ヨーロッパの人類集団における乳糖分解酵素活性持続の選択

 ヨーロッパの現生人類(Homo sapiens)集団におけるラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)の選択に関する研究(Burger et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、LPがヨーロッパにおいてどのように選択されてきたのか、検証します。一般的に哺乳類の成体は乳を消化しませんが、LPでは成人期におけるラクターゼの持続的発現を可能とし、複数の人類集団における過去1万年の最も強い選択された単一遺伝子特性と考えられています。ユーラシア人においてLPをもたらす主要なアレル(対立遺伝子)であるrs4988235-Aは、人類が家畜からの乳を消費し始めたずっと後の、青銅器時代と鉄器時代にやっとかなり頻度上昇した、と仮定されてきました。この急速な上昇は、5000年前頃に始まった、ポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの人々の流入が原因である、とされてきました。


●トレンゼ遺跡個体群

 本論文は、ドイツのトレンゼ(Tollense)河畔の3200年前頃となる戦地遺跡で発見された戦士と考えられる14人の遺伝的データを分析しました。トレンゼ遺跡は青銅器時代の戦いに関して最も重要であり、約4000人の戦士たちが加わり、その1/4は戦死した、と推定されています。トレンゼ遺跡の個体群の遺伝的データで分析対象となったのは、500万塩基対に及ぶ推定上の中立領域および487の表現型と関連している遺伝子座で、それらの表現型とは、代謝症候群や成人ラクターゼ(乳糖分解酵素)持続性(LP)や非感染性および感染性疾患や目・肌・神の色素沈着です。この14人では近親者は検出されず、このうち2人は女性です。本論文は、おもにLPに関して検証します。

 トレンゼ遺跡の14人は、主成分分析では、ヨーロッパ中央部および北部の個体群の多様性の範囲内に収まり、遺伝的構造がわずかしか、あるいは全くないと示唆されます。その他の検定からも、トレンゼ遺跡個体群は、単一の構造化されていない集団の標本と考えられます。トレンゼ遺跡個体群の系統は、遺伝的にはヨーロッパ中央部および北部と示唆されます。考古学的知見では、トレンゼ遺跡個体群の一部の戦士はヨーロッパ中央部南方、つまりドイツ南部東方とボヘミア出身と示唆されています。炭素とストロンチウムの同位体比からは、地元出身者と外来者との混合が示唆されています。トレンゼ遺跡個体群はこれらの知見から、同じ広範な地域に住んでいた高度な継続性を有する比較的均質な集団だった可能性があります。


●中世以前の主要なアレル頻度増加

 LP頻度を時空間的に比較するため、1遺跡につき5人以上の新石器時代後のさまざまな古代の集団標本を対象に、rs4988235-Aアレル頻度が推定されました。その結果、トレンゼ遺跡では7.1%、セルビアの青銅器時代のモクリン(Mokrin)遺跡では4.6%と推定されました。ただ、モクリン遺跡の個体群には近親関係にある者もいます。これらの推定値は、他のヨーロッパ青銅器時代集団とさほど変わりません。青銅器時代のヨーロッパでrs4988235-Aアレル頻度が最も高いのは、トレンゼ遺跡より数世紀新しいドイツのリヒテンシュタイン洞窟(Lichtenstein Cave)集団の29.4%です。

 もっと時代が下ると、顕著に高いrs4988235-Aアレル頻度が観察されており、青銅器時代との期間における強い選択が示唆されます。たとえば、ラトビアの2730~2560年前頃の個体群と、ドイツ南西部の中世となる1500年前頃の個体群では約57%で、遺伝的にはヨーロッパ北部系統の影響が強いハンガリーの中世前期の個体群(関連記事)では73%です。これらの推定値は、rs4988235-Aアレルがヨーロッパのさまざまな地域で青銅器時代の初期には検出可能な頻度に達していたものの、鉄器時代やその後の集団で観察される頻度には達していなかった、と示唆します。そのようなパターンは、rs4988235-Aアレルの選択が新石器時代に始まったことと一致しますが、とくに青銅器時代後の継続的な強い選択を示唆します。


●新石器時代後の継続的で強力な選択

 130世代にわたるアレル頻度の変化と、補完的な手法を用いて、青銅器時代以降のrs4988235-Aアレルの選択強度が定量化されました。その結果、rs4988235-Aとrs7570971-Cで、強い正の選択が特定されました。rs7570971-Cはほぼ排他的にrs4988235-Aと同じハプロタイプで見られ、血清コレステロール減少で役割を果たす、と推測されています。LPにおける機能的役割の説得的な証拠は、選択がrs7570971-C よりもむしろrs4988235-Aアレルにおいて作用している、と強く示唆します。

 3000年以内に、これらのアレルの標本数はそれぞれ、2/26から144/192、2/28から134/190へと増加しました。優性であることを考慮しても、選択係数は、rs7570971-Cが5%、rs4988235-Aが6%と推定されます。本論文で報告された青銅器時代のrs4988235-Aアレルアレル頻度の低さと一致して、これらの選択係数推定値は、最近の現代人データ(1.6%)と古代人データ(1.8%)に基づくものよりもやや高くなっています。


●LPの主因ではないヨーロッパ東部草原地帯集団

 rs4988235-Aアレルの拡大は、前期青銅器時代のポントス・カスピ海草原からの人類集団の拡散が原因だった、と考えられてきました。たとえば、青銅器時代のヨーロッパにおけるrs4988235-Aアレルの頻度が低い(5%)と報告し、LPが草原地帯起源である可能性を指摘した研究です(関連記事)。本論文は、現代の参照個体群を用いて古代の標本群におけるアレルの存在の起因とすることは、強い選択の地域では問題になる可能性があるため、ヨーロッパ東部と草原地帯の銅器時代および前期青銅器時代標本群においてPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)でrs4988235遺伝子座の遺伝子型を決定することにより、この仮説を検証しました。

 標本抽出された個体群の大半の年代は、紀元前四千年紀の終わりから紀元前二千年紀の始まりまでとなります。これら37標本でrs4988235-Aアレルが検出できなかったので、その頻度はひじょうに低いかゼロに近く、地理的・文化的・時間的に多様な「草原地帯系統」を有する標本で以前に報告された5.4%よりもほぼ確実に低い、と示唆されました。さらに、ヨーロッパ東部草原地帯の既知のデータ(5600~4300年前頃)と、ヨーロッパ中央部および北東部の縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)のデータ(4900~4300年前頃)も分析され、それぞれrs4988235-Aアレルが0%および1.8%と推定されました。これらの推定値は、rs4988235-Aアレルの起源について直接的情報を提供するわけではありませんが、青銅器時代後のヨーロッパで観察された高頻度を、草原地帯関連系統の拡大におもに帰する仮説とは一致していないようです。


●選択の時間推移

 LPの遺伝的基盤となるrs4988235-Aアレルは、ユーラシア西部の広範な地域でひじょうに強い自然選択を受けてきましたが、選択の動因と時空間的な分布および人口統計学的過程に関しては、かなりの不確実性が残ります。選択の動因を考察するには、rs4988235-Aアレルの起源年代とLPに関する選択の時期(過去のある時点から一定なのか、あるいは一時的なのか)、および古代DNAデータにおける最初の観察が別で、おそらくは何千年も離れていることを認識することが重要です。

 連鎖不平衡の研究では、過去2万年、おそらくは完新世における起源が示唆されています。陶器に付着した脂肪酸分析からの乳消費の証拠と屠殺の証拠は、アナトリア半島とレヴァントとヨーロッパ南東部において前期新石器時代にまでさかのぼります。しかし、LPへの強い自然選択が前期新石器時代から作用していたとしても、S字型のアレル頻度曲線と、数千年にわたるひじょうに低くほとんど検出できない頻度が予想されます。したがって、その後の青銅器時代までの低頻度は、乳が重要な食性構成になった時かその直後に始まるLPの選択と必ずしも一致しません。

 そこで、新規ベイズ法を使用し、rs4988235-Aアレルの年代が推定されました。この推定年代は、優性係数(h)と同様に、変異の年代と青銅器時代との間の未知の有効人口規模に大きく依存します。rs4988235-Aアレルの起源年代は、h=1では、有効人口規模が100人では3550年前頃、10万人では7140年前頃となり、h=0.5では、それよりも20%ほど古くなります。トレンゼ遺跡標本群の低頻度と一致して、これらの推定年代は、以前の推定の下限に近いか、現代人のデータからの最近の推定よりも新しくなります。しかし、そうした推定はすべて、人口史・選択強度・選択されたアレルの起源に関して強い仮定に基づいていることに注意しなければなりません。

 これらの知見から、青銅器時代は、rs4988235-Aアレルが適度な規模の古代DNA標本群で検出されるのに充分なほど一般的になった重要な中間点を表している、と言えそうです。青銅器時代のデータは、その後の選択を定量化するための出発点として役立ちます。トレンゼ遺跡の標本は、短期間、おそらくは同日の戦闘で死んだ可能性が最も高い個体群から構成されており、定量化の出発点として適しています。3200年前頃のトレンゼ遺跡と現代との間の6%という推定選択係数は高く、とくに、新石器時代には乳消費の代替食料も生産されていたので、農業技術の発展と食性範囲の増加を考慮すると、そう言えます。


●選択の動因

 LPへの強い選択に関しては、乳が栄養豊富で比較的栄養バランスのとれた食品というだけではなく、さまざまな説明が提案されてきました。たとえば、高緯度でのビタミンD摂取によるカルシウム吸収の改善とか、比較的雑菌に汚染されていない水分の補給とか、パラアミノ安息香酸消費の減少によるマラリア症状の抑制とか、微生物叢を再形成するガラクトースやガラクトオリゴ糖による腸の健康改善とか、飢餓状態での下痢の回避とか、酪農のカロリー生産の経済的効率の向上とかです。これらの要因のどれか一つが、新石器時代から現代までの全期間で単独で作用してきた可能性は低そうです。

 しかし、青銅器時代から少なくとも中世まで継続しておそらくは増加してきた選択係数の推論は、病原体負荷に関するものなど、集団と定住密度の増加と関連する選好として解釈できます。この文脈で興味深いのは、本論文で調べられた400以上の機能的遺伝子座の中で、選択の観点から唯一有意性を示した他のアレルが、病原体パターン認識と自然免疫反応と関連するToll様受容体遺伝子複合体(TLR6)における、rs5743810のアレルであることです。明示的検証は困難ですが、rs4988235-Aアレルの選択は、おそらくは乳消費における流行病抵抗性と関連した多面的ネットワークを通じて、他の遺伝的要因により調節された可能性が高そうです。


●人口統計学と選択

 強い自然選択の他に、移住や集団の範囲拡大のような人口統計学的過程が、rs4988235-Aアレルの分布を形成したでしょう。ヨーロッパにおけるrs4988235-Aアレルの北西部の分布が、これらの過程の主要な結果なのか、あるいは、たとえば乳消費の異なる伝統や異なる気候と生態や紫外線量の違いにより形成された、空間的に構造化された選択強度なのか、不明確です。しかし、注目すべきは、本論文で標本抽出されたトレンゼ遺跡集団と同地域の現代人集団との間で、遺伝的置換がほとんどないのに、高い選択係数が推定されていることです。同じことはセルビアのモクリン遺跡にも当てはまり、同様に主要な集団変化はなさそうですが、過去数千年にわたる観察されたアレル頻度変化で説明されるように、自然選択が起きました。


●まとめ

 中世前期と現代とでは、さまざまな場所でrs4988235-Aアレルの推定頻度はやや類似しており、この期間の継続的選択の可能性は除外されません。それは、これが優性アレルで予想されるS字型頻度曲線の移行段階を表しているからです。LPの場合、最も急激な頻度上昇は紀元前4000~紀元前1500年前頃の間に起きた可能性が高いようです。本論文は、完新世のユーラシア西部と世界の他の多くの地域で最も強く選択された単一の遺伝子形質の進化史をよりよく理解するには、今後の研究がこの段階に焦点を当てるべきである、と主張します。


参考文献:
Burger J. et al.(2020): Low Prevalence of Lactase Persistence in Bronze Age Europe Indicates Ongoing Strong Selection over the Last 3,000 Years. Current Biology.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.08.033

大河ドラマ『麒麟がくる』第23回「義輝、夏の終わりに」

 将軍の足利義輝に、織田信長を上洛させて義輝を支援させる、と約束した明智光秀(十兵衛)は、尾張に向かいます。しかし、信長は美濃の斎藤家相手に苦戦しており、とても上洛する余裕はありません。光秀に対応したのは木下藤吉郎(豊臣秀吉)で、光秀は藤吉郎から、義輝暗殺計画があり、その黒幕が松永久秀と聞かされます。光秀は直ちに大和に向かい、多門山城にいる久秀に真意を問い質します。久秀は光秀に、義輝を支持するために上洛する大名たちもいないように、義輝は将軍の器ではなく、世が治まらないので、殺しはないが追放するつもりだ、と答えます。しかし、久秀の息子の久通などは義輝を殺害しようと考えています。久秀は光秀に、息子たちの計画を止める力は自分にはないが、息子には義輝を討つなと言っている、と伝えます。細川藤孝もこの場に呼ばれており、もう次の将軍を探していることを打ち明けます。光秀は義輝と謁見しますが、自分を支持する大名もいないことから、義輝はすっかり無気力になっており、光秀に越前に帰るよう、促します。

 今回は、近臣からも見放されている義輝の孤独が描かれました。義輝殺害の背景も描かれているところは大河ドラマらしくなっており、よいと思います。ただ、今回は駒の話が長く、やや冗長なところもあったかな、とは思います。もっとも、駒と覚慶(足利義昭)とのつながりが今後の展開で重要な役割を担うかもしれず、現時点で否定的に評価するのは時期尚早かもしれませんが。松永久秀は義輝殺害の首謀者の一人と言われてきましたが、最近の研究では否定的なようです(関連記事)。こうしたところも最近の研究動向が踏まえられているようで、よく調べられているな、と感心します。