南九州古墳時代人骨のmtDNA分析

 本論文(篠田他.,2021)は、「新学術領域研究(研究領域提案型)計画研究B01【調査研究活動報告2019年度(1)】考古学データによるヤポネシア人の歴史の解明」の研究成果の一環となります。九州南部東側地域では、紀元後5世紀初頭から7世紀前半の古墳時代に、墳丘を造らず地下の玄室に遺体を葬る、地下式横穴墓が造られていました。地下式横穴墓には複数の人類が埋葬されており、基本的には親族の墓と考えられています。したがって、各墓地に埋葬された人骨間の血縁関係が分かれば、当時の社会構造を推測する重要な知見が得られます。

 考古学では、これまで埋葬人骨間の血縁関係は、埋葬状態や副葬品などの情報にもとづいて推定されてきましたが、確実とは言い切れません。一方、形質人類学では、歯冠計測値などに基づいて推定されてきましたが、歯の形態形成に関する遺伝的メカニズムには不明な点が多く、その結論は推定の域を出ません。いずれにしても、文献がない限り、被葬者間の血縁について、確実な情報を得ることは困難でした。

 近年では、古人骨のDNA分析が可能になり、形態学的特徴に基づく以前の方法よりも格段に精度の高い推定が可能になっています。DNA情報は同一遺跡に埋葬された個体間の血縁関係の推定に確度の高い情報を提供できるので、DNA解析により埋葬人骨間の血縁関係について新たな知見を提供できます。本論文は、南九州の地下式横穴墓に埋葬された人骨のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告します。

 これら南九州(宮崎県と鹿児島県)の地下式横穴墓の人骨には次世代シークエンサ(Next Generation Sequencer、NGS)が用いられました。しかし、NGS解析は高額で手間がかかることから、地下式横穴墓埋葬人骨のように保存状態の悪い個体全てに適用するのは現実的ではありません。そこで、分析の第一段階として、APLP法(Amplified Product-Length Polymorphism method)によるmtDNAの簡易分析が行なわれ、NGSを用いたmtDNAの全塩基配列決定が試みられました。分析対象となったのは、宮崎県えびの市大字島内字平松・杉ノ原に位置する、島内地下式横穴墓群(5世紀後半~6世紀)と鹿児島県鹿屋市の立小野堀遺跡および町田堀遺跡です。

 島内地下式横穴墓は、1905年に短甲と冑が出土して以来、古墳群として周知されており、これまで断続的な調査により多数の副葬品とともに人骨が出土しています。今回分析の対象となったのは、2012~2015年の緊急調査により出土した人骨です。この緊急調査では23基の地下式横穴から少なくとも65体の人骨が出土し、全体的に保存状態はよくないものの、中には全身の形態を保っているものもあります。これらの人骨は形態的に、「縄文人」的な形質を残す周辺の南九州山間部「古墳人」に近似すると指摘されていますが、高顔性など宮崎平野部の人骨と類似した「渡来系」の形質を示し個体も報告されています。頭蓋小変異22項目の出現頻度データを用いたクラスタ分析では、島内遺跡個体群は宮崎平野の「古墳人」や九州北部の「弥生人」と同じクラスタに属する、と示されています。

 立小野堀遺跡は2010~2014年にかけて東九州自動車道の建設に伴う調査により発掘された遺構で、合計200基の地下式横穴墓が検出され、30体の人骨の形態学的調査が行なわれました。町田堀遺跡も東九州自動車道の建設に伴う調査により発掘された遺構で、地下式横穴墓が88基見つかっています。形態学的調査ができたのは12体で、立小野堀遺跡個体群と同様に、大隅半島の地下式横穴墓から出土した人骨に共通の形態的特徴が見られます。

 これまでの研究で、南九州の古墳時代には、宮崎県の平野部と山間部で形質の異なる集団が共住していた、と指摘されています。しかし、これまで大隅半島の古墳時代人骨についての報告は少なく、その実態はよく知られていませんでした。これまでの人骨形態の調査では、大隅半島集団は宮崎県の平野部や山間部とも異なり、山間部集団よりは「縄文人」的な形質が弱く、また平野部集団より「渡来系」の形質が弱いという、独特な形質が指摘されています。

 島内遺跡で3個体(147号墓1号と148号墓3号と151号墓1号)、立小野堀遺跡で3個体(90号墓個体、130-3号墓個体、166号墓個体)、町田堀遺跡で1個体(76号墓個体)のmtDNAが解析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)MとNを判定するAPLP分析では、島内遺跡の148号墓3号と151号墓1号でD4の可能性が、立小野堀遺跡では、90号墓個体はM7、130-3号墓個体はM8の可能性が、町田堀76号墓個体はD4の可能性が示されました。細分APLP分析では、島内遺跡148号墓3号がD4でもa・b・e・g・h・j・oのいずれでもない下位区分に分類され、島内遺跡151号墓1号はD4b2の可能性が示されました。立小野堀遺跡では、90号墓個体がM7a1に分類され、130-3号墓個体はC1の可能性が示されました。町田堀遺跡76号墓個体はD4b2と分類されました。

 NGS分析によるmtHgは、島内遺跡の148号墓3号がM7a1a2、立小野堀遺跡の90号墓個体がM7a1a7で166号墓個体がD4a1c、町田堀遺跡76号墓個体はD4b2と分類されました。ただ、町田堀遺跡76号墓個体については、現代人による汚染の可能性も排除できませんでした。解析した7個体のうち確実にmtHgを決定できたのは3個体となります。APLP分析とNGS分析の結果はおおむね一致していましたが、人骨のDNAが少ないとAPLP分析の結果は安定せず、異なる結果を提示する可能性がある、と示されました。理想的には、NGS分析が望ましいものの、費用と手間の問題があります。立小野堀遺跡の90号墓個体と166号墓個体はmtDNAのデータ量が多く、核DNA分析が可能と考えられます。

 上述のように、南九州では古墳時代において比較的狭い地域に異なる人類集団が存在した、と形態学的研究で指摘されています。人骨の形態学的研究では、現代日本人は在来の「縄文人」と弥生時代以降に日本列島にアジア東部大陸部から到来した集団との混血により形成された、と考えられています。したがって、古墳時代には「在来」集団と「渡来」集団との混血が進んだと推測され、地域により遺伝的に異なる集団が棲み分けていたとしても不思議ではありません。

 形態学的研究では、南九州の古墳時代において、山間部では「縄文人」系の形質が残り、宮崎県の平野部では「渡来系」の形質が卓越し、大隅半島では両者の混合が進んでいた、と示唆されています。今回検出されたmtHgはM7aとD4です。このうちM7aは日本列島全域の「縄文人」で検出されており、「縄文人」の主要なmtHgの一つと考えられます。これが島内遺跡の148号墓3号と立小野堀遺跡の90号墓個体で検出されたことは、ともに「縄文人」系の遺伝的要素を有する集団だったことを示唆します。一方、立小野堀遺跡の166号墓個体はmtHg-D4a1cで、これは既知の「縄文人」では見られず、弥生時代以降の「渡来系」と考えられので、立小野堀遺跡集団では混血が進んでいた、と示唆されます。しかし、少数のmtDNA解析例だけで混血状況の結論を提示することは困難で、核DNA解析が重要となります。

 島内遺跡の148号墓3号と立小野堀遺跡の90号墓個体で検出されたmtHg-M7a1系統は、縄文時代の南西諸島集団の系統とは異なり、九州本土「縄文人」の系統(関連記事)に属します。南九州から南西諸島に至る地域では、長期間にわたって海を隔てた棲み分けが行なわれていた可能性も考えられます。中世になると、奄美群島でも人口が増加し、人骨の出土例が増えますが、その集団の由来を知るうえでも、今回の南九州「古墳人」のDNAデータは重要となるでしょう。今後は、これら南九州の遺跡で出土した人骨の核DNA解析の進展が期待されます。


参考文献:
篠田謙一、神澤秀明、安達登、角田恒雄、竹中正巳(2021)「南九州古墳時代人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P417-425