家畜ウマの起源

 家畜ウマの起源に関する研究(Librado et al., 2021)が報道されました。ウマの家畜化は、長距離移動と戦争を根本的に変容させました。しかし、現代の家畜品種は、紀元前3500年頃となるアジア中央部のボタイ(Botai)文化における頭絡使用や搾乳や囲い飼育の考古学的証拠と関連づけられている、最初期の家畜ウマ系統の子孫ではありません(関連記事1および関連記事2)。イベリア半島やアナトリア半島(関連記事)など、以前よりウマの家畜化の候補地とされてきた別の地域に関しても、近年では異議が唱えられています。そのため、現代の家畜ウマの遺伝的・地理的・時間的起源は不明のままです。

 この研究では、家畜ウマの起源地を特定するため、イベリア半島とアナトリア半島とユーラシア西部およびアジア中央部の草原地帯を含む、全ての家畜化中心候補地のウマ遺骸が収集されました(図1a)。標本抽出の対象は以前には過小評価されていた期間で、放射性炭素年代で紀元前44426~紀元前202年頃の201頭と、紀元前50250~紀元前47950年以前の5頭です。

 DNAの品質により、264頭では平均網羅率が0.10~25.76倍のショットガン配列が可能となり(239頭は網羅率1倍以上)、その中には以前に報告されたデータに追加された配列の16頭が含まれます。死後のDNA損傷の酵素および計算による除去により、変異が経時的に蓄積するならば予測されるように、標本の年代に伴って減少する派生的変異を有する高品質のデータが得られました。広範囲の高品質のウマのゲノム時系列を得るため、一貫した技術もしくは関連する時空間で特徴づけられる、既知の10頭の現代の馬と9頭の古代のウマが追加されました。以下は本論文の図1です。
画像


●家畜化以前の集団構造

 近隣結合系統ゲノム推論により、地理的に定義された4単系統集団が明らかになりました(図1b)。これらは、構造体f4手法の拡張を用いて特定されたクラスタ(まとまり)を密接に反映しており(図1d・e・f)、例外は新石器時代アナトリア半島集団(NEO-ANA)で、系統樹とデータの適合度から、系統発生の誤配置が示唆されました(図1c)。

 最基底部クラスタには、後期更新世から紀元前四千年紀にかけてシベリア北東部で特定された系統である、レナウマ(Equus lenensis)が含まれます。第二のクラスタは、後期更新世のルーマニアとベルギーとフランスとブリテン島、および紀元前六千年紀~紀元前三千年紀のスペインからスカンジナビア半島とハンガリーとチェコとポーランドの地域を含む、ヨーロッパが対象です。第三のクラスタは、以前に報告されたように(関連記事)、ボタイ文化の最初の家畜ウマとモウコノウマ(Equus ferus przewalskii)から構成され、紀元前五千年紀から紀元前三千年紀にアルタイ山脈とウラル南部に拡大しました。

 第四のクラスタとなる現代の家畜ウマは、紀元前2200年頃以降および紀元前二千年紀に地理的に広範に拡大して顕著になった集団内にまとまります(DOM2)。このクラスタ(DOM2)は、ユーラシア西部草原地帯(WE)で暮らしていたものの、カルパチア盆地の南側となるルーマニアのドナウ川下流よりも西方には、紀元前三千年紀以前には存在しなかったウマと遺伝的に密接なようです。遺伝的距離と地理的距離との間の有意な相関と、推定有効移動面(EEMS)との限られた長距離接続の推論により、紀元前3000年頃以前のウマ集団の強い地理的分化が確認されます(図2a)。

 ボタイ文化を含む新石器時代アナトリア半島および銅器時代アジア中央部におけるウマの祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)特性は、後期更新世および紀元前四千年紀もしくは紀元前三千年紀にヨーロッパ中央部および東部でもかなり存在した(図1eおよび図3a)、遺伝的構成要素(緑色)を最大化します(図1e・f)。しかし、この遺伝的構成要素は、紀元前六千年紀から紀元前三千年紀におけるルーマニアのドナウ川下流(ENEO-ROM)集団とドニエプル川草原地帯(Ukr11_Ukr_m4185)集団とヴォルガ・ドン川西部下流(C-PONT)集団では、存在しないか中程度でした。これは、ユーラシア西部草原地帯には到達しなかったものの、ヨーロッパ中央部および東部とアジア中央部地域両方へのアナトリア半島のウマの拡大の可能性を示唆します。典型的な新石器時代アナトリア半島集団(NEO-ANA)祖先系統の欠如は、コーカサス山脈横断でのアナトリア半島からアジア中央部へのウマの拡大を除外しますが、紀元前3500年頃以前のカスピ海の南側の接続を裏づけます。


●DOM2の起源

 ヴォルガ・ドン川西部下流(C-PONT)集団は中程度のNEO-ANA祖先系統を有していただけではなく、典型的なDOM2祖先系統構成要素(橙色、図1e・f)が紀元前六千年紀に支配的になった最初の地域でした。多次元尺度構成法(Multi-dimensional scaling)ではさらに、C-PONTの3頭のウマが、紀元前3500~紀元前2600年頃までの、草原地帯のマイコープ(Maykop)文化のアユグルスキー(Aygurskii)遺跡、ヤムナヤ(Yamnaya)文化のレーピン(Repin)遺跡、ポルタフカ(Poltavka)文化のソスノフカ(Sosnovka)遺跡と関連して、DOM2と遺伝的に最も密接と特定されました(図2a・bおよび図3a)。さらに、DOM2との遺伝的連続性は、紀元前2200年頃以前の全てのウマ、とくにNEO-ANA集団のウマで却下され、例外は、紀元前2900~紀元前2600年頃となる後期ヤムナヤ文化のテュルガニック(Turganik)遺跡(TURG)の2標本で、この遺跡はC-PONTよりもさらに東方に位置します(図2a・bおよび図3a)。したがってこれらは、DOM2ウマの直接的祖先の一部を提供したかもしれません。以下は本論文の図2です。
画像

 qpADM でのDOM2集団のモデル化は、2~4集団全ての組み合わせの循環により、NEO-ANA集団からの寄与の可能性を排除しましたが、C-PONTとTURGのウマからの約95%の遺伝的寄与を含む、ユーラシア西部草原地帯(WE)内での形成の可能性を示唆しています。これは主要な祖先系統の組み合わせを表す9系統のOrientAGraphモデル化と一致しており、DOM2におけるNEO-ANA遺伝的祖先系統の欠如と、C-PONTのウマの姉妹集団としてのDOM2を確証しました(図3b)。以下は本論文の図3です。
画像

 しかし、別々の集団を特定し、単一の一方向性の波として混合をモデル化することは、空間的な遺伝的連続性の範囲を考慮すると、ひじょうに困難でした。じっさい、典型的なDOM2祖先系統構成要素はC-PONT集団で最大化されますが、NEO-ANA祖先系統の割合が増加するにつれて、紀元前三千年紀には東方に向かって(TURGとアジア中央部)急激に減少しました。これは、ユーラシア西部草原地帯とアジア中央部の東側の遺伝的連続性の勾配を示唆しており、C-PONTとTURG よりも東側でのDOM2祖先を除外します。

 類似の遺伝的勾配はC-PONTの西側に位置する地域を特徴づけており、そこではDOM2祖先系統構成要素が、ドニエプル川草原地帯やポーランドや東トラキアやハンガリーにおいて、紀元前五千年紀から紀元前三千年紀に着実に減少しました。これは、DOM2の祖先がC-PONTとドニエプル川草原地帯よりもさらに西方だった可能性を除外します。さらに、遺伝的データの空間的な自己相関パターンは、DOM2祖先の最も可能性の高い場所としてユーラシア西部草原地帯を示唆します(図3c)。まとめると、本論文の結果が示すのは、DOM2祖先は、アナトリア半島ではなく、ユーラシア西部草原地帯、とくにヴォルガ・ドン川下流に、紀元前四千年紀後期と紀元前三千年紀初期に生息していた、ということです。


●草原地帯関連の牧畜の拡大

 古代人のゲノム分析により、ヤムナヤ文化と関連した、紀元前三千年紀におけるユーラシア西部草原地帯からヨーロッパ中央部および東部への大規模な拡大が明らかになりました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。この拡大は、紀元前2900~紀元前2300年頃に、縄目文土器複合(Corded Ware complex、略してCWC)集団に草原地帯関連祖先系統の少なくとも2/3をもたらしました(関連記事)。雄牛がヤムナヤ文化の重くて頑丈な車輪付き貨車を牽引した可能性があるので、この拡大におけるウマの役割は不明なままです。しかし、CWC文脈のウマの遺伝的特性は、DOM2とヤムナヤ文化のウマ(TURGとレーピン)で最大化される祖先系統をほぼ完全に欠いており(図1e・fおよび図2a・b)、OrientAGraphモデル化では、C-PONTおよびTURG両方を含むユーラシア西部草原地帯(WE)集団との直接的つながりを示しません(図3b)。

 典型的なDOM2祖先系統は、漏斗状ビーカー(Funnel Beaker)文化および初期円洞尖底陶(Pitted Ware)と関連した、デンマーク(FB/PWC)やポーランド(FB/POL)やチェコ(ENEO-CZE)のCWCよりも前のウマでも限定的でした。DOM2祖先系統は紀元前三千年紀半ばのソモギヴァー・ヴィンコフチ(Somogyvár-Vinkovci)文化と関連したハンガリーの1頭のウマ(CAR05_Hun_m2458)で最大12.5%に達しました。qpAdmモデル化では、DOM2祖先系統は、ドニエプル川草原地帯(Ukr11_Ukr_m4185)ではなく、トラキア南部(Kan22_Tur_m2386)からの遺伝子流動に続いて獲得されました。紀元前三千年紀初期におけるウマ拡散増加の欠如と組み合わせると(図2b)、これらの結果が示唆するのは、DOM2のウマはカルパチア盆地の北側では草原地帯牧畜民の拡大を伴っていなかった、ということです。

 紀元前2200~紀元前2000年頃までに、典型的なDOM2祖先系統特性が、ユーラシア西部草原地帯外に出現し、それはボヘミアのホルビッチェ(Holubice)遺跡、ドナウ川下流のゴルディネシュティ2(Gordinesti II)遺跡、アナトリア半島中央部のアセムヒュユック(Acemhöyük)遺跡で、その後すぐにユーラシア全域に広がり、最終的に全ての既存系統を置換しました(図2c)。ユーラシアのウマは高い遺伝的連続性により特徴づけられるようになり、紀元前三千年紀後期および紀元前二千年紀初期までの大規模なウマの拡散を裏づけます。この過程は、常染色体とX染色体の変異により示唆されるように、種牡馬と牝馬を含んでおり、ミトコンドリアとY染色体両方の変異で明らかな、爆発的な個体群統計により維持されました。全体的に、本論文のゲノムデータはウマ集団の大きな置換を明らかにしており、過去のウマ飼育者はDOM2ウマを大量に生産し、紀元前2200年頃からのウマの移動性への増加する需要を供給しました。

 注目すべきことに、DOM2の遺伝的特性は、紀元前2000~紀元前1800年頃の、最初の輻のある車輪の戦車(チャリオット)とともにシンタシュタ(Sintashta)文化のクルガン(墳丘墓)に埋葬されたウマに遍在していました。典型的なDOM2特性は、アナトリア半島中央部にも存在し(AC9016_Tur_m1900)、紀元前1900年頃からの二輪車の図像と同時でした。しかし、戦車の最初の証拠の前となるホルビッチェ遺跡やゴルディネシュティ2遺跡やアセムヒュユック遺跡のウマにおけるそうした特性の台頭は、DOM2ウマの核地域外への最初の拡散を促進する騎乗を裏づけており、紀元前三千年紀後期および紀元前二千年紀初期のメソポタミアの図像と一致します。したがって、戦車と馬術の組み合わせが、都市国家から分散型社会までのさまざまな社会的状況で、DOM2を拡散させた可能性が高そうです。


●DOM2の生物学的適応

 ヒトによるDOM2ウマの拡散は、おそらく騎乗および戦車と関連する表現型の特徴の選択を含んでいました。そこで、紀元前三千年紀後期のDOM2ウマで過剰に表れている遺伝的多様体のデータが調べられました。最初の顕著な遺伝子座は、GSDMC遺伝子のすぐ上流でピークに達し、DOM2を除く全系統の2ヶ所のL1転移因子で配列網羅率が低下しました。他の哺乳類における追加のエクソンの存在は、独立したL1挿入がDOM2の遺伝子構造を再構築した、と示唆します。ヒトでは、GSDMCは慢性腰痛と脊柱管狭窄症の遺伝的指標で、これは椎間板硬化と歩行時の痛みを引き起こす症候群です。

 第二の識別された遺伝子座は3番染色体上の約1600万塩基対に広がっており、ZFPM1遺伝子が選択のピークに最も近くなっています。ZFPM1遺伝子は、気分調節および攻撃的行動と関わる背側縫線セロトニン作動性神経細胞の発達に不可欠です。マウスにおけるZFPM1遺伝子の不活性化は、不安障害と文脈恐怖記憶を引き起こします。まとめると、GSDMC遺伝子とZFPM1遺伝子における初期の選択は、より従順で、ストレスへの回復性がより高く、長距離走や荷重耐性および/もしくは戦いを含む新たな歩行運動に関わっている、ウマへの使用変化を示唆します。


●ターパンの進化史と起源

 本論文の分析は、DOM2ウマの地理的・時間的・生物学的起源を解明します。本論文は多様な古代ウマのゲノムデータセットを特徴としており、非DOM2ウマにおける深いミトコンドリアおよび/もしくはY染色体ハプロタイプの存在を明らかにします。これは、まだ標本抽出されていない分岐した集団が、DOM2を除くいくつかの系統の形成に寄与した、と示唆します。これは、予測されるロバへの遺伝的距離が減少するイベリア集団(IBE)でとくに当てはまり、OrientAGraphモデル化ではNEO-ANAにも当てはまります。そうした標本抽出されていない系統の正確な分岐と祖先系統の寄与を解明することは、現在利用可能なデータでは困難です。しかし、イベリア半島とアナトリア半島はよく知られた2ヶ所の退避地で、個体群は氷期に退避地で生き残り、混合したかもしれない、と強調できます。

 本論文の分析は、20世紀前半に絶滅した野生ウマとされるターパンの不思議な起源を解明しました。ターパンはヨーロッパ在来ウマ(CWCウマの祖先系統の割合は、OrientAGraphでは28.8~34.2%、qpAdmで32.2~33.2%)とDOM2に密接に関連するウマとの混合に続いて誕生しました。これは、ウクライナ西部の祖先を予測するLOCATORと一致しており(図3c)、ターパンを野生の祖先かDOM2の野生化かモウコノウマとの交雑種とした以前の仮説に異議を唱えます。


●考察

 本論文は、家畜ウマの起源と拡大についての長年の議論を解決します。紀元前四千年紀後期と紀元前三千年紀前期にユーラシア西部草原地帯に生息していたウマがDOM2ウマの祖先でしたが、以前に仮定されていたような、それらのウマがヒトの草原地帯関連祖先系統のヨーロッパへの拡大(関連記事)を促進した、という証拠はありません。したがって、騎乗での戦争の代わりに、後期新石器時代のヨーロッパでの人口減少が、草原地帯牧畜民の西方への拡大の機会を開いたかもしれません。

 レーピン遺跡とテュルガニック遺跡のヤムナヤ文化のウマは、おそらく紀元前六千年紀の狩猟採集民遺跡の野生ウマ(NEO-NCAS、紀元前5500~紀元前5200年頃)よりも多くのDOM2ウマとの遺伝的類似性を有しており、初期のウマの管理と放牧慣行を示唆しているかもしれません。ともかく、ヤムナヤ文化の牧畜民はその原産地から遠くまでウマを広めることはなく、この点ではボタイ文化のウマの家畜化と同様に、定住型集落体系内での局所的慣行に留まっていました。

 世界化の段階は後になって始まり、DOM2ウマはその核地域外に拡散し、まずは紀元前2200~紀元前2000年頃までにアナトリア半島とドナウ川下流とボヘミアとアジア中央部にまで、次にその後すぐヨーロッパ西部とモンゴルに到達し、最終的には全ての在来集団を紀元前1500~紀元前1000年頃までに置換しました。この過程はまず騎乗を伴っており、輻のある車輪の戦車は後の技術革新を表し、トランスウラル地域のシンタシュタ文化で紀元前2000~紀元前1800年頃に出現しました。シンタシュタ文化と関連する武器と戦士と要塞化された集落は、乾燥化と重要な放牧地をめぐる乾燥化と競争の激化に対応して出現し、土地所有と階層化を強化したたかもしれません。これはアジア中央部草原地帯におけるヒトとウマのほぼ完全な遺伝的置換をもたらした、その後数世紀にわたる征服の基礎を提供したかもしれません(関連記事1および関連記事2)。

 カルパチア盆地と、おそらくはアナトリア半島およびレヴァントへの拡大は異なる歴史的過程を伴っており、専門化したウマの調教師と戦車製作者が、ウマの交易と乗馬で広がりました。どちらの場合も、背部の病状が減少し、従順性が増したウマは、青銅器時代のエリートの長距離交易需要を促進し、ひじょうに価値のある商品および地位の象徴となり、急速な拡散をもたらしました。しかし、本論文の分析対象はかなりの時空間的流動性とエリートの活動への証拠の偏りがあるので、ウマの拡散における追加の証拠が得られにくい要因は無視されるわけではありません。

 本論文の結果には、二つの主要な言語拡散を支える重要な示唆もあります。ユーラシア西部草原地帯からのインド・ヨーロッパ語族の拡大は伝統的に、騎乗牧畜と関連しており、CWCがヨーロッパにおける主要な足がかりとして機能した、とされてきました。しかし、ウマの家畜化には圧倒的な語彙の証拠がありますが、インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派におけるウマが牽引する戦車と派生的神話や、より深いインド・ヨーロッパ語族祖語の水準でのウマの飼育慣行の言語学的兆候は、じっさいには曖昧です。CWCにおけるウマの限定的存在と、CWCのウマの在来の遺伝的構成は、ウマがヨーロッパにおけるインド・ヨーロッパ語族の最初の拡大の背後にある主要な原動力だった、とする想定を却下します。

 対照的に、紀元前二千年紀初期から中期のアジアにおけるDOM2ウマの拡散は、戦車およびインド・イラン語派の拡大と同時で、その最初の話者はシンタシュタ文化に直接的に先行する人口集団と関連しています。したがって、言語学と遺伝学の両方で記録されている栗毛色を含むウマの改良品種と戦車の新たな一式が、紀元前2000年頃以後の数世紀内に大きくユーラシア青銅器時代社会を変えた、と結論づけられます。この新たな制度の採用は、戦争か威信かその両方のためか、おそらくはヨーロッパの分散した首長制国家とアジア西部の都市国家との間で異なっていました。したがって、本論文の結果はこれら異なる社会的軌跡の歴史的発展について、新たな研究の道を開きます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


遺伝学:ウマの故郷を突き止める

 現代の家畜ウマの起源は、今から4200年以上前の西ユーラシアのステップだったとする論文が、Nature に掲載される。この研究では、乗馬に使用する現生のウマにとって望ましい適応に関連する2つのゲノム領域候補が特定され、それらが選択されたことが、西ユーラシアのステップからのウマの普及に役立ったと考えられている。

 ウマの家畜化は、長距離移動と戦争の様相を一変させたが、現代の家畜ウマの遺伝的起源と地理的起源は不明のままだ。現在のところ、紀元前3500年頃の中央アジアのボタイ入植地に関連する家畜ウマの系統に関する証拠が存在しているが、こうした古代のウマは現代の家畜ウマと近縁でないことが知られている。

 今回、Ludovic Orlandoたちは、現代の家畜ウマの「故郷」を特定するために、イベリア、アナトリア、西ユーラシアと中央アジアのステップなど、馬の家畜化が可能であると以前から考えられていた地域から273頭の古代のウマの遺骸を収集した。そして、Orlandoたちは、これらの遺骸から単離されたDNAの解析を通じて、現在のロシアに位置する下部ボルガ-ドン地域にあった家畜化の拠点を特定し、そこから4200年前にウマが世界中に普及したことを明らかにした。また、Orlandoたちは、乗馬と関連性のある重要な運動適応と行動適応(持久力、荷重耐性、従順性、ストレスへのレジリエンスなど)を、2つの遺伝子(GSDMCとZFPM1)の正の選択と関連付けた。

 Orlandoたちは、乗馬とスポーク車輪の戦車の使用が、新たに家畜化されたウマの普及を下支えし、家畜化によって生まれた新しいウマの品種によって最初の家畜化から約500年以内にユーラシア全域で全ての従来種が置き換わったという考えを示している。


進化学:家畜ウマは西ユーラシアのステップで生じ、そこから広がった

Cover Story:ウマのルーツ:現代の家畜ウマの遺伝的起源

 表紙は、フランスのソルド・ラベイにあるDuruthy岩陰遺跡で発見された、約1万7000年前のマドレーヌ文化中期にさかのぼる3体の馬の彫刻の1つである。家畜化されたウマの遺伝系統は明らかになっておらず、現代の家畜ウマのウマ科の祖先は分かっていない。今回L Orlandoたちは、ユーラシア各地の古代ウマ273頭のDNA解析の結果を提示している。彼らは、この情報を用いて、紀元前2700年頃以降のヴォルガ川とドン川の下流域(現在のロシア)が、ウマの家畜化の中心地であると特定している。今回のデータは、乗馬と戦車の使用が新たに家畜化されたウマの広がりを支え、このウマの系統が、家畜化から約500年以内にユーラシア全域でそれまでの地域個体群の全てと入れ替わったことを示唆している。



参考文献:
Librado P. et al.(2021): The origins and spread of domestic horses from the Western Eurasian steppes. Nature, 598, 7882, 634–640.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04018-9