同位体分析から推測される初期人類の食性

 同位体分析から初期人類の食性を推測した研究(Martin et al., 2020)が公表されました。安定同位体分析により、過去の生物の生態・生理・食性を推定できます。初期人類の食性は、骨・歯の分析や同位体分析などに依存しています。しかし、同位体分析においては、栄養価の指標になるコラーゲンと窒素の同位体は、たとえば100万年以上前ではめったに保存されていません。初期人類の食性は多くの場合炭素同位体に依存しており、骨や歯のような化石ではあまり保存されていません。炭素同位体組成は、最終的な植物源の光合成経路を反映しており、過去の植生進化の復元と、人類も含めてアフリカの動物の食性調査に役立ちました。

 アフリカの人類の炭素同位体分析は、C3およびC4植物全体を反映します。たとえばアフリカ東部では、初期アウストラロピテクス属の食性はほぼC3植物に由来しますが、パラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)などもっと新しい人類は、その食性をほぼC4植物に依存しています(関連記事)。しかし、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)もしくはケニアントロプス・プラティオプス(Kenyanthropus platyops)のように、初期アウストラロピテクス属もしくは同年代の人類でも、食性でC4植物の顕著な割合を示す系統も存在します。アフリカ中央部では、アウストラロピテクス・バーレルガザリ(Australopithecus bahrelghazali)がC4植物環境で食料を調達していた初期人類の別の事例となります。

 炭素同位体分析の重要な結果として、大きな歯を有するアウストラロピテクス属の分類群間の炭素13値の顕著な違いがあり、アフリカ南部のパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とアフリカ東部のパラントロプス・ボイセイが異なる資源を利用していた、と示されます。こうした結果は歯の微視的使用痕でも裏づけられています(関連記事)。本論文は、カルシウムと炭素の同位体を利用して、ケニアのトゥルカナ(Turkana)盆地の初期人類や共存していた霊長類の食性を調べます。脊椎動物におけるカルシウム同位体の研究から、カルシウム同位体44/42の比率の減少が栄養価の増加と関連している、と明らかになっています。

 まず、現生ゴリラの調査により、カルシウム同位体値と食性との関係が改めて確認されました。次に、トゥルカナ盆地の初期人類も含む霊長類(69個体)のカルシウム安定同位体が分析され、−0.69‰~−1.88‰の範囲と明らかになりました。初期人類との食性の類似が指摘されることもあるヒヒ属は、カルシウム同位体値が低く、化石ヒヒ属(Parapapio)はそれよりもずっと高い値を示します。これは摂食選好の違いを反映しているかもしれませんが、アフリカの現生種であるアヌビスヒヒ(Papio anubis、オリーブヒヒ)は広範に分布しているので、本論文のデータでは地理的多様性を反映できていない可能性もあります。

 現生種のゲラダヒヒ(Theropithecus gelada)はC3草本植物に強く依存していると以前から推測されており、本論文のカルシウム同位体値でも、草本に依存しているとの結果が得られました。化石ゲラダヒヒ属2種(Theropithecus brumpti、Theropithecus oswaldi)のカルシウム同位体値は、現生ゲラダヒヒからさほど逸脱していません。しかし、ゲラダヒヒ属でもオズワルディと比較して大型のブランプティの一部個体は大型肉食動物と同じ値の範囲内にあり、ブランプティのカルシウム同位体値の範囲が広いことから、ブランプティは雑食と推測されます。

 化石人類のカルシウム同位体値では、共にアフリカ東部に生息していたアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)とケニアントロプス・プラティオプスは、区別できませんでした。プラティオプスの炭素同位体値がC3植物とC4植物の混合環境での摂食を明確に示したのに対して、アナメンシスの方は、アルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)と同様のほぼ純粋なC3植物食性を示唆します。以前の頭蓋形態に関する研究では、アナメンシスは硬いものを接触していた可能性が示唆されていましたが、歯の微視的使用痕と炭素同位体分析に基づくその後の研究では、C3植物環境の柔らかいものを食べていた、と推測されています。アナメンシスのカルシウム同位体値は、アフリカ東部の現代および化石の木の葉食動物とほとんど重なっており、果物や草など様々なC3植物を摂食していた、と示唆されます。ただ、アナメンシスの一部個体は、酸素同位体値に基づくとより開放的な環境でも過ごした可能性があり、食料を獲得する場所と生息する場所とが分離されていたかもしれません。

 初期ホモ属のカルシウム同位体値は分散しており、雑食もしくは肉食選好が示唆されます。ただ、これはトゥルカナ盆地における初期ホモ属、たとえばハビリス(Homo habilis)やルドルフェンシス(Homo rudolfensis)やエレクトス(Homo erectus)の分類が明確ではないことを反映しているかもしれず、その場合、初期ホモ属内では植生が不均質だったかもしれません。また、初期ホモ属はゲラダヒヒ属のオズワルディと類似したカルシウム同位体値を示しますが、炭素同位体値は異なります。

 パラントロプス・ボイセイは、初期ホモ属やゲラダヒヒ属のオズワルディやトゥルカナ盆地の草の葉食哺乳類とも異なるカルシウム同位体値を示します。炭素13値とカルシウム同位体値を同時に比較した分析でも、ボイセイは他の人類および非人類草の葉食哺乳類の範囲とは重ならず、形態や歯の微視的使用痕や炭素同位体分析で強調されていたように、独自性を示します。ボイセイは、果物のような柔らかいものを食べていた、と推測されています(関連記事)。ボイセイの食性はかなり特異で、そのカルシウム同位体値は、トゥルカナ盆地の他の人類だけではなく、より低いカルシウム同位体値を示すアフリカ南部の同じパラントロプス属のロブストスとも明らかに異なります。

 興味深いことに、共にアフリカ南部に生息していたパラントロプス・ロブストスとアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)では、炭素13値にもカルシウム同位体値にも違いがありません。ロブストスの食性に関しては、アフリカ南部の同時代の初期ホモ属とともに柔軟だった、と以前の研究では推測されていました。本論文の分析と炭素13値もしくは歯の微視的使用痕からは、アフリカ東部のボイセイが特殊な食性だったのに対して、アフリカ南部のロブストスは柔軟な食性だった、と示されます。これらの結果は、ロブストスとボイセイという明らかに咀嚼機能を共有する分類群間の食性の不一致を示し、歯と顎の特徴のみに基づくパラントロプス属の単系統性という主張に疑問を投げかけます。

 パラントロプス属の分類に関しては、以前取り上げました(関連記事)。日本ではよく「頑丈型猿人」と呼ばれるパラントロプス属はアフリカでのみ確認されており、東部のエチオピクス(Paranthropus aethiopicus)およびボイセイと南部のロブストスの3種に分類されています。パラントロプス属の系統関係については、エチオピクスからボイセイとロブストスが派生したとの見解が一般的には有力ですが、アフリカ南部のアウストラロピテクス・アフリカヌス→ロブストスの系統と、アフリカ東部のアウストラロピテクス・アファレンシス→エチオピクス→ボイセイの系統に分かれる、との見解もあります。もしそうならば、これら3種はクレード(単系統群)を形成せず、パラントロプス属という区分も成立しません。

 本論文は、アフリカ南部のパラントロプス・ロブストスとアウストラロピテクス・アフリカヌスの食性の類似を示しており、パラントロプス属とされてきた3種がクレード(単系統群)を形成しない、という見解と整合的です。ただ、食性の違いは、霊長類全般に見られる柔軟性に基づく、異なる環境への適応とも解釈できます。最近の研究では、230万~200万年前頃にアフリカ南部で大きな生態系と動物相の変化があり、広義のホモ・エレクトスもこの期間にアフリカの他地域、おそらくは東部から南部に拡散してきた、と推測されています(関連記事)。もしそうならば、ロブストスがエチオピクスから派生した一部系統で、東部から南部に拡散してきた、とも考えられます。そうすると、パラントロプス属という区分も成立することになりますが、この問題は今後の研究の進展を俟つしかなさそうです。


参考文献:
Martin JE. et al.(2020): Calcium isotopic ecology of Turkana Basin hominins. Nature Communications, 11, 3587.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-17427-7

大津透『律令国家と隋唐文明』第2刷

 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2020年4月に刊行されました。第1刷の刊行は2020年2月です。本書は、律令の導入を中心に、古代日本が隋と唐から文化・制度をどのように受容していったのか、概説します。碩学の著者らしく、その射程は律令に留まらず仏教や儒教にも及んで、広くまた深く掘り下げられており、新書とはいえ、たいへん密度が高くなっています。いつか、時間を作って再読しなければなりませんし、本書で提示された天皇号推古朝採用説についても、今後調べ続けていかねばならない問題だと思います。

 本書は日本における律令制導入の契機として、対外的緊張関係を指摘します。アジア東部において、紀元後6世紀後半以降、隋、続いて唐という巨大勢力が出現し、朝鮮半島諸国でも高句麗や百済で集権化が進みます。日本における乙巳の変もその文脈で解されます。とくに、唐が朝鮮半島に軍事的に介入し、百済と高句麗が滅ぼされる過程で、日本が唐に白村江の戦いで惨敗したことは、日本の支配層に危機感を抱かせ、西日本で百済式の山城が築かれるとともに、律令制への導入が進みました。本書は、日本における律令制導入の画期を天武朝としており、その延長線上に大宝律令がある、と指摘します。

 また本書は、隋や唐と当時の日本では社会構造に大きな違いがあり、律令をそのまま導入したわけではなく、かなり変更されていることも指摘します。とくに違いが大きいのは君主(天皇)関連で、天皇は律令制前の君主(大王)像を多分に継承していました。しかしこれも、桓武天皇よりもさらにさかのぼって聖武天皇以降の君主権強化の流れの中で、天皇も儀礼などにおいて中華皇帝に近接していき、平安時代前期には天皇の「中華皇帝化」が一定以上進行します。これにより、天皇は制度化されていき、君主権強化という当初の目的からは遠ざかった感は否めませんが、一方で、天皇という枠組みが安定したことも間違いなく、これが現在まで千数百年以上天皇が続いた要因なのでしょう。