澤藤りかい、蔦谷匠、石田肇「アジア東部のホモ属に関するレビュー」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P101-112)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 近年、遺跡の発掘とともに遺伝学の知見も増え、中期更新世以降の人類史がかなり多様であった、と明らかになってきました。たとえば、遺伝学により初めて見つかった種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)、ルソン島から発見された新たな種ホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)などが、相次いで報告されています。また、新たな年代測定値が報告され、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)やホモ・エレクトス(Homo erectus)の年代観も更新されました。本論文は、ユーラシア東部(現在の中国とアジア南東部)において、さまざまな人類、とくに現生人類(Homo sapiens)以外のホモ属(古代型ホモ属、絶滅ホモ属)が、どの地域にいつ生息していたのかに焦点を当て、化石の出土している遺跡について、現時点で最新の知見を外観するとともに、現生人類の拡散時期に関しても概説して現時点での情報を整理し、今後ホモ属の系統推定や分類群同定に使われるだろう新たな手法を解説します。


●ホモ・エレクトス

 ホモ・エレクトスはアフリカとヨーロッパと中国とジャワ島で見つかっており、200万年前頃から10万年前頃までと生息年代はひじょうに幅広いとされています。エレクトスの分類に関しては、アフリカのエレクトスをホモ・エルガスター(Homo ergaster)という別種にするなど様々な説がありますが、本論文はアフリカの化石群も同じエレクトスとして、エレクトスを「広義」のもの(Homo erectus s.l.)として扱う。エレクトスの最古の化石は、南アフリカ共和国のドリモレン(Drimolen)で発見された204万年前頃の頭蓋(DNH134)です(関連記事)。ヨーロッパで最初期の化石としては、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)で180万年前頃の、5個体分の頭蓋と4個体分の下顎骨が発見されています(関連記事)。

 中国では上陳(Shangchen)から212万年前頃までさかのぼる石器が出土し、この頃から人類が生息していた可能性が報告されています(関連記事)。この石器を用いたのはエレクトスと考えられている。中国では他にも、泥河湾盆地(the Nihewan basin)の馬圏溝III(Majuangou III)で166万年前頃の石器、上砂嘴(Shangshazui)から170万~160万年前頃の石器が出土しています(関連記事)。化石としては、前期更新世に関しては上陳の近くに位置する陝西省の藍田県(Lantian County)公王嶺(Gongwangling)で165万~163万年前頃の頭蓋が発見されています(関連記事)。また、中国南部の雲南省楚雄イ族自治州元謀(Yuanmou)で170万年前頃の切歯2本が見つかっていますが(関連記事)、化石の年代に関しては批判もあります。湖北省恩施トゥチャ族ミャオ族自治州建始(Jianshi)県竜骨洞(Longgudong)では、214万年前より古い地層から4本の歯が発見されています。現時点では、石器の証拠と合わせて考えると、中国では170万~160万年前頃にはホモ・エレクトスが進出していた、というのが確からしい推定と考えられます。

 中期更新世に関しては、周口店(Zhoukoudian)から77万年前頃の6個体分の完全な頭蓋と100本以上の歯などが出土しており、最小個体数は40という大規模な化石群が発見されています(関連記事)。これがいわゆる北京原人ですが、周口店の化石は第二次世界大戦の際に消失しており、実物は残っていません。他にも64万年前頃の山東省沂源(Yiyuan)県など複数の遺跡から化石が出土しています。周口店の化石は、その年代の下限について様々な報告がありますが、40万年前頃と考えられています。また同時期に、中国南部の安徽省馬鞍山市和県(Hexian)で41万年前頃の化石も出土していますが、和県の化石に関しては、中国北部のエレクトスとは形態が異なり、異なる系統との指摘もあります。現時点で、中国においては40万年前頃にエレクトスが消滅したと考えられます。

 ジャワ島のホモ・エレクトスの年代はひじょうに幅広く、おもな遺跡は前期(130万~80万年前頃)のサンギラン(Sangiran)やトリニール(Trinil)、中期(30万年前頃)のサンブンマチャン(Sambungmacan)、後期(10万年前頃)のンガンドン(Ngandong)です。サンギラン遺跡のエレクトスの上限年代は127万年前頃もしくは145万年前頃で、少なくとも150万年前よりは新しい、と示されました(関連記事)。一方で、サンギラン遺跡のエレクトスの下限年代は79万年前頃です(関連記事)。最も新しいンガンドン遺跡のエレクトスの年代は7万~4万年前頃と推定されていましたが(関連記事)、近年では117000~108000年前頃と推定されています(関連記事)。


●ホモ・ルゾネンシス

 ルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)の2003年の発掘では25000年前頃の地層で終了していましたが、2004年のホモ・フロレシエンシスの報告を受けて2007年から発掘が再会され、ホモ属の中足骨が発見されました。その後、他の部位の骨も発見され(歯7個、手の中節骨1個、手の末節骨1個、足の基節骨1個、足の中節骨1個、大腿骨1個)、少なくとも3個体分あると明らかになりました。このホモ属化石には、大臼歯のサイズがひじょうに小さいことや、指の骨には木登りに適応したと考えられる屈曲や関節面があることなど、エレクトスやフロレシエンシスとは異なる特徴が見られることから、ホモ・ルゾネンシスと新たに種として報告されました(関連記事)。この化石の年代は67000~50000年以上前と推測されています。ルソン島ではほかに70万年前頃と推定されている人類活動の痕跡(石器と解体痕のある動物骨)が見つかっており、この頃から既に人類が生息していたと考えられます(関連記事)。


●デニソワ人

 デニソワ人は2010年に報告された、遺伝学的に定義されたホモ属の分類群です(関連記事)。デニソワ人はシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見され、遺伝的には現生人類よりもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の方と近縁です。デニソワ人から現代人への遺伝的寄与は、フィリピンやメラネシアでとくに高い、と明らかになりました(関連記事)。これらの集団は、デニソワ洞窟から遠く離れたウォレス線(Wallace-Huxley line)の東側に居住しているので、意外な結果でした。デニソワ人と現生人類との交雑は少なくとも3回起こっていたと推定され、そのうち1回はウォレス線の東側で、約3万年前に起こったと考えられています(関連記事)。おそらくは本論文脱稿後に公表された最近の研究でも、デニソワ人と現生人類との複数回の混合の可能性が示されており、そのうちパプア人関連集団固有のデニソワ人からの遺伝子移入は25000年前頃に起き、その場所はスンダランドもしくはさらに東方だった、と推測されています(関連記事)。これらの知見から、デニソワ人はユーラシア東部に広く生息していた可能性も指摘されています。

 デニソワ人の化石は、デニソワ洞窟で指骨と歯など断片的なものが、甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で下顎骨が見つかっているだけです(関連記事)。デニソワ人は古代DNA分析を通じて存在が明らかになったホモ属の分類群なので、既知の化石の中にデニソワ人に分類されるものが含まれている可能性もあります。たとえば、後述する台湾沖で発見された19万~1万年前頃の澎湖1号(Penghu 1)化石や、37万~10万年前頃(諸説ある年代のうち最大幅)の河北省張家口(Zhangjiakou)市の陽原(Yangyuan)県の侯家窰(Xujiayao)遺跡で発見されたホモ属化石(関連記事)です。

 デニソワ人の年代に関して、デニソワ洞窟では、古い個体が195000年前頃から、最も新しい個体は76000~52000年前頃と推定されています(関連記事)。白石崖溶洞の下顎の年代は16万年以上前で、土壌DNA分析では10万~6万年前頃の地層からデニソワ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が検出されています(関連記事)。デニソワ人がどのくらいの年代幅で、またどのくらいの広さの範囲に生息していたのかは、現在の人類学の重要課題で、さらなる化石資料の発見や分析が待たれます。


●澎湖人

 上述の澎湖1号は、台湾沖の海底から発見されたホモ属の下顎骨です(関連記事)。その年代19万~13万年前頃または7万~1万年前頃と推定されています。この下顎骨はかなり頑健で大きく、臼歯の大きさは前期のジャワのエレクトス(サンギラン遺跡)と同程度に大きい、と報告されています。澎湖1号の形態は、安徽省馬鞍山市(Ma'anshan)の和県(Hexian)で発見された40万年前頃のホモ属化石(下顎骨・頭蓋・遊離歯など)と類似しています。この「和県人」はエレクトスとされていますが、近年見直されています。下顎骨と歯の分析からは、周口店などの中国北部やヨーロッパのエレクトスとは異なる形態をしており、アフリカのエレクトスに近い、と指摘されています。澎湖1号が他の人類とどのような系統関係にあるのかまだ不明ですが、白石崖溶洞のデニソワ人の下顎と類似しているとの報告もあるため、今後の研究が期待されます。


●後期古代型ホモ属

 中国などアジア東部のユーラシア大陸においては、エレクトスが進出した後の中期~後期更新世に、分類について議論のあるホモ属が出現する。アジアに出現したこの古代型ホモ属は、ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)、あるいは古代型サピエンス(archaic Homo sapiens)、あるいは後期古代型ホモ属(late archaic human)と呼ばれますが、年代幅や系統関係が不明である点も考慮し、本論文では後期古代型ホモ属が用いられます。この時代のホモ属化石として、河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された125000~105000年前頃のホモ属頭蓋があります(関連記事)。他にも陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡、遼寧省営口市の金牛山(Jinniushan)遺跡、上述の河北省張家口市陽原県の侯家窰遺跡、吉林省延辺(Yanbian)朝鮮族自治州の巣県(Chaoxian)遺跡、湖北省宜昌市長陽(Changyang)トゥチャ族自治県の遺跡、中国南部では広東省韶関市(Shaoguan)曲江区(Qujiang)馬壩(Maba)町の洞窟などが挙げられます。

 これらの後期古代型ホモ属化石は地理的に広範に分布しており、その系統を形態から推定するのは難しく、現地のエレクトスから進化したのか、アフリカやヨーロッパなどから古代型ホモ属が拡散してきたのか、あるいはそれらが交雑したのかなど、さまざまな状況が考えられますが、詳細は不明です(関連記事)。中には祖先的な特徴と派生的な特徴を併せ持つものもあり、これら後期古代型ホモ属化石のうち、デニソワ人に分類されるもの、もしくは交雑したものは存在するのか、またこれらの系統関係など疑問点は多く、今後の進展が期待されます。


●現生人類

 現生人類の出アフリカの最も早い証拠は、ギリシア南部のアピディマ洞窟(Apidima Cave)で見つかった、21万年以上前の現生人類的特徴を有する頭蓋です(関連記事)。レヴァントからは複数の現生人類的な化石が見つかっており、イスラエルのミスリヤ洞窟(Misliya Cave)では194000~177000年前頃の上顎骨(関連記事)、イスラエルのスフール(Skhul)およびカフゼー(Qafzeh)洞窟では12万~9万年前頃の複数の頭蓋などが見つかっています。このように、21万~6万年前頃までの間に、1回あるいは複数回の現生人類による出アフリカがありました。本論文は、6万年前頃までの現生人類の出アフリカをまとめて第1次出アフリカ、6万年前頃以降の現生人類の出アフリカを第2次出アフリカと定義します。

 現生人類の第一次出アフリカが、現在の中国やアジア南東部まで広がっていたのか、まだ不明な点が多いものの、中国に関しては、おもに南部で12万~6万年前頃のホモ属遺骸が発見されています。広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)では10万年前頃のホモ属下顎と数本の歯が見つかっており(関連記事)、湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞(Fuyan Cave)では12万~8万年前頃の47本の歯が発見されています(関連記事)。この他にも、広西壮族(チワン族)自治区の陸那(Luna)洞窟や、広西壮族(チワン族)自治区の柳江(Liujiang)や、江西省万年(Pytel)県の仙人洞(Xianren Cave)遺跡や、湖南省張家界市の黄龍洞(Huanglong)などがあります。ただ、これらの遺跡については、年代が疑わしいなど、疑問視する意見もあります(関連記事)。じっさい、最近の研究では、福岩洞など中国南部の6万年、さらには10万年以上前と主張されていた初期現生人類遺骸の実際の年代は35000年前頃以降で、完新世の遺骸も少なくない、と明らかになりました(関連記事)。中国に近いラオス北部のタンパリン(Tam Pa Ling)遺跡(関連記事)では現生人類的な頭蓋や下顎など5個体分の人骨が出土しており、後にこれらホモ属遺骸の一部の年代は7万年前頃と修正されましたが、この新たな年代についても批判があります。

 その他アジア南東部における初期現生人類の証拠としては、スマトラ島中部のリダアジャー(Lida Ajer)洞窟で発見された73000~63000年前頃と推定される現生人類の歯(関連記事)や、オーストラリア北部のマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰遺跡で発見された65000年前頃の磨製石器(関連記事)などがあります。しかし、これらに関しても確実な証拠なのかどうか、議論があります。リダアジャー洞窟の歯に関しては、博物館の収集品から見つかったもので、確実に古い地層由来なのか疑われており、マジェドベデ岩陰遺跡に関しても、年代が疑問視されています(関連記事)。ジャワ島のプヌン(Punung)で発見された、143000~118000年前頃の歯は、当初現生人類と報告されたものの、後にエレクトスと指摘されています。また、マレーシア西部のコタタンパン(Kota Tampan)遺跡で発見された、現生人類の所産とされる73000年前頃の石器に関しても、後に現生人類の所産ではない、と指摘されています。ただ、昨年(2020年)公表された研究では、コタタンパン遺跡の石器群は現生人類の所産と改めて主張されています(関連記事)。

 このように、アジア南東部における6万年前頃までの現生人類の決定的な証拠はまだ提示されていません。また、遺伝学における証拠からも、第1次出アフリカの人々の痕跡の確たる証拠はありません。以前、パプア人のゲノムに第1次出アフリカ現生人類集団の痕跡があると報告されましたが(関連記事)、その後の研究ではそうした証拠は見つかっていません(関連記事)。これらの知見を考慮すると、現時点では、現生人類は6万年前までにアジア南東部までは到達していない、あるいは到達していたとしても、それらの初期現生人類は絶滅し、第2次出アフリカの人々により置換された、と想定されます。

 6万年前頃以降の現生人類の第2次出アフリカに関する早期の証拠としては、北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見されたものをここで挙げておく。中国北部では田園洞(Tianyuan cave)から4万年前頃の下顎や大腿骨があり、その核DNA解析から、現代のアジア東部やアメリカ大陸先住民集団に近縁で(関連記事)、すでにネアンデルタールやデニソワ人からの遺伝子流動が起きていた(関連記事)、と明らかになりました。また、中国南部では広西壮族(チワン族)自治区来賓(Lanbin)市麒麟山(Qilinshan)遺跡で44000~38500年前頃のホモ属遺骸が発見されています。

 アジア南東部では、大陸側のラオス北部のタンパリン(Tam Pa Ling)遺跡で、上述のように46000年以上前とされる現生人類の頭蓋や下顎などが出土していますが、上述のようにその年代に関しては議論があります。ボルネオのニア洞窟(Niah cave)ではからはと呼ばれる頭蓋が出土しており、その年代は45000~39000年前頃と推定されています。この頃の現生人類が他系統の人類と共存していたのか、まだ不明な点が多く残っています。メラネシア現代人に関しては、上述のように3万年前頃以降の(おそらくは)アジア南東部におけるデニソワ人との交雑の証拠が指摘されているので、その推定年代が妥当ならば、少なくともデニソワ人とは共存していた時期があると考えられます。


●新たな手法

 今後、アジア東部では新たな人類遺骸の発掘とともに、既知の人類遺骸の年代測定・系統解析が行なわれると期待されます。とくに系統解析に関しては、古代DNA解析がこれまでよく用いられてきましたが、アジア東部・南東部は温暖・湿潤な地域で人類遺骸のDNAが保存されにくく、新たな手法が必要とされます。そこで近年注目されているのが、古代プロテオミクス分析です。これは2012年に本格的な応用が始まった比較的新しい研究分野で、古代DNAが残存しない標本や100万年以上前の標本にも適用可能です。380万年前頃のダチョウの卵殻(関連記事)や、190万±20万年前のギガントピテクス・ブラッキー(Gigantopithecus blacki)の歯のエナメル質(関連記事)など、近年ではさまざまな標本に適用されています。

 人類遺骸に関しては、スペイン北部で発見された949000~772000年前頃と推定されているホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)の歯エナメル質のプロテオミクス解析により、現生人類やネアンデルタールやデニソワ人と姉妹群である、と明らかにされました(関連記事)。ただ、ドマニシ遺跡の180万年前頃のホモ属のプロテオミクス分析では、系統関係を調べられるほど充分なデータは得られませんでした。チベットの白石崖溶洞で発見された16万年以上前の下顎骨き、古代プロテオミクス分析によりデニソワ人と同定されました(関連記事)。150万年以上前の古代プロテオミクス解析においては、骨や象牙質よりもエナメル質の方でタンパク質の残りがよい可能性も示唆されました。ただし、古代プロテオミクス分析も万能ではなく、DNAによる系統解析と比較すると解像度が悪く、詳細な系統解析が難しい場合も多くなります。また、タンパク質の種類や、ペプチドのアミノ酸の組成により残存しやすさが変化する、とも指摘されています。

 近年海水や土壌などからの環境DNA解析が増えてきています。デニソワ洞窟の土壌から、ネアンデルタール人とデニソワ人に由来する配列をもつDNAが確認されました(関連記事)。また、上述の16万年以上前のデニソワ人の下顎骨が発見された白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)では、洞窟の土壌DNA解析も報告されており、デニソワ人由来のmtDNAが検出され、継続的なのか断続的なのかはまだ不明ですが、10万~6万年前頃にデニソワ人がこの白石崖溶洞に存在していた、と明らかになりました(関連記事)。ジョージア西部のイメレティ(Imereti)地域のサツルブリア(Satsurblia)洞窟の上部旧石器時代層堆積物(25000年前頃)のDNA解析では、オオカミやバイソンと共に、現生人類のミトコンドリアゲノムと核ゲノムが分析されました(関連記事)。今後、堆積物のDNA解析はさまざまな遺跡に適用されていく、と期待されます。

 成長途中の小児骨も形態分析の対象になる可能性があり、ネアンデルタール人の胸郭は0~3歳からすでに現生人類と異なる形態的特徴を示す、と指摘されています。ネアンデルタール人は現生人類より多くのエネルギーを必要とし、成人では大きな肺を格納するために胸郭は大きい、と示されています。そのため、ネアンデルタール人の胸郭は頭蓋方向に短く前後に深くなっており、腰側の胸郭は左右に広がっています。このような、成人のネアンデルタール人に特有の特徴を小児も有しており、この知見から、小児骨の形態分析によっても、どの人類集団かを同定できる可能性がある、と示されました。


参考文献:
澤藤りかい、蔦谷匠、石田肇(2021)「アジア東部のホモ属に関するレビュー」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)』P101-112