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古代史研究者の若井敏明氏

2009/07/04 00:00
 著作・論文等を読んだことはまったくないのですが、古代史研究者の若井敏明氏が気になります。若井氏は関西の私立大学の講師のようです。
http://oc-academy.com/rekisi/kodaisi.html

 私が若井氏の存在を知ったのは、『史学雑誌』の「2006年の歴史学界―回顧と展望―」(『史学雑誌』第116編第5号)を読んだときのことなのですが、そこでは若井氏の論考が以下のように酷評されていました(P39、該当項目の執筆者は佐藤長門氏)。以下、引用では漢数字を算用数字に改め、省略された書名は省略せずに表記しました。

 若井敏明「古代日本の形成における暴力の問題についての覚書」(『日本史の方法』3)は5世紀までを軍事統一と内部抗争の歴史と捉え、古代国家の暴力的性格を強調するが、史料批判もせずに神武東征などを事実とする姿勢は歴史学の自殺行為に他ならない。同「記紀神話の原像とヤマト王権の起源」(『日本書記研究』27)は神話を用いたヤマト王権の統一過程の追及を標榜するが、内容的には神話分析にとどまる。史実性が乏しい神話は記紀編纂段階の理想像を示しているにすぎず、そこから具体的史実をみようとするのは方法論的誤謬。

 近年の「回顧と展望」で取り上げられる論考・著書で、ここまで酷評されるものは珍しいので、強く印象に残っています。その若井氏の論考は、「2008年の歴史学界―回顧と展望―」(『史学雑誌』第118編第5号)でも取り上げられました(P40、該当項目の執筆者は松木俊曉氏)。

 なお、若井敏明「河内における県の展開」(『鷹陵史学』34)は、県を朝廷への貢納機関と規定。大和王権の河内進出に伴い、王族出身の県主をいただく県を設置したと推測。同「古代日本の形成における暴力について」(『構造と原理』)も、記紀の所伝から、大和王権が武力によって地方勢力を制服・統合したと見る。両者とも「史料」を使わない研究を批判して確信犯的に記紀の所伝をそのまま根拠としているが、逆に史料として生かす何らの方法論も用いないのは本末転倒。

 ここでも、「2006年の歴史学界―回顧と展望―」ほどではないにしても、厳しい評価をくだされています。若井氏は、座談会で「神武天皇不在論は科学的か」との発表もしているようで、そうしたあたりが、他の古代史研究者から批判される原因になっているのかもしれません。私は今でも日本古代史に興味をもっているものの、以前よりも優先順位が下がっているので、若井氏の論考を今すぐ取り寄せて読もうという気にはなりませんが、これだけ酷評されている論考だと、本当に酷評に値する論考なのかとかえって興味を持ちますから、いつかは読んでみようと思っています。


参考文献:
『史学雑誌』第116編第5号(2007年)

『史学雑誌』第118編第5号(2009年)
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アフリカ人の祖先と多様性

2009/07/03 00:00
 アフリカ人の祖先とその多様性についての研究(Tishkoff et al., 2009)が公表されました。この研究では、アフリカ人・アフリカ系アメリカ人・非アフリカ人の遺伝的多様性が比較されました。その結果、現代アフリカ人は14の祖先集団から進化し、それは文化・言語的分類と合致していたことが分かりました。また、ほとんどの集団には高水準の混合が認められ、アフリカ大陸で移住が繰り返されたことを反映している、と考えられます。アフリカ系アメリカ人は、アフリカ西部のニジェール−コルドファン語族(〜71%)・ヨーロッパ系(〜13%)・他のアフリカ系(〜8%)集団に由来することが分かりました。

 この研究から、アフリカ人およびアフリカ系アメリカ人の進化史に関する情報を得られただけでなく、遺伝疫学など異なる分野の多数の研究にとっても、基盤となる情報を得ることができた、と言えそうです。今後、さらに規模を拡大してこのような研究が進めば、非アフリカ系集団も含めて人類史のより詳細な復元が可能になりそうで、大いに期待されます。


参考文献:
Tishkoff SA. et al.(2009): The Genetic Structure and History of Africans and African Americans. Science, 324, 5930, 1035-1044.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1172257
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福島正樹『日本中世の歴史2 院政と武士の誕生』

2009/07/02 00:10
 吉川弘文館より2009年6月に刊行されました。政治史を中心に中世初期の様相が概観され、院政を中世的な政治体制とする現在の通説にしたがった叙述となっています。荘園についての説明が少ないのが残念ではありますが、意図的に政治史中心の叙述にしたということなので、仕方のないところでしょう。全体的に、近年の研究成果を取り入れてよくまとまった概説書になっていると思います。院政を古代国家最後の政治形態とする歴史認識が戦後日本では浸透していましたが、現在では否定されています。しかし、現在でも一般的にはそのような歴史認識が根強いのかもしれませんから、その意味でも本書の意義は低くないだろう、と思います。

 本書では、最後のほうで鎌倉幕府成立の歴史的意義について少しだけ触れられ、鎌倉幕府成立の偶然性を指摘した見解も紹介されています。そうならば、藤原師通と堀河天皇が若くして死亡したことが、院政という政治形態の定着にかなりの影響を及ぼしているようにも思われるので、院政の偶然性にも言及があってよかったように思います。
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竜骨坡化石の見直し

2009/07/01 00:00
 人類とされてきた竜骨坡化石の見直しを提言した見解(Ciochon., 2009)が報道されました。重慶市巫山県竜骨坡遺跡で1985年に発見された顎と歯の化石は、『ネイチャー』での論文(Wanpo., 1995)にて人類のものとされ、議論となりました。この論文の筆者の一人であるラッセル=ショホーン博士は、竜骨坡化石はホモ=ハビリス(ハビリスをアウストラロピテクス属とする見解もあります)であり、エレクトスは通説で言われているようにアフリカで進化してアジアに進出したのではなく、東アジアで進化して西方に進出したのではないか、とも考えていました。また、竜骨坡化石の推定年代は204万年前頃ではないか、との見解が近年になって提示されており、人類中国起源説の重要な根拠ともされていました(関連記事)。

 しかし、その後に竜骨坡化石は類人猿ではないのか、と指摘した見解が相次いで提示されたことと(Wu., 2000、Etler., 2001)、自らアジア東南部の類人猿化石を多数調査したことを踏まえて、竜骨坡化石はどの種に属するか未定ではあるものの類人猿だ、とショホーン博士は見解を変更しました。おそらくこの見解は妥当なもので、竜骨坡化石は人類の系統には属さないのでしょう。人類中国起源説は世界的にはほとんど相手にされていないとはいえ、中国では未だに根強く浸透しているようです。したがって、ショホーン博士の見解の変更の意義は、中国では小さくないように思われます。

 では、竜骨坡遺跡は人類進化の研究において意味がなくなったのかというとそうではなく、竜骨坡遺跡では石器と推定される遺物も発見されているので、アフリカ起源の人類のユーラシア東部への進出を研究するにあたって、依然として重要であると思います。今後は、竜骨坡遺跡出土の石器とされる遺物が本当に石器なのか、またその年代がいつ頃なのか、との研究の進展が期待されます。石器の年代が、かりに204万年前頃と推定された場合、またしても人類中国起源説派(中国以外にはほとんどいないのですが)が勢いづくかもしれませんが、アフリカにおける石器の起源はもっと古いわけですし、アウストラロピテクス属との類似性を指摘されている、インドネシア領フローレス島のホモ=フロレシエンシスの存在などからも、人類の出アフリカは200万年前よりもずっとさかのぼる可能性が低くありませんから、人類中国起源説の根拠にはならない、と言うべきでしょう。


参考文献:
Ciochon RL.(2009): The mystery ape of Pleistocene Asia. Nature, 459, 910-911.
http://dx.doi.org/10.1038/459910a

Etler DA. et al.(2001): Longgupo: Early Homo colonizer or late pliocene Lufengpithecus survivor in south China? Human Evolution, 16, 1, 1-12.
http://dx.doi.org/10.1007/BF02438918

Wanpo H. et al.(1995): Early Homo and associated artefacts from Asia. Nature, 378, 275-278.
http://dx.doi.org/10.1038/378275a0

Wu X.(2000): The mystery ape of Pleistocene Asia. Acta Anthropologica Sinica, 19, 1-10.
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世界最古の土器?

2009/06/30 00:00
 中国湖南省道県の玉蟾岩洞窟で発見された土器の年代についての研究(Boaretto et al., 2009)が公表されました。玉蟾岩洞窟は後期更新世の遺跡で、石器・骨器・貝製の道具といった人工物の他に、多量の灰、鹿・猪・鳥・亀・魚などの動物骨が大量に発見されています。玉蟾岩洞窟でとくに注目されるのは、土器が発見されていることで、土器の起源をめぐる議論において、より確実な年代の特定が求められています。なお、以下の年代はすべて較正されたものです。

 後期更新世の土器が発見された中国南部の遺跡としては、江西省の万年仙人洞遺跡や吊桶環遺跡も知られています。じゅうらいの研究では、これら中国南部の遺跡で発見された土器の年代は、16000〜10000年前とされていました。しかしこの研究では、じゅうらいの研究では土器の破片を含む複雑な堆積層の系統的年代分析がなされていないと指摘され、その点に注意が払われつつ年代の特定がなされています。

 この研究で用いられた試料は、動物骨のコラーゲンと炭です。土器から得られた試料や、土器の断片のあった前後の地層の試料から、玉蟾岩洞窟で発見されたもっとも古い土器の年代は、放射性炭素年代測定法で18300〜17500年前とされ、日本の最古級の土器よりも古くなります。こうしたことからこの研究では、土器製作が現在の中国南部で始まった、との見解が支持されています。

 玉蟾岩洞窟で発見された土器は、粗雑な作りで厚く、厚みは均等ではなくて、400〜500℃という低温度で焼かれていたと推測されています。こうしたことからも、世界最古の土器に相応しいとの見解も一部であるかもしれません。しかし、土器の起源地がどこかという問題が、これで解決したというわけではなく、今後、さらに古い土器がどこかで発見される可能性は高いと思います。たとえば、現在はロシア領となっている、ユーラシア大陸東部のオホーツク海や日本海の沿岸地域も、その有力候補地と言えます。また、アフリカでさらに古い土器が発見される可能性もあるのですが、現時点では、日本列島も含むユーラシア東部圏で土器製作が始まった可能性が高い、と考えるのが妥当でしょう。


参考文献:
Boaretto E. et al.(2009): Radiocarbon dating of charcoal and bone collagen associated with early pottery at Yuchanyan Cave, Hunan Province, China. PNAS, 106, 24, 9595-9600.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0900539106
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大河ドラマ『天地人』第26回「関白を叱る」

2009/06/29 06:20
 昨日放送分の感想です。とはいっても、とくに書くべきことが思い当たりません。兼続が秀吉の家臣になることを断ったという話なのですが、もう少し引き伸ばすのかと思っていたので、いきなり引き抜きの場面が描かれたのは意外でした。今後の注目は兼続と利休親子との関係で、利休が死に追い込まれるとき、お涼と兼続はどのような行動に出るのでしょうか。
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宝塚記念結果

2009/06/28 16:00
 阪神では宝塚記念が行なわれました。レースは、コスモバルクが後続を離してニケだのですが、やはり4角前でもう失速してしまい、外を回ったドリームジャーニーが豪快に差しきって勝ちました。断然の1番人気になったディープスカイは、中の窮屈なところを通ったこともあるのかもしれませんが、3〜4角での手応えが悪く、状態に問題があったのかもしれません。

 残念だったのはアルナスラインで、直線では狭いところに入り、前が開かなくてほとんどまともに追えていなかったように見えました。蛯名騎手の駄騎乗ではないでしょうか。勝ったドリームジャーニーは、今後も安定して勝ち続けるというわけではないでしょうが、またどこかで大レースを勝てる可能性は高いと思います。ドリームジャーニーが大レースで勝ち負けになるというのは、現在の古馬戦線の低調さを示しているとも言えるわけで、3歳勢に期待するしかないのでしょう。
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