北海道の縄文時代のコクゾウムシ混入土器

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、北海道の縄文時代のコクゾウムシ混入土器に関する研究(Obata et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。コクゾウムシ(Sitophilus zeamais)はオサゾウムシ科の甲虫で、貯蔵米の害虫として知られています。2003年頃より、土器の表面や断面についたタネやムシの痕跡を探る土器圧痕法という研究手法により、日本全国で縄文土器を中心にコクゾウムシの圧痕が多数検出されてきました(関連記事)。このコクゾウムシは、現在では、圧痕で発見される昆虫の9割以上を占めています。

 本論文の筆頭著者である小畑弘己氏の研究チームは、2010年、1万年前頃のコクゾウムシ圧痕を日本南部の種子島で発見し、それまでイネとともに朝鮮半島経由でユーラシア大陸から渡来したと考えられてきたコクゾウムシが、イネの伝播よりずっと前からドングリやクリなどの貯蔵堅果類を加害する害虫だった、と明らかにしました。小畑氏たちは、土器圧痕調査を進める中で、2012年には日本の北部に位置する青森県三内丸山遺跡においてもコクゾウムシが存在する、と明らかにしました。寒い冬を迎える地域にもコクゾウムシが生息していたことは、ヒトによる食料の拡散と冬でも暖かな屋内環境があったことを示すもので、現代の貯蔵食物(穀物)害虫拡散のメカニズムがすでに縄文時代にあった、と推定されます。

 小畑氏たちは、2013年から開始した北海道の館崎遺跡における土器圧痕調査の過程で、北海道で初めてコクゾウムシ圧痕を発見し、2016年2月にはコクゾウムシが多量に土器の粘土中に練り込まれた土器を発見しました。小畑氏たちはこの土器をX線CT撮影し、断層に現れるコクゾウムシの空隙を数え、土器の残存部に417点のコクゾウムシ成虫が含まれている、と明らかにしました。さらに、土器は部分的に欠落箇所があり、これらが完全に残っていた場合、土器の表面積の計算上、501点という多量のコクゾウムシ成虫が入っていた可能性もあります。

 また本論文は、全国で発見された43ヶ所337点のコクゾウムシ圧痕の体の大きさを計測・比較し、東日本のコクゾウムシの体長が西日本のコクゾウムシより2割ほど大きいことを発見しました。本論文はその大きさの違いについて、コクゾウムシの加害した食料(縄文人の利用堅果類)の違い、つまり、東日本のクリと西日本のコナラ属(イチイガシ、果実は通常ドングリと呼ばれます)の栄養価の違いに起因する、と推定しています。さらに本論文は、クリは北海道には本来自生せず、これまでの研究において、三内丸山遺跡に代表される円筒土器文化圏の人々が北海道へ運んだものと考えられていることから、館崎遺跡におけるコクゾウムシの発見は、東北の縄文人たちが船で津軽海峡を越えて、コクゾウムシに加害されたクリ果実を運んだ証拠である、という可能性を指摘しています。小畑氏は、多量のコクゾウムシ成虫が混入された意味について、縄文人たちがクリの化身としてクリ果実の豊穣を願って練り込んだのではないか、と推定しています。


参考文献:
Obata H, Morimotob K, and Miyanoshita A.(2019): Discovery of the Jomon era maize weevils in Hokkaido, Japan and its mean. Journal of Archaeological Science: Reports, 23, 137–156.
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2018.10.037

ショウジョウバエの「文化伝達」

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、ショウジョウバエの「文化伝達」に関する研究(Danchin et al., 2018)が公表されました。日本語の解説記事もあります。地域特有の伝統が生まれて存続できることこそ、文化の証だと考えられてきました。文化的伝統の社会伝達が、認知機能があまり発達していない種を含む、現在知られている非ヒト動物にも存在し得ることが理論上は示唆されていますが、その実証的証拠はほとんどありません。しかも、文化継承の根底にあるプロセスもよく分かっていません。

 この研究は、継承された特徴が社会的に学習されてほかの動物に広がること、という動物文化の機構的定義を提案し、キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の交尾手順に当てはめています。この研究は一連の実験を通して、雌のショウジョウバエに他のメスがさまざまなパートナーと交尾するところを見せると、雌のショウジョウバエは他の雌から交尾相手に対する好みを素早く学習し、自らの交尾相手を選ぶさいにその好みを真似る傾向が強かった、と明らかにしました。この研究はさらに、この観察結果に基づくモデルにより、こうした社会的な学習と適合が地域特有の伝統を生み出して何千世代も維持し得ることと、考慮すべき進化的意味をもつことが裏づけられた、と指摘します。文化はヒトとごく一部の鳥類・哺乳類にしか存在しない、と以前は考えられていましたが、文化をもつ動物が次々に明らかにされてきており、この研究の知見は、文化が生物の系統樹においてもっと広範に存在する可能性を示唆しています。


参考文献:
Danchin E. et al.(2018): Cultural flies: Conformist social learning in fruitflies predicts long-lasting mate-choice traditions. Science, 362, 6418, 1025–1030.
https://doi.org/10.1126/science.aat1590

マラリアを伝搬する蚊の熱源探索行動

 マラリアを伝搬する蚊の熱源探索行動に関する研究(Greppi et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。温血宿主を発見して吸血するために不可欠なマラリアを伝搬する蚊の熱源探索行動は、昔は体温を低く保つための熱の回避に特化していた温度受容体に依存しています。現在マラリアを伝搬する蚊がこの受容体を持っているのは、熱源を標的にする、つまり餌を見つけるためです。この研究は、蚊の熱源探索阻止の方法を示唆しており、マラリアのような蚊が媒介する病気を抑制する新しい方法の開発指針になる、と期待されます。

 あらゆる媒介昆虫の中でもおそらく蚊は最もよく知られており、さまざまな病原体の宿主の伝搬に関与しています。ワクチンの使用や媒介蚊への殺虫剤使用といった方法でマラリアを抑制するのは難しい、と判明しており、研究者たちは代替手段を模索しています。病気を拡大する他の昆虫と同様に、蚊は体温感知の特殊な受容体を使って、餌である血液源を狙っています。しかし、蚊の熱源探索行動の分子基盤は解明されていません。この研究は、祖先伝来の冷却活性化受容体が、サハラ砂漠以南のアフリカの大半の地域でマラリアを伝搬する主要媒介蚊である、ガンビエハマダラカ(Anopheles gambiae)の熱感知に関与しているのかどうか、評価しました。

 この研究は、ゲノムレベル解析と標識CRISPR-Cas9突然変異体を用いて、進化過程で保存された感覚温度受容体IR21aを熱源探索行動の主要推進源として特定しました。Ir21aは他の昆虫では冷却受容体として熱の回避を仲介しており、これにより昆虫は最適な体温を維持できるようになっています。この研究は、ガンビエハマダラカの吸血習性が高温感知を促進するためのこの先祖伝来の温度受容体を転用して進化した、と推測しています。Ir21aの阻止により熱源探索行動が完全になくなることはありませんでしたが、雌の蚊が血液源を発見する能力は大幅に低下しました。これまでの媒介者生態の研究の中心は化学受容で、温度受容は比較的軽視されていましたが、この研究が熱感覚の大本を特定することで、生物の媒介による病気を抑制できる可能性が開けました。


参考文献:
Greppi C. et al.(2020): Mosquito heat seeking is driven by an ancestral cooling receptor. Science, 367, 6478, 681–684.
https://doi.org/10.1126/science.aay9847

井上寿一『論点別昭和史 戦争への道』

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2019年11月に刊行されました。本書は、10の視点での敗戦までの昭和史(1926~1945年)です。それぞれ、天皇(なぜ立憲君主が「聖断」を下したのか)、女性(戦争に反対したのか協力したのか)、メディア(新聞・ラジオに戦争責任はなかったのか)、経済(先進国か後進国か)、格差(誰が「贅沢は敵だ」を支持したのか)、政党(なぜ政党内閣は短命に終わったのか)、官僚(なぜ官僚が権力の中枢を占めるようになったのか)、外交(なぜ協調外交が戦争を招いたのか)、日米開戦(なぜ回避できなかったのか)、アジア(侵略か解放か)です。

 本書は敗戦までの昭和史の現代的意義として、現代日本社会の諸問題の歴史的な起源が昭和の始まりにまでさかのぼることを挙げています。確かに、政治と官僚や国民世論に影響を受ける外交やさまざまな格差など、現代日本社会の諸問題の起点として、敗戦までの昭和時代は有益な視点を提供している、とは思います。本書は、上述のさまざまな論点に関して、著者の見解のみを提示するのではなく、論争史に言及しつつ、複数の見解を取り上げています。とはいっても、一般向けであることを意識して、さまざまな見解が比較的分かりやすく紹介されており、参考文献も多数掲載されているので、敗戦までの昭和史の入門書として適していると思います。

 本書で取り上げられている論点の中には、すでに他の新書などでも扱われているものもあり、当ブログで言及したものもありますが、興味深いものが多く、現代日本社会への示唆にもなっています。全体的に本書は、アメリカ合衆国との戦争の回避など、選択されなかった可能性の検証に力点を置いているように思います。たとえば、敗戦前の政党政治は五・一五事件で終わり、敗戦後に復活しましたが、五・一五事件の後もしばらくは、政党政治の復活が有力視されていた、というような見解です。では、なぜ政党政治が敗戦前には復活しなかったのか、という視点から、本書は昭和初期日本の特徴を解明していこうとします。本書は、敗戦前日本の政党政治が大日本帝国憲法下の高度な分権体制を動かせる強力なもので、世界恐慌や対外危機といった対外的要因と、官僚や軍部といった非選出勢力の進出と、政党の腐敗といった自壊的な対内的要因との複合効果により終焉した、との見通しを提示しています。

 本書は日本が最終的にアメリカ合衆国との戦争を選択したことに関して、何度も回避する機会があった、と指摘します。それが最終的に開戦に至った理由として、陸軍は「万一の僥倖」に賭け、海軍は組織利益を守るために避戦よりも開戦を選択した、と本書は指摘します。結果的に、陸軍はジリ貧に陥ることを恐れてドカ貧になってしまった、と言えるでしょう。アメリカ合衆国との関係を悪化させた要因として、よく日独伊三国同盟が挙げられますが、当時の日本の支配層には、これにより日本の外交的立場が強化され、アメリカ合衆国との交渉で有利になる、との思惑があったようです。しかし、独ソ戦が始まり、日本にとっての日独伊三国同盟の外交効果は低下した、と本書は指摘します。本書は、日本がアメリカ合衆国との戦争を回避できなくなった時点として、1941年6月を挙げています。同月22日に独ソ戦が始まり、25日に南部仏印進駐が決定されたからです。