ヨーロッパ最古級となるチェコの現生人類遺骸のゲノム解析

 ヨーロッパ最古級となるチェコで発見された現生人類(Homo sapiens)遺骸のゲノム解析結果を報告した研究(Nyakatura et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。以下、放射性炭素年代測定法の最新の較正曲線(IntCal20)に基づいている年代(関連記事)は、その後に(IntCal20)と示します。

 4万年前頃前後以前のユーラシアの現生人類(Homo sapiens)のゲノムは、最近まで3個体分しか得られていませんでした。第一に、完全なゲノムデータが得られた、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃(IntCal20)となる男性の左大腿骨は、後のユーラシア人との遺伝的連続性を示しません(関連記事)。第二の個体は北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された男性個体で、ウスチイシム個体と対照的に、そのゲノムは、現代ヨーロッパ人よりも現代アジア東部人やアメリカ大陸先住民の方と密接に関連しています(関連記事)。第三に、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された39980年前頃(IntCal20)の現生人類標本「Oase 1」からは、部分的なゲノムデータが得られており、後のヨーロッパ人と共有される祖先系統の証拠を示しません(関連記事 )。しかし、Oase 1はこれまでにゲノム解析された他の現生人類よりも多くのネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)祖先系統を有しており(6~9%)、これは6世代以内にネアンデルタール人の祖先がいたことに起因します。


●ズラティクン

 本論文は、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群(図1)で1950年に他の骨格要素とともに発見されたほぼ完全な人類頭蓋のゲノム配列を報告します。全ての骨格要素は、洞窟群の頂上の丘にちなんで、ズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体に由来する、と明らかになりました。ズラティクンとは、黄金の馬(アハルテケ)という意味です。考古学的調査では、洞窟の石器と骨器は早期上部旧石器時代のものとされます。しかし、ズラティクンと関連する人工物は、特定の文化的技術複合に確定的に分類できませんでした。以下、本論文の図1です。
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 ズラティクンは当初、形態学的および層序学的情報と関連する動物相遺骸の種類に基づいて、少なくとも3万年前頃と考えられていました。さらに、前頭骨の左側の損傷は、ヨーロッパ中央部では24000年前頃に絶滅したハイエナにより噛まれた痕跡と解釈されました。直接的な放射性炭素年代測定結果は、15000年前頃と当初の推定よりずっと新しく、ズラティクンの仮想再構築を含む最近の頭蓋測定分析は、ズラティクンが最終氷期前の個体だったことを裏づけます。

 ズラティクンの頭蓋断片に改めて放射性炭素年代測定法が適用され、非較正年代で23080±80年前(較正年代で27000年前頃)と、以前の測定よりかなり古い値が得られました。前処理と限外濾過を用いた測定では、非較正年代で15537±65年前(較正年代で19000年前頃)と、より新しい値が得られました。これら3点の直接的なズラティクンの放射性炭素年代測定結果の大きな不一致は、ズラティクン標本がひじょうに汚染されており、放射性炭素年代が信頼できない可能性を示唆します。そこで、残ったコラーゲンからヒドロキシプロリンを抽出して骨からの化合物特異的断片の年代測定が試みられ、非較正年代で29650±650年前(較正年代で34000年前頃)との結果が得られました。しかし、これも汚染物質により実際よりも新しい年代値となっている可能性が高そうです。

 ズラティクンの側頭骨錐体部(DNAの保存状態が良好な部位とされます)からDNAが抽出されました。ズラティクンのミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はNで(図2a)、ヨーロッパで最古級となるブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の44640~42700年前頃(IntCal20)の個体群のうち2個体(BB7-240とCC7-335)と類似しています(関連記事)。ベイジアン年代測定では、ズラティクンの年代は95%最高事後密度(highest posterior density、略してHPD)で52600~31500年前頃(43000年前頃)と示唆されます。核DNAでは、124万ヶ所の一塩基多型を標的とし、合計で678000ヶ所の一塩基多型で少なくとも1回網羅されました。X染色体と常染色体の網羅率は同様の範囲を示し、形態に基づく性別判断と一致して女性と決定されます。


●ズラティクンと他の現生人類との遺伝的関係

 ズラティクンと現代および古代の個体群との関係を調べるため、アレル(対立遺伝子)共有に基づいて、要約統計量が計算されました。まずアフリカのムブティ人を外群として用いて、ヨーロッパおよびアジアの現代人とズラティクンとが比較され、ズラティクンはヨーロッパ人よりもアジア人とより多くのアレルを共有する、と明らかになりました。ズラティクンとアジア人とのより密接な遺伝的関係は、ヨーロッパ現代人と比較しての、ヨーロッパの上部旧石器時代の他個体および中石器時代狩猟採集民でも観察され、ヨーロッパ現代人における「基底部ユーラシア人」祖先系統により説明できます。基底部ユーラシア人とは、出アフリカ現生人類系統ではあるものの、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団とは早期に分岐し、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けなかった、と仮定されている集団(ゴースト集団)で(関連記事)、ヨーロッパ現代人において、ズラティクンとヨーロッパの上部旧石器時代および中石器時代と狩猟採集民との間で共有されていたアレルを「希釈」した可能性があります。

 基底部ユーラシア人祖先系統は、一般的にヨーロッパの狩猟採集民では確認されていませんが、コーカサスやレヴァントやアナトリア半島の古代狩猟採集民で見られます(関連記事)。古代および現代アジア人に対して、基底部ユーラシア人祖先系統を有さないヨーロッパの狩猟採集民を検証すると、これらの比較のいずれも、ズラティクンがどの集団ともより密接な関係を示唆しない、と明らかになりました。これは、ズラティクンがヨーロッパとアジアの人口集団の分岐前の基底部に位置することを示唆します。

 これまで、ズラティクンのようにヨーロッパ人とアジア人の分岐の基底部に位置するように見えるゲノム解析された古代人は2個体だけで、それは上述のウスチイシム個体とOase 1です。ズラティクンがウスチイシム個体と同じ人口集団に由来するのかどうか検証するため、ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡の34000年前頃となる個体群(関連記事)や、ヨーロッパロシアにあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された、38000年前頃の若い男性1個体(関連記事)など、他の古代ユーラシア狩猟採集民と比較して、ウスチイシム個体とのより密接な関係が検証されました。

 その結果、興味深いことに、ウスチイシム個体はズラティクンよりも後のユーラシア個体群とより多くの祖先系統を共有している、と明らかになりました(図2b)。これは、ズラティクンが、後にウスチイシムや他のユーラシア人口集団の起源となった人口集団から、より早期に分岐した人口集団の一部だったことを示唆します(図2c)。Oase 1のデータは限定的なので、ズラティクンとOase 1の人口集団が同じなのか、それとも異なるのか、明確にはできません。以下、本論文の図2です。
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●ネアンデルタール人との混合

 Oase 1のゲノムの約6~9%はネアンデルタール人に由来しますが、現代および古代のユーラシア人では1~3%程度です(関連記事)。ズラティクンにもネアンデルタール人からのより高い遺伝的寄与があるのかどうか検証するため、アフリカ人に対してネアンデルタール人と共有されるアレルの過剰としてネアンデルタール人祖先系統が計算され、アフリカ人に対してネアンデルタール人2個体間で予測される共有によりこの量が正規化されました。その結果、ズラティクンはネアンデルタール人祖先系統を3.2%有すると推定されました。これは、ゲノム規模データを有する上部旧石器時代6個体と中石器時代1個体では最高となります。しかし、この差は、7つの比較のうち5つで、2つの標準誤差の水準で有意ではありませんでした(図3a)。

 ゲノムにおけるネアンデルタール人祖先系統の分布を調べるため、高網羅率のクロアチアのネアンデルタール人個体(関連記事)がアフリカ現代人と大型類人猿外群の99.9%以上で見られない多様体を有する、常染色体上の430075ヶ所がまず決定されました。ズラティクンのゲノムの166721ヶ所のうち、4480ヶ所(2.7%)でネアンデルタール人由来のアレルが見られました。ズラティクンのゲノムのネアンデルタール人由来の領域は、高頻度(50%)で発生する区間に集まり(図3b)、このクラスタ化を用いて、ネアンデルタール人祖先系統の可能性のある区間が、隠れマルコフモデルで分類されました。ネアンデルタール人区間の1つは1番染色体上の大きな領域に含まれ、ここでは現代人においてネアンデルタール人祖先系統の証拠をほとんど若しくは全く示しません。これは、ネアンデルタール人祖先系統のこの「砂漠」が、ズラティクンの時代には完全に形成されていなかったことを示唆します。

 組換えは、長いネアンデルタール人区間を時間の経過に伴ってより短く断片化していきます。ズラティクンにおける祖先とネアンデルタール人との混合の年代へのさらなる洞察を得るため、アフリカ系アメリカ人もしくはdeCODE社のデータを用いて、ネアンデルタール人区間の長さが調整され、ズラティクンにおける長さが上位100番までの区間の遺伝的長さが、他の早期ユーラシア狩猟採集民と比較されました。その結果、ズラティクンは平均して他のユーラシア狩猟採集民全員よりも長いネアンデルタール人区間を有する、と明らかになりました(図3c)。

 組換えによりネアンデルタール人祖先系統が世代ごとにより短い区間に断片化されていくと仮定すると、ズラティクンではその70~80世代前の祖先でネアンデルタール人との最後の混合が起きた、と推定されます。対照的に、最近までゲノムデータが得られている最古の現生人類だったウスチイシム個体は、94もしくは99世代前にネアンデルタール人との混合が起きた、と推定されます。低網羅率のゲノムデータでの混合を推定できるソフトウェアのadmixfrog(関連記事)を用いると、一致する結果が得られました。以下、本論文の図3です。
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 ネアンデルタール人祖先系統区間の呼び出しとは無関係に混合年代を推定するため、遺伝的距離の増加につれてネアンデルタール人の情報源の状態が相関することに基づく、以前に公表された手法が適用されました。この手法では、ズラティクンでは63世代前、ウスチイシム個体では84世代前にネアンデルタール人との混合が起きた、と推定されました。

 現代人および古代人におけるネアンデルタール人祖先系統のほとんどは、おそらくはネアンデルタール人の1集団との共通の混合事象に由来します。そのネアンデルタール人集団は、シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)のネアンデルタール人(関連記事)よりも、ヨーロッパのネアンデルタール人(関連記事)の方と密接に関連しています。ズラティクンにおけるネアンデルタール人祖先系統が同じ関係を示すのかどうか検証するため、D統計が用いられ、高網羅率のゲノムデータが得られている、ヨーロッパのネアンデルタール人1個体とアルタイ山脈のネアンデルタール人1個体に加えて、既知の低網羅率のゲノムデータの後期ネアンデルタール人5個体(関連記事)との、アレルの共有が比較されました。その結果、ズラティクンは後期ネアンデルタール人とのアレル共有において、ウスチイシム個体と比較して有意な違いはないと示し、ズラティクンとウスチイシム個体におけるネアンデルタール人祖先系統の類似した割合と一致します。

 共通するネアンデルタール人との混合事象を想定すると、これらの結果から、ズラティクンは44380年前頃(IntCal20)のウスチイシム個体とほぼ同年代か、最大で数百年前の個体と示唆されます。しかし、以前に提案されたように、最初の共通のネアンデルタール人との混合の後に第二のネアンデルタール人との混合事象がウスチイシム個体に影響を与えた場合、ズラティクンはウスチイシム個体よりも数千年前の個体だった可能性があります。ズラティクンのゲノムデータでは、第二ネアンデルタール人との混合事象の裏づけは見つかりませんでした。


●まとめ

 4万年前頃前後以前のユーラシアの現生人類の遺伝的識別はほとんど知られていないままです。本論文では、チェコで発見されたヨーロッパの初期現生人類個体であるズラティクンが、現代のヨーロッパ人とアジア人が分岐する前に形成された人口集団の一部だった、と判断されました。大部分が保存された頭蓋を有するヨーロッパ最古の現生人類個体であるズラティクンの年代は、本論文では45000年以上前と推定されました。

 ウスチイシム個体およびOase 1と同様に、ズラティクンは4万年前頃以後の現生人類との遺伝的連続性を示しません。この不連続性は、39000年前頃のカンパニアン期のイグニンブライトの噴火と関連している可能性があります。この噴火は北半球の気候に深刻な影響を及ぼし、ユーラシア西部の大半のネアンデルタール人と初期現生人類の生存率を低下させたかもしれません。ただ、この噴火による影響にも初期現生人類は適応できた、との見解も提示されています(関連記事)。

 Oase 1やバチョキロ洞窟の個体群など、ネアンデルタール人との置換事象の前に存在したヨーロッパの現生人類が同じ人口集団に属していたのかどうか、これら旧石器時代個体群のさらなるゲノム規模データによってのみ解決できます。最近のバチョキロ洞窟個体群のゲノム解析からは、バチョキロ洞窟個体群とズラティクンとは大きく異なる人口集団に分類できそうです(関連記事)。したがって、ヨーロッパの初期現生人類の将来の遺伝的研究は、アフリカからユーラシアに拡大した後、非アフリカ系現代人の各地域集団に分岐して拡散する前の初期現生人類の歴史の復元に役立つでしょう。


 以上、本論文についてざっと見てきました。チェコで発見された現生人類遺骸であるズラティクンの年代は、直接的な測定ではなく遺伝的データに基づいているので、確定的とは言えませんが、45000年以上前である可能性が高そうです。この年代は、ブルガリアのバチョキロ洞窟個体群と近いものの、上述のように両者の遺伝的構成は大きく異なっており、ズラティクンは、ウスチイシム個体の人口集団よりもさらに前に非アフリカ系現代人系統と分岐した、現代人にはほとんど遺伝的影響を残していない人口集団に属するのに対して、上限では44640年前頃(IntCal20)までさかのぼるバチョキロ洞窟の初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)個体群は、ユーラシア西部現代人よりもアジア東部現代人の方と遺伝的に密接に関連しています。

 ズラティクンもウスチイシム個体も、現代人にはほとんど遺伝的影響を残していない人口集団に属する点では同じですが、両者は異なっており、出アフリカ初期現生人類集団の中には、現代人にほとんど遺伝的影響を残していない集団も珍しくなかったというか、むしろ現代人の主要な直接的祖先となった集団はごく一部だった、と考えるべきなのかもしれません。また、ズラティクンには、非アフリカ系現代人全員の共通祖先の時点でのネアンデルタール人との交雑以外に、ネアンデルタール人との混合の痕跡は見つかりませんでしたが、近い年代のバチョキロ洞窟IUP個体群では、6世代前未満のネアンデルタール人との混合が推定されています。

 ヨーロッパにおいて、ネアンデルタール人と現生人類とが遭遇した場合は、混合が珍しくなかったかもしれませんが、現生人類がヨーロッパに拡散した頃に、ネアンデルタール人が衰退過程にあったならば、両者の遭遇機会はさほど多くなく、それがズラティクンとバチョキロ洞窟IUP個体群との違いの要因かもしれせん。48000年前頃のハインリッヒイベント(HE)5における寒冷化・乾燥化によりネアンデルタール人は減少した、との見解も提示されています(関連記事)。初期現生人類のゲノム規模データはまだ少ないものの、バチョキロ洞窟IUP個体群など蓄積されつつあり、現生人類拡散の経路や年代の解明も進んでいくのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化:ヨーロッパで最古の現生人類に関する解明が進んだ

 約4万5000年前のものとされるヨーロッパで最古の現生人類の骨の化石のゲノム解析が行われ、ヨーロッパにおける初期人類の移動に関する新たな知見が得られたことを報告する2編の論文が、それぞれNature とNature Ecology & Evolution に掲載される。これら2つの研究は、ヨーロッパにおける初期現生人類集団の複雑で多様な歴史を描き出している。

 ヨーロッパで最古の現生人類の骨の化石は、ブルガリアのバチョキロ洞窟で発見され、放射性炭素年代測定法によって4万5930~4万2580年前のものと決定された。この最古の現生人類集団が、約4万年前まで生存していたネアンデルタール人とどの程度交流していたのかは解明されておらず、その後の人類集団にどのように寄与したのかについても、ほとんど分かっていない。

 Nature に掲載される論文では、Mateja Hajdinjakたちが、バチョキロ洞窟で採集された人類標本の核ゲノム塩基配列の解析が行われて、これらの人類個体の祖先についてと、これらの個体と現代人の関係についての手掛かりが得られたことを報告している。最古の3個体は、西ユーラシアの現代人集団よりも、東アジア、中央アジア、アメリカ大陸の現代人集団と共通の遺伝的変異の数が多かった。また、これら3個体のゲノムに占めるネアンデルタール人のDNAの割合は3~3.8%であり、これら3個体のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝物質の分布から、わずか6世代前かそれより近い世代の祖先がネアンデルタール人であったことが示された。これらのデータは、現生人類とネアンデルタール人の交雑が、これまで考えられていたよりも頻繁だった可能性のあることを示唆している。

 Nature Ecology & Evolution に掲載される論文では、Kay Prüferたちが、チェコのZlatý kůň遺跡から出土した4万5000年以上前のものと考えられる女性の現生人類の頭蓋骨化石のゲノム塩基配列解析結果を報告している。Prüferたちは、この人類個体が、ゲノムに占めるネアンデルタール人のDNAの割合が約3%で、その後のヨーロッパ人集団、アジア人集団のいずれにも遺伝的に寄与していないと思われる集団に属していたことを明らかにした。この頭蓋骨化石は、汚染のために放射性炭素年代測定には失敗したが、ネアンデルタール人に由来するゲノム中のDNA断片が、他の初期現生人類個体のゲノムのそれよりも長かったため、この個体は4万5000年以上前に生存しており、アフリカから各地に広がった後のユーラシアにおける最古の現生人類集団の1つに属していたことが示唆された。

 以上の知見を総合すると、ヨーロッパにおける人類集団の交代が連続的に起こったとする従来の学説が裏付けられる。



参考文献:
Prüfer K. et al.(2021): A genome sequence from a modern human skull over 45,000 years old from Zlatý kůň in Czechia. Nature Ecology & Evolution.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01443-x

楊海英『内モンゴル紛争 危機の民族地政学』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2021年1月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は地政学的観点から、モンゴルと中国との関係を検証していきます。本書は、アジア内陸部を含むユーラシア中央部が、人類史において大きな役割を果たしてきた、と指摘し、アジア内陸部でも農耕地帯と接する内モンゴル(モンゴル南部)の重要性を強調します。漢字文化圏の日本では伝統的に、漢字文献が豊富にある「中国」を重視し、アジア内陸部も含めてユーラシア中央部(内陸部)の歴史的役割が軽視され、さらには漢字文献に見えるアジア内陸部への偏見も多分に受け継がれてきたように思います。こうした状況は、日本の研究者の一連の一般向け書籍により変わってきつつあるように思いますが、まだアジア内陸部への過小評価や偏見には根強いものがあるように見えます。その意味で、本書の意義は小さくないでしょう。

 ユーラシアにおける影響力拡大を意図している中国にとって、内モンゴルはユーラシア内陸部への侵出の足掛かりとなる重要地域なので、その安定した統治が必要となります。内モンゴルの地政学的重要性を強調する本書は、内モンゴルが国際情勢に翻弄されたことを指摘します。内モンゴルの動向にとくに大きな影響を与えたのは、ダイチン・グルン(その後は中華民国)、ロシア(その後はソ連)、日本といった周辺大国でした。このうち、第二次世界大戦後に日本が敗戦により脱落し、中華民国から中華人民共和国(共産党政権)へと交代して、中国とソ連の狭間で内モンゴルは翻弄されます。

 モンゴルは冷戦期に、北部がソ連の事実上の衛星国家ながら一応は独立国家だったのに対して、南部は内モンゴルとして中華人民共和国の支配下に置かれました。同じ民族ながら北部とは異なる国家に支配されたモンゴル南部に対する中華人民共和国支配層の視線は、その民族主義的傾向や漢字文化圏における伝統的な遊牧世界への蔑視もあり、たいへん厳しいものでした。そこへ中ソ対立が激化していったので、内モンゴルに対する中国共産党政権の視線はさらに厳しくなりました。本書は、内モンゴルが中華人民共和国に支配されて以降、文革期を中心に過酷な弾圧があったことを指摘します。

 本書は、ダイチン・グルン期に始まった、漢人(中国人)による内モンゴルの破壊を批判します。それは自然環境の側面では、農耕に適さず、遊牧が行なわれてきた草原で漢人入植者が農耕を始めて、環境破壊が進んだことです。これは、遊牧が農耕よりも劣って遅れている、との漢人側の根強い偏見のためだった、と本書は指摘します。これと強く関連しているというか、同根の問題が、昨年(2020年)以降大きな問題となっているモンゴル語教育の減少など、モンゴル文化の抑圧です。これらの内モンゴル抑圧は中華人民共和国だけの問題ではなく、前近代の中華文化から継承されてきたモンゴル文化への偏見だった、というのが本書の見通しです。

 著者は内モンゴルで迫害されているモンゴル人なので、他の著書と同様に、本書も中華人民共和国(共産党政権)を厳しく糾弾する論調となっています。本書も誇張したり偏ったりしているところはあるかもしれませんが、内モンゴルを地政学的観点で位置づけ、内モンゴルを支配する中国や周辺諸国との関わりで解説する構成は興味深いものだと思います。その他に、私も小学生の頃に教科書で読んだ『スーホの白い馬』が、中国共産党政権の「階級闘争論」の影響を受けており、モンゴル人の視点からは、モンゴルの歴史を実態以上に貶めている問題のある内容になっている、とのオリエンタリズム批判の観点からの指摘も興味深いものです。