ヨーロッパ東部の石器時代から青銅器時代における人類集団の遺伝的変化

 ヨーロッパ東部の石器時代から青銅器時代における人類集団の遺伝的変化に関する研究(Saag et al., 2021)が公表されました。現在のロシア領の西部は、先史時代のいくつかの移動・変容過程の焦点でしたが、古代DNA研究ではかなり過小評価されたままです。上部旧石器時代のスンギール(Sunghir)遺跡(関連記事)やコステンキ14(Kostenki 14)遺跡(関連記事)など、ヨーロッパで最古の遺伝的に研究された個体群の一部はロシア西部に由来しますが、全体的には古代の遺伝的情報は希薄です。

 ヨーロッパ東部および北部の森林地帯への人類の移住は、紀元前一万三千年紀から紀元前九千年紀にかけての更新世末と中石器時代初めに、2回の大きな波で起きました。両方の事例では、ヨーロッパの広範な地域に拡大した文化と類似した物質文化を有する人々の集団が、移住過程に加わりました。この地域の中石器時代の居住に関しては、ブトヴォ(Butovo)やクンダ(Kunda)やヴェレティエ(Veretye)やスオムスエルヴィ(Suomusjärvi)など、いくつかの異なる考古学的文化が識別されています。居住のより古い段階では、物質文化はひじょうに類似しているので、単一の文化圏としても扱われてきました。

 しかし、紀元前九千年紀の半ばから、明確に区別された文化的違いを有する在来人類集団が、すでにこの地域に存在していました。中石器時代(農耕ではなく土器製作に基づくロシアの時代区分によると部分的に前期新石器時代)に起きた一連の小さな変化にも関わらず、それらの集団の一般的な傾向としての文化的継続性は、紀元前五千年紀の始まりまで経時的に観察され、一部の地域では紀元前四千年紀の始まりまで続き、その頃には、いわゆる櫛目文土器(Pit-Comb Ware)文化がヨーロッパの広範な地域で形成されました。ロシアのヴォルガ・オカ河間地域では、櫛目文土器とその地域的変形を有するリヤロヴォ文化(Lyalovo Culture)が報告されました。この文化圏の人々は、とくにロシアの広大な地域で区別できる狩猟採集のヴォロソヴォ文化(Volosovo Culture)に、紀元前四千年紀から紀元前三千年紀に特有の考古学的文化における一連の発展を促進した可能性があります。

 ヨーロッパの中石器時代の狩猟採集民は、その遺伝的系統に基づいて2集団に区分できます。いわゆる西部狩猟採集民集団(WHG)は、イベリア半島からバルカン半島へと拡大し、後期中石器時代にはバルト海東部まで到達しました(関連記事)。東部狩猟採集民集団(EHG)は、さらに東方からの遺伝的影響(現代のシベリア人と遺伝的につながっています)を受け、これまでロシア西部では紀元前9400~紀元前5500年頃となる6個体が含まれます。これら6個体のうち4個体のゲノムは、ロシア北西部のカレリア(Karelia)の紀元前7500~紀元前5000年頃の遺骸に由来し、残り2個体のゲノムはヨーロッパロシア東部のサマラ(Samara)地域の紀元前9400~紀元前5500年頃の遺骸に由来します。

 遺伝的研究では、ヤムナヤ(Yamnaya)文化複合と関連する人々がヨーロッパ東部平原の草原地帯から拡大し、紀元前2900~紀元前2800年頃に縄目文土器(Corded Ware)を製作し始めたヨーロッパ集団の系統にかなり寄与した、と示されてきました。本論文は簡潔化のため、埋葬慣行や時期など考古学的背景が特定の文化に関連づけられてきた個体群について言及する時には、文化名を用います。重要なのは、実際には、文化と遺伝的系統との間のつながりは決めてかかるべきではない、と強調することです。

 ヤムナヤ文化集団の移住は、それよりも数千年早いアナトリア半島初期農耕民(EF)のヨーロッパへの移住よりも2倍速いと推定されてきており、ヨーロッパ西部における広葉樹林の減少および草地・牧草地の増加と一致している、と推定されました(関連記事)。縄縄目文土器(Corded Ware)複合(CWC)は広範な地域に拡大し、東方ではタタールスタン、北方ではフィンランドの南部とスウェーデンとノルウェー、西方ではベルギーとオランダ、南方ではスイスとウクライナに達しました。その最東端の拡大であるファチャノヴォ文化(Fatyanovo Culture)は、有名なヨーロッパ東部のCWCで、ヨーロッパロシアの広範な地域に拡大し、畜産とおそらくは穀物栽培を森林地帯にもたらしました。これまで、ファチャノヴォ文化に関してはわずか14点の放射性炭素年代が刊行されており、紀元前2750~紀元前2500(もしくは2300)年となります。文化の特徴的な埋葬習慣には、平らな土の墓に死者を安置することが含まれ、ほとんどは曲がっており、その側(男性ではおもに右側、女性では左側)には、副葬品として軸穴石製斧や燧石の道具や土器の容器が共伴します。

 ヤムナヤ文化の複雑な牧畜民は、EHGおよびコーカサス狩猟採集民(CHG)と系統を共有します。遺伝的研究で明らかになってきたのは、おもにヤムナヤ系統を有するCWC個体群は、アナトリア系統のヨーロッパEFとある程度の混合を示し、ヨーロッパ東部および北部の現代人集団と最も類似している、ということです。ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)は、現代のヨーロッパ中央部および北部において高頻度ですが、CWC個体群ではまだ低頻度で、その後すぐに急速に頻度が上昇しました(関連記事)。ヤムナヤ文化の拡大は男性に偏っていましたが(関連記事)、CWC個体群におけるアナトリア半島EF系統は、女性系統を通じてより多く得られています。

 本論文は、ヨーロッパ北東部の森林地帯における漁撈狩猟採集から食料生産への変化に伴う人口統計学的過程に光を当て、現在のロシアの西部における石器時代から青銅器時代の移行と関わる遺伝的変化を調べることが目的となります。ロシア西部からの28点の新たな放射性炭素年代が追加され、狩猟採集民とファチャノヴォ文化農耕民の遺伝的類似性が特徴づけられます。研究の一環として、完新世にヨーロッパの他地域で見られる大きな人口移動がこの地域に影響を与えたのかどうか、また与えたとしてどの程度だったのか、調べます。それは、ロシア北西部の住民の遺伝的系統は何だったのか、ファチャノヴォ文化集団はヨーロッパ東部草原地帯からの直接的な移住の結果だったのか、それともより西方のCWC集団と同様に関わるヨーロッパEF系統なのか、という問題です。さらに、考古学的証拠に示唆された、ヴォロソヴォ文化とファチャノヴォ文化の人々の間の潜在的な混合のような局地的過程に光を当てることも本論文の目的です。


●標本と考古学的背景

 現代のロシア西部とエストニアの18ヶ所の遺跡(図1)で発見された、48個体の歯根からDNAが抽出されました。DNA保存率が高かった30個体では10~78%の内在性DNAが得られ、汚染率は3%未満でした。これらの個体のショットガン配列により、平均ゲノム網羅率0.01倍以上2個体、0.1倍以上18個体、1倍以上9個体、5倍1個体(PES001)が得られました。提示されたゲノム規模データは、3個体(WeRuHG)が石器時代(紀元前10800~紀元前4250年頃)、26個体が青銅器時代のファチャノヴォ文化(紀元前2900~紀元前2050年頃)、エストニアの1個体が縄目文土器文化(紀元前2850~紀元前2500年頃)です。これらの個体のゲノムデータは、既知の古代および現代の人類集団とともに分析されました。

 放射性炭素年代測定の場合、石器時代の狩猟採集民が消費した川と湖の魚により、顕著なリザーバー効果が引き起こされるかもしれません。これは、人類の歯や骨から得られる放射性炭素年代が、実際の年代よりも数千年ではなくとも数百年古くなるかもしれません。残念ながら、特定の事例ごとにリザーバーの規模を推定するデータはまだありません。しかし、これは本論文の石器時代個体群に関して全体像を変えるものではありません。以下、本論文の図1です。
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●ロシア西部狩猟採集民の類似性

 まず、ロシア西部の石器時代狩猟採集民3個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体の多様性が評価されました。最古の個体(PES001)はmtDNAハプログループ(mtHg)U4で、これはヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)およびスカンジナビア半島狩猟採集民個体群で見られます。他の2個体のmtHgはT2とK1で、これは注目されます。なぜならば、農耕拡大前のヨーロッパ狩猟採集民ではmtHg-Uの頻度が群を抜いて最も高かったからです。しかし、mtHg-H11・T2も狩猟採集民個体群で見つかっており、ロシア西部2個体の系統(mtHg-T2a1b1・K1)の推定年代は、それぞれ11000±2800年前と22000±3300年前で、2個体の年代(8500~8300年前頃と6500~6300年前頃)に先行する可能性が高そうです。Y染色体ハプログループ(YHg)では、PES001とBER001がそれぞれR1a1b(YP1272)とQ1b1a(L54)で、両YHgともEHG個体群で以前に明らかになっています。

 次に、常染色体データを用いて、ロシア西部石器時代3個体(WeRuHG)が利用可能な古代および現代の集団と比較されました。主成分分析では、古代の個体群がユーラシア西部現代人に投影されました。主成分分析では、WeRuHGの3個体全員が、ヨーロッパ狩猟採集民勾配のEHGの端に位置する個体群とともにクラスタ化しました(図2A)。次に、ADMIXTURE分析を用いて、古代の個体群が世界規模の現代人標本に投影されました。K=3からK=18で計算されましたが、本論文はK=9について説明します。このKの水準は、最高の対数尤度値に達する10%超の実行でひじょうに類似した結果が得られる、最大の推定される遺伝的クラスタの数を有しました。分析の結果、WeRuHG個体群はEHGと最も類似しており、ほぼ、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)で最大化される構成要素(図2では青色)と、ロシア極東現代人(橙色)および古代コーカサス・イラン人(オリーブ色)で最も高頻度の構成要素のかなりの割合で構成されます(図2B)。以下、本論文の図2です。
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 次に、FST と外群f3およびD統計を用いて、他の関連する集団とWeRuHG の遺伝的類似性が比較されました。WeRuHG とEHGは、他の古代および現代の集団両方との遺伝的類似性において似ている、と明らかになりました(図3A)。一方、WeRuHG を後のファチャノヴォ集団と比較すると、WeRuHG は比較的より多くの遺伝的浮動を、EHG的集団、シベリア西部狩猟採集民、古代イラン人、シベリアの現代人集団と共有しているものの、ファチャノヴォ文化集団は、古代ヨーロッパおよび草原地帯集団と、近東とコーカサスとヨーロッパの現代人集団のほとんどと、より多くの遺伝的浮動を共有している、と明らかになりました(図3B)。

 より高い網羅率(5倍以上)の狩猟採集民個体PES001(紀元前10785~10626年頃)の遺伝的類似性が、ロシアの中石器時代狩猟採集民のうちより高い網羅率の3個体、つまりPES001、紀元前6773~紀元前5886年頃となるユヅニー・オレニ・オストロフ(Yuzhnyy Oleni Ostrov)遺跡の1個体(I0061)、紀元前9386~紀元前9231年頃となるシデルキノ(Sidelkino)遺跡の1個体(Sidelkino)と、ヨーロッパおよびシベリアのさまざまな地域の中石器時代および旧石器時代狩猟採集民との類似性の比較による外群f3統計を用いて、さらに調べられました(図2C)。

 ロシアの中石器時代3個体全員は、それぞれ1万年以内にヨーロッパロシアもしくはシベリアに居住していた個体群と最もよく類似しており、つまり、相互、シベリア西部新石器時代集団、シベリア南部中央のアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の1個体(アフォントヴァゴラ3)とです。これらに、同じ時間枠のヨーロッパ中央部の個体群が続きます。紀元前3万年以上前となる地理的に密接な旧石器時代のスンギール遺跡とコステンキ遺跡の個体群は、ヨーロッパ中央部の年代が近接した狩猟採集民よりも、ロシアの中石器時代個体群の方との共有が少なくなっています。またqpAdmを用いて、PES001 を、WHGとコーカサス狩猟採集民(CHG)もしくはシベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡の少年(Mal' ta 1)もしくはアフォントヴァゴラ3の混合としてモデル化が試みられましたが、3モデル全てが棄却されました。以下、本論文の図3です。
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●ファチャノヴォ文化個体群におけるEF系統

 青銅器時代のファチャノヴォ文化個体群では、mtHgがU5・U4・U2e・H・T・W・J・K・I・N1a、YHgがR1a1a1(M417)となり、ヨーロッパの他地域のCWC個体群でも見られます。YHgを充分な深度で決定できた6個体全ては、ヨーロッパで一般的なR1a1a1b1(Z283)ではなく、現在ではアジア中央部および南部に拡大しているR1a1a1b2(Z93)です。データ不足のため、より浅い深度のYHgの個体群がYHg-R1a1a1b2(Z93)の可能性も否定されません。

 主成分分析では、ファチャノヴォ文化の個体群(およびエストニアのCWC個体)は、多くのヨーロッパの後期新石器時代~青銅器時代(LNBA)および草原地帯の中期・後期青銅器時代個体群と、ヨーロッパ北部および東部の現代人の上部で密集します(図2A)。この古代のクラスタは、ヤムナヤ文化集団を含む草原地帯の前期・中期青銅器時代集団と比較して、アナトリア半島およびヨーロッパの初期農耕民(EF)の方へと移動しています。同じことはADMIXTURE分析でも見られ、ファチャノヴォ文化個体群はヨーロッパ中央部とスカンジナビア半島とバルト海地域東部のLNBA系統集団と最も類似しています(図2B)。これらの集団は、ヤムナヤ文化集団と同様に、WHG(青色)および古代コーカサス・イラン(オリーブ色)構成要素と、少ないロシア極東(橙色)構成要素から成ります。しかし、ファチャノヴォ文化集団を含むヨーロッパのLNBA集団は、ロシアのヤムナヤ文化集団には存在しない、アナトリア半島およびヨーロッパEF集団(薄緑色)で最高頻度の構成要素も示します。

 異なる集団のFST・外群f3統計・D統計の結果の比較により、ファチャノヴォ文化個体群の類似性が調べられ、ファチャノヴォ文化集団はヤムナヤ文化サマラ集団よりも、EF集団および近東現代人の方とより多くを共有している、と明らかになりました(図3C)。この兆候は、より少ない一塩基多型を有するデータセットの常染色体の代わりに、124万のデータセットからの常染色体もしくはX染色体を用いても見られます。ヤムナヤ文化サマラ集団とファチャノヴォ文化集団の類似性もD統計で比較され、ファチャノヴォ文化集団はヤムナヤ文化サマラ集団よりもほとんどのEF集団と有意に類似しており、同様に、ヤムナヤ文化サマラ集団は、ファチャノヴォ文化集団よりもほとんどの草原地帯集団の方と有意に類似していました。混合f3統計を用いてファチャノヴォ文化集団におけるEF系統の流入がさらに調べられ、さまざまなヤムナヤ文化集団と広範なEF集団との間の混合に関して有意な結果が得られました。さらに、ファチャノヴォ文化集団とヨーロッパ中央部CWC集団に関してf3統計とD統計の結果を比較すると、さまざまな古代人もしくは現代人集団との類似性に明確な違いはありません(図3D)。

 以前の分析では、ファチャノヴォ文化個体群の遺伝的構成は移住してきたヤムナヤ文化個体群と同時代のヨーロッパ集団との間の混合の結果と示唆されていたので、2つの補完的方法(qpAdmおよびChromoPainter/NNLS)を用いて、混合集団の適切な代理と混合割合が決定されました(図4)。サマラもしくはカルムイク(Kalmykia)のヤムナヤ文化集団と多様なEF集団を含むqpAdmモデルを検証すると、両方のヤムナヤ文化集団と最高のP値を有する2つのEF集団は、球状アンフォラ(Globular Amphora)文化とトリポリエ(Trypillia)文化です。混合割合は、ヤムナヤ文化サマラ集団(65.5%)と球状アンフォラ文化集団(34.5%)もしくはヤムナヤ文化カルムイク集団(66.9%)と球状アンフォラ文化集団(33.1%)と、ヤムナヤ文化サマラ集団(65.5%)とトリポリエ文化集団(34.5%)もしくはヤムナヤ文化カルムイク集団(69.6%)とトリポリエ文化集団(30.4%)です。この割合は、ヨーロッパ中央部およびバルト海地域のCWC集団(69~75%のヤムナヤ文化集団と25~31%のEF集団)と類似しています。

 ヴォロソヴォ文化狩猟採集民1個体(BER001)を「正しい」集団に追加して、ヴォロソヴォ文化集団とファチャノヴォ文化集団との間の共有される浮動があるのかどうか、これら4モデルが検証されました。これにより、この浮動なしの混合集団を有するモデルが却下されます。4モデル全ては依然として却下されず、ヴォロソヴォ文化集団の寄与はファチャノヴォ文化集団のモデル化に必要ない、と示唆されます。ChromoPainter/NNLSパイプラインを用いての系統割合の結果は、ファチャノヴォ文化集団に関してはヤムナヤ文化サマラ集団37・38%と球状アンフォラ文化集団63・62%で、ヨーロッパ中央部およびバルト海地域CWC集団に関してはヤムナヤ文化集団51~60%とEF集団40~49%です。両方とも他集団と比較してファチャノヴォ文化集団でEF系統の推定される割合がより高いものの、その違いはモデルでトリポリエ文化集団とのみ有意です。qpAdmは集団間の混合を計算しますが、ChromoPainter/NNLSはソースとして単一の個体群のみを用いており、結果に影響を及ぼすかもしれないことに注意が必要です。

 ヤムナヤ文化集団とEF集団との間の2方向の混合は、ファチャノヴォ文化集団の遺伝的多様性の説明に充分ですが、狩猟採集民集団が追加されたqpAdmモデルも、EHGとWeRuHGとヴォロソヴォ文化では却下されません。ファチャノヴォ文化集団は、60~63%のヤムナヤ文化サマラ集団と33~34%の球状アンフォラ文化集団と3~6%の狩猟採集民集団の混合としてモデル化できます。この結果は、2~11%の狩猟採集民系統を有するヨーロッパ中央部およびバルト海地域のCWC集団と類似していますが、ヨーロッパ中央部のCWC集団の起源としてヴォロソヴォ文化集団は除きます。以下、本論文の図4です。
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 DATESを用いて、ファチャノヴォ文化集団を形成するヤムナヤ文化集団とEF集団の混合が、ヤムナヤ文化サマラ集団と球状アンフォラ文化集団との組み合わせでは13±2世代前、ヤムナヤ文化サマラ集団とトリポリエ文化集団との組み合わせでは19±5世代前と推定されました。1世代25年でファチャノヴォ文化個体群の平均較正年代が紀元前2600年頃とすると、混合は紀元前3100~紀元前2900年頃に起きたことになります。

 次に、ファチャノヴォ文化集団と他のCWC集団(ヨーロッパ中央部およびバルト海地域)との間の類似性における潜在的な違いが調べられ、1方向qpAdmモデルでは、ファチャノヴォ文化集団とヨーロッパ中央部CWC集団、もしくはヨーロッパ中央部CWC集団とバルト海地域CWC集団の同一性が却下できないので、これらの集団は相互に類似している、と明らかになりました。一方、集団内の混合割合にはかなりの変異があり、主成分分析(図2)とADMIXTUREで示され、ファチャノヴォ文化集団における球状アンフォラ文化系統が4~47%(図4B)、他の2集団における球状アンフォラ文化系統が7~55%を示す、個体ごとのqpAdmモデルにより確認されます。第二主成分構成(PC2軸)、もしくは個体のqpAdm系統割合および構成された放射性炭素年代を用いて、系統の変動が時間と相関するのかどうか、検証されました。その結果、ファチャノヴォ文化集団において時間と系統割合の間には相関がないものの、PC2軸を用いてのバルト海地域CWC集団と、qpAdm系統割合を用いてのヨーロッパ中央部およびバルト海地域両方のCWC集団におけるより多くのEF系統への有意な変化はある、と明らかになりました。

 さらに、ファチャノヴォ文化集団において、エストニアやポーランドやドイツのCWC個体群で以前に見られた性的に偏った混合の存在(関連記事)が確認されました。まず、常染色体とX染色体の外群f3結果が比較されました。不等分散を仮定した2標本両側検定では、EF集団の平均f3値が、X染色体ではなく常染色体に基づく狩猟採集民と草原地帯系統集団のそれよりも有意に低い、と示されました。次に、qpAdmおよび常染色体と同様に同じモデルを用いてのX染色体の混合割合が計算されました。常染色体データ(ヤムナヤ文化サマラ集団と球状アンフォラ文化集団もしくはトリポリエ文化集団)4モデルのうち2モデルのみが、X染色体の一塩基多型の利用可能な数が少ないため、有意なP値をもたらしました。信頼区間はトリポリエ文化集団ではひじょうに広かったものの、X染色体のデータは、ファチャノヴォ文化集団における40~53%の球状アンフォラ文化系統を示し、常染色体データを用いて推定された32~36%とは対照的です。性的に偏った混合は、ファチャノヴォ文化2個体におけるmtHg-N1aでも裏づけられます。mtHg-N1aは、線形陶器文化(Linear Pottery Culture、Linearbandkeramik、略してLBK)のEF集団では高頻度ですが、ヤムナヤ文化個体群ではこれまで見られません。また、全男性がYHg-R1a1a1(M417)で、これは草原地帯からの移住後にヨーロッパに出現します。

 最後に、READを用いて、ファチャノヴォ文化標本における密接に関連した個体が調べられました。二親等もしくはより密接な近縁関係の確認された事例はありませんが、二親等の関係は、いくつかの組み合わせでは除外できません。それは、推定の95%信頼区間が浸透の関係性の閾値の95%信頼区間と重なっているからです。


●ロシア西部における表現型に有益なアレル頻度変化

 食性(炭水化物や脂質やビタミン代謝)や免疫(病原体や自己免疫や他の疾患への反応)や色素沈着(目や髪や肌)と関連する、113個の表現型の情報をもたらす遺伝子型が推定されました。本論文と以前に刊行されたバルト海地域東部の個体群が、比較のために用いられました。それは、ロシア西部石器時代3個体(WeRuHG)、ラトビアの狩猟採集民5個体、エストニアとラトビアのCWC集団7個体、ファチャノヴォ文化集団24個体、エストニアの青銅器時代10個体、エストニアの鉄器時代6個体、イングリアの鉄器時代3個体、エストニアの中世4個体です。本論文では、色素沈着(39ヶ所の一塩基多型)、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連するMCM6遺伝子(rs4988235およびrs182549)、脂肪酸代謝と関連するFADS1-2遺伝子(rs174546T)と関連する多様体に焦点が当てられます。

 標本規模が小さいので、結果は慎重に解釈されねばなりませんが、調べられたWeRuHG個体群が、茶色の目、濃褐色から黒色の髪、中間もしくは濃い肌の色素沈着と関連するアレル(対立遺伝子)を有していた一方で、ファチャノヴォ文化個体群の約1/3は青い目および/もしくは金髪を有していました。さらに、LPと関連する2個のアレルの頻度は、WeRuHG個体群では0%、本論文の分析に基づくファチャノヴォ文化個体群では17±13%で、同じ時期のバルト海東部地域集団と類似しているものの、バルト海東部地域では後期青銅器時代までに40%と顕著に増加しました。一方、血清におけるコレステロールの増加と関連するアレル(FADS1-2遺伝子のrs174546T)は、バルト海地域東部およびロシア西部の狩猟採集民における90%から、バルト海地域東部の後期青銅器時代個体群では45%と顕著に減少しました。これは、代替的なアレルCの増加が観察された以前の研究でも示されています。この変化は、高コレステロールへの負の選択の兆候か、あるいはこのアレルのより低い頻度の集団からの移住の結果かもしれません。


●考察

 最終氷期の後、紀元前一万年紀末と紀元前九千年紀初めに、バルト海地域東部とフィンランドとロシア北部の広大な地域は、狩猟採集民集団により比較的早く移住されました。バルト海地域東部とヨーロッパロシアにおけるいくつかの地点に起源がある燧石と、石器および骨器技術と人工物の類似性から、最終氷期後のヨーロッパ東部および北部の森林地帯における広範な社会的ネットワークの存在が示唆されます。これは、ポーランド東部からヨーロッパロシア中央地域にかけての旧石器時代最終期の狩猟採集民がこの過程に加わり、その起源とつながったまま、やや延長された社会的ネットワークを作った、という仮説につながります。

 しかし、ほとんど地元の石材で石器を製作したことから分かるように、これらのつながりは数世紀後に終わり、新たな地理的により小さい社会単位が、紀元前九千年紀半ばに出現しました。この地域の古代DNA研究には、紀元前八千年紀もしくはより新しい年代の中石器時代個体群が含まれており、上述のように、バルト海地域東部のヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とロシア北西部のヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)という、2つの遺伝的集団が明らかにされてきました。しかし、これまで移住期の人類のゲノムは刊行されておらず、その遺伝的系統については議論の余地があります。

 本論文で提示された紀元前10700年頃の網羅率5倍の個体(PES001)は、移住期に近い年代のロシア北西部におけるEHG系統の証拠を提供します。これは次に、バルト海地域東部の最初の人々の系統に関する問題を提起します。バルト海地域東部の最初の人々は、移住期における2地域の共有された社会的ネットワークにより示唆されるように、EHG系統を有していましたか?後のWHG系統の人々の流入は、考古学的物質の変化を伴っていませんでしたが、あるいは、WHG系統の人々は最初からバルト海地域東部に居住しており、類似の文化を共有する異なる系統を有する集団の事例を表していますか?これらの問題は、将来の研究により解明されるかもしれません。

 ファチャノヴォ文化の形成は、ヨーロッパ東部森林地帯のそれ以前の狩猟漁撈採集文化およびその集団と生活様式に影響を及ぼした、主因の一つです。ファチャノヴォ文化の人々は、この地域における最初の農耕民で、農耕文化の到来は移住と関連していました。これは、石器時代狩猟採集民と青銅器時代ファチャノヴォ文化個体群が遺伝的に明確に区別できるように、本論文の結果により裏づけられます。本論文における狩猟採集民の標本規模は小さいものの、3個体は以前に報告されたEHG個体群と遺伝的に均質な集団を形成し、新たに報告された1個体(PES001)は、これまでで最高の全ゲノム配列網羅率で、将来の研究に貴重な情報を提供します。

 さらに、他のCWC集団と類似したファチャノヴォ文化個体群は、ほぼ草原地帯系統を有するだけではなく、この地域では以前に存在しなかったEF系統もいくぶん有しているので、ファチャノヴォ文化集団の起源として、草原地帯系統のみのヤムナヤ文化集団の北方への移住は除外されます。考古学的物質におけるファチャノヴォ文化の最も強いつながりは、現在のベラルーシとウクライナに広がったドニエプル川中流文化で見られます。現在のウクライナでは、ヨーロッパのEF系統を有する最も東方の個体群と、最も西方のヤムナヤ文化個体群が、既知のゲノムデータに基づいて確認されます(図1)。

 さらに考古学的知見からは、LBK(線形陶器文化)がウクライナ西部に紀元前5300年頃に到達し、ヤムナヤ複合(墳丘墓)はヨーロッパ南東部に紀元前3000年頃に到達し、ルーマニアとブルガリアとセルビアとハンガリーにまでさらに拡大した、と示されます。これは、一方の混合起源集団としてロシアのヤムナヤ文化2集団(カルムイクもしくはサマラ)のどちらかの系統を有する、ファチャノヴォ文化集団の妥当な混合起源集団と証明された2集団が、ウクライナとポーランドの個体群を含む球状アンフォラ文化集団と、ウクライナの個体群で構成されるトリポリエ文化集団だった、という本論文の遺伝的結果と一致します。これらの知見は、現在のウクライナが、ファチャノヴォ文化と一般的な縄目文土器文化の形成につながる移住起源地だった可能性を示唆します。

 ヨーロッパロシアにおけるファチャノヴォ文化の出現およびその後の局所的過程に関わる正確な年代と過程も、不明確なままです。最近まで、ファチャノヴォ文化は他のCWC集団よりも遅く、長い期間に発展した、と考えられてきました。しかし、最近刊行された放射性炭素年代は、本論文で提示された新たな25点の年代と、本論文で調べられたファチャノヴォ文化個体群におけるヤムナヤ文化集団とEF集団との(ファチャノヴォ文化個体群から)300~500年前頃の混合との推定とを組み合わせると、より速い過程が示され、CWC集団がバルト海地域東部およびフェノスカンジア南部に到達した年代と類似しています。考古学的文化は、地域間で明確に区別されます。

 さらに、ファチャノヴォ文化集団はヨーロッパロシアに到来後、在来のヴォロソヴォ文化狩猟採集民と混合した、と示唆されてきました。本論文の結果はこの仮説を裏づけません。それは、他の2つのCWC集団と比較して、ファチャノヴォ文化集団においてより多くの狩猟採集民系統が明らかにならなかったからです。このファチャノヴォ文化集団と他の2つのCWC集団は、却下されない一方向qpAdmモデルにより類似していると示され、主成分値もしくはqpAdmの系統割合と放射性炭素年代を相関させると、本論文の標本群の期間におけるファチャノヴォ文化集団の系統割合に変化はない、と明らかになります。

 ロシア西部とバルト海地域東部におけるアレル頻度変化は、両地域における類似のパターンを明らかにします。LP(乳糖分解酵素活性持続)と関連するMCM6遺伝子および血清におけるコレステロールの増加と関連するFADS1-2遺伝子の頻度変化は、新石器時以降の食性変化に起因して変わってきた、との仮説が提示されてきており、青銅器時代に顕著に変わりましたが、変化の最初の兆候はすでに新石器時代に見られます。最近のLPに関する研究(関連記事)と一致して、最初の草原地帯系統標本群におけるrs4988235Aアレルの低頻度(90%信頼区間では、最近の研究で0~2.7%、本論文で0~33.8%)が明らかになりました。これが示唆するのは、以前の研究で示唆されてきたように(関連記事)、これらのアレル頻度の経時的変化は複雑で、いくつかの環境要因と遺伝的力学が関わっているかもしれない、ということです。


参考文献:
Saag L. et al.(2021): Genetic ancestry changes in Stone to Bronze Age transition in the East European plain. Science Advances, 7, 4, eabd6535.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abd6535

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