イタリア北部の16000年前頃の人類のDNA解析

 イタリア北部の16000年前頃の人類遺骸のDNA解析結果を報告した研究(Bortolini et al., 2021)が公表されました。イタリアのヴェネト州のリパロ・タグリエント(Riparo Tagliente)遺跡は、南アルプス山脈の斜面における人類居住の最初の証拠を表しますが、この地域で主要な氷河が交代し始めたのは17700~17300年前頃なので、この時期の人類の移動の影響に関する疑問を解決するのに重要です(図1A)。以下は本論文の図1です。
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 リパロ・タグリエント遺跡の標本抽出された個体の生物学的背景を評価するため、人類学的および遺伝学的分析が行なわれました。局所的なセメント質骨異形成症が見られる左側下顎骨(図2)は、その年代と、部分的に保存された埋葬から発掘された頭蓋後方の遺骸(タグリエント1号)との同時代性を独自に確認するため、直接的に年代測定されました。このタグリエント2号(Tagliente2)遺骸の左側第一大臼歯(LM1)の歯根の直接的な放射性炭素年代は16980~16510年前(以下、年代は基本的に較正されています)で、文化区分では後期続グラヴェティアン(Late Epigravettian)と確認されました。これは、タグリエント1号の16130~15560年前と近く、同じ文化背景となります。以下は本論文の図2です。
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 下顎および歯から採取された5点の標本でDNAが抽出され、X染色体と常染色体の網羅率の比率からタグリエント2号は男性と推定され、これは形態学的分析と一致します。タグリエント2号のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はU2'3'4'7'8'9で、他にもヨーロッパの旧石器時代の個体で見られ(図3A)、15500年前頃のリグニー1(Rigney 1)洞窟の個体および13000年前頃のパグリッチ・アクセッソ・サラ(Paglicci Accesso Sala)の個体により共有されています。タグリエント2号のY染色体ハプログループ(YHg)はI2a1b(M436)で、14000年前以前のヨーロッパにおけるYHgの多様性の大半を占めていました(図3B)。この期間の年代測定されたほんどの標本は、単一のmtHg-U5bおよびYHg-I2の系統に分類され、単一の創始者人口集団から拡大した、と推定されています。以下は本論文の図3です。
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 人口集団の観点から、外群f3距離(図4A)に基づくMDS(多次元尺度構成法)分析が実行され、タグリエント2号はより広範なヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)の範囲内に収まると明らかになり、以前に報告された14000年前頃となるイタリアのヴィラブルナ(Villabruna)遺跡個体に代表されるクラスタとの類似性が示されます。このヴィラブルナ集団は、少なくとも14000年前に以前のヨーロッパ狩猟採集民をほぼ置換した個体間の遺伝的類似性に基づいて定義されています(関連記事)。

 ヴィラブルナ集団は、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)やチェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡の3万年前頃の個体群など、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)までヨーロッパに存在していた狩猟採集民集団からの遺伝的寄与の痕跡を殆どもしくは全く示しません。ヴィラブルナ・クラスタを定義する特徴の一つは、それ以前の旧石器時代ユーラシア西部人により示される遺伝的構成要素よりも、近東集団とのより高い類似性です。

 f4検定でも、タグリエント2号がヴィラブルナ・クラスタと遺伝的特徴を共有しており、それ以前のヨーロッパ狩猟採集民の遺伝的背景との不連続性が確認されました。タグリエント2号とXとYとムブティ人によるf4検定で、この観察結果がさらに調べられました。Yは対象集団、Xは14000年前頃のヴィラブルナ個体もしくは13700年前頃のビション(Bichon)遺跡個体もしくは中石器時代となる11900年前頃のアペニン山脈のコンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)狩猟採集民です(図4B)。

 遺伝子型決定戦略(キャプチャ法のヴィラブルナ個体とショットガン法のビションおよびコンティネンツァ個体)による潜在的な偏りを制御するため、独立したWHGの3標本が選択され、データを比較するとじっさいに小さな不一致が見つかりました。この影響を最小限に抑えるため、ショットガンの結果の解釈に重点が置かれました。タグリエント2号と比較した場合、ヴィラブルナ個体やイベリア半島狩猟採集民など後のWHGとのコンティネンツァ個体とビション個体の遺伝的類似性は高く、これは、タグリエント2号のより古い年代により説明できるか、コンティネンツァ個体とビション個体が少なくとも14000年前頃までにヨーロッパ中央部に到達した祖先系統とより密接であることで説明できるかもしれません。

 あるいは、より新しいWHG標本群の間で現れるより高い類似性も、新たに到来したタグリエント2号に代表される個体群と、先住のドルニー・ヴェストニツェもしくはGoyet Q116-1的な遺伝的集団との間の、その後で起きた混合に起因するかもしれません。これは、ルクセンブルクの中期石器時代となる8100年前頃のロシュブール(Loschbour)遺跡個体ですでに報告されています。次に、タグリエント2号の系統樹内の位置がモデル化され、ヴィラブルナ系統内に収まると明らかになり、以前の結果が確認されます。以下は本論文の図4です。
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 本論文では、イタリア半島北部における早くも17000年前頃となるヴィラブルナ構成要素の存在が、ゲノムと片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)と年代測定の証拠により裏づけられました。17000年前頃には、この地域も含めて大きな文化移行が起きました。続グラヴェティアンの前期から後期への移行は急激ではなく、アドリア海とティレニア海の間の地域化および環境/文化的違いの出現にも関わらず、人工物の様式や石器縮小戦略の相対的頻度、原材料獲得と居住パターンの変化が、17000年前頃以降に記録されています。14000年前以後、幾何学的細石器への依存度の高まり、線刻や着色された骨、線形や幾何学模様や動物や擬人化を描いた石のより強い存在により、もっと顕著な不連続性が証明されます。

 続グラヴェティアンの前期から後期の移行は、アルプス山脈の氷河が26000~24000年前頃に最大に達した後の顕著な後退、および16500年前頃以降の海面の急速な上昇とほぼ同時です。これらの過程は、アルプス山脈の地形に大きな変化をもたらし、大アドリア海・ポー平原の広範な表面を安定させました。アルプス山麓の急速な森林再拡大は17000年前頃に始まり、それは15000~13000年前頃となるボーリング-アレロード(Bølling-Allerød)間氷期の温暖化のずっと前でした。アルプス山脈の麓は、開けた植生が遠方で発達した間、カバノキとカラマツのある(開けた)松林となりました。

 LGM末には、局所的な動物の利用可能性は限定的で、ほぼ開けた環境に適応した種で構成されており、そうした環境では、アルプスの野生ヤギのアイベックス(Capra ibex)やリス科のマーモット(Marmota marmota)のように温暖化する亜間氷期により高い場所に移動するか、好適な微気候の地域に退避することにより、最適な気候条件を見つけられました。ヨーロッパ中央部のほとんどの寒冷適応の大型動物種は、LGM開始の前にスロベニア回廊を通ってイタリア半島北部へと侵入しており、これはアドリア海全域で獲物を追って居住したグラヴェティアン期狩猟採集民と同じです。

 LGMにおいては、これら大型哺乳類の新たな到来と北方への移動の両方が妨げられ、それらは局所的に消滅するか、短いLGM亜間氷期と関連して絶滅しました。たとえば、ホラアナグマは24200~23500年前頃に絶滅しました。寒冷期の森林被覆の減少は、ポー平原の中核地域とベリチ丘の両方における、アイベックスやヤギ亜科のシャモア(Rupicapra rupicapra)やマーモットの存在により確認されます。同じ地域では、考古学的記録が、現在では北半球の高緯度地域でのみ見られる旧北区の鳥の存在を示しています。

 まとめると、本論文の結果は、相互に排他的ではないものの、二つの異なるシナリオを支持します。一方は、LGMおよびその直後に地中海とヨーロッパ東部をつなぐ退避地の広範なネットワークを含みます。このネットワークは、黒海からイベリア半島に至る文化的および遺伝的情報両方の段階的な交換を通じて、長距離の伝播を促進した可能性があります。現時点では利用可能な証拠で検証できないこのシナリオは、標本の年代、その場所、比較的豊富な近東現代人と共有されるヴィラブルナ遺伝的構成要素との間の関係を予測するでしょう。文化的観点からは、ヨーロッパ南部における前期および後期続グラヴェティアン物質文化の発展は、急速で千年規模の気候事象によっては直接的には駆動されず、人口移動を伴わない収束と局所的適応と文化的融合から生じた可能性があります。この場合、遺跡間の距離も石器群の類似性を予測するでしょう。

 もう一方のシナリオは代わりに、人口移動と置換、より急速な遺伝的交替、地理的勾配では充分に予測されない遺伝的および文化的両方の類似性の分布を示唆します。この人口集団の変化はLGMに起きた可能性があります。つまり、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolni Vestonice)遺跡で発見された1個体のような遺伝的構成要素がまだイタリア南部のオストゥーニ(Ostuni)に存在した27000年前頃以後から、17000年前頃以前のことです。ヴィラブルナ系統を有する集団は、スロベニア回廊と海面の低下したアドリア海の沿岸を用いて、ポー平原までのイタリア半島アドリア海地域に居住し、その後ようやくアルプス山脈前方の渓谷に再居住したかもしれません。このモデルによると、27000年前頃以後、イタリア半島およびその後でのみ現在のフランスやスペインで見つかる遺伝的系統は、ヴィラブルナ・クラスタと、mtHg-U2'3'4'7'8'9および/もしくはYHg-I2・R1aに分類される片親性遺伝標識系統のどちらか、もしくは両方を示すはずです。このモデルによると、続グラヴェティアン全期でイタリアにおいて記録された文化的変化は、少なくとも一部は人口集団の置換と関連する過程により引き起こされた可能性があります。

 文化的観点から、利用可能な考古学的記録の偏った時空間的分布は、これら二つのモデル間の直接的識別に用いることはほとんどできず、イタリア半島全域の後期続グラヴェティアン開始の根底にある時間的動態には依然としてかなりの不確実性があります。18000~17000年前頃以降、ヨーロッパ南西部におけるソリュートレアン(Solutrean)からマグダレニアン(Magdalenian)への物質文化移行と、ローヌ川からロシア南部平原にいたる広大な地域における続グラヴェティアンの前期から後期への物質文化移行の証拠があります。環境圧力はLGMにおける大型動物の移動を条件付け、ヨーロッパ南部とバルカン半島とヨーロッパ東部をつなぐ回廊への人類集団の移動を制約しました。

 この期間に、ヨーロッパ南部の人類集団はヨーロッパ中央部および北部の他地域と比較して、限定的な生態学的危険性に曝されていました。イタリア南部のプッリャ州(Apulia)のパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)出土の個体群のストロンチウム同位体組成の変動は、グラヴェティアンと前期続グラヴェティアンの狩猟採集民間の居住移動性パターンと適応的戦略の顕著な変化を示します。気候変化のあらゆる背景となる証拠が欠如していることを考えると、これらの違いは文化的要因が理由で、続グラヴェティアンの初期段階ですでに起きていたかもしれない人口集団置換と関連している可能性があります。

 他方、イタリア半島とバルカン半島との間の人工物様式の分布における類似性は、東方・スロベニア経路でのヨーロッパ中央部からの技術複合拡大の可能性を裏づけ、続グラヴェティアン狩猟採集民の長距離移動性を示唆します。しかし、同じパターンは、社会的ネットワーク仮説を支持して、この見解に異議を唱えるのに用いられてきました。バルカン半島とイタリア半島の状況の間の類似性は、グラヴェティアン期から中石器時代まで記録されており、接触には、石材や海洋性軟体類や装飾品のビーズや粘土の小立像や装飾モチーフや石器技術が含まれます。同時に、人類の移動・相互作用の代理としての、有鋌石镞(shouldered points)など一部の文化的指標の信頼性が、最近では疑問視されています。

 片親性遺伝標識は、この提案された二つのシナリオの解明に役立つ可能性があります。確かな遺伝的および年代的根拠に基づいてヴィラブルナ・クラスタに区分される標本の大半(図3)は、mtHgとYHgの限定的な数の系統を共有しています。片親性遺伝標識のヴィラブルナ系統内での多様性低下は、ネットワークを中断するボトルネック(瓶首効果)、もしくは人口集団移行のより広範なシナリオにおける創始者事象と一致します。この片親性遺伝標識は、アドリア海全域の切れ目のない文化的交換、および東方のゲノム構成要素との増加する類似性と組み合わされて、遺伝的置換を本論文の結果への最も可能性の高い説明とします。

 ヴィラブルナ母系内の18500年前頃となるパグリッチ系統の存在からは、イタリア半島南部における18500年前頃もしくはそれ以前の創始者事象と、氷河後退の始まりにおけるイタリア半島北部での後の拡大が主張されます。この観点から、タグリエント2号は南アルプス地域にほぼ居住していたと考えられ、その基底部のmtDNA系統を説明します。南方回廊を通じてのヨーロッパ東西間のより早期のつながりの可能性は、拡大LGMネットワークの形態、もしくはヨーロッパ西部におけるヴィラブルナ的個体群の早期の到来として、ゴイエット2(Goyet-2)的祖先系統とヴィラブルナ・クラスタと関連する祖先系の混合を示す、イベリア半島北東部のエルミロン(El Mirón)遺跡の18700年前頃の個体によっても裏づけられます(関連記事)。

 この新たな遺伝的シナリオの最も節約的な解釈からは、LGM末からヤンガードライアス末(11700年前頃)にかけてヨーロッパ南部で観察される累積的な文化的変化は、少なくとも部分的には、南東部の退避地からイタリア半島への遺伝子流動により引き起こされた、と示唆されます。この過程はその初期段階およびアルプス山脈以南では、後のボーリング-アレロード事象とは独立しており、イタリア半島全域およびそれ以外でLGM以前の祖先系統の漸進的な置換に寄与しました。しかし、この仮説を検証するには、27000~19000年前頃のヨーロッパ南部のさらなる遺伝的証拠と、イタリア半島と人口移動の推定起源地との間の文化的類似性の分析が必要となるでしょう。

 結論として、タグリエント2号は全てのヨーロッパ人の遺伝的背景に強く影響を及ぼした主要な移動が、以前に報告されていたよりもかなり早くヨーロッパ南部で始まり、LGMの最盛期後の寒冷期にはすでにヨーロッパ南部で起きていた、という証拠を提供し、それはおそらく氷河の段階的縮小とボーリング-アレロード期の急速な温暖化に先行する森林拡大により支持されます。この段階で、ヨーロッパ南部とバルカン半島とヨーロッパ東部およびアジア西部は、LGMにおける潜在的退避地の同じネットワークへとすでに接続されており、遺伝的および文化的両方の情報を交換し、観察された人口集団置換の基礎を示します。この知見は、ヨーロッパ南部の同時代の物質文化の経時的変化における妥当な人口構成要素に関する以前の議論をさかのぼらせ、この過程を続グラヴェティアンの前期と後期の移行期に時間的に位置づけますが、あるいはその過程は続グラヴェティアンの最初期に位置づけられる可能性さえあります。


参考文献:
Bortolini E. et al.(2021): Early Alpine occupation backdates westward human migration in Late Glacial Europe. Current Biology, 31, 11, 2484–2493.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2021.03.078