日本語とオーストロネシア語族との関係

 日本語とオーストロネシア語族との関係を指摘した研究(崎山., 2001)を読みました。もう20年近く前(2001年)の論文となるので、あるいは近年の言語学の知見を踏まえてかなりの修正が必要になるかもしれませんが、近年大きく発展した古代DNA研究、とくに、今年(2020年)になって飛躍的に進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)の観点からもと興味深い内容なので、取り上げます。


 複数の言語が接触すると、接触したそれぞれの言語の文法部分に変化が現われる場合もあれば、各言語の文法部分が提供され、新たな一つの言語が生みだされる場合もあります。後者は混合語と呼ばれ、ピジンあるいはクリオール(母語となったピジン)はその一例です。混合のため文法のどの部分が提供されるかは、接触した各言語ごとに異なりますが、あらゆる部分からの供出が起こるこ、と明らかになっています。また、接触する言語の特徴により、ピジン化や混合の仕方も一様ではありません。したがって、言語混合は先住民に匹敵する量の外来者がないと不可能とか、文法と単語が別の系統から来るのは難しいとかいった見解は成立しない、と本論文は指摘します。

 ピジンは言語混合の一つのあり方で、言語混合と同義で論じるべきではありません。ピジンには横浜ピジンのような一世代的(片言的)な形態からオセアニアのメラネシア・ピジンのように約300万人により使用される国家語まで多様です。元の言語の話し手にとって、ピジン化した新しい言語は、元の言語が単純化した(舌足らずの)ように聞こえます。ピジンは元の言語の非体系的部分の合理化を行なっている場合も少なくありません。ピジンは表現可能な内容が限定された不完全な言語である、との見解は言語学でも根強く存在します。これまで比較言語学では、一言語における歴史的な混合という現象が原則として認められてきませんでした。混合言語を認めることは、比較言語学の依拠する「語族」という概念の成立基盤を揺るがしかねない危険思想でもあるからです。したがって言語学では今でも、混合の事実は認めるとしても、「混合はピジン英語や隠語にみられる程度」との見解もあります。

 本論文は、日本語とオーストロネシア語族など他言語との比較から、日本語は混合言語として形成された、と主張します。そのさいに重要な影響を与えたのがオーストロネシア語族で、そのうち、語彙面では西部マレー・ポリネシア語派の要素が多く残る一方で、文法面ではオセアニア語派の特徴が顕著である、と本書は指摘します。本論文はこれに関して、縄文時代中期から古墳時代までの3000年間、オーストロネシア語族が波状的に渡来したことに起因する、と推測します。

 日本語の形成に関与したもう一方の言語として本論文が想定するのは、ツングース語族です。古代日本語は動詞・形容詞の活用語尾の多くをツングース語族に負っている、と本論文は指摘します。上代および現代日本語では連体修飾に二つの語順が存在しますが、これは言語混合の可能性がある、と本論文は指摘します。日本語において、原オーストロネシア語の人称代名詞一人称複数の包括・排除の区別が失われたのは言語接触に基づき、これは日本語の形成における深い混合の跡を反映している、と本論文は推測します。ただ本論文は、民族学的にツングース民族は、紀元前千年紀にアジア東部に拡散した、いわゆるアルタイ化の担い手で、日本列島が本格的にアルタイ化するのは弥生時代からと推定されているので、縄文後晩期とは約3000年の間隙があり、言語混合の開始の時期など今後解明すべき問題はまだ残っている、と指摘します。


 本論文はこのように主張しますが、近年の古代DNA研究の進展を踏まえると、日本語とオーストロネシア語族との関係はたいへん注目されます。日本列島の現代人集団は、大別すると、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球に三区分されます。このうち、日本語と琉球語は、方言なのか同じ語族の別言語なのか、まだ決定的になっていませんが、同一系統の言語であることは間違いないでしょう。以下、まとめて日本語として扱います。一方アイヌ語は、日本語とは大きく異なる系統の言語です。日本語とオーストロネシア語族との関係で注目される古代DNA研究に関しては、アジア東部現代人集団がどのように形成されてきたのか、現時点で最も優れていると私が考えているモデルの概要を以下に述べます(関連記事)。

 非アフリカ系現代人の主要な遺伝的祖先となった出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団はまず、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐し、ユーラシア東部系統は南方系統と北方系統に分岐します。ユーラシア東部南方系統に位置づけられるのは、現代人ではパプア人やオーストラリア先住民やアンダマン諸島人、古代人ではアジア南東部狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団です。一方、ユーラシア東部北方系統からはアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに南方系統と北方系統に分岐します。アジア南東部北方系統は新石器時代黄河地域集団、アジア東部南方系統は新石器時代の福建省や台湾の集団(おそらくは長江流域新石器時代集団も)に代表され、オーストロネシア語族現代人の主要な祖先集団(祖型オーストロネシア語族集団)です(関連記事)。現代において、日本列島「本土集団」や漢人やチベット人などアジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統ですが、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、チベット人はユーラシア東部南方系統との、日本列島「本土集団」は「縄文人(縄文文化関連個体群)」との混合により形成されました。「縄文人」は、ユーラシア東部南方系統(45%)とアジア東部南方系統(55%)との混合と推定されています。

 これらの古代DNA研究の成果を踏まえると、縄文人はアジア東部南方系統の共有という点で、祖型オーストロネシア語族集団と遺伝的に近い関係にある、と言えます。つまり、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性があるわけです。縄文人がどのように形成されたのか不明ですが、縄文人の大まかな形態は、細かな地域差・時期差が指摘されているとはいえ、地域では北海道から九州まで、年代は早期から晩期前半までほとんど同一で、縄文人と同じ形態の人類集団は日本列島以外に存在しないことから、日本列島における独自の混合により形成された可能性が高そうです(関連記事)。

 そこで問題となるのが、日本列島現代人において最も縄文人の遺伝的影響が強く残っていると推定されているアイヌ集団(関連記事)の言語(アイヌ語)とオーストロネシア語族との関係です。これについて、近年の言語学の知見をまったく知らないので、的外れな発言になるかもしれませんが、2005年の論文(橋尾., 2005)でも、アイヌ語とオーストロネシア語族が同系かもしれないと指摘されていることから、アイヌ語がオーストロネシア語族と近縁な関係にあるというか、祖型オーストロネシア語族の影響を一定以上残している、とも考えられます。その意味でも、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性は、真剣に検証すべきではないか、と思います。

 日本語とアイヌ語が大きく異なることに関しては、日本語もアイヌ語も祖型オーストロネシア語族と別系統の言語との混合により形成され、分岐してから長い時間が経ったことにより説明できるように思いますが、言語学の知見は皆無に近いので、的外れなことを言っているかもしれません。さらに、アジア東部南方系統でも、アイヌ集団の主要な祖先と祖型オーストロネシア語族集団の主要な祖先との分岐が更新世だとしたら、言語学で指摘されているアイヌ語とオーストロネシア語族の共通性が検出されるには古すぎるかもしれない、という問題もあります。ただ、言語学でも議論が分かれるくらいの共通性となると、更新世の分岐でも不思議ではないかもしれませんが、門外漢の思いつきにすぎません。

 上述のように、日本語がオーストロネシア語族とツングース語族との混合により形成されたとすると、その融合がいつだったのかが問題となりますが、日本列島にツングース語族をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島にアジア東部北方系統をもたらした集団である可能性が高いように思います。しかし、シナ・チベット語族はアジア東部北方系統集団に由来する可能性が高い、と指摘されています(関連記事)。この問題をどう説明すべきか、以前にも一度試みたものの(関連記事)、とても確信は持てません。それでも、以下で改めて私見を述べます。

 この問題で参考になりそうなのは、バヌアツの事例です(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。アジア東部北方系統集団は、拡散の過程で朝鮮半島や日本列島などにおいて大きな遺伝的影響を現代人集団に残しましたが、その過程で先住民の言語が置換されず、基本的には継承されたかもしれない、というわけです。この想定が妥当だとすると、アジア東部北方系統集団はアジア北東部への拡散の過程で、ツングース語族集団と混合し、その言語を継承して日本列島へと到来した、と考えられます。日本列島でも、先住の縄文人よりもこのツングース語族集団の方が現代「本土集団」には大きな遺伝的影響を残していますが、だからといって遺伝的に優勢な集団の言語により置換されたのではなく、独自の混合言語が成立した、というわけです。これを基盤に、漢字文化の導入にともなって漢語の影響も受けつつ、日本語が成立していった、と考えられます。

 あるいは、アジア東部北方系統集団の言語は、後にはシナ・チベット語族におおむね一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、とも考えられます。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)による分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語や朝鮮語に影響を与えた諸言語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系統集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 別の可能性として考えられるのは、日本語の形成にさいしてオーストロネシア語族の影響をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島に到来した稲作農耕民集団だった、という想定です。黄河中下流域集団では、中期~後期新石器時代に、稲作農耕の痕跡顕著な増加とともに、遺伝的にはアジア東部南方系統の割合の上昇が指摘されています(関連記事)。黄河中下流域への稲作の導入が、長江流域など中国南部のアジア東部南方系統集団の一定以上の移住を伴っていたとすると、日本列島に稲作をもたらした集団の言語に祖型オーストロネシア語族の影響が残り、それが弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も考えられます。縄文人の言語とは別の経路で、日本語に祖型オーストロネシア語族の影響が伝わっている、というわけです。

 ここまで色々と憶測してきましたが、言語学の知見が皆無に近いので、最近の研究を踏まえておらず、的外れな見解になってしまったかもしれません。ただ、今となってはやや古いとはいえ、言語学の見解と最近の古代DNA研究とが符合するところもあるのではないかと考え、一度私見を述べておこうと思い立った次第です。縄文人の言語に祖型オーストロネシア語族の影響があるとして、では縄文人のもう一方の主要な祖先であるユーラシア東部南方系統の言語はどのようなもので、縄文時代、あるいは現代に影響を残しているのかなど、調べねばならないことはまだ多いものの、それは今後の課題とします。


参考文献:
崎山理(2001)「オーストロネシア語族と日本語の系統関係」『国立民族学博物館研究報告誌』第25巻第4号P465-485
https://doi.org/10.15021/00004071

橋尾直和 (2005)「琉球語・アイヌ語・日本語諸方言とオーストロネシア語の若干の比較」『高知女子大学文化論叢』第7号P39-51
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006541555