近藤修「旧人ネアンデルタールの盛衰 現生人類との交代劇」

 井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。人類史においてさまざまな化石集団が知られていますが、その中でもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)はとくに有名です。ネアンデルタール人の研究史は19世紀半ばにまでさかのぼり、有名なのは1856年に現在ではドイツ領となっているデュッセルドルフ近郊のネアンデル渓谷のフェルトホーファー洞窟(Feldhofer Cave)で発見された部分骨格で、当時はヨーロッパ「人種」の祖先と考えられ、ホモ・ネアンデルターレンシスと命名されました。当時、すでにネアンデルタール人の化石がベルギーとジブラルタルで発見されていましたが、その意義が理解されるようになったのは、このネアンデル渓谷での発見以降でした。これを契機に、現生人類(Homo sapiens)とは異なる人類集団が(化石人類)がかつて存在していた、と認められるようになり、現在に至るまで、ネアンデルタール人の生物学的および解剖学的側面や生活といった側面まで、多くのことが研究されています。しかし、ネアンデルタール人について依然として謎は多く、とくに現生人類との関係も含めてその終焉については、現在でもさまざまな研究が進行中で、議論百出といった感があります。


●ネアンデルタール人の進化的位置

 人類史においてネアンデルタール人は、現代人にとって「最も近縁な親戚(イトコ)」とよく言われます。つまり、ネアンデルタール人はさまざまな化石人類の中で、現代人に最も近い集団であるものの、直接的祖先ではない(イトコ)、というわけです。ネアンデルタール人化石は多数発見されており、この解釈はおおむね正しいようです。つまりネアンデルタール人は、アフリカからユーラシアへと拡散したホモ属集団が、おもにヨーロッパで固有の進化を遂げた結果生まれた、と考えられています。種分化の具体的な年代や要因は不明ですが、氷期と間氷期の振幅の増加や、集団の孤立による遺伝的浮動などにより、ネアンデルタール人に特有の形質が獲得されていった、と考えられています。もしそうならば、ネアンデルタール人は30万年前頃までにヨーロッパを中心として形成されたようです。この時期にアフリカ(の少なくとも一部地域)では、解剖学的現代人が出現していたようです。つまり、ネアンデルタール人は現生人類の直接的祖先ではありません。一方、ネアンデルタール人は絶滅したと考えられますが、ネアンデルタール人の遺伝子はわずかながら現代人に残っています。つまり、アフリカでは解剖学的現代人が、ヨーロッパではネアンデルタール人がそれぞれ誕生して進化し、後に両者が一部地域で交雑した、と考えられます。


●現生人類の進化仮説

 ネアンデルタール人の消滅と現生人類の拡散は、現生人類の進化仮説と深く関わっています。ネアンデルタール人から一部の現生人類(ヨーロッパ現代人)進化した、との見解(多地域進化説)に対して、現生人類の起源は単一で、ネアンデルタール人などは移住してきた現生人類と交替した、との見解が提示されており(単一起源説)、後に遺伝学的研究やアフリカでの初期現生人類化石の発見やレヴァントの初期現生人類化石の年代の見直しなどから、現生人類の唯一の起源地はアフリカで、その後でユーラシアへと拡散していった、との現生人類アフリカ単一起源説が有力となり、現在では共通認識となっています。この現生人類アフリカ単一起源説に基づくと、ネアンデルタール人は絶滅し、アフリカ起源の現生人類と「(一部交雑しながら)交替」したことになります。そこで、なぜネアンデルタール人が絶滅し、現生人類が拡散(繁栄)したのか、という点に関心が寄せられてきました。


●「交替」の時代背景

 ヨーロッパとアジア南西部の中部旧石器および上部旧石器文化の遺跡からは、ネアンデルタール人と解剖学的現代人が見つかっています。おもに、中部旧石器遺跡からはネアンデルタール人が、上部旧石器遺跡からは現生人類が見つかっていますが、人類化石のない遺跡も当然多くあります。ロシアからスペインにかけてのネアンデルタール人遺跡の年代再検討により、ネアンデルタール人は4万年前頃に消滅し、最も早い解剖学的現代人のヨーロッパ拡散は45000年前頃と推定されています(関連記事)。当時ヨーロッパでは、ネアンデルタール人と解剖学的現代人がほぼ同地域に混在し、同じ環境を共有していたわけです。

 一方、イスラエルなどアジア南西部の一部地域では、より古い10万年前頃に、中部旧石器文化を伴う解剖学的現代人化石が見つかっており、アフリカ起源の現生人類が一時的にアジア南西部に到達したものの、本格的なヨーロッパへの侵入はそのずっと後だと考えられています。解剖学的現代人がアジア南西部経由でヨーロッパに拡散していくにつれて、ネアンデルタール人は西へと追いやられたようです。この時期の気候は氷期・間氷期周期の最中で、北方は氷床に覆われており、ヒトは住めませんでした。この時期の気候変動は、グリーンランド氷床コアから得られた酸素同位体比の変化により推定できます。ネアンデルタール人と現生人類の「交替劇」は酸素同位体ステージ3に相当します。この時期に温暖から寒冷へと気温が変化したことに伴い氷床が発達し、ネアンデルタール人の生息域も移動もしくは縮小しました。45000年前頃以降、ヨーロッパには現生人類が到来しますが、ヨーロッパ北部地域への到達は遅れ、寒冷化が進むにつれて生息域は限定的になっていきます。こうした生息域の変遷パターンはネアンデルタール人と解剖学的現代人とで類似しており、寒冷化は「交替劇」の直接的要因ではないとされていますが、ネアンデルタール人集団の縮小を招いた根本的要因として重視されています。


●「交替劇」に関する仮説

 ネアンデルタール人と現生人類の「交替劇」に関するおもな仮説には、(1)解剖学的現代人は複雑で抽象的な意思疎通ができ、完全な構文言語を有した、(2)ネアンデルタール人は革新(発明)の能力が弱かった、(3)ネアンデルタール人は狩猟の効率が悪かった、(4)ネアンデルタール人の狩猟具は解剖学的現代人のそれ(投槍器)より劣っていた、(5)ネアンデルタール人は食性の幅が解剖学的現代人より狭く、競争に敗れた、(6)解剖学的現代人は罠(トラップ)を用いて狩猟した、(7)解剖学的現代人の石器の固定方法は複雑で高度な認知を必要とするが、ネアンデルタール人のそれは簡素だった、(8)解剖学的現代人はネアンデルタール人より大きな社会的ネットワークを有していた、(9)ネアンデルタール人の領域に侵襲した初期解剖学的現代人は、ネアンデルタール人集団よりも人口が多かった、(10)4万年前頃の寒冷化がネアンデルタール人の人口減少の一要因だった、(11)75000年前頃のトバ火山の爆発が間接的にネアンデルタール人の絶滅を引き起こした、といったものがあります。

 (10)と(11)を除いて、これらの仮説はネアンデルタール人に対する現生人類の優位を根拠としています。これは元々、ヨーロッパとアジア南西部のネアンデルタール人と解剖学的現代人の文化水準の比較から提唱されました。つまり、ネアンデルタール人の中部旧石器文化と解剖学的現代人の上部旧石器文化を比較し、後者には新たな技術や抽象的意思疎通や装飾品と芸術(洞窟壁画など)の創造を伴い、解剖学的現代人は日常活動(生業)水準でネアンデルタール人と違いがあった、と考えられました。こうした解剖学的現代人の「優位性」が環境への適応力を上げ、同時代に同地域に住んでいたネアンデルタール人よりも高い生存可能性を生み出した、というわけです。出アフリカ以前の解剖学的現代人にも、この「現代人的行動」の「優位性」の証拠が、ヨーロッパの中部旧石器時代と匹敵する古い年代(7万年以上前)から見つかっています。つまり、現生人類の「優位性」は出アフリカ以前に芽生えつつあり、その後ヨーロッパでネアンデルタール人と遭遇した時には、その「優位性」により生き残り、ネアンデルタール人は絶滅した、というわけです。しかし、最近になって、この見解に疑問を嘆かれる証拠が報告されるようになっており、「現代人的行動」の特徴と考えられた考古学的証拠が、ネアンデルタール人遺跡からも発見されています(関連記事)。

〇言語と抽象的概念(仮説1)

 化石人骨から言語や抽象的概念の起源を探る試みは、これまで何度も行なわれてきましたが、たとえば、頭蓋底の屈曲程度と咬頭・咽頭の関係や、舌骨の形態や舌下神経管の形態や、脳鋳型が、直接的な因果関係を導くことは依然として困難です。そこで、やはり直接的証拠ではないものの、考古学的証拠が注目されます。出アフリカ以前の解剖学的現代人の文化は、ヨーロッパやアジア南西部の中部旧石器時代と同じ頃の中期石器時代に比定されます。中期石器時代の遺跡から、線刻オーカーや貝製ビーズや火工技術を利用した石器など、言語の起源や抽象的概念を想起させるいくつかの証拠が見つかっています。これは、アフリカにおいてすでに中期石器時代に、抽象的思考や個人間の情報伝達がそれなりの発展段階にあったことをしみします。しかし、これらの証拠がヒトの特徴である「完全な構文構造を有する言語」とどこまで結びつくのかは不明です。

 一方で、アフリカの中期石器時代の解剖学的現代人が示す「抽象的表現」に匹敵する事例は、ネアンデルタール人の中部旧石器時代遺跡でも見つかっています。たとえば、オーカーやマンガンによる彩色(関連記事)、貝(関連記事)やワシの爪(関連記事)や鳥の羽根を利用した装飾品や、洞窟深部の精巧な円形構築物(関連記事)です。これらの「抽象的表現」は、ネアンデルタール人にある程度の高度な思考能力があつたことを示します。考古学的証拠のみで比較すると、ネアンデルタール人と解剖学的現代人との間に大きな差があるようには見えません。ネアンデルタール人と現生人類の抽象的思考能力の比較には、事例の観察だけではなく、それを生み出す行動や技術内容に踏み込むひとが必要でしょう。

〇革新(発明)能力(仮説2)

 考古学的証拠から、「革新(発明)」能力が評価されてきました。つまり、上部旧石器時代(解剖学的現代人)では、中部旧石器時代(ネアンデルタール人)と比較して、石器型式の変化が速く、短期間に多様化することから、解剖学的現代人は「革新(発明)」能力が高く、ネアンデルタール人はその能力が欠けている、というわけです。一方、ヨーロッパの中部旧石器の形式細分の検証から、石器型式の変化速度は、中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけてそれほど違いはない、といった見解もあります。これらの見解の相違は、各石器型式の存続年代の精度にも問題がある、と考えられます。

〇狩猟方法と製作技術と食性の幅(仮説3~7)

 仮説3~7では、ネアンデルタール人と解剖学的現代人との間には、狩猟方法や狩猟道具の効率性に違いがあり、あるいはこれと関連して、食料資源の多様性に違いが生じ、両者の生存確率に差が生じた、と想定されます。ネアンデルタール人はすでに火を制御しており(関連記事)、複雑な工程の石器を製作し、加工して槍先として木の棒に装着し、道具として大型動物を狩っていました。生息地域によっては得られる資源が異なり、たとえばアジア南西部のレヴァントでは、狩猟の標的はヤギやヒツジなど中型草食獣で、陸生カメなども食用とされていたようですが、石器製作や狩猟技術や日常生活様式はヨーロッパのネアンデルタール人と変わらない、と考えられます。ネアンデルタール人の狩猟はおそらく、少人数で獣を追い込み、接近して槍で突くか槍を投げる、といったものと考えられ、そのために肉体的負荷が大きく、骨折などの負傷も多かったようです(と本論文は指摘しますが、2万年前頃までネアンデルタール人と現生人類の頭蓋外傷受傷率に違いはない、との見解もあります)。一方45000年前頃にヨーロッパに進出した解剖学的現代人は、より複雑な石器製作技術でより小型の尖頭器や石刃を作成しました。その後、解剖学的現代人はこれら小型石器を槍先に装着し、投槍器や弓矢で射る狩猟技術を用いるようになります。これにより、獲物から離れた狩猟が可能となりますが、ヨーロッパの上部旧石器時代でこれらの技術がどこまでさかのぼるのか、これまで不明でした。

 最近の石器使用痕の研究は、45000~40000年前頃というネアンデルタール人と解剖学的現代人が共存した時代に、こうした遠距離狩猟技術がさかのぼる可能性を指摘します(関連記事)。この研究では、イタリア半島南部のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)遺跡のウルツィアン(Uluzzian)層で発見された三日月型の小型石刃の使用剥離痕と柄への装着方法の詳細な分析の結果、この剥離痕が強い衝撃速度によるもので、柄との積極に複雑な工程を要した、と結論づけられました。つまり、当時すでに投槍器や弓に匹敵する機械的発射技術があり、複雑な石器装着技術は高度な認知能力を必要としたかもしれない、というわけです。カヴァッロ洞窟の人類の乳歯は解剖学的現代人のものとされており(関連記事)、アフリカ起源の解剖学的現代人は、すでに行動な狩猟技術を有していたことになります。同時期のネアンデルタール人では、まだこうした狩猟技術の証拠は見つかっていません。この狩猟技術の差が明らかならば、環境への適応能力の差として「交替劇」を説明できるかもしれません。

 狩猟技術と関連して、食性の多様性も議論されています。直接的証拠として、遺跡で見つかる動植物化石から食性が復元され、ネアンデルタール人が利用した食料資源については、大型~中型の草食獣が中心なのに対して、解剖学的現代人の食性はより多様で、水産資源(魚介類)や小型動物(鳥やウサギ)に加えて、植物も食べられていた、と考えられてきました。より間接的な証拠としては、人骨のコラーゲンから炭素と窒素それぞれの安定同位体比を計測する方法が確立しています。ネアンデルタール人では、炭素と窒素の安定同位体比は食物連鎖の最上位となる食肉類の位置を占め、ネアンデルタール人はウシ科やウマ科など大型草食動物を主要なタンパク資源としていた、と考えられてきました。

 一方、量は多くないかもしれないものの、ネアンデルタール人がウサギなどの小型動物を食べていた証拠(解体痕)や、上述のように鳥の羽根やワシの爪を装飾品として利用した可能性が指摘されるなど反論もあり、さらには淡水魚や植物資源の利用も示唆されています(関連記事)。ネアンデルタール人の植物利用の証拠として、歯石からデンプン粒や植物珪酸体を同定した研究では、ネアンデルタール人は大型獣の狩猟が主だったとしても、植物資源も広く利用されていただろう、と結論づけられています(関連記事)。人骨のコラーゲンから炭素と窒素の安定同位体比を得て推定される食性は、タンパク質源となる主要な食材を示していると考えられ、一方で歯石のデータが示す植物資源の利用は、食性の幅を定性的に見ているにすぎません。「交替劇」に結びつく議論としては、環境への適応能力という観点で比較すべきですが、どちらを重視すべきか、難しい問題かもしれません(なお、本論文では言及されていませんが、排泄物の研究でも、ネアンデルタール人がおもに肉食に依存しつつも、植物も食資源としていた、と指摘されています)。


●ネアンデルタール人の解剖学

 環境への適応能力として石器など道具製作技術に注目するなら、手の器用さは重要となるかもしれません。手の器用さには脳と神経伝達という神経系も関わりますが、手の骨に残る解剖学的特徴を比較すると、ネアンデルタール人など非現生人類ホモ属までは全体的に筋肉が発達し、拳全体を強く握るような「power grip(パワーグリップ)」が主と考えられてきました。さらに、指骨の長さや関節面の湾曲程度の比較から、現代人が指先でつまむような「precision grip(精密グリップ)」は、非現生人類ホモ属では解剖学的に可能でもその頻度は少ないだろう、と考えられてきました。しかし、最近の研究では、指を動かす筋の付着面積が三次元的に測定され、比較基準となる現代人が職業別に「精密グリップ」群と「パワーグリップ」群に分けられ、ネアンデルタール人と現代人とが比較された結果、ネアンデルタール人の筋付着面パターンは「精密グリップ」に属し、とくに親指で高得点であることが特徴でした(関連記事)。これを素直に解釈すると、ネアンデルタール人には指先を用いた精密グリップに特徴的な筋配置があったことになります。一方、現代人は精密グリップ群からパワーグリップ群まで広く分布し、まとまりを示しません。これは分業が進んでいたためではないか、と推測されています。フランスのネアンデルタール人遺跡の証拠から、ネアンデルタール人は淡水魚や鳥やウサギを捕獲し、石器表面に付着した繊維から糸を紡いでいたのではないか、と推測されています。

〇ネアンデルタール人の脳解剖

 ネアンデルタール人と解剖学的現代人の能力差を考えるさいには、脳の働きも検証対象となります。古人類学では、化石頭蓋の内腔の鋳型をとり(頭蓋内鋳型)、この形が比較されてきました。最も直接的に計測される指標は頭蓋内鋳型の要領で、これを脳容量と変換してさまざまな種間や集団間が比較されてきました。脳容量の飛躍的増大はホモ属出現以降の特徴で、その中で、ネアンデルタール人は現生人類と遜色ない(平均値はやや大きい)脳容量を有していた、と明らかになっていすます。頭蓋内鋳型だけではなく、形や比率の比較、脳の溝や皺の痕跡などから、脳の部位(前頭葉や側頭葉など)や言語野(ブローカ野やウェルニッケ野)や視覚野の位置と大きさと発達過程などが調べられてきました。しかし、頭蓋内鋳型は脳の入れ物であり、脳そのものではないので、MRI(磁気共鳴画像)を使った脳機能研究による成果などと直接的に比較することは困難です。

 脳機能研究で用いられている統計的計算解剖学の手法を用いて、この問題に取り組んでいる研究もあります。脳機能研究では、さまざまな被験者の脳機能画像を標準化して重ね合わせ、実験による脳活動部位を表示する手法が用いられます。これは、個人間でバラツキのある三次元画像を一つの基準化した脳(平均脳)にそれぞれ個別の関数により変換することで達成されます。化石人類の頭蓋内鋳型はそれぞれ少しずつ形が異なりますが、ヒト平均脳を化石人類の頭蓋内鋳型に当てはめることで得られた、ネアンデルタール人と解剖学的現代人(この場合は初期現生人類)とヒト平均脳の表面形態を比較すると、ネアンデルタール人の脳は後頭葉が大きくて小脳が小さく、解剖学的現代人ののうは後頭葉が小さくて小脳が大きい、と示されました。現生人類の小脳が相対的に大きいことはすでに知られていましたが、その特徴が「交替劇」の時期にまでさかのぼる、と示されたわけです。小脳の神経ネットワークは、均質な神経モジュールの集合体として構成されています。小脳は、大脳それぞれ機能部位との連絡により、運動機能だけではなく、さまざまな高次の脳機能(言語や作業記憶や社会性や認知)との関連も重視されており、小脳の(相対的)サイズと高次機能との関係が今後の課題となります。

〇種間交雑と同化

 このように、考古学的情報と人骨形態の解剖学的情報から、「交替劇」の要因となりそうな仮説が提示されてきましたが、少なくとも単独の仮説が支持される状況ではありません。解剖学的現代人がネアンデルタール人よりも「優れて」いた可能性は残っているものの、否定的な証拠も増えつつあります。また両者の関係として、交配も注目されています。多地域進化説では、ネアンデルタール人とヨーロッパの現生人類との連続性が想定されており、いくつかの人類化石が両者の中間段階と位置付けられてきました。現生人類アフリカ単一起源説が有力になって以降は、後期ネアンデルタール人やヨーロッパの初期現生人類に見られる中間的形質が、両集団の交雑の証拠と主張されたこともありました。

 ネアンデルタール人と現生人類の交雑がより直接的に示されるようになったのは、ネアンデルタール人の核ゲノムが解析され、現生人類と比較できるようになってからです。その結果、アフリカから拡散した解剖学的現代人がネアンデルタール人と5万年前頃に遭遇して交雑したことにより、非アフリカ系現代人は1~3%とわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を有している、と推測されています(関連記事)。現代人のゲノムに残るネアンデルタール人由来の遺伝子の中には、適応度を高めるものも含まれていた可能性があり、じっさい、免疫系(関連記事)や紫外線への適応で有利に作用した(あるいは、有利に作用する遺伝子の近傍にあり、ともに伝わった)、と推測されています。

 そこで、交雑が確認されているネアンデルタール人と現生人類は、現在一般的には別種として扱われているものの、同種ではないか、との疑問も呈されます。多地域進化説では、現生人類とネアンデルタール人は同種(Homo sapiens)で、亜種の水準で異なっていた、と想定されています。生物学的な「種」の定義では「交配可能性」が重視されるので、現時点での知見から、厳密な「生物種」の立場ではネアンデルタール人と現生人類は同種となります。今でも一般的にネアンデルタール人が現生人類とは別種と扱われるのは、生物学的「種」の定義をそのまま進化史に当てはめるのは矛盾をはらんでおり、現生野生動物種においても隣接する別種間で中間種が見つかることもあり、厳密な「生物種」と「化石種」を同一視しなくてもよい、という立場によります。

〇感染症(疫病)仮説

 ネアンデルタール人と現生人類が交配可能で、じっさいに直接的接触があったならば、両者間で病気の伝播が起きた可能性も考えられます(関連記事)。じっさい、ネアンデルタール人由来のゲノム配列には、多くの感染症や免疫系と関連する遺伝子が含まれています。感染症への抵抗性の違いが、ネアンデルタール人と現生人類の命運を分けた可能性も考えられ、感染症の動態と交雑による影響をモデル化することで「交替劇」を説明する研究もあります。異なる病原群を有する2集団は、感染性の病気の存在により集団間の人口動態を安定化させることができ、交雑による遺伝子流動後には、道の病原菌の減少により集団間の往来の障壁はなくなります。各集団がもともと有していた病原群に違いがあり、未知の病気の数が異なることにより、障壁の取り払われる時期と、その後の集団規模の変化も異なることが示されたわけです。

 このモデルにより、アジア南西部のレヴァント地域におけるネアンデルタール人と現生人類の「交替劇」は、以下のように説明されました。アフリカ起源の現生人類は熱帯性、ヨーロッパ起源のネアンデルタール人温帯性の病原群を有しており、互いに未知の病気を持っていました。18万~12万年前頃、現生人類の出アフリカの最前線だったレヴァントでは、現生人類とネアンデルタール人が長期にわたってレヴァントという狭い地域で接触していましたが、その間に徐々に遺伝子流動が起きました。5万年前頃以降のある時点で両者の障壁が低くなり、接触範囲が広がりましたが、この時点で両者にとっての未知の病気の深刻度が異なり、現生人類が集団規模を拡大した一方で、ネアンデルタール人では集団規模が縮小した、というわけです。具体的な感染症や病因を特定できていませんが、現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の配列の分析から、自然選択に有利に作用している部分を調べることにより、こうした病因関連配列の候補が見つかるかもしれません。


●環境への対応能力と偶然

 ネアンデルタール人と現生人類の「交替劇」の要因に関して、決定的な解答はまだ見つかっていません。これら関して、「偶然」の重なりを指摘する見解もあります(関連記事)。人類進化の過程は直接的ではなく、複数の人類集団が生まれては消えていきました。アウストラロピテクス属の頃から現生人類の出現に至るまで、複数の人類集団が地球上で共存したことは明らかで、各集団はそれぞれの地域環境に適応していました。ネアンデルタール人と現生人類も同様で、「交替劇」の環境で遭遇した両集団のうち、現生人類が生き残り、ネアンデルタール人が絶滅した理由は、「偶然」の積み重ねでした。適切な時に適切な場所にいたのが、偶然にも現代人の祖先だった、というわけです。一方ネアンデルタール人は、不適切な時に不適切な場所にいました。

 この仮説では、ネアンデルタール人と現生人類の「能力差」に見える事象も偶然の産物のようです。同時代を生きた両者は地域環境の変化にあわせてそれぞれ革新を起こした、というわけです。イベリア半島の端に追いやられたネアンデルタール人が4万年前頃以降も生き延びたのは、その地の海産資源を食べたからでした。一方でアジア中央部に拡散した現生人類は、ツンドラステップという寒冷・乾燥した大平原への適応を可能にしました。それぞれの環境への適応を果たした点で、両者間に能力差はなかったものの、その後の気候変動(や何らかの環境変化)が偶然にも現生人類に有利に作用した、というわけです。偶然上手くいったものが残り、そうでなかった者は個体数を減らして絶滅へ向かうという進化の考え方は、ダーウィン(Charles Robert Darwin)の主張した「適者生存」と、木村資生の「分子進化の中立説」を統合する現代的な進化の考え方と適合します。偶然の事象が重なった結果、「交替劇」が起きたのかもしれません。


参考文献:
近藤修(2021)「旧人ネアンデルタールの盛衰 現生人類との交代劇」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第4章P59-74