ウラル地域の中世初期人類の遺伝的データとハンガリーとの関係

 ウラル地域の中世初期人類の遺伝的データとハンガリーとの関係についての研究(Csáky et al., 2020)が公表されました。ウラル地域は多くの移住に関わっており、それはヨーロッパの歴史も形成しました。こうした事象の考古学的痕跡は、中でもウラル南部地域の中世初期の墓地に見られます。数百基の墓を有する小さくまとまった墓地はウラル地域の典型で、豊富な考古学的発見がありました。考古学・言語学・歴史学の議論によると、現代ハンガリー人集団の民族的起源はウラル地域にさかのぼれます。

 言語学的証拠に基づくと、ウラル語族のウゴル諸語に属するハンガリー語は、ウラル山脈の東側で紀元前1000~紀元前500年頃に現れました。文字記録と言語学的情報と考古学的議論によると、紀元後6世紀(以下、紀元後の場合は省略します)の後、ハンガリー人の先駆者の一部が、その故地からウラル地域西部(シスウラル地域)へと移動しました。9世紀の第1三半期頃、シスウラル地域集団の一部がヴォルガ川を渡り、ドニエプル・ドニエストル地域のハザール・カガン(Khazarian Khaganate)の近くに定住しました。初期ハンガリー人は、895年に起きたカルパチア盆地の征服までヨーロッパ東部に居住し、いわゆるスボッツィ(Subbotsy)考古学的層を形成します。10世紀のカルパチア盆地の物質的特徴は、征服後の急速な変化で、ヨーロッパ東部地域との維持された文化的つながりには、多くの間違いない考古学的証拠があります。

 ウラル地域の先史時代から中世の集団の遺伝的歴史は、これまでほとんど調べられてきませんでした。他方、中世カルパチア盆地の集団は、父系・母系での単系統遺伝標識の観点から集中的に研究されてきました。最近の研究では、ハンガリーの早期征服期の墓地から102人のミトコンドリアゲノムが報告されました。その研究では、草原地帯遊牧民(アジア中央部のスキタイ人)とヨーロッパ東部のスルブナヤ(Srubnaya)文化集団の子孫との混合集団が、ハンガリーの征服者の遺伝的構成の基礎だったかもしれない、と示唆されています。また、アジアのフン人(フン族)とハンガリーの征服者の遺伝的つながりも推測されています。ただ、調査された中世の標本セットは征服者集団全体を表しておらず、標本の76%はハンガリー北東部の特別な遺跡複合であるカロス・エパージェッスゼーグ(Karos-Eperjesszög)に由来しています。これは、ハンガリー征服期の最重要遺跡の一つで、東方の特徴についても多くの発見がありました。結論は大規模ですが、最も強調されたスルブナヤ文化集団とのつながりは曖昧です。それは、ハンガリー人の考古学的遺産の最初の痕跡が現れる2000年以上前に存在していたからです。さらに、匈奴(フン人)の遺伝的データセットのようなさらに言及された関係はユーラシアではわずかで、フン人の遺伝的遺産はまだ特徴づけられていません。

 最近の別の二つの研究は、ハンガリーの征服者のY染色体ハプログループ(YHg)の変異度を調査し、征服者の支配層集団の父系は、ヨーロッパ人やフィン・ペルム諸語話者やコーカサス人やシベリア人(もしくはユーラシア東部人)の割合がかなり高く、異質だと報告しています。これらの研究は、ハンガリーの征服者は離れた3集団に起源がある、と主張します。それは、内陸アジア(バイカル湖地域~アルタイ山脈)、シベリア西部~ウラル南部(フィン・ウゴル語派話者)、黒海~コーカサス北部(コーカサス北部テュルク人、アラン人、ヨーロッパ東部人)です。これらの研究では、フィン・ウゴル語派話者でも頻繁に存在する、YHg-N1a1a1a1a2(Z1936)の存在が指摘されています。YHg-N1a1a1a1a2(旧N3a4)は、現代ハンガリー人でも4%ほど存在します。また別の研究では、YHg-N1a1a1a1a2の詳細な系統が復元されており、特有の下位系統が特定の民族集団に共有されている、と示されています(関連記事)。たとえば、N1a1a1a1a2a1c2(Y24365/B545)はタタール人とバシキール人(Bashkir)とハンガリー人に共有されており、ヴォルガ・ウラル地域の現代人とハンガリーの現代人とを結びつけます。

 ウラル語族話者現代人集団の以前のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究では、ユーラシア東部および西部のmtDNA系統の分布は、語族の障壁というよりはむしろ地理的距離により決定される、と示唆されました。たとえば、ヴォルガ・ウラル地域のフィン・ウゴル語派集団は、言語学的に関連するバルト・フィン民族集団よりも、テュルク語の近隣集団の方と類似しているようです。ウラル語族15集団に関する最近の研究では、同様に近隣集団との類似性が報告されていますが、シベリア人起源の可能性がある遺伝的要素の共有も指摘されています。現代ハンガリー人の一部のミトコンドリア系統はシベリア人起源かもしれませんが、ハンガリー人の遺伝子プールは他のウラル語族話者とは異なります。

 本論文のおもな目標は、考古遺伝学的手法により、ウラル地域の中世初期集団に関する現在の一連の考古学的知識を拡大することです。ウラル地域からの36人の標本の収集において、最重要の意図は、文化的かつ年代的に(直接的もしくは間接的)にハンガリー人の祖先とつながる、専門的に発掘され適切に報告された、ウラル南部地域の墓地からのみ被葬者を集めることです。トランスウラル地域から標本抽出されたウェルギ(Uyelgi)墓地は、10世紀のカルパチア盆地の考古学的特徴と最も類似していました。後期クシュナレンコヴォ(Kushnarenkovo)文化の墓地は、8世紀末から11世紀にかけて使用されました。

 考古学と歴史学の理論はやや多様なので、ウラル山脈西側(シスウラル地域)のカマ川中流に位置する中世初期の考古学的文化の広範囲を包含することが目的とされました。これまでの研究では、8~9世紀のネヴォリノ(Nevolino)文化の終焉がハンガリー人の祖先の西方への移住と関連づけられています。したがって標本抽出は、3~4世紀のブロディ(Brody)、5~6世紀のバーティム(Bartym)、7~8世紀のスホイログ(Sukhoy Log)という、ネヴォリノ文化の3段階全てで行なわれました。

 さらに、南方の近隣のネヴォリノ文化との密接な文化的つながりのあるロモヴァトヴォ(Lomovatovo)文化の、南部の異形を表す9~10世紀のバヤノヴォ(Bayanovo)墓地が調査されました。バヤノヴォの豊富に供えられた墓の標本抽出は、骨の保存状態が悪いため、制限されました。さらに、調査されたウラルの個体群の一部を伴う、mtDNAの同一の超可変領域1(HVRI)に基づいて以前の研究で選択された、カルパチア盆地のミトコンドリアゲノムに関して、10~12世紀の古代ハンガリー人から9標本が再分析されました。

 本論文のおもな目的は、3~11世紀のウラル南部地域の集団の父系の遺伝的構成を特徴づけ、ユーラシアの利用可能な古代人および現代人の遺伝的データセットと結果を比較することです。また、ウラル集団とカルパチア盆地の征服期集団との間の、潜在的な遺伝的関係の報告も目的とされました。以下、本論文で分析対象とされた個体が発見された遺跡の場所と文化区分とその年代を示した図1です。
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●DNA解析

 標本は29人の男性と16人の女性から構成されます。mtDNA全体と、3122ヶ所の核DNAの一塩基多型標的濃縮が実行されました。後者では、常染色体およびY染色体の一塩基多型が得られ、ウラル地域の5ヶ所の異なる墓地と現代のハンガリーの6ヶ所の埋葬地に由来する、45人の性別が決定されました。さらに、ウラル地域の20人の男性のY染色体縦列型反復配列(Y-STR)が調査されました。放射性炭素年代と安定同位体データも得られました。

 45人の高網羅率(8.71~154.03倍で平均71.16倍)のミトコンドリアゲノムが得られました。この新たなデータセットは、mtDNAハプログループ(mtHg)では9マクロハプログループ(A・ C・D・H・T・U・N・R・Z)から構成されます。ユーラシア西部起源と推定されるmtHgはU(U2e1・U3a1・U4a1d・U4b1a1a1・U4d2・U5a1a1・U5b2a1a1、計12人)、H(H1b2・H3b・H40b、計9人)、N(N1a1a1a1a、計5人)、T(T1a1・T1a2・T2b4h、計5人)により表されますが、系統分析からは、そのうち一部が東方起源と示されます。ユーラシア東部起源と推定されるmtHgは、A(A+152+16362・A12a、計4人)、C(C4a1a6・C4a2a1、計6人)、D(D4j・D4j2、計2人)、R11b1bとZ1a1aが1人ずつです。

 ハンガリーの征服者はウラル地域の特定の古代人とのmtDNAのHVRIの一致に基づいて選択されましたが、ミトコンドリアゲノム水準では同一と証明されていません。しかし、関連標本とは系統的に近いままです。いくつかのミトコンドリア系統関係は、トランスウラル地域とシスウラル地域をつなげます。たとえば、ウェルギとスホイログの標本はmtHg-A+152+16362の主要な系統に集まり、さらにウェルギとブロディの標本(mtHg-D4j2)、およびウェルギとバーティムの標本(mtHg-U4d2)は、同様に同じ主要な系統に位置します。

 ミトコンドリア系統とは対照的に、STR および・もしくは一塩基多型データに基づくY染色体の遺伝子プールは、本論文のデータセットでは均一な構成を示します。YHgの内訳は、N1a1(M46)が83.3%、G2a2b2a1a1a1b(L1266)が5.5%、J2が5.5%、R1bが5.5%です。ウェルギ墓地の19人の男性のうち13人はさまざまなDNA保存状態の下位区分のYHg-Nを有していますが、シスウラル地域では、YHg-N1a1の3系統が検出されました。スホイログとバーティムのシスウラル地域標本は全体的に保存状態が悪く、さらなるY染色体に基づく分析はできませんでした。


●母系とゲノムデータの比較集団分析

 ハンガリーの征服者は、mtHgに基づく主成分分析ではシスウラル地域集団に最も近く、アジア中央部およびヨーロッパ東部のスキタイ集団ではウェルギ集団の比較的近くに位置します。それは、これらの古代人集団がユーラシア東西両集団の混合だからです。シベリア西部のマンシ(Mansi)およびハンティ(Khanty)集団のような、アジア中央部および南部とフィン・ウゴル語派現代人集団の一部は、調査されたシスウラル地域およびウラル地域の集団と密接なつながりを示します。ミトコンドリアゲノム分析では、古代人13集団のシスウラル地域の有意な違いは示唆されず、その中で、ハンガリーの征服者は最小の遺伝的距離を示します(FST=0.00224)。ハンガリーの征服者と調査されたウラル地域の2集団との遺伝的距離は、その地理的距離と相関しません。ウェルギ集団とハンガリーの征服者との間の遺伝的距離は、ウェルギと地理的により近いシスウラル地域の集団間よりも小さくなっています。

 古代人28集団のMDS(多次元尺度構成法)プロットによると、シスウラル地域集団はとりわけ中世ハンガリーの征服者集団との類似性を示し、ヨーロッパ集団とアジア集団との間に位置します。ウェルギ地域集団は全ての古代人集団から比較的離れたプロットのアジア部分に位置し、(アジア中央部の後期鉄器時代集団を除く)古代人集団からの有意でより大きな遺伝的距離と、アジアの比較ミトコンドリアゲノムデータセットの不足に起因する可能性が高そうです。シスウラル地域集団とハンガリーの征服者との遺伝的関係は明らかですが、直接的なつながりというよりは、以前の居住地域の地理的近接性を示唆します。以前の研究では、ハンガリーの征服者のミトコンドリアゲノムの多様性は、本質的にスルブナヤ文化関連遊牧民集団とアジアの遊牧民集団との混合の結果として報告されています。その分析と解釈は、ウラル地域の古代人標本の欠如に制限されていましたが、本論文で示された新たなデータは、この以前の見解を洗練します。さらに、以前に研究されたハンガリーの征服者集団が、移民だけではなく、カルパチア盆地の在来混合系統も含む混合起源の遺伝子プールであることは、注目に値します。

 シスウラル地域集団は、アジア中央部高地の現代人4集団、近東およびコーカサス地域のさらなる7集団、ヨーロッパの6集団からの有意ではない遺伝的距離を明らかにし、この集団の混合的な特徴が示唆されます。興味深いことに、ウェルギ地域集団のミトコンドリアは遺伝的距離において、広範な系統発生的つながりにも関わらず、ハンガリーの征服者を含むほぼ全ての先史時代および現代の集団で有意な違いを示し、これは集団内の関連系統の多さと、ユーラシア東西のmtHgの混合的特徴により説明できます。

 ウェルギ地域の5標本からの10928個の核ゲノムの一塩基多型と、ショットガン配列データで524301個の一塩基多型で主成分分析が行なわれました。主成分分析は、現代人集団の地理的位置を反映しています。PC1軸は、ユーラシア東西を分離し、アジア中央部人はその中間に位置します。PC2軸はヨーロッパ人をアジア南西部人と、ユーラシア東部人を南北の勾配に分離します。ウェルギ地域の5標本は、核ゲノムの主成分分析ではヨーロッパ人集団とアジア人集団との間で中央に集団化します。

 ウェルギ地域の5標本はウラル語族の傾向に沿っており、現代シベリア中央部のマンシ人(Mansis)およびセリクプ人(Selkups)だけではなく、草原森林地帯の北部集団のバシキール人(Bashkirs)やタタール人とも近くなっています。PC3軸では、シベリアのタタール人はウラル地域個体群クラスタと最も近い集団です。他の古代人集団が主成分分析で投影されると、ウェルギ地域の5標本はアルタイ地域の青銅器時代のオクネヴォ(Okunevo)集団や、カザフスタン中央部草原地帯の青銅器時代集団とクラスタ化し、ロシアの中期青銅器時代ボリショイ・オレーニ・オストロフ(Bolshoy Oleni Ostrov)集団(関連記事)の近くに位置します。言語学的勾配(関連記事)に基づくと、ウェルギ集団はユーラシア中央部草原地帯のウラル語族話者個体群とテュルク語族集団との間に位置します。

 主成分分析は集団層序化を明らかにしない可能性があるので、教師なしADMIXTURE(K=16)が実行されました。平均して22450個の一塩基多型を有するウラル地域標本は、現代のマンシ人、イルツーク・バラビンスク(Irtysh-Barabinsk)のタタール人、ユーラシア中央部草原地帯のさまざまな古代人ゲノムと、最も類似した系統クラスタ割合を示します。これらの集団間の関係と、集団間の何千年もの潜在的な集団遺伝的事象を解明するためには、より古い参照標本と、より高網羅率の配列が必要です。


●ウェルギ墓地の遺伝的継続性

 トランスウラル地域のウェルギ墓地は、考古学的記録によると、最古の9世紀、9~10世紀、10~11世紀の3期間に区分できます。母系・父系での単系統遺伝的標識は、これらの期間の遺伝的継続性を示し、母系ではやや内婚制集団と示唆されますが、これは、墓地の多数の埋葬が攪乱されているため、考古学的調査結果では観察できませんでした。mtHgではN1a1a1a1aとC4a1a6とH40bが、3期間それぞれおよび3期間相互で同一系統もしくは単系統であることを示し、この傾向は父系のハプロタイプおよびネットワーク分析により一層顕著です。

 YHg-N1a1は3期間全てで存在しますが、STR特性にはほとんど違いがありません。最古および中間の層位には、墳墓(クルガン)32の2個体の同一のSTR を含むYHg-N1a1のみが含まれます。墳墓28・29・30の個体群間では、3個体の同一のSTRが検出されます。おそらく、さらに同一のYHgがこの墓地に存在したかもしれませんが、保存状態が悪いため、7人の男性の全STR特性を復元できません。これらの結果に基づくと、ウェルギ墓地は父系共同体に使用された、と示唆されます。

 母系・父系での単系統遺伝的標識は、墓の集団化同様に、調査対象個体群間の血縁関係を、少なくともある程度は示唆します。しかし、親族分析をできるだけの高品質なデータはまだ得られていません。


●ウラル南部地域とハンガリーの征服者の母系での遺伝的つながりの可能性

 トランスウラル地域のカルパチア盆地および10世紀のハンガリーの征服者との遺伝的つながりは、ウェルギ3とカロス2(Karos II)墓地の3人のハンガリーの征服者が同一のmtHg-U4d2を有するという、個体群の密接な母系関係により推測されます。さらに、10世紀前半のハルタ(Harta)墓地の30~40歳程度の女性であるコンク3(Hconq3)はmtHg-A12aで、母系ではウェルギ7の祖先です。

 ウェルギ墓地は、植物の装飾品が施された銀の台が特徴であるスロスツキ(Srostki)文化の考古学的特徴を示し、シベリアのミヌシンスク盆地とアルタイ地域のバラバ草原地帯とカザフスタン北部を経て、トランスウラル地域へと広がりました。さらに、これらの墳墓での考古学的発見は10世紀以前ではなく、つまりカルパチア盆地のハンガリー人の征服の後でした。mtHg-U4d2に現れるカロス墓地からのハンガリーの征服者との同一のミトコンドリアゲノム配列は、密接な生物学的つながり、もしくはウェルギ集団とハンガリーの征服者の共通起源集団を示します。mtHg-D4jは、一つの興味深い現象を示します。ウェルギ21は現代ハンガリー人1個体とクラスタ化します。この墳墓11で発見されたウェルギ21個体の副葬品は、同様にカルパチア盆地のハンガリーの征服者の典型的な副葬品と類似しています。

 ウェルギ10のミトコンドリアゲノムと、バラントニュラク・エルド・デュロ(Balatonújlak-Erdő-dűlő)のハンガリーの征服者の2個体(コンク1およびコンク9)、およびマコ・イガシ・ジャランド(Makó-Igási járandó)墓地のコンク9の同一系統は、mtHg-U5a1a1でクラスタ化します。ウェルギ10は考古学的観点からは混合的特徴を示します。その発見物はスロスツキ文化の影響と同様に9世紀とつながっているかもしれません。バラントニュラク・エルド・デュロの成人女性標本は銀のヘアピンとともに埋葬されており、考古学的発見に基づくと、年代は10世紀第2三半期の可能性があります。埋葬の一つには、東方起源の側壁の窪みを有する墓がありました。そうした発見物のないマコ・イガシ・ジャランドの墓は、11世紀第2三半期と推定されています。つまり、それはアルパディアン(Árpádian)期で、ハンガリーの征服者と在来集団はおそらくすでに混合していました。興味深いことに、25~30歳の男性は、この墓地に埋葬されたほとんどの男性のように、いくつかのアジア人の頭蓋の特徴を示します。

 ウェルギ墓地とハンガリーの征服者のつながりは、mtHg-N1a1a1a1aでも見られ、これは古代ハンガリー人で優勢でした。本論文で取り上げられた、ケネズロ・ファゼカスズグ(Kenézlő-Fazekaszug)とオロシャザ・ゲルビクシュタンヤ(Orosháza-Görbicstanya)とカロス・エパージェッスゼーグ(Karos-Eperjesszög)墓地のハンガリーの征服者の7個体は、母系では1分枝でクラスタ化しますが、最初と最後の層のウェルギ墓地標本は、その隣接する分枝に位置します。これらの結果は。ウェルギ墓地の考古学的年代と一致して、これら2集団とその共通祖先との間の間接的なつながりを明確に示します。

 シスウラル地域集団とハンガリーの征服者の母系での遺伝的つながりは、とくにmtHg-T2b4hで明らかです。カロス遺跡のバーティム2とベイ3とハンガリーの征服者はmtHg-T2b4hの同じ分枝に位置し、さらに、バーティムとカロスの個体群は、バヤノヴォの個体のmtHgの祖先である同じ系統を共有します。カロス標本の系統はアジア起源の可能性があると判断されました。しかし、それにも関わらず、この推測は、じっさいの系統的つながりだけではなく、中世の前からさえこれらの系統が繰り返し西方に存在することもあり、本論文のデータにより再検討されました。ウラル地域とハンガリーの征服者との間のミトコンドリア6系統の系統発生的つながりは、これらの集団間のやや密接な母系の遺伝的つながりを示し、考古学的発見物でも裏づけられます。


●ウラル南部地域の古代の父系

 ウェルギ地域の男性の大半はYHg-Nで、STRと一塩基多型とネットワーク分析を組み合わせると、同じ下位区分であるN1a1(M46)に分類されます。YHg-N1a1はシベリア東部からスカンジナビア半島まで広範に分布しています。その下位区分の1つがN1a1a1a1a2(Z1936)で、ウラル語族話者集団では顕著に見られ、おそらくウラル地域に起源があり、おもにウラル山脈の西側からスカンジナビア半島(フィンランド)に分布しています。ウェルギ遺跡の7標本は、ほぼYHg-N1a1a1a1a2の下位区分であるN1a1a1a1a2a1c2(Y24365/B545)に分類され、これはほぼ現在のタタールスタン共和国とバシコルトスタン共和国とハンガリーにのみ見られます。

 17ヶ所のSTR遺伝子座を有するウェルギ遺跡の7標本を含む、YHg-N1a1に分類される238人と、12ヶ所のSTR遺伝子座を有するYHg-N1a1に分類される335人を用いて、中央結合(MJ)ネットワーク分析が行なわれました。17ヶ所のSTR遺伝子座のMJに基づくと、特定の標本は、バシキール人やハンティ人(Khanty)やハンガリー人やヴォルガ・ウラル地域およびロシア中央部のタタール人と、同一もしくは一段階隣の特性を示します。12ヶ所のSTRデータに基づくMJは、ボドログスゼルダヘリ・バルヴァニヘギー(Bodrogszerdahely-Bálványhegy)およびカロス・エパージェッスゼーグの2人のハンガリーの征服者との、ウェルギの一段階隣のつながりを示します。Y染色体のSTRハプロタイプ参照データベース(YHRD)は、フィンランド人と、ウラル地域もしくはペンザ州(Penza)やアルハンゲリスク州(Arkhangelsk)といったヨーロッパロシア地域の標本間でのさらなる類似性もしくは同一性を示し、とくに、ハンガリー語も属するウラル語族と類似した地域、もしくは初期ハンガリー人の想定される移住経路に沿った地域で顕著です。

 カルパチア盆地の7世紀のアヴァールの支配層男性が、ウェルギ集団と類似のYHg-N1a1頻度にも関わらず、離れた下位区分であるN1a1a1a1a3a(F4205)を有していることは注目され、N1a1a1a1a3aは現代ではバイカル湖地域周辺のモンゴル語族話者集団で顕著に見られます。さらに、アヴァールの支配層男性は、本論文で取り上げられた集団とはかなり異なる集団史を有していたので、相互に混同されてはいけません。

 ウェルギ11のYHgはJ2です。YHg-Jは現在広く分布しており、おそらくは近東起源です。興味深いことに、サレツドヴァリ・ヒゾフェルド(Sárrétudvari-Hízóföld)のハンガリーの征服者個体(SH/81)はYHg-J2a1aですが、ウェルギ11はその下位区分には分類できないので、さらなる推測はできません。

 ウェルギ4のYHgはG2a2b2a1a1a1b(L1266)で、その下位系統はヨーロッパ外に存在すると確認されています。ハンガリーの征服者の間では、YHg-G2a2b(L30)の存在がカロス2墓地の個体(K2/33)で証明されており、さらなる分類もしくはSTRデータはありませんが、YHg-G2a2b2a1a1a1bは確認されており、その標本は本論文のSTR分析にも含めることができます。この場合、14のSTR標識を用いることにより、データベースの見解に起因して、MJネットワークはハンガリーの征服者とウェルギ個体群両方のコーカサス人との類似性を示しますが、同一性も単系統性もこれらの間では観察できません。


●まとめ

 ウラル地域は、考古学・言語学・歴史学に基づくと、古代ハンガリー人の民族形成において重要な役割を果たしましたが、これらの研究分野の結果は、年代および文化的側面の違いを示します。本論文で示されたウラル南部のY染色体と常染色体DNAデータは、集団遺伝学的観点からもこの地域の関連性を確証します。

 系統発生的および系統地理学的観点で調べられたウラル地域の36標本の全体的な母系構成は、東西の混合の特徴を示唆しますが、父系はヴォルガ・ウラル地域に典型的なYHgとより均質です。トランスウラル地域のウェルギ集団の各mtHgを正確に東西系統に分類することは不可能ですが、包括的な代表が存在します。ヨーロッパ起源のmtHg-N1a1a1a1a・H40bは、内部の多様化を伴う母系の通時的な成功を示し、ややユーラシア西部の特徴の集団が基底にある、と示唆します。他方、強い東方の系統地理を有するmtHgでは、同一(C4a1a6)もしくは単一(A・A12a・C4a2a1)のハプロタイプは、ウェルギ地域の第3三半期において顕著で、この集団への比較的最近の混合が示唆されます。しかし、遺伝的および考古学的変化の同時発生は、系統構成の均質性、核ゲノムの主成分分析の位置、父系の均一性、全期間での東部構成(mtHg-C4a1a6)の存在と矛盾します。

 スロスツキ文化関連集団の遺伝的寄与をこの水準では除外できないという事実にも関わらず、東方構成の大半はウェルギ墓地の使用前に混合していた可能性が高そうです。ウェルギ集団は、父系・母系での単系統の遺伝的構成から、ハンガリーの征服者の潜在的な遺伝的起源と、年代的および・あるいは地理的に関連した集団として示されます。さらに、ウェルギ集団の予備的な常染色体分析結果からは、ウェルギ集団がアレル(対立遺伝子)頻度構成を、言語学的もしくは歴史的にハンガリー人と関連する現代のウラルおよびシベリア西部集団と共有している、と示されます。これは、将来の研究の立脚点を提供します。

 ハンガリーの征服者とのウェルギ集団の母系でのつながりは、間接的な(単系統的ではあるものの連続的ではない)関係と直接的な(同一もしくは一段階隣の)関係に区分できます。興味深いことに、間接的なつながりは遺伝的に西方の特徴に基づく集団に区分できますが、直接的なつながりは、ほぼ混合した東方構成のみです。この現象の考えられる説明は、ハンガリーの征服者とウェルギ集団が、過去に東方の混合前に分離した共通祖先を有しており、ウェルギ集団はその後で両集団に遺伝的構成を提供した、というものです。

 しかし、まだ報告されていない東方の構成の正確な起源もしくは同定と、核ゲノムの混合割合と、緩やかな系統発生的つながりは、アジア中央部を指摘します。シスウラル地域の系統発生的構成は、それらの緊密さもしくは連続性に疑問を呈しますが、データ不足のため、この集団の詳細な分析はできません。ハンガリーの征服者の系統に基づくつながりは散発的ですが、地域的な類似性が観察され、それはMDSと主成分分析でより顕著です。

 ハンガリーの征服者の遺伝的構成のみに基づく以前の研究は、非ヨーロッパ系統をさまざまな東方系統に結びつける傾向がありますが、とくに、後期鉄器時代と前期中世のシスウラル地域集団における稀なユーラシア東部のハプロタイプの存在は、将来これらの結論を再形成するかもしれません。将来の研究では、本論文で提示されたデータセットを、高い網羅率のゲノム分析と、さらに古代ハンガリー人とその近隣共同体のヨーロッパ東部の墓地からの標本を含めることで、拡張する予定です。


参考文献:
Csáky V. et al.(2020): Early medieval genetic data from Ural region evaluated in the light of archaeological evidence of ancient Hungarians. Scientific Reports, 10, 19137.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-75910-z