ストレスによる白毛化

 ストレスによる白毛化に関する研究(Zhang et al., 2020)が公表されました。経験的あるいは事例的な証拠から、ストレスは白毛化の加速に関連するとされてきましたが、その根本的機構は解明されていません。毛の色素の喪失にメラノサイト幹細胞(色素をつくるメラニン細胞の前駆体)の喪失が介在していることは、以前の研究によって明らかになっています。メラノサイト幹細胞の枯渇は、紫外線ダメージや加齢などによっても起きます。

 この研究は、副腎摘出・除神経・化学遺伝学・細胞除去・メラノサイト幹細胞特異的なアドレナリン受容体のノックアウトを組み合わせて、ストレス誘導性のメラノサイト幹細胞の喪失が、免疫の攻撃や副腎ストレスホルモンとは無関係である、と見いだしました。では、白毛化の原因は何かというと、メラノサイト幹細胞ニッチを支配する交感神経の活性化でした。ストレス条件下では、これらの交感神経の活性化により、神経伝達物質のノルアドレナリン(別名ノルエピネフリン)が一気に放出されるため、休止状態のメラノサイト幹細胞が急速に増殖し、引き続いて分化と移動が起き、幹細胞はニッチから永久的に失われる、というわけです。

 一方、サイクリン依存性キナーゼ阻害剤を局所投与してメラノサイト幹細胞の増殖を一過的に抑制すると、ストレス誘導性の白毛化が防がれました。この研究は、急性ストレスにより誘導されるニューロンの活動が、体性幹細胞の急速かつ永久的な喪失を促し得る、と実証しており、体性幹細胞の維持が個体の全体的な生理学的状況から直接影響を受ける、という一例を示しています。この知見は、身体の他の部位に対するストレスの影響を解明するうえで重要な意味を持つかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【幹細胞】ストレスによってマウスの毛が白くなる機構

 ストレスにさらされた齧歯類動物の毛が白くなるのは、毛包のメラノサイト幹細胞(色素をつくるメラニン細胞の前駆体)の枯渇が誘発されることによるものだとする研究結果を報告する論文が、今週掲載される。この効果は、交感神経系の活性化によって生じるのであり、これまでに発表された学説に示されている免疫攻撃やストレス関連ホルモンによるものではないとされる。

 ストレスは、白毛化の加速に関連するとされてきたが、その根本的機構は解明されていない。毛の色素の喪失にメラノサイト幹細胞の枯渇が介在していることは、以前の研究によって明らかになっている。今回、Ya-Chieh Hsuたちの研究チームは、マウスの毛がストレスによって白くなる現象にこの経路が関係していることを実証した。マウスを物理的ストレスや心理的ストレスにさらす実験が行われ、ストレスにさらしてから数日以内にメラノサイト幹細胞が減少し、急激な白毛化が加速した。Hsuたちは、ストレスが交感神経系を活性化し、ノルアドレナリンと呼ばれる神経伝達物質の放出を誘導することを見いだした。ノルアドレナリンは、メラノサイト幹細胞を増殖させ、特殊化した細胞に変化させ、最終的には移動させるため、毛の色素沈着の原因が失われる。そして、メラノサイト幹細胞の増殖を阻害することで、メラノサイト幹細胞の喪失と白毛化を防げることも明らかになった。

 ストレスに関連した白毛化において、危険やストレスに対する自動反応に関与する交感神経系がこうした役割を果たすことは、身体の他の部位に対するストレスの影響を解明するうえで重要な意味を持つかもしれないという考えをHsuたちは示している。


幹細胞:交感神経の過剰な活性化はメラノサイト幹細胞の枯渇を促す

幹細胞:ストレスにより活性化された交感神経系が白毛化を促す

 さまざまな機構(例えば紫外線ダメージや加齢)によって起こる毛髪メラノサイト幹細胞(MeSC)の喪失が、白毛化の原因の1つであることが明らかになっている。Y Hsuたちは今回、マウスにおいて、異なる3つのストレス要因(精神的あるいは物理的)はいずれも白毛化の促進につながり、その原因は数日以内に起こるMeSCの永久的な喪失であることを示している。一般に信じられている説とは異なり、MeSCへのストレスの影響は、免疫攻撃や古典的なストレス関連ホルモンとは無関係だった。というよりも、ストレスが交感神経系の活性化の引き金になり、神経伝達物質のノルアドレナリンがMeSCに直接作用して、MeSCを増殖させて使い果たしてしまうことによりMeSCが枯渇するのである。このため、マウスでサイクリン依存性キナーゼ阻害剤を局所投与してMeSCの増殖を抑制すると、MeSCの喪失と白毛化が防がれた。



参考文献:
Zhang B. et al.(2020): Hyperactivation of sympathetic nerves drives depletion of melanocyte stem cells. Nature, 577, 7792, 676–681.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-1935-3

ユーラシア草原地帯におけるネアンデルタール人の長距離移動

 石器の分析から、ユーラシア草原地帯におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の長距離移動の可能性を指摘した研究(Kolobova et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ネアンデルタール人の存在期間・地理的範囲・拡散および絶滅の年代は、人類の進化と移住の研究において重要な問題です。ほとんどのネアンデルタール人遺骸およびその関連遺物はヨーロッパとアジア西部で報告されており、その年代は43万~4万年前頃です。その東方のユーラシア内陸部では、南シベリアのアルタイ山脈付近において、13万~5万年前頃のネアンデルタール人の存在が確認されていますが、ネアンデルタール人がアジア東部にまで拡散していた確証はまだ得られていません。そのため、ネアンデルタール人の分布範囲の東限は、現時点ではアルタイ山脈付近となります。

 本論文は、ネアンデルタール人の痕跡が発見されている、南シベリアのアルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟の石器群を分析しています。チャギルスカヤ洞窟は、ネアンデルタール人や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が確認されている、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の西方約100kmに位置します。チャギルスカヤ洞窟第7層には考古学的記録が見られず、その上の第5~第6層において、約9万個の中部旧石器時代の石器や骨器といった人工物、ネアンデルタール人化石74個、動物化石約25万個、植物遺骸が発見されています。これら中部旧石器時代の層は青銅器時代の堆積物で覆われており、上部旧石器時代の痕跡は確認されていません。

 チャギルスカヤ洞窟の23の堆積物標本の光学的年代では、第7層が329000±16000年前、第6層と第5層が63000±4000年前と48000±3000年前の間と推定されています。第5層の年代は、ステップバイソン(Bison priscus)の遺骸20点の放射性炭素年代結果と一致していますが、チャギルスカヤ洞窟第6b層のネアンデルタール人(Chagyrskaya 8)のDNA解析(関連記事)に基づく、87000~71000年前という推定年代より新しくなります。この不一致に関しては、ネアンデルタール人の変異率が現生人類(Homo sapiens)より高いことや、人口規模や世代間隔などの不確実性などといった可能性に起因するかもしれません。チャギルスカヤ8(Chagyrskaya 8)と、デニソワ人で最も新しいデニソワ3(Denisova 3)は、現代人と比較して共通する類似した遺伝的変異率を有しており、両者の年代が近いことを示唆します。デニソワ3は76200~51600年前と推定されており、これはチャギルスカヤ洞窟の光学的年代と一致します。本論文は、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人の年代を、59000~49000年前頃と推定しています。

 チャギルスカヤ洞窟第6層はa・b・c1・c2と区分されていますが、年代は統計的に区別できず、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4末期~3最初期の段階に、数千年以下でネアンデルタール人関連の中部旧石器時代堆積物が蓄積された、と示唆します。この時期はMIS4よりも温暖ではあるものの、比較的寒冷で乾燥しており、草原地帯が広がっていた、と推測されています。第5層は比較的温暖で湿度の高い時期で、草原と森林の混在が特徴です。チャギルスカヤ洞窟のおもな人類の居住の痕跡は第6c層で見られます。ネアンデルタール人の主要な狩猟対象はバイソンで、とくに未成熟な個体と雌が狙われており、バイソンの季節的な移動と関連しているかもしれません。

 チャギルスカヤ洞窟第6層からは89539個の人工物が発見され、そのうち第6a~6c層の石器4249個の詳細な分析から、これらの石器群は単一のインダストリーを表し、第6a~6c各層の間で顕著な差異はない、と示されました。石材は近くの川で採集され、高品質の碧玉・玉髄・玢岩を含む25種から構成されています。ほとんどの剥片は非対称の大径および長方形で、ルヴァロワ(Levallois)技法が用いられており、石刃は副産物としてたまに発生します。

 他のアルタイ山脈の中部旧石器時代の石器群との比較では、以前はチャギルスカヤ洞窟の石器群はシビリャチーハ(Sibiryachikha)文化の亜型に分類されていました。この亜型はネアンデルタール人遺骸とのみ関連していますが、デニソワ洞窟などのシビリャチーハ文化は、特定の人類系統との関連が明確ではありません。本論文は、チャギルスカヤ洞窟の石器群を、アジア中央部やヨーロッパ中央部および東部の中部旧石器群と定量的に比較しました。

 その結果、チャギルスカヤ洞窟の石器群は、アジア中央部のルヴァロワ-ムステリアン(Levallois-Mousterian)とは明確に区別され、ヨーロッパのミコッキアン(Micoquian)/カイルメッサーグループ(Keilmessergruppen)と強い類似性を示す、と明らかになりました。13万~3万年前頃のミコッキアン/カイルメッサーグループ(KMG)は、ヨーロッパ中央部および東部で見られます。チャギルスカヤ洞窟の石器群は、ヨーロッパ東部のミコッキアンと最もよく類似しており、それは両面加工石器で顕著です。

 チャギルスカヤ8は、遺伝的にはクロアチア北部のヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡や北コーカサスのメズマイスカヤ洞窟(Mezmaiskaya Cave)遺跡のネアンデルタール人と類似しています(関連記事)。43万年前頃の早期ネアンデルタール人もしくはその近縁系統(関連記事)を除くと、ネアンデルタール人は核DNAでは大きく東方系と西方系に区別できますが、東方系はデニソワ洞窟の1個体(Denisova 5)でしか確認されておらず、ゲノムデータが得られている他のネアンデルタール人は全て西方系に区分されます。ヴィンディヤ洞窟のネアンデルタール人と中部旧石器との関連は確定的ではありませんが、メズマイスカヤ洞窟の石器群はミコッキアンに分類されます。

 チャギルスカヤ洞窟の石器群とヨーロッパのミコッキアンは59000~49000年前頃の間で年代的に重なり、技術的・形態的に強い類似性を有します。したがって本論文は、チャギルスカヤ洞窟の石器群をヨーロッパのミコッキアンの南シベリアの一変異型と把握しています。ミコッキアン集団は一般的に、ウマとバイソンの狩猟に特化し、草原と山麓の環境に適応していた、と考えられています。アルタイ山脈での中部旧石器時代のチャギルスカヤ洞窟集団は、MIS4の寒冷で乾燥した気候のなか、ネアンデルタール人集団がヨーロッパ東部からユーラシア草原ベルトに沿って東進した結果だろう、と本論文は推測します。

 遺伝学的証拠は、ネアンデルタール人がMIS5の前かその間にアルタイ山脈に初めて出現した、と示します。これらアルタイ山脈の初期ネアンデルタール人集団は、チャギルスカヤ洞窟でMIS4末期もしくはMIS3最初期に出現するミコッキアン石器群とは関連していません。デニソワ洞窟では、石器群が技術的・形態的に均一なので、デニソワ洞窟の文化的系列においてデニソワ人の技術複合とネアンデルタール人のそれを区別できません。しかし、デニソワ洞窟においては、59000~49000年前頃のミコッキアンのような人工物は欠けています。

 これは、南シベリアのデニソワ洞窟とチャギルスカヤ洞窟が、異なる2系統のネアンデルタール人集団に異なる年代に利用されていた、と示唆します。遺伝学的証拠からは、南シベリアのネアンデルタール人は、チャギルスカヤ洞窟よりもデニソワ洞窟の方でずっと早く出現した、と明らかになっています。より早いデニソワ洞窟のネアンデルタール人は東方系で、それよりも遅れて出現したチャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人は西方系です。デニソワ洞窟では、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑第一世代個体(Denisova 11)が確認されています(関連記事)。

 本論文は、考古学でも遺伝学でも、ネアンデルタール人は少なくとも2回ヨーロッパから南シベリアに拡散したと支持される、と指摘します。このうち、より新しい拡散は、上述のようにチャギルスカヤ洞窟の西方3000~4000kmのヨーロッパ東部と北コーカサスに起源がある、と本論文は推測します。ヨーロッパ東部・北コーカサス・アルタイ山脈という3地域すべてでのミコッキアンの同定は、チャギルスカヤ洞窟とヴィンディヤ洞窟とメズマイスカヤ洞窟のネアンデルタール人遺骸の遺伝的類似性と一致します。本論文は、考古学からも旧石器時代における稀に観察される長距離の人口拡散が支持され、人工物が古代の集団移動の有益な指標になる、と指摘します。

 本論文は、ヨーロッパ東部から南シベリアへのネアンデルタール人拡散が複数回あり、それがユーラシア内陸部草原地帯に沿った長距離移動だったことを明らかにしており、たいへん意義深いと思います。ユーラシア内陸部草原地帯は、完新世にはヒトとモノとアイデアの重要な移動経路となり、騎乗技術の開発後にそれは促進されましたが、更新世においても重要な移動経路だった、と言えるでしょう。もちろん、更新世においては移動の量は完新世よりもずっと貧弱で、寒冷期には長期にわたってヒトの往来がなかったでしょう。それでも、現生人類だけではなく、それ以外のヒトにとっても重要だった可能性を示したという点で、私にとって本論文は興味深いものです。本論文が示すように、ネアンデルタール人はこの草原地帯にかなり適応できていたようです。

 まだ議論はありますが、中華人民共和国内モンゴル自治区(関連記事)や貴州省(関連記事)の遺跡でルヴァロワ技術が報告されており、とくに前者に関しては、ユーラシア内陸部草原地帯経由で西方から東方へと伝えられた可能性が高いように思います。ネアンデルタール人のユーラシア内陸部草原地帯の移動速度がどの程度のものだったのか、不明ですが、3000~4000kmならば1世代でも可能です。もっとも、ひたすら東進したとも思えないので、じっさいには複数世代を要したのでしょうが、騎乗技術がなくともじゅうぶん可能ではあるでしょう。

 現生人類拡散前の南シベリアにはデニソワ人(関連記事)とネアンデルタール人が存在しており、上述した両者の交雑第一世代個体(デニソワ11)の存在からは、両者の共存期間が一定以上あった、と推測されます。南シベリアで確認されている古いネアンデルタール人個体は、上述のように東方系のデニソワ5(Denisova 5)です。この後、本論文で示されたように、MIS4末期~MIS3最初期に西方系ネアンデルタール人がチャギルスカヤ洞窟へ拡散してきます。

 ヨーロッパ東部から南シベリアへのネアンデルタール人の拡散は、本論文が指摘するように少なくともこの2回起き、ネアンデルタール人(母)とデニソワ人(父)との交雑第一世代個体は東方系ネアンデルタール人のデニソワ5よりやや新しく、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人集団よりも古いのですが、その母は西方系と推測されています。そのため、西方系ネアンデルタール人の拡散が複数回起きた可能性もじゅうぶん考えられます。ホモ属の移動と混合はたいへん複雑だったと考えられ、その解明には、形態学や遺伝学や考古学や古環境学などの学際的研究が必要となるでしょう。追いかけていくのは大変ですが、今後の研究の進展がたいへん楽しみです。


参考文献:
Kolobova KA. et al.(2020): Archaeological evidence for two separate dispersals of Neanderthals into southern Siberia. PNAS, 117, 6, 2879–2885.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918047117

遺伝的には予測できない同性愛行動

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、同性愛行動に関するゲノム規模の研究(Ganna et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。この研究は、それまでに同性愛行動をとったことがあるのか、自己報告が得られた約50万人について遺伝的性質を調べました。この研究は、調査への回答を分析して、UK Biobankおよび23andMe, Inc.から得た約47万人のデータを対象にゲノム規模関連解析を実施しました。この研究は、遺伝子多様体において、ある人の性行動を有意に予測または同定するために利用できると考えられるパターンを見つけ出せませんでした。

 この研究は、多くの遺伝子座では個々が及ぼす効果は小さく、同性愛行動への傾向に関して個々人における差に相加的に関与しており、遺伝子に認められたパターンは、性格・行動・身体に関わる多くの形質と一致している、と指摘します。この研究において、同性愛行動と「有意に」関連していた遺伝子多様体はわずか5つのみで、さらに数千以上の多様体も関連するようでしたが、これらの多様体を全て合わせてもその効果はごく小さく、予測能があると言うには程遠い、と強調されています。

 また、これらの多様体の一部は、性ホルモンと嗅覚に関わる生物学的経路と関係しており、同性愛行動に影響を及ぼすメカニズムについて手がかりを与えている、と本論文は注意を喚起しています。この研究の知見は、同性愛行動の生物学的背景に関する洞察を提供していますが、短絡的な結論を控えることの重要性も示しています。その理由は、同性愛行動という行動表現型は複雑で、この遺伝学的洞察は予備的なものであり、遺伝学的研究の結果が社会的な目的で誤用されてきたという長い歴史のためでもある、と本論文は指摘します。


参考文献:
Ganna A. et al.(2019): Large-scale GWAS reveals insights into the genetic architecture of same-sex sexual behavior. Science, 365, 6456, eaat7693.
https://doi.org/10.1126/science.aat7693

ピャスト朝の遺伝的調査

 ポーランドのピャスト朝の遺伝的調査に関して報道されました。この研究では、ピャスト家の人々の遺伝子を調べ、王家の起源や個体間の血縁関係、さらには健康や外見も明らかにしようとしています。当初、ポーランド全土と他地域から、500人の被葬者がピャスト家の構成員の候補とされたそうです。しかし、ほとんどの場合、墓が破壊されていたか、遺骨が後世のものもと完全に混同されていたそうです。数年の調査の後、30人以上の墓がピャスト家のものとして特定されました。この中には、ヴァヴェル大聖堂の保護の観点から、ヴワディスワフ1世やカジミェシュ3世のようにヴァヴェルの丘に埋葬された人物は含まれていませんが、今後は両者の調査も検討されているそうです。

 この研究は、ピャスト朝初代のミェシュコ1世(在位は963~992年)から王朝末期(1370年)までと、マゾフシェ公およびシレジアのピャスト家も調査対象としました。この研究はY染色体のDNA解析を重視しています。ピャスト家の男子ならば、同じY染色体ハプログループ(YHg)を有している、と考えられます。しかし、現時点で30人のY染色体が調査されていますが、YHgが一致せず、その理由について決定的なことは分かりません。ピャスト朝において妻の浮気あったようですが、どこかの段階で起きて後世に伝わったのか、あるいはピャスト家の分家の一つで起きたのか、まだ明らかになっておらず、今後は他の遺骸も調査していく予定とのことです。

 系図と生物学的な父子関係が一致しない場合もあること(ペア外父性)は、多くの人が常識的に知っていると思います。14~20世紀のネーデルラントの調査事例から、人口密度が高く、下流階級ほどペア外父性率が高く、人口密度の高い下流階級では5.9%、人口密度の低い地域の中流~上流階級は0.4~0.5%と推定されています(関連記事)。ピャスト家ともなると、文句なしに上流階級ですが、それでもペア外父性が発生した可能性は低くない、というわけです。もちろん、この事例を単純に日本の皇室に当てはめることはできませんが、皇位継承に関して男系維持派がY染色体を根拠とすること(関連記事)はあまりにも筋の悪い主張だな、と改めて思い知らされました。

3D印刷によるミイラの声の再現

 3D印刷によるミイラの声の再現に関する研究(Howard et al., 2020)が公表されました。個人の声道の寸法が正確に分かれば、その本人独自の音が得られます。声道の寸法を確定できれば、3D印刷により作製された声道と電子喉頭を利用して声帯音を合成できます。これを実現するには、無傷に近い状態の声道の軟組織が必要となります。この研究は、非破壊CTを用いて、3000年前のエジプト人聖職者のネスヤムン(Nesyamun)のミイラ化した遺体の喉頭と咽喉の構造のかなりの部分が、ミイラ化過程の結果、無傷のまま残ったことを確認しました。

 これによりCT画像から声道の形状を測定することができ、この測定結果に基づいて、ネスヤムンの声道が3D印刷によって作製され、音声合成に一般的に用いられる人工喉頭と併用されました。この研究は、英語の単語「bed」と「bad」にそれぞれ含まれる母音の中間に位置づけられる単音を再現できるようにしました。ただ、この音響出力は単音で、連続した音声を合成するための基盤にはなっていません。この研究は、3000年以上にわたって保存されてきた声道を再現するという概念実証が行なわれたことは、現代の一般市民に過去を紹介する方法にとって重要な意味を有しており、古代に生きていた人の声道から出る音を聞く機会が得られるかもしれない、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【工学】3D印刷によって作製された声道を使って古代のミイラの声を再現する

 CTスキャンと3D印刷、電子喉頭を利用することで、3000年前のエジプトのミイラの声道から出る音が合成された。この新知見を紹介する論文が掲載される。これによる音響出力は単音であり、連続した音声を合成するための基盤にならない。

 個人の声道の寸法が正確に分かれば、その本人独自の音が得られる。声道の寸法を確定できれば、3D印刷によって作製された声道と電子喉頭を利用して声帯音を合成できる。これを実現するには、声道の軟組織がかなり無傷の状態にあることが必要だ。

 今回、David Howard、John Schofieldたちの研究チームは、非破壊CTを用いて、3000年前のエジプト人聖職者Nesyamunのミイラ化した遺体の喉頭と咽喉の構造のかなりの部分が、ミイラ化過程の結果、無傷のまま残ったことを確認した。これによって研究チームは、CT画像から声道の形状を測定することができ、この測定結果に基づいて、Nesyamunの声道を3D印刷によって作製し、音声合成に一般的に用いられる人工喉頭と併用した。この研究チームは、英語の単語「bed」と「bad」にそれぞれ含まれる母音の中間に位置付けられる単音を再現できるようになった。

 この研究チームによれば、3000年以上にわたって保存されてきた声道を再現するという概念実証が行われたことは、現代の一般市民に過去を紹介する方法にとって重要な意味を有しており、古代に生きていた人の声道から出る音を聞く機会が得られる可能性がある。



参考文献:
Howard DM. et al.(2020): Synthesis of a Vocal Sound from the 3,000 year old Mummy, Nesyamun ‘True of Voice’. Scientific Reports, 10, 45000.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56316-y

性別が哺乳類の遺伝子発現に及ぼす影響

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、性別が哺乳類の遺伝子発現に及ぼす影響に関する研究(Naqvi et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。哺乳類の雌雄においては、生物学的プロセスおよび表現型にさまざまな差がよく見られます。たとえば、ほとんどの哺乳類の雄は雌よりも大きい、ということなどです。性差は多くの種に共通していると考えられるため、ヒトの性差のある性質および疾患の検討にはよく動物モデルが利用されます。しかし、遺伝子、とくに常染色体遺伝子の発現に対する性別の影響はよく分かっていません。

 この研究は、性別がゲノムにどのように影響するのか検討するため、哺乳類5種を用いて、性差のある遺伝子発現に関するゲノム規模の多組織比較調査を実施しました。この研究は、マカク・マウス・ラット・イヌの雌雄の各起原層および主要な器官系を示す、12種類の組織のRNAシーケンシングデータを収集した。この研究は非ヒトデータを、対応するGenotype Tissue Expression(GTEx)コンソーシアム(人体のすべての主要組織の遺伝子発現を目録にしたもの)のヒトRNA-seqデータと比較しました。

 比較解析から、各組織に保存された性差のある遺伝子発現が数百ほど見られ、それぞれが雌雄の性質の差に寄与する、と明らかになりました。たとえば、ヒトの平均身長にみられる約12%の性差は、遺伝子発現でよく保存されている性差によって説明できます。しかし、この結果から、遺伝子発現におけるほとんどの性差が進化的に最近生じた適応で、すべての哺乳類の種に共通したものではないことも明らかになりました。この知見は、ヒトの健康および疾患における幅広い性特異的な差を説明するうえで役立つと考えられますが、性差に関する非ヒトモデルの利用に慎重な注意が必要なことも示しています。進化的な観点からも注目される研究です。


参考文献:
Naqvi S. et al.(2019): Conservation, acquisition, and functional impact of sex-biased gene expression in mammals. Science, 365, 6450, eaaw7317.
https://doi.org/10.1126/science.aaw7317

大相撲初場所千秋楽

 今場所は大荒れとなりました。まず、両横綱のうち白鵬関は1勝2敗となり4日目から、鶴竜関は1勝3敗となり5日目から途中休場となりました。両大関のうち、角番の豪栄道関は5勝10敗と負け越して大関から陥落し、先場所大関から陥落した高安関は6勝9敗と負け越して、大関には復帰できませんでした。元大関の栃ノ心関も5勝10敗と不振で、まだとても状態が戻っていないようです。上位陣の不振は深刻で、これまでなら上位陣のだらしなさが批判されるところですが、むしろ、34歳の白鵬関と鶴竜関および33歳の豪栄道関を昨年(2019年)末までに引退もしくは大関陥落に追い込めなかった若手がだらしない、と言うべきでしょう。ただ、少子高齢化が進展する中、大相撲のような古臭くて理不尽な慣習が多く残り故障しやすい世界に、身体能力の高い有望な少年がどれだけ入門してくるかと考えると、もちろん白鵬関が相撲史で後々まで語り継がれるだろう偉大な力士だという特殊事情はあるにしても、単に稽古不足などといって若手を精神論で批判しても意味がない、とは思います。

 白鵬関と鶴竜関の休場に関しては、稀勢の里関(荒磯親方)の先例の悪影響と言うべきでしょう。力士、とくに関取ともなると、どこか状態が悪いのは普通で、休場理由を探すのは容易ですから、むしろほとんどの関取は無理をして出場している、とも言えるでしょう。正直なところ、白鵬関も鶴竜関も無理をすれば出場でき、白鵬関は何とか勝ち越すくらいはできたと思いますが、優勝が難しそうとなったので、あっさりと休場したのだと思います。

 稀勢の里関は2019年初場所に引退しましたが、横綱昇進後初めて迎えた2017年春場所で優勝して以降、2018年九州場所までの10場所で勝ち越したのは2018年秋場所だけで(10勝)、途中休場が5場所、全休が4場所と横綱としては惨憺たる成績でした。こんな惨状でも横綱審議委員会からは引退勧告がなく、悪例を残しただけとなりました。白鵬関と鶴竜関の両横綱にも、少々休場しても構わないだろう、と開き直っているところが窺えます。じっさい、相撲協会は稀勢の里関にこれだけ甘い態度を示した以上、白鵬関と鶴竜関に関してはある程度の休場を認めねばならない、と思います。少なくとも、今場所の白鵬関と鶴竜関の休場に関して、横綱審議委員会が厳しく勧告するようなことはあってはならない、と思います。

 両横綱が休場し、来場所は大関が1人となり、40年近く存在しなかった横綱大関が復活することになりそうで、危機的状況とも言えます。ただ、炎鵬関など個性的な力士もおり、相撲人気自体はとくに低下していないようです。とはいえ、横綱大関陣の不振はやはり大問題なので、若手の台頭に期待するしかありません。炎鵬関は西前頭5枚目で8勝7敗と勝ち越し、二桁の黒星も充分あり得る、と予想していたので、これは意外でした。現在の相撲人気に大きく貢献している炎鵬関が重傷を負わないよう、願うばかりです。

 序盤の時点で大波乱も予感させた優勝争いは、じっさい、幕尻(西前頭17枚目)の徳勝龍関と西前頭4枚目の正代関が1敗で引っ張り、14日目に直接対決するという、予想外の展開となりました。正代関の方は、まだ28歳ですし、最高位は関脇なので、上位陣が不調の今場所で大きく勝ち越しても不思議ではないかもしれません。しかし、三役で勝ち越したことはなく、もう3年近くずっと平幕なので、私もすっかり「過去の期待力士」と認識しており、この活躍には驚きました。

 それ以上に驚いたのは徳勝龍関の快進撃で、いかに幕尻で対戦相手に恵まれているとはいえ、すでに33歳で過去2年はほぼ十両にいただけに、今場所前にこの活躍を予想できた人は皆無だろう、とさえ思います。旭天鵬関が37歳で優勝した時にも驚きましたが、その時点で10年以上ほぼ幕内におり、最高位が関脇で小結での二桁勝利もあり、優勝の2場所前には西前頭6枚目で勝ち越している実力者だけに、最高位が西前頭4枚目の徳勝龍関と比較すると、納得できるところはあります。徳勝龍関と正代関の直接対決は、徳勝龍関が今場所面白いように決まっている突き落としで勝ち、単独首位で千秋楽を迎えました。

 千秋楽は、まず正代関が御嶽海関と対戦し、押し出して勝って2敗を守り、優勝決定戦への望みをつなぎました。御嶽海関の状態が悪いとはいえ、重圧のかかる一番で素晴らしい内容でした。徳勝龍関は幕尻ながら結びの一番で貴景勝関と対戦し、得意の左四つに組み止め、上手を引いて寄り切って勝ち、14勝1敗で初優勝を決めました。正直なところ、貴景勝関が実力差を見せつけて圧勝し、優勝決定戦では地力の差から正代関が有利と予想していただけに、徳勝龍関が真っ向勝負で貴景勝関に勝ったのには驚きました。幕尻での優勝ではありますが、千秋楽まで優勝を争った正代関に直接対決で勝ち、千秋楽で大関を真っ向勝負で破っていますから、価値があると思います。

 上位陣が崩壊状況にあるなか、大関の貴景勝関は終盤までただ一人優勝争いに絡みましたが、14日目に朝乃山関に敗れて優勝争いから脱落しました。現時点では、貴景勝関が次の横綱に最も近いでしょうが、突き押し相撲だけに、横綱に昇進できるのか、昇進できたとして、横綱に相応しい安定した成績を残せるのか、懸念は残ります。貴景勝関は研究熱心でまだ若いので、今後の成長に期待したいところではありますが。

 朝乃山関は、勝ち越したものの、10勝5敗に終わりました。今場所13勝以上での優勝なら大関昇進もあったかもしれませんし、来場所後の大関昇進を目指すなら、11勝以上はしておきたかったところです。多くの人が次の大関の最有力候補と認め、横綱昇進まで期待する人も少なくないと思われる朝乃山関ですが、まだ大関に昇進するには物足りないところがあるのは否定できません。状態が悪かったとはいえ、御嶽海関が7勝8敗と負け越すなど、他の大関候補が伸び悩んでいるので、朝乃山関の今後の成長に期待したいところではありますが。

 十両では、照ノ富士関が全勝を逃したとはいえ、13勝2敗で優勝したのは見事でした。ただ、復活とはいっても、まだ全盛期の力に遠く及ばないことは明らかで、今後も、全盛期の力を取り戻せるとは思えません。本来ならば、照ノ富士関は今頃横綱として君臨し、白鵬関と鶴竜関の少なくとも一方は引退に追い込んでいなければならなかったのですが、何とも残念です。十両に陥落した逸ノ城関は、6勝9敗と負け越してしまいました。まだ状態が戻っていないのでしょうが、本来なら今頃は照ノ富士関とともに横綱として君臨していたはずの逸材だけに、優勝争いに加われないばかりか負け越してしまうとは、本当に残念です。

一夫一妻制の起源

 有名な男優が起こした不倫事件とそれへの反応に伴い、Twitter上でも一夫一妻(一夫一婦、単雄単雌)についてそれなりに盛り上がったように見えます。「経験的に本能に反する一夫一妻制」との発言もある一方で、「人類は一夫一婦制に向いていないのか」との記事を引用して、そうした見解を否定する発言もあります。現生人類(Homo sapiens)では一夫多妻を容認している社会が歴史的に多かったと言えるでしょうが(他に多夫一妻などもありますが)、前近代の日本社会もそうだったように、一夫多妻を容認するような社会でも一夫多妻は一部にのみ見られるものであり、多くの人々は一夫一妻を維持してきました。

 この一夫一妻(単雄単雌)の起源をめぐって、上述のように一般層の認識は分かれていると言えそうですが、学界でもそれは変わらないようで、複数の仮説が提示されており、まだ決着していません(関連記事)。「人類は一夫一婦制に向いていないのか」との記事では、人類を定義する最重要の特徴とも言える常習的な直立二足歩行の定着を、配偶形態における単雄単雌の定着による雄から配偶者である雌への食料運搬で説明しています。この仮説では、人類系統における配偶形態の単雄単雌の起源は、直立二足歩行と同じくらいひじょうに古いことになります。

 化石種の配偶形態については、形態の性差(性的二形)が強く関わっている、とされます。性的二形が強いと単雄複雌、弱いというか性差がほぼないようだと単雄単雌というわけです。現代人は、単雄単雌のテナガザルほどではないとしても、ゴリラ属やチンパンジー属など他の近縁系統よりも性的二形は弱くなっています。ただ、初期人類進化史において化石記録は断片的なので、性的二形の程度については議論が分かれています。440万年前頃のアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)では雌雄の体格差が小さかったと推測されており(関連記事)、現代人の祖先である可能性の高いアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)についても、性差は現代人並だった、との見解もあります(関連記事)。

 ただ、440万年前頃のラミダスが現代人系統なのか、かなり疑問ですし(関連記事)、アファレンシスについても、性的二形は現代人よりずっと強かった、との見解の方が有力と言えるでしょう。ホモ・エレクトス(Homo erectus)の性的二形はアファレンシスと現代人の中間程度との見解が妥当だとすると(関連記事)、人類史における配偶形態の単雄単雌(一夫一妻)はホモ属以降とも考えられます。ただ、社会構造と性差との関連はそれほど明確ではない、との指摘もあります(関連記事)。その意味で、アファレンシスの時点で配偶形態はある単雄単雌にかなり傾いていた可能性もあるとは思います。

 人類の配偶形態の変遷については、その社会構造の変化の中で考察しなければならず、現時点で私には詳細かつ的確に論じるだけの準備はとてもありません。この問題に関しては、化石記録からの推測に限界がある以上、人類も含まれる類人猿(ヒト上科)社会の在り様も参考にしなければならないでしょう。現生類人猿社会から強く示唆されるのは、類人猿社会の重要な共通する特徴は非母系である、ということです。そこから、テナガザル属のような単雄単雌も、ゴリラ属のような単雄複雌も、チンパンジー属のような複雄複雌も進化してきたのではないか、と思います。

 では、人類社会はどうなのかというと、少なくとも現生人類に関しては、他の現生類人猿と比較して重要な特徴は、一つには、ゴリラ属のような家族的単位とチンパンジー属のようなやや大きな規模の集団とを両立させ、後者の中に前者が組み込まれている、ということだと思います。もう一つは、出自集団を離れて他の集団に合流しても、出自集団との関係を維持し続ける、ということです。つまり現代人の社会は基本的に、無系でも父系でも母系でもなく双系的というわけです(関連記事)。もちろん、個々の社会が父系もしくは母系に傾いていることは珍しくなく、その程度も多様です。

 このような現生人類社会の特徴がどのように形成されてきて、それが配偶形態と関わっているのか、私の現在の知見ではとても的確に推測できません。まず、ゴリラ属で時として見られるように、父系的な集団が形成され、その中で単雄単雌や単雄複雌の排他的な配偶関係が成立したのでしょう。その後、雌の出自集団とのつながりの維持と、配偶形態の単雄単雌傾向が定着していき、これは、脳容量の増加と直立二足歩行への特化により、出産がさらに困難になったことと関連しているのではないか、と考えています。その意味で、単雄複雌の排他的な配偶関係傾向の確立はホモ属以降ではないか、と考えているのですが、出自集団とのつながりが維持されるようになった時期も含めて、現時点では妄想にすぎないので、この問題は今後も調べていきます。

大河ドラマ『麒麟がくる』第2回「道三の罠」

 1547年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)秋、尾張の織田信秀が美濃へと進行してくるなか、明智光秀(十兵衛)は都の医師である望月東庵とその助手の駒を連れて美濃に戻ります。兵数では織田勢の方が圧倒的に優勢ですが、斎藤利政(道三)は信秀に人望がないと見抜いており、勝つための策を立てていました。利政は早々に籠城を選択し、家臣の稲葉良通だけではなく、嫡男の高政(義龍)も利政に対して不満を抱いています。しかし、利政は織田軍の油断を突いて出撃し、織田軍を敗走させます。この織田軍の美濃侵攻は、美濃守護である土岐頼純が陰で画策した結果でした。利政は、自分の言いなりにはならない、と言い放った頼純を毒殺します。

 今回は信秀と利政の戦いが描かれましたが、予想以上に長く、大規模な撮影になっていたように思います。これでは後半の予算が不足するのではないか、と部外者ながら心配になってしまいますが、初の4K製作の戦国時代大河ドラマということで、予算はこれまでの大河ドラマよりも潤沢なのでしょうか。信秀の人物像はまださほど描かれていませんが、利政(道三)に関してはすっかりキャラが確立した感じで、この人物造形は成功のように思います。利政(道三)が息子との戦いで敗死する姿を想像できないくらいですが、利政(道三)と高政(義龍)の親子関係が今後どう変わってくるのか、ということも序盤の見所となりそうです。今回も帰蝶の出番があり、作中では初めて光秀と対面しましたが、おそらくこれでも当初の予定より出番は減っているのでしょう。帰蝶の出番は全て撮り直しなのかと思うと、沢尻エリカ氏は本当に大迷惑をかけてしまったのだな、と改めて思い知らされます。なお、帰蝶は美濃守護である土岐頼純の妻という設定になっています。

カメルーンの古代人のDNA解析(追記有)

 カメルーンの古代人のDNA解析に関する研究(Lipson et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。カメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域に位置するシュムラカ(Shum Laka)岩陰は、アフリカ中央部西方の後期更新世および完新世の先史時代の研究にとって最重要の遺跡です。シュムラカ遺跡における最古の人類の痕跡は暦年代で3万年前頃ですが、とくに興味深いのは、8000年前頃の後期石器時代末と2500年前頃の鉄器時代の始まりの間の人工物と人類遺骸です。この移行期は「石器時代から金属時代」と呼ばれることもあり、土器だけではなく新たな石器もじょじょに出現しました。

 石器時代から金属時代への移行期のシュムラカ岩陰遺跡の人類集団の生計戦略の証拠はおもに採集を示しますが、アベルの木(Canarium schweinfurthii)の果実の利用の増加は物質文化の発展と一致しており、後の農耕の開始にもつながりました。シュムラカ遺跡におけるこうした文化的変化とその早期の出現はとくに関心を抱かれてきましたが、それは、完新世においてカメルーンとナイジェリアの間の現在の境界一帯がおそらくはバンツー語族の発祥地で、バンツー語族集団は3000~1500年前頃にアフリカの南半分の大半に拡散し、現在のバンツー語族の広大な範囲と多様性を生じたからです。

 シュムラカ遺跡では合計18人の遺骸が発見されており、埋葬段階は年代的に2区分されています。6人の錐体骨からDNA抽出が試みられ、石器時代から金属時代への移行期の8000年前頃となる前期2人と、3000年前頃となる後期2人の計4人から遺伝的データが得られました。前期の2人は、3~5歳の「2/SE I」と12~18歳の「2/SE II」です。後期の2人は、6~10歳の「4/A」と3~5歳の「5/B」です。最終的な網羅率は0.7~7.7倍です。

 シュムラカ遺跡の石器時代~金属器時代移行期の4人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はいずれも、サハラ砂漠以南のアフリカ現代人に見られるものです。なお、5/Bのみが女性で他の3人は男性です。前期2人のmtHgはいずれもL0a (L0a2a1)で、L0aはアフリカで広く見られます。後期2人のmtHgはいずれもL1c (L1c2a1b)で、L1cはアフリカ中央部および西部の農耕民と狩猟採集民の両方で見られます。

 YHgでは、前期の2/SE IがB、後期の4/A がB2bで、YHg-Bは現在ではアフリカ中央部の狩猟採集民でよく見られます。2/SE IIのYHgは、ほとんどカメルーン西部でしか見られないA00です。A00は現代人のYHgでは最初に分岐した系統で、その分岐年代は338000年前(関連記事)とも275000年前(関連記事)とも推定されています。2/SE IIはYHg- A00でも、現代人の系統とは37000~25000年前に分岐した系統と推定されています。近親関係では、2/SE Iと2/SE IIは4親等程度、4/Aと5/Bはオジとメイ(オバとオイ)もしくは半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ関係)程度の関係と推定され、シュムラカ岩陰遺跡が大家族の墓地として使用された、という考古学的解釈が遺伝学的にも支持されます。また、この4人には近い祖先での近親交配の可能性も指摘されています。

 主成分分析では、シュムラカ遺跡の4人はカメルーンと中央アフリカ共和国の狩猟採集民と最も類似しています。しかし、シュムラカ集団を単純にアフリカ中央部西方の狩猟採集民系統と位置づけることはできません。本論文は、現生人類(Homo sapiens)の進化の中でシュムラカ集団を位置づけ、現生人類系統においては4系統が最初期に短期間で分岐していった、と推測しています。それは、アフリカ中央部狩猟採集民系統、アフリカ南部狩猟採集民系統、その他の現生人類系統、「ゴースト」系統です。このゴースト系統は、アフリカ西部集団とエチオピア高地のモタ(Mota)洞窟で発見された4500年前頃の男性(関連記事)にわずかに遺伝的影響を残している、と推定されています。アフリカ中央部狩猟採集民系統は、西部系統と、エチオピアのムブティ(Mbuti)に代表される東部系統とに分岐し、シュムラカ集団は西部系統に位置づけられます。この最初の分岐については、現代人の最も深い分岐が20万年以上前と推定されていること(関連記事)からも、25万~20万年前頃には起きていた、と本論文は推測します。

 現生人類における4系統への最初の主要な分岐の後、アフリカ中央部狩猟採集民系統とアフリカ南部狩猟採集民系統以外の現生人類系統において、2回目の主要な分岐が起きます。それは、アフリカ西部系統、アフリカ東部の狩猟採集民系統(モタ個体に代表されます)および農耕牧畜民系統、出アフリカ系統です。本論文は、この2回目の分岐は8万~6万年前頃に起きたと推定し、mtHg-L3の多様化やYHg- CTの起源とも一致する、と指摘します。出アフリカ系統はモタ系統と最も近いものの、深い分岐のゴースト系統の遺伝的影響は受けていない、と推測されています。アフリカ西部系統では、まず基底部アフリカ西部系統が分岐し、その後でバンツー語族関連系統およびカメルーンのレマンデ(Lemande)系統とメンデ(Mende)およびヨルバ(Yoruba)系統が分岐します。

 もちろん、これらの系統は相互に影響しており、現生人類や古代型ホモ属のゴースト系統から影響を受けた系統もあり、たとえばアフリカ西部系統は両者から、モタ個体は現生人類のゴースト系統から影響を受けています。シュムラカ集団は基底部アフリカ西部系統から強い遺伝的影響を受けた、と推定されています。シュムラカ集団内では、移行期後期の個体は前期の個体と比較して、ややアフリカ中央部狩猟採集民系統の影響が高い、と推定されています。以下、これらの分岐および交雑と、推定移動経路を示した本論文の図4を掲載します。
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 シュムラカ遺跡の4人は、アフリカ中央部狩猟採集民系統約35%と基底部アフリカ西部系統約65%との混合、もしくは狩猟採集民系統と、アフリカ西部系統内の1系統およびアフリカ西部系統および東部系統で分岐した系統の2系統が追加で混合した、とモデル化できます。シュムラカ系統は、8000年以上前となる後期石器時代にカメルーン西部に居住していた集団の子孫で、その後に、北方から到来したと考えられる系統と混合した、と本論文は推測します。シュムラカ遺跡の4人の年代は、石器時代から金属器時代の移行期となるので、北方からの遺伝的影響はこの文化的移行とも関連しているかもしれません。こうした文化的移行は、石器技術の変化や土器の出現などを含みます。また、この北方からの遺伝的影響については、現在のサハラ砂漠とサヘル砂漠で一時的に植生が豊かだった時期と対応しているだろう、と本論文は推測しています。本論文は、アフリカ西部北方とサヘルの現代人集団は、後の移住による混合の影響を受けているため、シュムラカ集団の遺伝的起源を正確に特定するには、さらなる古代DNA研究が必要になる、と指摘します。

 本論文が取り上げたシュムラカ遺跡の4人は、石器時代から金属器時代への移行期の初期と末期に限定されていますが、約5000年の遺伝的類似性は、遺伝的にも、死者の埋葬法といった文化的にも、長期にわたる集団の継続性を示唆します。しかし、ほとんどのカメルーンの現代人集団は、シュムラカ遺跡の4人よりも他のアフリカ西部系統の方と遺伝的に近縁です。カメルーンの現代の狩猟採集民もまた、遺伝的には基底部アフリカ西部系統が欠如しており、シュムラカ遺跡集団は少なくとも主要な祖先ではなさそうです。ただ、アレル(対立遺伝子)の共有水準から、遺伝的には完全に不連続とは限らない、とも指摘されています。じっさい、シュムラカ遺跡の2/SE IIのYHgは現代のカメルーン西部でほぼ排他的に見られるA00で、かつてはYHg- A00がもっと多様だったことを示唆します。YHg-A00は他のYHgと30万~20万年前頃に分岐したと推定され、YHg-A00と、アフリカ中央部狩猟採集民と関連するシュムラカ系統、もしくはアフリカ西部系統の深い分岐との関連を示唆します。

 言語学および遺伝学からは、カメルーン西部がバンツー語族集団の発祥地である可能性が最も高い、と考えられています。ただ、中期完新世の考古学的記録は乏しく、シュムラカはこの過程の初期段階を示す重要な遺跡として注目されてきました。しかし、シュムラカ遺跡の移行期のゲノム解析からは、バンツー語族がすでに広範に拡大していたと考えられる3000年前頃でさえ、バンツー語族を含む現在のニジェール・コンゴ語族集団とは大きく異なる、と推測されます。これは、シュムラカ集団が現在のバンツー語族集団の主要な祖先ではなかったことを示唆します。ただ本論文は、これらの結果により、バンツー語族集団の発祥地がカメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域であるという有力説が、否定されるわけでも支持されるわけでもなく、グラスフィールド地域には複数のひじょうに分化した集団が存在し、言語の多様性は高かったかもしれないし、低かったかもしれない、と指摘します。また本論文は、シュムラカ遺跡が異なる遺伝的系統や文化・言語の複数集団により連続的に、もしくは同時に使用されていたかもしれず、その証拠は現在の考古学的記録からは見えないかもしれない、とも指摘します。

 本論文で注目されるのは、アフリカ西部系統における未知の(ゴースト)ホモ属系統との交雑を検出していることです。西部系統も含めて現代のサハラ砂漠以南のアフリカ集団における未知のホモ属との交雑の可能性は、以前から指摘されていました(関連記事)。本論文はその候補として、アフリカ北西部の30万年前頃の現生人類的なホモ属化石(関連記事)や、ナイジェリア南西部の12000年前頃の古代型ホモ属の特徴を有する個体を挙げています。本論文は、遺伝学的研究の進展により、現代人の形成過程のさらなる複雑さが明らかになるかもしれない、と今後を展望しています。本論文のこの見通しはまず間違いなく正しいだろう、と私も考えています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化学】古代のヒトDNAとアフリカのヒト集団史

 中央アフリカ西部で見つかった古代のヒトDNAの解析が行われて、アフリカのヒト集団史の諸論点(例えば、バンツー語話者の起源)を解明するための手掛かりが得られた。この新知見を報告する論文が、今週掲載される。

 アフリカ大陸のカメルーン西部に位置するシュム=ラカ遺跡は、中央アフリカ西部の先史時代(後期更新世と完新世)を研究するうえで重要な考古学的遺跡で、バンツー語の発祥地と考えられている草原にある。今回、David Reich、Mark Lipsonたちの研究チームは、この遺跡に埋葬されていた4人の子ども(2人が約8000年前、2人が3000年前と年代測定された)の古代DNAを解析し、4人全員の祖先の特徴が、中央アフリカ西部の現代の狩猟採集民の祖先の特徴に最も類似していることを見いだした。この知見は、カメルーン西部の住民とアフリカ大陸全土のバンツー語話者が、これら4人の子どもやその所属集団の子孫ではないことを暗示している。

 また、4人の子どものゲノムにも混合の痕跡が見られ、その祖先が別の集団に属する者と交雑したことが暗示されている。さらに、3回の顕著な放散が認められ、そのうちの1回は約30万~20万年前に起こり、その結果、現代の集団に寄与する少なくとも4つの主要分枝が生じた。



参考文献:
Lipson M. et al.(2020): Ancient West African foragers in the context of African population history. Nature, 577, 7792, 665–670.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-1929-1


追記(2020年1月25日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。



追記(2020年1月30日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



進化学:アフリカのヒト集団史的な背景におけるアフリカ西部の古代狩猟採集民

進化学:シュム・ラカ遺跡の古代ヒトゲノム

 D ReichとM Prendergastたちは今回、カメルーン西部のシュム・ラカ(Shum Laka)遺跡から出土した、約8000年前と約3000年前に埋葬された計4人の子どもの古代ゲノムデータについて報告している。この遺跡は、中部アフリカの西部における後期更新世から完新世の先史研究において重要である。得られた4人の祖先プロファイルは、現在の中部アフリカ西部の狩猟採集民のものに最も近いことから、4人が属する集団が現在のバントゥー諸語話者の祖先ではないことが示唆された。著者たちはアフリカのヒト集団史に関して、系統発生モデルから、祖先の広範な混血事象およびアフリカ内での重要な3回の放散事象などの手掛かりを得ている。

山内昌之、細谷雄一編『日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年8月に刊行されました。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。



序章●山内昌之「令和から見た日本近現代史 ヘロドトスの「悪意」から劉知幾の「公平」へ」P3~29
 近現代日本の起点として、徳川家康による江戸幕府開設が「日本1.0」として高く評価されています。「日本2.0」は明治維新、「日本3.0」は第二次世界大戦後というわけで、現代日本社会の通俗的な歴史観と通ずるところも多分にあるように思います。本論考では歴史認識と相互理解の難しさが説かれており、日本では中国や南北朝鮮が強く意識されるでしょうが、本論考の指摘するようにこうした関係はアジア東部に限定されているわけではありません。


第1章●瀧井一博「立憲革命としての明治維新」P31~48
 19世紀において立憲制度と不可分だった議会制度は、明治時代当初よりその採用が自明視されていたものの、その歩みは平坦ではなかった、本論考は指摘します。当初の立憲構想として、木戸孝允は君主による「独裁」を主張しますが、それは国民の信任に立脚したものという前提がありました。一方、大久保利通も立憲には賛成ですが、「君民共治」を主張しています。本論考は、両者ともに民の開花を促すという点では共通しており、その実現過程についても構想に大きな隔たりはなかった、と指摘します。本論考は明治維新を立憲革命と把握し、立憲体制確立の要因として、指導者たちの長期的視野、独自の歴史を踏まえた憲法制定が基本方針とされたこと、伊藤博文による憲法の相対化を挙げています。


第2章●岡本隆司「日清戦争と東アジア」P49~66
 本論考は、おもに朝鮮半島から遼東半島が戦場となった日清戦争について、朝鮮半島をめぐる争いの鍵は興隆にしても衰退にしても、日本列島の変動だった、とまず指摘します。その上で本論考は、日清戦争が東アジア史と世界史の分水嶺だった、と指摘します。帝国主義もしくは世界の構造化が東アジアにまで及んだのは日清戦争だった、というわけです。本論考は、中国の近代化が本格化するのはアヘン戦争ではなく、その半世紀後の日清戦争だった、と主張します。さらに本論考は、東アジア諸国の相互理解として、前近代の歴史の重要性を指摘しています。


第3章●細谷雄一「日露戦争と近代国際社会」P67~90
 本論考は日露戦争の世界史的意義を検証しています。日露戦争は第一に、海洋国家のイギリスと大陸国家のロシアとの地球規模での対立と密接に関わっていました。日露戦争の結果、ロシア海軍はもはやイギリスにとって脅威とはならず、イギリスとロシアとの接近を可能としました。これが、第一次世界大戦の前提の一つを形成します。また、「白人種」のロシアが「有色人種」の日本に負けたことは、「白人」による国際秩序を動揺させることになりました。また、日露戦争の総力戦の萌芽としての性格も指摘されています。


第4章●奈良岡聰智「第一次世界大戦と日中対立の原点」P91~107
 本論考は、日清戦争以降も対立一辺倒ではなかった日中関係において対立の側面が急速に強くなった契機は、1915年の対華二十一ヵ条要求だった、と指摘します。日本がこうした強圧的な要求を突如提示した背景として、本論考は満洲問題を挙げています。日露戦争で勝ったものの、賠償金を得られなかった日本は、併合した朝鮮半島の安全保障の観点からも、満洲権益に固執するようになります。しかし、日本が獲得した中国大陸の権益は不安定で、日本の支配層の中では危機感が高まっていました。日本は、第一次世界大戦の勃発に乗じて山東省のドイツ権益を奪い、その返還と引き換えに中国に譲歩を迫ろうとしました。また、対華二十一ヵ条要求の背景として、日本国内の世論の盛り上がりがあり、政府はこれを抑えられませんでした。対華二十一ヵ条要求は、中国だけではなく西洋列強の不信も招来し、日本外交を制約することになりました。


第5章●川島真「近代日中関係の変容期 1910年代から1930年代」P109~137
 本論考は日清戦争や義和団事件にも言及しつつ、1910年代から1930年代の日中関係を概観しています。本論考は日中関係の理解において、中国をめぐる列強関係と、日中二国間関係を区別する必要がある、と指摘します。いわゆる幣原外交のように、列強間では協調していても、日中二国間関係は改善されていたとは言えない状況もあった、というわけです。なお、近年中国政府は、日中戦争の起点を盧溝橋事件から満州事変へと変え、これには国共合作を強調しなくなったことと関連しているようです。ただ本論考は、塘沽停戦協定から盧溝橋事件までの1933~1937年までの期間を「戦争」とするのにはかなり無理がある、と指摘しています。じっさい、1936年末の西安事件後も中国が日本と戦争を始めたわけではなく、盧溝橋事件直後も、日中双方とも開戦を意識していませんでした。


第6章●小林道彦「政党内閣と満洲事変」P139~160
 満州事変で関東軍は最終的に満洲全域を占領するのですが、それは関東軍の「電撃的軍事行動」ではなく、政党内閣と関東軍との政治闘争の紆余曲折を経ての結果だった、と本論考は指摘します。その背景として、当時の関東軍の規模は小さく、基本的には権益防衛のための軍隊で、鉄道とその沿線でしか戦えなかった、という事情がありました。そのため、一時は政党内閣側が優位に立ち、石原莞爾も満洲の「独立」は無理だと諦めかけたのですが、幣原外相の統帥権干犯問題により、強硬派が主導権を掌握するに至ります。


第7章●小谷賢「戦間期の軍縮会議と危機の外交 第二次世界大戦への道(1)」P161~180
 本論考はおもに戦間期のヨーロッパ情勢を取り上げています。この間、ワシントン海軍軍縮条約のように、軍縮が機能したこともありましたが、世界恐慌を契機として、各国は軍縮よりも利権確保・拡大に向かい、軍縮体制は崩壊していきます。本論考はその転機を1933~1934年頃としています。ヨーロッパにおいては、ドイツでヒトラー政権が成立して以降、ドイツの拡大政策が明らかになってきましたが、これに対してイギリスとフランスが宥和的だったため、第二次世界大戦に至った、との見解が有力です。ただ本論考は、当時イギリスもフランスも世論は避戦傾向が強く、ドイツとの宥和は強く支持された、とも指摘しています。


第8章●森山優「「南進」と対米開戦 第二次世界大戦への道(2)」P181~201
 太平洋戦争へと至る日本の選択が検証されています。1940年のヨーロッパにおけるドイツの快進撃に幻惑されたドイツとの同盟締結、アメリカ合衆国の反応を読み誤った南部仏印進駐、独ソ戦の始まりによる北進論の盛り上がり、アメリカ合衆国の軍備の強大化を予想できていながら、開戦を選択したことなど、当時の日本の選択は後世から見ると愚かなのですが、当時としては、国内諸勢力の利害と主張を調停する強い権力・政治的枠組みが存在しなかったことや、石油禁輸による数年後の石油枯渇が現実化するなか、戦えるうちに戦おうと判断したことなど、「狂気」に取りつかれての選択ではなく、同じ状況では誰もが陥りかねない判断だった、と了解されます。


第9章●楠綾子「米国の日本占領政策とその転換」P203~219
 本論考は、日本の占領期の改革について、戦中からの方向性が進展したという側面もあるとしても、戦後日本の在り様を形成した諸改革を可能としたのは、実質的にはアメリカ合衆国単独の占領だった、と評価しています。また本論考は、1947~1948年を転機とする占領期の「逆コース」について、非軍事化・民主化から経済復興への移行は当初からの予定にあり、アメリカ合衆国にとっても、負担軽減から日本の経済復興が期待された、と指摘しています。ただ本論考は、これがアジアとヨーロッパにおける冷戦の深刻化と重なったことも指摘しています。本論考は、占領期の改革がその後の日本の在り様を規定するに至った理由として、自由で民主的な改革の受益者が多かったからだろう、と推測しています。


第10章●日暮吉延「東京裁判における法と政治」P221~236
 東京裁判において、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は事後法の疑いが濃厚なので、判事たちの間でも一致した意見はなかったそうです。それと関連して、東京裁判での死刑判決の根拠については、残虐行為(戦争法規慣例違反)に求めるべきだ、との判断がイギリスとアメリカ合衆国にはあったようです。つまり、東京裁判の死刑判決の根拠は「重大な残虐行為(B級犯罪)」に求められ、「平和に対する罪(A級犯罪)」だけでは終身刑に留まった、というわけです。海軍で死刑判決を受けた者がいなかったのも、残虐行為について証拠不十分とされたからでした。


第11章●木村幹「日本植民地支配と歴史認識問題」P237~254
 本論考は、日本の植民地支配が例外的だったとする見解について、肯定的にせよ否定的にせよ間違いが含まれている、と指摘します。肯定的立場の間違いとしては、宗主国財政の植民地に対する赤字転落とその結果としての植民地の経済発展は、日本にだけ見られた特殊なものではなく普遍的だった、と指摘されています。一方、否定的立場の間違いとしては、日本の植民地支配に伴う犠牲者が他の植民地よりも多かったと単純化できず、戦争時の植民地からの動員も、同化政策も、他の植民地でも見られる、と本論考は指摘します。たとえば、創氏改名と似たような政策は、フランスでも早い時期から行なわれていました。なお、日本風の名前に改めることは強制されなかったので創氏改名は問題ない、との認識もそれなりに浸透しているようですが、問題なのは、日本と異なる社会構造の朝鮮半島に、イエ社会を基盤とする日本の社会制度を強制したことだと思います。本論考は、そもそも植民地支配は多様であり、日本の植民地を肯定する議論においては、それが抜け落ちている、と指摘します。本論考は、多様な植民地に共通するのは、法律が宗主国とは異なっていることであり、その意味で朝鮮半島と台湾が日本の植民地だったことは明確だ、と指摘します。また本論考は、日本の植民地も、台湾・南樺太・関東州・朝鮮半島・南洋群島で成立の経緯も統治の実態も多様で、時間的にも違いがあり、日本の植民地支配の問題点の多くが、敗戦前の5年ほどに集中している、と指摘します。


第12章●井上正也「戦後日中関係」P255~272
 戦後の日中関係が概観されています。1972年までの日中関係を規定したのは、冷戦構造でした。アメリカ合衆国は日本と中華人民共和国の接近を妨げました。しかし、中ソ対立に伴い、アメリカ合衆国と中華人民共和国が接近すると、日中関係も進展し、「国交正常化」、さらには日中平和友好条約へと至り、1980年代には日中関係は良好な状態で安定し、日本国内における対中感情も好意的でした。しかし、冷戦崩壊後は、歴史認識問題の激化もあり、日中関係は対立的側面が強くなっていきます。本論考はこのように戦後日中関係を概観しますが、冷戦後の日中関係の悪化は、中国の高度経済成長により経済面で日中の競合が強くなった、という経済的側面や、それと関連して、日本の相対的な衰退に伴う日中の国力差の縮小・さらには逆転による、中国の海洋侵出の強化などが要因として考えられますが、その根本的原因は、冷戦構造の崩壊というかソ連の消滅だと思います。「魂の悪い」日本人が増えたことによる日本社会の「右傾化」ではなく、ソ連という日中共通の巨大な敵が崩壊したというか没落したことこそ、日中関係悪化の根源だと私は考えています。


第13章●中西寛「ポスト平成に向けた歴史観の問題 戦後から明治へ、さらにその先へ」P273~295
 本論考は、体制選択問題が落ち着いた1960年代に形成された戦後意識が、現在まで大きく変わらなかった、と指摘します。これは、敗戦以前の日本の近代化に関する歴史意識とも深く結びついていた、というのが本論考の見通しです。1960年代前半には、近代日本が海洋国家として発展する可能性を秘めながら、軍事力を基軸とする大陸国家になったことが失敗と把握されました。1960年代後半には、近代日本の成功を前提とし、明治時代と現在との連続性を維持しつつ、再度の失敗をいかに回避するか、というように問題意識が微妙に変化しました。こうした歴史認識は「司馬史観」に代表されます。本論考は、前近代も視野に入れつつ、近代日本の「成功」体験に安住しない、新たな歴史観の構築を提案しています。

真核生物の起源

 真核生物の起源に関する研究(Imachi et al., 2020)が公表されました。真核生物の起源は未解明ですが、近年の研究は、「アスガルド類」と呼ばれる系統のアーキア(古細菌)から真核生物が進化した可能性を示唆しています。アスガルド類古細菌のゲノムには真核生物様の特徴が報告されていますが、培養株および関連する生理学的知見が得られていないため、古細菌から真核生物への進化の道筋は未解明です。

 この研究は、ロキアーキオータ門に属するアスガルド類アーキアを10年以上かけて深海堆積物から分離した、と報告しています。「Candidatus Prometheoarchaeum syntrophicum」と名付けたこの古細菌のMK-D1株は、増殖速度が14~25日ときょくたんに遅い嫌気性の極小球菌(直径約550 nm)で、栄養共生によってアミノ酸を分解します。真核生物の細胞は、核膜に覆われた核など、膜で区画化された細胞小器官を特徴としています。アスガルド類古細菌には真核生物様の細胞小器官が存在すると示唆されていましたが、この分離株の細胞内部には小器官様の構造体は認められませんでした。

 その代わり、この古細菌の細胞形態は複雑で、長くて分岐がある独特の突起を有する、と明らかになりました。これらの突起により通り掛かった細菌が捕らえられ、次にそうした細菌が内部に取り込まれ、その後ミトコンドリアなどの膜に閉じ込められた小器官へと進化し、複雑な生命体への準備が整えられた可能性がある、というわけです。培養およびゲノム解析から得られたデータ、ならびに既存の文献の合理的な解釈に基づき、この研究は真核生物の誕生について、仮説モデル「entangle–engulf–endogenize(巻き込み–飲み込み–内部で発達)モデル(別名E3モデル)」を提案しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


微生物学:原核生物と真核生物の境界に位置するアーキアの分離

Cover Story:細胞のつながり:初めて培養されたアスガルド類アーキアから得られた真核生物の進化の手掛かり

 植物から動物まで、複雑な生命体は全て真核生物である。真核生物の細胞は、核膜に覆われた核など、膜で区画化された細胞小器官を特徴としている。しかし、真核生物の起源はまだよく分かっていない。井町寛之(海洋研究開発機構)と延優(産業技術総合研究所)たちは今回、初期の真核細胞を生み出した進化経路の解明に役立つ可能性がある新たな単細胞微生物について報告している。著者たちは、真核生物の祖先に最も近縁と考えられている現生の微生物群であるアスガルド類アーキアの1種の培養と分離に初めて成功した。著者たちは、このアーキアを「Candidatus Prometheoarchaeum syntrophicum」と命名し、細胞の倍加時間が14〜25日と増殖速度が極めて遅く、増殖を維持するには共生微生物が必要であることを見いだした。興味深いことに、この微生物の外表面には、表紙に示すような分岐した突起があることが多い。これらの突起によって通り掛かった細菌が捕らえられ、次にそうした細菌が内部に取り込まれ、その後ミトコンドリアなどの膜に閉じ込められた小器官へと進化して、複雑な生命体への準備が整えられた可能性がある。



参考文献:
Imachi H. et al.(2020): Isolation of an archaeon at the prokaryote–eukaryote interface. Nature, 577, 7791, 519–525.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1916-6

地球最古の衝突

 地球最古の衝突に関する研究(Erickson et al., 2020)が公表されました。地球の表面はテクトニクスと浸食によって絶えず変化しているため、非常に古い衝突クレーターの同定が難しくなっています。これまでに20億年以上前の衝突噴出物がオーストラリアとアフリカの一部で発見された、と報告されており、年代が測定されましたが、それに対応する衝突クレーターの同定はできていませんでした。オーストラリアの西オーストラリア州にある、直径70 kmとなるこのヤラブッバの衝突構造は、地球最古級の一つと考えられていますが、これまでのところ正確な年代は不明です。

 この研究は、ヤラブッバの衝突構造内で、衝撃により再結晶化した鉱物を分析し、衝突事象のより正確な年代(22億2900±500万年)を明らかにしました。この研究は、ヤラブッバの衝突構造の年代が、この地域の氷期と一致している、と指摘しています。また、この研究は衝突の数値シミュレーションにより、ヤラブッバの衝突構造を生み出した隕石が大陸の氷床に衝突した場合には、87兆~5000兆キログラムの水蒸気が大気中に放出され、地球の気候を変える役割を果たした可能性がある、と明らかにしました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【地球科学】地球最古の衝突構造

 オーストラリアの西オーストラリア州に保存されている直径70 kmのヤラブッバ・クレーターが、2億年以上前の衝突構造であり、地球最古のものであることを示唆する証拠を詳細に記述した論文が掲載される。クレーター内にあった衝撃鉱物の地質学的な年代測定が行われ、この地点で22億2900万年前に隕石が衝突したことが明らかになった。

 地球の表面はテクトニクスと浸食によって絶えず変化しているため、非常に古い衝突クレーターの同定が難しくなっている。これまでに20億年以上前の衝突噴出物がオーストラリアとアフリカの一部で発見されたことが報告され、年代測定が行われたが、それに対応する衝突クレーターの同定ができなかった。このヤラブッバの衝突構造は、地球最古のものの1つと考えられているが、今までのところ正確な年代はわかっていない。

 今回、Timmons Ericksonたちの研究チームが、ヤラブッバの衝突構造内で、衝撃によって再結晶化した鉱物を分析したところ、衝突事象の正確な年代(22億2900 ± 500万年)が明らかになった。Ericksonたちは、このヤラブッバの衝突構造の年代が、この地域の氷期と一致していることを指摘している。また、今回の研究では、衝突の数値シミュレーションが行われ、ヤラブッバの衝突構造を生み出した隕石が大陸の氷床に衝突した場合には、87兆~5000兆キログラムの水蒸気が大気中に放出され、地球の気候を変える役割を果たした可能性のあることが明らかになった。



参考文献:
Erickson TM. et al.(2020): Precise radiometric age establishes Yarrabubba, Western Australia, as Earth’s oldest recognised meteorite impact structure. Nature Communications, 11, 300.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-13985-7

エレクトスの性的二形

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)の性的二形に関する研究(Villmoare et al., 2019)が公表されました。化石種の社会的行動の最重要な指標の一つは性的二形で、その社会構造の解明に役立ちます。多くの化石人類種には、性的二形のパターンを推定するのに充分な標本はありませんが、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)、パラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)、ホモ・エレクトス(Homo erectus)、ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に関しては性的二形が研究されています。

 ほとんどの研究では、鮮新世およびいくつかの前期更新世の人類系統では性的二形がゴリラ属のように顕著に強かった、と推測されています。たとえば、ロブストス(関連記事)やアファレンシス(関連記事)などの研究があります。これらの研究は、鮮新世およびいくつかの前期更新世の人類系統ではゴリラのような単雄複雌のハーレム型社会が形成されていた、と示唆します。しかし、アファレンシスの性的二形はゴリラ属どころかチンパンジー属よりも弱く現代人(Homo sapiens)並だった、との見解も提示されています(関連記事)。

 エレクトスの性的二形に関しては、鮮新世の人類と現代人(Homo sapiens)の中間程度だった、との見解が有力でしたが、21世紀になって、155万年前頃のエレクトスの性的二形の大きさが指摘されており(関連記事)、初期エレクトスにおいても性的二形は鮮新世の人類並に顕著だった、との見解も提示されています(関連記事)。エレクトス化石は時空間的に広範に存在し(年代では100万年以上、地理的範囲ではアフリカおよびユーラシア中緯度地帯以下の全域)、かなりの形態的変異を示しており、性的二形の評価を難しくしています。

 性的二形の評価には化石だけではなく足跡も使えます。化石と比較しての足跡の利点は、時空間的にきわめて制約された標本を提供できることです。これは、エレクトスのような時空間的に広範囲に存在した分類群において有効になる、と本論文は指摘します。一方その欠点は、足でしか評価できないことです。しかし本論文は、化石も断片的であることから、これは大きな欠点にはならない、と指摘します。また足跡には、同一個体を複数回標本抽出してしまう危険性もあります。さらに、小柄な足の成体と子供との区別が困難という欠点もあります。

 本論文はこうした欠点を踏まえつつ、人類の足跡として、タンザニアのラエトリ(Laetoli)で発見された366万年前頃もの(関連記事)や、ケニアのイレレット(Ileret)で発見された150万年前頃のもの(関連記事)や、オーストラリアのウィランドラ湖(Willandra Lakes)の23000~19000年前頃のものや、ナミビアのウォルビスベイ(Walvis Bay)の500~400年前頃のものなどを分析し、ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)やチンパンジー中央部集団(Pan troglodytes troglodytes)やボノボ(Pan paniscus)といった現代人と近縁な現生類人猿と比較しました。チンパンジーとゴリラと現代人という現生種では、それぞれ足の長さと身長の間に強い相関が見られました。

 イレレットの足跡からは、これを残した人類集団の性的二形がアファレンシスやゴリラよりは弱かった、と推測されます。イレレットの足跡と同年代のアフリカ東部には複数の人類種が存在しましたが、本論文は、その化石から強い性的二形が推測されるボイセイは候補者ではなく、ハビリス(Homo habilis)とルドルフェンシス(Homo rudolfensis)はボイセイよりも性的二形は弱かったものの、年代からイレレットの足跡を残した可能性は低い、と指摘します。そのため本論文は、イレレットの足跡を残したのは(広義の)エレクトスだと推測しています。この前提に立つと、イレレットの足跡は、エレクトスがアファレンシスのような強い性的二形を示す、という解釈と矛盾し、ゴリラと現代人の中間型を示します。一方、ラエトリの足跡からは、アファレンシスがゴリラのような強い性的二形だった、と示唆されます。

 この結果は、エレクトスの性的二形はゴリラのように顕著に強くはないものの、現代人よりはやや強い、という見解と一致します。本論文は、エレクトスの性的二形を指摘した以前の研究(関連記事)は、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡の185万~176万年前頃の小柄なホモ属化石を含めてしまったことが原因だろう、と指摘します。初期エレクトスにおいても性的二形は鮮新世の人類並に顕著だった、との見解(関連記事)についても、アフリカとジョージア以外のエレクトス化石を含めると、性的二形は現代人により近づく、と本論文は指摘します。

 本論文は、エレクトスの性的二形がゴリラやアファレンシスと現代人の中間であることから、エレクトスの向上進化の可能性を指摘します。強い性的二形は、社会構造では単雄複雌との強い関連が指摘されています。ただ本論文は、弱い性的二形が雄間の競合の欠如を示すとは限らず、弱い性的二形は特定の繁殖システムと関連づけられない、との見解も取り上げています。そのため、エレクトスの性的二形がその祖先であろうアファレンシスより弱くなった要因は何なのか、容易に断定できません。しかし本論文は、150万年前頃までにエレクトスが単雄複雌社会から移行した、との解釈が最も説得的だろう、と指摘します。エレクトスでは、その祖先であろうアウストラロピテクス属よりも、脳容量の増加と直立二足歩行へのさらなる特化により出産が困難になっており、これが性的二形の弱化と強く関連しているのかもしれません。


参考文献:
Villmoare B, Hatala KG, and Jungers W.(2019): Sexual dimorphism in Homo erectus inferred from 1.5 Ma footprints near Ileret, Kenya. Scientific Reports, 9, 7687.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-44060-2

『卑弥呼』第33話「倭言葉」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年2月5日号掲載分の感想です。前回は、ミマト将軍が配下の者たちに、そなたらは家臣ではなく友だ、と言うところで終了しました。今回は、ヤノハが日向(ヒムカ)での幼少時を回想する場面から始まります。日向には内海(瀬戸内海でしょうか)や外海から多くの異人が訪れていました。肌の色の濃い男性二人に怯えるヤノハを、肌の色や顔立ちで人を判断してはいけない、と義母は諭します。男性二人の言葉も分からないと言うヤノハに、方言というか南の島の倭言葉だ、と義母は教えます。倭言葉は元々住んでいた人と、東西南北の島と大陸から来た人の言葉が混ざったものなので、心を空にして命がけで聞くと理解できる、と義母はヤノハに教えます。縄文時代の言語と弥生時代に大陸や周囲の島から流入してきた言語との混合により祖型日本語が形成された、という設定でしょうか。

 場面は現在に戻って鬼八の支配する千穂の祭祀場です。「鬼」たちの王らしき人物が刀を掲げて言葉を発すると、周囲の者たちも声をあげて呼応します。一斉に攻められれば我々はひとたまりもない、とオオヒコが懸念するなか、ヤノハはミマアキとクラトに指示を出し、「鬼」たちの王らしき男に攻めかかって制圧し、動けば王を殺す、と周囲の者たちを牽制します。周囲の者たちの動きは止まりますが、いつまで牽制できるのか確証はないため、「王」を人質に包囲を抜けるよう、イクメはヤノハに提案します。しかしヤノハは、ミマト将軍の援軍を待つ、と返答します。するとミマト将軍の娘のイクメは、父は勝つ戦をするので、本隊が来ないうちには攻めいらないだろう、と懸念します。しかしヤノハは、鬼八軍の最大の武器は恐怖なので、鬼八が人と分かれば、少人数でも勝算ありと判断して動くだろう、と答えます。

 すると、盾で体を防護したミマト将軍率いる兵士たちが鬼八の男たちを倒しながら現れます。兵数で圧倒されている相手をどのように倒したのか、と疑問に思うイクメに、鬼八たちは黒曜石製武器を使っており、鉄(カネ)も青銅(アオカネ)も知らないようだ、と説明します。しかし、鬼八たちの「王」を捕虜とし、ミマト将軍の兵が合流した後、鬼八たちに動きはありません。鬼八たちの「王」が命を捨てる覚悟ができた時、総攻撃が始まるが、テヅチ将軍の本隊が到着する巳の刻(午前10時頃)前に総攻撃が始まれば、厳しい覚悟をしなければならない、とミマト将軍はヤノハに状況を報告します。ヤノハはイクメに、悲観的にならないよう、諭します。

 沈黙が続いた後、突如として「王」も祭祀場を包囲している男たちも、呪文のようなものを唱え始めます。ミマト将軍とイクメは戦いの合図ではないか、と警戒しますが、ヤノハは、古の倭言葉と気づき、心を空にして命がけで聞くよう、イクメに命じます。すると、イクメにもその言葉が理解できました。この先の詞はイクメに教えてもらったので分かる、命懸けのついでに時間稼ぎにやってみる価値はある、と呟いたヤノハは、ミマアキとクラトを祭壇から降ろして自分が上がり、天降ます時に、先駆者還曰く、一神有りて天八達之衢に居り、上は高天原を光し、下は葦原中國を光す、と天孫降臨神話の一節を唱え始めます。すると、鬼八たちは呪文らしきものを止め、ヤノハをアマテラスオホミカミ・オホヒルメ(天照大御神)と称え始めます。その直後、テヅチ将軍の率いる本隊が到来し、我々の勝利だ、とオオヒコは言いますが、これは日見子(卑弥呼)様(ヤノハ)お一人の勝利だ、とミマト将軍は訂正し、イクメも父に同意します。鬼八たちが平伏してヤノハを崇めているところで今回は終了です。


 今回は、ヤノハが鬼八たちを精神的に制圧するところが描かれました。『三国志』によると卑弥呼(日見子)は鬼道により人々を掌握した、とありますから、ヤノハは鬼八たちを配下とするのでしょう。鬼八の武器は他の倭の人々と比較して見劣りするようですが、自領内とはいえ、山社(ヤマト)の精兵を多数殺害するくらいの戦闘力があり、森林や山地での活動には長けているようですから、ヤノハが倭国で権威を確立していくさいに、重要な戦力となりそうです。

 今回は、鬼八がどのような集団なのか、手がかりも示されました。本作では、縄文時代の言語と弥生時代に大陸や周囲の島から流入してきた言語との混合により祖型日本語が形成された、という設定のようなので、言語では地域差が大きいようです。そのため、鬼八のように孤立していた集団の言語はとくに、他地域の人々にとって聞き取るのは難しいようです。しかし、共通要素もあるので、ヤノハやイクメは理解できた、ということなのでしょう。鬼八がどのような集団なのか、まだ謎は多いので、今後明かされていくのが楽しみです。なお、とくに予告はありませんでしたが、次号は休載のようで、残念です。

ネアンデルタール人による二枚貝の道具としての使用

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)による二枚貝の道具としての使用に関する研究(Villa et al., 2020)が報道されました。本論文は、ブヨ洞窟(Grotta dei Moscerini)の中部旧石器時代の遺物について検証しています。ブヨ洞窟はイタリアのラティウム地方では最大級の沿岸洞窟の一つです。ブヨ洞窟は現代の海岸線に近く、約9mの層は1~44(上から下)に分類されています。火の使用の証拠は第11層以降のほとんどで確認されています。ブヨ洞窟遺跡の年代は電子スピン共鳴法(ESR)により測定され、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~4前期と推定されています。

 ブヨ洞窟遺跡の道具の素材は、ラティウム地方の他の文化よりも多様で、地元産ではない石材も用いられています。石核は剥片と同じくらいの頻度で再加工されています。ブヨ洞窟遺跡の石器密度は、一部の層を除いて他のヨーロッパの中部旧石器時代遺跡と比較して低く、洞窟の利用が継続的ではなかった可能性を示唆します。全体的に、人類によるブヨ洞窟の使用は短期間だったようです。中部旧石器時代のヨーロッパ南部の人類(おそらくはネアンデルタール人のみ)は遊動的だったのか、あるいは絶滅と再移住の複雑な動きの中で、異なる系統の複数集団が利用していたのかもしれません。

 ブヨ洞窟では171個の貝殻の道具が発見されており、二枚貝であるヨーロッパワスレ(Callista chione)に分類されています。ヨーロッパワスレの貝殻で製作された道具は、ヨーロッパの11ヶ所のムステリアン(Mousterian)遺跡で発見されており、10ヶ所がイタリア、1ヶ所がギリシアに存在します。しかし、ほとんどの遺跡では、ヨーロッパワスレの二次加工された貝殻はたいへん少なく、道具としては詳細に報告されてきませんでした。これまでに最もよく知られているのはイタリア南部のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)で、126個の二次加工された貝殻が発見されています。

 ブヨ洞窟では第42層から第14層までの多くの層で、二次加工されたヨーロッパワスレの貝殻が計171個発見されています。ヨーロッパワスレは食用に適しており、一部では焼かれた痕跡も見つかっていますが、ブヨ洞窟では火の使用痕跡が珍しくなく、二次加工後に焼かれた貝殻もあることから、食べられた可能性は排除できないものの、おもに削器の製作に用いられていたのだろう、と本論文は推測しています。その他にはムラサキイガイ(Mytilus galloprovincialis)も容易に大量採集できますが、その貝殻は二次加工されておらず、おそらくは食用のみに採集されました。

 ブヨ洞窟遺跡のヨーロッパワスレの貝殻の損傷や海洋生物の付着といった保存状態に基づき、その23.9%は生きたまま海中で採集された、と推定されています。これは、ネアンデルタール人による浅瀬での素潜りがあったことを示唆します。外耳道外骨腫の研究も、ネアンデルタール人による習慣的な潜水の可能性を支持します(関連記事)。釣り針はシャテルペロニアン(Châtelperronian)とオーリナシアン(Aurignacian)で用いられていた可能性が指摘されており、網の証拠はまだ上部旧石器時代でも確認されていませんが、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4にネアンデルタール人が使用した可能性も指摘されています。現生人類だけではなくネアンデルタール人も沿岸資源を常習的に利用できていた、ということなのでしょう(関連記事)。

 道具としての貝殻の使用はジャワ島の54万~43万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)でも確認されており(関連記事)、その行動の起源はかなり古く、現生人類とネアンデルタール人の分岐前までさかのぼる可能性が高そうです。ジャワ島のエレクトス系統は、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先から分岐したと考えられるからです。しかし本論文は、道具としての貝殻の体系的な使用と二次加工は、ブヨ洞窟を含めてイタリアとギリシアの一部の遺跡だけで確認されている、と指摘します。

 ブヨ洞窟のいくつかの層には1個もしくは複数の軽石が含まれています。これはイスキア島もしくはフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火前の火山噴火に由来し、年代は11万~4万年前頃と推定されています。このフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火がネアンデルタール人には大打撃になって絶滅に追い込まれた、との見解も提示されていますが、ネアンデルタール人も当時ヨーロッパに拡散してきた初期現生人類も、この大噴火により持続的な影響を受けたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。本論文は、軽石はその堆積状況から海水や風によりブヨ洞窟に運ばれた可能性が低いため、ネアンデルタール人が収集して研削器として使用したのだろう、と推測しています。

 本論文は、ネアンデルタール人が環境と資源に対する深い知識を有し、潜水などにより海産資源も利用していたと考えられることから、以前には現生人類特有と考えられていたこうした知識・行動には深い進化的起源がある、と指摘します。ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が圧倒的に優勢だった1997~2009年頃と比較すると、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向は弱くなったように思います。とはいっても、ネアンデルタール人と現生人類とで何らかの潜在的な能力の違いがあった可能性は高く、今後はゲノム解析と遺伝子機能の特定の進展により、そうした違いがじょじょに解明されていくだろう、と期待されます。


参考文献:
Villa P, Soriano S, Pollarolo L, Smriglio C, Gaeta M, D’Orazio M, et al. (2020) Neandertals on the beach: Use of marine resources at Grotta dei Moscerini (Latium, Italy). PLoS ONE 15(1): e0226690.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0226690

中期~後期更新世の人類の外耳道外骨腫

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、中期~後期更新世の人類の外耳道外骨腫に関する研究(Trinkaus et al., 2019)が報道されました。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)における骨部外耳道に生じる骨増殖性隆起は、すでに20世紀初頭の時点で指摘されていました。その後、中期更新世の人類では、ネアンデルタール人3個体、ユーラシア東部の古代型ホモ属3個体、ユーラシア東部の早期現生人類(Homo sapiens)数個体、ユーラシア西部の上部旧石器時代現生人類1個体で、この症状が確認されました。

 この外耳道外骨腫に関しては、環境および遺伝的要因が指摘されており、現代では、水中スポーツ選手でよく観察されることから、サーファーズイヤーとも呼ばれています。外耳道外骨腫の環境要因としては、冷たい水と風が指摘されており、両者が組み合わされると発達が速くなる、と示されています。ただ、こうした外部環境要因だけではなく、耳道の軟組織の炎症による発症も指摘されています。外耳道外骨腫は多くの場合自覚症状がありませんが、耳垢栓塞の発症と感染症や進行性難聴につながる可能性も指摘されています。本論文は、おもにヨーロッパおよびアジア南西部の中部旧石器時代のネアンデルタール人と上部旧石器時代の現生人類を対象に、中期更新世後期の古代型ホモ属や中部旧石器時代の現生人類も加えて、外耳道外骨腫について検証しました。

 上部旧石器時代前期~中期の現生人類の外耳道外骨腫発生頻度は、中緯度地帯の湿潤環境の標本を除いて、20.8%と現代人の変異内に収まります。なお、中期更新世後期の古代型ホモ属では20%、中部旧石器時代の早期現生人類では25%、上部旧石器時代後期の現生人類では9.5%です。一方ネアンデルタール人では、外耳道外骨腫発生頻度は56.5%(判断の曖昧な2個体を除くと47.8%)で、現生人類を大きく上回っています。外耳道外骨腫発生頻度に年齢の違いはほとんどありませんが、症状の重い一部のネアンデルタール人に関しては、加齢との関連の可能性が指摘されています。性差に関しては、現代人では男性の方が高頻度ですが、ネアンデルタール人(男性60%、女性75%)でも上部旧石器時代前期~中期の現生人類(男性16.7%、女性28.6%)でも女性の方が高くなります。しかし本論文は、有意な差ではないと指摘します。

 これまで外耳道外骨腫発生頻度に関しては、高緯度では冷水が回避され、低緯度では水温が高いため、中緯度で最も高くなる、と予想されていました。この仮説は高緯度では確認されましたが、中緯度と低緯度では状況は複雑だと明らかになりつつあります。一般的に、中緯度では外耳道外骨腫発生頻度が高くなります。しかし、中緯度と赤道地帯の両方で、沿岸・河川・湖沼では一貫して外耳道外骨腫発生頻度が高く、考古学でも同様の結果が示されています。さらに、外耳道外骨腫発生には冷水への暴露は必要なく、冷風や湿った風への暴露だけでも充分である、と明らかになりました。また、外耳道外骨腫発生には遺伝的影響の可能性も指摘されていますが、集団差はまだ確認されておらず、現代人集団の発生頻度の違いはおもに環境と行動に関連している、と考えられています。これは上部旧石器時代後期の現生人類でも例外ではなく、外耳道外骨腫発生頻度は、中緯度地帯の湿潤環境集団よりも低く、高緯度地帯の乾燥環境集団よりもやや高くなっています。上部旧石器時代前期~中期の現生人類では、外耳道外骨腫発生頻度は現代人より全体的に高くなっています。

 ネアンデルタール人の外耳道外骨腫発生頻度は、現代人よりもかなり高くなっています。本論文は、対象としたネアンデルタール人は寒冷気候から温帯気候まで広範囲に及んでおり、気候要因だけと相関させることは困難だろう、と指摘します。本論文はこれを、ネアンデルタール人が水産資源を利用していたことと関連づけています。ネアンデルタール人が海産資源を利用していたことはすでに報告されており(関連記事)、ネアンデルタール人は陸上資源も水産資源も利用し、その狩猟効率と食性の範囲は現生人類よりも劣るものではなかった、とも指摘されています(関連記事)。ただ、後期更新世のヨーロッパ北西部のネアンデルタール人(関連記事)やフランスのネアンデルタール人(関連記事)が大型草食動物に強く依存していた、と指摘されているように、ネアンデルタール人は水産資源をほとんど利用せず、陸上草食動物に強く依存していた、という研究が多いことは否定できません。これに関しては、かつて沿岸に位置していた遺跡の多くが現在は海中にあるため、考古学的証拠の入手が困難になっている、と説明できますが、この説明が妥当なのか、今後も確証を得るのは難しそうです。

 本論文は、ネアンデルタール人の外耳道外骨腫発生頻度の高さを環境要因だけで説明できず、上部旧石器時代の現生人類でも、前期~中期と比較して水産資源利用の証拠が増加する後期において外耳道外骨腫発生頻度が低下し、多様な環境のユーラシア東部の初期現生人類でも外耳道外骨腫発生頻度が上昇していることから、衛生状態や遺伝的要因も影響しているかもしれない、と指摘します。ネアンデルタール人も含めて更新世人類の外耳道外骨腫発生頻度の高さには、水産資源の利用や環境や衛生状態や遺伝など複数の要因が関与しているかもしれない、というわけです。


参考文献:
Trinkaus E, Samsel M, Villotte S (2019) External auditory exostoses among western Eurasian late Middle and Late Pleistocene humans. PLoS ONE 14(8): e0220464.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0220464

大河ドラマ『麒麟がくる』第1回「光秀、西へ」

 いよいよ今年(2020年)の大河ドラマが始まりました。本作は知名度の高い明智光秀(十兵衛)が主人公で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑が深く関わってくることから、制作発表の頃から期待値はかなり高かったように思います。しかし、昨年11月に斎藤道三の娘である帰蝶役の沢尻エリカ氏が逮捕されて降板となり、川口春奈氏が代役として起用され、それまでの収録分(10回分程度だそうですが)も撮り直しとなり、初回放送は2週間延期となってしまいました。

 放送開始前から躓いてしまった感のある本作ですが、例年よりも放送開始前に話題になったとも言えるわけで、近年、大河ドラマの視聴率が低迷しているだけに、人気の戦国時代で何とか大きく視聴率を回復してもらいたいものです。川口春奈氏に関しては、民放主演ドラマで低視聴率とマスコミに叩かれていた頃より、若手女優として応援していただけに、この機会に飛躍してもらいたいものです。とはいっても、考えてみると、川口氏の出演作品を視聴したことはなかったかもしれませんが・・・。沢尻氏の帰蝶を見たかったという気持ちは強いのですが、そうした気持ちを忘れさせるくらいの好演を川口氏には期待しています。

 さて、初回の内容ですが、まずオープニングは、いかにも大河ドラマといった感じの重厚な感じで、昨年の軽快な感じとは対照的ですから、声の大きな大河ドラマ愛好者には好評だろう、と思います。物語は、1547年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、美濃の明智荘に襲来した野盗を光秀たちが迎撃する場面から始まります。光秀は地の利を活かして野盗を撃退しますが、米俵は奪われます。光秀は野盗の鉄砲に興味を抱き、主君の斎藤利政(道三)に願い出て、堺へと旅立ちます。その途中で光秀は延暦寺を通過しますが、関で通行料を払わされ、こうした体験が後に織田信長に仕えるようになってからの焼き討ちとも関わってくるのでしょうか。

 光秀の前半生はよく分かっていないので、若き日に畿内を訪れてさまざまな人々と出会った、という話を描くのはよいと思います。今回光秀は、堺で三淵藤英や松永久秀と知り合います。このような創作(だろうと思います)で問題となるのは、自由に動かせるので松永久秀のような有名人と絡ませてみただけ、ということなのですが、そこは大家の脚本だけに、この若き光秀の畿内見聞が後々大きな意味を持ってくるのではないか、と期待しています。

 今回描かれた人間模様では、やはり利政・高政(義龍)親子の関係が注目されます。すでに両者の関係は上手くいっていないようですが、利政からすると、息子がまだ頼りないようで、その評価が露骨に示されているため、反発しているようです。ただ、まだ親子で殺し合いをするほど険悪な関係ではないようです。両者の関係の変化が今後どう描かれるのか、楽しみです。松永久秀は梟雄として語られてきましたが、近年では人物像が見直されているそうです(関連記事)。初回を視聴した限りでは、本作の久秀は豪快で強かな人物のようです。本作はよく知られた人物について新たな解釈を提示するそうですが、久秀はどうなのでしょうか。

 初回は全体的に、重厚な感も娯楽要素もあり、主要人物のキャラも立っていたので、大河ドラマとしては上々の滑り出しだと思います。声の大きな大河ドラマ愛好者にはおおむね好評でしょうし、私も楽しめました。もう一人の主人公らしい駒がどのように描かれるのか、不安もありますが、どのように本能寺の変へとつながっていくのか、ずっと楽しみに視聴を続けられそうです。近年、大河ドラマの視聴率低迷は深刻で、このまま低視聴率が続けば大河ドラマ廃止論も現実的になりそうですから、本作の視聴率が2016年放送の『真田丸』以上となるよう、期待しています。

 注目されていた帰蝶ですが、今回は終盤にわずかに登場しただけでした。おそらく、当初の予定よりも出番は減っているのでしょう。それでも、初回から登場し、おそらく終盤まで退場はないでしょうから、かなり重要な役割を担いそうです。本当に、沢尻氏はろくでもないことをやってくれたものだ、と残念でなりません。川口氏は本作が初の時代劇とのことですが、演技力抜群とは言えずとも、初々しい感じでなかなかよかったと思います。今後、出番は増えていくでしょうから、楽しみです。

ボノボとチンパンジーの集団内および集団間の雄同士の血縁度の比較

 互いに最近縁の現生種である、ボノボ(Pan paniscus)とチンパンジー(Pan troglodytes)の集団内および集団間の雄同士の血縁度の比較に関する研究(Ishizuka et al., 2020)が公表されました。血縁関係は動物の理解にたいへん重要ですが、異なる集団における個体間の血縁パターンは、とくに大型哺乳類ではほとんど調査されておらず、それは野生での調査が困難だからです。ボノボとチンパンジーは、父系で複雄複雌集団を構成し、集団は分裂と融合を繰り返すといった点で、共通の社会システムを有しており、集団間の相互作用と異なる集団の個体間の血縁度を調査するのに効果的です。なお、最近の研究では、ボノボの雌はしばしば近隣集団に移動する、と示されています。

 しかし、集団間の関係は、チンパンジーでは基本的に敵対的で、雄がしばしば群れで攻撃し、異なる集団の雄を殺すこともあるのに対して、ボノボではより穏やかな集団間関係が見られます。ボノボでも集団間の雄同士の関係は敵対的ですが、雄のボノボは異なる集団の雄を攻撃して殺すようなことは滅多にありません。またボノボでは、雌が主導しての集団間の非敵対的な遭遇も起きることがあり、集団間の交尾さえしばしば観察されます。したがって、隣接集団間の繁殖は、チンパンジーよりもボノボの方が高頻度と予想されます。これは遺伝的研究でも示唆されており、集団外の雄の子かもしれない個体が、チンパンジーでは4ヶ所の生息地のうち1ヶ所でしか見つかっていないのに、ボノボでは3ヶ所全てで見つかっています。

 さらに、集団間の雄の移動は、チンパンジーよりもボノボの方で多く観察されています。これらの違いから、集団間での雄の遺伝子流動はチンパンジーよりもボノボの方が高頻度であり、チンパンジーよりもボノボの方が雄の血縁関係では集団間の差異は小さい、と予想されます。以前のいくつかの研究では、集団内の雄間の血縁度は、ボノボとチンパンジーでは近隣集団の雄間よりも高い傾向にある、と部分的に示されています。しかし本論文は、まだデータが不足している、と指摘します。本論文は、常染色体とY染色体のデータを用いて、ボノボとチンパンジーの雄の、集団内と集団間の血縁度の違いを検証しました。

 チンパンジーでは調査対象の5集団のうち3集団で、ボノボでは3集団すべてで、雄の平均血縁度は近隣集団間よりも集団内部の方が高い、と示されました。これは、両種が父系社会であることからの予想と矛盾しません。また、ボノボの方がチンパンジーよりも集団内の雄の平均血縁度が高いことも明らかになりました。しかし、全集団を対象とすると、集団内の雄と集団間の雄との平均的血縁度の違いは、ボノボのみで有意な差が示されました。チンパンジーで有意な差が見られないのは、5集団のうち2集団の特異な理由に起因するかもしれません。この2集団のうちの一方では雄は2頭のみで、血縁関係にない可能性があります。この集団は1982~1996年にかけて規模が劇的に減少しました。もう一方の集団には15頭の雄がいました。以前の研究では、集団内の雄の数が少ない場合のみ、雄の平均的血縁度が高いと予想されています。一方の集団は雄が15頭と比較的多いため、平均血縁度は、集団内の雄間で低く、近隣集団とさほど変わらない可能性があります。そのため、集団内の雄と集団間の雄との平均的血縁度が、チンパンジーでは有意な差として示されなかったかもしれません。

 これまでの研究では、雄の繁殖の偏りはチンパンジーよりもボノボの方で高い、と示唆されてきました。これは、ボノボでは雄の繁殖成功がその母親の影響を大きく受けるのに対して、チンパンジーではそうではないからです(関連記事)。そのため、ボノボの集団内においてはチンパンジーの集団内よりも雄間の血縁度は増加する、と予想されます。一方、ボノボの方が頻繁に発生するかもしれませんが、ボノボでもチンパンジーでも、集団間の雄の遺伝子流動は稀です。ボノボやチンパンジーのような父系的社会の種で集団間の雄の遺伝子流動が稀である場合、異なる集団の雄間の平均血縁度は低いと予想されます。じっさい、ボノボとチンパンジーの両種で、隣接集団の雄間の平均血縁度は集団内の雄間の平均血縁度よりも低い、と示されています。したがって、集団内の雄間の血縁度はチンパンジーよりもボノボの方で高くなり、近隣集団の雄間の血縁度は両種ともに集団内よりも低くなります。そのため、集団内でも近隣集団間でも、雄間の平均血縁度はチンパンジーよりもボノボの方で顕著に大きい、と予想されました。

 ボノボとチンパンジーとの比較では、集団間の雄の遺伝的距離は、常染色体でもY染色体でも有意な違いがありませんでした。そのため、雄の血縁度における集団間の違いがボノボとチンパンジーのどちらでより大きいのか、不明なままです。ただ、集団間の雄の遺伝的距離では、ボノボの方がチンパンジーよりも平均値は高く、ボノボにおいて集団内の雄間の平均血縁度と近隣集団の雄間の平均血縁度とで大きな違いがある、という観察結果と矛盾しません。また、ボノボの1集団では雄間のY染色体の遺伝的距離の値がひじょうに低く、これは集団の雄の低い遺伝的多様性の影響を受けているかもしれません。

 本論文の結果は、ボノボではチンパンジーよりも集団間の雄の攻撃が少ない、という観察からの、ボノボでは集団間の雄の血縁度がチンパンジーよりも有意に高い、という予想とは一致していません。これまでの研究では、雄間の同盟形成や協調的相互作用のパターンは、父系社会の種の集団における血縁度では説明されない、と提案されていました。父系社会の種では、血縁度は基本的に、同じ集団でも異なる集団でも、雄間の社会的相互作用のパターンを説明しないかもしれません。

 ボノボとチンパンジーで異なる集団の雄への攻撃性の説明としては、ボノボにおける発情期間の延長があります。チンパンジーが隣接集団から交尾相手の雌を略奪するために攻撃するのに対して、ボノボの雄にはそうした必要性が低いのではないか、というわけです。また、ボノボが異なる集団の雄とも採集できる、という事実との関連も指摘されています。ボノボはチンパンジーよりも地上の草本に依存しており、果実への依存度が低いと考えられることから、縄張りを守る必要性がチンパンジーよりも低いのではないか、というわけです。また、チンパンジーはボノボよりも採集に出かける構成員の数のバラツキが大きく、遭遇した集団同士の数が大きく違っている可能性を高めるので、激しい攻撃を誘発しているかもしれない、とも指摘されています。

 本論文は、大型哺乳類の精細な遺伝的構造がほとんど明かされていない中で、これらのデータは貴重である、とその意義を指摘します。本論文は、集団間の雄の血縁関係に関して、ボノボはチンパンジーと同等か、あるいはもっと異なっている、と示しました。上述のように、これは両種の行動からの予想とは異なります。ボノボとチンパンジーにおける、集団間の相互作用と集団間の雄の血縁度のパターンとの関連に関しては、さらなる研究が必要になる、と本論文は指摘します。


参考文献:
Ishizuka S. et al.(2020): Comparisons of between-group differentiation in male kinship between bonobos and chimpanzees. Scientific Reports, 10, 177.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-57133-z

最古のサソリ

 最古のサソリに関する研究(Wendruff et al., 2020)が公表されました。サソリは海中から陸上に移動した最初期動物群の1系統ですが、化石記録が少ないため、陸上での生活にいつどのように適応したのか、明らかになっていません。この研究は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州のウォーキシャ生物相で発見され、約4億3750万年~4億3650万年前となるシルル紀初期のものと年代測定された、保存状態の良好な新属新種のサソリ(Parioscorpio venator)化石標本2点について報告しています。この化石は、スコットランドで発見された、これまで最古とされてきたサソリ種(Dolichophonus loudonensis)よりも古いことになります。

 この新属新種サソリには、他の初期の海洋生物に見られる祖先的特徴(複眼など)がいくつか見られる一方で、現代のサソリの特徴(先端に毒針のある尾など)も見られます。この新属新種サソリの2点の標本のいずれにも、内部構造が細かな点まで示されており、たとえば、くびれた砂時計型の構造体は、胴体の中心部分に沿っており、かなりの領域に及んでいます。この構造体は、現代のサソリだけでなく、現代のカブトガニの循環器系や呼吸器系とひじょうによく似ている、と指摘されています。この新属新種サソリの化石には肺や鰓が見つかりませんでしたが、陸上で呼吸できるカブトガニに似ていることから、最古のサソリは完全に陸生化していなかったかもしれないものの、陸上に移動して、長時間滞在していた可能性が示唆されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】最も古くから陸上を探検していたかもしれない先史時代のサソリの新種

 シルル紀初期(約4億3750万年~4億3650万年前)のものとされる先史時代のサソリの新属新種Parioscorpio venatorについて記述した論文が掲載される。今回の研究で得られた知見からは、P. venatorがこれまでに報告されたものの中で最古のサソリ種で、その海洋生息地から陸上に移動する能力を有していた可能性が示唆されている、この行動は、現代のカブトガニの行動に似ている。

 サソリは海中から陸上に移動した最初の動物の1つだが、化石記録が少ないため、陸上での生活にいつどのように適応したのかは明らかになっていない。

 今回Andrew Wendruffたちは、米国ウィスコンシン州のウォーキシャ生物相で発見され、シルル紀初期のものと年代測定された保存状態の良好な未知の化石種のサソリの標本2点について記述している。今回の研究により、スコットランドで発見され、これまで最も古いサソリ種とされてきたDolichophonus loudonensisよりも古い化石となった。

 P. venatorには、他の初期の海洋生物に見られる原始的な特徴(複眼など)がいくつか見られる一方で、現代のサソリの特徴(先端に毒針のある尾など)も見られる。2点のP. venatorの標本のいずれにも、内部構造が細かな点まで示されており、例えば、くびれた砂時計型の構造体が、胴体の中心部分に沿って、かなりの領域に及んでいる。この構造体は、現代のサソリだけでなく、現代のカブトガニの循環器系や呼吸器系と非常によく似ているとWendruffたちは考えている。

 P. venatorの化石には肺や鰓が見つからなかったが、陸上で呼吸できるカブトガニに似ていることから、最古のサソリが完全に陸生化していなかったかもしれないが、陸上に移動して、長時間滞在していた可能性が示唆されている。



参考文献:
Wendruff AJ. et al.(2020): A Silurian ancestral scorpion with fossilised internal anatomy illustrating a pathway to arachnid terrestrialisation. Scientific Reports, 10, 14.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56010-z

小惑星衝突による恐竜の絶滅とその後の生物相の形成を促した火山活動(追記有)

 小惑星衝突による恐竜の絶滅とその後の生物相の形成を促した火山活動に関する研究(Hull et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。非鳥類型恐竜が地球上の生物種の3/4とともに絶滅した白亜紀~古第三紀(K/Pg)境界大量絶滅に関しては、20世紀後半になって小惑星衝突説が有力になりましたが、インドのデカントラップ火山地域の噴火の影響も指摘されています(関連記事)。しかし、K/Pg境界大量絶滅期に発生したデカントラップからの大量の溶岩と小惑星衝突の相対的影響を解析するのは困難で、K/Pg境界大量絶滅の原因は依然として明確ではありません。

 この研究は、おもに溶岩の堆積に注目したデカントラップ火山活動の作用に関するこれまでの研究とは異なり、環境との関連がより深い1つの噴火特徴であるガス放出を評価しました。この研究は複数のシナリオでの炭素循環モデリングにより、デカントラップからのガス放出の年代および二酸化炭素と硫黄の排出の長期的な地球気温に対する影響を調べ、その結果とK/Pg境界絶滅イベント中の地球の古温度記録を比較しました。その結果、おもなデカントラップからのガス放出の少なくとも50%以上は小惑星衝突直前ではなく、それよりかなり前に起こっていた、と明らかになりました。

 そのためこの研究は、K/Pg境界絶滅イベントと同年代なのは小惑星衝突だけだった、と指摘しています。この研究は、ガス放出の年代には炭素循環が変化し、海が大量の二酸化炭素を吸収できるようになったことで、大量絶滅後にデカントラップ火山活動によって起こることが予測される地球の温暖化は制限された、と推測しています。デカントラップの火山活動は、K/Pg境界絶滅イベント後の新生代の種とその群生の登場を形成することに貢献した、というわけです。


参考文献:
Hull PM. et al.(2020): On impact and volcanism across the Cretaceous-Paleogene boundary. Science, 367, 6475, 266–272.
https://doi.org/10.1126/science.aay5055


追記(2020年1月21日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

筒井清忠編『昭和史講義 【戦前文化人篇】』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2019年7月に刊行されました。すべて筒井清忠氏編の、『昭和史講義─最新研究で見る戦争への道』(関連記事)、『昭和史講義2─最新研究で見る戦争への道』(関連記事)、『昭和史講義3─リーダーを通して見る戦争への道』(関連記事)、『昭和史講義 【軍人篇】』(関連記事)の続編となります。いずれも好評だったのか、続編が刊行されたのは喜ばしいことです。


●筒井清忠「まえがき」P9~17
 本論考はまず、昭和戦前の日本文化全体についてのまとまった本はなく、それは大きく思潮の変わった激変期だったことが根本にある、と指摘します。昭和前期には格差の大きい社会のなか、左翼的思潮が多くの文化人・知識人を捉え、思想・文学・映画・演劇・美術にまで及びました。それが、満洲事変の頃から左翼は弾圧もあって衰退し、多くの文化人・知識人は軍国主義支持へと転向していきます。それが敗戦により、再度左翼的なものが復活します。このように時世が短期間で激変するなか、戦中をなかったようにしたい文化人・知識人も多く、昭和戦前の文化史を扱うことはそうした古傷に触るため、昭和戦前の日本文化全体を扱った本はなかった、というわけです。しかし、この激変期の当事者たちがほとんど去った今、気兼ねすることなく客観的に扱える時期になった、と本論考は本書の意義を指摘します。


第1講●牧野邦昭「石橋湛山―言論人から政治家へ」P19~35
 石橋湛山は言論人として出発しましたが、早くから普通選挙運動のような政治にも関わっていきます。湛山の名声が高まったのは、浜口内閣の金解禁と緊縮財政を批判したからで、これ以降、その経済的知見を政府に高く評価され、政府関係の仕事も引き受けるようになります。その結果、湛山は財界人・学者・評論家・官僚・軍人などの結節点的存在になり、それが戦後に政治家を志したさいに役立ちました。ただ、湛山の名声が高まっていくなか、日本は湛山の主張した「小日本主義」とは反対の方向へと向かっていき、湛山も満洲や華北が日本の勢力下にあることを既成事実として認めていくようになります。それでも湛山は、経済のブロック化には反対し、その基本的な思想を堅持した、と本論考は指摘します。


第2講●苅部直「和辻哲郎―人間と「行為」の哲学」P37~50
 和辻哲郎には「日本人の伝統的心性」を正当化しているという評価もあり、それは的外れではないものの、普遍性と特殊性を強く意識し、同時代のヨーロッパの哲学・民族学・人類学を取り入れていったところもある、と指摘されています。和辻は、特殊性を強く意識した点では日本と西洋にそれぞれ独自の思想があり、価値を序列化するような姿勢を排する点で文化相対主義的なところがありましたが、一方で、1930年代から1945年までに猛威を振るった、人間倫理の普遍性を拒否するかのごとき「日本精神」論の誤りも指摘しており、和辻の議論には単純な読み方を許さないような複雑さが見られます。


第3講●佐々木閑「鈴木大拙―禅を世界に広めた国際人」P51~67
 鈴木大拙の世界観を形成するうえで重要な『大乗起信論』は、古代インドの仏教哲学書ではなく、6世紀に中国で漢文資料から寄せ集めて自己の見解を盛り込んだ継ぎ接ぎだった、と明らかになっているそうです。鈴木大拙の世界観において重要な「霊性」とは、思想というよりも思想を作成するための書式で、代入する変数により思想は異なってくる、と指摘されています。鈴木大拙が大日本帝国の戦争を支持し、ナチズムに理解を示したことと、第二次世界大戦後に軍国主義批判を展開したことについても、確定性のない書式としての霊性の表れと評価されています。


第4講●赤坂憲雄「柳田国男―失われた共産制を求めて」P69~84
 本論考は柳田国男を、農村から都市へと移住してきた近代日本の知識人の一人と把握し、置き去りにしてきた過去としての農村を嫌悪や侮蔑で語るか、柳田のように「同情ある回顧」で語るかにより、見えてくる日本文化の風景は大きく異なってくる、と指摘します。また本論考は、正統的な保守主義者である柳田が、伝統的な村落に潜む「共産思想」を見出していた、と指摘します。そこには、伝統的村落を貧しくしたものは「外部資本の征服」だった、という認識もあった、というのが本論考の見通しです。


第5講●千葉俊二「谷崎潤一郎―「今の政に従う者は殆うし」」P85~99
 谷崎潤一郎の作家人生にとって転機となったのは1923年の関東大震災で、この後、谷崎は関西に移住します。この関東大震災は、ヨーロッパの第一次世界大戦と同じく、思潮の大きな転機になった、と本論考は指摘します。ヨーロッパにおいては、悲惨な戦争を防げなかったことから理性による合理主義への限界が強く意識されるようになり、日本では、プロレタリア文学とモダニズム文学が勃興し、既成文壇の作家たちは動揺していき、芥川龍之介の自殺もその文脈で起きた、と本論考は解釈しています。また本論考は、戦前・戦後を通じて、谷崎が「今の政に従う者は殆うし」という姿勢を貫き、『春琴抄』は昭和初期の混乱した現実から逃避して関西に残る日本の伝統美に閉じ籠ろうとした作者の気持ちが象徴されているのではないか、との伊藤整の評価は谷崎がひじょうに喜んだ、という逸話を紹介しています。


第6講●前田雅之「保田與重郎―「偉大な敗北」に殉じた文人」P101~116
 保田與重郎は第二次世界大戦後、抹殺状態に置かれていた、と本論考は指摘します。それは、保田が戦争協力者にして若者を死に赴かせた張本人とみなされたからだろう、と本論考は指摘します。保田は戦後、公職追放となりましたが、「思想探偵」として参謀本部に密告する役割を果たしていた、とさえ言われました。保田が懲罰的に応召されていることからも、これは妄言と考えるべきなのでしょうが、戦後における保田への一般的な評価を反映している、と言えそうです。しかし本論考は、戦後の保田への批判はどれも的外れで、批判の多くは自分の罪を保田に押しつけたか、黙って批判に追随したのだろう、と指摘しています。


第7講●藤井淑禎「江戸川乱歩―『探偵小説四十年』という迷宮」P117~134
 本論考は江戸川乱歩の小説を、初期の本格ミステリー、中期の通俗長編、晩期の少年探偵団ものに分類し、中期の通俗長編が乱歩自身の低評価により過小評価されてきた、と指摘します。ただ、乱歩の自己評価の根拠とされてきた『探偵小説四十年』が、異なる時代の自伝を継ぎ接ぎした、言わば増築に次ぐ増築を重ねてきたものなので、これまでその利用には問題があった、と本論考は指摘します。


第8講●伊藤祐吏「中里介山―「戦争協力」の空気に飲まれなかった文学者」P135~150
 中里介山は戦前にはひじょうに著名な作家で、その代表作である『大菩薩峠』は長いだけではなく、深く面白く、その主人公である机龍之助は丹下左膳や木枯し紋次郎などに受け継がれるほどだった、と本論考は高く評価します。さらに、同時代の芥川龍之介は、百年後に名を遺すのは純文学作家よりも中里の方だろう、と予想しました。しかし、中里の知名度は現在では低く、本論考はその理由として、仇討物語として始まった『大菩薩峠』に仇討を超えた価値を見出した中里が『大菩薩峠』を粗雑に編集し、本文を読んだだけでは物語の流れが分からなくなってしまったことを指摘します。戦前の読者は、演劇や映画や口コミを通じて、『大菩薩峠』がどのような話なのか、認識していましたが、時代の経過に伴いそうした共通認識が失われると、『大菩薩峠』は一気に忘れられた、というわけです。また、中里は文学報国会への加入を拒否した珍しい作家でしたが、それは戦争反対を意味していたのではなく、『大菩薩峠』の成功により名誉と財産を得て自意識の肥大化した中里が、作家として報国の念を離れたことはない特別な存在だ、と自分を規定していたからでした。


第9講●牧野悠「長谷川伸―地中の「紙碑」」P151~167
 長谷川伸は苦労人の作家でした。実家は裕福だったものの長谷川が子供の頃に没落し、母親とも生き別れとなり、父親からは実質的に棄てられたのも同然の境遇でした。そこから作家として大成した長谷川は、庶民への哀憐の念を込めて作品を描き出していった、と本論考は評価します。作家として大成した長谷川はまた、表立った戦意高揚の文章を公表することは少なかったものの、広義の戦争協力者としては他の作家を圧倒していただろう、と本論考は指摘します。長谷川の功績としては弟子の育成もあり、山岡荘八や池波正太郎などがいます。


第10講●竹田志保「吉屋信子―女たちのための物語」P169~185
 吉屋信子は少女小説の作者として知られ、一人の女性と生涯を共にした同性愛者として、その先駆性が注目されています。同時代に、女性同士で共同生活を送った事例は他にもありますが、長期にわたって良好な関係を継続したことは特筆される、と本論考は評価します。ただ本論考は、それは吉屋が当時の女性としては破格の経済力と地位を獲得できたからこそ可能だったことであり、単に二人の愛情や意志の強さだけに還元して特権的に語ってしまうことは、当時の女性たちの絆を過小評価することになるだろう、と指摘します。


第11講●川本三郎「林芙美子―大衆の時代の人気作家」P187~201
 林芙美子は行商人の子供として生まれ、生涯庶民からの視点を貫いた、と本論考は評価します。林は戦争に協力した作家として指弾されます。本論考も、中国の民衆に対する加害者意識が林に欠けているところは責められるべきだ、と指摘します。しかし、林は単に戦意高揚を煽り、戦争を賛美したのではなく、その視点は黙々と任務を果たす下層の兵士たちにあった、と本論考は指摘します。こうした弱者への共感という点では、戦前・戦中・戦後において林は一貫していた、というのが本論考の評価です。


第12講●林洋子「藤田嗣治―早すぎた「越境」者の光と影」P203~221
 本論考は藤田嗣治を、20世紀前半にあって、誰よりも早く国際性と多文化性を持ち合わせた「越境」者ゆえの光と影を一身に背負った存在と位置づけています。藤田の戦争協力は戦後になって強く批判されましたが、戦争記録画の中でもアッツ島玉砕以降の一連の「玉砕図」が、現在ではむしろ厭戦的に見えるのに対して、「今日腕を奮つて後世に残す可き記録画の御用をつとめ得る事の出来た光栄をつくづくと有り難く感ずるのである」といった文章の方は、むしろ戦意高揚的に映る、と本論考は評価しています。


第13講●萩原由加里「田河水泡―「笑い」を追求した漫画家」P223~240
 本書で取り上げられている人物については、石橋湛山を除いて全員、詳しく知らないと言ってもよいくらいなのですが(石橋湛山についても、さほど詳しいわけではありませんが)、田河水泡の妻が小林秀雄の妹であることも知りませんでした。田河の代表作である『のらくろ』については、内務省より打ち切りを勧告された、という話が伝わっていますが、本論考は、それだけではなく、『のらくろ』の人気が低下していったこともあるのではないか、と推測しています。のらくろが一兵士から士官へと昇進するにつれて、頭の固い上司の裏をかいて飄々と生きるという作品の魅力が薄れていったのではないか、というわけです。


第14講●井上章一「伊東忠太―エンタシスという幻想」P241~256
 法隆寺の柱の膨らみを古代ギリシアの建築技法であるエンタシスと結びつけ、それはアレクサンドロス大王の東征によるヘレニズムの結果であった、という現在でも日本社会では根強そうな見解を強く主張して広めたのが伊東忠太でした。これは、インド以東の建築文化を侮る西洋史家に対する強い反発がもたらしたものでもありました。しかし、アジア中央部にはエンタシスは見当たらず、そもそもアレクサンドロス大王の百年ほど前に、ギリシアではエンタシスは用いられなくなりました。法隆寺の柱の膨らみの起源としては、北魏が有力なのですが、近代日本において、北魏よりもヨーロッパ文化の源流たるギリシアの影響という言説の方が受け入れられやすかった、というわけです。


第15講●片山杜秀「山田耕筰―交響曲作家から歌劇作家へ」P257~278
 本論考は、山田耕筰が1920年代に歌曲作家として成功するまで、「行きすぎた西洋近代派」で、当時の日本の文化・経済水準に合わず、名誉でも富でも本人が満足するような成功を収められなかった、と指摘します。山田は日本の前近代の民謡や三味線音楽に疎く、当時の日本人の求める音から浮き上がった「西洋派」と認識されてしまった、というわけです。その失敗を踏まえた山田は、日本伝統の音感の研究と活用を心がけ、1920年代に「赤とんぼ」などの歌曲で成功していきました。しかし、山田の本心は歌曲作家としての成功ではなく、オーケストラ曲やオペラなどの大規模音楽で、山田の著名な歌曲や童謡が生涯の限られた時期に偏っていることもそのためだった、と本論考は指摘します。


第16講●筒井清忠「西條八十―大衆の抒情のために生きた知識人」P279~298
 本論考は、大正期から昭和前期にかけて、日本の詩と歌は大きく変わった、と指摘します。まず、ほぼ全体的に文語文から口語文へと変わっていきました。また、童謡が現れ、子供向きの歌に詩人が大きく関わっていったことも世界的に異例でした。これは、地方の歌の変化として日本中を覆う新民謡の時代へとつながるとともに、各学校・地域・会社・組合など、あらゆる集団で歌が作られ、歌われるようになり、新聞・雑誌・映画などを通じて広がっていきました。本論考は、この大変動の中心にいてそれを領導したのが西條八十で、西條を「大衆化されたロマン主義」の中心人物だった、と評価しています。西條は童謡雑誌での活動を始めますが、本論考は、大正期童謡運動は明治期における上からの西洋音楽強制への反動で、これが昭和前期における下からのナショナリズムの一つの基礎になった、と指摘します。また本論考は、近代の方が地域的差異化を希求したのであり、前近代の方が共通性は高かった、とも指摘しています。

古墳時代の出雲人のDNA解析

 古墳時代の出雲人のDNA解析について報道されました。まだ報道でしか確認していませんが、たいへん興味深い研究だと思います。出雲市の猪目洞窟遺跡では1948年に3~7世紀頃の古墳時代のものと考えられる人類遺骸が発見されています。このうち6人で母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、「縄文系」と「渡来系」がそれぞれ3人ずつだった、とのことです。さらに、この6人のうちDNAの保存状態が良好だった「縄文系」と「渡来系」それぞれ1人ずつの核DNAが解析され、ともに東京都の古墳時代の人類や現代日本人よりも遺伝的に「縄文人」に近縁であることが明らかになったそうです。

 日本列島の本州・四国・九州(およびそれぞれのごく近隣 の島々)から構成される「本土」集団が、遺伝的には「縄文人」と弥生時代以降の「渡来系」集団との混合で、後者の影響の方がずっと大きい、ということはほぼ通説になっています。しかし、「本土」集団の形成過程は一様ではなく、時代・地域による違いが大きかったのではないか、と予想されます。西日本は東日本と比較して、弥生時代以降の「渡来系」集団の影響が早期に大きくなったのでしょうが、西日本でも地域差があり、出雲はその進行が遅れた地域だったのかもしれません。ただ、出雲とはいっても1遺跡での調査だけに、より広くDNA解析が進まないと、一般化できないと思います。

マラリア媒介蚊の殺虫剤抵抗性機構

 マラリア媒介蚊の殺虫剤抵抗性機構エピに関する研究(Ingham et al., 2020)が公表されました。ピレスロイドを染み込ませた蚊帳は、アフリカでのマラリアに関連する罹患率と死亡率の大幅な低下の原動力となってきました。しかし、蚊帳による強い選択圧は、アフリカのハマダラカ属(Anopheles)個体群においてピレスロイドに対する抵抗性の拡大と上昇を引き起しており、マラリア防除によって得られた利益が無効になる恐れが生じています。この研究は、ガンビエハマダラカ(Anopheles gambiae)の肢に豊富に存在する化学感覚タンパク質であるSAP(sensory appendage protein)の1つ(SAP2)の発現が、この蚊にピレスロイド抵抗性を付与することを示します。

 SAP2の発現は、殺虫剤抵抗性の個体群で上昇していて、こうした蚊がピレスロイドに接触することでさらに誘導されます。ガンビエハマダラカでSAP2発現を抑制すると死亡率が完全に元に戻りますが、SAP2を過剰発現させると、おそらくSAP2のピレスロイド系殺虫剤への高親和性結合により抵抗性が上昇しました。ゲノム塩基配列解読データのマイニングにより、西アフリカの3ヶ国(カメルーン・ギニア・ブルキナファソ)の蚊個体群ではSAP2座位近傍に選択的一掃がある、と明らかになり、観察されたハプロタイプ関連の一塩基多型の増加は、ブルキナファソで報告されたピレスロイドに対する蚊の抵抗性の上昇を反映しています。この研究により、これまでに報告されていなかった殺虫剤抵抗性機構が明らかになり、この機構はマラリア防除の取り組みにたいへん重要な意味を持つと考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


マラリア:SAP2がマラリア媒介蚊をピレスロイドから保護する

マラリア:マラリア媒介蚊における殺虫剤抵抗性機構

 殺虫剤抵抗性の上昇は、マラリア防除における最大の難題の1つである。今回H Ransonたちは、マラリア媒介蚊が持つ殺虫剤抵抗性の新しい機構を報告している。彼らは発現の差異の解析、RNA干渉による遺伝子抑制とトランスジェニックによる過剰発現、殺虫剤への結合試験、集団遺伝学的解析を組み合わせて、化学感覚タンパク質であるSAP2がガンビエハマダラカ(Anopheles gambiae)にピレスロイド抵抗性を付与することを示している。今回の知見は、マラリアを伝播させる蚊個体群の殺虫剤抵抗性に対抗する新しい方法につながる可能性がある。



参考文献:
Ingham VA. et al.(2020): A sensory appendage protein protects malaria vectors from pyrethroids. Nature, 577, 7790, 376–380.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1864-1

小児期の鉛曝露による認知機能への影響

 小児期の鉛曝露による認知機能への影響に関する研究(Marshall et al., 2020)が公表されました。小児期の鉛曝露は、低濃度であっても、認知機能や行動の発達に悪影響を及ぼすことが知られており、その後の人生の社会経済的地位の低下にも関連する、と推測されています。しかし、小児期の社会経済的状態や鉛曝露と脳の発達に及ぼす作用との関係は、詳しく解明されていませんでした。

 この研究は、アメリカ合衆国全体の9~10歳の子供9712人について、脳の構造と認知テストの成績を評価しました。次にこの研究は、それぞれの子どもの居住経歴に基づき、ワシントン州保健福祉課の鉛リスクスコアを用いて、鉛曝露量を推定しました。すると、低所得家庭の子供は、高所得家庭の子供と比較して、認知テストの成績の平均が9%低い、と明らかになりました。また、鉛曝露リスクが最も高い地域に住む低所得家庭の子供は、同じ地域に住む高所得家庭子供と比較して、認知テストの成績がさらに3.1%低くなることも明らかになりました。また、鉛曝露リスクが高い低所得家庭の子どもは、鉛曝露リスクが低い地域に住む同様な社会経済的状況の子供と比較して、脳構造の発達障害が多い、と明らかになりました。

 この研究は、子供の血中鉛濃度を直接測定していないため、鉛曝露リスクは代替的な数字であることを注記しています。この研究は、鉛曝露リスクを少しでも下げることで、環境的により厳しい状況にある子供たちにより大きな恩恵がもたらされるかもしれない、と結論づけています。もちろん、子供の発達には鉛曝露リスクを下げた方がよいに決まっているのでしょうが、この研究からは、当然のこととはいえ、所得格差も重要であることが改めて窺えます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【医学研究】小児期の鉛曝露リスクと世帯収入が脳の発達に与える影響

 小児期の鉛曝露に関連して起こる認知機能と脳の発達の障害が、貧困によってさらに悪化する恐れがあることを報告する論文が掲載される。

 小児期の鉛曝露は、低濃度であっても、認知機能や行動の発達に悪影響を及ぼすことが知られていて、その後の人生の社会経済的地位の低下にも関連するとされている。しかし、小児期の社会経済的状態や鉛曝露と脳の発達に及ぼす作用との関係は、詳しく解明されてはいなかった。

 今回、Elizabeth SowellとAndrew Mashallのグループは、全米の9~10歳の子ども9712人について、脳の構造と認知テストの成績を評価した。次に著者たちは、それぞれの子どもの居住経歴に基づいてワシントン州保健福祉課の鉛リスクスコアを使って鉛曝露量を推定した。すると、低所得家庭の子どもは、高所得家庭の子どもに比べて、認知テストの成績の平均が9%低いことが分かった。また、鉛曝露リスクが最も高い地域に住む低所得家庭の子どもは、同じ地域に住む高所得家庭子どもに比べて、認知テストの成績がさらに3.1%低くなることも明らかになった。また、鉛曝露リスクが高い低所得家庭の子どもは、鉛曝露リスクが低い地域に住む同様な社会経済的状況の子どもと比較して、脳構造の発達障害も多いことが分かった。

 著者たちは、子どもの血中鉛濃度を直接測定していないため、鉛曝露リスクは代替的な数字であることを注記している。鉛曝露リスクを少しでも下げることで、環境的により厳しい状況にある子どもたちにより大きな恩恵がもたらされる可能性があると、著者たちは結論付けている。



参考文献:
Marshall AT. et al.(2020): Association of lead-exposure risk and family income with childhood brain outcomes. Nature Medicine, 26, 1, 91–97.
https://doi.org/10.1038/s41591-019-0713-y

アジア東部の中期~後期更新世ホモ属の頭蓋における外傷

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、アジア東部の中期~後期更新世ホモ属の頭蓋における外傷についての研究(Wu et al., 2011)が報道されました。本論文は、中華人民共和国広東省韶関市(Shaoguan)曲江区(Qujiang)馬壩(Maba)町の洞窟で発見されたホモ属頭蓋(馬壩1)の外傷を分析しました。馬壩1と共伴した動物化石から、年代は中期更新後期もしくは後期更新世と推測されています。共伴した脊椎動物の歯は、ウラン系列法により135000~129000年前と推定されていますが、これが馬壩1の正確な年代なのか、明確ではありません。ウラン-トリウム法では馬壩洞窟の流華石の年代が237000年前と推定されていますが、馬壩1との層序的関係は確定的ではありません。現時点では、馬壩1の年代は中期更新後期もしくは後期更新世前期の可能性が高そうです。

 馬壩1は当初、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)頭蓋との形態的類似性が主張されていましたが、その後は両者の相違が主張され、現在では馬壩1と中華人民共和国陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡で発見されたほぼ完全な頭蓋との類似性が指摘されており、馬壩1はアジア東部の現生人類(Homo sapiens)ではない後期ホモ属と考えられています。馬壩1が種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)に分類される可能性もありますが、現時点では明確にはなっていません(関連記事)。

 馬壩1には平行な溝があり、大型齧歯類、おそらくはヤマアラシによるものと推測されています。しかし、馬壩1でそれ以上に注目されるのは、打撃による外傷で、前頭骨右側には窪みが見られます。この外傷の周囲では、骨髄炎や外膜感染の証拠は見られませんでした。この外傷は、局所的な鈍力打撃によるものと推測されます。また、この外傷は生前のもので、その後にある程度治癒し、馬壩1個体が長期間生存したことも推測されています。馬壩1個体はこの外傷のために出血し、脳震盪を起こした可能性が高く、それにより吐き気・嘔吐を覚え、さらには脳に損傷を被った可能性もあり、ほとんど動けなくなったかもしれないもと推測されています。それでもその後、馬壩1個体は長期間生存していたわけですから、介護があったと考えられます。

 こうした外傷の要因として、本論文は転んで岩に頭をぶつけてしまったというような事故の可能性も排除していませんが、最も可能性が高いのは対人暴力だろう、と指摘します。その場合、石器も含む石や、重い骨・木などで殴られた可能性が高い、と推測されています。中期~後期更新世の人類頭蓋の外傷は珍しくなく、本論文刊行後の研究では、43万年前頃のスペイン北部のホモ属頭蓋で、対人暴力による死亡事例が確認されています(関連記事)。おそらく更新世の人類において対人暴力は珍しくなく、それにより死亡することもあれば、介護を受けて一定以上の期間生き延びることもあったのでしょう。


参考文献:
Wu M. et al.(2011): Antemortem trauma and survival in the late Middle Pleistocene human cranium from Maba, South China. PNAS, 108, 49, 19558-19562.
https://doi.org/10.1073/pnas.1117113108

プエブロボニート遺跡の土器製作における性別分業

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、アメリカ合衆国ニューメキシコ州にある有名なプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡の土器製作における性別分業についての研究(Kantner et al., 2019)が報道されました。年齢や性に基づく分業は、現生人類(Homo sapiens)社会において普遍的に見られます。しかし、資料の乏しい古代社会の分業については、現代社会からの推論に依拠しているところが多分にあり、確実ではありません。これまで、アメリカ合衆国南西部の先住民集団に関する民族誌的記録などから、先コロンブス期のアメリカ大陸先住民集団の性別分業も推測されており、土器製作は伝統的に女性の役割だった、と考えられてきました。しかし、これはあくまでも後世の記録からの推測です。

 そこで本論文は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州にある有名なプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡の10~11世紀頃の土器985個を対象に、その性別分業を検証しました。本論文が土器製作者の性別判断の根拠としたのは指紋です。指紋には性的二形が見られ(指紋の隆線が男性の場合は女性よりも9%太いとされます)、80~90%の確率で性別を判定できる、とされます。プエブロボニート遺跡では、粘土を太い縄のようにして、螺旋状にぐるぐると巻いて器の形にする「波状文様土器」を製作していました。波状文様の土器は、親指と人差し指で粘土と粘土を挟んで貼り合わせていたので、粘土には製作者の指紋が残されています。これらの指紋を分析して製作者の性別を判定する、というわけです。

 プエブロボニート遺跡の土器の分析の結果明らかになったのは、12%ほどの性別不明のものを除いて、各集団により製作者の性別割合は異なるものの、男性の方が多い場合も珍しくなかった、ということです。性別の違いがほとんどなかったり、女性の方が多かったりする集団もありますが、男性の方が60%以上を占める集団もあります。これを時系列で見ると、初期には男性の割合が高かったものの、後には性差が縮小してほぼなくなる、というように変化していきます。本論文はこれを、周辺地域での土器需要の増加のためかもしれない、と推測します。当時、文化の中心地として急速に発展していたチャコ峡谷に多くの物資が流入していました。チャコ峡谷へと運ばれる土器の需要が高まり、プエブロボニート遺跡の多くの人々が土器製作に関わるようになったのではないか、というわけです。

 本論文が提示したプエブロボニート遺跡の土器製作者の性別分析は、後世の民族誌的記録などに依拠した過去の生活史の推測が危ういことを示したという意味で、たいへん意義深いと思います。プエブロボニート社会に関しては、母系世襲による権力継承の可能性が指摘されています(関連記事)。民族誌的記録などからの推測とは異なり、土器製作に男性も大きく関わっていたのは、そうした社会構造とも関連しているのかもしれません。また、プエブロボニート社会と、世界最古の都市とも言われるアナトリア半島中央部南方にある新石器時代のチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡の社会との類似性も指摘されています(関連記事)。プエブロボニート社会とチャタルヒュユク社会はともに、儀式に基づく社会組織により特徴づけられ、これが生物学的血縁関係よりも優先される、というわけです。こうした社会構造が性別分業の有無とどう関連しているのか、よく分かりませんが、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Kantner J. et al.(2019): Reconstructing sexual divisions of labor from fingerprints on Ancestral Puebloan pottery. PNAS, 116, 25, 12220–12225.
https://doi.org/10.1073/pnas.1901367116

歴史書に「愛国ポエム」が挟まっていてもいい

 辻田真佐憲氏の表題の記事が昨年(2019年)末に公開されました。色々と疑問の残る記事ですが、まず、

昨今、歴史書は「著者の主張やイデオロギーを紛れ込ませない」のがいい本だとされている。中立客観を標榜し、事実を淡々と並べ、解釈は読者に委ねる。それが潔いとされているのである。

そもそも、中立客観を標榜している本に主張やイデオロギーが紛れ込んでいないわけではないし、もっといえば、「実証主義で歴史修正主義を屈服させる」というたぐいの主張が、物語を否定しているようで、なんの実証性もない、物語否定の物語(メタ物語)に依拠していることもしばしば見受けられる。

との認識は、多分に藁人形論法のように思います。ここまで言うなら、具体的な本・論文・(ネット上のものも含めての)言説を提示し、それらが一定以上影響力を有している、と示すべきでしょう。とくに疑問に思ったのは、当ブログでも取り上げた(関連記事1および関連記事2)『日本国紀』の評価です。辻田氏は同書について、

わたしは、さきの会話をしながら、百田尚樹の『日本国紀』を思い出さずにはいられなかった。同書も、教科書的な記述の合間に、著者の考え――あるひとはこれを「愛国ポエム」といっていたが――が挟まっていると指摘されている。そしてそれにエビデンスがないなどと批判されている。

とはいえ、この主観的な部分があるからこそ、逆に同書は広く受容されていると考えることもできるのではないか。

もとより、その内容がすべて正しいといっているのではない。ただ、「結局どうなの?」という声がなくならない以上、それを無理に封殺しようとすると、その受容を満たしてくれるものがかえって強く求められるといっているのである。


と評価しています。「主観的な部分がある」歴史関連本は珍しくありません。そうした中で『日本国紀』が売れて(実売部数は出版社が期待したほど、あるいは公称している程ではないかもしれませんが、一般的にはベストセラーに分類されるでしょう)、一時的?にせよ大きな話題になったのは、同書の著者とされている百田尚樹氏の作家個人としての人気が大きかったからだ、と私は考えています。つまり、同書は内容ではなく著者の属人的な要因によるベストセラーだった、というのが私見です。

 なぜそう考えるのかというと、以前の当ブログの記事でも述べましたが、同書は基本的に淡々とした叙述になっており、所々で主観的な叙述、辻田氏に言わせると「愛国ポエム」が挟まっているだけで、全体的には退屈な歴史書になっているからです。同書は歴史挿話集といった感じで、体系的な歴史物語にはなっていません。Amazonでの同書の評価はきわめて高いのですが(当然、少ないながら低評価もあります)、同書を高く評価した人に著書名を伏せて読ませたら、まず間違いなく退屈な本という評価が大半を占めるだろう、と私は考えています。また、近現代史の叙述では「愛国的」なところもあるものの、王朝交替説や九州王朝説や天智・天武非兄弟説に肯定的であることなど、全体的には反日的で自虐的だ、と批判する人も多いでしょう。仮に、同書の著者を朝日新聞記者として刊行したならば、同書を高く評価した人の多くは、近現代史では「真実の歴史」に媚びているところもあるものの、「反日自虐本」であることは隠せない、と罵倒したでしょう。

 同書は内容的には、「反日自虐本」との批判が殺到しても仕方のないところがありますが、それが、

日本は悪い国だと教育を受け、大東亜戦争がどんな戦争だったかを習うことも無い戦後生まれにはこの本が本当の「歴史教科書」だと思います。

とさえ評価されるのは、同書の著者とされている百田尚樹氏のこれまでの言論活動(本や雑誌やテレビやネットなど)から、百田氏のファンが多いためだと思います。百田氏が書いたことだから「愛国的な真実」に違いない、というわけです。このように多数の人々に属人的評価をさせてしまう、百田氏の作家あるいは言論者としての力量が優れていることは否定できません。「愛国ポエム」調の歴史的言説を提示したところで、百田氏のような売れっ子になれるのは本当にごく一部です。『日本国紀』が話題になり、少なからぬ?層に「愛国的な真実の歴史」として好意的に受け止められたのは、「愛国ポエム」という主観的要素があるからではなく、百田氏が築き上げてきた個人的人気のためだった、と私は考えています。人間は、何を言った(やった)かではなく、誰が言った(やった)かで判断する、とはよく言われることです。これを安易な属人的判断として批判するのは簡単ですが、世の中には悪意のある人もおり、属人的判断が必要であることも否定できないとは思います。

人類進化系統樹におけるアンテセッサーの位置づけと後期ホモ属の進化の場所

 人類進化系統樹におけるホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)の位置づけと、後期ホモ属の進化の場所に関する研究(Castro, and Martinón-Torres., 2019)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)も含む後期ホモ属は広義のホモ・エレクトス(Homo erectus)から進化した、と考えられます。後期ホモ属においては、脳容量増加などの傾向が見られます。後期ホモ属の進化の場所はアフリカと考えられてきました。以前の有力説では、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先はハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)とされ、エチオピアのボド(Bodo)やドイツのビルツィングスレーベン(Bilzingsleben)中国の大茘(Dali)および鄖県(Yunxian)などの人類遺骸が含まれます。一方、アフリカの現生人類系統としてヘルメイ(Homo helmei)という種区分も提示されています。人類進化系統樹における位置づけの曖昧なホモ・アンテセッサーや種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も、広義のエレクトスから進化した後期ホモ属の一部です。

 アンテセッサーは20世紀末に、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先候補として提案されました。アンテセッサーは、スペイン北部のグランドリナ(Gran Dolina)洞窟遺跡で発見されたホモ属遺骸群の新たな種区分で、年代は85万~80万年前頃と推定されています。アンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統の推定分岐年代については、63万~52万年前頃(関連記事)とか751690年前頃(関連記事)とか複数説が提示されていますが、いずれにしても、アンテセッサーが最終共通祖先候補でも矛盾しない年代です。アンテセッサーは、未成熟個体でも成体でも現代人的な中顔面を示します。アンテセッサーのこうした現代人的形態は祖先的で、中期更新世のハイデルベルク人やネアンデルタール人のような中顔面は派生的との見解も提示されています。この見解では、現生人類の中顔面はボドやカブウェ(Kabwe)のようなアフリカの中期更新世人類から独立して派生した、と推測されています。

 こうした見解に対して、顔は形態学的および生理学的観点ではひじょうに複雑なシステムで、成因的相同は起きそうにない、との見解も提示されています。大茘や金牛山(Jinniushan)のような中期~後期更新世のアジア東部の人類に関しても、現代人的な中顔面は収斂進化ではなく、アンテセッサーからの共有祖先形質と考えられる、というわけです。さらに、アンテセッサーは頭蓋・下顎・歯・体骨格で、ネアンデルタール人などヨーロッパの中期更新世人類との共通の特徴が指摘されています。そのため、アンテセッサーがネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先系統と分岐した絶滅系統の可能性も提示されており、この見解では、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先はまだ特定されていないとこになります(関連記事)。しかし、アンテセッサーは単に世界中のホモ属の祖先形態を表しているのではなく、ユーラシア東部のエレクトスとは頭蓋や歯が異なることから、ネアンデルタール人と現生人類の分岐の場所に関する考察に役立つのではないか、と本論文は指摘します。

 まず、アンテセッサーはアフリカで進化し、後にアフリカでネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先が進化した、という想定です。この仮説の派生として、最終共通祖先候補であるハイデルベルク人と現生人類の中間的な種としてヘルメイが想定されるか、あるいはヘルメイが最終共通祖先候補とされます。この仮説が正しければ、アンテセッサーの特徴や、ネアンデルタール人のようないくつかの中期更新世人類系統の祖型的特徴がアフリカで見つかるはずです。

 次に、代替的でより節約的な仮説では、レヴァントも含むアジア南西部こそが、後期ホモ属進化の重要な舞台だった、と想定されます。アジア南西部の更新世の環境は比較的安定しており、生物多様性が高く、人類の居住に適している、と指摘されています。アジア南西部こそ、アンテセッサーだけではなく、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先が進化した場所だったのではないか、というわけです。この仮説では、進化の続くアジア南西部からヨーロッパ・ユーラシア東部・アフリカへと人類が移動した、と想定されます。この仮説は、ヨーロッパの中期更新世人類の多様性(関連記事)、ネアンデルタール人のアジア南西部起源、アンテセッサーに見られるヨーロッパとアジアとアフリカの共有祖先形質的な中顔面、75万~55万年前頃という最終共通祖先の推定存在年代を説明できます。

 120万~50万年前頃となる前期~中期更新世の移行期には、気候変動幅が41000年周期から10万年周期へと変わっていきました。この気候変動周期の変化以降、アフリカでは乾燥化が進んでいきましたが、気温や降水量も周期的に変動していき、温暖で湿潤な時期もありました。動植物相に影響を与えたこれらの変化により、レヴァント回廊が前期更新世後期および中期更新世の特定の期間に開き、ユーラシアからアフリカへの、また逆方向の人類集団の移動が異なる時期に起きた可能性は否定できない、と本論文は指摘します。

 本論文の見解は、「超旧人類」・現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先集団はアフリカからユーラシアへと最初に拡散したホモ属であるエレクトスで、その一部がアフリカに戻って現生人類系統へと進化した可能性を指摘する、遺伝学的見解(関連記事)とも整合的です。あるいは今後、アジア南西部こそ後期ホモ属の主要な進化の場所だった、との見解が有力になっていくのかもしれません。ただ私は、更新世におけるホモ属の出アフリカは珍しくなく、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先がアフリカで出現した可能性は高い、とまだ考えています(関連記事)。


参考文献:
Castro JMB, and Martinón-Torres M.(2019): Filling the gap. What does Homo antecessor tell us about the origin of the “emergent humanity” that gave rise to Homo sapiens? Journal of Anthropological Sciences, 97, 209-213.

先コロンブス期カリブ諸島の移住史

 先コロンブス期カリブ諸島の移住史に関する研究(Ross et al., 2020)が公表されました。カリブ海諸島は、大アンティル諸島・小アンティル諸島・バハマ諸島から構成されます。カリブ海には多数の島々が点在するので、人類や動物が島々に分散しやすくなりました。カリブ海諸島への人類の移住に関する有力説では、まずカヌーを用いた狩猟・漁撈・採集民の小集団が、石期となる紀元前5000~紀元前4000年頃に中央アメリカ大陸からユカタン半島を経由してイスパニョーラ島とキューバ島に拡散した、とされます。次に古期となる紀元前2500年頃に、トリニダード島から小アンティル諸島を経て大アンティル諸島へと移住があり、その後、土器期となる紀元前500年頃に、小アンティル諸島を経てオリノコ川河口からの移住があった、とされています。プエルトリコへの到達後、土器期におけるイスパニョーラ島・ジャマイカ島・キューバ島・バハマ諸島への植民の拡大の前に1000年の中断があった、というわけです。この移動経路は土器様式に基づいていますが、その詳細については激しい議論が続いています。

 カリブ海諸島のうち、バハマ諸島は最後に人類が定住した場所で、最古の人類はルーカヤン人(Lucayan)です。バハマ諸島における人類の最古の痕跡は紀元後8世紀初頭までさかのぼります。土器の分析から、バハマ諸島に固有ではない粘土が用いられている、と明らかになったため、バハマ諸島の最初の人類はイスパニョーラ島から到来した、と示唆されています。一方、中央バハマ諸島のルーカヤン人遺跡の放射性炭素年代は、キューバ島とのつながりを支持します。古代DNA研究では、カリブ海諸島の最初の人類は、南アメリカ大陸北部起源と示唆されていますが、これは1個体の解析結果に基づいている(関連記事)、と本論文は注意を喚起します。頭蓋データ、とくに顔面形態は古代DNAよりも時空間の範囲が広いため、人口構造解明の遺伝的指標として利用されています。本論文は顔面形態からカリブ海諸島における人類の拡散を検証します。

 本論文は、カリブ海地域の103人の頭蓋形態を分析しました。その結果明らかになったのは、バハマ諸島の個体群がイスパニョーラ島およびジャマイカ島の個体群との近縁で、キューバ島の個体群とはそれよりも遠い関係にある、ということです。また、プエルトリコ本島の個体群とベネズエラの個体群との近縁性も明らかになりました。本論文は、頭蓋データから総合的に、カリブ海諸島における複数回の異なる地域からの移住を推測しています。まず、紀元前5000年頃にユカタン半島経由でキューバ島と大アンティル諸島北部に移住がありました。次に、紀元前800~紀元前200年頃に、ベネズエラ沿岸からプエルトリコへとアラワク語集団が拡散してきました。最後に、紀元後800年頃にカリブ地域(ベネズエラ北西部)からイスパニョーラ島へと到達した集団が、急速にジャマイカ島およびバハマ諸島へと拡散しました。以下、先コロンブス期カリブ海地域における人類の拡散を示した本論文の図8です。
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 カリブ海地域における土器時代の拡散は1回のみとの見解が以前は有力でしたが、そうではなかった、と本論文は示しています。人類の移住と起源に関する議論では、近年飛躍的に発展している古代DNA研究が大きな威力を示しています。しかし、古代DNA研究はDNAの保存の問題から亜熱帯~熱帯地域には適していないので、今後もこうした地域では形態学的研究がひじょうに有効となるでしょう。また、近年急速に発展しているタンパク質解析は亜熱帯地域の200万年前頃の標本でも有効と示されているので(関連記事)、カリブ海地域の人類史の解明に大きく貢献するのではないか、と期待されます。


参考文献:
Ross AH. et al.(2020): Faces Divulge the Origins of Caribbean Prehistoric Inhabitants. Scientific Reports, 10, 147.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56929-3

ジャワ島におけるエレクトスの出現年代

 ジャワ島におけるホモ・エレクトス(Homo erectus)の出現年代に関する研究(Matsu’ura et al., 2020)が公表されました。人類の初期の拡散に関する議論では、ホモ・エレクトスのユーラシア東部における最初の出現年代が重要となります。1990年代半ば以降、アジア東部では最古の人類の年代が180万~170万年前頃までさかのぼる、との見解が受け入れられていくようになりましたが(関連記事)、これはじゅうらいの年代観を50万年ほどさかのぼらせることになります。そのため、エレクトスはアフリカで185万年前頃に出現した後、急速にアジア東部まで拡散した、と考えられました。

 一方、エレクトスはアジア南東部へと150万年以上前に拡散し(関連記事)、アジア北東部へと130万年前頃以後に拡散した、との見解も提示されています。これら150万年以上前のアジア南東部におけるエレクトスの存在を主張する見解は、ジャワ島のサンギラン(Sangiran)遺跡の人類遺骸の年代測定結果に基づいていますが、150万年以上前という年代の見直しを指摘する見解も提示されています(関連記事)。本論文は、サンギラン遺跡における最初の人類の年代を再検証しました。

 サンギラン遺跡では合計100個以上の人類遺骸が見つかっています。しかし、その年代については議論が続いています。サンギラン遺跡では、バパン(Bapang)層とその下のより古いサンギラン層で人類遺骸が発見されています。バパン層の2m上の軽石普通角閃石(pumice hornblende)の年代は、アルゴン-アルゴン法で151万±8万年前となることから、サンギラン地域では150万年以上前から人類が存在していた、と考えられていました(関連記事)。しかし、別の研究では、バパン層の最下部の軽石と凝灰岩の年代はアルゴン-アルゴン法で90万~80万年前頃と推定されており、年代は確定していません。

 本論文は、以前の研究でアルゴン-アルゴン法により151万±8万年前という年代測定結果が得られた層を含むバパン層最下部、および人類遺骸下限年代となる可能性のある、サンギラン層の凝灰岩8層のジルコンを、フィッショントラック法とウラン-鉛年代測定法で改めて検証しました。その結果、バパン層最下部は971000±9000年前、という結果が得られました。一方、サンギラン層の凝灰岩8層の上限年代は155万年前と推定されました。

 サンギラン遺跡で比較的新しい人類遺骸はバパン層で発見されており、その下限年代は79万年前頃と推定されます。サンギラン遺跡で比較的古い人類遺骸はサンギラン層で発見されており、動物相の年代から127万年前頃と推定されています。本論文は、155万年前頃というサンギラン層の凝灰岩8層の上限年代と合わせて、サンギラン遺跡における最初の人類の出現は127万年前頃もしくは145万年前頃以降、と推定しています。

 サンギラン遺跡の人類は、形態学的にバパン層とサンギラン層の2集団に区分されています。より古いサンギラン層の個体群はひじょうに多様で、アフリカの170万~140万年前頃のエレクトスもしくはエルガスター(Homo ergaster)と類似した比較的祖先的な特徴を示します。より新しいバパン層の個体群は比較的派生的で、アジア東部の中期更新世のエレクトスに匹敵する、より大きな神経頭蓋と縮小した歯顎を有しています。

 更新世において、前期から中期の移行期となる120万~70万年前頃に気候が大きく変化し、生物相と環境に大きな影響を与えた、と明らかになっています。そのため本論文は、サンギラン遺跡におけるエレクトスの変化が、この自然環境の変化に関連している可能性を指摘しています。また本論文は、この変化が同じエレクトス集団内で起きた可能性もあるものの、移住の影響が大きかったかもしれない、と推測しています。アフリカから東進してきたか、アジア東部から南下してきた可能性が想定されます。

 本論文は、ジャワ島におけるサンギラン遺跡以外の最初期の人類遺骸とされている、東部のプルニン(Perning)遺跡のモジョケルト(Mojokerto)が、フィッショントラック法により149万年前頃以降とされ、サンギラン遺跡のエレクトスの最古の年代が上述のように127万年前頃もしくは145万年前頃以降であることから、ジャワ島への人類の拡散は現在の推定より新しく150万年前頃以降だろう、との見解を提示しています。これは、最近20年の主流的見解よりも20万年は繰り下がります。ジャワ島の古いエレクトスの比較的祖先的な形態については、祖先的特徴の保持か、ジャワ島のエレクトス系統において独立して派生した特徴だろう、と本論文は推測します。なお、ジャワ島の末期エレクトスの年代に関しても議論が続いていましたが、最近の研究では117000~108000年前頃と推定されています(関連記事)。


参考文献:
Matsu’ura S. et al.(2020): Age control of the first appearance datum for Javanese Homo erectus in the Sangiran area. Science, 367, 6474, 210–214.
https://doi.org/10.1126/science.aau8556

松尾千歳『シリーズ・実像に迫る11 島津斉彬』

 戎光祥出版から2017年7月に刊行されました。本書は島津斉彬の生涯を、豊富な図版で分かりやすく解説しています。斉彬の背景として、島津がどのような家柄なのか、ということも鎌倉時代にまでさかのぼって簡略に説明されており、少ないページ数ながら、一般向け書籍としてなかなか配慮されていると思います。斉彬登場の背景として、琉球を服属させ、「中国」との交易にも関わっているという薩摩藩の特質や、曾祖父の重豪の個性は以前から多少認識していましたが、不勉強なため、おもに重豪の代に築かれた幕府・諸藩、とくに諸藩との人脈についてはよく知らなかったので、この点でも参考になりました。

 斉彬がひじょうに優秀な人物として評価されていたことは、一般層にも浸透しているように思いますが、斉彬の個性の形成に、その母親の弥姫(賢章院)が深く関わっていることは知りませんでした。弥姫は息子である斉彬の教育にたいへん熱心だったようで、漢文の素読をはじめとして、書や絵画や和歌も自ら教えたそうです。また、当時の大名家としては珍しく、弥姫は斉彬の乳母を置かず、自ら育てたそうです。弥姫が鳥取藩主の池田治道の娘であることも、本書で初めて知りました。

 斉彬をめぐっては、大規模な御家騒動(お由羅騒動)がよく知られているでしょうが、本書はその背景として、薩摩藩の財政再建をめぐる対立があった、と指摘します。斉彬の曾祖父である重豪の代に、開花政策と征夷大将軍の岳父としての交友関係の活発化により、薩摩藩の財政は悪化します。それに対する財政再建策は重豪の制作の否定でもあったので、重豪は激怒して息子の斉宣を隠居させ、その重臣を切腹させます。斉宣の息子(斉彬の父)である斉興は、調所広郷を重用して財政再建を強く進めます。

 斉興は息子の斉彬が西洋列強に対抗するため近代化を進めすぎて、重豪の代のように財政状況が悪化することを警戒し、斉彬への家督形象を渋り、ここに斉興とその側室の間の息子である久光も絡んで、薩摩藩では大規模な御家騒動が勃発します。しかし本書は、斉彬派が主張したようなお由羅・久光派による呪詛は誤解で、斉彬は久光を高く評価していた、と指摘します。ただ、西郷隆盛のような斉彬に抜擢された一部家臣は、久光に対して悪印象を抱き続けたようです。また本書は、斉興も近代化の必要は認めていたものの、斉彬の政策の行き過ぎとその結果としての財政破綻を警戒していた、と指摘します。

 本書は斉彬の改革について、同時代の幕府や他藩が軍事関係、つまり「強兵」に偏っていたのに対して、「富国強兵」を進めようとし、幕府や藩ではなく日本という視点で改革を進めようとしていたことを高く評価しています。斉彬が目指したのは公武合体による挙国一致体制で、幕府を否定した明治政府の体制とは異なりますが、斉彬の遺志を久光や家臣の西郷隆盛・大久保利通などが継承して明治政府が成立した、と本書は指摘します。なお、篤姫(天璋院)が13代将軍の家定の正室になったのは、一橋慶喜を将軍に擁立するための工作ではなかった、と本書は指摘します。

永久凍土の古気候学的証拠

 永久凍土の古気候学的証拠に関する研究(Vaks et al., 2020)が公表されました。北極圏では気候変動が急速に生じており、予測では、今世紀半ばまでに夏季の海氷が完全に失われる、と示唆されています。北半球の永久に凍った土壌(永久凍土)の温暖化に対する感度はあまり分かっておらず、その長期的傾向の監視は、海氷の傾向の監視より困難です。本論文は古気候データを用いて、シベリアの永久凍土は、北極圏に海氷が存在する場合は温暖化に対して強靭であるものの、海氷が存在しない場合は脆弱である、と示します。

 本論文は、連続した永久凍土の南端に位置するシベリアの洞窟の炭酸塩堆積物(洞窟二次生成物)のウラン–鉛年代測定により、その上の土が永久に凍っていなかった期間を複数明らかにしました。洞窟二次生成物の記録は、赤道から極への熱輸送が増大し、北半球が温暖化した時期である150万年前頃に始まりました。洞窟二次生成物の成長からは、洞窟の場所ではその当時永久凍土が存在しておらず、北半球が寒冷化した135万年前頃から頻繁に存在するようになり、40万年前頃以降に永続的になった、と示されました。この歴史には、海氷は40万年前頃までほとんど存在しなかったものの、その時期から永続的に存在するという、北極海の年間を通した海氷の歴史が反映されています。

 海氷が存在する場合の永久凍土の強靭さと、海氷が存在しない場合に増大する永久凍土の脆弱さは、熱輸送と水蒸気輸送の両方の変化により説明できます。海氷の減少は、北極圏の大気の温暖化の一因となる可能性があり、内陸奥地の温暖化をもたらし得ます。さらに、北極圏の開水域も、水蒸気の生成源を増やし、シベリアの秋季の降雪を増やして、地面を冬季の低い気温から断熱します。こうした過程により、40万年前頃以前の氷のない北極圏と永久凍土の融解の関係が説明されます。こうした過程が現代の気候変動の間継続すれば、夏季の北極海の氷が消失して、シベリアの永久凍土の融解が加速されるだろう、と本論文は指摘します。更新世の長期の気候変動は、人類進化との関連でも注目されます。


参考文献:
Vaks A. et al.(2020): Palaeoclimate evidence of vulnerable permafrost during times of low sea ice. Nature, 577, 7789, 221–225.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1880-1

2022年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』

 再来年(2022年)の大河ドラマは、源頼朝を支えた北条義時などの姿を描く『鎌倉殿の13人』に決定した、と報道されました。主人公は北条義時で、主演は小栗旬氏、脚本は三谷幸喜氏とのことです。大河ドラマの制作発表としては、2019年放送の『いだてん~東京オリムピック噺~』ほどではないとしても、かなり早いと思います。三谷氏脚本ということもあり、それだけNHKとしても力を入れている、ということでしょうか。2012年放送の『平清盛』が、当時としては大河ドラマ史上最低の平均視聴率を記録したため、しばらく源平ものはないと予想していたのですが、本作は平氏滅亡後の方がずっと比重は高いでしょうから、源平ものに分類すべきなのか、微妙なところです。

 ほぼ同じ題材の大河ドラマとして、1979年放送の『草燃える』があります。『草燃える』は傑作だと私は考えているので(関連記事)、これに匹敵し、さらに超えるのはなかなか難しいとは思いますが、傑作『真田太平記』(大河ドラマではありませんが)とほぼ同じ題材の、三谷氏脚本の2016年放送の大河ドラマ『真田丸』も素晴らしい内容でしたし、政治的駆け引きが中心の構成になりそうという点で三谷氏向きとも言えるでしょうから、話はかなり期待してよさそうです。配役がどうなるかまだ分かりませんが、『真田丸』から推測すると、『草燃える』で北条義時役だった松平健氏が北条時政役ではないか、と予想しています。また、初回から最終回まで重要人物として登場し続けるだろう北条政子を誰が演じるのかも注目されます。ともかく、今から放送が楽しみです。

極地域では優位な内温性の海洋捕食者

 極地域における内温性の海洋捕食者の優位に関する研究(Grady et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。地球の生物多様性の大部分は熱帯付近に集中し、赤道に向かって多様性が増すという緯度勾配を形成しており、これが陸上・海洋のほぼすべての動物・植物・昆虫で広範に観測されるパターンです。しかし、海洋哺乳類と海鳥の分布パターンはそれと正反対になっています。高緯度にある極寒の海では内温(恒温、温血)性の海洋哺乳類や海鳥が繁栄しており、海水温の低さによって動きが鈍く遅くなった外温(変温、冷血)性の被食者を常食として摂取しています。この研究は、熱帯にはアザラシやクジラやペンギンといった内温性の哺乳類や鳥類はほとんどおらず、熱帯の暖かい海に実際にコロニーを作っているのはイルカだけである、と指摘します。動物がこれほど異なる多様性パターンを示すのかは、まだ不明です。

 この研究は、クジラ・サメ・魚類・海鳥・爬虫類など上位998種の海洋捕食者の分布をデータベース化し、内温動物と外温動物の生物地理学における著しい違いを明らかにしました。この研究は次に、これらの種の捕食率と代謝と海水温をモデル化し、概して内温性の捕食者は「とろくて、まぬけで、冷血の」獲物を好む、と見出しました。海水温が下がれば、こうした条件で獲物を狩ることにかけは、内温動物のほうが外温動物よりも代謝的に有利、つまり代謝が速いというわけです。内温動物は代謝によって熱が発生して眼や脳の温度が上がり、場合によっては、狩りのさいの感覚能力が高まることもあります。またこの研究は、極地域の海水温上昇が続いた場合に、クジラやアザラシやペンギンなどの動物が直面すると思われる、新たな問題を浮き彫りにしています。


参考文献:
Grady JM. et al.(2019): Metabolic asymmetry and the global diversity of marine predators. Science, 363, 6425, eaat4220.
https://doi.org/10.1126/science.aat4220

チンパンジーにおける雄による子殺しへの雌の対抗戦略

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、チンパンジー(Pan troglodytes)における成体の雄による子殺しへの雌の対抗戦略に関する研究(Lowe et al., 2019)が報道されました。哺乳類では雄による乳児殺しが一般的です。これは、授乳中は月経が止まり、妊娠しなくなるため、雄が乳児殺しにより母親の授乳を止めてその出産間隔を短縮し、自身の子を儲ける可能性が高くなるため、雄の適応度を上昇させるからと考えられています。そのため、乳児でも幼い個体ほど、その虚弱性もあって狙われやすくなります。乳児殺しは大きな選択圧になるので、雌の側の対抗戦略が予測されます。

 乳児殺しはチンパンジーの複数集団で起きており、ほとんどの場合加害者は雄です。チンパンジーにおける雌の乱交は、乳児殺しへの対抗戦略の一つと考えられています。ここで重要なのは、雄の集団内順位から父親を予測できる、ということです(1~3位の雄の子は集団の約60%)。もっとも、チンパンジーは乱交社会で、そのため父性の混乱により、乳児殺しへの保護は充分には期待できませんが、これは乳児殺しの重要な背景となります。低順位の雄は一般に、子を儲ける可能性が低く、乳児殺し戦略により失うものは少ないのですが、乳児殺しの最大の危険性は、順位上昇中の雄から生じる、と予測されています。現在は自身の子が少ないものの、次に子を儲ける可能性が高いところまで順位を上げた雄は、失うものが少なく、得るものが多くなる、というわけです(ローリスクハイリターン)。

 そのため、乳児殺しは、子を儲ける機会の低い雄にとって、順位が上昇する時にはとくに適応的戦略となります。雌は体力的に雄の攻撃に対抗できず、乱婚社会で雄からの保護が充分は期待できないため、乳児殺しの危険性に対抗するには、乱婚に追加するか、もしくは代替する戦略が必要となります。なお、現時点での研究では、雄が父性を直接的に識別できている、と仮定できるだけの証拠は提示されていません。また、チンパンジーは柔軟に分裂して融合するので、雌はこれを乳児殺しへの対抗戦略として用いている可能性がある、と指摘されています。

 本論文は、成体の雄による乳児殺しの危険性に対する雌の対抗戦略について、ウガンダのブドンゴ森林のソンソ(Sonso)集団のチンパンジーの調査結果から、3通りの非排他的な可能性を検証しています。一つは、雌が子をより多く儲けている可能性の高い高順位雄からの保護を求める、というものです。次に、雌が乳児殺しの可能性のある雄への乳児の接近を避ける、というものです。最後に、雌が他の母親と提携して乳児の保護を求める、というものです。

 本論文の検証結果は、乳児の母親が集団内順位で急速に上昇している雄に最も強く反応する、と示します。乳児の母親は、そうした乳児殺しの危険性の高い雄との接触を減らしているわけですが、また同時に、高順位の雄との接触を増やそうとすることも明らかになりました。雌は雄の順位変動に敏感で、乳児殺しの危険性を減少させるよう適応的に反応する、というわけです。本論文は、こうしたチンパンジーの雌の乳児殺しの危険性への対抗戦略は、他のチンパンジー集団でも一般化できる、と予測しています。雄のチンパンジーについては、高順位の雄と競争するため複雑な同盟を用いる「策略家」と言われますが、本論文が示すように、雌もまた乳児殺しの危険性を減少させるため、雄の順位変動に敏感になり、集団内順位を急上昇させているような雄との接触を避けるという対抗戦略を採用する、「策略家」というわけです。


参考文献:
Lowe AE, Hobaiter C, and Newton‐Fisher NE.(2019): Countering infanticide: Chimpanzee mothers are sensitive to the relative risks posed by males on differing rank trajectories. American Journal of Physical Anthropology, 168, 1, 3–9.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23723

古代型ホモ属から現生人類への遺伝子移入の機能的結果と適応度

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)を中心に、古代型ホモ属から現生人類(Homo sapiens)への遺伝子移入の機能的結果と適応度の影響に関する研究(Rotival, and Quintana-Murci., 2019)が公表されました。出アフリカ系現代人の主要な祖先集団は、6万年前頃までにはアフリカからユーラシアへと拡散を始めた、と考えられています。現生人類はついには世界中へと拡散しましたが、その過程でネアンデルタール人や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属と遭遇し、交雑しました。本論文は、古代型ホモ属から現生人類への遺伝子移入の機能的結果と適応度について、出アフリカ系現代人における地域集団間の違いに注目しつつ、近年の研究成果を概観しています。

 本論文はまず、ネアンデルタール人からの遺伝子移入のコストについて検証しています。ネアンデルタール人から現生人類へと伝えられたアレル(対立遺伝子)の大半は有害だった、と示唆されています。また、現時点で利用できるネアンデルタール人ゲノムから、その遺伝的多様性は低く、現生人類と比較して1/10程度の有効人口規模と示唆されています。その結果、ネアンデルタール人においては、自然選択によりそのゲノムから有害な変異を除去する効率は、現生人類よりも低かった、と予測されています(関連記事)。ネアンデルタール人と現生人類の交雑の前の段階では、有害なアレルのより少ない現生人類の方が、適応度は高かっただろう、というわけです。

 有害な変異のほとんどが相加的と仮定すると、ネアンデルタール人のDNAは交雑後の現生人類のゲノムから急速に除去され、ユーラシアでは10%程度から現在の2~3%程度に低下する、と推定されました。ネアンデルタール人など古代型ホモ属からの遺伝子移入の割合は、遺伝子に対する選択圧の強さに大きく依存しています。逆に、有害な多様体が劣性(潜性)である場合、ネアンデルタール人由来のDNA領域が除去されずに残った可能性もあります。この場合、ヘテロ接合性を高め、有害な影響を減らすことにより、交雑個体群への選択的利点がもたらされます。ただ本論文は、ネアンデルタール人のゲノムに存在したアレルの有害性と、遺伝子移入されたハプロタイプに関する劣性もしくは相加的多様体の相対的影響の体系的定量化がさらに必要になる、と指摘しています。これにより、現生人類におけるネアンデルタール人の遺伝的影響およびその地域集団間の差について、より正確に理解できるようになるだろう、というわけです。

 次に本論文は、遺伝子移入された機能的アレルについて検証しています。自然選択は、遺伝子移入された古代型機能的アレルに大きな影響を与えました。古代型遺伝子移入は、プロモーターやタンパク質コード領域のような機能的関連領域では、エンハンサーのような他の領域と比較して、それほど顕著ではないようです。ゲノム全体で規模がより大きいことを考えると、エンハンサーはネアンデルタール人のアレルで最多となる機能的要素と推測されます。したがって、ネアンデルタール人の遺伝子移入の表現型の影響のかなりの部分は、エンハンサー活性の変化に関連する、と予想されます。これに関して本論文は、ディープラーニングと組み合わせることで、ネアンデルタール人特有の遺伝的多様体が現生人類の表現型に与える影響、さらには地域集団間の差について、さらに理解できるようになるかもしれない、と展望しています。

 次に本論文は、古代型機能的アレルのエピスタシスの不適合について検証しています。これまで、古代型ハプロタイプの調節効果を特徴づけるため、古代型と非古代型のアレルの相対的な発現が比較され、ネアンデルタール人のハプロタイプは一般的に発現水準が低くなる傾向にあり、それは脳と精巣で最も顕著である、と明らかになりました(関連記事)。これは、共通祖先を有する2子孫系統における不適合変異の固定というモデルで予測される、エピスタシス相互作用に起因するネアンデルタール人と現生人類の間の遺伝的不適合の発生を支持する、と解釈されています。現代人のX染色体と精巣付近での古代型系統の弱い発現は、交雑第一世代の繁殖能力が低いという見解を支持します(関連記事)。また、古代型ホモ属との交雑が、交雑個体の認知能力に影響を及ぼした可能性も示唆されています。本論文は、現生人類系統における機能的ネアンデルタール人アレルの除去に対するエピスタシス不適合の評価には、さらなる研究が必要と指摘しています。

 また本論文は、古代型ホモ属からの遺伝子移入による適応度について検証しています。現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来のDNA領域の全体的な有害性にも関わらず、出アフリカ直後の現生人類が新たな環境に適応するさいに、古代型DNAが有益だった、との見解が次第に受け入れられてきました。ただ、正の選択の検出に用いられてきた痕跡は古代型遺伝子移入により残されたものと類似しているので、古代型ホモ属からの適応的遺伝子移入事象の検出は困難な作業のままです。遺伝子移入の適応的性質を効率的に把握するため、古代型集団と特定の現代人集団で共有されたアレルの統計的枠組みが提案されています(関連記事)。これにより、体脂肪の特定タイプから熱を発生させることで、イヌイットの寒冷適応に貢献しているのではないか、とされていたTBX15やWARS2の多様体が、デニソワ人由来と推測されています。また、免疫機能については、古代型遺伝子移入により現生人類の一部集団の適応度が向上した、と推測されています。その中には、ヨーロッパにおいて現生人類が新たな細菌やウイルスに対抗するのに有益だった、と推測されているものもあります(関連記事)。

 近年では、古代型ホモ属との交雑を通じて、失われた遺伝的多様性が回復された可能性についても注目されています。ネアンデルタール人など古代型ホモ属との交雑により適応的に遺伝子移入されたハプロタイプが、ネアンデルタール人固有ではない場合もあり、具体的にはOAS1遺伝子座です。現代ヨーロッパ人においてネアンデルタール人のハプロタイプとして存在するアレルのrs10774671-Gは、OAS1のスプライシングを変え、抗ウイルス活性を増加させます。興味深いことに、この多様体はアフリカ集団にも高頻度で存在します。これらの知見が示唆するのは、ユーラシアで起きたOAS1遺伝子座関連の遺伝子移入が、現生人類において出アフリカによるボトルネック(瓶首効果)で失われた有益なアレルを再移入した、と示唆します。まだ査読中の研究(Rinker et al., 2019)は、古代型ホモ属との交雑を通じての機能的アレルの再移入が一般的現象だった、と示唆します。しかし、そのような再移入された多様体が古代型遺伝子移入の適応的性質にどの程度寄与したのかは、現時点では未解決のままである、と本論文は指摘します。

 本論文は最後に、ネアンデルタール人以外の古代型ホモ属からの遺伝子移入について言及しています。これまで、古代型遺伝子移入の機能的結果を理解する研究のほとんどは、おもにネアンデルタール人と現代ユーラシア人、とくにヨーロッパ人を対象としてきました。しかし、デニソワ人のゲノム配列も報告されており、古代ゲノムの数は増加しつつあります。これは、現代のゲノムから直接的に古代型DNA領域の識別を可能にするとともに、古代の集団多様性パターンと、絶滅人類およびその現生人類との交雑史の解明に役立ちます。たとえば、現代オセアニア人のゲノムにおける古代型系統の分析と定量化は、デニソワ人の過去の歴史と、オセアニアの早期現生人類の適応にデニソワ人が貢献した程度を理解する手がかりとなります。同様に、早期アフリカ人もまた未知の古代型人類と交雑した可能性が次第に支持されるようになっていますが(関連記事)、さらなる調査が必要になる、と本論文は指摘します。近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、私の知見・能力では全容を的確に理解することは無理ですが、少しずつ関連研究を追いかけていくつもりです。


参考文献:
Rinker DC. et al.(2019): Neanderthal introgression reintroduced functional ancestral alleles lost in Eurasian populations. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/533257

Rotival M, and Quintana-Murci L.(2020): Functional consequences of archaic introgression and their impact on fitness. Genome Biology, 21, 3.
https://doi.org/10.1186/s13059-019-1920-z

アフリカ南部における中期石器時代の根茎の調理

 アフリカ南部における中期石器時代の根茎の調理に関する研究(Wadley et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。植物は遺跡では残りにくいため、先史時代に関しては植物採集よりも狩猟の方が注目を集めています。しかし、過去の研究から、植物食が狩猟採集民において重要な食資源となり得たことは間違いありません。植物でも、根茎や球根などの地下植物はヒトにとって重要な炭水化物源となり、調理すると消化性が向上し、毒性が減少します。火を使用する前の地下植物の残骸はまだ確認されていません。イスラエル北部のフラ(Hula)湖畔にある、下部旧石器時代のアシューリアン(Acheulian)遺跡として有名なジスルバノトヤコブ(Gesher Benot Ya‘aqov)では、78万年前頃の根茎が発見されています(関連記事)。その他にもアフリカ南部の遺跡では地下植物が発見されています。

 本論文は、南アフリカ共和国のボーダー洞窟(Border Cave)の中期石器時代層における根茎の調理の痕跡について報告しています。この根茎は、5BS層と4WA層で発見されました。年代は、少なくとも17万年前までさかのぼります。根茎を洞窟まで運べるのはヒトだけだと考えられます。これらの根茎は炭化しており、調理が示唆されます。ボーダー洞窟の中期石器時代前期の年代は、歯のエナメル質の電子スピン共鳴法によると、5BS層は177000年前頃に始まり、その直下の4WA層は150000年前頃に始まり、99000年前頃までには終わっていた、と推定されました。

 本論文は、ボーダー洞窟の根茎をその形態から全てヒポキシス属に分類し、その中の1種(Hypoxis angustifolia Lam)である可能性が高い、と推測しています。ヒポキシス属の根茎は栄養価が高く、必須ビタミンとミネラルも含まれます。また、ヒポキシス属の根茎は生でも食べられますが、調理すると柔らかくなり、さらに食べやすくなります。ヒポキシス属はボーダー洞窟周辺も含めてさまざまな土地で繁茂し、サハラ砂漠以南のアフリカやインド洋の複数の島にも分布しています。

 ヒポキシス属の根茎は、デンプン質の栄養価が高い食料となり、広範囲に分布することから、遊動的な初期のヒトにとって信頼できる主食源になった可能性があります。30万年前頃のアフリカ東部のヒト集団は、すでに数十km以上の広い活動範囲を有していた、と推測されています(関連記事)。ヒポキシス属根茎のようなデンプン質の栄養価の高い植物は、すでに火を制御できるようになっていたであろう中期石器時代の遊動的なヒト集団にとって重要な食資源になり、その遊動性を可能にした一因になった、と考えられます。


参考文献:
Wadley L. et al.(2020): Cooked starchy rhizomes in Africa 170 thousand years ago. Science, 367, 6473, 87–91.
https://doi.org/10.1126/science.aaz5926

『卑弥呼』第32話「将軍の告白」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年1月20日号掲載分の感想です。前回は、仮面を着けた男性たちに包囲されている千穂の祭祀場で、ヤノハが義母の教えを回想しながら祭壇にむかうところで終了しました。今回は、ミマト将軍とその配下の兵士たちが、祭祀場へと向かうべく森の中を急いでいる場面から始まります。ミマト将軍たちはその途中で、自軍の兵士たちが殺害されて木に吊るされているのを見つけます。弔いをしようと仲間を木から降ろそうとする兵士たちに、鬼退治が先だ、と言って祭祀場へと急ぐよう、促します。その先にも仲間の死体があり、精鋭が殺されたことに兵士たちは怯み始めますが、ミマト将軍は先へと急ぎます。森の端まで来たミマト将軍たちは、仮面を着けた多数の男性たちが祭祀場を包囲していることに気づきます。

 祭祀場では、鬼八荒神(キハチコウジン)に指示されたヤノハが祭壇となっている岩に立ち、生贄役のイクメやミマアキたちと「送り人」のオオヒコが心配そうに見守っていました。白髪の髪の長い男性の支持を受けた男たちは、ヤノハを岩の上に組み敷き、熊の被り物をした男性がヤノハへと斧を振り下ろそうとします。ここでヤノハが指令を出し、オオヒコやイクメやミマアキたちが一斉に反撃に出ます。ヤノハは熊の被り物をした男性を小刀で刺して殺し、この男は覡(カンナギ)だ、と言います。ミマアキは、覡というよりも呪い師と考えていました。オオヒコの投げた石で男たちのうち一人は倒され、イクメも小刀で男を一人倒します。ヤノハは、二人の男に守られている、白髪の髪の長い男性が王だ、と宣言します。イクメは弟のミマアキに、王(鬼八)を殺すよう、指示しますが、ヤノハは王を生け捕りにするよう、ミマアキに命じます。ミマアキとその恋人であるクラトは、王を守る二人の男性と対峙し、ミマアキはあっさりと小刀で刺しますが、クラトは槍で突かれそうになります。しかし、男の槍の穂先は石器で、クラトの金属製の小刀により折れてしまい、クラトは男を刺し殺します。すると、王は鉄製と思われる刀を抜きいて高く掲げ、まずい、とヤノハは言います。

 祭祀場の近くまで迫ったミマト将軍に、配下の兵士は、異形の男たちは言葉を持っているのだろうか、と尋ねます。ミマト将軍は、叫びにも我々の言葉に似ているようにも思える、と答えます。テヅチ将軍の本隊は巳の刻(午前10時頃)に到着するだろうから、それまで待機しよう、と進言する配下に対してミマト将軍は、それでは遅い、人柱も人柱に潜ませた兵も殺されるから、自分たちだけで背後を突く、と答えます。しかし、自軍は10人程度なのに敵は大勢だ、と怯む配下に対してミマト将軍は、勝算はある、と一括します。それでも配下は、普段から戦人は勝つのが使命で、勝利とは生き残ってこそである、と言ってきたミマト将軍に、今戦えば敗北は必至で、とてもミマト将軍らしからぬ言動だ、と諫言します。するとミマト将軍は、配下に謝り、日見子(ヒミコ)たるヤノハから、鬼八に献上した人柱の中に日見子(卑弥呼)様もいる、と打ち明けます。日見子様は、自らも命を賭けねば人心はまとまらないと考えているのだ、とミマト将軍は配下に説明します。

 ミマト将軍の説明に配下は納得しますが、ミマト将軍はさらに、これは偽りだ、と言って配下に謝罪し、本心を打ち明けます。人柱の中にイクメ・ミマアキという二人の子供を潜ませているので、その身を案じており、ただ子供たちに会いたいために、犠牲になった兵士たちにも配下の者にも冷淡に振舞った、というわけです。これは将軍としてはあってはならない利己心なので、皆の命を粗末に扱おうとしたことを今は恥じている、と配下に謝罪したミマト将軍は、テヅチ将軍の本隊を待とう、と提案します。すると配下たちは、ミマト将軍に勝算の根拠を尋ねます。自分たちの命は将軍に預けており、弱みや本音を正直に打ち明ける主君を助けずに何が家臣か、というわけです。ミマト将軍が、仮面を着けた男性たちは人で、その武器は、と言ったところで言い淀みます。家臣たちは一瞬困惑しますが、すぐにミマト将軍が配下の者たちに、そなたらは家臣ではなく友だ、と言うところで今回は終了です。


 今回は、ミマト将軍が実質的な主人公でした。剛毅で配下を大切にしながら、弱さも抱えており、それを打ち明ける率直さもある、というミマト将軍の人柄は、これまでの描写と整合的になっており、説得的であるとともに魅力的になっていました。本作の人物造形は巧みなのですが、ミマト将軍は現時点で、トメ将軍と鞠智彦(ククチヒコ)に次いで魅力的な人物造形になっているように思います。今後、九州のみならず四国や本州、さらには朝鮮半島や魏や呉の人物も登場するのではないか、と期待しています。ミマト将軍がこの苦境において、いかなる策を立てているのか、次回がたいへん楽しみです。

 鬼八荒神はまだ謎めいた存在ですが、ヤノハやイクメやミマアキたちにあっさりと殺されていったのは、油断が大きかったのでしょうか。森に兵士たちが潜んでいたことから、警戒していたはずですが、おそらく五瀬邑も過去に何度か同じ対策を取っており、その都度撃退していたので、今回もその繰り返しにすぎない、と楽観していたのでしょうか。祭祀場を包囲している男たちが、祭祀場で覡たちが殺されているにも関わらず、動いていない様子なのがなぜなのか、よく分かりませんが、あまりにも予想外のことが短時間で起きたため、対処できず呆然としている、ということでしょうか。あるいは、王らしき男性の合図まで待機しているのかもしれません。そうすると、王らしき男性が刀を抜いて掲げたことが合図で、祭祀場を包囲している男たちが殺到してくるのかもしれません。鬼八荒神は技術的には暈(クマ)など九州の倭の国々よりも劣っているようですが、王らしき男性は鉄製と思われる刀を有しており、これは五瀬邑からの貢物なのかもしれません。ヤノハがこの苦境をどう切り抜けるのか、注目されます。

中世バスク地方で見られる寒冷期におけるミトコンドリアへの選択圧とトレードオフ

 中世バスク地方におけるミトコンドリアへの選択圧とトレードオフに関する研究(Laza et al., 2019)が公表されました。エネルギーを生成し活性酸素を生産するミトコンドリアの機能障害は、神経変性疾患や代謝性疾患やリウマチ性病変や加齢および癌と関連する過程など、いくつかのヒト疾患の発症に影響を与えているかもしれない、とさまざまな証拠が示唆しています。本論文は、リウマチ性疾患の分析と、その発症および有病率におけるミトコンドリア系統の役割を検証します。

 骨関節炎の患者の軟骨細胞ではミトコンドリアの機能が変化する、と示されており、酸化ストレスを引き起こし、軟骨細胞のアポトーシス(自然死)と軟骨の分解を増加させます。現在まで、いくつかの研究は、ミトコンドリアのハプログループ(mtHg)とリウマチ性疾患との関係を分析しています。mtHg-H・Uは変性骨疾患を発症するより高い危険性と顕著に関連しており、重症度が高い、と報告されてきました。一方、mtHg- J・Tは骨関節炎の発症率と進行の減少と顕著に関連しており、mtHg-Jは乾癬性関節炎とも関連しています。

 しかし、ヨーロッパ集団のmtHgとリウマチ性関節炎との間に顕著な関連は見出されていませんでした。リウマチ性疾患の発症におけるmtHg-Hの役割は、高いエネルギー効率がより大きな酸化ストレスを生成し、軟骨の分解と変性骨疾患発症の危険性の原因となる活性酸素の生産を増加させる、というミトコンドリアの性質に起因します。他方、mtHg- J・Tの保護効果の要因としては、カロリーをアデノシン三リン酸(ATP)に変換する過程におけるエネルギー効率の低さに起因する、という可能性が挙げられます。これにより、活性酸素の生産量は低くなり、酸化ダメージは少なくなります。このメカニズムは細胞を自然死から保護し、骨関節炎の発病に関連する軟骨の変性を減少させます。

 いくつかのmtHgとリウマチ性疾患との差異を示す関連は、出アフリカ後の寒冷気候への現生人類(Homo sapiens)の適応過程と関連しているかもしれない、と示唆されています。mtHg-Hは現在、ヨーロッパで最も一般的(40~55%)で多様であり、その起源は30000~25000年前頃のアジア南西部にあり、22000年前頃以降の最終氷期極大期(LGM)以前に近東からヨーロッパへ拡散した、と推測されています。mtHg-Uの現代ヨーロッパにおける割合は11%ほどで、ヨーロッパ最古の系統と考えられており、アジア南西部で55000年前頃に出現し、ヨーロッパへと拡散した、と推測されています。mtHg-H・UはLGMにヨーロッパ南西部の待避所に存在し、その後に再拡大したため、その分布頻度は異なる人口統計学的および文化的要因により形成されました。異なる環境でのヒトの適応に不可欠ないくつかのミトコンドリア多様体は、特定の気候地域に住んでいた集団の生存と繁殖では適応的かもしれませんが、他の地域では適応的ではないかもしれません。

 本論文は、バスク州のサン・ミゲル・デ・エスカラーダ(San Miguel de Ereñozar)の13~16世紀の大規模な中世共同墓地で発見された163人の遺骸を分析することで、これらの疾患とmtHgとの関連を検証し、14~19世紀の小氷期における地球気温低下の影響を考察します。この小氷期には、北半球の気温が著しく低下し、氷河の増大と降水量の増加と不作・飢饉・紛争・疫病などの生存に悪影響がありました。これらの条件は、ミトコンドリアのエネルギー生産過程に影響を及ぼし、ミトコンドリア機能障害とリウマチ性疾患の発症を促進した、と考えられます。なお、バスク人の遺伝的起源は近隣のヨーロッパ集団と大きく違わないのですが、後期青銅器時代~早期鉄器時代以降には、他の近隣集団と比較して孤立傾向が強かった、と推測されています(関連記事)。

 この中世共同墓地で発見された163人中47人でリウマチ性疾患が見られました。本論文はこの163人のうち、リウマチ性疾患を示す47人とそれを示さない43人のミトコンドリアDNA(mtDNA)を解析し、mtHgを決定しました。中世共同墓地の90人のmtHgは、H・U・T・K・R・J・HVの7系統に分類できました。最も多いmtHgはHの73.3%で、現在の同地域でも最多の割合(55.1%)です。中世と現代とで異なる点として挙げられるのは、mtHg-U・Jの割合が現代では中世よりも多いことなどです。中世共同墓地の90人で確認されたmtHgの7系統は、さらに18系統に細分されます。最も多いmtHgはH2(36.7%)で、H1(21.11%)→H3(6.67%)と続きます。これら中世共同墓地のmtHg-Hの割合は、現代の同地域よりも高くなっています。一方、mtHg- U5・J1などの割合は、中世共同墓地よりも現代の同地域の方が高くなっています。合計すると、中世共同墓地の90人のmtHgは55系統が確認され、高い多様性を示すので、同族結婚の可能性は棄却されます。

 リウマチ性疾患を示す47人において、mtHgの7系統(H・U・T・K・R・J・HV)のうちH・U・T・R・Jが確認されました。一方、リウマチ性疾患を示さない43人では、mtHgの7系統がすべて存在しました。mtHg-Hでは、56.1%が関節障害を示しました。他のmtHgでは、Hよりもはるかに低い頻度で、Uが続き、その後のT・R・Jでは5%未満ですが、10%の割合のUでは66.7%がリウマチ性障害を示しました。mtHg-Uでは関節障害を示すのは33.3%でした。mtHg- K・R・J・HVの頻度は低く、K・HVではリウマチ性疾患を示す個体は見られませんでした。リウマチ性疾患のタイプに関しては、mtHg-Hのほぼ半数が脊椎関節症(SpA)を示した一方で、他のmtHgの4系統は、統計的評価のできない小規模な標本を表します。さらに細分化したmtHgでは、最も頻度の高いH2において、66.7%で関節障害が見られます。またmtHg-H2では、他のリウマチ性疾患と比較して、脊椎関節症が57%とひじょうに高い割合で見られます。

 現代ヨーロッパ人は、現生人類が45000年前頃にヨーロッパに到来して以降の歴史により形成されました。現代ヨーロッパ集団のmtHgで最も多いHの分布に大きな役割を果たしたのはLGMの気候変動と考えられています。また、新石器時代のヨーロッパにおける遺伝的構造の変化も、mtHg-Hの多様化と頻度増加の要因と推測されています。mtHg-Hの割合が最も高いのはバスク地方も含めたイベリア半島北部で、そこからヨーロッパの北方と東方に向かって頻度は減少しますが、ウェールズ(約50%)は例外です。

 上述のように、一部のmtHgは変性関節疾患発症の危険性を高めますが、一方で他のmtHgには保護効果がある、と指摘されています。mtHg-Hには変性骨疾患発祥の危険性が高い一方で、mtHg- J・Tなどでは骨関節炎や乾癬性関節炎発症の危険性が低い、というわけです。本論文は、バスク地方の中世共同墓地で、mtHgとリウマチ性疾患との関連を示しました。mtHg-Hでは、その下位区分でリウマチ性疾患の割合に差があり、最も多いH2でリウマチ性疾患の割合が高いのに対して、H1ではリウマチ性疾患の割合が低い、と示されています。これは、mtHg-Hでも下位区分においてリウマチ性疾患発症の危険性と強く関連していることを示唆します。その他のmtHg- U・T・K・R・J・HVに関しては、標本数が少ないことから、リウマチ性疾患発症の危険性との相関は決定できない、と本論文は指摘します。

 これらの疾患におけるmtHgと保護もしくは非保護の役割との間の関係は、上述のようにミトコンドリアの性質に基づいています。つまり、エネルギーが生成されて熱が産生され、体温が維持されますが、活性酸素も産出されます。ミトコンドリアのエネルギー生産効率が高いと体温も維持されるのですが、その分、活性酸素もより多く産出されます。ヨーロッパのmtHgは、最終氷期における低温と関連した選択圧を受けた、と以前の諸研究で指摘されています。本論文は、小氷期の気温低下と食料不足もmtHgの選択圧となり、よりエネルギー効率の高いmtHgが選択されやすくなった、と提案します。上述のように、エネルギー効率の高いmtHgの1系統であるHは、中世において現代よりも高い頻度を有していますが、それは活性酸素の産出増加により、リウマチ性疾患、とくに脊椎関節症の頻度を高めることにもなります。これは生物学的トレードオフ(交換)です。ひじょうに興味深い研究で、他地域での研究の進展が期待されます。


参考文献:
Laza IM. et al.(2019): Environmental factors modulated ancient mitochondrial DNA variability and the prevalence of rheumatic diseases in the Basque Country. Scientific Reports, 9, 20380.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56921-x

牧野雅彦『ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2009年1月に刊行されました。本書は、ドイツ視点からのヴェルサイユ条約締結へと至る交渉史ですが、副題にあるように、ウェーバーの言説と関与を取り上げることで、ヴェルサイユ条約の意義をより深く分析するとともに、外交における大きな転機となった第一次世界大戦末期から直後の世界的思潮を掘り下げています。「戦争責任」とウェーバーの「責任倫理」では「責任」に当たる原語が違うなど、基礎的知識の不足のため知らなかったことも多く、勉強になりました。

 講和条約交渉に限らず、一般的に交渉は難しいものですが、本書を読んで改めて痛感します。ドイツはアメリカ合衆国のウィルソン大統領の理想主義に期待を寄せるところがありましたが、本書を読むと、ドイツがウィルソン大統領の意図を必ずしも的確に読めていなかった、と了解されます。ただ、第一次世界大戦末期以降、世界的な民主主義の浸透とロシア革命により、一部指導層による従来の秘密外交をそのまま継続することはもはやできず、大衆の動向を強く考慮しなければいけなくなった激変期でしたから、情勢の読み間違いには仕方のないところもあり、ウィルソン大統領にしても、自分の構想の実現には挫折しました。

 ウェーバーは、第一次世界大戦の原因として第一にメシアを挙げていますが、興味深いのは、ロシアへの警戒感がひじょうに強いことです。ドイツは、フランスに負ければ領土の一部を失い、イギリスに負ければ海外貿易は麻痺するかもしれませんが、ロシアに負ければ独立を失うことになるだろうから、ロシアこそドイツに向けられた唯一の脅威であり、世界の文化に対する脅威でもある、とウェーバーは論じます。させにウェーバーは、ロシアの潜在的脅威は帝政崩壊後も存続するだろう、との見通しを提示しています。ここには、ドイツというかヨーロッパ西方知識人のロシアへの偏見もあるのでしょうが、真理の一面であることも否定できないように思います。じっさい、帝政ロシア崩壊後のソ連も、ソ連崩壊後の混乱を経たプーチン政権下のロシアにも、潜在的な膨張欲が見られます。もっとも、ロシア側に立てば、ヨーロッパこそロシアへの敵意に満ちており、防衛圏の確保はロシアの存続に必須なのだ、と反論できるでしょうし、それも真理の一面であることは否定できないでしょう。

一部の現代人で確認されたデニソワ人由来のミトコンドリアDNA

 一部の現代人で種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のミトコンドリアDNA(mtDNA)が確認された、と報告した研究(Bücking et al., 2019)が公表されました。核DNA中のミトコンドリアDNA配列(NUMT)の存在は、さまざまな真核生物で報告されています。ヒト参照ゲノムでは、合計755個のNUMTが確認されています。また、世界中の地域集団でさまざまなNUMTが特定されており、今後その数は増加する、と予測されています。NUMTのサイズはさまざまで、合計するとmtDNAのほぼ全体が含まれますが、その特定領域が優先的に挿入される証拠はありません。一般的にNUMTは核DNA内では非コード配列で、長い期間にわたる欠失や複製や変異などにより変わっていきます。最近の挿入では、mtDNAよりも核DNAの方が変異率は低いため、挿入時の配列が保存される傾向にあります。こうしたNUMT配列の頻度や存在もしくは不在パターンは、集団の遺伝的関係の研究に用いられています。NUMTは、現生種と絶滅種の交雑事象の検出にも用いられてきました。

 そこで本論文は、現生人類との交雑が確認されているネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)およびデニソワ人由来のNUMTが現代人の核DNAに存在するのか、検証しました。ネアンデルタール人とデニソワ人の核DNAの一部は、出アフリカ系現代人において低い割合ながら確認されています。ネアンデルタール人由来のDNA領域の割合は、出アフリカ系現代人のゲノムでは約2%と推定されており、各地域集団間で大きな違いはありませんが、デニソワ人に関しては地域集団間で大きな差があり、ユーラシア西部集団のゲノムではほとんど検出されず、ユーラシア東部およびアメリカ大陸先住民集団ではわずかに、オセアニア集団では4~6%程度確認されており、こうした古代型ホモ属と現生人類との交雑は複数回起きたのではないか、と推測されています(関連記事)。

 このように、ネアンデルタール人やデニソワ人のような古代型ホモ属から現生人類への核DNAの遺伝子移入は広く検出されていますが、現代人では古代型ホモ属に由来するミトコンドリアは確認されていません。ただ、現代人の核DNAにおける古代型ホモ属のNUMTはまだ体系的に調査されていません。現代人の核DNAに古代型ホモ属由来のNUMTが存在するとしたら、古代型ホモ属において起き、その後に古代型ホモ属の核DNAとともに現生人類に遺伝子移入されたか、古代型ホモ属のミトコンドリアが交雑により現生人類に継承され、その後に現生人類系統でNUMTが新たに発生した、という2通りが想定されます。後者では、古代型ホモ属女性と現生人類男性との交雑が起きたことを示します。この2通りの経路は、古代型ホモ属由来のNUMTの周囲のゲノム領域の調査で区別できます。前者の場合、その周辺領域も古代型ホモ属由来のDNAで構成される、と予想されます。後者の場合、NUMTが交雑により遺伝子移入された古代型ホモ属由来の領域に挿入されるのでなければ、周辺領域は現生人類のDNAで構成される、と予想されます。

 本論文は、古代型ホモ属由来のNUMTを検出するため、ネアンデルタール人とデニソワ人両方からの遺伝子移入が確認されているインドネシアとオセアニアの221人のゲノムを解析しました。その結果、5ヶ所の古代型ホモ属由来の候補となりそうなNUMTが検出されました。そのうちNUMT 1_5966は58塩基対で、ネアンデルタール人およびデニソワ人のmtDNAと共通しますが、ほとんどの現代人では1塩基対異なっており、古代型ホモ属との分岐前か、現生人類系統が各地域集団に分岐する前に挿入された可能性を本論文は提示しています。NUMT 2_3389は246塩基対で、全ての現代人および後期ネアンデルタール人と単系統群を形成してデニソワ人とは異なっており、これはmtDNAの系統樹と同様で、現代人の変異内から完全に外れているわけではありません。本論文は、これが現生人類の出アフリカ前に挿入された、と推定しています。

 NUMT hs37d5_2745は446塩基対で、現代人の変異内に収まりますが、デニソワ人および早期ネアンデルタール人系統(関連記事)と単系統群を形成し、ネアンデルタール人とは異なっています。これはmtDNAの系統樹と異なり、デニソワ人からのNUMTである可能性も考えられますが、本論文は、収斂進化の可能性もあるとして、古代型ホモ属由来であると判断するのは避けています。NUMT 4_1787はデニソワ人のmtDNAと同一で、オーストロネシア語のインドネシア西部集団の5人で検出されました。しかし、43塩基対しかなく、他の現代人とは1ヶ所のみで異なるので、本論文はデニソワ人のmtDNA由来と断定していません。

 NUMT 3_1384は251塩基対で、インドネシア東部およびニューギニアの15人で検出されました。これは現代人およびネアンデルタール人の変異内に収まらず、デニソワ人および早期ネアンデルタール人と単系統群を形成します。本論文は、これがデニソワ人由来のmtDNAである可能性を指摘します。上述のように、NUMT 3_1384がどのような経路で一部の現代人のゲノムに伝わったのか、その隣接領域が分析されました。すると、デニソワ人と一部現代人とで共有されているアレル(対立遺伝子)が特定されました。これは、デニソワ人においてNUMTが起き、現生人類の一部集団のゲノムに交雑により伝えられた可能性が高い、と示唆します。

 本論文は、ヒト参照ゲノムにないさまざまなNUMTを発見しており、今後解析対象を拡大すれば、この数は増加していくと予測されます。一部の集団にのみ固有のNUMTは、現生人類の出アフリカの頃かその後の挿入の可能性が高いと考えられるなど、NUMTは人類の進化と拡散を考察する手がかりとなるので、今後範囲を拡大しての研究の進展が大いに期待されます。また、これらの結果は、ヒト核ゲノムへのmtDNAの挿入が最近でも継続している証拠となります。人類の進化は今でも続いていること(関連記事)をNUMTも示している、と言えるでしょう。


参考文献:
Bücking G. et al.(2019): Archaic mitochondrial DNA inserts in modern day nuclear genomes. BMC Genomics, 20, 1017.
https://doi.org/10.1186/s12864-019-6392-8

マウンテンゴリラの雄の子育て

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、マウンテンゴリラ(Gorilla beringei beringei)の雄の子育てに関する研究(Rosenbaum et al., 2019)が報道されました。哺乳類では雄の子育ては稀ですが、ヒヒやゴリラやヒトなどで観察されています。これには、栄養状態の改善や子殺し・捕食などからの保護といった効果があり、乳児の生存率を高めています。雄は子育てにより自身の子の適応度を高められますし、あるいは自身の子ではなくとも、子の母親との交配機会を増やす効果があるかもしれません。

 本論文は、マウンテンゴリラにおける雄の子育ての機能を検証しています。マウンテンゴリラ集団の過半数は1頭の雄と雌および両者の間の子供から構成されますが(単雄複雌)、40%ほどでは繁殖年齢の複数の雄(最大では9頭ほど)が、雌やその仔と共存しています(複雄複雌)。マウンテンゴリラ集団の子の大半は支配的な雄が父親ですが、他の雄にも繁殖機会があります。マウンテンゴリラ集団では、乳児の死亡の20%ほどが殺害によるもので、ほとんどは外部集団によるものですが、集団内での殺害も稀にあります。この割合は社会的不安定期には37%にまで上昇します。

 複雄複雌のマウンテンゴリラ集団では、雄は自分の子か否かに関わらず、子育てに関わります。これには繁殖機会の増加という効果があるとも指摘されており、本論文はそれを検証します。本論文が調査した結果、子育てへの関与度合で下位1/3の雄の子の数に対して、中位1/3の雄は1.16倍、上位1/3は5.50倍である、と明らかになりました。雄の年齢や集団内の順位を考慮しても、子育てへの関与度合と子の数との間には強い相関が確認されました。本論文のデータは、子育てと繁殖成功の直接的要因を示すわけではありませんが、交配努力仮説と一致しています。雌は、乳児と最も関わる、またはとくに寛容な雄と優先的に交配する、というわけです。子育てに積極的に関わる社交的な雄は、雌により社会的に魅力的とみなされ、交配の機会が増加する、と考えられます。雌の選択は、交配システムや社会的集団構造と同じように、進化的には重要です。

 また本論文は、マウンテンゴリラ集団ではごく最近になって、雄の子育てと繁殖成功との関係が強化された可能性を指摘しています。マウンテンゴリラ集団はもともと、その顕著な性的二形や体格と比較しての精巣の小ささなどから、単雄複雌だった、と指摘されています。マウンテンゴリラと近縁で、175万年前頃に分岐したと推定されている(関連記事)ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)集団は、ほぼ単雄複雌です。また、ヴィルンガ山地のマウンテンゴリラに関する初期の記録では、集団はおもに単雄複雌です。複雄複雌のマウンテンゴリラ集団は、1990年代から2000年代初頭まで定期的には観察されませんでした。

 本論文はこれら複数の証拠から、マウンテンゴリラの複雄複雌集団はごく最近になって出現した、と推測します。いくつかの霊長類種では、雌が定期的に集団外の雄と交配しますが、行動観察データと遺伝的データからは、マウンテンゴリラでもニシローランドゴリラでも、雌が集団外の雄と交配することはひじょうに稀と確認されています。マウンテンゴリラにおける父系識別の明らかな欠如は、雄にとって自分の子の識別を可能とする単雄複雌の歴史が長かったという進化史の副産物で、その結果として現在の「誤った」父親の子育てパターンが生じたのかもしれない、と本論文は推測しています。

 集団のかなりの割合が進化的に新しい交配システムにいる場合、雄が自分の子を識別できない(しにくい)関係は、新たな進化の結果をもたらすかもしれない、と本論文は指摘します。既存の社会生態学的理論では、こうした関係が雄にコストをもたらす場合、識別メカニズムが進化するか、雄と乳児との相互作用の割合が低下する、と予測します。しかし、本論文のデータはそうした予測とは対照的に、雄と乳児との相互作用が識別の欠如において積極的に選択され得る、という証拠を提供します。これは、行動の柔軟性、この場合は社会的集団構造の変化がどのように、選択されて活性化していく新たな表現型多様性を生成するのかを示す、具体例となります。

 こうした動物の行動と繁殖成功との関係は、高い父性の確実性がない場合に、雄の投資の精巧な形態がどう進化するのか、一つの潜在的経路を示します。動物において雄の世話は、他のあらゆる交配システムとよりも、単雄単雌(一夫一婦)に関連していることが多くなっています。系統発生学的分析からは、成熟した雌が互いに孤独で不寛容であると、哺乳類の単雄単雌は進化する場合が多い、と示唆されます。しかしこれは、マウンテンゴリラの一部集団の事例を説明しません。

 ゴリラやヒヒなどは、一方もしくは両方の適応度上昇をもたらすような雄と乳児との間の関係を示しますが、それは最も極端で精巧な形でヒト(Homo sapiens)において発生します。ヒトでは、雄の世話は義務というよりも任意ですが、子供における雄の投資水準はある程度文化的に普遍的です。しかし、ヒトの形態的特徴および行動は、化石人類と同様に、単雄単雌(一夫一婦)が進化史のほとんどで支配的ではなかった、と示唆します。ヒトも含むいくつかの非単雄単雌の霊長類種で雄の子育てが発生するという事実は、雄の世話がいくつかの代替的な経路で進化し得る、と示唆します。本論文のデータは、雄と幼児との相互作用およびその交配努力が相互補完的だったとするシナリオに、証拠を提供します。このパターンは最初に、雄と若い個体の社会的絆の形成を促進するかもしれません。

 なお、ヒトの場合と同様に、ホルモンが雄の子育て行動の促進に役立つのか、調査中とのことで。ヒトの雄では、テストステロンは雄が父親になるにつれて低下し、新生児に注意を集中させるのに役立つ、と考えられています。テストステロンの低下は他の雄との競争能力を低下させるため、何らかの利益がなければならない、と考えられています。あるいはマウンテンゴリラにおいて、テストステロンが低下しない場合は、高水準のテストステロンと子育てが排他的ではないのかもしれません。

 本論文の見解は、雄の子育てへの関与の進化に複数の経路があり得た可能性を提示したという意味でも興味深く、たいへん注目されます。とくに、マウンテンゴリラと近縁なヒトの配偶システムがどのように進化してきたのか、推測するうえで参考になりそうです。本論文は、マウンテンゴリラの複雄複雌集団の出現というかある程度の一般化は20世紀末から21世紀初頭になってからと推測していますが、おそらくこれはマウンテンゴリラの柔軟性に基盤があり、過去にも時として複雄複雌集団が出現していたのではないか、と思います。20世紀末から21世紀初頭のマウンテンゴリラ集団の変化は、あるいはヒトの活動による生息域の縮小や気候変動などに対応した結果なのかもしれません。

 ヒトと最近縁なのはチンパンジー属で、その次がゴリラ属ですが、これら3系統の現在の社会形態から推測すると、これら3系統の最終共通祖先はおそらく単雄複雌集団で、時として複雄複雌集団も形成する柔軟性を備えていたのでしょう。そこからチンパンジー属系統は、捕食圧などから複雄複雌集団を維持しつつ、父性の確認と自身の子の世話よりも雄による精子競争に特化していき、ヒト系統はまた異なる進化を経ていったのでしょう。ヒト系統の場合、とくにホモ属以降、出産が困難になったことにより、ゴリラ属系統やチンパンジー属系統よりもずっと、単雄単雌(一夫一婦)的特徴が強くなり、父性の確実性が高くなり雄による子育ても維持・強くなっていった一方で、捕食圧への対抗などから複雄複雌集団を維持し、家族とより大規模な集団を両立させたのではないか、と考えているのですが、基本文献となる『家族進化論』も的確に整理できておらず(関連記事)、漠然とした思いつきにすぎないので、今後もこの問題は少しずつ調べていきます。


参考文献:
Rosenbaum S. et al.(2018): Caring for infants is associated with increased reproductive success for male mountain gorillas. Scientific Reports, 8, 15223.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33380-4

再来年(2022年)の大河ドラマの予想

 そろそろ再来年(2022年)の大河ドラマが発表されそうなので、予想してみます。まず大前提として、2年連続で時代が重なることはあまりなく、多少重なったとしても舞台となる地域は異なる場合がほとんどのようだ、ということが挙げられます。来年は渋沢栄一が主人公なので、近現代ものである可能性はひじょうに低く、序盤で幕末も描かれるでしょうから、幕末の可能性も低いでしょう。まあ、1980年代には近現代ものが3年続きましたが、近年の大河ドラマの視聴率低迷は深刻で、NHKもそれを気にしているようですから、視聴率が低い傾向にある近現代ものである可能性はほとんどないと思います。

 そうすると、やはり人気の高い戦国時代が最有力でしょうか。以前から当ブログで有力候補として推しているのは、知名度は低そうではあるものの、大河ドラマ化発表前の井伊直虎よりは知名度が上で、まだ主要な舞台となっていない佐賀県(肥前)の人物である、鍋島直茂とその妻(陽泰院)です。2018~2021年の主人公が男性ですから、陽泰院が主人公の可能性もじゅうぶんあります。NHK好みの夫婦愛を描けそうという点でも有力です。同じく戦国時代~江戸時代初期の人物で、立花宗茂も有力だと思います。ただ、宗茂は関ヶ原合戦以降の人生が長いので、そこが難点かもしれません。もっとも、それは伊達政宗も同様だったわけですし、大坂の陣と島原の乱もあるので、後半も見せ場は作れそうです。

 戦国時代と幕末以外では、かつては大河ドラマの定番だったものの、20年以上取り上げられていない忠臣蔵が考えられます。ただ、近年では忠臣蔵の人気低下が指摘されていますから、いかに大河ドラマの主要な視聴者層である高齢者にはなじみ深い題材とはいっても、今さら取り上げられるのか、疑問も残ります。とはいえ、かつての定番でしたし、今でも映画で取り上げられることもあるので、豪華な配役で派手にやる可能性もあるかな、とは思います。その場合、2018~2021年の主人公が男性ですから、主人公は大石内蔵助ではなく、その妻の「りく」もしくは瑤泉院になるかもしれません。

 その他の時代では、かつては大河ドラマの定番だったものの、20年以上取り上げられていない忠臣蔵が考えられます。ただ、近年では忠臣蔵の人気低下が指摘されていますから、いかに大河ドラマの主要な視聴者層である高齢者にはなじみ深い題材とはいっても、今さら取り上げられるのか、疑問も残ります。とはいえ、かつての定番でしたし、今でも映画で取り上げられることもあるので、豪華な配役で派手にやる可能性もあるかな、とは思います。その場合、2018~2021年の主人公が男性ですから、主人公は大石内蔵助ではなく、その妻の「りく」もしくは瑤泉院になるかもしれません。

 江戸時代であれば、田沼時代から化政文化まで描けるということで、松平定信ならあり得るかな、と思います。定信ならば、田沼意次との因縁も描けますし、町人文化の視点を打ち出して東洲斎写楽など著名な文化人も登場させれば、なかなか華やかになるのではないか、と思います。この時期を取り上げた時代劇は珍しくないので、衣装・小道具・セットの使いまわしや考証の点で、他の大河ドラマの空白期間よりも有利だと思います。これまでの大河ドラマの主人公はほとんどが武士かその妻だったので、新たな視点ということで、蔦屋重三郎を主人公としても面白いかもしれません。

 以上、まとめると、再来年(2022年)の大河ドラマの主人公(題材)の予想は以下のようになります。
◎最有力・・・鍋島直茂の妻(陽泰院)
○有力・・・・・立花宗茂
▲穴狙い・・・大石内蔵助の妻もしくは瑤泉院(忠臣蔵)、松平定信もしくは蔦屋重三郎

古人類学の記事のまとめ(39)2019年9月~2019年12月

 2019年9月~2019年12月のこのブログの古人類学関連の記事を以下に整理しておきます。なお、過去のまとめについては、2019年9月~2019年12月の古人類学関連の記事の後に一括して記載します。私以外の人には役立たないまとめでしょうが、当ブログは不特定多数の読者がいるという前提のもとに執筆しているとはいえ、基本的には備忘録的なものですので、今後もこのような自分だけのための記事が増えていくと思います。


●ホモ属登場以前の人類関連の記事

Craig Stanford『新しいチンパンジー学 わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか?』
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_48.html

鮮新世の温暖化
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_21.html

ヒトと大型類人猿の脳発生の違い
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_36.html

ヒト科の進化的放散と系統
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_54.html

ヨーロッパの中期中新世類人猿の二足歩行
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_40.html

母系制で平和的なボノボ社会
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_3.html

全現生種は同じ時間を進化してきた
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_16.html

アナメンシスとアファレンシスの年代の統計的推定
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_15.html

ギガントピテクス属の歯のタンパク質解析
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_19.html

閉経後のシャチの祖母は孫の生存率を高める
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_25.html

ボノボの詳細な形態とヒトとの共通性
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_56.html


●フロレシエンシス・ネアンデルタール人・デニソワ人・現生人類以外のホモ属関連の記事

アフリカ外最古となる人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_39.html

ヨーロッパ北西部最古のアシューリアン
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_55.html

アシューリアン期レヴァントにおける用途に適した石器の製作
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_57.html

ドマニシの前期更新世のサイの歯のタンパク質解析
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_11.html

顔面形態から推測されるハイデルベルク人の位置づけ
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_19.html

ホモ属の出現過程
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_17.html

ジャワ島の末期エレクトスの年代の見直し(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_35.html


●ネアンデルタール人関連の記事

ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列を可能とする手法
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_29.html

ネアンデルタール人の足跡
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_44.html

イラン高原西部のネアンデルタール人の歯
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_64.html

20万年前頃までさかのぼるエーゲ海中央の人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_39.html

ネアンデルタール人が制作したによる猛禽類の爪の装飾品
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_10.html

1990年代のネアンデルタール人への低評価
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_55.html


●デニソワ人関連の記事

ネアンデルタール人よりも現生人類の方と類似しているデニソワ人の指
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_21.html

DNAメチル化地図から推測されるデニソワ人の形態(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_50.html

デニソワ洞窟の堆積物の微視的分析
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_61.html

現代アジア東部集団とデニソワ人の交雑の根拠とされた臼歯に関する議論
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_43.html


●フロレシエンシス関連の記事

フロレシエンシスの足
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_41.html


●現生人類の起源や象徴的思考に関する記事

古澤拓郎『ホモ・サピエンスの15万年 連続体の人類生態史』
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_20.html

Y染色体ハプログループDの改訂
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html

頭蓋の比較によるアフリカの中期更新世後期人類の多様性と現生人類の起源
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_30.html

レヴァントオーリナシアンの担い手
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_32.html

一般的だった後期ホモ属の各系統間の遺伝子流動
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_35.html

イベリア半島西部への現生人類の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_37.html

数千人のゲノム規模データから推定される人類進化史
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_41.html

現生人類の起源に関するモデル
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_56.html

ニア洞窟群の10万年以上前の人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_4.html

メラネシア人における古代型人類からの遺伝子移入
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_41.html

イベリア半島北部における上部旧石器時代の幼児の下顎
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_42.html

10万年以上前までさかのぼるかもしれないアジア南部への現生人類の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_43.html

現代人アフリカ南部起源説
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_35.html

森恒二『創世のタイガ』第6巻(講談社)
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_41.html

山本秀樹「現生人類単一起源説と言語の系統について」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_46.html

サハラ砂漠以南のアフリカにおける現生人類と未知の人類との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_14.html

4万年以上前までさかのぼるヨーロッパの投射技術
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_23.html

44000年以上前のスラウェシ島の形象的な洞窟壁画(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_27.html

Y染色体から推測される更新世におけるユーラシア東方から西方への大規模な移動
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_30.html

人類進化に関する誤解補足
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_53.html


●日本列島やユーラシア東部に関する記事

最古の大麻喫煙
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_40.html

オホーツク文化人のハプログループY遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_5.html

日本人の身長関連遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_16.html

ヒマラヤにおける人類集団の長期の遺伝的安定性
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_18.html

中国のフェイ人(回族)の遺伝的起源
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_27.html

ヤグノブ人の遺伝的歴史
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_28.html

縄文人と弥生人の顔と性格の違いまとめ
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_44.html

天皇はなぜ「王(キング)」ではなく「皇帝(エンペラー)」なのか
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_46.html

皇位継承の根拠をY染色体とする言説について、竹内久美子氏より有本香氏の見解の方がずっとまとも
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_8.html

北條芳隆編『考古学講義』第2刷
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_20.html

大西秀之「アイヌ民族・文化形成における異系統集団の混淆―二重波モデルを理解するための民族史事例の検討」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_24.html

考古資料から人類集団の遺伝的継続・変容の程度を判断することは難しい
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_31.html

松本克己「日本語の系統とその遺伝子的背景」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_44.html

梅津和夫『DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで』
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_53.html

アジア東部集団の形成過程
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_2.html

アジア人のゲノム
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_9.html

皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内久美子氏の認識はある意味で正しい
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_12.html


●アメリカ大陸における人類の移住・拡散に関する記事

末期更新世における大型動物の絶滅の影響
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_54.html

アメリカ合衆国における先住民の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_63.html

以前の見解よりも早期に起きていたマヤ社会における暴力的な争い
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_30.html


●ネアンデルタール人滅亡後のユーラシア西部に関する記事

クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_5.html

アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html

近東の家畜ウシの起源と遺伝的変容
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_25.html

イタリア半島の人口史
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_38.html

先史時代の育児
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_23.html

スカンジナビア半島の戦斧文化集団の遺伝的起源
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_25.html

ドイツ南部の青銅器時代の社会構造
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_29.html

チャタルヒュユク遺跡の被葬者のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_55.html

何故欧州の科学者はネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNAを公表しないのだろう?
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_15.html

長期にわたるローマ住民の遺伝的構成の変遷(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_21.html

中世カトリック教会による西洋工業化社会への心理的影響
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_23.html

社会的な父親と生物学的な父親の不一致率と人口密度および階級との相関
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_34.html

スコットランド人の遺伝的構造
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_47.html

イギリスにおける移住と遺伝子の差との関連
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_22.html

古代人が噛んだカバノキの樹脂に含まれる遺伝的情報
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_33.html


●進化心理学に関する記事

退役軍人の心的外傷後ストレス障害の遺伝的解明
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_6.html

試験でのパフォーマンス持続性の性差
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_11.html

人間の歌の普遍的パターン
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_42.html

『性の進化論 女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_4.html

感情を表す言葉における普遍性と多様性
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_39.html


●その他の記事

近親交配と健康への影響
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_12.html

鳴禽類の聴覚技能の学習
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_28.html

過去136万年間の地中海の冬季降水量
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_31.html

アフリカ東部の5000年前頃の巨大な墓地
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_52.html

久住眞理、久住武『ヒューマン 私たち人類の壮大な物語─生命誕生から人間の未来までを見すえる総合科学』
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_13.html

バンツー語族集団の拡大と適応
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_17.html

口蓋の差と母音の進化
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_31.html

南極の氷から推測される気候周期
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_4.html

注目が高まるY染色体
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_13.html

更科功『残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか』
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_30.html

家畜ウマの父系起源
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_38.html

脊椎動物の遺伝的な寿命予測
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_32.html

2010年代の古人類学
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_44.html

種系統樹と個々の遺伝子の近縁性が一致するとは限らない
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_46.html

20世紀を駆け抜けたフェミニスト田中寿美子さん
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_52.html

2019年の古人類学界
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_57.html



過去のまとめ一覧

古人類学の記事のまとめ(0)
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https://sicambre.at.webry.info/201605/article_1.html

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https://sicambre.at.webry.info/201701/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(31)
https://sicambre.at.webry.info/201705/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(32)
https://sicambre.at.webry.info/201709/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(33)
https://sicambre.at.webry.info/201801/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(34)
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(35)
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(36)
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(37)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(38)
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_1.html

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。ついに2020年を迎えました。毎年元旦には同じような記事を掲載しており、たまには変わったことを述べようと思うのですが、これといって思い浮かびません。今年も色々と不愉快なことが起きそうですが、人生には楽しみも多いのだ、と開き直ってしぶとく生きていき、古人類学を中心としてさまざまな分野で勉強と情報収集を地道に続けていくつもりです。昨年は、一昨年並には古人類学関連の文献を読めたと思います。ブログの記事更新数は、1年単位では過去最多となりました。これまでは、2018年の597本が最高でしたが、2019年は679本とこれまでの記録を大きく更新しました。それでも、古代DNA研究はとくにそうですが、最新の研究動向にはほとんど追いつけていないので、追いつくのは無理としても、関連文献を少しでも多く読んでいこう、と考えています。

 ただ、昨年は1年単位での記事更新数が過去最多だったとはいっても、Y染色体や縄文時代や皇位継承などで似たような記事を複数書いてしまった、と反省もしています。じっさい、過去の記事の流用と継ぎ接ぎで終わったような記事も複数掲載してしまいました。また、あまり拡散・定着しそうにない馬鹿げたものを揶揄するように取り上げたことも複数回あったので、そうした無駄なことは極力やらず、備忘録らしく論文や本をできるだけ多く取り上げていこう、と考えています。また、古人類学関連の記事はかなりの本数になったので、色々と主題を設定し、まとめる作業も進めていくつもりです。

 大きな買い物は昨年と一昨年でほぼ終わったと考えていますので、当分は節約を心がけていこう、と考えています。まあ、節約は個人や家族のような小単位では多くの場合で合理的な選択ですが、多くの人が節約に努めれば、社会は貧困化してけっきょく多くの人が苦しむことになります(合成の誤謬)。ほとんどの社会問題は結局のところ、トレードオフ(交換)と合成の誤謬に行きつくので、多くの社会問題は解決困難なのだろう、と私は考えています。もちろん私程度の知見では有効な具体策は思いつかないのですが、私は、こうした矛盾を抱えて解決策を講じていくのも人間の宿命だろう、と開き直り、しぶとく生き続けていきたいものです。