アジア東部現生人類集団の古代DNA研究の進展

 近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、その中でもやはり、自身のことであるため、人類の古代DNA研究が最も進んでいる、と言えるでしょう。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など非現生人類(Homo sapiens)ホモ属(古代型ホモ属)のDNA研究にも高い関心が寄せられてきましたが、やはり発見されている個体数が現生人類と比較してはるかに少ないため、中心になっているのは現生人類の進化史と地域差です。その中でも、近代化の起源地であったことや、多数派の研究者の自己認識や、DNAの保存条件などから、現時点ではヨーロッパで古代DNA研究が最も進んでおり、もっと拡大してユーラシア西部での研究の進展には目覚ましいものがあります。

 ユーラシア西部と比較して現時点では、日本列島も含まれるアジア東部、さらには拡大してユーラシア東部の現生人類の古代DNA研究が大きく遅れていることは否定できません。しかし、今年(2020年)になって、中国を中心としてアジア東部の現生人類に関する重要な古代DNA研究が相次いで公表されました。それは、中国陝西省やロシア極東地域や台湾など広範な地域の新石器時代個体群を中心とした研究(Wang et al., 2020、関連記事)と、中国南北沿岸部の新石器時代個体群を中心とした研究(Yang et al., 2020、関連記事)と、新石器時代から鉄器時代の中国北部複数地域の個体群を中心とした研究(Ning et al., 2020、関連記事)です(以下、それぞれWang論文、Yang論文、Ning論文)。

 また、一昨年に公表されたアジア南東部の完新世人類の古代DNA研究も重要で、それは先史時代の複数の移住の波を指摘した研究(Lipson et al., 2018、関連記事)と、在来の狩猟採集民の影響も指摘した研究(McColl et al., 2018、関連記事)です(以下、それぞれLipson論文、McColl論文)。日本列島に関しては、縄文時代の個体のDNA解析注目され、それは北海道の個体に関する研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019、関連記事)と愛知県の個体に関する研究(Gakuhari et al., 2019、関連記事)です(以下、それぞれ神澤論文、覚張論文)。これら一連の研究を詳しくまとめていく気力と見識は現時点ではないので、今回は大まかな見取り図を簡単に整理するに留めます。もちろん、今後の研究の進展により、以下の見取り図が大きく修正される可能性は低くありません。

 まず、非アフリカ系現代人の主要な祖先である出アフリカ現生人類集団は、7万~5万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した後に、ユーラシア東部系と西部系に分岐します。ユーラシア東部系は、北方系と南方系に分岐し、南方系はアジア南部および南東部の先住系統とオセアニア先住系統(パプア人およびオーストラリア先住民系統)に分岐します。McColl論文は、オセアニア先住系統と分岐した後のユーラシア東部南方系統が、アジア南東部とアジア南部の狩猟採集民系統に分岐したことを指摘します。アジア南部狩猟採集民系統は、アンダマン諸島の現代人によく残っており、この古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が、イラン関連系統やポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)系統とさまざまな割合で混合して、現代インド人が形成された、とアジア南部の人口史に関する研究(Narasimhan et al., 2019、関連記事)は指摘します。Lipson論文は、アジア南東部において、この先住の狩猟採集民と、アジア東部から南下してきた、最初に農耕をもたらした集団、およびその後で南下してきた青銅器技術を有する集団との混合により、アジア南東部現代人が形成された、と推測します。

 アジア東部に関しては、Wang論文が、ユーラシア東部北方系と南方系とのさまざまな割合での混合により各地域の現代人が形成された、と推測します。Wang論文では、ユーラシア東部北方系がアジア東部北方系とアジア東部南方系に分岐した、と想定されます。Wang論文でもYang論文でも共通しているのは、中国は新石器時代集団において南北で明確な遺伝的違いが見られ(黄河流域を中心とする北方系と長江流域を中心とする南方系)、現代よりも遺伝的違いが大きく、その後の混合により均質化が進展していった、との大まかな見通しです。ただ、新石器時代中国においてこの南北間の大きな違いがあったとはいえ、Yang論文からは、すでに新石器時代においてある程度の混合があった、と窺えます。またNing論文は、大きくは中国北部に位置づけられる地域でも、黄河・西遼河・アムール川の流域では、遺伝的構成に違いが見られることを指摘します。

 問題となるのは、アジア東部の南北両系統がどのように形成されたのか、ということです。現時点では、アジア東部の更新世人類でDNAが解析された遺骸はきわめて少ないため、アジア東部系統がユーラシア東部北方系統からどのような経路で拡散してきて形成されたのか、不明です。そもそも、ユーラシア東部北方系統自体が、どのような経路でアジア東部にまで拡散してきたのか、現時点では不明です。現生人類の拡散を考古学的観点から概観した研究(仲田., 2020、関連記事)を参照すると、初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)が現生人類のユーラシアにおける拡散の指標となりそうで、ユーラシア東部北方系はユーラシア中緯度地帯を東進してきたのではないか、と考えられます。

 一方、ユーラシア東部南方系は、アジア南部やアジア南東部の狩猟採集民の主要な祖先であることから、ユーラシア南岸を東進してきた可能性が高そうです。おそらくその一部は、アジア南東部から北上し、アジア東部あるいは北東部まで拡散し、中にはアジア内陸部にまで到達した集団もいたのでしょう。Wang論文は、アジア東部南方系統が14%程度と少ないながらもユーラシア東部南方系の影響を受けた、と推測しています。このアジア東部南方系を、現代オーストロネシア語族の主要な祖先と推測している点で、Wang論文とYang論文は一致します。その意味でも、現代オーストロネシア語族の直接的な起源が中国南部(もしくはそこから人類集団が拡散してきた台湾)である可能性はきわめて高そうです。

 問題となるのは、アジア東部南方系の主要な分布地域と考えられる、長江流域の新石器時代個体群のゲノムデータが、現時点では公表されていないことです。Wang論文では、アジア東部南方系を表す古代人のゲノムデータがまったく提示されていません。新石器時代アジア東部北方系集団におけるアジア東部南方系の遺伝的影響の増加を指摘するNing論文でも、アジア東部南方系を表す古代人のゲノムデータは提示されていません。Yang論文では、福建省の新石器時代個体群が、アジア東部南方系統を表す、と想定されています。これに関しては、福建省の新石器時代個体群は孤立した集団を表しており、広範な地域の集団の遺伝的構成を代表していないかもしれない、との指摘もあります。ただ、Wang論文とYang論文とNing論文はおおむね一致したアジア東部人口史を提示しており、おそらく長江流域新石器時代集団も、福建省の新石器時代個体群と類似した遺伝的構成を示す可能性が高そうです。

 まとめると、中国に関しては、ユーラシア中緯度を東進してきたユーラシア東部北方系から派生したアジア東部系が現代人の主要な祖先となり、新石器時代までに、アジア東部系は北方系と南方系に明確に区分されるようになり、両者の混合で現代人が形成されていき、それが現在の地理的な遺伝的構成の違いをもたらした、と考えられます。その結果として中国では、新石器時代よりも現代の方が遺伝的にはずっと均質です。また、アジア東部南方系は、ユーラシア東部南方系の遺伝的影響も少ないながら一定以上受けていた、と推測されます。Yang論文で注目されるのは、沿岸部新石器時代アジア東部個体群では見られない古代シベリア人関連系統が、現代アジア東部では台湾や日本のような島嶼部とチベットを除いて、一定以上の影響を残していることで、漢文史料に見える匈奴や鮮卑や女真など華北よりも北方の集団が華北、さらには華南や朝鮮半島へと到来したことを反映しているのかもしれません。さらに、Wang論文が指摘するように、中国北西部はユーラシア西部系の遺伝的影響も受けています。

 中国の周辺地域では、チベットに関して、農耕の始まった3600年前頃には、在来集団とアジア東部北方系との混合が始まっていた、とWang論文は推測します。Wang論文では、チベット人はユーラシア東部南方系(15%)とアジア東部北方系(85%)との混合としてモデル化されます。日本列島に関しては、東日本の「縄文人」が、ユーラシア東部南方系(45%)とアジア東部南方系(55%)の混合として、Wang論文ではモデル化されています。日本とチベットの現代人では、世界でも珍しいY染色体ハプログループ(YHg)Dが高頻度で見られますが、アンダマン諸島の現代人では日本とチベットよりもさらに高頻度でYHg-Dが存在することから、YHg-Dはユーラシア東部南方系に由来する古い系統と考えられます。

 現代日本人と「縄文人」との関連では、圧倒的多数を占める本州・四国・九州を中心とする「本土」集団は、「縄文人」と弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団との混合により形成された、と考えられています。Wang論文から、後者はアジア東部北方系統を主体としつつも、アジア東部南方系統も一定以上有していた、と考えられます。Ning論文では、アジア東部北方系を主体とする新石器時代の華北個体群において、稲作農耕の考古学的痕跡の増加と一致して、アジア東部南方系統の遺伝的影響の増加が見られます。おそらく、長江流域を起源とする稲作集団が、山東省など華北に拡散し、そこから現在の遼寧省を経て朝鮮半島経由で、縄文時代晩期以降に日本列島に到来したのではないか、と推測されます。弥生時代以降に日本列島に到来した集団における長江流域稲作集団の影響は、遺伝的には小さく、文化的には間接的だった、と考えられます。

 現代「本土」集団における「縄文人」系統の割合は、神澤論文では9~15%、覚張論文では8%程度と推定されています。もちろん、上述の各集団における特定の系統の割合もそうですが、これらはあくまでモデル化であり、実際とは違います。そこで、これらのモデルが実際にどれだけ近いのか、問題となるわけですが、現時点では、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られていないことからも、現代「本土」集団における「縄文人」系統の割合に関して確たることは言えない、と考えるべきでしょう。その意味で、「縄文人」系統の割合は10%とか20%とかいった数字が確定的に独り歩きすることには、注意しなければなりません。また、現代「本土」集団における「縄文人」系統の割合はさほど高くなさそうですが、だからといって縄文文化がその後の日本に与えた影響はほとんどない、と判断してしまうことも時期尚早だと思います(関連記事)。文化変容・継続と遺伝的構成の関係は一様ではない、と私は考えています(関連記事)。また、考古資料から人類集団の遺伝的継続・変容の程度を判断することも容易ではないでしょう(関連記事)。


参考文献:
Gakuhari T. et al.(2019): Jomon genome sheds light on East Asian population history. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/579177
関連記事

Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science, 127, 2, 83–108.
https://doi.org/10.1537/ase.190415
関連記事

Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://doi.org/10.1126/science.aat3188
関連記事

McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
関連記事

Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事

Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事

Wang CC. et al.(2020): The Genomic Formation of Human Populations in East Asia. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.03.25.004606
関連記事

Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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仲田大人(2020)「日本列島への人類移動を考えるための覚え書き」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)』P84-91
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小林道彦『近代日本と軍部 1968~1945』

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2020年2月に刊行されました。本書は近代(1868~1945年)日本陸軍の通史です。陸軍に焦点を当てているとはいえ、日本近代の通史を一人で執筆することには多大な労力が必要だったでしょう。膨大な研究蓄積があるだけに、一人での通史執筆となると、本書の個々の見解への異論は少なくないかもしれませんが、日本近代史に疎い私にとっては、復習にもなって、たいへん有益でした

 本書の特徴は、陸軍視点の日本近代通史ながら、政党にかなりの分量を割いていることです。本書のこの構成の前提として、近代日本の軍隊も政党 も、士族という母胎から生まれた一卵性双生児だった、との認識があります。本書のこの認識はかなりのところ妥当だろう、と思います。そもそも、近代日本は士族を否定した国家でありながら、士族の価値観・心性を多分に継承しているのではないか、と思います。その意味で、江戸時代の士族は人口比で精々1割だったとして、近代日本における士族の意義や精神性の意義を軽視する見解には同意できません。

 本書はこの認識を前提として、近代日本における陸軍と政党との間には当初、徴兵制(平民的)軍隊と義勇兵(士族の軍隊)という対立軸があった、と指摘します。そうした対立軸は日清戦争の頃には解消され、その結果として、当初は準軍事組織を有する物騒な組織だった政党は、次第に「非武装化」されていきました。その結果として、日露戦争後に徐々に形成されていった政党政治において、二大政党間の対立がしばしば加熱していったにも関わらず、ヴァイマル期ドイツのような、政党間の本格的な武力対立は起きませんでした。

 本書からは色々と教えられましたが、重要なのは、日清戦争と日露戦争において共に、日本側が開戦当初の想定を遥かに超える戦果を得て、それが政界と軍部要人が進めようとしていた改革を抑制してしまい、その後の硬直的な体制の確立に結果として寄与してしまった側面が多分にある、ということです。また、統帥権の存在自体が「戦争と破滅への道」を必然化したわけではなく、文官が好戦的で軍部が慎重な場合には、統帥機関による「平和の克復」ですらあり得た、との指摘も重要だと思います。また、「統制派」に関して、本来は皇道派の専横抑制のために結集した永田鉄山を中心とする軍人集団で、永田没後、とりわけ二・二六事件後の多数派軍人集団(新統制派)と同一視すべきではない、との指摘も重要だと思います。