新石器時代アナトリア半島における親族パターンの変化

 新石器時代アナトリア半島における親族パターンの変化に関する研究(Yaka et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アジア南西部の新石器時代に出現した最初の完全に定住的な社会の社会組織は、おもに物質文化研究ではこの問題への洞察が限定されるため、よく分からないままです。しかし、新石器時代アナトリア半島の共同体はしばしば、死者を家庭用建物の下に埋葬したので、これらの遺骸を通じて世帯構成や社会構造を研究できます。

 本論文は新石器時代の2期間にわたる社会組織に焦点を当てています。先土器新石器時代は紀元前8350~紀元前7300年頃のアシュクル・ヒュユク(Aşıklı Höyük)遺跡と紀元前8300~紀元前7600年頃のボンクル(Boncuklu)遺跡(関連記事)に代表され(図1A)、アナトリア半島中央部では最初の定住共同体です。紀元前九千年紀において、これらの遺跡は小さな曲線の建物により特徴づけられ、アシュクル・ヒュユク遺跡とボンクルはおもに採集生活習慣を維持していました。その後の土器新石器時代共同体は、食料生産にますます依存するようになり、直線的で密集した建築を特徴とするより大きな集落に住んでいました。本論文では、この後の期間は紀元前7100~紀元前5950年頃のチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡と、紀元前6600~紀元前6000年頃のバルシン・ヒュユク遺跡(Barcın Höyük)に代表されます。

 この研究では、新石器時代のアシュクル・ヒュユク遺跡の30個体とチャタルヒュユク遺跡の60個体が調べられ、保存状態が悪くて古いため、それぞれ8個体(26%)と14個体(23%)で錐体骨から0.1%以上のヒトDNAが確認されました。これら22個体のゲノムの平均網羅率は0.01~5.0倍です。これらのデータは、既知のボンクル・ヒュユク(Boncuklu Höyük)遺跡9個体やバルシン・ヒュユク遺跡23個体やテペシク・シフトリク(Tepecik-Çiftlik)遺跡5個体のデータ(関連記事1および関連記事2)と組み合わされました。以下は本論文の図1です。
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●先土器時代から土器時代の遺伝的多様性の増加

 まず、人口集団水準で遺伝的関係が分析されました。主成分分析(図1B)、ADMIXTURE分析、遺伝的距離(FST)、f3およびD統計では、アシュクル・ヒュユク遺跡個体群とチャタルヒュユク個体群が、ボンクル・ヒュユク遺跡やテペシク・シフトリク遺跡やバルシン・ヒュユク遺跡個体群に代表されるアナトリア半島中央部および西部初期完新世遺伝子プール、およびボンクル遺跡の30km南方に位置するプナルバシュ(Pınarbaşı)遺跡の続旧石器時代アナトリア半島中央部の1個体(関連記事)に分類される、と示されます。この地域集団内で、テペシク・シフトリクを除く遺跡の個体群が、他の定住者と比較して同じ定住者の個体群とより最近の共通祖先系統を有する傾向にあるように、遺伝的に異なる共同体が識別されます。FSTとf3およびD統計でも、先土器新石器時代のアシュクル・ヒュユク遺跡とボンクル・ヒュユク遺跡の住民が、土器新石器時代人口集団と比較して、遺伝的に相互にひじょうに類似している、と示されます(図1C)。

 先土器新石器時代人口集団は、土器新石器時代集団よりも集団内の遺伝的多様性が低く(図1D)、ほとんどの土器新石器時代個体のゲノムよりも、短いROH(runs of homozygosity)のより高い割合を有していました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。多様性におけるこの一時的増加は、二つの排他的ではない想定、つまり人口増加と遺伝的混合により説明できます。

 D検定(外群、X、先土器時代アナトリア半島人、土器時代アナトリア半島人)ではXが早期完新世ザグロスもしくはレヴァント人口集団を表し、これにより、以前に提案されたように(関連記事)、紀元前7500~紀元前6500年頃におけるアナトリア半島中央部および西部への南部と東部からの遺伝子流動と適合する結果が見つかりました。qpAdmを用いると、土器新石器時代アナトリア半島人口集団は、約90%の先土器新石器時代アナトリア半島祖先系統と、約10%のレヴァント祖先系統の混合としてモデル化できます。とくに、人口集団の移動性増加の時期は、以下で説明されるように、食資源としての農耕および畜産へのより強い依存、より大きな建築物、想定される人口増加、想定される社会的組織のパターンにおける変化と同時代です。


●新石器時代の共同埋葬間の血縁関係の推定

 新石器時代アジア南西部の集落には、通常は世帯員の社会化に中心的役割を果たした家庭住居として解釈される建造物が含まれます。これらの社会はよく、両性の未成年と成人を含む死者を、人々がこれらの建造物で生活している間に、その下に埋葬しました。これらの埋葬は、遺伝的もしくは社会的親族関係を通じて、何らかの形で関係している世帯員だった、と一般的に仮定されてきました。しかし、家の床下に埋葬された個体が、単一の共住集団の一部としてそれらの建造物に必ず居住していたのかどうか、まだ明らかではありません。たとえば、同じ建物内に埋葬された個体間の食性の類似性の程度は、現時点では曖昧です。

 それにも関わらず、家庭建造物内もしくはその周囲の埋葬の集合体は、世帯構成および/もしくは埋葬慣行についての情報を有すると予測され、それはこれら早期新石器時代共同体内の組織原理としての遺伝的関連性の相対的重要性に光を当てるかもしれません。チャタルヒュユク遺跡に関する以前の研究では、歯の形態計測とミトコンドリアDNA(mtDNA)の分析から、同じ建造物内に埋葬された個体は遺伝的に密接に関連していないことが多い、と示唆されています。しかし、1ヶ所の遺跡に関して、どちらのデータでも正確な血縁関係を充分に識別できないため、この問題は未解決です。

 本論文では、新石器時代アナトリア半島共同体のゲノムデータを用いて、共同埋葬の関係の問題を再度検討します。信頼できる血縁関係を推測するため、さまざまな情報源が同時に用いられました。まず、遺伝的親族係数を推定するため、3通りのアレル頻度に基づく手法が採用されました。それは、NgsRelate とlcMLkinとREADです(図2)。次に、推定上の1親等の1組(たとえば、キョウダイや母と息子や父と娘)間のさまざまな血縁関係を区別するため、遺伝的に同一の0・1・2個のアレルを共有する確率(コッターマン係数k0・k1・k2)が用いられましたが、本論文のゲノムデータは低網羅率なので、この手法の有効性は制約されます。したがって、血縁関係を推測するために、常染色体およびX染色体の遺伝子座から推定される親族係数と、mtDNAのハプロタイプ共有と、骨格遺骸からの死亡時推定年齢と、放射性炭素年代が組み合わされました。

 最後に、血縁シミュレーションが実行され、低網羅率データを用いて親族係数推定の検出力が決定されました。さらに、陰性対照(negative controls)、つまり歴史的に密接な親族ではなかった可能性がある個体の組み合わせから得られた実データで、親族推定アルゴリズムの性能が調べられました。したがって、親族関係検定は、最低でも5000ヶ所の一塩基多型を共有する個体の組み合わせに限定されました。これにより、3親等(イトコ)までの遺伝的関連性の信頼できる推定が可能となります。3親等を超えて関連する1組は、本論文では「無関係」と呼ばれます。なお英語圏では、キョウダイが1親等(日本語では2親等)、イトコが3親等(日本語では4親等)となります。

 最終的なデータセットには、同じ遺跡内で埋葬された個体群の合計223組が含まれ、これらの個体群はほぼ同年代で、遺伝的関連性を確実に推定するのに充分なゲノムデータがありました。これらのうち、共同埋葬は32個体と50組で構成され、同じ建物もしくは建物群と関連する2~6個体の埋葬(つまり、共同埋葬)が含まれます。チャタルヒュユク遺跡とバルシン遺跡では、遺伝的に標本抽出された共同埋葬個体には未成年しか含まれていませんでした。重要なことに、これらの建造物の全ては、家庭での使用(たとえば炉床)の証拠があるか、体系的な非家庭的使用の証拠(たとえば、動物の囲いとしての使用)が欠けており、構造もしくは成功さの観点では、同じ層の他の建造物から逸脱していませんでした。以下は本論文の図2です。
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●先土器時代遺跡の共同埋葬の組み合わせには親族がよく含まれます

 アシュクル・ヒュユク遺跡のデータは、統計的に一貫した放射性炭素年代を示し、同時代に生きていた可能性がある同じ層の5人のゲノムを含んでいます。これらの個体は全員女性で、近接した2ヶ所の建造物に埋葬され、単一世帯により使用されていた可能性がある作業場を共有していました(図3A)。3通りの手法全てで、1親等の親族関係の2組が特定されました(図2A)。同じ建造物に埋葬された1組には、成人と子供(個体136と131)が含まれます。別の1組は別々ではあるものの近接した建造物に埋葬されており、老人と子供が含まれます(個体133と個体128)。遺伝的および骨格的証拠は、両方の組み合わせが姉妹であることを示唆しました(図2A~C)。しかし、親子関係の可能性を除外できません。個体128と同じ建造物に埋葬された成人女性(個体129)は、他の4個体の間で遺伝的に密接な親族がいませんでした。したがって、調査された個々の組み合わせのうちわずか(10組のうち2組)が密接に関連していましたが、調査された個体群の大半(5人のうち4人)は同じもしくは隣接する建造物で1人の近親者が特定されました(図2D)。

 ボンクル・ヒュユク遺跡のデータは、3ヶ所の建造物もしくは外部空間に埋葬された個体群の9点のゲノムで構成されています。このうち5個体が2ヶ所の隣接する連続した建造物で共同埋葬密集を形成します(図3B)。このうち1親等の2組が特定されました(図2A~C)。一方は母親と成人の息子(個体ZHFと個体ZHJ)で、同じ建造物(B14)に埋葬されました。その放射性炭素年代は1%の有意水準で異なり、女性が90%の確率で先に死亡した、と示唆されます。もう一方の組み合わせは、成人の男性と女性のキョウダイ(個体ZHBJと個体ZHAF)です。この2個体は隣接する連続した建造物(B12とB14)に埋葬されました。したがって、アシュクル・ヒュユク遺跡の場合と同様に、隣接する建造物の組み合わせと関連する大半の個体(5人のうち4人)で親族を特定できました。唯一の例外は、周産期の乳児(個体ZHAG)でした。興味深いことに、この乳児は成人女性(個体ZHAF)と同じ墓に埋葬されました。両者はmtDNAハプロタイプを共有していますが、成人女性とも他の調査対象個体とも密接に関連していませんでした。他の個体もこのデータセットでは親族がいませんでした。以下は本論文の図3です。
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●チャタルヒュユク遺跡とバルシン遺跡では建造物内埋葬では近親者は稀です

 チャタルヒュユク遺跡のデータには、複数の層序からの14個体のゲノムが含まれます。1個体を除いて全て未成年で、遺伝的に女性は10個体、男性は4個体と決定されました。紀元前七千年紀の3ヶ所の建造物に埋葬された未成年10個体は、3つの共同埋葬密集を構成します(図3C)。同じ建造物(B50)に埋葬された乳児と子供の姉妹(個体2728と個体2842)の単一の親族関係が特定されました(図2A~C)。この1組は、統計的に一貫した放射性炭素年代値を生成しました。他の検証された個体群の組み合わせは、どれも密接には関連していませんでした。したがって、これら3ヶ所の建造物に共同埋葬され、遺伝的に検証された個体では、10個体のうち2個体のみで遺伝的親族が特定されました(図2D)。

 バルシン・ヒュユク遺跡のデータには、複数段階(ViaとVIbとVicもしくはVId2/3)の23個体のゲノムが含まれます(図3D)。このうち10個体は3もしくは4ヶ所の建造物に埋葬されました。建造物B5と関連する未成年の姉妹(個体L11_213と個体L11_215)と、建造物B14/15と関連する2親等もしくは3親等の未成年の兄弟(個体M10_271と個体M10_275)の、2組の親族関係が特定されました(図2A~C)。この2組はともに、相互に近接して埋葬され、統計的に一貫した放射性炭素年代値を生成しました。建造物B4に埋葬された乳児を含む他の個体では密接な親族が特定されませんでした。したがってバルシン・ヒュユク遺跡では、10個体のうち4個体のみで親族が特定されました(図2D)。

 テペシク・シフトリク遺跡のデータには、2つの層からの合計5個体のゲノムが含まれます。同じ建造物(AY/AK)の異なる場所に埋葬された母親と息子の組み合わせ(個体37と個体21)の可能性が特定されました。この2個体は1%の有意水準で異なる放射性炭素年代結果を生成し、96%の確率で女性の方が先に死亡した、と示唆されます。


●共同埋葬の親族パターンにおける時間的もしくは年齢的変動

 分析対象の全ての新石器時代アナトリア半島の集落にわたる共同埋葬間の密接な遺伝的関係の複数事例の特定から、早期新石器時代の社会的取り決めや恐らくは世帯構成が、遺伝的結びつきとある程度関連していた、と示唆されます。長い間想定されていましたが、新石器時代の家に関連する社会集団内の遺伝的関連性は、本論文で初めて直接的に報告されます。これは、紀元前九千年紀と紀元前八千年紀初期のアシュクル・ヒュユク遺跡とボンクル・ヒュユク遺跡の証拠でとくに顕著で、先土器新石器時代の家の中でともに埋葬された集団間の密接な遺伝的親族関係の要素を示唆している、とみなせます。

 それにも関わらず、本論文の標本のかなりの割合は、遺伝的に無関係な個体とともに建造物に埋葬された個体(ほぼ全員が未成年)も含んでいました(32個体のうち半数、図3)共同埋葬間の遺伝的関連性は、紀元前七千年紀のチャタルヒュユク遺跡とバルシン・ヒュユク遺跡でとくに低く、共同埋葬の大半は識別可能な遺伝的に関連する親族を欠いていましたが、テペシク・シフトリク遺跡に関しては標本規模が小さすぎるので、一般的な結論には達しません。じっさい、特定された親族関係の有無の個体群の頻度は、アシュクル遺跡およびボンクル遺跡と、チャタルヒュユク遺跡およびバルシン・ヒュユク遺跡との間で異なっているようです。しかし、先土器時代と土器時代の時間的比較において、テペシク・シフトリク遺跡の共同埋葬された成人の組み合わせを含むと、違いは有意ではなくなります。

 さらに言及すべきなのは以下の2点です。まず、全ての年齢層がチャタルヒュユク遺跡とバルシン・ヒュユク遺跡の埋葬では考古学的に表されていますが、充分なDNAデータのある標本の中では、未成年の割合が高くなっています(チャタルヒュユク遺跡では14個体のうち13個体、バルシン・ヒュユク遺跡では23個体のうち16個体)。これは、少なくともチャタルヒュユク遺跡では、未成年遺骸でDNAの保存状態がより良好だったことに起因するようで、おそらくは埋葬時の扱いにおける年齢による違いの結果です。結果として本論文では、チャタルヒュユク遺跡とバルシン・ヒュユク遺跡では成人の共同埋葬が遺伝的には調査できませんでした。次に言及すべきなのは、チャタルヒュユク遺跡とバルシン・ヒュユク遺跡の建造物が、先土器新石器時代遺跡の建造物より大きく、より多くの被葬者を含んでいることです。

 チャタルヒュユク遺跡とバルシン・ヒュユク遺跡における比較的大きな建造物にともに埋葬された未成年間の密接な親族関係の頻度は興味深く、共同埋葬された未成年が本論文の手法では識別できない遠い親族だった可能性があるように、これらの建造物が拡大家族により使用された可能性があるのかどうか、という問題を提起します。したがって、f3統計に基づく遺伝的距離を用いて、より近接して埋葬された個体がより大きな遺伝的類似性を共有するのかどうか、検証されました。密接な親族を除外した後、チャタルヒュユク遺跡もしくはバルシン・ヒュユク遺跡のいずれにおいても、埋葬の組み合わせ全体で遺伝的距離と空間的距離との間に相関は見つかりませんでした。建造物間よりも建造物内で共同埋葬された個体間の全体的な遺伝的類似性が高いかもしれない、との仮説も検証されましたが、その証拠は見つかりませんでした。

 これらの結果は、新石器時代チャタルヒュユク遺跡の成人被葬者における埋葬位置と歯の類似性との間で有意な相関は見つからず、共同埋葬間で共有されるmtDNAの欠如が確認された、という以前の分析を裏づけます。ただ、これらの建造物と関連する全個体がそれら建造物の中に埋葬されてきたとは考えられないことに、注意が必要です。また、これらの建造物に埋葬された全個体が、本論文で標本抽出できたわけでもありません。それでも、特定された親族関係のない個体の存在から、共同体構成員の埋葬のための同じ建造物の選択が、他の要因の中でも、社会的つながりの追加の形態により動機づけられる可能性がある、と示唆されます。たとえば、学童期(juvenile)を含む共同埋葬は、「記憶と歴史の作成により結ばれた養子や里親や想像上の親族」が含まれていたかもしれません。

 したがって、これら後の新石器時代集落における共同埋葬とおそらくは世帯構成には、密接な遺伝的親族だけではなく、それよりも遠い遺伝的関係の親族も含まれていたかもしれません。じっさい、ボンクル遺跡の成人女性と乳児の女性は墓を共有しているものの遺伝的に無関係で、そうした伝統を反映しているかもしれません。したがって、新石器時代アナトリア半島において、共同埋葬パターンにおける遺跡間の違いが反映しているのは、時間的変化なのか、それとも成人と未成年の埋葬時の異なる扱いのどちらなのか、依然として不明です。


●性別と空間をつなぐさまざまな伝統

 別の一連の観察には、性別に関する埋葬パターンが含まれます。まず、ボンクル・ヒュユク遺跡では両性の密接に関連した成人の共同埋葬が、アシュクル・ヒュユク遺跡では成人と子供の姉妹の可能性の1組が見つかりました。本論文の標本規模は、決定的な結論に達するには限定的ですが、このパターンが、生涯のかなりの期間にわたって、象徴的もしくは居住的に、出生世帯との密接な関係を保持している成人女性と一致していることは、注目に値します。この想定は、少なくともボンクル・ヒュユク遺跡では、男性にも当てはまる可能性があります。

 次に、アナトリア半島新石器時代埋葬で観察された性別パターンは、ヨーロッパの新石器時代および青銅器時代で報告されたものとは異なっているようで、ヨーロッパでは男性の埋葬が顕著であり(関連記事1および関連記事2)、父系性が明らかで、たとえば複数墓地の研究において、21組の1親等の関係のうちも2組のみが女性の組み合わせでした(関連記事)。この割合は、1親等の関係7組のうち4組が女性同士となる本論文のデータとは異なります。この結果は、先土器新石器時代の関連する成人女性の共同埋葬と、紀元前六千年紀~紀元前三千年紀のヨーロッパの墓地における際立った父系的パターンとの間の対照と同様に、性的役割の違いが農耕の最初の採用後に強化された、という考えと一致します。一方、バルシン遺跡とチャタルヒュユク遺跡で特定された姉妹の組み合わせは両方とも未成年でした。この点で、土器新石器時代アナトリア半島の遺跡における父系的伝統は、以前に歯およびmtDNAのデータに基づいて示唆されたように、依然として可能性があります。

 要約すると、先土器新石器時代における推定される世帯間の密接な遺伝的つながりの存在に関する証拠に加えて、未成年の共同埋葬間の遺伝的つながりは、土器新石器時代のチャタルヒュユク遺跡とバルシン遺跡では低頻度だった、と明らかになりました。後者の慣行がいつどこで出現したのか、まだ正確に特定できませんが、アナトリア半島における先土器新石器時代から土器新石器時代への移行期に、生計および人口集団の移動性と並行して、遺伝的関連性は建造物内埋葬伝統の構造化において重要性を低下させていった、と考えるのが妥当なようです。


参考文献:
Yaka R. et al.(2021): Variable kinship patterns in Neolithic Anatolia revealed by ancient genomes. Current Biology.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2021.03.050

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