アフリカの人口史

 アフリカの人口史に関する研究(Hollfelder et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アフリカは現生人類(Homo sapiens)の起源地として特定されており、それはアフリカにおいて人々の最も高い遺伝的多様性と深い分岐が見られることからも明らかです。初期現生人類の最古級の化石群がアフリカで発見されてきたという事実は、初期現生人類の進化におけるアフリカの重要性をさらに指摘します(関連記事)。初期現生人類のアフリカの化石記録は、大きな形態的多様性、および他の現生人類もしくは異なる種の今では絶滅した系統との共存の可能性を示します(関連記事)。

 アフリカにおける現生人類の複雑な初期の歴史は、現生人類がどのように出現したのか、深い分岐人口構造とその起源、アフリカにおける現生人類との深く構造化された集団および/もしくは古代型集団との遺伝的交換があったのかどうか、という問題を提起します。多様なアフリカの集団から利用可能なゲノムが増え、古代DNA配列が進めば、アフリカ人の遺伝的多様性に関してより多くの情報をしだいに得られ、これらのゲノムデータは、移住もしくは混合前の情報の提供により未知の系統もしくは遺伝的構成を明らかにでき、人口集団継続の指標を与えることができます。

 狩猟と採集は、新石器時代の移行と農耕および牧畜の出現前には、全現生人類の生活様式でした。ほとんどの狩猟採集民集団は、拡大する農耕民および牧畜民集団により置換されるか、現在狩猟採集生活様式を実践していたとしてもごくわずかで、アフリカを含む世界中のさまざまな地域に散在しています。現在、狩猟採集民集団のほとんどは、農耕もしくは放牧に適さない、熱帯雨林や砂漠のような地域に居住しています。その結果、狩猟採集民集団(およびそれを実践している個体群)の数は過去数千年で大きく減少してきており、それは農耕民と牧畜民の人口規模の拡大と増加に起因します(関連記事)。

 アフリカでは、狩猟採集民集団は南部および東部とコンゴ盆地で見られます。アフリカ南部では、狩猟採集民のサン人と、アフリカ東部の牧畜民と接触した後に牧畜生活様式を採用した牧畜民のコイコイ人が、農耕に適さない乾燥地域に居住しています。こうした人々は、他の点では無関係な5言語族に属する「吸着音(クリック)」が豊富な言語で構成されるコイサン語に対応して、まとめコイサン人と呼ばれています。アフリカ東部では、狩猟採集生活様式をまだ実践しているか、最近まで実践していたさまざまな集団が存在します。アフリカ東部の狩猟採集民(EAHG)は、アフリカの他の狩猟採集民集団よりも相互と遺伝的に密接に関連しています。さらに、ビアカ(Biaka)やバカ(Baka)やバコラ(Bakola)やベヅァン(Bedzan)やバトゥア(Batwa)やトゥワ(Twa)やムブティ(Mbuti)などの狩猟採集民集団が、赤道付近のアフリカ熱帯雨林に居住しています。これら熱帯雨林狩猟採集民(RHG)集団は、近隣の農耕集団の言語を採用してきました。アフリカにおける過去5000年の急速な拡大と、他の最近の移住は、サハラ砂漠以南のアフリカにおける深い人口構造のパターンを曖昧にし、亜赤道帯アフリカの大半は現在、バンツー語族話者のアフリカ西部系の人々が居住しています。

 アフリカにおける現生人類集団は8万年前頃の出アフリカ移住の前に階層化していた、と今ではますます認識されており、アフリカ南部および西部とアフリカ外へ拡大したアフリカ東部における単一の任意交配人口集団という見解は棄却されています(関連記事)。10万年を超える深い人口構造を調べるためには、完新世後半に到来した新たな集団の前に、該当地域に居住する集団の子孫を表す可能性がある、広い地理的範囲の人口集団の調査が必要です。狩猟採集民集団と古代の個体群のDNA標本は、最近の大規模な移住の混同要因により曖昧になっていないより深い人口史への洞察を提供できます。最近の混合は、たとえば、分岐年代の過小評価につながる可能性があります(関連記事)。

 また古代DNAは、現代人の遺伝子プールでは失われた遺伝的多様性の解明の可能性を提供します。ゲノム配列技術は急速に発達しましたが、アフリカのほとんどは考古学者により広範には調査されておらず、DNAは高温多湿の気候ではとくによく保存されない、という事実にも関わらず、現代の狩猟採集民の利用可能な全ゲノム配列と、アフリカの考古学的標本からのゲノム規模情報の数は近年急速に増加しています。2015年にアフリカ東部の最初の古代ゲノムが刊行されて以来(関連記事)、いくつかの古代アフリカ人標本のゲノム規模情報の回収に成功し、それは地理的にはアフリカ大陸全域や島嶼部にまで、時間的には15000年前頃にまで及んでいます(関連記事)。


●狩猟採集民の人口構造

 アフリカの高い遺伝的多様性は、おそらくは気候変動のために起きた孤立により形成された、深い人口構造の結果です(関連記事)。比較的高いアレル(対立遺伝子)の豊富さやヘテロ接合性やホモ接合性の短さや遺伝的多様性のさまざまな測定値は、アフリカで最も極端な値を示します。アフリカ人のゲノムは平均して、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)にさかのぼる系統を除いて、現代人全員の中で最も分岐した系統を有しています(関連記事)。アフリカの狩猟採集民集団は、最も遺伝的に多様な現代人集団で、最も基底的な片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)と(関連記事)、最も深い常染色体分枝を有している、と以前に示されてきました(関連記事)。

 さまざまな現代の地域的狩猟採集民集団間の遺伝的関係は、距離による孤立でモデル化でき、狩猟採集人口集団が、潜在的に重複する地域でつながり、より大きな地域に居住していた、と明らかになります(関連記事)。コイサン人と他のアフリカの狩猟採集人口集団間の、相互に分岐した後の遺伝子流動の指標があり(関連記事)、遺伝的交換が完新世まで続いたことを示唆します。たとえば、アフリカ南部のサン人集団とアフリカ東部の狩猟採集民との間には勾配のつながりがあるように見えます。現在のマラウイの先史時代個体群は、サン人集団およびアフリカ東部狩猟採集民との類似性を示しており(関連記事)、サン人的な系統はアフリカ東部の古代の個体群で検出されます(関連記事)。現在、アフリカ東部の狩猟採集民は、人口調査の規模が小さいため、低い有効人口規模を示します。

 現在知られている散在する人口集団につながる、かつて広範に存在し重複していた狩猟採集人口集団の縮小は、そのゲノムに痕跡を残しました。たとえば、多くの狩猟採集人口集団は、完新世に有効人口規模の増加を示さず、多くの他集団とは対照的です(関連記事)。現在、熱帯雨林狩猟採集民は周囲の農耕民よりも低い有効人口規模を示します。アフリカ南部のコイサン人は世界規模の比較で最高の遺伝的多様性を示す、と繰り返し指摘されてきており、これは、コイサン人の現生人類史の大半での大きな有効人口規模と、非コイサン人集団との混合に起因します(関連記事)。

 現代コイサン人集団につながる系統は、現代のアフリカ南部狩猟採集民の分布よりも広範な地域に居住していた可能性が高そうです(関連記事)。コイサン人の祖先はアフリカ南部の先史時代の大半においてこの地域唯一の居住者だった可能性が最も高い、との仮説が提示されています。コイサン人と他の全集団との間では、有効人口規模は30万~20万年前頃に異なり始めており、その時点で人口構造が存在し、その後に人口減少が続いて人口集団に異なる影響を及ぼした、と示されます。たとえば、サン人と熱帯雨林狩猟採集民は6万年以上前には他のアフリカ人集団よりも大きな有効人口規模を維持していましたが、コイサン人と熱帯雨林狩猟採集民を含む全集団は、この期間に人口減少を示します。

 アフリカ北部の人口集団は、深いアフリカの歴史を議論するさいに、よく除外されます。それは、アフリカ北部の人口集団がおもにユーラシア人系統を示し、サハラ砂漠以南のアフリカに分類される系統構成が多くないからです。しかし、15000年前頃にさかのぼるモロッコの化石標本に関する最近の古代DNA研究からは、アフリカ北部の当時の狩猟採集民の系統の大半は非アフリカ系で、最もよく適合するのはアジア南西部の14500~11000年前頃の文化であるナトゥーフィアン(Natufians)の担い手であるものの、系統の1/3はサハラ砂漠以南のアフリカ人に由来する、と明らかになりました(関連記事)。

 サハラ砂漠以南のアフリカ系統の構成要素は、アフリカ東部系統と西部系統の混合のようであるものの、明確な起源はなく、むしろ、アフリカ西部および東部両方の現代人と関連している標本抽出されていない人口集団に由来する可能性が高そうです。これらモロッコの個体群のうち新しい標本(7000~5000年前頃)は、経時的なサハラ砂漠以南のアフリカ系統の減少を示しており、この傾向はエジプトでも観察されました。このパターンは上部旧石器時代以降のマグレブにおける孤立から生じた可能性があります(関連記事)。非アフリカ系統が早期にユーラシアからアフリカに戻って来た混合事象に由来するのかどうか、あるいはアフリカ北部と非アフリカ系人口集団との間の長期の遺伝子流動があったのか、まだ解明されていません。


●現生人類進化のモデルと人口集団分岐年代の推定

 人類の進化史を分岐した樹としてモデル化し、分枝間の分岐年代を推定することは一般的です。系統樹は単純化されており、遺伝子流動など人口史の一部の特徴を欠いていますが、集団間の関係と集団間の相対的分岐を理解するのにモデルとして役立ちます。特定の事象の推定は通常、モデルの手法と仮定、基準パラメータ(たとえば、変異率や1世代の時間)、比較に用いられる個体群と人口集団の組み合わせにより異なります。あるいは、人類進化はメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)モデルで表すことができるものの(関連記事)、深い人類史の問題に対処するためのそうしたモデルはまだ稀です。

 図1は、高網羅率の常染色体ゲノムに基づく現生人類の人口史における、深い分岐の推定範囲の概観を示しています。連続マルコフ合祖(MSMC)およびMSMC2手法は、前者が分岐年代として交差合祖の中間点を使用するという事実に起因する可能性があり、系統的一致、頻度に基づく手法、ベイジアン計算分析(同じ変異率での再基準化後)に基づく推定よりも新しい年代となることに注意が必要です。しかし、分岐年代の順序は、異なる手法間であまり違いはなく、これは手法全体で一貫した集団形態を示します。

 コイサン人の祖先と残りの現代人の祖先との間の分岐は、34万(関連記事)~20万年前頃(関連記事)と推定されており、MSMCに基づくより新しい推定年代は16万~9万年前頃です(関連記事)。単純化した分岐系統樹を想定した次の事象は、熱帯雨林狩猟採集民の祖先と(コイサン人の祖先を除く)残りの現代人の祖先との間の分岐です。この分岐の推定年代は35万~7万年前頃までさまざまですが(関連記事)、一般的にコイサン人の祖先と他の現代人の祖先との分岐よりもずっと新しくなります。ハッザ人(Hadza)やサンダウェ人(Sandawe)のような狩猟採集民を含むアフリカ東部集団は、アフリカ西部人を含む他の全アフリカ人集団とは14万~7万年前頃に分岐しました。以下、本論文の図1です。
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 ほとんどの研究では、分岐点が現生人類間の最も深い分岐と明らかになっていますが、後述のように未知の集団の潜在的な影響を考慮に入れる必要があります。たとえば、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と完全なゲノムでは、コイサン人と他の全集団との間の最も深い分岐が繰り返し見つかっています。しかし、一部の研究では代替案が指摘されており、たとえば、カメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域に位置するシュムラカ(Shum Laka)岩陰遺跡の8000年前頃の人類遺骸(関連記事)に部分的に基づく、熱帯雨林狩猟採集民を含むひじょうに深い分岐、もしくはコイサン人とアフリカ西部人と熱帯雨林狩猟採集民との間の最も深い分岐としての3分岐です。8000年前頃のシュムラカ遺跡の1個体は、興味深いことにアフリカ西部人系統と熱帯雨林狩猟採集民系統の両方を示しました。この個体の分岐年代を推定すると、コイサン人とは35万~26万年前頃、アフリカ西部人および熱帯雨林狩猟採集民とは22万~12万年前頃と示されます(図2)。これにより、8000年前頃のシュムラカ遺跡個体を、コイサン人分枝、アフリカ西部人関連系統、熱帯雨林狩猟採集民系統(の混合もしくは共有系統の結果)として確実に位置づけられます。以下、本論文の図2です。
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 よく研究されていませんが、サン人の南北間の分岐の推定年代も、17万~3万年前頃と大きな範囲を示します。これは恐らく、距離による孤立モデルがこれらの集団間の関係をよりよく表しているかもしれない、という事実を反映しています。アフリカ西部および東部の熱帯雨林狩猟採集民の共通起源が示されており、その分岐は6万~4万年前頃と推定されています。これらの推定値は全てMSMC・MSMC2に基づいており、それは通常より新しい分岐年代を提供することに注意が必要です。


●絶滅系統からの遺伝子移入

 アフリカに関しては、古代型ホモ属(絶滅ホモ属)との混合の問題に再び関心が集まっています。非アフリカ系現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人やデニソワ人からの遺伝的影響は、現在では有力説と確立しています(関連記事)。遺伝子移入元の系統からの参照ゲノムを必要としない新たな手法と、より良好なゲノムデータにより、アフリカにおける絶滅系統からの遺伝子移入の問題を調査できるようになりました。こうした新たな手法は、ネアンデルタール人のゲノム解読前に現生人類とネアンデルタール人の交雑を推測でき(関連記事)、アフリカ系現代人における未知の系統の遺伝的痕跡(関連記事)や、アフリカ西部の現代人集団に見られる未知の人類系統の遺伝的痕跡(関連記事)を検出しています。

 アフリカにおける豊かな人類史を考えると、現代人へとつながる系統が、過去に現代人系統と分岐した人類集団と相互作用して混合した可能性があり、おそらくその系統は、ネアンデルタール人やデニソワ人と同じ頃(60万年前頃)に現代人系統と分岐しました。また、おそらく数十万年前もしくはそれ以降に現代人系統と分岐し、後に何らかの理由で絶滅した、異なる現生人類集団が存在した可能性もあります。そうした人口集団は、現代アフリカ人の主要な遺伝的祖先集団と混合したかもしれません。後者の事象は「ゴースト」人口集団からの遺伝子移入、前者は「古代型」遺伝子移入と呼べます。これら2つの遺伝子移入過程を分離する1つの方法は、現代人の中で最も深い分岐前(30万年前頃以前)の系統から分離した人類集団に関わるものが「古代型」遺伝子移入、30万年前頃以降に現代人と分離した絶滅現生人類に関わるものが「ゴースト」遺伝子移入、とそれぞれ定義することです。

 ネアンデルタール人と現生人類との混合に関してはすでに多くの研究がありますが、これはアフリカの人口史にも関連しています。アフリカ西部のヨルバ人は、ネアンデルタール人系統の割合が小さいと示されてきており、世界中の現代人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響の割合を推定するさいに、ネアンデルタール人と混合していない人口集団としてよく用いられてきましたが、新たな手法(IBDmix)を用いたその後の研究で、アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の割合は以前の推定よりも高い、と示されました(関連記事)。この研究では、平均して1個体につき1700万塩基対のネアンデルタール人配列が見つかり、そのうち94%は非アフリカ系現代人と共有されています。別の研究では、ネアンデルタール人およびデニソワ人と共有され、非アフリカ系現代人では存在しない古代型多様体がアフリカ西部現代人で見つかり、アフリカにおけるより大きな遺伝的多様性を反映しています。現代アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統は、ヨーロッパ人的な祖先集団のアフリカへの「逆移住」により説明できます(関連記事)。この想定は、ユーラシア系統の割合と相関するネアンデルタール人系統の割合を明らかにした他の研究(関連記事)により裏づけられます。

 上述のように、ネアンデルタール人のゲノムデータが公開される前でも、現代アフリカ人集団で深く分岐した集団からの遺伝子移入の兆候が検出されていました。この観察の可能性な説明は、これら他の人口集団は今では絶滅し、現代の人口集団にその遺伝的痕跡を残しているのみである、というものです。ネアンデルタール人とデニソワ人のゲノムデータ公開後の研究の進展により、ネアンデルタール人とデニソワ人は非アフリカ系現代人の古代型混合の全てを説明できるものの、現代アフリカの人口集団で観察される古代型混合の兆候を説明できない、と明らかになりました。この古代型集団を表す参照ゲノムが存在しないため、古代型およびゴースト遺伝子移入はよく、強く関連した祖先型多様体を含み、および/もしくは深い合着(合祖)年代を示す、ゲノムにおける分岐した領域として識別されます。この方法で識別された配列は、標本抽出されていない絶滅「ゴースト」人口集団に由来するか、過去の集団間の深い階層化を含む、いくつかの代替的な複雑な人口統計から生じるパターンを表しているかもしれません。しかし、これまでに提示された分析では、深い構造、古代型および/もしくはゴースト人口集団からの真の遺伝子移入、統計上の産物を区別することは困難です。

 表1で示されるように、「ゴースト」人口集団さらには「古代型集団」との混合は、さまざまなアフリカの人口集団の特別な多様性パターンを説明するために提案されてきました(関連記事)。古代型人口集団との交雑は頻繁に起きたものの、低水準だった、との仮説が提示されています。とくにアフリカ西部現代人では、古代型系統を有する、とよく識別されてきました。この兆候は、現代人の祖先とネアンデルタール人の祖先が分岐したのと同じ頃か、やや早い年代に分岐した、1つもしくは複数の人口集団に由来する、と示されてきました(関連記事)。

 古代型遺伝子移入への別の兆候もしくは代替的な説明はアフリカ西部現代人で提案されてきており、それは30万年前頃に分岐したゴースト人口集団からの遺伝子移入です(関連記事)。アフリカ西部における古代型もしくはゴースト人口集団からの混合の兆候は、アフリカ西部および東部人口集団へのコイサン人口集団の非対称的な関係と一致します(関連記事)。さらに、アフリカ全体における古代型系統の割合の違いから、人口構造は遺伝子移入の時点ですでに確立していたか、あるいはこの観察が上述した非アフリカ系集団からの遺伝子流動の結果かもしれない、と示唆されます。

 またいくつかの研究では、遺伝子移入配列は大きな有効人口規模の人口集団に由来し、それは自身が構造化された人口集団であることを示唆している、と提案されています。別の可能性は、大きな有効人口規模が異なる系統からの複数の遺伝子移入により形成され、古代型参照配列なしに区別することは困難である、というものです。残念ながら、アフリカにおける古代型もしくはゴースト遺伝子移入の多くの研究は少数の人口集団に焦点を当てており、および/もしくは推定に1つの手法しか用いていないので、識別された古代型もしくはゴースト遺伝子移入の影響は、まだ体系的な方法では現代人の主要な分枝全てにわたって比較することはできません。

 興味深いことに、多くの研究はアフリカにおける絶滅系統からの遺伝子移入に関してかなり最近の時期を特定しており、非アフリカ系人口集団と分岐した後にさえ遺伝子移入事象があった、と想定しています。これは、比較的最近まで古代型人口集団が存続していたことを示唆します。これは、10万年前以前に形態的多様性のほとんどが消滅したことを示す、化石記録からの観察とは対照的です。ただ、16300~11700年前頃と推定されているナイジェリアのイホエレル(Iwo Eleru)で発見された個体や、25000~20000年前頃と推定されているコンゴのイシャンゴ(Ishango)で発見された個体では、祖先的な形態的特徴が指摘されています(関連記事)。


●今後の展望

 まだ解決されていない問題の一つは、現生人類がどのように出現したのか、ということです。現生人類の起源もしくは出現が比較的長期間の進化的過程であることは明らかですが、いくつかの時間制限を設定することにより、現生人類の起源に関する問題を絞り込めます。現在から始まって過去にさかのぼると、現生人類間の最も深い分岐は30万年前頃となり、充分に発達した(行動と認知両方でその可能性が高い)現生人類(必ずしも解剖学的現代人ではありません)の存在の下限とみなせます。それは単に、この最初の分岐の(現存している)子孫集団が、確かに現生人類であるからです。現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との65万年前頃の分岐は、現生人類固有の特徴の発達の上限とみなせます。

 換言すると、これらの制約の使用により、現生人類がネアンデルタール人およびデニソワ人との共通祖先から分岐して、現在観察される人類の階層化の開始時期までに、固有の特徴をどのように発達させたのか、という問題を提起できます。そうした固有の特徴は、頻度変化や潜在的にはエピジェネティックな変化を含む遺伝的変化に制御されている可能性があります。アフリカにおける現生人類の起源に関しては、さまざまなモデルがあります。これらのいくつかには、(1)拡大し他の全ての人口集団を置換した単一起源説、(2)いくつかのアフリカ人集団(地理的には分離していた可能性が高そうです)がおそらくは孤立により深く階層化されていたとするアフリカ複数地域モデル、(3)1つの集団および地域からの拡大ではあるものの、一部の地域的継続および/もしくは古代型遺伝子移入を伴う、といった見解があります。

 化石の発見からの多様な形態と物質文化と遺伝学は、アフリカにおける現生人類の純粋に単一の起源を示唆しますが(関連記事)、散在した多様な人口集団からの散発的な遺伝子流動の可能性もあります(関連記事)。しかし、構造化されたメタ個体群のモデルが、現生人類の発達に重要な遺伝的多様体が人口集団間で同時に拡大することを可能としながら、階層化を引き起こす遺伝子流動に対する障壁をどのように維持するのか、明確ではありません。

 現生人類の複雑な可能性がある初期の歴史を解明することは、遺伝子流動や移住のさまざまな形態を含む後の事象が遺伝的兆候を歪めるかもしれないので、やりがいのある研究です。より複雑なモデル、より多様なデータ、より優れた統計手法により、単純な分岐モデルを超えて観察することや、アフリカの人口集団の複雑な人口統計を解明することや、上述したような現生人類の起源のモデルに関する情報を提供することができます。より多くのデータを収集するための努力はありますが、データ標本抽出における偏りが依然として見られます。とくにアフリカ南部は現在、現代人と古代人のゲノムデータの両方で大きな割合を占めます。充分に研究されていない地域からのより多くのゲノムデータと、古代DNA分析における可能な改善により、アフリカの先史時代の時空間的理解が洗練され、現生人類進化の初期の事象を解明できるようになるでしょう。


参考文献:
Hollfelder N. et al.(2021): The deep population history in Africa. Human Molecular Genetics, 30, R1, R2–R10.
https://doi.org/10.1093/hmg/ddab005