河野礼子「猿人とはどんな人類だったのか 最古の人類」


 井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。本論文はまず、「猿人」について定義します。霊長類で人類の身体的独自性を3点に集約すると、直立二足歩行に適した全身、拡大した脳、縮小した犬歯となり、「猿人」を簡単に言うと、脳が拡大していない人類となります。また、現代人も含まれるホモ属とは別属に分類される人類全てのことでもあります。現代人は分類学的には、霊長目真猿下目ヒト上科ヒト科ホモ属サピエンス種(Homo sapiens)と位置づけられます。霊長目は全ての霊長類を、真猿下目はニホンザルやリスザルなどのサルらしいサルを含み、ヒト上科(Hominoidea)には現生および絶滅したヒトと(非ヒト)類人猿が全て含まれます。

 ヒト科(Hominidae)の定義は多少ややこしく、従来はチンパンジーとの共通祖先から分岐して以後のヒトの系統ほうべてヒト科としてきましたが、DNA研究の進展などにより、ヒトとチンパンジーの違いがごくわずかと示され、科の水準では区分できないのではないか、と議論されるようになりました。現在では、ヒト科にチンパンジーとゴリラも含める立場がどちらかと言えば優勢で、その立場では従来のヒト科を一つ下の分類階級のヒト族(Hominini)として扱います。しかし、オランウータンまでヒト科に含める意見や、従来的な定義の方が適切との立場もあり、広く合意が形成されているわけではありません。

 「猿人」というまとまりは正式な分類群ではなく、元々英語の「ape man」に対応した訳語として「猿人」という用語になりましたが、英語圏では現時点でこの「猿人」に対応した用語は正式には使われておらず、つまり日本独自の用語です(関連記事)。これは、新たな属名や種名がさまざまに提唱されたり、既存の分類群の定義について研究者間で見解が異なったりする場合などもある状況で、ある進化段階を表す名称が実用的で便利なので、慣例的に用いられ続けている、という事情のためです。同じ理由でホモ属についても、段階を表す用語として「原人」と「旧人」と「新人」という表現が慣例的に用いられています。

 本論文は「猿人」を3集団に大別します。まずは「初期猿人」で、1990年代以降に化石が発見されるようになった、400万年以上前の人類化石で、アウストラロピテクス属には含まれない、それ以前の人類となります。次に、狭義のアウストラロピテクス属です。最後に、「猿人」独自の特徴である咀嚼器官の発達がとりわけ顕著な3種から構成される「頑丈型猿人」です。「頑丈型猿人」は、属の水準ではアウストラロピテクス属とは別のパラントロプス属に分類されることもあります。狭義のアウストラロピテクス属は頑丈型に対して華奢型と呼ばれることもありましたが、現代人との比較では「猿人」全体で咀嚼器官が発達しているので、華奢とは言えません。現在では、頑丈型に対して「非頑丈型」と呼ばれることもあります。以下基本的に、「猿人」を「」でくくらず、類人猿は非ヒト類人猿を示します。


●初期猿人

 初期猿人は、サヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis)、オロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)、アルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)、アルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)の4種です。サヘラントロプス・チャデンシスは、現時点で最古となる人類(候補)化石で、アフリカ中央部のチャドの砂漠地帯で発見され、トゥーマイと呼ばれる頭骨化石が基準標本です。この化石が発見された地域には放射性年代測定法の適用可能な火山性堆積物が存在しないので、推定年代は他地域との化石動物層の対比に基づいており、700万~600万年前頃ですが、その後の研究では704万±18万年前と推定されています(関連記事)。トゥーマイの頭骨の下面には脳から体へ神経をつなぐ脊髄の出入口である大後頭孔という直径3~4cmの穴があり、この穴が下方を向いているので、サヘラントロプス・チャデンシスが直立二足歩行していたことを示す、と解釈されていますが、異論もあります。

 現時点でアフリカ東部最古となる人類(候補)は、ケニアのトゥゲン丘陵で発見されたオロリン・トゥゲネンシスの化石です。その年代は、放射性年代測定法により600万年前頃と推定されています。オロリン・トゥゲネンシスの化石では、大腿骨近位半や上腕骨遠位半などの四肢骨片、下顎骨片、遊離歯などが報告されています。大腿骨近位半は3標本あり、大腿骨頸断面の緻密骨分布パターンが類人猿よりも人類に近いことなどから、オロリン・トゥゲネンシスも直立二足歩行だった、と指摘されています。

 1990年代に400万年以上前の人類(候補)化石として最初に発見されたのはアルディピテクス・ラミダスでした。当初はアウストラロピテクス属の一種として報告されましたが、アウストラロピテクス属とは明瞭に異なる進化段階にあるとして、アルディピテクス属に分類されました。2009年にはアルディピテクス・ラミダスの包括的な分析結果が公表されました(関連記事)。この包括的な分析に基づくと、アルディピテクス・ラミダスは腰や足部の骨の形状から地上では直立二足歩行だったと考えられますが、後の人類とは異なり拇指対向性を残していたので、樹上ニッチ(生態的地位)も完全には放棄していなかったようです。アルディピテクス・ラミダスの歯や顎は特殊化しておらず、果実やその他さまざまな食料を利用するジェネラリスト(万能家)だった、と推測されます。アルディピテクス・ラミダスの犬歯の大きさについては、発見されている20個体分以上が全て雌のチンパンジー程度、雄相当の大きなものが含まれないため、確率論的に雌雄の差はほぼなくなっていた、と推測されています。つまり、直立二足歩行への移行と犬歯の小型化がすでに始まっている人類だった、というわけです。アルディピテクス属には、ラミダスよりも古い年代の別種としてカダバも報告されています。ラミダスと比較すると資料は少なめですが、より大きな犬歯など、ラミダスの前段階である特徴が認められます。

 これら初期の猿人各種については、発見されたのが比較的最近ということもあり、相互比較研究などはさほど進んでいません。そのため、これら3属がじっさいに別の属として成立するのかどうか、といった観点の検討は今後の課題となりそうです。属の水準では全て同じでよいという結論になる可能性もあるものの、その場合は先に命名された属名に先取権があるため、全てアルディピテクス属に含められることになります。


●アフリカ東部の狭義のアウストラロピテクス属

 アウストラロピテクス属の既知の最古種は、アルディピテクス属と同じく1990年代に報告されたアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)です。アウストラロピテクス・アナメンシスは大きな臼歯列などアウストラロピテクス属の特徴を示すことから、既知のアウストラロピテクス属と属の水準で区別する必要はなく、おそらくアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の祖先だろう、と推測されました。最近、エチオピアのウォランソミル(Woranso-Mille)研究地域で発見された380万年前頃の頭骨(MRD-VP-1/1、以下MRDと省略)が、犬歯の形態などに基づいて、アウストラロピテクス・アナメンシスに分類されました(関連記事)。MRDには脳頭蓋が前後に長細いというサヘラントロプス属に似た祖先的特徴と、頬骨が前方へ向くという頑丈型猿人とも似た派生的特徴とが混在する、と報告されています。アナメンシスはアファレンシスと共存していた可能性も指摘されており、猿人進化に関する理解が、一段と進むことも混迷することもありそうです。

 アウストラロピテクス・アファレンシスは猿人を代表する種の一つで、現在のエチオピアとケニアとタンザニアにまたがる広範な地域から化石が出土し、資料数も多いことから、猿人像についての知見のかなりはアファレンシス化石の研究により明らかになった、と言えます。ルーシーと呼ばれるアファレンシスの有名な部分骨格標本(A.L. 288-1)や、一地点からまとまって発見されたために「最初の家族」と呼ばれる化石群など、アファレンシス化石の9割近くはエチオピアのハダール(Hadar)で得られていますが、基準標本に指定されたのはタンザニアのラエトリ(Laetoli)で発見された下顎骨です。また、チャドで発見され、アウストラロピテクス・バーレルガザリ(Australopithecus bahrelghazali)という新種として報告された下顎骨標本も、形態的にはアファレンシスの変異の範疇に収まる、と考えられています。ケニアで発見され、アウストラロピテクス属とは別属とされたケニアントロプス・プラティオプス(Kenyanthropus platyops)化石については、中心的標本である頭骨の保存状態が悪いため、同年代のアファレンシスの違いが確定的とは言えないようです。

 エチオピアのウォランソミルでは、新たなアウストラロピテクス属化石(上下の顎骨数点)が報告されており、新種のアウストラロピテクス・デイレメダ(Australopithecus deyiremeda)と命名されました(関連記事)。デイレメダはアファレンシスと年代が重なり、発見場所も近いものの、臼歯列が小さめであることや顎骨の形態などに基づいて、新種と判断されました。これらの化石が発見されたウォランソミルのブルテレ地点では、それ以前に猿人の足部の化石が発見されており、拇指対向性が見られることから、アファレンシスと同年代にアルディピテクス属のような形態を有する別種の存在が示唆されていました(関連記事)。ウォランソミルの歯や顎がアファレンシスとは種の水準で異なると言えるのか、判断は難しく、またデイレメダとその足部化石との対応関係は確認できていません。


●アウストラロピテクス・アフリカヌス

 上述の猿人化石はいずれもアフリカ東部と中央部で発見されましたが、アフリカ南部でもアウストラロピテクス属化石が発見されており、最初に発見された猿人は現在の南アフリカ共和国で発見されたアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)化石でした。ただ、類人猿とヒトの中間的特徴を示すこの化石が報告された1925年には、後に捏造が発覚するピルトダウン人に学界の関心が集中しており、単なる類人猿の化石と考えられ、その意義は軽視されました。ピルトダウン人は、現代人的な脳と類人猿的な咀嚼器官を有する人類の祖先がヨーロッパで進化した、という当時の人類進化観に当てはまっており、逆に脳はヒトより小さいものの、咀嚼器官はヒト的な人類の祖先がアフリカ南部に存在した、という見解はなかなか受け入れられませんでした。アウストラロピテクス・アフリカヌスが人類の祖先として受け入れられるようになったのは、発表から20年近く経ってからでした。

 アフリカヌス化石は南アフリカ共和国のスタークフォンテン(Sterkfontein)洞窟やマカパンスガット(Makapansgat)で発見されており、とくにスタークフォンテンではかなりの点数が見つかっています。アフリカヌスはアファレンシスとともに猿人の代表種と言えますが、スタークフォンテンで発見された複数個体分の部分骨格はいずれも、頭骨と確実にセットになっていません。アフリカヌスの形態では個体変異が大きく、2種以上が含まれる可能性も指摘されていますが、明瞭な境界の定義も難しいので、アフリカヌスとしてまとめられています。

 アフリカヌスの系統的位置づけについては、アファレンシスから進化した、との見解以外にも、アファレンシスより祖先的とか、ホモ属の祖先とか、ホモ属と頑丈型猿人であるパラントロプス(もしくはアウストラロピテクス)・ロブストス(Paranthropus robustus)両者の祖先であるとか、さまざまな見解が提示されています。こうした議論の錯綜は、アフリカ南部の化石は基本的に洞窟堆積物から発見され、放射性年代測定によるアフリカ東部の化石よりも年代推定が難しく、揺れ幅が大きい、という事情も少なからず影響しています。

 スタークフォンテンでは、堆積物に全身骨格化石(90%以上の保存状態)が存在する、と1997年に確認されて以降、20年にわたって発掘作業が続けられ、最近になって化石の掘り出しと洗浄がほぼ完了し、分析結果が報告され始めています。この化石はリトルフット(StW 573)と呼ばれており、アフリカヌスの発見地点よりも下層で発見され、その年代は360万年前頃と推定されていますが、280万年前頃以降との見解も提示されています(関連記事)。リトルフットにはアフリカヌスとは異なる形態的特徴が認められ、アフリカヌスとは別種と判断されています。ただ、新種ではなく、20世紀半ばに提案されたアウストラロピテクス・プロメテウス(Australopithecus prometheus)に分類されています。


●頑丈型猿人

 アナメンシス以降のアウストラロピテクス属各種は、犬歯よりも後方の臼歯列、つまり小臼歯と大臼歯が大きく、表面を覆うエナメル質が厚いなど、全体的に咀嚼器官が発達しています。とくに顕著に咀嚼器官が発達しているのが、頑丈型と呼ばれる猿人です。頑丈型猿人では3種が存在します。頑丈型猿人はアファレンシスやアフリカヌスとは明らかに異なる進化段階を示していると考えられるので、アウストラロピテクス属とは別属のパラントロプス属と分類することが多くなっています。しかし、頑丈型猿人3種の系統関係が完全には解明されていない現状では、アウストラロピテクス属から独立させることの妥当性も担保されていないので、アウストラロピテクス属に分類する立場もあります。本論文は、基本的に頑丈型猿人をアウストラロピテクス属に分類しています。

 頑丈型猿人3種のうち最古はパラントロプス(アウストラロピテクス)・エチオピクス(Paranthropus aethiopicus)で、おもにアフリカ東部のエチオピアとケニアで化石が発見されています。資料数はあまり多くないものの、ケニアのトゥルカナ(Turkana)湖西岸でブラックスカルと呼ばれるほぼ完全な頭骨化石(KNM-WT 17000)が発見されています。この頭骨化石は、広くて平たい顔面部と突出した上顎が特徴で、歯はほとんど残っていないものの、歯根などから臼歯列はひじょうに大きかった、と推測されます。

 アフリカではもう1種の頑丈型猿人が確認されており、それはパラントロプス(アウストラロピテクス)・ボイセイ(Paranthropus boisei)です。ボイセイはおそらくエチオピクスから進化史、より咀嚼器官が発達した、と考えられます。ボイセイ化石で最良の保存状態の頭骨(OH5標本)は、アフリカ東部の猿人化石で最初に発見されました。OH5標本は、「皿状」とも評される顔面部と、分厚いエナメル質で表面を覆われたひじょうに大きな臼歯列が特徴的です。ボイセイ化石はアフリカ東部のエチオピアとケニアとタンザニアにまたがる広範囲で比較的多く発見されています。ボイセイは、下顎骨か大きくしっかりとしており、頭骨にはその下顎を動かすための強大な咀嚼筋の付着部となる骨の出っ張り(矢状稜)などが著しく発達し、顔面が平坦で皿状とも言われ、臼歯列の各歯のサイズはエチオピクスや同じく頑丈型猿人のパラントロプス(アウストラロピテクス)・ロブストス(Paranthropus robustus)と比較しても多くいものの、切歯と犬歯は相対的のみならず実寸でも著しく小さくなっている、といった共通の特徴が認められ、種としてのまとまりが分かりやすくなっています。ただ、エチオピア南部のコンソ(Konso)で発見された140万年前頃の頭骨化石には、エチオピクスやロブストスと類似する特徴が混在するので、種内変異もそれなりにあった、と推測されています。

 アフリカ南部で発見された頑丈型猿人がロブストスで、頑丈型猿人としては最初に発見されました。ロブストスは1930年代にクロムドライ(Kromdraai)で頭骨化石などが発見されて以降、スワートクランズ(Swartkrans)やドリモレン(Drimolen)などで数百点の化石が見つかっています。ロブストスは、咀嚼器官が発達している点ではアフリカ東部の2種(エチオピクスとボイセイ)と共通しており、ロブストスの方がエチオピクスよりも派生的で年代も後なので、頑丈型猿人3種はエチオピクスを祖先種とするクレード(単系統群)と考えるのが最も自然です。しかし、アフリカ南部のアフリカヌスとロブストスの間に共通点も見られることから、頑丈型猿人がアフリカの東部と南部で別々に進化した可能性(関連記事)も完全には否定されていません。

 頑丈型猿人で最も後まで存在したと考えられるのはボイセイで、ボイセイで最新の化石はコンソで発見されており、年代は140万年前頃です。これは猿人化石全体でも最も新しい年代で、ボイセイは最後の猿人と言えそうです。アフリカ東部では140万~100まの化石産地があまり存在しないので、遅くとも100万年前頃までに猿人は絶滅したことになのそうです。ボイセイは230万年前頃かそれ以前から存在が確認されており、少なくとも100万年近く存続したことになります。コンソで発見された化石から、ボイセイのある程度の種内変異が示唆されるものの、100万年間に起き得る進化としてはさほど大きくなく、かなり安定した種と言えそうです。同年代にホモ属も存在しており、ボイセイは種間競争に敗れて最終的に絶滅したかもしれませんが、100万年続いてからの絶滅なので、惨めな敗者というよりは、随分長く頑張った種と言えそうです。


●ホモ属の起源と関連しているかもしれない猿人

 猿人の次に現代人も含まれるホモ属が(一定期間共存しつつ)登場しますが、猿人のうちどの種がホモ属の直接的祖先となったのか、明確ではありません。ホモ属とつながりがあると報告された猿人には、アウストラロピテクス・ガルヒ(Australopithecus garhi)とアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)があります。ガルヒの化石はエチオピアのミドル・アワシュで発見され、年代は250万年前頃です。ガルヒの頭骨は頑丈型猿人には似ていないため、同年代のエチオピクスとは別種で、四肢の長さの比率が猿人よりも現代人に近いことと、同じ遺跡から石器による傷のついた動物化石が発見されたことから、ホモ属の祖先と主張されています。ガルヒは、エチオピクスとは別種でありながら、歯が全体的に大きく、この時代に咀嚼器官の頑丈化が複数系統で起きた可能性も指摘されています。

 セディバは南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)遺跡でのみ発見されており(関連記事)、年代は200万年前頃です。セディバは同年代のロブストスと違って歯が小さくホモ属的ではあるものの、ホモ属にしては頭骨が小さく、脳の発達の気配がまったく見られないため、アウストラロピテクス属の新種と判断されたようです。セディバは2個体分の部分骨格化石が発見されており、腰骨などには現代人に近い特徴が見られますが、足部の骨には祖先的特徴も見られます。バーガー(Lee Rogers Berger)氏などセディバを報告した研究者は、セディバが猿人の中で最もホモ属に近い種と主張しますが、200万年前頃ではホモ属の祖先となるには遅すぎるので、あまり説得力はありません。セディバについては、アフリカヌスの生き残りという見解や、ホモ属に分類すべきといった、さまざまな見解が提示されています。

 ホモ属の起源について最古の証拠は、エチオピアのハダールで発見された233万年前頃の上顎骨とされてきました。しかし、同じアファール地域のレディゲラル(Ledi-Geraru)調査区域で発見された、5個の歯の残っている左側下顎が、最古のホモ属ではないか、と主張されています(関連記事)。この化石の年代は280万年前頃で、ホモ属の起源が一気にさかのぼった、とも評価されましたが、脳容量は不明で、歯や顎の化石でホモ属と判断するのは難しく、ホモ属出現の年代や場所の絞り込みは容易ではありません。また、「ホモ属の直前」といった特徴を示す猿人化石が発見されない限り、特定の猿人とホモ属との系統関係を確実に示すのは困難です。仮に「ホモ属の直前」の化石が発見されても、それがホモ属なのか猿人なのか判断するのは難しそうで、系統関係や分岐年代については、ある程度の解像度以上には明らかにできないかもしれません。


●猿人の特徴

 アファレンシスやアフリカヌスといった狭義のアウストラロピテクスの特徴は、直立二足歩行と犬歯サイズはヒト的であるものの、脳容量と四肢の比率は類人猿的で、ヒト的でも類人猿的でもない独自の特徴は、咀嚼器官が発達していたことです。猿人の直立二足歩行について、現代人との比較では見解が一致していないものの、直立二足歩行していたことは疑われていません。直立二足歩行への適応を示す特徴は、腰や大腿や膝や足部の骨の形状などに広く認められます。幅広で低い骨盤は類人猿よりもヒト的で直立姿勢を示唆し、大腿骨も股関節から膝にかけて傾くことにより直立姿勢で体の重心を体のましたに近づけるという、ヒト的特徴が認められます。

 類人猿の足は、手と同じように親指が他の指と向き合って物を掴める、すなわち把握性がありますが、ヒトでは足の親指は他の4本の指と並列しており横にはほとんど向かないため、上手く物を掴めません。猿人の足はこの点でヒト的です(例外が上述のブルテレ標本)。さらに、ヒトの足は縦方向にアーチを形成する点で類人猿と異なっていますが、猿人の足にも同様のアーチ構造が認められ、このアーチが歩行時の着地から蹴り出しにかけて効果的に体重移動をすると同時に、体重を支えるクッションのように機能していた、と考えられます。猿人の直立二足歩行の直接的証拠としては、タンザニアで発見された366万年前頃の足跡があります(関連記事)。

 このように猿人の直立二足歩行は確実と考えられますが、身体比率では猿人は類人猿的だったようです。類人猿は基本的に下肢に対して相対的に腕(上肢)が長いのに対して、現代人では相対的に下肢が長く、歩幅をかせいでいます。猿人は上肢が下肢に対して相対的に長く、この点ではヒトより類人猿に近かったようです。とくに、肘から先の前腕と手が相対的に長くなっています。猿人は現代人と比較して、身長が低かったようです。こうした身体比や全身像の検討には同一個体の化石が必要なので、多くの見解がアファレンシスの全身骨格(A.L. 288-1標本)の研究に基づいています。しかし、化石はなかなかまとまって見つからないので、難しい面もあります。

 一方、頭部については、全体的にヒトより類人猿的な特徴が多く見られます。まず、頭蓋内腔容量(脳サイズ)は375~550㎤と小さく、現生類人猿と本質的に違わない、と言えます。顔面についても、眼窩の上の出っ張り(眼窩上隆起)が発達しており、上顎部分が前方へ突出しているなど、明らかに現代人より類人猿に似ています。ただ、上述の大後頭孔が類人猿と比較して頭蓋底のより前方にあり、首を動かす筋肉が付着する項平面が下方を向いている点などはヒト的で、これらも直立二足歩行と関連する特徴と理解されています。

 猿人の咀嚼器官については、頭蓋の咀嚼筋付着部が全体的によく発達しており、咀嚼力が強かった、と推測されます。上顎も下顎もがっしりとしており、とくに下顎骨の歯の生えている部分である下顎体は分厚く、下顎枝と呼ばれる工法の垂直部分は高くなっています。歯については、臼歯列、とくに大臼歯が大きく、歯冠表面のエナメル質も厚くなっています。一方、歯の中でも犬歯は咀嚼とは別の観点で重要です。類人猿の犬歯は三角錐型で尖っており、上下の犬歯の三角の一辺同士が擦れあって研がれるように減っていきますが、ヒトの犬歯は切歯とあまり違わない形で、他の歯と同じように先端からすり減ります。また類人猿は雌の犬歯もヒトより大きいものの、雄の犬歯はずば抜けて大きく、性差が著しいことも特徴です。類人猿の雄の犬歯が大きいことは、雄同士の競争が激しいことと関連していると考えられるので、犬歯サイズと性差の程度には社会の在り方が反映されている、と予測されます。

 猿人の犬歯は現代人と比較して大きく、個体によっては類人猿的に上顎歯列に下顎犬歯が収まるための隙間(歯隙)が認められます。しかし、類人猿と比較して猿人の犬歯はずっと小さく、目立ったサイズの性差も見られません。歯冠の形も三角錐というよりは先の尖ったヘラ状に近く、ヘラの先端から擦り減っていく点でもヒト的です。こうした犬歯の特徴から、猿人社会は類人猿と比較して雄間競争が激しくなかった、と想定されます。猿人では、犬歯サイズの性差は小さいものの、身体サイズの性差は大きかった、との指摘もあり、確かに現代人よりは性差があったにしても、類人猿ほどではなかった、との分析結果もあります。現代人でも同性内の個体差はそれなりに大きく、限られた点数しか見つからない化石の比較で個体差と性差をどこまで正確に評価できるのかは、難しい問題です。

 こうした特徴一式を仮に猿人の「典型」と考えると、初期の猿人と頑丈型猿人の違いも見えてきます。初期猿人では、犬歯がもう少し大きくて小型化の程度がもう少し前の段階にあったことと、咀嚼器官の発達が進んでいなかったことと、直立二足歩行をしていたものの足に拇指対向性が見られるなど樹上も生活空間として利用されていただろう、といったことが挙げられます。一方、「後期猿人」とも言うべき頑丈型猿人では、咀嚼器官のさらなる発達が独自の特徴で、咀嚼筋の一つである側頭筋の付着面積をかせぐための骨稜がよく発達しており。皿状の顔面も強大な咀嚼筋の付着領域や咀嚼力に対する強度の確保と関連して発達した、と考えられます。大臼歯はさらに大きくなり、小臼歯も「大臼歯化」するなど、咀嚼の必要性がひじょうに大きかった、と推測されます。頑丈型猿人の身体サイズはアファレンシスやアフリカヌスと本質的には違わなかった、と推測されています。ボイセイやロブストスは初期ホモ属と共存していたので、四肢骨化石が見つかっても、どちらなのか明瞭に区別することは難しく、逆に「頑丈」なのは咀嚼器官だけだったようです。


●猿人の進化の背景

 猿人の進化の背景としても二つの観点が着目されます。まず、人類の最大の特徴とも言うべき直立二足歩行の起源についてです。これについては古くからさまざまな理由が提案されてきました。たとえば、物の運搬、草原で見晴らしがよくなる、エネルギー効率がよい、といったものです。とくに、草原に生活域が移ったことで直立したとする「サバンナ仮説」や、その発展形で、大地溝帯の隆起によりアフリカの東西で環境が異なるようになったからとする「イーストサイドストーリー」が一時は有力でした。しかし、初期猿人化石が発見されていくにつれて、人類の起源がさかのぼり、初期猿人化石の発見地の古環境が必ずしも乾燥した草原とは言えないと明らかになり、これらの仮説の論拠は弱まりました。現在では、ラブジョイ(Claude Owen Lovejoy)氏の「食料供給仮説(プレゼント仮説)」が一定の説得力を有するようになっています。

 食料供給仮説では、直立二足歩行の起源と犬歯の小型化が同時に説明されます。現生チンパンジーにおいて雄間の競争が激しいのは、複雄複雌の群れにおいて性皮が膨張した発情中の雌をめぐってのことですが、ヒトの女性では発情中も周囲にはそうだと分からず、本人にも分かりません。発情中か否かが明示的でないと、なるべく多くの雌と発情の時期を狙って交尾するという雄の繁殖戦略が成り立たず、数は少なくなっても特定の相手を常時確保する方が戦略として有効となり得るため、雌雄ペアのつがい型、一夫一妻型社会が生じ得ます。雄同士の競争が不要になると巨大な犬歯の必要がなくなるので、犬歯が小型化します。一方、複雄複雌の群れからつがい型に移行することで、雄にとって自身の子であるかどうか判断できるようになり、小に食料を持ってくる行動が適応的に有利となり、食料運搬に適した移動様式として直立二足歩行が適応的に有利になった、というわけです。アルディピテクス・ラミダス化石などの研究により、初期猿人が本格的に草原に出る前に二足歩行を始めていたらしいことや、犬歯の小型化も同時に早くから進行していたことが明らかとなり、かなりの説得力があるように思われる食料供給仮説には批判も多いようで、広く合意が得られているとは言えないようです。

 次に、咀嚼器官の発達についてです。まず、アウストラロピテクス属全体として咀嚼器官が発達したのは、初期猿人の段階からアウストラロピテクスへの移行が、樹上空間と決別して本格的に草原、つまりサバンナへ進出し、地上での直立二足歩行に特化していくことを意味していると考えれば、サバンナで得られる食料に対して有利だったから、と解釈できます。頑丈型猿人においてさらに咀嚼器官の発達度合いが強化されたことも、ある意味ではその延長として理解できます。頑丈型猿人が出現した300万~250万年前頃は、地球規模の寒冷化が進行し、アフリカにおいても乾燥化が進み、一段と草原が広がった時期とされています。このような環境変化により食料が乏しくなる中、咀嚼器官の発達によりしのいだのが頑丈型猿人だろう、というわけです。一方、同じ状況下で咀嚼器官の発達の代わりに道具製作・作用行動を進化させた系統があり、これがホモ属の祖先になったと考えられます。道具使用の証拠としては、エチオピアのゴナ(Gona)で発見された260万年前頃の石器群が最古とされており、ホモ属出現の時期にも合致します。しかし最近になって、330万年前頃の石器が発見されたとの報告もあるので(関連記事)、石器=ホモ属とは断定できません。

 この点に関して、アルディピテクス・ラミダスを含む視野で見れば、アウストラロピテクス属自体がホモ属への移行の準備段階で、形態的には祖先的なアウストラロピテクス属自体において、ホモ属を特徴づける道具使用行動や社会性や認知的行動の複雑化が萌芽的に存在していたに違いない、との指摘もあります。この指摘に基づけば、アウストラロピテクス属とホモ属との間には大きな段差があるのではなく、ある程度連続的な変化であって問題ないわけで、最古の石器の証拠が少々古くさかのぼっても、とくに不思議ではないかもしれません。


参考文献:
河野礼子(2021)「猿人とはどんな人類だったのか 最古の人類」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第2章P23-40