福岡県那珂川市安徳台遺跡出土弥生中期人骨のDNA分析

 本論文(篠田他.,2020)は、「新学術領域研究(研究領域提案型)計画研究B01【調査研究活動報告2018年度】考古学データによるヤポネシア人の歴史の解明」の研究成果の一環となります。福岡県那珂川市の安徳台遺跡は弥生時代中期の大規模な集落で、1997年~2003年までの7年間の発掘により、集落跡からは多くの住居跡や豊富な副葬品のある首長の墓と推定される10基の甕棺墓が発見されています。このうちの6 基は4 m×5 m の巨大な墓坑に集中して埋葬されており、貝輪やガラス製の勾玉や鉄剣などが副葬品として共伴していることから、この地域の有力首長の墓と考えられています。そのうち5 基の甕棺には人骨が残存しており、発掘の当初から、埋葬された人々の系統や被葬者間の血縁関係などに関心が持たれました。

 発掘当時にも、形態学的な研究とともにDNA の分析が試みられました。古人骨由来のDNA 分析では、解析した個体間の血縁関係に関する解析と、集団間の比較が行なわれますが、当時の分析法の限界から、解析対象は母系に遺伝するミトコンドリアDNA(mtDNA)の一部領域に留まっており、そこから得られる情報にも限界がありました。また、最初に研究結果が報告された2006年以降にも縄文人と弥生人のDNA 分析が進み、現在では在来系の「縄文人」と弥生時代以降に渡来した人々のDNAについて多くのデータが蓄積されているので、系統に関してもより詳しい分析が可能になっています。とくに古人骨に残るDNA の解析は、次世代シークエンサ(NGS)と呼ばれる機器の開発により、2010 年以降に大きく進展しています。それまで不可能と考えられていた核DNAの解析も可能になったことで、1個体の分析だけでも、集団の遺伝的な特徴などの把握も可能になりました。本論文は、以前にmtDNAが分析された標本のNGSによる再解析結果を報告します。

 安徳台遺跡の10 基の甕棺のうち、これまで8 基が調査されており、その中で人骨が残っていた5基(安徳台2・3・5・8・10号)について、2016 年に再度標本を採取してNGSによる分析が行なわれました。以前は、DNAが最も残っているのは歯とされていましたが、最近では側頭骨錐体にある内耳骨にDNAが最も残っている、と考えられています。この研究でも、側頭骨からの標本抽出が可能な人骨については、錐体部が用いられました。分析の結果、mtDNAハプログループ(mtHg)の決定に充分な量のDNA断片が得られたのは安徳台5号だけでした。安徳台2号と10号では側頭骨が用いられましたが、いずれも満足な結果を得られず、形態が保たれている側頭骨であっても、必ずしも解析に足るDNA が残っていないこともある。と判明しました。安徳台遺跡は限られた地域に複数の甕棺が集中しており、その血縁関係に関心が持たれていましたが、今回の解析で確実な結果が得られたのは1個体だけだったので、相互の関係についての議論はできませんでした。

 安徳台5号のmtHgはB5bですが、これまでに報告されている下位区分のB5b1~5のいずれとも異なる特殊な系統で、中国で報告されている2個体とともにB5b6系統を形成します。現代人では、mtHg-B5はおもに中国南部に分布しており、現代日本人におけるmtHg-B5の割合は4.3%程度です。これまでに報告されている「縄文人」にはmtHg-B5は存在せず、弥生時代以降にアジア東部大陸部からもたらされた、と推測されます。

 安徳台5号では核ゲノムも解析され、Y染色体と判定されるDNA断片がほとんどないことから女性と判断されましたが、これは形態学的研究とも一致します。安徳台5号の核ゲノムデータから抽出された1098136ヶ所の一塩基多型データを用いて、おもにユーラシア東部の現代人と古代人を対象として主成分分析が実行されました(図2)。図2で、下から斜め右上の方向に向かって、現代の大陸の集団が北から南に向かって並んでいますが、これはアジア南東部からアジア東部の集団が互いに関係を持ちながらも、ある程度遺伝的に分化している様子を示しています。一方、現代日本人(本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」現代人)はこの大陸集団から離れた部分に位置しています。さらに、北京の中国人(漢人)と現代日本人の中間に1人の韓国人が位置しており、北京の中国人と現代日本人を結ぶ直線の反対側のはるか離れた場所に「縄文人」が位置しています。以下は本論文の図2です。
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 安徳台5号は、形態学的にも考古遺物の検討からも、典型的な「渡来系弥生人」と考えられています。したがって、安徳台5号の核ゲノムは「渡来人」の源郷と考えられる朝鮮半島や「中国」と類似する、と予想されました。しかし、その遺伝的な特徴は現代日本人の範疇に収まるものでした。この結果を単純に解釈すると、「渡来系弥生人」もかなり在来の「縄文人」と混血が進んでいたことになります。ただ現状では、弥生時代開始期における大陸側の遺伝的な特徴が明らかになっていないので、その検証はできません。今後、朝鮮半島における集団の遺伝的な変遷が明らかになれば、「渡来系弥生人」と規定される集団の成立についても、さらに推測が可能になるでしょう。

 一方、安徳台5号の遺伝的な特徴は、日本人の形成について新たな想定が必要なことを示唆しています。なぜならば、この集団が東進して在来の「縄文集団」を吸収していったとすれば、集団の内部に更に「縄文人」の遺伝子を取り込むことになり、現代日本人は更に「縄文人」に近づくことになります。「渡来系弥生人」との混血だけで現代日本人が形成されたとすると、東日本の「縄文人」が現代日本人に全く遺伝子を残していない、と仮定しない限り、「渡来系弥生人」は現代日本人と大陸集団の間に位置しなければなりません。渡来系集団が在来集団を絶滅させたという証拠はないので、この情況は弥生時代以降も渡来が続いていた、と考えないと説明できません。人類学の分野でも、これまで古墳時代以降の渡来について言及した研究者はいましたが、資料的な制約もあり、大陸からの渡来を弥生時代に限定した研究が多くなっていました。しかし本論文の結果から、アジア東部大陸部からの「渡来」の問題はその後の古墳時代までを視野に入れるべきである、と示されます。弥生時代後期の青谷上寺地遺跡出土人骨のゲノムはひじょうに多様性が大きい、と明らかになっています(関連記事)。弥生時代の「在来集団」と「渡来集団」の混合の様子は複雑で、さらに地域と時代の幅を広げて議論を進めていく必要があるでしょう。


 以上、本論文についてざっと見てきました。形態学的にも考古学的にも、安徳台遺跡の人類は典型的な「渡来系弥生人」と考えられてきましたが、遺伝的には現代日本人の範疇に収まる、と示されました。韓国釜山市の加徳島の獐項(ジャンハン)遺跡の6300年前頃の2個体は、核DNA解析から現代韓国人よりも「縄文人」的と明らかになっています(関連記事)。本論文刊行後の研究では、佐賀県唐津市大友遺跡の弥生時代早期人骨(関連記事)や、香川県高松市の高松茶臼山古墳の古墳時代前期人骨(関連記事)の核DNAが解析され、前者は既知の「縄文人」の範疇に、後者は現代日本人の範疇に収まる、と示されています。

 これらの知見に基づいて現代日本人の遺伝的形成過程をどう整合的に解釈すべきなのか、私の知見では難しく、日本列島に限らずユーラシア東部の古代DNA研究の進展を俟つしかなさそうです。現時点であえて推測すると、「縄文人」は時空間的に広範囲にわたって遺伝的にかなり均質な集団で、弥生時代以降にアジア東部大陸部から、「縄文人」とは大きく異なり青銅器時代西遼河地域集団と遺伝的に近い集団(関連記事)が日本列島に到来し(渡来系)、かなり後の時代まで、さまざまな程度の「(在来系)縄文人」と「渡来系集団」との混合割合の集団が存在しており、混合の進展は地域・時代差が大きかった、となります。弥生時代には遺伝的に「縄文人」そのものの集団と現代日本人の範疇に収まる集団とが存在し、「渡来系」そのものの遺伝的構成の集団も一時的に存在したでしょうから、弥生時代は日本列島の人類史上最も遺伝的異質性が高かった期間かもしれません。


参考文献:
篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2020)「福岡県那珂川市安徳台遺跡出土弥生中期人骨のDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第219集P199-210