楊海英『内モンゴル紛争 危機の民族地政学』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2021年1月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は地政学的観点から、モンゴルと中国との関係を検証していきます。本書は、アジア内陸部を含むユーラシア中央部が、人類史において大きな役割を果たしてきた、と指摘し、アジア内陸部でも農耕地帯と接する内モンゴル(モンゴル南部)の重要性を強調します。漢字文化圏の日本では伝統的に、漢字文献が豊富にある「中国」を重視し、アジア内陸部も含めてユーラシア中央部(内陸部)の歴史的役割が軽視され、さらには漢字文献に見えるアジア内陸部への偏見も多分に受け継がれてきたように思います。こうした状況は、日本の研究者の一連の一般向け書籍により変わってきつつあるように思いますが、まだアジア内陸部への過小評価や偏見には根強いものがあるように見えます。その意味で、本書の意義は小さくないでしょう。

 ユーラシアにおける影響力拡大を意図している中国にとって、内モンゴルはユーラシア内陸部への侵出の足掛かりとなる重要地域なので、その安定した統治が必要となります。内モンゴルの地政学的重要性を強調する本書は、内モンゴルが国際情勢に翻弄されたことを指摘します。内モンゴルの動向にとくに大きな影響を与えたのは、ダイチン・グルン(その後は中華民国)、ロシア(その後はソ連)、日本といった周辺大国でした。このうち、第二次世界大戦後に日本が敗戦により脱落し、中華民国から中華人民共和国(共産党政権)へと交代して、中国とソ連の狭間で内モンゴルは翻弄されます。

 モンゴルは冷戦期に、北部がソ連の事実上の衛星国家ながら一応は独立国家だったのに対して、南部は内モンゴルとして中華人民共和国の支配下に置かれました。同じ民族ながら北部とは異なる国家に支配されたモンゴル南部に対する中華人民共和国支配層の視線は、その民族主義的傾向や漢字文化圏における伝統的な遊牧世界への蔑視もあり、たいへん厳しいものでした。そこへ中ソ対立が激化していったので、内モンゴルに対する中国共産党政権の視線はさらに厳しくなりました。本書は、内モンゴルが中華人民共和国に支配されて以降、文革期を中心に過酷な弾圧があったことを指摘します。

 本書は、ダイチン・グルン期に始まった、漢人(中国人)による内モンゴルの破壊を批判します。それは自然環境の側面では、農耕に適さず、遊牧が行なわれてきた草原で漢人入植者が農耕を始めて、環境破壊が進んだことです。これは、遊牧が農耕よりも劣って遅れている、との漢人側の根強い偏見のためだった、と本書は指摘します。これと強く関連しているというか、同根の問題が、昨年(2020年)以降大きな問題となっているモンゴル語教育の減少など、モンゴル文化の抑圧です。これらの内モンゴル抑圧は中華人民共和国だけの問題ではなく、前近代の中華文化から継承されてきたモンゴル文化への偏見だった、というのが本書の見通しです。

 著者は内モンゴルで迫害されているモンゴル人なので、他の著書と同様に、本書も中華人民共和国(共産党政権)を厳しく糾弾する論調となっています。本書も誇張したり偏ったりしているところはあるかもしれませんが、内モンゴルを地政学的観点で位置づけ、内モンゴルを支配する中国や周辺諸国との関わりで解説する構成は興味深いものだと思います。その他に、私も小学生の頃に教科書で読んだ『スーホの白い馬』が、中国共産党政権の「階級闘争論」の影響を受けており、モンゴル人の視点からは、モンゴルの歴史を実態以上に貶めている問題のある内容になっている、とのオリエンタリズム批判の観点からの指摘も興味深いものです。

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