『卑弥呼』第63話「別の神話」

 『ビッグコミックオリジナル』2021年6月5日号掲載分の感想です。前回は、弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)ら到着したヤノハとチカラオを、事代主(コトシロヌシ)が出迎えるところで終了しました。今回は、日下(ヒノモト)の都(纏向遺跡でしょうか)でトメ将軍とミマアキがモモソと名乗る女性と面会している場面から始まります。モモソがトメ将軍とミマアキの長旅を労うと、山社の繁栄に感嘆した、とトメ将軍は言います。モモソは、現在都には自分しかおらず、疫病神(エヤミノカミ)に負けた、と打ち明けます。王や豪族や民がどこにいるのか、トメ将軍に尋ねられたモモソは、難を逃れた北に移った、と答えます。一人で残って何をしているのか、ミマアキに尋ねられたモモソは、鬼と戦っており、木々に吊るした金(カネ)の楽器(銅鐸と思われます)は鬼を追い払う道具と説明します。桃の園と地面に盛られた大量の桃の種についてトメ将軍に尋ねられたモモソは、筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の方々なら知っているだろうが、伊弉諾(イザナギ)様が黄泉の国でお使いになった鬼返しの禁厭(マジナイ)だ、と答えます。ミマアキは、黄泉比良坂(ヨモノヒラサカ)で桃の実を鬼に向かって投げた、という話をすぐに想起します。

 サヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の子孫なのか、ミマアキに問われたモモソは、自分の父であるフトニ王はサヌ王から数えて8代目と答えます。フトニ王とは、『日本書紀』の大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト)、つまり第7代孝霊天皇のことと思われ、その娘に倭迹迹日百襲姫命がいますが、本作ではサヌ王から数えて8代目とされています。トメ将軍は、自分たちの旅の目的が、日下の王は代々、いつか筑紫島に戻り征服したいと考えていると言い伝えられており、筑紫島の人々はそれを信じて恐れていることについて、サヌ王の末裔に真相を尋ねることにある、とモモソに説明します。するとモモソは微笑を浮かべ、3代前のカエシネ王まではそのような野心があったと聞いているが、今の我々はひたすら倭国泰平を望むのみだ、と答えます。モモソの返答を聞いて、ミマアキは安心して感心したような表情を浮かべますが、トメ将軍はモモソの真意を探るような表情をしています。カエシネ王とは、『日本書紀』の観松彦香殖稲天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト)、つまり第5代孝昭天皇のことと思われます。筑紫島のどこから来たのか、とモモソに尋ねられたトメ将軍とミマアキは、それぞれ那(ナ)国と山社(ヤマト)国だと答えます。その返答を聞いて頷くモモソを、トメ将軍は注意深く観察しているようです。山社を国としたことにサヌ王の末裔であるモモソがどう考えているのか、気になっているのでしょうか。

 弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)では、事代主(コトシロヌシ)とヤノハが嵐のなか、館で面会していました。部屋には熊の皮と思われる敷物が二つ用意されており、どちらに座ればよいのか、ヤノハに問われた事代主は、出雲の神は西方にいるので自分は東に座ると答え、ヤノハは西側に座ります。天照様はお日様の化身ゆえ東にいるが、大穴牟遅神(オオアナムチノカミ)はなぜ西にいるのか、とヤノハに問われた事代主は、日の沈む場所にある深い穴、黄泉の国にいるからだ、と答えます。大穴牟遅は「死」を起点に人を統べる神で、「生」を起点に人を治める天照とは正反対の存在なので、両者はまったく別の神話だ、と事代主はヤノハに説明します。筑紫島では、出雲は伊弉冉命(イザナミノミコト)が身罷った地で、その後、母を慕って須佐之男命(スサノオノミコト)が黄泉の国に降ってその地を支配した、と伝えられています。しかし、出雲の言い伝えには伊弉諾や伊弉冉や須佐之男という神はいない、と事代主は説明します。それを聞いたヤノハは、面白い、と言います。すると事代主は、同じ神を信奉しているのに、筑紫島の日見子(ヒミコ)、つまりヤノハと日下の日見子では随分反応が違う、と言います。日下にも日見子がいることに驚くヤノハに、山社の日見子は自分に、大穴牟遅命を須佐之男命の娘婿という設定に変えるよう命じてきた、と事代主は説明します。それは、須佐之男の姉である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が最高神ということで、神の地位を譲れとは当然国も譲れということだ、と事代主はヤノハに説明したうえで、筑紫島の日見子殿(ヤノハ)は大穴牟遅命をどうしたいのか、と尋ねます。

 事代主はヤノハに、日下は戦好きで残虐な国だ、と言います。倭には八百万の神がおり、神々は互いに何の関係もないのに、日下はそれらの神を全て天照大御神の下に統合するよう強制する、というわけです。各土地に伝わる神々の言い伝えを意図的に歪めているのですかね、というヤノハに事代主は、そればかりか、他国の王や民を土蜘蛛(ツチグモ)と呼びさげすんでいる、と説明します。日下にはかつて鳥見という国があり、鳥見一族は饒速日という神を奉っていたが、サヌ王はこの神を天照様より下位の神と認めさせ、謀反の代償として鳥見の戦人100名の供御を要求した、と事代主はヤノハに説明します。ヤノハも、やはり饒速日のことを知りませんでした。事代主はヤノハに、自分たちの神(大穴牟遅)をどうしたいのか、と再度尋ねます。するとヤノハは、互いが互いの神を敬えばよいこと、と答え、事代主は笑顔を浮かべます。

 日下の都では、トメ将軍がモモソに、倭から全ての戦をなくそうとしているのは我々の日見子様も同じ考えだ、とモモソに説明し、それならば和議も夢ではない、とミマアキは言います。サヌ王は日下の地をどのように手に入れたのか、トメ将軍に問われたモモソは、日下の説明から始めます。日下は河内湖(カワチノウミ)の広大な干潟で、胆駒山(イコマヤマ)の麓の邑で、サヌ王はその地を所望したが、そこは鳥見国(トミノクニ)の領地で、鳥見には猛々しい戦人がおり、「屈強な足腰の男」を意味する「長脛(ナガスネ)」と呼ばれる人たちがいて、サヌ王は鳥見を落とせず30年の年月が流れました。トメ将軍は、「長い脛」が勇者の代名詞か、と得心したように言います。これが後に長髄彦と伝えられたのでしょうか。鳥見の民はどのような神を信仰していたのか、と問われたモモソは、良い問いだ、と言います。鳥見は饒速日(ニギハヤヒ)なる神を敬っていた、とモモソは答えますが、トメ将軍もミマアキも饒速日を知りません。饒速日は天照様と同じくお日様の化身だ、と説明するモモソに、なんたる偶然、とトメ将軍は言います。長い戦で双方疲れ果てた時、鳥見の巫女である鳥見屋媛(トミヤヒメ)は、饒速日が元々は天孫に付き従って降臨した神だったのではないか、と気づきました。つまり、同じお日様の化身ではあるものの、天照様より下位の神だったはずで、ならば、鳥見国は天照様の直系であるサヌ王に従わねばならない、というわけです。サヌ王は鳥見屋媛と和議を結んだわけですね、とミマアキに問われたモモソは、鳥見屋媛は無条件でサヌ王に降伏した、と答えます。そう答えるモモソを、トメ将軍は注意深く観察しているようです。

 トメ将軍はモモソに、自分たちが戦人であることをお忘れか、と問いかけます。何を言いたいのか、とモモソに問われたトメ将軍は、先ほど都には自分しかいないとモモソは言ったが、何者かがこの屋敷を囲んでいることに儂がきづかないと思うのか、と問い返します。さらにトメ将軍は、モモソの話にはいくつかの偽りが混じっている、と指摘します。トメ将軍がそれに気づいたのは、ミマアキが山社国から来たと言った時でした。サヌ王の時代、山社は国ではなく「聖地」でした。モモソが何も知らないならそのことに疑問を呈したはずなので、そうしなかったのは、すでに何者かに自分たちのことを聞かされていたのだ、とトメ将軍はモモソに指摘します。それが誰なのか、モモソに問われたトメ将軍は、日見子様を敵視する古の一族の一人であるトモ殿だ、と答えます。するとモモソは、自分がトメ将軍とミマアキを見くびっていた、と打ち明けます。さらにトメ将軍が、モモソこそ日下の日見子ではないのか、とモモソに問い詰めるところで、今回は終了です。


 今回は作中の重要な情報が明かされ、たいへん楽しめました。事代主は、互いの神を尊重する、というヤノハの考えに満足したようで、ヤノハと協力して疫病対策と倭の泰平に力を尽くす考えではないか、と推測されます。しかし、ヤノハは事代主に倭国のことを託して姿を消すつもりですから、今後具体的に山社国を中心とした筑紫島の勢力が出雲とどう協力関係を築いていくのか、まだ山場を超えていないようにも思います。日下とモモソについては、今回かなり作中設定が明かされました。ミマアキは山社のモモソを、穏やかで理知的な人物で信頼できると考え始めていたようですが、トメ将軍は途中からかなり警戒していたようで、ここは、若く未熟なミマアキと、経験豊富なトメ将軍との対比がよく描かれていたように思います。事代主の話と合わせて考えると、日下は今でも倭国統一を志向する野心的で好戦的な国のようです。それが、疫病の流行により逼塞せざるを得なくなったのでしょうが、その潜在的な危険性は変わっていないのでしょう。山社国と日下との関係が、今後の話の中心となりそうです。記紀神話からは、かつてサヌ王が筑紫島の王たちに、お前たちの歴史を全て我々勝者の歴史に塗り替えると宣言したように(第37話)、日下に都合よく歴史・神話が書き換えられたようです。しかし、日下の重要な祭祀具である銅鐸はその後伝えられておらず、記紀の頃にはすっかり忘れ去られていたようですから、単に日下の勢力が後に倭国を統一した、という設定でもないようです。これまで、記紀説話を上手く取り入れた話が展開しているので、今後どのように記紀説話と整合的な話が語られていくのか、たいへん楽しみです。

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