を関連づけました。それにより、鳥の嘴が交尾やコミュニケーション行動にどのように影響するのか、さらに理解できるようになります。本論文の提示した結果は、未来にも重要な意味を持つ、と指摘されています。人類が環境に多大な影響を及ぼしている近年、動物が気候変動や都市化に呼応してどのように進化しているのか、研究を進めるのに役立つだろう、というわけです。すでに、騒音公害に反応して鳥の鳴き声が変化する、との観察結果が得られています。また、気候により嘴のサイズや体のサイズが変化するのも観察されてきました。鳥類は気候変動に反応し、今も着実に進化している、というわけです。


参考文献:
Friedman NR. et al.(2019): Evolution of a multifunctional trait: shared effects of foraging ecology and thermoregulation on beak morphology, with consequences for song evolution. Proceedings of the Royal Society B, 286, 1917, 20192474.
https://doi.org/10.1098/rspb.2019.2474

『卑弥呼』第31話「価値ある人」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年1月5日号掲載分の感想です。前回は、生贄を装って鬼八荒神(キハチコウジン)の広場で待ち受けるヤノハたちに、「何か」が迫ってくるところで終了しました。今回は、ヤノハが幼少時を回想する場面から始まります。夜と朝の境である東雲とは、黄泉の国の鬼どもが地上に這い出る刻で、幼いヤノハはその時間が怖く、いつも義母の手を握っていました。黄泉の国に連れていく鬼が怖いというヤノハを、義母は諭します。できるだけ長く生きた者がこの世の勝者ではあるものの、どんなに望んでも人は必ず黄泉の鬼に捕まり人生を終える、瀕死の時にこそ人の価値は決まる、というわけです。

 千穂では、鬼八と思われる仮面を着けた者たちがヤノハたちの前に現れ、中には人の皮の仮面もありました。ミマアキは、その者たちは人間ではない、と考えます。五瀬邑から選ばれた若い女性たちは、近くを徘徊する者たちに怯え、オオヒコは阻止しようとしますが、まだその時ではない、とヤノハは制止します。森で待機しているミマト将軍は、鬼八が何者でどれだけの数なのか、見極めようとしていました。全員配置についたが、森は恐ろしいほど静寂で、鬼どころか獣すら姿を見せない、とミマト将軍は報告を受けます。本隊への合流を進言する配下に対して、自分はここに留まり、指揮はテヅチ将軍に任せる、と言う総大将のミマト将軍を、配下は諌めます。しかしミマト将軍は、死地に赴いた兵士の近くにおらず、何が将だ、と言って動こうとしません。

 祭祀場では、鬼八らしき者たちが、大きな岩の上で儀式を始めていました。ヤノハはその言葉を聞き、昔の倭言葉に似ている、と呟きます。鬼八らしき者たちは人の頭蓋骨で作った杯で酒を飲み、踊り始めます。一方、待機していたミマト将軍は、自分たちだけでの出撃を決断し、テヅチ将軍には総攻撃を伝えるよう、配下に伝えます。ミマト将軍は、森は恐ろしいほど静かだ、という先程の伝令兵の言葉で気づかなかったことを悔やみます。森が静かということは、獣すら身を潜める恐ろしい何かが来て、祭祀場を囲む40名もその者たちに殺されたのだろう、というわけです。

 祭祀場では、岩の上で踊っていた者たちが生贄とされたミマアキや五瀬邑の若い女性たちに近づいて様子を窺います。その中の長らしき者がヤノハに近づき、ヤノハの手を縛っていた紐を外します。ミマアキはヤノハに指示を出すよう促しますが、ヤノハはまだだと言って静観します。ヤノハは、長らしき者の言葉は分からないながらも、祭壇となっている岩に上がれという意味だ、と解釈します。ヤノハは他の生贄に、鬼八は言葉を使い、二本脚で歩き、舞い、酒を飲むので人だ、と力強く宣言します。生贄とされた女性たちの足元の4人はとても若いので、これは嫁取りの儀式で女性たちは若い鬼八たちの子供を産ませられるのだろう、とヤノハは推測します。ヤノハは、五瀬邑の若い女性以外の生贄4人と「送り人」のオオヒコは祭壇で切り刻まれる、と予想します。イクメはヤノハを助けようとしますが、手遅れだ、とヤノハは冷静に言います。祭祀場の周囲は、すでに多数の鬼八に囲まれていました。絶体絶命の状況で、ヤノハが、鬼を前にして震えて死ぬか、雄々しく死ぬか、怖さを克服して死ぬ人こそ価値があり、よく観察すれば怖いものはなくなる、という義母の言葉を思い出し、祭壇に向かうところで今回は終了です。


 今回は、鬼八が初めて描かれました。鬼八が五瀬邑の若い女性たちを生贄として要求しているのは子供を産ませるためで、これは予想通りでした。では、鬼八は何者なのか、という問題になるわけですが、ヤノハが昔の倭言葉に似ている、と推測していることは重要な手がかりになりそうです。鬼八は孤立した縄文人の末裔ではないか、と私は推測しているのですが、あるいは、元々は当時の多数派の農耕民と近縁で、何らかの事情により孤立した結果、その言語は倭国の大半の地域とも通じなくなったのでしょうか。『日本書紀』の神武天皇と思われるサヌ王の呪いと関連しているのではないか、と予想しています。鬼八荒神は鬼道に通じているとされ、『三国志』によると卑弥呼(日見子)は鬼道により人々を掌握した、とありますから、ヤノハは鬼八荒神を配下とするのでしょう。それがどのようになされるのか、前半の山場になりそうです。鬼八の戦闘力はひじょうに高いようですから、ヤノハの重要な権力基盤の一つになりそうです。この絶体絶命の危機をヤノハがどう切り抜けるのか、次回以降もたいへん楽しみです。

渡邉義浩『はじめての三国志 時代の変革者・曹操から読みとく』

 ちくまプリマー新書の一冊として、筑摩書房から2019年11月に刊行されました。著者は現在、早稲田佐賀中学・高校の理事長とのことで、本書は『三国志』に興味を抱いた中高生向けに書かれたそうです。確かに、全体的に平易な文章になっており、分かりやすく解説しよう、という意図は伝わってきます。ただ、「はじめての三国志」と題している割には、官渡の戦いなどの地図を掲載しても、三国の勢力範囲図は掲載されておらず、この点はやや不親切なように思います。

 また、「三国志」と題しているのに、曹操死後の情勢についてほとんど言及がないのはさすがに疑問です。確かに、副題は「時代の変革者・曹操から読みとく」とありますが、「はじめての三国志」と題しているのですから、1章とは言わずともせめて1節を割いて、曹操死後から西晋による統一の頃までは情勢の推移を簡略に解説してもらいたかったものです。たとえば、本書が『三国志の英雄曹操』と題していたら、実質的に曹操の伝記であっても仕方ないかな、とは思いますが。

 本書は曹操を、後漢の儒教体制に挑んだ変革者として描きます。儒教に基づく「寛治」の結果として乱れた世を前に、曹操は法に基づく「猛政」により乱世を収拾していった、というのが本書の見通しです。曹操には文学の才もありましたが、それは儒教の相対化も担っていた、と本書は指摘します。一方で、曹操の文学は儒教も踏まえたもので、単純に儒教体制を破壊していっただけではありませんでした。曹操は、儒教を至上価値とする当時の知識(名士)層の支持を得つつ、儒教を相対化していく必要があり、その政権運営には困難なところがあったようです。

 本書は、曹操が名士の代表的存在である功臣の荀彧を死に追いやる一方で、名士層の取り込みも図っていった様子を叙述します。また本書は、曹操が後継者指名で迷い、けっきょくは名士層の多くが支持した曹丕を後継者と決定するものの、それが名士層の儒教的価値観の巻き返しにつながり、曹魏の君主権力は、曹操の頃よりも漢から禅譲を受けた曹丕以降の方が後退していた、と指摘します。実質的には曹操の伝記となっており、その革新性を高く評価する本書ですが、その他の人物では魯粛の構想の革新性が高く評価されています。確か、以前読んだ一般向け通史でもそうした評価でしたので、これは現在の有力な見解なのでしょうか。

ジャワ島の末期エレクトスの年代の見直し(追記有)

 ジャワ島の末期ホモ・エレクトス(Homo erectus)の年代の見直しに関する研究(Rizal et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。エレクトスはアジア南東部島嶼部の最初期人類種で、ジャワ島に150万年以上前に到達しました(関連記事)。アジア南東部におけるエレクトスに関する現在の知見は、おもにジャワ島中央部のソロ川(Solo River)流域の証拠に基づいています。しかし、エレクトス遺骸の発掘場所の混乱や化石と年代推定の根拠となった資料との関連性の欠如などの問題があるため、堅牢な年代は提示されていません。ソロ川流域のンガンドン(Ngandong)遺跡のエレクトスの年代は、現生人類(Homo sapiens)との共存も想定される5万年前頃以降と推定されたこともありましたが、その後、アルゴン-アルゴン法では546000±12000年前という平均年代なのに対して、電子スピン共鳴法およびウラン系列法では143000+2000/-1700年前と推定されており、推定年代に大きな開きがあります(関連記事)。

 本論文は、ンガンドン遺跡のエレクトス遺骸の発掘現場とその周辺地域の放射性年代測定(ウラン系列法およびウラン系列法と電子スピン共鳴法の組み合わせによる方法)により、ソロ川の台地形成時期を推定しました。また、ンガンドン遺跡の再発掘中に発見された非ヒト化石も放射性年代測定により年代が推定されました。その結果、遅くとも50万年前頃までには、ソロ川(Solo River)はケンデン丘陵(Kendeng Hills)へと流れを変え、316000~310000年前頃にソロ川台地が、140000~92000年前頃にンガンドン台地が形成された、と推測されます。ンガンドン遺跡の非ヒト化石の推定年代は、ウラン系列法の最小値では109000~106000年前頃、ウラン系列法と電子スピン共鳴法の組み合わせによる方法(US-ESR)では134000~118000年前頃です。

 本論文は、これらの年代から総合的に、エレクトス遺骸の年代を117000~108000年前頃と推定しています。エレクトスも含むンガンドンの動物化石は、ソロ川上流で死亡した多数の個体が下流に流されてきて、蓄積した、と推測されています。これは環境変化と関連していた、と考えられます。動物相の分析から、ンガンドン一帯は13万年前頃に、エレクトスの起源地であるアフリカのサバンナと類似した、開けた森林が点在する草原地帯から、熱帯雨林へと変わっていきます。そのためエレクトスは適応できなかったかもしれない、と本論文の最終著者であるシオチョン(Russell L. Ciochon)氏は指摘しています。

 エレクトスはジャワ島で150万年以上前から継続的に生息しており、フローレス島(関連記事)やルソン島(関連記事)の、エレクトスとの形態的類似性が指摘されている非現生人類ホモ属遺骸から、70万年前頃までにはアジア南東部島嶼部に広範に拡大した、と本論文は推測します。種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)は、3万年前頃までニューギニア島もしくはアジア南東部の東部に存在した、と推測されています(関連記事)。また本論文は、パプア人とアジア南東部の東部集団のゲノムに1%未満ながらわずかに見られる、現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とデニソワ人を含む単系統群とは異なる人類系統からの遺伝的影響はデニソワ人経由と推測されているので、デニソワ人が後期エレクトスと遭遇した可能性を提示しています。

 本論文は、ンガンドン遺跡のエレクトスの堅牢な下限年代を提示しました。これはジャワ島、さらにはアジア南東部やその周辺地域のエレクトスの絶滅年代を直接的に示すものではありません。しかし、他地域ではンガンドン遺跡よりも確実に新しいエレクトスの痕跡は確認されていませんから、エレクトスの絶滅年代が10万年前頃に近い可能性は低くないように思います。もしそうならば、ジャワ島のエレクトスが現生人類と遭遇した可能性は低いでしょう。もっとも、アジア東部やオセアニアの事例からは、現生人類がアジア南東部に10万年以上前に拡散してきても不思議ではないのですが、これらの証拠には疑問も呈されており、まだ確定したとはとても言えないので(関連記事)、現時点では、アジア南東部における現生人類とエレクトスとの接触については、懐疑的に見ておく方が無難だと思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】ホモ・エレクトスの最後の姿

 インドネシアの中部ジャワ州で発見された古代人類のホモ・エレクトス(Homo erectus)の化石が、最後に登場したホモ・エレクトスの化石であることを明らかにした論文が、今週掲載される。この新知見は、この地域からのヒトの進化における初期ヒト族のホモ・エレクトスの位置を明らかにする上で役立つ。

 完全な直立歩行をした最初の人類であるホモ・エレクトスは、約200万年前に出現し、更新世のかなりの部分まで生き残っていた。1930年代に、ホモ・エレクトスの頭蓋冠(12個)と脛骨(2個)が、ソロ川(中部ジャワ州ガンドン)より20メートル高い位置にある骨化石包含層で発見された。しかし、この発掘現場の層序が複雑で、それ以前の発掘場所に関する当時の詳細なデータの一部に混乱があったため、これらの化石の年代測定は難航し、第一線の専門家による推定年代は、55万年前から2万7000年前まで大きくばらついていた。今回、Russell Ciochon、Kira Westawayたちの研究グループは、この発掘現場と周辺地域の分析を再び行った結果、この骨化石包含層の確度の高い年代が11万7000~10万8000年前であると示している。こうした年代の計算から、これらの化石が最後のホモ・エレクトスの個体群に由来したものであることが示唆された。

 興味深いことに、これらの化石は、ガンドンより上流で発生した大量死事象に巻き込まれた個体の化石であり、この大量死現象が起こったのは、環境条件の変化によって開けた森林のバイオームが熱帯雨林のバイオームに移行した頃だった。Ciochonたちは、その時に関節が連結している状態の遺体やそうでない遺体がソロ川に流れ込み、下流に堆積して、ガンドンの発掘現場が形成されたという考えを示している。



参考文献:
Rizal Y. et al.(2020): Last appearance of Homo erectus at Ngandong, Java, 117,000–108,000 years ago. Nature, 577, 7790, 381–385.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1863-2


追記(2020年1月16日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



古生物学:ジャワ島ガンドンにおける11万7000~10万8000年前のホモ・エレクトス最後の痕跡

古生物学:最後のホモ・エレクトス

 インドネシア・ジャワ島東部のソロ川沿岸にあるガンドン遺跡で発見されたホモ・エレクトス(Homo erectus)の化石群の年代については、55万〜2万7000年前と大きな幅があり、議論が続いている。年代にここまで大きなばらつきがある原因は、複雑な層序に関する理解が進んできたのと相まって、発掘時期の古い化石を正確な出土地点と結び付けるのが難しくなっていることにある。今回R Ciochonたちは、ガンドン遺跡について大規模な地質学的・古生物学的再評価を行い、この骨化石包含層が、川に流された遺骸が下流で堆積して形成されたことを明らかにしている。さまざまな年代測定を行った結果、この遺跡のヒト族化石の年代は11万7000~10万8000年前とされ、ホモ・エレクトスの存在を示す世界で最後の証拠であることが確認された。

前頭皮質ニューロンの意思決定要因

 前頭皮質ニューロンの意思決定要因に関する研究(Hirokawa et al., 2019)が公表されました。多くの皮質領域で、個々のニューロンは、当該領域の機能に対応した環境または自身の体の、特定の識別可能な特徴を符号化している、と知られています。しかし、認知機能に関わる前頭皮質では、神経応答は不可解な複雑さを呈し、知覚や運動やその他の課題関連変数を、一見無秩序に混合しているかのように見えます。この複雑さから、前頭皮質の個々のニューロンの神経表現は無規則に混合しており、神経集団のレベルでしか理解できない、と示唆されています。

 しかし、この研究は、ラットの眼窩前頭皮質(OFC)の神経活動が高度に構造化されている、と示します。つまり、単一ニューロンの活動は、選択行動を説明する計算論モデル中の個々の変数に相関して変動している、というわけです。この研究は、さまざまな行動が可能な中での神経応答の特徴を解析するため、知覚と価値関連意思決定とを結びつけた行動課題を行なうよう、ラットを訓練しました。無前提でモデルに依存しないクラスター解析では、OFCニューロンは複数の異なるグループに分けられ、それぞれが課題変数空間内での特定の応答プロファイルを備えていました。この範疇分けされた応答プロファイルに、選択行動の単純なモデルを当てはめると、それぞれのプロファイルは、特定の意思決定要因(たとえば、決定の確信度や価値など)と定量的に対応している、と明らかになりました。

 さらに、神経結合で定義された細胞タイプ、線条体に投射するOFCニューロンが、選択的で時間的に持続した単一の意思決定要因(統合価値)を符号化していることも明らかになりました。したがって、前頭皮質のニューロンも、他領域のニューロンと同じく、当該領域の機能に対応した特徴について、疎で過完備な神経表現を生成しており、その情報を、行動を支える下流領域に選択的に送っている、と考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


神経科学:前頭皮質ニューロンの各タイプは単一の意思決定要因を範疇分けして符号化している

神経科学:前頭皮質の暗号

 前頭皮質では、個々のニューロンは、知覚信号から記憶信号、運動信号、報酬信号まで複雑に配列した情報を運んでいるとされてきた。しかし、各ニューロン集団にどのように情報が割り振られているかは分かっていなかった。今回A Kepecsたちは、ニューロンが範疇分けされた複数の応答タイプに分類できることを示している。応答タイプは、例えば報酬の大きさ、意思決定の確信度、価値といった特定の意思決定要因に対応しており、各要因はそれぞれ別の投射ニューロン集団に符号化されているらしい。彼らは、前頭皮質ニューロンも、知覚ニューロンと同じように、環境内の重要な要因について、疎で過完備な表現を生成すると考えている。



参考文献:
Hirokawa J. et al.(2019): Frontal cortex neuron types categorically encode single decision variables. Nature, 576, 7787, 446–451.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1816-9

古代人が噛んだカバノキの樹脂に含まれる遺伝的情報(追記有)

 古代人が噛んだカバノキ(Betula pendula)の樹脂に含まれる遺伝的情報についての研究(Jensen et al., 2019)が報道されました。カバノキの樹脂は樹皮を加熱することで得られる暗褐色の物質で、中期更新世(76万~126000年前頃)以降、接着剤として用いられてきました。カバノキの樹脂はスカンジナビア半島の遺跡で一般的に見られ、その用途については議論されていますが、しばしば噛まれた痕跡が見られます。カバノキの樹脂の主成分の一つであるベツリンには防腐性があるため、薬用だった可能性も指摘されています。ヨーロッパで発見された噛まれた樹脂の最古の例は中石器時代にまでさかのぼり、それらの多くはカバノキでした。噛まれたカバノキの樹脂には古代人のDNAも含まれており、スウェーデンの中石器時代人のDNAが解析されています(関連記事)。また、噛まれたカバノキの樹脂には、噛んだ人の口腔微生物叢を反映する微生物DNAや、その直前の食事に由来するかもしれない動植物のDNAが含まれています。このように、噛まれたカバノキの樹脂には、人口史・健康状態・生存戦略など多様な情報が含まれています。

 本論文は、デンマークのロラン島のシルソルム(Syltholm)遺跡で発見されたカバノキの樹脂を分析しました。放射性炭素年代測定法により、この樹脂の較正年代は5858~5661年前(95.4%の確率)と推定されています。カバノキの樹脂から得られた古代人ゲノム配列の網羅率は2.3倍です。このシルソルム個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はK1eです。X染色体の読み取りの比率から、シルソルム個体は女性と推定されています。また、シルソルム個体の肌の色はやや濃く、髪の色は暗褐色で、目の色は青かった、と推定されています。こうした特徴は、中石器時代の他のヨーロッパ狩猟採集民では広範に存在していた、と以前に報告されており、明るい肌の色が後の時代に拡大したことを示唆します。乳糖耐性に関しては、シルソルム個体は両親からともに祖先型となる不耐性のアレル(対立遺伝子)を受け継いでいました。これは、乳糖耐性が最近進化して拡散した、という有力説と整合的です。以下、上記報道に掲載されたシルソルム個体の推定復元図です。
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 シルソルム個体は遺伝的には、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と類似しており、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)やアナトリア半島起源の農耕民集団からの遺伝子流動の証拠は見られませんでした。スカンジナビア半島の初期人類集団は、南方からのWHGと北東からのEHGとの混合と推測されており(関連記事)、デンマークには5858~5661年前頃までEHGが到達していなかった、と示唆されます。5700年前頃のデンマークは、考古学的区分では中石器時代となる7300~5900年前頃のエルテベレ(Ertebølle)文化から、新石器時代となる5900~5300年前頃の漏斗状ビーカー(Funnel Beaker)文化への移行直後となります。デンマークでは、狩猟採集から農耕への移行過程は比較的速く、定住パターンと生存戦略が劇的に変わった、とされています。しかし、この移行において、狩猟採集民集団による農耕受容と農耕集団到来との影響度の評価については、不明なところがあります。

 本論文は、シルソルム個体が遺伝的には、ヨーロッパに農耕を初めてもたらした新石器時代アナトリア農耕民系統を有さないことから、スカンジナビア半島南部の新石器時代農耕民集団の遺伝的拡散が、以前の推定よりも迅速ではなかったか、広範ではなかった可能性を提示しています。シルソルム個体のmtHgは上述のようにK1eで、これは一般的にヨーロッパ早期農耕民集団と関連していると考えられていましたが、近年では、中石器時代ヨーロッパにすでに存在していた、という証拠が蓄積されつつあります。シルソルム個体における新石器時代アナトリア農耕民系統の欠如は、ヨーロッパ他地域の狩猟採集民集団の証拠と一致しており、遺伝的に異なる狩猟採集民集団が以前の推定よりもずっと長く存続していた、と示唆します。こうしたWHG「生存」系統は、7000~5000年前頃のヨーロッパ中央部における、狩猟採集民系統の増加(関連記事)を引き起こしたかもしれません。

 噛まれたカバノキの樹脂からは、ナイセリア属など複数の細菌やウイルスも確認されました。以前の研究ではヒトの歯石からも同様に口腔微生物叢が確認されていますが(関連記事)、長年の口腔微生物叢を反映する歯石に対して、噛まれたカバノキの樹脂のようなものはその時点での口腔微生物叢を表しており、両者は相互補完的な関係にある重要な情報源となります。シルソルム個体からは多数の細菌が特定され、その大半は非病原性種として分類されていますが、特定の条件下では病原性になる可能性があります。また、歯周病と関連する細菌や、肺炎の原因となる細菌も確認されました。シルソルム個体では、世界の聖人の90%以上が感染する最も一般的なヒトヘルペスウイルス4型(EBV)も確認されています。ほとんどのEBV感染症は小児期に発生しますが、その大半は無症状か、他の軽度の小児期疾患と区別できない程度の症状です。ただ、EBVは時に伝染性単核球症を引き起こし、リンパ増殖性疾患などの原因となります。

 シルソルム個体では、カバノキやヘーゼルナッツ(Corylus avellana)やマガモ(Anas platyrhynchos)といった動植物のDNAも確認されました。カバノキのDNAが確認されたのは当然として、本論文はヘーゼルナッツやマガモに関して、遺跡の動物相からシルソルム個体の直近の食事に由来する可能性を提示しています。スカンジナビア半島の他の中石器時代~新石器時代の多くの遺跡では、ヘーゼルナッツが消費のために大量に集められている、という証拠が得られています。当時のスカンジナビア半島において、ヘーゼルナッツは重要な食資源だったようです。

 このように、カバノキの樹脂の断片は、古代人とそれ以外の生物およびウイルスのDNAの優れた情報源となることを示しました。これは、古代人の遺伝的系統や表現型や健康状態や食性もしくは生存戦略、さらには口腔微生物叢の組成など、多様な情報を得られるという点で、今後大いに注目されます。近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、その試料も生物遺骸に留まらなくなっており、堆積物や海・川・湖などからDNAを分析する環境DNA研究が古代DNA研究に応用されています(関連記事)。古代DNA研究は、飛躍的な発展期にあると言え、少しでも最新の研究を追いかけていこう、と考えています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】古代の「チューインガム」によって示されたヒトのゲノムと口腔マイクロバイオーム

 ヒトが噛んでいたカバノキの脂(やに)がデンマークで出土し、その標本から5700年前のヒトのゲノム全体が明らかになったことを報告する論文が、今週掲載される。また、この脂に含まれていた植物と動物と微生物のDNAの解析も行われ、このヒトの口腔マイクロバイオームと食物の供給源を解明するための手掛かりも得られた。

 カバノキの樹皮を加熱することによって得られるカバノキの脂は、中期更新世(約76万0000~12万6000年前)以降、接着剤として利用されてきた。カバノキの脂については、複数の考古学的遺跡で小さな塊が発見され、歯型が残っているものが多かったため、ヒトが噛んでいたことも示唆されている。

 今回、Hannes Schroederたちの研究グループは、カバノキの脂標本に含まれるヒトDNAの塩基配列を解読して、このDNAが女性のものと判定した上で、いくつかの遺伝子の遺伝的変異を根拠として、この女性は、黒い髪で、肌が浅黒く、青い目をしていた可能性が高いことも明らかにした。Schroederたちは、このヒトが、スカンジナビア半島の中央部の狩猟採集民よりもヨーロッパ大陸の西部の狩猟採集民に近縁だったと考えている。また、カバノキの脂標本に含まれるヒト以外の古DNAの解析では、口腔マイクロバイオームに特徴的な細菌種が検出され、その一部は、(歯周病に関係すると考えられている)Porphyromonas gingivalisなどの既知の病原体だった。さらに、植物種(例えばヘーゼルナッツ)や動物種(例えばマガモ)のDNA配列も特定できたが、Schroederたちは、これらの植物と動物が直前の食事の残りかすだとする考えを示している。



参考文献:
Jensen TZT. et al.(2019): A 5700 year-old human genome and oral microbiome from chewed birch pitch. Nature Communications, 10, 5520.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-13549-9


追記(2019年12月20日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

脊椎動物の遺伝的な寿命予測

 脊椎動物の遺伝的な寿命予測に関する研究(Mayne et al., 2019)が報道されました。老化はほとんど全ての動物種で観察されており、多様な生物学的機能の低下を伴い、種の最大寿命を制約します。また、加齢はエピジェネティックな変化にも関連しています。生物種の最長寿命は定義が難しく、その長さは種によって大きく異なっています。最長寿命が遺伝子によって制御されていることは以前の研究によって示唆されていますが、現時点では、こうした違いの原因となる遺伝的多様体は見つかっていません。本論文は、寿命が分かっている脊椎動物種(252種)の参照ゲノムを用いて、寿命の予測に利用できると考えられる42種の遺伝子を突き止め、これらの遺伝子におけるCpG(シトシンとグアニンがホスホジエステル結合でつながった配列)密度から絶滅種を含む脊椎動物の寿命を高い精度で予測できる、と明らかにしました。

 本論文は、アフリカゾウのゲノムと平均寿命(65年)を基準とし、自らの予測モデルを用いて、マンモスとアンティクースゾウの寿命をいずれも60年と推定しました。現生人類(Homo sapiens)の推定寿命は38年です。しかし、近代以降、現生人類の平均寿命は2倍以上になりました。チンパンジー(Pan troglodytes)の推定寿命は39.7年です。また、現代人と初期人類とチンパンジーのゲノムを基準に用いたところ、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)という絶滅人類種の推定寿命は37.8年で、現生人類とほとんど変わりませんでした。

 さらに本論文は、この予測モデルを用いて使って、ホッキョククジラ(Balaena mysticetus)や絶滅したピンタゾウガメ(Chelonoidis abingdonii)のような長寿命種の寿命を推定しました。ピンタゾウガメは120年以上と推定されていますが、カメの長寿の一因として、他の脊椎動物よりも多い腫瘍抑制遺伝子が挙げられています(関連記事)。ホッキョククジラの推定寿命は268年ですが、これは既知の最長寿命個体よりも57年も長く、こうした長寿命種は観察者より長く生きることが多いため、寿命推定研究が困難になることもある、と指摘されています。本論文は、こうした知見が現生種と絶滅種の生態と進化や、絶滅危惧種の保護や、持続可能な漁業を研究するさいに役立つ情報になる、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生物学】脊椎動物の寿命を予測する遺伝子「時計」

 遺伝子マーカーを用いて、さまざまな脊椎動物(絶滅種を含む)の寿命を正確に推定するモデルについて報告した論文が、今週掲載される。この「寿命時計」は、あらかじめ選ばれた42種の遺伝子のスクリーニングを行って、CpG部位の密度を調べ、それぞれの脊椎動物種の寿命を予測する。これは、短いDNA断片であるCpG部位の密度が寿命と相関していることに基づいている。

 生物種の最長寿命は、定義が難しく、その長さは、種によって大きく異なっている。最長寿命が遺伝子によって制御されていることが以前の研究によって示唆されているが、これまでのところ、こうした違いの原因となる遺伝的バリアントは見つかっていない。

 今回の研究で予測モデルを構築するため、Benjamin Mayneたちの研究グループは、寿命が分かっている脊椎動物種(252種)の参照ゲノムを用いて、寿命の予測に利用できると考えられる42種の遺伝子を突き止めた。そして、これらの遺伝子におけるCpG密度から脊椎動物(絶滅種を含む)の寿命を高い精度で予測できることが判明した。

 Mayneたちは、アフリカゾウのゲノムと平均寿命(65年)を基準に用い、自らの予測モデルを使って、マンモスとアンティクースゾウの寿命をいずれも60年と推定した。また、現生人類、初期人類とチンパンジーのゲノムを基準に用いたところ、デニソワ人とネアンデルタール人の寿命は約38年と推定された。さらにMayneたちは、その予測モデルを使って、ピンタゾウガメやホッキョククジラのような長寿の動物種の寿命を推定できることを示した。こうした長生きの動物種は、観察者より長く生きることが多いため、寿命を推定する研究が困難になることもある。

 Mayneたちは、以上の知見は、現生種と絶滅種の生態と進化、絶滅危惧種の保護、持続可能な漁業を研究する際に役立つ情報になるという見解を示している。



参考文献:
Mayne B. et al.(2019): A genomic predictor of lifespan in vertebrates. Scientific Reports, 9, 17866.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-54447-w

マメ科植物の根粒共生の遺伝的基盤

 マメ科植物の根粒共生の遺伝的基盤に関する研究(Soyano et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。窒素は全生物が生命を維持するために必須な成分です。一般的に、植物は硝酸塩やアンモニアといった窒素栄養素を土壌から吸収します。一方マメ科植物は、根粒と呼ばれる特殊な器官に窒素固定細菌を共生させており、ほとんどの生物が利用できない空気中の窒素を栄養素として使用できます。そのため、マメ科植物は窒素栄養素が乏しい痩せた土地でも生育できます。

 根粒共生は、植物にとっても、またその恩恵に預かる人間にとってもたいへん有用な形質ですが、マメ科植物とマメ科に近縁な一部の植物だけで見られる現象です。これまでの研究により、根粒共生に関わる遺伝子についての情報は次第に蓄積されてきていますが、マメ科植物の根粒共生の能力が進化の過程でどのように獲得されてきたのかは、よく分かっていませんでした。

 この研究は、根粒共生における根粒の形成過程に、植物に一般的に存在する側根の形成メカニズムの一部が流用されている、と新たに発見しました。この研究は、マメ科植物モデル植物のミヤコグサ(Lotus japonicus)を用いて、側根の形成を制御する遺伝子として知られるASL18a遺伝子が、他の根粒形成遺伝子と協調しながら根粒の発達を制御する、と明らかにしました。これは、マメ科植物の根粒共生の能力が、植物に一般的な既存のシステムを上手く取り入れながら獲得されてきたことを示しています。


参考文献:
Soyano T. et al.(2019): A shared gene drives lateral root development and root nodule symbiosis pathways in Lotus. Science, 366, 6468, 1021–1023.
https://doi.org/10.1126/science.aax2153

Y染色体から推測される更新世におけるユーラシア東方から西方への大規模な移動

 Y染色体の系統地理的データから更新世のユーラシアにおける大規模な移動の可能性を指摘した研究(Hallast et al., 2019)が公表されました。本論文はまだ査読中なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、興味深い内容なので取り上げます。アフリカ以外の現代人集団のゲノムは、ほぼ完全に7万~5万年前頃の単一の出アフリカ集団に由来し(関連記事)、その後すぐ出アフリカ集団はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と交雑し、出アフリカ系現代人全員のゲノムには、多少の地域差はあっても、ネアンデルタール人由来の領域が約2%見られます(関連記事)。このネアンデルタール人と出アフリカ系現代人の主要な祖先集団との交雑は、6万~5万年前頃に起きたと推定されています(関連記事)。

 出アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカもこの頃と推測されており、現生人類(Homo sapiens)はその後急速にユーラシアとオーストラリア(更新世の寒冷期には、ニューギニア島やタスマニア島とも陸続きとなり、サフルランドを形成していました)にまで拡散しました。しかし、6万~5万年前頃の現生人類のDNAはまだ報告されていないため、現生人類の詳細な移住経路は不明です。現代人集団のゲノム規模分析は、アフリカからの移動距離に比例した遺伝的変異の減少を示しており、連続した創始者効果として解釈されています。しかし、これは当初こそ妥当かもしれませんが、その後の移動および混合事象のため、初期の人口構造が5万年にわたって持続してきた可能性は低そうだ、と本論文は指摘します。そのため、現代人の常染色体データから最初の出アフリカ拡大を推測することは適切ではなく、出アフリカ当初の現生人類の古代DNAもまだ報告されていないので、代替的な情報が必要になる、と本論文は指摘します。

 本論文はその代替的情報として、基本的には父系でのみ継承されるY染色体を挙げています。これは、Y染色体の男性固有の領域からハプロタイプを特定でき、詳細な系統樹を作成できるからです。出アフリカ系現代人のY染色体ハプログループ(YHg)は、CTと分類されています。このうち、YHg-D2(本論文では以前のD0という分類名が採用されています)の分析(関連記事)から、YHg-CT内の最初の分岐は出アフリカ前に起きた可能性が高く、C・D・FTは出アフリカ系現代人の祖先集団によりアフリカから世界各地へと拡散していった、と本論文は推測しています。これら3YHgの割合に関して、Cは少なく、Dはかなり少ないのに対して、FTはひじょうに多くなっています。本論文は、これらYHgの分岐と地理的分布を再検証し、改めて現生人類の拡大史を推測しました。以下、YHg系統樹とその地理的分布を示した本論文の図1です。
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 出アフリカ系YHg-C・D・FTはそれぞれ、54000年前頃以後に急速に拡大した、と推測されます。5万年前頃までには、Cは7系統、FTは15系統に分岐し、45000年前頃までには、 FTは24系統に、Dも(アフリカに留まったD2を除いて)4系統に分岐していました。CはまずC1とC2に分岐します。C1は現在のアジア東部・南東部・南部とオセアニアに広く見られます。C2はアジア東部および南部だけではなく、アジア北部・中央部・西部にも見られます。Dはほぼ完全にアジア南部および東部にしか存在しません。FTは現在世界中に分布していますが、最初にFとGHIJKに分岐し、Fがアジア東部および南東部でしか見られない一方で、GHIJKは世界中に分布しています。オセアニア固有の系統を除くと、5万年前頃までに分岐したGHIJK12系統中11系統は、アジア東部と南東部もしくは南部に分布しています。YHg-H2という1系統のみがヨーロッパ特有ですが、その拡散経路と考えられるアフリカからアジア中央部および西部には存在せず、それらの地域には本論文で検証されたYHgの半数未満しか存在しません。

 45000年前以前の現生人類のY染色体DNAデータはまだ報告されていませんが、45000~30000年前頃のユーラシアの21人分は報告されており、そのうち18人はYHg-C・D・FTのいずれかに分類されます。Cは10人で、そのうち6人がアジア北部、4人がヨーロッパに分布します。残りの8人はFTに分類され、3人がアジア北部、1人がアジア東部、4人がヨーロッパに分布します。これらは全て、5万年前頃までに分岐していた出アフリカYHg23系統に含まれます。また、現在ではアジア東部・南東部・南部とオセアニアに限定されるC1は、4万~3万年前頃にはもっと広範囲に分布しており、現在では存在しないヨーロッパにも8000年前頃以後まで存在していました。

 大陸規模の再移動を伴わないようなアフリカからアジアとオセアニアへの漸進的な現生人類の拡散モデルでは、Y染色体系統樹の最初の分岐は、アフリカに近接した地理的場所で起き、現在のY染色体の系統地理的分布は、C・D・FTの早期分岐系統がアジア中央部および西部に存在する、と予想されます。しかし、上述のようにYHg早期分布系統はアジア中央部および西部の東方に分布しており、後期更新世における早期の分岐がユーラシア東方地域で起きた、と示唆します。つまり、現代人のYHgに関しては、アフリカからの連続した創始者効果で解釈するのは適切ではない、というわけです。

 父系のY染色体と同じく単系遺伝のミトコンドリアDNA(mtDNA)は母系を表し、配列が短いため詳細は不明ですが、6万~5万年前頃の出アフリカ系統の分岐を示します。アフリカ以外でのmtDNAハプログループ(mtHg)の最初の分岐はMと祖型Nで、M内の分岐は55000~44000年前頃に、N内の分岐は55000~47000年前頃に起きました。現在のmtDNAの地理的分布はY染色体よりも特異性が低く、mtHg-M・Nは世界中に分布していますが、Mは現在のヨーロッパには見られません。しかし、少なくとも28000年前頃までは、ヨーロッパにもmtHg-Mは存在していました(関連記事)。また、ルーマニアでは、4万年前頃の現生人類でmtHgの祖型Nが確認されています。したがって、mtDNAでもY染色体と同様に後期更新世における大陸規模の変化が示唆されます。さらに、mtHg-Nは単一拡大モデルから予想される系統地理的パターンを示しており、西方における最初の分岐を示唆します。

 このようなYHgの地理系統的情報を、現生人類の単一の出アフリカ拡大とどのように整合的に解釈できるのか、本論文は検証しています。最も単純な説明は、最初の西方のYHgはその東方からのおそらくは複数回の拡大により完全に置換された、というものです。これは、YHg-GHIJKの起源は東方にある可能性が高い、という推測により支持されます。もう一方は、Y染色体系統の最初の分岐が西方で起きたとする説明で、YHg-C・D・Fが西方で見られるYHg-GHIJKのみを残して他のGHIJKとともに全て東方に移動したか、YHg-C・D・Fが西部では遺伝的浮動により失われたものの、東方ではそれが起きなかった、と仮定しなければなりません。

 最初の単純な説明でも、空前の水準の男性の遺伝的構造の移動が示唆され、それに続く数千年間のYHg-GHIJK内の分岐を整合的に説明するのは困難です。しかし、もう一方の説明は、遺伝的な有効人口規模ではヨーロッパよりもアジア東部の方が低いことから、成立する可能性は低そうです。そのため本論文は、現在利用可能な古代DNAとY染色体データでは、更新世におけるユーラシア東方からの西方集団の置換の方がより説得的である、との見解を採用しています。

 古代DNA研究は、現生人類の遺伝的歴史の複雑さのいくつかを見せ始めており、それには過去3万年の大規模な大陸間移動の証拠の提供も含まれる、と本論文は指摘します。本論文は、現生人類の出アフリカ仮説モデルにおいて、アメリカ大陸へのもっと後の拡大と同様に、6万~4万年前頃の主要な大陸間移動を想定しなければならない、と指摘します。これらの観点から、大規模な移動は先史時代を通じて続いていた可能性が高い、と本論文は推測しています。Y染色体の特有の遺伝的特性は、他の遺伝学的方法での調査が現在では困難な、出アフリカ現生人類の早期移動の考察に有益である、というのが本論文の見解です。

 更新世におけるYHgのユーラシア東方系によるユーラシア西部系の置換という本論文の見解はたいへん興味深いのですが、これを考古学の研究成果とどう整合的に解釈できるのか、という疑問は残ります。もちろん、考古資料の変化と人類集団の遺伝的変容を単純に対応させることはできませんし(関連記事)、私の勉強不足もあるので、本論文の見解を直ちに否定するつもりはありませんが。また、ゲノムデータでは、ユーラシア西部系とユーラシア東部系が43000年前頃に分岐していた、と推測されていること(関連記事)とどう整合的に解釈できるのか、という問題も残ると思います。本論文が指摘するように、現生人類の出アフリカ前後の期間(60000~45000年前頃)の現生人類の古代DNAが欠如している現状では、YHgの地理系統分布に多分に依拠せざるを得ないところはあるでしょう。やはり今後は、ユーラシアにおける60000~45000年前頃の現生人類の広範な地域のゲノムデータの蓄積が必要になるでしょう。


参考文献:
Hallast P. et al.(2019): Early replacement of West Eurasian male Y chromosomes from the east. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/867317

マントルの動きにより3000万年にわたって維持されてきたナイル川

 ナイル川が3000万年にわたってマントルの動きにより維持されてきたことを報告する研究(Faccenna et al., 2019)が公表されました。大規模な河川の排水系は長い間謎となっており、ナイル川の進化については2つの相反する可能性が示唆されています。一方は、エチオピアから地中海へ流れる川の流れは過去3000万年の間活動的であったと想定しており、もう一方は、初期の排水路はエチオピアから西向きにコンゴ盆地まで、あるいは北西にスルト盆地に達しており、地中海と連結したのはもっと遅く500万から800万年前であった、と想定しています。

 この研究は、現在の排水路が初期に確立したことを示唆する、地球ダイナミクスモデルおよび現在の地質学的・地球物理学的証拠を提示しています。この研究は、地球マントルのコンベヤーベルト様の動き対流セル)が約3000万年前から地球マントル内で動き出し、エチオピアの下で上昇流と地形の隆起、さらに地中海東部の下で沈降に関連した下降流をもたらし、これが地表の地形を安定させ、現在の排水路のパターンにつながった、と明らかにしました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【地球科学】地球のマントルの動きがナイル川を3000万年にわたって維持してきた

 ナイル川の排水路は過去3000万年にわたって存続してきたが、これは地球マントルのコンベヤーベルト様の動き(つまり、「対流セル」)が地表の地形を安定させたからであると報告する論文が掲載される。

 大規模な河川の排水系は長い間謎となっており、ナイル川の進化については2つの相反する可能性が示唆されている。1つのシナリオでは、エチオピアから地中海へ流れる川の流れは過去3000万年の間、活動的であったとされており、もう1つのシナリオでは、初期の排水路はエチオピアから西向きにコンゴ盆地まで、あるいは北西にスルト盆地に達しており、地中海と連結したのはもっと遅く500万から800万年前であったとされている。

 今回、Claudio Faccennaたちは、現在の排水路が初期に確立したことを示唆する、地球ダイナミクスモデルおよび現在の地質学的・地球物理学的証拠を提示している。彼らは、対流セルがおよそ3000万年前から地球マントル内で動き出し、エチオピアの下で上昇流と地形の隆起、そして地中海東部の下で沈降に関連した下降流をもたらし、これが現在の排水路のパターンにつながったことを見いだしている。



参考文献:
Faccenna C. et al.(2019): Role of dynamic topography in sustaining the Nile River over 30 million years. Nature Geoscience, 12, 12, 1012–1017.
https://doi.org/10.1038/s41561-019-0472-x

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の記事のまとめ

 大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』が終了したので、関連記事をまとめてみました。

2019年の大河ドラマはオリンピックが題材(通算4000本目の記事)
https://sicambre.at.webry.info/201611/article_17.html

第1回「夜明け前」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_9.html

第2回「坊っちゃん」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_23.html

第3回「冒険世界」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_39.html

第4回「小便小僧」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_48.html

第5回「雨ニモマケズ」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_4.html

第6回「お江戸日本橋」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_15.html

第7回「おかしな二人」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_29.html

第8回「敵は幾万」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_45.html

第9回「さらばシベリア鉄道」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_8.html

第10回「真夏の夜の夢」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_16.html

第11回「百年の孤独」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_27.html

第12回「太陽がいっぱい」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_38.html

第13回「復活」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_52.html

第14回「新世界」
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_22.html

第15回「あゝ結婚」
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_32.html

第16回「ベルリンの壁」
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_40.html

第17回「いつも2人で」
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_8.html

第18回「愛の夢」
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_19.html

第19回「箱根駅伝」
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_32.html

第20回「恋の片道切符」
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_47.html

第21回「櫻の園」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_3.html

第22回「ヴィーナスの誕生」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_18.html

第23回「大地」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_32.html

第24回「種まく人」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_46.html

第25回「時代は変る」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_59.html

第26回「明日なき暴走」
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_15.html

第27回「替り目」
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_33.html

第28回「走れ大地を」
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_53.html

第29回「夢のカリフォルニア」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_6.html

第30回「黄金狂時代」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_18.html

田畑政治の人物造形
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_23.html

第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_33.html

第32回「独裁者」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_48.html

第33回「仁義なき戦い」
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_2.html

第34回「226」
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_22.html

第35回「民族の祭典」
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_36.html

第36回「前畑がんばれ」
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_51.html

第37回「最後の晩餐」
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_62.html

第38回「長いお別れ」
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_15.html

第39回「懐かしの満州」
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_26.html

第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_53.html

第41回「おれについてこい」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_9.html

第42回「東京流れ者」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_22.html

第43回「ヘルプ!」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_33.html

第44回「ぼくたちの失敗」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_43.html

第45回「火の鳥」
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_1.html

第46回「炎のランナー」
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_13.html

第47回(最終回)「時間よ止まれ」
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_24.html

全体的な感想
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_26.html

44000年以上前のスラウェシ島の形象的な洞窟壁画(追記有)

 44000年以上前のスラウェシ島の形象的な洞窟壁画に関する研究(Aubert et al., 2019)が報道されました。ナショナルジオグラフィックでも報道されています。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。象徴的思考の考古学的指標となる芸術は「現代的行動」の代表例の一つとされており、その出現は人類進化史において画期とされています。後期更新世に出現した洞窟壁画は、芸術作品の中でも比較的残りやすいことから、高い関心が寄せられてきました。

 じゅうらい、最初期の洞窟壁画はヨーロッパでのみ確認されていましたが、21世紀になってインドネシアでは、スラウェシ島(関連記事)やボルネオ島(関連記事)で4万年前頃までさかのぼる世界でも最初期の洞窟壁画が確認されています。スペインでは65000年前頃までさかのぼる非形象的な洞窟壁画が発見されており、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産とされていますが(関連記事)、その年代と制作者に関しては議論が続いており(関連記事)、まだ当ブログで取り上げていないものもあります。

 このネアンデルタール人の所産とされる洞窟壁画もそうですが、最初期のものはおおむね非形象的です。ネアンデルタール人の所産とされる6万年以上前の事例を除くと、ヨーロッパでは最古となるスペインのエルカスティーヨ(El Castillo)洞窟の壁画は4万年前頃ですが、形象的壁画の出現は32000年前頃以降と推測されています(関連記事)。そのため、「現代的行動」の指標とされる描画でも、形象的か否かを重視する見解も提示されています(関連記事)。ネアンデルタール人は線刻や手形を残せても、形象的表現はできず、それが現生人類との大きな違いだった、というわけです。

 その意味で、形象的表現としては現時点で最古となりそうな、ボルネオ島の野生ウシと思われる4万年前頃の動物壁画の事例は、重要と言えそうです。以前は、人類史において最初に芸術が開花したのはヨーロッパと考えられていましたが、アジア南東部ではヨーロッパと同年代かもっと古くから芸術活動が行なわれていたわけで、おそらく現生人類(Homo sapiens)は出アフリカの前から、潜在的には形象的表現も含む芸術活動が可能な認知能力を有しており、その最古級の痕跡が現時点ではヨーロッパ西部とアジア南東部に偏在しているのは、単に残存性の問題なのかもしれません。

 インドネシアでもヨーロッパでも、洞窟壁画で形象的表現として動物は多く描かれていますが、動物を狩るヒトはほとんど描かれておらず、動物とヒトを合成した表現(獣人)も稀です。獣人を表現した最古の事例は、ドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel)洞窟で発見された、40000~39000年前頃となる早期オーリナシアン(Aurignacian)の「ライオンマン」像で、マンモスの牙で制作されました。この「ライオンマン」像は、存在しないものを想像する能力が主教の基盤になると考えられているため、重視されてきました。ボルネオ島の洞窟壁画では、21000~20000年前頃以降、ヒトが描かれるようになります。これまで、ボルネオ島やスラウェシ島では、洞窟壁画が描かれるようになった4万年前頃までさかのぼるヒトの描写は確認されていませんでした。

 本論文は、2017年12月に発見された、スラウェシ島のマロス・パンケプ(Maros–Pangkep)地方にあるリアンブルシポン4号(Leang Bulu’ Sipong 4)洞窟(以下、LBS4と省略)の、幅4.5mの壁画を報告しています。描かれている動物は、2頭のイノシシと4頭の小型スイギュウ(アノア)です。また、8個体のヒトらしき絵も描かれていますが、嘴や尾のような(ヒトではない)動物の特徴も備えており、本論文は獣人と解釈しています。ウラン系列法による年代測定では、アノア2で412600±240年前、アノア3で41320±380年前、イノシシ1で36620±280年前と44410±490年前という結果が得られています。これらはいずれも、絵の上に付着した二次生成物の年代測定なので、描かれた年代はそれ以前となります。イノシシ1は獣人1、アノア2は獣人2、アノア3は獣人3~8と関連づけられています。イノシシ1は44000年以上前に描かれたことになりますから、現時点では世界最古の形象的表現となります。以下、この洞窟壁画の写真も含めた本論文の図2です。
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 本論文はこれら一連の洞窟壁画を狩猟場面と解釈し、最古の物語的表現と主張しています。獣人という想像上の形象的表現もそうですが、こうした虚構の世界を語り、表現する能力は、宗教とも関連していると考えられることから、注目されてきました。芸術活動だけではなくこうした能力も、現生人類が出アフリカ以前より潜在的に備えていたのでしょう。問題となるのは、本論文でもやや懐疑的に扱われているネアンデルタール人の洞窟壁画の事例です。確かに、ネアンデルタール人が確実に残したとされる形象的表現はまだ確認されていませんが、ネアンデルタール人の所産とされる洞窟壁画には形象的表現もあるので、今後、ネアンデルタール人の形象的表現が確認される可能性は低くないように思います。虚構を語る能力をネアンデルタール人が有していた可能性も、きょくたんに低いわけではないだろう、とさえ私は考えています。

 なお、上記報道によると、芸術学専攻の小川勝氏は、獣人とされている絵はじっさいには動物で、そうだとすると、狩猟場面を描いた壁画ではない、と指摘しています。また小川氏は、LBS4の壁画を複数の研究チームが検証したわけではないので、年代測定も含めて信頼性という点でまだ不充分とも指摘しています。年代測定の根拠となったウラン系列法は、ネアンデルタール人の所産とされる6万年以上前の洞窟壁画の研究でも用いられていますが、信頼できる方法ではあるものの、標本の扱いと年代の解釈には難しさも指摘されており(関連記事)、本論文にたいしても、今後慎重な意見が寄せられていくかもしれません。

 なお、ここまでLBS4の壁画を描いたのは現生人類との前提で述べてきましたが、45000年前頃のアジア南東部には、現生人類ではない人類が存在していた可能性もあります。その一方はインドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)で、リアンブア(Liang Bua)洞窟でのフロレシエンシスの痕跡は5万年前頃で消滅しますが、その後も存在していた可能性が指摘されています(関連記事)。そのフロレシエンシスは、スラウェシ島から意図せず何度も漂着した、との見解も提示されており(関連記事)、スラウェシ島では10万年以上前の石器が発見されていることから(関連記事)、スラウェシ島には後期更新世までフロレシエンシスもしくはその近縁系統が存在した可能性は低くないように思います。

 もう一方は種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)で、3万年前頃までアジア南東部もしくはメラネシアに存在した可能性が指摘されています(関連記事)。ただ、フロレシエンシスもしくはその近縁系統がLBS4の壁画を描いた可能性はさすがに皆無に近いと思います。デニソワ人に関しては、そもそも3万年前頃までアジア南東部に存在した可能性がさほど高いとは言えないように思うので、LBS4の壁画を描いたのは、やはり現生人類でほぼ確定的だと考えています。


参考文献:
Aubert M. et al.(2019): Earliest hunting scene in prehistoric art. Nature, 576, 7787, 442–445.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1806-y


追記(2019年12月19日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



考古学:先史時代の芸術における最古の狩猟場面

考古学:最古の狩猟場面か

 M Aubertたちは今回、インドネシア・スラウェシ島の鍾乳洞で発見された1枚の岩絵について報告している。そこには、イノシシや小型のウシ科動物と共に、ヒトに似た姿がいくつも描かれている。この洞窟芸術の年代は少なくとも4万3900年前と推定され、狩猟場面を描いたものとしては世界で最古の作品と考えられる。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』全体的な感想

 本作の平均視聴率(関東地区)は大河ドラマ史上最低で、しかもこれまでの平均最低視聴率を大きく下回り、単回での最低視聴率もこれまでの記録を大きく下回ったため、低視聴率という点で面白おかしく騒がれたように思います。率直に言って、本作が広く人気を得られなかったことは否定できないでしょう。本作は朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の制作陣と出演者の(もちろん全員ではないにせよ)再結集といった感があり、大きな話題を呼んだ『あまちゃん』の再来を企図していたのでしょう。それが、視聴率では大惨敗だったわけですから、見通しの甘さを批判されても仕方のないところだとは思います。

 近年の大河ドラマの病巣の一つとして『篤姫』幻想がある、と私は以前から考えています。2008年放送の大河ドラマ『篤姫』は、21世紀の大河ドラマとしては驚異的な視聴率を誇り、NHKにとって、『篤姫』は21世紀の大河ドラマにおける最良の成功例なのでしょう。しかし、その(あくまでも視聴率的な意味での)成功体験に固執した結果が、2011年放送の『江~姫たちの戦国~』と2015年放送の『花燃ゆ』と2018年放送の『西郷どん』の、まず間違いなく制作陣の放送開始前の期待よりもずっと低い視聴率と、何よりも質の面での惨状をもたらした、と私は考えています。本作の視聴率での大惨敗も、大河ドラマではありませんが、『あまちゃん』の成功体験に囚われてしまった結果だと思います。その意味で本作には、成功体験への固執という近年の大河ドラマの問題点が顕著に現れている、と私は考えています。

 ただ、私は視聴率では大惨敗だった本作をひじょうに楽しめました。完走した21世紀の大河ドラマは本作で14本目となりますが、私は本作を2012年放送の『平清盛』に次いで高く評価しています。21世紀の大河ドラマでは、2007年放送の『風林火山』と2016年放送の『真田丸』と2017年放送の『おんな城主 直虎』も楽しめましたが、本作はそれら以上に楽しめました。スポーツ史の観点から近代史を描くという大河ドラマとしては異色の点も、オリンピックの問題点も描かれていたという点も高評価となります。ただ、本作の低視聴率の一因となっただろう落語話の方は、本筋との接続も、物語を落語の視点で展開するという構造も、とても絶賛するほどではなかったかな、とは思います。確かに、主人公2人と落語との関連は上手く設定されていましたが、それが明かされるまで長く、心を大きく動かされるところまではいきませんでした。

 落語話と本筋との接続を絶賛する気にはなれませんでしたが、人物造形の方は本当に上手かったと思います。本作は半世紀以上にわたる期間を描くだけに、登場人物の入れ替わりは激しく、登場回数の少ない人物も多かったのですが、それでも強烈に印象に残る人物は少なくありませんでした。すぐに思いつくだけでも、高橋是清・犬養毅・杉村陽太郎・三遊亭圓生・ヤーコプなどがいます。一方、知名度の高い人物でも織田幹雄や南部忠平のようにほとんどモブキャラだった場合もありますが、マラソンの金栗四三と水泳の田畑政治を主人公としているのですから、有名人でも重要な役割を担わせない、という脚本には問題がなかったと思います。主要人物の一人を演じていた役者の逮捕のため代役が立てられたことと、何よりも記録的な低視聴率のため、本作は大河ドラマ史における黒歴史となり、再放送も難しいかもしれませんが、いつかは再放送されて、新たな視聴者を獲得していってもらいたいものです。

閉経後のシャチの祖母は孫の生存率を高める

 閉経後のシャチの祖母と孫の生存率に関する研究(Nattrass et al., 2019)が報道されました。朝日新聞でも報道されています。また、ナショナルジオグラフィックでも報道されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。多くの哺乳類は年齢とともに繁殖力が低下し、これは通常体細胞老化と一致しているので、繁殖行動ができなくなる時期と死亡時期はおおむね一致します。しかし、ヒト(Homo sapiens)とシャチも含むクジラの一部では、閉経後も雌が長期間生存します。シャチの雌は10歳でほぼ性的に成熟し、30代後半から40代前半に閉経します。10歳まで生き延びた雌の64%は、閉経後もおおむね15年以上生き続けます。一方、雄の多くは30年以上生きられません。ヒトやクジラの一部で閉経後も雌が生き続ける理由については、大きな関心が寄せられてきました。ヒトに関しては、閉経後の女性が親族を助けることによる包括的適応度の向上が進化の選択圧になった、と示唆されています(祖母仮説)。

 本論文は、シャチにおける閉経後の雌の存在理由を検証しました。対照となったのは、北アメリカ大陸太平洋沿岸の2集団で、40年以上にわたるデータが分析されました。分析された孫は378頭となります。シャチは最大で40頭ほどの固く団結した群れを形成します。シャチの親族関係は、長期的観察から推測されました。シャチ集団では繁殖相手は集団外に求められ、雄の仔は出生集団に存在しないため、本論文は父方祖母ではなく母方祖母について検証しました。また、シャチの食資源環境の評価としてサケが用いられ、北アメリカ大陸太平洋沿岸のサケの漁獲量がサケの資源量の指標とされました。

 シャチにおいては、祖母の死後2年で、孫の生存確率は大きく減少します。これは、サケが少ない年に最も顕著な効果を示します。孫の生存確率は、祖母の不在→繁殖中の祖母の存在→閉経後の祖母の存在の順に高くなります。これは、非ヒト閉経種における祖母仮説を支持する証拠となります。繁殖中の祖母よりも閉経後の祖母の方で孫の生存可能性が高くなるのは、祖母が仔の世話のために、孫をじゅうぶん世話できないためと考えられます。また、繁殖中でも閉経後でも、祖母の存在が娘の出産間隔を短縮するという証拠は見つけられませんでした。これは、祖母の存在が娘の最初の仔の生存率を高め、第2仔以降の出産をわずかに遅らせるためではないか、と本論文は推測しています。

 また、祖母の存在においてサケの資源量の影響がとくに大きいことから、サケの捕獲において祖母が重要な役割を果たしているのではないか、と考えられます。以前の研究では、閉経後のシャチの雌は知識が豊富なので、サケを狩るさいに重要な指導的役割を果たす、と示されています。サケの個体数は減少し続けているため、シャチにおいて祖母の存在はさらに重要になりそうです。祖母の存在による孫の生存率向上効果に性差は見られませんでした。ただ、ゾウのように祖母が孫の生存確率を高める一方で、死の直前まで繁殖を続ける種もおり、閉経後の長寿は単に利益だけでは説明できず、たとえば、世代間の繁殖競合のコストも早期の閉経の選択圧になったかもしれません。シャチでは、母と娘が出産すると、母の仔の方が死亡率は顕著に高い、と明らかになっています。本論文が明らかにしたのはシャチにおける祖母効果ですが、人類系統における祖母効果の解明にも役立つ知見と言えそうで、たいへん注目されます。


参考文献:
Nattrass S. et al.(2019): Postreproductive killer whale grandmothers improve the survival of their grandoffspring. PNAS, 116, 52, 26669–26673.
https://doi.org/10.1073/pnas.1903844116

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第47回(最終回)「時間よ止まれ」

 1964年10月10日、東京オリンピック大会の開会当日を迎えます。雨の予報でしたが、快晴となり、関係者は安堵します。開会式前の国立競技場には、田畑政治と金栗四三がいて、四三は嘉納治五郎からの手紙を田畑に見せます。開会式は無事に行なわれ、敗戦前からオリンピック招致に関わっていた人々は感無量でした。落語から逃げ出した五りんは、古今亭志ん生の娘の美津子に依頼され、聖火リレーの伴走者を務めた後、古今亭志ん生の寄席を訪ね、許してもらいます。

 ついに最終回を迎え、1年間楽しみに視聴し続けてきただけに、感慨深くもあり、寂しくもあります。可児徳や野口源三郎といった懐かしい人々が登場したのは、予想していたものの、やはりよかったと思います。最終回は、前半で開会式が描かれ、中盤は落語話となりました。正直なところ、最後まで本筋と落語話が上手く接続していなかったように思いますが、富久とオリンピックを重ね合わせたところはさすがに上手いものでした。まあ、できれば落語話を削って大会中の人間模様をもっと描いてほしかったものですが、四三が1967年にストックホルムに招待され、行方不明扱いになっていたマラソンを完走したことが省略されないだけでもよかったかな、とは思います。

4万年以上前までさかのぼるヨーロッパの投射技術

 ヨーロッパにおける投射技術が4万年以上前までさかのぼる可能性を報告した研究(Sano et al., 2019)が報道されました。日本語の解説記事もあります。これまで、ヨーロッパにおける投射具の最古の事例は、フランスのコンブ=ソニエール(Combe Saunière)遺跡のソリュートレアン(Solutrean)層で発見された23000年前頃の投槍器と考えられてきました。本論文は、イタリア半島南部のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)遺跡のウルツィアン(Uluzzian)層で発見された石器が、ヨーロッパにおける最古の投射具の証拠になる、と報告しています。

 ウルツィアン(Uluzzian)は伝統的に、ヨーロッパ南部(イタリアおよびギリシア)における中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行期文化として認識されてきましたが、最近では上部旧石器時代早期の分化として再定義されています。また、カヴァッロ洞窟のウルツィアン層では現生人類(Homo sapiens)の臼歯が発見されており(関連記事)、以前はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産と考えられていたウルツィアンは、近年では現生人類の所産と考えられるようになってきています。ウルツィアンは、装飾品・磨製骨器・顔料・小石刃製の三日月形石器など、「現代的」な特徴を示す文化です。とくに三日月形石器はウルッツィアン文化の指標とされており、ヨーロッパではネアンデルタール人の所産とされているムステリアン(Mousterian)石器群とは異なる、技術形態学的な特徴を有しています。

 本論文は、カヴァッロ洞窟遺跡の45000~40000万年前頃となるウルツィアン層から出土した146点の三日月形石器の分析結果を報告しています。類似した三日月形石器はアフリカ東部の現生人類の所産と考えられる遺跡で発見されていますが、アフリカ東部からヨーロッパへの拡散経路を示す考古学的証拠はまだ見つかっていません。三日月形石器はデジタルマイクロスコープで観察され、そのマクロおよびミクロ痕跡が、実験試料に認められる使用痕跡と比較分析されました。その結果、多くの三日月形石器に、指標的な衝撃剥離とミクロレベルの線状痕が観察されました。

 これらの衝撃剥離は、投槍器や弓で投射されたサンプルに認められた衝撃剥離のパターンに似ていましたが、突き槍や投槍の実験で形成された衝撃剥離とは明らかに違うものでした。この知見は、アフリカからアジア南西部を経由してヨーロッパに拡散してきた現生人類が、すでに投槍器や弓のような投射具を装備していた、と示唆します。これは、ヨーロッパにおける投射具の年代を以前の推定よりも2万年以上さかのぼらせることになります。今後、ヨーロッパの他の上部旧石器時代早期の遺跡で、投射具の痕跡の確認事例が増えていくかもしれません。本論文は、フランス地中海沿岸の移行期文化であるネロニアン(Neronian)では、ウルツィアンよりも5000年以上前に投射具が用いられていたかもしれないものの、その機能検出には体系的な石器の使用痕分析が必要と指摘します。

 また、いくつかの三日月形石器に認められた付着物のフーリエ変換赤外分光分析から、これらの三日月形石器は、オーカー・樹脂・蜜蝋を混ぜた混合接着剤で柄に付けられていた、と明らかになりました。カヴァロ洞窟で回収された赤い土のフーリエ変換赤外分光分析の結果、遺跡内の土壌が混じっていた可能性はなく、付着物はオーカーを含んだ接着剤である、と確認されました。このような複合的な接着剤は、固定強度を高めるため、速い速度で獲物に当たったさいに、石器が柄から外れるのを防ぐ効果があります。

 投槍器や弓を使った狩猟具は強い衝撃力を有するので、投射技術を有していた現生人類は、投射技術のないネアンデルタール人との生存競争において有利に立てたのではないか、と本論文は推測しています。また、投射技術は長距離から獲物を狩れるので、手で槍を持って獲物に突き刺したり、手で槍を投げたりするより安全でもあります。ネアンデルタール人は木製の槍を使用し、先端に石器を装着した可能性もあります。しかし、ネアンデルタール人の狩猟に関する現時点での研究に基づくと、槍を突き刺したか手で投げたと推測され、道具を用いて投射していたわけではなさそうだ、と本論文は指摘します。ネアンデルタール人の狩猟法は接近戦が主体との見解は有力で(関連記事)、この観点からもネアンデルタール人にたいする現生人類の優位が支持されます。

 ヨーロッパにおいて、ネアンデルタール人の狩猟はアジア南西部から拡散してきた現生人類よりも非効率的で危険だったため、現生人類との競争で不利になったネアンデルタール人は、すでに減少していた人口を回復させられず、滅亡したのではないか、というわけです。本論文はその傍証として、カヴァッロ洞窟では後期ムステリアン層よりもウルツィアン層において若いウマが多く狩られている、という考古学的証拠を提示します。若いウマは成体の雄に保護されているので、若いウマの集中的狩猟はウルツィアン集団の熟練した長距離狩猟を反映しているかもしれない、というわけです。

 ただ、ウルツィアンが現生人類の所産なのか、疑問も呈されています(関連記事)。本論文が明らかにしたウルツィアンの投射技術は、ウルツィアンの担い手がネアンデルタール人ではなく現生人類である可能性を強く示唆する、と言えるかもしれませんが、ウルツィアン全体ではどうなのか、また同時期のヨーロッパの移行期文化や、その後の上部旧石器時代前期ではどうなのか、という検証の進展がこの問題の解明には重要となりそうです。あるいは、ウルツィアンの担い手がネアンデルタール人と現生人類の双方だった可能性も考えられます。両者の交流が新たな文化を創出した、というわけです。

 また、狩猟法において現生人類はネアンデルタール人にたいして優位に立っていた、との見解も慎重に考えなければならないでしょう。実験考古学では、獲物から20m程度の距離でも、投槍で獲物を仕留められ、獲物からの距離が長ければ、手で槍を投げても投槍器を用いる場合と同等の効果が得られる、との見解も提示されています(関連記事)。また、ネアンデルタール人と上部旧石器時代の初期現生人類の頭蓋外傷受傷率は類似している、との見解も提示されています(関連記事)。つまり、ネアンデルタール人が現生人類よりも危険な狩猟法を用いていたのかも確定的ではない、というわけです。投射技術により現生人類がネアンデルタール人よりも優位に立ち、ネアンデルタール人は絶滅に追い込まれた、との見解は魅力的ですが、この見解が通説となるには、さらなる検証が必要でしょう。


参考文献:
Sano K. et al.(2019): The earliest evidence for mechanically delivered projectile weapons in Europe. Nature Ecology & Evolution, 3, 10, 1409–1414.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0990-3

イギリスにおける移住と遺伝子の差との関連

 イギリスにおける移住と遺伝子の差との関連についての研究(Abdellaoui et al., 2019)が公表されました。イギリスでは、ヒトのDNAは先祖の違いを反映すると知られており、また人々が伝統的に生まれた土地に留まってあまり移動しないため、数世紀にわたって維持されてきました。しかし、DNAの構成が産業革命や後の移住などの国内移動によってどのように影響を受けているかについてはよく分かっていませんでした。

 この研究は、イギリスバイオバンクに登録されたヨーロッパ系の45万人以上を対象に、約120万の遺伝的変異を使って、多遺伝子スコア(特定の形質に関する人の遺伝的素因の推定値)を計算しました。その結果、解析した33の遺伝形質のうち、21の形質に明瞭な地域的偏りが認められました。また、参加者の多遺伝子スコアは、年長の遺伝的祖先の影響を取り除くと、遠くに住む他の参加者の多遺伝子スコアよりも、近隣に住む人々の多遺伝子スコアに近い、と明らかになりました。このパターンはとくに、学業達成度に関するスコアについて強く認められました。低学歴と関連する遺伝的変異は、炭鉱町などの経済的に苦しい地域でより多く認められました。この研究は、参加者が学業達成度に関して高い遺伝的素因を有している場合、貧しい地域を去っている可能性が高いのではないか、と示唆しています。

 さらにこの研究は、選択的な移動が、遺伝的変異だけでなく、究極的には投票傾向などの集団的な態度と一致する可能性のある、社会的および経済的な問題の地域への偏りと関連する可能性がある、と見いだしています。たとえば、選挙結果にみられる地域差は、地域の社会経済的状態、ならびに学業達成度と相関する遺伝的変異の両方と関連しています。社会的成層は、イギリスにおける遺伝的変異の地域分布に影響を及ぼしている可能性が高く、健康や不平等に関連する政策、さらには遺伝子と行動変化の関係に関する今後の研究に重要な意味を持つ、との結論をこの研究は提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】英国における社会経済的要因による移住は遺伝子の差と関連する

 英国では、メンタルヘルス、個性、学業達成度などのさまざまな形質と関連する遺伝的変異が地域によって偏っていることを報告する論文が掲載される。この研究で、この傾向はおそらく祖先の違いによるものではなく、社会経済的に駆動された近年の移動によるものであると考えられることが示唆されている。

 英国では、ヒトのDNAは、先祖の違いを反映することが知られており、また人々が伝統的に生まれた土地に留まってあまり移動しないため、数世紀にわたって維持されてきた。しかし、DNAの構成が、産業革命や後の移住などの国内移動によってどのように影響を受けているかについてはよく分かっていなかった。

 今回、Abdel Abdellaouiの研究チームは、英国バイオバンクに登録されたヨーロッパ系の45万人以上を対象に、約120万の遺伝的変異を使って、多遺伝子スコア(特定の形質に関する人の遺伝的素因の推定値)を計算した。すると、解析した33の遺伝形質のうち、21の形質に明瞭な地域的な偏りが認められた。また、参加者の多遺伝子スコアは、(年長の遺伝的祖先の影響を取り除くと)、遠くに住む他の参加者の多遺伝子スコアよりも、近隣に住む人々の多遺伝子スコアに近いことが判明した。このパターンは特に、学業達成度に関するスコアについて強く認められた。低学歴と関連する遺伝的変異は、炭鉱町などの経済的に苦しい地域でより多く認められた。研究チームは、参加者が学業達成度に関して高い遺伝的素因を有している場合、貧しい地域を去っている可能性が高いのではないかと示唆している。

 さらに研究チームは、選択的な移動が、遺伝的変異だけでなく、(究極的には投票傾向などの集団的な態度と一致する可能性のある)社会的および経済的な問題の地域への偏りと関連する可能性があることを見いだしている。例えば、選挙結果にみられる地域差は、地域の社会経済的状態、ならびに学業達成度と相関する遺伝的変異の両方と関連している。

 社会的成層は、英国における遺伝的変異の地域分布に影響を及ぼしている可能性が高く、健康や不平等に関連する政策、さらには遺伝子と行動変化の関係に関する今後の研究に重要な意味を持つと、研究チームは結論している。



参考文献:
Abdellaoui A. et al.(2019): Genetic correlates of social stratification in Great Britain. Nature Human Behaviour, 3, 12, 1332–1342.
https://doi.org/10.1038/s41562-019-0757-5

コウモリが山火事から恩恵を受けている可能性

 コウモリが山火事から恩恵を受けている可能性に関する研究(Steel et al., 2019)が公表されました。山火事は、生物多様性と生息地の質に影響を及ぼす重要な生態学的過程です。火災により生じる生息地の不均一性(しばしばpyrodiversityと呼ばれます)は、コウモリの採餌と就塒(ねぐらに就くこと)に影響を及ぼし、生息地の質にとって重要な駆動要因になっています。しかし、森林景観において山火事がコウモリの発生と多様性に及ぼす影響については充分な研究がまだ行なわれておらず、火災が起こりやすい生態系でのコウモリの保全と管理に関して、数々の課題が生じています。

 この研究は、山火事の規模とpyrodiversityが、シエラネバダ山脈の森林に生息するコウモリの群集に対してどのような影響を及ぼすのか調べるため、2014~2017年のコウモリの個体数をモニタリングしました。その結果、この地域でよく見られるコウモリ種17種のうち、6種(オオクビワコウモリ、ミミナガホオヒゲコウモリ、メキシコオヒキコウモリなど)の占有率が、山火事の規模に比例して上昇し、ホソゲホオヒゲコウモリの占有率だけが低下した、と明らかになりました。また、pyrodiversityが大きい地域では、3種の占有率が上昇した、と明らかになりました。検出された種の総数(種の豊富さ)は、火災を免れた地域では8種でしたが、中程度以上の焼損規模の地域の方が多く、11種でした。

 これらの結果から、コウモリが最大の恩恵を得るのは、山火事の規模が中程度で、焼損規模に多様性が認められる場合である、と示唆されました。この研究は、コウモリは山火事の増加に対して、ある程度の回復力を持っており、この傾向は気候変動とともに継続することが予想される、と指摘しています。これらの知見は、火災が起こりやすい森林地域におけるコウモリの保全と管理の戦略を改善する上で、役立つ可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】森に棲むコウモリは山火事から恩恵を受けているかもしれない

 シエラネバダ山脈で発生する山火事に対して、コウモリはさまざまな応答を示しているが、積極的な応答が多いことを示唆する論文が掲載される。この知見は、火災が起こりやすい森林地域におけるコウモリの保全と管理の戦略を改善する上で役立つ可能性がある。

 山火事は、生物多様性と生息地の質に影響を及ぼす重要な生態学的過程である。火災によって生じる生息地の不均一性(pyrodiversityと呼ばれることが多い)は、コウモリの採餌と就塒(ねぐらに就くこと)に影響を及ぼし、生息地の質にとって重要な駆動要因になっている。しかし、森林景観において山火事がコウモリの発生と多様性に及ぼす影響については十分な研究が行われておらず、火災が起こりやすい生態系でのコウモリの保全と管理に関して数々の課題が生じている。

 今回、Zachary Steelたちの研究グループは、山火事の規模とpyrodiversityが、シエラネバダ山脈の森林に生息するコウモリの群集に対してどのような影響を及ぼすのかを調べるため、2014~2017年のコウモリの個体数をモニタリングした。この地域でよく見られるコウモリ種17種のうち、6種(オオクビワコウモリ、ミミナガホオヒゲコウモリ、メキシコオヒキコウモリなど)の占有率が、山火事の規模に比例して上昇し、ホソゲホオヒゲコウモリの占有率だけが低下した。また、pyrodiversityが大きい地域では、3種の占有率が上昇した。検出された種の総数(種の豊富さ)は、火災を免れた地域で8種だったものが、焼損規模が中程度以上の地域の方が多く、11種だった。

 以上の結果から、コウモリが最大の恩恵を得るのは、山火事の規模が中程度で、焼損規模に多様性が認められる場合であることが示唆された。Steelたちは、コウモリは山火事の増加に対して、ある程度の回復力を持っており、この傾向は気候変動とともに継続することが予想されると考えている。



参考文献:
Steel ZL. et al.(2019): The effects of wildfire severity and pyrodiversity on bat occupancy and diversity in fire-suppressed forests. Scientific Reports, 9, 16300.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-52875-2

三鬼清一郎『大御所徳川家康 幕藩体制はいかに確立したか』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年10月に刊行されました。本書は大御所時代の徳川家康、つまり征夷大将軍を息子の秀忠に譲ってから死去までの約10年を基本的には対象としています。この期間は、江戸幕府の体制確立においてたいへん重要となります。本書は、家康の大御所政治の前提として、養子も含めて息子に家督を譲った父親が、依然として実権を把握している事例を取り上げています。家康とよく比較対象になる織田信長も豊臣秀吉もそうでしたし、戦国大名においてもそうした事例は珍しくありませんでした。

 本書は大御所時代の家康の政治を概観し、大坂城の豊臣対策として、各地に城を築いたり、整備していったりしたことを指摘します。本書はこれらの築城を豊臣包囲網と評価していますが、家康存命時には、そうした性格が強かったことは否定できないのでしょう。本書は外交面では、豊臣政権での朝鮮出兵による日本の孤立からの脱却を家康は構想していた、と本書は指摘します。ただ、本書がおもに取り上げるのは朝鮮とヨーロッパ勢力で、明との直接的関係はほとんど言及されていません。

 本書が取り上げた時代と関連する小説もコラムとして取り上げられており、一般向けであることを強く意識した構成になっているように思います。ただ、本書の構成で疑問が残るのは、大御所時代の家康を対象としながら、水戸藩について1章を割き、『大日本史』ばかりか幕末の水戸藩の情勢までやや詳しく解説していることです。柳川一件や島原の乱までは、本書の主題を考えると言及されてもとくに問題ないと思いますが、幕末の水戸藩の情勢をそれなりに取り上げるのは、さすがに行き過ぎだと思います。

ギガントピテクス属の歯のタンパク質解析

 ギガントピテクス属の歯のタンパク質解析に関する研究(Welker et al., 2019)が報道されました。ギガントピテクス・ブラッキー(Gigantopithecus blacki)はかつてアジア南東部に生息していた推定体長約3m・最大体重約600kgの大型類人猿(ヒト科)で、とりわけ巨大だったと推測されています。ギガントピテクス属の化石は中国南部~ベトナム北部およびタイのみで発見されており、数千個の歯と4個の部分的な下顎から構成されています。ギガントピテクス属の年代は、前期更新世から中期更新世後期となる200万~30万年前頃と推定されています。しかし、ギガントピテクス属の系統的位置づけに関しては、複数の仮説が提示されていたものの、歯と顎の形態が高度に派生的で、頭蓋および頭蓋後方の骨が発見されておらず、独立した分子的検証が行なわれていないため、明らかではありませんでした。

 本論文は、中国の吹風(Chuifeng)洞窟で発見された、190万±20万年前と推定されているギガントピテクス・ブラッキーの大臼歯の象牙質およびエナメル質で、タンパク質抽出を試みました。その結果、歯の象牙質から内在性タンパク質は特定されませんでしたが、エナメル質で6個の内在性タンパク質と合致する409個の特有のペプチドが得られました。これは、骨格プロテオーム(タンパク質の総体)としては最古になります(アフリカ東部では、もっと古い卵殻のタンパク質解析の事例があります)。本論文は、亜熱帯地域の200万年前頃の動物遺骸でもプロテオーム解析が可能であることを示したという点で、たいへん意義深いと言えるでしょう。

 吹風洞窟のギガントピテクスの大臼歯のエナメル質からは、雄特有のタンパク質であるアメロゲニンに特有のペプチドが検出されず、この個体が雌だったことを示唆していますが、そうしたペプチドが分解されてしまった可能性も本論文は指摘しています。ギガントピテクスの456個のアミノ酸のタンパク質配列の網羅率は、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見されたサイ科のステファノリヌス属(Stephanorhinus)よりも短く、177万年前頃と推定されているドマニシ遺跡のサイ(関連記事)より古い年代であることと一致します。

 本論文はギガントピテクスの系統的位置づけを推定するため、現生類人猿(ヒト上科)のエナメル質プロテオーム配列と比較しました。その結果、ギガントピテクスはオランウータン属と近縁で、単系統群(クレード)を構成する、と示されました。類人猿では、まずテナガザル科とヒト科(大型類人猿)が分岐し、大型類人猿では、ヒト亜科(ゴリラ属とチンパンジー属とホモ属)とギガントピテクス属およびオランウータン属系統が分岐した、と推定されます。ギガントピテクス属系統とオランウータン属系統の推定分岐年代は1000万もしくは1200万年前頃です。以下に、ギガントピテクス・ブラッキーの系統的位置づけを示した本論文の図3を掲載します。
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 また、ギガントピテクスのエナメル質には、他の現生ヒト科では一般的に観察されないα2-HS糖タンパク質(AHSG)が確認されました。ギガントピテクス属は他の現生および絶滅ヒト科と比較してエナメル質が厚いことから、その形成期間が長いと考えられていましたが、それはAHSGが歯冠の生体鉱物化作用で役割を担っていたからではないか、と本論文は推測しています。このような厚いエナメル質が適応的だったのか、またそうならばどのような選択圧があったのか、今後の研究の進展が期待されます。

 本論文の知見は、エナメル質のプロテオーム解析が現代人も含む大型類人猿の進化の解明に役立つことを明らかにしました。歯は動物遺骸としては残存しやすい部位なので、今後の研究の進展が期待されます。何よりも、亜熱帯地域の200万年前頃の動物遺骸でもプロテオーム解析の成功は、その対象範囲の地理的範囲と年代の大きな拡大を意味しますから、大型類人猿、さらには人類系統の進化の解明に大きく寄与すると期待され、今後の研究の進展がたいへん楽しみです。

 プロテオーム解析よりもDNA解析の方がずっと多くの遺伝的情報を得られますが、DNA解析は地理的範囲(熱帯地域は不利)と年代で大きな制約があり、更新世における人類進化の重要な舞台であるサハラ砂漠以南のアフリカやアジア南東部の遺骸ではおそらく無理だろう、と思われます。これまで形態学的に系統関係を検証するしかなかった人類遺骸でも、歯のエナメル質のプロテオーム解析により、さらに詳しい系統関係が明らかになるのではないか、と期待されます。

 ただ、プロテオーム解析に関しては難しさも指摘されています。たとえば、チベット高原東部で発見された16万年以上前の人類の骨は、歯の象牙質のプロテオーム解析により種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と識別されましたが(関連記事)、その違いはわずかなので、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)といった既知のDNA解析済のホモ属以外のプロテオーム解析だと、系統関係をじゅうぶんに判断できないかもしれない、と指摘されています(関連記事)。ただ、こうした問題もあるとはいえ、古代DNA研究ではおそらく無理な地域・年代の人類遺骸にも適用可能という点で、プロテオーム解析が人類進化研究において大きな可能性を秘めているのは確かでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【化石】絶滅した大型類人猿の解明を進める古い歯のエナメル質

 絶滅した大型類人猿種であるギガントピテクス・ブラッキーの歯のエナメル質の分析について報告する論文が、今週掲載される。今回の研究は、大型類人猿の進化と多様化の理解に役立つかもしれない。

 ギガントピテクス・ブラッキーは、絶滅した巨大な類人猿で、1935年に1本の歯の化石試料をもとに初めて同定され、更新世(約200万年前~30万年前)の東南アジアに生息していたと考えられている。ギガントピテクス・ブラッキーの数多くの歯と4点の下顎骨の一部が見つかっているが、頭蓋化石は見つかっておらず、ギガントピテクス・ブラッキーと他の大型類人猿種との関係とギガントピテクス・ブラッキーの大型類人猿種からの分岐を解明することは困難だった。

 今回、Frido Welkerたちの研究グループは、中国のChuifeng洞窟で発見された190万年前のギガントピテクス・ブラッキーの化石臼歯を分析した。Welkerたちは、この化石試料から古いエナメルタンパク質を回収し、雌のギガントピテクス・ブラッキーの臼歯である可能性があることを示している。さらなる分析は、ギガントピテクス属が約1200万~1000万年前に共通祖先を持つオランウータンの姉妹群であることも示された。今回の研究で得られた知見によれば、ギガントピテクス属の分岐があったのは中新世の中期または後期とされる。

 Welkerたちは、このエナメルタンパク質が、これまでに配列解読されたものの中で最も古い骨格タンパク質だと考えている。そして、Welkerたちは、亜熱帯地域で見つかった化石標本に古いエナメル質タンパク質が残存していたことで、これまでプロテオーム解析法を適用できないと考えられていた地域と時代にプロテオーム解析の適用範囲が広がるという考えを提唱している。


進化学:歯のエナメル質のプロテオームからギガントピテクス属が初期に分岐したオランウータン類であったことが明らかになった

進化学:ギガントピテクス属の近縁動物が明らかに

 ギガントピテクス属(Gigantopithecus)は、200万~30万年前に中国南部に生息していた類人猿である。その存在は歯とわずかな顎の断片からしか知られていないが、それらの巨大なサイズから判断すると体重は成体のゴリラの2倍に達したと予想され、それは恐ろしい生物だったに違いない。遺物がほとんど残っていないことから類縁関係の解明は困難で、人類学者たちは、東南アジアで初期のヒト族と同時代に存在したこの謎めいた動物について理解を深めたいと心底願ってきた。今回F Welkerたちは、中国南部の洞窟遺跡で発見された190万年前の大臼歯のエナメル質からプロテオームを抽出し、そのアミノ酸配列を解読している。系統発生学的解析の結果、現生類人猿の中でギガントピテクス属に最も近縁なのはオランウータン属(Pongo)であることが明らかになった。ただし、これら2つの系統は1200万~1000万年前に分岐しており、その近さは相対的なものである。



参考文献:
Welker F. et al.(2019): Enamel proteome shows that Gigantopithecus was an early diverging pongine. Nature, 576, 7786, 262–265.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1728-8

羽毛恐竜に寄生し羽毛を食べていた昆虫

 シラミの現生種に似た昆虫が羽毛恐竜に寄生し、羽毛を食べていた可能性に関する研究(Gao et al., 2019)が公表されました。中生代の化石記録(2億5000万~6500万年前頃)には数々の空白部分があるため、昆虫が羽毛を摂食する行動の起源と進化は未解明のままになっています。血液を摂取する昆虫は、ジュラ紀(2億100万~1億4500万年前頃)と白亜紀(1億4500万~6600万年前頃)のものが見つかっています。これらの時代には羽毛恐竜が数多く生息していましたが、その羽毛を摂食していた可能性のある昆虫は、これまで報告されていませんでした。

 この研究は、ミャンマー北部のカチン州で出土した2個の琥珀の中に、2本の恐竜の羽毛とともに保存された状態で見つかった10匹の昆虫の若虫を調べました。この新属新種の昆虫(Mesophthirus engeli)には翅がなく、そのボディープランはシラミの現生種に類似しており、強力な咀嚼口器という注目すべき特徴がありました。恐竜の羽毛のうちの1本は損傷しており、それが咀嚼によるものだと考えられ、シラミの現生種が寄生する鳥類の現生種に見られるものと非常によく似ていました。こうした新知見は、羽毛の寄生虫が白亜紀中期かそれ以前に進化し、鳥類と羽毛恐竜が多様化した時期とほぼ同じ頃だった、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【化石】恐竜の羽毛を食べていた昆虫

 シラミの現生種に似た昆虫が羽毛恐竜に寄生していた可能性を示唆する研究論文が、今週発表される。今回発見された新属新種の昆虫Mesophthirus engeliは、部分的に損傷した恐竜の羽毛と共に約1億年前の琥珀の中から発見された。

 中生代の化石記録(2億5000万~6500万年前)には数々の空白部分があるため、昆虫が羽毛を摂食する行動の起源と進化は未解明のままになっている。血液を摂取する昆虫は、ジュラ紀(2億100万~1億4500万年前)と白亜紀(1億4500万~6600万年前)のものが見つかっている。これらの時代には、羽毛恐竜が数多く生息していたが、その羽毛を摂食していた可能性のある昆虫は、これまで報告されていなかった。

 今回、Dong Ren、Chungkun Shihたちの研究グループは、ミャンマー北部のカチン州で出土した2個の琥珀の中に2本の恐竜の羽毛とともに保存された状態で見つかった昆虫の若虫(10匹)を調べた。この昆虫には翅がなく、そのボディープランはシラミの現生種に類似しており、強力な咀嚼口器という注目すべき特徴があった。恐竜の羽毛のうちの1本は損傷しており、それが咀嚼によるものだと考えられ、シラミの現生種が寄生する鳥類の現生種に見られるものと非常によく似ていた。こうした新知見は、羽毛の寄生虫が白亜紀中期かそれ以前に進化し、それが鳥類と羽毛恐竜が多様化した時期とほぼ同じ頃だったことを示唆している。



参考文献:
Gao T. et al.(2019): New insects feeding on dinosaur feathers in mid-Cretaceous amber. Nature Communications, 10, 5424.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-13516-4

ホモ属の出現過程

 現在では、ホモ属が280万年前頃に出現した、との見解が次第に浸透しつつあるように思います。その根拠は、エチオピアのアファール州のレディゲラル(Ledi-Geraru)調査区域で発見された、5個の歯の残っている左側の下顎(LD 350-1)です(関連記事)。この下顎化石には、華奢な大臼歯・対称的な小臼歯・均等な顎のように、ホモ属に見られる派生的な特徴と、傾斜した顎先のようなアファレンシス(Australopithecus afarensis)などのアウストラロピテクス属に見られる祖先的特徴とが混在していました。この下顎化石は既知のホモ属化石の最古のものよりも40万年ほど古く、最も新しいアファレンシス化石の約20万年後のものということになり、アウストラロピテクス属とホモ属との間隙を埋めるのではないか、ということで大いに注目されています。

 ただ、LD 350-1をホモ属と分類する傾向には問題があると思います。全体の形態は不明ですし、280万~150万年前頃のアフリカには、ホモ属的特徴とアウストラロピテクス属的特徴の混在する人類化石が複数発見されているからです。その中には、南アフリカ共和国で発見された、ホモ属的特徴とアウストラロピテクス属的特徴の混在する195~178万年前頃の人類化石群は、アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)も含まれます。LD 350-1がアウストラロピテクス属からホモ属への進化の過程を表す標本である可能性は高そうですが、ホモ属と分類することには慎重であるべきでしょう。

 首から下がほとんど現代人と変わらないような「真の」ホモ属が出現したのは200万~180万年前頃のアフリカだと思われますが、それ以前、さらにはそれ以降も、ホモ属的な特徴とアウストラロピテクス属的な特徴の混在する人類遺骸が発見されており、これらの人類遺骸はアウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。セディバはアウストラロピテクス属に分類された方ですが、分類に関して議論が続いているものの(関連記事)、アウストラロピテクス属的特徴も有するホモ属として、ハビリス(Homo habilis)という種区分が設定されています。ハビリスは240万年前頃から存在していたとされていますが、エレクトス(Homo erectus)が出現してからずっと後の144万年前頃までケニアで存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。233万年前頃のハビリスと分類されている人類遺骸からは、ホモ属が当初より多様化していった可能性も指摘されています(関連記事)。

 300万~200万年前頃の人類遺骸は少ないので、ホモ属の初期の進化状況は曖昧ですが、ホモ属的な派生的特徴が300万~200万年前頃のアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりホモ属が形成されていった、とも想定できるように思います。近年、人類の出アフリカが200万年以上前までさかのぼることを示す証拠の報告が相次いでおり(関連記事)、現時点では248万年前頃までさかのぼります(関連記事)。ジョージア(グルジア)にあるドマニシ(Dmanisi)遺跡の事例(関連記事)から推測すると、おそらく、アウストラロピテクス属的特徴とホモ属的な特徴の混在する人類集団が、まずアフリカからユーラシアに拡散し、アジア東部にまで到達したのでしょう。ただ、そうしてユーラシア東部まで拡散した初期人類は、現代人の祖先ではなさそうですが。

全現生種は同じ時間を進化してきた

 最近、皇位男系継承の根拠としてY染色体を提示する竹内久美子氏の見解を取り上げましたが(関連記事)、その補足です。その記事で、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではない、と述べました。これは、生物種の進化についても同様だと思います。人間が最も進化しているとか、人間こそ進化の頂点に立っているとかいった観念が、現代人の思考を制約しているところは多分にあるのではないか、と私は考えています。

 しかし、全現生種は同じ時間を進化してきたわけで、特定の種、たとえばヒトが最も進化している、とは安易に言えません。もちろん、進化学の専門家はさすがにこのような過ちを犯さないでしょうが、急激な進化を遂げた人類と、人類に近縁の霊長類をはじめとして進化の止まった他の生物という対比を強調する生理学の研究者もいるくらいですから(関連記事)、一般層がいても不思議ではないでしょう。もちろん、共通する特定の表現型、たとえば脳容量などで異なる種同士を比較し、より進化した(派生的である)とか、より祖先的(俗語を用いると原始的)であるとか評価することは可能です。脳容量に関していえば、ヒトは最近縁の現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属よりもずっと派生的と言えるでしょう。

 ただ、A種とB種を比較して、ある表現型でA種よりもB種の方が派生的であるから、他の表現型でも同様とは限りません。たとえば、チンパンジー(Pan troglodytes)の手はヒトよりも派生的である可能性が指摘されています(関連記事)。つまり、ヒトの方が祖先的というわけです。また現時点では、常習的な二足歩行に関しても、単純にヒトがチンパンジー属やゴリラ属よりも派生的とは断定できないと思います。常習的な二足歩行は、人類を定義する最も重要な特徴と言えるでしょう。脳容量の増大も人類進化において重要な特徴とされていますが、それはホモ属の出現以降で、初期人類の脳容量はチンパンジー属とさほど変わりません。それだけに、人類の常習的な二足歩行は派生的で、最近縁の現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属の移動様式は祖先的と考えたくなります。

 これには合理的な理由もあります。アフリカの大型類人猿(ヒト科)系統では、まずゴリラ属系統が人類およびチンパンジー属の共通祖先系統と、その後で人類系統とチンパンジー属系統が分岐し、チンパンジー属とゴリラ属の移動様式はともにナックル歩行(手を丸めて手の甲の側を地面に当てつつ移動する歩き方)なので、人類はナックル歩行から常習的な二足歩行へと進化した、と考えるのが節約的だからです。そうすると、移動様式に関して、ヒトの方が派生的で、チンパンジー属とゴリラ属の方が祖先的となります。

 しかし、初期人類(候補の化石群)にはナックル歩行の痕跡が見当たらないことから、このような移動様式に関する通説には疑問も呈されつつありました。つまり、アフリカの大型類人猿系統の最終共通祖先の段階ではナックル歩行は出現しておらず、チンパンジー属とゴリラ属のナックル歩行は収斂進化ではないか、というわけです。これに関して昨年、チンパンジーとゴリラの大腿骨の発生パターンは著しく異なっており、全体的に類似したように見える両系統の骨格形態は収斂進化だろう、との見解が提示されており(関連記事)、チンパンジー属とゴリラ属のナックル歩行は収斂進化である可能性が高い、と言えるようになったと思います。

 では、アフリカの大型類人猿系統の最終共通祖先の段階ではどのような移動様式だったのかというと、ヨーロッパの中期中新世類人猿化石に関する研究では、前肢(前腕)で枝にぶら下がった一方で、後肢(脚)は真っすぐに保たれていることから、二足歩行に用いられていた可能性がある、と指摘されています。もしそうならば、移動様式に関して、人類系統がチンパンジー属とゴリラ属よりも派生的であるとは、一概には言えないでしょう。

 ヒトが最も進化している、とは安易に言えない具体的事例として、繁殖行動も当てはまるのではないか、と私は以前から考えています。ヒトと最近縁の現生系統であるチンパンジー属では、発情徴候が明確であることから、人類系統とチンパンジー属系統の最終共通祖先も同様で、人類系統の進化では発情徴候が隠蔽されるようになってきた、との認識は根強いように思います。しかし、現代人も含めて現生類人猿(ヒト上科)系統では、排卵の隠蔽というか発情徴候が明確ではないことが一般的で、むしろこの点では、現生類人猿系統においてチンパンジー属が例外的です(関連記事)。つまり、類人猿系統においてチンパンジー属系統のみが特異的に発情徴候を明確化するような進化を経てきただろう、というわけです。この点では、チンパンジー属系統の方が人類系統よりも進化している(派生的である)可能性が高いと思います。私も含めて人間はどうしても自己中心的な認識を有する傾向にあると言えるでしょうが、進化に関しては、突き放して考えることが重要になると思います。

アナメンシスとアファレンシスの年代の統計的推定

 アウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)とアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の起源および絶滅年代の統計的推定に関する研究(Du et al., 2020)が公表されました。人類起源の研究において、分類群がいつ出現して絶滅したかに関して、信頼できる年代はひじょうに重要です。外部事象の年代は多くの場合、分類群の出現と絶滅に関連しており、両者の因果関係を潜在的に示唆しています。

 たとえば、280万年前頃の地球規模の気候変動は、ホモ属の起源を含む後期鮮新世の動物相転換事象に関係している、と推測されています。起源と絶滅に関する正確な年代は、人類系統樹を適切な年代に置き、進化関係を推測するためにも必要です。たとえば、姉妹分類群は同じ起源年代となり、系統的祖先と子孫種は重複しない時間的範囲を有すことになります。しかし、人類進化史の研究においては、化石記録自体とその標本抽出の両方が不完全であるため、正確な年代はほぼ確実に過小評価されているものの、人類の起源と絶滅の年代を統計的に推定し、それらを取り巻く不確実性を定量化した研究はまだほとんどありません。

 本論文は、人類の起源と絶滅の推定年代と信頼区間の不足を改善するため、アウストラロピテクス属のアナメンシスとアファレンシスの系統を利用します。その理由は第一に、化石記録が充分に標本抽出され、記載されて研究されているからです。第二に、アナメンシス-アファレンシス系統は、鮮新世の前期と後期の人類間の系統をつなぐ可能性が広く認められています。そのため、アナメンシス-アファレンシス系統がいつ発生し、いつ絶滅したかについてより信頼できる情報は、系統発生仮説の検証に役立つはずだ、というわけです。

 以前の系統学的仮説は、アルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)とアウストラロピテクス属との間の解剖学的関係と、アナメンシス-アファレンシス系統のホモ属とパラントロプス属への系統分岐というシナリオを提示しています。こうした仮説における種分化では、祖先と子孫の時間的範囲が重複しない、と予想されます。現時点で、アナメンシス-アファレンシス系統化石の年代範囲は415万~304万年前頃で、4493000~430万年前頃というラミダスの下限年代範囲、さらには280万~275万年前頃というエチオピアのアファール州のレディゲラル(Ledi-Geraru)調査区域で発見された最初のホモ属とされる遺骸(関連記事)の上限年代と重複しません。ただ、レディゲラル調査区域で発見された280万~275万年前頃の人類遺骸には、ホモ属的特徴はあるとしても、ホモ属と分類してよいのか、まだ確定的とは言えないように思いますが、この記事ではホモ属として扱います。

 ただ、化石記録の少なさから、アナメンシス-アファレンシス系統の時間範囲はおそらく過小評価されています。したがって、現時点での人類化石記録に基づくと、アナメンシス-アファレンシス系統がラミダスや最初期ホモ属と重複している可能性を除外できません。本論文は、アナメンシス-アファレンシス系統の推定された起源および絶滅年代に95%の信頼区間を設定し、ラミダスの下限年代や最初期ホモ属の上限年代と重なっているのか、検証します。本論文の分析は、ラミダスとアナメンシス-アファレンシス系統が祖先-子孫関係にあるのか、また最初期ホモ属系統とは分岐進化の関係にあるのか、といった問題に関する年代的根拠に基づいた最初の評価を提示します。ただ本論文は、将来の研究では、ラミダスの下限年代および最初期ホモ属の上限年代に関する不確実性を組み込まねばならない、とも指摘しています。

 本論文の提示するアナメンシス-アファレンシス系統の推定存在年代は、起源が419万年前頃、絶滅が300万年前頃で、95%信頼区間では430万~288万年前頃となります。年代の不確実性を最大化すると、起源が424万年前頃、絶滅が291万年前頃で、95%信頼区間では437万~278万年前頃となります。ここから、アナメンシス-アファレンシス系統がラミダスの系統的子孫かどうか、また最初期ホモ属の祖先かどうか、評価できます。ただ、種の進化には複数のパターンが想定されるので、一概に評価できるわけではありません。祖先種Aが全体として子孫種Dに進化する向上進化や、祖先種Aが子孫種D1とD2に分岐する分岐進化や、祖先種Aが存続する一方で、その一部系統が子孫種Dに進化するパターンも想定されます。

 データが不足しているため、アルディピテクス・ラミダスの堅牢な年代信頼区間は推定できませんが、4493000~430万年前頃というラミダスの下限年代は、アナメンシス-アファレンシス系統の起源の信頼区間に収まります。そのため、ラミダスとアウストラロピテクス属との系統関係の判断には注意が必要になる、と本論文は指摘します。最初期ホモ属の上限年代は、アナメンシス-アファレンシス系統の絶滅年代の信頼区間の後になりますが、年代の不確実性を最大化した信頼区間ではわずかに重複します。

 本論文は結論として、年代の不確実性を最大化した信頼区間ではアナメンシス-アファレンシス系統の信頼区間と最古のホモ属遺骸とがわずかに重複するものの、最古のホモ属遺骸にはアファレンシスとの形態学的類似性が見られるため、この点でもアナメンシス-アファレンシス系統がホモ属の祖先だった可能性は高い、と指摘します。パラントロプス属もアナメンシス-アファレンシス系統から進化したと考えられるため、この場合は分岐進化の可能性が高そうです。ただ、アナメンシス-アファレンシス系統の絶滅下限年代よりも前のホモ属遺骸が発見されれば、形態学的証拠からも、アファレンシス系統が存続する一方で、その一部系統からホモ属が進化した、ということになりそうです。結局のところ、系統発生に関する不確実性を考慮すると、さらなる化石証拠が必要となります。

 一方で本論文は、ラミダスとアナメンシス-アファレンシス系統の時間的重複の可能性は除外できない、と指摘します。もしそうならば、ラミダスからアナメンシス-アファレンシス系統への向上進化はなさそうですが、ラミダスの一部系統がアナメンシス-アファレンシス系統へと進化し、一方でラミダス系統も存続して一時的(とはいっても十万年単位になりそうですが)に重複した、という可能性は考えられます。私は、ラミダスの一部系統もしくはその近縁系統からアウストラロピテクス属が派生したのではないか、と考えています。ただ本論文は、この分析は予備的であり、将来の研究では、標本の増加とともにラミダスの下限年代と最初期ホモ属の上限年代の不確実性を組み入れねばならない、と強調しています。

 また本論文は、系統発生仮説の年代検証が形態学的分析に取って代わるべきと主張しているのではなく、進化的関係の評価への追加の必要な検証である、とも強調しています。たとえば、仮定された系統の祖先と子孫は、単系統群において他の種と比較して形態的に強く類似している必要がある、というわけです。アナメンシス-アファレンシス系統の出現と絶滅に関する不確実性の定量化から得られた検証結果を考慮すると、人類の他の分類群に関する類似の分析は、人類歯冠研究において優先度が高いはずだ、と本論文は指摘します。

 本論文の見解はたいへん興味深いのですが、受理されたのが今年(2019年)10月9日なので、さすがに今年8月28日に公表された関連研究(関連記事)は取り上げられていません。その研究は、アナメンシスとアファレンシスが短くとも10万年共存した可能性を指摘しています。おそらくアファレンシスは、アナメンシスの一部系統から派生し、アファレンシスが出現した後でもアナメンシス系統は存続していたのでしょう。こうした進化は珍しくなく、ホモ属系統においても、広義のハビリス(Homo habilis)系統の一部からエレクトス(Homo erectus)が派生し、両者は数十万年程度共存していた、と推測されています(関連記事)。


参考文献:
Du A. et al.(2020): Statistical estimates of hominin origination and extinction dates: A case study examining the Australopithecus anamensis–afarensis lineage. Journal of Human Evolution, 138, 102688.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2019.102688

サハラ砂漠以南のアフリカにおける現生人類と未知の人類との交雑

 サハラ砂漠以南のアフリカにおける現生人類(Homo sapiens)と未知の人類との交雑に関する研究(Wall et al., 2019)が公表されました。現生人類はアフリカの1ヶ所もしくは複数の場所で10万年以上前に進化した、と考えられています。その後、現生人類はアフリカからユーラシア、さらにはオーストラリア大陸・アメリカ大陸・ポリネシアへと拡散し、1000年前には世界のほとんどの場所に移住しました。その過程で、現生人類はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった先住人類と交雑しました。出アフリカ系現代人はゲノム領域の約2%をネアンデルタール人から継承し、出アフリカ系現代人でもメラネシア人およびオーストラリア先住民は、ゲノム領域の約4~5%をデニソワ人から継承しました。この推定は、ネアンデルタール人とデニソワ人の高品質なゲノム配列に基づいています。

 現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人ではない古代型人類との交雑の痕跡は希薄で断片化されており、実際の古代型人類のゲノムデータが得られていないため、交雑事象の検出には他の方法が必要となります。ネアンデルタール人およびデニソワ人と交雑した現生人類は、基本的に出アフリカ系に限定されていますが、サハラ砂漠以南のアフリカ集団でも古代型人類との交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。これは、アフリカにおける中期~後期更新世の人類遺骸の形態的多様性と、推定合着年代の古いハプロタイプが見つかっていることとも整合的です。ただ、以前の研究はゲノムの一部しか対象としていないか、標本が限定的だったか、低網羅率のゲノム配列が用いられていた、と本論文は問題を指摘します。また本論文は、以前の研究が明確にコピー数多型を除外していなかった、と指摘します。ゲノムの構造多型(SV)は50塩基対以上の欠失・挿入・重複・逆位多型の総称で、50塩基対より小さい欠失・挿入に相当するインデルや、1塩基対の置換である一塩基多型とは区別され、SVの中の欠失と重複はコピー数多型も呼ばれます。

 本論文は、64ヶ国の200以上の民族集団から1739人(既知の1236人のデータと新たに配列された503人)の高網羅率(30倍)のゲノム配列を得て、それらから1親等の関係にある個体を除外し、1667人のゲノムデータを得ました。さらに本論文は、反復配列での遺伝子型などの間違いを減らすため、コピー数多型を含む領域も除外しました。本論文は、現生人類とネアンデルタール人でもデニソワ人でもない未知の古代型人類(ゴースト人類系統)との交雑の問題を再検証し、現生人類と古代型人類との交雑の定量化が、遺伝病理学に役立つ可能性も指摘しています。ネアンデルタール人から現生人類へと継承された遺伝子の中には、生存の危険性を高めるものもあるからです(関連記事)。

 本論文は、検証対象とした1667人を地理遺伝的に9集団に区分しています。それは、コイサン、ピグミー、アフリカ西部、アフリカ東部、アフリカ北部、中東、ヨーロッパ、メラネシア、アジア東部です。まず本論文は、ネアンデルタール人のゲノムは知られているものの、デニソワ人のゲノムは未知と仮定して、メラネシア人のゲノムに未知の古代型人類からの遺伝子移入を検出できるか、検証しました。その結果、メラネシア人のゲノムにはヨーロッパ人およびアジア東部人よりも10~20倍の推定上のゴースト人類系統由来のハプロタイプ(PGH)が検出され、本論文の手法の有効性が確認されました。全体では常染色体で2319のPGHが見つかり、サハラ砂漠以南のアフリカ集団では出アフリカ系現代人集団よりも5~15倍PGHが多い、と明らかになりました。PGHの平均数は、コイサン→ピグミー→アフリカ西部→アフリカ東部→アフリカ北部→中東→ヨーロッパ→メラネシア→アジア東部の順で少なくなります。これは、コイサンの祖先集団で主要な交雑事象が起きたことを示唆します。

 以前の研究では、メラネシア人と共有される、アジア南部人における未知の古代型人類との交雑の可能性が指摘されていました。しかし本論文は、他の全ての出アフリカ系現代人と比較して、アジア南部およびメラネシア集団でのPGH推定数の顕著な増加は見られない、と指摘します。さらに本論文は、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の発見されたフローレス島の小柄な現代人集団ランパササ(Rampasasa)でも、他のアジア南東部集団と比較して、PGHの顕著な増加を示さない、と明らかにしました。これは、ランパササ集団に関する以前の研究(関連記事)と整合的ですが、アジア南部~南東部における後期ホモ属の交雑に関する研究とは一致しません(関連記事)。本論文は、出アフリカ系現代人の祖先集団が未知の人類系統と交雑したことを示す証拠は弱い、と指摘します。

 上述のように、ネアンデルタール人から現生人類へと継承された遺伝子の中には、現代人にとって有害なものも含まれます。本論文は、PGHが本当に未知の人類系統からの遺伝子移入の結果ならば、浄化選択の痕跡を示す、と予想して検証しました。その結果、予想通り、PGHの位置はコーディング領域から優先的に離れている、と明らかになりました。さらに、現代人のゲノムにはPGHのない巨大な領域が含まれており、これは現生人類と未知の人類系統との間の遺伝的不適合を予想します。また本論文は、用いられた手法では見落としたPGHがある可能性を指摘しています。

 本論文の分析は、サハラ砂漠以南のアフリカ集団においてPGHが多く、南から北への強い勾配が見られる、と示します。これは、サハラ砂漠以南のアフリカの現生人類集団とゴースト人類系統との交雑の結果と考えられます。本論文は、その結果としてサハラ砂漠以南のアフリカ集団に、病気と関連する有害な遺伝子が継承された可能性を指摘します。ただ本論文は、現生人類における長期の移動および混合を考慮すると、他の想定との比較した上で古代型人類との交雑と判断するには、さらなる検証が必要とも指摘しています。本論文は、出アフリカ系現代人の祖先集団とゴースト人類系統との交雑に否定的ですが、今後さらに調査対象を拡大していけば、あるいはその痕跡が検出されるかもしれず、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Wall JD. et al.(2019): Identification of African-Specific Admixture between Modern and Archaic Humans. The American Journal of Human Genetics, 105, 6, 1254–1261.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2019.11.005

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第46回「炎のランナー」

 1964年、東京オリンピックの開催まで半年に迫り、東京では慌ただしく準備が進められ、東京オリンピック組織委員会も多忙で、岩田幸彰たちが田畑政治の家を訪れることも少なくなっていました。そんな中、岩田は田畑邸を訪れ、聖火リレーの最終走者候補として坂井義則を紹介します。坂井義則は、1945年8月6日に広島で誕生したということで、日本人最初のオリンピック選手である金栗四三を推す声も強かったのですが、田畑は坂井を強く推し、けっきょく坂井に決定します。その結果に金栗は落胆しますが、平和の祭典ということで納得します。

 今回は、東京オリンピック開会の直前まで描かれ、聖火リレーを沖縄で行なうかどうか、田畑たちが苦慮しているところは、なかなか面白かったと思います。まあ、例によって平沢和重頼みといった感があったのには笑えましたが。三島弥彦が回想で描かれたり、すっかり老けた可児徳が久々に登場したりと、最終回を目前に懐かしくもしりました。次回はいよいよ最終回となり、寂しさは否めません。落語場面は今回も上手く本筋とはつながっていないように思うのですが、最終回はどうなるでしょうか。番組表を見ると、最終回は延長放送になるようで、本作の視聴率は大河ドラマ史としては記録的な低さなので、ほとんど諦めていたのですが、これは嬉しいものです。

皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内久美子氏の認識はある意味で正しい

 「皇統の男系男子継承の深い意味」と題する竹内久美子氏の記事が公開され、それなりに話題になっているというか、嘲笑されているようです。とくに嘲笑の対象になっているのは、皇位継承を「日本の存亡に関わる問題」としているところのようですが、竹内氏の認識はある意味で正しいと思います。似たような認識として、「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言を最近取り上げたので(関連記事)、かなり重なってしまうのですが、改めて私見を整理するとともに、竹内氏の他の見解にも言及します。

 竹内氏は、女系天皇を認めれば「異質の王朝」を生むとして、男系男子による皇統の継承は、日本国の存亡に関わる問題である、との認識を示しています。似たような認識の「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言も含めて嘲笑する人は多いでしょうが、重要な論点が含まれており、一笑に付すようなものではない、と私は考えています。たとえば、網野善彦『日本の歴史第00巻 「日本」とは何か』(講談社、2000年)では、「日本」はヤマトを中心に成立した国家の国号で、王朝名だと指摘されています(P333)。また網野氏はかつて、一部の支配者が決めた「日本」という国号は国民の総意で変えられると述べて、日本が嫌いなら日本から出ていけ、という手紙・葉書が届いたそうです(同書P94)。

 現在の女性皇族が「(天皇の男系子孫ではない)民間人」と結婚し、その子供が天皇に即位した場合、これを「王朝交替」と解釈することは、人類史、とくにヨーロッパ史的観点からは無理のない定義と言えるでしょう。日本も含まれる漢字文化圏でも、後周のように異なる男系でも同一王朝という事例もあり、異なる男系での君主継承が王朝交替の第一義的条件ではないとしても、実質的には男系の交替と王朝交替がおおむね一致しています。また漢字文化圏では、王朝が替われば国号も変わります。

 このように、異なる文化圏の概念の組み合わせという側面もあり、強引なところも否定できませんが、「日本」という国号を王朝名、それまでとは異なる男系の天皇が誕生すれば「王朝交替」と考えれば、皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内氏の発言や、「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言に見られる認識は一笑に付すようなものではない、と私は考えています。日本は、漢字文化圏的枠組みでは少なくとも6世紀以降「王朝交替」はなかったと言えるので(関連記事)、漢字文化圏としては異例の長さで同じ国号が続いたことから(漢字表記で正式に「日本」とされたのは8世紀初頭)、「日本」はもう地理的名称として定着した感もありますが、原理的には変えられるものなのだ、と気づく契機になり得るという点で、皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内氏の認識は嘲笑されるべきではない、と私は考えています。

 もっとも、仮に今後日本で天皇制が廃止されたり、皇位の女系継承が容認され、女性皇族と天皇の男系子孫ではない夫との間の子供が即位したりするようなことがあっても、すでに定着した「日本」という国号を変える必要はまったくないと思いますし、もしそういう運動が起きたとしても、すでに長く定着した国号で愛着があるので、私は反対します。網野善彦氏は、「日本」は王朝名だと強調し、「日本」という枠組みで「(日本)列島」史を把握することに否定的ですが、そもそも「政治的」ではない「中立的な」地理的名称が世界にどれだけあるのかと考えれば、「アジア」や「朝鮮半島」や「中国大陸」という地名を採用しておきながら、ことさら「日本」を標的にすることには疑問が残ります。なお、網野氏は天皇号と日本国号の画期性を強調しますが、これにも疑問が残ります(関連記事)。

 ただ、竹内氏が皇位男系継承の根拠として、Y染色体の継承を挙げていることにはまったく同意できません。なお、竹内氏は「Yについては交差が起きず、父から息子へ、そのまた息子へといった男系で継承している限りまったく薄まることがない」と述べていますが、竹内氏は以前Twitterにて、Y染色体にも短いながら組換え領域があると述べていたように記憶しているので、この発言は一般読者向けに簡略化した説明なのでしょう。まあ、とても褒められたことではありませんが。

 それはさておき、皇位継承が話題になった小泉内閣の頃より、皇位男系継承の根拠としてY染色体を挙げるのは地雷に他ならない、と指摘されてきたように思うのですが、今年(2019年)久しぶりに天皇の生前退位があったためか、皇位継承問題への関心が高まる中で、Y染色体に基づく皇位男系継承論がネットでは支持を集めつつあるように思われるのは気がかりです。率直に言って、皇位男系継承支持者で、その根拠としてY染色体を持ち出す人は大間抜けだと思います。

 その最大の理由は、皇位継承のほとんどの期間において父子関係が遺伝的に保証されていたわけではない、ということです。つまり、系図上の父親と生物学的な父親とが異なっている(ペア外父性)可能性がある、というわけです。もちろん、現実には宮中においてそうした「間違い」が生じる危険性はかなり低いとは思います。ただ、皇位(大王位)の男系継承が6世紀半ば以降としても、すでに1400年以上経過しているわけで、どこかで1回「間違い」が起きた可能性は無視できるほど低いものではないと思います。

 この問題でよく言及されるのは『源氏物語』でしょうが、これはあくまでも創作であり、じっさいに「間違い」が起きた根拠にはできませんし、そうした「間違い」が起きる危険性はかなり低かったのかもしれません。ただ、皇后に仕えて後宮の事情に精通していただろう紫式部が『源氏物語』でわざわざ「間違い」を取り入れたのは、ある程度以上の現実性があったからではないか、とも考えられます。もっとも、『源氏物語』での「間違い」の結果でも、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない天皇が即位したわけではありませんが。じっさい、「間違い」が起きていた可能性の高い事例も指摘されており、『源氏物語』の設定を単なる空想とも言い難いでしょう。

 それは、崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王が、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった、という事例です(佐伯智広『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』P179~180)。直仁親王が崇光天皇の皇太子に立てられたのは光厳院の意向で、花園院の甥の光厳院が親王時代に世話になった叔父に報いた、という美談として当時は受け取られたかもしれませんが、裏にはそうした事情があったわけです。なお、光厳院は院政を継続するために、直仁親王を皇太子に立てるさいに養子としています。もちろん、直仁親王が光厳院の実子だったのか否か、DNA鑑定がされたはずもなく断定できるわけではありませんが、少なくとも光厳院は直仁親王が実子だと確信していました。もっとも、直仁親王の事例にしても、『源氏物語』と同じく、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない男性が天皇に即位する予定だったわけではありませんが。直仁親王は正平一統により皇太子を廃され即位できず、その子孫が即位することもありませんでした。

 具体的な「間違い」ではありませんが、状況証拠的な事例としては、江戸時代初期の猪熊事件があります。どの程度の確率で皇室において「間違い」があったのか、推定できる根拠はほぼ皆無ですが、14~20世紀のネーデルラントの事例では、人口密度および社会階層がペア外父性率と相関している、と報告されています(関連記事)。人口密度が高く、社会階層が低いいほどペア外父性率は高い、というわけです。逆に、人口密度が低く、社会階層が高いとペア外父性率は低くなります。人口密度の低い地域の中流~上流階級のペア外父性率は0.4~0.5%と推定されています。

 皇室は、上流階級でもさらに特殊ではあるものの、人口密度の高い場所に居住し続けているという点や、直仁親王や猪熊事件の事例からは、ペア外父性率が0.4~0.5%以上でも不思議ではないでしょう。仮に0.4%という割合を採用し、継体「天皇」を始祖と仮定した場合、今上天皇は北畠親房の云う「まことの継体(父系直系なので天皇ではない皇族も含みますが、この点に関しては議論もあるようです)」では54世(数え間違えているかもしれませんが)で、53回の父子継承となりますから、始祖とずっと父系でつながっている確率は約81%です。ペア外父性率が1%だった場合は、始祖とずっと父系でつながっている確率は約59%となります。もっとも、直仁親王の事例のように、ペア外父性でも皇族もしくは臣籍降下の氏族だった場合は、「初代天皇」のY染色体が継承されていることになるので、じっさいには確率はもっと上がるでしょうが。まあ、上述のように皇族におけるペア外父性率を推定するデータが皆無に近い状況ですから、まったく参考にならないお遊び程度の計算でしかありませんが。

 実際問題としては、持統天皇以降には火葬された天皇も多く、また飛鳥時代以前には天皇(大王)の陵墓も確実ではない場合がほとんどで、そもそも天皇陵とされている古墳の調査には制約が大きいので、天皇(大王)だったかもしれない人物のDNA解析は実質的に不可能です。また、仮にほぼ天皇と間違いない遺骸のDNA解析が技術的には可能だとしても、じっさいに解析して現代の皇族と比較するようなことを宮内庁、さらには政府が許可するとも思えません。その意味で、Y染色体を根拠とする皇位継承男系維持派も、その多くは、実質的にDNA解析は不可能だと考えて、無責任にY染色体を根拠としているのでしょう。しかし、皇位男系継承の根拠としてY染色体を持ち出せば、生物学的確実性が要求されるわけで、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思います。竹内氏は皇位男系継承の根拠としてY染色体を提示した草分け的な人物の一人だったようですから、愚論と言われて不満なのは当然かもしれません。

 少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは、例外がないことからも明らかです。称徳→光仁・称光→後花園・後桃園→光格といった事例のように、前天皇とは血縁関係の遠い人物が即位したことは歴史上何度かありますが、いずれにしても男系で皇統につながっています。また、皇后の在り様からも、8世紀初頭においてすでに、皇位継承が男系に限定されていた、と窺えます。皇后の条件は令においてとくに規定されていませんが(これは、天皇について令で規定されていないことと通じると思います)、妃の条件が内親王であることと、藤原氏出身の光明子を皇后に立てるさいの聖武天皇の勅の歯切れがきわめて悪いことから、皇后には皇族(内親王)が想定されていた、と考えるのが妥当でしょう。これは、6~7世紀には皇后(大后)の即位が珍しくなかったからだと思います。その意味で、光明子が皇后に立てられたのは画期であり、これ以降、皇后が即位することはなくなります。皇族でなくとも皇后に立てられるという先例ができた以上、皇后を即位させるという選択肢がなくなったのでしょう。前近代において、皇位継承が男系であることは明文化されていないと思いますが、それは皇位男系継承が大前提・常識だったからと思います。

 皇位継承の根拠をY染色体とする言説は、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思いますが、それ以上の問題に発展しかねません。今後、男系維持派の大半?が主張するような、旧宮家の男系男子の皇族復帰にさいして(皇別摂家の男系子孫の皇族復帰を主張する人は、私の観測範囲では皆無に近いようです)、Y染色体根拠論に基づくと、Y染色体DNAの検査が必要となるからです。仮に、現在の男性皇族と旧宮家の男系男子とでY染色体ハプログループ(YHg)が大きく異なっていた場合(たとえば、YHg-DとYHg-O)、どちらが「正統」なのか、という点をめぐって議論になり、皇室の権威を傷つけてしまうことになりかねません。じっさい、外国の事例ですが、プランタジネット朝に始まる父系一族において、サマーセット家ではどこかで家系図とは異なる父系が入っている、と推測されています(関連記事)。今後、皇族が減少するなか、旧宮家の男系男子を皇族に復帰させるとしても、DNA検査は必要ない、と私は考えています。

 ただ、皇位男系継承維持派がY染色体を根拠として持ち出したことは理解もできます。現代日本社会において、皇位継承を男系に限定する根拠として、伝統だけを挙げても日本人の広い理解を得られない、との危機感が皇位男系継承維持派にはあるのでしょう。そこで、「科学的根拠」たるY染色体が提示されたわけですが、「科学的根拠」を採用してしまうところが、伝統維持や保守を自任していても、いかにも近代的だなあ、と思います。皇位男系継承派の中に、皇族における一夫多妻制を提案する人がほとんどいないことも、現代日本社会においてヨーロッパ発の近代がいかに深く浸透したのかを示しています。

 皇位男系継承維持派には保守主義者を自任している人が多いでしょうが、保守主義の本質の一つとして、(1000年以上にわたる)伝統宗教も含めて長きにわたる伝統・慣行は深い叡智に基づいているかもしれないので、安易に変革・廃止してはならない、という自制があると思います。その意味で、皇位男系継承維持派は、日本人の広範な支持を得るためには、男系継承がいかなる叡智に基づくのか説明しなければならなかった、と私は考えています。しかし実際には、少なからぬ人がY染色体論という「科学的根拠」に飛びついてしまい、これは皇位男系継承維持派の知的怠慢だと思います。まあ、上述のようにY染色体を根拠とする皇位男系継承維持論議は「科学的根拠」になるどころか、地雷でしかないのですが。

 少なからぬ皇位男系継承維持派は、男系継承をきわめて価値のあるものと主張しますが、高貴な地位の男系継承自体は、人類史において普遍的です。それが日本のように短くとも1400年以上という事例はきわめて例外的としても、たとえばフランスでは、革命期からナポレオン期を除いて、800年以上にわたってユーグ・カペー(Hugues Capet)の男系子孫が王位を継承しました。男系継承は人類進化と深く関連しており、その意味でも、何らかの叡智に基づいている可能性はあるかもしれません。ただ、私程度の見識では、説得力のある見解の提示はできませんが。

 私が男系継承と人類進化との深い関連を想定しているのは、人類はずっと父系に傾いた社会を形成していた、と考えているからです。現代人(Homo sapiens)も含む現生霊長類では母系社会の方が優勢ですが、現代人も含まれるその下位区分の現生類人猿(ヒト上科)では、現代人の一部を除いて非母系社会を形成します。これは、人類社会が、少なくとも現生類人猿との最終共通祖先の段階では、非母系社会を形成していた、と強く示唆します。さらに、現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジー属(チンパンジーおよびボノボ)は父系社会を形成し、次に近縁な現生系統であるゴリラ属は、非単系もしくは無系と区分すべきかもしれませんが、一部の社会においては父親と息子が共存して配偶者を分け合い、互いに独占的な配偶関係を保ちながら集団を維持するという、父系的社会を形成しています(関連記事)。

 おそらく、現代人・チンパンジー属・ゴリラ属の最終共通祖先の時点で、父系にやや傾いた無系社会が形成されており、チンパンジー属系統ではその後に明確な父系社会が形成されたのだと思います。人類系統においても、現生人類ではない絶滅人類で父系社会を示唆する証拠が得られています(関連記事)。人類系統においては、父系に強く傾きつつも、所属集団を変えても出生集団への帰属意識を持ち続けるような双系的社会(関連記事)がじょじょに形成され、さらに配偶行動が柔軟になっていき、母系に傾いた社会も出現したのだと思います。おそらく人類史において、母系に傾いた社会の形成は父系に傾いた社会の出現よりもずっと新しいと思います。ただ、そうした変化が現生人類の形成過程と関連しているのか、それともさらにさかのぼるのか、現時点では不明ですし、将来も確証を得るのはきわめて困難でしょう。

 この観点からは、藤原氏が皇后を次々と輩出し、天皇の外戚となることで権力を掌握したことも、双系的社会に基づき、男系での皇位継承を大前提とする体制に順応したと解釈すべきで、母系社会であった証拠にはならない、と思います。藤原氏はあくまでも、娘を天皇もしくは皇位継承の有力者の「正妃」とすることで権力を掌握しようとしたのであって、自身が即位しようという具体的な動きは確認されていません。藤原氏出身の女性を母とする天皇は奈良時代以降多いのですが、これを母系的観点から解釈することも無理筋だと思います。藤原氏自身も父系的な氏族であり、藤原氏の娘は基本的に母系ではなく父系により高貴な出自を保証されているからです。なお、竹内氏は、「皇統の男系男子による継承は、かつては藤原氏などの国内の権力を排除するという意味があった」と述べていますが、父系継承が人類史において普遍的だったことを反映しているだけだと思います。じっさい、古代日本も双系的な社会だったので、藤原氏は娘を天皇(や皇太子)に嫁がせて権力を獲得(分掌と言うべきでしょうが)していったわけで、「藤原氏などの国内の権力を排除」できていませんし、その意図もなかった、と考えるべきでしょう。

 支配層の母系継承かもしれない事例としては、9~12世紀の北アメリカ大陸のプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡が挙げられていますが(関連記事)、それは古代日本の皇族・有力氏族の地位・財産継承とは大きく異なります。現在の通説のように、古代日本社会は基本的に双系的だったのでしょうが、それは現生人類の特徴でもあり、古代日本を母系社会から父系社会への過渡期と解釈するのは的外れでしょうし、そもそも人類社会は母系制から始まり、社会的発展により「原始的な」母系制から父系制へと移行する、という社会発展モデル自体が根本的に間違っているのでしょう。

 人類社会において父系(男系)的な継承が多いのは、それが長く基準だったからで、俗流唯物史観での想定とはまったく異なり、農耕開始以降に初めて出現したわけではない、というわけです。その意味で、確かに現代および記録上の人類社会では、父系的とは言えないような社会構造も見られるものの、それはアフリカから世界中への拡散を可能とした現生人類の柔軟性に起因し、「未開社会」に父系的ではなさそうな事例があることは、人類の「原始社会」が母系的だったことの証拠にはならない、と私は考えています。そもそも、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではないでしょう。

 たとえば、日本でもすっかり有名になったヤノマミ集団は、テレビ番組などで「1万年以上、独自の文化・風習を守り続けている」と紹介されてきましたが、アマゾン地域は先コロンブス期において大規模に開発されており(関連記事)、ヤノマミの祖先集団もかつては現在とは大きく異なる社会を構成していたかもしれません。そうだとすると、1万年以上前の祖先集団の文化・風習をどの程度継承しているのか、疑問です。また、現代の「未開社会」は、完新世の農耕・牧畜社会、さらに産業革命以降の近代社会の圧迫を受けてきたわけで、更新世にはそうした社会は存在しなかった、という視点も重要となるでしょう。

 もちろん、長く基準だったからといって、それが「本質的」とは限りませんし、何よりも、仮に「本質的」あるいは「生得的」・「自然」だから守らねばならないと主張するならば、自然主義的誤謬に他なりません。現生人類は、双系的社会を築いたように、柔軟な行動を示す霊長類の中でも、きわめて柔軟性の高い種です。これは、『暴力の人類史』などでも指摘されているように(関連記事)、現生人類には相反するような複数の生得的性質と、状況に応じて行動を変えるような高度な認知能力が備わっているからでしょう。もちろん、他の動物にもそれは当てはまり、それ故に気候変動も含めて短期的および長期的な環境変化を生き延びてきたのでしょうが、現生人類ではそうした特徴がとくに強く発達したのだと思います。

 その意味で、皇位男系継承維持派からも一夫多妻制の提案すら躊躇われるような、すっかりヨーロッパ発の近代が浸透してしまった現代日本社会において、あくまでも皇位男系継承維持に拘るならば、単に伝統と主張したり、もっと突っ込んで、長きにわたる伝統・慣行は深い叡智に基づいているかもしれないので、安易に変革・廃止してはならない、と主張したりしても、それだけで広く支持を集めることは難しいでしょう。じっさい、そうした見解を述べる人もいましたが、あまり支持を集めていないように見えます。そのため、現生人類のさまざまな生得的性質と社会状況を踏まえた、説得力のある根拠(叡智)の提示が要求され、少なからぬ皇位男系継承維持派にとって、それがY染色体だったのでしょうが、上述のようにそれは地雷に他ならず、伝統だけを主張しておいた方がまだましだったように思います。その意味で、Y染色体を皇位男系継承維持の根拠とする人々は、(本心を隠した天皇制廃止論者や女系容認論者でなければ)大間抜けだと思います。

 なお、皇族が父系では「縄文人」系統との認識も見られますが、その確証はまだ得られていない、と言うべきでしょう(関連記事)。ただ、皇族が一部で言われている現代日本人では多数派のYHg-D1a2a(旧D1b1)である可能性は低くないように思います。YHg-D1a2(旧D1b)は「縄文人」由来と考えられており(関連記事)、現代日本人のうち本州・四国・九州を中心とする「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響は10~20%程度と推定されているのに(関連記事)、YHg-D1a2の割合は35.34%になるからです。皇族に連なる父系集団は、武士になるなどして地方で父系を拡大する機会に恵まれていたましたから、ゲノム規模では弥生時代以降の渡来集団の影響力が圧倒的に高いとしても、皇族が父系では「縄文人」系統だとすると、「縄文人」系統のYHg-D1a2の強い影響力を説明できる、というわけです。ただ、皇族が本当にYHg-D1a2aか、まだ確証は得られていないでしょうし、何よりも、「縄文人」ではYHg-D1a2aはまだ確認されておらず、YHg-D1a2b(旧D1b2)しか確認されていません(関連記事)。これは、YHg-D1a2aが弥生時代以降に日本列島に到来した可能性を示唆します。ただ、YHgが分類されている「縄文人」はいずれも東日本の個体なので、西日本の「縄文人」がYHg-D1a2aで、皇族がその父系に属する可能性もじゅうぶんある、と思います。

飯山陽『イスラム2.0 SNSが変えた1400年の宗教観』

 河出書の一冊として、河出書房新社から2019年11月に刊行されました。本書の「イスラム2.0」とは、イスラム教をめぐる新たな状況を意味します。その契機となったのがグローバル化の進展とインターネットの普及で、それ以前が「イスラム1.0」とされます。「イスラム1.0」、つまりイスラム教の始まりから20世紀末まで、イスラム教徒の大半は知識層である一部のイスラム法学者を介してしかイスラム法を知るしかありませんでした。イスラム法学者は、時の権力層の庇護を受けるため、権力層を擁護する必要があり、『コーラン』とハディースに忠実ではないこともありました。ただ、「イスラム1.0」の時代には、大衆が直接的に『コーラン』とハディースを理解することは困難だったため、イスラム法学者の見解(もちろん、複数の学派があるわけですが)を受け入れるしかありませんでした。

 しかし、「イスラム2.0」の時代には、インターネットを介して『コーラン』とハディースに直接触れられるイスラム教徒の数が激増しました。すると、『コーラン』とハディースからテロも厭わないジハード主義を読み取るのは論理的なので、じゅうらいの政権寄りのイスラム法学者の見解は『コーラン』とハディースに照らして間違っている、と理解する人々が増加していき、それがイスラム主義・原理主義的傾向を強化し、さらにはテロも厭わないジハード主義者を次々と生み出していき、それは「穏健な」イスラム教の代表例とされてきたインドネシアでも同様である、というのが本書の大まかな見通しです。と言いますか、むしろ「穏健な」もしくは「緩い」イスラム社会だったインドネシアのような地域でこそ変化は激しい、と本書は指摘します。

 本書はこうした見通しのもと、ヨーロッパの「リベラル」な政治エリートたちによる、イスラム教は本来寛容で平和的な宗教であり、イスラム教徒移民やイスラム教自体は脅威ではなく、差別や経済格差こそが同化・統合を阻み、移民やその二世をテロに走らせるのだ、といった言説が、今やヨーロッパで広く大衆から支持を失っており、エリート層も方針を転換しつつある、と指摘します。本書は、「イスラム2.0」の時代に『コーラン』とハディースに直接触れてイスラム主義的性格を強めたイスラム教徒が、ヨーロッパにおいてLGBTなど「リベラル」的価値観を攻撃している、と指摘します。イスラム教と「リベラル」な西洋近代の価値観とは相容れないところが多分にあり、ヨーロッパで頻発するジハード主義者のテロの根本的な要因は、差別や経済格差といった社会問題ではなく、価値観の大きな違いに原因がある、というわけです。本書はその根拠として、一定以上の裕福な階層においても、イスラム主義・原理主義的傾向が強くなり、自爆テロを行なう者(家族単位の事例もあります)もいることを挙げています。

 ただ本書は、「イスラム2.0」の時代においてイスラム教徒では原理主義的傾向が強くなっていることにたいして、棄教という反動も起きている、と指摘します。棄教には、神への信仰は失わないものの、1日5回の礼拝やハラールが非合理的だと考える「軽い」ものから、無神論にまで至る「本格的」なものまであります。こうした人々の多くは、自由と寛容という西洋近代の価値観に触れて魅了され、イスラム教に疑問を抱くようになっていきました。また本書は、ヨーロッパだけではなくイスラム教圏でも、「リベラル」なイスラム教知識人の間でイスラム教の改革運動が起きていることを指摘します。「イスラム国」は『コーラン』とハディースという啓示文字通り解釈しているのであり、問題はイスラム教の側にある、というわけです。本書は、「イスラム国」がイスラム教の唯一の正統的な解釈の在り様とは言えないにしても、イスラム教の伝統的解釈の中から出現したことを強調します。

 こうしたイスラム教圏におけるイスラム教改革運動を強力に推進しているのがエジプトのシシ政権です。イスラム教には、神は宗教・生命・理性・子孫・財産の保全という「立法目的」のために人間に法を与えたので、ある法を特定場面に適用することでその「立法目的」が損なわれると予想される場合、その法の適用を回避しなければならない、という「マスハラ理論」があります。「マスハラ理論」を用いると、『コーラン』とハディースの変更なしに、異教徒との共存も可能となります。しかし、「マスハラ理論」はイスラム法の規範全ての適用の回避も可能とするので、歴史的にその運用は抑制されてきた、とも本書は指摘します。また本書は、シシ政権の試みに関しても、「イスラム2.0」の時代において原理主義的傾向の強まる大衆に、直ちに広く支持されるわけでもないことを指摘しています。本書は、イスラム教改革運動がどの程度成功を収めるのか定かではなく、イスラム教徒の人口増加率が高いという現状から、イスラム教が世界で支配的になった時に、「イスラム国」のような統治が杞憂に終わらない可能性を警告します。

 本書はこのように現状認識を述べたうえで、イスラム教徒とどう共生すべきなのか、最終章で提言しています。大別すると、普遍真理を争わない、法の遵守の徹底、日本の常識を押しつけない、レッドラインを越えない、となります。具体的には、『コーラン』を否定したり冒涜したりしない、酒や豚を口にするよう勧めない、賭博や占いに誘わない、イスラム教の規範に合理的説明を求めないなどです。今後、日本人とイスラム教徒との接触機会は増えていくでしょうから、本書の実用的な提言は有益だと思います。

 本書に対しては、「リベラル」派を中心に、イスラム恐怖症を煽っているとか、差別的とかいった批判が多いだろう、と思います。自分の周囲のイスラム教徒は「過激派」ではなく、異教徒とも話しあい、また理解しあえる人物だ、と主張する「リベラル」派は少なくないでしょう。じっさい、上述のように、本書でも「リベラル」的というか、西洋近代との共存を目指すようなイスラム教改革運動も取り上げられています。差別や経済格差が縮小していけば、そうした「リベラル」なイスラム教改革運動が支持を集め、民族的にも宗教的にも多様な人々が共存する社会も実現するだろう、というような見通しを抱いている「リベラル」派は少なくないかもしれません。じっさい、イスラム教にテロも厭わないようなジハード主義者を生み出す強固な内在的論理が備わっているとしても、行動に移すのはごく一部なわけで、テロを減らすためには、やはり環境こそが重要ではないか、との議論もあるでしょう。イスラム教の今後の影響力拡大の根拠とされるイスラム教徒の人口増加率の高さにしても、それが啓示に由来する側面はとても否定できないにしても、環境変動にさほど影響を受けずにずっと続くのか、疑問は残ります。

 しかし、「リベラル」派と深く付き合うようなイスラム教徒の大半は知的エリートでしょうから、立場上西洋的な「リベラル」派と話を合わせているか、「リベラル」的な価値観をかなり内面化している可能性があり、イスラム教は本質的に平和な宗教とか、差別や経済格差こそがイスラム教徒によるテロの温床とかいった「リベラル」的言説を真に受けるのは危険ではないか、とも思います。確かに、「リベラル」派のイスラム教およびイスラム教徒認識は、真理の一面を把握しているのかもしれません。しかし、それがイスラム教の本質・主流なのかというと、「リベラル」派が深く付き合うようなイスラム教徒から直ちにイスラム教の「本質」を理解した気になるのは危険だろう、と門外漢ながら思います。「啓示の宗教」であるイスラム教に、テロも厭わないジハード主義へと向かわせる内在的論理と、「リベラル」な西洋近代とは多分に相容れない価値観があり、ジハード主義者はグローバル化の進展とインターネットの普及により世界規模で増加している、という本書の見通しは基本的には妥当と思います。

 それを踏まえたうえで、日本人もイスラム教およびイスラム教徒と付き合っていかねばならないのでしょうが、私も含めて西洋近代の価値観に強い影響を受けた日本人には、精神的にたいへんきつい状況と言えるでしょう。もちろん、現代日本のような世俗社会で暮らすイスラム教徒の側には、本書が指摘するように大きな精神的ストレスがあるのでしょうが。あるいは、中国のような高度な情報技術を活用しての抑圧的な管理体制は、イスラム教の過激派のテロを押さえ込むのにかなり有効かもしれず、その意味で「イスラム2.0」の時代には「中国モデル」を採用する国が増えていくかもしれません。ただ、中国的な体制では失うものがあまりにも多いため、日本がそうならないよう、私も微力ながら努めていきたいものです。著者の前著『イスラム教の論理』(関連記事)を読むと、本書をさらによく理解できると思います。

出生前のアンドロゲン曝露による多嚢胞性卵巣症候群のリスク

 出生前のアンドロゲン曝露による多嚢胞性卵巣症候群のリスクに関する研究(Risal et al., 2019)が公表されました。多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)は生殖年齢の女性の17%にまで見られ、受精率の低下や2型糖尿病、それに不規則な月経周期のような健康に有害な事象に関連があり、そのすべては肥満によりさらに悪化します。PCOSの罹患率は高く、女性の健康に対する悪影響も大きいと考えられていますが、PCOSの原因やリスク因子はほとんど明らかになっていません。これまでの研究から、単純な遺伝だけで説明できるのは、PCOSの遺伝率のせいぜい10%に過ぎない、と明らかになっています。

 この研究は、スウェーデンのPCOSを発症した女性の診療記録を解析し、ある症例対照研究からチリのPCOS患者とその娘のコホートを追跡しました。その結果、PCOSのスウェーデン女性もチリ女性もともに、娘がPCOSと診断される確率は通常の5倍でした。この現象の原因をさらに調べるため、この研究はマウスで検証しました。すると、観察された世代を超えて伝わる現象に関わっているのは、妊娠中の肥満ではなく、出生前のアンドロゲン曝露出と明らかになりました。また、世代を超えた作用は永続し、最大で三世代にわたって受け継がれることも分かりました。これらの知見から、PCOSという多様な症状を示す疾患の複雑さの一端が明らかになり、これからの女性のPCOSを防ぐ研究を進めるための基盤が得られました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【医学】出生前のアンドロゲン曝露が、多嚢胞性卵巣症候群のリスクにつながる

 多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の女性から生まれた娘は、PCOSを発症するリスクが5倍も高いことを報告する論文が掲載される。

 PCOSは生殖年齢の女性の17%にまで見られ、受精率の低下や2型糖尿病、それに不規則な月経周期のような健康に有害な事象に関連がある(そのすべてが、肥満によってさらに悪化する)。PCOSの罹患率は高く、女性の健康に対する悪影響も大きいが、PCOSの原因やリスク因子はほとんど明らかになっていない。これまでの研究から、単純な遺伝だけで説明できるのは、PCOSの遺伝率のせいぜい10%に過ぎないことがわかっている。

 Elisabet Stener-Victorinたちは、スウェーデンのPCOSを発症した女性の診療記録を解析し、ある症例対照研究からチリのPCOS患者とその娘のコホートを追跡した。すると、PCOSのスウェーデン女性、チリ女性ともに、娘がPCOSと診断される確率が通常の5倍にも上った。この現象の原因をさらに調べようと、著者たちはマウスでの研究を行った。すると、観察された世代を超えて伝わる現象に関わっているのは、妊娠中の肥満ではなく、出生前のアンドロゲン曝露出あることが分かった。また、世代を超えた作用は永続し、最大で三世代にわたって受け継がれることが分かった。

 これらの知見から、PCOSという多様な症状を示す疾患の複雑さの一端が明らかになり、これからの女性のPCOSを防ぐ研究を進めるための基盤が得られた。



参考文献:
Risal S et al.(2019): Prenatal androgen exposure and transgenerational susceptibility to polycystic ovary syndrome. Nature Medicine, 25, 12, 1894–1904.
https://doi.org/10.1038/s41591-019-0666-1

アジア人のゲノム

 アジア人のゲノムに関する研究(GenomeAsia100K Consortium., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。ヒトの遺伝学的研究ではこれまでのところ、非ヨーロッパ人のデータ不足によってゲノムデータセットにおける個体間多様性が制限されており、そのために全球的なヒト集団の大部分におけるその医学的意義も限定的なものになっています。この問題に取り組むためには、集団特異的な参照ゲノムデータセットに加え、多様な集団におけるゲノム規模関連解析が必要です。

 そこで本論文は、ゲノムアジア10万人計画の試験段階について報告しています。これには、アジア64ヶ国219集団の1739人の全ゲノム参照データセットが含まれています。本論文はこのデータセットを用いて、遺伝的変動・集団構造・疾患との関連・創始者効果についてのカタログを作成しました。また、アジアにはかなり大きな創始者集団が存在し、そうした集団から移住によって新たな集団が複数生じた、と明らかになり、これらの集団についてのさらなる研究が、稀な疾患に関連する遺伝子の特定に役立つ可能性が示唆されました。

 具体的には、検出されたゲノム変異のうち、非同義置換では23%が公的データベースに登録されていない新たな変異で、0.1%以上の頻度で検出された変異はおよそ195000個になりました。これらはアジアの特定の集団では比較的高い頻度で存在すると考えられ、今後はその医学的な意義の解明が期待されます。また、遺伝病の原因となる変異として公的データベースに登録されている変異の中には、ヨーロッパ系集団では稀である一方で、アジア系集団では高頻度である例も見つかり、これらは実際には遺伝病とは無関係である、と考えられました。さらに、各種の薬剤による副作用との関連が報告されている遺伝子変異の分布も調べられ、アジア諸集団の中でも顕著な集団差がある、と明らかになっています。これらのデータを基に、今後より大規模なアジア集団の全ゲノム塩基配列の解析が進み、ゲノム医学研究の推進に貢献する、と期待されます。

 人類進化との関連でも、興味深い知見が得られました。現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)やその近縁系統の種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑は、今ではよく知られています。ネアンデルタール人の遺伝的影響が出アフリカ系現代人の各地域集団においておおむね類似した割合で見られるのに対して、デニソワ人の遺伝的影響は、出アフリカ系現代人の各地域集団において顕著な差があり、ユーラシア西部集団では基本的に見られず、オセアニア系集団で顕著に高く、アジア南部・南東部・東部集団で低いながらも確認される、と報告されています(関連記事)。

 本論文でも、こうした以前からの知見と整合的な結果が得られました。本論文で対象とされた集団のうち、デニソワ人の遺伝的影響は、メラネシア集団とフィリピンのアエタ(Aeta)人で最も高く、中間的なのがフローレス島のアティ(Ati)人で、アジア南部・南東部・東部のほとんどの集団では低くなります(とはいえ、明らかに遺伝的影響を受けています)。アエタ人に関しては、追加のデニソワ人との交雑が推測されています。これは、今年(2019年)公表された研究(関連記事)と整合的です。

 アジア南部集団は、言語ではインド・ヨーロッパ語族と非インド・ヨーロッパ語族に、社会的もしくは文化的には、部族集団・低カースト集団・高カースト集団・パキスタン集団(インド・ヨーロッパ語族のみ)に分類され、デニソワ人の遺伝的影響に明らかな差が見られました。これは、デニソワ人の遺伝的影響を受けていないインド・ヨーロッパ語族がアジア南部に到来し、デニソワ人の遺伝的影響を受けている在来集団とさまざまな割合で混合したことを示唆し、現在の有力説と整合的です。

 インド・マレーシア・フィリピンのネグリート集団については、それぞれ他のネグリート集団よりも近隣集団の方と遺伝的に近縁で、濃い肌の色はおそらく環境適応で、共通祖先からの遺伝的継承ではない、と推測されています。ネグリート集団におけるデニソワ人の遺伝的影響の明らかな違いも、ネグリート集団を単系統群的に把握できないことを示している、と言えるでしょう。表現型から人類集団の系統関係・遺伝的近縁性を推測することには難しさもあり、ゲノム解析によりずっと正確な推測が可能になりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ゲノミクス:ゲノムアジア100Kプロジェクトによりアジアでの遺伝学的発見が可能になる

Cover Story:アジア人のゲノム:ゲノムアジア100Kプロジェクトで得られた最初の参照データセット

 これまで、ヒトの遺伝学研究は主にヨーロッパ人に重点が置かれていて、そうした遺伝学的データセットに含まれる個体間多様性が制限されてきた。ゲノムアジア100Kプロジェクトは、そうしたギャップを埋めるのに大きな役割を果たすことを目的に、10万人のアジア人のゲノムの塩基配列解読と解析を計画している。今回ゲノムアジア100Kコンソーシアムは、このプロジェクトの試験段階で得られたデータ、すなわち、アジア全域の64か国の219のヒト集団に属する1739人から得られた全ゲノム参照データセットを報告している。著者たちは、このデータを用いて、遺伝的変動、集団構造、疾病関連性のカタログを作っている。また、アジアにはかなり大きな創始者集団が存在し、そうした集団から移住によって新たな集団が複数生じたことが明らかになり、これらの集団についてのさらなる研究が、まれな疾患に関連する遺伝子の特定に役立つ可能性が示唆された。



参考文献:
GenomeAsia100K Consortium.(2019): The GenomeAsia 100K Project enables genetic discoveries across Asia. Nature, 576, 7785, 106–111.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1793-z

『卑弥呼』第30話「人柱」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年12月20日号掲載分の感想です。前回は、那のホスセリ校尉と兵士たちが、トメ将軍への支持を表明したところで終了しました。今回は、五瀬の邑の老翁(ヲジ)がヤノハに生贄をどのように送り出しているのか、説明する場面から始まります。五瀬から玄武の方角、つまり北方へ石の柱の道が始まるところより、鬼八荒神(キハチコウジン)の支配地となります。石柱の手前の広場まで8人の生贄は輿で運ばれ、邑の男たちは毎年、輿を広場に置くと、生贄と「送り人」を残して立ち去ります。「送り人」は、生贄である8人の娘を奥の祭祀の場に導き、柱にくくりつけます。代々の「送り人」は鬼八を見たことがないのか、とヤノハに問われた邑長と老翁は、見てはいるだろうが、その途端に黄泉の国へ送られる、つまり殺されるだろう、と答えます。「送り人」は腰布以外身に着けない決まりなので、どんなに屈強な男でも鬼八に襲われたら殺されるだろう、というわけです。

 ヤノハに策を問われたミマト将軍とテヅチ将軍は、生贄を捧げず怒った鬼八の襲撃を待つか、こちらから討って出るのかどちらかだ、と答えます。今晩、人柱になる娘たちに会いたい、とヤノハに言われた邑長は、もったいないことだ、と断ろうとしますが、気高い女性たちを勇気づけずに何が日見子(ヒミコ)だ、と言います。ヤノハは生贄とされる女性たちに、戦いを学んだことがあるか、と尋ねます。すると、5人が挙手します。さらにヤノハが、鬼と戦う覚悟があるのか尋ねたところ、4人が挙手します。ヤノハは、ミマト将軍・テヅチ将軍・ミマアキ・イクメ・邑長と対策を練ります。ヤノハは、人柱の中に兵を潜ませてはどうか、と提案します。ミマアキは化粧をせずとも美しい女性に擬装できる、というわけです。クラトもいけるだろう、と言うミマアキに、化粧で黥を隠すようクラトに伝えよ、とヤノハは命じます。自分も参戦したいと言うイクメを、父のミマト将軍は制止しようとしますが、自分は幼い頃より父に言われて武芸に励んでおり、暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)でも戦女(イクサメ)希望で、そこらの男性よりずっと戦える、と言います。それでも娘の参戦に反対するミマト将軍ですが、女子も武人たれという自身の言葉を持ち出されてしぶしぶ娘の参戦を認め、ただし死ぬな、と言います。イクメは気丈に、天照大御神は自分を見捨てない、と言います。テヅチ将軍は、兵士200人が千穂を囲み、50人の精兵を人柱付近に潜ませるよう、提案します。ミマト将軍は、「送り人」には副官のオオヒコを任せます。オオヒコならば、たとえ素手でも敵の10人や20人は造作ない、というわけです。

 邑長は日見子たるヤノハに、自分たちの勝利と鬼八の滅亡の祈願を願い出て、ヤノハは楼観に籠ります。しかし、ヤノハは天照大御神の正式な祈り方も知らず、よくばれないものだと自嘲し、戦の間は祈るふりをして楼観で高みの見物も悪くないか、と呟きます。するとヤノハは、モモソの幻覚?を見ます。モモソはヤノハに、イクメとミマアキを人柱に潜ませて終わりなのか、と問いかけます。焦った様子で、よい作戦だと思わないか、と答えるヤノハに、二人が心配ではないのか、とモモソは尋ねます。もちろん心配だが、自分は総大将なので心を鬼にした、と答えるヤノハを、嘘だ、とモモソは一喝します。戦に勝ちたいが、自分だけは誰を犠牲にしても生き残りたいのだ、とモモソに指摘されたヤノハは返答に窮し、何をしろと言うのか、とモモソに問いかけます。するとモモソはヤノハに、本当は何をすべきか分かっているだろう、そなたは歴代の日見子の中で最も血塗られた女王だ、と告げます。

 夜中に生贄8人は石柱の前の広場に連れていかれ、オオヒコはイクメやミマアキなどたち生贄を柱に縛りつけていきます。オオヒコはミマアキに、お前が女なら惚れるところだ、と声をかけます。8人全員が縛りつけられると、いつ敵が来るか分からないので、すぐに紐を切れるよう、刀を準備せよ、とイクメは呼びかけます。恋仲のミマアキとクラトは、互いの美貌を誉めあいます。生贄に選ばれた五瀬邑の娘の一人が沈んでいる様子を見て、この世に鬼は存在しない、正体は人に決まっている、とクラトとミマアキは励まします。しかし、五瀬の邑の娘たちは悪臭に精神的打撃を受けていました。夜が明けると、串刺しにされた腐りかけの複数の死体と、多数の頭蓋骨が見えてきて、五瀬の邑の娘たちは錯乱します。オオヒコはイクメに、紐を切ってこちらから討って出よう、と提案しますが、ヤノハが反対します。ヤノハも生贄の一人として紛れ込んでいたのでした。イクメは総大将のヤノハが現場にいることに反対しますが、だから来たのだ、とヤノハは落ち着いた様子で答え、合図は自分が出す、まずは化け物の数と正体を見極めよう、と言います。ヤノハたちに「何か」が迫ってくるところで、今回は終了です。


 今回は、鬼八荒神との接触との直前までが描かれました。多数の人々を殺害し、その遺骸を積み上げる鬼八荒神の正体と意図は、鬼八荒神が鬼道に通じているとされ、『三国志』によると卑弥呼(日見子)は鬼道により人々を掌握した、とありますから、かなり重要になってくると思います。おそらく、ヤノハは鬼八荒神も配下に組み入れることになるのでしょう。千穂(高千穂)の謎は、序盤の山場になるかもしれません。ヤノハがどのような策で鬼八荒神を迎え撃つのか、楽しみです。また、今回は描かれず、次回も描かれないかもしれませんが、那国情勢も気になるところで、トメ将軍がどのように事態を解決させようとするのか、楽しみです。

現生哺乳類と異なる聴覚器官を持つ初期哺乳類

 現生哺乳類と異なる聴覚器官を持つ初期哺乳類に関する研究(Wang et al., 2019)が公表されました。発生生物学および古生物学の双方から蓄積されたデータからは、哺乳類では、顎の歯骨後方の骨の、頭蓋の耳小骨への変化が、少なくとも3回独立に起きた、と示唆されています。また、保存状態の良好な化石からは、哺乳類中耳の進化における移行段階がいくつも明らかになっています。しかし、哺乳型類の異なる複数のクレード(単系統群)で、これらの歯骨後方の骨がなぜ、どのように歯骨から完全に分離したのかなど、中耳の進化に関してはまだ疑問が残されています。

 この研究は、中華人民共和国遼寧省の九仏堂層で発見された多丘歯目哺乳類(齧歯類様哺乳類の分類群)エオバータル科の新種(Jeholbaatar kielanae)の化石について報告しています。多丘歯類は、おそらくこれまでで最も繁栄した哺乳類の一群であったと考えられています。この新種化石は約1億2000万年前のもので、この哺乳類動物の体重は約50グラムと推定されています。左中耳骨の保存状態が良好だったため、以前に報告された白亜紀の多丘歯目哺乳類よりも独自の構造が明らかになり、その構成要素もより完全な形を保持しています。この標本からは、顎の上角骨が独立した骨要素から中耳の槌骨の一部へと変化し、耳小柱状の鐙骨と平たい砧骨の間に限定的な接触が存在した、と示されました。

 この研究は、哺乳型類において、こうした槌骨–砧骨間の関節の接続様式には2つの骨が隣り合う配置と互いにかみ合う配置の2通りがあり、それは歯骨–鱗状骨関節の進化的分岐を反映している、との見解を提示しています。系統発生学的解析から、この標本のような異獣類における最終哺乳類中耳の獲得は、単孔類や真獣類での哺乳類中耳の獲得とは独立したものであった、と明らかになりました。この新種化石により得られた証拠は、多丘歯目哺乳類の中耳の発達が、摂食に必要な条件によって誘発されたことを示唆しています。この研究は、下頬部の形状から判断して、この新種多丘歯目哺乳類が雑食性で、蠕虫・節足動物・植物を餌として、咀嚼時の顎の動きが特徴的だった、という見解を提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【古生物学】現生哺乳類と異なる聴覚器官を持つ初期哺乳類の新種

 中国で発見された白亜紀の齧歯類様哺乳類の新種が、その近縁種と異なる耳を持っていたことを報告する論文が、今週掲載される。この新知見は、この哺乳類動物の聴覚器官の進化が、摂食のための特殊化によって推進された可能性を示唆している。

 哺乳類の耳の進化、つまり、顎の構成要素が徐々に頭蓋骨内に移動して、中耳の耳小骨になった過程が、少なくとも3回独立に起こったことが、化石証拠から示唆されている。しかし、この過程が異なる哺乳類群でどのように起こったのか、そしてなぜ起こったのかは解明されていない。

 今回、Yuanqing Wangたちは、中国遼寧省の九仏堂層で発見された多丘歯目哺乳類(齧歯類様哺乳類の分類群)の新種Jeholbaatar kielanaeの化石について記述している。Wangたちは、この化石が約1億2000万年前のものであり、この哺乳類動物の体重を約50グラムと推定している。左中耳骨の保存状態が良好だったため、以前に報告された白亜紀の多丘歯目哺乳類よりも独自の構造が明らかになり、その構成要素もより完全な形を保持している。Jeholbaatar kielanaeの化石によって得られた証拠は、多丘歯目哺乳類の中耳の発達が、摂食に必要な条件によって誘発されたことを示唆している。Wangたちは、下頬部の形状から判断して、Jeholbaatar kielanaeが雑食性で、蠕虫、節足動物、植物を餌として、咀嚼時の顎の動きが特徴的だったという見解を示している。


進化学:白亜紀の化石から明らかになった哺乳類中耳の新たな進化パターン

進化学:中耳進化の異なる道筋

 多丘歯類は、おそらくこれまでで最も繁栄した哺乳類の一群であったと考えられる。中生代の前半に進化を遂げた多丘歯類は白亜紀末の大量絶滅を乗り越え、始新世まで生き延びた。その名称が示すように特徴的な歯を有していた多丘歯類は、多くの点で齧歯類の先駆けとも言える存在だった。今回Y Wangたちが新たに発見したJeholbaatar kielanaeは、現在の中国で約1億2000万年前に生息していた多丘歯類であり、その標本には多くの構造、中でも中耳が極めて詳細に保存されている。哺乳類の進化は、祖先的爬虫類の下顎から多くの骨要素が頭蓋へとゆっくり移動して中耳の小骨を形成したことを特徴とする。これまで、この進化は独立して複数回起こったと考えられてきたが、それはJ. kielanaeにも当てはまるようである。著者たちは、哺乳類進化における顎の歯骨後方の骨の耳小骨への変化は、多丘歯類などの哺乳類系統において咀嚼機構が複雑さを増していったことと関係している可能性があると示唆している。



参考文献:
Wang H, Meng J, and Wang Y.(2019): Cretaceous fossil reveals a new pattern in mammalian middle ear evolution. Nature, 576, 7785, 102–105.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1792-0

都市部の河川におけるリチウム濃度

 都市部の河川におけるリチウム濃度に関する研究(Choi et al., 2019)が公表されました。携帯電話と電気自動車が普及し、需要が生まれているため、リチウムの使用量が増加しています。また、今後もリチウムの需要増加が予想されていますが、廃棄されたリチウムの処理ガイドラインはひじょうに少なく、リチウムの製造と廃棄が環境と人間の健康に及ぼす悪影響についての知識も、ほとんど得られていません。

 この研究は、韓国最大の都市ソウルの主たる水道水源である漢江流域でサンプリング調査を実施し、漢江上流のリチウム濃度が世界の他の河川より低いことを見いだしました。しかし、漢江が都市部に入り、流域の人口密度が上昇すると、リチウム濃度は上流域の最大600%に達した、と明らかになりました。この研究は、こうした濃度の変化の原因が人為的活動だと推測しており、水道水試料のリチウム濃度についても、流域の人口密度の上昇に伴って同じ傾向が観察されました。また、水道水試料のリチウム同位体組成を分析した結果、漢江に流入したリチウムが、リチウムイオン電池・治療薬・食品廃棄物に由来するものである、と明らかになりました。

 この研究は、リチウムに関連した生態系と人間の健康に対する影響について、モニタリングの質を高め、リスクの高い地域を特定し、影響全体を最小限に抑えることが必要だと明らかになった、と主張しています。また、これらの知見は、水路のリチウム濃度が人口密度と相関し、汚水処理施設がリチウムの除去に効果がないと考えられることを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境】韓国のソウルを流れる水路で測定されたリチウムの濃度

 電子機器やバッテリーに由来するリチウムが、ソウル(韓国)の河川に流入し、水道水を汚染している可能性のあることを示唆する論文が今週掲載される。今回の研究結果は、水路のリチウム濃度が人口密度と相関し、汚水処理施設がリチウムの除去に効果がないと考えられることを示唆している。

 携帯電話と電気自動車が普及し、需要が生まれているため、リチウムの使用量が増加している。また、今後もリチウムの需要が増加することが予想されているが、廃棄されたリチウムの処理ガイドラインは非常に少なく、リチウムの製造と廃棄が環境と人間の健康に及ぼす悪影響についての知識もほとんど得られていない。

 今回、Jong-Sik Ryuたちの研究グループは、韓国最大の都市ソウルの主たる水道水源である漢江流域でサンプリング調査を実施し、漢江上流のリチウム濃度が世界の他の河川より低いことを見いだした。しかし、漢江が都市部に入り、流域の人口密度が上昇すると、リチウム濃度は上流域の最大600%に達したことが判明した。Ryuたちは、この濃度の変化の原因が人為的活動だと考えており、水道水試料のリチウム濃度についても流域の人口密度の上昇に伴って同じ傾向が観察された。また、水道水試料のリチウム同位体組成を分析した結果、漢江に流入したリチウムが、リチウムイオン電池、治療薬、食品廃棄物に由来するものであることが判明した。

 Ryuたちは、リチウムに関連した生態系と人間の健康に対する影響について、モニタリングの質を高め、リスクの高い地域を特定し、影響全体を最小限に抑えることが必要であることが今回の研究で明らかになったと主張している。



参考文献:
Choi HB. et al.(2019): The impact of anthropogenic inputs on lithium content in river and tap water. Nature Communications, 10, 5371.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-13376-y

絶滅したシカ似の種の「再発見」

 絶滅したシカ似の種を「再発見」したと報告する研究(Nguyen et al., 2019)が報道されました。ベトナムとラオスの大アンナマイトエコリージョン(Greater Annamites Ecoregion)は、世界有数の生態学的多様性を有する地域でする。1910年、silver-backed chevrotainと呼ばれるシカに似た有蹄類のマメジカの一種(Tragulus versicolor)が、ベトナムのニャチャン市近郊で得られた標本に基づいて初めて記載されました。しかし、1990年以降は科学的に確かな目撃例が確認されておらず、この地域で盛んに行なわれている罠猟がこの種を絶滅の瀬戸際に追い込んだのではないか、と懸念されていました。

 この研究は、ベトナムの3省の住民から聞き取りを行ない、このマメジカ種を捜し出す取り組みの中で、マメジカの目撃例がその種の記載と一致する、と明らかにしました。この研究は地元の情報を利用して、動きに反応するカメラトラップを近隣の森林生息地に30台以上設置しました。6ヶ月にわたるカメラトラップ調査の結果、このマメジカ種は200回以上検知されていた、と確認されました。ただ、写っている個体が何頭なのかは不明です。この種は科学的には「再発見」されたと考えられますが、現地の調査から、地元住民の間では絶滅したとは考えられていなかった、と指摘されています。この研究は、個体群のサイズを明らかにし、この種の保全に資する取り組みの強化を図るためには、さらに徹底的な調査と地元社会の関与が必要ではないか、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】絶滅したシカ似の種が「再発見」された

 科学的には絶滅したものと考えられていた、シカに似た有蹄類種がベトナムにおいて野生で生きているのが発見されたことを報告する論文が掲載される。これまで、マメジカの1種Tragulus versicolorのものとして知られる最後の記録は、1990年に狩猟で殺された標本であったが、このほど、その種の生きている姿が30年ぶりに撮影された。

 ベトナムとラオスの大アンナマイトエコリージョン(Greater Annamites Ecoregion)は、世界有数の生態学的多様性を有する地域である。1910年、silver-backed chevrotainと呼ばれるマメジカの一種T. versicolorが、ベトナム・ニャチャン市近郊で得られた標本に基づいて初めて記載された。しかし、1990年以降は科学的に確かな目撃例が確認されておらず、この地域で盛んに行われているわな猟がこの種を絶滅の瀬戸際に追い込んだのではないかと懸念されていた。

 An Nguyenたちは、ベトナムの3つの省の住民から聞き取りを行い、T. versicolorを捜し出す取り組みの中で、マメジカの目撃例がその種の記載と一致することを明らかにした。そして、この地元の情報を利用して、動きに反応するカメラトラップを近隣の森林生息地に30台以上設置した。

 6か月にわたるカメラトラップ調査の結果、T. versicolorは200回以上検知されていたことが確認された。ただし、写っている個体が何頭なのかは不明である。この種は科学的には「再発見」されたものと考えることができるが、現地の調査から、地元住民の間では絶滅したとは考えられていなかったことが指摘された、というのが研究チームの結論である。

 個体群のサイズを明らかにし、この種の保全に資する取り組みの強化を図るためには、さらに徹底的な調査と地元社会の関与が必要なのではないか、と研究チームは示唆している。



参考文献:
Nguyen A. et al.(2019): Camera-trap evidence that the silver-backed chevrotain Tragulus versicolor remains in the wild in Vietnam. Nature Ecology & Evolution, 3, 12, 1650–1654.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-1027-7

『性の進化論 女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?』第4刷

 クリストファー・ライアン(Christopher Ryan)、カシルダ・ジェタ(Cacilda Jetha)著、山本規雄訳で、2017年9月に作品社より刊行されました。第1刷の刊行は2014年7月です。原書の刊行は2010年です。今年(2019年)1月に掲載したさいには、当時の字数制限2万文字を超えたので前編後編に分割したのですが、その後も参照する機会があり、分割されていては不便なので、1記事の字数制限が約13万文字に増えたこともあり、一つの記事にまとめます。本書は、人類社会が長期にわたって一夫一妻的傾向にあった、と想定する通説を批判し、現代人系統は過去にチンパンジー(Pan troglodytes)やボノボ(Pan paniscus)のような「乱婚」社会を経験し、その証拠が生殖器官をはじめとして現代人の表現型に見られる、と主張します。


 本書の見解には、参考にすべきところが少なくない、と思います。たとえば、通説の根拠とされている各種調査には、調査しやすい人々を対象としたものが少なくなく、人類全体の傾向の代表として妥当なのか疑わしい、といった指摘です。これはもっともですが、たとえば「孤立」集団の調査が倫理的にも安全上もいかに困難か、最近のインド洋での事例(関連記事)からも明らかで、いかに妥当な調査をするのかは、たいへん難しい問題だと思います。また、ダーウィン(Charles Robert Darwin)をはじめとして、研究者たちの観察・考察が同時代の社会的規範や個人的体験、とくに性嫌悪により歪められることは珍しくない、といった本書の指摘もたいへん重要だと思います。本書がとくに言及しているのは、セクシュアリティにまつわる社会的規範と個人的体験が観察・考察を歪める可能性ですが、これは、時代・社会の異なる外部者ができるだけ多く参加して検証していくしかないでしょう。


 このように、本書の指摘には有益なところが少なくありませんし、著者二人は博学で、この点の面白さもあります。何よりも、通説が決定的な根拠に基づいているのではない、との指摘は重要です。ただ、著者二人も認識しているに違いありませんが、本書の主題である過去(おもに更新世)の配偶行動に関して、「確定的な」証拠を提示することは不可能です。したがって、どれだけ関連する証拠(関連度合いの強弱の判断も議論となってくるわけですが)を提示でき、各証拠を統合した整合的で説得力のある先史時代人類社会像を提示できるのかが、重要となります。しかし、セクシュアリティを中心とする本書の提示する先史時代の人類社会像は説得力に欠け、とても最有力の仮説にはなりそうにない、というのが私の率直な感想です。


 私がそのように思うのは、本書が不誠実だと考えているからでもあります。それは、本書が二分法の罠的な技巧を少なからず用いていることもありますが、何よりも、戯画化が度を越している、と考えているためです。まず本書は、「単婚すなわち一夫一妻という結婚が、われわれ人類の本質であり、ここから逸脱する者は、人類の品位を汚すといった偽りの物語が大手を振っている」と主張します(P16)。しかし、最近数十年間に、まともな研究者でそのような倫理的・道徳的観念に依拠した見解を主張している人がいるのか、はなはだ疑問です。現代世界の多くの地域の通俗的観念では、近代化(すなわち西洋化)の進展もあり、確かに一夫一妻が大前提とされていますが、一夫一妻が人類の本質とまで本気で考えている人が非専門家層に多くいるのかも、疑問です。率直に言って、本書のこの認識は多分に藁人形論法だと思います。冒頭からこんな調子なので、この時点で本書には疑問と不信感を抱いてしまったのですが、読み進めても、それらは解消されていくどころか、ますます深まっていきました。


 配偶子へのコストに基づく雌雄の繁殖戦略の違いと競合を指摘する進化心理学的知見は、文化的偏見に起因する性嫌悪に基づいている、と本書は主張しますが(P39~41)、これも藁人形論法だと思います。有性生殖の生物において、雌雄の繁殖戦略に競合的・軍拡競争的側面が多分にあるのはとても否定できないでしょう。何よりも問題なのは、社会生物学論争に関する認識です。社会生物学論争の結果、人間の行動は遺伝子により決定されるとする立場と、社会により決定されるとする立場に落ち着いた、と本書は評価しています。この認識は、いかに読者を説得するための技巧だとしても、もはや誇張どころではなく、捏造と言うべきでしょう。学界にそうした絵に描いたような遺伝子決定論者が存在するのか、はなはだ疑問です。本書は、真実はその両極端の立場の間にある、と指摘しています。本書こそ冷静な科学的知見を披露しているのだ、と読者に印象づけようとして、あえて読者に誤認させようとしているのではないか、と疑いたくなります。一応本書は、単純化しすぎているように見えるかもしれない、と弁明してはいますが、本書の社会生物学論争に関する認識は、本書への私の不信感を決定的なものとしました。本書に垣間見られる進化心理学への敵意も、社会生物学論争に関するこの認識に由来しているように思います。


 また、女性の性衝動は弱いとする進化心理学の通説には問題がある、と本書はたびたび指摘します。進化心理学の知見が不足している私には、本書の指摘が妥当なのか、的確な判断はできませんが、進化心理学の知見を戯画化しているのではないか、との疑念は拭えません。そもそも、女性の性欲が一般的に?言われているほど弱くはないとしても、それが人類社会乱婚説を証明するものではないと思います。以下でも述べていきますが、本書が引用している数々の知見は、人類社会乱婚説と決定的に矛盾するわけではない、というだけで、その確たる証明になっているわけではない、と思います。一夫一妻的な傾向の強い社会を想定する仮説でも、本書の引用した知見は基本的に、決定的に矛盾するわけでもないと思います。このように、本書にたいしては疑問・不信感が拭えませんが、まずは本書の大まかな見解について述べ、その後に本書の主張する具体的な根拠を見ていきます。なお本書では、「乱婚」には「行き当たりばったり」の性交という意味合いは一切なく、選好が行なわれている、と定義されています。



  • 本書の見解の概要

 本書は、現代人系統が、戦いに勝ち残った1頭のアルファ雄がハーレムを形成するゴリラ型の配偶システムから乱婚社会へと移行し、遅くともホモ・エレクトス(Homo erectus)の時点では乱婚社会だった、と想定しているようです。その根拠は雌雄の体格差です。霊長類社会では、これが大きいと(性的二形)、単雄複雌のハーレム型の配偶システムを形成する傾向にあるからです。本書は、アウストラロピテクス属よりも前に存在したアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)では雌雄の体格差が小さかった、との見解(関連記事)が400万年以上にわたる一夫一妻を想定する仮説の根拠とされていることから、ラミダスでは雌雄の体格差が小さかった、との見解に慎重です。本書のこの認識はとくに問題ないと思いますし、そもそもラミダスは現代人系統ではない可能性が高い、と私は考えています。


 ラミダスの人類系統樹における位置づけはさておき、本書は、アウストラロピテクス属における雌雄の体格差は大きかった、との有力説を採用しています。アウストラロピテクス属の性的二形については異論も提示されているのですが(関連記事)、最初期の広義のエレクトスにおいても、性的二形はアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)と大差がなく、チンパンジーよりも大きかった、との見解さえ提示されています(関連記事)。おそらくアウストラロピテクス属においても、性的二形は顕著だった可能性が高いでしょう。本書は、数百万年前に現代人系統はハーレム型社会を脱した(P23)、との認識を示しているのですが、雌雄の体格差という観点からは、その時期は150万年前以降である可能性も想定されます。


 本書は、現代人とチンパンジーおよびボノボ(チンパンジー属)、とくにボノボとの類似性を強調し、現代人系統が過去にボノボと類似した乱婚社会を経験した、と主張しています。したがって、本書では明示されていないように思いますが、アウストラロピテクス属の時点では雌雄の体格差が依然として大きかったとの認識からは、現代人系統の雌雄の体格差がゴリラよりもチンパンジーおよびボノボにずっと近づいたのは、現代人系統とチンパンジー属系統とが分岐してかなり経過してから、という見解が導かれます。本書は、チンパンジー属系統の雌雄の体格差がどのように進化してきたのか、明示していませんが、現代人系統が過去にはゴリラと類似していたと認識しているわけですから、チンパンジー属系統もかつては雌雄の体格差が大きかった(性的二形)と想定している可能性が高そうです。つまり、現代人系統とチンパンジー属系統とで、雌雄の体格差の縮小および乱婚社会への移行が並行して起きた、というわけです。もちろん、収斂進化は生物史においてきょくたんに珍しいわけではありませんが、本書の論理では、現代人系統とチンパンジー属系統の社会構造・配偶システムの類似性をもたらした重要な遺伝子発現の変化には共通性がない、ということになります。したがって、チンパンジー属系統が現生種では現代人と最近縁とはいっても、そのこと自体は、チンパンジー属系統と現代人系統とが類似の社会を形成した、との仮説の状況証拠にはなりません。


 なお、本書では、現代人系統とチンパンジー属系統との分岐年代は500万年前にすぎない、とされていますが(P15)、原書刊行後の研究では約1345万~678万年前とも推定されています(関連記事)。チャドで発見された、704±18万年前と推定されている(関連記事)サヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis)が、現代人の直系祖先ではないとしても(その可能性は高いと思います)、チンパンジー属の祖先系統と分岐した後の人類系統に区分される可能性は高そうですから、現代人の祖先系統とチンパンジー属の祖先系統の分岐は700万年以上前だった可能性が高いと思います。もっとも、本書が指摘するように、この分岐の後もしばらくは、両系統間で交雑があったかもしれません(関連記事)。


 最初期の(広義の)エレクトスの頃なのか、150万年前頃以降なのかはともかく、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の祖先集団もしくはそのきわめて近縁な集団と考えられる、43万年前頃のイベリア半島北部の人類集団の性差は現代人と大きく変わらなかったので(関連記事)、遅くとも100万年前頃には、現代人系統の性差は現代人とさほど変わらなかった、と推測されます。もちろん、当時は狩猟採集社会だったわけで(地域により異なったでしょうが、狩猟への依存度は後期更新世より低かったかもしれません)、現代の狩猟採集社会の研究から、性差が縮小して以降の狩猟採集社会では厳格な平等主義が貫かれており、それは食料の分配だけではなく性に関しても同様だった、と本書は主張します。さらに本書は、この小規模の親密な血縁集団(バンド)で形成される狩猟採集社会において、ほとんどの成体が任意の一定期間、複数の性的関係を結び、それは農耕と私有財産の発生まで続いた、との見通しを提示します。


 これが大きく変わるのが農耕開始以降で、そこで乱婚社会を形成して以降初めて、父性の確認が重要課題になった、と本書は主張します。現代人系統において農耕開始まで父性の確認が重要課題ではなかったとの想定は、本書の乱婚社会説の鍵となります。通説では、父性の確認は人類にとって最大の重要性を有しており、それは進化心理学においても同様です。しかし本書は、現代人のセクシュアリティの起源に関する通説は、農耕開始以降の劇的な変化への人類の柔軟な適応行動の誤認に由来し、本質は異なる、と主張します。本書はその根拠として、世界各地の狩猟採集社会の事例や、現代人の生殖器官および性行動と近縁種との比較を挙げます。以下、多岐にわたるそれらの根拠のうちいくつかを見ていきますが、疑問は少なくありません。



  • 現代人とボノボとの類似性

 本書は、通説においては、男性は嘘つきのゲス野郎に、女性は嘘つきの二股をかける金目当ての男たらしに進化したと想定されている、というように要約し、通説を批判しています(P71)。しかしこれも、自説の妥当性を読者に印象づけるための技巧で、戯画化を通り越して捏造に近いのではないか、と思います。また本書は、排卵の隠蔽は人間だけの例外として重要との認識を前提として通説は組み立てられている、と説明します(P89~92)。しかし、現代人も含めて現生類人猿系統は、排卵の隠蔽というか発情徴候が明確ではないことが一般的です。むしろこの点では、現生類人猿系統においてチンパンジー属が例外的です(関連記事)。つまり、類人猿系統においてチンパンジー属系統のみが特異的に発情徴候を明確化するような進化を経てきただろう、というわけです。ここでも、本書が通説を意図的に戯画化しているのではないか、と疑問を抱いてしまいます。


 類人猿系統の中で現代人とは遠い関係にあるテナガザルは単婚だと指摘されていますが(P97~98)、霊長類系統、とくに類人猿系統の繁殖行動は柔軟で、その社会構造も比較的短期間に変わり得るものと考えるのが妥当でしょうから(関連記事)、人類系統が単婚ではなかったことを系統関係から証明するのは難しいと思います。何よりも、上述したように本書の論理では、類人猿系統における近縁性は、現代人系統が乱婚社会であることの証明にはなりません。また、テナガザルを人類のセクシュアリティのモデルとみなす通説的見解が否定されていますが、そうした見解が主流と言えるのか、疑問があります。現代人の特徴は、単婚を基礎とする家族が複数集合した共同体にあり、それはテナガザルとは大きく異なるからです。単婚というだけで、テナガザルが人類社会のモデルになる、との見解は果たして主流なのでしょうか。テナガザルは単雄単雌(単婚)で暮らし、大きな社会を形成しません。本書は、大きな社会集団を形成して生活する霊長類に、単婚社会の種は存在しない、とたびたび強調します。しかし、単婚の家族と共同体を両立させたところに人間社会独自の特徴と(あくまでも個体数と生息範囲の観点からの)大繁栄の要因がある、という見解の方がずっと説得的だと思います(関連記事)。


 本書は、ボノボでは雌の社会的地位が高く、母と息子の絆が強いと指摘しており(P100、107~114)、それは妥当だと思います。また、ボノボの雄の地位は母親に由来する、とも本書では指摘されています。しかし、これはボノボが母系社会であることを意味しません。多様な社会構造を示す現代人を除いて、現生類人猿系統はいずれも父系もしくは非母系社会を示しており(関連記事)、現代人社会も多くは父系的です。本書では説明されていませんが、ボノボも雌が群れを出ていく非母系社会です。もっとも、本書はボノボが母系社会だと明確に主張しているわけではありませんが。本書はボノボと現代人との性行動の類似性を強調しますが、ボノボのように挨拶代わりといった感じで性交渉を行なうような現代人社会は存在しないと思いますし、何よりも、発情徴候の明確化という重要な違いが軽視されていることは問題です。この観点からは、チンパンジー属の乱交的な社会は、人類系統と分岐した後に生じた、と考えるのが最も節約的だと思います。チンパンジーが複数の地域集団(亜種)に分岐していることから推測すると(関連記事)、ボノボ系統の平和的な社会も、チンパンジー系統との分岐後に生じた可能性が高いでしょう。


 また本書は、チンパンジーとボノボの雌雄の体格差は現代人と「まったく同じ範囲に収まっている」とたびたび強調していますが、これは身長と体重とを都合よく合わせて評価した「体格差」だと思います。体重の雌雄差(雄の体重÷雌の体重)では、チンパンジーが1.3倍なのにたいして現代人は1.1倍で、有意な差があります(関連記事)。一般的にも、確かに現代人の性差はゴリラよりもチンパンジー属の方にずっと近いのですが、チンパンジー属よりも小さく、一夫一妻型のテナガザルと乱交型のチンパンジーとの中間である、といった見解が有力だと思います。本書は、おそらく意図的なのでしょうが、現代人とチンパンジー属との類似性を誇張しているように思われます。


 なお本書は、現代人の傑出した特徴として、社会的であることと過剰なセクシュアリティを挙げており(P124~128)、どうも、身体能力の点で現代人には傑出したものがない、と言いたいようです。しかし、現代人の長距離走行能力はなかなかのものですし、何よりも、投擲能力は現生種においては傑出しており、これは現代人とその祖先および近縁系統の生態的地位の確立に、たいへん重要な役割を果たしたのではないか、と思います。また本書では、セクシュアリティに関して、いつでも性行動のできる現代人とチンパンジー属の特異性が強調されていますが、ゴリラの雄は常に交尾可能ですし、オランウータンの雌も、雄に求められれば大抵は交尾を許可します。チンパンジー属ではない類人猿系統と、現代人との性行動は、本書が強調するよりもずっと類似しているのではないか、と思います。



  • 現代人の暴力性の起源

 本書は現代人系統が更新世というか農耕開始前にはそれ以降と比較してより平和的な社会を構築していた、と強調します。本書は、人間やその近縁系統が本質的には攻撃(暴力)的か平和(協調)的か、とたびたび問いかけますが(P101~104)、これは二分法の罠と言うべきで、環境に応じて攻撃(暴力)的でも平和(協調)的でもあるのが人間やその近縁系統の本質で、とくに人間は柔軟なのだ、と考えるのが妥当であるように思います。また本書は、多くの科学者が、人類の持つ攻撃性の根源を霊長類としての過去に位置づけようとしているのに、人類の持つ肯定的な衝動が霊長類から連続していることは認めたがらない、と通説側を批判しています(P107)。しかしこれも、通説側がかなり戯画化されているのではないか、との疑念は拭えません。また本書は、チンパンジーの「暴力性」は人為的活動の結果かもしれない、と指摘しています(P281~284)。つまり、人間の「暴力性」の起源をチンパンジーとの最終共通祖先の段階までさかのぼらせる見解は誤りではないか、というわけです。しかし原書刊行後、チンパンジーの同士の攻撃には人間の存在の有無は関係していない、との見解が提示されています(関連記事)。



  • 父性の確認と多様な現代人社会

 第6章は、父親が一人ではない社会は珍しくないと強調し、父性の確認が人類進化史において重要ではなかった、と示唆します。民族誌的研究は私の大きな弱点なので、本書の見解の妥当性の判断については、今後の課題となります。ただ、狩猟採集社会とはいっても、現代と過去とでは条件が異なります。現代の狩猟採集社会は、農耕社会に、さらに後には工業社会にたいして劣勢に立った結果として存在しています。本書は、厳格な平等主義がほぼ普遍的な狩猟採集社会の環境は、現代人系統というか現生人類(Homo sapiens)が5万年前、さらには10万年前に直面していた環境に酷似している、と主張します(P148~149)。しかし、更新世の気候は完新世よりも不安定でしたし、何よりも、農耕社会の存在は更新世と完新世の大きな違いです。またユーラシア大陸やアメリカ大陸においては、狩猟対象となった大型動物が更新世後期には現在よりも豊富に存在していました。これらの違いを無視して、現在の狩猟採集社会と更新世の狩猟採集社会の類似性を強調することは妥当ではないでしょう。


 こうした「分割父性」という考え方の採用は、集団全体で父親としての感情を共有することだ、と主張されています(P159~162)。しかし、尾上正人氏の指摘にあるように、伝統社会において、DVや殺人の原因の大半が不貞(に対する男の嫉妬感情)に由来することをどう説明するのか、という重要な疑問が残ります。また、中国南西部のモソ族社会では、父性の確認が重要とは思われていないので、男性が自分の姉妹の子を自分の子として育てている、と本書は主張します(P186~194)。しかしこれについては、包括適応の理解が根本的に欠落しており、父性が重要と思われていないのではなく重要だからこそ、姉妹の子のみ信用するのだ、との尾上氏の指摘が妥当でしょう。


 そもそも、『家族進化論』(関連記事)が指摘するように(P180~185)、ゴリラはある程度、交尾と妊娠との関係を理解している可能性が低くありません。雄ゴリラにとって父性の確認は重要で、それをある一定以上の精度で判断して子殺しをするか否か決めている、というわけです。現代人系統も、農耕社会への移行にともなう価値観・世界観の変動により父性に拘るようになったというよりも、ずっと父性の確認に拘り続けた、と想定する方が節約的であるように思います。本書は、現代の狩猟採集社会では父性の確認を軽視もしくは無視するかのような認識が見られる、と強調しますが、それは、現生人類(系統だけではないかもしれませんが)の高度な象徴的思考能力と、入れ子構造を持つシナリオを心のなかで生み出す際限のない能力(関連記事)と、高い好奇心の産物と解釈するのが妥当なように思います。


 インドネシアの西スマトラ州のミナンカバウ族社会は母権制的だ、と本書は主張します(P195~199)。だからといって、それは更新世の人類社会が父権制もしくは父系性的だったことを否定する根拠にはならないと思います。けっきょくのところ、こうした多様な現代人社会が証明するのは、現生人類はきわめて柔軟に社会を構築する、ということだと思います。さらに言えば、霊長類にもそうした柔軟性が見られますし、現代人も含まれる類人猿系統はより柔軟なのだと思います。


 また本書は、農耕開始以降に女性の社会的地位が低下したと主張しますが、そうだとしても、それが農耕開始前の母権制の存在を証明するものではない、と思います。本書は、農耕開始以降、女性の生存能力は根本的変化を被り、狩猟採集時代とは異なり、生存に不可欠な資源と保護を入手するために、自身の生殖能力を引き換えになければならなくなった、と主張します(P18~22)。しかし、ホモ・エレクトス以降に出産がさらに困難になっていったことを考えると、ホモ属では遅くとも180万年前頃には、女性が「生殖能力と引き換え」に生存に不可欠な資源と保護(夫に限らず、夫の親族もしばしば参加したことでしょう)を入手するようになっていたのが一般的だった、と考えるのが妥当だと思います。



  • 先史時代の現代人系統の社会

 先史時代の人間は、孤独で、貧しく、意地が悪く、残忍で、短命だった、という誤った考え方はいまだに普遍的に受容されている、と本書は指摘します(P226)。しかし、他はともかく、「孤独」だったというような主張が主流なのか、きわめて疑わしいと思います。通説の側の先史時代の主流的認識は、家族を基礎単位としつつ、ある程度の規模の共同体(というかバンド)を形成して生活していた、というものだと思います。通説の側で「孤独」が主張されるとしたら、人口密度の低さに起因する、他集団との接触機会の少なさという意味合いだと思います。


 現代人の祖先は、農耕開始前には広範な慢性的食糧難を経験しなかった、と本書は主張します(P267~268)。しかし、現代人系統はアフリカで進化した可能性が高く、そのように断定できるだけの遺骸がそろっているとは思えません。一方、現代人の遺伝子プールにはほとんど寄与していないでしょうが、ヨーロッパのイベリア半島のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に関しては、飢餓は日常的だった、と指摘されています(関連記事)。また、フランス南東部のネアンデルタール人に関しても、飢餓が珍しくなかった、と示唆されています(関連記事)。


 もちろん、これらはおそらく現代人系統とはほとんど無関係のネアンデルタール人系統で、場所もアフリカとヨーロッパとでは異なります。しかし、更新世の現生人類社会が本書で強調されるほど豊かだったのか、疑問は残ります。おそらく、遊動的な狩猟採集社会では授乳期間が長く、その分出産間隔が長いことと、本書でも指摘されているように、体脂肪率の低さから繁殖可能年齢が現代よりも高かったために人口密度が低いままだったので、定住的で人口増加率の高い農耕社会よりも、個体の健康度は高い傾向にあった、ということなのでしょう。


 しかし、だから平和的だったのかというと、疑問の残るところです。人口密度が低く、人類も他の類人猿系統と同様に女性が出生集団から離れていくような社会だったとすると、繁殖相手をめぐる闘争はかなり厳しかった可能性もあります。じっさい、更新世の人類社会において、女性が出生集団を離れていく傾向にあったことを示唆する証拠はありますが、母系的だったことを示唆する証拠は現時点ではないと思います(関連記事)。確かに、前近代農耕社会と比較すると、更新世の狩猟採集社会の方が個体の健康度は高かったかもしれません。しかし、本書はそれを過大評価しているのではないか、との疑念は拭えません。また本書ではたびたび、人類は絶滅しかけたと主張され、その一例として74000年前頃のトバ噴火が挙げられます。しかし、トバ大惨事仮説(トバ・カタストロフ理論)には複数の研究で疑問が呈されています(関連記事)。もっとも、原書刊行後の研究も多いので、仕方のないところもあるとは思いますが。


 本書は現代人系統の狩猟採集社会において厳格な平等主義が貫かれている、と強調します。それが、全構成員に繁殖機会を与える乱婚社会ともつながっている、というのが本書の見通しです。しかし、そもそも、なぜ狩猟採集社会で厳格な平等主義が貫かれているかというと、人類にはそれに反する生得的性質があるからでしょう。他の動物とも共通するところが多分にありますが、人類には公平さへの要求と自己利益増大への要求や優位・劣位関係の把握に囚われていること(関連記事)など、相反する生得的性質が備わっています。一方の性質により他方の性質を抑圧するのが狩猟採集社会の厳格な平等主義の本質で、それは殺害も含む懲罰を伴うものだと思います。本書が指摘する、繁殖の共有が現代人系統における過去の一定期間の「本性」だとする見解は、少なくとも半面は間違っているように思います。


 平等主義とも密接に関連しているだろう利他的傾向は、身内贔屓よりも脆弱なので、身内贔屓を抑え込むための厳格な平等主義が集団の構成員に与えた抑圧・ストレスは、小さくないと思います。狩猟採集社会から農耕社会への移行に関しても、そうした観点からの評価も必要でしょう。父性への拘りとも密接に関連するだろう身内贔屓が、農耕開始以降の世界観・価値観の大きな変化に伴い出現したと想定するよりは、他の霊長類の事例からも、身内贔屓は人類史を貫く本性の一側面だった、と考える方がはるかに説得的だと思います。


 かりに本書が主張するように、農耕開始前の現代人系統社会がそれ以降より平和的だったとしても(かなり疑わしい、と私は考えていますが)、それは集団規模の小ささのために厳格な平等主義という統制が有効だったからで、潜在的には農耕開始以降の社会と変わらない残酷さを抱えていただろう、と私は考えています。食や性において一定以上平等が保たれるような平穏な状況ならともかく、飢餓などの緊急時には厳格な平等主義が崩壊し、むき出しの暴力的状況が出現した可能性は高かったように思います。そうした緊急事態は、完新世よりも気候が不安定だった更新世には、さほど珍しくなかったのではないか、と私は推測しています。



  • 現代人系統の配偶システム

 人類の祖先の配偶システムとして古くから一夫一妻があり、一夫多妻から一夫一妻へと移行したという通説は、人類の祖先に複雄複雌という配偶システムが存在しなかったことを前提としている、と本書は指摘します(P327~328)。そこから本書は、雄間競争の緩和には一夫一妻だけではなく複雄複雌も有効で、現代人の最近縁系統であるチンパンジーおよびボノボの事例が参考になる、と主張します。つまり、人類の祖先が乱交的だった、との本書の主張につながるわけですが、これも、多分に二分法の罠的な詐術であるように思います。


 「プレ・ヒューマンへの想像力は何をもたらすか」(関連記事)で指摘されているように、マウンテンゴリラでは、血縁関係(親子や兄弟)にある複数の雄が交尾相手を重複させずに共存しています。霊長類は繁殖様式も含めて社会構造を柔軟に変えていく系統であり、現生類人猿系統が基本的に父系もしくは非母系であることを考えると、人類系統は、マウンテンゴリラのように複数の雄が複数の雌と共存して交尾相手を重複させない父系的な社会から、そうした家族的要素を解体せずにより大規模な共同体を形成していった、と考える方が、ずっと説得的だと思います。


 第16章は、現代人の男性器サイズや精子の特徴から、現代人系統が乱婚的社会を経験した、と論じます。確かに、この点で現代人はゴリラよりチンパンジーおよびボノボの方に近いと言えるかもしれません。しかしこれも、現代人系統が乱婚的社会を経験したと仮定すると矛盾しないとは言えても、乱婚的社会説を証明するものではない、と思います。『家族進化論』(関連記事)が指摘するように(P143~144)、人類が精子競争を高めるような繁殖戦略を採用したのは、チンパンジーおよびボノボほどには乱交的な社会を経験せずとも、社会・文化により、ペアの永続的な結合を強めるような方向にも、乱交を許容して精子競争を高めるような方向への変異幅を持っていたから、とも考えられます。この柔軟性こそ現代人系統の重要な特徴で、故に家族を解体せずにそれらを統合してより大規模な社会を形成できたのでしょう。また、その柔軟性が、母権制的とも言えるような社会も含めて多様な社会を生み出したのだと思います。


 第17章では男性器の形状から、現代人系統が乱婚的社会を経験した、と主張されていますが、これも、現代人系統が乱婚的社会を経験したと仮定すると矛盾しないとは言えても、乱婚的社会説を証明するものではない、と思います。現代人の大きな男性器は、乱婚的社会を経験したからではなく、単に一夫一妻的社会の配偶者選択で重要だったから、とも解釈できます。第19章で主張される、女性のオルガスムと乱婚的社会の経験とを結びつける見解や、男性はセクシュアリティに新規性を求める、と主張する第21章の見解も同様に、乱婚的社会説を証明するものではないでしょう。本書が指摘する、現代人における乱婚的社会を経験した痕跡は、基本的に一夫一妻仮説でも説明のつくことだと思います。さらに言えば、本書が主張する乱婚的社会を経験した痕跡のいくつかは、とくに選択圧を受けたわけではなく、遺伝的浮動だったか、関連する遺伝子が別の表現型にも関わっており、その表現型で選択圧を受けた結果である可能性も考えられます。


 配偶システムと関連して子育てについて通説は、人類社会において古くより、一人の女性が一人の男性に頼って子育てしてきたと想定している、と本書は主張します(P458)。しかし、人類学の教科書(関連記事)でも指摘されているように、人類の子育てには両親だけではなく親族も関わっている、との見解は一般的であるように思います。まあ、私は学説史をしっかりと把握できているわけではないので、的外れなことを言っているかもしれませんが。上述してきたように、こうした本書の戯画化は珍しくありません。進化心理学などの学問領域では、「愛」と「性欲」が交換可能な用語だと考えられている、と本書は批判します(P167~169)。この批判もまた、戯画化されているのではないか、との疑念を拭えません。ただ、本書において、結婚という用語の多義性・曖昧さや、研究者も社会の規範に影響を受けることが強調されているのは(P167~182)、基本的には意義があると思います。



  • まとめ

 本書は冒頭において、「人類のセクシュアリティの本質」が、類人猿と共通の祖先に由来することを論証する、と目的を明かしています(P16)。現代人のセクシュアリティが祖先に由来するものであることは確かですが、率直に言って、その「本質」が乱婚社会だという論証に本書は失敗していると思います。上述したように、本書の論理構造にしたがえば、現代人系統のセクシュアリティの「本質」が乱婚社会にあるとしても、それはチンパンジー属系統とは独立して獲得されたことになるからです。ただ、現代人系統が乱婚社会を経験した、という可能性自体は、上述したように、霊長類系統、とくに類人猿系統の繁殖行動は柔軟で、その社会構造も比較的短期間に変わり得るものと考えるのが妥当でしょうから、じゅうぶん検証に値すると思います。しかし、上述したように、それを直接検証することは不可能ですから、どれだけ関連する証拠(関連度合いの強弱の判断も議論となってくるわけですが)を提示でき、各証拠を統合した整合的で説得力のある先史時代人類社会像を提示できるのかが、重要となります。


 その意味で、現代人系統が乱婚社会を経験し、それは農耕開始まで続いた現代人の「セクシュアリティの本質」なのだ、という本書の主張は、他の可能性よりもずっと説得力に欠け、とても最有力説たり得ない、と私は考えています。本書は多数の根拠を挙げていますが、上述したように、それは乱婚社会説と決定的に矛盾するものではない、というだけで、その多くは通説とも決定的に矛盾するものではない、と思います。何よりも、上述したモソ族社会の事例もそうですが、本書が自説の根拠とする事例の解釈のいくつかには疑問も残ります。専門家であれば、私よりもはるかに多く、不備を的確に指摘できるでしょう。


 じっさい、訳者あとがきでは、本書を痛烈に批判した本が刊行されている、と紹介されています。その批判本は、本書の原題『Sex at Dawn: How We Mate, Why We Stray, and What It Means for Modern Relationships』をもじった、『Sex at Dusk: Lifting the Shiny Wrapping from Sex at Dawn』と題されています。訳者あとがきでは、本書がAmazonで高い評価を受けている一方、批判本のインターネット上での評価は高くない、と指摘されています。確かにAmazonでは、批判本の評価は本書よりも低くなっています。しかし、ざっと読んだ限りですが、批判本に対する評価の高い書評は、批判本にたいしておおむね肯定的であるように思います。この批判本もいつかは読まねばならない、とは思うのですが、怠惰なので結局読まずに終わりそうです。ともかく、徹底的な批判本が刊行され、一定以上の評価であることからも、本書の見解は基本的に疑ってかかるのが妥当だろう、と思います。では、本書の見解よりも妥当な見解は何なのかとなると、私の現時点での知見・能力では的確に答えられないのですが、やはり、本書が批判する通説の方がより妥当なのではないか、と考えています。もっとも、私の見解は本書の想定する通説とはかなり異なるかもしれませんが、以下に簡略に述べていきます。


 まず大前提となるのは、現生類人猿系統において、多様な社会を構築している現代人を除いて、すべて父系もしくは非母系社会を構築している、ということです。これは、現代人も含めて現生類人猿系統の最終共通祖先も父系もしくは非母系社会だった可能性が高いことを示唆します。次に、現生類人猿系統において発情徴候が明確なのはチンパンジー属(チンパンジーおよびボノボ)だけということが前提となります。現生類人猿系統の最終共通祖先から、テナガザル→オランウータン→ゴリラ→チンパンジーおよび現代人という順に系統が分岐していったことから、現代人とチンパンジー属の最終共通祖先も、発情徴候は明確ではなかった可能性が高そうです。また、上述したように、アウストラロピテクス属のみならず、初期ホモ属でも性的二形が顕著だったかもしれないことから、現代人系統とチンパンジー属の最終共通祖先も、200万~150万年前頃までの現代人系統も、性的二形が現生ゴリラ並だった可能性は低くありません。


 つまり、チンパンジー属のセクシュアリティの重要な構成要素たる穏やかな性差(ゴリラより小さいとはいっても、現代人よりは大きいわけですが)も、明確な発情徴候も、人類系統と分岐した後に獲得された可能性が高い、というわけです。上述したように、かりに現代人系統が過去にチンパンジー属系統と類似した乱婚社会を経験したとしても、それは共通の祖先的特徴に由来するのではなく、両系統で独自に獲得された可能性が高いでしょう。もちろん、収斂進化は進化史においてきょくたんに珍しいわけではありませんが、もっと節約的な仮説が立てられるならば、そちらを採用すべきだと思います。


 その仮説の前提となるのは、現生類人猿系統において、明確な発情徴候はチンパンジー属系統でのみ進化した可能性が高い、という推測です。現代人系統のセクシュアリティについて推測する場合、この違いは大きな意味を有すると思います。おそらく現代人系統は、マウンテンゴリラのような、親子・兄弟といった父系の血縁関係にある複数の雄が複数の雌と交尾相手を重複させずに共存する、家族に近い小規模な共同体から出発し、利他的傾向とコミュニケーション能力が強化されるような選択圧を受けた結果、一夫一妻傾向の家族を内包する大規模な共同体という、独特な社会を形成したのではないか、と思います(関連記事)。さらに現生人類系統において、象徴的思考能力など高度な認知能力を獲得したことで柔軟性が飛躍的に発展し、父系・単婚傾向に限定されない多様な社会を形成したのではないか、と推測しています。もっとも、柔軟性とも深く関わるだろうこの高度な認知能力は、現生人類系統とネアンデルタール人系統の最終共通祖先の時点で、すでに潜在的にはかなりの程度備わっていた可能性もあると思います(関連記事)。


 ただ、現代人の体格の性差がチンパンジーとテナガザルの中間であることから、人類社会には一夫一妻傾向があるとはいっても、それが徹底されているわけではない、ということも以前からよく指摘されていたように思います。現代人系統は、強制された平等主義に基づいて一夫一妻傾向が見られるものの、それと反するような生得的性質も有しており、一夫多妻や乱交的な社会への志向も見られ、それが本書の指摘する、乱交社会に適しているとも解釈できるような、現代人の生殖器官や性行動の選択圧になったのではないか、と思います。


 本書を読む契機となったのは、当ブログにおいて、本書が唯物史観的な人類社会集団婚説や母系制説を主張している、と指摘を受けたからでした(関連記事)。しかし、「乱婚」には「行き当たりばったり」の性交という意味合いは一切なく、選好が行なわれている、と定義する本書の見解は、人類の「原始社会」を親子きょうだいの区別なく乱婚状態だったと想定する、唯物史観的な「原始乱婚説」とは似て非なるものだと思います。じっさい、霊長類の広範な系統において近親婚を避ける仕組みが備わっている、と明らかになった現在の水準では、唯物史観的な原始乱婚説はとてもそのまま通用するものではありません。本書の意図は、人類社会における一夫一妻を基調とする通説には問題があり、今では捨てられてしまった唯物史観的な原始乱婚説にも改めて採るべきところがある、といったものだと思います。


 また、農耕開始前の現代人系統社会における女性の地位の高さを強調する本書からすると、唯物史観的な原始社会母系説も採るべきところがある、ということなのかもしれません。しかし本書は、母権的と解釈できそうな現代人社会(この解釈の是非については、本書の信頼性からしてとても直ちに肯定できませんが)の存在を指摘し、現代人系統社会がかつて母権的だったことを示唆しているものの、はっきりと母系制だと主張しているわけではないように思います。上述したように、本書は現代人とボノボとの類似性を強調し、ボノボにおいて母親と息子との関係がずっと密接で、母親の地位が息子に継承される、と指摘しています。しかし、本書では言及されていませんが、ボノボは母系制社会ではなく(現代人を除く現生類人猿系統はすべて同様ですが)、その地位が母系を通じてずっと継承されるわけではありません。


 何よりも、現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とネアンデルタール人について、前者は男性よりも女性の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は夫居制的婚姻行動の可能性が指摘されていることから(関連記事)、人類系統の社会は他の現生類人猿系統と同様にずっと父系的だった、と考えるのが節約的だと思います。現代人に見られる、父系的とは限らない多様な社会は、高度な認知能力に基づく現生人類の柔軟な行動を示している、ということだと思います。もっとも、上述したように、ネアンデルタール人系統にも、こうした柔軟性は潜在的にはかなりの程度備わっていた可能性も考えられます。


 率直に言って、本書を読んで疑問と不信感が強くなる一方だったのですが、改めて調べたり情報を整理したりする機会になりましたし、著者二人が博学であることは間違いないので、勉強になりました。ただ、最初から本書の批判本を読むだけでよかったのではないか、と後悔もしています。年末年始の貴重な時間のかなりの部分を本書に割いてしまいましたが、かなりの本数になってしまった録画番組の視聴を優先すべきだったかな、とも思います。とはいえ、録画番組を視聴するよりは、本書を読んだ方がずっと勉強になるでしょうから、深く後悔しているわけではありませんが。



参考文献:

Ryan C, and Jetha C.著(2017)、山本規雄訳『性の進化論 女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?』第4刷(作品社、第1刷の刊行は2014年、原書の刊行は2010年)

母系制で平和的なボノボ社会

 検索していたら、表題の発言を見つけました。リンク箇所を除いて全文を引用すると、
母系制で平和的なボノボ社会と、男性優位で争いの絶えないチンパンジー社会。生まれ変わるならどっちがいい?

となります。さらに検索してみると、ボノボ(Pan paniscus)が母系社会だという認識はそれなりに浸透しているようです。たとえば、

ボノボの喩え、私も良く使います。
チンパンジーとの比較で。
生存戦略として、チンパンジーは強い雄を中心に、戦って群を作る。
ボノボは母系の集団を作り(数年前まではセックスを手段とする、などと身も蓋もない言い方されてましたが)平和的に争いを避ける。
でも人間はそれ以下だと。


との発言や、

ボノボは母系社会で雌は誰とどのようにしてもOKだし、雄も雄同士でまぁ色々したり、雌も雌同士としたり、ほぼバイセクシャルばっかりで、生まれた子供は群れの中で育てるので特に区別しないっていう、なんかもうおおらかをそのまま生き様にしたような生き方してて水龍敬ランドはボノボなのかって思った

との発言や、

哺乳類であれば同じ行為をする事によって、子が産まれ命が続いていくって事に気付いた後に、年がら年中発情期ってのは人間だけかいな?ってな疑問も浮かんでのも小学生の最後の頃だった。ボノボってのが、母系社会で若手の性処理をおばさん系が行い群の平安を保ってたりするっての知ったのはかなり後。

との発言や、

チンパンジーはオスが優位な社会で、他集団との争いも多く、子殺しやレイプなども行ないます。一方のボノボは母系社会ですが、オスとメスはほぼ対等で、力ではなく「性」でコミュニケーションを図って相手との緊張を取り除き、喧嘩が起きないようにしています。

との発言です。最後の発言はnoteの記事なのですが、Twitter上で、

ボノボは母系社会というのはガセで、他のヒト科の動物同様、メスが育った集団を出て嫁に行く父系社会である。

批判されているように、ボノボは最近縁の現生種であるチンパンジー(Pan troglodytes)と同様に父系社会を形成しています。ボノボ社会が母系だと誤解されるのは、おそらくチンパンジーと比較して雌の社会的地位が高いからなのでしょう(関連記事)。それを反映して、ボノボの雌はしばしば、息子を発情期の雌に接近できるような場所へと連れて行き、他の雄による干渉から息子の交配を保護し、息子が高い支配的地位を獲得して維持するのを助ける、と報告されています(関連記事)。一方、ボノボ社会でも稀に雌が出生集団に留まりますが、その母親は娘を息子ほどには熱心に支援しないようです。これは、ボノボ社会が父系であることをよく反映している、と言えるでしょう。

 現代人(Homo sapiens)も含む現生霊長類では母系社会の方が優勢ですが、現代人も含まれるその下位区分の現生類人猿(ヒト上科)では、現代人の一部を除いて非母系社会を形成します。これは、人類社会が、少なくとも現生類人猿との最終共通祖先の段階では、非母系社会を形成していた、と強く示唆します。さらに、現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジー属(チンパンジーおよびボノボ)は父系社会を形成し、次に近縁な現生系統であるゴリラ属は、非単系もしくは無系と区分すべきかもしれませんが、一部の社会においては父親と息子が共存して配偶者を分け合い、互いに独占的な配偶関係を保ちながら集団を維持するという、父系的社会を形成しています(関連記事)。

 おそらく、現代人・チンパンジー属・ゴリラ属の最終共通祖先の時点で、父系にやや傾いた無系社会が形成されており、チンパンジー属系統ではその後に明確な父系社会が形成されたのだと思います。人類系統においても、現生人類ではない絶滅人類で父系社会を示唆する証拠が得られています(関連記事)。人類系統においては、父系に傾きつつも、所属集団を変えても出生集団への帰属意識を持ち続けるような双系的社会がじょじょに形成され、さらに配偶行動が柔軟になっていき、母系社会も出現したのだと思います。おそらく人類史において、母系社会の形成は父系社会よりもずっと新しいと思います。ただ、そうした変化が現生人類の形成過程と関連しているのか、それともさらにさかのぼるのか、現時点では不明ですし、将来も確証を得るのはきわめて困難でしょう。

アジア東部集団の形成過程

 アジア東部も含めてユーラシア東部集団の形成過程の解明は、ユーラシア西部集団と比較して大きく遅れています。これは、ユーラシアにおいては東部よりも西部、とくにヨーロッパの古代DNA研究がはるかに進展しているためです。これは、近代以降にヨーロッパおよびその派生的文化圏である北アメリカから構成される西洋が覇権を掌握していたことに起因します。近代以降、学術も西洋が主導し、20世紀後半になってアジア(東洋)系の台頭が著しいとはいえ、西洋が確立してきた知の構造は依然として堅牢です。そのため、現代人集団の形成過程についても、まず自分たちの起源であるヨーロッパ、さらに範囲を拡大してユーラシア西部に関心が集中するのは仕方のないところでしょう。さらに、近代化で先行した西洋社会では、開発が進んでおり、それに伴う遺跡発掘の機会が多かったことも挙げられます。また、近代化で先行した西洋社会の方が、治安や政治および社会的安定と統合の点でも東洋社会より恵まれていた、という社会・政治環境も一因となったでしょう。

 こうした人為的要因とともに、自然環境の問題もあります。DNAがどれだけ残存しているかは、年代もさることながら(当然、一般的には新しい年代の方がより多く残る傾向にあります)、環境も重要となり、寒冷で乾燥した気候の方がより多く残りやすくなります。逆に、高温多湿環境ではDNAの分解が進みやすくなります。アジア東部では、たとえば北京は北に位置しており、じっさい冬はかなり寒いのですが、これはシベリア寒気団の影響によるもので、北京の緯度はローマよりも低く、夏の気温はローマより北京の方が高くなっています。当然、たとえばパリはローマよりもさらに気温が低くなります。ヨーロッパ、とくに西部はおおむね、北大西洋海流のため冬は北京よりも暖かいのですが、夏は北京よりも涼しく、この点で北京というかもっと広範囲の華北よりも古代DNA研究に適しています。当然、たとえば上海や広州は北京よりもずっと暑いわけで、この点でもアジア東部はヨーロッパよりも古代DNA研究で不利と言えるでしょう。日本列島も例外ではなく、たとえば札幌でさえ、ローマよりも緯度は高いものの、パリよりは低く、さらに日本列島はおおむね酸性土壌なので、そもそも人類遺骸の長期の残存に適していません。日本列島は非西洋社会としてはかなり早い時期に近代化が進展し、開発とそれに伴う遺跡の発掘が進んだ地域ですが、土壌と気候の点から古代DNA研究に適しているとは言い難いでしょう。

 このように、ユーラシア東部、とくにアジア東部は人為的および自然環境的問題のため、ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して古代DNA研究が大きく遅れているのですが、それでも着実に進展しつつあり、とくに中国においては、経済発展とともに今後飛躍的な発展が期待されます。じっさい、アジア東部よりもさらに古代DNA研究に適していない自然環境のアジア南東部でも、4100~1700年前頃(関連記事)や8000~200年前頃(関連記事)の古代DNAが解析されています。また、アジア東部の古代DNA研究はまだ遅れているとしても、アジア東部系と遺伝的に近縁なアメリカ大陸先住民集団の古代DNA研究はかなり進展しているので、アジア南東部やアメリカ大陸、さらにはユーラシア西部の古代DNA研究を参照していけば、アジア東部集団の形成過程についても、ある程度は見通しが立てられるのではないか、と思います。以下、アジア東部集団の形成過程について、現時点での情報を整理します。

 出アフリカ系現代人の主要な祖先となった現生人類(Homo sapiens)集団は、出アフリカ後に各系統に分岐していきます。まず大きくはユーラシア西部系とユーラシア東部系に分岐し、後者はパプア人などオセアニア系とアジア東部・南東部・南部系に分岐していきます。現代東南アジア人の形成過程を検証した(関連記事)、以下に引用する研究(McColl et al., 2018)の図で示されているコステンキ(Kostenki)個体(関連記事)がユーラシア西部系を表します(図1)。
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 ヨーロッパ人の形成過程については、中期更新世~青銅器時代までを概観した(関連記事)以下に引用する研究(Lazaridis., 2018)の図にまとめられています(図2)。
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 アメリカ大陸先住民集団の形成過程とも関連してくる、シベリア北東部における後期更新世~完新世にかけての現生人類集団の変容を検証した(関連記事)、以下に引用する研究(Sikora et al., 2019)の図も参考になります(図3)。
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 分岐していった出アフリカ現生人類系統で注目されるのが、古代シベリア北部集団です。図3で示されているように、古代シベリア北部集団はユーラシア東部系統よりも西部系統の方と近縁ですが、アジア東部集団からも一定の遺伝的影響を受けている、と推定されています。古代シベリア北部集団は、シベリア東部北端に位置する31600年前頃となるヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)の31600年前頃の個体に代表されます。古代シベリア北部集団は、ユーラシア東部高緯度地帯に広範に分布していた、と考えられます。

 シベリア東部において30000年前頃以後、アジア東部集団が拡散してきて、古代シベリア北部集団と融合して新たな集団が形成され、24000年前頃には古代旧シベリア集団とベーリンジア(ベーリング陸橋)集団に分岐します。ベーリンジア集団からアメリカ大陸先住民集団が派生します。古代旧シベリア集団もベーリンジア集団も、アジア東部系統の遺伝的影響力の方がずっと強くなっています(63~75%)。アメリカ大陸先住民集団は、後に漢人など現代アジア東部集団を形成する系統と30000年前頃に分岐したアジア東部系統を基盤に、古代シベリア北部集団の遺伝的影響も一定以上受けて成立したわけです。

 図2で示されているように、古代シベリア北部集団はヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)経由で現代ヨーロッパ人の形成にも一定以上の影響を残しています。つまり、アメリカ大陸先住民集団は、アジア東部集団と遺伝的に強い関連を有しつつも、現代ヨーロッパ集団とも3万年前頃以降となる共通の遺伝的起源を有しているわけです。ユーラシア西部で見られるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)Xが、現代アジア東部集団では基本的に存在せず、アメリカ大陸先住民集団で一定以上確認されていることから、かつては更新世におけるヨーロッパからアメリカ大陸への人類集団の渡来も想定されました。しかし、ヨーロッパ集団にもアメリカ大陸先住民集団にも遺伝的影響を残した古代シベリア北部集団の存在が明らかになり、アメリカ大陸先住民集団のmtHg-Xは古代シベリア北部集団由来と考えると、人類集団の移動を整合的に解釈できると思います。

 アジア東部集団の形成過程に関する議論において問題となるのは、アジア東部集団においては、mtHg-Xが基本的には見られないように、古代シベリア北部集団の遺伝的影響がほとんど見られない、ということです。もちろん、たとえば中国のフェイ人(Hui)が父系(Y染色体DNA)でユーラシア西部系の遺伝的影響を受けていることからも(関連記事)、現代アジア東部集団にも古代シベリア北部集団の遺伝的影響は存在するでしょう。しかし、フェイ人(回族)におけるユーラシア西部系統の遺伝的影響は父系でも30%程度で、母系(mtDNA)でも常染色体でも、フェイ人は基本的にアジア東部集団に位置づけられます。アジア東部集団は近縁なアメリカ大陸先住民集団よりもずっと、古代シベリア北部集団の遺伝的影響が低い、と言えるでしょう。

 では、31600年前頃にはユーラシア東部高緯度地帯に広範に分布していたと考えられる古代シベリア北部集団にたいして、アジア東部集団はどのような経路でいつアジア東部に拡散してきたのかが問題となります。図1で示した研究(関連記事)を参考にすると、アフリカから東進してきた現生人類集団のうち、アジア南部まで拡散してきた集団が、アジア東部集団の起源だった、と考えられます。ここから、アジア南部もしくはさらに東進して南東部から北上した集団(北方系統)と、南方に留まった集団(南方系統)に分岐します。南方系統は、アジア南東部集団の主要な祖先集団の一部です。現時点で北方系統を表していると考えられるのは、北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性です(関連記事)。ただ、田园男性の集団は現代人にほとんど遺伝的影響を残していない、と推測されています。田园集団と近縁な北方系統の集団は、北上してきた一部の南方系統集団と融合して、アジア東部集団の主要な祖先集団(祖型アジア東部集団)を形成した、と推測されます。そのさいに南方系統の方が北方系統よりも大きな遺伝的影響力を有したようです(およそ4:1の比率)。

 ここで問題となるのは、アジア東部には、大きな分類ではユーラシア東部系ではあるものの、祖型アジア東部集団とは遺伝的にかなり異なる集団がかつて存在し、現代の各地域集団の遺伝的相違にも影響を及ぼしている、ということです。まず、4万年前頃の田园男性がその代表格で、上述のようにその近縁集団が祖型アジア東部集団の形成に関わったと推測されますが、図1で示されているように、系統樹ではアジア東部の他集団と大きく異なる位置づけとされています。類似した位置づけなのが「縄文人」で、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した(関連記事)、以下に引用する研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)の図では、船泊遺跡縄文人(F23)は田园男性ほどではないにしても、他のアジア東部集団とは遺伝的にやや遠い関係にあります(図4)。
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 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な現代人集団は、日本人をはじめとしてウリチ人(Ulchi)や朝鮮人などアジア東部沿岸圏に分布しています。これは、愛知県田原市伊川津町の貝塚で発見された2500年前頃の「縄文人」でも同様なので(関連記事)、少なくとも東日本の「縄文人」の遺伝的特徴だったと考えられます。これと関連して注目されるのは、頭蓋形態の研究から、ユーラシア東部には南方系の「第1層」と北方系の「第2層」が存在し、更新世のアジア東部および南東部には日本列島の「縄文人」も含めて「第1層」が広範に分布していたのに対して、農耕開始以降、「第2層」が拡大していった、とする見解です(関連記事)。

 遺伝学と形態学を安易に結びつけてはなりませんが、アジア東部にまず拡散してきた現代人の主要な祖先集団は、アフリカからアジア南東部までユーラシア南岸沿いに拡散し、そこから北上していった、と考えられます。これが「第1層」とおおむね対応しているのでしょう。「縄文人」もその1系統で、おそらくはこの最初期アジア東部集団のうち複数系統の融合により形成されたのではないか、と思います。アジア東部ではおもに日本列島とチベットでしか見られないY染色体ハプログループ(YHg)Dは、この最初期アジア東部集団に由来するのでしょう。ただ、日本のYHg-Dのうちかなりの割合は、「縄文人」に由来しない可能性もあると思います(関連記事)。農耕拡大に伴い、アジア東部ではおおむね「第2層」と対応する祖型アジア東部集団が拡大して遺伝的影響を高めていき、日本列島でも、本州・四国・九州を中心とする「本土」集団では、遺伝的に「縄文人」の影響が弱くなり、祖型アジア東部集団の影響がずっと強くなっていった、と考えられます。

 では、祖型アジア東部集団の農耕開始前の分布範囲はどこだったのか、という問題が生じるわけですが、これはまだ不明です。おそらく、アジア東部でも北方の内陸部に存在していたのではないか、と思います。祖型アジア東部集団に近い古代集団として、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域の「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡の2人が挙げられます(関連記事)。しかし、7700年前頃と推定されている悪魔の門遺跡の2人は現代人ではウリチ人に最も近く、漢人よりも朝鮮人および日本人の方と近縁です。おそら悪魔の門遺跡集団も、最初期アジア東部集団を基盤として、後に拡散してきた祖型アジア東部集団との融合により形成されたのでしょう。祖型アジア東部集団の形成過程と分布範囲については、今後明らかになっていく、と期待されます。


 まとめると、現代アジア東部人の主要な遺伝子源となった集団のうち、アジア東部へ最初に拡散してきたのは、アフリカからアジア南東部へと東進し、そこから4万年前頃以前に北上した最初期アジア東部集団でした。最初期アジア東部集団はアジア東部に広範に存在したと考えられます。「縄文人」は、最初期アジア東部集団のうち複数系統の融合により形成された、と推測されます。一方、最初期アジア東部集団とは別に、アジア南東部もしくは南部から北上してアジア東部内陸部北方に拡散してきた集団(北方系統)が存在し、その集団と、後にアジア南東部から北上してきた集団(南方系統)の融合により、祖型アジア東部集団が形成されました。そのさいに南方系統の方が北方系統よりも大きな遺伝的影響力を有したようです(およそ4:1の比率)。

 祖型アジア東部集団の分布範囲は、アジア東部でも内陸部の比較的北方だったものの北部集団の遺伝的影響をほとんど受けていないと考えられることから、その北限はシベリアよりも南だった可能性が高そうです。祖型アジア東部集団はアジア東部において農耕の拡大にともなって拡散し、遺伝的影響を強めていきました。日本列島もその例外ではなく、弥生時代以降に到来した祖型アジア東部集団系統の遺伝的影響が在来の「縄文人」を上回っていきます。アジア南東部においても、祖型アジア東部集団系統が完新世に2回にわたって南下してきて、一定以上の遺伝的影響を残しました(関連記事)。最初期アジア東部集団の中には、4万年前頃の田园集団のように、現代人にはほとんど遺伝的影響を残していない集団も少なからずあった、と予想されます。

 私はアジア東部集団の形成過程を現時点ではこのように把握しているのですが、上述のように、アジア東部における古代DNA研究がヨーロッパとの比較で大きく遅れていることは否定できません。アジア東部においては、歴史時代においても、魏晋南北朝時代や五代十国時代~ダイチン・グルン(大清帝国)拡大期などにおいて、ある程度以上の遺伝的構成の変容があった、と考えられます。現時点では、在来集団も拡大集団もともにアジア東部系としてまとめられるかもしれませんが、将来は、アジア東部系もさらに細分化されていくだろう、と予想しています。現時点でのヨーロッパ人の形成に関する研究のように、アジア東部A系統とアジア東部B系統がどのような割合で混合したのか、というような詳しいモデル化も可能になるのではないか、というわけです。ヨーロッパと比較して古代DNA研究の遅れているアジア東部集団の形成過程について、確実な見解を提示できる段階ではまだありませんが、自分が現時点での見解を整理したかったので、まとめてみた次第です。勉強不足のため、今回は考古学の研究成果と組み合わせてまとめることができなかったので、今後はそれも課題となります。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第45回「火の鳥」

 田畑政治は、東京オリンピック組織委員会事務総長を解任され、岩田幸彰も辞任を考えていましたが、田畑に慰留されます。田畑を嫌う人は少なくありませんでしたが、田畑を慕う人も少なくはなく、岩田たちは田畑邸を頻繁に訪れます。また、田畑を信頼していた黒澤明は、記録映画監督から降ります。失意の田畑は、それでもオリンピックへの情熱を失わず、岩田たちとオリンピックをどう盛り上げるか、自宅で議論します。

 今回は、失脚した田畑をどう描くのか、注目していたのですが、岩田たち田畑を慕う仲間もおり、田畑が意気消沈したままではなく、安心しました。田畑と目標を見失って迷走していた女子バレーチームの大松博文監督とのやり取りもよかったのですが、何よりも、金栗四三の事績と聖火リレーの新たな経路をつなげたところは上手かったと思います。いかにも大河ドラマの終盤といった感じで、これまでの積み重ねが活かされていくのは感慨深くもありました。いよいよ残り2回となり、やはり寂しさはあります。