加藤徹『西太后 大清帝国最後の光芒』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2005年9月に刊行されました。本書は西太后の伝記ですが、西太后を広く中国史の文脈に位置づけているのが特徴です。本書は2005年刊行ですから、その後の研究の進展により訂正されるべきところもあるかもしれませんが、日本語で読める手頃な西太后の伝記としては、今でも優れているのではないか、と思います。日本では今でも、一般的には西太后への印象は悪いでしょうし、その中には本書で否定された荒唐無稽な逸話もあるでしょうから、その意味でも、本書を今読む意義はあると思います。

 西太后というと、一般的には権力欲旺盛で残忍な人物と考えられているでしょうが、本書はこの点について注意を喚起しています。本書は、権勢には戦争による領土拡張も含む、思い通りの国造りを目指す男性型と、至高の生活文化を満喫する女性型とがあり、西太后は後者だった、と指摘します。男性型と女性型という区分が適切なのか、大いに疑問が残りますが、権勢とはいっても、政治権力志向と生活文化志向に区分することは重要だと思います。もちろん、少なからぬ権力者はその両方を志向するでしょうし、生活文化志向も政治権力志向と無縁ではあり得ませんが、西太后が本質的には生活文化志向型だった、との指摘はおそらく妥当でしょう。

 本書は、同じ最高権力者の女性とはいっても、西太后は漢の呂后や唐(周)の武則天(則天武后)とは異なり、目標としたのは乾隆帝の生母である崇慶太后だった、と指摘します。西太后の本意は、息子の同治帝やその後継者とした甥の光緒帝が成人後は政治を任せ、豪勢で優雅な生活を楽しみ、50歳や60歳といった節目となる誕生日を盛大に祝ってもらうことだった、と本書は指摘します。じっさい、西太后は成長した光緒帝に一度は政権を返上しています。また本書は、西太后(に限らず支配層)の贅沢な生活が、所得再分配的な意味合いもあったことを指摘します。

 このような志向の西太后が最高権力者として君臨できたのは、本人の優れた資質と努力もあったわけですが、本書から窺えるのは、西太后が当時の支配層の女性としても珍しく文書を理解でき、それが権力掌握に役立ったとはいっても、公文書作成能力は科挙官僚や一般官人に遠く及ばず、狭い宮廷社会での権力者としては優れていても、広い視野の優れた政治家とはとても言えそうにない、ということです。もっとも、政治権力志向型の野心家ではなかった西太后に言わせれば、自分は政治家として大国の舵取りをするつもりはなかったから、そのための修養を積んでこなかった、ということなのでしょう。

 また本書は、西太后が現代中国の在り様の雛型を作った、と指摘します。現在、中国が領土を主張する地域はほぼ西太后が権力者だった時代のものですし、光緒帝が「過激化」する前には認めていた中体西用を基底に置く洋務運動は改革開放以降の路線と通ずる、というわけです。さらに重要なのは、西太后が義和団を利用して列強を打倒し、さらなる権力の掌握を図ったことは、大衆を政治運動に活用するという点で、後の文化大革命と通ずる、という視点です。本書は西太后を、現代中国を理解するうえで重要な人物として描き出しており、たいへん興味深く読み進められました。なお、本書は光緒帝暗殺説を否定していますが、本書刊行後の2008年に、光緒帝暗殺説が有力になった、と報道されました(関連記事)。

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