過去40万年間のアラビア半島への人類の複数回の移動

 過去40万年間のアラビア半島への人類の複数回の移動に関する研究(Groucutt et al., 2021)が公表されました。アフリカとユーラシアとの間の唯一の陸橋として、アジア南西部はヒト進化と地球上の移住の重要な段階を理解するのに特有の位置を占めています。サハラ・アラビアと旧北区の生物群系間の移行する境界における環境的および生態学的条件は、孤立と多様化とその後の人口集団の混合を経て、ヒトの人口統計のパターンに強く影響を及ぼしました(関連記事1および関連記事2)。

 顕著な事例は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)の混合の地理的状況に関するものです。両者の混合はアジア南西部で起きたと示唆されてきており、それは非アフリカ系現代人におけるネアンデルタール人祖先系統(祖先系譜、ancestry)の遍在性のためですが、混合の「現地」の証拠、あるいは現生人類との時空間的な同時性さえ、アジア南西部では曖昧なままです。

 この一因は、アジア南西部の古生物学と古環境と考古学の記録のひじょうに断片化された性質です。これにより、アジア南西部の古人類学的記録に関する問題のある一般化を克服し、この地域の人類の居住の継続程度について、人類のこの地域への拡散と地域内の拡散の役割、生物地理学と環境と生態学に関連する人類集団間のこれらの拡散と相互作用について、重要な問題に関する一般化を克服する能力が制約されました。

 アジア南西部の研究は、レヴァントの冬季降雨疎林地帯の深く層序化された洞窟系列に伝統的に焦点を当ててきました(図1)。これは、旧北区生物群系の南方の延長である疎林地帯の詳細な記録につながりました。しかし過去10年、アラビア半島の研究では、草原や湖や川により特徴づけられる偶発的湿潤期間における、乾燥したサハラ・アラビア生物群系の人類の居住が記録され始めました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。アジア南西部における空間的に分岐した文化的進化発展の出現パターンは、アラビア半島中央部における新しい(20万年前未満)アシューリアン(Acheulean)の存在が含まれ(関連記事)、アシューリアンはホモ・エレクトス(Homo erectus)のような以前の人類と一般的に関連している技術です。アラビア半島南部の「退避」地域では、在来の発展として一般的には解釈される、特有の局所的特徴の出現もあります。

 これらの進歩にも関わらず、アラビア半島内陸部と北部のいくつかの報告された遺跡(関連記事1および関連記事2および関連記事3)の人工物の標本規模は小さく、多くの場合、それらの遺跡は素材の調達と作業場で、レヴァントの疎林記録で支配的な洞窟や岩陰の「生活遺跡」とはひじょうに異なる特徴を示します。アラビア半島には恒久的な河川体系と深く層序化された洞窟系列がないため、長期間の考古学的および水文学的系列の構築が妨げられてきました。これは、人類の分布と人口統計と行動の変化と関連する、考古学的および古生物学的記録の重要なパターンを認識する試みを制約してきました。以下は本論文の図1です。
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 本論文は、アラビア半島北部のネフド砂漠の石器群および化石動物相と関連した複数の古湖沼系列を報告します。これは、アラビア半島における人類居住の最初となる詳細な長期間の記録を表します(図1~3)。ハール・アマユシャン4(Khall Amayshan 4、以下KAM4)は、単一の砂丘間盆地内の一連の重なった湖の系列で構成されます。KAM4遺跡では、現時点でアラビア半島では珍しく、ヨーロッパ北西部のような地域で保存されている詳細な河川記録と類似した記録が保存されています。さらに、近くのジュバ(Jubbah)古湖沼盆地の海洋酸素同位体ステージ(MIS)7および5の発掘された遺跡群からは、複数の人類居住の証拠が提示されます。KAM4とジュバの一連の証拠から、過去40万年間にアラビア半島への人類の複数回の拡散があった、と示されます。

 KAM4の各古湖沼堆積物は層序的に類似しており、おもに砂上に塊状もしくは細かく重なった炭酸塩に富んだ泥灰土で構成されています。これら泥灰土の類似性は、それぞれ不連続の湖の段階により形成され、KAM4の古環境は連続的な湿潤段階期に広く類似していたことを示唆します。堆積物はネフド砂漠西部の他の古湖沼堆積物(関連記事)に匹敵しますが、層序的に明確で重なり合った特徴と、関連する石器および化石の豊富さで注目に値します。

 KAM4の堆積物は細粒(砂、沈泥、泥灰土)で、低エネルギーもしくは静水条件での堆積を反映しています。より大きな砕屑物(砂利)は存在せず、堆積物蓄積のさいに、より高いエネルギーの流れの過程が盆地に供給されていないことを浮き彫りにしています。したがって、周囲の景観からこれら湖の本体に石器群や化石群が流入した可能性はきわめて低そうです。したがって本論文は、これらの堆積物に関連して発見された石器群や化石群は原位置にある、と主張し、それは北西湖の場合には発掘により確認されました。

 独特なKAM4の記録は、盆地全域をベルトコンベアのように移動した砂丘のため存続しており、侵食から系列のより古い部分を保護し、各湖沼段階と関連する異なる考古学的遺物および古生物学的遺骸が混ざることを防いでいます。KAM4は、アラビア半島における中期更新世後半および後期更新世の最初となる長期的系列を提供し、広く類似した環境および石材の利用可能性と関連した人類の居住の各段階を伴います。

 KAM4で最古の堆積物となる中央湖の年代は、ルミネッセンス法で412000±87000年前です(図2)。また中央湖の堆積物はKAM4における他の堆積物と比較してひじょうに鉄分が多く含まれており、盆地内での古さを証明しています。中央湖は層序的に、ルミネッセンス年代が337000±39000年前と306000±47000年前となる北東湖の最南端に重なっています。中央湖と北東湖両方の推定年代の不確実性は大きいものの、本論文は、MIS11および9両方の千年間に地域的乾燥の証拠があると強調し(図2)、中央湖をMIS11、北東湖をMIS9に分類するのが妥当です。

 北西湖は部分的に北東湖と重なっており、泥灰土堆積物の2段階の間に挟まった炭酸塩の豊富な砂の一連のルミネッセンス推定により、210000±16000年前と192000±20000年前の間と年代測定されています。同じ層のウシ科化石の直接的なウラン系列年代推定値は、一貫して205000±2000年前です。したがって北西湖はMIS7と相関していると考えられ、これは中期更新世の最期の湿潤期です。南西湖のルミネッセンス推定年代は143000±10000年前なので、MIS6後期か、可能性は低いもののMIS5への移行期となります。

 中央湖と北東湖の上に位置する南東湖の砂は、ルミネッセンス推定年代は159000±11000年前~149000±9000年前で、南湖の年代である168000±12000年前~142000±13000年前と類似しています。下層の砂に由来するこれらの最大推定年代から、南東湖と南湖の年代は中期更新世の最後の千年か、それに続く後期更新世で、後者の可能性の方が高い、と示唆されます。後述のように、本論文は考古学的根拠に基づき、南湖の年代はMIS5、南東湖の年代はMIS3早期と仮定します。以下は本論文の図2です。
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 発掘された層序化された石器から構成されるジュバの記録により、この地域の人類居住系列をさらに拡張することが可能となります。ジェベル・カッター1(Jebel Qattar 1、以下JQ1)での発掘調査の大幅拡大により、以前の研究で報告されている211000±16000年前の石器標本規模が250%にまで増加しました。ジェベル・ウム・サンマン1(Jebel Umm Sanman 1、以下JSM1)では、以前の検証発掘のすぐ西側に新たな4ヶ所の試掘坑が掘られました。JSM1の試掘坑により、深い(1.5~2.5m以上)層序系列が明らかになり、これは局所的な砂利砕屑物の頻度が変化する一連の沈泥砂から構成されます。ルミネッセンス年代測定では、JSM1系列の下部の年代は130000±10000年前なのに対して、石器の見つかった上部は75000年前頃と示唆されました。

 南西湖を除くKAM4における湖形成の各段階は、異なる石器群と関連しています(図3)。40万年前頃となる中央湖の石器群Aは、握斧(ハンドアックス)と関連する削片群(debitage、非目的製作物)から構成され、アラビア半島における最古のアシューリアン石器群です。石器群Aは、珪岩の角のある石板の形成(打製石器)により作られた、小さく洗練された握斧の製作を示します。30万年前頃となる北東湖の石器群Bも、小型握斧の製作により特徴づけられます。これらの握斧は技術と形態がかなり均一で、小さくとがっています。剥片を製作する石核の縮小技術も、石器群Bでは低頻度で存在しており、そのほとんどは選好ルヴァロワ(Levallois)縮小により特徴づけられます。

 その後の20万年前頃となる北西湖の石器群Cは、中部旧石器技術を示します。表面採集と発掘により回収された石器群は、握斧製作の完全な欠如と、求心性が高いもののやや多様なルヴァロワ技術への集中を示しています。125000~75000年前頃となる南東湖の石器群Dと55000年前頃となる南湖の石器群Eは、両方中部旧石器の特徴を示しています。石器群Dは求心性ルヴァロワ技術に重点が置かれており、石器群Eはやや多様な技術であるものの、収束的なルヴァロワ剥片を製作する単方向収束調整の強い要素が伴っています。以下は本論文の図3です。
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 JQ1における発掘調査拡大とともに、21万年前頃の石器群は明確な中部旧石器の特徴を示し、ルヴァロワ剥片が存在しており、両面技術は欠如しています。75000年前頃となるJSM1石器群は、アラビア半島北部で発掘された最大の中部旧石器群で、求心性ルヴァロワ縮小に明確な重点が置かれ、ルヴァロワ剥片の83%に求心性痕跡パターンがあります。

 水中気候およびそれと関連する人類居住のこの独特な記録から、アシューリアンの下部旧石器技術は中期更新世後期の湿潤期に存在しており、ルヴァロワ技術はアシューリアンの最終段階に存在していた、と示されます。レヴァントの疎林地帯のアシュール・ヤブルディアン(Acheulo-Yabrudian)との類似性を示す石器群はアラビア半島では特定されておらず、アジア南西部内における異なる軌跡が浮き彫りになります。MIS7からは、アラビア半島の中部旧石器群は降水量増加の各段階とともに出現しており、MIS7のさまざまなルヴァロワ技術からMIS4の求心性ルヴァロワ技術とMIS3の単方向収束技術まで、用いられた縮小手法の観点ではさまざまな技術的焦点を示しています。

 KAM4石器群Cは、頻繁な求心性ルヴァロワ剥片のような技術的特徴を示し、この技術は同時代のレヴァントの中期石器時代前期よりもアフリカ東部の中期石器時代の技術と類似しています。中期更新世後期のレヴァントの剥片の主成分分析では、KAM4石器群Cはアフリカ東部のオモ・キビシュ(Omo Kibish)AHSとレヴァントのミスリヤ(Misliya)遺跡の間に位置する、と示されます。後期更新世では、主成分分析により、オモ・キビシュBNS30およびアラビア半島のアル・ウスタ(Al Wusta)遺跡など現生人類と関連する石器群と、ケバラ(Kebara)やトール・ファラジ(Tor Faraj)のネアンデルタール人と関連するレヴァントの石器群とが区別されます。KAM4石器群DとJSM1はMIS5の現生人類関連石器群へと向かっていますが、KAM4石器群Eの第2主成分構成要素の負の値は、MIS4~3のレヴァントのネアンデルタール人の石器群へと向かっています。

 KAM4の動物化石(おもに脊椎動物)により、人類居住期の古環境および生物地理学的状況の再構築が可能となります。アラビア半島におけるMIS5のカバの化石は、以前に報告されました(関連記事)。KAM4では、カバはMIS7にも存在したと示されており、まだ暫定的ですが、MIS9における存在も指摘されています。ティズ・アル・ガダー(Ti's al Ghadah)の近くの遺跡では、化石の表面散乱でもカバが特定されました。水深数メートルの恒久的な水域を必要とする半水生哺乳類であるカバの繰り返しの存在は、繰り返される「緑のアラビア」の多雨期における環境改善の程度の強力な証拠を提供します。

 さらに、KAM4の古生物学的遺骸は、アラビア半島の哺乳類動物相が、レヴァントの疎林地帯とよりも中期および後期更新世のアフリカの方と強い類似性を有していた、と示唆する証拠の増加に寄与します(関連記事)。アラビア半島北部におけるアフリカ水牛やセーブルアンテロープなどアフリカのウシ科分類群の存在は、豊富な淡水を有するアフリカ北部およびアラビア半島全域の草原の隣接地域の繰り返しの確立を示唆し、人類を含むさまざまな種の拡散経路を提供します。しかしアラビア半島は、ユーラシアおよび固有の分類群も特徴としており、アフリカとユーラシアの他地域との間の重要な生物地理学的つながりで、それにより人類にとっても重要な相互作用地帯を構成していたかもしれない、と示唆されます。

 アラビア半島北部の中期更新世後期の石器群は同様に、レヴァントの疎林地帯遺跡群よりもアフリカの方と大きな類似性を示します。中期更新世アラビア半島中央部における大型握斧と鉈状石器の継続的な製作(関連記事)は、この時点での高水準の人口構造を示唆し、おそらくアラビア半島にはさまざまな人類種が居住していました。MIS5には、アフリカ北東部とアジア南西部の大半は類似の物質文化を共有しており、現生人類の広範な拡散と一致します(関連記事)。

 その後、最終氷期周期の寒冷化と乾燥化が、人口集団の断片化と現象につながりました。59000~50000年前頃となるMIS3前期の部分的な気候改善期には、おそらくは北方からのネアンデルタール人の到来も含む新たな拡散がありました。レヴァントの疎林地帯のような比較的安定した環境および生態学的条件は、特有の局所的な物質文化段階の発展を促しました。対照的に、アラビア半島北部内陸部の記録は、環境の湿度増加の一時的な段階における居住の波を示唆しており、乾燥化が進むと地域的な過疎化が繰り返されるようです。

 本論文はアラビア半島北部へのヒト拡散の少なくとも5回の波(40万年前頃、30万年前頃、20万年前頃、130000~75000年前頃、55000年前頃)を特定し、それぞれの拡散は乾燥化減少段階と関連していました。これらの段階間の物質文化の違いは、アシューリアン技術の2段階と、その後の中部旧石器の異なる3形態で、多様な人類集団とおそらくは異なる複数種が、さまざまな時期にアラビア半島北部に拡大した、と示唆されます。アラビア半島の新たな古人類学的記録は、アジア南西部のさまざまな地域における、中期および後期更新世の人類の人口統計および行動の動態と地域的な特異性を浮き彫りにします。これらの過程は、地域的な気候変化と密接に関連していました。

 利用可能な記録は、脈動的な広範囲の拡散の後、局所的な変異と、最終的には人口減少が起きた、と強調します。アラビア半島内の根本的に異なる技術の時間的重複と、動物相の混合についての生物地理学的証拠を考えると、遺伝的分析により特定された人類の混合過程の一部がアラビア半島で起きたかもしれません。したがって、アラビア半島と、より一般的にアジア南西部は、現生人類がアフリカを越えてどのように拡大したのか、というますます複雑になりつつある歴史だけではなく、もっと広く、現生人類の最近の成功が、著しい環境変動の状況で起きた人類の拡散や地域的発展や混合のより長い歴史とどのように関連しているのか、理解するのに重要な地域です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


考古学:アラビア半島への初期人類の移動に水文気候変動が関係していた

 初期人類は、過去40万年間に少なくとも5回の移動期でアラビアに足を踏み入れていたことを報告する論文が、Nature に掲載される。アラビアの砂漠で発見された一連の石器と動物化石が、こうした初期人類の移動の証拠となっており、それぞれの移動は、一時的に乾燥度が低下した期間と関係していた。

 アラビア半島の広大な乾燥地帯は、アフリカとユーラシアを結ぶ唯一の陸橋であるため、アフリカ大陸から外界へ移動し、アフリカ大陸に戻ってきたヒト族(ホモ・サピエンスと現生人類の近縁絶滅種)の進化に関する研究の焦点になっていた。このようにアラビアが重要であるにもかかわらず、この地域で発見された文化的記録、生物学的記録、環境的記録は限られており、ヒト族の人口動態と行動に関する我々の理解は十分でない。

 今回の論文で、Huw Groucutt、Michael Petragliaたちは、サウジアラビア文化省遺産委員会との共同研究で、サウジアラビア北部のネフド砂漠にかつて存在していた湖の付近の堆積層から発見された一連の石器と動物化石について報告している。これらの発見物の中には、これまでで最古のヒト族のアラビアでの居住記録に関連する人工産物も含まれており、更新世(約260万~1万1700年前)に初期のヒト族のアラビアへの分散は少なくとも5回起こったことが明らかになった。これらの移動期は、それぞれ、環境条件が有利な時期、つまり一時的に乾燥度が低下した時期(約40万年前、30万年前、20万年前、13万~7万5000年前、5万5000年前)と一致していた。これらの移動期は、物質文化の違いによっても分類することができ、2回の移動期にはアシュールの技術(一般にホモ・エレクトスのような初期のヒト族種に関連している)が含まれ、3回の移動期には、中期旧石器時代の技術のそれぞれ独自の形態(手斧や大包丁など)が含まれていた。以上の知見は、アラビアに多様なヒト族集団が移住し、この集団が複数のヒト族種によって構成されていた可能性があることを示唆している。

 Groucuttたちは、これらの発見物は、アフリカとユーラシアの連結点におけるヒト族の移動に関する理解を深める上でアラビアが重要なことを裏付けるだけでなく、より具体的には、初期人類集団間の相互作用が著しい環境的変化と生態学的変化の時期にどのように関連していたのかを明らかにするものだと結論付けている。


考古学:過去40万年間の複数回にわたる西南アジアへのヒト族の分散

考古学:「砂漠のアラビア」物語

 西南アジア、とりわけアラビア半島は、人類の最初の出アフリカとその後の分散に極めて重要だった可能性がある。この地域は、現在は乾燥しているが、かつては穏やかで十分に水のある場所だった。今回H Groucuttたちは、アラビア地域のネフド砂漠の現在最も過酷な奥地の古代湖の堆積層から発見された、石器群や哺乳類化石について報告している。これらの遺物から、ヒト族が、約40万年前、約30万年前、約20万年前、約13万~7万5000年前、約5万5000年前の乾燥が短期的に緩和した時期に、アラビア内陸部へと繰り返し移動していたことが明らかになった。



参考文献:
Groucutt HS. et al.(2021): Multiple hominin dispersals into Southwest Asia over the past 400,000 years. Nature, 597, 7876, 376–380.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03863-y