池谷和信「アジアの新人文化における装身具について―マレー半島の狩猟採集民の事例」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究B01「アジア新人文化形成プロセスの総合的研究」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P1-4)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 初期現生人類(Homo sapiens)の象徴行動(symbolic behavior)のうち、顔料の使用や副葬品による埋葬などとともに、ビーズの存在が一つの指標として注目されてきました。これまで、アジア・アフリカにおける更新世の各地の遺跡から様々な素材のビーズが報告されています。イスラエルの海岸部のスフール(Skhul)洞窟では巻貝やムシロガイ、内陸部のカフゼー(Qafzeh)洞窟では二枚貝、アフリカ東部の内陸部の遺跡ではダチョウの卵殻、インドネシアのスラウェシ島ではバビルサの骨などです。中部旧石器時代のレヴァントにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の行動様式には共通点が多く見られますが、違いの一つは貝製ビーズの利用で、現時点で現生人類の洞窟遺跡でしか見つかっていない、との指摘もあります(関連記事)。

 しかし、数万年前の先史狩猟採集民を対象にした考古学的ビーズ研究では、その年代やビーズの素材は明らかになりますが、誰が身に着けたのか、どのように入手し、どのような役割があったのか、把握することは困難です。本論文は、現存する狩猟採集民のなかでビーズの素材や製作技術や利用と役割についての基礎資料を提示します。著者はこれまで、ボツワナのカラハリ砂漠のサン人およびタイ南部のマニ人という二つの狩猟採集民社会で、人類のビーズ利用に関して民族考古学やエスノヒストリー調査を実施してきました。本論文では、マレー半島に位置するタイ南部のマニ人集落の調査結果が報告されます。マニ人はオラン・アスリ(マレー半島の先住少数民族)の北部集団に分類されます。現在マニ人は、定住化した集団と半定住化した集団と遊動している集団に分類され、調査地は遊動している集団の事例です。

 キャンプAでは、5事例が報告されています。事例1では、成人女性は細長い黄色の筒と3 個と黒の玉を半分にしたもの2 個を組み合わせていました。黄色の筒は動物(ジャコウネコ)の骨、黒色の球形は植物の実です。彼女がなぜそれらを選んだのか、不明です。また、なぜ複数の素材を組み合わせたのも不明です。ただ、動物の骨は同じキャンプの狩猟者からもらい、植物は自分が採集した、との情報が得られました。事例2では、成人女性が3 種類の異なる素材を使っています。上述と同じ木の実が1 個、木の根が3 個、アルマジロの甲羅の破片が1 個です。部材の合計の数は5 個で、素材は事例1 と比較してさらに多様になっています。事例3では、子供男性が2 個の黄色の骨に1 個の木の根を組み合わせています。事例4では、子供男性が2 個の木の根のみを身に着けています。事例5では、1 個の木の根と2 個のプラスティク製のものを身に着けています。キャンプBでは、1事例が報告されています。事例6では、成人女性が15 個の部材を身に着けていました。12 個が上述と同じ木の実で、2 個がアナグマ(Hog badger)の歯から構成されています。キャンプ内では肉が食用にされて、犬歯の部分が装身具に使われています。この二つのキャンプの事例から、この地域のビーズの素材として、植物の実や根や骨や歯が利用されている、と明らかになりました。

 これらの事例では、ビーズを身に着けていたのは成人女性と子供で。成人男性の事例は見いだせませんでした。これは、著者が現地で観察したカラハリの狩猟採集民の事例ともよく類似しています。成人女性は、ダチョウの卵殻や木の実やガラスなどの素材のビーズを、首のみならず頭飾りとしても利用していました。子供の場合は、誕生後に手首などに着けられます。一方で、キャンプのなかのすべての女性がビーズを見に着けているわけではありません。両キャンプのビーズを比較すると、数の違いはありますが、木の実の利用が広く共通して見られました。同時に、誰一人として同じ素材を組み合わせる人はいなかった点が注目されます。ここから、ビーズは人々の美しさのためだけではなく、自らの個性を示すものであり、よい匂いなどの目的のために身に着けている、と分かりました。

 素材は、植物の実や根や動物の骨でした。これに、貝類の素材を加えることからビーズの製作技術について考えてみると、まず、貝類のなかでは人の手を加えることなしに穴があくものもあります。また動物の骨は、なかに空洞が見られるので、その中に糸を通すことが可能である。一方、木の実や根茎は穴を開けるための道具が必要です。それに使用されたのは、動物の角や石器などの可能性が高そうですい。これに対して、ダチョウの卵殻には、これらの素材との比較ではあるものの、かなりの労力が必要になってくると推定されます。

 他地域の事例として、カメルーン南東部の森林地域で暮らすピグミーの場合には、森の産物を用いたビーズを身に着けています。子供が産まれると、親は「赤子が早く歩き出すように」、「災難から守ってくれるように」と願いを込めて、森で見つけた木の実や枝、野生動物の骨や角に穴を開け、首やお腹や手首に巻きつけます。また、ピグミーが重い病気の時のみ、呪術が込められたお守りとしてのビーズが知られています。

 以上のようなことから、以下のようにまとめられます。ビーズを身に着ける目的に関して、当初は、自らの美しさのため、よい匂い、魔除け(ピグミーの事例、呪術的意味)などのために、植物や動物の素材をビーズに使用していた段階(マニの事例)があった、と推測されます。続いて、ダチョウの卵殻や貝の首飾りのように製作や交易に労力を費やすものが生まれ、集団間の社会関係や集団のアイデンティティのために用いられるようになった段階(サンの事例)に変化した、と推定されます。

 考古資料と民族誌資料との関係について、民族誌の事例では、素材の組み合わせにより作られた首飾りが知られていますが、初期人類の考古資料からは見つかっていません。これには、植物製の素材が残りにくいことも関与しているかもしれません。本論文の報告では、個々のビーズが他地域から伝播したものなのか、個々に独立発生したものであるのか、充分十分に区別できていません。ビーズの民族誌は、どのような点で考古資料の解釈に有効であるのか否か、今後の課題として残されています。


参考文献:
池谷和信(2021)「アジアの新人文化における装身具について―マレー半島の狩猟採集民の事例」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 35)』P1-4

恐竜の鳥類に似た特徴の起源

 恐竜の鳥類に似た特徴の起源を指摘した二つの研究が報道されました。日本語の解説記事もあります。一方の研究(Hanson et al., 2021)は、非鳥類型恐竜・ワニ類・鳥類を含む主竜類群の絶滅種と生存種を対象にその内耳構造を調査し、半規管と蝸牛の形が二足歩行・四足歩行・飛行といった運動能力と高周波音を聞く聴力に関係する、明確なパターンを発見しました。この研究は、これらの分析により恐竜の飛行能力を示す最古の例が示されたとともに、最古いと考えられる親子間の口頭伝達も明らかになった、と指摘します。

 もう一方の研究(Choiniere et al., 2021)は、獣脚竜の生存種と絶滅種を対象に内耳と視覚系の状態を調査し、フクロウのような夜間の捕食に必要な聴覚と視覚の適応は、とりわけ後期白亜紀のアルヴァレスサウルスでは、早い時期に進化したことを発見しました。この発見は、夜間活動のための恐竜の感覚適応は現代の鳥類の登場のかなり前に個々に進化したことを示唆しているとともに、これらの特徴が非鳥類型恐竜・鳥類・哺乳類の間で何百万年もの時間をかけて収斂したことを実証しています。

 絶滅種124種と生存種91種を対象とした内耳構造と眼球を支える強膜輪に関するこれら二つの研究により、恐竜の感覚器官の生態と、飛ぶ・夜間に狩りをする・子供の甲高い鳴き声を聞くといった能力を含む行動の進化について、新たな知見が得られました。これら二つの研究では最先端の画像技術と高度な統計分析が活用されており、これまで調査の届かない部分だった、器官内部の構造の多くの特徴と子育てや日常の活動パターンといった習慣との確かな関連性が示されました。


参考文献:
Choiniere JN. et al.(2021): Evolution of vision and hearing modalities in theropod dinosaurs. Science, 372, 6542, 610–613.
https://doi.org/10.1126/science.abf1667

Hanson M. et al.(2021): The early origin of a birdlike inner ear and the evolution of dinosaurian movement and vocalization. Science, 372, 6542, 601–609.
https://doi.org/10.1126/science.abe7941

アフリカ南部内陸部における中期石器時代の革新的行動

 アフリカ南部内陸部における中期石器時代の革新的行動に関する研究(Wilkins et al., 2021)が公表されました。アフリカ南部沿岸地域における考古学的発見は、現生人類(Homo sapiens)を特徴づける複雑な象徴的および技術的行動の出現に関する知識を変えました。特定の種類の象徴的物資の製作と使用は10万年前頃までさかのぼり、南アフリカ共和国のブロンボス洞窟(Blombos Cave)における顔料処理道具一式と線刻のあるオーカー小瘤を含みます。同じ頃、南アフリカ共和国のピナクルポイント(Pinnacle Point)洞窟13B層とクラシーズ川(Klasies River)主遺跡のヒトは、斬新で非実用的な物(非食用海洋性貝)を集めており、おそらくは象徴的慣行の構成要素でした。

 南アフリカ共和国西ケープ州のディープクルーフ岩陰(Diepkloof Rockshelter)遺跡(関連記事)では、装飾されたダチョウの卵殻(OES)の廃棄された断片が、ハウイソンズ・プールト(Howiesons-Poort)様式の人工物と関連して発見され、最初期の装飾されていないダチョウの卵殻の根名題は105000年前頃です。現在、アフリカ南部のこれらの遺跡は全て沿岸にありますが、過去には異なっていたでしょう。しかし、過去12万年間の最も極端な氷期においてさえ、海岸はこれらの遺跡から100km以上離れていませんでした。アフリカ南部の内陸部では、保存状態が良好で堅牢な年代の得られている層状遺跡は稀で、その結果、内陸部人口集団の役割を軽視する、沿岸部遺跡への強い偏りが生じます。


●GHN遺跡

 ガモハナ丘(Ga-Mohana Hill)はカラハリ盆地南部にあり、南アフリカ共和国のクルマン(Kuruman)の北西12km、最も近い現代の海岸から665kmに位置します(図1b)。GHN(Ga-Mohana Hill North Rockshelter)遺跡は、2ヶ所の主要な岩陰といくつかの小さな張り出しのうち最大のもので、古原生代にさかのぼる苦灰石のガモハーン層(Gamohaan Formation)内に位置します。合計4.75㎡の3ヶ所の岩陰が発掘され、最大深度1.7mにまで達し、中期石器時代と後期石器時代の一連の層状堆積物が明らかになりました。

 約10cmの緩い表面堆積物の下に、「暗褐色の砂利沈泥(シルト)」、「橙色の灰質沈泥」、「暗褐色の沈泥とルーフスポール(DBSR)」と呼ばれる3つの層序学的集合体が見つかりました。ルーフスポール(roofspall)とは、洞窟や岩陰の屋根や壁からの破片です。報告された出土品(2128個)の傾きと方向性は、これらの人工物がほぼ主要な文脈にあったことを示唆します。これら3層それぞれの石英単一粒光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代測定の結果、暗褐色の砂利沈泥層は14800±800年前、橙色の灰質沈泥層は30900±1800年前、暗褐色の沈泥とルーフスポール(DBSR)は105300±3700年前との結果が得られました。

 本論文は、これまでの発掘で最も深い堆積物となる、A地区のDBSRに焦点を当てます。DBSR表面から1.6m下の標本の追加のOSL年代は105600±6700年前で、これは以前の推定と一致しており、DBSRの年代の新たな加重平均は105200±3300年前です。DBSRの剥片石器群は中期石器時代石器群の典型で、石刃や尖頭器や調整石核により特徴づけられます。これらの石器群は、地元で入手可能な燵岩(42%)と凝灰岩(28%)と縞状鉄鉱石(26%)で製作されました。DBSRでは赤色オーカーの大きな断片も回収されました。これには2つの平らな表面の形で使用の証拠があり、そのうち一方には、浅い平行の条線がありました。以下は本論文の図1です。
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●方解石結晶

 DBSRでは22個の未加工の方解石結晶が発見されました。結晶は半透明の白い菱面体で、規則的で整った小面を有し、最大長は0.8~3.2cmです(図1a)。結晶は自然の過程により外部から堆積物にもたらされたわけではありません。DBSRの人工物は水平に積み重なった堆積物内に平らに置かれており、方向性はありません。石膏など続成作用のカルシウム鉱物は、骨の保存を破壊する微結晶集合体として考古学的堆積物に形成されますが、これらはDBSRの方解石結晶(大結晶であり、骨の保存を破壊しません)とは異なります。

 DBSRの方解石結晶は岩陰の壁や天井には由来しません。刀身のある方解石結晶はガモハーン層では鉱脈として自然に発生しますが、それらは小さすぎて(最大長寸法0.5cm未満)形が不規則なので、考古学的結晶の供給源にはなりません。岩陰の壁もしくは天井、あるいはこの研究で集中的に調査されたガモハナ丘の地域内には、形の整った白い半透明の結晶は自然には存在しません。方解石結晶の供給源として可能性があるのはGHN遺跡の南東2.5kmに位置する低地の苦灰石の丘で、大きな菱面体の方解石結晶の形成と豊富な石英結晶が観察されました。これは結晶には地元の供給源があることを意味しますが、その自然的発生は稀です。

 DBSRの方解石結晶はいずれも、意図的な加工の兆候を示しません。方解石はモース硬度3と柔らかく、貝殻様には割れないので、これらの結晶が石器の原料としてGHN遺跡に運ばれた可能性は低そうです。結晶の分布は限られており、大半は2ヶ所の区画(0.5㎡)で回収され、垂直方向の分布は15cm未満だったので、別々の貯蔵物として堆積された、と示唆されます。結晶のサイズは、上層の中期石器時代および後期石器時代層のものと類似しています。したがって、DBSRで発見された方解石結晶は、意図的に収集された非実用的な物体の小さな貯蔵物を表している、と考えられます。

 結晶は中期石器時代アフリカ南部を含む世界中の多くの期間で、精神的信念や儀式と関連づけられてきました。結晶は、アフリカ南部の完新世および更新世の文脈で知られていますが、確実に8万年以上前の堆積物からの結晶群はまだ報告されていません。したがって、105000年前頃となるGHN遺跡における非実用的な物の収集は、アフリカ南部沿岸における非食用海産貝の収集慣行と同年代です。


●ヒトが収集したダチョウの卵殻

 DBSRで42個のダチョウの卵殻(OES)が発見されました。OESを構成する断片は細かく、平均最大断片長は11.3mmです(5.3mm~25.7mm)。いくつかの証拠はOESの起源が人為的であることを裏づけます。第一に、断片は保存状態良好な岩陰遺跡内で発見され、他の多くのヒトの活動の痕跡と直接的に関連しています。第二に、OES断片は燃やされた証拠を示します。OES断片の80%以上に赤色が着いており、これは300~350℃の温度に曝されたことを反映しています。第三に、GHN遺跡における動物相遺骸の蓄積の主因はヒトで、ダチョウの卵を食べるハイエナや他の動物が存在した証拠はありません。

 DBSRの動物考古学的資料の識別可能な断片は、有蹄類とカメの遺骸が優占します。化石生成論的分析は、人為的打撃痕と解体痕の高頻度を示し、動物標本のほとんどには中程度の燃焼の証拠があります。民族誌的観察では、OESは効率的な貯蔵容器の製作に用いることができる、と示唆されており、それは初期のヒトにとって重要な革新を表しています。なぜならば、そうした容器は水や他の資源の輸送と貯蔵に仕えるからです。OES容器の証拠は後期石器時代では一般的で、この技術はアフリカ南部沿岸の遺跡では長い年代を経ており、中期石器時代となる105000年前頃までさかのぼります。ヒトが収集したOES群はカラハリ砂漠の比較可能な文脈で報告されており(図2)、GHN遺跡におけるヒトが収集したOESの出現は沿岸部と同年代である、と示されます。以下は本論文の図2です。
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●古環境的背景

 ガモハナ丘の証拠は、本論文の調査結果の古環境的背景への重要な洞察を提供します。ガモハナ丘には石灰華の蓄積や水溜りや小滝や堰や角礫岩の堆積物が豊富にあり、過去には浅い水溜りや水の流れがあったことを示しています。小滝形成のいくつかの段階は、苦灰石に対してはその場、崩壊した塊としては外側と、GHN遺跡の両側で起きました(図3)。外側のコアからは5点のウラン・トリウム年代値が得られ、その年代範囲は113600~99700年前頃でした。この半連続的石灰華形成は、丘の中腹を流れる豊富な水を示唆します。これはカラハリ盆地の他の古気候記録と一致しており、マカディカディ(Makgadikgadi)盆地の巨大湖の高台の年代はOSLでは104600±3100年前で、カサパン6 (Kathu Pan 6)の堆積物は湿地環境と関連していると解釈されており、OSLでは100000±6000年前となります。以下は本論文の図3です。
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 現代の気候データは、気候変化の過去の潜在的推進要因について情報を提供します。現在、南方振動指数はガモハナ丘周辺の11月と5月の降水量と有意な正の相関を示しますが、それ以外の時期は異なります。インド洋の海面水温は、11月の降水量との有意な負の相関を除けば、ガモハナ丘周辺の降水量と有意には相関していません。インド洋の海洋コア堆積物に基づく海面水温の復元は、11万~10万年前頃の一対の二重極を示唆しており、これがアフリカ南部の対流性隆起に有利に作用したでしょう。しかし、二重極の程度は、降水量増加の唯一の原因となるほど極端ではないようです。したがって、降水量増加は単一の気候要因ではなく、インド洋南西部の海面水温の上昇と、強烈な負の南方振動指数の組み合わせにより降雨量が増加し、苦灰石岩盤の貯蔵能力とともに、景観上で恒久的な水がもたらされた、と考えられます。


●考察

 現代的行動の現生人類の進化に関する単一起源沿岸モデルは、アフリカ内陸部の人口集団が主要な文化的革新の出現に殆どもしくは全く役割を果たさなかった、と仮定します。しかし、カラハリ盆地南部のGHN遺跡における堅牢な年代測定値のある中期石器時代堆積物の発掘により、そうした沿岸モデルと矛盾する証拠がもたらされました。沿岸部から離れた後期更新世遺跡が稀であることを考えると、このモデルは常に問題を抱えています。GHN遺跡での本論文の調査結果は、カラハリ砂漠における非実用的な物体の収集の証拠が105000年前頃までさかのぼるひとを示し、これは沿岸部の証拠と同年代です。GHN遺跡で新たに明らかになった行動的革新の記録は、カラハリ砂漠における降水量増加の期間と同年代で、空白で乾燥した内陸部という長年の見解と矛盾します。水の利用可能性の向上は、一次生産性の向上および人口密度増加と相関しており、それが革新的行動の起源と拡大に影響を及ぼしたかもしれません(関連記事)。

 本論文で用いられた考古学的・年代測定的・古環境的手法は、カラハリ盆地および他の研究されていない地域でのさらなる調査の基礎を築きました。GHN遺跡の証拠は、現生人類特有の行動の出現が沿岸部の資源に依存していた、との仮定に疑問を提起します。代わりに、これらの現代的行動は、多様で離れた環境で共有されていたようで、技術的収斂もしくはアフリカ全域での相互接続された人口集団の拡大を通じての急速な社会的伝達を反映しているかもしれません。したがって、本論文の結果は、沿岸部環境に限定されず、カラハリ盆地南部を含む、現生人類出現の多極起源(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)への裏づけを追加します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


ヒトの進化:初期人類の行動を示す証拠が内陸部で見つかった

 初期現生人類が複雑な行動を取っていたことを示す証拠が、アフリカ南部の内陸部で見つかったことを報告する論文が、Nature に掲載される。この知見は、ヒト(Homo sapiens)の複雑な行動が沿岸環境で出現したとする最も有力な見解に異議を唱えるものだ。

 現生人類が黄土色の顔料、非食用貝の貝殻、装飾された人工遺物などの象徴的資源を使用していたことを示す証拠としてこれまでで最古のものは、アフリカのさまざまな沿岸域で出土し、12万5000~7万年前のものとされる。

 今回、Jayne Wilkinsたちは、カラハリ砂漠南部の南アフリカ共和国内の海岸線から約600キロメートル内陸に位置するGa-Mohana Hill North岩窟住居遺跡で発見された約10万5000年前の考古学的遺物について報告している。出土した人工遺物の中には、意図的に収集されて持ち込まれたと考えられる方解石結晶が含まれていた。しかし、方解石結晶の実用上のはっきりとした目的は分からなかった。これに加えて、ダチョウの卵殻の破片も発見され、これは、水を貯蔵するために使われた容器の残骸である可能性がある。

 カラハリ砂漠の数々の古代遺跡に関するこれまでの研究では、初期人類の存在が示されてきたが、実用的でない物の収集や容器の使用といった複雑なヒトの行動を示す証拠で、なおかつ年代がはっきり決定されているものについての報告はない。Wilkinsたちは、アフリカ南部の内陸部における現生人類の行動革新は、沿岸付近の人類集団の行動革新に後れを取っていなかったという考えを示している。


考古学:10万5000年前のホモ・サピエンスの、より湿潤だったカラハリ盆地における革新的な行動

考古学:初期の人類の行動を示す内陸部の証拠

 現生人類に特徴的な行動に関する最初期の証拠は、アフリカの最南部の海岸洞窟から得られており、その年代は12万5000~7万年前と推定されている。しかし、アフリカ南部では内陸部の考古学的標本が極めて少ない。今回J Wilkinsたちは、カラハリ砂漠南部の岩窟住居(海岸から約600 km内陸に位置する)で発見された、約10万5000年前の考古学的資料について報告している。これらの資料には、別の場所から運ばれたに違いない方解石の結晶やダチョウの卵殻の破片が含まれていた。これは、他では海岸部の遺跡としか関連付けられていない人類の行動が、はるか内陸部でも存在したことを示している。



参考文献:
Wilkins J. et al.(2021): Innovative Homo sapiens behaviours 105,000 years ago in a wetter Kalahari. Nature, 592, 7853, 248–252.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03419-0

大河ドラマ『青天を衝け』第13回「栄一、京の都へ」

 これまで、栄一視点の農村部の話と、徳川慶喜を中心とする「中央政界」の話が、一瞬交わることはあったものの、栄一と喜作は京都に行くことになり、今回からはいよいよ融合していくことになります。ただ、農村部の話もそれなりに描かれそうで、農村部の視点からの幕末の描かれ方も注目されます。京都への途中で栄一と喜作は初登場となる五代才助(友厚)と遭遇しますが、両者はともに相手を強く意識したわけではなく、今回の五代は顔見世程度の出番でした。五代は本作でかなり重要な役割を担いそうで、配役からしても本作の目玉なのでしょう。

 京都に到着した栄一と喜作は、その華やかな様子に圧倒されますが、そこに新撰組が取り締まりに現れ、栄一と喜作は土方歳三と遭遇します。大久保利通も登場しましたが、こちらも土方や五代と同じく顔見世程度の出番でした。栄一と喜作は長七郎を京都に呼びますが、京都へ向かう途中、幻覚を見るなど精神状態が不安定な長七郎は間違って飛脚を斬って捕まってしまいます。そのため、栄一と喜作が長七郎に出した文も役人に入手され、栄一と喜作は窮地に陥ったところ、平岡円四郎に呼び出されます。新章に入り、五代や大久保のような本作では重要な役割を担うだろう人物も顔見世程度とはいえ登場し、いよいよ物語が大きく動き始めました。なお、今回徳川家康の登場はありませんでした。

更新世における島嶼部の動物絶滅への人類の影響

 更新世における島嶼部の動物絶滅への人類の影響を検証した研究(Louys et al., 2021)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)が最初にニュージーランドの島々に到達した時、モアの9種を含む多様で豊かな生態系が存在しました。現生人類の到達後200年以内に、それらは少なくとも25種の他の脊椎動物とともに全て絶滅しました。後期完新世に、この一連の出来事は太平洋の40以上の島で発生し、平均して太平洋の島嶼部の鳥のほぼ50%が現生人類の定住後に絶滅し、これらの絶滅の大半はヨーロッパ人との接触前に起きました。これらのパターンは、マスカリン諸島やマダガスカル島を含むインド洋の島々の絶滅記録を反映しており、現生人類の定住直後の島嶼部の世界的な絶滅パターンを示唆します。

 島は大陸と比較して、生物相の広範な絶滅が生じやすい傾向にあります。それは、生息する動物相と個体数が少なく、遺伝的多様性が低くて、確率的過程に影響されやすく、再定着の可能性が少なくて、固有性がより高水準だからです。太平洋とインド洋の島々の驚くような絶滅は、現生人類の活動、とくに乱獲と生息地改変と侵入種の導入に起因します。島嶼部動物の絶滅と現生人類の定住の年表は、大陸における大型動物絶滅を理解するための魅力的な類似を提供してきました。以前の研究では、マダガスカル島とニュージーランドにおける人為的絶滅の明示的参照による過剰殺戮仮説が提示され、アフリカと南北アメリカ大陸の大型動物絶滅を説明するのに同様のメカニズムが適用できる、と主張されました。

 島と大陸の生態系間に存在する重要な違いが認められているにも関わらず、島嶼部の記録はその後、更新世の絶滅が大陸でどのように展開したのか理解する理想的なモデルとよくみなされてきました。現在、島嶼部の動物の絶滅は、5万年以上前に現生人類により開始された世界的な絶滅事象の継続と解釈する見解が圧倒的に優勢です。現生人類の到来と大型動物絶滅との間の密接な関連がしっかりと確立されている島嶼部のよく知られている記録は、他の大陸における人為的絶滅仮説の裏づけとして広く引用されています。したがって、島嶼部の大型動物絶滅は、大型動物現象の原因に関する議論において重要な構成要素です。

 現生人類が島嶼部の動物絶滅の主因との仮説は、現生人類が「未開の生態系(過去に現生人類との接触がない生態系)」に到来したことが動物絶滅と密接に関連していることを示唆する、ほぼ同時代の記録に依拠しています。しかし、世界的絶滅仮説の評価において多くの島が考慮されてきましたが、それらの考慮はほぼ完全に完新世の現生人類の存在に焦点が当てられてきました。この枠組みでは更新世島嶼部の重要性と、第四紀における島嶼部の定住事象の増加している考古学的記録にも関わらず、更新世の記録を有する島が、第四紀の絶滅の世界的評価に明示的に含まれることはほとんどありません。技術と行動と、人類種さえ、島嶼部で均一ではないので、これは重要です。人類は少なくとも前期更新世以来、海洋の島々を訪れたか、そこで居住し(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、現生人類は少なくとも5万年前頃には島嶼部に存在しており、この期間に多くの顕著な進化的・行動的・文化的変化が起きました。人類の到来と絶滅との間の関連が更新世に人類が存在した島々に当てはまるのかどうか再調査することは、この研究の不足への対処における重要な第一段階です。

 本論文は、更新世における人類の島嶼部への到達が、島嶼部の動物分類群の消滅と一致している、との仮説をデータが裏づけるのかどうか、調べます。本論文は、更新世における人類存在の記録があり、動物絶滅のいくつかの記録がある全ての島の考古学および古生物学的記録を調べます。本論文は、海洋の島々、つまり第四紀に大陸と陸続きになったことのない島々と、大陸部の島々、つまり最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)やそれ以前に大陸と陸続きになっていたものの、現在では島となっている地域を別々に扱います。また、火山活動など大規模な地質学的事象と、島の生態系へのさまざまな人類の明らかな生態学的影響に関連するデータも調べられます。

 本論文は、動物分類群絶滅と人類の到来との間に時間的重複が存在するのかどうか確立するため、評価を限定しました。本論文は、これが人類の到来と動物絶滅との間の因果関係を意味するとは主張せず、むしろ、そのような関係が存在した可能性を示す最初の兆候とみなします。これにより、人類がそれまで人類の存在しなかった生態系に常に悪影響を及ぼした、との提案を評価できます。この長期的視点は、現代の生態系への現生人類の影響を理解し、島の保全活動に情報を提供するうえで必要な段階です。


●非現生人類ホモ属の島々

 海洋の島における人類最古級の記録(図1および図2)は、フローレス島で100万年以上前の単純な石器(関連記事)、スラウェシ島で194000~118000年前頃の単純な石器(関連記事)、ルソン島で709000年前頃の石器や解体痕のあるサイの骨など(関連記事)が見つかっています。ルソン島における動物種(Nesorhinus philippinensis)とイノシシ科動物(Celebochoerus cagayanensis)の絶滅は、最初の人類の到来とほぼ同時かもしれませんが、現時点では、証拠は単一の年代測定された地点にのみ基づいており、人類と絶滅動物の共存期間に関する確たる洞察は提供されていません。フィリピンの大型動物の多くは6万~5万年前頃に絶滅した可能性があり、その頃までにルソン島に存在していたかもしれない(関連記事)ホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)との明確な関連はないようです。大型ラット(Batomys sp.)や小型スイギュウ(Bubalus sp.)は、ホモ・ルゾネンシスと同じ層で見つかっています。それらは、ルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)の後の堆積層、もしくはルソン島のこれまで発掘された他の遺跡には存在せず、更新世末の前に絶滅した可能性が示唆されます。以下は本論文の図1です。
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 フローレス島では、最初の人類の出現と密接に関連する既知の絶滅はありません。スラウェシ島では、まだ特定されていない人類種の到来と動物の消滅との間で、明確な時間的関連性は示されていませんが、ステゴドン(Stegodon sp.)およびスイギュウ(Bubalus grovesi)の絶滅は、その下限年代が真の絶滅年代に近いとしたら、人類の到来と関連しているかもしれません。ギリシアのナクソス島(Naxos)で記録されている唯一の絶滅したゾウ種(Paleoloxodon lomolinoi)は、人類到来からかなり後のことです。サルデーニャ島では、人類の出現は同様に動物の消滅と関連していません。しかしクレタ島では、フクロウ(Athene cretensis)とイヌワシ(Aquila chrysaetos simurgh)とイタチ(Lutrogale cretensis)の絶滅が、人類の到来と関連しているかもしれません。以下は本論文の図2です。
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 大陸部の島では、人類最初の記録はジャワ島の130万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)となり(関連記事)、ブリテン島では100万年前頃までさかのぼり、ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)かもしれない足跡が確認されています(関連記事)。台湾では、分類未定の人類種の存在が45万年前頃までさかのぼる可能性があります(関連記事)。これらの人類の到来と同時の絶滅は記録されていませんが(図3)、これらの絶滅は、島が大陸と陸続きになった時期に起きており、「未開の生態系」への人類の到来というよりもむしろ、これらの人類の範囲拡大の文脈で理解する必要があります。古生物学的および考古学的記録は明らかに限定的ですが、この証拠に基づくと、ルソン島とスラウェシ島とクレタ島では合計7種が非現生人類の到来の結果絶滅したかもしれません。以下は本論文の図3です。
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●現生人類が存在する海洋の島々

 海洋の島々における現生人類の最初の直接的証拠は、アジアにおいて5万年前頃までさかのぼります(図1)。想定される最も広い意味での現生人類最初の到来と時間的に関連している絶滅(5000年以内)は、カリフォルニアのチャネル諸島の2種の長鼻類(Mammuthus columbiaおよびMammuthus exilis)とハタネズミ(Microtus miguelensis)、アイルランドのギガンテウスオオツノジカ(Megaloceros giganteus)とレミング(Dicrostonyx torquatus)、スラウェシ島のゾウ(Elephas/Paleoloxodon large sp.)、ティモール島のツル(Grus sp.)です。

 フローレス島では、コウノトリ(Leptoptilos robustus)とハゲワシ(Trigonoceps sp.)と鳴鳥(Acridotheres)と小型ステゴドン(Stegodon florensis insularis)とホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)が、最初の現生人類の到来と近い時期および同時期の噴火の頃に消滅しています(図2)。フィリピンでは、ホモ・ルゾネンシスが55000年前頃もしくはその直前までルソン島に存在しており、パラワン島における現生人類最初の証拠は現時点では47000年以上前です。キプロス島と久米島だけで、現生人類到来後すぐに全ての記録された動物の絶滅が起きた、という証拠があります。これらのデータに基づくと、海洋の島々におけるほとんどの既知の絶滅は、更新世人類の到来と関連づけられないか、もしくは非人為的過程との切り離しはできなさそうです。


●現生人類が存在する大陸部の島々

 大陸部の島々に関しては、現生人類最初の記録はスマトラ島(関連記事)で得られていますが(73000~63000年前頃)、この時点でスマトラ島は大陸部と陸続き(スンダランド)だったので、その観点から解釈されます(図3および図4)。ただ、スマトラ島の初期現生人類の年代には疑問が呈されています(関連記事)。ボルネオ島やスマトラ島における動物絶滅の記録は乏しく、とくにジャワ島に関してはほとんど記録がありません。現生人類が到来した時にスマトラ島に生息していたサイやトラやバクなどほとんどの大型哺乳類は、つい最近まで生存していました。

 ジャワ島における動物絶滅は、現生人類の可能性があるジャワ島における最初の人類の記録の前に起きており、氷期におけるアジア南東部本土への一時的なつながりに起因する、動物相交替事象と関連しています。これらの絶滅は、サバンナの広範な喪失と閉鎖的林冠への置換により起きた可能性があります(関連記事)。同様にブリテン島では、ほとんどの動物絶滅が現生人類の到来前に起きました。島の段階での絶滅は、おそらくブリテン島とアイルランド島の氷床拡大に起因しますが、ほとんどの動物絶滅はヨーロッパ本土と陸続きだった期間に起きた可能性が高く(図4)、ヨーロッパ本土の絶滅の文脈で理解されるべきです。これらの絶滅は一般的に、環境変化に起因しています。

 ニューギニアにおけるほぼ全ての更新世の動物絶滅は、現生人類到来後かなり経過してから起きており、動物絶滅も現生人類到来もオーストラリアと陸続き(サフルランド)だった期間のことだったようです(図4)。ウォンバット型亜目種(Hulitherium tomassetti)とヒクイドリ(Casuarius lydekkeri)の絶滅は、その下限年代が化石の実際の年代に近ければ、現生人類の到来と同時だった可能性があります。同様に、カンガルー島では有袋類3種(Procoptodon browneorum、Procoptodon gilli、Procoptodon sp.)は、その下限年代が実際の絶滅年代と近ければ、最初の現生人類の到来と同時期に絶滅した可能性があります。タスマニア島では、2種の有袋類(Protemnodon anakおよびSimosthenurus occidentalis)だけが、現生人類の最初の記録と近い年代に消滅しており、両種のどちらも考古学的記録とは関連していません。大陸部の島々が島だったのは更新世のわずかな期間で、一部の動物絶滅は島嶼化の開始と同時のようですが、ほとんどは大陸と陸続きだった期間に起きました(図4)。したがって、これらの絶滅の根底にあるメカニズムは、海洋の島々に作用するメカニズムと直接比較できる可能性は低そうです。以下は本論文の図4です。
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●動物絶滅のまとめ

 現生人類も含めて更新世人類集団が後期完新世の現生人類と同じくらい破壊的だったならば、その影響は孤立した海洋の島々でとくに明らかなはずですが、本論文のデータでは観察されませんでした。キプロス島と久米島でのみ、現生人類の到来と同時期の全ての動物絶滅の記録を裏づけるデータがあります。海洋の島々における他の全ての更新世の動物絶滅は、少なくとも現在利用可能な年代解像度の範囲内では、そうした原因とは無関係か、時期がずれているようです。

 海洋の島々や遠方の大陸部の島々の累積的動物絶滅は、数は絶対的には少なく、サルデーニャ島とフローレス島でそれぞれ最大12件が記録されています。サルデーニャ島とフローレス島は比較的大きく、とくに孤立していませんが、近くの大陸からは深い海で隔てられています。大陸棚の島々における動物絶滅は、よく表されて制約されている場合でも、時間的にずれており、おもに大陸との陸続きの期間に限定されているようです。最も近い大陸からの分離は、大陸部の島々全体で少なくとも過去50万年間には比較的稀で、間氷期の条件に大きく依存し、顕著な環境変化と関連していました。ジャワ島やブリテン島のような化石記録が豊富な大陸部の島々では、動物絶滅は多発していますが、その原因はおもに、大陸における絶滅のメカニズムの延長線上にある、と考えられるべきです。


●考察

 動物相の入れ替わりは海洋の島々では一般的で、動物絶滅は、ひじょうに大きな島であっても、生態系が平衡状態に向かうさいの自然の過程です。より小さくより孤立した島は遺伝的多様性に大きな影響を及ぼし、人類が存在しない場合でさえ絶滅を起こします。この過程は、海面上昇により強化されます。島の大きさ、したがって資源の多様性は、人類の居住成功の最重要の原因である可能性が高く、陸生タンパク質の欠如は明らかな課題です。海洋資源に特化することにより、この制約を取り除けます。その他の資源には石や竹および/もしくは木材や淡水利用可能性が含まれ、これらは、どの島がどのようにどこで利用可能な資源を有していたのか、いくらかの尺度を提供します。海洋の島々では、淡水の利用可能性が定住の最大の制約だった可能性があります。それは、海洋性タンパク質が豊富だったとしても、多くの小さな島々は、淡水の獲得戦略が利用可能になった後期完新世まで人類により居住されなかったからです。

 以前の乱獲の概念では、島嶼部における動物絶滅は本土の絶滅の加速版とみなされ、何を狩るべきかの選択がほとんどない、という追加の特徴がありました。K選択分類群は、大型動物絶滅モデルにおいて乱獲による絶滅に最も脆弱である、と考えられています。しかし、人類が関わらない海洋の島々の条件は、r選択された分類群を好む傾向にあるので、大型で繁殖が遅い種は、大陸よりも島の方で見られない可能性が高そうです。注目すべき例外にはカメと長鼻類が含まれますが、長鼻類は島では小型化し、島の条件に応じて進化を示す可能性があります。それにも関わらず、島における乱獲は更新世および完新世の動物絶滅を説明する重要な原因の一つであり続けます。

 フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)とルソン島ねホモ・ルゾネンシスのような島に存在した非現生人類ホモ属は、さまざまな陸生動物を利用していました。ジャワ島のホモ・エレクトスは海洋資源の利用が可能でしたが、陸生資源以外のものが消費された明白な証拠はありません。カラオ洞窟では、人類が茶色のシカ(Rusa marianna)やフィリピンヒゲイノシシ(Sus philippensis)を狩るか、その死肉を漁っていました。両種ともルソン島で現存しています。ボルネオ島とジャワ島の動物考古学的記録では、現生人類が陸生と水生と樹上性の脊椎動物を狩り、罠で捕獲するためのさまざまな技術を用いていた、と示唆されます。アジア南東部の広範な地域における遠隔武器(弓矢や槍など)の導入は、狩猟対象の動物相の多様性、とくにサルやジャコウネコのような樹上性分類群に影響を及ぼしたようです。しかし、カニクイザルやリーフモンキーやビントロングのように最も集中的に狩られてきた種は、現存しています。

 ワラセアの海洋の島々における現生人類と関連する更新世の記録は、海洋魚介類が優占しており、遠海漁業と複雑な漁業技術の初期の証拠が含まれます。注目すべき例外はスラウェシ島で、44000年前頃の洞窟壁画には、小型スイギュウ(Bubalus depressicornis)やセレベスヒゲイシ(Sulawesi warty pig)とともに狩猟場面の獣人が描かれており(関連記事)、最初期の考古学的堆積物はイノシシ科のバビルサ(Babyrousa babyrussa)と小型スイギュウ(アノア)が優占します。両分類群はスラウェシ島に現存します。琉球列島中央部の沖縄島では、縄文時代の人々がイノシシ(Sus scrofa)を集中的に狩っており、イノシシは6000年前頃までに小型化しました。その後、食資源は貝類に移行し、イノシシは再び大型化しました。これは、絶滅に至る乱獲を抑制する文化的および/もしくは環境的管理が存在したかもしれない、と示唆します。

 カリフォルニアのチャネル諸島では、現生人類の到来と同じ時期に3つの陸生分類群の絶滅が記録されていますが、マンモスがそれまでに狩られていた兆候はなく、生計は海洋資源に集中していました。同様に、タスマニア島の考古学的記録では、小型から中型の動物のみが狩られており、絶滅種が現生人類により利用されていた証拠、もしくは現生人類が絶滅の原因である証拠はない、と示されています。キプロス島の考古学的記録は、12000年前頃の現生人類の到来に続く大規模な動物絶滅を示唆しており、これは島嶼部の動物絶滅と最初の現生人類到来との間に説得力のある重複が存在する2つの島のうち一方の事例となります。

 絶滅は生計活動と結びついている場合、環境変化の記録から解明することは困難です。フィリピンのパラワン島のタボン洞窟(Tabon Caves)では、47000年前頃となるパラワン島で最初の現生人類の痕跡が確認されており、その頃パラワン島では森林は限定的で、開けた林地が優占していました。後期更新世の狩猟採集民共同体はおもにシカを狩っていました。パラワン島では、前期完新世に熱帯雨林が拡大し、海面上昇のため陸地の80%以上が失われました。シカの個体数は減少し、パラワンイノシシ(Sus ahoenobarbus)は現生人類にとって主要な大型哺乳類資源となりました。3000年前頃までに、シカ集団は絶滅しました。パラワン島では、現生人類の狩猟はシカの絶滅に顕著な役割を果たしましたが、気候と環境の大きな変化も集団回復力に影響を及ぼし、それはより開けた環境を維持しているカラミアン諸島の3島でシカが生存し続けていることにも示されています。

 更新世の少なくともいくつかの島では人類も絶滅し(図1)、いくつかの考古学的記録は島の放棄を表しているようです。たとえば、ワラセアの小さな島であるキサール島に現生人類が最初に居住したのは16000年前頃でした。現生人類の居住は、大規模な海上交易ネットワークの確立後にのみ成功し、前期完新世における島の放棄は、これらのネットワークの崩壊と関連していた可能性があります。カンガルー島は、放棄の最良の直接的な肯定的証拠を保存しています。カンガルー島の記録によると、オーストラリア先住民は4000年前頃までに居住を終えましたが、一時的な訪問(もしくは恐らく継続した限定的居住)がさらに2000年続いた可能性があり、ヨーロッパ人がカンガルー島に到来した時までには、人類は存在しなくなっていました。キプロス島では、小型カバの絶滅後、現生人類の存在は前期新石器時代まで制限されていました。

 島、とくに小さくて大陸から遠い島は、その小ささと孤立のため、無作為な事象が発生しやすくなります。本論文では、火山活動が恐らくは動物絶滅と同時期だった事例はほとんど見つかりませんでしたが(図2および図4)、これらの事象は島における現生人類最初の到来時期とも区別できません。大規模な噴火の第四紀の歴史は、日本列島でとくによく調査されており、噴火は哺乳類種の絶滅と同時期ではないようです。これはフローレス島の噴火記録にも当てはまります。歴史時代に島で起きた比較的よく記録された大規模噴火でさえ、局所的絶滅に対する噴火の影響を評価することは困難です。それにも関わらず、噴火の生態学的影響の研究は、哺乳類群集における短い回復時間と、長期的変化がないことを示しました。

 完新世における島嶼部への現生人類の到来は、島の固有種の大規模な絶滅と同時だった、とよく考えられています。これらの絶滅は概念的に、乱獲や生息地改変や家畜・栽培植物・共生動物の導入のようなメカニズムを通じての、人類の作用と関連しています。家畜・栽培植物・共生動物の導入は間違いなく、島の動物絶滅にずっと大きな影響を及ぼし、それはとくに小型哺乳類や鳥類に当てはまり、それだけではなく大型哺乳類も同様です。たとえば琉球列島の宮古島では、固有種のシカ(Capreolus tokunagai)は最初の現生人類到来により追いやられたのではなく、その絶滅は後期更新世もしくは前期完新世に現生人類がイノシシを導入したことと一致します。

 結果として、完新世において島嶼部で起きたことはしばしば、人々と関連する絶滅過程を理解する理論的および実践的枠組みを提供してきました。これは、現生人類が、以前には到達できなかったか、居住し続けられなかった地域へと完新世に拡大することを考えると、説得的です。それは大陸部の島々にも当てはまり、島の状態や技術変化が完新世の始まりと一致していました。しかし、更新世の記録は島の生物相の影響に関してずっと曖昧です。これは、生計戦略と密接に関連する要因、更新世を通じての技術および行動変化、島とその資源の世界的に特徴的な性質によるものです。

 本論文のデータは、現生人類を含む人類が、現代人のように島の生態系に悪影響を常に及ぼしてきたわけではない、と示します。むしろ、絶滅の加速は前期~後期完新世において始まり、それは移住機会の拡大、航海能力と拡散能力の向上、広範な土地開拓の導入、共生動物やシナントロープ(スズメなど人間社会の近くに生息してそこから食資源や生活空間を得て存続している動物)の導入、人口密度の増加、動物集団の過剰な搾取を可能とする技術の発展の後に続いた事象です。人類が常に「未開の生態系」に有害だったわけではない、との認識は、人類がより受動的な、あるいは有益でさえあった影響を及ぼしてきた事例の特定に重要です。こうした事例は、島の固有動物相の絶滅危険性を増加させる要因の特定を目的とした比較研究に重要です。このような過程を経てのみ、現在島に残る生物多様性を保全できるでしょう。


参考文献:
Louys J. et al.(2021): No evidence for widespread island extinctions after Pleistocene hominin arrival. PNAS, 118, 20, e2023005118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2023005118

桜井芳生、赤川 学、尾上正人編『遺伝子社会学の試み 社会学的生物学嫌い(バイオフォビア)を超えて』

 日本評論社より2021年3月に刊行されました。人類進化に関してさまざまな知見が得られそうなので、読みました。社会学に関しては門外漢なので、日本の社会学における生物学嫌い(バイオフォビア)に関しては(日本に限らないかもしれませんが)、本書を読んで多少は把握できたように思いますが、深く理解できたわけではないので言及せず、本書の興味深い知見を以下に短く備忘録的に述べていきます。



第一部 遺伝子社会学の試み


1●桜井芳生、西谷篤、赤川学、尾上正人、安宅弘司、丸田直子「ツイッター遺伝子の発見?──SNP(遺伝子一塩基多型)rs53576解析による遺伝子社会学の試み」P3-20
 本論文は前提として、遺伝決定論ではなく、遺伝子・環境相互作用論を採用する、と明言します。その主題からして、本書に対する「社会学的生物学嫌い(バイオフォビア)」側からの警戒は強いでしょうから、この立場表明は必要と言えそうです。本論文が取り上げたのはオキシトシン受容体OXTR遺伝子の一塩基多型(rs53576)です。ホルモンの一種であるオキシトシンは、他者への信頼・共感・養育行動のような「向社会性」との関連が指摘されています。rs53576ではGが野生型、Aが変異型とされています。本論文は、AA型のヒトのTwitter利用頻度の高さに注目していますが、同時に、試料数の少なさと、この多型がTwitter利用頻度の違いという「表現型」の違いにどう発言したのか、未解明であることから、生理的機序・心理的機序・社会環境など環境要因も考量する必要性を指摘します。また今後の展望として、ジャポニカアレイの利用による大規模分析が視野に入れられています。


2●桜井芳生、西谷篤、尾上正人「現代若者「生きにくさ」に対する、セロトニントランスポーター遺伝子多型5-HTTLPRの効果」P21-30
 本論文は、「生きにくさ(生きづらさ)」を感じる要因として、社会経済的側面だけではなく、遺伝的側面にも注目します。具体的には、セロトニントランスポーター遺伝子(5-HTT)多型(5-HTTLPR)がSS型のヒトほど、「生きにくさ」を感じやすいのではないか、と指摘されています。セロトニンは神経伝達物質のひとつで、ドーパミンやノルアドレナリンを制御し、精神を安定させます。5-HTTの反復配列領域の多型(5-HTTLPR)は一般的に、短いS型と長いL型に二分され、SS型・SL型・LL型に分類されます。本論文は、5-HTTLPRが「生きにくい」との意識に直接的効果を有すると指摘し、「発達障害(あるいは、自閉症・アスペルガー症候群)」自体が、5-HTTLPRによる影響である可能性も示唆します。また今後の展望として、発達障害などにおいて、個人の遺伝子に応じた政策の必要性が指摘されています。


3●桜井芳生、西谷篤「(補論)セロトニントランスポーター遺伝子多型におけるヘテロ二本鎖解析の検討」P31-38
 セロトニントランスポーター遺伝子(5-HTT)多型(5-HTTLPR)は、第2論文で指摘されているように、上述のように、一般的にその反復配列の長さからSS型(短)・SL型(中間)・LL型(長)に分類されていますが、反復配列の数と並び方で複数のサブタイプが存在すると報告されており、DNA配列の決定が必要となります。本論文は、「ヘテロ二本鎖」への対応方法を検討し、最適なアニーリング温度(68度)を明らかにし、多型のサブタイプ頻度が、以前の報告とおおむね近い値となったことを示します。各多型の頻度は、SS型が76%、SL型19%、LL型が5%と報告されています。


4●桜井芳生、西谷篤、尾上正人、赤川学「日本若年層の「スマホゲーム」頻度に対する、遺伝子一塩基多型(SNP)rs4680の看過しがたい効果」P39-46
 本論文は、カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(COMT)遺伝子の一塩基多型(rs4680)に注目し、スマホゲーム頻度との関連を検証します。COMTは、ドーパミンやノルアドレナリンやアドレナリン系脳内ホルモンを不活性化させ、排せつするのに必要な酵素です。COMT遺伝子の一塩基多型(rs4680)では、Aアレル(対立遺伝子)だと前頭前皮質のドーパミンが多くなり、心理に影響を及ぼす、と指摘されています。変異型のAアレルは心配性(痛みの閾値が低く、ストレスにより脆弱ではあるものの、ほとんどの条件下で情報処理がより効率的)、野生型のGアレルは勇士(痛みの閾値が高く、ストレス回復力が向上するものの、認知能力がわずかに低下)とされています。分析結果は、Aアレルを有するヒトほどスマホゲームをせず、外向性が低くて協調性は高く、技能向上の訓練機会が多いことを重視しません。今後の課題として、スマホゲームの内容(「勇士」的なものか否か)、1日あたりのゲーム時間の調査が挙げられています。



第二部 社会学的生物学嫌い(バイオフォビア)を超えて


5●桜井芳生「「社会学の危機」から、「バイオダーウィニスト」の「理解」社会学へ」P49-60
 英語圏では社会学部の廃止など「社会学の危機」が論じられており、「標準社会科学的モデル(SSSM)」批判の議論がよく言及される、と本論文はまず指摘します。1990年代に、SSSMを批判し、進化心理学を基盤として自然科学と社会科学をつなぐ試みである統合因果モデル(ICM)が提唱されました。本論文は、社会学の伝統にある中核部分である理解社会学的方略が、近代科学についてのある種の思い込みにより不当に軽視されており、現代バイオダーウィニズムの援用により再評価できるのではないか、と指摘します。理解社会学的方略を理由とする社会学の科学性への懐疑には、理解社会学的方略の選択自体を必然的な理由として近代経験科学に値しないとする立場と、理解社会学的方略の選択によりほぼ必然的に学理上の難点(他我理解問題)に逢着するので、理解社会学は科学に値しない、とする立場があります。本論文は、これまで分別されてこなかった両者を分別することで、現代ダーウィニズムの進展が理解社会学の擁護に資する、との見通しを提示します。本論文が重視するのは、生得的な二つの認識能力です。一方は、外界をいわば「物」として把握するセオリーオブセオリー、もう一方は、対象をいわば「心ある者」として認識するセオリーオブマインド(心の理論)です。本論文は、理解社会学への批判は、経験科学である以上、この二種の認識のうちセオリーオブセオリーだけであるべきとの暗黙の前提があるのではないか、と指摘します。本論文は、そうした区分ではなく、反証可能性こそが科学的認識の線引きに相応しい、と提言します。他我理解の問題に関しては、各人は自分の思念する意味を内心に持っていることが前提とされているものの、心の目理論に基づくと、元々他個体の振る舞い予測の方略として意味理解が進化したので、他個体の把握における意味利用は、近代科学の仮説=テスト図式に親和的である、と本論文は指摘します。


6●赤川学「高田少子化論の進化論的基盤」P61-76
 本論文は、20世紀前半の社会学者である高田保馬の少子化論を取り上げています。少子化に関しては、(1)1人あたりGDPの高い国は出生率が低く、(2)日本やアジアの都市部は村落部と比較して出生率が低く、(3)世帯収入の低い女性の子供の数は多く(貧乏人の子だくさん)、(4)歴史的に豊かな階層の子供の数は多い(金持ちの子だくさん)という事実が知られています。本論文はこの4点の事実を説明する有効な社会学理論として、高田の見解を取り上げています。高田は、日本での出生率低下を案じる社会学者が他にいなかった1910年代中盤において、日本でも欧米のような低出生傾向がやがて起きる、とすでに懸念しており、その理論的検討を始めていました。本論文では、「金持ちの子だくさん」はヒトの遺伝子レベルに書き込まれた「進化時間」への適応、「貧乏人の子だくさん」は産業革命以降に文化的な媒体・経路を通じて個体間で学習された「歴史時間・文化時間」への適応と位置づけられます。

 本論文は現代の少子化問題として、ハイポガミー(女性下降婚)とハイパガミー(女性上昇婚)も取り上げています。女性の下降婚と上昇婚の違いは、社会における資源専有の性別の偏りに起因する、との見解もあります。富や地位の性別格差が、男性優位で大きければ女性上昇婚が多く、小さければホモガミー(同類婚)が多くなる、というわけです。女性上昇婚や同類婚が進化時間における最適な戦略とすれば、女性下降婚の割合はあらゆる社会において低くなっているはずですが、実際には女性下降婚の割合が高めの国もあり、その方が出生率は高めです。ただ、本論文は断定には慎重です。本論文は、日本など女性下降婚の少ない国の事例は、進化時間における適応の結果というよりは、歴史・文化時間における事象ではないか、と指摘しています。この問題に関して私は不勉強なので、今後も地道に調べていかねばなりません。


7●尾上正人「育ち(Nurture)の社会生物学に向けて──共進化とエピジェネティクスから見た社会構築主義」P77-110
 「生まれか、育ちか」という伝統的な対立軸において、社会学ではその草創期から、「育ち」を重視した理論やモデルが構築され、「生まれ」による影響は「生物学的」とみなされ、距離を置かれるか拒絶されてきましたが、近年の進化生物学は、一般的な社会学者の想定とはかなり異なる内容へと発展している、と本論文は指摘します。具体的には、文化的要素との共進化を説く潮流と、分子レベルでの遺伝的決定からの修正を重視するエピジェネティクスの台頭です。本論文の目的は、これら進化生物学の新たな潮流が、社会構築主義に自然科学的な裏づけを部分的に与える可能性はあるものの、同時に社会構築主義の限界も示唆していると考えられることから、社会構築主義を進化生物学もしくはより広く自然科学的に許容できる範囲内に位置づけし直し、再定式化しようとすることです。

 本論文は、社会生物学で当初想定された、文化は遺伝子により「引き綱」をつけられており、相対的に自律しているにすぎない、との見解が、その後の遺伝子と文化の共進化論により修正されていったことを指摘します。文化伝達には「不適応」をもたらす力があり、その具体例が、エベレスト登山などの危険な競争や、ポリネシアにおける高価で健康を脅かすタトゥーへの固執です。本論文が重視するもう一方のエピジェネティクスも、文化と遺伝子の共進化と同様に、急速で劇的な適応を可能にした、と本論文は指摘します。本論文がとくに重視するのは表現型可塑性で、一卵性双生児における形質の違いや、爬虫類の性別が卵の温度に左右されることなどです。

 本論文はこれらを踏まえたうえで社会構築主義を改めて位置づけようとしますが、そのさいに重要なのが、社会構築主義を二分していることです。一方は、観念・概念の出現により社会的事象が生まれるとする客観的観念論に該当する立場でブランクスレート(空白の石板)説を強く主張する傾向にあり、もう一方は、不可知論もしくは主観的観念論に該当する立場です。本論文は、客観的観念論の社会構築主義は、「知識と実在の一致」を批判するものの、それは多分に藁人形的論法で、主観的観念論の社会構築主義は、「実在の状態」からの絶縁を強調しすぎると、ブランクスレート説に近づいてしまう、と指摘します。本論文はブランクスレート説の問題点を、自然的(物理的、生物学的など)現実の影響力もしくは拘束力を軽視し過ぎていることにある、と指摘します。ヒトを、空白の石板ではなく、物理的・生物学的な制約を受けた存在としてまず把握すべきというわけです。

 本論文は社会構築主義の新たな位置づけの参考として、ニッチ構築論を挙げます。ニッチ構築論では、生命体による生物も含めた環境の改変・構築が重視され、生命体と環境の共進化が主張され、その対象範囲はヒトに限らず生物全体に及びます。近年になってこのニッチ構築論から、発声と進化における構築過程の役割を強調する「拡張版進化総合」が提唱されています。本論文は、これら新たな進化生物学の潮流では「育ちの強さ」が明らかにされつつあり、それを踏まえたうえでの社会構築主義の自己革新を提言します。一方で本論文は、エピジェネティクスや構築の「強さ」だけではなく、「弱さ」の認識の必要性も指摘しており、「育ち」の「強さ」も「弱さ」も踏まえたうえでの、総合的理解が求められているのでしょう。


8●三原武司「進化社会学的想像力──3つの進化社会学ハンドブックの検討と進化社会学的総合」P111-128
 本論文は、3冊のハンドブックを取り上げることで、進化社会学もしくは生物社会学の英語圏における動向を解説しています。これら3冊のハンドブックからは、広範囲の生命科学関連領域が社会学に導入された、と分かります。また、人類学や社会疫学や医学や犯罪学や政治学などの研究者も寄稿しており、進化社会学と隣接領域の深い共同も窺え、社会学の全領域を反映した傾向のようです。進化社会学ではすでに論争点も現れており、一方は現在の標準的な生物学であるネオ・ダーウィニズムもしくは現代的総合(MS)、もう一方は本書第7章でも取り上げられた拡張版進化総合(EES)です。EESの新たな動向として、(1)従来の血縁選択と互恵的利他主義の理論から、マルチレベル選択理論などより向社会的な利他主義の理論への変化、(2)脳を孤立したデータプロセッサのようなものと考える以前の見解から、社会脳仮説などに見られる多重接続された社会的なものとして表現するようになったこと、(3)エピジェネティクスへの注目、(4)個体の自律性と独立性から共生的プロセスの強調への変化、(5)生態学的相互作用と微生物への関心の高まり、(6)遺伝子の水平伝播やキメラ現象への関心です。また新たな動向として、エボデボ(進化発生生物学)やニッチ構築理論なども挙げられています。これらの中で、集団選択もしくはマルチレベル選択の問題では、選択の単位として遺伝子よりも集団が強調されます。これらの動向により社会学は大きく変わっていき、本論文は社会学とMSやESSをつなげていく試みについて、「進化社会学的総合」と呼んでいます。


9●高口僚太朗「「女性特有の病気だから」という理由で沈黙せざるを得ない父親たち──ターナー症候群の娘を持つ父親たちの「生きづらさ」とは何か」P129-144
 近代医療は患者が「寛解者(本論文では慢性疾患当事者も含まれます)」として長く生きることを可能にしましたが、それによる「生きづらさ」も生じます。本論文は、その具体的事例として、女性にのみ発症するターナー症候群当事者の家族、とくに父親の「生きづらさ」を取り上げます。ターナー症候群はX染色体の全体もしくは一部の欠失に起因した疾患の総称で、性腺機能不全を主病態とし、多くの当事者が不妊となります。患者数は約1000人に1人と推測されており、具体的な症候として、低身長や卵巣機能不全に伴う二次性徴への影響や月経異常などがあります。ターナー症候群と診断された当事者の多くは小学校高学年の頃から低身長が顕著となり、母親にのみ告知することが標準医療として推奨されています。本論文では、ターナー症候群当事者の父親は、妊孕性や妊娠や出産よりも、自立した生活を送れるのか、心配する傾向にあると分析されています。また、ターナー症候群が女性特有であることから、父親には娘と不本意に距離を取る苦悩があることも指摘されています。本論文は、ターナー症候群当事者の父親の「生きづらさ」は、家族との関係性の中で成立し、家族の抱える「生きづらさ」とも同一ではない、と指摘しています。


10●桜井芳生「バイオダーウィニズムによる〈文化〉理論──なんの腹の足しにもならないのに、、、」P145-164
 本論文はまず文化を、「ヒトの行動・表象のうちで、なんの腹の足しにもならないのに、望ましいもの、価値あるもの、として評価されているものの謂である」と定義します。これはバイオダーウィニズムの「性淘汰の理論」を下敷きにしており、つまり孔雀の尾やライオンの鬣のような資源の浪費に見えるような形質が選択されてきたのは、異性から選ばれたからだ、というわけです。本論文は、ヒトの「文化的なもの」のほとんどは性淘汰の産物だろう、との見通しを提示しています。ただ、進化的観点では、この性淘汰は石器時代というか更新世の環境に適応したものなので、現代社会において性淘汰における適応度指標として機能するとは限らない、と指摘されています。


11●尾上正人「「待ち時間」としてのヒトの長い長い子ども期──社会化説、アリエス、そして生活史不変則へ」P165-184
 本論文はヒトの子供期(離乳から性的成熟まで)に関する議論を検証します。近縁の現生種と比較して長いヒトの子供期は、以前から注目されてきました。ヒトの長い子供期を、一人前になっていくための道程もしくは収斂期間として理論的に緻密化したのが社会化機能説で、家族の重要性が強調されました。ここでは、社会化過程こそがヒトの子供期を長期化させた、と明言されていないものの、社会化と長い子供期を結びつける論理が伏在していた、と本論文は指摘します。その後、家族を重視する見解は批判されても、社会化仮説そのものは自明視され、現在の社会学に継承された、と本論文は評価します。その後、ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan)の精神分析理論を取り入れたフェミニズムは、社会化仮説の固定観念化に貢献した、と本論文は指摘します。人類学では徒弟制仮説が提唱され、「近代社会」を念頭に置いたとも考えられる社会化仮説とは異なり、狩猟採集社会を前提にしていますが、両者とも、子供が社会化を達成するのには長い期間が必要で、この長い子供期には何らかの機能があったに違いない、という機能主義的観点は共通していました。

 一方、アリエス(Philippe Ariès)の『<子供>の誕生』では、子供は7歳頃から「大人の小さな者」として成人の大共同体の中に入っていき、近代以降のような明示的な「子供」は存在しなかった、と論じられます(関連記事)。ここでは、機能主義的論法が採用されていません。ただ本論文は、アリエスが近代における子供の位置づけの特殊性を主張したのではなく、むしろ「中世特殊性」論者だったことを指摘します。それでも本論文は、社会化されるべき期間と位置づけられた子供期を相対化したことがアリエスの功績だった、と評価しています。ヒトの長い子供期は、必ずしも機能的課題が課されないとすると、どう解釈されるのか、との問題が生じます。そこで本論文が取り上げるのは、全ての種に普遍的・横断的に当てはまる、生活史不変則です。生活史不変則では、成熟年齢に達するのが遅い、つまり子供期が長い種ほど、その後の余命が長くなる、と指摘されています。長い子供期は繁殖機会増加をもたらす意味はあるものの、それ自体は本来社会的に意味のある期間ではない、というわけです。逆に、子供の社会化が喫緊かつ長期の課題ではなかったからこそ、その期間に「学校化」を挿入でき、新たな子供観が出現し得たのだろう、と本論文は評価します。子供期は人類史において、社会・時代によりさまざまな用途に使えることができた、というわけです。

 ただ、ヒトの長い子供期は、それ自体に特定の機能はなくとも、繁殖行動や家族・集団形成に重大な影響を及ぼしたかもしれない、と本論文は指摘します。まず、雄同士の苛烈で危険な配偶者獲得競争は緩和される傾向があります。余命が長いので繁殖機会は多い、というわけです。その結果、血縁者同士だけではなく、非血縁者も含めた集団が形成されやすくなり、集団の大規模化傾向が生じます。さらに、こうした繁殖機会の多い社会では協力的行動が進化しやすくなります。一方で、中長期的には協力を基調としながらも、常に騙しや裏切りの危険性に曝されているため、「マキャヴェリ的知性」も発達します。本論文は、社会化説は因果関係を逆に把握しており、教育上の実践としては、子供を「育てる」という視点よりも、「育つ」という視点の重要性を指摘します。子供期は現代人(Homo sapiens)と近縁なネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)でも検討されている問題で(関連記事)、私も関心を抱いてきましたが、本論文を踏まえて考え直してみる必要があります。


12●桜井芳生「ある種の両性生殖生物のオス(たとえばヒトの男)は、なぜ母子を扶養するのか──岸田秀を超えて」P185-195
 ヒトなど両性生殖生物の中には、雄が母子を「扶養」する種も存在します。これに関して岸田秀の「セックス=サービス」説がありますが、岸田説は「至近要因による問題の説明」の誤謬に陥っており間違っている、と本論文は指摘します。「究極因」の分析視点からは、セックスをサービスと感じ得ること自体を説明すべきで、セックスがサービスとして機能するからそれを代償として雄は雌とその子を扶養するとの論理は、「至近因」による説明(という誤謬)に陥っている、というわけです。一方本論文は、雄が雌とその子を扶養しないと雄の遺伝子を後世に残せないから、と主張します。より正確には、雄が母とその子を扶養しなければこの血統は維持できず、現存する雄は全て母とその子を扶養する血統に属する、となります。しかし、托卵というかペア外父性の問題があり、軍拡競争的な進化が起きやすくなります。本論文は、雄による雌およびその子の扶養と、ペア外父性との間のせめぎ合いで「均衡値」が存在しただろう、と推測します。また本論文は、同じ雄でも扶養型と托卵型の間で揺れ動くこともあっただろう、と指摘します。岸田説については、扶養している子が実子ではないかもしれない、との不安から自我を防衛すする規制として、セックスなど扶養の対価サービスを得ているという物語が需要されたのではないか、と推測されています。


13●尾上正人「高緯度化と農耕を通じた女の隷属──性分業・家父長制への新たな視座」P197-224
 本論文はまず、母権制あるいは「家母長制」が存在したことを示す経験的証拠はなく、男性優位社会の普遍性は進化史で現れた生物学的特性だった、と指摘します。母系制社会は存在したものの、そこで子供に対して強い権限・権力を有したのは父親よりも母親の兄弟(オジ)で、これは「叔権制」と呼ばれています。これは父性の不確実な母系制における男性の対応で、相対的に父性の確実な父系制では家父長制が採用されやすくなります。ただ、ヒトも含まれる霊長類では、雌が優位の、ほぼ母権制あるいは「家母長制」と言えるような社会を形成する種がいくつか存在する、と本論文は指摘します。次に本論文は、男性支配もしくは家父長制がヒトの社会に普遍的だとしても、その度合いは歴史的に大なり小なり変化して現在に至っている、と指摘します。女性の社会的地位が相対的に高い社会も存在する、というわけです。本論文はその基盤として、性(性役割)分業の可能性を指摘します。

 モーガン(Lewis Henry Morgan)の『古代社会』は独自の婚姻制度発達論を主張し、エンゲルス(Friedrich Engels)が採用したことにより大きな影響力を有しました。しかし、その原始乱婚制や家族形態の進化図式は今では支持されていません。ただ本論文は、人々の性行動に規定されて父性が不確実だと母系制になりやすいという考察に関しては妥当と認めています。母系制は人類の家族史において太古の時代に普遍的に位置づけられるものではないとしても、産業化以前の社会では父系制と母系制はほぼ3:1の比で存在した、と推測されています。モーガン説の問題点として、母系制と母権制を強く結びつけたことも指摘されています。母系制社会では、上述の叔権制が高頻度で出現します。

 霊長類では母方(妻方)居住の母系制が圧倒的に多く、家族・群れに残る雌が独自の階層を形成する種が多くなります。個体レベルの競争では頻繁に順位が入れ替わる同種の雄と比較すると、雌が作る社会的階層は保守的で流動性が小さい傾向にあります。雌の地位は継承され、そのメカニズムは遺伝的ではなく、おおむね好天的です。マカクザルにおいては、最上位の雌(アルファ雌)はアルファ雄を除く全ての雄よりも有意ですが、群れ全体の頂点はアルファ雄の方です。一方アカゲザルなどでは、母権制・「家母長制」と呼べそうな権力関係が見られます。ヒトも含まれる大型類人猿では、雌は性的に成熟すると出生集団を離れる傾向にあり、他の霊長類とは異なります。雌の社会的地位は種により異なり、かなり強い雄支配のゴリラ社会では、上述の母系制霊長類ほど厳格ではなくとも雌にも優劣関係があります。同じく父系制で近縁のチンパンジーとボノボは対照的な社会を形成し、チンパンジーでは雄は雌に対して優位で、雄同士の激しい地位争いがあります。一方ボノボでは、雌独自の強固な社会階層が見られ、交尾相手の選択権は雌にあります。雄の地位を決めるのは、チンパンジー社会では兄弟の絆で決まりますが、ボノボ社会では母親の地位です。ボノボでは雄と雌の力関係は対等か、やや母権制・「家母長制」に傾いています。本論文はこれらの霊長類の事例から、父系制・母系制と雌雄の権力関係の間に顕著な相関はない、と指摘します。

 一雄複雌のゴリラや一雄一雌のテナガザルは雄が子育てに関与しますが、霊長類の大半の種では父が子育てには関与しません。これは、一雄複雌や一雄一雌では複雄複雌(乱婚制)と比較して父性が確実になることとも関連しているようで、ヒトにも当てはまるかもしれませんが、父性の確実性が必ず父親の子育て関与につながるとは限りません。本論文は他の条件として、アロマザリング(育児の母親代行)を挙げます。ヒトは成長が遅いので、とくにアロマザリングの必要性が生じます。本論文は、人類史における父親の育児への関与は太古からの現象だった、と指摘します。

 性分業では、ヒト社会の採集における女性の役割の大きさが指摘されています。本論文は、これが後世の一部ヒト社会と比較しての女性の相対的地位の高さにつながった可能性を指摘します。本論文はこの性分業において、現生人類(Homo sapiens)による高緯度地帯への拡散を重視します。高緯度地帯ほど狩猟への依存度が高まるので、女性の社会的地位が低下したのではないか、というわけです。本論文は、女性の社会的地位低下が農耕開始により加速した可能性も指摘します。農耕は狩猟と採集で分かれていた男女の「職場」を一つにして、家畜や重い農具を扱うといった重作業の主導権は多くの場合男たちが握ったと考えられることから、女性の社会的地位が低下したのではないか、というわけです。また本論文は、農作業で夫婦の過ごす時間が狩猟採集生活よりも増加したことにより、夫の妻に対する正行動の監視(配偶者防衛)は強まっただろう、と推測します。最後に本論文は、自然主義と道徳主義の誤謬に陥らないよう、提言しており、強く同意できます。男性支配・家父長制がヒトの種特異性だからといったそれが現代社会でも望ましい(自然主義的誤謬)と考えたり、現代社会では男女平等が望ましいからかつてそうした理想社会(あるいは男女の力関係が逆転したような社会)が存在したはずと根拠なく想定したりすることも誤りだ、というわけです。


14●桜井芳生「若者の若者文化離れ仮説への、ホルモン時系列推移の状況証拠」P225-240
 文化的創造性曲線と犯罪曲線がかなり相似している(青年期=成年期をピークとして、前後で急上昇・急下降します)ことから、これがかなりの部分で性的淘汰への適応ではないか、と本論文は推測します。本書第10章の議論の「腹の足しにもならない」行為ではないか、というわけです。さらに本論文は、カブトムシやヘラジカの雄の角の突き合いから、こうした行為が進化史的に「かなり根の深い」現象である可能性を指摘します。現代の男性が第二次性徴期に見せる「悪い」行為の進化的起源は、「善悪」の感覚を獲得するかなり前だったのではないか、というわけです。一方現代日本社会において、こうした「危険」で「悪い」行為から若者が離れていっているとも解釈できそうな統計が提示されています。これに関して本論文は、内分泌攪乱物質による影響と、恋愛や結婚のコスパ悪化を要因として想定しますが、今後の調査が必要と指摘しています。


参考文献:
桜井芳生、赤川 学、尾上正人編(2021) 『遺伝子社会学の試み 社会学的生物学嫌い(バイオフォビア)を超えて』(日本評論社)

白亜紀の2種の哺乳形類の掘削性と進化的発生

 白亜紀の2種の哺乳形類の掘削性と進化的発生に関する研究(Mao et al., 2021)が公表されました。哺乳形類(Mammaliamorpha)は、トリティロドン類および哺乳類の最終共通祖先と、その全ての子孫から構成されます。トリティロドン類は非哺乳型類(nonmammaliaform)の植食性犬歯類で、後期三畳紀に出現し、ジュラ紀に多様化を遂げ、前期白亜紀まで存在しました。真三錐歯類は、異論はあるものの、一般に絶滅した哺乳類群と考えられてきました。

 本論文は、中国の熱河生物相から新たに発見された、前期白亜紀(1億4500万~1億年前頃)のトリティロドン類および真三錐歯類について報告します。一方の化石は、遼寧省の九仏堂累層から出土したトリティロドン類(哺乳類様爬虫類)の一種で、熱河生物相では初めて特定されました。その体長は316mmで、「Fosiomanus sinensis」と命名されました。もう一方の化石は正三錐歯目(有胎盤哺乳類と有袋類の現生種と遠縁の関係にある動物種)の一種で、熱河生物相では一般的に見られ、「Jueconodon cheni」と命名されました。これは遼寧省の義県累層で発見され、体長はFosiomanusより小さい183mmです。

 熱河生物相では、真三錐歯類は一般的ですが、トリティロドン類はこれまで見つかっていませんでした。これら2種は互いに遠縁ですが、掘削生活に適応した収斂的な特徴を有しており、この生物相で知られる最初の「引っかき型の掘削動物」です。また、これら2種はともに、単弓類や哺乳類の祖先的状態と比較して仙前椎の数が多く、体節性変化およびホメオーシス変化が確認されました。とくに、トリティロドン類の標本は、既知の単弓類(哺乳類およびその絶滅近縁生物からなり、石炭紀までさかのぼります)と比較して、仙前椎の数が最も多く、胸郭が最も長い、と確認されました。

 これらの化石は、脊椎動物の進化学と発生生物学に関する数々の研究で注目されてきた、哺乳形類の軸骨格の進化的発生に光を当てます。これらの化石に記録されている表現型は、現生の哺乳類に認められるような、軸骨格の体節形成およびHOX遺伝子発現における発生学的な可塑性が、ステム群哺乳形類にすでに備わっていたことを示しています。こうした発生機序と自然選択との相互作用が、哺乳形類のさまざまなクレード(単系統群)で独立に進化したボディープランの多様な表現型を支えていた、という可能性がある。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


古生物学:遠縁の関係にある2種の穴掘り哺乳類が発見された

 中国北東部の前期白亜紀の熱河生物相から発見された、哺乳類の祖先である哺乳形類の2種の化石について記述した論文が、Nature に掲載される。これら2種は、遠縁の関係にあるが、収斂進化を示す穴掘り生活様式の特徴を複数有しており、この生態系で初めて発見されたスクラッチディガー(引っかき掘りをする穿孔哺乳類)となった。

 今回、Jin Meng、Fangyuan Maoたちの研究チームは、前期白亜紀(約1億4500万~1億年前)の、遠縁の関係にある2種の動物の化石について報告している。第1の化石は、遼寧省の九仏堂累層から出土したトリティロドン類(哺乳類様爬虫類)の一種で、熱河生物相では初めて特定された。その体長は316ミリメートルで、Fosiomanus sinensisと命名された。第2の化石は、正三錐歯目(有胎盤哺乳類と有袋類の現生種と遠縁の関係にある動物種)の一種で、熱河生物相では一般的に見られ、Jueconodon cheniと命名された。この動物種は、遼寧省の義県累層で発見され、体長は183ミリメートルでFosiomanusより小さかった。

 穴を掘る生活様式に適応した哺乳類は、穴掘りのための特殊な特徴があることで識別される。Mengたちは、FosiomanusとJueconodonが、遠縁の関係にあるにもかかわらず、こうした特殊な特徴を共に持っていたことを見いだした。例えば、この2種は、共に前肢より後肢が短く、短い尾と強靭な爪のある幅広の前肢を持っており、胸椎の数も多かった。Mengたちは、この2種に共通する特徴は、同じような選択圧の下で独立に進化したと結論付けている。


古生物学:白亜紀の2種の哺乳形類の掘削性と進化的発生

古生物学:穴掘り動物を発掘する

 今回、中国の熱河生物相で新たに発見・記載された、前期白亜紀の2種の化石哺乳類において、穴掘りの生活様式への収斂適応が見いだされている。一方の標本は、現生の有胎盤哺乳類および有袋類に遠縁の真三錐歯類のもので、体長は約180 mmだった。真三錐歯類は熱河生物相ではごく一般的な哺乳類である。もう一方の標本は、この生物相では非常にまれな、いわゆる哺乳類型爬虫類の中で最も哺乳類に近い動物であるトリティロドン類のもので、これまでに見つかったトリティロドン類の標本の中でも最も保存状態が良好で最も年代が新しい。そのサイズは、体長300 mm以上と、真三錐歯類の標本の2倍であった。これら2種の関係は、カモノハシとセンザンコウ以上に遠縁だが、いずれも掘削への顕著な適応の数々を有していた。これらの適応には、胸椎と肋骨の数が通常より多く、胸部と腰部の境界が不鮮明であることなどが挙げられる。特に、トリティロドン類の標本は、既知の単弓類(哺乳類およびその絶滅近縁生物からなり、石炭紀までさかのぼる)と比べて仙前椎の数が最も多く胸郭が最も長い。今回の発見は、現生哺乳類の椎骨数の変動に関する研究に、時間的な奥行きという極めて達成の難しい要素を加えるものである。



参考文献:
Mao F. et al.(2021): Fossoriality and evolutionary development in two Cretaceous mammaliamorphs. Nature, 592, 7855, 577–582.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03433-2

『卑弥呼』第62話「遭逢」

 『ビッグコミックオリジナル』2021年5月20日号掲載分の感想です。前回は、トメ将軍とミマアキが、日下(ヒノモト)の国の無人の都を見て、全滅したのだろうか、と案じるところで終了しました。今回は、ミマト将軍が配下の兵士を率いてヤノハ一行に追いつこうと急いでいる場面から始まります。ヤノハ一行は那(ナ)の国の岡(ヲカ)で時化のため足止めを食らっていました。オオヒコはナツハ(チカラオ)に、この時化では出立は無理だ、と諭します。それでも動じる様子を見せないナツハに、ヤノハは弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)に着く前に沈むぞ、とヌカデは諭します。ヤノハは建物で待機中に現れたモモソの霊に、自分を解放してくれ、自分より倭国を泰平にするのに相応しい方、つまり事代主(コトシロヌシ)が現れた、自分は事代主に筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)を譲り、弟のチカラオとともに姿を消すつもりだ、と訴えます。しかしモモソは、倭を泰平にするのはヤノハの仕事だ、国を譲る前に事代主とじっくり話して人となりを見極めろ、と答えます。以前より優しくなった、山社(ヤマト)の仲間を想い、生き別れの弟を必死に守ろうとし、それ以上にこの国の民のことに心を砕いている、とモモソに指摘されたヤノハは、買いかぶるな、自分の望みは誰にも邪魔されず生き抜くことだけだ、と反論しますが、モモソは姿を消します。

 日下(ヒノモト)の都(纏向遺跡でしょうか)では、トメ将軍とミマアキが2日間探索しても誰とも遭遇せず、住民は厲鬼(レイキ)から逃れるため都を捨てたのではないか、とミマアキは推測します。トメ将軍はその可能性を認めつつ、ともかく奥津城(オクツキ)まで行こう、と提案します。トメ将軍とともに奥津城に近づいたミマアキは、擦れるような金(カネ)の音が聴こえてきたのに気づきます。一行が林に入ると、逆さに吊った杯のような形の金物から音が鳴っていました。これは銅鐸なのですが、ミマアキもトメ将軍も詳しくは知らないようです。銅鐸は九州でも出土していますが、数は近畿と比較して圧倒的に少なく、本作の舞台である3世紀初頭には、すでに九州では使われていなかった、という設定なのかもしれません。トメ将軍は、以前吉国(ヨシノクニ)だった邑(吉野ケ里遺跡でしょうか)で見たことがある、豊秋津島(トヨアキツシマ、本州を指すと思われます)や伊予之二名島(イヨノフタナノシマ、四国と思われます)に伝わる魔除けの楽器で、鬼があの音を嫌う、とミマアキに説明します。ミマアキは、林の向こうに鬼から身を守る人が住んでいるかもしれない、と考えます。トメ将軍とミマアキが林を抜けると、桃の木が整然と植えられており、枝が落とされていました。夏に果実を採取するため、冬に剪定しているのだろう、とミマアキは推測します。木の下には桃の種が多数置かれており(纏向遺跡では大量の桃の種が発見されています)、何の目的なのか、ミマアキは疑問に思います。そこへ、奥津城というか古墳の前の屋敷の門が開き、女性が現れます。その女性はたいへん美しく、トメ将軍もミマアキも配下の兵士たちも見惚れます。その女性が立ち止まったのを見て、トメ将軍は慌てて、自分たちは筑紫島から来た者で、そなたたちに敵意はない、と説明します。すると女性は、ようこそおいでくださいました、とトメ将軍一行を歓迎し、自分は日下のフトニ王の娘で名はモモソだ、と名乗ります。

 岡では、時化にも関わらず、ヤノハがチカラオとともに出立しようとします。オオヒコは出立を見合わせるよう、ヤノハに進言しますが、時間がない、と言ってヤノハは答えます。それでもオオヒコは、せめてもう1日待つべきと進言しますが、この程度の嵐で死ぬようならば、天照大御神様に見捨てられた証で、もはや倭王を名乗る資格はない、と答えます。もし自分が2日経っても戻らなければ、海の藻屑と消えたか、事代主にしてやられたのだ、とヤノハはオオヒコに言い残します。そこへヌカデが現れ、ミマト将軍一行が到着したことを報告します。ミマト将軍は、日向(ヒムカ)に駐在するテヅチ将軍からの文で、日向の海沿いの邑々の多くの者が死に瀕している、とヤノハに伝えます。やはり筑紫島にも疫病神(エヤミノカミ)が降りたのか、と言うヤノハに、すでにご存じでしたか、とミマト将軍は驚きます。ヤノハはミマト将軍を労い、これから弁都留島に向かう、とミマト将軍に伝えます。この時化にも関わらず出立することにミマト将軍も驚きますが、厲鬼に通じた事代主に助けを求めなければ、人々を救う手立てはない、とヤノハは言います。チカラオとともに弁都留島に向かったヤノハは、時化の中でのチカラオの見事な操船を褒めます。弁都留島に到着したヤノハとチカラオを事代主が出迎えるところで、今回は終了です。


 今回は、話が大きく動き出すことを予感させる内容となっており、たいへん楽しめました。ヤノハは弁都留島に到着し、ついに事代主と対面します。二人の会談というか対決がどのような結果を迎えるのか、二人の駆け引きとともにたいへん注目されます。疫病が本州と四国だけではなく九州でも流行し始めた中、ヤノハは事代主に協力を申し出て、事代主が倭国を導くよう要請するのでしょうが、これまでの描写から、事代主には倭国の王になる野心はなさそうに見えます。ただ、事代主の思惑が詳しく描かれているわけでもないので、事代主の真意がどこにあるのか、ヤノハとの会談で見えてくるのではないか、と期待しています。ヤノハは事代主に全てを譲り、弟のチカラオとともに姿を消すつもりですが、モモソ(の霊)の宣託からは、ヤノハが倭国王となる運命からは逃れられないように思えます。その意味でも、ヤノハと事代主の会談(対決?)は作中の山場の一つになりそうなので、たいへん注目されます。

 今回のもう一つの注目は、疫病のためか人が全くいなかった日下の都で現れた女性です。この女性は、日下のフトニ王の娘のモモソと名乗りました。フトニ王とは、『日本書紀』の大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト)、つまり第7代孝霊天皇でしょうか。孝霊天皇の娘に倭迹迹日百襲姫命がいますから、この新たなモモソが後世に倭迹迹日百襲姫命として伝えられた、という設定のようです。これまで、ヤノハに殺された真の日見子(ヒミコ)だったモモソと、卑弥呼(日見子)として倭国王となったヤノハの事績がまとめられ、後世に倭迹迹日百襲姫命として伝えられたのかな、と予想していましたが、日下というか後の大和にも、『日本書紀』の記事にずっと近い設定のモモソがいたわけで、この新たなモモソとヤノハとの関係がどう描かれるのか、注目されます。

 また、モモソは誰もいなくなった日下の都に残って疫病退散の役目を担っているようなので(本来の目的は祖先霊の祭祀かもしれませんが)、霊力のある人物という設定かもしれません。その意味でも、偽の日見子であるヤノハとの関係が気になるところです。日下のモモソは裏のないまっすぐな人物のように見えますが、まだほとんど人物像が描かれておらず、強かなところもあるかもしれず、その人物像も楽しみです。本作の日下は、山陽や山陰にも影響力を及ぼし、巨大な古墳と壮麗な都を築いており、この時点でかなり強大な勢力を築いているようです。この日下と新たに建国された山社とはどのような関係を築くのか、本作における倭国の都というか邪馬台国は、現時点では日向と設定されているようですが、後には日下の都(纏向遺跡と思われます)に移るのか、という点も注目されます。ついに日下の人物が登場し、ますます壮大な話になってきたので、今後もたいへん楽しみです。

仲田大人「人口モデルと日本旧石器考古学」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P92-100)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文は、考古学と文化進化研究との接点を、とくに人口や集団規模との関係を論じた研究に限定して整理しています。人口統計と文化進化についての論文には相反する二つの立場があり、それらの相違を俯瞰して、考古学から文化進化研究にどんな貢献ができそうか、取り組むべき課題を見つける、というわけです。文化進化研究では、考古データや民族誌学データをそれぞれ用いて、生態的・文化的変数と文化変化の相関を調べています。それによって提示されるモデルは、考古学からみてもイメージ通りと思うこと、また逆に、意表を突かれることもあり興味深いものです。それ以上に、他分野でのモデルを知ることは、考古学が前提としてきた見方や条件を点検する良い機会でもあります。文化進化研究で用いられるデータセットは民族誌学のそれが多いものの、考古学であれば、何を、どのように提示をすればよいのか、考えさせてくれます。

 文化変化と人口との相関については、豊富な考古データを擁する日本の旧石器考古学でも検討してみる価値は充分あると考えられ、それはまた石器文化モデルの構築という作業としても有意義な作業になるでしょう。最近では、文化進化研究の概要を知るのに適した邦訳書が相次いで刊行され(関連記事1および関連記事2)、また、このテーマを扱った入門書・教科書においては、文理の境をほとんど感じさせない脱領域的な状況が、日本考古学において芽生えつつあることも読みとれます。以下では、日本の旧石器考古学と文化進化研究との協同を模索する方向で、文化進化モデルの論文をいくつかが取り上げられ、その内容が確認されていきます。なお、今回は体系的な文献渉猟は試みていないので、それは今後の取り組みとして考えている。


●文化進化と集団規模

 なかなか定義しにくいという意味において、文化の概念はとらえどころがありません。考古学においても伝統的な見方、つまりチャイルド(Vere Gordon Childe)のように考古学的実体を措定してその組み合わせを文化と見立てるものや、それを批判してもっと動的なシステムとみなすもの、あるいは主体やその行為実践に文化をみる社会学的な見方など、さまざまな見解が提示されてきました。それでいて、「文化」について互いに意思疎通がなされている状況は奇妙でもあります。文化進化研究では、文化は情報と把握されています。これは生活知識や習慣、成員の性向や信条などを広くかつ単純に述べたもので、技術も情報の一つとみなされます。情報は他から伝えられたり、学んだりするものであることが何よりも重要です。文化進化とは、そうした情報がある集団においてどのくらい継承され、共有されているかどうか、その時間的な変化のことを指します。

 文化進化研究では変化・変異のパターンと人口統計との相関が一つの主題で、進化という観点から変化のモデルが示されています。その重要論文としてとりあげられるのがスティーブン・シェナン(Stephen Shennan)氏とジョセフ・ヘンリック(Joseph Henrich)氏の研究です。これらは、考古学者が参照しても、文化変化について人口の役割がどれだけ重要なものか、改めて考えさせてくれます。ある集団内で、なぜ文化革新が起きて模倣されるのか、という問題に関して、シェナン氏の2001年の研究のシミュレーションでは、孤立した小さな集団では文化形質の模倣率も集団の適応率も低いのに対して、大きい集団では模倣率も適応率も高い、との結果が提示されています。大きな個体群の方がより小さな個体群よりも文化情報の維持という点では有利に働く、というわけです。これは、大きい集団には「優れた人物(biological fitter)」が多く、学習者が模倣のお手本を見つけやすいのに対し、集団が小さいとお手本も少なくなるため、文化形質がその集団内でしか維持されなくなるからだ、とシェナンは指摘します。シェナン氏はこのモデルを用いて、アフリカの中期石器時代文化の多様性と比較してのアジア南東部やオセアニアの旧石器文化との相違を、74000年前頃となるスマトラ島のトバ大噴火に伴う人口のボトルネック(瓶首効果)と、その後の人口回復が論じられます。

 ヘンリック氏の2004年の論文は、文化進化と人口・集団規模をめぐって論争を引き起こすきっかけにもなった、重要な研究です。文化(=情報)は世代を越えて継承され、同時に蓄積も進みます。文化情報とは、要するに適応度を高める技能やその蓄積のことです。つまり、累積的で適応的なものであり、そうした文化情報を生み出して実践していくには、社会学習者の数(規模や密度)が何よりも求められます。もしその数が少なくなれば、複雑な技能や技術を実践していくのが難しくなります。学習者間での相互作用が低くなれば、習得された文化情報の蓄積や維持が望めなくなるからです。その一方で、模倣するにも手間のかからない単純な技能は、情報として蓄積されるとも考えられています。

 このモデルで、ヘンリック氏たちは、タスマニアの技術的損失について、気候変化によってオーストラリア南部の社会的ネットワークから孤立し、利用可能な土地面積と社会学習者が減少したこととの相関を指摘しています。これはまた、現代人的行動のような複雑な文化情報の累積的進化を調べる場合にも引用されています(関連記事)。シミュレーションによると、複雑なスキルはメタ集団の絶対的な大きさというより、むしろ下位集団、つまりそこに含まれる文化伝達集団相互の頻繁な移動と接触によって蓄積・維持され得る、と指摘されています。

 このように文化進化と人口・集団規模との関係については、シェナン氏とヘンリック氏の研究に基本を負うところが大きいものの、この理論モデルについてはその是非をめぐって、その後いろいろ検討されています。現状では、人口や集団規模と文化的複雑さの関係を支持するものと、影響は見出せず、別のモデルが提案される、との見解が並立した状況のようです。そこで以下では、後者の立場を積極的にとるマーク・コラード(Mark Collard)氏たちの議論が取り上げられます。


●文化進化とリスク戦略

 考古学や民族誌学などでは、なぜ集団によって複雑な道具組成を持つのか、道具の数に大きな偏りが見られるのか、などの理由を考え、いくつかのモデルを提案してきました。コラード氏たちは、それを以下の4点にまとめ、いずれのモデルが妥当なのか、検証しました。そのモデルとは、オズワルド(Wendell H. Oswalt)氏の食料資源の性格、トレンス(Robin Torrence)氏の資源獲得のリスク、ショット(Michael J. Shott)氏の集団の居住形態、ヘンリック氏の人口規模である。

 オズワルド氏のモデルは、食料資源が植物か動物か、つまり対象物が移動するものかそうでないかにより、道具の数や種類などの複雑さが変わる、というものです。食料資源対象の移動性が高いほど道具は複雑でかつその数も多くなる、と指摘されています。トレンス氏のモデルはオズワルド氏のモデルの改良版と言えそうです。トレンス氏は、緯度が高くなるほど食用資源としての植物の数が減少し、動物資源に依存することになるので資源の追跡時間が大きくなり、それが道具の数や複雑さと関係している、と考えました。これは時間圧モデルと呼ばれ、後にトレンス氏は、精巧で複雑な道具が用意されていることは、それだけ資源入手のための高いリスクを回避するものだ、とのリスク回避モデルを採用します。その方針転換を促したのがショット氏で、居住移動性の高さと運搬コストを考慮したモデルを提案しました。移動頻度の高い場合や長距離を移動する場合、その道具組成の多様性は低くなります。これは、移動民の道具が少ない数の道具をより幅広いタスクに用いる、と意味します。またその分、専門的な道具の数も少ない、といった特徴もあります。ヘンリック氏のモデルは上述のように、人口規模と複雑な技能や道具の多様性は相関する、というものです。

 これらのうち、食料獲得のための道具の複雑性に影響を与えている変数を調べるため、コラード氏たちはいくつかの変数間での検定を実行しました。そこで支持されたモデルは、資源リスクへの対応と、道具組成やその構造の複雑さに相関が見られる、というものでした。しかし、コラード氏たちはこの結果をいったん保留します。コラード氏たちは、選んだ変数(有効温度と地上生産数)や集団標本に偏りがあると認めて、自らのモデルを再検討しました。有効温度や地上純生産数がリスク回避モデルを支持する変数だと主張されましたが、これらの変数はおもに植物利用者に関連するもので、動物資源の利用者にとって重要ではない、というわけです。

 コラード氏たちは2011年の論文で、再度リスク回避モデルを検証しました。接触期の北アメリカ大陸西海岸狩猟民を対象に改めてデータが選ばれ、海岸部と高原にそれぞれ居住する16集団が対象とされました。しかし、この場合も結果は芳しくなく、生態学的な変数は海岸部と比較して高原地域のリスクが高いことは示せたものの、道具組成との相関が見られませんでした。この結果についてコラード氏たちは、海岸部と高原の生態学的なリスク差が大きくなく、それ故に道具組成や構造に違いが見つからなかったのだろう、と解釈しました。

 コラード氏たちは2013年の論文で、標本数を80以上に増やして点検してみたところ、降水量と地上での純生産量の二つの変数で、道具組成・構造との間に相関が見られました。集団規模が小さい狩猟採集民では、食糧生産者に比べてその道具組成に環境や資源へのリスク回避が働いている場合が多い、というわけです。これは、何を食糧とするか、つまり生産形態や社会の違いにより採用されるモデルも変わってくることを意味しているのではないか、とコラード氏たちは指摘します。じっさい、食糧生産者の道具組成を調べたコラード氏たちの2013年の論文では、リスク回避モデルよりも人口モデルが支持される結果となっています。

 しかし、たとえ小さな集団であったとしても、ヘンリック氏やパウエル(Adam Powell)氏たちが予測しているように、集団の移動や接触で文化進化は促されます。ストラスバーグ(Sarah Saxton Strassberg)氏とクレンザ(Nicole Creanza)氏は、2021年の論文、集団間の接続についての研究を紹介しています。新しい道具をある集団の道具組成に取り入れてあげると、その集団間で共有される道具の数が増えていくというもので、接続性が道具組成の規模と正の相関関係があることを示唆しています。多くの道具を持つ大きな集団に接続すると、新しい道具の導入可能性があり、反対に、単純な道具組成しか持たない小集団と接続しても、それほど有益にはならない、というわけです。

 こうしたモデルの不一致について、いくつかの論文で気づかされるのは、標本抽出や量的な問題、またデータの使用法に関することです。文化進化モデルの提示を受けて、考古学の側も自らのデータについて洗い直してみたり、考古データとはどういう性質のものなのか、それを理解したりすることが、考古学にとって一層必要な作業になるでしょう。さらに、その認識を異分野間の研究者で共有することが最重要課題となります。


●考古学による人口推定

 これらのモデルのうち、著者が興味を持っているのは人口モデルです。その他のモデルについても関心はあるものの、人口モデルは、石器文化や石器技術がどれだけの人々により支えられてきたのか、という素朴な疑問に最も迫るモデルだから、というわけです。しかし、人口や集団規模サイズを考古学的データから見出していくには、いくつかの前提や条件を踏まえたうえで作業せざるを得ません。たとえば、遺跡数や遺構数を用いる場合は、人が増えれば、考古学的な指標も比例して増えるという単純な論理を前提にしています。じっさい、この手法は、研究者が経験的に感じる部分と相まって、分かりやすいといえば聞こえはよいものの、遺跡数や遺構数は調査における標本抽出の偏りが深く、大きくか変わります。また、居住形態による遺跡利用の違いや、一つの遺跡が実際に一つの集団により利用されたのか、などの見極めも必要です。

 石器群の年代値(放射性炭素年代)は考古事象の豊富さを反映する属性であると考えて、人口の復原に用いられる研究もよくある手法です。しかし、これにも標本抽出や統計的な問題が伴います。標本抽出では、たとえば遺跡や遺構にどれだけ試料が残っているのか、回収率では、発掘した場所や遺構の性質などで、大きく異なってきます。また、研究者がどの時期の遺跡の年代に興味があるか、つまり調査者の研究対象によっても、試料への選択が作用します。測定値の網羅性も問題で、あるデータセットにおいてどれだけ測定値がまとっているかにより、推定される人口値に影響が出る、と予想できます。さらに、データをどう統計的に処理するか、その手法の適切さも問われ続けるでしょう。

 考古データからの人口推定は困難な作業です。遺跡や遺構数にしても年代値のセットにしても、それらは人口に見立てる代替データであり、人口変化についての記述に変換する方策が取られているにすぎなません。それを承知で人口復元を試みようとするならば、できるだけ考古データと年代データが揃っている地域を取り上げ、量的な保証を伴った人口モデルを立てるしかありません。さらに、数値として時間的な変化や地域的な差異が目に見えることも必要です。

 その一例として、メラーズ(Paul Mellars)氏とフレンチ(Jennifer C. French)氏の研究が挙げられます(関連記事)。これは、フランス南西部の現生人類(Homo sapiens)遺跡と絶滅ホモ属(古代型ホモ属)、具体的にはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)遺跡の規模を比較した論文で、表題で現生人類遺跡の規模の大きさが示されています。この論文で採用された遺跡規模を調べる方法は、面倒な手続きが必要ではなく、日本の旧石器遺跡でも検討できます。ごく簡単に言えば、遺跡規模を密度値で示すものです。観察項目は、遺跡の調査面積、出土石器の総数、二次加工石器の総数、遺跡の継続年代です。これに動物遺骸の最小個体数や重量も加えて遺跡規模サイズが推定され、それが人口量に見立てられます。人工物や動物遺骸の密度値を1000年あたりの値に揃えることで、石器文化により継続期間が異なる場合の遺跡を比較対象とできます。日本列島で行なうのならば、石器密度はこの方法で問題なく調べられます。日本列島では動物遺骸は欠落してしまいますが、これを母岩別・個体別資料の点数や重量に置き換えて、遺跡における居住強度と関連づけて人口を考えてもよいかもしれません。

 この論文に対しては批判も提示されています。論文の内容が現生人類とネアンデルタール人の古人口推定に関してでもあるので、石器文化や遺跡の年代について疑問が指摘されている中で注意したいのが、石器組成への言及です。つまり、活動内容により二次加工石器は再利用される可能性があるので、石器数はその頻度に左右されるものだ、と批判されています。消耗の激しいような活動を行なった遺跡では、その分、石器再生も活発になって二次加工石器数も増えるのではないか、というわけです。

 これらの批判に対してメラーズ氏たちは、組成については現生人類遺跡とネアンデルタール人遺跡でその密度値に違いはなく、これは動物遺体の密度値も同様であり、現生人類とネアンデルタール人の居住強度に差はみられないことを強調します。現生人類とネアンデルタール人それぞれの石器文化の継続年代に長短の差があるという事実から、遺物密度データを平均化し、それで得られた値の違いこそ人口差を反映している、という論理です。メラーズ氏たちがネアンデルタール人と現生人類の違いとして重視するのが遺物データの総量であることはよく分かりますが、これは石器組成データが人口を推測するうえでかなり有用な情報であることをよく示しています。

 石器組成をどう考えるのかも議論のある問題ですが、一般的には、それをそのまま過去の行動や信念の痕跡とはみなせない、との認識で落ち着いています。機能主義の主張では、石器組成とその構造は人々の活動形態やその性格を表していると仮定され、道具の組み合わせの違いが活動の空間配置を示す、と考えられます。しかし、行動とはなんの関係もない要因も組成には一定の影響を与えることが無視されている、というのが行動考古学の見解です。行動考古学では、過去の行動がそのまま痕跡となるわけではなく、歪みをともなうものであることが強調されました。機能主義的考古学の看板ともいえる技術的組織という考え方についても、組成の違いが過去の行動を本当に正しく反映しているのか、問われることになりました。

 このように遺跡の石器組成については、機能的な行動だけではなく、道具の再生や廃棄など、さまざまな要因によって形成されたものである、と現在では認識されているようです。ショット氏の1989年の論文は、組成の規模と多様性(多様度)に注目して、機能的行動(同論文では「実質的な行動」)の内容と性質について推論しています。ショットが注目するのは、道具の組成規模とその多様性である。この二つの変数については、道具の使用期間と居住期間を反映するものである、との見解がすでに提示されており、道具の廃棄率や廃棄量と居住期間の総日数が調べられ、集団規模の推定にも役立てられる、と指摘されました。廃棄率が低く使用寿命が長い道具は、作業期間が長いほど出現しやすくなる、と想定されます。ショット氏は、この論理がクン人の民族誌データには当てはまらないことを指摘したうえで、パレオ・インディアン期の組成の規模と多様性を分析し、規模と多様性の関係は、一つの文化体系における技術変異パターンを表している、と整理しました。

 この結論は、組成規模と多様性の関係が居住形態や移動頻度と関係することを明晰に述べています。民族誌データや考古データでのモデルをそれぞれ統計的に検証し、人口モデルを棄却して、むしろ居住形態モデルを採用する点で、この論文はショット氏の1986年の論文と同じ結論に達している、と了解されます。この検討には確かに説得力がありますが、道具の量的規模や堆積量の時間的経過が直ちに居住パターン違いにのみ還元されるものでもないでしょう。遺物の累積量を調べる研究モデルが、人口規模を論じるのにも有効な属性であることは間違いありません。それを日本列島の考古学でも実践するならば、たとえば組成中の欠損品率や製作品と搬入品との割合や遠隔石材の比率など、規模も含めていくつかの属性が多様性(多様度指数)とどう相関するのか、調べると面白そうです。


●今後の課題

 旧石器考古学のデータから古人口を復元できるか、ほとんど疑わしくなってきますが、データは豊富にあるので、それをどう利用するのか、考えねばなりません。何が難しく、何が課題になるのか、以下では、フレンチ氏の2016年の論文をが参照されつつ整理されます。考古記録には基本的に人口情報が含まれません。日本列島の場合、古人類学的な情報にもそれは言えます。旧石器時代では、琉球諸島を除いてその証拠を把握できません。考古学的証拠については、人口情報に端的につながる属性が何か、直接的には見出せていません。間接的には試行錯誤があっても、どう「見立て」るのか、難しいことは事実です。どのような考古学的パターンが人口へ接近するのに有効なのか、考古記録から観察できたパターンから過去の人口の理解に移行するのに必要な「理論的な飛躍」をどう最小に留められるのか、という2点をの解決が決定的に重要になってきます。

 パターンの説明が必ずしも人口の説明にのみ作用するわけではないことは、ショット氏の1989年の論文に述べてられている通りで、データのパターンが示す可能性をどれか一つに絞り込むことは困難です。それが人口動態と相関するものと考られる代理指標を、考古学者はまだ理解しきれていません。もちろん研究背景にも左右されるところですが、それ故に、組成量の変異が示す意味を、研究者は時間圧モデルや居住モデル、人口モデルという形でそれぞれ説明しているのでしょうし、あるいは説明できてしまうのかもしれません。その意味では、人口動態を反映する、確からしい代理指標をどのように見つけてどう組み合わせるのか、その能力向上が問われます。

 これは、解決すべき二つめの点にも関係してきます。データと説明を結びつける可能性のある中位理論の構築ということです。いわば、指針のような役目を果たすもので、考古データと人口との関係を強く示唆する、そうした民族誌学データや歴史データが思い浮かびます。民族考古学の成果は、とくに人口モデルに異を唱えるモデル研究でよく引用されているようです。民族誌データは道具の廃棄や使用期間、居住状況など詳細なデータを提示してくれますが、考古データとの大きな違いは、観察している時間幅にあります。考古学ではいくつもの行動の結果として累積したデータを取り扱っていることが多いのに対して、民族誌データは長期的観察にもとづくデータもありますが、考古データと比較すると瞬間の切り取りにも近い生活の一コマの記録と言えます。その一コマをモデルとして旧石器時代の人口動態を丸々代弁してもらおうとするのは、間違っているかもしれません。

 むしろ、民族誌において、人口に関係しそうな行動代理指標を複数取り上げ、その組み合わせのうち、最も影響力の強い変数を提示してもらうことが、手続きとして重要になります。その民族誌的変数の中から考古学的に検討ができるものを選び、古人口研究に落としこんでみることが効果的と思われます。フレンチ氏の2016年の論文はこれを「マルチプロキシ・アプローチ(多代理指標手法)」と呼んでおり、たとえばビンフォード(Lewis R. Binford)氏の2011年の民族誌集成や、ケリー(Robert L. Kelly)氏の1995年の民族考古学アトラスに示されている膨大なデータから、人口代理指標とみなせる情報を特定していくよう、提案しています。複数のデータが人口情報に関係がありそうならば、そこに一定の傾向が把握されることになり、さらにそれらが考古学的にも検討できる性格のものならば、古人口の復元にも妥当性が得られる、というわけです。

 こうした方法はとくに目新しいものではなく、北アメリカ大陸の民族考古学などではやり尽くされている感があるかもしれませんが、民族学や考古学や数理人類学などの研究者が大勢集まり、人口推定に関するモデルの構築に取りかかるとなると、そう多くないでしょう。とくに旧石器時代については、古代型ホモ属と現生人類の交替に関するものや、現代人的行動の出現といった主題に集中するようです。いくつか研究が出されているなか、若野友一郎氏と門脇誠二氏たちによる2018年と2021年の研究は、独自の数理モデルに基づいて古代型ホモ属と現生人類をめぐる人類学的・考古学的考察を発表しており、人口モデルが応用されています。日本列島のデータは組み入れられていませんが、このような共同作業により、モデルはより蓋然性が高まったり、反対に、問題点が掘り下げられて明確になったりを繰り返します。


●まとめ

 本論文では、著者の関心から、文化進化研究と考古学研究の人口について取り上げられました。なぜ人口モデルなのか、と問われても論理立てて答えられるほど整った意見はないので、日本の旧石器研究を進めてきたなかで、感覚的にこのモデルで説明できそうなことがあるといった程度だ、と著者は述べます。それ故に、この感覚を具体的にしていかねばならない、と指摘されます。

 田村隆氏の2017年の論文は、人口という観点に立ち、日本列島の旧石器時代を3段階に分けています。つまり、少なくとも3回、日本列島では人口の増減が明確になる事象が起き、その度に生活戦略の刷新を繰り返し、環境変化への対応を図ってきた、というわけです。この回復力の過程を、田村氏は適応サイクル・モデルと名づけています。3つの画期とは、(1)本州では38000年前頃で古北海道島では3万年前頃、(2)25000年前頃の最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)、(3)2万年前頃以降の旧石器時代終末期です。

 著者もこれらの時期の人口推定に関心を抱いています。(1)に関しては、日本列島に到来してきた集団の規模はどのくらいだったのか、日本列島ではなぜ現代人的行動が顕著に現れないのか、という問題です。これらは人類の進化史的にみても重要な問題と言えます。その意味で、最近の井原泰雄氏たちの2020年の論文で提示された人口シミュレーション研究は、大きなヒントを与えてくるかもしれません。(2)に関しては、石器の様式性の高まりと情報交換網の形成がなぜ寒冷期に促進されるのかが、問題なるでしょう。(3)は土器技術についてです。新技術が現れる背景と、なぜそれが当初緩やかにしか増えず、完新世に入って急速に普及するのか、という問題です。

 これらの主題が人口とどのように関係するのか興味のあるところで、詳しい解析には文化進化研究との協同がどうしても必要になってきます。また、これらの主題は日本列島の地域的な事象にとどまらず、世界の先史学にも充分な貢献が期待できる普遍的な主題性を備えています。豊富な考古データを持つ日本列島で、協同研究を少しずつ進展させていくことが今後の課題になるでしょう。


参考文献:
仲田大人(2021)「人口モデルと日本旧石器考古学」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)』P92-100

『卑弥呼』第6集発売

 待望の第6集が発売されました。第6集には、

口伝39「密談」
https://sicambre.at.webry.info/202005/article_30.html

口伝40「結界」
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_7.html

口伝41「答え」
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_27.html

口伝42「拝顔」
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_6.html

口伝43「冷戦」
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_24.html

口伝44「貢ぎ物」
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_8.html

口伝45「死と誕生」
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_27.html

口伝46「現在と未来」
https://sicambre.at.webry.info/202009/article_4.html

が収録されています。連載時には「第*話」となっていましたが、単行本では「口伝*」となっています。単行本では「真説・邪馬台国伝」との副題がつけられています。それぞれの話については、上記の記事にて述べているので、ここでは繰り返しません。第39話が掲載された『ビッグコミックオリジナル』2020年6月5日号は昨年(2020年)5月20日の発売ですから、もう1年近く前のことになります。第6集では暈(クマ)というか暈の大夫である鞠智彦(ククチヒコ)とヤノハとの交渉を中心に話が進むとともに、クラトの陰謀への加担やヒルメの陰謀など、同時進行の複数の陰謀が描かれました。

 このように複数の陰謀が同時進行で描かれていますが、それぞれが本筋に密接に関わっていて散漫なところはなく、よく話が練られているように思います。倭国泰平とのヤノハの願いは、さまざまな人々の思惑が交錯し、なかなか一直線には進まず、複雑な事態の展開が描かれています。ヤノハを筆頭にミマアキやトメ将軍や鞠智彦など、個性的な人物も多く、話の構成とともに人物描写の点でも楽しめています。最終的な評価時期尚早ですが、本作は、当ブログで過去に熱心に取り上げた、原作者が本作と同じ『イリヤッド』や、作画者が本作と同じ『天智と天武~新説・日本書紀~』よりも個人的な評価は上になるかもしれない、と期待しています。なお、第1集~第5集までの記事は以下の通りです。

第1集
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_49.html

第2集
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_60.html

第3集
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_1.html

第4集
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_5.html

第5集
https://sicambre.at.webry.info/202012/article_37.html

大河ドラマ『青天を衝け』第12回「栄一の旅立ち」

 栄一たちは横浜の外国人居留地を焼き討ちしようと計画し、まず高崎城を占拠しようとします。喜作とともに江戸に出て平岡円四郎と再会します(とはいっても、両者ともに過去の遭遇を覚えていないでしょうが)。栄一は平岡に自分には志があると言い、平岡は栄一と喜作に一橋家(と最初は栄一と喜作には明かしていないわけですが)に仕えるよう誘いますが、栄一は断り、平岡は栄一の器量を認めて惜しみます。栄一はたちの攘夷決行の日が近づき、長七郎が戻ってきて栄一たちは喜びますが、長七郎は無謀な決起だと反対します。長七郎は京都の最新の情勢を栄一たちに知らせ、決死の覚悟で中止を訴え、決起は中止となります。

 栄一は役人に目をつけられたことから、喜作とともに京都に向かうことにします。今回は、栄一と父の父子関係とともに、父の器の大きさが印象づけられました。栄一の成功は、豪農出身というだけではなく、理解のある父にも恵まれていたから、というわけでしょうか。徳川慶喜も京都へ向かい、いよいよこれまで別々に描かれてきた栄一の話と慶喜の話の合流が近づいてきました。ここからが本番といった感じですが、これまでの前振りがなかなかよい感じだっただけに、慶喜に仕えてからの栄一は一掃魅力的に描かれるのではないか、と期待しています。

オセアニアの人口史と環境適応およびデニソワ人との複数回の混合

 オセアニアの人口史に関する研究(Choin et al., 2021)が公表されました。考古学的データでは、ニューギニアとビスマルク諸島とソロモン諸島含むニアオセアニア(近オセアニア)には、45000年前頃に現生人類(Homo sapiens)が居住していました(関連記事)。リモートオセアニア(遠オセアニア)として知られており、ミクロネシアとサンタクルーズとバヌアツとニューカレドニアとフィジーとポリネシアを含む太平洋の他地域は、3500年前頃まで人類は居住していませんでした。この拡散は、オーストロネシア語族およびラピタ(Lapita)文化複合の拡大と関連しており、台湾で5000年前頃に始まり、リモートオセアニアには3200~800年前頃までに到達した、と考えられています。

 オセアニア人口集団の遺伝的研究は、オーストロネシア語族の拡大に起因するアジア東部起源の人口集団との混合を明らかにしてきましたが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、オセアニアの移住史に関しては疑問が残っています。太平洋地域への移住が島嶼環境への遺伝的適応をどのように伴ったのか、また古代型ホモ属(絶滅ホモ属)からの遺伝子移入がオセアニア個体群においてこの過程を促進したのかどうかも、不明です。オセアニア個体群は、世界で最高水準のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の組み合わされた祖先系統を示します(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文は、全ゲノムに基づいた調査を報告します。この調査は、太平洋の人口集団の人口史および適応の歴史と関連する広範な問題に対処します。


●ゲノムデータセットと人口構造

 ニアオセアニアとリモートオセアニアの移住史に影響を与えたと考えられる地理的区域の20の人口集団から、317個体のゲノムが配列されました(図1a)。これらの高網羅率ゲノム(約36倍)は、パプアニューギニア高地人やビスマルク諸島人(関連記事1および関連記事2)や古代型ホモ属(絶滅ホモ属)を含む(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、選択された人口集団のゲノムとともに分析されました。最終的なデータセットには、太平洋地域の355個体を含む462個体と、35870981ヶ所の一塩基多型が含まれます(図1b)。

 ADMIXTURE、主成分分析、遺伝的距離の測定(FST)を用いると、人口集団の多様性はおもに4要素により説明される、と明らかになりました。それは、(1)アジア東部および南東部個体群、(2)パプアニューギニア高地人、(3)ビスマルク諸島人とソロモン諸島人とバヌアツ人(ni-Vanuatu)、(4)ポリネシア人の外れ値(本論文ではポリネシア個体群と呼ばれます)と関連しています(図1c・d)。最大の違いはアジア東部および南東部個体群とパプアニューギニア高地人との間にあり、残りの人口集団はこの2構成要素のさまざまな割合を示し、オーストロネシア語族拡大モデルを裏づけます(関連記事)。

 ビスマルク諸島人とバヌアツ人の間では強い類似性が観察され、ラピタ文化期末におけるビスマルク諸島からリモートオセアニアへの拡大と一致します(関連記事)。ヘテロ接合性の水準はオセアニア人口集団の間で著しく異なり、個々の混合割合と相関します。最も低いヘテロ接合性と最も高い連鎖不平衡は、パプアニューギニア高地人とポリネシア個体群との間で観察され、おそらくは低い有効人口規模(Ne)を反映しています。とくにF統計は、バヌアツのエマエ(Emae)島民からポリネシア個体群のバヌアツ人において、他のバヌアツ人より高い遺伝的類似性を示し、ポリネシアからの遺伝子流動を示唆します(関連記事)。以下は本論文の図1です。
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●ニアオセアニアとリモートオセアニアの定住

 オセアニアの移住史を調べるため、いくつかの進化的仮説により駆動される一連の人口統計モデルが複合尤度法(composite likelihood method)で検討されました。まず、パプアニューギニア高地人と他の現代人および絶滅ホモ属との間の関係が決定され、以前の調査結果(関連記事)が再現されました。次に、遺伝子流動を伴う3期の人口統計が想定され、ニアオセアニア集団間の関係が調べられました。観測された部位頻度範囲は、ニアオセアニアにおける定住前の強いボトルネック(瓶首効果)により最もよく説明されました(Ne=214)。ビスマルク諸島およびソロモン諸島の人々とパプアニューギニア高地人の分離は39000年前頃までさかのぼり、ソロモン諸島人とビスマルク諸島人の分離は2万年前頃で(図2a)、これは45000~30000年前頃となるこの地域における人類の定住の直後となります(関連記事)。以下は本論文の図2です。
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 次に、マラクラ(Malakula)島のバヌアツ人個体群に代表される、リモートオセアニア西部人口集団がモデルに組み込まれました。バヌアツ人個体群の祖先の一部はビスマルク諸島からの移民で、3000年前頃以後にバヌアツ人の遺伝子プールの31%以上に寄与したと推定され、これは以前の古代DNA研究と一致します(関連記事)。しかし、最適なモデルでは、バヌアツに3000年前頃以降に到来したパプア人関連人口集団は、他のニアオセアニア起源集団の混合だった、と明らかになりました。バヌアツ人のパプア人関連祖先はパプアニューギニア高地人と分岐し、後にソロモン諸島人関連系統から約24%の遺伝的影響を受けました。興味深いことに、台湾先住民のバヌアツ個体群への直接的寄与は3%未満と最小限で、2700年前頃までさかのぼる、と明らかになりました。これは、現代リモートオセアニア西部人口集団のアジア東部関連祖先系統が、おもに混合されたニアオセアニア個体群から継承されたことを示唆します。


●オーストロネシア語族拡大への洞察

 フィリピンとポリネシアのオーストロネシア語族話者を本論文のモデルに組み込むことにより、オセアニア人口集団におけるアジア東部祖先系統の起源が特徴づけられました。移住に伴う孤立を想定して、台湾先住民、およびフィリピンのカンカナイ人(Kankanaey)やソロモン諸島のポリネシア個体群といったマレー・ポリネシア語派話者は7300年前頃に分岐した、と推定され、これはフィリピンの人口集団に関する最近の遺伝学的研究と一致します(関連記事)。他のオーストロネシア語族話者集団をモデル化しても、同様の推定が得られました。

 これらの年代は、台湾からの拡散事象は4800年前頃に始まり、オセアニアに農耕とオーストロネシア語族言語をもたらした、と想定する出台湾モデルと一致しません。しかし、アジア北東部人口集団からオーストロネシア語族話者集団へのモデル化されていない遺伝子流動(関連記事)が、パラメータ推定に偏りをもたらしているかもしれません。そのような遺伝子流動を考慮すると、出台湾モデルにおいて予測されるよりも古い分岐年代が一貫して得られたものの、信頼区間とは重複します(8200年前頃、95%信頼区間で12000~4800年前)。これは、オーストロネシア語族話者の祖先が台湾の新石器時代の前に分離したことを示唆しますが、パラメータ推定における不確実性を考慮すると、古代ゲノムデータを用いてのさらなる調査が必要です。

 次に、近似ベイズ計算(ABC)を用いて、さまざまな混合モデルにおける、ニアオセアニア個体群とアジア東部起源の人口集団との間の混合の年代が推定されました。その結果、2回の混合の波モデルが、ビスマルク諸島とソロモン諸島の人々の要約統計に最もよく一致しました。最古の混合の波はこの地域でラピタ文化出現後の3500年前頃に起き、ビスマルク諸島とソロモン諸島の人々についてはそれぞれ、2200年前頃と2500年前頃でした(図2c)。これにより、台湾先住民からのマレー・ポリネシアの人々の分離が、ニアオセアニア人口集団との即時で単一の混合事象の後に起きたわけではない、と明らかになり、オーストロネシア語族話者はこの拡散中に形成段階を経た、と示唆されます。


●ネアンデルタール人とデニソワ人からの遺伝的影響

 太平洋島嶼部の人々は、主成分分析やD統計やf4比統計により示唆されるように、かなりのネアンデルタール人およびデニソワ人祖先系統を有しています。ネアンデルタール人祖先系統が均一に分布しているのに対して(2.2~2.9%)、デニソワ人祖先系統は集団間で顕著に異なり(関連記事)、パプア人関連祖先系統と強く相関しています(図3a・b・c)。注目すべき例外はフィリピンで観察されており、「ネグリート」と自認しているアイタ人(Agta)と、それよりは影響が劣るもののセブアノ人(Cebuano)で、デニソワ人祖先系統の相対的影響が高めではあるものの、パプア人関連祖先系統をほとんど有していません。

 古代型ホモ属(絶滅ホモ属)祖先系統の供給源を調べるため、信頼性の高いハプロタイプ(図3d)が推測され、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のネアンデルタール人(関連記事)およびシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)のネアンデルタール人(関連記事)とのハプロタイプ一致率が推定されました。ネアンデルタール人の一致率は全集団において単峰型で(図3e)、ネアンデルタール人のゲノム断片は人口集団の組み合わせで有意に重複しており、単一のネアンデルタール人集団からの非アフリカ系現代人集団の祖先への1回の遺伝子移入事象と一致します。

 逆に、デニソワ人から遺伝子移入された断片では、異なる最大値が見られました(図3e)。以前に報告されたように(関連記事)、2つの最大値兆候(デニソワ人のゲノムとの一致率は、それぞれ98.6%と99.4%)がアジア東部個体群で検出されただけではなく、台湾先住民やフィリピンのセブアノ人やポリネシア個体群でも見つかりました。約99.4%一致するハプロタイプは、約98.6%一致するハプロタイプよりも有意に長く、アジア東部人口集団では、アルタイ山脈のデニソワ人と密接に関連する人口集団からの遺伝子移入が、遺伝的により遠い関係の絶滅ホモ属集団からの遺伝子移入よりも新しく起きた、と示唆されます。

 パプア人関連人口集団でもデニソワ人の2つの最大値が観察され、一致率は約98.2%と約98.6%です。近似ベイズ計算を用いると、一貫して、パプアニューギニア高地人は2回の異なる混合の波を受けている、と確認されます。約98.6%の一致率のハプロタイプは、全人口集団で類似の長さでしたが、約98.2%の一致率のハプロタイプは、パプア人関連人口集団において、他の人口集団における98.6%の一致率のハプロタイプよりも有意に長い、と示されました。

 近似ベイズ計算パラメータ推定は、最初の混合の波が222000年前頃にアルタイ山脈デニソワ人と分岐した系統から46000年前頃に起き、パプア人関連人口集団への第二の混合の波が、アルタイ山脈デニソワ人と409000年前頃に分離した系統から25000年前頃に起きた、と裏づけます。このモデルは、アルタイ山脈デニソワ人とは比較的遠い関係にあるデニソワ人系統からの混合の波が46000年前頃に起きた、と報告した以前の研究(関連記事)よりも支持されました。本論文の結果は、パプア人関連集団の祖先とデニソワ人との複数の相互作用と、遺伝子移入元の絶滅ホモ属の深い構造を示します。

 フィリピンのアイタ人についても、2つのデニソワ人関連の最大値が観察され、それぞれ一致率は98.6%と99.4%です(図3e)。99.4%の最大値の方は、おそらくアジア東部人口集団からの遺伝子流動に起因します。アイタ人における遺伝子移入されたハプロタイプは、パプア人関連人口集団のハプロタイプと有意に重複していますが、パプア人とは関係ないデニソワ人祖先系統の比較的高い割合(図3c)は、追加の交雑を示唆します。

 ルソン島におけるホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)の発見(関連記事)を考慮して、ネアンデルタール人やデニソワ人以外の絶滅ホモ属からの遺伝子移入の可能性も調べられました。絶滅ホモ属の参照ゲノムを利用せずとも、現代人のゲノム配列の比較により絶滅ホモ属との混合の痕跡と思われる領域を検出する方法(関連記事)で、ネアンデルタール人とデニソワ人に由来するハプロタイプを除外すると、合計499万塩基対にまたがる59個の古代型ハプロタイプが保持され、ほとんどの集団で共通していました。アイタ人とセブアノ人に焦点を当てると、両集団に固有の遺伝子移入された約100万塩基対のハプロタイプしか保持されませんでした。これは、ホモ・ルゾネンシスが現代人の遺伝的構成に全く、あるいはほとんど寄与しなかったか、ホモ・ルゾネンシスがネアンデルタール人もしくはデニソワ人と密接に関連していたことを示唆します。以下は本論文の図3です。
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●絶滅ホモ属からの遺伝子移入の適応的性質

 絶滅ホモ属からの適応的な遺伝子移入の証拠は存在しますが(関連記事1および関連記事2)、オセアニア人口集団における役割を評価した研究はほとんどありません。本論文ではまず、適応的遺伝子移入兆候における濃縮について、5603の生物学的経路が検証されました。ネアンデルタール人とデニソワ人に由来する断片については、有意な濃縮がそれぞれ24と15の経路で観察され、そのうち9つは代謝機能と免疫機能に関連していました。

 ネアンデルタール人からの適応的遺伝子移入に焦点を当てると、OCA2やCHMP1AやLYPD6Bなどの遺伝子が複製されました(図4a)。また、免疫(CNTN5、IL10RA、TIAM1、PRSS57)、神経細胞の発達(TENM3、UNC13C、SEMA3F、MCPH1)、代謝(LIPI、ZNF444、TBC1D1、GPBP1、PASK、SVEP1、OSBPL10、HDLBP)、皮膚もしくは色素沈着表現型(LAMB3、TMEM132D、PTCH1、SLC36A1、KRT80、FANCA、DBNDD1)と関連する遺伝子の、以前には報告されていなかった兆候が特定され、ネアンデルタール人由来の多様体が、有益であろうとなかろうと、多くの現代人の表現型に影響を与えてきた、との見解(関連記事)がさらに裏づけられました。

 デニソワ人については、免疫関連(TNFAIP3、SAMSN1、ROBO2、PELI2)と代謝関連(DLEU1、WARS2、SUMF1)の遺伝子の兆候が複製されました。本論文では、自然免疫および獲得免疫の調節と関連する遺伝子(ARHGEF28、BANK1、CCR10、CD33、DCC、DDX60、EPHB2、EVI5、IGLON5、IRF4、JAK1、LRRC8C、LRRC8D、VSIG10L)における、14個の以前には報告されていない兆候が示されます。たとえば、細胞間相互作用を媒介し、免疫細胞を休止状態に保つCD33は、約3万塩基対の長さのハプロタイプを含み、オセアニア集団特有の非同義置換多様体(rs367689451-A、派生的アレル頻度は66%超)を含む、7個の高頻度の遺伝子移入された多様体を伴い、有害と予測されました。

 同様に、ウイルス感染に対するToll様受容体シグナル伝達とインターフェロン応答を調節するIRF4は、29000塩基対のハプロタイプを有しており、アイタ人では13個の高頻度多様体が含まれます(派生的アレル頻度は64%超)。これらの結果から、デニソワ人からの遺伝子移入が、病原体に対する耐性アレル(対立遺伝子)の貯蔵庫として機能することにより、現生人類の適応を促進した、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
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●島嶼環境への遺伝的適応

 太平洋の人口集団における古典的一掃と多遺伝子性適応の兆候が調べられました。デニソワ人からの適応的遺伝子移入として識別されたTNFAIP3遺伝子(関連記事)を含む、全パプア人関連集団に共通する44個の一掃の兆候が見つかりました。最も強く的中したなかには、妊娠中に内因性プレグナノロンの抗痙攣作用を媒介するGABRPと、肥満度指数および高密度リポタンパク質コレステロールと関連するRANBP17が含まれます。最高得点は非同義置換を特定し、おそらくはGABRPの多様体(rs79997355)に損傷を与え、パプアニューギニア高地人とバヌアツ人では70%以上の頻度ですが、アジア東部および南東部人口集団では5%未満と低頻度です。人口集団特有の兆候の中で、栄養欠乏に対する細胞応答を調節し、血圧と関連するATG7は、ソロモン諸島人で高い選択得点を示しました。

 高いアジア東部祖先系統を有する人口集団間では、29個の共有される一掃兆候が特定されました。最高得点は、ALDH2など複数遺伝子を含む約100万塩基対のハプロタイプと重複します。ALDH2欠損は、アルコールに対する有害反応を起こし、日本人では生存率増加と関連しています。ALDH2の多様体rs3809276の頻度は、アジア東部人関連集団では60%以上、パプア人関連集団では15%未満です。脂質異常症および中性脂肪水準とデング熱に対する保護と関連するOSBPL10周辺で強い兆候が検出され、これはネアンデルタール人からの適応的遺伝子移入と明らかになりました。人口集団特有の兆候として、ポリネシア個体群におけるLHFPL2が含まれ、その変異は、鋭い視力に関わるひじょうに多様な特性である眼の網膜黄斑の厚さと関連しています。LHFPL2の多様体はポリネシア個体群では約80%に達しますが、データベースには存在せず、研究されていない人口集団におけるゲノム多様性を特徴づける必要性が強調されます。

 ほとんどの適応的形質は多遺伝子性と予測されるので、形質関連アレルの統合されたハプロタイプ得点を、一致する無作為の一塩基多型のそれと比較することにより、充分に研究された遺伝的構造を有する25個の複雑な形質(関連記事)の方向性選択が検証されました。対照としてヨーロッパの個体群に焦点当てると、以前の研究で報告されたように、より明るい肌や髪の色素沈着への多遺伝子性適応兆候が見つかりましたが、身長に関しては見つかりませんでした(図4b)。太平洋の人口集団では、ソロモン諸島人とバヌアツ人で、高密度リポタンパク質コレステロールのより低い水準の強い兆候が検出されました。


●人類史と健康への示唆

 オセアニアへの移住は、現生人類の島嶼環境への生息と適応の能力に関する問題を提起します。現生人類の変異率と世代間隔に関する現在の推定を用いると、ニアオセアニアの45000~30000万年前頃の定住の後に、島嶼間の遺伝的孤立が急速に続くと明らかになり、更新世の航海は可能であったものの限定的だった、と示唆されます。さらに本論文では、アジア東部とオセアニアの人口集団間の遺伝的相互作用は、厳密な出台湾モデルで予測されていたよりも複雑だったかもしれない、と明らかになり、ラピタ文化出現後のニアオセアニアで少なくとも2回の異なる混合事象が起きた、と示唆されます。

 本論文の分析は、リモートオセアニアの定住への洞察も提供します。古代DNA研究では、パプア人関連の人々が、バヌアツへと最初の定住の直後に拡大し、在来のラピタ文化集団を置換した、と提案されています(関連記事1および関連記事2)。本論文では、現代のバヌアツ個体群におけるほとんどのアジア東部人関連祖先系統は、初期ラピタ文化定住者からよりもむしろ、混合されたニアオセアニア人口集団からの遺伝子流動の結果だった、と示唆されます。これらの結果は、ポリネシアからの「逆移住」の証拠と組み合わされて(関連記事1および関連記事2)、バヌアツにおける繰り返された人口集団の移動との想定を裏づけます。比較的限定された数のモデルの調査だったことを考慮すると、この地域の複雑な移住史の解明には、考古学と形態計測学と古ゲノム学の研究が必要です。

 本論文のデータセットにおける多様なデニソワ人から遺伝子移入されたゲノム領域の回収は、以前の研究(関連記事1および関連記事2)とともに、現生人類がさまざまなデニソワ人関連集団から複数の混合の波を受けた、と示します。第一に、アルタイ山脈デニソワ人と密接に関連するクレード(単系統群)に由来する、アジア東部固有の混合の波が21000年前頃に起きた、と推定されます。このクレードのハプロタイプの地理的分布から、その混合はおそらくアジア東部本土で起きた、と示されます。

 第二に、アルタイ山脈デニソワ人とは遺伝的に比較的と追い関係の別のクレードが、ニアオセアニア人口集団とアジア東部人口集団とフィリピンのアイタ人に、類似した長さのハプロタイプをもたらしました。本論文のモデルはニアオセアニアとアジア東部の人口集団の最近の共通起源を支持しないので、アジア東部人口集団はこれらの古代型断片を間接的に、アイタ人および/もしくはニアオセアニア人口集団の祖先的人口集団を経由して継承した、と提案されます。ニアオセアニア個体群の祖先への混合の波を仮定すると、この遺伝子移入はサフルランドへの移住の前となる46000年前頃に恐らくはアジア南東部で起きた、と推測されます。

 第三に、パプア人関連集団固有の別の混合の波は、アルタイ山脈デニソワ人とは遺伝的にもっと遠い関係にあるクレードに由来します。本論文では、この遺伝子移入は25000年前頃に起きたと推測され、スンダランドもしくはさらに東方で起きた、と示唆されます。ウォレス線の東方で見つかった絶滅ホモ属はホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)(関連記事)とホモ・ルゾネンシスで、これらの系統がアルタイ山脈デニソワ人と関連していたか、デニソワ人と関連する人類もこの地域に存在していた、と示唆されます。

 アジア東部とパプアの人口集団で検出されたデニソワ人からの遺伝子移入の最近の年代から、絶滅ホモ属は25000~21000年前頃まで生存していた可能性がある、と示唆されます。アイタ人における比較的高いデニソワ人関連祖先系統から、アイタ人の祖先が異なる独立した混合の波を経てきた、と示唆されます。まとめると、本論文の分析から、現生人類と絶滅ホモ属のひじょうに構造化された集団との間の交雑は、アジア太平洋地域では一般的現象だった、と示されます。

 本論文は、太平洋諸島住民の未記載の10万以上の頻度1%以上の遺伝的多様体を報告し、その一部は表現型の変異に影響を及ぼす、と予測されます。正の選択の候補多様体は、免疫と代謝に関連する遺伝子で観察され、太平洋諸島に特徴的な病原体および食資源への遺伝的適応を示唆します。これらの多様体の一部がデニソワ人から継承された、との知見は、現生人類への適応的変異の供給源としての絶滅ホモ属からの遺伝子移入の重要性を浮き彫りにします。

 高密度リポタンパク質コレステロールの水準と関連する多遺伝子性適応の兆候からは、脂質代謝における人口集団の違いがあり、この地域における最近の食性変化への対照的な反応を説明している可能性がある、と示唆されます。太平洋地域の大規模なゲノム研究は、過去の遺伝的適応と現在の疾患危険性との間の因果関係を理解し、研究されていない人口集団における医学的ゲノム研究の翻訳を促進するために必要です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


遺伝学:太平洋地域の人類集団の祖先を読み解く

 太平洋地域の人類集団史の詳細な分析について報告する論文が、今週、Nature に掲載される。今回のゲノム研究は、ヒトの進化、ヒト族の異種交配、そして島嶼環境での生活に応じて起こる適応に関して新たな知見をもたらした。

 太平洋地域は、パプアニューギニア、ビスマルク諸島、ソロモン諸島を含む「近オセアニア」と、ミクロネシア、サンタクルーズ、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジー、ポリネシアを含む「遠オセアニア」に分けられる。人類は、アフリカから移動した後、約4万5000年前に近オセアニアに定住した。遠オセアニアに人類が定住したのは、それよりずっと後の約3200年前のことで、現在の台湾からの移住だった。

 この人類集団史をさらに探究するため、Lluis Quintana-Murci、Etienne Patinたちの研究チームは、太平洋地域に分布する20集団のいずれかに属する現代人317人のゲノムを解析した。その結果、近オセアニア集団の祖先の遺伝子プールが、この集団が太平洋地域に定住する前に縮小し、その後、約2万~4万年前にこの集団が分岐したことが判明した。それからずっと後、現在の台湾から先住民族が到来した後に、近オセアニア集団の人々との混合が繰り返された。

 太平洋地域の集団に属する人々は、ネアンデルタール人とデニソワ人の両方のDNAを持っている。デニソワ人のDNAは複数回の混合によって獲得されたもので、これは、現生人類と古代ヒト族との混合が、アジア太平洋地域で一般的な現象だったことを示している。ネアンデルタール人の遺伝子は、免疫系、神経発生、代謝、皮膚色素沈着に関連した機能を備えているが、デニソワ人のDNAは主に免疫機能と関連している。そのため、デニソワ人のDNAは、太平洋地域に初めて定住した者が、その地域で蔓延していた病原体と闘うために役立つ遺伝子の供給源となり、島嶼環境の新たな居住地に適応するために役立った可能性がある。



参考文献:
Choin J. et al.(2021): Genomic insights into population history and biological adaptation in Oceania. Nature, 592, 7855, 583–589.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03236-5

森恒二『創世のタイガ』第8巻(講談社)

 本書は2020年8月に刊行されました。第8巻は、タイガたちのいる現生人類(Homo sapiens)の集落で、リクが集落の住人とともに鉄製武器の製作を試みている場面から始まります。すでに何度か失敗していたリクは、それも踏まえて今回ついに成功します。リクはタイガの要求に応じて鉄の剣を2本製作し、その他に槍と斧を1本ずつ製作します。剣2本をタイガが、斧をナクムが、槍をカシンが持ち、その威力を実演してみせたところ、集落の人々はその威力に驚嘆します。タイガたちはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に襲撃される現生人類を助けことにし、早速現生人類を襲っていたネアンデルタール人を撃退します。そこで鉄剣は大きな威力を発揮しますが、タイガとアラタは、せいぜい7000年前頃から使われ始めたと言われている投石紐を、ネアンデルタール人が使っていたことに疑問を抱きます。

 タイガたちが集落に戻ると、チヒロが山羊の世話をしていました。チヒロはカシンに山羊を捕獲してもらい、牧畜を始めようとしていました。ここで、ヤギの乳を飲もうとしてユカが吐いたことから、ユカの妊娠が明らかになります。ユカはネアンデルタール人に拉致されて強姦されてしまい、そこで妊娠したようです。タイガたちがネアンデルタール人を殺し過ぎたからこうなったのだ、と責めるレンにアラタは激怒し、タイガはリクに、ネアンデルタール人と戦うなと要求するなら守れない、と覚悟を迫ります。ユカは自暴自棄になり、池に入って流産しようとしますが、ナクムはそれを阻止して自分や妻子とともに住まわせることにします。それでも流産しようとするユカを、その子供は敵(ネアンデルタール人ではなく)ではなく自分たちの子供だ、とナクムは諭します。

 ナクムは、その後もネアンデルタール人と遭遇して戦闘になったことから、同じ現生人類の西の民と同盟を結ぼうとします。タイガもアラタも同行しますが、2人は以前に市の民と遭遇していました(第5巻)。タイガの近くにマンモスのアフリカが寄ってきますが、西の民を恐慌に陥らせると考えたタイガは、アフリカを同行させないことにします。タイガたちは西の民の集落に到着しますが、警戒されているようです。そこでナクムは、斧を置いて、タイガとカシンだけを連れて同盟締結交渉に臨みます。しかし、西の民はナクムたちを信用しません。そこへ、西の民のカイザという腕自慢の男性が現れ、ナクムに決闘を挑みます。ナクムは、自分より強いからと言って、タイガにカイザと戦わせます。タイガは、自分が勝ったら協力してもらう、と要求しますが、カイザは、自分がまけることはあり得ず、お前たちを殺す、と強硬な姿勢を変えません。そこへ、以前タイガに命を救われた(第5巻)男性が現れ、勝者の約束は自分が保証する、と訴えます。タイガはカイザの力に圧倒されつつも、はるかに上回る技術と強力な鉄剣により、カイザをほとんど傷つけずに倒します。

 しかし、そこに多数のネアンデルタール人が襲撃してきて、このままでは勝てないと判断したタイガは、近くにいるアフリカを呼ぶために一旦離脱します。そのタイガの行動に西の民やカシンは不信感を抱きますが、ティアリとナクムはタイガを信じます。その間、投石紐を用いるネアンデルタール人に西の民とナクムたちは何とか押しとどめますが、ネアンデルタール人たちに挟撃されて苦戦します。ネアンデルタール人たちを率いているのは、以前に現生人類の集落を襲撃した時も指揮官的な役割を担っていたドゥクスでした。崖の上から戦況を確認していたドゥクスはナクムの存在に気づき、マンモス(作中では当時の人々はドゥブワナと呼んでいます)タイガがどこにいるのか、探します。そこへタイガがアフリカに乗って現れ、戦況は一気に逆転します。ドゥクスに気づいたタイガは、アフリカから降りてドゥクスを倒そうとし、苦戦しつつも狼のウルフの助けも得て、ドゥクスを圧倒して鉄剣で斬りつけますが、ドゥクスは金属製のサバイバルナイフのようなものでそれを防ぎます。タイガが衝撃を受けている隙にドゥクスは他のネアンデルタール人とともに撤退します。

 襲撃してきたネアンデルタール人を退け、ナクムは再度西の民に同盟を締結するよう、説得しますが、西の民はナクムたちを信用しません。そこでタイガは、アフリカを使って脅しつつ、西の民は同志であり兄弟なので守る、と訴えます。続いてナクムも西の民を同胞(兄弟)と呼び、ナクムたちに強い不信感を示し続けてきたカイザも感激し、同盟締結に成功します。その後ナクムたちは、点在する現生人類の部族と交渉していき、ネアンデルタール人への脅威から同盟交渉は順調に進みます。とくに、マンモスに乗るタイガの効果は絶大でした。タイガは、ドゥクスが金属製のサバイバルナイフのようなものを持っていたことから、自分たち以外に未来からこの時代に来ている人間がいる、と仲間に伝えます。リカコは、が金属製のサバイバルナイフのようなものがアーミーナイフで軍用ではないか、と推測します。その頃、洞窟のネアンデルタール人の拠点では、1人の男性がネアンデルタール人たちを前に演説していました。迷ってはいけいない、迷いは罪である、どれほど我々に似ていても我々以外は人ではない、我々白き民が支配する清浄な世界、一民族による世界の統治が我が総統の夢であり、第三帝国は復活し、歴史は書き換えられるのだ、と男はネアンデルタール人たちに訴えます。男の背後の岩壁には、鉤十字の模様が彫られていました。


 第8巻はこれで終了となります。第8巻は、鉄の武器の製作やユカの妊娠や他の現生人類部族との同盟交渉なども描かれましたが、やはり、以前から言及されていたネアンデルタール人の「王」の正体が明かされことこそ、最大の見せ場と言うべきでしょうか。この男性は、第三帝国の復活が目標と発言していますから、1945年以降の世界から更新世にやって来た、と推測されます。この男性が、第三帝国の軍人なのか、それともナチスとの直接的関りはなく、軍事訓練を受けたネオナチなのか、まだ分かりません。また、この男性にタイガたちのような同行者がいるのかも、まだ明らかになっていません。この男性は(作中舞台から見て)未来の知識を活用してネアンデルタール人を心服させていったのかもしれませんが、「色つき」を滅ぼそうとする意図は、ナチズム信奉者ならば不思議ではないとしても、同じ現生人類ではなくネアンデルタール人の方に肩入れする理由はよく分かりません。ただ、男性がタイガたちと違って人類学に疎ければ、ネアンデルタール人と現生人類の違いもさほど気にならず、単に肌の色を重視してネアンデルタール人による「世界征服」を試みている、とも考えられます。正直なところ、ナチスを敵役として出すのは安易なようにも思いますが、いよいよ本作の核心に迫って来た感もあり、私はかなり楽しんで読んでいます。なお、第1巻~第7巻までの記事は以下の通りです。

第1巻
https://sicambre.at.webry.info/201708/article_27.html

第2巻
https://sicambre.at.webry.info/201801/article_28.html

第3巻
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_42.html

第4巻
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_57.html

第5巻
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_44.html

第6巻
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_41.html

第7巻
https://sicambre.at.webry.info/202009/article_22.html

古人類学の記事のまとめ(43)2021年1月~2021年4月

 2021年1月~2021年4月のこのブログの古人類学関連の記事を以下に整理しておきます。なお、過去のまとめについては、2021年1月~2021年4月の古人類学関連の記事の後に一括して記載します。私以外の人には役立たないまとめでしょうが、当ブログは不特定多数の読者がいるという前提のもとに執筆しているとはいえ、基本的には備忘録的なものですので、今後もこのような自分だけのための記事が増えていくと思います。


●ホモ属登場以前の人類関連の記事

現代人の骨盤の性差の起源
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_7.html

マウンテンゴリラの情報伝達
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_25.html


●フロレシエンシス・ネアンデルタール人・デニソワ人・現生人類以外のホモ属関連の記事

鮮新世温暖期の偏西風
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_10.html

ホモ・エレクトスと現生人類の頭蓋進化の比較
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_26.html

初期ホモ属の祖先的な脳
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_19.html


●ネアンデルタール人関連の記事

ネアンデルタール人に関する「ポリコレ」や「白人」のご都合主義といった観点からの陰謀論的言説
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_12.html

『地球ドラマチック』「ネアンデルタール人 真の姿に迫る!」
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_17.html

新型コロナウイルス感染症の重症化危険性を低下させるネアンデルタール人由来の遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_22.html

ネアンデルタール人の南限範囲の拡大および現生人類と共通する石器技術
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_25.html

地球環境の変化を引き起こした42000年前頃の地磁気逆転
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_27.html

2021年度アメリカ自然人類学会総会(ユーラシア現代人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響の地域差)
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_34.html

新たな手法により推測される人類史における遺伝的混合
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_8.html

ネアンデルタール人由来の遺伝子に起因する新型コロナウイルス症への悪影響
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_14.html

洞窟堆積物から得られたネアンデルタール人の核DNA
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_20.html


●デニソワ人関連の記事

アジア南東部現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_29.html

麻柄一志「侯家窰(許家窰)遺跡をめぐる諸問題-中国の中期旧石器文化はどこから来たか?」
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_23.html


●フロレシエンシス関連の記事

ホモ・フロレシエンシスの摂食生体力学
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_17.html


●現生人類の起源や象徴的思考に関する記事

アフリカ西部における11000年前頃までの中期石器時代の持続
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_24.html

スラウェシ島の45000年以上前の洞窟壁画
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_25.html

現生人類系統の起源に関する総説
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_15.html

中国南部における初期現生人類の年代の見直し
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_19.html

極東アジア最古の現生人類の年代
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_30.html

アフリカの人口史
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_2.html

オーストラリア最古の岩絵の年代
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_7.html

現生人類のmtDNAの進化速度の見直し
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_10.html

過去5万年のフィリピンへの複数回の現生人類の移住
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_32.html

ヨーロッパ最古級となるバチョキロ洞窟の現生人類のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_9.html

ヨーロッパ最古級となるチェコの現生人類遺骸のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_11.html

国武貞克「中央アジア西部における初期後期旧石器時代(IUP期)石器群の追求と日本列島到来の可能性」
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_15.html

加藤真二「華北におけるMIS3の大型石器インダストリー」
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_16.html


●日本列島やユーラシア東部に関する記事

上部旧石器時代後期から中世までのアジア北東部の複雑な人口史
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_14.html

男性に偏った移住を示す貴州省のフェイ人(回族)
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_3.html

日本列島「本土」集団の「内部二重構造」モデル
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_4.html

ホンシュウオオカミのゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_7.html

歯根形態と関連する遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_9.html

前期新石器時代~漢代の山東省の人類の母系の遺伝的構造
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_11.html

古代ゲノムデータに基づくアジア東部各地域集団の形成史
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_15.html

スキタイ人集団の遺伝的構造
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_33.html

新疆ウイグル自治区の青銅器時代以降の住民のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_4.html

九州の縄文時代早期人類のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_12.html


●アメリカ大陸における人類の移住・拡散に関する記事

北アメリカ大陸の絶滅したダイアウルフのイヌ科進化史における位置づけ
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_28.html

イヌの家畜化のシベリア起源説
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_13.html

海鳥グアノ肥料により1000年頃から発達したアタカマ砂漠の農業
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_20.html

アメリカ大陸へのイヌの最初の拡散経路
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_19.html

後期更新世アジア北部におけるY染色体ハプログループC2aの拡大とアメリカ大陸先住民の起源
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_22.html

南アメリカ大陸先住民におけるオーストラレシア人との遺伝的類似性
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_2.html

ヨーロッパ人侵出以前のアマゾン川流域における人口減少と森林再生
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_32.html


●ネアンデルタール人滅亡後のユーラシア西部に関する記事

ドイツ南部の銅器時代の親族と社会組織
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_5.html

コーカサスの上部旧石器時代層堆積物のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_16.html

後期新石器時代から鐘状ビーカー期のフランスの人類集団の遺伝的多様性
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_23.html

ヨーロッパ東部の石器時代から青銅器時代における人類集団の遺伝的変化
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_31.html

ポーランド南東部の縄目文土器文化集団の遺伝的多様性
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_40.html

池谷和信「アジアの新人文化における狩猟活動について―アラビア半島の犬猟に注目して」
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_2.html

ドイツの新石器時代集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_11.html

クロアチアの中期銅器時代の虐殺犠牲者の遺伝的分析
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_17.html

デンマークの新石器時代単葬墳文化の人々の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_24.html

グリーンランド現代人におけるヨーロッパ人からの遺伝子流動の時期
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_29.html

新石器時代アナトリア半島における親族パターンの変化
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_31.html


●進化心理学に関する記事

Joseph Henrich『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化−遺伝子革命〉』第2刷
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_3.html

ヒトの幼児の食べ方の学習
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_9.html

類似した文脈で世界共通に現れるヒトの16種類の顔表情
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_19.html

自閉症におけるde novo縦列反復配列変異のパターンとその役割
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_20.html

山田仁史「宗教と神話の進化―集団間の動態におけるその役割」
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_28.html

人間は減法的変化を体系的に見落とす
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_24.html


●その他の記事

野生のニューギニア・シンギング・ドッグ
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_8.html

イヌの家畜化の初期段階
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_15.html

アルコール摂取と疾患の遺伝的関連の分析に生じる偏り
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_18.html

更新世の氷期の海洋循環を再編成する南極氷山
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_33.html

古気候の証拠の解釈の見直し
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_37.html

氷河期の北極海が淡水化していた時期
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_12.html

マダガスカル島現代人の起源
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_18.html

100万年以上前のマンモスのDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_26.html

放射性炭素年代と遺伝的データによるマンモスの絶滅過程
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_27.html


過去のまとめ一覧

古人類学の記事のまとめ(0)
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古人類学の記事のまとめ(1)
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古人類学の記事のまとめ(3)
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古人類学の記事のまとめ(4)
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古人類学の記事のまとめ(5)
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https://sicambre.at.webry.info/201905/article_1.html

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https://sicambre.at.webry.info/201909/article_1.html

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