ポーランドのネアンデルタール人遺跡のmtDNA解析と石器分析

 ポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)遺骸のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析と石器群の分析に関する研究(Nyakatura et al., 2020)が報道されました。過去10年間の研究の進展により、人類の移動・交雑・絶滅の複雑なシナリオが明らかになりました(関連記事)。更新世には、気候悪化と北半球のスカンジナビア氷床の拡大により、ヨーロッパの中緯度地域全体で人口減少が起きました。

 現時点で広く合意されているのは、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)が、南方へと好適な生息地を求めて移動するよりもむしろ過酷な氷期に消滅し、平均気温が上昇した後でのみ、待避所地帯から新たな集団が北方地域に再移住した、ということです。このモデルは、イベリア半島・イタリア半島・バルカン半島・アジア西部からの氷期後の定着を示唆する、いくつかの植物相および動物相の系統地理学的研究と密接に一致します。しかし、これらの氷期待避所のうちどれが更新世における人類集団の再移住に主要な役割を果たしたのか、どの経路が北方地域の再定住に用いられたのか、依然としてほとんど分かっていません。

 海洋酸素同位体ステージ(MIS)9以降、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は気候変動の影響を最も受けた西部地域に居住し、氷期のヨーロッパ北部および中央部で記録されている居住の中断は、再移住が繰り返し行なわれたことを示唆します(関連記事)。北方地域のネアンデルタール人の生息地を変えた重要な気候変化は、MIS5eとなるエーミアン(Eemian)の温暖な森林環境が、ケナガマンモスやケブカサイやトナカイのような北極圏からの寒冷適応動物相の移住に適した、より開けたステップ/タイガ環境へと移行した後の、最終氷期(MIS5d~MIS3)に起きました。

 気温の急激な低下と乾燥化の進展により、ヨーロッパ中央部および東部では人口減少が起き、間氷期の気候改善の頃(MIS 5c・5a・3)にのみ、ネアンデルタール人は北緯48度以上の地域に戻ってきました。新たな生態環境と移住種の領域拡大は、ネアンデルタール人に乾草地での資源獲得に対処する新たな戦略の開発を促しました。ヨーロッパ中央部および東部の平原では、ネアンデルタール人が一般的な剥片に基づく道具一式を強化し、それらは非対称的な両面石器や木の葉形石器や両面加工早期といった異なる種類のものでした。この新たな技術複合はミコッキアン(Micoquian)として知られており、ドイツの文献ではカイルメッサーグループ(Keilmessergruppen)とされていますが、フランス東部のソーヌ川からカスピ海西岸まで広範な地域で記録されています。

 一般的に、ハンガリーとフランス北部および東部の周辺を伴うドイツからポーランドの石器群はヨーロッパ中央部ミコッキアンと呼ばれている一方で、東カルパティア山脈とヴォルガ川下流の事例(石器群)は東部ミコッキアンと分類されています。これらの地域の定住は気候悪化の繰り返しに起因して断続的でしたが、ミコッキアン石器群の製作はMIS5c/5aから中部旧石器時代の終わりまで続きました。この技術的継続性は、マンモス・ケサイバイオーム(Mammuthus-Coelodonta biome)に限定されており、地中海に面した地域では欠けていることから、この新たな技術的行動により北方環境の低いバイオマスと極端な季節性へのより柔軟な適応が可能になった、と示唆されます。

 古代DNA研究では、アルタイ地域のネアンデルタール人は西方のネアンデルタール人に9万年前頃に置換された、と推測されています(関連記事)。この拡散はヨーロッパ中央部および東部におけるミコッキアンの両面石器の出現と同時で、アルタイ地域における拡大は、チャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)の石器群で確認されており(関連記事)、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人では高品質なゲノム配列が得られています(関連記事)。

 MIS4の後、コーカサスでは第二の集団置換が起き、メズマイスカヤ洞窟(Mezmaiskaya Cave)遺跡では、MIS3の個体(Mezmaiskaya 2)が、その前のMIS4の個体(Mezmaiskaya 1)よりも、他の後期西方ネアンデルタール人と有意により多くの派生的アレル(対立遺伝子)を有しています(関連記事)。しかし、この置換は技術的変化に続いたわけではなく、ミコッキアン技術複合はコーカサス地域において、MIS5後期から中部旧石器時代の終わりまで持続しました。

 これらの遺伝学的知見は、ネアンデルタール人の進化史における2つの主要な集団置換事象が、ミコッキアン文化伝統と関連していることを浮き彫りにします。ミコッキアン技術複合と関連する化石群からの新たな考古学的および遺伝学的データを追加することは、ネアンデルタール人の適応的柔軟性と移動性のより深い理解に重要です。この観点から、現在のポーランドはきわめて重要です。それは、ポーランドがヨーロッパ西部平原とウラル、およびヨーロッパ中央部と南東部との間の交差点に位置するからです。これまで、ミコッキアンと関連するネアンデルタール人遺骸はたいへん少なく、遺伝的情報はドイツのフェルトホーファー洞窟(Feldhofer Cave)とコーカサスのメズマイスカヤ洞窟とドイツ南西部のホーレンシュタイン・シュターデル(Hohlenstein–Stadel)洞窟(関連記事)の遺骸からしか得られていません。

 本論文は、ポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)の考古学的記録と、ネアンデルタール人の大臼歯(S5000)のミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析結果を報告します。スタイニヤ洞窟の1.5mの層序は過去の攪乱により複雑ですが、MIS5c~1の間の15層に区分されています。動物相は寒冷適応種が優勢で、ユニットEとDの石器群はヨーロッパ中央部ミコッキアンの特徴を示します。スタイニヤ洞窟では3個のネアンデルタール人の歯が発見されており、クラクフ(Krakow)近くのキエムナ洞窟(Ciemna Cave)で発見された下顎切歯の断片を別とすると、スタイニヤ洞窟の歯のみがポーランドにおける中部旧石器時代の人類遺骸となります。以下、ミコッキアンとルヴァロワ・ムステリアン(Levallois-Mousterian)の各遺跡の場所を示した本論文の図1です。
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●スタイニヤ洞窟の遺伝学および考古学的分析

 スタイニヤ洞窟の動物の骨5点の放射性炭素年代により、E1・D3・D2層は49000年以上前と明らかになりました。これらの新たな年代は、ウラン・トリウム法年代によるD2b層のマンモスの歯の52900年前、およびMIS4のE1層とMIS3前期のD3およびD2層の以前の研究と一致します。D1層の年代は、68.2%の確率で47610~46130年前です。

 スタイニヤ洞窟で発見されたネアンデルタール人の大臼歯(S5000)のmtDNAが解析され、平均網羅率は363倍です。S5000のミトコンドリアゲノムは、ネアンデルタール人の既知の変異内に収まります。mtDNA系統樹では、S5000はMIS4となるコーカサスのメズマイスカヤ1と近縁で、後のヨーロッパのネアンデルタール人とは離れた関係にあります。S5000は、信頼区間の間隔が152515~83101年前と大きいものの、mtDNA系統樹の分枝の長さに基づくと、116000年前頃と推定されます。以下、ネアンデルタール人のmtDNA系統樹を示した本論文の図3です。
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 スタイニヤ洞窟のユニットE~Aでは合計13500点の脊椎動物の化石が発見されました。この動物相では、トナカイやステップバイソンやケナガマンモスやケブカサイのような寒冷適応種が優勢でしたが、ホラアナグマやアカギツネやオオカミやホッキョクギツネのような肉食動物も見られます。化石生成論および考古学的分析はまだ行なわれていませんが、大きな動物の骨の少なくとも一部は、人類の活動の結果と考えられます。

 スタイニヤ洞窟のユニットDとEの石器群は、近隣の露頭から集められたジュラ紀の燧石で製作されています。石器群で剥片は少ないため、洞窟内での製作は限定的で、ほとんどは洞窟に道具一式の一部として持ち込まれた、と示唆されます。剥片製作は石核の求心利用に基づいています。石器群では、消耗した円盤状石核内では、階層化された求心石核が一般的ですが、ルヴァロワ反復求心法がD2層で1例のみ確認されています。D1およびD2層ではルヴァロワ剥片がいくつか検出されています。再加工石器群はおもに掻器と抉入石器で構成されており、両面石器は剥片もしくは断塊で製作されています。スタイニヤ洞窟の石器群はひじょうに細分化されており、両面ナイフ型(カイルメッサー)はありませんが、両面石器や葉型尖頭器の存在は、ヨーロッパ中央部のミコッキアンとの関連を支持します。


●考察

 スタイニヤ洞窟の年代学・古遺伝学・形態学・考古学の分析の組み合わせにより、ミコッキアンにおけるネアンデルタール人への新たな洞察が明らかになります。ネアンデルタール人1個体の大臼歯(S5000)のmtDNA分析から、S5000系統が南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されたネアンデルタール人2個体(デニソワ5およびデニソワ15)やベルギーのスクラディナ洞窟(Scladina Cave)で発見されたネアンデルタール人1個体と、最高事後密度間隔(HPDI)95%で203000~138000年前(17万年前)に分岐した、と示唆されます。mtDNA配列では、S5000はメズマイスカヤ1との違いが最も少なく、その後のヨーロッパ西部のネアンデルタール人とは遠い関係を示しますが、それらのヨーロッパ西部後期ネアンデルタール人の中で、メズマイスカヤ2やフェルトホーファー個体もミコッキアンと関連しています。

 S5000の推定分子年代は116000年前(95% HPDIで152000~83000年前)で、MIS3のネアンデルタール人より古くなります。S5000は近い年代(12万年前頃)のネアンデルタール人であるのスクラディナ個体(95% HPDIで161000~82000年前)やフェルトホーファー個体(95% HPDIで187000~69000年前)とは、mtDNAではメズマイスカヤ1よりも遠い関係にあります。S5000とmtDNAでは最も近いメズマイスカヤ1の系統は、オクラドニコフ2(Okladnikov 2)やデニソワ11(DC1227)や後のヨーロッパのネアンデルタール人の系統と152000年前(95% HPDIで182000~69000年前)に分岐しました。

 S5000はD2層で発見されましたが、その遺伝的年代は考古学的年代より古く、堆積後の攪乱によりS5000が元の位置から動いた可能性を示唆します。しかし、12300~109000年前頃のエーミアン(Eemian)はスタイニヤ洞窟では欠けており、96000~87000年前頃となるMIS5cとなるユニットGでは考古学的痕跡が発見されていないので、最も節約的な説明は、S5000が82000~71000年前頃となるMIS5aのE2層から動いた、というものです。これは、S5000がヨーロッパ中央部および東部でこれまでに発見された最古のネアンデルタール人化石であることを示します。

 MIS5aは、ヨーロッパ中央部および東部のネアンデルタール人にとって重要な行動変化を示します。この時期のネアンデルタール人は、新たな生態学的条件に適応し、寒冷適応動物相の増加する移動範囲に対処する新たな景観利用戦略を開発しました。低バイオマス環境でカロリーを充分に摂取できるよう、ネアンデルタール人は広範囲の両面加工ナイフを道具一式に追加しました。これらの石器群は、高い移動性の文脈では効率的で柔軟だった、と証明されてきました。それは、頻繁な再研削が長い使用寿命を保証でき、原材料不足の場合には石核に変わることができるからです。

 ポーランドでは、この間氷期の段階で、ヨーロッパ中央部のミコッキアンがよく表されており、スタイニヤ洞窟の石器群は、クラクフ・チェンストホーヴァ高地(Krakow-Czestochowa Upland)やポーランドのカルパティア山脈やモラヴィアやドイツの他の重要な遺跡でも共通して見られる特徴を示します。より広い視点では、類似の技術的行動はカルパティア山脈東部とヴォルガ川下流、とくにクリミア半島と北コーカサスでも見られます。

 ヨーロッパ中央部のミコッキアンと東方のミコッキアンとチャギルスカヤ洞窟のいくつかの遺跡の技術類型論的特徴の統計的比較は、西方とコーカサスおよびアルタイ地域の石器群との間の強い類似性を示唆します(関連記事)。これらの遺跡間で共通しており、繰り返される示導動機(ライトモティーフ)は、動作連鎖(chaînes opératoires)の高度な断片化、設計された石核のその場での持ち込み、剥片と再加工された道具です。これらの特徴は、高い移動性パターンと繰り返しの短期の居住に典型的です。

 ミコッキアン開始時におけるヨーロッパ中央部および東部の周氷河と北方環境からのネアンデルタール人の移動性の増加の裏づけは、他の遺伝学研究でも確認されています。上述のように、ネアンデルタール人の核ゲノムを比較した最近の研究では、9万年前頃以後のヨーロッパ西部からアルタイ地域への集団置換が示唆されていますが、一方、過去10万年間のネアンデルタール人と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との間の継続的な遺伝子流動と、ヨーロッパのネアンデルタール人におけるほぼ完全なデニソワ人系統の欠如は、西方地域からアルタイ地域への繰り返しの拡散を示唆します(関連記事)。

 さらに、上述のようにアルタイ地域のチャギルスカヤ洞窟では、ミコッキアン石器群を有するネアンデルタール人の長距離移動が指摘されているものの、ヨーロッパ中央部から他の西方地域へのミコッキアン集団の移動もまた、オランダやベルギーやフランスで報告されてきました。これらの証拠は、ステップ/タイガ環境のネアンデルタール人の狩猟採集範囲が、以前に想定されていたよりも大きい可能性を示唆します。したがって、ヨーロッパ北部と東部の平原を横断する東西の軸の高い移動パターンは、他の中部旧石器時代文化との比較において、特定のミコッキアン石器の広範囲の分散と長期の製作を説明できます。

 年代順の傾向の存在を提案する研究者もいますが、ミコッキアンの技術的行動の「核」は長期にわたって安定したままです。一部の遺跡で記録された変異性は、一般的に両面加工ナイフの寸法と形状もしくは再加工品の異なる頻度に関連しています。しかし、これらの違いは、石器製作の多様性の結果というよりはむしろ、石材の寸法や両面の最先端の繰り返しの再研削、もしくは遺跡の機能により形成されたかもしれません。この技術的安定性も、正確な年代決定の支持なしでのミコッキアン石器群の年代特定を困難にします。

 考古学的観点から、ミコッキアンにおいて技術的変化は記録されていません。しかし、ミコッキアンと関連している最古のネアンデルタール人標本となるスタイニヤ洞窟のS5000とメズマイスカヤ1の2個体も、そのミトコンドリアゲノム間では最小の違いを有しており、ミコッキアン関連のより新しい年代のネアンデルタール人で観察されたmtDNAの多様性の範囲外となります。さらに、核DNAデータは、メズマイスカヤ2が同じ地域の早期集団よりも西方ネアンデルタール人と類似している、と明らかにしました(関連記事)。

 考古学的観点からは、71000~57000年前頃となるMIS4の氷期の気候条件は、ヨーロッパ西部とコーカサスのネアンデルタール人の深刻な減少を引き起こし、それはネアンデルタール人の遺跡数のかなりの減少に記録されています。MIS4の始まりもしくは終末の遺跡は稀で、そのほとんどは北緯45度の南に位置します。低密度のミコッキアンの居住は、ドイツのガイセンクレステレ洞窟(Geißenklösterle Cave)とガルツヴァイラー(Garzweiler)開地遺跡で見つかっていますが、一般的に、人口統計学的空白はヨーロッパ北部および東部の平原全域で氷期最盛期に記録されています。類似の状況はクリミア半島でも記録されており、クリミア半島では、たとえ環境が北方生息地により特徴づけられていたとしても、カバジ2(Kabazi II)でのみミコッキアンの証拠が見つかっています。

 この観点から、ミコッキアン技術複合はヨーロッパ中央部および東部でMIS3に顕著な技術的変化なしに持続し、地中海地域(イベリア半島とイタリア半島とバルカン半島)には存在しないので、最も節約的な説明は、ミコッキアンの南方周辺(フランス東部および/もしくはハンガリー)は、気候改善期にヨーロッパ中央部の再移住に寄与した待避所だったかもしれない、というものです。北方地域への再移住後、他のネアンデルタール人集団がプルト川やドニエストル川流域を南進してコーカサスに戻ってきました。放射性測定とゲノムのデータは、まだフランス東部とハンガリーにおけるミコッキアンの証拠では欠落していますが、メズマイスカヤ2と後期の西方ネアンデルタール人との間の遺伝的類似性と、推定される氷期の待避所における両面加工ナイフの欠如は、可能な説明を限定します。


●まとめ

 ヨーロッパ中央部とコーカサスにおける中部旧石器時代後期の現在の考古学的および古遺伝学的証拠は、ネアンデルタール人の拡散と、在来集団の絶滅と、西方地域からの再移住に関して、複雑な想定を示します。スタイニヤ洞窟の考古学的記録に関する学際的調査は、MIS5aにおけるクラクフ・チェンストホーヴァ高地の狩猟採集活動を確証しており、ポーランド南部とコーカサスのネアンデルタール人間の類似性が注目されます。

 ヨーロッパ中央部のミコッキアンと東方のミコッキアンとの間の技術的類似性は、ネアンデルタール人集団の移動性増加の結果である可能性が高く、ネアンデルタール人はしばしば、寒冷適応の移住性動物を追いかけて、ヨーロッパ北部および東部の平原を横断して移動しました。この想定では、ヨーロッパ東西の平原間の交差点の位置を占めるポーランドは、西方からアジア中央部へのネアンデルタール人拡散のパターンを明らかにするのに重要な地域です。スタイニヤ洞窟の他の歯に関するさらなる研究は、これらの移動および他のミコッキアンのネアンデルタール人との社会的関係を解明するのにきわめて重要です。


参考文献:
Picin A. et al.(2020): New perspectives on Neanderthal dispersal and turnover from Stajnia Cave (Poland). Scientific Reports, 10, 14778.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-71504-x

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この記事へのコメント

チェンジ
2020年09月11日 05:34
これはコメントしようか悩んだのですが、情報元がなかなか信頼のおける研究と認知されてないような気がしています。

コロナのネアンデルタール人の遺伝子の影響についてです。アジア南部が研究の結論と結果と違うため馬鹿馬鹿しいと見ていたのですが、最近インドの死者が急増してるためこれは馬鹿にできないと考えを改めています。

その中で、東アジア人のネアンデルタール人の遺伝子は決して欧米人に比べて少ないわけじゃないのに違いが出るのが不可解だと思ったのがあります。

今回見てて上手くアルタイで止まってるなと思うのですが、欧米人は再交雑があったのかな?と感じています。

ちょっと主題とはずれるのですが、東方への移動がアルタイまでは頻繁になると言うのがヒントになってコメントしました。
管理人
2020年09月12日 05:52
いくつかのネアンデルタール人由来と推測されている遺伝子で、現代人各地域集団の頻度が違うと報告されているように、ネアンデルタール人の遺伝的影響による表現型の頻度が、現代人各地域集団で異なってきても不思議ではないでしょう。

環境の違いによる選択圧の違いや遺伝的浮動もあるでしょうが、最近の研究で指摘されているのは、各地域系統に分岐した後の出アフリカ現生人類と、異なる系統のネアンデルタール人との追加の交雑があった可能性です。
チェンジ
2020年09月12日 06:52
> 異なる系統のネアンデルタール人との追加の交雑があった可能性です。

やっぱりそこですか、管理人さん特に旧人の情報が熱心ですよね。しっかり読んでるつもりでしたが、曖昧なので今回コメントさせてもらいました。

コロナの研究で疑問(非アフリカ集団全体で、一番有名な交雑が中東辺りのものだったので)があったのですが、今すっきりしました。
チェンジ
2020年09月12日 07:01
あと、遺伝的浮動と適応度についても、どうも特定の免疫反応によるもので、西方集団だけの感染症によって残った適応的なものであるという視点も紹介してありました。

ただそれ自体も西方系ネアンデルタール人が得たものであある可能性もあるので、やっぱり相当違う集団であることが大きいのかと思います。

今回の事で欧米人は原始的だみたいなおかしな意見もちらほらあったので、デニソワ人を含めるとアジア人の方が旧人比率が高いのになとなんとも言えない気分になっていたのでコメントした点もあります。

管理人
2020年09月13日 05:29
遺伝と進化は微妙な政治的問題に発展する危険性が高いので、原始的云々といった言説には警戒しておかねばならない、と考えています。

ネアンデルタール人やデニソワ人で少し検索しただけでも、以前から新型コロナウイルスと関連づけた発言が目立つように思います。