大相撲秋場所千秋楽

 今場所は初日から白鵬関と鶴竜関の両横綱が休場となり、混戦が予想されましたが、じっさい、8日目の時点で全勝力士どころか1敗力士もおらず、4敗での優勝や4力士以上での優勝決定戦も想定されました。しかし、優勝争いは4敗までは下がらず、14日目を終えた時点で、2敗の正代関と3敗の貴景勝関・翔猿関に絞られました。まず、正代関と翔猿関が対戦し、翔猿関は健闘しましたが、やはり地力の違いが出たのか、正代関が土俵際で突き落として勝ち、13勝2敗で初優勝を果たしました。翔猿関が勝っていれば巴戦の可能性も残っていたので残念ですが、この結果は当然とも言えます。

 正代関は場所後に大関に昇進することになりそうですが、直近3場所がいずれも関脇で、8勝→11勝→13勝の合計32勝となります。大関昇進の目安とされる33勝には1勝だけ足りませんが、関脇で3場所連続の勝ち越しとなり、過去には北の湖関や千代大海関が合計32勝ながら優勝して大関に昇進しており、妥当なところでしょう。最近は横綱不在が多いので、やや甘い昇進基準とも言えるかもしれませんが、横綱の休場は正代関の責任ではないので、問題ないと思います。正代関は今場所の内容から横綱昇進も期待されますが、できれば白鵬関に力勝負で勝って横綱に昇進してもらいたいものです。翔猿関は新入幕で大健闘し、貴景勝関には完敗でしたが、正代関には健闘し、来場所番付が上がっても勝ち越せるかもしれません。

 大関への足固めが期待された関脇3人は明暗がはっきり分かれて、正代関が強い相撲を続けて優勝を果たしたのに対して、御嶽海関は勝ち越すのがやっとで8勝7敗、大栄翔関は大きく負け越して5勝10敗でした。御嶽海関は強さとともに脆さも見られ、2回優勝してはいますが、大関昇進は難しいかもしれません。大栄翔関は、まだ力不足でしょうか。横綱昇進の足固めの場所になると期待された朝乃山関は初日から3連敗で、その後の10連勝で立て直したものの、千秋楽の貴景勝関との結びの一番でも敗れ、10勝5敗に終わりました。まだ精神的な脆さがありますが、「正統派」的なところがあるので、相撲協会やマスコミの期待は大きいようです。

 今場所は、初日から両横綱が休場しましたが、途中休場も目立ちました。新型コロナウイルスの流行により出稽古禁止となり、調整が難しくなっていることも大きいでしょうが、以前よりも八百長が減っているという推測が妥当なのだとしたら、1場所15日で年6場所(先々場所は中止になりましたが)という現行体制に根本的な問題がある、と言うべきでしょう。両横綱のうち、鶴竜関はいよいよ追い詰められたという感じで、来場所引退しても不思議ではありません。白鵬関は、ある程度体調が整えば、まだ最強だとは思いますが、それでも5回以上優勝するとはとても思えず、来年前半で引退しても不思議ではありません。

 正代関は覚醒した感があり、横綱に最も近いとさえ言えそうですが、来場所前に29歳になるので、横綱として長く務めることは難しそうです。朝乃山関も26歳でそこまで若いわけではなく、24歳と横綱・大関陣で最も若い貴景勝関は押し相撲で安定感に欠けますから、かなり危機的な人材不足の状況にあることは間違いありません。日本社会全体の少子高齢化が進む中、旧悪と指弾されそうな要素の多い大相撲界に進みたいと考える少年も、息子を力士にさせたいと考える保護者も少ないでしょうから、大相撲の水準低下も仕方ないところでしょうか。

ネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体での系統関係

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のY染色体DNA解析に関する研究(Petr et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。本論文はすでに今年(2020年)3月、査読前に公開されていました(関連記事)。その時と内容は基本的に変わっていないようですが、多少の変更点や私の見落としおよび間違い(平均網羅率など)があるので、それらを訂正しつつ以前の記事を基本的には流用し、以前は掲載しなかった図も取り上げるとともに、その後のネアンデルタール人やデニソワ人に関する知見も取り入れます。


 古代DNA研究により、移住・置換・遺伝子流動など、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)と現生人類(Homo sapiens)の複雑な進化史が明らかにされてきましたが、古代型ホモ属と現生人類の関係の考察は、大半が常染色体に基づいています。一方、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAは、それぞれ母系と父系での単系統のみの遺伝情報を示しますが、性特異的な移住やその他の文化現象のような人口史の多様な側面に独自の視点を提供します。

 ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類においては、mtDNAと常染色体での系統関係の不一致が明らかにされてきました(関連記事)。常染色体ゲノムでは、ネアンデルタール人およびデニソワ人系統が現生人類系統と765000~550000年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。しかしmtDNAでは、ネアンデルタール人はデニソワ人よりも現生人類と近縁で、その推定分岐年代は468000~360000年前頃です。43万年前頃のスペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)集団は早期ネアンデルタール人とされていますが、mtDNAでは現生人類よりもデニソワ人の方と近縁で、常染色体ではネアンデルタール人系統に位置づけられます(関連記事)。

 これらの知見から、ネアンデルタール人は元々デニソワ人に近いmtDNAを有しており、後に現生人類と関連する早期系統からの遺伝子流動経由で完全に置換された、との見解が提示されています。ネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体は、古代型ホモ属と現生人類の間の分岐や遺伝子流動に関する重要な情報を追加できます。しかし、ネアンデルタール人のY染色体のわずかなコーディング配列を除いて、これまでネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体の研究はありませんでした。スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡(関連記事)やベルギーのスピ(Spy)遺跡およびロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)遺跡(関連記事)のネアンデルタール人のY染色体は解析されてきましたが、Y染色体全体の包括的な研究を可能とする内在性DNAは、じゅうぶんは得られていませんでした。

 本論文は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡のデニソワ人2個体と、スピ遺跡とメズマイスカヤ遺跡とエルシドロン遺跡(エルシドロン1253)のネアンデルタール人1個体ずつのY染色体DNAを改めて解析しました。デニソワ人は、84100~55200年前頃のデニソワ4(Denisova 4)と136400~105600年前頃のデニソワ8(Denisova 8)、ネアンデルタール人は、39000~38000年前頃のスピ94a(Spy 94a)と45000~43000年前頃のメズマイスカヤ2(Mezmaiskaya 2)と53000~46000年前頃のエルシドロン1253(El Sidrón 1253)です。Y染色体のうち計690万塩基対(エルシドロン1253のみは56万塩基対)が標的領域とされ、平均網羅率は、デニソワ4が1.4倍、デニソワ8が3.5倍、スピ94aが0.8倍、メズマイスカヤ2が14.3倍、エルシドロン1253が7.9倍です。

 これらの解析の結果、ネアンデルタール人3個体とデニソワ人2個体はそれぞれ単系統群(クレード)を形成する、と明らかになりました。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体での系統関係は、核(というか常染色体)ゲノムとは異なり、ネアンデルタール人と現生人類が近縁と明らかになりました。現代人のY染色体ハプログループ(YHg)で最も早く分岐したのはA00ですが(関連記事)、ネアンデルタール人のY染色体系統は、デニソワ人系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統が分岐した後で、全現生人類系統と分岐したことになります。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体での系統関係は、核ゲノムのそれとは一致せず、mtDNAのそれと一致します。

 Y染色体の各系統の推定分岐年代は、YHg-A00と非アフリカ系現代人系統では249000(293000~213000)年前頃です。非アフリカ系現代人とデニソワ人とでは、デニソワ8が707000(835000~607000)年前頃、デニソワ4が708000(932000~550000)年前頃です。非アフリカ系現代人とネアンデルタール人とでは、スピ94aが353000(450000~287000)年前頃、メズマイスカヤ2が370000(420000~326000)年前頃、エルシドロン1253が339000(408000~275000)年前頃です。父系となるY染色体の推定分岐年代は、現生人類およびネアンデルタール人の共通祖先系統とデニソワ人の祖先系統とが70万年前頃、現生人類系統とネアンデルタール人系統とが35万年前頃、ネアンデルタール人3個体では10万年前頃です。以下、ネアンデルタール人3個体とデニソワ人2個体と現生人類のY染色体系統樹(図2A)と合着年代(図2B)を示した本論文の図2です。
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 Y染色体におけるデニソワ人系統と現生人類系統の推定分岐年代は、常染色体ゲノムに基づく推定分岐年代とよく一致しており、現生人類系統とデニソワ人系統のY染色体の分岐は単純な集団分岐の結果と示唆されます。一方、Y染色体におけるネアンデルタール人系統と現生人類系統の推定分岐年代は常染色体ゲノムに基づく推定分岐年代よりもかなり新しく、mtDNAで推測されている、現生人類に近い系統からネアンデルタール人系統への遺伝子流動と一致します。エルシドロン遺跡のネアンデルタール人のY染色体に関する研究(関連記事)では、現生人類系統とネアンデルタール人系統の推定分岐年代は588000年前頃です。一方、本論文ではそれが35万年前頃とかなり新しく、その理由として本論文は、以前の研究ではデータ量が限定的だったことを指摘しています。

 上述のように、ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体における系統関係は、mtDNAのそれと一致し、核(というか常染色体)ゲノムのそれとは一致しません。これは、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と分岐した後の(広義の)現生人類系統において、現代人系統と早期に分岐した(父系においての)絶滅系統がネアンデルタール人系統と交雑し、ネアンデルタール人系統にデニソワ人系統よりも現生人類系統に近いmtDNAとY染色体をもたらした、と考えられます。以前の研究では、現生人類からネアンデルタール人への数%程度とわずかな遺伝子流動が指摘されており(関連記事)、最近の研究ではこの遺伝子流動は30万~20万年前頃に起き、割合は3~7%と推定されています(関連記事)。ギリシアでは21万年以上前のおそらくは広義の現生人類遺骸が発見されており、ヨーロッパにおける20万年以上前のネアンデルタール人広義の現生人類系統との交雑はじゅうぶん考えられるでしょう(関連記事)。

 他系統からの3~7%程度の遺伝子流動という条件において、他系統のmtDNAとY染色体への置換は、通常の進化ではひじょうに起きにくいと考えられます。しかし、有効人口規模が現生人類よりも小さいネアンデルタール人においては、現生人類よりも多い有害な変異の蓄積の可能性が指摘されており(関連記事)、じっさい、ネアンデルタール人3個体のエクソン領域に関しては、現代人よりも有害なアレル(対立遺伝子)を多く有している、と明らかになっています。本論文は、有効人口規模が小さい場合のシミュレーションにより、ネアンデルタール人のY染色体が現生人類のY染色体よりも適応度がわずかでも低い場合、完全置換率に強い影響を与える、と明らかにしました。

 具体的には、現生人類からネアンデルタール人への遺伝子流動を5%と仮定した場合、5万年後の置換率は、ネアンデルタール人のY染色体適応度が1%低いと25%に増加し、2%低いと50%に増加します。こうした予測は、Y染色体と同じく単系統遺伝となるmtDNAにも当てはまります。これらの結果は、ネアンデルタール人におけるより高い遺伝的荷重が、ネアンデルタール人のmtDNAおよびY染色体という単系統遺伝の置換可能性の増加と相関していることを示します。繁殖と受精力におけるY染色体の重要性を考慮すると、Y染色体の有害な変異または構造的多様体が、のシミュレーションよりも適応度にずっと大きな影響を与えるかもしれない、と本論文は指摘します。以下、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の核(常染色体)ゲノムとmtDNAとY染色体の系統関係(図3A)と、Y染色体系統の置換率(図3B)を示した本論文の図3です。
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 後期ネアンデルタール人のY染色体は、37万~10万年前頃の間に、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも現生人類系統と近縁な絶滅系統からもたらされた、と推測されます。上述のように、早期ネアンデルタール人である43万年前頃のSH集団は、mtDNAでは後期ネアンデルタール人よりもデニソワ人に近いと明らかになっていますが、Y染色体でも同様だろう、と本論文は予測しています。後期ネアンデルタール人のゲノムから推測される、現生人類からネアンデルタール人への限定的な遺伝子流動を考慮すると、後期ネアンデルタール人におけるmtDNAとY染色体の完全な置換は意外ですが、ミトコンドリアと常染色体の不一致は集団遺伝学理論では予測されており、動物の種間交雑では比較的一般的です。本論文は、2集団間の交雑における単系統遺伝子座の遺伝的荷重の違いが、ネアンデルタール人系統におけるmtDNAとY染色体の置換の要因だろう、と指摘します。

 本論文はひじょうに興味深い結果を提示しており、今後、古代型ホモ属のY染色体DNA解析数さらに増えていくよう、期待しています。デニソワ人と確認されている個体はネアンデルタール人と比較してひじょうに少ないので、古代型ホモ属のY染色体DNA解析は当分ネアンデルタール人が中心となりそうですが、まず注目されるのは、本論文でも言及されている早期ネアンデルタール人のSH集団です。SH集団は43万年前頃と後期ネアンデルタール人やデニソワ人よりもずっと古いだけに、Y染色体DNAの解析は難しいかもしれませんが、何とか成功してもらいたいものです。また、ネアンデルタール人系統内でも核DNAとmtDNAで系統の不一致が指摘されているので(関連記事)、Y染色体ではどうなのか、さらに詳しい研究の進展が期待されます。


 以上、ほぼ以前の記事からの流用ですが、本論文の内容をざっと見てきました。査読前の論文を取り上げた後も、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の関係について、興味深い研究が複数提示されています。たとえば、ネアンデルタール人と現生人類との複数回の交雑を指摘した研究や(関連記事)、ネアンデルタール人から非アフリカ系現代人へと再導入された遺伝子に関する研究(関連記事)です。デニソワ人に関しては、アジア東部の早期現生人類においてデニソワ人の遺伝的影響が指摘されており、これは現代パプア人やオーストラリア先住民の祖先集団の事例とは異なるデニソワ人との交雑事象を反映している、と推測されています(関連記事)。

 ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑も指摘されており、アルタイ地域ではデニソワ人とネアンデルタール人との交雑が一般的だったと推測されていますが、12万~4万年前頃となるユーラシア西部のネアンデルタール人8個体のゲノムでは、デニソワ人系統は殆ど或いは全く検出されませんでした(関連記事)。非アフリカ系現代人全員のゲノムには、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃のネアンデルタール人と関連する古代型ホモ属に由来する領域が2%ほどある、と推定されています(関連記事)。ユーラシア西部ではデニソワ人は確認されていないため、ユーラシア西部現代人集団のゲノムには、基本的にデニソワ人由来の領域はない、と考えられますが、アイスランド現代人のゲノムには、わずかながらデニソワ人由来の領域が確認されています(関連記事)。

 アルタイ地域のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)のネアンデルタール人の高品質なゲノム配列からは、非アフリカ系現代人全員の共通祖先集団と交雑したネアンデルタール人集団は、デニソワ洞窟の個体(デニソワ5)に代表される東方系のネアンデルタール人よりもヴィンディヤ洞窟個体(Vindija 33.19)に近いものの、チャギルスカヤ洞窟個体とも同等に密接な関係にある、と示唆されています(関連記事)。つまり、非アフリカ系現代人全員の共通祖先集団と交雑したネアンデルタール人集団を表す個体は、まだ発見されていないかゲノムデータが得られていない、と考えられます。この未知の個体のゲノムには、デニソワ人由来の領域がわずかながら存在する、と推測されます。

 このように、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の関係は複雑で、相互に複数回の交雑があった、と考えられます。mtDNAの違いから哺乳類における雑種の繁殖力を予測した研究では、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人は、繁殖力のある子孫の誕生に重要な生物学的障害を予測できるほど、相互にじゅうぶんには分岐していない、と指摘されています(関連記事)。さらに、現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先と分岐した未知の人類系統が、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統(関連記事)や、アフリカの現生人類(関連記事)と交雑した、との見解も提示されています。今後、新たな手法の開発により、後期ホモ属間の複雑な関係がさらに解明されていくだろう、と期待されます。


参考文献:
Petr M. et al.(2020): The evolutionary history of Neanderthal and Denisovan Y chromosomes. Science, 369, 6511, 1653–1656.
https://doi.org/10.1126/science.abb6460

大河ドラマ『麒麟がくる』第25回「羽運を運ぶ蟻」

 1566年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、覚慶(足利義昭)は還俗しますが、越前には入れません。足利義栄が将軍に任ぜられるのではないか、と焦る細川藤孝は朝倉義景に面会に行きますが、会えませんでした。1567年、織田信長は美濃を平定し、藤田伝吾からの手紙により、光秀たちも安心して美濃に帰れると分かり、光秀は母とともに美濃に一時的に帰国しますが、まだ流浪の身である自分に忸怩たる思いがあることを母に打ち明けます。

 光秀は稲葉山(岐阜)城で稲葉良通(一鉄)と再会します。信長と面会した光秀は、信長から自分に仕官するよう誘われたものの断り、足利義輝殺害後どうすればよいか悩んでいる、と答えます。信長も、自分が今後どうすべきか悩んでいる、と光秀に打ち明けますが、同時に、戦は嫌いではない、皆に喜ばれるのが好きなので、そのような戦をしたいが、周囲には敵も多く、どこを攻めればよいのか悩んでいると光秀に尋ね、光秀は信長に上洛して大きな国を作るよう勧めます。しかし、次の将軍に擁立すべき義昭の器量を問われた光秀は返答に窮します。光秀が越前に戻ると、細川藤孝と足利義昭が光秀邸を訪れていました。義昭は、助けがあれば将軍を務められ、一人の僧侶としてよりも貧しい人々を救える、と光秀に打ち明け、義景への助力働きかけを光秀に依頼します。光秀は義昭の器量を見直し、義景に義昭を推戴するよう、進言します。松永久秀からも義昭支援を依頼されていた義景は、義昭を受け入れると決断します。しかし、光秀は息子が飼っていた鼠を探すために大事な話を中断する義景を見て、改めて義景の器量に不安を抱いたようです。

 今回は、今後の展開、さらには本能寺の変へと至る光秀と信長との関係で、ひじょうに重要と思われるやり取りが描かれました。本作の信長は、子供の頃に母親から愛されず、愛情を求める人物として描かれてきました。その意味で、皆に喜ばれるために戦をする、という信長の行動原理はよく分かります。さらに、斎藤道三から光秀への遺言とも考えられる「大きな国」を伝えられた信長は、まだ漠然としているとはいえ、遠い将来の目標を見つけたようにも思います。あるいは、信長の征服戦争がいつまでも続きそうだと悟った光秀が、それを阻止するため本能寺の変を起こした、という話になるのかもしれません(非道阻止説)。