家畜ウマのアナトリア半島起源説の検証

 家畜ウマのアナトリア半島起源説を検証した研究(Guimaraes et al., 2020)が公表されました。5500年前頃となるウマの家畜化は、古代世界で最重要の技術革新の一つです。馬力の利用により、ウマは輸送に革命を起こし、交易・戦争・移住のパターンに影響を及ぼしたので、古代世界の政治・経済・社会関係は変化しました(関連記事)。考古学と有機残留物と遺伝的分析からは、家畜ウマはアジア中央部草原地帯に起源があり、その後でヨーロッパ東部、さらに遅れてアジア南西部に拡大した、と示唆されます。とくに、カザフスタンのボタイ狩猟採集文化のデータからは、紀元前四千年紀中期~後期までに、ウマは銜を装着させられ、搾乳され、TRPM1遺伝子座の関わる毛色で選択がなされ、囲いに入れられて集中管理されていた、と示唆されます。

 しかし、最近の古代ゲノム研究では、現代の家畜ウマがアジア中央部に由来する、との見解に疑問が呈されており、それは、ボタイ文化のウマは野生馬とされてきたモウコノウマ(Equus ferus przewalskii)の祖先で、古代もしくは現代の家畜ウマの主要な祖先ではない、と明らかになったからでした(関連記事)。家畜ウマの起源地として第二の有力候補はイベリア半島でしたが、最近の別の研究では、その可能性が除外されました。イベリア半島の野生ウマは絶滅し、現代のウマのゲノムには顕著な痕跡を残していない、と示されたからです。ウマの家畜化の有力な起源地として今も残るのは、ポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)とアナトリア半島です。ただ、ポントス・カスピ海草原は以前から有力な候補地でしたが、アナトリア半島は、野生ウマの利用の長い歴史と古典古代におけるウマの繁殖への高い評価にも関わらず、ウマの家畜化の過程における役割に関して充分には調査されてきませんでした。


●先行研究

 アナトリア半島、より一般的にアジア南西部における家畜ウマの起源は、複雑な考古学的難問であり続けています。文献・図像学・考古学的データの組み合わせからは、紀元前三千年紀の半ばから後期までに、家畜ウマが近隣の山岳地域からメソポタミア(現代のイラクおよびシリア北東部)に導入された、と推測されており、メソポタミアでは楔型文字で「山のロバ」と呼ばれています。当初は少なかったウマですが、紀元前二千年紀の技術革新である戦車(チャリオット)の拡大と関連して、アジア南西部では数世紀以内に増加しました。「ウマの文化」で歴史的に知られているユーラシア草原地帯におけるウマの家畜化は、紀元前四千年紀、もしくは紀元前五千年紀に始まった可能性が高いので、アジア南西部のウマはこれら早期の家畜ウマの子孫と長く主張されてきました。アジア南西部のウマは、ポントス・カスピ海草原との相互作用圏とのよく理解されていない過程、もしくは人類集団の移動によりもたらされた、と想定されています。

 他の仮説は、アナトリア半島がシリア・メソポタミアへの家畜ウマの伝播に中心的役割を果たした、というもので、初期家畜ウマへのアナトリア半島の寄与が示唆されてきました。考古学的データでは、前期および中期完新世のアナトリア半島において普段から利用されていた野生ウマ(Equus ferus)とアジアの野生ロバの亜種であるヨーロッパ野生ロバ(Equus hemionus hydruntinus)の広範な存在が示唆されます。考古学的証拠で示される紀元前九千年紀から紀元前二千年紀にかけての人類とウマの相互作用の継続から、アナトリア半島の野生ウマが家畜ウマの起源集団だった、という仮説が導かれます。しかし、野生ウマと家畜ウマの骨格遺骸を区別する信頼できる形態学的基準がないため、野生在来ウマの家畜化という仮説の検証が妨げられてきました。したがって、紀元前三千年紀後半の家畜ウマの後半な出現をもたらした文化的過程とメカニズムは理解しにくいままです。本論文は、アナトリア半島中央高原の豊富なウマ遺骸の利用により、古遺伝学を用いたアナトリア半島ウマ家畜化仮説の最初の厳密な検証を提示します。

 完全な現代のミトコンドリアゲノムは18の主要なハプログループ(AからR)を明らかにしました。その分岐年代はほぼ新石器時代とその後の期間です。対照的に、古代のウマのミトコンドリアの超可変領域の研究では、ウシやヒツジやブタと比較して、ミトコンドリア系統におけるずっと高い遺伝的多様性が示されました。さらに、家畜ウマで観察されたほとんどのミトコンドリア系統は、すでに家畜化前に存在しました。古代のウマに関するこれらの分析からは、ウマの家畜化の起源を時空間的に特定できる明確な系統地理的構造が得られませんでした。これらの知見は、ユーラシア北部の野生ウマの移動性が一貫した集団再編を可能とし、野生の在来雌ウマを繰り返し取り入れ、系統地理的構造の確率を妨げたと示唆している、と解釈されました。

 対照的に、現生家畜ウマは顕著に少ない雄でのみ伝わるY染色体系統を示し、現代の家畜ウマで特定されるハプロタイプは1つだけなので、ウマの単一の家畜化事象が主張されました。しかし、古代標本のゲノム分析では、家畜化前の先史時代集団における追加の雄系統を示し、遺伝的に多様な雄の創始者が初期の家畜化に関わっている、と明らかにしました。この多様性はその後、おそらくは鉄器時代に始まりローマ期へ、さらに紀元後7世紀~9世紀にかけての、ビザンツ帝国とサーサーン朝(エーラーン帝国)の戦争およびイスラム教勢力の征服期に続く、より直接的な人類の選択の結果として減少しました。ウマの毛色と関連する遺伝子座からの古遺伝学的証拠から、毛色の多様化は青銅器時代に始まり、家畜化過程の初期段階と関連している、と主張されました。新たな毛色の出現は野生の対応種と比較して家畜分類群で一般的なので、家畜ウマ特定の有用な指標を提供します。

 現在まで、アナトリア半島における家畜ウマの起源は理解しにくいままですが、よく層序化された考古学的文脈からのウマ遺骸の注意深い回収により、古遺伝学的手法の進歩とともに、今ではアナトリア半島における家畜ウマの起源の過程に取り組むことも可能になります。この研究では、解剖学的形態および/もしくは生物測定的基準の欠如により妨げられる可能性のあるウマ遺骸の形態的特定と、ミトコンドリアDNA(mtDNA)・Y染色体DNA・毛色と関連する常染色体DNA指標の古遺伝学的分析を組み合わせ、アナトリア半島における家畜ウマ出現の時空間的動態を追跡します。毛色は、基本的なものが鹿毛(bay)・青毛(black)・栗毛(chestnut)・葦毛(gray)、希釈された表現型としてシルバー様(silver)・佐目毛(cream)、斑模様としてオベロ(overo)・トビアノ(tobiano)・サビノ(sabino)、ヒョウ状の斑点です。この研究では、アナトリア半島中央部8ヶ所とコーカサス6ヶ所の計14ヶ所の先史時代遺跡で発見された100頭以上のウマ遺骸が分析されます。これらのウマ遺骸は完新世の大半にわたり(紀元前9000~紀元後1000年)、近東の歴史における重要な問題となる、アナトリア半島における家畜ウマの起源への洞察が得られます。


●形態およびDNA分析

 111頭のウマ遺骸が分析され、そのうち77頭で古代DNAが得られました。現代のウマで以前に定義された14のmtDNAハプログループ(mtHg)と、以前には特定されていなかったmtHgが1つ確認されてXと命名され、これはO・P・Qの亜系統となります。また、10頭からロバ(Equus asinus)に特徴的なmtHgが得られました。7頭では以前の研究においてヨーロッパ野生ロバ(Equus hemionus hydruntinus)に分類されたアジアノロバ(Equus hemionus)のクレード(単系統群)H1に属するmtHgが得られ、本論文ではヨーロッパ野生ロバのmtHgとして扱われます。

 57頭のうち48頭で遺伝子型決定と形態学的分析が一致しました。形態学的に野生ウマもしくは家畜ウマに分類された40頭のうち38頭は対応するmtDNAを示します。ヨーロッパ野生ロバ6頭のうち3頭とロバ11頭のうち7頭でも一致が得られました。形態学的に種区分できなかった20頭は、mtDNA解析により、16頭のウマと2頭のロバと2頭のヨーロッパ野生ロバに識別されました。形態学的に曖昧な4頭でのみ、遺伝子型と形態学が一致しませんでした。形態的にヨーロッパ野生ロバに分類された2頭ではウマのmtDNAが、形態的にウマと分類された2頭はロバとヨーロッパ野生ロバのmtDNAを有していました。分類されなかった1頭は、遺伝的に交雑個体、より正確にはラバと決定されました。この個体はウマのmtDNAとロバのY染色体DNAを有していたからです。


●母系の通時的パターン

 紀元前4500年以前のアナトリア半島の12頭のmtHgはPもしくは以前には特定されていなかったXです。PもXも同時代もしくはそれ以前の標本においてはアナトリア半島以外では確認されていません。これは、mtHg-PおよびXがアナトリア高原在来の野生ウマに固有であることを示唆します。紀元前2200年以降、アナトリア半島におけるこのパターンは大きく変わり、13の新たなmtHgが青銅器時代と鉄器時代に出現しました。青銅器時代よりも前にアナトリア半島で主流だったmtHg-Pは、青銅器時代以降は6%(33頭のうち2頭)にすぎず、その2頭の年代も青銅器時代初期の紀元前2000年頃です。さらに、紀元前3300年前頃以降、mtHg-Xはもはや検出されなくなります。

 青銅器時代以降の標本で新たに検出されたmtHgは、おもに11頭のQと5頭のGと5頭のNです。これらの結果は、紀元前三千年紀後半から続くほぼ完全な集団置換を示唆し、アナトリア半島およびメソポタミアにおけるウマ管理の出現と拡散に関する図像学や文献の証拠とよく一致します。コーカサスでは、最古の標本は紀元前三千年紀にさかのぼり、mtHgはQです。残りの13頭のうち11頭は、mtHg-A・B・C・E・FG・G・Qに分類されます。まとめると、アナトリア半島とコーカサスにおけるこのmtHgの変化は、統計的にひじょうに有意です。13頭のうち2頭はmtHg-Pに分類され、おそらくはアナトリア半島在来の母系が後期青銅器時代にコーカサスでも存続していたことを示します。


●父系と雑種

 本論文の標本でY染色体DNAデータは少なく、青銅器時代よりも古い遺骸からは得られませんでしたが、青銅器時代以降の19頭ではY染色体DNA配列が得られました。このうち12頭はウマ(Equus caballus)、6頭はロバ(Equus asinus)、1頭はより一般的にはロバとして識別されるタイプに分類されます。12頭のウマのうち5頭のY染色体ハプログループ(YHg)は、以前に報告されている4タイプのうち2タイプに由来します。そのうち5頭が現代のウマでは主流のHT-1で、4頭はすでに消滅したHT-3で、3頭は網羅率が低いため決定できませんでした。1頭はY染色体ではロバに分類されますが、mtDNAではウマに分類され、交雑種のラバが鉄器時代にさかのぼることを反映しています。この個体のmtHgはLで、青銅器時代以前にはアジア南西部には存在しませんでした。


●毛色

 毛色の多様性と関連する一塩基多型が決定されました。25頭のウマ、8頭のロバ、1頭のヨーロッパ野生ロバ、1頭のラバで関連する一塩基多型が得られました。本論文の標本で欠けている毛色関連のアレル(対立遺伝子)はオベロと佐目毛だけです。したがって、古代ユーラシア北部ですでに観察されている毛色関連の変異の多様性の大半は、青銅器時代のアジア南西部に存在したことになります。青銅器時代以降の25頭で毛色が決定されました。7頭は野生型の鹿毛で、1頭はサビノを有す目鹿毛、8頭は栗毛のシルバー様、栗毛のトビアノと栗毛のシルバー様とヒョウ状の斑点と青毛が2頭ずつ、1頭がトビアノの鹿毛です。1頭はDNAの保存が充分ではなかったので、栗毛か鹿毛か決定できませんでした。

 予測通り、6頭のロバとヨーロッパ野生ロバには、人類が家畜ウマで選択した一塩基多型の変異はありませんでした。ラバと特定された1標本はASIPおよびMC1R遺伝子の両方で変異を有しており、母であるウマに由来する可能性が高く、ウマでは鹿毛のトビアノと関連しています。前期青銅器時代の1標本は、栗毛でmtHgがPなので、アナトリア半島在来の母系と推測されます。この組み合わせは、アナトリア半島在来の雌ウマが前期青銅器時代に家畜ウマの群に組み込まれたことを示唆します。


●アナトリア半島の野生および家畜ウマ

 以上の結果から、家畜ウマはおそらくユーラシア草原地帯からコーカサスとアナトリア半島に遅くとも紀元前2000年までには導入された、と結論づけられます。この結論は、アナトリア半島において、在来ウマ集団では紀元前4500年以前にはmtHg-P・Xしか存在せず、mtHg-Xは以前には報告されていなかったmtHg-O-P-Q系統と近縁な系統である、という事実に基づいています。今まで、これらのmtHgは同時代もしくはそれ以前のユーラシアの他地域では見つかっていません。さらに、mtHg-Xは完新世のアナトリア半島でのみ確認され、おそらくは紀元前5500年頃以後に消滅しました。これらの知見は、mtHg-P・Xが、前期および中期完新世にアナトリア半島で人類に狩られていた野生ウマの在来系統を反映している、という本論文の結論を支持します。

 mtHg-P・Xはアナトリア半島で後期更新世および前期完新世に独立して進化し、近隣の野生ウマ集団との遺伝子流動は殆ど若しくは全くなく、それはアナトリア半島とユーラシア北部を分離する地理的障壁、つまりコーカサス山脈やザグロス山脈やボスポラス海峡に起因する、と本論文は提案します。アナトリア半島は野生ウマの遺伝的に異なる集団の故地で、動物考古学的知見に基づくと、そうした野生ウマが新石器時代と銅器時代に消費されていた、と示す最初の証拠を本論文は提示します。新石器時代や銅器時代や前期青銅器時代のウマ遺骸は、これらアナトリア半島在来の野生ウマを表しています。紀元前2000年頃に、この在来野生ウマのmtHg頻度が有意に減少し、Pは稀になり、Xは完全に消滅します。おそらく、青銅器時代前のウマ遺骸におけるmtHg-Xの低頻度は、アナトリア半島ではなぜ歴史時代にmtHg-Xが残らなかったのか、説明します。

 アナトリア半島におけるこの在来mtHgの衰退と並行して、コーカサスとアナトリア半島ではmtHgが2から14と顕著に増加します。そのmtHgの全ては、ヨーロッパ南東部とカザフスタンにおいて、銅器時代や前期青銅器時代と同様に現代のウマで特定されていました。これらの研究では、mtHgはユーラシアにおける系統地理的構造を示さず、広範なユーラシア草原地帯全域の顕著な物理的障壁の欠如と一致します。これは、ユーラシア草原地帯におけるウマ集団が任意交配だったことを示唆しており、現代の家畜ウマ集団の高い多様性を説明できる可能性が高そうです。これは、コーカサスとアナトリア半島における家畜ウマの導入時に本論文のデータセットで観察された、急速な多様化も説明するでしょう。この外来系統の突然の出現は、紀元前三千年紀末におけるウマと騎乗の文献および図像学的証拠の出現と一致し、家畜形態のかなりの輸入を主張し、それ故に独立した在来の家畜化過程に反対します。

 毛色関連アレルの分析からも、この見解が支持されます。青銅器時代のアナトリア半島とコーカサスのウマは、ユーラシア草原地帯における家畜化で選択されてきたと考えられる毛色多様体と対応する変異を有していたからです。毛色の希釈もしく斑模様に関連する変異は、本論文のデータセットでは紀元前1200年頃以後と遅く出現しました。本論文の遺伝的データからは、青銅器時代にアナトリア半島に導入された家畜ウマはユーラシア北部でそれ以前に見られる変異を有しているので、おもに広範なユーラシア北部から輸入された血統に由来する、という結論が導かれます。この外来集団の究極的な地理的起源は現時点でのデータでは定義できませんが、黒海北部のユーラシア草原地帯が最も有力な候補のようです。

 アナトリア半島在来のmtHg-Pは、現代のウマと同様にアナトリア半島とコーカサスの青銅器時代の家畜ウマにも低頻度(約8%)ながら存続しており、アナトリア半島の野生雌ウマが家畜の群に組み込まれ、それはおそらくアナトリア半島における家畜ウマ導入の直後で、野生の在来系統が絶滅する前だった、と明らかになりました。この可能性は、青銅器時代の4頭のうち少なくとも2頭がmtHg-Pを有している、という分析結果と一致します。これらmtHg-Pを有する個体は毛色関連アレルの変異も有しており、母系祖先がアナトリア半島在来集団に由来する、という可能性が最も高そうです。これは他地域でも観察されたパターンで、在来の雌ウマが家畜の群に組み込まれ、高いミトコンドリアゲノム多様性が生じました。本論文の結果は、前期青銅器時代に家畜ウマが導入された後の狩猟から牧畜への急速な移行を示唆し、それは動物相遺骸の低頻度により示唆される、アナトリア半島とコーカサスにおける野生ウマ集団の衰退と相関している可能性が高い、と推測されます。

 アナトリア半島とコーカサスにおける2つのYHg(HT-1およびHT-3)の通時的パターンは、ユーラシア北部での記録と類似した集団動態の可能性を示唆します。ユーラシア北部では、現代のウマで優勢なYHgであるHT-1が、家畜化開始の直後に顕著に増加し、中世までに家畜ウマの遺伝子プールに固定されましたが、HT-3はその消滅まで経時的に衰退しました。アナトリア半島のデータセットでは、HT-1およびHT-3は紀元前2000年頃には同等の頻度ですが、HT-3は経時的に衰退し、コーカサスにおいて最後に確認されているHT-3の個体の年代は紀元前1300年頃です。このY染色体多様性の減少は、おそらく種牡馬の強い選択の結果です。

 ユーラシア北部、とくにポントス・カスピ海草原は、現時点ではアナトリア半島へと導入された家畜ウマの最有力起源地候補なので、導入経路はヨーロッパ南東部とコーカサスの2通りが考えられます。ボスポラス海峡横断経路は、前期青銅器時代となる紀元前2600~紀元前2300年頃のバルカン半島南部における、家畜ウマの最初の動物考古学的証拠に基づいています。この遺跡では、10頭のウマの毛色が推定され、ひじょうに偏った分布が明らかになりました。それは、10頭のうち6頭のホモ接合性青毛で、そのうち4頭はヒョウ状の斑点を有し、2頭の鹿毛ウマもヒョウ状の斑点を有していますが、栗毛は検出されませんでした。このパターンは、栗毛が最初の毛色多様体だったのに対して、青毛とヒョウ状の斑点に関連する変異がひじょうに稀だった(25頭のうち2頭)、アナトリア半島とコーカサスにおける本論文の結果とひじょうに対照的です。これらの違いは、バルカン半島南部からアナトリア半島への家畜ウマ集団の導入という仮定と整合的ではありません。さらに、紀元前三千年紀のアナトリア半島西部においてウマを管理した考古学的証拠はなく、ボスポラス海峡経路説は支持する追加の証拠はほとんどありません。

 対照的に、南コーカサスとアナトリア半島中央部で広範に同時代に出現するいくつかの外来mtHgと毛色変異の特定から、コーカサス経由での拡散経路が主張されます。北コーカサスにおける紀元前3300年頃のマイコープ(Maikop)文化の集落と埋葬におけるウマの骨と図像の豊富さから、騎乗はマイコープ文化期に始まった、と示唆されます。さらに、最近の古代人のゲノム研究から、銅器時代の草原地帯とコーカサスの人々の間の継続的な遺伝子流動が示されており(関連記事)、青銅器時代には、メソポタミアとアナトリア半島とコーカサス南北と草原地帯間での人類集団の遺伝子流動が明らかになっています。

 人類集団間のこの交換は、4200年前頃の事象として知られる、寒冷化と乾燥化の1世紀にわたる期間に強化されるようです。この期間は、草原地帯の生計戦略と社会的ネットワークに影響を及ぼしたかもしれません。現在の証拠では、この気候事象はコーカサスとアナトリア半島における非在来ウマのmtHgおよび毛色の到来とほぼ同時期で、ウマの飼育とおそらくはインド・ヨーロッパ語族の拡大と関連しているようです。コーカサスの南側のウマ飼育の拡散が始まった文化的過程は、現時点で扱うのは困難ですが、紀元前三千年紀後半に始まる、コーカサスとそれに続くアナトリア半島への人類集団の移動と関連しているかもしれません。


●その他のウマ類

 本論文では、アナトリア半島中央部の前期鉄器時代(紀元前1100~紀元前800年頃)の遺跡で、雌ウマと雄ロバの間に生まれたラバが特定されました。ラバは形態に基づいて特定され、最近ではゲノムデータに基づいてヨーロッパの鉄器時代とローマ期で確認されています。いくつかの標本がアジア南西部において青銅器時代と鉄器時代の遺跡でラバとして仮定的に特定されてきましたが、本論文で示された個体は、アジア南西部におけるラバの最古となるゲノム証拠です。

 野生ロバはアナトリア半島原産ではないので、雄ロバは家畜だったに違いありません。アナトリア半島中央部の前期鉄器時代のラバの母親である雌ウマは、外来のmtHgで、その仔には2つの毛色変異を伝えたので、家畜でした。鉄器時代のアナトリア半島におけるラバの存在は、アジア南西部へと移動してきた家畜ウマの新たな役割を反映しています。アジア南西部では、家畜ロバは紀元前四千年紀以降用いられており、ウマ類の交雑(ロバとアジアノロバ)の伝統は紀元前三千年紀に出現しました。この状況は、ウマのアジア南西部のウマ類経済への真の統合を反映しており、意図的な家畜技術の初期の事例です。紀元前1600~紀元前1178年頃となるヒッタイト期の家畜の価格表に記載されている最も高価な種であるラバは、明らかにひじょうに高く評価されていました。

 ウマに加えて、本論文の結果は、新石器時代と銅器時代と青銅器時代のアナトリア半島の人々が、かつてはアナトリア半島の大半に生息していたヨーロッパ野生ロバも狩っていた、という明確な証拠を提示します。これは些細な結果ではありません。なぜならば、ヨーロッパ野生ロバの形態学的識別が明白ではなく、本論文で確定した結果は、性別における遺伝子型決定と形態学的決定との間の不一致を示すからです。同時に、これはこの研究チームの以前の結果も確証しました。それは、アジアノロバの他の亜種がアナトリア高原に生息していなかったことを示します。

 本論文で示されたアナトリア半島におけるヨーロッパ野生ロバの最も新しい証拠は紀元前2200年頃で、以前の報告と一致します。したがって、統合されたデータからは、ヨーロッパ野生ロバはアナトリア半島において野生在来ウマと同じ頃となる後期青銅器時代に絶滅し、それはおそらく、4200年前頃の事象と関連した乾燥化や、増加する家畜との牧草地資源をめぐる競争や、おそらくはエリート層の狩猟慣行と関連した狩猟圧力を含む、複数の要因の同じ組み合わせに起因します。


●まとめ

 完新世の9000年にわたるアナトリア半島と南コーカサスの古代ウマ類遺骸の研究により、ミトコンドリア系統の経時的動態が分析され、アナトリア半島が家畜ウマの起源地であるという仮説が検証されました。本論文では、前期および中期完新世に普段から利用されていたアナトリア半島在来の野生ウマのmtHgが特定されました。しかしその遺伝的変化のパターンは、在来ウマ集団を含む漸進的な過程を反映しておらず、むしろ現在の家畜ウマにも存在する外来系統の紀元前2000年頃の突然の出現を示します。これらの輸入されたウマは、家畜化前には野生在来ウマに欠けていた毛色を有する、と示されました。さらに、青銅器時代へのアナトリア半島のmtHg-Pの持続は、家畜の群への在来雌ウマの限定的な取り込みを示唆します。

 これらの変化パターンは、家畜ウマがおそらくコーカサス地域経由でアナトリア半島へ青銅器時代に導入されたことを示唆し、アナトリア半島と南コーカサスにおける家畜ウマの利用開始の年代を提供します。また本論文の結果は、アナトリア半島におけるウマの独立した家畜化という仮説にも反対します。本論文の結果から、アナトリア半島は家畜ウマ系統の主要な起源ではなかったものの、他地域で観察されたように、在来母系は輸入された家畜ウマの群に取り込まれ、在来のロバとも交雑してラバが生まれた、と示唆されます。輸入された家畜ウマの究極的な起源はまだ決められませんが、ウマの家畜化の起源地としてアナトリア半島が除外されることで、黒海隣接地域へとさらなる関心が向けられます。


参考文献:
Guimaraes S. et al.(2020): Ancient DNA shows domestic horses were introduced in the southern Caucasus and Anatolia during the Bronze Age. Science Advances, 6, 38, eabb0030.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abb0030

森恒二『創世のタイガ』第7巻(講談社)

 本書は2020年9月に刊行されました。第7巻は、タイガたちのいる現生人類(Homo sapiens)の集落がネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に襲撃され、リカとユカなど拉致された女性たちをタイガたちが奪回に行く場面から始まります。タイガにより飼われている狼のウルフが敵であるネアンデルタール人の気配を察知し、タイガたちはネアンデルタール人を発見して攻撃しますが、ネアンデルタール人は少なく、逃げるばかりでした。またしてもネアンデルタール人たちの囮に引っかかった、とタイガたちは悟ります。

 奪回部隊を率いるナクムの指示により、アキルという男性が捕虜になったネアンデルタール人男性に拉致された女性たちの行方を尋問します。アキルは現生人類とネアンデルタール人との間に生まれ、ネアンデルタール人社会で育ったこともあるか、以前は現生人類とネアンデルタール人との間の穏やかな交流もあり、その時にネアンデルタール人の言語を習得したのでしょうか。或いは、捕虜にしたネアンデルタール人から言語を習得したのかもしれません。女性たちはもう遠くに連れ去られた、と聞いたナクムたちは愕然とします。アラタは、ネアンデルタール人が陽動作戦をとったことに衝撃を受けていました。ネアンデルタール人は、タイガたちが狼を使うと想定して囮部隊を用意していた、というわけです。

 集落の守りもあるため、奪回部隊の半数は集落に戻ることになります。タイガはティアリに集落に戻るよう促しますが、ティアリは奪回部隊に戻ります。二十数人となった奪回部隊は、2~3倍はいると思われるネアンデルタール人相手に強い不安を抱きつつも立ち向かおうとします。タイガたちのいる集落を襲撃したネアンデルタール人たちは、一時的な野営地と思われる場所に集まり、宴会を開いていました。現生人類の女性たちはネアンデルタール人男性に次々と犯されていき、ユカも犯されますが、その間もユカは呆然としたままでした。

 夜、奪回部隊は休憩していましたが、ティアリは休んでいる暇はない、と焦り、兄のナクムに抗議します。タイガはティアリから、ネアンデルタール人が現生人類の女性を奴隷とするために拉致したのではない、と聞かされます。以前のネアンデルタール人は、現生人類の女性たちを拉致しても殺さず、子供を産ませて奴隷にしていましたが、今は現生人類の女性たちを拉致して奴隷にしてもすぐに殺し、子供を産ませてもその子供さえ殺すようになりました。史実では、現生人類が勢力を拡大して北のネアンデルタール人が滅ぶはずなのに、現在勢力を拡大しているのは軍隊のように組織的な行動をとるネアンデルタール人であることに、アラタは強い疑問と不安を抱きます。このままでは、滅ぶのは現生人類の方だ、というわけです。タイガは、そうさせないために自分たちは来た、リカコもユカも殺させない、と強く誓います。そもそも、自分がオーストラリアへの旅行で洞窟を見ようと提案したことで、過去に行ってしまったことを思い出したアラタは、強く後悔します。

 偵察に出ていた男から、ネアンデルタール人が「熊の岩山」と呼ばれる拠点にいる、との報告が奪回部隊に入ります。昔そこには現生人類が住んでいたそうですが、南下してきたネアンデルタール人に奪われたようです。ネアンデルタール人たちは拠点で宴会を開いており、女たちを連れて帰って奴隷にしたい、と言ってきた男たちに、指揮官らしきドゥクスは要請を却下します。自分たちの新たな王は「色つき」を認めない、「色つき混じり者」を全て殺す、北の民(ネアンデルタール人)だけが人間なのだ、と言います。

 ネアンデルタール人の砦を見つけた奪回部隊は、ナクムの方針により、ネアンデルタール人たちの一部が狩猟に出かけた隙を襲撃することにしました。20~30人のネアンデルタール人が狩猟に出たことを確認した奪回部隊は、20人程度しかいないのに、70人のネアンデルタール人たちを襲撃しようとしていました。ナクムは、まず投槍で敵をできるだけ減らし、敵に武装させる隙を与えないよう、指示を出します。ついに奪回部隊はネアンデルタール人に襲いかかり、最初の投槍で12~13人を倒しますが、依然として人数で不利な状況は変わりません。しかし、狼のウルフも襲撃に加わり、奇襲効果もあってネアンデルタール人たちを退却させます。しかし、ドゥクスが支持を出すと、狼狽していたネアンデルタール人たちは奪回部隊を包囲するように陣形を組みます。包囲された奪回部隊は、ナクムの攻撃により包囲網に穴を開け、そこから突破しようとします。格闘技を学んでいたタイガはそれを剣術に応用し、剣術を知らないネアンデルタール人に対して優位に立ちます。タイガには、戦いの中でも冷静さを保つ精神力があり、「戦士」として成長していました。

 包囲を破った奪回部隊は、捕虜となっていた女性たちを発見し、アラタが女性たちを解放します。奪回部隊も半数を失ったものの、ネアンデルタール人も少なくなり、まだウルフもナクムも健在であることから、タイガは勝利を確信します。ところが、ネアンデルタール人が狼煙を上げているのを見たタイガは、狩猟に行ったネアンデルタール人たちが戻って来ると悟り、早く脱出するよう、ナクムに促します。しかし間に合わず、30~40人のネアンデルタール人たちが襲撃してきます。絶望的な状況の中、タイガは諦めず強い戦意を示しますが、ドゥクスは冷静で、配下のネアンデルタール人たちに槍を投げるよう、指示を出します。絶体絶命の状況に奪回部隊の戦意が喪失しかける中、突如として大きな鳴き声とともに、マンモスが現れます。それがかつて命を救ったアフリカだと気づいたタイガは、アフリカに乗ってネアンデルタール人たちに反撃します。突然のマンモスの出現に狼狽したネアンデルタール人たちは敗走し、ドゥクスはこの信じがたい状況を見て、タイガも自分たちの王と同じ神なのか、と驚きます。私も含めて、アフリカが登場した時からこのような展開を予想していた人は少なくなかったでしょうから、もう少しひねってもよかったのではないか、とも思います。

 こうしてネアンデルタール人に拉致されていた現生人類の女性たちも解放されますが、ユカはタイガを知らない人のように呆然と眺めるだけでした。アラタは、ネアンデルタール人が軍隊のような組織を持っていることに強い疑問を抱いていました。カシンは現生人類の言葉を少し話せるネアンデルタール人の捕虜を尋問し、その呻き声に気づいたタイガとアラタも向かいます。なぜ自分たちを殺そうとするのか、とカシンに問われたネアンデルタール人の捕虜は、「王」の命令だからだ、と答えます。しかし、カシンもナクムも「王」とは何なのか、知りません。「王」とは何者なのか、ナクムに問われたネアンデルタール人の捕虜は、嘲笑するように、お前たちには分からない、と答えます。お前たち「色つき」は人ではない、「王」は「神」の子供でこの世界を統べる者だ、この世界は「王」と血を分けた我々「白き者」の世界だ、とネアンデルタール人の捕虜は言い、アラタは愕然としますが、ナクムは「神」とは何か知りません。ネアンデルタール人の捕虜はナクムたちを、お前たち不浄の者・「色つき」の者は滅びる、我々「白き者」だけが唯一の「人」だ、王はお前たち「色つき」を滅ぼし、清浄な(正常な?)大地を取り戻す、お前たちは我々により滅ぼされる、と言って嘲笑します。これは重要な情報ですが、ナクムたちの部族の言葉で「王」や「神」をネアンデルタール人がどう表現したのか、それをタイガやアラタがどうやって理解できたのか、ということは気になります。まあ、これは創作ものですから、気にせず受け入れるべきなのかもしれませんが。

 奪回部隊が集落に戻ると、マンモスを見て最初は驚いた人々も、仲間を見て歓喜します。タイガから、「王」とは一族や他の部族や土地も支配する「大きな力を持つ者」という意味で、人々の上に立つと言われており、人々を滅ぼそうとする危険な王もいる、と聞かされた賢者ムジャンジャは、先代や先々代の賢者からも聞かされていなかった事態だと悟ります。これまで、ネアンデルタール人と現生人類の間に争いはあっても、互いを滅ぼそうとはしませんでしたが、ネアンデルタール人は拉致した現生人類を殺し、拉致した女性に産ませた子供も殺すようになりました。ムジャンジャはナクムに、見て感じたことを信じ、決断するよう促します。一族を率いて生きる道を探し、滅んではならない、というわけです。ネアンデルタール人が自分たちを滅ぼすつもりだと知ったナクムは戦いを決断し、タイガに共闘を要請し、タイガは即座に快諾します。あくまでも戦いを避けようとして現実逃避するレンをリカコは叱責し、アラタはレンに、共に戦うか女性や子供たちと隠れるか、選択するよう迫ります。タイガは、ここが自分たちの知る歴史ではないと考え、傍観者ではいられないので、命懸けで「今」を生きるしかない、と決意します。

 ホラアナグマの狩猟などで現生人類の結束はますます高まりますが、ナクムは、カシンたちが何度か見たネアンデルタール人の大群が気がかりでした。ネアンデルタール人の方はバラバラだった者たちを統一した王がいるのに、現生人類の方は部族がバラバラであることを懸念するナクムは、自分たちにも王が必要だと考え、タイガに自分たちの王となるよう、要請します。しかしタイガは、ナクムこそが王だ、と言います。自分たちが何のためにここに来たのか、ずっと考えていたタイガは、王になる男を助けるためだ、との結論に至りました。皆を率いて現生人類を救う男こそが王たるべきナクムなのだ、とタイガがナクムに力説するところで第7巻は終了です。


 第7巻は、ひじょうに重要な情報が明かされ、たいへん楽しめました。そもそも、タイガたち21世紀(で間違いないと思います)の大学生が更新世にタイムスリップするという点で非現実的な設定ですから、これまでは当時の状況が比較的忠実に描かれてきたとはいえ、実際とは何かの点で大きく異なる世界だったとしても不思議ではありません。本作の世界は、神のような超越的な存在、あるいはタイムスリップが可能となった未来世界の人々による実験で、タイガたち人類学のゼミ生が選ばれた、ということでしょうか。

 この謎の核心に迫りそうな情報が、ネアンデルタール人の捕虜から語られました。ネアンデルタール人には新たな「王」がおり、この「王」は神の子供で、「王」と血を分けた「白き者」たるネアンデルタール人が「色つき」の者たる現生人類を滅ぼすよう命じた、というわけです。この「王」は組織化に長けており、軍隊の訓練も指示しているようです。そうすると、ネアンデルタール人の「王」も未来からタイムスリップしてきた、ということでしょうか。「白き者」が「色つき」を滅ぼすよう命じていることから、この「王」からは白人至上主義的な思想が窺えます。とはいえ、ネアンデルタール人と現生人類は異なりますから、白人至上主義者がネアンデルタール人の「王」となり、ネアンデルタール人に肩入れするのも変だとは思います。

 ただ、ネアンデルタール人がまだあまり知られていなかった、というか人類進化史において正確には位置づけられていなかった19世紀後半の白人至上主義的な人物ならば、あるいはアフリカ起源の肌の色の濃い現生人類に対して、肌の色が薄かっただろうネアンデルタール人に肩入れして、現生人類を滅ぼそうと考えることもあり得るかな、とは思います。あるいは、ネアンデルタール人に強い思い入れを抱いている狂信的な人物なのでしょうか。もっとも、単に当時のネアンデルタール人と現生人類に未来人が知恵を授けてどの程度のことができるのか、また史実とどう変わるのか、と思いついた気まぐれで冷酷な未来人もしくは神のような超越的存在によるゲームのようなものなのかもしれません。まあ、ネアンデルタール人の肌の色については議論があり、ネアンデルタール人の肌と髪の色も、現代人と同じく多様だったのではないか、と推測する研究もあります(関連記事)。なお、第1巻~第6巻までの記事は以下の通りです。

第1巻
https://sicambre.at.webry.info/201708/article_27.html

第2巻
https://sicambre.at.webry.info/201801/article_28.html

第3巻
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_42.html

第4巻
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_57.html

第5巻
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_44.html

第6巻
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_41.html