山田仁史「宗教と神話の進化―集団間の動態におけるその役割」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究B01「人類集団の拡散と定着にともなう文化・行動変化の文化人類学的モデル構築」の2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 21)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P41-46)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文は、人類における宗教・神話の進化に関する従来の諸仮説を総合し、宗教や神話が集団間の動態にいかなる影響をおよぼし得たのか、考察します。まず1960 年代、宗教社会学のベラー、人類学のウォーレス、インド学・仏教学の中村元らがそれぞれ独立して、宗教の進化に関する大きな見通しを提出しました。これらは多少とも、ヤスパースの「枢軸時代(Achsenzeit、Axial Age)」概念に依拠しています。これは、紀元前500 年頃、より広くとれば紀元前800~紀元前200 年頃に、ユーラシア大陸の東西に広く精神的な覚醒が起き、いわゆる「救済宗教」が生じた、という議論です。この「救済宗教」を狭義の宗教とすれば、本論文で扱われるのはより広義の「宗教」です。21 世紀になると、この概念の有効性はますます認められる方向にありますが、人類の宗教進化については、より古い時代までさかのぼって検討する動向が生じています。それは最近30年ほどの動向で、考古学や古人類学や遺伝学の進展にともない、数万年におよぶ宗教進化について様々な仮説が提示され、以下のような三つの立場に分けられるますが、いずれも宗教の価値判断につながるという難点を有しています。

(1)宗教は人類進化にとって適応的(adaptive)とする見解です。個体水準でのハンディキャップ理論(costly signalingtheory)と、集団水準での多水準淘汰説があります。

(2)宗教は人類進化における何らかの心理機制の副産物(by-product)とするスパンドレル説(spandrel theory)や、行為主体を過敏に探知する装置説(HADD:hyperactive agency detection device)や、心の理論(theory of mind)です。

(3)宗教は文化的に伝達される非適応的(maladaptive)現象とする見解で、文化進化、とくにミーム理論(meme theory)です。

 またこれらとは別に、出アフリカのさいに現生人類(Homo sapiens)はどのような神話を有してこおり、どう拡散したのかについても、新たな仮説が登場しています(関連記事)。たとえばインド学のヴィッツェルによると、最古の人類がもっていたパン・ガイア神話のうち、古層部分はゴンドワナ神話群として残存し、ユーラシア大陸圏ではローラシア神話群と呼ぶべき発展があった、と指摘されています。また、考古学・人類学のベリョースキンによる世界伝承モチーフの膨大なデータベース化によれば、死の起源の神話などは出アフリカ以前から知られていました。その後、インド太平洋とユーラシア大陸の間において長い隔離が続いた結果、大きな二つのクラスタが形成されるに至った、と指摘されています。さらにデュイの神話の「系統発生分析(phylogenetic analysis)」では、コズミック・ハントとポリュペーモス(アニマル・マスター)神話に焦点が当てられています。

 他にも、この文脈で考慮に入れるべき仮説としては、まずフロベニウスの理論があります。フロベニウスによると、人類文化は有機的であり、文化生成時点で人が何に「心とらわれた状態(Ergriffenheit)」だったかを考慮する必要がある、と指摘されています。またエリアーデによると、ヒトが直立歩行を開始し、周囲の空間に不安をおぼえた時、宗教がきざした、と指摘されています。これは当然暗喩ですが、人間における実存という問題に触れている点が注目されます。この他に、ルロワ=グーランは狩猟採集民の巡回空間と定住農耕民の放射空間、という認識の違いを指摘し、北米のトリックスター譚などにこのアイディアを適用しました。またオングは、無文字社会における記憶術として、奇怪な姿の神話的存在が語られた、と主張しました。この議論は、いわゆるアニマル・マスターの表象などを考える際にきわめて示唆的です。さらにボームは、狩猟採集民社会においても「超自然的制裁(supernatural sanctioning)」が広く行なわれていた、と強調しています。以上のような動向も踏まえて、今後への見通しをひとまずまとめると、以下のようになります。

 まず宗教の進化については、枢軸時代を中心とする仮説はいまだに有力ですが、より古い人類史にまで遡っての検討が進行中です。そうした検討では、宗教が人類進化にとって(1)適応的か、(2)それ自体は適応的でも非適応でもなく中立的な副産物にすぎないのか、(3)非適応的か、という三つの立場が見られます。しかし、これらは宗教に対する価値判断を含みがちです。次に神話の進化について、出アフリカ時点で現生人類が持っていた神話やその後の拡散が議論されています。無文字の狩猟採集民が早期に有していたかもしれない神話として、コズミック・ハント、アニマル・マスターやトリックスター、死の起源などが挙げられそうです。これらは当時の人々が「心とらわれ」、実存の不安に対処する中から生まれたものとも言えるでしょう。最後に、こうした象徴化や物語による自然認識・環境認識の共有は、超自然的制裁といったモラルの浸透にも伴って、他集団との対決に際して有利に働いた可能性が考えられます。具体的な民族誌データにもとづく検討とモデル化が今後の課題です。

 さらに本論文は、宗教の進化に関わる三つの立場を解説しています。英語圏においてこの問題を論じる場合、「宗教」への価値づけあるいはイデオロギーを含んでしまう、という難点があります。「宗教なるもの」を今後も擁護すべきなのか、不要な過去の遺産として棄却してゆくべきなのか、という立場表明をしなければいけないことが見えてきます。つまり、「宗教(religion)」のもととなった「religare」というラテン語の両面でもあります。その語義は英語で「to bind」、すなわち人々を「結びつける」という正の面と、「束縛する」という負の面の両方が、この語で含意されています。

 宗教の進化に関わる三つの立場とは、上述のように、(1)宗教は適応的(adaptationist explanations)、つまり「adaptive」であると支持する立場、(2)宗教は適応に関しては中立的で、人類進化において宗教とは別の適応的な心理機制の副産物として生まれたもの(byproduct explanations)、つまり宗教は「nonadaptive」とする中立の立場、(3)宗教は文化的に伝達される非適応的現象(cultural explanations)という、「maladaptive」だと批判する立場です。2017年の研究によると、これら三つの立場のうち、(1)と(3)は宗教というものが如何に維持されてきたかを扱いますが、宗教の発生自体については何も言っておらず、他方で(2)は宗教の起源と維持について語っています。以下、これら三つの立場に関する解説です。

(1)宗教を適応的とする見解
 先駆者はフィッシャーで、形質進化においては自然淘汰のみが重要である、と強調しました。次に生物学者ウィリアムズにより、初めて現在の適応学説が提唱されました。つまり、身体的・心理的形質が適応的か非適応的かを認めるために、自然淘汰概念を適用する一般基準が定義されました。次に、以降の議論では(i)個体(individual)と(ii)集団(group)の二つの水準おける適応が区別されます。

(1.i.)個体水準の適応
 個体水準の適応を提唱したのは、人類学者のリチャード・ソーシスです。ソーシスの「高コストシグナル理論(costly signalling theory、日本ではハンディキャップ理論として知られています)」とは、もとはザハヴィにより、野生動物における捕食者と獲物の間にみられる特異なシグナル行動を説明するために発展された、ハンディキャップ原理(handicap principle)とも呼ばれる、より広範なシグナル理論の特殊な応用にすぎません。ソーシスらはユダヤ教のキブツなども含む様々な宗教共同体を調査し、高コストな儀礼に参加する者は集団内で高評価を得るので配偶へのアクセスが増加する、と結論しました。なぜならば、高コストな儀礼に参加することは共同体内で共有された信念に関わることを意味し、これにより共同体側も参加者に好意的に振舞うようになるからです。ソーシスたちによれば、宗教的であることによりもたらされる利益はかかるコストをはるかに上回るので、宗教的行動は個体水準において適応的です。また宗教的であることにより、心身の健康にもたらされる利益も報告されていますが、因果関係は必ずしも明らかでない、との批判もあります。

(1.ii.)集団水準の適応
 これは、非宗教的共同体と比較して、宗教的共同体においてはメンバー間の団結や協力が増す、という議論で、主要な論者の1 人はデイヴィッド・ウィルソンです。そのマルチレベル選択説(多レベル淘汰、multilevel selection theory)によると、淘汰圧(選択圧)は個体と集団の両方の水準にかかります。個体水準では高コストで不利な行動でも、集団水準では利益をもたらす可能性があります。エリオット・ソーバーとウィルソンはこの理論を用いて、人類における利他性の存在を説明しました。つまり利他的であることは、個体水準では行為者の遺伝的適性を損なうかもしれないものの、集団内での協力を促進するので、集団全体の適性を増進する、というわけです。これはつまり、集団選択・群淘汰(group selection)を重視したことになります。

 マルチレベル選択説を宗教に適用し、デイヴィッド・ウィルソンとエドワード・ウィルソンたちは、宗教の集団利益はコストをはるかに上回る、と主張します。ただ、集団水準での適応性は、個体水準での適応性とは必ずしも一致しません。利他性の例のように、個体としては非適応的になってしまう場合もあります。ウィルソンは、宗教は各個人の向社会的行動を奨励することで、共同体統合の役割を果たす、と指摘しました。宗教による道徳的教化力、つまり自動的監視(automatic policing)の役割を重く見たわけです。

 ブルブリアも、宗教的共同体では人々の行動に賞罰を与える強力な主体が存在する場合、外的な規則の強制はさほど要請されない、と指摘します。ウィルソンの議論は、経済的ゲームの研究により広汎な経験論的支持を受けています。つまり、宗教的な人間は、同じ宗教に属する人と取引するさい、信用や利他性をより大きく発揮します。個体と集団の両水準を併せて考えると、宗教がなぜ繁栄を続けるのか、よりよく説明されます。それは、個体も集団も、宗教的である方が非宗教的であるよりも利益を受けやすい傾向にある、ということです。

 この議論について批判は二つあります。まず集団の定義が曖昧というものです(a)。たとえばジョーゼフ・ブルブリアは二つの長老教会を例に出していますが、どちらも一つのセクトに属する一方で、構成員やファンドをめぐっては競合関係にあります。これは異なる集団とすべきか、それとも同一集団と見なすべきか、という疑問が残ります。もう一つの批判(b)は、群淘汰は宗教発展の初発の原因とは言えない、というものです。

 他には古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドと遺伝学者リチャード・ルウォンティンも、適応論者たち一般を批判しています。諸形質を適応と説明もするのに急であり、そうした形質が選択された正確なメカニズムを示していない、というわけです。重要なのは、宗教に関する特定の行動が、世代内・世代間においていかに伝達されるのかを示すことだ、とグールドやルウォンティンは指摘します。

(2)宗教は適応に関しては中立的とする見解
 宗教は適応に関して中立的で、人類進化において宗教とは別の適応的な心理機制の副産物として生まれたもの(by-product explanations)という立場です。これはスパンドレル(アーチ・壁の外側の弯曲部と天井・枠組みとの間にできる三角形の部分)説とも言われます。つまり宗教とは、宗教以外の心理的機制における適応の、スパンドレルである、というわけです。上記のグールドとルウォンティンが提唱したもので、「適応主義」に対する「反適応主義」とも呼ばれます。つまり、宗教それ自体は適応の副産物だが、それ自体が適応的なわけではない、ということです。生物学の事例としては、鳥の羽は元々、暖をとる目的で選択されましたが、後には飛行に用いられるようになり、羽の主要機能になった例があります。

 そもそも宗教とは進化の副産物である、という見解はダーウィンが初めに主張しました。その後、ステュワート・ガスリーは、適応的な心理特性による選択が宗教の発展を説明する、と主張した最初の論者たちの1 人です。ガスリーは、宗教の核心にあるのは超自然的動作主が存在するという信念で、これは行為主体を探知する過働装置(overactive agency detection systems)によると主張しました。これはジャスティン・バレットにより、「行為主体を過敏に探知する装置」(HADD:hyperactive agency detection device)と命名されました。人間にはこれが備わっているため、何もない所にも擬人化した物を見がちです。それが宗教的認知に寄与している、というわけです。これについては実験により支持する結果が多く出されています(パレイドリア、pareidolia)。たとえばコンピュータによりランダムに生成されたパターンに人間の顔を認めてしまうなど、パターンを認識しようとする強い傾向が人間の認知システムにはある、というわけです。バレットもガスリーも、HADD は人類の祖先にとって適応的だったと考えていました。たとえば狩猟をしていて、後ろの茂みがガサガサした時、逃げた方が生存に有利だったはずだから、というわけです。

 これに心の理論(theory of mind)、つまりヒトが他者の心の状態を察する能力もあわせ考えると、宗教的信念がいかにして発生したのか、説明できそうだ、と指摘されています。またこれ以外にも多くの心理機制が宗教の発達に寄与しただろう、と推測されています。たとえばパスカル・ボイヤーは、宗教は心理機制の選択によってのみでは説明できない、と主張します。宗教が共同体と世代を越えて伝わるのはなぜか、説明できないからです。ボイヤーによると、宗教にとって非常に重要な特性とは、最小限の反直感構造(minimally counterintuitive structure)です。つまり、宗教的な概念には、直感に反する要素が少しあるものの、あまり多すぎてはいけず、それがあることで記憶し伝達する気にさせる、というわけです。

 こうした副産物論者への批判としては、認知的説明に頼りすぎており、文化の役割を十分に考慮していないというものがある[Wilson 2002]。ただ批判はあるにせよ、副産物というニュートラルなとらえ方は保守的でもあり、支持されやすい。また宗教そもそもの起源についても説明しているのである。

(3)宗教は文化的に伝達される非適応的現象
 宗教は文化的に伝達される非適応的現象(cultural explanations)で、「maladaptive(不適応)」だとの見解です。宗教を文化として説明する論者たちは、宗教が人々に押しつける重大な対価を強調し、その非適応性を主張し、おもに文化進化とくにミーム理論に依拠します。ミームはもともとリチャード・ドーキンスの発案ですが、ボイヤーやアトランはミームという観点を拒否しています。他方でデネットはミーム理論を採用しますが、ミームも遺伝子と同じく淘汰圧にさらされる、と主張します。デネットは、宗教の非適応的側面だけでなく、適応的な面も指摘しました。ただ、ミーム論を宗教の説明に適用することについては、経験論的な支持がほとんど得られていません。総じて、副産物という第二の説明が今のところ最も支持を得ています。


参考文献:
山田仁史(2019)「宗教と神話の進化―集団間の動態におけるその役割」『パレオアジア文化史学:人類集団の拡散と定着にともなう文化・行動変化の文化人類学的モデル構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 21)』P41-46