中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史

 中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史に関する研究(Marcus et al., 2020)が報道されました。サルデーニャ島は、100歳以上の割合が高く、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような自己免疫疾患や病気の割合が平均よりも高いため、病気や加齢に関連する可能性のある遺伝的多様体を発見するために注目されてきました。サルデーニャ島の現代人全体の遺伝的多様体の頻度は、しばしばヨーロッパ本土とは異なり、ヨーロッパ本土では現在ひじょうに稀な遺伝的多様体も見られ、その独特な遺伝的構成が研究されてきました。

 アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島の現代人とよく似ていました。また、スウェーデン・ハンガリー・スペインなど、離れた地域の初期農耕民も、遺伝的にはサルデーニャ島の現代人とよく似ていました。この類似性の理解には、ヨーロッパにおける人口史の解明が必要です。ヨーロッパにおける現代人に直接的につながる人類集団は、まず旧石器時代と中石器時代の狩猟採集民です。次に、新石器時代農耕民集団が紀元前7000年頃以降に中東からアナトリア半島とバルカン半島を経てヨーロッパに到来し、在来の狩猟採集民集団と交雑しました。紀元前3000年頃以降にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を中心とするユーラシア草原地帯の集団がヨーロッパに拡散し、さらに混合しました。これらヨーロッパの現代人を構成した遺伝的系統は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)・初期ヨーロッパ農耕民(EEF)・早期草原地帯集団としてモデル化できます。サルデーニャ島の人類集団は早い段階で高水準のEEF系統の影響を受け、その後は比較的孤立しており、ヨーロッパ本土とは異なり草原地帯系統の影響をほとんど受けなかった、と推測されています。しかし、このサルデーニャ島の人口史モデルは、古代ゲノムデータではまだ本格的に検証されていませんでした。

 サルデーニャ島の最古の人類遺骸は2万年前頃までさかのぼります。考古学的記録からは、サルデーニャ島の人口密度は中石器時代には低く、紀元前六千年紀の新石器時代の開始以降に人口が増加し、紀元前5500年頃、新石器時代の土器はサルデーニャ島を含む地中海西部に急速に拡大した、と推測されています。後期新石器時代には、サルデーニャ島の黒曜石が地中海西部で広範に見られ、サルデーニャ島が海洋交易ネットワークに統合されたことを示唆します。青銅器時代の紀元前1600年頃に、独特な石造物で知られるヌラーゲ文化が出現します。ヌラーゲ文化後期の考古学および歴史学的記録は、ミケーネやレヴァントやキプロスの商人など、いくつかの地中海集団の直接的影響を示します。紀元前9世紀後半から紀元前8世紀前半にかけて、現在のレバノンとパレスチナ北部を起源とするフェニキア人がサルデーニャ島南岸に集落を集中して設立したため、ヌラーゲ文化の集落はサルデーニャ島の大半で減少しました。サルデーニャ島は紀元前6世紀後半にカルタゴに支配され、紀元前237年にはローマ軍に占領されて、その10年後にローマの属州となりました。サルデーニャ島はローマ帝国期を通じて、イタリアおよびアフリカ北部中央と密接につながっていました。ローマ帝国崩壊後、サルデーニャ島は次第に自立していきましたが、ビザンツ帝国をはじめとする地中海の主要勢力との関係は続きました。

 サルデーニャ島の住民は集団遺伝学において長く研究されてきましたが、その理由の一部は、上述のように医学にとって重要なためです。サルデーニャ島の現代人集団は遺伝的に複数の亜集団に分類されており、中央部と東部の山岳地帯は比較的孤立しており、WHGおよびEEF系統がわずかに多い、と明らかになっています。サルデーニャ島集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究では、コルシカ島と文化・言語的つながりのある北部において、中央部と東部の山岳地帯より遺伝的構成の変化が大きく、21人の古代mtDNA研究では、サルデーニャ島特有のmtDNAハプログループ(mtHg)のほとんどは新石器時代かその後に起源があり、それ以前のものはわずかだった、と推測されています。サルデーニャ島のフェニキア人居住地のmtDNA分析では、フェニキア人集団とサルデーニャ島集団との継続性と遺伝子流動が推測されています。カルタゴおよびローマ期の大規模共同墓地では、3人でβサラセミア多様体が見つかっています。

 本論文は、放射性炭素年代で紀元前4100~紀元後1500年頃となる、サルデーニャ島の20ヶ所以上の遺跡で発見された70人のゲノム規模データを生成します。本論文は、サルデーニャ島の人口史の3側面を調査します。まず、紀元前5700~紀元前3400年頃の新石器時代の個体群です。当時、サルデーニャ島に拡大した初期の人々はどのような遺伝的構成だったのか、という観点です。次に、紀元前3400~紀元前2300年頃の銅器時代から紀元前2300~紀元前1000年頃の青銅器時代です。考古学的記録に観察される異なる文化的移行を通じて、遺伝的転換はあったのか、という観点です。最後に、青銅器時代以後で、地中海の主要な文化とより最近のイタリア半島集団は、検出可能な遺伝子流動をもたらしたのか、という観点です。本論文は、サルデーニャ島の初期標本はヨーロッパ本土の初期農耕民集団と遺伝的類似性を示し、ヌラーゲ文化期を通じて混合の顕著な証拠はなく比較的孤立しており、その後は、地中海北部および東部からの交雑の証拠が観察される、との見通しを提示します。

 サルデーニャ島の70人の古代DNAに関しては、完全なmtDNA配列と、120万ヶ所の一塩基多型から構成されるゲノム規模データが得られました。核DNAの平均網羅率は1.02倍です。70人の内訳は、中期~後期新石器時代が6人、早期銅器時代が3人、中期青銅器時代早期が27人、ヌラーゲ文化期が16人で、それ以後では同時代でも遺伝的相違が大きいため、遺跡単位で分類されています。フェニキアおよびカルタゴの遺跡では8人、カルタゴ期では3人、ローマ期では3人、中世は4人です。これらの新石器時代~中世にかけてのサルデーニャ島の人類遺骸からのDNAデータが、ユーラシア西部およびアフリカ北部の既知のデータと比較されました。

 中期~後期新石器時代のサルデーニャ島の個体群は遺伝的に、新石器時代ヨーロッパ西部本土集団、とくにフランスの個体とよく類似していますが、イタリア半島など同時代の他地域の標本数が不足している、と本論文は注意を喚起しています。中期~後期新石器時代ののサルデーニャ島個体群は、早期新石器時代のアナトリア半島集団と比較して、WHG系統の存在が特徴となっています。サルデーニャ島の中期新石器時代~ヌラーゲ文化期までの52人に関しては、mtDNAハプロタイプが全員、Y染色体ハプロタイプが男性34人中30人で決定されました。mtHgは、HVが20人、JTが19人、Uが12人、Xが1人です。同定されたY染色体ハプログループ(YHg)では、11人がR1b1b(R1b-V8)、8人がI2a1b1(I2-M223)で、新石器時代のイベリア半島で一般的なこの2系統で過半数を占めます。YHgでR1b1bもしくはI2a1b1を有する既知の最古の個体はバルカン半島の狩猟採集民および新石器時代個体群で、両者ともに後に西方の新石器時代集団で見られます。

 サルデーニャ島では、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、遺伝的連続性が確認されます。対照的に、ヨーロッパ中央部のような本土では、新石器時代から青銅器時代にかけて、大きな遺伝的構成の変化が見られます。qpAdm分析では、サルデーニャ島の中期および後期新石器時代の個体群が、ヌラーゲ期の個体群の直接的祖先である可能性を却下できません。qpAdm分析ではさらに、新石器時代アナトリア系統との混合モデルにおいて、WHG系統はヌラーゲ期を通じて安定して17±2%のままと示されます。中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群では、たとえば後期青銅器時代のイベリア半島集団のような、顕著な草原地帯系統は検出されません。また、イラン新石器時代およびモロッコ新石器時代系統のどちらも、中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群には遺伝的影響を及ぼしていない、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島個体群には、遺伝子流動の複数の証拠が見つかっています。サルデーニャ島の現代人集団は、ヌラーゲ文化期と比較して、遺伝的にはユーラシア西部・アフリカ北部集団により近縁です。これは、草原地帯系統の割合が現在のヨーロッパ本土集団より低いとはいえやや見られるようになり、地中海東部系統がかなり増加したためです。ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団には、複雑な遺伝子流動があった、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団における遺伝子流動を直接的に評価するため、17人の古代DNAが直接解析されました。新たな系統の流入という推定と一致して、ヌラーゲ文化期後にはmtHgの多様性が増加しました。たとえば、現在アフリカ全体では一般的であるものの、サルデーニャ島ではこれまで検出されていなかったmtHg- L2aです。YHgでも、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期まで見られず、現代人では15%ほど存在するR1b1a1b(R1b-M269)がカルタゴ期と中世で確認されます。また、カルタゴ期遺跡ではYHg-J1a2a1a2d2b(J1-L862)、中世個体ではYHg-E1b1b1a1b1(E1b-L618)が見られます。YHg-J1a2a1a2d2bはレヴァントの青銅器時代個体群で最初に出現し、サルデーニャ島の現代人では5%ほど見られます。

 これらを踏まえてモデル化すると、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期までほぼ新石器時代アナトリア系統とWHG系統で占められていたのが、ヌラーゲ文化期後には草原地帯系統と新石器時代イラン系統と新石器時代アフリカ北部(モロッコ)系統が加わります。草原地帯系統と新石器時代イラン系統はともに0~25%の範囲でモデル化されます。また、フェニキア期~カルタゴ期の遺跡の6人では、20~35%と高水準のアフリカ北部系統が推定されました。サルデーニャ島の現代人でも、わずかながら検出可能なアフリカ北部系統が見られます。しかし、このフェニキア期~カルタゴ期の遺跡から現代までの直接的連続性のモデルは却下されます。対照的に、ヌラーゲ文化期後の他の遺跡の個体は全員、サルデーニャ島現代人の単一の起源としてモデル化可能です。

 古代のサルデーニャ島個体群に最も近い現代人は、東部のオリアストラ県(Ogliastra)とヌーオロ県(Nuoro)の個体群です。興味深いことに、カルタゴ期のオリアストラ県の個体は、他の個体群と比較してオリアストラ県の個体群と遺伝的により近縁です。また、サルデーニャ島北東部の個体群はヨーロッパ本土南部集団により近く、サルデーニャ島南西部の個体群は地中海東部により近くなっています。これは、サルデーニャ島における地中海北部系統と地中海東部系統の地域間の混合の違いを反映している、と示唆します。

 このように、中期~後期新石器時代のサルデーニャ島個体群は、地中海西部の他のEEF集団と同様に、本土EEFとWHGの混合としてモデル化されます。この期間のサルデーニャ島の男性のYHgは大半がR1b1b(R1b-V88)とI2a1b1(I2-M223)で、両方ともバルカン半島の中石器時代狩猟採集民および新石器時代集団で最初に出現し、後にイベリア半島のEEF集団でも多数派ですが、新石器時代アナトリア半島もしくはWHG個体群では検出されていません。これらは、紀元前5500年頃にヨーロッパ地中海沿岸を西進した新石器時代集団からのかなりの遺伝子流動の結果と考えられます。ただ本論文は、中期新石器時代よりも前のサルデーニャ島やイタリア半島の常染色体の古代DNAが不足しているので、この遺伝子流動の時期と影響について、北方もしくは西方からのどちらが重要なのか確定的ではない、と注意を喚起しています。中期新石器時代のサルデーニャ島個体群のWHGの推定割合はそれ以前のヨーロッパ本土のEEF集団より高く、ヨーロッパ本土では混合の進展に伴いしだいにWHG系統の割合が増加することから、サルデーニャ島への遺伝子流動には時間差があったことを示唆しますが、最初の地域的な交雑の結果か、あるいは本土との継続的な遺伝子流動の結果だったかもしれません。この問題の解決には、サルデーニャ島の中石器時代および早期新石器時代個体群のゲノム規模データが必要となります。

 中石器時代から紀元前千年紀初めまで、サルデーニャ島への異なる系統の遺伝子流動の証拠は見られません。この遺伝的構造の安定性は、紀元前3000年頃以降、ユーラシア中央部草原地帯からかなりの遺伝子流動があったヨーロッパの他地域と、しだいにWHG系統が増加していったヨーロッパ本土の多くの早期新石器時代および銅器時代とは対照的です。上述のように、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、サルデーニャ島個体群ではWHGの割合が約17%で安定しています。イベリア半島の鐘状ビーカー(Bell Beaker)集団のように、遺伝的に類似した集団からの遺伝子流動の可能性は否定できませんが、草原地帯系統の欠如は、サルデーニャ島がヨーロッパ本土の多くの青銅器時代集団から遺伝的に孤立していたことを示唆します。また、現在ヨーロッパ西部において最も高頻度で、紀元前2500~紀元前2000年頃のブリテン島とイベリア半島への草原地帯系統の拡大と関連しているYHg- R1b1a1bが、ヌラーゲ期の紀元前1200~紀元前1000年頃まで見られないことも、中石器時代から紀元前千年紀初めまでのサルデーニャ島の遺伝的孤立の証拠となります。サルデーニャ島からの標本数が増加すれば、微妙な交雑を検出できるかもしれませんが、サルデーニャ島が青銅器時代ヨーロッパの大規模な遺伝子流動から孤立していた可能性は高そうです。考古学的記録からは、サルデーニャ島はこの期間に地中海の広範な交易網の一部に組み込まれていましたが、それが遺伝子流動と結びついていないか、類似した遺伝的構造の集団間のみで交易が行なわれていた、と考えられます。とくに、ヌラーゲ文化期は遺伝的構成の変化が検出されず、その石造建築の設計はミケーネなど東方集団からの流入によりもたらされた、という仮説に反します。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島では、地中海北部および東部からの遺伝子流動の証拠が見られます。フェニキアおよびカルタゴ期の遺跡で、最初に地中海東部系の出現が観察されます。地中海北部系統はそれよりも後に出現し、サルデーニャ島北西部の遺跡で確認されます。ヌラーゲ文化期後の個体の多くは、直接的な移民もしくはその子孫としてモデル化できますが、他の個体は在来のヌラーゲ文化期の系統をより高い割合で有します。全体的に、ヌラーゲ文化期後の系統の多様性は増加し、これは、イベリア半島(関連記事)やローマ(関連記事)やペリシテ人(関連記事)など、鉄器時代以後の地中海も対象にした詳細な古代DNA研究と整合的です。

 サルデーニャ島の現代人は、古代標本で観察された遺伝的変異内に収まり、同様のパターンは、鉄器時代に系統多様性が著しく増加し、その後は現在まで減少していくイベリア半島とイタリア半島中央部でも見られます。サルデーニャ島においては、東部のオリアストラ県とヌーオロ県の現代人ではヌラーゲ文化期後の新たな系統の割合が低く、他地域よりもEEFやWHG系統の割合が高くなっています。サルデーニャ島内を対象とした主成分分析は、オリアストラ県の個体群が比較的孤立していた可能性を示唆します。サルデーニャ島北部は、ヌラーゲ文化期後に地中海北部系統の影響をより強く受けた、と推測されます。これらの結果は、紀元前にフェニキア人およびカルタゴ人がおもにサルデーニャ島の南部および西部沿岸に居住し、コルシカ島からの移民はサルデーニャ島北部に居住した、とする歴史的記録と一致します。

 本論文は紀元前二千年紀後のサルデーニャ島における遺伝子流動を推測し、これはサルデーニャ島の遺伝的孤立を強調した以前の研究と矛盾しているように見えますが、他のヨーロッパ集団との比較では、サルデーニャ島が青銅器時代~ヌラーゲ文化期に孤立していたことは確認されます。また、ヌラーゲ文化期後の混合にしても、おもに草原地帯系統が比較的少ない集団に由来する、と推測されます。その結果、サルデーニャ島の現代人集団はヨーロッパの他地域と比較してひじょうに高い割合のEEF系統を有しており、アイスマンのような銅器時代ヨーロッパ本土の個体と高い遺伝的類似性を示します。高い割合のEEF系統を有する集団としてバスク人が知られており(関連記事)、サルデーニャ島集団との遺伝的関係が示唆されていました。本論文でも、現代バスク人と古代および現代のサルデーニャ島集団との類似性が示されました。サルデーニャ島集団もバスク人も異なる起源の移民の影響を受けているものの、共有されたEEF系統が地理的分離にも関わらず遺伝的類似性を示すのだろう、と本論文は推測しています。

 サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡の個体群では、アフリカ北部および地中海東部系統との強い遺伝的関係が示されました。これは、以前の古代DNA研究でも示されている(関連記事)、フェニキア人の地中海における拡散を反映していると考えられます。また、サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡でも、早期の方がアフリカ北部系統の割合は低く、アフリカ北部系統との交雑が後のカルタゴの拡大に特有だったか、異なる系統の到来だった可能性を示します。アフリカ北部系統の割合は、フェニキアおよびカルタゴ期よりも後では低下しており、サルデーニャ島も含むヨーロッパ南部のいくつかの集団における、低いものの明確に検出されるアフリカ北部系統の割合という観察と一致します。ローマでも、アフリカ北部系統の割合が帝政期以後に低下します(関連記事)。

 本論文は、古代DNA研究における古代と現代との遺伝的連続性および変容について、古代DNAの標本数の少なさと、現代(医学的な目的での遺伝情報収集)と古代では標本が異なるバイアスで収集されていることから、一般化に注意を喚起します。本論文はそれを踏まえたうえで、サルデーニャ島においては、中期新石器時代から後期青銅器時代まで、遺伝子流動が最低限か、遺伝的に類似した集団の継続の可能性が高いことを指摘します。ヌラーゲ文化期の始まりも、明確な遺伝子移入により特徴づけられません。鉄器時代以降のサルデーニャ島は、地中海の広範な地域と結びついていました。地中海西部を対象とした他の研究でも同様の結果が得られており、サルデーニャ島は新石器時代以降遺伝的に孤立してきた、という単純なモデルよりも実態は複雑だったことを示します。サルデーニャ島の現代人には地域的な違いも見られ、歴史的な孤立・移住・遺伝的浮動により、独特なアレル(対立遺伝子)頻度が生じた、と考えられます。この遺伝的歴史の解明は、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような、サルデーニャ島も含めて地中海全域の遺伝性疾患を理解するのに役立つでしょう。


参考文献:
Marcus JH. et al.(2020): Genetic history from the Middle Neolithic to present on the Mediterranean island of Sardinia. Nature Communications, 11, 939.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14523-6

新生児の代謝に影響を与える母親の腸内微生物

 母親の腸内微生物が新生児の代謝に影響を与えることを報告した研究(Kimura et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。バランスの取れた微生物叢は良好な健康状態と関連しており、微生物叢の異常や変化は、肥満・心疾患・糖尿病など複数の疾患および障害と関連しています。母親の微生物叢が乳児の健康に与える影響は充分立証されていますが、胎児の段階で母親の腸内微生物が子の微生物叢にどのように影響するのか、あまり明らかになっていません。

 この研究は、とくに細胞および腸内微生物と器官のシグナル伝達を刺激する微生物叢由来代謝物である短鎖脂肪酸(SCFA)に重点を置き、マウスモデルでこの問題を検証しました。その結果、妊娠している母親の腸内微生物によって作られた短鎖脂肪酸が、GPR41およびGPR43(脂肪細胞上のタンパク質受容体)の細胞シグナル伝達を介して子の神経細胞・腸細胞・膵臓細胞の分化を刺激する、と明らかになりました。この発達過程は子がバランスの取れたエネルギーレベルを維持するうえで有用であり、微生物を完全に欠損した母親の子は肥満や耐糖能障害などのメタボリックシンドロームに非常にかかりやすい、と明らかになりました。

 これらの知見からは、たとえば食事の変更を推奨するなど、母親の微生物叢を標的とすることで、子を将来の代謝疾患から守る予防戦略を提供できる可能性が示唆されます。またこの研究は、1つの特定のSCFA(プロピオン酸)が、子の代謝疾患発症予防において重要な役割を果たした、と明らかにしました。したがって、プロピオンの補給が、可能性のある治療経路となるかもしれませんが、妊娠中のこの方法の安全性と有効性はまだ決定されていない、とも指摘されています。


参考文献:
Kimura I. et al.(2020): Maternal gut microbiota in pregnancy influences offspring metabolic phenotype in mice. Science, 367, 6481, eaaw8429.
https://doi.org/10.1126/science.aaw8429

両生類に広く見られる生体蛍光

 両生類の生体蛍光に関する研究(Lamb, and Davis., 2020)が公表されました。これまでに生体蛍光(生物が光エネルギーを吸収して蛍光を発すること)が観察された両生類は、サンショウウオ1種とカエル3種だけでした。この研究は、32種の両生類のそれぞれ1~5個体に青色光と紫外光を当てて、これらの個体が発する光の波長を分光測定しました。その結果、研究対象の全ての両生類種が蛍光を発した、と明らかになりました。ただ、蛍光のパターンは種によって大きく異なっており、斑点・縞模様・骨の形などがあり、全身蛍光もありました。

 両生類は、緑色光や青色光に感受性のある桿体細胞が眼に含まれているため、生体蛍光により低光量下で互いの位置を特定している、と本論文は推測しています。生体蛍光により、両生類とその環境との間のコントラストが高くなり、他の両生類により容易に検出できるようになる、というわけです。両生類の生体蛍光は、他の生体蛍光性の生物種で観察されているように、隠蔽擬態(カムフラージュ)・捕食者擬態・配偶者選択に役立っている可能性があります。

 この研究は、生体蛍光の基盤となる機構として、皮膚・分泌物・骨の中に蛍光タンパク質と蛍光化合物が存在していることを挙げ、あるいは一部の両生類の色素胞(色素を有し、光を反射する細胞)の化学組成と構造的組成が関係している可能性を指摘しています。これらの知見は、現生両生類の祖先が生体蛍光能力を有しており、その結果、現生両生類の間に生体蛍光現象が広まったことを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


動物学:生体蛍光は両生類に広く見られるものかもしれない

 生体蛍光(生物が光エネルギーを吸収して蛍光を発すること)が、両生類(サンショウウオ、カエルなど)に広く見られるという見解を示す論文が、Scientific Reports に掲載される。これまでに生体蛍光が観察された両生類は、サンショウウオ(1種)とカエル(3種)だけだった。

 今回、Jennifer LambとMatthew Davisは、32種の両生類のそれぞれ1~5個体に青色光と紫外光を当てて、これらの個体が発する光の波長を分光測定した。その結果、研究対象の全ての両生類種がすべて蛍光を発したことが分かった。ただし、蛍光のパターンは、種によって大きく異なっており、斑点、縞模様、骨の形があり、全身蛍光もあった。

 両生類は、緑色光や青色光に感受性のある桿体細胞が眼に含まれているため、生体蛍光によって低光量下で互いの位置を特定しているとLambとDavisは考えている。生体蛍光によって、両生類とその環境との間のコントラストが高くなり、他の両生類によって容易に検出できるようになるのだ。両生類の生体蛍光は、他の生体蛍光性の生物種で観察されているように、隠蔽擬態(カムフラージュ)、捕食者擬態、配偶者選択に役立っている可能性がある。

 LambとDavisは、生体蛍光の基盤となる機構として、皮膚、分泌物、骨の中に蛍光タンパク質と蛍光化合物が存在していることを挙げ、あるいは一部の両生類の色素胞(色素を有し、光を反射する細胞)の化学組成と構造的組成が関係している可能性を指摘している。

 以上の知見は、現生両生類の祖先が蛍光を発する能力を有しており、その結果、現生両生類の間に生体蛍光現象が広まったことを示唆している。



参考文献:
Lamb JY, and Davis MP.(2020): Salamanders and other amphibians are aglow with biofluorescence. Scientific Reports, 10, 2821.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-59528-9

山本博文『歴史をつかむ技法』第4刷

 新潮新書の一冊として、新潮社から2013年11月に刊行されました。第1刷の刊行は2013年10月です。本書は、歴史をどう理解するのか、専門家がその「技法」を一般向けに解説しています。専門家にとっては当然の常識でも、一般層はほとんど知らないというか理解していないことは、歴史学に限らずほとんどの分野で見られます。本書は、専門家がその大きな溝を埋めようとした試みと言えるでしょう。それが成功しているのかとなると、私の見識では判断が難しいのですが、本書からもう一歩先に進むための読書案内がない点は失敗のように思います。

 私も含めて一般層が何気なく使う歴史用語の由来や、そこにどのような問題が潜んでいるのか、といった問題も本書は取り上げていますが、これは一般層が気づきにくいだけに、有益な解説になっていると思います。また、歴史学を裁判に例えているのは、分かりやすくてよいのではないか、と思います。じっさい、歴史学と裁判との間には強い類似性があるのではないか、と非専門家の私も思います。歴史の法則をめぐる本書の解説も、一般層には分かりやすいのではないか、と思います。本書は、偶然に見える個々の歴史的事件にも、それぞれの時代に一貫した動因や要因がある、と指摘します。

 本書はそうした歴史学の基礎的な概念に関する抽象的な解説だけではなく、邪馬台国の頃から日露戦争の頃までの日本史の大きな流れも概説として提示しています。著者の専門は近世史なので、やや分量の多い古代史や中世史に関しては、専門家からは異論があるのではないか、と思います。ただ、高校までの日本史教育の後、とくに日本史を学ばず、関連する本もあまり読んでこなかったものの、日本史には興味があり再度学んでみたい、というような層にはこれでよいのではないか、と思います。たとえば、足利義昭が武田信玄や上杉謙信などを糾合して「信長包囲網」を作った、と本書は述べますが、武田信玄存命の頃は、織田信長と上杉謙信は友好関係にあったと思います。