ネアンデルタール人の南限範囲の拡大および現生人類と共通する石器技術

 ネアンデルタール人の南限範囲の拡大および現生人類と共通する石器技術を報告した研究(Blinkhorn et al., 2021)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)集団とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)集団との間の交雑の遺伝的証拠(関連記事)を考慮すると、両者がいつどこで相互に遭遇したのか限定することは、現代人に共有されているネアンデルタール人からの遺伝的影響の理解に広範な結果をもたらします。

 年代測定された旧石器時代遺跡群が比較的狭い地域に豊富にあり、その多くで化石人類標本が保存されていたため、レヴァントは、これら人類集団間の生物学的および行動上の違い、および人類集団間の潜在的な相互作用を検証するための焦点の重要な地域です。レヴァントにおける現生人類集団とネアンデルタール人集団のどちらも初期の証拠は疎らで、中期更新世のホモ属集団間の広範な変動性を反映しているケセム洞窟(Qesem Cave)のような下部旧石器時代遺跡があり、中期更新世後期の地中海東部における現生人類の存在は、孤立した事例で示唆されています(関連記事)。後期更新世には、現生人類は海洋酸素同位体ステージ(MIS)5(13万~71000年前頃)にレヴァントに生息しており、次にレヴァントでの記録が確認されているのは5万年前頃以降です(関連記事)。

 MIS4(71000~59000年前頃)開始時のより涼しい気候条件の始まりとともに、ネアンデルタール人集団の化石が、中部旧石器時代後期石器群と関連した地中海東部沿岸の森林景観から一貫して発見されてきました。レヴァントにおけるネアンデルタール人の居住のより早期の証拠は、タブン(Tabun)C1の年代測定や由来など、議論になっています。したがって、MIS5以降、かなりの人口統計学的変化がレヴァントで観察でき、ネアンデルタール人が前には現生人類が存在したレヴァントへと北方から以拡大してきました。これは、現生人類と密接に関連している求心性ルヴァロワ(Levallois)剥片縮小に焦点を当てた石器群の置換と関連した集団転換として解釈されてきており、代わりに出現したのは、単方向収束ルヴァロワ尖頭器製作がとくに顕著であるように見える石器技術で、ネアンデルタール人と関連しています。人口統計学的および行動におけるこの明らかな転換は、新たな旧北区分類群が出現するレヴァントの動物相記録で見られるような、より寒冷な条件への回帰と関連する景観全体の変化と同時代のようで、人類集団間の相互作用の重要な背景を提供するかもしれません。

 最終氷期開始時のネアンデルタール人集団の南方への拡大を記録し特徴づけることは、適切な化石が保存されている遺跡の不足により複雑になっています。これは、生物学のパターンと文化的記録との間の直接的一致を描くことと、まずレヴァントにおけるネアンデルタール人の出現を報告した研究の歴史的慣行により複雑になっています。レヴァント全域で、人為的角礫岩のある遺跡は人類化石の主要な供給源となってきており、最小限の歴史的干渉しか見られなかったイスラエルのティンシェメット洞窟(Tinshemet Cave)のような遺跡(関連記事)では、新たな発見の可能性がありますが、残念ながらそうした遺跡は稀です。

 シュクバ洞窟(Shukbah Cave)はエルサレム北方のパレスチナのヨルダン川西岸のユダヤ/ヘブライの丘に位置し(図1)、人為的角礫岩が保存され、1928年にドロシー・ギャロッド(Dorothy Garrod)により大規模な発掘が行なわれた洞窟遺跡です。これらの発掘により、中部旧石器時代の人工物、化石動物相、稀な人類標本の豊富な収集物が得られましたが、最近の分析の不足も一因となって、レヴァントのより広範な研究ではほとんど見過ごされてきました。この人類化石はネアンデルタール人に分類されていますが、主要な人類化石は20世紀のほとんどを通じて私的収集物だったので、ネアンデルタール人との主張を検証する比較分析は禁止されていました。

 発掘された石器群は選択的に収集され、その後、完全なルヴァロワ剥片およびポイント、再加工石器群、少ないものの石核に重点が置かれ、発掘を支援したいくつかの世界の研究機関に分散されましたが、細かい借方(廃棄物)と単純な剥片と壊れた破片は廃棄されたようです。既知の石器収集物の最初の詳細な評価では、ネアンデルタール人遺骸のある他の中部旧石器時代遺跡に相当する石器技術が示唆されました。とくに、単方向収束ルヴァロワ尖頭器縮小の傑出に重点が置かれましたが、内側・遠位隆起を作成する剥離表面の特徴的な遠位発散痕パターンを有するルヴァロワポイントの図は、ヌビア式ルヴァロワ技術と一致しており、石器群内のより大きな多様性の証拠を示唆します。以下、本論文の図1です。
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 アラビア半島南部では、ヌビア式ルヴァロワ技術の存在は、アフリカからの現生人類の拡大を反映している、と主張されてきました。そのような技術と現生人類との間のつながりは、レヴァント南部でも提案されています。本論文は、シュクバ洞窟の化石と考古学的発見物を再検討し、アジア南西部の中部旧石器時代における人口統計学的および行動的多様性を調べます。本論文では、人類の下顎大臼歯(EM 3869)の外部および内部構造と、シュクバ洞窟D層の完全で人為的な角礫岩から回収された中部旧石器時代石器群の比較定量分析が行なわれます。


●EM 3869大臼歯標本の分析

 EM 3869(図2)は下顎右側大臼歯の永久歯で、その咬合や歯冠や歯根の形態から、M1もしくはM2と推定されます。以下、本論文の図2です。
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 EM 3869は、エナメル質表面や歯根といった外部特徴や、EDJ(象牙質とエナメル質の接合部)のような内部特徴で、典型的なネアンデルタール人的特徴を示します。他の現生人類やネアンデルタール人の臼歯との比較は、図3aで示されます。EM 3869のサイズはネアンデルタール人に近いものの、現生人類の範囲とも一致します。EDJ形態の分析では、ネアンデルタール人と更新世の現生人類と完新世の現生人類は区別され、EM 3869標本はネアンデルタール人として分類されます(図3b)。以下、本論文の図3です。
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 EM 3869標本の歯根は比較的短く、ネアンデルタール人や化石現生人類や最近の現生人類の平均をわずかに下回ります。EM 3869標本は軽度のタウロドンティズム(歯根への歯髄腔の垂直拡大、歯根異常)を示します。他のアジア西部のネアンデルタール人のM1のタウロドンティズムは、存在しないか軽度です。タウロドンティズムはレヴァントのスフール(Skhul)やカフゼー(Qafzeh)など初期現生人類でも見られます。EM 3869標本の歯根内の比率はネアンデルタール人の値と近いものの、化石および最近の現生人類とは異なります。


●石器群

 シュクバ洞窟遺跡D層の707点の石器が分析されました。これは、ギャロッドにより選択され報告された収集物全体の57%で、現在保管場所の判明している収集物の61%です。これらの石器は全て、さまざまな燵岩(チャート)で製作されています。分析の結果、ルヴァロワポイントの製作に重点が置かれていることは明らかである、という以前の分析が裏づけられましたが、本論文の分析では、以前の認識よりも石器群内の変動が大きい、と明らかになりました。本論文では、石核と剥片両方で明らかな剥離表面の形成パターンに関して、この多様性が強調されます。

 シュクバ洞窟石器群の評価では、12個のヌビア式ルヴァロワポイントと16個のヌビア式ルヴァロワポイント石核が明らかになりました(図5)。ヌビア式ルヴァロワ石器はアフリカとレヴァントの遺跡でも確認されており、レヴァントの他の全ての遺跡およびアフリカの多くの遺跡よりもシュクバ洞窟の方で多数見つかっていますが、アラビア半島南部の一部の遺跡ほど頻度は高くありません。より徹底的な石器収集戦略では、シュクバ洞窟の石器群でヌビア式ルヴァロワ石器の頻度はさらに高くなるかもしれません。以下、本論文の図5です。
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 ルヴァロワポイントのデータセットの多変量解析では、シュクバ洞窟D層のヌビア式ルヴァロワポイントが、D層のルヴァロワポイントと全体的な特徴では区別されない、と示唆されます(図6a)。本論文はこの分析を拡張し、アジア南西部のネアンデルタール人の存在期間および/またはネアンデルタール人遺骸の発見されている中部旧石器時代後期の石器群との比較により、シュクバ洞窟D層の石器群をより広い文脈に位置づけます。データセットの多変量解析では、これらの遺跡間でいくつかの内部の変動性が示唆され、シュクバ洞窟D層のルヴァロワポイントでは、地域的な変動性の全体的なパターンと明確な違いは示しません(図6c)。これは、選択的精選がデータセットを実質的にゆがめなかったことを示唆します。

 分析の結果から、シュクバ洞窟のヌビア式ルヴァロワポイントは、MIS4および3の多くの遺跡で明らかなルヴァロワポイントと一致する形状を示す、と示唆されます。ヌビア式ルヴァロワポイントがとくに豊富なアラビア半島南部の石器群(関連記事)、およびカフゼーやスフールなど他の現生人類と直接的に関連している中部旧石器時代遺跡の石器群との比較では、アラビア半島のヌビア式ルヴァロワポイントと他のルヴァロワポイントとの間の有意な違いが示唆され、おもにサイズの違いにより説明できます。シュクバ洞窟のヌビア式ルヴァロワポイントは、形状的に分析対象のルヴァロワポイントのより広範な標本と類似しており、ヌビア式ルヴァロワ石器群の変動性とも部分的に重なります。

 石核データセットの多変量解析により、シュクバ洞窟のルヴァロワ剥片とポイント石核との間の実質的な違いが明らかになりました。ヌビア式ルヴァロワ石核の変動性は、他のポイント石核間で観察された変動性と大きく重複しています(図6b)。シュクバ洞窟D層のルヴァロワポイント石核とヌビア式ルヴァロワポイント石核は、他の中部旧石器時代後期の比較石器群に存在するポイント石核と同等の変動性を示し、比較研究のための石器群の潜在的有用性をさらに裏づけます。とくに、ネアンデルタール人遺骸が発見された、イランのまだ年代測定されていないビストゥン(Bisitun)洞窟遺跡のルヴァロワポイントの精査でも、ルヴァロワ石核(図5i)が明らかになり、これはヌビア式ルヴァロワ技術の記載と一致し、地域全体でのより広範な出現が示唆されます。多くの場合、ヌビア式ルヴァロワ技術は存在しても低頻度ですが、借方(廃棄物)のさらなる調査はこの発見を裏づけるかもしれません。中部旧石器時代後期の比較遺跡群から標本抽出された全てのルヴァロワ石核全体の変動性の調査から、ポイント石核は通常、剥片石核間で観察された変動性の部分集合を示す、と明らかになり、シュクバ洞窟で識別された傾向を裏づけます(図6d)。

 本論文では、アフリカ東部とアジア南西部にまたがる後期更新世比較石器群全体のルヴァロワ石核間の変動性が調べられました。このデータセットの多変量解析では、ルヴァロワ剥片石核は形状的にポイント石核よりも多様で、それはこの多様性の部分集合を示すものの、アラビア半島南部のヌビア式ルヴァロワポイント石核はこのパターンからの逸脱を示し、それはおもに石核サイズの違いに起因する、という示唆がさらに裏づけられます(図6f)。この文脈内では、シュクバ洞窟のヌビア式ルヴァロワポイント石核は、比較データセット全体の他のルヴァロワポイント石核と一連の特徴を共有し、ヌビア式ルヴァロワポイント石核で観察された変動性を拡張します。以下、本論文の図6です。
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●考察

 シュクバ洞窟の化石と石器の新たな分析により、ネアンデルタール人の形態と物質文化両方における予期せぬ多様性が明らかになりました。本論文の結果は、EM 3869標本がネアンデルタール人集団に確実に属することを明らかにし、以前の評価を裏づけます。摩耗の程度や完全に発達した歯冠などから、EM 3869標本個体の死亡年齢は7~12歳と推定されます。ネアンデルタール人の歯の発達には大きな違いがあり、さらに正確な年齢を推定することはできません。シュクバ洞窟のネアンデルタール人の大臼歯のサイズは、アムッド(Amud)やデデリエ(Dederiyeh)やケバラ(Kebara)やシャニダール(Shanidar)やタブン(Tabun)やテシクタシュ(Teshik-Tash)といった他のアジア西部のネアンデルタール人よりもずっと大きいものの、ヨーロッパのネアンデルタール人、とくにクロアチアのクラピナ(Krapina)のネアンデルタール人とより近くなっています。EM 3869標本は、ネアンデルタール人のM1では最大級となり、ネアンデルタール人の間の形態計測の多様性に追加されます。EM 3869標本は、確実にネアンデルタール人に分類されたことで、既知のネアンデルタール人集団の最南端の化石となります。

 シュクバ洞窟D層の石器技術は、しばしばネアンデルタール人化石と関連して、レヴァント全域で見られる他の中部旧石器時代後期石器群の広範な特徴を共有しています。しかし、シュクバ洞窟石器群の詳細な分析により、ヌビア式ルヴァロワ技法の存在が明らかになり、この技術とネアンデルタール人との関連を初めて示します。ヌビア式ルヴァロワ技術とその現生人類への顕著な帰属に関しては、かなりの論争があります。ヌビア式ルヴァロ技術の時間・空間・技術的文脈全体の広範な分布と、通常は発見数が少ないことから、文化的継承の堅牢な指標としての有用性に疑問が呈されています。ネアンデルタール人と関連するシュクバ洞窟、また可能性があるビストゥン洞窟のヌビア式ルヴァロワ技術の出現は、ルヴァロワポイント製作に焦点を当てた結果として生じる技術的収束により最も簡潔に説明されます。これは、ヌビア式ルヴァロポイントおよび石核と他のルヴァロワポイントの製作手法間で見られる広範な重複と一致します。中部旧石器時代および(サハラ砂漠以南のアフリカの)中期石器時代集団間のヌビア式ルヴァロ技法の文化的継承は、この発見により排除できませんが、それらはまだ実証されておらず、最節約的な説明を表していません。本論文の結果から、ヌビア式ルヴァロ技術と現生人類との間の直接的つながりはもはや想定できない、と示唆されます。

 EM 3869標本のネアンデルタール人形態と、シュクバ洞窟D層の石器群の中部旧石器時代後期的特徴は、7万~5万年前頃のレヴァントのより広範なネアンデルタール人の存在と一致します。じっさい、ヌビア式ルヴァロ技術は、「ヌビア複合(Nubian Complex)」(関連記事)の提案者によりMIS5と顕著に関連づけられていますが、詳細な分析は、中期更新世後期および後期更新世全体の、中部旧石器時代および中期石器時代石器群間の繰り返しの出現を示唆します。その結果、シュクバ洞窟のヌビア式ルヴァロワ技術の出現だけでは、明確な年代的制約を提供せず、むしろ石器群のより広範な特徴は、ネアンデルタール人と関連する他の石器群に相当するままです。これは動物相記録の評価とも一致しており、ハタネズミ(キヌゲネズミ亜科)の存在とアフロアラビア動物相の不在が示唆され、それはレヴァントにおける氷河期の開始で特定されたより広範な動物相の変化を示しています。これらの知見を組み合わせると、シュクバ洞窟D層の居住は、7万~5万年前頃のレヴァントにおけるネアンデルタール人の存在のより広範な時間枠への帰属を裏づけますが、これを確認するには、直接的な年代測定が必要です。

 ネアンデルタール人の範囲の限界を調べることは、ネアンデルタール人集団の環境耐性を評価し、その生態学的適応性と行動の柔軟性を調査するのに重要です。シュクバ洞窟におけるネアンデルタール人の居住の確認は、ネアンデルタール人集団の範囲を大きく南方へと拡大します。ネアンデルタール人は多様な技術と関連し、他のルヴァロワ技法の中でもヌビア式ルヴァロワ縮小手法の存在が明らかです。これらの知見は、トール・ファラジ(Tor Faraj)やトール・サビーハ(Tor Sabiha)のような、さらに南方の遺跡にさえネアンデルタール人が存在したとの仮定を裏づけるのに役立ちます。

 レヴァントにおけるネアンデルタール人の存在は伝統的に、地中海森林生息地と関連づけられており、野営地は起伏の多い地形に位置しているようで、資源生態的地位を圧迫している可能性がありますが、シリアとイラン(関連記事)の一見すると乾燥した地域におけるネアンデルタール人の存在は、アジア南西部の生態系への適応におけるネアンデルタール人のより広範な行動の柔軟性を示唆します。シュクバ洞窟は現時点で、ネアンデルタール人の範囲の最南端を示しており、現生人類集団との相互作用の検証にさいして、レヴァントのこの地域の潜在的重要性を強調します。しかし、シュクバ洞窟は、ネアンデルタール人がさらに南方の乾燥地帯に拡大するための、重要な足がかりを提供したかもしれません。


 以上、ざっと本論文を見てきました。本論文は、ネアンデルタール人の生息範囲の南限をさらに拡大したという点で、注目されます。アフリカではまだ明確なネアンデルタール人遺骸は発見されていないと思いますが、あるいは、ネアンデルタール人が一時的にでもアフリカにまで拡散したこともあったのでしょうか。また本論文は、特定の石器技術を特定の生物学的人類集団と結びつける危険性を改めて示したという点でも注目されます。ヌビア式ルヴァロ技術も含めて、レヴァントにおけるネアンデルタール人と現生人類との相互作用がどのようなもので、いつから始まったのか、まだわずかしか明らかになっていない、と言うべきでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Blinkhorn J. et al.(2021): Nubian Levallois technology associated with southernmost Neanderthals. Scientific Reports, 11, 2869.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-82257-6

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