スカンジナビア半島の戦斧文化集団の遺伝的起源

 スカンジナビア半島の戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)集団の遺伝的起源に関する研究(Malmström et al., 2019)が報道されました。まず、本論文で取り上げられるおもな文化の略称を先に記載しておきます。戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)、縄目文土器文化(Corded Ware culture、CWC)、鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、FBC)、円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、PWC)、単葬墳文化(Single Grave Culture、SGC)、櫛目文土器文化(Combed Ceramic Culture、CCC)。

 紀元前3000年頃に、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の牧畜民がヨーロッパ中央部へと拡散していき、その影響力は現代ヨーロッパ人に強く残っています。これはヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡大によるものと考えられており、ヨーロッパ各地で多様な文化集団を形成していきました。ヤムナヤ文化集団の拡大範囲の北西部では、縄目文土器文化(Corded Ware culture、CWC)がその代表例で、ヨーロッパ北部および中央部に紀元前3000~紀元前2000年前頃に分布していました。しかし、CWCの形成におけるヤムナヤ文化集団の移住の影響に関しては、文化伝播もしくは地域的発展と人類集団の移住およびその遺伝的影響のどちらが重要だったのか、議論が続いています。

 また、ヨーロッパ中央部・スカンジナビア半島・バルト海東部では、ヤムナヤ文化集団の移住と混合の遺伝的痕跡が確認されているものの、そうした移住はさまざまな地域で異なる経路をたどったと考えられており、移住がヨーロッパにおいて人口史にどのような影響を与えたのか、正確には明らかではありません。スウェーデンでは、CWCは戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)と呼ばれています。紀元前3000~紀元前2800年頃に始まるBACは、現在のスウェーデン中部とノルウェー南部までのスカンジナビア半島と、フィンランド北西部のバルト海東側にまで分布していました。

 これらバルト海周辺地域に関しても、BACおよびCWCの拡散が文化伝播もしくは地域的発展なのか、それとも外来集団により導入されたのか、議論が続いてきました。以前の考古学的研究は、BACおよびCWCを共通の文化的・社会的慣行を伴うものとして把握しており、埋葬習慣と土器形式と舟形戦斧の均一性を強調しました。最近では、これらの見解は単純すぎると議論されており、BACおよびCWC内の地域的パターンと特徴が強調されています。以前の考古遺伝学的研究では、BACおよびCWCの個体群のゲノム解析がポーランド(関連記事)やフィンランドおよびロシア北西部(関連記事)などで行なわれてきましたが、スカンジナビア半島でのBACの出現もCWC内の移住パターンの特徴と時間および地理的経緯については、まだよく解明されていません。

 本論文は、スカンジナビアにおけるBAC出現の様相をよりよく理解するため、現在のスウェーデン・エストニア・ポーランドの、紀元前3300~紀元前1660年頃と推定されている11人のDNAを解析しました。ゲノム規模網羅率は0.11~3.24倍です。遺伝的に、11人のうち男性は5人、女性は6人と推定されています。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は全員、Y染色体ハプログループ(YHg)は3人が分類されました。

 11人のうち5人はBACおよびCWCの遺跡で発見されており、そのうち2人はポーランドのオブワチュコボ(Obłaczkowo)、1人はエストニアのカルロヴァ(Karlova)、2人はBAC埋葬地であるスウェーデンのベルグスグレーヴェン(Bergsgraven)で発見されました。年代は、オブワチュコボの2人(poz44とpoz81)が紀元前2880~紀元前2560年頃、カルロヴァの1人(kar1)が紀元前2440~紀元前2140年頃、ベルグスグレーヴェンの2人(ber1とber2)は紀元前2640~紀元前2470年頃です。

 11人のうち6人は、BACおよびCWCではない遺跡で発見されています。そのうち5人はおもに漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、FBC)と関連している巨石墓に埋葬されており、2人(ros3とros5)がスウェーデン南部のヴェステルイェートランド(Västergötland)のレッスベルガ(Rössberga)で、3人(oll007とoll009とoll010)がスウェーデン南部のスカニア(Scania)のエルスヨ(Öllsjö)で発見されています。年代は、ros3とros5が紀元前3330~紀元前2920年頃、oll007が紀元前2860~紀元前2500年頃でBACの2人と重なっており、oll009とoll010はスカンジナビア半島の新石器時代後期~青銅器時代となる紀元前1930~紀元前1660年頃です。6人のうち残りの1人(ajv54)はスウェーデンのゴットランド(Gotland)の円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、PWC)遺跡となるアジュヴァイド(Ajvide)で発見され、年代は紀元前2900~紀元前2680年頃です。

 BACおよびCWC遺跡の個体群は、巨石墓からのoll007も含めてmtHgでは、石器時代狩猟採集民と関連しているU4・U5と、新石器時代農耕民と関連しているH1・N1a・U3に分類されます。これはCWC遺跡の他の個体群に見られるmtHgの変異内におおむね収まりますが、本論文で新たに報告されたmtHg-U3およびN1aは、CWC遺跡で発掘された個体群では報告されていません。

 本論文で新たにYHgが分類された男性3人では、BAC遺跡のber1とCWC遺跡団のpoz81がともにYHg- R1aで、これは既知のCWC文化遺跡個体群の主流YHgです。またCWC集団では、少数派ながらYHg- R1bやYHg- I2aも見られます。YHg-R1aはヨーロッパ中央部および西部の新石器時代農耕民や狩猟採集民の間では見つかっていませんが、ヨーロッパ東部の狩猟採集民と銅器時代集団では報告されてきました。ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ文化集団ではほとんどがYHg- R1bで、YHg-R1aではありません。この他に、レッスベルガのros5がYHg- IJと分類されています。

 本論文は新たにDNAを解析した11人のうち、分析が可能な個体の表現型についても報告しており、カルロヴァの1人(kar1)には乳糖耐性関連アレル(対立遺伝子)が確認されています。また外見に関しては、髪の色は明暗両方、目の色も茶色と青色両方が見られました。炭素と窒素の安定同位体値からは、アジュヴァイドの1人(ajv54)を除いて、陸生の食性だったと明らかになっています。ベルグスグレーヴェンの個体のストロンチウム同位体データ、少なくともそのうち1人は死ぬ少し前にベルグスグレーヴェンに移住してきた、と示しています。

 11人のゲノム分析と既知のゲノムデータとの比較は、以前の結果を改めて確認します。第一に、ヨーロッパ全域の早期および中期新石器時代農耕民と中石器時代狩猟採集民は明確に分離します。第二に、ヨーロッパの狩猟採集民間の亜構造はおおまかに東西の勾配と対応していますが(WHGたるヨーロッパ西部狩猟採集民とEHGたるヨーロッパ東部狩猟採集民)、スカンジナビアは例外です(関連記事)。第三に、ほとんどの後期新石器時代および青銅器時代個体群は現在のヨーロッパ中央部および北部の人類集団と重なり、これはポントス-カスピ海草原からのヤムナヤ牧畜民関連の侵入集団との混合に起因します。

 スカンジナビア半島では、漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、FBC)と円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、PWC)と戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)という考古学的に異なる3文化間の明確な遺伝的分離が見られます。PWC遺跡の新石器時代採集民は遺伝的に中石器時代スカンジナビア半島狩猟採集民と類似していますが、農耕民集団との類似性もやや見られ、おそらくはスカンジナビア半島における狩猟採集民と農耕民集団の混合に起因します。

 BAC遺跡の個体群は、ヨーロッパの他のCWC遺跡の個体群との関連を明確に示します。とくに、スウェーデン南部のエルスヨ遺跡のoll007個体は、直接的にはCWC遺物と関連していませんが、年代的にはCWCと重なっており、CWCの個体群と一群を形成しており、それはもっと新しい年代のエルスヨ遺跡の2人(oll009とoll010)も同様です。エストニアのカルロヴァ個体とポーランドのオブワチュコボの個体群もBAC個体群と類似しており、バルト海地域全体のBACおよびCWC個体群との強い遺伝的類似性を示しているようです。オブワチュコボの2個体も含めてCWCの何人かは、ヤムナヤ牧畜民と関連する草原地帯系統と密接に類似します。これらの個体群は、CWC個体群でも年代は最古と推定されており、全体としてCWC個体群では、時間の経過とともに草原地帯系統の減少という類似した明確な傾向が見られます。

 本論文は、スカンジナビアへのCWC関連集団の拡大を調査し、CWCおよびBAC関連個体群で見られる系統の割合をよりよく理解するため、アナトリア農耕民とヨーロッパ西部狩猟採集民とヤムナヤ草原地帯牧畜民という3起源の系統のモデリングを実行しました。CWC個体群のほとんどはヤムナヤ系統(草原地帯系統)の割合が高いのですが、アナトリア農耕民およびヨーロッパ西部狩猟採集民系統も見られます。スウェーデンのBAC個体群も同様です。BACと同年代ではあるものの文化が不明か、何百年も早く巨石墓に葬られたエルスヨといった他の個体群は、スウェーデンの他地域の典型的なBAC個体群と同じ遺伝的構成を示します。

 BAC関連個体群は高い草原地帯系統を有しますが、ほとんどの他のCWC個体と比較してその割合は相対的に低くなっています。しかし、エストニアのカルロヴァのCWCの女性個体(kar1)もBAC関連個体群と類似しています。対照的に、ポーランドのオブワチュコボの2個体(poz44とpoz81)は草原地帯系統のひじょうに高い割合(90%以上)を示しており、もっと後のポーランドのCWC関連個体群とは異なりますが(関連記事)、ドイツやリトアニアやラトヴィアの他のCWC関連個体群とは類似しています。

 BAC集団の形成史に関しては複数のモデルが提示されており、PWC集団に関しては直接的な祖先か否か、判断が分かれていますが、CWC集団に関しては全モデルで一致して主要な祖先とされており、スウェーデンのBAC集団は他のCWC集団からの移住なしには出現しなかった、と推測されています。さらに詳しく見ていくと、BAC集団はエストニアのCWC関連集団の姉妹集団としては適合しますが、ポーランドもしくはリトアニアのCWC集団とは姉妹集団としては適合しません。これは、CWC集団とBAC集団との間の系統の多少の違いを示唆します。混合モデルでは、スカンジナビア半島におけるBAC集団の出現に関して、バルト海地域東部からのCWC集団の直接的移住、もしくはバルト海地域南部からCWC集団がスカンジナビア半島に移住し、FBC集団と混合した、と推測されます。本論文は、より多くの標本からゲノムデータを得ることで、さらに詳細な形成史が推定できる、と見通しています。以下に、スウェーデンのBAC集団の形成史に関する本論文の図3を掲載します。
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 本論文はこれらの知見を踏まえて、CWC遺跡群の人々は、紀元前三千年紀より前にはヨーロッパ北部および中央部には存在しなかった遺伝的系統を有する、と改めて指摘します。この草原地帯系統は、上述のように紀元前3000年頃にポントス-カスピ海草原からヨーロッパ東部へと拡散を始めたヤムナヤ文化牧畜民集団にまでさかのぼります。この遺伝的構成は、バルト海周辺地域のDNA解析されたBACおよびCWCの全個体において、遺伝的系統では最大の割合を示します。

 ここで注目されるのは、上述のように、これまでに分析された最初期のCWC個体群では草原地帯系統の割合が最も高いのに(90%以上)、もっと後の個体群ではこの割合がより低い、ということです。これは、アナトリア農耕民系統へとその遺伝的系統のほとんどをたどれるヨーロッパ北部のFBC集団のような、侵入する集団と在来集団との混合の漸進的過程を示します。この過程は、おもに侵入する男性と在来の女性との混合により推進されました(関連記事)。混合過程は、CWCの全体的な範囲にわたって明らかで、FBC集団もしくはその遺伝的に関連した集団が見つかっていないバルト海東部沿岸のような地域でさえ、確認されています。こうした混合の背景としては、CWC全体の交換ネットワークもしくはバルト海東部地域への特定の移住が想定されます。後者の場合、その潜在的な起源地域は、現在のポーランドもしくはスウェーデンで、そうした地域ではCWC集団の到達に先行するFBC集団が見つかっています。

 BACおよびCWC個体群で見られる父系の起源はよく分からないままです。これまでの研究では、CWC個体群のYHgはR1aで、推定されるヤムナヤ文化集団の大半はYHg- R1bとされています。YHg-R1aは中石器時代と新石器時代のウクライナで見られます。これは、ヤムナヤおよびCWCは父系的社会を形成し、まだDNA解析が進んでいないヨーロッパ中央部および北部の集団が、BACおよびCWCの父系の直接的起源だった可能性を提起します。

 スカンジナビ半島アの中期新石器時代の巨石墓はFBCと関連づけられています。しかし、BACおよびその後の文化で共通する人工物からは、後の文化集団による再利用が示唆されています。FBC関連のエルスヨ遺跡の巨石墓に埋葬された個体(oll007)はBACと同年代で、遺伝的にはBAC個体群とひじょうに類似しています。したがって、考古学的には巨石墓の再利用は早いと推定され、本論文の知見は、じっさいのFBC関連巨石墓をBAC集団も埋葬地として利用していたことを示す、最初の証拠になるかもしれません。これは、デンマークの単葬墳文化(Single Grave Culture、SGC)でも同様かもしれない、と本論文は指摘します。

 BACはスカンジナビア南部でFBCを置換しましたが、以前には在来集団の文化的変容との見解も提示されていました。しかし、本論文の知見で改めて確認されたように、スカンジナビア半島のBAC集団はより広範なCWC集団の一部で、外来集団の移住によりその遺伝的構成に草原地帯系統がもたらされ、ヨーロッパ西部狩猟採集民・アナトリア農耕民・草原地帯牧畜民の各系統の混合を示します。スカンジナビア半島のBAC集団は、紀元前2600年頃よりも前のバルト海沿岸南部もしくは東部地域のCWC個体群よりも、アナトリア農耕民関連系統を有しており、FBC集団との混合を示唆します。こうしたBAC個体群の混合系統は、すべての常染色体分析で明らかで、mtHgでも同様ですが、YHgでは外れたパターンを示します。これは、ヤムナヤ文化とその後のCWC集団で見られる、男性に偏った移住および混合過程を反映しているのでしょう。

 ただ、BAC集団が外来集団と在来集団との混合により形成されたのか、確定的ではなく、スカンジナビア半島以外で混合した集団が移住してきた可能性も考えられます。たとえば、BAC集団は櫛目文土器文化(Combed Ceramic Culture)のような他のバルト海東部地域の集団との特別な遺伝的関連性を示しません。CWCの人々はおもに陸路で拡散していたので、ヨーロッパ中央部から現在のデンマークやスウェーデンへと移住してきた、と推測されます。この期間にバルト海地域では土器の技術的交換が確認されており、遺伝子流動と関連していたかもしれませんが、まだ確証はありません。

 本論文は最後に、BAC個体群からの遺伝的データはまだ限定的で、本論文の知見から推測される遺伝子流動のパターンは、スカンジナビア半島への単一の移住事象と、社会的および技術的交換の広範なネットワークを伴う継続的過程の両方と一致する、と指摘します。この問題のより詳細な解明には、もっと多くの古代ゲノムデータが必要となります。ヨーロッパを中心にユーラシア西部の古代DNA研究の進展は目覚ましく、ユーラシア東部圏の日本人である私としては羨ましくなりますが、今後はこの格差が縮小していくほど、ユーラシア東部の古代DNA研究が進展することを期待しています。


参考文献:
Malmström H. et al.(2019): The genomic ancestry of the Scandinavian Battle Axe Culture people and their relation to the broader Corded Ware horizon. Proceedings of the Royal Society B, 286, 1912, 20191528.
https://doi.org/10.1098/rspb.2019.1528

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