アフリカ西部における11000年前頃までの中期石器時代の持続

 アフリカ西部における11000年前頃までの中期石器時代の持続に関する研究(Scerri et al., 2021)が報道されました。アフリカの中期石器時代(MSA)は、調整石核石器技術や着柄や長距離交換などに特徴づけられる文化的段階で、現生人類(Homo sapiens)の生物学的出現と同時に出現しました(と本論文は主張しますが、今後も慎重な検証が必要だと思います)。これらの特徴とともに、30万~3万年前頃となるアフリカ全域のMSAの時空間的分布は比較的均質とみなされており、MSAという用語は時系列の指標として使われてきました。MSAにおいて行動学的および文化的複雑さがますます認識されていますが、後期石器時代(LSA)への移行は、小型化石器技術とダチョウの卵殻製ビーズのような特徴を伴い、人類史における発展の基礎となった転機、および最近の人類の特徴と類似した最初の社会とみなされています。一部では、移行はひじょうに劇的で、真に「現代的なヒト」の出現を示す認知能力の変異により引き起こされた、と示唆されました。

 アフリカ全体の最近の研究では、こうした単純で突然のアフリカ大陸全体のMSAからLSAへの移行という見解に異議が唱えられています。一部の遺跡ではこの移行は漸進的で、一部の事例では早くも67000年前頃に始まりました(関連記事)。他の遺跡ではこの移行はずっと遅くに起こり、後期MSA遺物群はしばしば、早期MSAで報告されている同じ古典的特色により特徴づけられます。現生人類の生物学的および文化的進化はアフリカ全域の過程だった、という証拠が蓄積されてきており(関連記事)、MSAとLSAの地域的な時空間的動態は、現生人類の進化史の理解の要因として示されてきました。保存された生物学的遺物が稀なアフリカ大陸では、物質文化がヒトの行動の豊富な記録を提供しており、そうした記録は、生物学的に焦点を当てたヒト進化のモデル化において、ヒト自身と重要なパラメータの両方において意義深いものです。

 アフリカ西部の古人類学的研究は、このよく理解されていない地域の別な特徴を浮き彫りにしています。アフリカ西部の既知で唯一の現生人類化石は、以前にはイウォエレル(Iwo Eleru)と誤って呼ばれていたナイジェリアのイホエレル(Ihò Eleru)遺跡のLSA文脈に由来し、年代は16000~12000年前頃ですが、その頭蓋冠はずっと早期のヒト集団で通常見られる形態学的特徴を示します。この知見は、物質文化の「段階」と骨格形態は必ずしも関連しているわけではなく、更新世末まで、別のおそらくは比較的孤立していた集団の地域的生存があったかもしれないことを示します。同様に遺伝的分析は、アフリカ西部を現生人類の遺伝的多様性の重要な源泉(関連記事)として浮き彫りにし、一部の研究では、過去のアフリカの古代型集団からの遺伝的寄与も示唆されています(関連記事)。

 考古学的記録も、アフリカ西部におけるヒトの先史時代に特有の特徴を示します。アフリカ西部では、新しい年代のMSAに関する議論が1970年代から行なわれており、通常は地形学と初期の放射性炭素年代に基づいています。ガーナやセネガルやニジェールを含むアフリカ西部全体の遺跡の初期の研究では、ガーナのビリミ(Birimi)遺跡の光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代測定でじっさいに示されたように、アフリカ西部のMSAは35000~15000年前頃と予測されました。もっと最近では、マリのオウンジョウゴウ(Ounjougou)やファレメ(Falémé)川下流での研究により、海洋酸素同位体ステージ(MIS)6~2の石器群が特定され、それらの石器群はMSAの多様な技術を特徴とします。これは、3つの古典的なMSA遺物群が62000~25000年前頃にまたがっているセネガル沿岸部のティエマッサス(Tiémassas)での研究と、MSA遺物群の年代が12000年前頃のセネガル川下流での研究により、さらに詳しくなっています。

 これらの遺跡群は、一貫してルヴァロワ縮小手法に焦点を当てており、時には、掻器や鋸歯縁石器や加工された尖頭器のような石器の出現とともに、円盤状手法により補完され、これはアフリカ西部のMSAを特徴づけます。重要なことに、これらの石器群は、両極および石刃縮小や急角度の二次加工を含む、16000~12000年前頃までは出現しない、アフリカ西部における最初のLSA石器群に区分される技術的特徴を欠いています。しかし、アフリカ西部のMSA遺跡群の大半は、時系列の制御が制限されており、より広範な進化モデルに上手く統合するには、その新しい時間枠の明確な提示が必要です。


●遺跡の分析

 本論文は、セネガルの22000~21000年前頃となるラミニア(Laminia)遺跡と、11000年前頃以降となるサクソムヌンヤ(Saxomununya)遺跡の後期MSA遺物群を報告します(図1)。これらの年代は、アフリカ大陸の他の地域ではLSAにより置換された何千年も後の、アフリカ西部におけるMSA技術の継続を確証します。両遺跡は、それぞれの集水域の到達範囲内で最下層の段丘結合から成る河川堆積物で構成され、ラミニア遺跡の場合はガンビア川、サクソムヌンヤ遺跡の場合はファレメ川です。この地域で見られる構造隆起の割合が低いことは、多くの河川体系とは異なり、ガンビア川流域もファレメ川流域も段丘結合の広範な連続を含まない、と意味します。これは、数値標高モデル(DEM)の研究により裏づけられます。ラミニア遺跡の堆積物は段丘の露出内に見られますが、サクソムヌンヤ遺跡では段丘表面に見られます。以下、本論文の図1です。
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 ラミニア遺跡は、ガンビア川南岸の段丘に露出しています。ラミニア遺跡の石器群は、砂利堆積物の上部0.2m(ユニット1B)に由来します。サクソムヌンヤ遺跡は、ファレメ川西岸の河岸段丘表面にあります。堆積物は、活発な河川環境での堆積の典型です。石器はその堆積物から製作されました。両遺跡の年代は、石英粒子のOSL測定により推定されました。ラミニア遺跡では3点の標本が採取され、ユニット1Aで24600±980年前、ユニット1Bで22000±850年前と20800±830年前という結果が得られました(図2)。サクソムヌンヤ遺跡では、石器群よりも下層の標本で11100±580年前という結果が得られました。以下、本論文の図2です。
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 ラミニア遺跡とサクソムヌンヤ遺跡は両方とも、年代が新しいにも関わらず、古典的なMSAの技術的特徴を示します。ラミニア遺跡の完全な石器は、48個の石核と56個の剥片で構成されます。これらの石器群はおもに石英の小さな丸石と大きな礫で構成され、珪岩製の石器は3個だけで、ルヴァロワ技術を主とする、均質な技術的特徴を示します。石核は豊富で、石材はラミニア遺跡の堆積物から得られた、と推測されます。加工された石器は稀です。

 サクソムヌンヤ遺跡の石器群は、231個の石核、336個の剥片、29個の加工された剥片、87個の借方(廃棄物)と破片で構成されます。おもな石材は石英の小石ですが、剥片状の珪岩が数個存在します。石核の多く(26.4%)は、求心性の準備を伴う古典的な優占ルヴァロワ石核です。求心性の準備を伴うものの、打撃痕のない石核(6.1%)や、円盤状石核(3.5%)もあり、放射状剥離パターンを示す石核(7.8%)もあります。全体的に、ルヴァロワおよび円盤状縮小体系の存在と、両極もしくは層状縮小の欠如により特徴づけられる石核と借方と道具はMSAによく分類でき、利用可能な石材の制約に起因して石器は小さいのが特徴です。


●考察

 11000年前頃のサクソムヌンヤ遺跡と24000~21000年前頃のラミニア遺跡は、アフリカ西部におけるMSA遺物群の末期に位置します。これらMSA末期の遺跡群には、11600年前頃のンディアイェネ・ペンダオ(Ndiayène Pendao)、33000年前頃のトーンボーラ3(Toumboura III)、62000~25000年前頃のティエマッサスが含まれます。この連続は、MSA技術が末期更新世に再発明されたのではなく、連続したことを示します。本論文の結果が意味するのは、新しいMSA遺物群はアフリカ西部の主要な河川系に存在する、ということです。つまり、ガンビア川のラミニア遺跡、ファレメ川のサクソムヌンヤ遺跡、セネガル川のンディアイェネ・ペンダオ遺跡、サルーム川のティエマッサス遺跡です。これらの遺跡はアフリカ西部におけるMSAの最終段階を表していますが、ラミニア遺跡もサクソムヌンヤ遺跡も、LSAに特徴的な要素を示しません。両遺跡の構成は、MSAとLSAとの間の移行段階を示しているのではなく、古典的なMSAです。

 アフリカ西部における新しいMSAの記録は、以前に報告されたものの、孤立もしくは例外的現象とよくみなされてきた、アフリカの他地域の新しいMSAの示唆に基づき、それを強化して拡張します。したがって、LSAの年代をさかのぼらせた最近の研究に加えて、アフリカ西部の新しいMSAは、MSAからLSAへの移行が年代と特徴の両方で大きな変異幅があった、という証拠を追加します。アフリカ西部は、後期MSAのとくに説得力のある証拠を提示します。アフリカ西部のMSA石器群は、アフリカ西部の最初のLSAでは欠けている一連の古典的なMSAの特徴で構成されており、石器技術の別の組み合わせで後に現れます。

 この状況は、アフリカ東部など他のアフリカの地域とは対照的です。急角度の二次加工や石刃製作や両極縮小法の使用といったLSA石器群の主要な特徴である石器技術の要素は、MIS5のMSA石器群で明確に出現しますが、一部の「MSA的」要素は完新世に再発明されたかもしれません。ケニア沿岸の湿潤な沿岸森林地帯のパンガヤサイディ(Panga ya Saidi)洞窟遺跡では、古典的な後期MIS5のMSAから、小さい石器とおもに細粒状石材により特徴づけられる67000年前頃の石器群への大きな移行が起きました(関連記事)。LSAの中で、両極法や石刃などさまざまな技術が稀に交替し、同様にルヴァロワ技術が再出現しました。そのような技術的重複は、アフリカ東部におけるMSAとLSAの区別を妨げませんが、LSAの特徴を欠く後期MSAが明確に存続するアフリカ西部とはひじょうに対照的です。

 アフリカ西部における新しいMSAの存在で興味深いのは、アフリカ西部ではLSAの始まりが遅いことです。LSA石器群はアフリカ中央部の西方で3万年前頃までには存在します。カメルーン西部のようなアフリカ西部で最初のLSA石器群が出現するのは16000~12000年前頃で、現代のナイジェリアやコートジボワールやガーナの森林地域です。LSAはそれ以降、ファレメ川流域で11000年前頃からさらに西方と北方に出現します。アフリカ西部において初期のLSA石器群はMSAの特徴を欠いており、小さな層状の原形での幾何学模様の細石器の製作が強調されます。LSAはアフリカ西部では、土器の使用とその後の農耕発展の直前まで出現しないようです。

 MSAからLSAへの移行における時空間的パターンの微妙な差異を調べるための多くの研究が必要ですが、アフリカ西部は、少なくともいくつかの点で、環境動態に従っているようです。アフリカ西部の中央部と東部の森林地域におけるLSAの出現は、15000年前頃となる末期更新世の森林拡大と相関しています。現在のデータに基づくと、氷期と間氷期の盛期の移行が平坦的だった可能性は低く、種間で同時には起きなかった生態学的ボトルネック(瓶首効果)が形成されました。以前の研究では、スーダンのサバンナ地帯やギニアの混合森林サバンナ地帯やマングローブ林と隣接したMSA遺跡であるティエマッサスなどで、推移帯生息地の居住が新たな生態学的環境との関わりの促進に役割を果たしたかもしれない、と示唆されています。湿度の時間的なピークは、低緯度地帯と関連する時空間的に斑状の文化的置換におけるMSAの持続にも光を当てます。

 これらの知見は、顕著な文化的変化がアフリカ西部で更新世から完新世の移行期に起きたことを示唆します。アフロユーラシア本土では最西端のセネガルでは、最も新しいMSAの年代は11000年前頃で、最古のLSAは同じ流域内で11000年前頃に出現し、技術的重複はありません。これは、アフリカ西部の末期更新世と初期完新世における強い文化的境界の存在を示唆します。この境界が生物学的なのか、それとも文化的なのか、まだ解明されていません。しかし、大まかに言えば最終結果は同じで、任意交配は起きそうになく、強い集団細分化が存在しました。アフリカ西部におけるMSAの終了は、湿度と森林の増加の頃に起きました。これは、生態学的障壁とボトルネックにより比較的孤立していたかもしれない地域へのLSA拡大の背景を提供します。15000年前頃からの比較的突然の湿度増加は、アフリカ西部におけるLSAの出現年代と一致し、それに続く11000年前頃からのアフリカの湿潤期の盛期への移行を伴い、セネガルにおけるMSAの終了およびLSAの拡大と相関します。

 本論文の結果は、アフリカ全域での他の最近の知見とともに、MSAからLSAへの移行は行動変化の時空間的に不均一な過程だった、と示します。これらの知見は、「現代性」への文化的変化の単純な線形モデルにも、特定のアフリカ大陸全体の年代指標としてのこれらの用語の使用にも適合しません。じっさい、完新世へのかなり一般的なMSAの継続は、MSAにおける複雑さの時空間的出現は斑状であることを示す多くの証拠への追加となり、技術革新に投資する動機は単純な行動学的能力以外の要因と関連していることを示唆します。根本的に異なる技術的伝統の狩猟採集民集団が近隣に居住し、時として恐らくは数千年もアフリカの一部地域を共有しました。これは少なくとも、過去15000年に見られた強い人口構造の遺伝的兆候と一致します(関連記事)。集団間の多様な関係を解明することは、現生人類進化の理解に重要で、アフリカ大陸規模への個々の遺跡・地域からの記録の推定への代案を提供します。


 以上、ざっと本論文について見てきました。アフリカにおける現生人類の形成および進化と文化的変化は、「現代性」への単純な線形ではなく複雑で多様なものであり、そうした多様性に、現生人類の起源と世界規模での拡散の要因があるのかもしれません。現生人類の起源に関しては複雑なモデルが提示されており(関連記事)、本論文はそうした見解とも整合的だと思います。本論文は、現生人類の文化(MSAの担い手に非現生人類ホモ属がいたとしても、さすがに末期更新世に非現生人類ホモ属が存在した可能性は低そうです)の複雑な変容を改めて示したという意味で、たいへん注目されます。


参考文献:
Scerri EML. et al.(2021): Continuity of the Middle Stone Age into the Holocene. Scientific Reports, 11, 70.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-79418-4