スラウェシ島の45000年以上前の洞窟壁画

 スラウェシ島の45000年以上前の洞窟壁画に関する研究(Brumm et al., 2021)が報道されました。スラウェシ島はワラセアで最大の島(174000㎢)で、アジア大陸とオーストラリア大陸との間に位置するオセアニアの生物地理的に異なる区域です。スラウェシ島には長い人類の居住史があります。スラウェシ島における人類最古の痕跡は、スラウェシ島南西部の町であるマロス(Maros)北東のウァラナエ盆地(Walanae Basin)にある、中期~後期更新世(194000~118000年前頃)のタレプ(Talepu)遺跡です(関連記事)。タレプ遺跡の石器群の製作者は、まだ特定されていない非現生人類ホモ属(絶滅ホモ属)かもしれません。

 現生人類(Homo sapiens)がいつスラウェシ島に到来したのか、まだ確かではありません。現生人類は、アジア南東部本土(更新世寒冷期には現在のアジア南東部の多くの島々も陸続きとなって広大なスンダランドを形成していました)には73000~63000年前頃、サフルランド(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島は陸続きでした)には69000~59000年前頃には拡散していた、との見解も提示されていますが、疑問も呈されています(関連記事)。サフルランドにおける初期現生人類の到来モデルの一部では、スラウェシ島がワラセア北部からスンダランド西端までの航海の最初の「停留所」と想定されています。現生人類が、オーストラリア大陸もしくはサフルランドへ69000~59000年前頃に到来していたとすると、その頃までにスラウェシ島にも到達していたかもしれません。

 現時点で、スラウェシ島における現生人類到来の最古の代理的証拠は岩絵です(関連記事)。スラウェシ島の岩絵は、マロス・パンケプ(Maros–Pangkep)地方で最初に確認され、この地域では洞窟と岩陰で約300点の壁に描かれた絵が特定されています。洞窟壁画遺跡2ヶ所の年代から、更新世の初期様式と、その後の4000年前頃となるオーストロネシア語族農耕民到来と「新石器時代」農耕以降の2段階が特定されています。重複画像の順序が明らかでない場合、前者と後者は主題・技術・保存の点で区別できます。

 オーストロネシア語族集団よりも前の岩絵は、手形と具象的な動物の絵により特徴づけられます。ほとんどの場合、動物の絵は、筆もしくは指先を用いて単色(通常は赤もしくは紫・濃赤紫色)で描かれました。これらの絵は、輪郭表現がいくらか単純化された形式で描かれました。動物の輪郭は通常、認識可能な解剖学的詳細ではなく、不規則なパターンの線と破線で、充填は稀です。最も識別可能な動物の絵は、スラウェシ島で最大の固有の陸生哺乳類である、イノシシと小型アジアスイギュウ(アノア)です。絵ではイノシシが支配的で、73点の壁に描かれたイノシシもしくはイノシシ的な具象が特定されています。イノシシのほとんどは、特徴的な顔のイボを有する短い脚の小柄な(40~85kg)スラウェシ島イボイノシシ(Sus celebensis)のようです。スラウェシ島イボイノシシ(以下、イボイノシシ)はスラウェシ島固有種ですが、先史時代後期に現在のインドネシア内に広く導入されました。

 マロス・パンケプ地方の5点の動物具象画は、炭酸カルシウム堆積物関連のウラン系列法では、後期更新世と推定されました。最古の絵は、リアンブルシポン4号(Leang Bulu' Sipong 4)洞窟(図1の4)に描かれ、幅4.5mで、イボイノシやアノアを狩っているように見える人物の場面が描かれています。スラウェシ島のイボイノシシの絵で最古のものは43900年前頃で、アノアの絵2点の年代は41000および40900年以上前です。リアンティンプセン(Leang Timpuseng)遺跡(図1の2)では、イノシシの具象的描写の年代は35400年以上前です。リアンバルガッヤ2(Leang Barugayya 2)遺跡では、イノシシのような動物の絵の年代は35700年以上前です。マロス・パンケプ地方のさまざまな遺跡の手形の年代は、39900~17400年前頃です。

 マロス地区の2ヶ所の岩絵遺跡であるリアンブルベッテュー(Leang Bulu Bettue)とリアンブルング2(Leang Burung 2)では、後期更新世の顔料処理の証拠が同じ場所で明らかになりました。両遺跡ではオーカー断片が、リアンブルベッテュー遺跡ではオーカーで着色された人工物が見つかっています。リアンブルベッテュー遺跡では、24000~16000年前頃の、具象的芸術作品や抽象的芸術作品が発見されています。ほぼ同様の古代の岩絵制作の証拠は、スラウェシ島に隣接するボルネオ島のカルスト地域で見つかっています。東カリマンタン州のルバン・ジェリジ・サレー(Lubang Jeriji Saléh)洞窟では、ウラン系列法により、ボルネオ島の野生ウシであるバンテン(Bos javanicus lowi)の具象画の年代が4万年以上前と推定されています(関連記事)。

 本論文は、スラウェシ島のマロス・パンケプ地方で最近発見された2点の後期更新世具象画の、洞窟二次生成物のウラン系列年代測定結果を報告します。これらの壁画は、リアンテドンゲ(Leang Tedongnge)とリアンバランガジア1(Leang Balangajia 1)という、2ヶ所の新たに特定された洞窟芸術遺跡で発見されました(前者が図1の1、後者が図1の6)。以下、本論文の図1です。
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●遺跡と壁画

 リアンテドンゲ洞窟とリアンバランガジア1洞窟の2点の具象的なイノシシの絵と、リアンバランガジア1洞窟で重ねて描かれた手形の上に形成されてきた、小さな珊瑚状の洞窟二次生成物のウラン系列同位体分析が行なわれました。イノシシの絵の一方(図2および図3)は、マロス・パンケプ地方のカルスト地区の境界上の人里離れた渓谷に位置するリアンテドンゲ石灰岩洞窟にあります。もう一方のイノシシの絵(図4)は、マロス地区南部のリアンバランガジア1石灰岩洞窟にあります。両洞窟で、2017年と2018年に未知の岩絵が発見されました。以下、本論文の図2です。
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 リアンテドンゲ洞窟(図2および図3)とリアンバランガジア1洞窟(図4)のイノシシの絵は、ともに赤色もしくは濃赤・濃赤紫色の鉱物顔料(オーカー)で描かれました。どちらも、イノシシの絵の描写は完全な体の輪郭で構成されており、不動または静止した位置で表されます。絵の輪郭は、線と破線の不規則なパターンです。イノシシの輪郭表現において、主要な性的特徴(生殖器や乳腺など)は明確に描写されませんでしたが、第二次性徴が描かれている可能性はあります。以下、本論文の図3です。
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 リアンテドンゲ洞窟では、年代が測定されたイノシシの絵(イノシシ1)は、洞窟の後壁に描かれています(図2)。イノシシ1は136cm×54cmで、後部の上部と近くに位置する手形と関連しています。少なくとも2もしくは3点の他のイノシシの絵(イノシシ2および3)は、同じ壁面に描かれています。比較的完全なイノシシ1とは対照的に、イノシシ2および3は、剥離のために部分的にしか見えませんが、ともに頭部は明確に見えます。動物の姿は向かい合って描かれているようです。イノシシ1はイノシシ2および3の左側に、それら2頭を見るように描かれています。絵の配置は、現代西洋的な意味での物語の構成もしくは場面かもしれない、と本論文は推測します。この一連のイノシシの絵は、少なくとも3点、あるいは4点となり、個々のイノシシ間の社会的相互作用の挿話の描写が目的だったかもしれない、と推測されます。

 リアンバランガジア1洞窟では、大きな赤いイノシシの絵が小さな側面の部屋の天井に描かれています。このイノシシの絵は、長さが187cm、高さが110cmです(図4)。この部屋の壁と天井には、おそらく少なくとも2点の他の具象的な動物の絵が描かれています。しかし、保存状態はひじょうに悪く、ほぼ不明瞭です。大きな赤いイノシシの絵の上に、4点の手形が重ねられています(図4)。以下、本論文の図4です。
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●リアンテドンゲ洞窟のウラン系列同位体年代測定

 リアンテドンゲ洞窟の完全な具象的なイノシシの絵(イノシシ1)の上の小さな珊瑚状の洞窟二次生成物の、ウラン系列同位体分析が行なわれました(図5)。イノシシ1の後ろ足の一つと関連する赤い顔料の上に、二次生成物(12 mm²)が重なっている、と観察されました(図5A~C)。この洞窟二次生成物は小さすぎるので回転工具で除去できず、小さなノミで壁面から抉られました。回収された標本(LTed3)は、高密度で非多孔性の方解石の複数の層で構成されています。洞窟二次生成物の成分は、その外面から顔料層を通って下の岩面まで伸びています(図5D・E)。

 LTed3は、任意の地点で小さく掘削され、4点の部分標本が得られました(図5F・G)。標本の全長にわたって、絵に対応する赤い顔料層が観察されました。合計で3点のウラン系列年代測定値が得られました。これらの年代は、不確実性の範囲内で区別できないものでした。これは、ウランとトリウムの閉鎖系状況を示唆します。ウラン系列年代測定の結果、リアンテドンゲ洞窟における巨大なイノシシの絵(イノシシ1)は45500年以上前と示唆されました。以下、本論文の図5です。
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●リアンバランガジア1洞窟のウラン系列同位体年代測定

 大きな赤いイノシシの絵と手形の上にある2点の小さな珊瑚状の洞窟二次生成物(それぞれ標本LBLGJ1およびLBLGJ2)のウラン系列動態分析が行なわれました(図6)。上述のように、手形はイノシシの絵の上に重なっているので、絵の下限年代を提供します。LBLGJ1(150 mm²)およびLBLGJ2(100 mm²)では、それぞれ4点と5点の部分標本が得られました。イノシシの絵と手形の両方を覆う標本は、高密度で非多孔性の方解石の複数の層で構成されています。各標本の全長にわたって、イノシシの絵と手形に対応する顔料層が明確に観察されました。

 合計で、赤いイノシシの絵とその上の手形に関して、9点のウラン系列年代測定値が得られました。LBLGJ1は、表面で下層よりも古い年代を示しました。この表面の部分標本(LBLGJ1.1)は、風化して砕けやすい洞窟二次生成物の一部を含んでいるので、表面のウランの部分的な浸出が原因と考えられます。部分標本LBLGJ1.2と部分標本LBLGJ1.3は、わずかに逆の年代(100年程度)を示します。これは、さまざまな年代の一連の同心円状の成長層および/もしくは「堆積」に起因すると考えられます。赤いイノシシの絵の最小のウラン系列年代値は29700年前頃(LBLGJ1.2)です。最大のウラン系列年代値は82600年前頃で、部分標本LBLGJ1.4に由来します。

 標本LBLGJ2は、2000年ほど新しいLBLGJ2.3を除いて、ウランとトリウムの閉鎖系状態に典型的な特性を示します。LBLGJ2の年代異常(逆転)は、部分標本抽出戦略の副産物および珊瑚状の洞窟二次生成物形成の複雑な過程として解釈されます。断面図(図6E)で明らかにされた内部成長構造は明確により複雑で、標本抽出過程における、異なる部分標本間の異なる割合での交差成長層混合の可能性が高いことを示唆します。したがって、部分標本LBLGJ2.4による32000年前頃となるウラン系列年代値は手形の下限年代を表し、73400年前頃というこの絵の上限年代はLBLGJ2.5に由来します。大きな赤いイノシシの絵の上に手形が重ねられているので、この具象的なイノシシの絵の年代は73400~32000年前頃となります。以下、本論文の図6です。
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●岩絵で描かれたイノシシの識別

 リアンテドンゲ洞窟とリアンバランガジア1洞窟で描かれたイノシシの絵の特徴のさまざまな識別により、これらの動物がスラウェシ島イボイノシシ(Sus celebensis)の芸術的表現と結論づけられます。目や耳や筋肉の状態や毛の模様・色や鼻や犬歯(牙)など、スラウェシ島イボイノシシ(以下、イボイノシシ)の識別可能な解剖学的詳細は明らかに描写されていません(しかし、目に関しては描かれた可能性があります)。それにも関わらず、イボイノシシの診断特性は、絵の輪郭(図2~4)で識別可能です。それは、(1)頭頂部と背中上部の短い破線の列で表される「尖った」頭頂部と、(2)上部の鼻領域に並んで描かれた2ヶ所の目立つ角のような突起により表される眼窩前のイボが確認できるからです。

 (1)は明確に描写されており、容易に区別できます。(2)に関しては、鼻の上の隆起は表面的には耳に似ています。しかし、芸術的表現と認めるとしても、これらの形態は鼻に沿って配置されすぎており、大きすぎて耳を適切に表現できていない、と考えられます。またそれらは、犬歯(牙)の様式化された、あるいは歪んだ表現ではなさそうで、イボイノシシでは口から横方向に犬歯が突き出ています。これらの特徴は、イボイノシシの際立った形態学的特徴の一つを構成する眼窩前の顔面のイボと最も一致している、と推測されます。イボイノシシの顔面のイボは雄で最も顕著に見られ、加齢に伴って大きくなります。したがって、リアンテドンゲ洞窟とリアンバランガジア1洞窟のイノシシの絵は、成体の雄のスラウェシ島イボイノシシの描写と考えられます。イボイノシシの眼窩前のイボは、いわゆる捻じれた観点で描かれていることに注意が必要です。これは先史時代芸術における図像表現の一般的手法で、動物の単一の輪郭特性の絵を用いて、さまざまな観点から観察された時に見物人にどのように見えるのか、考慮して描写する必要があります。

 年代測定されたイノシシの絵は、スラウェシ島固有のイノシシの他の唯一の現生種であるバビルサ(Babyrousa sp.)の外部形態とは一致しません。バビルサは雄の成体では、下向きではなく、鼻の上で後方に螺旋状に成長する華麗な上顎犬歯を含む、独特な解剖学的特徴を有しています。以前には、リアンティンプセン洞窟の後期更新世のイノシシの絵は、雌のバビルサの具象的表現として解釈されました(関連記事)。しかし、この絵は、スラウェシ島イボイノシシの若い雌もしくは亜成体の雄を描いている可能性もあります。カワイノシシ族のコルポコエルス属種(Celebochoerus spp.)は、新石器時代の前にスラウェシ島に生息していた唯一の他のイノシシ族です。しかし、絶滅したこの「巨大な」イノシシ系統は、前期~中期更新世の化石記録でのみ知られています。現生人類がこの祖先的で頑丈なイノシシとスラウェシ島で時間的に重複した、という証拠はありません。

 スラウェシ島イボイノシシとして識別されるリアンテドンゲ洞窟とリアンバランガジア1洞窟の年代測定されたイノシシの絵はどちらも、首の下部に乳頭様付属器官に似た一組のコブという、見慣れない解剖学的特徴で描かれていました。リアンバランガジア1洞窟のイノシシの絵では、その形態は毛深さもしくは剛毛のようです。したがって、外観ではそれらが飾り房のような印象を与えます。この正体不明の形態的特徴は、リアンテドンゲ洞窟の同じ岩絵壁面で描かれた他の2点のイノシシの絵でも明らかで、本論文はこれらの動物の主題を、スラウェシ島イボイノシシの明確な表現とみなしています。同様の形態は、グアウハリー(Gua Uhallie)洞窟(図1の5)の、年代測定されていない大きな不規則の輪郭のスラウェシ島イボイノシシの2点の絵でも明らかです。今後の研究では、この正体不明の特徴の考えられる説明が検討されます。


●考察

 まとめると、ウラン系列年代測定の結果は、リアンテドンゲ洞窟とリアンバランガジア1洞窟のスラウェシ島イボイノシシの絵の下限年代が、それぞれ45500年前頃と32000年前頃であることを示します。下限年代が45500年前頃であるリアンテドンゲ洞窟の絵は、スラウェシ島で最古の既知の年代測定された芸術作品のようです。またこれは、スラウェシ島、さらには恐らくより広範なワラセア地域における現生人類の存在の報告された最古の指標を表しています。リアンテドンゲ洞窟の岩絵壁面に描かれている、まだ年代測定されていないイノシシの絵の推定下限年代も同様と推測されます。上述のように、これらのイノシシの絵は、年代測定された絵とともに、単一の物語の構成もしくは場面を構成しているようで、おそらくはスラウェシ島イボイノシシ間の社会的相互作用の描写です。確認できる限りでは、リアンテドンゲ洞窟のスラウェシ島イボイノシシの厳密に年代測定された絵は、現存する動物の世界最古の描写のようです。さらに、このワラセア固有のイノシシの年代測定された描写は、考古学で知られている世界最古の具象的芸術を構成するかもしれません。

 世界最古の芸術に関しては、スペインの非具象的な岩絵が遅くとも65000年前頃にさかのぼり、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産との見解が提示されましたが(関連記事)、その年代をめぐって議論が続いています(関連記事)。上述のように、スラウェシ島南西部では194000~118000年前頃の石器群が発見されています。この石器群を製作したのは現生人類ではなく、絶滅ホモ属と考えられています。現生人類がスラウェシ島やワラセアの他の場所、またはより広範な地域へ10万年以上前に拡散していた可能性に関しては議論がありますが、不可能ではありません。現生人類的な化石はアフリカ北部では30万年前頃までさかのぼります(関連記事)。アジア東部における12万~8万年前頃の現生人類の存在を報告した研究もあります(関連記事)。スンダランドでも、同じ頃に現生人類が存在していた可能性が指摘されています。現在利用可能な証拠に基づくと、リアンテドンゲ洞窟の年代測定された岩絵の描写が、現生人類の認知能力的に「現代的な」人々の所産である、と結論づけることはできません。しかし、この初期の表象的芸術作品の洗練と、具象的表現が現時点では世界のどこでも現生人類のみの所産であるという事実を考慮すると、現生人類の所産である可能性が最も高そうです。

 もしそうならば、リアンテドンゲ洞窟の年代測定されたイノシシの絵は、最初期ではないとしても、ワラセアにおける現生人類の存在の最初の証拠の一部を提供するようです。この芸術作品の下限年代は、以前にはワラセアにおける現生人類の最古の考古学的証拠を提供していた、小スンダ列島の発掘堆積物からの現生人類の最初の確立された指標と同等です。したがって、リアンテドンゲ洞窟の絵の年代測定結果は、具象的な動物芸術や物語の場面の表現を含む表象芸術が、スンダランドからオーストラリア大陸への入口であるワラセアへと渡った最初の現生人類集団の文化的一覧の重要な一部だった、という見解を強調します。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、スラウェシ島における具象的な動物壁画が45500年以上前であることを示しました。本論文は、これは現生人類の所産である可能性が最も高い、と指摘します。45500年以上前ならば、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)がアジア南東部に存在した可能性もあります。さらに、一部の古代DNA研究において、デニソワ人がサフルランドまで拡散し、3万年前頃まで生存していた可能性も指摘されています(関連記事)。本論文はやや否定的ですが、ネアンデルタール人が現生人類よりも前、あるいは独自に具象的な動物壁画を描いた可能性は、それほど低くないように思います。その意味で、遺伝的にネアンデルタール人と近縁なデニソワ人(関連記事)が洞窟壁画を残した可能性も考えられますが、現時点での証拠からは、スラウェシ島の後期更新世の洞窟壁画を残したのは現生人類と考えてほぼ間違いないでしょう。また、これらスラウェシ島の45500年以上前の洞窟壁画を描いた人類集団と現代人との遺伝的つながりがどの程度なのか、現時点では不明です。スラウェシ島の更新世人類となるとDNA解析は難しそうですから、残念ながらこの問題を決定的に解明することはできないでしょう。


参考文献:
Brumm A. et al.(2021): Oldest cave art found in Sulawesi. Science Advances, 7, 3, eabd4648.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abd4648