アフリカ外最古となるスリランカの弓矢

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、アフリカ外最古となるスリランカの弓矢に関する研究(Langley et al., 2020)が報道されました。アジア南部、より具体的にはスリランカは、現生人類(Homo sapiens)が気候変動と人類間の接触において多様な環境にどう移住していったのか、理解するのに重要な地域として浮上してきました。1980年代には、スリランカではヨーロッパよりも早く骨器技術やオーカーの使用を伴う細石器技術が出現した、と提案されました。しかし、人類進化の研究における重要性が認識されたにも関わらず、スリランカの最古級遺跡で発見された物質文化の詳細な研究は、とくに個人的装飾品、投射技術、後期更新世のアジア南部の熱帯環境に対処した方法を示す物質文化に関して欠けています。しかし、長期にわたる信頼性の高い年代が得られた洞窟や岩陰の系列の学際的発掘により、最近になって現生人類の拡散に関する問題を調査し、検証できるようになりました。

 アジア南部の現生人類として最古の化石が発見された、スリランカ南西部のファヒエン・レナ(Fa-Hien Lena)洞窟は、現生人類がアジアの多様な環境を通って移動してきた時に要求される、適応的能力や文化的柔軟性の理解に重要な地域です。ファヒエン・レナ洞窟遺跡の継続的分析により、アジア南部で最初の細石器群であることと、若い半樹上性および樹上性のサルおよびオオリス類が狩猟の標的だった、と明らかになっています(関連記事)。本論文は、スリランカにおける弓矢技術の最初の使用に関する証拠を提示します。これは、革新的な骨鏃を使用した特有の伝統でした。また本論文は、骨や歯を用いた多様な道具一式を報告します。これらは植物や皮を用いた道具で、複雑な象徴的人工物とともに、熱帯環境における最初の衣服もしくは網を表しているかもしれません。この記録は48000~4000年前頃(以下、基本的に較正年代)まで存在します。

 ファヒエン・レナ洞窟では、層序と年代測定に基づいて4段階が確認されました。後期更新世となるD層は48000~34000年前頃で、いくつかのそれぞれ比較的短い居住期が含まれます。末期更新世となるC層は13000~12000年前頃で、前期完新世となるB層は8700~8000年前頃、中期完新世となるA層は6000~4000年前頃です。放射性炭素年代測定結果のうち1点はこれらの時期区分の範囲外となる29120~27870年前頃で、ファヒエン・レナ洞窟における短期のヒトの存在を表しているかもしれません。

 ファヒエン・レナ洞窟では4層それぞれで、原形・未完成の道具・廃棄物が発見され、完成品の壊れた断片や修繕作業を示唆する解体痕なども確認されており、武器の補修も定期的に行なわれていた、と推測されます。骨で作られた人工物のうち130点は、投射物としての使用と、サイズ・形態・重量・使用痕が一致しています。これらの骨器には、製作と衝撃破壊の両方の痕跡が見られます。毒を塗ったと思われる溝も1点で確認されました。これら全ての骨製尖頭器は、オナガザル科の長骨で製作されています。これらの骨製尖頭器は、槍の穂先としては大きさや重さが足りず、吹き矢としては重すぎて鈍すぎるので、弓矢の鏃として用いられた、と考えられます。

 これらは、釣りにも使用された可能性があり、ファヒエン・レナ洞窟では全ての時期でナマズ科とコイ科の遺骸が確認されています。民族学的研究では、スリランカにおいてこれらの魚が毒や槍、また網や籠を使った釣りで捕獲されていた、と報告されています。また、網の製作や修繕に用いる糸を通す道具として用いられた可能性が指摘されている骨製尖頭器もあります。D層からA層にかけて、骨製投射尖頭器は次第に長くなっている、と示唆されます。これは、より大きな哺乳類、とくにイノシシ科とシカ科とウシ科の利用増加と相関しており、発達する狩猟技術の流動性を示します。

 29点の骨器には、動物の皮や植物繊維の加工に用いられる、突き錐や止め釘や楔やリスワー(艶出し用のコテ)としての使用と一致する形態および使用痕が見られます。人類史における衣服の起源と発達は、寒さへの適応と関連づけられてきましたが、スリランカの証拠は、衣服が状況に応じて別の目的(虫や草木による怪我から肌を守るためなど)に応じて製作された可能性を示唆します。これらにより製作された網が、漁撈で用いられた可能性も考えられます。

 象徴的および・もしくは社会的行動の証拠としては、D層からB層で3点の海洋性貝殻のビーズが発見されており、そのうち2点はイモガイ属、1点はムシロガイ科のものです。食用とされた海洋動物遺骸は、サメの歯数点以外には見つっておらず、ファヒエン・レナ洞窟の人々が海岸に行って貝殻を収集したか、沿岸部集団と接触して入手した、と考えられます。スリランカの他の熱帯雨林狩猟採集民の炭素および酸素同位体分析では、狩猟採集民は一年中熱帯雨林で食料を得ていたと示唆されるので、異なる生態系の集団間の交易の可能性が高そうです。

 ファヒエン・レナ洞窟遺跡に完全に特有なのは、赤色オーカー塊で完全に作られた3点の大きなビーズで、そのうち2点の出所は不明ですが、1点は8700~8000年前頃のB層で発見されました。この3点には3mm程の穴が開けられており、その端では糸が通されていた痕跡を確認できます。各オーカーの表面は広範囲の丸みと光沢を示し、皮などで表面がこすられたことを示します。他地域では、更新世~前期完新世のオーカー製ビーズは報告されていません。他地域のビーズの材料はおもに貝殻や骨で、顔料で着色されたものもあります。ただ、この着色は意図的とは限らず、身体や衣類から付着したかもしれません。ファヒエン・レナ洞窟では、貝殻製のビーズでは着色の痕跡は観察されませんでした。これは、湿式ふるい分けで回収され、後で洗浄されたからと考えられます。

 ヨーロッパ上部旧石器時代の技術的複雑さの変化に伴う壁画や携帯芸術の急増は、ヒトの文化的発展における「至適基準」として支持されてきました。ヨーロッパ西部と中央部では、寒冷気候と増加する人口への対処として、縫製技術や骨技術や形象的芸術が議論されてきました。アフリカ南部や北部では、さらにさかのぼる投射技術や象徴的思考の証拠が発見されています(関連記事)。アフリカ南部やヨーロッパにおける発掘の伝統は長いため、発掘成果のより劣るアフリカの他地域やアジアやオーストラリアやアメリカ大陸が軽視されたまま、現生人類特有の物質文化の起源と適応的背景が議論されています。この傾向は、後期更新世末までに、現生人類集団がアフリカ南部とオーストラリアの乾燥地帯や、シベリアの古北極環境(関連記事)や、チベット高原の高地環境(関連記事)や、アフリカ(関連記事)とアジア南東部とメラネシア(関連記事)の熱帯雨林環境に進出していた、と知られるようになっても、依然として主流です。現生人類は、こうした極限環境にも適応できる、「万能家-専門家(generalist specialist)」としての生態的地位を確立した、と指摘されています(関連記事)。

 本論文は、スリランカのファヒエン・レナ洞窟遺跡において、陸生動物の狩猟に用いたと思われる鏃や、釣りに使われたかもしれない尖頭器といった骨器を報告しました。また、骨器を用いて繊維で作った網による漁撈の可能性も指摘されています。ただ、こうした骨器技術の大半が、半樹上性や樹上性の小さな獲物を対象にしていたことは明らかです。ファヒエン・レナ洞窟におけるこれらの発見は48000年前頃までさかのぼり、熱帯雨林における投射技術使用の最初の決定的証拠であるとともに、アフリカ外における弓矢技術の最初の証拠という点でも注目されます。ボルネオ島のマレーシア領サラワク(Sarawak)州にあるニア洞窟群(Niah Caves)における、32000年前頃の高速投射技術使用の可能性も指摘されていますが、アジア南東部におけるより確実な証拠は、末期更新世と完新世、とくにその移行期付近に集中しています。

 ファヒエン・レナ洞窟の骨器技術は、約3000km離れた似た年代のニア洞窟群のそれと多くの共通点があります。とくに、投射尖頭器の優越で示されるように、細かい研磨と骨幹部をそのまま残す長骨の使用は共通します。また、歯もファヒエン・レナ洞窟とニア洞窟群で道具として使用されていました。しかし、両者の違いも明らかで、ファヒエン・レナ洞窟の骨器がおもにオナガザル科の骨で作られていたのに対して、ニア洞窟群の骨器はおもに大型もしくは中型哺乳類の骨で作られていました。

 本論文は、ファヒエン・レナ洞窟における後期更新世の象徴的な物質文化の詳細な分析も提示します。ファヒエン・レナ洞窟の後期更新世現生人類集団は、同じ頃のアフリカやユーラシアの現生人類集団と同様に、社会的標識伝達のために鉱物性着色剤や海洋性貝殻のビーズを使用していました。ファヒエン・レナ洞窟の現生人類集団に特有なのは、明るい赤色と黄色の顔料に加えて、銀色(雲母)の顔料も多用していることです。銀色顔料の収集と使用は、オーストラリア北部のマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰遺跡など、アジアとオーストラリアの早期現生人類遺跡で注目されていますが、オーカー塊から作られたビーズは、ファヒエン・レナ洞窟が最初の事例となります。

 装飾用のオーカーと海洋性貝殻の使用は、アフリカの中期石器時代と後期石器時代では10万年前頃、ユーラシアでは45000年前頃、アジア南東部内陸部では45000年前頃の事例が報告されています。後期更新世の湿地帯熱帯雨林地域の現生人類が森林資源に依存していた、という安定同位体証拠を考慮すると、熱帯雨林地域の遺跡で見られる海洋性貝殻は、スリランカの異なる地域の集団間の交換ネットワークの重要性も強調します。ファヒエン・レナ洞窟では末期更新世にサメの歯と海洋性貝殻ビーズが見つかっており、内陸部熱帯雨林地域集団と海岸部集団との間の長距離交易ネットワークの発展が示唆されます。

 アフリカ内外に拡大する現生人類に伴う、技術・象徴的物質文化の発展・社会的背景・適応戦略を理解するには、アフリカ南部やヨーロッパといった古人類学と考古学の伝統的な中心研究地域を越えての研究が重要である、とますます明らになっています。とくに、衣類や繊維や投射技術や象徴的ネットワークという要素は、かつて早期現生人類ではヨーロッパとアフリカに特徴的と考えられていましたが、本論文でも示されたように、アジア南部の熱帯雨林環境の早期現生人類集団にも存在します。

 最近の研究では、現生人類の間で想定された「行動の現代性」の特徴における、非線形で多様な方法を強調します。しかし、「現代性」という本質主義的考えから「変異性」の理解へと移行するならば、多様な環境背景の決定が不可欠で、そうした多様な環境では、個人的装飾品や投射技術や長距離経済ネットワークが、更新世においてアフリカだけではなく他地域でも出現します。そうして初めて、現生人類が完新世の始まりまでに拡散した独特の多様な環境における、これらの行動の適応的背景と、その適用の性質を理解できるでしょう。


参考文献:
Langley MC. et al.(2020): Bows and arrows and complex symbolic displays 48,000 years ago in the South Asian tropics. Science Advances, 6, 24, eaba3831.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aba3831

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