『天智と天武~新説・日本書紀~』蘇我入鹿の評価について

 発売の迫った『ビッグコミック』2014年12月25日号には『天智と天武~新説・日本書紀~』は掲載されないようですから(とくに告知はありませんでしたが、次号予告に掲載されていなかったので、休載だと思います)、なんとも残念です。一ヶ月近く『天智と天武~新説・日本書紀~』について記事を掲載しないのも寂しいと思ったので、作中での蘇我入鹿の評価について、単行本第6集刊行のさいの展望(関連記事)とはなるべく重ならないように、第54話までの話を踏まえて予想してみるというか、思いつきを述べていきます。

 665年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)秋の時点で、大海人皇子(天武帝)はすでに政治家として確固たる地位を築いており、異父兄の中大兄皇子(天智帝)も中臣鎌足(作中では豊璋と同一人物との設定)も容易に殺せない存在になっています。663年の白村江の戦いの前の時点で、大海人皇子は斉明帝(皇極帝、宝皇女)の息子ということで、それなりに有力な立場にあったようですが、その時点よりもはるかに大物政治家になった、と言えそうです。

 白村江の戦い後に防衛体制の構築が急速に進んで人々の不満が高まるなか、大海人皇子に地方豪族の不満への対処という難しくて嫌われそうな仕事を押しつけていたら、大海人皇子の声望が人々の間で高まり、中大兄皇子も鎌足も大海人皇子を殺しにくくなった、というわけです。白村江の戦い後、中大兄皇子と鎌足を殺せず助けてしまった自分の弱さを反省した大海人皇子は、復讐に邁進することを誓い、中大兄皇子と鎌足の思惑を利用して自らの声望を高めることに成功した、ということなのでしょう。

 これが、大海人皇子が壬申の乱で勝利して即位する基盤になった、という展開になりそうです。ただ、中大兄皇子もこのまま大海人皇子の勢力拡大を黙認することはないでしょう。近江への遷都など自らが積極的に政治を主導していくことで、権力を維持・拡大していこうとするのでしょう。おそらく大枠は通説にしたがって進むでしょうから、まず即位するのは中大兄皇子のはずです。中大兄皇子は不満に思いつつも、確たる政治的地位を築いた大海人皇子を重用せざるを得ず、近江朝でもこの兄弟の心理戦・駆け引きがつづくのでしょう。

 その大海人皇子が672年の壬申の乱で勝利し、即位したにも関わらず、大海人皇子の実父の蘇我入鹿(あくまでも作中での設定ですが)が結局は『日本書紀』において逆賊として扱われてしまったことは、作中の大きな謎です。中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦・駆け引きとともに、この謎の解明は見せ場の一つになりそうな気がします。現時点では、『日本書紀』の編纂に鎌足の息子の藤原不比等が強く関与し、蘇我入鹿を逆賊として書くよう指示したことが明かされています。不比等が父の顕彰・自己の権威の強化を図ってそうするのは、作中世界の設定からもよく理解できるところです。

 そうすると、なぜ不比等が『日本書紀』の編纂方針を決められるほどの権力を握ることができたのか、大海人皇子は即位後に実父の蘇我入鹿を公的にはどのように評価したのか、ということが謎として残ります。これまでの描写から、奈良時代初期には群臣の間で、入鹿は聖人であると知られていることが明らかです(あくまでも作中での設定ですが)。そうすると、やはり天武朝で入鹿は聖人・偉大な政治家として顕彰されていたことになりそうです。

 実父が入鹿では即位できないでしょうし、母の斉明帝の不義を公認することになるので、大海人皇子は即位にさいして実父が入鹿であることを隠した(公的には父は舒明帝だとした)、という展開になるのかもしれません。しかしそうだとしても、復讐に邁進する大海人皇子にとって、やはり実父の入鹿の名誉回復は悲願でしょうから、天武朝で入鹿は先見性のある政治家として喧伝されることになりそうです。入鹿が仏教に傾倒していた様子も描かれていますから、作中ではまだ明示されていないものの、聖徳太子=蘇我入鹿はほぼ確定している、と言えそうです。

 では、その聖徳太子(的な人物像)が作中世界では存在したのか否かまだ明らかではない厩戸王のこととされ、入鹿が逆賊とされた経緯はどうであったのか、ということが問題になります。現時点では憶測でしかないのですが、不比等が入鹿を聖人としてではなく悪辣な逆賊として周知させようとしたさいに、入鹿の聖人としての性格を厩戸王に振り替えたのではないか、と予想しています。奈良時代初期には入鹿の息子である大海人皇子の子孫もしくはその妻が天皇・有力皇族として多く存在するなか、そんなことは可能だろうか、とも思うのですが、上述したように、おそらく大海人皇子は公的には自身の父が舒明帝だと主張していたので、この不比等による書き換えが成功したのではないか、と思います。

 不比等がそのような強大な権力を握るにいたった経緯が作中で描かれるのか、現時点では不明ですが、もし描かれるのだとしたら、不比等は持統天皇・上皇(鸕野讚良皇女)のもとで台頭したと考えられるので、鸕野讚良皇女が重要な役割を担うことになりそうです。鸕野讚良皇女が、自分の孫の軽皇子(文武天皇)に皇位を継承させたいあまり、あるいはその他の理由で夫の大海人皇子を裏切って不比等を重用し、入鹿を逆賊とすることを承認するのか、それとも、有能な不比等を重用していたら、気づいた時には(あるいは持統上皇の死後に)不比等が実権を握ってしまっていたのか、それとも別の展開になるのか、気になるところです。

 作中では、661年初頭の時点で、鸕野讚良皇女は自身の母を死に追いやった鎌足を恨んでいるようです。その鸕野讚良皇女が鎌足の息子の不比等を重用するようになった経緯は注目されますが、表題からすると、壬申の乱で「本編」は終了とも考えられるだけに、作中で不比等の台頭が描かれるのかとなると、微妙なところです。できれば、これまでに2回描かれた奈良時代初期の『日本書紀』編纂の場面のように、「本編」の間に天武朝や持統朝の様子が時々挿入されて、謎解きが進むとよいな、と希望しています。

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