服部英雄『蒙古襲来と神風 中世の対外戦争の真実』

 これは3月11日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年11月に刊行されました。本書はモンゴル襲来(文永の役・弘安の役)を神風史観の見直しという観点から検証しています。神風史観とは、文永の役・弘安の役において神風が吹き、日本は侵略してきたモンゴル(大元ウルス)を退けることができた、というものです。本書は、神風史観がとくに太平洋戦争において惨劇をもたらした一因になっており、現在でも学校の歴史教育の現場において肯定的に扱われることがある、との問題意識から、神風史観を徹底的に批判しています。

 本書が批判の対象としているのは、神風史観の定着にさいして重要な役割を果たした近代歴史学、具体的には池内宏の見解です。そこでは、文永の役・弘安の役ともに1日の戦いで決着がつき、暴風雨によりモンゴル軍は撤退に追い込まれた、とされます。しかし本書は、日本・朝鮮・中国の諸史料、の再検証により、通説の問題点を指摘していきます。とくに、『蒙古襲来絵詞』の検証は興味深いものでした。本書が重視しているのは、じゅうらいの通説たる神風史観においては、情報伝達の時間が軽視されていた、ということです。

 本書はこうした再検証の結果、文永の役・弘安の役ともに1日の戦いで決着がついたわけではない、と指摘します。文永の役においては、モンゴル軍は日本軍との激戦(文永11年10月20日)の後も10日間ほど作戦を継続しており、戦争中に暴風雨(寒冷前線の通過が原因と推測されています)はあったようですが、それがいつのことなのかは不明で、モンゴル軍撤退の要因なのかも不明とされています。弘安の役においては、弘安4年閏7月1日に台風が日本を通過したことは確実ではあるものの、その後の閏7月5日(博多湾)と閏7月7日(鷹島)にも戦闘は行なわれ、いずれもモンゴル軍が敗れた、とされています。

 さらに本書は、弘安の役における台風は日本列島にも甚大な被害をもたらしただろうし、モンゴル軍のみならず日本軍の舟にも被害を与えており、当時は神風のおかげで日本がモンゴル軍を撃退できたという認識はなかっただろう、と指摘します。本書の見解が直ちに通説となるわけではないのでしょうが、モンゴル襲来に関して、もはやじゅうらいの通説をそのまま受容するのは難しく、今後は検証と議論が続いていくことになりそうです。本書は、モンゴル襲来に関する問題提起の一般向け解説であり、興味深い内容になっています。鎌倉幕府の滅亡と南北朝時代の到来など、その後の激動とモンゴル襲来の関係についてもやや詳しい解説があれば、もっとよかったのではないか、とも思います。

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