新石器時代と青銅器時代のクロアチアにおける人口史と社会構造

 新石器時代と青銅器時代の現在のクロアチアにおける人口史と社会構造エピに関する研究(Freilich et al., 2021)が公表されました。ヨーロッパ南東部のクロアチアは、連続した生態地域の多様な景観を有しており、東部のアドリア海沿岸と北部の温暖なパンノニア平原を隔てる嶮しい山々があります。クロアチアはヨーロッパ中央部とバルカン半島と地中海の接点に位置するため、アナトリア半島とエーゲ海と草原地域と黒海への経路として用いられてきており、北部の低地はカルパチア盆地を通ってヨーロッパへとつながっています。

 したがってクロアチアは、アナトリア半島西部からヨーロッパへの最初の移住農耕民にとって重要な回廊で、ヨーロッパ最初の農耕民はドナウ川沿いの内陸部とアドリア海沿岸東部の海岸経路を通ってヨーロッパの他地域に拡大しました。クロアチアはヨーロッパにおける人口集団と文化的変遷の理解に重要ですが、利用可能な人類遺骸が限定されており、先史時代人口集団の遺伝的祖先系統(祖先系譜、ancestry)と社会的複雑さについての詳細な知識は乏しいままです。

 以前の研究では、ユーラシア西部における中石器時代に続く遺伝的不連続性が示されてきており、それは初期農耕民の移住および農耕の拡大と関連しています(関連記事)。現在のクロアチアで発見された少ない古代人の刊行されたゲノム規模データで示されてきたのは、新石器時代と銅器時代の人々のゲノムがアナトリア半島の初期農耕民と類似の祖先系統を共有しているものの、一部の銅器時代個体と沿岸部青銅器時代個体群は、紀元前三千年紀にヨーロッパへと拡散した草原地帯牧畜民集団と関連する追加の祖先系統を示す、ということです。

 ヨーロッパ南東部の社会的複雑さの始まりは、考古学者の間で集中的に研究されてきた分野でもあります。古代DNA研究によりますます共同体内の社会組織が調べられてきており、過去の社会の居住パターンや生物学的親族関係や社会的地位が明らかになっています(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)。これらの研究では、たとえば、密接に関連した個体がヨーロッパ全域の後期新石器時代と青銅器時代の共同体において特定されてきており、多様性はミトコンドリアが高い一方でY染色体が低いことと関連しており、女性族外婚と父方居住の社会的組織が示唆されます。しかし、これまでクロアチアでは、そうした詳細で遺跡固有の研究はほとんど行なわれてきませんでした。

 現在のクロアチアの東部地域はパンノニア平原(カルパチア盆地とほぼ同義)の南端の境界を定めており、ドナウ川とサヴァ川とドラーヴァ川と他の大きな支流が交差しています。これらの支流には多くの先史時代集落があり、この地域の通交と交換のネットワークの重要な部分を形成しています。クロアチア東部における新石器時代の出現は、現在のセルビア西部および北方からカルパチア盆地にまで拡大したスタルチェヴォ(Starčevo)文化の到来にまでさかのぼりますが、沿岸部の遺跡では、前期新石器時代は紀元前6000年頃からのインプレッソ土器(Impressed Ware)文化の存在により示されます(図1)。

 紀元前5200年頃までに、スタルチェヴォ文化はソポト(Sopot)文化に取って代わられました。ソポト文化では、おもに子供や女性が家の床下や壁沿いか、集落内の他の場所に埋葬される、壁内埋葬の儀式が行なわれていました。古代DNA研究が対処できる一つの重要な問題は、そうした壁内埋葬には誰が選ばれ、生物学的親族関係が役割を果たしたのかどうか、ということです。さらに、遺伝的祖先系統と生物学的親族関係が、身体の位置や遺跡内の埋葬場所もしくは副葬品の分布など埋葬儀式における違いと関連しているのかどうか、解明し始められています。これらの埋葬の違いは、異なる社会的集団の存在を示唆し、故人もしくは会葬者の帰属もしくは業績の地位を表しているかもしれません。

 ヨーロッパ南部とトランスダニュービア(Transdanubia)東部では、後期新石器時代までに新たな埋葬慣行が生活空間から離れた墓の出現とともに現れました。これは被葬者間の増大する社会的分化を伴い、死者と人々の関係における重要な変化を示します。クロアチアの銅器時代(紀元前4500/4300~紀元前2400年頃)には、現在のクロアチアにラシニヤ(Lasinja)文化やバデン(Baden)文化やコストラク(Kostolac)文化やヴチェドル(Vučedol)文化などの集落が見られ、交易ネットワークが成長し、身分の高い被葬者の出現に見られるように社会階層がより明確になりました。より明確な社会階層の発達は、現在のクロアチアでは紀元前2400~紀元前800年頃となる青銅器時代における金属の使用増大と関連しているようで、社会的序列の上昇に伴い、ヨーロッパ東部草原地帯とエーゲ海地域とアナトリア半島からの移民がさらに増えます。

 パンノニア平原で共存していた多くの中期青銅器時代文化の一つがトランスダニュービア皮殻土器(Transdanubian Encrusted Pottery)文化(以下、TEP)で、これは現在のクロアチア東部において紀元前2000~紀元前1500年頃に南北に分かれて存在していました。これまで、おもに火葬遺骸がTEPと関連して見つかってきましたが、今では新たに土葬遺骸が利用可能となって、その遺伝的および文化的構造の解明に古代DNAを用いることが可能となり、その遺伝的データを用いて、威信材の副葬品の分配で見られるような社会的地位についてより多くを知ることができます。

 本論文は、現在のクロアチア東部の2ヶ所の遺跡で発見された28個体の新たなゲノム規模データを提示します。その年代は中期新石器時代からローマ期(1個体)で、移住と混合の過程が、あまり研究されていないクロアチア東部のゲノム変化にどのような影響を与えたのか、調べられました。さらに、さまざまな期間の壁内埋葬地および壁外墓地の両方における異なる埋葬儀式の存在は、クロアチア東部において先史時代を形成した変化する生物文化的影響の文脈における、生物学的親族関係や人口統計学や社会組織への貴重な洞察を得る機会を提供します。以下は本論文の図1です。
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●標本と考古学的背景

 合計54個体が全ゲノムショットガン配列で調べられました。このうち、ベリ・マナスティル・ポポヴァ(Beli Manastir-Popova)遺跡(以下、BMP遺跡と省略)の中期新石器時代層の19個体が分析され(クロアチアPop_MN)、これはクロアチアでこれまで発掘された最大のソポト文化居住地遺跡を構成します。発掘された個体のほぼ半数は16歳未満で、亜成体の高い死亡率が示唆されます。これらの遺骸の2/3は女性でしたが、成人では男女が同数でした。ほとんどの個体は、大きな竪穴住居の壁に沿って、あるいは居住地内の他の竪穴に縮まった状態にて新石器時代埋葬儀式で葬られており、時には頭の近くに土器の副葬品や他の生活用用品が置かれていました。これらのうち3標本(POP07とPOP09とPOP14)には、比較的多くさまざまな副葬品が共伴しており、それらは家庭用や経済活動と関連する日用品で構成されています。別の4個体は、遺跡の東端に沿って、うつむけ若しくは仰向けになった状態で堆積しており、ほぼ副葬品はありませんでした。新たな放射性炭素年代が銅器時代の1個体(クロアチアPop_CA)とローマ期の1個体(クロアチアPop_RomanP)で得られました(図1a・b)。

 BMP遺跡から約12km南に中期青銅器時代のジャゴドヒャク・クルツェヴィネ(Jagodnjak-Krčevine)遺跡(以下、JK遺跡と省略)が位置し、TEP文化に分類されています。JK遺跡では土葬された7個体がさらに分析されましたが、同じ時期の火葬された30個体も発見されています。JK遺跡の土葬個体には、土器から金の装飾品までさまざまな程度の副葬品が含まれています。これらの新たな集団は、ユーラシア西部人口集団の既知のデータと共同分析されました。とくに比較対象となったのが、現在のクロアチアの複数遺跡の個体です。それは、同遺跡もしくは近隣地域では、中期新石器時代のオシイェク(Osijek)遺跡個体(クロアチアOsijek_MN)、銅器時代のBMP遺跡個体(クロアチアCroatia_Pop_CA)、より広範な地域では、銅器時代のラドヴァンチ(Radovanci)遺跡個体(クロアチアRadovanci_CA)やヴチェドル(Vučedol)遺跡個体(クロアチアVučedol_CA)、青銅器時代のダルマチア(Dalmatian)遺跡個体(クロアチアDal_BA)や、現在のハンガリーとバルカン半島のさまざまな期間の集団です。

 これら人類遺骸の錐体骨から最大1倍の全ゲノムショットガンデータが生成され、約124万ヶ所のゲノム規模一塩基多型を用いて擬似半数体が遺伝子型決定されました。遺伝的に15人の女性と13人の男性が特定されました(表1)。これらのデータが、既知の現代人1311個体および古代人1102個体と統合されました。これら現代人と古代人のデータに基づいて主成分分析が実行され(図2)、またADMIXTUREを用いて教師なし様式でクラスタ化が実行されました。


●新石器時代からローマ期への遺伝的変化

 本論文で新たに報告された個体群は主成分分析では、新石器時代農耕民集団と青銅器時代牧畜民集団との間に広がる、ヨーロッパ勾配に沿って位置します。クロアチアPop_MNは他のヨーロッパ南東部および中央部の新石器時代および銅器時代個体群と密接にまとまり、その中にはクロアチアのラドヴァンチ遺跡とヴチェドル遺跡の銅器時代個体群も含まれます。この個体群はさらなる分析でクロアチアの北東部銅器時代クラスタ統合され、アナトリア半島関連祖先系統(アナトリアN)からの主要な寄与とヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)関連祖先系統からのわずかな寄与を示す、類似のADMIXTURE特性を共有します。

 クロアチアPop_MNとクロアチアOsijek_MNが統合され、クロアチア北東部MNとまとめられてさらに分析されました。その後、外群f3統計(クロアチア北東部MN、検証集団;ムブティ人)で他の古代および現代のユーラシア西部人口集団と共有される浮動が検証されました。クロアチア北東部MNは、バルカン半島とヨーロッパ中央部の他の新石器時代人口集団およびサルデーニャ島現代人と、最も多くの遺伝的浮動を共有します。

 次に、ヨーロッパ人のゲノム多様性に寄与したと知られている、中石器時代狩猟採集民を表すWHGとアナトリア半島新石器時代農耕民を表すアナトリアNの遠位供給源を用いて、qpAdmで混合割合が定量化されました。クロアチア北東部MNは2.4±1%のWHGと97.6±1%のアナトリアNの混合としてモデル化でき、さらには100%のアナトリアNモデルがデータと適合し、これはバルカン半島とハンガリーの新石器時代集団におけるひじょうに低いWHGからの遺伝子移入を示す以前の研究と一致します(関連記事)。

 鉄門(Iron Gates)狩猟採集民(鉄門HG)をWHGの代わりに用いると、よく似た結果が得られます。DATESを用いて、これらの標本の前後関係の年代の前に、このWHGとアナトリアNとの混合が19~42世代前に起きたと推定され、前期新石器時代に相当します。これは、追加のWHGからの遺伝子流動を示すヨーロッパ中央部および西部の中期新石器時代人口集団とは対照的に、中期新石器時代におけるクロアチアの人口集団の継続性をさらに裏づけます。以下は本論文の図2です。
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 新たな銅器時代個体POP39が、同じ遺跡と時代に由来する既知の個体I3499とまとめられました(クロアチアPop_CA)。主成分分析では、クロアチアPop_CAはPC2軸に沿ってさらに上に移動し、沿岸部ダルマチア遺跡の既知の青銅器時代3個体(クロアチアDal_BA)とまとまり、ブルガリアとハンガリーの青銅器時代個体群およびヨーロッパ南部現代人のゲノムの広範な分布に収まり、草原地帯関連祖先系統の存在が示唆されます。じっさい、qpAdmでの遠位混合モデル化では、71±8%のアナトリアNと29±8%のヤムナヤ・サマラ(Yamnaya_Samara)の寄与が推定され、新石器時代には欠如しているものの、ユーラシアの銅器時代と青銅器時代の人口集団間では広く見られる草原地帯関連祖先系統を表しています(図3a)。より近位の、広く同時代の先・草原地帯集団であるクロアチア北東部CA(64±8%)とヤムナヤ・サマラ(36±8%)では、より上手く2方向混合モデルが得られました(図3b)。

 新たに報告されたJK遺跡の中期青銅器時代個体群(クロアチアJag_MBA)のゲノムは、一般的な考古学的背景と主成分分析上のクラスタ化(図2)に基づいて、さらなる集団遺伝学分析では単一の人口集団とみなされました。PC1軸沿いにヨーロッパ西部および鉄門狩猟採集民に向かって顕著な移動が観察され、外群f3統計では最も多くの浮動が共有されます。供給源集団としてWHGとアナトリアNとヤムナヤ・サマラを用いての遠位混合モデル化は、クロアチアPop_CAとは対照的にクロアチアJag_MBAにおける大きなWHG構成要素(20±2%)を確証し、広く同時代のダルマチア遺跡青銅器時代個体で推定されたWHG断片の2倍以上です(図2a)。これは、その有意に正のf4検定(ムブティ人、WHG;クロアチアDal_BA、クロアチアJag_MBA)と一致します。JK遺跡集団は、より古いクロアチアPop_CAと比較してわずかに大きい草原地帯関連祖先系統も有しており(33±5%)、バルカン半島についての以前の知見と一致します。WHGを鉄門HGと置換すると、同等の結果が得られます。JK遺跡集団は主成分分析ではカルパチア盆地の青銅器時代人口集団の広範な分布やフランス人などヨーロッパ北西部現代人の左側に位置し、西方青銅器時代集団の痕跡の東方への拡大が示唆されます。

 ダルマチア遺跡青銅器時代個体群や他の個体群のゲノムに対するJK遺跡集団の異なる遺伝的類似性をさらに特徴づけるため、UMAPと既定のパラメータを用いて解像度を上げることで、クロアチアの新石器時代後の個体群のゲノム間の遺伝的下位構造が視覚化されました(図3c)。UMAPは遺伝的距離を直線的に反映していませんが、明確に定義されたクラスタが明らかになり、クロアチアPop_CAとクロアチアDal_BAは、おもに現在のイタリア北部人のゲノムとともに、ブルガリアとモンテネグロとルーマニアと一部のハンガリーの古代人ゲノムとまとまり、ヨーロッパ南部と一致する遺伝的特性を示します。qpWaveを用いた検定により、クロアチアPop_CAはダルマチア遺跡青銅器時代個体群にとって祖先系統の適した単一供給源を提供する、と確証されます。対照的にクロアチアJag_MBAは、ハンガリーとドイツとチェコとクロアチアの現代人のゲノムの左側に位置し、ヨーロッパ中央部の遺伝的痕跡が示唆されます。この一群における他の古代人ゲノムも、マコ(Makó)遺跡の前期青銅器時代個体やヴァタヤ(Vatya)遺跡の中期青銅器時代個体や後期青銅器時代個体に属する、カルパチア盆地の個体群を含みます。

 中期青銅器時代JK遺跡個体群に存在する過剰なWHG関連祖先系統から、この集団は追加のWHG関連祖先系統を有する人口集団の子孫で、それはより古いクロアチアの銅器時代もしくはダルマチア青銅器時代の個体群では欠けており、qpAdmモデル化と一致します(図3b)。考古学的証拠では、クロアチア東部の中期青銅器時代共同体とさらに北方の他の文化集団との間の交換ネットワークが示されています。カルパチア盆地におけるその年代と中核的分布、UMAPと主成分分析におけるクロアチアJag_MBAとのクラスタ化に基づくと、ハンガリーのマコ遺跡前期青銅器時代個体群(ハンガリーMakó_EBA)が、祖先系統の最も適切な祖先候補とみなされます。この選択は、クロアチアJag_MBAに対してWHGとの浮動の類似量を共有するハンガリーMakó_EBAによりさらに裏づけられます。じっさい、クロアチアPop_CA からの35±11%の寄与を有する2方向モデルとしてか、あるいは単一供給源として、ハンガリーMakó_EBAとの適したモデルが得られました(図3b)。以下は本論文の図3です。
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クロアチアJag_MBAについては、WHGとアナトリアNとの間の混合年代が、人口集団の放射性炭素年代と考古学的文脈の年代の統合より41±13世代前と推定されました。これは、銅器時代と重なる紀元前3424~紀元前2412年の範囲と一致します。また、qpAdmを常染色体とX染色体に別々に適用して、祖先的構成要素の継承における性差の偏りの可能性が調べられました。その結果、有意な性差がないことと一致しましたが、こうした分析における大きな標準誤差は、低いか中程度の性差を隠す可能性があります。


●青銅器時代後の遺伝的変容

 JK遺跡とダルマチア遺跡の青銅器時代集団はどちらも、主成分分析では同地域の現代の人口集団に近くはなく、さらなる有意な人口集団変化がそれ以降に起きた、と示唆されます。本論文のBMP遺跡のローマ期の唯一の個体(クロアチアPop_RomanP)は、青銅器時代後のクロアチアの稀なゲノムデータ(関連記事)を提供します(図4a)。このBMP遺跡のローマ期の1個体は、主成分分析とUMAPでは、クロアチアとブルガリアとルーマニアの現代の人口集団とまとまる、と明らかになりました(図2および図3c)。

このクラスタ化をf4統計で調べると、この個体はヨーロッパの古代および現代の人口集団と比較して、現代クロアチア人とクレード(単系統群)化する、と確証されました。次にqpWaveで人口集団の継続性を検証すると、クロアチアPop_RomanPが現代クロアチア人およびブルガリア人もしくはハンガリー人との遺伝的クレード形成と一致しました。当時のより広範な人口集団を代表しているのか否か不明な単一個体に基づいていますが、このデータから、広く現代の遺伝的識別特性はすでにローマ期までに形成されており、さらなる人口集団の置換は以前ほどには顕著ではなかった、と示唆されます。


●人口集団内の遺伝的多様性と親族関係と人口統計学

 次に、個々の祖先系統、ハプロタイプ多様性、親族関係、ROH(runs of homozygosity)の分析により、と人口集団内の遺伝的不均質性と人口統計学パターンが調べられました(図4)。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。

 qpAdmでの個々の祖先系統モデル化は、全ての中期新石器時代個体間の高い遺伝的均質性を確証し、大半は、WHG関連祖先系統からの遺伝子移入がなかったか低かったことと、埋葬儀式間の有意な違いがなかったことを示します。JK遺跡中期青銅器時代個体群も構造化されていない祖先系統を示しますが、草原地帯関連祖先系統の割合では部分的により大きな程度の不均質性を示します。

 Haplogrepで分類されたミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプロタイプでは、BMP遺跡の新石器時代における高いハプロタイプ多様性が識別されました(表1、図4a)。1個体のmtDNAハプログループ(mtHg)はヨーロッパ狩猟採集民集団と関連するU5ですが、mtHgのほぼ60%はK およびT2系統です。これらのmtHgでは、mtHg-N1aおよびJとともに、クロアチア北部およびその隣接するカルパチア盆地の前期新石器時代のスタルチェヴォ文化および線形陶器(Linearbandkeramik)文化農耕共同体で報告された多様性のほとんどが見られ、遺伝的連続性が示されます。Y染色体ハプログループ(YHg)はYleafで分類され、同様に高度な多様性を示し、男性7個体は4つの異なるYHgで表されます(表1、図4a)。これらのうち、YHg-CおよびIは中石器時代人口集団で見つかりますが、YHg-G2aは一般的に新石器時代の拡大と関連しています。

 JK遺跡でも高いmtDNAハプロタイプ多様性が検出され、男性2個体はmtHg-T2b11の同じ定義変異を有していますが、中石器時代人口集団に存在する、mtHg-Uの下位3クレードとmtHg-Kの下位2クレードも見られます。YHgはG2aクレードに限定されますが、そのうち4個体は同じYHg-G2a2a1a2a2a1a(Z31430)です。第5の個体は変異決定の範囲を読み取れず、上位のハプロタイプに分類されます。これらの共有ハプロタイプは個体間の関連を共有しており、ゲノム規模親族関係分析でさらに調べられました。

 JK遺跡の個体群に関して、ペアワイズゲノム規模ミスマッチ率(図4a)では、JAG58がJAG06の一親等として特定され、その共有されるmtDNAとY染色体のハプロタイプは、この男性2個体が父子ではなく全兄弟(両親が同じ兄弟)だった、という解釈と一致します。さらに、JAG58はJAG34およびJAG82と二親等の関係にあります。JAG06とJAG34も、JAG78とJAG93の場合同様に、三親等もしくはそれ以上の親族関係を示す、ペアワイズミスマッチ率の低下が見られます。成人女性のJAG85は、親族関係が確認されていない唯一の個体です。

 中期新石器時代個体群間では一親等もしくは二親等の親族関係が特定されませんでしたが、BMP遺跡の個体POP05は、他の亜成体2個体(POP02とPOP04)とのより遠い親族関係を示す、低いペアワイズミスマッチ率が見られ、これら3個体は全て同じ竪穴住居に埋葬されています。POP05は、溝に埋まっていた年配男性のPOP24とも低いペアワイズミミスマッチ率を示します。これらのうち3個体も、同じmtHg-K1aを示します。高い近交係数は親族係数を上昇させますが、まとめると、これらの個体が同じ母系の一部だったことを示唆します。POP24も、POP02やPOP04やPOP07と遠い関連があるようで、同じYHg-I2a1b1(M223)を共有します。

 hapROH で4cM(センチモルガン)以上のホモ接合性の連続が推定され、近親交配の水準が評価されて、過去の配偶慣行が推定されました(図4a・c)。20 cM超の長いROHは最近の親族間配偶を示唆しますが、多くの短いホモ接合性の連続は、有効人口規模のより遠い制限を示唆します。中期新石器時代の8個体はROHを有さず、近親交配の欠如、したがって大きな配偶範囲を示します。しかし、残りの2個体(POP05とPOP09)は、多くの20 cM超となる長いROHを有しており、その合計は驚くべきことに95Cmを超えます。これは、POP05とPOP09がイトコもしくは同等の親族関係にある者同士の子供で、古代DNAの記録では珍しいことと一致します。別の3個体は、両親がマタイトコもしくは同等の親族関係同士であることを示す、20 cM超の長いROHをほとんど有していませんが、残りの個体は過去10世代以内の関連を示すROHを有しています。

 対照的に、JK遺跡個体群はROHの合計がずっと低く、20 cM超の長い連続はなく、全ての個体で短い連続がいくつかあり、より遠い関連が示唆されます。乳児のJAG93とJAG58は12cM超のROHを有しており、最大5世代前の両親の関連が示唆されますが、より短いROHがJAG58の一親等の親族であるJAG06で見つかっており、その混合特性に反映されている一部の不均質性を示します。銅器時代とローマ期の個体は、4cM以上のROHをほとんど若しくは全く示しません。以下は本論文の図4です。
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 最近の選択の対象となっている表現型特徴と関連する機能的一塩基多型(関連記事1および関連記事2および関連記事3)の分析の結果、より明るい皮膚の色素沈着(SLC45A2とSLC24A5)およびより明るい目の色(HERC2)の派生的アレル(対立遺伝子)が全期間の個体に存在する、と明らかになり、SLC24A5の派生的アレルは新石器時代に移住の結果として頻度が急速に増加した、とする以前の知見と一致します。さらに、ヨーロッパ人で成人期のラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連する一塩基多型の祖先的アレル(LCT rs4988235)を全個体が有しており、成人期には乳糖を消化できなかった可能性が示唆され、ヨーロッパでは乳糖耐性が青銅器時代まで低頻度だった、とする以前の知見と一致します(関連記事)。


●考察

 本論文は、現在のクロアチアにおける人類集団の遺伝的構造の時空間的な変容を示しました。主成分分析におけるヨーロッパの勾配に沿ったゲノム分布は、何千年にもわたってヨーロッパ大陸全域を移動する人々にとって、現在のクロアチアが接触地帯として重要だったことを証明します。BMP遺跡のソポト文化共同体は、先行する前期新石器時代のスタルチェヴォ文化からの遺伝的連続性を示し、以前の知見を裏づけるとともに、銅器時代まで続く低水準のWHG関連祖先系統を示し、カルパチア盆地のいくつかの他の同時代人口集団の遺伝的特性を反映しています。さらに、BMP遺跡の銅器時代個体群は、ヴチェドル遺跡において、わずか60km離れた草原地帯集団到来前の銅器時代個体群と共存していただろう、現在のクロアチアにおける草原地帯関連祖先系統を有する人々の初期の存在を表しています。

 青銅器時代には、二つの遺伝的に異なるものの同時に存在した祖先系統が、異なる生態系地域で再度観察されます。セティナ(Cetina)文化と関連するダルマチア遺跡の2個体は、JK遺跡の最新の年代とほぼ同年代ですが、銅器時代BMP遺跡個体群と類似した祖先系統を有しています。この特性は、遺伝的に異なるJK遺跡個体群よりほぼ1000年遅いダルマチア遺跡の第三の個体でも持続しています。JK遺跡個体群と、さらに北方のヴァタヤ文化個体群との間で共有された遺伝的類似性は、高いWHG関連祖先系統により区別され、現在のクロアチア東部におけるカルパチア盆地と南部TEP共同体におけるさまざまな集団間の密接な相互作用と交換ネットワークについての考古学的証拠を裏づけます。

 TEP共同体の土器は近隣のヴァタヤ文化やカルパチア盆地のドナウ川沿いの他の同時代集団で見つかっています。さらに、その共有された類似性は、前期青銅器時代後期のキサポスタグ(Kisapostag)文化だと広く受け入れられている、共通の直接的前身についての考古学的証拠とも合致します。キサポスタグ文化自身は、広く分布するマコ・コシー・カカ(Makó-Kosihy-Čaka)文化複合の一部を基礎としています。したがって、これらの洞察は、ドナウ川とカルパチア盆地に沿って共存した、さまざまな中期青銅器時代文化単位間の関係についての長い議論に寄与し、現在のクロアチア東部とその隣接するカルパチア盆地の人口集団間の複数の期間にわたる遺伝的類似性を明らかにします。

 こうした時空間的関係を超えて、これらの共同体の人口統計学と社会組織への貴重な洞察が得られました。中期新石器時代遺跡全体の構造化されておらず均質な祖先系統は、多くの無関係な個体における高いハプロタイプ多様性および低いか全くない近親交配の兆候とともに、この共同体が大きく安定した族外婚人口集団であったことと一致し、現在のクロアチアにおける高い人口密度の考古学的証拠を裏づけます。しかし、この文脈では、ひじょうに密接な親との関係を示す、遺跡全体で散見されるわずかな個体も検出されます。5個体のうち4個体は同じmtHg-K1aに分類されますが、そのうち2個体(POP02とPOP05)は親族係数の上昇を示し、最大の竪穴住居で相互に隣接して埋葬されていました。まとめると、これらの個体は同年代だった可能性があり、同じ母系内の時として密接な親族単位の事例だったかもしれません。これらの個体を、遺伝的特性もしくは埋葬儀式の観点で同じ遺跡に埋葬された他の個体と区別する他の検出可能な違いはなく、これが社会的に受容された別の配偶選択だったことを示唆します。

 現在のクロアチアにおける壁内埋葬遺跡のこの最初のゲノム規模研究では、一親等もしくは二親等の親族関係が明らかになっておらず、POP05とPOP24のようにわずか数個体がmtHgと同様により遠い親族関係を共有しています。これはいくつかの母系関係の存在と、興味深いことに、溝に埋まった個体(POP24)と主要な壁内の場所に埋葬された他の個体との間のつながりも示唆しますが、密接な生物学的親族関係は埋葬の選択の基礎を形成せず、建物にともに埋葬された個体が拡大家族を表している、との提案に疑問を提供します。しかし、これが埋葬慣行の唯一の形態ではなく、生物学的親族は他の場所で埋葬されたかもしれません。

 子供、とくに少女の割合が高く、新生児の埋葬も多いことから、年齢と性別の選択および共同体の信念体系に基づく地位の付与を示している可能性が高く、その信念体系については、クロアチアにおける類似の新石器時代壁内遺跡に関してさまざまな説明がなされてきました。たとえば、建物は母系主義および祖先崇拝の考えと関連づけられており、社会の再生産と継続に結びついた空間であり、そこに埋葬されることで保護と繁栄がもたらされました。さらに、ここでは埋葬慣行との関連で遺伝的構造化は検出されません。

 副葬品の観点では、個人間の区別の表現は検定的で、埋葬の大半には土器の容器もしくは破片などの物質がほとんど含まれていません。しかし、さまざまな年齢と性別区分の少数の個体(POP07とPOP09とPOP14)には、社会的および経済的地位に基づく限定的な社会的分化を示すように見える、日常活動と関連する豊富な副葬品があります。これらのうち最年少個体は13~15歳と推定されているので、全員が成人の作業に参加するのに十分な年齢で、それ故にこれらの個体がその地位を獲得したのか、それとも継承したのか知ることは困難です。

 居住区での屈葬と、おもに男性である溝の拡張埋葬も、検出された遺伝的祖先系統と相関しません。さまざまな溝での堆積の理由は不明ですが、本論文で見られるような混合した身体位置の存在は、パンノニア盆地の他のソポト文化遺跡で記録されており、さまざまな埋葬習慣と密着した社会的集団を表しているかもしれない、と提案されてきました。高い人口密度地域内のBMP遺跡における高度に族外婚の遺伝的特性を考えると、これを一つの可能な説明として除外できません。じっさい、新石器時代の埋葬儀式と人口構成は大きく異なると示されているので、BMP遺跡のようなより局所的な研究は、この現象の多様性についての理解を深めるのに役立つでしょう。

 JK遺跡におけるさまざまな副葬品が豊富に供えられた中期青銅器時代土葬の回収は、現在までしばしば火葬埋葬儀式と関連づけられてきた文化の遺伝的特性を調査する、稀な機会を提供します。他のTEP文化埋葬遺跡やより広くヨーロッパの青銅器時代埋葬と同様に、本論文は、新石器時代と比較して増加する社会的分化を示唆する、威信材で構成される副葬品を明らかにしました。まず、密接に関連する親族であるJAG06とJAG58との間の埋葬処置の違いが観察されます(図4a)。JAG06の埋葬には、多数の土器とともに石製の鏃や青銅製品や穿孔された貝殻が含まれていたのに対して、JAG58の墓はより大きくて深いものの、わずかな土器や頭蓋から下の骨で構成されています。埋葬儀式におけるこの明らかな違いは、生涯を通じて獲得した地位の違いを反映している可能性があるか、出生順位が富もしくは地位の継承の要因だったのかもしれません。しかし、これらの埋葬には二次走査の兆候があるので、一部の副葬品や骨格要素が一次堆積に続いて攪乱された可能性があり、慎重な解釈を要します。

 副葬品の数と種類の観点で最も豊富な墓の一つは、成人女性JAG85のものです。この墓は土器の容器と金製髪飾りや多くの他の青銅製品から構成されており、JAG85が生家もしくは婚姻関係を通じて獲得した高い社会的地位を反映しているかもしれません。ピンや宝石青銅製品など青銅製の個人的装飾品は、JK遺跡では男女両方の墓で見つかり、個人もしくは家族の地位か富を示している可能性が高い一方で、鏃は成人男性の墓でしか見つからず、社会における個人のさまざまな地位を示唆します。乳児2個体(JAG82とJAG93)の墓では豊富な副葬品が観察され、JAG93には金製ヘアリングが含まれています。これらの個体は、自身で富もしくは地位を獲得するにはあまりにも幼く、家族からの垂直継承が示唆され、それは他のTEP文化や青銅器時代のドイツとセルビアの他の文化でも観察されます。

 相対的に高いミトコンドリアハプロタイプの多様性と、関連する男性間のひじょうに低いY染色体多様性から、埋葬された個体は女性族外婚と、父方居住社会組織の順守により特徴づけられる共同体に属していた、と示唆され、これはヨーロッパの後期新石器時代および青銅器時代墓地でも観察されます(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。これらの人々の有するホモ接合性の短い連続は、おそらく有効人口規模の過去の制限に起因する、いくつかの遠い共有祖先系統を有する人口集団と一致します。

 全体として、2人の兄弟、多くのより遠い男性親族、1人の無関係で高い地位の成人女性の埋葬は、他の5人の標本抽出されていない土葬男性とともに、父方居住と女性族外婚のある男性系統での、性別の偏った埋葬慣行の存在の可能性を示唆します(関連記事1および関連記事2)。TEP文化を含む現在のクロアチア東部で記録されている多くの青銅器時代遺跡は、地域の人口集団の相互作用の源だった可能性があり、パンノニア平原の縁に住む中期青銅器時代共同体の複雑な模様を示唆します。


参考文献:
Freilich S. et al.(2021): Reconstructing genetic histories and social organisation in Neolithic and Bronze Age Croatia. Scientific Reports, 11, 16729.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-94932-9