形態に基づく分類の困難

 人類進化研究でも遺伝学の研究者の中には、形態学に不信感を抱いている人がそれなりにいるように思います。たとえばハリス(Eugene E. Harris)氏は、その著書『ゲノム革命 ヒト起源の真実』において、形態学的特徴に依拠した分類・進化系統樹の危うさを指摘します(関連記事)。ハリス氏は元々自然人類学でも形態学を専攻しており、1990年代に大学院生だった頃には、自然人類学のなかでも遺伝学にたいする形態学の優位を確信していたそうです。しかしハリス氏は、ヒヒ族の系統樹をめぐる論争に関わったことから、形態学に基づく分類・進化系統樹がいかに危ういか、痛感したそうです。現生種でさえ、形態学に基づく分類・進化系統樹が危ういのに、(多くの場合断片的でしかない)化石に基づく分類・進化系統樹はなおさら危うい、というわけです。

 古代DNA研究の開拓者的存在とも言えるペーボ(Svante Pääbo)氏も、著書『ネアンデルタール人は私たちと交配した』において、形態学への不信を明らかにしています(関連記事)。ペーボ氏は現生人類(Homo sapiens)の起源をめぐる議論について、古生物学者や考古学者が謎を解明できるとは思わなかった、と率直に打ち明けています(同書P134)。古生物学者たちは、研究している古代集団の定義ついてさえ意見が分かれており、多くの異なる種に分類しようとする「細分派(スプリッター)」と、より少ない種にまとめようとする「併合派(ランパー)」が今も激しく議論している、というわけです。

 このような遺伝学の研究者の見解には確たる理由が根底にあり、それは、形態学では遺骸に頼らざるを得ないものの、それは断片的である場合がほとんどで、1個体の遺骸がほぼ揃っている事例は稀なのに対して、遺伝学ではきわめて断片的な遺骸、たとえば手の指骨の小断片からもその個体の全遺伝情報(ゲノム)を回収可能である、という非対称性に由来します。もちろん、全ての遺骸からDNAを解析できるわけではなく、年代が古くなるほど、また発見場所が低緯度地帯(より気温が高くなる)ほど、DNA解析は困難になります。その意味で、DNA解析の不可能な遺骸ではとくに、形態学が依然として重要であることに変わりはありません。また、表現型と遺伝子との関連には未解明部分が多く、今後も形態学と遺伝学により相互補完的に研究が進展していくことでしょう。しかし、そもそも形態よりもゲノムの方がはるかに多くの情報を引き出せるうえに、断片的な遺骸からゲノム解析が可能となると、遺骸の分類において遺伝学が形態学よりも圧倒的に優位である構造は、今後も変わらないでしょう。

 また、断片的な遺骸からの分類が危険なのは、『ゲノム革命 ヒト起源の真実』で指摘されているように、種系統樹と遺伝子系統樹とは必ずしも一致しないことにもあります。たとえば、近縁なA・B・Cの3系統において、A系統がB系統およびC系統の共通祖先系統と分岐し、その後でB系統とC系統が分岐したとすると、B系統とC系統は相互に、A系統よりも形態が類似している、と予想されます。しかし、形態(もしくは表現型)の基盤となる遺伝子の系統樹が種系統樹と一致しない場合もありますから、B系統とC系統はどの形態(もしくは表現型)でもA系統とよりも相互に類似している、とは限りません。

 これと関連して、B系統においてある表現型と関連する遺伝子のあるゲノム領域において、遺伝的浮動もしくは何らかの選択により変異が急速に定着した場合、ある表現型ではB系統は近縁のC系統よりもA系統の方と類似している、ということもあり得ます。じっさい、チンパンジー属とゴリラ属とホモ属の系統関係において、種系統樹ではチンパンジー属とホモ属が近縁ですが、ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)ではゲノム領域の約30%で、種系統樹と遺伝的近縁性とが一致しない、と推定されています(関連記事)。つまり、この約30%のゲノム領域では、ホモ属(現代人)がチンパンジー属よりもゴリラ属の方と近縁か、チンパンジー属がホモ属よりもゴリラ属の方と近縁である、というわけです。

 チンパンジー属系統と分岐した後の人類系統でも同様の問題が確認されています。後期ホモ属において遺伝的に詳細な系統関係が明らかになっているのは、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)です。これらが異なる種なのか否か、確定したとは言えませんが、種もしくは分類群での系統関係は、まず現生人類系統とネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統が分岐し、その後でネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐した、と推測されています(関連記事)。つまり、デニソワ人とネアンデルタール人は現生人類よりも相互と近縁な関係にあります。

 しかし、まだ詳細な遺伝的基盤は不明ですが、手の小指の骨の形態では、デニソワ人がネアンデルタール人よりも現生人類の方と近縁です(関連記事)。これは、後期ネアンデルタール人特有の手の指の派生的特徴が、ネアンデルタール人の進化史でもかなり遅い時期に進化したためと推測されています。何らかの自然選択が作用したことによる適応なのか、それとも遺伝的浮動なのか不明ですが、ネアンデルタール人系統では10万年前頃以降に手の指の派生的特徴が急速に定着したようです。これとは対照的に、臼歯のサイズに関しては、ネアンデルタール人と現生人類が類似しており、デニソワ人は鮮新世人類に匹敵するくらい大きい、と指摘されています(関連記事)。これは、デニソワ人系統における何らかの自然選択が作用したことによる適応か、遺伝的浮動だった可能性が高いように思います。

 断片的な遺骸に基づく分類の難しさは、現生人類遺骸でも事例があります。モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された人類の頭蓋冠は、年代的には現生人類である可能性が高いものの、現生人類としては異常なその形態から、ネアンデルタール人もしくはホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類される、という可能性が示唆されました。その後、このサルキート個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)は、ユーラシア現代人集団で広範に存在するハプログループ(mtHg)に分類される、と示されました(関連記事)。しかし、母親が現生人類で父親がネアンデルタール人もしくはエレクトス系統という可能性も想定されます。

 この問題は、核ゲノム解析により決着し、サルキート個体は北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類男性個体(関連記事)と類似している、と明らかになりました(関連記事)。アジア東部における包括的な古代ゲノム研究(関連記事)を踏まえると、サルキート個体は出アフリカ現生人類でもユーラシア東部北方系に位置づけられます。もっとも、田园個体とは異なりサルキート個体は、基本的にはユーラシア西部系統に位置づけられる古代シベリア北部集団(複雑なことに、アジア東部系統の遺伝的影響も一定以上受けていますが)からも一定以上の遺伝的影響を受けています。ともかく、形態ではネアンデルタール人もしくはさらに現生人類とは遠い系統関係にあるエレクトスの可能性さえ指摘されていたサルキート個体が、ゲノムデータでは出アフリカ現生人類に分類されると明確に示されたことは、断片的な遺骸に基づく分類における、形態学に対する遺伝学の明らかな優位を示す、と言えるでしょう。

 この問題は、中国南部の雲南省や広西チワン族自治区で発見された、末期更新世の祖先的特徴を有するホモ属遺骸とも関わってきます。雲南省の馬鹿洞(Maludong)で発見された14310±340~13590±160年前のホモ属遺骸(関連記事)も、広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)田東県(Tiandong County)林逢鎮(Linfeng Town)の独山洞窟(Dushan Cave)で発見された15850~12765年前のホモ属遺骸(関連記事)はともに、祖先的特徴が指摘されています。そこから、馬鹿洞人は未知の人類系統、独山人は非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)と現生人類との交雑集団もしくは初期現生人類の頑丈型集団を表している、といった可能性が指摘されています。世界中に拡散した初期現生人類の遺骸はたいへん少なく、その形態的多様性と地域的特徴をじゅうぶん把握できていないことが、馬鹿洞人と独山人の分類を難しくしています。私は、どちらも初期現生人類の多様な形態を反映しているのではないか、との見解に傾いていますが、この問題の解明には古代DNA研究が必要でしょう。末期更新世のこの地域の古代DNA解析となると、かなり難しそうではありますが、近年のDNA解析技術の進展には目覚ましいものがあり、いつか成功するのではないか、と期待しています。