柴裕之『織田信長 戦国時代の「正義」を貫く』

 シリーズ「中世から近世へ」の一冊として、平凡社より2020年12月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、旧弊・旧勢力を破壊し、新たな時代を築いた革新者という通俗的な印象が抱かれている信長を、「同時代人」として把握します。信長はあくまでも当時の社会秩序下で生きた人物だ、というわけです。本書は織田が尾張においてどのような立場にあり台頭していったのか、応仁の乱以前にさかのぼって検証し、また戦国時代の足利将軍はどのように位置づけられるのか、解説します。本書はこうした認識を前提として、信長を中世から近世の移行期に位置づけます。

 信長の転機となった足利義昭を擁しての上洛も、当時の文脈に位置づけられます。戦国時代においても、足利将軍を有力者が支える形で、「中央(天下)」の秩序を維持しようとする志向が根強く残っていました。本書は、義昭側が織田や上杉など諸国の有力大名に上洛を促したのであり、信長は自身の野望から上洛したわけではなかった、と指摘します。信長は義昭を擁して上洛しましたが、その3年前にも義昭から上洛要請を受けていました。しかし、信長はその要請に反して美濃の一色(斎藤)との戦いを選択し、しかも敗北したことで、大きく評判を落としてしまいます。16世紀半ば以降も、足利将軍は各地の大名に停戦をたびたび呼びかけていましたが、領国、とくに境界の不安定化が日常的だった大名により、将軍の停戦命令が無視されることは珍しくありませんでした。信長の美濃侵攻もその一例でしたが、これにより面目を失った信長にとって名誉挽回が重要な課題となり、それが信長のその後の選択を規定した、と本書は指摘します。信長が美濃平定後に「天下布武」の印章を用い始めたことも、義昭を擁しての「天下再興(室町幕府再興)」の意志を表すものだった、というわけです。

 信長が義昭を擁して上洛したことは、一般的に近世の始まりと評価されています。その前提として、これは信長による全国平定の一階梯だった、との認識があります。しかし、これは義昭主体で進められた「天下再興」の実現で、信長が「天下」の舞台に躍り出たのは、その「革新性」のためとは言えない、と本書は指摘します。本書は、義昭政権は信長の傀儡ではなく、信長は義昭政権を尊重し、幕府への介入を好まなかった、と評価しています。信長は直接幕政には関わらず、政治・軍事的に幕府を支えようとしており、これは戦国時代の「天下」統治の在り方を継承していた、と本書は指摘します。本書はこのように、信長の行動を当時の文脈に即して解釈しています。信長は義昭を都から追放した後も、直ちに「天下人」と自認していたわけではなく、義昭に帰京を要請していたことからも、当初は、室町幕府を否定する意図はなかったようです。

 1573年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に義昭を都から追放した後も、室町幕府体制護持の姿勢を示していた信長ですが、次第に「天下人」としての自覚を強めていったようで、1575年が画期となります。同年、信長は朝廷からの要請を受け、源頼朝と同じ右近衛大将となります。こうして天下人である信長を頂点とする「織田権力」が本格的に始動しますが、従来の天下人と畿内有力者が政治・軍事的に補完しつつ連立した政治権力だったのとは異なり、天下人と畿内有力者が一体だったことこそ特徴だった、と本書は指摘します。

 足利将軍との(少なくとも1573年頃までの)関わりでもそうでしたが、本書は信長を、楽市場・座・関所・家臣団統制・宗教政策などにおいても、基本的には同時代の枠組みに収まる、と評価します。信長は座を保護したから保守的なところがあり、それが信長の限界だった、というような保守的か革新的かとの二項対立的観点ではなく、同時代の一大名として信長を位置づけねばならない、というわけです。これは信長の領土拡大も同様で、革新的な織田が同時代の他勢力を排除していったのではなく、同時代の他大名間の争いと同様に、勢力圏の境界をめぐる争いの結果だった、と本書は指摘します。勢力圏の境界をめぐって折り合いがつけば、信長にとって他大名は必ず滅ぼさねばならない対象ではなく、共存も可能だった、というわけです。

 本書は信長の基本的志向を、現状に支障を来す障害を除去し、本来の機能を最善化させることだと評価し、政治の手法や社会の秩序などを改変することではない、と指摘します。ただ、信長の領国が大きく拡大したことも確かで、信長の事業の特質は質的ではなく量的だった、と本書は評価します。本書は最新の研究に基づいて信長を同時代の文脈に位置づけており、信長に関心のある一般層が優先して読むべき良書になっていると思います。

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