上横手雅敬『日本史の快楽 中世に遊び現代を眺める』

 角川ソフィア文庫の一冊として、KADOKAWAから2002年5月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は雑誌の連載をまとめた、中世史を中心とした歴史随筆集ですが、著者は日本中世史の碩学だけに、教えられるところが多々ありました。これまで知らなかったこととして、著者は1953年頃に研究者として歩み始めますが、当時は社会主義に共感する知識人が多く、歴史学も例外ではなかったなか、漠然たる好古趣味から歴史学を専攻した著者は、意識の低さを軽蔑され、肩身の狭い思いをした、ということです。

 著者のような碩学でもそうだったのか、とやや意外ではありましたが、特定の思想に傾倒して歴史学を志したわけではないことも、著者が歴史学の研究者として大成した一因なのかもしれません。著者は、近い将来の社会主義到来を知識人が確信していた一方、一般庶民はその生活感覚から社会主義が到来するとは思っていなかった、と指摘し、学問をするほど人間は愚かになるのだろうか、と問題提起します。著者はそうして悩むなか、過去は現在とは異なる社会で、それを解明するのが歴史学である、という立場から、現代との継続性も意識するようになったそうです。

 そうした視点から語られるそれぞれの話は、さすがに碩学だけあって教えられることも考えさせられることも多く、本書は体系的な通史ではなく、特定の問題を取り上げているわけでもありませんが、読んで正解でした。たとえば、平安京は天皇・貴族・官僚の都であり、庶民生活の発達に基づいて形成された都市ではなかったことを、『今昔物語集』と芥川龍之介の小説から一般向けに分かりやすく解説するところは、碩学らしく巧みだと思います。藤原頼長など「悪」を滅ぼしたのは凡俗の人々が構成する「世」だった、との指摘も考えさせられます。

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