海部陽介「日本列島へたどり着いた三万年前の祖先たち」

 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』所収の論文です。本論文はまず、3万年前頃までには、現生人類(Homo sapiens)が極寒地域や標高4000m以上の高地から熱帯雨林までアジア全域の多様な環境に適応して拡散していた、と指摘します。しかし、いつ到来したのかについては、議論が続いています。アジアで最古級の現生人類遺骸として注目されているのは、スマトラ島中部のリダアジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡で発見された73000~63000年前頃の現生人類の歯です(関連記事)。しかし本論文は、この2点の歯は博物館の収集物から見つけられたもので、報告者たちが見つけたものではなく、古い地層で発見されたのか定かではない、と本論文は疑問を呈します。また、この歯が出土したとされる層から発見されたオランウータンの歯には、地中の鉱物が取り込まれて黒いシミができている一方で、全体的に脱色もしていますが、現生人類の歯はそれとは状態が大きく違うことも疑問点とされています。

 本論文は、西太平洋における渡海を伴う現生人類の拡散に注目しています。現生人類は、サフルランド(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸・ニューギニア島・ タスマニア島は陸続きでした)に47000年前頃もしくは6万年以上前、日本列島とフィリピンへ38000年前頃に拡散した、と考えられます。つまり、西太平洋の広域で5万~3万年前頃に現生人類が海に進出していたわけで、人類が最初に本格的に海洋進出を開始したのは西太平洋かもしれません。日本列島に現生人類が拡散してきた38000年前頃には、海面が現在と比較して80mほど低く、台湾がユーラシアの一部となり、北海道がサハリンとつながっているなど、現在とはかなり地形が異なります。しかし、津軽海峡と対馬海峡には当時も海があり、沖縄の島々も大陸や九州と陸続きにはなっていないため、日本列島の中心部は基本的に海で隔てられていました。日本列島における現生人類と関連していると考えられる遺跡では、九州と本州が最も古く、日本列島最古の現生人類は朝鮮半島から対馬海峡を経て到来した、と考えられます。また本論文は、台湾からの渡海も想定しています。考古学では、25000年前頃北方から新たな石器文化が到来した、と考えられています。つまり、北方・朝鮮半島・台湾という大陸の三方から日本列島へ、やや異なる時代に現生人類が到来しただろう、というわけです。

 琉球列島における現生人類の痕跡は、最北の種子島で35000年前頃、奄美大島では3万年前頃、徳之島では3万年前をややさかのぼる頃、沖縄島では35000年前頃(サキタリ洞遺跡では世界最古級とされる23000年前頃貝殻製の釣り針が発見されています)、宮古島では3万年前頃、石垣島では27500年前頃までさかのぼります。それまで無人だった琉球列島の全域に、3万年前頃に突然現生人類が出現するわけです。屋久島はかつて九州と陸続きになったことがあるため、動物相は日本列島主要部と類似していますが、屋久島より南の島々にはアマミノクロウサギなど固有種がおり、動物相はかなり異なります。これは、屋久島より南の島々の長期の孤立を示します。

 本論文は、琉球列島への3万年前頃の航海は、その後に人類集団が少なくとも一定期間以上継続したと考えられることから、すべてを漂流の結果と考えるのには無理がある、と指摘します。また本論文は、伊豆諸島の神津島の黒曜石が本州で見つかっており、その年代は38000年前頃までさかのぼることから、その頃にはすでに意図的な航海が存在した、と指摘します。3万年前頃の台湾から琉球列島への航海を再現した実験から、現生人類が世界中へ拡散した理由として、避難や追放など消極的な理由だけではなく、新たな世界に挑戦する心理があったのではないか、と推測しています。この航海実験にどれだけの妥当性があるのかは、今後も検証が続けられていくでしょう。


参考文献:
海部陽介(2020)「日本列島へたどり着いた三万年前の祖先たち」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第4章P129-149

三畳紀中期の新種鱗竜形類

 三畳紀中期の新種鱗竜形類に関する研究(Sobral et al., 2020)が公表されました。鱗竜形類は規模と多様性が最大級の四肢動物系統で、10500種以上が含まれており、現代のトカゲ類・ヘビ類・ムカシトカゲ類の祖先に相当します。しかし、化石標本は、数ヶ所の三畳紀の遺跡でしか発見されておらず、鱗竜形類の初期進化はほとんど解明されていません。この研究は、ドイツのベルベルグにある三畳紀中期(約2億4700万年~2億3700万年前)の堆積層から発見された小さな化石について報告しています。

 分析の結果、この化石標本は、初期鱗竜形類の新種(Vellbergia bartholomaei)と明らかになりました。また、この化石標本は遺跡で発見された中で最小のものに分類され、ベルベルグで発掘された初めての幼体化石である可能性が指摘されています。この新種初期鱗竜形類は、下顎と比べて幅の狭い歯・細長い歯・低い歯などの独特な特徴を示しており、他の鱗竜形類種と異なっていますが、現代のトカゲ類とムカシトカゲ類の祖先に見られる特徴も見られます。これらの知見は、この新種初期鱗竜形類がトカゲ類とムカシトカゲ類の共通祖先である可能性を示唆しており、初期爬虫類の進化に関する理解に寄与します。

 この新種初期鱗竜形類化石は、鱗竜形類の初期進化を解明するうえでベルベルグの遺跡が重要なことを示す新たな証拠となります。三畳紀前期の化石記録は数が少ないため、地球上で起こった既知の絶滅事象の中で最大規模のペルム紀と三畳紀の境界(約2億5200万年前)で生じた大量絶滅の後、脊椎動物が回復し、現生種に多様化した過程を解明するうえで、三畳紀中期の化石標本が根本的に重要なものとなっています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


古生物学:爬虫類の進化の謎に光を与える先史時代の小さなトカゲ

 先史時代の爬虫類の新種がドイツで発見され、Vellbergia bartholomaeiと命名されたことを報告する論文が、今週Scientific Reportsに掲載される。この爬虫類種の解剖学的特徴によって、鱗竜形類の初期進化の理解が深まる。

 鱗竜形類は、規模と多様性が最大級の四肢動物系統で、1万500種以上が含まれており、現代のトカゲ類、ヘビ類、ムカシトカゲ類の祖先に当たる。しかし、化石標本は、数か所の三畳紀の遺跡でしか発見されておらず、鱗竜形類の初期進化は、ほとんど解明されていない。

 今回、Gabriela Sobralたちの研究チームは、ドイツのベルベルグにある三畳紀中期(2億4700万年~2億3700万年前)の堆積層から小さな化石を発見した。分析の結果、この化石標本は、初期の鱗竜形類の新種であることが分かった。そして、この遺跡で発見された化石標本の中で最も小さいものに分類され、ベルベルグで発掘された初めての幼体化石である可能性がある。V. bartholomaeiは、下顎と比べて幅の狭い歯、細長い歯、低い歯などの独特な特徴を示しており、他の鱗竜形類種と異なっているのだが、現代のトカゲ類とムカシトカゲ類の祖先に見られる特徴も寄せ集められている。これらの知見は、Vellbergiaがトカゲ類とムカシトカゲ類の共通祖先である可能性を示唆しており、初期爬虫類の進化に関する理解が深まる。

 この化石は、鱗竜形類の初期進化を解明する上でベルベルグの遺跡が重要なことを示す新たな証拠である。三畳紀前期の化石記録は数が少ないため、地球上で起こった既知の絶滅事象の中で最も規模の大きいペルム紀と三畳紀の境界(約2億5200万年前)で生じた大量絶滅の後、脊椎動物が回復し、現生種に多様化した過程を解明する上で三畳紀中期の化石標本が根本的に重要なものとなっている。



参考文献:
Sobral G, Simões TR, and Schoch RR.(2020): A tiny new Middle Triassic stem-lepidosauromorph from Germany: implications for the early evolution of lepidosauromorphs and the Vellberg fauna. Scientific Reports, 10, 2273.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-58883-x

保阪正康『昭和の怪物 七つの謎』第3刷

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2018年7月に刊行されました。第1刷の刊行は2018年7月です。本書は、昭和時代の「怪物」とそれにまつわる「謎」を取り上げています。具体的には、東條英機は何に脅えていたのか(第1章)、石原莞爾は東條暗殺計画を知っていたのか(第2章)、石原莞爾の「世界最終戦論」とは何だったのか(第3章)、犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか(第4章)、渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか(第5章)、瀬島龍三は史実をどう改竄したのか(第6章)、吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか(第7章)です。

 本書の全体的な論調として気になるのは、勧善懲悪的な側面がやや強いように思えるところです。本書は概して大日本帝国軍部に厳しく、吉田茂など部に対抗した人々に好意的です。もちろん、教条的・精神論的・保身的な軍人と対立し、むしろ敵視されていたような軍人は好意的に取り上げられています。たとえば、二・二六事件で殺害された渡辺錠太郎です。本書では、その娘である渡辺和子への著者による取材も取り上げられていますが、渡辺和子は二・二六事件を終生赦さなかった、と指摘されています。渡辺和子がとくに嫌っていたのは、二・二六事件で父を殺害した実行犯の軍人たちよりも、それを煽りながら、「後ろにいて逃げ隠れした人たち」でした。具体的には、真崎甚三郎と荒木貞夫です。

 本書第1章は、東條英機が何に脅えていたのか、論じています。本書は、昭和天皇から非戦を期待されて首相に就任した後の東條が「自らの影」、陸相時代など首相就任前に自らが煽った強硬論に脅えていた、と論じます。本書の描く東條英機は、大日本帝国の統治機構をろくに理解しておらず、視野狭窄で意固地な器の小さい人物で、首相どころか師団長の器でさえなかった、との印象を受けます。正直なところ、本書は東條を過小評価しているのではないか、と思うのですが、東條が首相の器ではなかったことは否定できないでしょう。そうした人物が難局で首相に就任したことに、東條個人の力量だけではなく、大日本帝国とその軍部の問題も潜んでいるのだと思います。