大相撲九州場所千秋楽

 2年振りの福岡国際センターでの開催となりました。白鵬関が引退し、照ノ富士関が新横綱だった先場所に続いて一人横綱を務めることになりました。優勝争いは、一人横綱の照ノ富士関を中心に展開し、全勝の照ノ富士関を1敗で貴景勝関と阿炎関が追いかける展開になり、13日目に阿炎関が貴景勝関を破って14日目に照ノ富士関と対戦することになりました。照ノ富士関は阿炎関に押し込まれながら勝ち、14日目に6回目の優勝を決めました。照ノ富士関は千秋楽結びの一番で貴景勝関と対戦して押し出して勝ち、初の全勝優勝となりました。

 照ノ富士関は14勝以上での優勝も初めてとなり、横綱昇進後の連続優勝は大鵬関以来ですから、横綱として確たる地位を築いた、と言えそうです。もちろん、照ノ富士関の膝の状態は悪く、近いうちに引退しても不思議ではないでしょうが、照ノ富士関は膝に負担のかからない相撲を心掛けていることが窺えますし、現時点での力は図抜けているので、しばらくは優勝争いの中心となり、優勝回数が二桁にまで届く可能性は高そうです。12勝3敗で場所を終えた貴景勝関は終盤まで優勝争いに絡み、照ノ富士関が引退すれば2場所連続優勝で横綱に昇進する可能性も考えられなくはありませんが、押し相撲で不安定なところがあり、横綱昇進は難しそうですし、横綱に昇進できても横綱に相応しい成績は残せないでしょう。

 阿炎関は2年前には小結で3場所連続勝ち越していたくらいですから、平幕下位では12勝3敗と大勝ちしても不思議ではありません。阿炎関は、大関まで昇進するのは難しそうですが、小結に復帰して勝ち越し、関脇まで昇進する可能性は高そうです。御嶽海関は、相変わらず期待を集めては裏切っていますが、11勝4敗と二桁勝利で場所を終え、数字上では大関昇進の起点になったとも言えますが、相撲内容は相変わらず不安定なので、大関昇進は難しそうです。

 逸ノ城関は5勝10敗と大きく負け越しましたが、全体的な相撲内容はそこまで悪くなかったように思うので、来場所での巻き返しに期待しています。次の横綱の最有力候補と私が考えている豊昇龍関も7勝8敗と負け越しましたが、まだ線の細さはあるものの、来年のうちに一気に大関まで駆け上がっても不思議ではないように思います。正代関は9勝6敗と勝ち越し、強さと脆さを見せるいつもの感じでした。照ノ富士関が引退したとしても、正代関が横綱に昇進することはないでしょうが、現在の力関係から考えて、大関の座を今後数年維持できる可能性は高いように思います。

イベリア半島南部における銅器時代から青銅器時代の人類集団の遺伝的変化

 イベリア半島南部の銅器時代から青銅器時代の人類集団の大規模なゲノムデータを報告した研究(Villalba-Mouco et al., 2021)が公表されました。紀元前三千年紀の最後の世紀に、ヨーロッパと近東とエジプトの社会は大規模な社会的および政治的激変を経ました。アッカド帝国とエジプト古王国の末における、集落の放棄、人口減少、交通網の消滅、大きな政治的混乱は、4200年前頃の事象として知られる、気候危機の観点でよく解釈されてきました。

 最近、紀元前三千年紀における社会的不安を引き起こす、かなりの人口移動の可能性が、ヨーロッパ中央部および西部における銅器時代末に観察された変化のさらなる説明として提案されました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。社会および経済の置換の兆候は、イベリア半島南部においてとくに顕著で、銅器時代は並外れた人口増加、記念碑的な集落と葬儀の構造の多様性、広範な銅の冶金、とりわけ象徴的な商品の、洗練されて大規模な生産および交換と関連しています。

 さらにこの期間は集落様式の多様性により特徴づけられ、要塞化したり、堀で囲まれたり、いわゆる大規模集落だったりし、そのうち一部の規模は、バレンシナ・デ・ラ・コンセプシオン(Valencina de la Concepción)やマロキエス・バホス(Marroquíes Bajos)のように100ヘクタールになり、その全ては紀元前3300~紀元前2800年頃に形成されたので、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化層位に先行します。この期間は、相互のつながりおよび移動性の大きな増加とも関連しています。利用可能な放射性同位体(ストロンチウム)の研究に基づき、イベリア半島南部の個体が育った場所以外で埋葬されていた割合は、8~74%でした。アフリカや近東の象牙、シチリア島の琥珀、アフリカのダチョウの卵殻は、地域を越えたつながりを示します。しかし、強い政治的中央集権化と経済的不平等の証拠は、分かりにくいか結論が出ないままです。

 考古遺伝学では、イベリア半島(南部)青銅器時代における顕著な発展は、新石器時代以降の証明された強い人口連続性と結びついている、と示唆されてきました(関連記事1および関連記事2)。しかし、後期銅器時代のイベリア半島北部および中央部の人類学および考古学的記録は、鐘状ビーカー関連人工物とよくつながってはいるものの、独占的につながっているわけではない、紀元前2400年頃までの「草原地帯関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)」を有する5個体を示しており、同時にアフリカ人祖先系統も1個体で観察され、人々の別々の移動(性)を示唆します(関連記事1および関連記事2)。

 イベリア半島における前期青銅器時代(紀元前2200~紀元前1550年頃)の始まりには明確な人口置換が示され、紀元前2200年頃以後の全個体における草原地帯関連祖先系統の遍在により示唆されます。男性のY染色体ハプログループ(YHg)の頻度ではさらに顕著な変化が観察でき、イベリア半島には紀元前2400年頃以前には完全に存在しなかった、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)がほぼ独占的となります(関連記事)。

 紀元前三千年紀末の後期銅器時代から前期青銅器時代(EBA)の転換では、イベリア半島南部において、ロス・ミリャレス(Los Millares)のような要塞化された集落や、バレンシナとペルディゲース(Perdigões)のような堀で囲まれた大規模集落が消滅した一方で、イベリア半島南東部では、より小さな規模(0.5ヘクタール未満)の新たな丘の頂上の居住が同時に出現します。かなりの密集した丘の頂上の集落は、特有の建物内埋葬儀式と特徴的な土器および金属の種類により区別され、紀元前2200年頃に、イベリア半島南東部沿岸と並行する山脈に囲まれた肥沃な第三期盆地に出現します。

 約3500km²のこの地域は、エルアルガル(El Argar)「文化」の中核と考えられています。エルアルガル「文化」は、ヨーロッパ先史時代における初期の複雑な社会の最も顕著な事例の一つで、社会的階層化の証拠があります。エルアルガルの起源は依然として不明で、それは、エルアガル要素が後期銅器時代に出現するか、その逆の混成の文脈がないからです。初期エルアルガルの記録は、V型の穴開きボタンや、パルメラ(Palmela)型尖頭器や、いわゆる「射手の手首防護」である穴開き石刃など、鐘状ビーカー複合といくつかの特徴を共有していますが、特徴的な鐘状ビーカー土器は欠けています。

 紀元前2200年頃となる、ラ・バスティダ(La Bastida)の丘の頂上の5ヘクタールの記念碑的要塞の発見に基づき、地中海東部の寄与の可能性が再考されました。大型貯蔵器(ピトス)の建物内埋葬、銀の指輪と腕輪の流通、特徴的な足のアルガル杯も、エーゲ海もしくは近東との接触の兆候として解釈されてきましたが、これら全ての特徴は、エルアルガルの後期段階に出現しました。後陣の建物、建物内埋葬、金属鋳造技術、著名な武器としての矛槍など、初期エルアルガルのさまざまな特徴的な物質的形質の系譜は、ヨーロッパの南東部と中央部と西部におけるいくつかの社会的発展を想起させ、まだ不明な起源のつながりの可能性があります。

 紀元前2000~紀元前1800/1750年頃に、エルアルガルはイベリア半島南東部のより広範な地域に拡大し、メセタ(イベリア半島中央部の広大な乾燥地帯の高原)に進出しました。矛槍など特徴的なエルアルガルの道具も、この領域を越えて存在します。エルアルガル社会内の指導的人物は、矛槍と短剣で武装した戦士階級だったようです。これらの武器は、時には金の腕輪と関連づけられ、紀元前2000~紀元前1800年頃にはヨーロッパ中央部の男性エリートの埋葬において、政治的支配の勲章にもなりました。同時に、人口の増加部分、とくに子供はエルアルガルの独特な集落内の、窯や人口的洞窟や土器の船や穴に埋葬されました。

 エルアルガルの最終段階(紀元前1800/1750~紀元前1550年頃)には、経済的および社会的発展は顕著な水準に達しました。より大きな丘の頂上の集落(1~6ヘクタール)で見つかった大量の研磨器具や大規模な作業場や貯蔵施設から、特定の集団がより広範な地域の資源と労働力の流れを管理していた、と示唆されます。支配的で遺伝的な階級の確立は、増加する社会的非対称性とともに、建物内埋葬、記念碑的建築物、および両者の間の空間的関係で認識できるようになります。

 以前の研究では、森林伐採と大規模な乾地農業に起因する社会的紛争と環境悪化が、紀元前1550年頃のエルアガルの放棄もしくは破壊につながる、と主張されました。しかし、他の研究者により強調されたように、内陸部アリカンテ(Alicante)における類似の経済組織と建築と葬儀の記録の出現から、エルアルガル最盛期には、少なくとも一部の集団は、イベリア半島南東部に位置する隣接した「文化的集団」である、バレンシアの青銅器時代文化に影響を受けた領域で自身を確立できていた、と示唆されます。

 本論文の目的は、ひじょうに動的なイベリア半島銅器時代世界の崩壊における人口動態の重要性、エルアルガルの台頭と発展、ヨーロッパ西部およびバレアレス後期青銅器時代(LBA)における隣接した青銅器時代集団間の関係の理解です。本論文は、イベリア半島およびバレアレス諸島の青銅器時代集団の遺伝的構成を、サルデーニャ島やシチリア島など他の地中海西部および中央部の集団との関係において調べます。合計で、エルアルガルおよび同時代の社会と関連する青銅器時代(BA)96個体、銅器時代34個体、後期青銅器時代6個体のゲノム特性が特徴づけられます。


●標本

 本論文は、後期新石器時代(紀元前3300年頃)から後期青銅器時代(紀元前1200/1000年頃)までの2000年にわたるイベリア半島南部の136個体の、124万ヶ所の情報をもたらす一塩基多型の型式で、ゲノム規模データをを報告します。これらのうち5個体は、将来の研究でユーラシア西部古代人の増加する記録に追加するため、1.5~5.2倍のショットガン配列により完全なゲノムが再構築されました。

 本論文の新たなデータセットには、後期新石器時代(LN)/銅器時代(CA)では、埋葬洞窟のコヴァ・デン・バルド(Cova d’en Pardo)遺跡7個体とフクロウ洞窟(Cueva de las Lechuzas)10個体、鐘状ビーカー前の銅器時代の巨大遺跡であるバレンシナのPP4モンテリリオ(PP4-Montelirio)では11個体、後期銅器時代の集合地下墓であるカミノ・デル・モリノ(Camino del Molino)遺跡の6個体、前期青銅器時代の土坑墓であるモリノス・デ・パペル(Molinos de Papel)遺跡の3個体など、さまざまな集団と種類の遺跡が含まれ、この研究の中心であるアルガル社会の多様な比較データセットを提供します。

 アルガル社会については、ほぼ完全な考古学的によく定義されたラ・アルモロヤ(La Almoloya)遺跡67個体とラ・バスティダ(La Bastida)遺跡10個体に、セッロ・デル・モッロン(Cerro del Morrón)遺跡の3個体、ロルカ(Lorca)町では、マドレス・メルセダリアス教会(Madres Mercedarias Church)遺跡が1個体、ロス・ティンテス(Los Tintes)遺跡が1個体、ザパテリア(Zapatería)遺跡が1個体です。いわゆるバレンシナ青銅器時代の個体も分析され、その内訳は、カベゾ・レドンド(Cabezo Redondo)遺跡が1個体、ペノン・デ・ラ・ゾッラ(Peñón de la Zorra)遺跡が1個体、プンタル・デ・ロス・カルニセロス(Puntal de los Carniceros)遺跡が4個体、ラ・ホルナ(La Horna)遺跡が3個体です。カタルーニャの青銅器時代個体ではミケル・ヴィヴェス(Miquel Vives)遺跡1個体、バレアレス諸島のメノルカ(Menorca)島のエス・フォラト・デ・セス・アリトゲス(Es Forat de ses Aritges)6個体も分析されました(図1)。

 遺伝的性別決定では、性染色体がXXY(クラインフェルター症候群)の1個体とトリプルX症候群の1個体が観察されました。集団遺伝学的分析では、124万パネルで4万ヶ所以上の一塩基多型データが得られた個体に限定されましたが、下流分析では低網羅率の18個体は除外されます。また親族分析で1親等の個体のうち網羅率の低い方の個体も除外されました。これらの122個体の新たなゲノム規模データは、既知の古代人および現代人のデータと統合されました。以下は本論文の図1です。
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●イベリア半島銅器時代の遺伝的構造

 まず、ヒト起源(Human Origins)一塩基多型パネルで遺伝子型決定された現代ユーラシア西部人口集団一式から計算された主成分に投影された、関連する古代人との主成分分析の実行により、新たに決定された銅器時代個体群の遺伝的類似性が調べられました(図2A)。イベリア半島南部の新たな銅器時代個体群は、それ以前の中期新石器時代(MN)と中期/後期新石器時代(MLN)と銅器時代(非草原地帯)のイベリア半島集団と重なる位置に収まりますが、PC1軸では既知の前期新石器時代(EN)イベリア半島集団およびサルデーニャ島銅器時代の後の集団の方へとわずかに動いており、イベリア半島南部の銅器時代個体群における等しく小さな狩猟採集民(HG)祖先系統の寄与を示唆します。これらの結果は、バレンシナの物質文化の1要素における提案された型式の類似性に基づく、前期銅器時代におけるイベリア半島南部への草原地帯関連祖先系統の拡散に関する以前の提案に反しています。

 ヨーロッパ新石器時代農耕民における主要な狩猟採集民、つまり農耕前のヨーロッパ西部における祖先系統の支配的形態を表すいわゆるヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)の異なる寄与を検証するため、f4統計(イベリア半島南東部および南西部CA、イベリア半島北部および北東部および中央部CA;WHG、ムブティ人)が計算され、イベリア半島北部CAとイベリア半島中央部CAで有意に負の値が得られました(図2B)。これは、イベリア半島北部および中央部CA個体群におけるより高いWHG祖先系統を示唆しており、f4統計(イベリア半島南東部および南西部MLN、イベリア半島北部MLN;WHG、ムブティ人)で示されるように、MLNに先行する期間においても存在した兆候です。

 ヨーロッパ西部における異なる狩猟採集民の遺産に関する以前の研究の洞察(関連記事1および関連記事2)を活用して、さまざまな方法で地理的に多様な銅器時代イベリア半島人の狩猟採集民祖先系統が調べられました。まず、f4統計(ゴイエットQ2、WHG;検証対象、ムブティ人)が計算され、検証対象は全てのMLNおよびCA集団を表します(図2C)。f4値の結果は全ての検証対象集団で有意に負となるにも関わらず(WHGとの混合を示唆します)、より低い負の値を示すMLNおよびCAのイベリア半島南部集団との地理的に関連する勾配が観察され、マドレーヌ文化(Magdalenian)関連祖先系統の代理として機能する、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された19000年前頃のゴイエットQ2個体とのさまざまな関係を示唆します(図2C)。

 qpAdmの外群に基づくアナトリア半島新石器時代集団、ルクセンブルクのヴァルトビリヒ(Waldbillig)のロシュブール(Loschbour)遺跡の8100年前頃となる中石器時代個体に代表されるWHG、ヨーロッパ東部の農耕開始前の主要な祖先系統であるヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)、遠位供給源としてのゴイエットQ2との祖先系統モデル化を用いて、この微妙な兆候が確証されます。イベリア半島南部の銅器時代集団は、狩猟採集民祖先系統の全体的な量に関しては異なりますが、後者も質的に異なる、と明らかになりました。イベリア半島南部銅器時代個体群におけるマドレーヌ文化(マグダレニアン)関連狩猟採集民祖先系統の割合推定値は6.1±1.3~7.2±1.3%で、局所的な狩猟採集民集団の地理的構造を反映し、新石器時代以降のある程度の遺伝的連続性を示唆します(図2D)。

 イベリア半島南東部銅器時代個体群の事例では、第三の供給源としてゴイエットQ2を追加することで、モデルはわずかに向上します。イラン新石器時代(N)もしくはヨルダン先土器新石器時代B期(PPNB)を第四の供給源として追加すると、イベリア半島南東部銅器時代個体群では1桁のモデル適合性の改善が見られます。次に、第四の供給源として他の人口集団を追加しても、モデル適合性の改善は見られませんでした。イベリア半島南東部銅器時代集団に寄与する未知の供給源は、遠位供給源のアナトリア半島新石器時代と比較して、レヴァントおよび/もしくはイランN的な祖先系統を過剰に有していた可能性が高く、それは、これらがまとめてアナトリア半島およびレヴァント銅器時代集団において混合した(紀元前6000~紀元前5000年頃)、と明らかになってきたからです(関連記事)。

 この知見は、地中海沿いに初期に拡大した微妙な寄与、あるいは、本論文で用いられたアナトリア半島N集団と比較した場合に、レヴァントおよび/もしくはイランN的な構成要素をさまざまな割合で有する、新石器時代移行期における初期農耕民のさまざまな供給源を示唆します。外群からアナトリア半島狩猟採集民(AHG)を除外してもモデル適合性は改善し、新石器時代祖先系統は遠位代理としてアナトリア半島N集団を用いることによりよく表せず、アナトリア半島N集団よりもAHGに類似した別の農耕民集団に由来しているかもしれません。地中海全域の新石器時代および銅器時代のより多くの個体が、この寄与をより確実に追跡するのに必要でしょう。以下は本論文の図2です。
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 マドレーヌ文化関連祖先系統は、他の同時代の地中海人口集団、たとえばサルデーニャ島の新石器時代と銅器時代と前期青銅器時代の集団やシチリア島の前期青銅器時代集団やイタリア半島の銅器時代集団では検出れず、イベリア半島南部から地中海中央部への方向での遺伝子流動はありそうにない、と示します。しかし、qpAdmモデルを適用すると、サルデーニャ島の地中海中央部集団におけるイランN的祖先系統の以前には報告されていない量が検出され、それはサルデーニャ島銅器時代集団の2.8±1.2%からサルデーニャ島ヌラーゲ文化期青銅器時代集団の5.8±1%の範囲です。

 シチリア島EBA集団をモデル化するのに供給源としてイランN集団を追加すると、モデル適合性は改善しますが、P値が0.05以上に達することはなく、シチリア島からよりも、イタリア半島からサルデーニャ島への遺伝子流動の方が可能性は高そうで、イタリア半島CA集団もイランN的祖先系統を示します。とくに、シチリア島EBA集団をモデル化すると、3供給源モデル(アナトリア半島N、WHG、ヤムナヤ文化サマラ集団)で外群からAHGを除外するか、4供給源モデル(アナトリア半島N、WHG、ヤムナヤ文化サマラ集団、イランN)でモロッコのイベロモーラシアン(Iberomaurusian)狩猟採集民を除外すると、P値が0.05以上となり、草原地帯関連祖先系統の到来前の地中海における遺伝的下位構造が示されます。しかし、この知見は、他の地中海人口集団からイベリア半島南東部CA個体群への限定的な遺伝的流入を除外しません。


●イベリア半島南東部青銅器時代における遺伝的置換とエルアルガルの台頭

 先行する銅器時代(CA)集団と比較すると、エルアルガル青銅器時代(BA)およびイベリア半島南東部BAと関連する個体群は主成分空間では密接な群を形成し、ヨーロッパ中央部の草原地帯関連祖先系統を有する人口集団の方へと動いており、イベリア半島CA個体群とイベリア半島北部BA個体群との間に位置します(図3A)。類似の遺伝的変化はADMIXTUREの結果において顕著で、イベリア半島BA個体群は先行するCA個体群と比較すると追加の構成要素を示し、これはf4検定(アナトリア半島N、検証集団;ヤムナヤ文化サマラ集団、ムブティ人)によりさらに裏づけられ、検証集団は新たに報告されたCAおよびBA個体群で繰り返されます(図3B)。EBA個体群における負のf4値への変化は、ヤムナヤ文化サマラ個体群と共有される浮動を示唆し、これは以前のCA個体群では欠けています。

 この観察結果は、エルアルガルBA個体群におけるかなりの量の草原地帯関連祖先系統を示唆し、f4統計(アルガルイベリア半島BA/イベリア半島南東部BA、イベリア半島南東部CA;ヤムナヤ文化サマラ集団、ムブティ人)で直接的に検定されました。有意に正のf4値は、全てのBA個体群における草原地帯関連祖先系統の存在を確証します。次にf4(イベリア半島北部・北東部・中央部BA、アルガルイベリア半島BA/イベリア半島南東部BA;ヤムナヤ文化サマラ集団、ムブティ人)を用いて、南北のBA個体群を対比することにより、草原地帯関連祖先系統との類似性の違いが検証されました。その結果得られたf4値で、ラ・アルモロヤ遺跡とラ・バスティダ遺跡の個体群は、Y染色体記録で見られるYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)へのほぼ完全な置換(例外はラ・バスティダ遺跡の亜成人1個体)にも関わらず、イベリア半島の他のBA集団、とくに北部集団と比較して、草原地帯関連祖先系統の量が少ない、と確証されました。しかし、遺跡内の水準では、主成分分析およびf4統計に基づくと、ラ・アルモロヤ遺跡とラ・バスティダ遺跡で前期と後期との間の草原地帯関連祖先系統の量に関して有意な違いは観察されず、草原地帯関連祖先系統の寄与は人口集団全体で均質化している、と示唆されます。

 バレアレス諸島の新たに分析された後期青銅器時代個体群(アリトゲスLBA)は、マヨルカ(Mallorca)島の既知の後期銅器時代個体(以前にはマヨルカEBAと呼ばれていました)よりも草原地帯関連祖先系統の割合が少なく、経時的に草原地帯関連祖先系統が減少した、と確証されます。マヨルカ島の銅器時代の草原地帯関連祖先系統を有する個体における草原地帯関連祖先系統の量は、イベリア半島における最初の銅器時代集団(イベリア半島中央部CA_Stpおよびイベリア半島北西部CA_Stp)と類似しており、同時に到来した可能性があります。それは、この草原地帯関連祖先系統を有する集団の到来前に、バレアレス諸島にはヒトの居住の明確な証拠がないからです。

 以前の研究では、イベリア半島について、草原地帯関連祖先系統の最初の寄与は青銅器時代において在来の銅器時代集団の子孫との混合により希釈されたものの、第二波の後期青銅器時代から鉄器時代にかけて再度増加した、と提案されました(関連記事)。本論文では、バレアレス諸島におけるこの第二波は検出されず、メノルカ(Menorca)島の後期青銅器時代1個体の存在にも関わらず、別の研究(関連記事)の知見と一致します。

 イベリア半島南部で観察された状況は、紀元前2200年頃となる銅器時代社会から前期青銅器時代社会への移行期における人口動態変化の具体例を提供します。バレンシナの前期銅器時代(紀元前2900~紀元前2800年頃)および、鐘状ビーカー層準と同時代となる(鐘状ビーカー土器は欠けています)後期銅器時代の集合墓洞窟であるカミノ・デル・モリノ遺跡からの、本論文で新たに提示された個体群における草原地帯関連祖先系統の欠如と、カミノ・デル・モリノ遺跡からわずか約400m離れて位置するモリノス・デ・パペル遺跡の鐘状ビーカー関連遺物を有する二重墓被葬者における草原地帯関連祖先系統の最初の出現は、イベリア半島南部における草原地帯関連祖先系統の到来に関する時間的枠組みを提供します。

 基準点としてカミノ・デル・モリノ遺跡の最新の年代(非較正で3830±40年前)と、モリノス・デ・パペル遺跡の最古の年代(非較正で3780±30年前)を考えると、両方の放射性炭素年代は95%水準で重なり、イベリア半島南部における草原地帯関連祖先系統の到来は紀元前2200年頃までとなります。地域を越えた規模では、分析されたイベリア半島南部銅器時代個体群はどれも現時点で草原地帯関連祖先系統を示せませんが、ラ・バスティダ遺跡のの2個体(BAS024とBAS025)とラ・アルモロヤの1個体(ALM019)のエルアガル遺跡では最古となる個体群は、そうした祖先系統の明確な証拠を示します。したがって、人口集団の混合は遅くともそれから過去150年間に起きたに違いありません。

 プログラムDATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals)を用いて、推測される供給源の混合年代を推定すると、全ての新たに提示された青銅器時代集団における混合年代は、紀元前2550±189年から紀元前1642±133年となります。これは、紀元前2350年頃となるバレンシナのような一部の集合大規模遺跡や、他では紀元前2300/2200年頃となるロス・ミリャレス遺跡などその前後の年代の遺跡の、銅器時代社会体系の崩壊後に起きた可能性があります。紀元前2350~紀元前2200年頃となる銅器時代文化の消滅は、いわゆる4200年前の気候事象と関連しており、それは、イベリア半島について直接的で決定的な古気候証拠は疎らなままであるものの、この事象と巨大遺跡の崩壊との間の時間的重複があるからです。青銅器時代へとつながる社会的および経済的変化は、新たな遺伝的祖先系統の到来と同様に、イベリア半島北部から人部へと拡大したようなので、関連している可能性があります。しかし、この拡大が日和見的だった(つまり、潜在的な気候悪化の結果に続きました)のか、考古学で観察された実際の変化の原因だったのかどうか、不明なままです。

 注目すべきは、新たな遺伝的祖先系統の到来が、イベリア半島の全地域で同じ社会的変化と並行しているわけではない、ということです。イベリア半島南東部沿岸地域では、集落内の単葬もしくは二重埋葬の慣行への変化が紀元前2200年頃までに起き、エルアルガルの始まりと一致します。しかし、イベリア半島内陸部では、関連する副葬品と集落の土器は、初期エルアガルの「中核」領域の物質文化よりも、後期鐘状ビーカー銅器時代と関連しています(葉の形の有舌尖頭器、V型の穴開きボタン、刻文ビーカー土器)。スペイン中央高原の南部であるラ・マンチャ(La Mancha)では、確認された草原地帯関連祖先系統構成要素を有する最初の個体である、紀元前2100年頃のカスティリェホ・デル・ボネテ(Castillejo del Bonete)遺跡の4号墓の男性が、ラス・モティージャス(Las Motillas)要塞など記念碑的集落の創設と一致しています。

 これは、イベリア半島への草原地帯関連祖先系統の遺伝的寄与が紀元前2400年頃にイベリア半島北部および中央部地域で始まる長期の過程だった一方で、そこから約300年で南方へと拡大したことを示します。局所的規模では、この変化はより速く起きた可能性があります。類似の状況はポルトガル中央部にも存在した可能性があり、紀元前2300~紀元前2200年頃となる、ガレリア・ダ・システルマ(Galería da Cisterna)遺跡やコヴァ・ダ・モウラ(Cova da Moura)遺跡など集合銅器時代埋葬において、草原地帯関連祖先系統を有さない個体が依然として見つかります。しかし、紀元前2100年頃以後は、全ての遺跡の全ての個体は草原地帯関連祖先系統を有しており、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)が、エルアルガルだけではなく青銅器時代イベリア半島の他地域にも存在する、主要なY染色体系統になることと一致します。


●イベリア半島青銅器時代集団における地中海とヨーロッパ中央部の遺伝的影響

 イベリア半島における遺伝的置換と新たに形成された青銅器時代(BA)の遺伝的特性への在来集団の寄与を調べるため、一連のqpAdmモデルが体系的に検証されました。遠位祖先系統供給源である、アナトリア半島新石器時代(N)集団、WHG、ゴイエットQ2、ヤムナヤ文化サマラ集団、イランN集団を用いて、イベリア半島BA集団の遺伝的祖先系統構成要素をモデル化することから始められました。その結果、イベリア半島南部の銅器時代(CA)個体群の、特徴的ではあるものの変動的な構成要素であるゴイエットQ2の局所的痕跡はもはや検出できず、狩猟採集民祖先系統に関して、イベリア半島青銅器時代における地理的下位構造の消滅が示唆されます。これは、イベリア半島北部から南部への草原地帯関連祖先系統の拡大により説明され、イベリア半島南部にイベリア半島北部および中央部の祖先系統をもたらし、検出限界を超える水準にまで微妙なゴイエットQ2の兆候を希釈しました。

 同じqpAdmモデルを用いることで、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル後期、イベリア半島南東部カベゾ・レドンド遺跡BA、ラ・バスティダ遺跡エルアルガル期の個体群は、単一の供給源としてヤムナヤ文化サマラ集団でモデル化できず、イランNとヤムナヤ文化サマラ集団の組み合わせでよりよい裏づけが見つかりますが、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期とカベゾ・レドンド遺跡BA個体群では、P値は0.05以上に達しません。これらエルアルガル集団(ラ・アルモロヤ遺跡とラ・バスティダ遺跡)もPC1軸では、イランN的祖先系統を有するものの草原地帯関連祖先系統を有さない「ミノア人」、もしくは両者の混合を有する「ミケーネ人」など(関連記事)、過剰なイランN的祖先系統を有する地中海BA集団の方向にわずかに右側に動き、それはシチリア島MBAの同じBA個体群とサルデーニャ島人(関連記事)についても示されます(図3A)。以下は本論文の図3です。
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 イベリア半島南東部BA集団で観察されるモデル却下の理由を調べるため、いくつかのqpAdmモデルが検証されました。2方向および3方向の競合qpAdmモデルを用いて、イランN的祖先系統を有する第三の供給源が必要なのかどうか、調べられました。2方向モデルでは、鐘状ビーカー個体群では最大数となるドイツの鐘状ビーカー(BB)が固定近位祖先系統供給源として、在来の銅器時代供給源(イベリア半島BAの北部か中央部か南東部)とともに用いられました。

 これら2供給源が却下された標的集団について、第三の供給源として地中海中央部および東部人口集団が繰り返し検証されました。それは、これらのうち一部がイランN的祖先系統を有すると知られているからです。祖先系統の在来供給源としてイベリア半島中央部CA、草原地帯祖先系統の代理としてドイツBBを用いると、標的としてラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期とのモデルのみが却下され、第三の構成要素がこれらイベリア半島BA集団に必要と示唆されました。

 第三の供給源として地中海人口集団を追加すると、P値が0.05を超えることはないものの、モデル適合性が改善します。しかし、第三の供給源としてイラン銅器時代を用いるとP値が0.05を超え、イランN的祖先系統のより高い割合が必要と示唆されます。注目すべきことに、イベリア半島中央部CAを在来のイベリア半島南部CAに交換すると、モデルはより多くのイベリア半島BA集団(イベリア半島の北部および南東部BA、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期、中央部CA_Stp)では裏づけが見つからず、この一群に第三の供給源を追加しても、モデルの適合性はどちらでも改善されませんでした(図4A)。以下は本論文の図4です。
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 ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期におけるドイツBB+イベリア半島中央部CAを含むモデルの却下が、イベリア半島における草原地帯関連祖先系統の供給源に存在しなかったドイツBBにおける特定のヨーロッパ北部/中央部LNの混合に起因することを除外するため、直接的な草原地帯関連祖先系統の供給源がヤムナヤ文化サマラ集団に固定されました。それは、全てのイベリア半島集団に寄与する同じ遠位草原地帯供給源が予測され、これらのモデルがCA(つまり新石器時代農耕民)祖先系統の100%に寄与する、近位在来CA供給源を通じて繰り返されるからです。必要な場合のみ、第三の供給源として遠位イランN(他の区別できない銅器時代祖先系統に寄与したかもしれないイランCAの代わりに)が追加されました。

 2方向モデルでイベリア半島中央部CAとヤムナヤ文化サマラ集団を用いることにより、全てのイベリア半島BA集団のモデル化に成功しましたが、再び、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期とカベゾ・レドンド遺跡BA集団は除外されました。注目すべきことに、ラ・バスティダ遺跡エルアルガル期も遠位モデル2で失敗しました。しかし、イランNを第三の供給源として追加すると、これら3集団は近位在来CA基層モデルではP値が0.05以上となりました。

 次に、イベリア半島中央部CAを在来のイベリア半島南東部CA供給源と交換すると、モデルのほとんどが却下され、イベリア半島CA集団における遺伝的下位構造が確証されます。イベリア半島南東部CAを基層として用いる場合のみ、イベリア半島南東部集団のモデル適合性が改善し、イベリア半島に草原地帯関連祖先系統をもたらした最初の個体群はさまざまなCA集団と局所的に混合した、と示唆されます。注目すべきことに、イベリア半島南東部CAは、バレアレス諸島のCA_StpとBAとLBAの集団にとって、充分に裏づけられた在来の代理です。マヨルカ島CA_Stpおよびメノルカ島LBAはそれぞれ1個体により表されるので、この兆候は注意深く解釈されます。しかし、この兆候は、6個体で構成される新たに配列されたメノルカ島のアリトゲスLBA集団でよく裏づけられます。

 次に、これらを区別するための解像度の能力に影響を与えることなく、近位供給源のさらなる特定が試みられました。草原地帯関連祖先系統を有する最も近位の在来供給源としてヤムナヤ文化サマラ集団をイベリア半島中央部CA_Stpを交換し、これらを2方向モデルでさまざまなイベリア半島CA供給源と組み合わせ、必要な場合は第三の供給源としてイランNのみが追加されました。草原地帯関連祖先系統にとってより高い可能性のある近位供給源を用いることで、遠位モデルの結果を再現できました。しかし、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期、バスティダ遺跡エルアルガル期、カベゾ・レドンドBA、アリトゲス遺跡LBAは依然として、イベリア半島中央部CAおよびCA_Stpとの全てのモデルにおいて、第三の供給源としてイランNが必要になる、と示せます。対照的に、イベリア半島南東部CAを在来の基層として用いると、イランNは必要ではありませんが、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期は依然としてP値が0.05以下で却下されます。

 この知見はラ・アルモロヤ遺跡個体群の未解決の祖先系統か、あるいは、より単純なモデルを却下する統計的能力を提供する、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期の事例で見られるように、より多い個体で構成される集団でのみ微妙な兆候を検出する能力により、最適に説明されます。イベリア半島南東部CAをイベリア半島中央部CAの代わりに用いてラ・バスティダ遺跡集団をモデル化すると、このモデルは却下されなくなり、イベリア半島南東部BAへの在来CA集団の直接的寄与を示唆します。まとめると、分析結果は微妙ではあるものの追加のイランNに富む祖先系統を示唆しており、この祖先系統はイベリア半島南東部CAに存在するので、エルアルガルBAに先行する可能性があります。

 ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期が、イランNを地理的により近い地中海中央部や東部の人口集団などイランNの豊富な供給源に交換し、イランNを外群に移動させる場合にモデル化できるのかどうかも、検証されました。しかし、これは裏づけのあるモデルが得られませんでした。近位の地中海供給源は見つけられませんでしたが、地中海中央部人口集団を外群に追加すると(シチリア島EBAかギリシアEBAかギリシアMBA)、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期および後期について、モデルの裏づけ(P値)は減少し、間接的に地中海中央部BAの重要性を証明します。しかし、他の地中海集団を外群に追加しても、P値に変化は観察されませんでした。

 YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の派生系統であるR1b1a1b1a1a2a1(Z195)への完全な置換は、ラ・アルモロヤ遺跡の男性29個体全員とラ・バスティダ遺跡の6個体(例外は紀元前2134~紀元前1947年頃の1個体のYHg-E1b)で観察され、おもに銅器時代から青銅器時代の移行期における遺伝子流動の証拠の別の独りした供給源です。とくに、イベリア半島BAで最も一般的なYHg-R1b-Z195は、究極的にはヨーロッパ中央部の共通祖先であるYHg-R1b-P312に由来しますが、ヨーロッパ中央部およびブリテン諸島で報告された他の派生的な鐘状ビーカー個体群のYHg-R1b多様体とはすでに異なっています。YHg-R1b-Z195はシチリア島CA_Stp(以前にはEBAに分類されていたので、外れ値とみなされていました)とシチリア島EBAで見られます(関連記事)。しかし、他のYHg-R1b多様体との系統学的および地理的つながりは、依然として不明です。エルアルガルにおけるイランN的祖先系統の微妙な存在と、シチリア島におけるYHg-R1b-Z195の存在は、イベリア半島からシチリア島だけではなく、その逆方向の遺伝子流動の可能性を開き、青銅器時代における地中海西部と中央部との相互接触を示唆しますが、直接的な接触は考古学的記録ではほとんど目立ちません。

 まとめると、これらの結果は、在来の銅器時代の遺伝的基層に加えて、イベリア半島南東部人の青銅器時代の遺伝的特性の形成への、二重の遺伝的寄与を示唆します。主要な追加の祖先系統供給源は、ヨーロッパ中央部の鐘状ビーカー集団と類似しており、まずイベリア半島北部に祖先系統を寄与し、続いてイベリア半島中央部CA_Stpの形態で南方へと拡大しました。第二のより影響の小さな祖先系統構成要素はイランNの豊富な供給源/地中海中央部供給源で、BAエルアルガル状況の個体群に限定されます。この構成要素寄与の年代は不明なままで、在来のCA銅器時代もしくは島嶼部地中海中央部BA集団とのつながりの微妙な痕跡を通じて持続した、新石器時代の遺産を示します。


●アフリカ北部および地中海中央部とつながるエルアルガルの遺伝的外れ値

 主成分分析も、新たに配列された個体群における遺伝的外れ値を明らかにしました(図3A)。後期エルアルガルのロルカ・ザパテリア(Lorca-Zapatería)遺跡の男性個体(ZAP002)は主成分分析ではイベリア半島BAの範囲外に位置し、地中海中央部に向かって明確に動いています。地中海東部と近東とアフリカの集団への特定の誘引について、f4混合検定(ZAP002、ラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期;地中海東部/アフリカ、チンパンジー)で検証されました(図5A)。その結果、f4値はゼロと一致し、ZAP002とラ・アルモロヤ遺跡エルアルガル前期(エルアルガル集団では最大の個体数)は地中海東部およびアフリカ集団と対称的に関連している、と示されます。しかし、モロッコのイベロモーラシアンについては、Z得点=2.4のほぼ有意な正のf4値だと示されました。類似のf4検定におけるムブティ人への誘引は、アフリカ人祖先系統もしくはモロッコのイベロモーラシアン集団およびナトゥーフィアン(Natufian)人と共有される高水準の基底部ユーラシア人(関連記事)祖先系統を示唆します。

 f4(検証集団、EHG;コーカサス狩猟採集民、ムブティ人)でゼロからの負の偏差も確認され、アフリカ人もしくは基底部ユーラシア人祖先系統が示唆されます。この検定では、EHG集団とコーカサス狩猟採集民(関連記事)集団の分岐は、あらゆる検証集団で負の値になるほど深く分岐している、と仮定されます。この理論的根拠に従って、負の値の発見は、ムブティ人との共有される深い祖先系統の多さを示唆し、他のエルアルガル個体と比較した場合の図3BにおけるZAP002の異なるf4値も説明します。ZAP002の負の値(Z得点=-2.14)は、モロッコのイベロモーラシアンおよびナトゥーフィアン個体群でも観察され、この主張の追加の裏づけを提供します(図5B)。

 qpAdmを用いて、イベリア半島CAやドイツBBなど異なる祖先系統の供給源候補と、サルデーニャ島およびシチリア島の地中海中央部供給源の候補一覧がさらに調べられました。主要なイベリア半島南東部BA集団の外群の同じ一式を用いると、ZAP002にとって統計的によく裏づけられたモデルは見つかりませんでした。しかし、モロッコのイベロモーラシアン個体群を外群から供給源に移すと、地中海中央部人口集団が供給源として含まれる場合、モデルが適合します。

 ZAP002は、在来のイベリア半島CA供給源を必要とせず、ドイツBBとモロッコのイベロモーラシアン個体群とシチリア島EBAもしくはサルデーニャ島EBAもしくはサルデーニャ島ヌラーゲ文化BAの3方向混合としてモデル化できる、と明らかになりました(図5C)。これらqpAdmの結果は、シチリア島EBA個体群とまとまるという、主成分空間におけるZAP002の位置と一致します(図3A)。同じモデルでイベリア半島CA供給源を外群に替えても、モデル適合性は依然として維持され(図5C)、ZAP002はエルアルガルの他個体と同じ埋葬(ピトスの埋葬とアルガル土器)の扱いを認められているにも関わらず、その起源は完全に外来と示唆されます(図5C)。以下は本論文の図5です。
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●銅器時代および青銅器時代のエルアルガル社会の表現型の変異と人口統計と社会的相関

 保存状態良好な全てのイベリア半島銅器時代および青銅器時代個体(40万ヶ所以上の一塩基多型)で、124万一塩基多型パネルに含まれる表現型の多様体が調べられました。乳糖とアルコールの消化能力、脂肪酸代謝の適応、セリアック病体質、感染症耐性と関連する14個の多様体に加えて、肌/髪および目の色素沈着をコードする41ヶ所の一塩基多型も調べられました。その結果、銅器時代と青銅器時代との間で、派生的アレル(対立遺伝子)の頻度で有意な増加もしくは減少は見つかりませんでした。

 銅器時代および青銅器時代における有効人口規模への洞察を得るため、hapROHを適用してROH(runs of homozygosity)が特定されました。ROHは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にあると推測され、人口集団の規模と均一性を示せます(関連記事)。2センチモルガン(cM)未満となる短いROHパターンでは、銅器時代と青銅器時代との間で顕著な違いは見られず、本論文で分析対象とされた全個体は、比較的充分に大きな有効人口規模の人口集団から抽出された、と示唆されます。青銅器時代前となる銅器時代人口集団の減少についての証拠も見つかりませんでした。両集団で、長いROH断片(20~300 cM)で表される、近親交配の兆候は検出されませんでした(図6A)。

 以前に仮定された(関連記事)草原地帯関連祖先系統の寄与における性的偏りの可能性を評価するため、X染色体と常染色体に遠位および近位qpAdmモデルが適用されました(図6B)。男性の寄与は平均して次世代にはX染色体の1/3しかないので、常染色体よりもX染色体で祖先的構成要素の割合が低い場合は、各構成要素に関して男性の偏りが示唆されます(関連記事1および関連記事2)。同様に、祖先的構成要素が統計的にX染色体でより高ければ、女性の偏りが示唆されます。

 この理論的根拠に基づいて遠位もしくは近位供給源を用いると、草原地帯関連祖先系統における有意な男性の偏りは観察されませんでした(図6B)。男性の偏りが検出されないという事実は、以前の研究(関連記事)で反映されているように、両性におけるすでに均衡のとれた祖先の構成要素を示唆しているかもしれません。その研究では、草原地帯構成要素における男性の偏りは縄目文土器(Corded Ware)文化だけで検出され、鐘状ビーカーもしくはBA人口集団ではもはや検出されませんでした。また最近の大規模な発掘が利用され、ラ・アルモロヤ遺跡の適切な形態学的保存状態の86個体全てが標本抽出された結果、67個体で高品質なゲノム規模データが得られ、エルアルガル共同体への洞察が可能となりました。

 3つの手法の組み合わせを用いて、遺伝的関連性が推定されました。それは、1000以上の共有一塩基多型を有する個体群の組み合わせについての、ペアワイズミスマッチ率(PWMR)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA)、lcMLkinです。再構築されたすべての家系は、人類学的および考古学的文脈に完全に統合された、付属論文で刊行される予定です。したがって本論文は、高次水準での生物学的関連性の主要な観察結果を報告します。分析された30個体の成人女性間では、1親等の関係は見つかりませんでした。成人間の全ての1親等の関係は、少なくとも成人男性1人を含みます(3組の1親等の関係)。成人女性間では2親等の関係も見つかりませんでした。成人を含むいくつかの2親等の関係は、全て男性間でした(分析された成人男性18人のうち4人)。

 次に、ラ・アルモロヤ遺跡の男性には、同遺跡で女性よりも多くの親族がいるのかどうか、検証されました。f3(女性、女性;ムブティ人)とf3(男性、男性、ムブティ人)の形式の1親等および2親等の組み合わせを削除した後に、f3出力統計が計算され、女性:女性と男性:男性の比較における類似の平均値(図6C)にも関わらず、男性は女性よりもf3分布が偏っており、他の女性との女性との場合よりも、他の男性との男性および他の女性との男性との間のより密接な遺伝的関係(たとえば、3親等から4親等)を示唆します。

 READから抽出されたPWMRを用いて、父方居住を示唆する兆候について具体的に検証され、完全な集団への各成人個体の生物学的関連性を計算する行列が構築されました(図6D)。その結果、同遺跡において親族を有する一部の成人女性も存在するにも関わらず、男性は平均して女性よりも同遺跡の他個体と密接に関連している傾向が明らかになり、父方居住の検定は有意ではない、と示されました。遺跡内の水準では、この結果はより高い繁殖率の男性系統からの創始者効果も示唆しているかもしれません。以下は本論文の図6です。
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●考察

 本論文はイベリア半島南東部に焦点を当て、ヨーロッパにおけるより大規模な人口動態に照らして、地域的な水準での遺伝的分析の可能性を浮き彫りにします。全体として、銅器時代人口集団の構造は、新石器時代以来の遺伝的安定性と連続性を示す、と明らかにできました。これは、イベリア半島南東部銅器時代人口集団と地中海人口集団との間の初期接触の可能性に加えて、イベリア半島南部におけるさまざまな狩猟採集民祖先系統と結びついていました。

 紀元前2200年頃までのイベリア半島南東部における草原地帯関連祖先系統の微妙な証拠が提供され、この頃に、広範な社会的および文化的変化がイベリア半島南部の大半で起き、堀で囲まれた集落体系の終焉と、青銅器時代集団の出現が含まれます。イベリア半島南東部では、全ての標本抽出された青銅器時代集団が草原地帯関連祖先系統を有する、と示せますが、より広範に標本抽出されたエルアルガル集団はイランN的祖先系統も過剰に有しており、これは他の銅器時代および青銅器時代の地中海集団でも観察されてきました。エルアルガルの外れ値1個体の分析により、追加のアフリカ北部祖先系統を有する地中海中央部移民個体が明らかになりました。

 全体として、エルアルガルは、イベリア半島北部および中央部から到来した、すでにヨーロッパ中央部の草原地帯関連祖先系統(および優勢なY染色体系統であるYHg-R1b)を有していた新たな集団と、地中海東部および/もしくは中央部集団と類似したイランN的祖先系統を過剰に有していた点でイベリア半島の他地域とは異なっていた、イベリア半島南東部在来の銅器時代集団との混合から形成された可能性が高そうです。さらに、前期および後期エルアルガル集団の大きな標本規模から、在来の銅器時代基層におけるイランN的祖先系統の寄与は、祖先系統のこの種類をよく説明するのに十分ではなく、次に、遅くともエルアルガル期末までの、地中海青銅器時代との連続したつながりおよびそこからの遺伝的影響が主張されます。本論文は、遺跡内水準での青銅器時代前期エルアルガル社会の人口構造に光を当てることができました。ラ・アルモロヤ遺跡では、男性間のより密接な遺伝的関係が、父系性の強力な指標です。


Villalba-Mouco V. et al.(2021): Genomic transformation and social organization during the Copper Age–Bronze Age transition in southern Iberia. Science Advances, 7, 47, eabi7038.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi7038