檀上寛『シリーズ中国の歴史4 陸海の交錯 明朝の興亡』

 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2020年5月に刊行されました。一般向けの中国通史で、10巻以上の構成ならばともかく、本シリーズは5巻構成にも関わらず明に1巻を割いており、かなり大胆だと思います。本書は、明初の体制が、大元ウルス治下の14世紀前半における、気候変動に伴う大きな社会的不安定化への対処によりもたらされた統治の厳格化の結果であり、社会経済の発展とその結果としての銀流通の活発化によって明初体制が弛緩していき、ついには明が崩壊する、という見通しを提示しています。

 本書はこの見通しに基づき、明初代皇帝の洪武帝と第三代皇帝の永楽帝との間の断絶は大きくなかった、と指摘します。南京から北京への実質的な遷都、対外姿勢が消極的なものから積極的なものへと変わったことなど、洪武帝と永楽帝との間の違いは大きいように見えますが、永楽帝は洪武帝の路線を基本的には継承していた、というのが本書の見解です。この明初体制は、「国内」というか中華世界の一体化への志向が根底にあり、洪武帝の大規模な官僚弾圧も、その文脈で解されます。一方、「対外」関係についても、一元化が志向され、厳格な朝貢体制が一時は実現しますが、けっきょく弛緩していき、北方草原地帯勢力に対しても、一時的に優位に立っても、皇帝が捕虜になるといったように、北方草原地帯勢力は明にとって脅威であり続けました。

 16世紀になって社会経済の発展・変容に伴う明初体制の弛緩が明らかになり、厳格な朝貢体制も国内支配も維持できなくなります。その結果として、一条鞭法の導入などがあるわけですが、本書は、明朝廷の統制志向が変わったわけではない、と指摘します。社会経済の発展・変容は上下関係と各階層の「分際」を重視する明初体制を弛緩させ、下位の上位に対する反抗など、社会を不安定化させますが、それに対する統制志向も厳然として存在し続けた、というわけです。明代後期における社会の爛熟はある意味で面白くもあるのですが、現代中国につながるような「中国」としての一体感の基盤は決定的には壊されなかった、ということなのかもしれません。

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