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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第42回「長篠に立てる柵」

2017/10/24 00:00
 これは10月24日分の記事として掲載しておきます。武田軍が三河に攻め込んできて、長篠城を包囲します。徳川家康は織田の援軍を得て、武田軍と対峙します。当主の織田信長も出陣します。万千代(虎松)は初陣を家康に願い出ていましたが、留守居を命じられて大いに不満な様子です。万千代は武具の修繕で功績を立てますが、小姓にその功績を横取りされます。万千代は激怒しますが、本多正信(ノブ)に諭され、ともかく家康を信じていくことにします。万千代と本多正信との今後の関係がどう描かれるのか、楽しみです。万千代は家康の寝所に呼ばれ、武具の修繕など自分の留守居としての功績を認められ、家康に心服します。長篠の戦いは織田・徳川軍の圧勝に終わり、中野直之と奥山六左衛門は馬防柵用の材木を調達した功績で、信長と対面します。直之と六左衛門は信長から茶碗を拝領し、六左衛門の主君である近藤康用はその茶碗を龍潭寺に寄進します。

 今回は、信長と信康との対面も注目されます。信長は信康を優秀な人物として認めたようですが、腹に一物あるような態度で、徳川家中の浜松衆と岡崎衆の対立の示唆なども含めて、後の信康事件の伏線なのでしょう。本作の信長は登場場面が少なく、どのような人物なのか、あまり描かれていません。これまでの描写からすると、周囲を畏怖させる威厳のある人物のようです。家康も信長を畏れており、まったく頭が上がらないようです。直虎(次郎法師)の死は本能寺の変の少し後のようなので、信長の死も描かれることでしょう。どのような最期となるのか、注目されます。
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カナダのニューファンドランド島の複数系統の先住民集団

2017/10/23 00:00
 これは10月23日分の記事として掲載しておきます。カナダの北東端に位置するニューファンドランド島の先住民集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析に関する研究(Duggan et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。カナダ東部のニューファンドランド・ラブラドール州は、豊富な天然資源と低い人口密度で知られています。ニューファンドランド・ラブラドール州の陸地は、18000年前の最終最大氷期(LGM)にはローレンタイド(Laurentide)氷床に覆われており、氷河が後退した後、較正年代で9000年前頃(以下、この記事の年代はすべて較正されたものです)まで、ニューファンドランド島には氷床が点在していました。

 ベーリンジア起源の人類集団は、1万年前頃にラブラドールに、6000年前頃にニューファンドランド島へと進出してきましたが、考古学的には、マリタイムアルカイック(Maritime Archaic、以下MAと省略)文化集団・古エスキモー(Palaeoeskimo)・ベオサック(Beothuk)などの各集団に区分されます。ニューファンドランド島では、3400〜2800年前頃に考古学的記録の空白が見られますが、その中断期間を除いて、現代まで先住民集団が存続してきました。南ラブラドールでは7714年前頃の埋葬が確認されており、これは北アメリカ大陸では最古の埋葬事例となります。

 MA文化はニューファンドランド島では4500年前頃に出現し、3400年前頃に消滅します(ニューファンドランド島以外では18世紀まで続きます)。ニューファンドランド島でのMA文化消滅の要因としては、寒冷化や3800年前頃にニューファンドランド島に出現した古エスキモー集団との競合が提示されています。ヨーロッパ人が北アメリカ大陸へと本格的に侵出してきた16世紀のニューファンドランド島の先住民集団は、ベオサック(Beothuk)として知られています。ベオサック集団はヨーロッパ人との競合により後退していき、衰退しました。「最後のベオサック」として知られている人物は、1829年に監禁された状態で結核のために死亡しました。ベオサック文化はこれにより途絶えた、と考えられています。

 この研究では、ニューファンドランド島(一部はニューファンドランド島の対岸側)の74人の遺骸(骨と歯)から77点の完全なmtDNA配列が得られました(74人中3人は異なる部位からmtDNAが2回解析されました)。このなかで最古の人類遺骸の年代は7714年前ですが、おおむね4500〜100年前の遺骸のmtDNAが解析されました。解析された遺骸のmtDNAは、いずれもアメリカ大陸先住民集団の変異内に収まります。しかし、MA集団とベオサック集団はともに単一のハプロタイプを共有しておらず、祖先・子孫関係ではありません。このことから、両集団には近い共通祖先がおらず、起源の異なる集団だった、と考えられています。ただ、両集団に見られるハプログループX2a系統では祖先・子孫関係の可能性を排除できません。また、両集団ともに遺伝的多様性は低く、ベーリンジア(ベーリング陸橋)から北アメリカ大陸へと進出してきた祖先集団は小規模だっただろう、と指摘されています。

 古エスキモー集団は単一のハプロタイプを共有しているものの、MA集団・ベオサック集団とは異なっており、これら3集団間の遺伝的不連続性から、ニューファンドランド島には少なくとも3回、異なる文化集団が移住してきたのではないか、と推測されています。ただ、これはあくまでも原則として母系のみの遺伝となるmtDNAの解析に基づいた見解であり、ゲノム規模のデータやY染色体の解析結果が得られたならば、あるいは多少異なりつつより複雑な移住史が浮かび上がってくるかもしれません。


参考文献:
Duggan AT. et al.(2017): Genetic Discontinuity between the Maritime Archaic and Beothuk Populations in Newfoundland, Canada. Current Biology.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2017.08.053
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渡辺克義『物語 ポーランドの歴史 東欧の「大国」の苦難と再生』

2017/10/22 00:00
 これは10月22日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年7月に刊行されました。本書は10世紀後半〜現代までのポーランド史を概観しています。ポーランド映画への言及は多めなのですが、政治史が主体で、文化史・経済史は少なく、社会構造への言及はきわめて少なくなっています。ポーランドの通史なのですから、もう少し幅広く取り上げられていてもよいのではないか、とも思いますが、「物語」としての通史という企画意図なのでしょうから、政治史が主体となるのは仕方のないところでしょうか。

 日本でのポーランドの印象というと、ドイツ(プロイセン)・ロシア(ソ連)・オーストリア(ハプスブルク帝国)といった周辺の大国に翻弄・侵略され続けた国、となるかもしれませんが、本書は、中世ヨーロッパにおいてポーランドが大国だったことを指摘しています。近世になってポーランドの政治・社会は混迷していき、やがてプロイセン・オーストリア・ロシアにより分割されて国は消滅します。本書を読むと、国が滅亡して以降、ポーランドでたびたび独立運動が起き、独立への情熱が(少なくとも一定以上の人々の間で)根強く続いていたことが印象に残ります。

 本書は第一次世界大戦前にもそれなりの分量を割いていますが、著者の専門を反映しているのか、第一次世界大戦後から第二次世界大戦の終結までの期間が最も詳しくなっています。この間、ポーランドは独立したものの、第二次世界大戦の勃発とともにドイツとソ連により分割支配され、再び独立を喪失します。1944年のワルシャワ蜂起の評価については、かなり詳しく解説されていますが、本書のワルシャワ蜂起への評価は、どちらかというと冷淡です。
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先コロンブス期のイースター島住民と南アメリカ大陸先住民との交雑の検証

2017/10/21 00:00
 これは10月21日分の記事として掲載しておきます。先コロンブス期のイースター島(Rapa Nui)住民と南アメリカ大陸先住民との交雑の可能性を検証した研究(Fehren-Schmitz et al., 2017)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。先コロンブス期におけるポリネシア人と南アメリカ人との接触は、考古学的証拠により支持されてきました。ペルーでは8000年前頃に南アメリカ大陸原産のサツマイモが栽培化され、ポリネシアでも紀元後1000年頃から拡散し、先コロンブス期においてすでに広範に栽培されていたからです。

 遺伝学的にも、先コロンブス期におけるポリネシア人と南アメリカ大陸先住民との接触の可能性が指摘されています(関連記事)。イースター島の現代人のゲノム解析の結果、アメリカ大陸先住民由来の断片化された短い配列が確認されたので(イースター島の現代人のゲノムにおけるアメリカ大陸先住民集団由来の領域の割合は推定8%)、イースター島の現代人の祖先集団とアメリカ大陸先住民集団との交雑は古い時代のことだ、と推測されました。イースター島のポリネシア人とアメリカ大陸先住民が交雑したのは19〜23世代前(暦年代では紀元後1280〜1495年)、イースター島の住民とヨーロッパ人との交雑は紀元後1850〜1895年と推定されています。イースター島にポリネシア人が到達したのは遅くとも紀元後1200年、ヨーロッパ人が初めて到達したのは紀元後1722年とされています。

 この研究は、イースター島の現代の住民のDNAではなく古代DNAを解析し、先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸先住民集団との交雑という仮説を検証しています。解析されたのは、イースター島のアナケナ(Anakena)海岸のアフナウナウ(Ahu Nau Nau)で発見された5人(RN035・RN036・RN037・RN039・RN041)です。放射性炭素年代測定法による較正年代(信頼度95.4%)は、いずれも紀元後で、RN035が1445〜1620年、RN036が1458〜1624年、RN037が1815〜1945年となります。RN037は性別不明ですが、他の4人は全員男性です。

 DNA解析の結果、5人の完全なミトコンドリアDNA(mtDNA)配列が得られましたが、常染色体については低網羅率の配列しか得られませんでした。mtDNAのハプログループに関しては、5人ともポリネシア人によく見られるB4系統(B4a1a1)に区分されます。常染色体のDNA解析でも、5人とも現在および過去のポリネシア人の遺伝的多様性の範囲内に収まり、アメリカ大陸先住民集団との交雑の痕跡は確認されませんでした。そのためこの研究は、先コロンブス期のイースター島の住民のゲノムにはアメリカ大陸先住民集団由来の領域はなく、それは先コロンブス期よりも後にもたらされたのではないか、との見解を提示しています。

 この研究は、以前の研究との見解の不整合にたいして、イースター島を標的とした植民地の奴隷商人たちはペルー出身で、ヨーロッパ人と南アメリカ大陸先住民は16世紀以降交雑していたことから、奴隷商人たちが18世紀と19世紀にイースター島に到達した時、彼らのゲノムのアメリカ大陸先住民由来の領域はすでに断片化されて短くなっており、イースター島住民に継承されたのではないか、との解釈を提示しています。また、捕鯨船の影響も指摘されています。ただ、この研究はあくまでもイースター島の事例であり、先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸先住民集団との交雑が、ポリネシアの他の古代DNAの解析により実証される可能性は、きょくたんに低いわけではないように思います。


参考文献:
Fehren-Schmitz L. et al.(2017): Genetic Ancestry of Rapanui before and after European Contact. Current Biology.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.030
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現代人の肌の色の遺伝的基盤

2017/10/20 00:00
 これは10月20日分の記事として掲載しておきます。現代人の肌の色の遺伝的基盤に関する研究(Crawford et al., 2017)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。現代人の肌の色は多様ですが、かつて肌の色は「人種」を区分する最重要な指標とされており、かつて大きな注目を集めた「人種」概念が廃れてしまった感のある現在でも、肌の色は適応と関連していると考えられるだけに、関心は高いように思います。

 人間の肌の色は、高緯度地帯では薄い方が、低緯度地帯では濃い方が有利とされています。これは、紫外線量とビタミンDの合成と関係しています。肌の色は、薄い方が紫外線を通しやすくなります。人間は紫外線を浴びて体内でビタミンDを合成するので、紫外線量が少なくなる高緯度地帯では、ビタミンD合成のために肌の色が薄い方が有利となります。ビタミンDが不足すると、くる病を発症します。逆に低緯度地帯では紫外線量が多いので、肌の色が濃くてもビタミンD合成の妨げにはならず、命に関わるような汗腺の損傷や皮膚の炎症を抑えるためにも、肌の色が濃い方が有利となります。

 チンパンジーの肌の色は薄く、低緯度地帯では体毛が濃ければ、肌の色は薄くても適応度が大きく下がることはない、と考えられます。現代人の祖先もかつては体毛が濃く、進化史において体毛が薄くなっていった、と考えられています。その年代については、最近まで200万年以上前と考えられており、体毛が薄くなるのにつれて、有害な紫外線からの保護という選択圧により、肌の色が濃くなったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。

 しかし、肌の色の遺伝的基盤については、全容が明らかになっているわけではありません。この研究は、エチオピア・タンザニア・ボツワナの多様な民族的・遺伝的集団に属する2092人の皮膚の反射率を測定しました。皮膚の反射率は太陽への露出が最小限の時に内腕から測定され、皮膚色素メラニンの水準が推定されました。また、アフリカ人1570人の血液標本が収集され、400万以上の一塩基多型が配列されました。

 (サハラ砂漠以南の)アフリカ人の肌の色は濃いと一般的には考えられているかもしれませんが、現代人の各地域集団間の比較で、アフリカは最も遺伝的多様性が高く、肌の色も多様です。この研究でも肌の色に関して、最も濃いナイル・サハラ語族の牧畜民から最も薄いアフリカ南部のサン人、さらには両者の中間的な集団まで、多様な肌の色がアフリカで確認されました。この肌の色の違いの遺伝的基盤として、配列された一塩基多型から、関連する4領域が特定されました。

 肌の色の違いと最も強く関連する領域はSLC24A5遺伝子とその周辺で、そのうちの1多様体はヨーロッパ人と南アジア人において明るい肌に重要な役割を果たしており、3万年以上前に出現した、と考えられています。この多様体はアフリカ東部でも見られ、構成員の半数の人々で確認されたエチオピア集団も存在します。この多様体は中東からアフリカ東部に移住した人々によって持ち込まれ、その頻度から、正の淘汰を受けた可能性があります。しかし、この多様体を有しているアフリカ東部の人々の肌の色はヨーロッパ人ほど薄くはなく、おそらく肌の色を形成する遺伝子群の一つにすぎないからだろう、と考えられています。

 ヨーロッパ人の明るい肌・目・髪と関連する、近隣した遺伝子HERC2とOCA2の多様体は100万年前頃にアフリカで出現したと推定されており、後にヨーロッパ人とアジア人に拡散しましたが、これはアフリカ人としては薄い肌の色のサン人にも共有されています。現代人の肌の色は多様で、したがってその遺伝的基盤も多様なのですが、薄い肌の色の遺伝的基盤の多くはアフリカ起源であり、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった現生人類(Homo sapiens)集団の出アフリカの前に、すでにアフリカにおいて肌の色は多様だったと考えられます。

 MFSD12遺伝子の発現を減少させる2ヶ所の変異は最も濃い肌の人々において高頻度で見られます。この変異のためより多くのメラニンが産生され、肌の色が濃くなる、というわけです。これらの多様体は50万年前頃に発生したと推定されています。したがって、50万年以上前の現代人の祖先は、現代人の中でもとくに濃い肌の人々よりは肌の色が薄かったのではないか、と考えられています。これは、50万年以上前まで現代人の主要な祖先系統がどこで進化したのか、ということとも関わっていると思います。この研究の見解が妥当だとすると、現代人の主要な祖先系統は、50万年前頃まではアフリカでも比較的高緯度地帯で進化したのかもしれません。

 また、このMFSD12遺伝子の多様体は一部のインド人・メラネシア人・オーストラリア人でも確認されました。これは、メラネシア人・オーストラリア人・ユーラシア人も含む、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった祖先集団の出アフリカは1回のみの出来事だったとする見解と整合的ではない、とも考えられます。つまり、早期の出アフリカ現生人類集団がユーラシア南岸を東進してメラネシアとオーストラリアまで進出し、その後にアフリカ起源の現生人類集団が再度世界中に拡散したとする見解と整合的ではないか、というわけです。

 ただ、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった1回のみの出アフリカ集団には、多様な肌の色と関連する多様体があったものの、後に一部のインド人・メラネシア人・オーストラリア人以外では、肌の色を濃くするMFSD12遺伝子の多様体が失われたのかもしれない、とも指摘されています。肌の色の程度と関連する多様体のほとんどは30万年以上前に起源があり、いくつかは現生人類の出現するずっと前の100万年前頃までさかのぼりそうだとすると、高緯度地帯への進出などとも関連した、何らかの自然選択が多くの非アフリカ系現代人の祖先集団に作用したのかもしれません。


参考文献:
Crawford NG. et al.(2017): Loci associated with skin pigmentation identified in African populations. Science.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aan8433
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』670話〜673話

2017/10/19 00:00
670話「ドック潜入!泥棒株式会社」9
 金庫破りの強盗殺人事件が発生し、急行したドックたちは3人の犯人を見つけますが、マイコンが犯人たちに襲撃され、犯人たちは逃亡します。容疑者はすぐに特定され、損保代理店を隠れ蓑とした「泥棒株式会社」ではないか、と一係は推理します。犯人の一人は、541話(関連記事)と580話(関連記事)に登場した、かつてドックが弟子入りした凄腕ながらも偏屈な元金庫破りの男性の弟子でした。ドックは「師匠」に紹介状を書いてもらい、「泥棒株式会社」に入り込みます。ドック弟子入りシリーズの一環と言えるでしょう。他署の刑事とのやり取りも含めて喜劇調で話が進み、ドックの正体が途中で判明するなど緊張感もあります。一話完結が基本の本作ではありますが、レギュラー刑事以外の再登場など長期放送ならではの楽しみもあり、かなり面白くなっていました。主犯役として富川K夫氏が出演していたことも高評価の一因となります。


671話「野獣」5
 負傷した男性が警官を殺害して拳銃を奪います。犯人はすぐに特定され、トシさんとデュークは犯人の隠れ家を突き止めて追跡しますが、犯人はトシさんを撃って逃走します。犯人はトシさんと対峙した時、自分を撃て、自分はお前を撃てるぞ、とトシさんに凄んでみせます。トシさんはデュークに、犯人に気圧された、と打ち明けます。トシさんは負傷しながらも犯人逮捕の決意を固めます。本作ではたまにある、不気味で冷酷な犯人と刑事との対決ものなのですが、「野獣」である犯人の人物像があまり描かれなかったのは残念でした。まあ、こうした犯人の場合、あえて人物像を描かないという意図なのでしょう。緊張感のある展開はなかなかよかったと思いますが。トシさんが犯人に気圧されて撃てなかったのはこれまでの描写からすると意外で、暴走した捜査も含めてですが、未熟な若手刑事の方が相応しかったかな、とも思います。


672話「再会の時」6
 すでに、デュークの複雑な家庭環境は示唆されていましたが、今回ついにデュークの抱えていた秘密が明かされます。デュークが逮捕した泥棒の持っていた懐中時計は、デュークの父親のものでした。しかし、泥棒はデュークの父親からではなく、氷室という男性から盗んでいました。デュークが氷室を訪ねると、氷室はライフル銃を発砲して逃走します。一係は、氷室が狙っている男性を追求するとともに、デュークの父親の行方を探します。けっきょく、デュークの父親は犯罪とは無関係でした。捜査の過程で、デュークの父親がデュークの義父に会社も妻も奪われ、失踪したことが語られます。デュークの義父にたいする敵対的とも言える態度も、この設定ならば納得がいきます。デュークの父親は、今ではヒモをやりつつ商品開発に熱中していましたが、デュークは激昂することもなく、ある程度割り切ったようです。レギュラー刑事と父親との葛藤は、ゴリさんとドックで描かれ、ジーパンにもそうした要素がありましたが、ゴリさんとドックの父親はともに社会的地位の高い人物なのに、デュークの父親は、かつては社会的地位が高かったものの、現在ではヒモをやっています。しかも、デュークの父親は、デュークの想像とは異なり、今でもデュークの義父を時々頼っており、会社から追放されたというより、自分から逃げ出したのでした。それでも、デュークと父親の再会は終始、意外と穏やかなものでした。一匹狼的で冷静だというデュークの人物造形もあるとしても、もっとギスギスしたものになるかと思っていましたが、父親の方は吹っ切れた感があり、デュークもそれを受け入れているようでした。こういう父子関係も新鮮でよいと思います。


673話「狼の挽歌」8
 強盗殺人事件が発生し、偶然近くにいたブルースとマイコンは、同じく近くにいた城西署の尾崎刑事とともに3人の犯人を追いますが、逃げられます。事件の背景には、政治家の絡んだ汚職がありました。ブルースは尾崎と組んで犯人たちを追います。尾崎は胡散臭さ全開の刑事で、最初から事件の黒幕ではないかとも予感させますが、本当にそうだったのはやや残念でした。まあ、尾崎はキャラが立っており、ブルースとの関係もなかなか上手く描かれていましたので、楽しめましたが。今回の山場となったブルースと尾崎との対決も、ブルースのアクションシーンだけあって、なかなかよかったと思います。何よりも、尾崎役の伊藤孝雄氏の好演が作品の質を高めています。
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第41回「この玄関の片隅で」

2017/10/18 00:00
 これは10月18日分の記事として掲載しておきます。草履番として認められた万千代(虎松)は、後継者を育てれば小姓として取り立てられる、と榊原康政に伝えられます。草履番の後継候補としてやって来たのは、ノブと名乗る万千代(井伊直虎)よりはるか年長の男性でした。ノプを見て気色ばむ徳川家臣もおり、ノブはいわくありげな人物だと印象づけられますが、その正体は本多正信だとあっさり明かされます。もう少し引っ張るのかと思ったのですが、もう終盤に入ったので、ゆっくりと話を進めるわけにはいかない、ということでしょうか。愚鈍そうに見えたノブですが、今回もう有能なところを見せました。政次の退場までに時間をかけすぎて、万千代の話にあまり時間をかけられないように思えます。

 武田は信玄から勝頼へと世代交代し、ふたたび遠江・三河へと攻め入ってきます。武田軍の猛攻に徳川は苦戦します。織田信長は徳川家康に援軍を約束しますが、そのために丸太3000本を用意しておくよう、伝えます。万千代は策を弄して家康に接近しますが、家康に見破られます。家康はそれでも万千代を厳しく咎めることはなく、万千代はかつて井伊が木材に関わっていたことから、木材の調達を条件に初陣を家康に願い出ます。直虎(次郎法師)は瀬戸方久に依頼して、家康に書状を届けさせます。井伊谷が今では近藤領であることにも思い呼ばない万千代を甘やかしてはよくないので、近藤に材木調達を依頼するよう、命じてもらいたい、と直虎は家康に願い出たのでした。近藤は直虎に協力を依頼し、直虎は奥山六左衛門を推薦します。今回も万千代が実質的な主人公で、直虎の存在感が薄れてしまった感もあります。終盤の実質的な主人公は万千代ということなのでしょうが、もう少し存在感を見せてもよいのではないか、とも思います。
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絶滅人類種を経由してのチンパンジーの祖先から現代人の祖先へのウイルス感染

2017/10/17 00:00
 これは10月17日分の記事として掲載しておきます。チンパンジーの祖先から現代人の祖先へのウイルス感染に関する研究(Underdown et al., 2017)が報道されました。この研究は、世界中の現代人で見られる単純ヘルペスウイルス2型(HSV2)がどのように現代人系統に感染したのか、検証しています。多くの霊長類で確認されているアルファヘルペスウイルス亜科のうち、現代人ではHSV2やHSV1などが確認されています。HSV 1はおもに口唇、HSV 2はおもに生殖器で発症します。HSV2は当初、HSV1と近縁だと考えられていましたが、ゲノム解析の結果、チンパンジーに見られるヘルペスウイルス1型(ChHV1)の方とより近縁だと明らかになりました。ChHV1とHSV2の分岐年代は300万〜140万年前と推定されており、現代人系統ではない人類種経由でチンパンジーの祖先から現代人の祖先へと感染したのではないか、と推測されています。

 この研究は、過去300万年のアフリカの古環境データと、300万〜140万年前頃のアフリカの人類化石種の年代・分布範囲のデータ、チンパンジーとボノボの現在および過去の分布範囲のデータを用いて、ネットワーク分析により、チンパンジーの祖先からどの人類種を経由して現代人の系統へとHSV2が感染したのか、推測しています。チンパンジーに関しては、50万年前頃の(現生チンパンジーの祖先もしくはその近縁種の)化石が知られており、大地溝帯の西リフト・バレーの東側で発見されたことから、かつてチンパンジーは現在よりも広範に生息していたのではないか、と考えられています。

 この研究は、チンパンジーの祖先から現代人の系統へのHSV2感染の「中間宿主」として、頑丈型として知られるパラントロプス属のなかでもボイセイ(Paranthropus boisei)の可能性が最も高い、と推測しています。また、最初期のホモ属とされるハビリス(Homo habilis)が、チンパンジーの祖先からボイセイへのHSV2感染に重要な役割を果たした可能性も指摘されています。現代人の直接の祖先系統になる初期ホモ属としてはエレクトス(Homo erectus)が想定されていますが、ボイセイもハビリスもアフリカ東部においてエレクトスと長期間共存していました。

 HSV2は、母子間だけではなく、血液・唾液の交換や性交により容易に感染します。HSVが種を越えて感染するには、顕著な量の体液・血液の交換が必要です。そのため、チンパンジーの祖先からボイセイへの感染としては、ボイセイが草原と森林の境界付近でチンパンジーの祖先を食べたことが想定されています。ボイセイからエレクトスへの感染も、エレクトスがボイセイを食べたことが想定されています。200万年前頃以降に出現したと推測されているエレクトスは(食資源獲得において最重要な役割を果たしていたわけではないかもしれないとしても)狩猟を行なっていたと考えられており(関連記事)、ボイセイも狩猟対象になっていた可能性もありますが、死肉漁りの方がありそうだ、と指摘されています。

 人類進化史において1種のみが存在する期間は、この数万年程度と(人類進化史の観点では)ごく最近のことであり、かつては複数の人類種が共存し、相互に接触していたのでしょう。そうした中には、性交や殺害とそれに伴う消費もあり、種を越えたウイルス感染も起きたのでしょう。この研究で用いられた方法論は、ゴリラの祖先から300万年以上前に中間宿主の人類種を経由して現代人の祖先系統へと感染したと推測されているケジラミのように、他の古代疾患の解明にも役立つ、と指摘されており、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Underdown SJ, Kumar K, and Houldcroft C.(2017): Brain response patterns to economic inequity predict present and future depression indices. Virus Evolution, 3, 2, vex026.
http://dx.doi.org/10.1093/ve/vex026
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4万年前頃の東アジアの現生人類のゲノム解析

2017/10/16 00:00
 これは10月16日分の記事として掲載しておきます。4万年前頃の東アジアの現生人類のゲノム解析結果を報告した研究(Haak et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)の男性遺骸のゲノム規模のデータ(平均網羅率は2.98倍)を報告しています。以前の田园男性のゲノム解析では、まず間違いなく現生人類(Homo sapiens)であることと、現代の東アジア人およびアメリカ大陸先住民と近縁で、現代ヨーロッパ系と現代東アジア系が分岐した後の個体である、と報告されていました(関連記事)。この研究は、田园男性のゲノム規模のデータを、現代人および更新世の大まかには同年代のユーラシアの現生人類と比較しています。その結果、興味深いことが色々と明らかになりました。

 現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との交雑は今では広く認められていますが、田园男性は同年代のユーラシア人と同様に、現代のヨーロッパ人と東アジア人よりも多くのネアンデルタール人由来のDNA(4〜5%程度)を有していました。田园男性のゲノムには現代オセアニア人と同程度の種区分未定のデニソワ人(Denisovan)由来の領域は確認されませんでしたが、田园男性のゲノム配列の網羅率は低いので、他の現代アジア人と同程度のデニソワ人由来のDNA領域を有している可能性は否定できない、と指摘されています。また、田园男性は解剖学的研究で非現生人類系統の人類との交雑の影響が指摘されていましたが、ゲノム解析ではそうした交雑は確認されませんでした。

 以前の研究と同様に、田园男性は更新世および現代のヨーロッパ人とよりも、現代・古代のアジア人および現代アメリカ大陸先住民集団の方と近縁であることが確認されました。ただ、現代のアメリカ大陸先住民集団のなかでも、ブラジルのカリティアナ(Karitiana)集団やスルイ(Suruí)集団およびアルゼンチン北部とボリビア南部のチェイン(Chane)集団のようなアマゾン地域の現代の先住民集団は、他のアメリカ大陸先住民集団よりも多くのアレル(対立遺伝子)を田园男性と共有しています。これは、アメリカ大陸先住民とオーストラレシア人との遺伝的関係を報告した見解(関連記事)と整合的かもしれず、南アメリカ大陸のアマゾン地域の先住民集団は、田园男性やパプアニューギニア人の祖先集団と関連する古代集団から9〜15%ほど遺伝的影響を受けているのではないか、と推定されています。現代のアメリカ大陸先住民集団の遺伝的起源集団は単一ではなかっただろう、というわけです。

 このように、アメリカ大陸への現生人類の移住に関しても、複雑な様相だったことが窺えますが、ユーラシアに関してもそれは同じだったようです。ベルギーのゴイエ洞窟(Goyet Caves)の35000年前頃の上部旧石器時代人は、他の同年代の西ユーラシア人よりも多くの対立遺伝子を田园男性と共有しています。ゴイエ洞窟の上部旧石器時代人は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループではMに分類されますが、Mはユーラシア東部やオセアニアでは高頻度で見られるものの、現代のヨーロッパではほとんど確認されていません。田园男性とゴイエ洞窟の上部旧石器時代人は、これまで分析された上部旧石器時代のユーラシア人に寄与しなかった祖先集団を共有しているようです。

 こうしたゲノム解析および他集団との比較から、田园男性は現代アジア人の創始者集団の直接的祖先ではないものの、その近縁集団だったと推測されています。現生人類はアフリカから世界中に拡散しましたが、ネアンデルタール人やデニソワ人といった他系統の先住人類との交雑も含めて、その様相はたいへん複雑だったことが、この研究からも窺えます。田园男性のゲノム解析結果はたいへん興味深く、東ユーラシアの更新世人類のゲノム解析の進展が大いに期待されます。


参考文献:
Yang MA. et al.(2017): 40,000-Year-Old Individual from Asia Provides Insight into Early Population Structure in Eurasia. Current Biology.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.030
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中山一大・市石博明編集『つい誰かに教えたくなる人類学63の大疑問』

2017/10/15 00:00
 これは10月15日分の記事として掲載しておきます。日本人類学会教育普及委員会監修で講談社より2015年11月に刊行されました。本書は、人類学に関する63の話題を解説するという構成になっています。各解説は、高校教師が各分野の専門家に取材して執筆しており、おおむね最新の研究成果も踏まえた堅実な内容になっています。未解明な点を安易に断定しないよう心がけている編集方針が窺え、良心的な内容になっていると思います。ある程度予備知識が必要かもしれませんが、分かりやすい解説になっていますし、病気・食事・心理・生殖など身近な話題多く取り上げられているので、一般層が興味深く読み進められるのではないか、と思います。

 本書の刊行は2年前ですが、それでもやや古くなっている解説もあるのが、人類学の恐ろしさでもあり面白さでもあると思います。たとえば、インドネシア領フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡で発見されたホモ属化石群であるフロレシエンシス(Homo floresiensis)の年代は21500年前とされていますが、本書刊行の翌年(2016年)の研究では、フロレシエンシス遺骸の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と考えられる石器群の下限年代は5万年前頃と見直されました(関連記事)。

 専門家への取材のうえで執筆されているだけに、単純化された俗流解説になっていないのは、一般向け書籍としてたいへんよいと思います。たとえば、霊長類の視覚機能において、3色型が2色型より優れているとは単純には言えず、2色型が進化の過程で淘汰されなかったことにも理由がある、との解説はなかなか丁寧で、一般層には読みごたえがあったのではないか、と思います。本書のような良書が広く読まれ、続編が刊行されることを期待しています。


参考文献:
中山一大・市石博明編集(2015) 『つい誰かに教えたくなる人類学63の大疑問』(講談社)
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遺伝子発現における多様な人体組織間の差異と個人差

2017/10/14 00:00
 これは10月14日分の記事として掲載しておきます。遺伝子発現における多様な人体組織間の差異と個人差に関する一連の研究が公表されました。ヒトゲノムには遺伝子発現調節の指令がコードされていますが、遺伝子発現調節は細胞の種類によって異なっており、その結果、それぞれ独自の機能を持つ多様な組織が生じているものの、遺伝子発現調節には個人差もあります。こうした差異を生じさせる遺伝的多様体は、ゲノムの非コード領域内に位置している傾向があり、この非コード領域が遺伝子の発現状態と発現時期を決めている、と考えられています。しかし、遺伝子調節と遺伝子発現のヒト組織間の差異と個人差を詳しく調べる研究は、これまで限定的にしか行なわれていませんでした。

 ヒト組織の遺伝子発現に対する遺伝的影響に関する研究(GTEx Consortium., 2017)では、449人の健常ドナーから44組織(42種類の組織)の7000点以上の死後検体が収集されました。31点の固形臓器組織・10点の脳内小領域・全血・ドナーの血液と皮膚に由来する2つの細胞株を含む、こうした死後検体が検証に用いられ、遺伝子発現の組織間差異と個人間差異が調べられました。その結果、発現量的形質座位(eQTL)マッピングという方法により、ヒト遺伝子の大半がその近くに存在する遺伝子変異の影響を受けているので、遺伝的多様体はその影響を受ける遺伝子の近くに位置していることが明らかになり、別の染色体上にあるなどといった、それよりも遠い位置にある遺伝的多様体の影響を受ける93個の遺伝子も見つかりました。

 ヒトでは稀な遺伝的多様体が豊富に存在し、各個体の疾病リスクに関与すると予想されています。遺伝的関連研究は疾患感受性に関連する一般的な遺伝的多様体の特定には優れているものの、稀な多様体の特定には実用的ではありません。無害で稀な多様体と病原性多様体を識別する取り組みでは、遺伝暗号を利用して有害なタンパク質コード対立遺伝子が特定されていますが、非コード多様体においては類似の遺伝暗号が存在しないので、どういった稀な多様体が表現型に影響を持つのか、確認はたへいん困難です。稀な変異が多数の組織にわたって遺伝子発現に及ぼす影響を検証した研究(Li et al., 2017)では、ゲノムと多数の組織のRNA塩基配列解読のデータを組み合わせての解析により、44のヒト組織で特定の1遺伝子の発現が極端なレベルを示す個体、つまり遺伝子発現で外れ値を示す個体を突き止めました。低発現の外れ値の58%および高発現の外れ値の28%は、その遺伝子の近くに保存された稀な多様体がありますが、外れ値ではない遺伝子では近くに保存された稀な多様体を持つのは8%であることが明らかになりました。さらに、新たな統計モデルの開発により、ゲノム注釈付けのみを用いるモデルよりも高精度で稀な多様体の調節における影響を予測できるようになりました。

 A-to-I(アデノシンからイノシンへの)RNA編集は、ADAR酵素が仲介する保存された転写後の機構の一つで、RNA分子中のヌクレオチドを選択的に変換することによりトランスクリプトームを多様化させます。近年、多くの編集部位が発見されていますが、大半の部位がどの程度編集されるかということや、異なった生物学的状況の下で編集が調節される仕組みについては、完全には解明されていません。哺乳類におけるRNA編集の動的な状況と調節を検証した研究(Tan et al., 2017)は、552人の53の身体部位から得た8551のヒト試料と、他の霊長類およびマウス由来の数百の試料について、RNAのA-to-I編集のプロファイルを詳しく調べ、動的な時空間パターンと新しいRNA編集調節因子群を発見しました。と明らかになりました。その結果、非反復コード領域の編集レベルは、反復領域の編集レベルと比較して、組織間の違いが大きい、と明らかになりました。全体的に見て、ADAR(A-to-I RNA編集酵素)1は反復部位を、ADAR2は非反復コード部位を主に編集し、触媒活性を持たないADAR3はおもにRNA編集の阻害因子として作用します。いくつかの組織における生物種間のRNA編集の比較の結果、編集レベルのおもな決定因子は組織の種類ではなく、生物種であると明らかになり、ほとんどの部位についてはRNA編集にシス調節がより強力に働いていることが示唆されましたが、少数の保存されたコード部位にはトランス調節がより強力に働いていました。さらに、ADAR1とADAR2の膨大な数の標的の詳細な解析により、 in vivo (遺伝子を編集する酵素をコードするDNAを直接人体に注入する方法)では多くの編集部位がADAR酵素により異なった組織特異的調節を受けていることが示されました。さらに、編集を調節している可能性がある因子がいくつか判明し、たとえばAIMP2は、ADARタンパク質の分解を促進して筋肉での編集を抑制します。これらの結果を総合することにより、A-to-I編集の複雑なシス調節・トランス調節についての手掛かりが得られます。

 雌の哺乳類細胞では、X染色体不活性化(XCI)により、2本のX染色体のうちの1本の転写が抑制されて、XXである雌とXYである雄の間での発現量のバランスが取られています。しかし、XCIはヒトでは不完全で、女性の細胞ではX染色体遺伝子の約1/3は活性化X染色体(Xa)と不活性化X染色体(Xi)の両方から発現しており、不活性化を「回避」する程度は遺伝子間や個体間で異なっています。細胞や組織の間でXCIがどの程度分配されるかについてはよく分かっておらず、不完全なXCIが遺伝子発現や表現型形質において検出可能な性差として現れる程度も、同様に分かっていません。この問題を検証した研究(Tukiainen et al., 2017)は、449人の29組織から得た5500以上のトランスクリプトームと940の単一細胞トランスクリプトームを統合し、ゲノム塩基配列データと組み合わせて、XCIを系統的に調べました。683のX染色体遺伝子でのXCIは、ヒト組織全般で概して同等でしたが、組織間・個体間・細胞間で不均一性の例がいくつか見つかりました。この研究は、不完全なXCIがX染色体遺伝子の少なくとも23%に影響を及ぼすことを示し、複数方面からの証拠を裏づけとしてXCIを回避する7つの遺伝子を明らかにして、XCIの回避は遺伝子発現の性別による偏りを引き起こすと実証しました。これらにより、不完全なXCIは表現型の多様性をもたらす可能性が高い機構である、確認されました。総合的に、多数のヒト組織にわたるXCIの最新カタログは、XCIの維持における不完全性の程度や影響についての理解を深めるのに役立つ、と指摘されています。

 これらの新知見を総合すると、ヒトの疾患に関連する遺伝的多様性の基盤となる遺伝子と機構の解明を目的とした研究で収集された、多数の個人と生体組織に由来するデータは貴重だと強調されていることが分かる、と指摘されています。これらの研究では、死後検体の入手に伴う倫理的・法的・技術的課題を克服するための一致団結した共同作業が行なわれました。GTEx Consortiumが作成した詳細なカタログにより、ゲノムの調節コードの解読に一歩近づき、遺伝的多様性の遺伝子発現への影響が徐々に解明されてきている、と指摘されています。これらの研究は、人類進化史の解明にも貢献することになりそうで、今後の研究の進展が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトから引用(引用1および引用2)です。


【ゲノミクス】全てのヒト組織における遺伝子の活性を解読する

 遺伝子発現について、さまざまな人体組織間の差異と個人差を示す包括的なアトラスを明らかにした一連の論文が、今週NatureとNature Geneticsに掲載される。これらの論文に示された新知見は、健常組織における遺伝的多様性と遺伝子発現の関連を洞察するための新たな手掛かりをもたらしており、各種疾患の分子的起源に関する新たなヒントとなる可能性もある。

 ヒトゲノムには、遺伝子発現調節の指令がコードされているが、遺伝子発現調節は、細胞の種類によって異なっており、その結果、それぞれ独自の機能を持つ多様な組織が生じているのだが、遺伝子発現調節には個人差もある。こうした差異を生じさせる遺伝的バリアントは、ゲノムの非コード領域内に位置している傾向があり、この非コード領域が遺伝子の発現状態と発現時期を決めていると考えられている。しかし、遺伝子調節と遺伝子発現のヒト組織間の差異と個人差を詳しく調べる研究は、これまで限定的にしか行われていなかった。

 GTEx(Genotype-Tissue Expression)コンソーシアムは、449人の健常ドナーから44組織(42種類の組織)の7000点以上の死後検体を収集して研究を行った。今回、このコンソーシアムの研究チームは、こうした死後検体(31点の固形臓器組織、10点の脳内小領域、全血、ドナーの血液と皮膚に由来する2つの細胞株が含まれる)を用いて、遺伝子発現の組織間差異と個人間差異を調べた。この研究では、発現量的形質座位(eQTL)マッピングという方法を用い、ヒト遺伝子の大半がその近くに存在する遺伝子変異の影響を受けており、そのため遺伝的バリアントは、その影響を受ける遺伝子の近くに位置していることが明らかになり、それよりも遠い位置にある(例えば、別の染色体上にある)遺伝的バリアントの影響を受ける93個の遺伝子も見つかった。この研究成果を報告する論文が、今週Natureに掲載される。

 Natureに同時掲載される別の論文では、遺伝子発現におけるまれなバリアントの役割を調べた結果が報告されており、これとは別の2編の論文では、GTExのデータを用いて、RNA編集とX染色体不活性化の現象が、遺伝子発現と関連する遺伝的バリアントによってどのように調節されるのかを調べた結果が示されている。また、これらの論文と関連したNature GeneticsのCommentaryでは、GTExプロジェクトを拡張して、遺伝的な差異が分子表現型を介してヒトの健康に連鎖反応的な影響を及ぼす過程を研究するための情報資源を提供することを目的とするEnhancing GTExプロジェクトが紹介されている。

 以上の新知見を総合すると、ヒトの疾患に関連する遺伝的多様性の基盤となる遺伝子と機構を解明することを目的とした研究で収集された多数の個人と生体組織に由来するデータが貴重なことが強調されていることが分かる。同時掲載のMichelle WardとYoav GiladのNews & Viewsには以下のように記されている。「この研究では、死後検体の入手に伴う倫理的、法的、技術的課題を克服するための一致団結した共同作業が行われた。 <中略> 今回GTExコンソーシアムが作成した詳細なカタログによって、ゲノムの調節コードの解読に一歩近づいた。遺伝的多様性が遺伝子発現に及ぼす影響が徐々に解明されてきている」。


Cover Story: ヒトであるということ:健常組織における遺伝子発現に対する遺伝子変異の影響のカタログを作る

 GTEx(Genotype-Tissue Expression)コンソーシアムは、死後提供者から得られた正常な健常組織を幅広くサンプリングして、人体のさまざまな組織について、多数の個体にわたる遺伝子発現レベルの参照カタログと関連する組織バイオバンクを確立した。今回のArticleで、GTExコンソーシアムは、449人の提供者から得られた44種類のヒト組織の7051例の標本を含む、複数の組織と個体にわたるこれまでで最も大規模な遺伝子発現の調査結果を提示している。彼らは、さまざまな組織や個体での遺伝子変異と遺伝子発現の関係の特徴を調べ、遺伝子の大半が、それらに近い場所の遺伝子変異によって調節されていることを見いだした。関連するLetterでは、A BattleとS Montgomeryたちが、ヒトの組織の遺伝子発現に対するまれな遺伝子変異の影響を調べている。また、D MacArthurたちは、ヒトの組織のX染色体不活性化の全体像を系統的に調べている。さらに、J Linたちは、哺乳類でのアデノシンからイノシンへのRNA編集の包括的な種間分析を行っている。News & Viewsでは、M WardとY Giladが、こうした最新の結果を分かりやすく説明し、今回の知見がヒトゲノムの調節コードの解読にどのように役立つか論じている。



参考文献:
GTEx Consortium.(2017): Genetic effects on gene expression across human tissues. Nature, 550, 7675, 204–213.
http://dx.doi.org/10.1038/nature24277

Li X. et al.(2017): The impact of rare variation on gene expression across tissues. Nature, 550, 7675, 239–243.
http://dx.doi.org/10.1038/nature24267

Tan MH. et al.(2017): Dynamic landscape and regulation of RNA editing in mammals. Nature, 550, 7675, 249–254.
http://dx.doi.org/10.1038/nature24041

Tukiainen T. et al.(2017): Landscape of X chromosome inactivation across human tissues. Nature, 550, 7675, 244–248.
http://dx.doi.org/10.1038/nature24265
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不公平にたいする感受性と鬱病の関係

2017/10/13 00:00
 これは10月13日分の記事として掲載しておきます。不公平にたいする感受性と鬱病の関係についての研究(Tanaka et al., 2017)が公表されました。過去の研究では、富の不平等な分配(経済的不平等)が、うつ病をはじめとする精神疾患の増加に寄与することが示唆されていましたが、その背後にある神経機構は不明でした。この研究は、仮想的なパートナーからバーチャル・マネーを受け取るコンピューターゲーム(最終提案ゲーム)をプレイ中の健常者の脳活動を測定しました。ゲームにおいてパートナーとプレイヤーは、「公平」か「不公平」かの状況に置かれます。「公平」な状況では、両者は同じ額のバーチャル・マネーを受け取りますが、「不公平」な状況では、プレイヤーが受け取るバーチャル・マネーはパートナーの半分以下または半分以上となります。

 実験の結果、不公平な提案に反応したときの脳内の海馬と扁桃体の反応が、実験時に感じる抑鬱症状と相関することが明らかになりました。同じ尺度(不公平な提案に反応する扁桃体および海馬の活動の変化)はまた、実験実施時と実験から1年後の間における抑鬱症状の変化とも相関が見られました。社会性を重視する(この実験では、あらゆるタイプの不公平を嫌う)被験者については、(ゲーム参加者当人の利益となる提案を含む)不公平さを含むあらゆる提案にたいする脳の反応から、抑鬱症状の変化を予測することができました。この研究は、臨床的な抑鬱症状の見られない健常者を対象に実施されたものですが、不公平に対する反応が気分に大きな影響を及ぼすことが明らかとなりました。この成果を元に、今後の研究では、精神疾患の発症リスクの高い人を見つけて支援する方法を考案することができる可能性があります。こうした不公平への反応は、人類が進化の過程で獲得したものなのでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


不公平に対する感受性からうつ病の発症を予測する

 コンピューターゲーム上で遭遇する不公平に対する脳の反応を調べることで、健常者が将来、うつの症状を訴えるか否かを予測できることを示した論文が、今週掲載される。この研究をきっかけとして、不公平に反応して気分障害を発症する特別のリスクがある人に関する理解が深まる可能性がある。

 過去の研究では、富の不平等な分配(経済的不平等)が、うつ病をはじめとする精神疾患の増加に寄与することが示唆されていた。しかし、その背後にある神経機構は不明であった。

 脳情報通信融合研究センターの田中敏子(たなか・としこ)研究員の研究グループは、仮想的なパートナーからバーチャル・マネーを受け取るコンピューターゲーム(最終提案ゲーム)をプレイ中の健常者の脳活動を測定した。ゲームにおいてパートナーとプレイヤーは、「公平」か「不公平」かの状況に置かれる。「公平」な状況では、両者は同じ額のバーチャル・マネーを受け取るが、「不公平」な状況では、プレイヤーが受け取るバーチャル・マネーはパートナーの半分以下または半分以上となる。実験の結果、不公平な提案に反応したときの脳内の2つの領域(海馬と扁桃体)の反応が、実験時に感じる抑うつ症状と相関することがわかった。同じ尺度(不公平な提案に反応する扁桃体および海馬の活動の変化)はまた、実験実施時と実験から1年後の間における抑うつ症状の変化とも相関がみられた。

 社会性を重視する(今回の実験では、あらゆるタイプの不公平を嫌う)被験者については、不公平さを含むあらゆる提案(ゲーム参加者当人の利益となる提案を含む)に対する脳の反応から、抑うつ症状の変化を予測することができた。今回の研究は、臨床的な抑うつ症状のみられない健常者を対象に実施されたものであるが、不公平に対する反応が気分に大きな影響を及ぼすことが明らかとなった。今回の成果を元に、今後の研究では、精神疾患の発症リスクの高い人を見つけて支援する方法を考案することができる可能性がある。

 関連するNews & Viewsでは、Megan SpeerとMauricio Delgadoが、「示唆に富む今回の研究は、そうした問題を検討するための有望な方法を提供し、うつ病にみられる消耗性の性質を促進あるいは悪化させる危険因子を明らかにすることにつながるだろう」と述べている。



参考文献:
Tanaka T, Yamamoto T, and Haruno M.(2017): Brain response patterns to economic inequity predict present and future depression indices. Nature Human Behaviour, 1, 748–756.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0207-1
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大量絶滅による生物多様性への影響

2017/10/12 00:00
 これは10月12日分の記事として掲載しておきます。大量絶滅による生物多様性への影響に関する研究(Button et al., 2017)が公表されました。大量絶滅の結果、広範囲に生息する少数の種が大きな割合を占める生物群集(「災害動物相」)が出現すると考えられています。しかし、この学説を検証する研究の数は少なくて研究対象も狭く、たとえば、小さな領域を対象としていました。この研究は、こうした問題に取り組むため、パンゲア超大陸における生物多様性の長期的変化を評価しました。この研究は、約2億6000万年〜1億7500万年前(ペルム紀後期からジュラ紀初期)に約900の動物種に生じた変化を分析しました。この期間中には2回の大量絶滅(ペルム紀末と三畳紀末)が起き、恐竜類と現生脊椎動物が出現しました。

 この結果は、いずれの大量絶滅の後にも生物群集において多数の生物種が絶滅しただけでなく、広範囲に生息する新たに進化した生物種が大きな割合を占めるようになり、地球全体で多様性が低下したことを明らかにしています。この共通のパターンは、大量絶滅が動物の分布に及ぼす影響が予測可能なことを示唆しており、現代の保全活動にとっての指針となる可能性がある、とこの研究は結指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化学】:大量絶滅で恩恵を受けたのは誰?

 大量絶滅が起こった後に多様性の低い期間が続き、特定の新種がパンゲア超大陸の広範な地域で大きな割合を占めていたことを報告する論文が、今週掲載される。この新知見は、大量絶滅の影響を予測できる可能性を示しており、また、現在の高い絶滅速度の結果としての将来的な生物群集の変化予測の手掛かりにもなっている。

 大量絶滅があると、広範囲に生息する少数の種が大きな割合を占める生物群集(「災害動物相」)が出現すると考えられている。しかし、この学説を検証する研究の数は少なく、研究対象も狭く、例えば、小さな領域を対象としていた。今回、David Buttonたちの研究グループは、この問題に取り組むため、パンゲア超大陸における生物多様性の長期的変化を評価した。Buttonたちは、約2億6000万年〜1億7500万年前(ペルム紀後期からジュラ紀初期)に約900の動物種に生じた変化を分析した。この期間中には二度の大量絶滅が起こり、恐竜類と現生脊椎動物が出現していた。

 今回の研究結果は、いずれの大量絶滅の後にも生物群集において多数の生物種が絶滅しただけでなく、広範囲に生息する新たに進化した生物種が大きな割合を占めるようになり、地球全体で多様性が低下したことを明らかにしている。この共通のパターンは、大量絶滅が動物の分布に及ぼす影響が予測可能なことが示唆しており、現代の保全活動にとっての指針となる可能性がある、とButtonたちは結論付けている。



参考文献:
Button DJ. et al.(2017): Mass extinctions drove increased global faunal cosmopolitanism on the supercontinent Pangaea. Nature Communications, 8, 733.
http://dx.doi.org/10.1038/s41467-017-00827-7
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第40回「天正の草履番」

2017/10/11 00:00
 これは10月11日分の記事として掲載しておきます。万千代(虎松)が松下ではなく井伊として徳川家康に仕えたことを知った直虎(次郎法師)は、万千代の母である「しの」の抗議に同意し、万千代に書状を送ります。直虎だけではなく、多くの人が万千代の選択に怒っていました。万千代は慣れない草履番に苦労していましたが、松下家に戻ろうとはしません。直虎は万千代を説得するため浜松城へと向かいます。その頃、京都に滞在していた今川氏真は、父の仇である織田信長から蹴鞠をするよう、要求されていました。氏真は、徳川の同盟者である織田とも誼を通じておくため、信長の前で蹴鞠を披露します。

 直虎は浜松に赴き、万千代を説得しますが、ただの百姓に説得される謂れはない、と万千代は直虎に反発します。そこへ家康が通りかかり、直虎から話を聞くことにします。家康は、二度も井伊を助けようとして力不足のため叶わなかった負い目を払拭したかったことや、瀬名(築山殿)の想いもあるが、最も大きいのは、万千代は苦境でこそ力を発揮する人物だと思ったから井伊の復興を認めたのだ、と打ち明けます。家康は、直虎と自分は考えが似ていると言い、二人は打ち解けます。万福から万千代の覚悟を聞いた直虎は、万千代の説得を諦めて見守ることにします。松下家も万千代の意志を認め、万千代は井伊家の当主として身を立てることにします。

 前回からそうでしたが、今回も実質的には万千代が主人公となり、いよいよ終盤を迎えたのだな、と思ったものです。万千代の個性は強烈で、幼少時代の様子からすると違和感もありますが、自家の没落を見て、覚悟を決めたということでもあるのでしょう。万千代の出世物語が終盤の見どころとなりそうです。この他には、没落しながらもしたたかに生きていこうとする氏真や、最後のわずかな場面だけでしたが、初登場となる武田勝頼の今後の描写も気になります。
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上部旧石器時代の配偶システム

2017/10/10 00:00
 これは10月10日分の記事として掲載しておきます。上部旧石器時代の配偶システムに関する研究(Sikora et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現代の狩猟採集民は25人程度の小集団で暮らし、より広範な社会的ネットワークとつながって配偶相手を求め、近親婚は回避される傾向にあります。このような社会行動が狩猟採集民集団でいつ進化したのか、まだ不明です。この研究は、装飾品など豪華な副葬品で知られるロシアのスンギール(Sunghir)遺跡で発見された、34000年前頃の埋葬された9人のうち4人の人類遺骸のゲノムを解析し、この問題を検証しています。スンギール遺跡で発見された4人は同時代人で、一緒に埋葬されたと考えられています。スンギール遺跡の副葬品は象徴的で複雑であり、時間がかけられていることから、規範・儀式の発展を示しているのではないか、とも指摘されています。

 ゲノム解析の結果、同じ墓において頭合わせで埋葬されている2人の子供も含めて、スンギール遺跡の4人は遺伝的に密接な関係にはなく、どんなに近くてもまたいとこ程度だ、と明らかになりました。スンギール遺跡の上部旧石器時代の住民は小集団を形成していたと考えられており、ランダムな配偶行動ではもっと近親婚の痕跡が確認されるはずなのにそうではないのは、スンギール遺跡の住民が近親婚回避の重要性を理解し、より大きな婚姻ネットワークの一部に組み込まれていたからではないか、とこの研究は推測しています。また、そうした広範なネットワークでの配偶行動では、装飾品など集団に特有の象徴的人工物が自己と他者を区別し、回避すべき配偶相手を特定しやすくするとともに、現代の婚姻儀式とも共通するような行動が発達していったのではないか、とも指摘されています。

 人間ではない霊長類のほとんどでは、一方の性が出生集団にとどまる一方で、もう一方の性が他集団へと移住していきます。人類社会はある時点で、小集団内でも近親同士である人数を少なくするような配偶システムへと変わったのではないか、と推測されています。この研究は、現生人類系統において近親婚を回避する社会行動が発達した一方で、5万年前頃のアルタイ地域のネアンデルタール人に近親婚の痕跡が確認されたことから(関連記事)、配偶システムの違いが現生人類の繁栄と他系統の人類の絶滅の一因になった可能性を指摘しています。この研究は、ネアンデルタール人の近親婚の理由は不明で、孤立していたので唯一の選択肢だったのかもしれないものの、おそらくは利用可能なネットワークの発展に失敗したのではないか、とも指摘しています。

 ただ、この研究は、こうした見解の検証にはもっと多くの古代人のゲノム解析が必要になる、とも指摘しています。じっさい、アルタイ地域の東方ネアンデルタール人とは異なり、西方ネアンデルタール人には近親婚の痕跡が確認されませんでした(関連記事)。また、種区分未定のデニソワ人(Denisovan)についても、近親婚の痕跡が確認されていません(関連記事)。後期更新世以降の現生人類でも、何らかの理由で孤立した集団において近親婚の頻度が高くなったことはおそらく珍しくないでしょうし、孤立していたわけではなくても、歴史的に近親婚志向の高い地域も存在します(関連記事)。近親婚という観点で現生人類と他系統の人類との間に大きな違いがあり、それが前者の繁栄と後者の絶滅の一因になったのか、まだ確定的とは言えず、もっと多くの証拠が必要となるでしょう。


参考文献:
Sikora M. et al.(2017): Ancient genomes show social and reproductive behavior of early Upper Paleolithic foragers. Science.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aao1807
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ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列(追記有)

2017/10/09 00:00
 これは10月9日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の高品質なゲノム配列を報告した研究(Prüfer et al., 2017)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列としては、南西シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された女性個体のものが知られています(関連記事)。

 この研究は、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃のネアンデルタール人女性の、網羅率が30倍となるゲノム配列を報告しています。ヴィンディヤのネアンデルタール人のゲノム配列は、現代人やアルタイ地域のネアンデルタール人と比較されました。その結果、ネアンデルタール人同士の比較では、現代人の間よりも違いが少なかったことから、ネアンデルタール人の遺伝的多様性は現代人よりも低く、ネアンデルタール人集団の規模は小さかった、と推測されています。その結果、ネアンデルタール人は疾患・飢餓・気候変化への対応能力が現生人類よりも劣っており、ネアンデルタール人絶滅の要因になったのではないか、とも考えられています。

 非アフリカ系現代人のゲノムにはわずかながらネアンデルタール人のゲノム由来の領域が確認されており、非アフリカ系現代人の祖先集団はネアンデルタール人集団と交雑した、と考えられています。この研究で注目されるのは、アルタイ地域のネアンデルタール人よりもヴィンディヤ洞窟のネアンデルタール人の方が、非アフリカ系現代人の祖先集団と交雑したネアンデルタール人集団に近いだろう、と推測されていることです。非アフリカ系現代人の祖先集団と交雑したのはネアンデルタール人でも西方集団だっただろう、と考えられていたので、この研究の見解は意外ではないのですが、具体的な証拠が得られたのは意義深いと思います。

 このことと関連しますが、アルタイ地域のネアンデルタール人のゲノム配列で確認されていたものに加えて、悪玉コレステロール(LDL cholesterol)値や統合失調症などと関連する、複数のネアンデルタール人由来と考えられる多様体が現代人で確認されました。今後、ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列の報告例が増加していけば、ネアンデルタール人由来と推測される現代人の多様体はさらに多くなるのではないか、と予想されます。

 非アフリカ系現代人の各地域集団間におけるネアンデルタール人からの遺伝的影響の違いについては、大きな違いはないものの、東アジアではヨーロッパよりもわずかに高いことが確認されてますが、その理由についてはまだ明確にはなっていません(関連記事)。この研究でも、ネアンデルタール人由来のゲノム領域の割合は、東アジア系では2.3〜2.6%、西アジア系とヨーロッパ系では1.8〜2.4%となっており、じゅうらいの推定が改めて確認されました。この違いについては、ネアンデルタール人と交雑しなかった「基底部ユーラシア人」の影響を想定する見解も提示されており(関連記事)、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Prüfer K. et al.(2017): A high-coverage Neandertal genome from Vindija Cave in Croatia. Science.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aao1887


追記(2017年10月7日)
 AFPでも報道されました。アルタイ地域のネアンデルタール人には直近の祖先での近親婚の痕跡が認められたのにたいして、ヴィンディヤのネアンデルタール人ではそれは確認されなかった、とのことです。



追記(2017年10月10日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』

2017/10/08 00:00
 これは10月8日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年6月に刊行されました。本書は、19世紀末から現在までの中国におけるナショナリズムの変容を検証しています。近現代中国のナショナリズムは、伝統的世界観を前提に、西洋の衝撃への対応として形成されていったものなので(中国に限らず、非西洋地域の近代はおおむねそうだったのでしょうが)、本書はまず序章において伝統中国の世界観を解説しています。

 本書はその後に、19世紀末から現在までの中国におけるナショナリズムの変容を5期に区分して解説しています。これは、1895〜1911年・1912〜1924年・1925〜1945年・1945〜1971年・1972年〜現在となっており、日清戦争・辛亥革命・広州での国民政府の成立・第二次世界大戦の終結・西側世界への開放が契機とされています。確かに、これらは中国史において重要な転換点になっていると思います。

 本書は近現代中国におけるナショナリズムの変容を、実質的には西洋化である近代化の推進・徹底(封建的因習の排除)と、中国独自の価値の重視とのせめぎ合いという観点から論じています。これは現在でも変わらない構図なのですが、近年の中国では経済・軍事大国化の進展により、儒教のような伝統的価値観に傾斜している様子が窺えます。この構図と関連して、近現代中国において、英米を中心とする国際秩序にたいする強烈な不信感が存在し続けていることも指摘されています。日本でしばしば報道される中国の「無法」も、これに一因があると言えるでしょう。

 本書の主要な対象読者は日本人でしょうから、近現代中国ナショナリズムにおける日本観の変容にもかなりの分量が割かれています。中国ナショナリズムにおいて日本への印象が悪化した契機として、まずは1915年の二十一ヵ条要求が挙げられています。次の契機は1928年の済南事件で、これにより中国ナショナリズムの主要敵がイギリスから日本に変わった、と指摘されています。また、時の政権の課題(主要敵がどこなのか、などといった問題)により、政権側が対日ナショナリズムを抑制することもあった、とも指摘されています。
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現代人の表現型へのネアンデルタール人の影響(追記有)

2017/10/07 00:00
 これは10月7日分の記事として掲載しておきます。現代人の表現型へのネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の影響に関する研究(Dannemann, and Kelso., 2017)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究は、イギリスのバイオバンクで収集された112000人以上のデータを用いて、ネアンデルタール人の遺伝子が現代人の表現型の多様性に与えた影響を検証しています。

 ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との交雑はすでに広く認められており、非アフリカ系現代人のゲノムにはわずかながらネアンデルタール人のゲノム由来の領域が確認されています。ネアンデルタール人由来の遺伝子のなかには、かつては中立的だったか有益だったのに、現在では適応度を下げているものもあります(関連記事)。24時間周期のリズムの妨害が契機となり得る、鬱病の危険性を高める遺伝子や、血液が凝固しやすくなる遺伝子や、ニコチン依存症の危険性を高める遺伝子などです。

 この研究は、鬱病のような心理状態に関わるもの・肌や髪の色・睡眠パターンなど、非アフリカ系現代人の中でもヨーロッパ系の複数の表現型に、ネアンデルタール人の遺伝的影響が見られることを明らかにしました。注目されるのは、異なる遺伝子座の複数のネアンデルタール人の対立遺伝子がヨーロッパ系現代人の肌と髪の色に影響を及ぼしているものの、それは色合いを濃くする方にも薄くする方にも作用している、ということです。そのため、ネアンデルタール人の肌と髪の色も、現代人と同じく多様だったのではないか、と推測されています。

 また、肌と髪の色・心理状態・睡眠パターンといった表現型が日光暴露と関連している、との見解も注目されます。ネアンデルタール人は現生人類よりも高い緯度の地域で生存してきたので、現生人類よりも低い紫外線放射水準に適応していたことを反映しているのでしょう。アフリカ起源の現生人類が世界へと拡散していくさいに、それまで存在していた地域よりも高い緯度の地帯に進出することもありましたが、そのさいの適応にネアンデルタール人由来の遺伝子が有益だった、ということは充分あり得そうです。


参考文献:
Dannemann M, and Kelso J.(2017): The Contribution of Neanderthals to Phenotypic Variation in Modern Humans. The American Journal of Human Genetics, 101, 4, 578-589.
http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2017.09.010


追記(2017年10月10日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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乾燥化による現生人類の出アフリカ

2017/10/06 00:00
 これは10月6日分の記事として掲載しておきます。現生人類(Homo sapiens)の出アフリカ時の気候に関する研究(Tierney et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。現在のソマリア全域とエチオピアの一部となる「アフリカの角」は、考古学的にも遺伝学的にも、現生人類の出アフリカの起点の有力候補とされています(南方経路)。アフリカの角からアラビア半島へ、さらにはユーラシア全域へと拡散していった、というわけです。この他には、現在のサハラ砂漠一帯やナイル川流域を経て、現在のエジプトからレヴァントへと拡散していった、とも想定されています(北方経路)。この場合、気候が湿潤で現在のサハラ砂漠一帯が植生の豊かな時期のことだったのではないか、とも想定されています。

 この研究は、海洋堆積物コアの分析により、アフリカの角の過去20万年間の気候変動を推定し、現生人類の出アフリカの気候的要因を検証しています。この研究は、アデン湾の西端で採取された海洋堆積物コアを分析しました。海洋堆積物コアには、特定の種類の海藻により作られたアルケノンと呼ばれる化学物質が含まれています。藻類は水温に依存してアルケノンの組成を変化させるので、アルケノンの割合を特定すれば、その藻類が生きていた時の海面温度が判明する、というわけです。

 上述したように、現生人類の出アフリカの回数・年代・経路などをめぐって議論が続いていますが、遺伝学的には、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5よりも後、65000〜55000年前頃(この年代は研究により前後しますが)の1回のみとの見解が有力です。しかし、それよりも前にアフリカから拡散した現生人類集団が存在する、との見解も遺伝学的研究から提示されています(関連記事)。10万年前頃にはレヴァントにも現生人類が存在しており、この集団は絶滅したかアフリカに「撤退した」とされていますが、東アジア南部でも、12万〜8万年前頃の現生人類的な化石の存在が指摘されています(関連記事)。

 現時点では、現生人類の出アフリカに関して、すべての研究成果と整合的な仮説を提示することは難しいようです。あえて推測すると、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった現生人類集団の出アフリカはMIS5よりも後の1回のみで、それ以前の出アフリカ現生人類集団は、後続の出アフリカ現生人類集団に吸収されたので、非アフリカ系現代人のゲノムではその痕跡が検出されにくい、ということなのかもしれません。もちろん、現代人にはDNAをまったく伝えず、絶滅してしまった初期出アフリカ現生人類集団も存在したことでしょう。

 この研究は、化石と石器の証拠により支持されている、12万〜9万年前の現生人類のレヴァントやアラビア半島への進出は、温暖で湿潤な環境により促進された、との見解を提示しています。しかし、この研究は、(非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となっただろう)現生人類の主要な出アフリカは65000〜55000年前頃だった、との前提のもと、この時期のアフリカの角地域が大きく寒冷化・乾燥化していったことを海洋堆積物コアの分析により明らかにし、気候の悪化が現生人類のアフリカの角からユーラシアへの拡散を促進したのではないか、との見解を提示しています。

 現生人類の出アフリカは、気候条件が良好な時だけではなく、悪化した時にも促進されたのではないか、というわけです。これは常識的な見解と言えるでしょうが、具体的な証拠が提示されており、意義深いと思います。ただ、上述したように、現生人類の出アフリカの回数・年代・経路などをめぐって議論が続いているので、今後の研究の進展により、現生人類の出アフリカの要因についての仮説が修正されていく可能性は低くないでしょう。また、現生人類の出アフリカの要因は、気候変動などの自然環境だけではなく、(それとも大いに関連しますが)技術革新や人口増も考慮していかねばならないだろう、とも思います。


参考文献:
Tierney JE, deMenocal PB, and Zander PD.(2017): A climatic context for the out-of-Africa migration. Geology.
https://doi.org/10.1130/G39457.1
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クロアチアのネアンデルタール人の年代

2017/10/05 00:00
 これは10月5日分の記事として掲載しておきます。クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の年代に関する研究(Devièse et al., 2017)が公表されました。ヴィンディヤ洞窟はネアンデルタール人の遺跡として有名で、ネアンデルタール人のDNAが解析されています(関連記事)。ヴィンディヤ遺跡のネアンデルタール人に関しては、年代が28000年前頃と推定されたこともあり、24000年前頃のイベリア半島南部の事例(関連記事)とともに、ネアンデルタール人が意外と遅くまで生存していたかもしれない(後期絶滅説)、ということで注目されました。

 ネアンデルタール人の後期絶滅説では、上部旧石器時代的な人工物の一部をネアンデルタール人が製作していた可能性が指摘され、ネアンデルタール人の認知能力や、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との相互作用といった問題も議論されました。もっとも、ネアンデルタール人が絶滅したとはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので、形態学的・遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と言うのがより妥当でしょうか。

 しかし、ここ十数年ほど、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しが続いており(関連記事)、ネアンデルタール人の絶滅年代は繰り上がる傾向にあります(早期絶滅説)。その根拠となるのは、じゅうらいの放射性炭素年代測定法で用いられた試料は汚染の可能性が否定できず、その場合にはじっさいよりも新しい推定年代が得られてしまう、ということです。試料汚染の問題を解決するために前処理として限外濾過が用いられ、汚染の影響を受けにくいコラーゲンが精製され、年代測定されるようになりました。その結果、多くの遺跡で中部旧石器時代末期〜上部旧石器時代の年代が見直され、ネアンデルタール人は4万年前頃以降確認されない、との見解が提示されています(関連記事)。

 この研究は、放射性炭素年代測定の精度をさらに高めるために、より効率的に汚染除去の可能な、アミノ酸ヒドロキシプロリンの抽出に基づく加速器質量分析法(AMS法)を用いて、ヴィンディヤ遺跡のネアンデルタール人と人間ではない動物の骨の年代を再測定しています。その結果、アミノ酸ヒドロキシプロリンの抽出に基づく年代測定結果(非較正)が得られたネアンデルタール人標本4点のうち、最も新しい「Vi-208」が42700±1600年前、最も古い「Vi-*28」が46200±1500年前となりました。

 ヴィンディヤ遺跡では、ネアンデルタール人の遺骸が発見された層で、人間ではない動物の遺骸や、上部旧石器的な骨角器(骨製尖頭器)も発見されています。人間ではない動物の骨の年代に関しては、ヒドロキシプロリンの抽出に基づく手法ではありませんが、おおむね非較正で46000年以上前であるのにたいして、骨製尖頭器は29500±400年前となります。動物の骨とネアンデルタール人の年代は整合的ですが、骨製尖頭器とネアンデルタール人の年代は大きく離れています。

 ヴィンディヤ遺跡でネアンデルタール人と共伴した骨角器と類似したものは、ヨーロッパの他地域ではオーリナシアン(Aurignacian)と関連して非較正で34000〜32000年前頃に出現することからも、ヴィンディヤ遺跡の骨角器は、ネアンデルタール人と関連し、ネアンデルタール人と現生人類との相互作用を示すというよりは、堆積後の攪乱の結果ではないか、とこの研究は推測しています。ただ、これは決定的な証拠とまでは言えず、もっと多くの研究が必要になる、とも指摘されています。

 この研究は、ヴィンディヤ遺跡のネアンデルタール人は較正年代で44000年前よりもさかのぼり、この地域でネアンデルタール人と現生人類が共存していたのは較正年代で44000年前頃以降〜40000年前頃ですから、ヴィンディヤ遺跡のネアンデルタール人は現生人類と接触していなかったのではないか、との見解を提示しています。この研究でもネアンデルタール人早期絶滅説と整合的な見解が提示されましたが、イベリア半島南部などで、4万年前頃以降にネアンデルタール人集団が生存していた可能性もまだじゅうぶん考慮すべきではないか、とも思います。ネアンデルタール人と現生人類との関係はとくに関心の高い分野なので、今後の研究の進展がたいへん楽しみです。


参考文献:
Devièse T. et al.(2017): Direct dating of Neanderthal remains from the site of Vindija Cave and implications for the Middle to Upper Paleolithic transition. PNAS, 114, 40, 10606–10611.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1709235114
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39億5000万年前頃の生命体の痕跡

2017/10/04 00:00
 これは10月4日分の記事として掲載しておきます。39億5000万年前頃の生命体の痕跡に関する研究(Tashiro et al., 2017)が報道されました。朝日新聞でも報道されています。地球史の初期に生命体が存在していたことを示す証拠はたいへん少ないのですが、最近では、日光が届く浅瀬に生息するストロマトライトや、深海の熱水噴出孔に生息する細菌など、約37億年前にはすでに多種多様な生物が存在していたことを裏づける証拠が示されており、カナダのケベック州北部の37億7000万年前頃の事例などが知られています(関連記事)。最初期の生命体の証拠が少ないその理由として、原始生代(約40億〜36億年前)の岩石の発見例がわずかで、保存状態も悪いことが指摘されています。38〜37億年前と年代決定されたグリーンランド南西部のイスア地球表層地帯で出土した堆積岩の同位体分析からは、この堆積岩に含まれるグラファイト(炭素から構成される元素鉱物)粒が生物起源である(生物の活動によって生じた)可能性が示唆されています。しかし、ほぼ同年代のアキリア(グリーンランド)とヌブアギトゥク(カナダ)の岩石地層に関する最近の研究では、生物起源グラファイトは発見されていません。

 この研究は、カナダの北ラブラドル地域のサグレックブロックで出土した、最古の変成堆積岩として知られる約39億5000万年前の岩石に含まれるグラファイトを調べ、変成堆積岩の詳細な地質学的分析を実施し、グラファイトと炭酸塩の濃度と炭素同位体組成を測定しました。その結果、このグラファイトが生物起源であることが明らかになり、グラファイトの結晶化温度と母岩の変成温度がほぼ一致していることから、グラファイトが後の時代のコンタミネーションによって生じたものではない、と指摘されています。これは海に生息していた微生物だったと考えられています。変成堆積岩から生物起源グラファイトが発見されたことで、グラファイトを産生していた生物の地球化学的研究が行なわれ、その結果として地球上の初期生物に関する手がかりがさらに得られるようになる可能性がある、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトから引用(引用1および引用2)です。


【化石】39億5000万年前の岩石に生命体の痕跡

 カナダの北ラブラドル地域で出土した堆積岩中の炭素質物質と炭酸塩の炭素同位体組成の分析が行われ、地球上には39億5000万年前から有機生命体が存在していたことを示唆され、これまでに判明したものの中で最も古い生命体の一部となる可能性が浮上している。この研究成果を報告する論文が、今週掲載される。

 地球史の初期に生命体が存在していたことを示す証拠は非常に少なく、その理由として、原始生代(約36〜40億年前)の岩石の発見例がわずかで、保存状態も悪いことが挙げられる。37〜38億年前と年代決定されたグリーンランド南西部のイスア地球表層地帯で出土した堆積岩の同位体分析からは、この堆積岩に含まれるグラファイト粒が生物起源である(生物の活動によって生じた)可能性が示唆されている。しかし、ほぼ同年代のアキリア(グリーンランド)とヌブアギトゥク(カナダ)の岩石地層に関する最近の研究では、生物起源グラファイトは発見されていない。

 今回、東京大学の小宮剛(こみや・つよし)たちの研究グループは、北ラブラドル地域のサグレックブロックで出土した最古の変成堆積岩として知られる約39億5000万年前の岩石に含まれるグラファイトを調べた。今回の研究では、この変成堆積岩の詳細な地質学的分析が行われ、グラファイトと炭酸塩の濃度と炭素同位体組成が測定された。その結果、このグラファイトが生物起源であることが明らかになり、小宮たちは、グラファイトの結晶化温度と母岩の変成温度がほぼ一致しており、このことはグラファイトが後の時代のコンタミネーションによって生じたものではないことを示していると指摘している。

 小宮たちは、この変成堆積岩から生物起源グラファイトが発見されたことで、グラファイトを産生していた生物の地球化学的研究が行われ、その結果として地球上の初期生物に関する手掛かりがさらに得られるようになる可能性があるという考えを示している。


進化学:カナダ・ラブラドルの39億5000万年前の堆積岩から発見された初期の生命の痕跡

進化学:地球誕生の時期に迫る最古の生命の証拠

 地球上の有機生命体の起源は、既知で最古の堆積岩に見いだされた証拠によって、年代がさかのぼりつつある。小宮剛(東京大学)たちは今回、カナダ・ラブラドルの堆積岩に有機炭素が存在し、グラファイトと炭酸塩の安定同位体比の間に大きな分別が見られることから、有機生命体の存在した年代が39億5000万年以上前までさかのぼると主張している。最近の研究では、日光が届く浅瀬に生息するストロマトライトや、深海の熱水噴出孔に生息する細菌など、約37億年前にはすでに多種多様な生物が存在していたことを裏付ける証拠が示されており、今回の研究はこれらの結果と合わせて、生命にはそのすみかである地球に匹敵するほど長い歴史があることを示している。



参考文献:
Tashiro T. et al.(2017): Early trace of life from 3.95 Ga sedimentary rocks in Labrador, Canada. Nature, 549, 7673, 516–518.
http://dx.doi.org/10.1038/nature24019
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』666話〜669話

2017/10/03 00:00
666話「父親ブルース」6
 ブルースが登場してから2年以上経過しましたが、ついにブルースの妻が妊娠します。そもそも、本作では若手刑事がほとんど独身なのですが(人気を落とさないためでしょうか)、ブルースは男性若手刑事としてはロッキー以外では唯一の既婚刑事で、ロッキーとは異なり登場時点で結婚していました。本作では異例の設定と言えるでしょう。話の方は、この時期の多くの話と同様に、一度は視聴したはずなのにすっかり忘れていましたが、覚醒剤取引の捜査中に銃撃されるというブルースの危機と、妊娠という新たな生命の誕生とを対比させる構造になっており、王道的と言えそうです。偶然、覚醒剤所持の犯人を乗せてしまったタクシー運転手の決断により物語が展開しますが、このタクシー運転手がなかなか強かでクズなのですが、親子関係がわりと丁寧に描かれており、まずまず楽しめました。


667話「デュークという名の刑事」4
 デュークが登場してから7話目にして、やっとデューク単独の主演作となります。もう少し活躍させる場を作ってやってもよかったように思います。すでに、デュークの複雑な家庭環境は示唆されていましたが、今回はそれも絡んで話が展開します。殺人事件の目撃者からどうやって話を聞きだすのか、デュークの手腕が問われるのですが、一匹狼的な刑事らしく強引な捜査が目立つものの、やや印象が弱い感は否めません。むしろ、いかにも小市民といった感じの目撃者たちの方が、キャラは立っていたように思います。一匹狼的な刑事も三代目となり、人物造形が難しかったのかもしれません。


668話「絆」9
 ロッキーの先輩刑事の吉岡という男性がマミーを訪ねて来て、退職する決意を伝えます。しかし、その後すぐ、吉岡は転落死体で発見され、マミーは動揺します。自殺なのか他殺なのか、一係の判断は分かれますが、マミーにはどうしても自殺だと思えませんでした。しかし、吉岡の妻も自動車に轢かれ、状況からは自殺を試みたと思われました。さすがにマミーも自殺説の方に傾きかけますが、それでもマミーは自殺以外の可能性を追求します。デュークやドックは、自殺説を追いかけていけば、家族の絆を壊すことになるかもしれない、と警告しますが、それでもマミーは捜査を続ける決意を伝え、一係は捜査を続行します。自動車に轢かれる前に吉岡の妻が深刻な表情で呟いた夫婦の絆という言葉が鍵となり、話が展開します。

 捜査が進むと、吉岡がかつて山岸という男性を殺した疑惑が浮かんできます。吉岡の妻は、結婚前に山岸に暴行されそうになり、それを助けたのが吉岡でした。吉岡の妻も、夫が山岸を殺したかもしれない、と疑い続けてきました。山岸の遺体が発見された後、夫が自殺したかもしれないと聞き、吉岡の妻は、夫が口封じのために自分と結婚したのではないか、と絶望して自動車の前に飛び出てしまいました。マミーは吉岡の妻から当時の様子を聞き出し、吉岡が山岸を殺したのではない、と確信します。けっきょく真犯人は、吉岡が再就職しようとした警備会社の専務で、かつて山岸を殺しただろう、と吉岡に指摘されて吉岡を殺したのでした。謎解き要素とともに、ヒューマンドラマ的性格もあり、かなり楽しめました。このような大人向けの話は、子供の頃だとあまり楽しめなかったかもしれませんが、40代半ばとなった今では心に染み入るものがあります。年齢を重ねていくと、新たな面白さを見出せることが多いのも、本作の魅力と言えそうですか。未亡人というマミーの設定が活かされていたのもよかったと思います。


669話「刑事にだって秘密はある!」5
 レストランで大会社の専務の男性が銃撃され、非番でレストランを訪れたマイコンは犯人を追いかけますが、犯人は逃亡します。会社では次期社長の座をめぐって専務派と常務派が争っており、一係はその線でも捜査を続けます。今回は、事件の真相とともに、マイコンの謎めいた行動も描かれ、マイコンの秘密も謎解き要素となっています。まあ、真相はさほど面白くなく、そんなに深い話でもないのですが、喜劇調にもなっていて、まずまず楽しめました。本作は喜劇・悲劇・ミステリーなど多様な話で構成されており、それが長期放送の一因だったように思います。
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第39回「虎松の野望」

2017/10/02 00:00
 これは10月2日分の記事として掲載しておきます。龍潭寺で直親(亀之丞)の十三回忌法要が執り行われ、直虎(次郎法師)は6年ぶりに虎松(井伊直政)と会います。虎松の母である「しの」は、虎松を松下家の嫡男として徳川に仕官させたい、と考えていました。しかし虎松は、亥之助とともに豊かな井伊谷を見てまわり、実質的な領主としての直虎の手腕に感心するとともに、井伊家の再興を決意します。虎松は改めて直虎に、井伊家再興の意志はないのか、と尋ねますが、井伊家を再興させるつもりはない、と直虎は返答します。

 虎松は井伊家再興のために動き出しますが、拙速であり、松下家にたいして恩を仇で返す行為ではないか、と奥山六左衛門は諌言します。しかし虎松は、奥山六左衛門を言いくるめ、直虎や母の「しの」に黙って行動に移ります。虎松から井伊家再興の意志を聞いた南渓和尚は、岡崎城に赴いて徳川家康の嫡男である徳川信康(竹千代)と瀬名(築山殿)に会います。虎松は瀬名を通じて、家名を井伊に戻して家康に仕えたい、と申し出ます。徳川家臣のうち、石川数正は虎松の申し出に肯定的ですが、榊原康政は否定的です。

 虎松は鷹狩で家康にお目見えすることになります。家康は直前まで、虎松を松下のままとするか、それとも井伊の家名を復活させるのか、悩んでおり、虎松に松下と井伊のどちらを選ぶのか、問いかけます。虎松は、井伊家を再興させたい、と答えます。家康は虎松に、万千代と名乗るよう命じ、虎松は家康に忠誠を誓います。虎松が井伊として徳川に仕えることに、松下家を蔑ろにするものだ、と酒井忠次は家康に諌言します。すると家康は、松下としてなら小姓に取り立てるが、井伊としてなら草履番とする、と万千代に言い渡します。万千代は、主君から認められた家名を自分の都合で変えるわけにはいかない、と言って井伊の者として草履番に励む、と返答します。さすがに万千代は落ち込みますが、小野亥之助と二人きりになると、激昂し、いつか家康たちを殺す、と叫び、亥之助は万千代を必死に宥めます。

 今回は万千代が実質的な主役となり、終盤は万千代中心に物語が展開することを予感させます。万千代は聡明ではあるものの、今回は策を弄して壁に阻まれたという感じで、こうした挫折を経ての万千代の出世が終盤の見どころとなりそうです。万千代は冷静なようでいて、感情の起伏の激しいところもあり、なかなか魅力的な人物造形になりそうな気がします。徳川で注目されるのは嫡男の信康で、優等生的な印象を受けました。その母である瀬名は、まだ夫の家康との関係は良好なようで、信康事件がどう描かれるのか、楽しみです。
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左巻健男『暮らしのなかのニセ科学』

2017/10/01 00:00
 これは10月1日分の記事として掲載しておきます。平凡社新書の一冊として平凡社より2017年6月に刊行されました。現代日本社会(もちろん、日本に限らないのでしょうが)において、ニセ科学と呼ばれるものは多くあり、中にはかなり浸透しているものもありますが、本書は「暮らしのなか」と題しているように、生活、とくに健康と強く直接的に関連したニセ科学を取り上げて検証しています。生活との直接的関わりがさほど強くないニセ科学としては、たとえば相対性理論への「懐疑」や進化学を否定する創造説やその亜流的な説などがある、と言えるでしょう。

 本書はニセ科学の各論に入る前に、そもそも人間は騙されやすいようにできている、と指摘します。騙されやすい心理システムは、人間が進化の過程で獲得してきたものだ、というわけです。人間が今のような心理システムを獲得して以降(その時期はまだ明確には分からず、本書では4万年前頃という年代を一説として提示しています)、さほど時間が経過していないので、理屈に合わないことでも簡単に信じてしまうのだ、と本書は指摘します。

 本書は各論で、癌・サプリメントや健康食品・ダイエット・ホメオパシーなどの健康法・食品添加物・水ビジネス・抗菌商品・EM(有用微生物群)を取り上げています。確かに、現代日本社会ではこうしたニセ科学が横行しており、現代日本人の健康、さらには生命をも損なう危険性を考えると、本書のさまざまな指摘は生きていくうえで重要だと言えるでしょう。また、こうしたニセ科学に関して、悪意からではなく善意から強く進める人がいる、との指摘も重要となるでしょう。
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アフリカ南部の2300〜300年前頃の人類のゲノム解析

2017/09/30 00:00
 これは9月30日分の記事として掲載しておきます。アフリカ南部の2300〜300年前頃の人類のゲノム解析に関する研究(Schlebusch et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究に関しては、アフリカ北部の30万年以上前の現生人類(Homo sapiens)的な化石についての研究を取り上げた記事でも少しだけ言及しました(関連記事)。この研究は、南アフリカ共和国のクワズール-ナタール(KwaZulu-Natal)州で発見された7人の人類のゲノムを解析しました。この7人のゲノム解析において、網羅率は最大で13倍となります。このうち3人は石器時代となる2300〜1800年前頃、4人は鉄器時代となる500〜300年前頃の年代となります。

 遺伝的には、石器時代の3人の狩猟採集民が現在のアフリカ南部のサン人集団と、鉄器時代の4人の農耕民が現在のバンツー語族と類似しています。バンツー語族の遺伝的影響を受ける前のアフリカ南部の人類のゲノムが解析されたので、コイサン集団における他地域集団からの遺伝的影響が推定できるようになりました。この研究は、現在のコイサン集団は全員、アフリカ東部やユーラシアの集団から9〜30%の遺伝的影響を受けている、と推定しています。以前に推定されていた以上に、現在のコイサン集団は他地域の集団から遺伝的影響を受けている、というわけです。

 また、鉄器時代の4人のうち、3人は少なくとも1個のマラリアに抵抗する遺伝子を有しており、2人は少なくとも2個の睡眠病抵抗遺伝子を有していましたが、石器時代の人々にはこれらの遺伝子が見られません。そのため、鉄器時代の農耕民がアフリカ南部に移住してきて、これらの病気抵抗遺伝子をもたらしたのではないか、と推測されています。もっとも、まだ解析されたアフリカの古代ゲノムは少ないので、可能性は高いものの、確定したとまでは言えないかもしれませんが。

 この研究で注目されるのは、ゲノム解析の結果、現生人類の最も深い分岐の年代が35万〜26万年前頃と推定されていることです。35万年前頃という推定年代は、アフリカ南部の石器時代の狩猟採集民とアフリカ西部のマンディンカ(Mandinka)人との比較に基づいています。現時点の一般的見解では、現生人類の起源は20万年前頃とされており、その根拠は、エチオピア南西部のオモ(Omo)川下流沿いのキビシュ層群で発見された、195000±5000年前頃のオモ1号人骨です(関連記事)。オモ1号は推定身長178〜182cmで、ほっそりとした体型だったと推測されています(関連記事)。

 しかし、この研究で提示された現生人類の最も深い分岐年代は35万〜26万年前頃と推定されており、オモ1号よりも古くなります。35万〜26万年前頃のアフリカ南部の人類化石としては、現生人類との類似性が指摘されているフロリスバッド(Florisbad)化石やホエジェスパント(Hoedjiespunt)化石があります。上述したように、アフリカ北部では30万年以上前の現生人類的な化石が発見されており(関連記事)、現生人類の進化はアフリカの1地域のみではなく複数の地域で起き、それらの集団間の交雑の結果として現生人類が形成されていった、とも考えられます。

 中期石器時代の初期となる35万〜26万年前頃のアフリカ南部には、現生人類や同年代の現生人類的な人類よりずっと脳の小さなホモ属であるナレディ(Homo naledi)も存在しており(関連記事)、当時のアフリカ南部では複数のホモ属が共存していたことになります。これら複数の系統のホモ属の関係がどのようなものだったのか、たいへん注目されます。人類が現生人類のみになったのは人類史のうえでごく最近であり、その相互関係も人類の進化に重要な役割を果たしてきたのでしょう。


参考文献:
Schlebusch CM. et al.(2017): Southern African ancient genomes estimate modern human divergence to 350,000 to 260,000 years ago. Science.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aao6266
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雌のカッコウの鳴き声の役割

2017/09/29 00:00
 雌のカッコウの鳴き声の役割に関する研究(York, and Davies., 2017)が公表されました。托卵することで知られているカッコウの鳴き声について、雄の場合は縄張りを守る役割を果たすと考えられていますが(カッコウの名前のもとになっている「カッコー」という鳴き声は、雄だけが発します)、雌の鳴き声(笑い声のような声であることから「チャクル」や「バブル」として知られています)の役割は未解明です。雌の鳴き声は、カッコウが托卵するヨーロッパヨシキリの捕食者であるハイタカの鳴き声に似ています。

 この研究は、宿主の巣に産卵した雌のカッコウが、悪事への注意を引くリスクがあるのに派手に鳴く理由を調べました。この研究は、雌雄のカッコウ、ハイタカ、無害な対照のシラコバトの録音した鳴き声をヨシキリに向かって再生し、ヨシキリの行動を観察しました。その結果、ヨシキリは、タカに対するのと同じ高度な警戒を示して雌のカッコウの鳴き声に反応し、抱いている卵から自身の安全へと注意を転じましたが、雄のカッコウとシラコバトの鳴き声には反応しませんでした。

 この研究は続いて、ハイタカに捕食されるもののカッコウによる托卵を受けない別種の鳥(シジュウカラ科)による別の鳴き声を再生しました。シジュウカラ科鳥類は、雌のカッコウの鳴き声に対し、ハイタカに対するのと同じ反応を示したことから、警戒行動の誘発は雌のカッコウとハイタカの鳴き声の類似性によるものであることが示唆されました。この研究結果は、カッコウ亜科の托卵種には雌雄で鳴き声が異なるものが多いという事実と合わせて、托卵を行うカッコウの生活様式では性特異的な鳴き声が重要な要素となっている可能性を示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


宿主の巣に托卵するために雌のカッコウはタカの鳴き声をまねる

 雌のカッコウはタカをまねることによってヨーロッパヨシキリをかつぐ、という論文が、今週掲載される。その研究は、ヨシキリの巣に産卵した雌のカッコウが、タカのような鳴き声を発することによってヨシキリの注意をそらし、産み付けたカッコウの卵が気付かれにくくなるようにしていることを明らかにした。 雄のカッコウの鳴き声はなわばりを守る役割を果たすと考えられているが(カッコウの名前のもとになっている有名な「カッコー」という鳴き声は、雄だけが発する)、雌のカッコウの鳴き声(笑い声のような声であることから「チャクル」や「バブル」として知られる)の役割は謎に包まれている。しかし、その声は、ヨシキリの捕食者であるハイタカの鳴き声に似ている。

 Jennifer YorkとNicholas Daviesは、宿主の巣に産卵した雌のカッコウが、悪事への注意を引くリスクがあるのに派手に鳴く理由を調べた。2人は、雌雄のカッコウ、ハイタカ、そして無害な対照のシラコバトの録音した鳴き声をヨシキリに向かって再生し、ヨシキリの行動を観察した。 その結果、ヨシキリは、タカに対するのと同じ高度な警戒を示して雌のカッコウの鳴き声に反応し、抱いている卵から自身の安全へと注意を転じたが、雄のカッコウとシラコバトの鳴き声には反応しなかった。続いて、ハイタカに捕食されるがカッコウによる托卵を受けない別種の鳥(シジュウカラ科)による別の鳴き声を再生した。シジュウカラ科鳥類は、雌のカッコウの鳴き声に対し、ハイタカに対するのと同じ反応を示したことから、警戒行動の誘発は雌のカッコウとハイタカの鳴き声の類似性によるものであることが示唆された。 この研究結果は、カッコウ亜科の托卵種には雌雄で鳴き声が異なるものが多いという事実と合わせて、托卵を行うカッコウの生活様式では性特異的な鳴き声が重要な要素となっている可能性を示唆している。



参考文献:
York JE, and Davies NB.(2017): Female cuckoo calls misdirect host defences towards the wrong enemy. Nature Ecology & Evolution, 1, 1520–1525.
http://dx.doi.org/10.1038/s41559-017-0279-3
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デニソワ人についてのまとめ

2017/09/28 00:00
 これは9月28日分の記事として掲載しておきます。種区分未定のデニソワ人(Denisovan)については、以前このブログの関連記事をまとめたことがあります(関連記事)。その時は関連記事のリンクを貼っただけでしたが、デニソワ人に関するこのブログの記事がそれなりの本数になったので、一度自分なりにデニソワ人の情報を整理することにしました。デニソワ人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、現生人類(Homo sapiens)ともネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とも異なる後期ホモ属の分類群です。

 現生人類やネアンデルタール人といったホモ属の各種や、さらにさかのぼってアウストラロピテクス属の各種もそうですが、人類系統の分類群は基本的には形態学的に定義されています。しかし、デニソワ人は人類系統の分類群としては例外的に、遺伝学的に定義された分類群です。これは、デニソワ人と確認されている遺骸がいずれも断片的なので、形態学的情報がわずかしか得られていないためです。デニソワ人の遺骸としては、デニソワ3(Denisova 3)と呼ばれる手の末節骨と、デニソワ4・デニソワ8と呼ばれる臼歯2個、デニソワ2と呼ばれる右側下顎第二乳臼歯が確認されています。発見された層位から、デニソワ4→デニソワ3→デニソワ8→デニソワ2の順に古くなると考えられています。デニソワ4の年代は、放射性炭素年代測定法により、5万年以上前と、48600±2300年前という結果が得られています。デニソワ3の年代は5万年以上前ということしか明らかになっていません(関連記事)。

 デニソワ人の形態学的情報(関連記事)としては、デニソワ4・デニソワ8と呼ばれる臼歯2個が、ネアンデルタール人や現生人類の平均的な臼歯と比較してたいへん大きく、ネアンデルタール人や現生人類とは異なる祖先的特徴を有することが特筆されるくらいです。後述するように、デニソワ4とデニソワ8の年代が異なることから、この臼歯の特徴はデニソワ人の一部の個体に見られる例外ではなく、デニソワ人に共通する特徴である可能性が高そうです。ただ、デニソワ人の臼歯のサイズは鮮新世の人類に匹敵するくらいではあるものの、後期更新世の現生人類やネアンデルタール人の中には、デニソワ人と同程度のサイズの臼歯を有する個体もいます。

 このようにデニソワ人の形態学的情報はきわめて少ないので、中期〜後期更新世の既知のホモ属化石との照合が難しくなっています。デニソワ人は遺伝学的情報が豊富で形態学的情報がきわめて乏しい一方で、ネアンデルタール人や現生人類ではない中期〜後期更新世のホモ属化石の方は、形態学的情報がそれなりにあっても遺伝学的情報が皆無なので、両者の照合ができず、既知のホモ属化石のなかにデニソワ人と同じ分類群に区分され得るものがある可能性は低くないものの、どのホモ属化石がそうなのか、現時点では判断できません。また、デニソワ人の考古学的文脈も曖昧で、デニソワ3と同じ層でブレスレットのような装飾品が発見されているものの、デニソワ人ではなく現生人類の所産と考える見解が有力で、デニソワ人がどのような石器を製作していたのかも曖昧なので、石器からデニソワ人の時空的範囲を推定することもできません。現時点では、デニソワ人はデニソワ洞窟でしか確認されていません。


 このように、デニソワ人に関しては形態学的にも考古学的にも情報がきょくたんに少ないので、遺伝学的研究が主流というか、ほぼそれに特化しているように思われます。遺伝学的に現生人類でもネアンデルタール人でもないホモ属としてまず確認されたのはデニソワ3で、ミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析された(関連記事)後、核DNAも解析されました(関連記事)。デニソワ3に関しては、高網羅率のゲノム解析結果が提示されています(関連記事)。なお、デニソワ人の遺骸からではありませんが、環境DNA研究の古代DNAへの応用により、デニソワ洞窟の中期更新世の堆積物からデニソワ人のmtDNAが確認されています(関連記事)。デニソワ3のDNA解析の結果、現生人類とネアンデルタール人というDNAが解析されている後期ホモ属との比較で、デニソワ人の人類進化系統樹の位置づけに混乱が生じました。

 mtDNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統とが分岐し、その後にネアンデルタール人の祖先系統と現生人類の祖先系統とが分岐したことになります。ところが、核DNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統とが分岐し、その後にデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統とが分岐したことになります。この食い違いは、他のデニソワ人個体でも同様でした。デニソワ4とデニソワ8のmtDNAおよび核DNA解析でも、ネアンデルタール人と現生人類との比較で、デニソワ4とデニソワ8はデニソワ人の分類群に区分されました(関連記事)。デニソワ2も同様に、mtDNAでも核DNAでもデニソワ人の分類群に区分されました(関連記事)。デニソワ人のなかでは、mtDNAに基づくと、デニソワ3・デニソワ4とデニソワ2・デニソワ8とでそれぞれ分類群を形成します(関連記事)。

 上述した出土層位および塩基置換の比較から、デニソワ8はデニソワ3・デニソワ4よりかなり古い年代になると推測されており(関連記事)、デニソワ2はデニソワ8より古いと推測されています(関連記事)。具体的には、デニソワ2は、デニソワ3よりも54200〜99400年、デニソワ8よりも20600〜37700年古く、デニソワ3とデニソワ4は近い年代(3700〜6900年の違い)と推定されています。上述した考古学的情報と併せると、デニソワ2は10万年以上前の人類と考えられます。これらデニソワ人個体(の属する集団)が先祖・子孫関係にあるのかは不明ですが、短くとも10万年以上アルタイ地域で存続していた可能性は高いでしょう。短くとも10万年以上の時間差があるものの、デニソワ洞窟でしか確認されていないデニソワ人の遺伝的多様性は、複数の遺跡で発見されているネアンデルタール人とほぼ同等で、世界規模の現代人よりも低くなります。もちろん、デニソワ人にしてもネアンデルタール人にしても、今後の新たなDNA解析により遺伝的多様性が高くなる可能性はあります。

 mtDNAと核DNAで、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけが異なることについては、遺伝学的に未知の人類集団からデニソワ人系統にmtDNAがもたらされたとの想定など、複数の仮説が提示されています(関連記事)。じっさい、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万〜100万年前頃に分岐したと推定される、遺伝学的に未知の人類系統とデニソワ人との交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。

 この問題の手がかりになるのは、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された43万年前頃の人骨群です。SH人骨群は、祖先的特徴とネアンデルタール人特有の派生的特徴とを併せ持っており、ネアンデルタール人の祖先集団か、それにきわめて近縁な集団だと考えられます(関連記事)。SH人骨群は、現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人との比較において、mtDNAの解析ではデニソワ人に最も近縁で(関連記事)、核DNAの解析ではネアンデルタール人と最も近縁になります(関連記事)。

 この食い違いの解釈として現時点で最有力視されているのは、ネアンデルタール人の祖先系統は本来「デニソワ人型」のmtDNAを有しており、後期ネアンデルタール人においてアフリカ起源の現生人類とより近縁な人類系統からもたらされたmtDNAに置換された、という説です。下部旧石器時代(アフリカでは前期石器時代)〜中部旧石器時代(アフリカでは中期石器時代)の移行がアフリカとユーラシア西部で類似していることから、様式3(関連記事)の石器技術を携えたアフリカ起源の集団が、40万〜30万年前頃にユーラシア西部に進出してきたのではないか、と想定されています(関連記事)。


 このように、デニソワ人と現生人類およびネアンデルタール人との関係は複雑であり、後述するこの3系統の交雑にそれがよく見られます。現時点では、これら3系統の関係は、上述した核DNAの解析に基づくものが最も受け入れられている、と言ってよいでしょう。つまり、まずデニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統とが分岐し、その後にデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統とが分岐した、という想定です。

 この想定では、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統との推定分岐年代は、ゲノム規模の解析では765000〜550000年前頃(関連記事)、Y染色体の解析では806000〜447000年前頃(関連記事)となります。その後の研究では、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統との分岐が25920世代前(751690年前頃)、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統との分岐が25660世代前(744000年前頃)と推定されています(関連記事)。この推定が妥当ならば、デニソワ人系統は、現生人類系統と分岐して(人類進化史の基準では)すぐに、ネアンデルタール人系統と分岐したことになります。

 上述したように、mtDNAではこの分岐が異なります。ドイツ南西部で発見されたネアンデルタール人化石のmtDNA解析の結果、mtDNAにおける現生人類および(後期)ネアンデルタール人の共通祖先系統とデニソワ人系統との分岐年代が141万〜72万年前頃、ネアンデルタール人の祖先系統と現生人類の祖先系統の分岐年代が468000〜360000年前頃で、ネアンデルタール人系統におけるmtDNAの置換は468000〜219000年前頃に起きた、と推定されています(関連記事)。

 デニソワ人は(アルタイなど東方地域の)ネアンデルタール人および現生人類と交雑していた、と推測されています。ただ、DNA解析の信頼性の問題から、ネアンデルタール人や現生人類との交雑がはっきりと確認されているのはデニソワ3だけです(関連記事)。現代人への遺伝的影響に関して、ネアンデルタール人の場合は非アフリカ系現代人全員に見られますが、デニソワ人の場合は非アフリカ系現代人でも一部にのみ見られ、オセアニアでとくに高く、東アジアやアメリカ大陸先住民集団では低いながらも見られるものの、西ユーラシアではほとんど見られません(関連記事)。また、デニソワ人にはネアンデルタール人からの遺伝的影響も見られます(関連記事)。

 現時点ではシベリア南部でのみ確認されているデニソワ人と、アフリカからユーラシア南岸経由で拡散したと思われるオセアニアの現代人の祖先集団との交雑については、その場所と年代が問題となります。場所は、他地域と比較してオセアニアの現代人集団でデニソワ人の遺伝的影響がとくに高いことから、東南アジアか東アジア(もしくは東南アジア北部)が有力視されており(関連記事)、年代は54000〜44000年前頃と推定されています(関連記事)。

 ただ、オーストラリア大陸(更新世の寒冷期には、ニューギニア島やタスマニア島とも陸続きとなり、サフルランドを形成していました)には65000年前頃(関連記事)、スマトラ島には73000〜63000年前頃(関連記事)に現生人類が進出していた、との見解も提示されているので、現生人類とデニソワ人の交雑の推定年代として54000〜44000年前頃は新しすぎるようにも思います。もっとも、6万年以上前に東南アジアやオセアニアにまで進出した現生人類集団は、現代のオセアニア集団の主要な遺伝子源ではなく、その後にオセアニアに進出してきた現生人類集団に置換されたか、吸収されたとすると、54000〜44000年前頃でも不思議ではないでしょう。

 現時点では、デニソワ人は南シベリアのデニソワ洞窟でしか確認されていないので、デニソワ人と現生人類との交雑が東南アジアで起きたのだとしたら、デニソワ人は南シベリアから東南アジアまで、環境が大きく異なる広範な地域に存在したことになります。デニソワ人と現生人類との交雑については、1回だけとの見解が有力でしょうが(関連記事)、南アジアのシェルパ集団においてデニソワ人由来のゲノム領域の割合がとくに高いことから、現生人類とデニソワ人との交雑が複数回起きた可能性も提示されています(関連記事)。判断の難しい問題ですが、デニソワ人はネアンデルタール人と分岐した後、ユーラシア大陸の北側(中央部)と南側(沿岸部)に分かれて東進し、後者の系統がオセアニアの現代人の祖先集団と交雑した、と考えるのがよいかもしれません。

 デニソワ人の遺伝的多様性の低さから、デニソワ人系統は現生人類系統との分岐後ずっと人口が減少していったか(関連記事)、人口が増大していっても、集団規模の小さい状態から急速に拡大し、遺伝的多様性が増大するじゅうぶんな時間がなかっただろう(関連記事)、と推測されています。一方、ネアンデルタール人に関しては、デニソワ人系統と分岐後に人口が増加し、各地域集団に細分化していった、と推測されています(関連記事)。そうした細分化されたネアンデルタール人集団の一つであろうアルタイ地域集団に関しては、デニソワ洞窟で発見されたネアンデルタール人女性の両親が近親で、直近の祖先でも近親婚が行なわれていた可能性が指摘されています(関連記事)。しかし、デニソワ人に関しては、直近の祖先の近親婚の痕跡は確認されていません(関連記事)。


 デニソワ人と現生人類との交雑で注目されているのは、現代人に残るデニソワ人由来と推定されるゲノム領域に、適応度に関わるような遺伝子があるのか、ということです。デニソワ人だけではなくネアンデルタール人に関してもよく言われるのが、現生人類はアフリカから世界各地へと拡散する過程で、デニソワ人やネアンデルタール人のような先住人類との交雑により拡散先の地域での適応的な遺伝子を獲得し、それが現生人類の拡散を容易にした、という説明です。具体的には、免疫に関わる遺伝子が取り上げられることが多く(関連記事)、確かに、それらが現生人類に有利に作用した可能性は高いと思います。この他には、現代チベット人に見られる高地適応の遺伝子がデニソワ人由来と推定されており(関連記事)、ネアンデルタール人に関しては、肌の色や毛髪など、アフリカよりも高緯度の地域での適応度を高めそうな形質に関わる遺伝子が現代人に継承されているのではないか、と指摘されています(関連記事)。

 一方、デニソワ人やネアンデルタール人由来の遺伝子のなかには、かつては中立的だったか有益だったのに、現在では適応度を下げているものもあります。交雑による免疫機能の強化はアレルギー反応を強化してしまうかもしれませんし、ネアンデルタール人由来の遺伝子の場合には、かつては適応度を上げただろう、血液が凝固しやすくなる遺伝子や代謝関連の遺伝子と、かつては適応度への影響がなかっただろう、24時間周期のリズムの妨害が契機となり得る鬱病の危険性を高める遺伝子が、現代の一般的環境では適応度を下げるのではないか、と指摘されています(関連記事)。

 また、具体的な影響はまだ不明ですが、現代人のゲノムに占めるデニソワ人もしくはネアンデルタール人由来と推定されている領域の割合が、常染色体よりもX染色体の方でずっと低くなっていることから、デニソワ人やネアンデルタール人と現生人類との交雑により繁殖能力が低下したのではないか、と推測されています(関連記事)。現代人の常染色体でも、精巣に関わる遺伝子領域でネアンデルタール人由来の領域が排除されているように見えることから(関連記事)、デニソワ人やネアンデルタール人と現生人類との交雑が、子や孫の世代において繁殖能力を低下させる可能性は高そうです。

 精巣は直接繁殖に関わってきますが、より間接的な要素として、認知能力・会話能力などがあります。ネアンデルタール人に関しては、発話能力に関係するFOXP2遺伝子を取り囲んでいる現代人の膨大なゲノム領域でネアンデルタール人由来のものが見つからず(関連記事)、脳に関わる遺伝子でも同様であることから(関連記事)、ネアンデルタール人と現生人類との交雑では認知能力や他者との意思伝達能力が低下した可能性も考えられます。デニソワ人についても、同様だった可能性は低くないと思います。

 エピジェネティクスの研究でも、デニソワ人やネアンデルタール人と現代人との違いが指摘されており、有害な側面はありつつも脳の飛躍的発展をもたらした可能性のある精神障害に関わる遺伝子において、ネアンデルタール人の場合はほとんどがメチル化により遺伝子の発現が停止しており、現代人との大きな違いになっている、と指摘されています(関連記事)。また、交雑の結果として、デニソワ人やネアンデルタール人から現生人類へと発癌性ウイルスが感染した可能性も指摘されています(関連記事)。

 このように、デニソワ人やネアンデルタール人との交雑により繁殖能力が低下したとしても、現代までデニソワ人やネアンデルタール人由来の遺伝子が継承されているのは、上述したように、現生人類にとって適応度を上げるものもあったからなのでしょう。それでも、やはり繁殖能力を低下させるためなのか、現代人のゲノムに占めるデニソワ人由来と推定される領域の割合は低く、オセアニアでは、常染色体で0.85±0.43%、X染色体で0.18±0.17%となり、東アジアでは、常染色体で0.06±0.02%、X染色体で0.00±0.01%となります(関連記事)。なお、ネアンデルタール人に関しては、西ユーラシアでは、常染色体で1.06±0.12%、X染色体で0.18±0.19%となり、東アジアでは、常染色体で1.39±0.11%、X染色体で0.32±0.28%となります(関連記事)。

 なお、直接的にデニソワ人に関してではありませんが、現生人類においてネアンデルタール人由来の遺伝子が除去された理由として、ネアンデルタール人は現生人類と比較して人口規模が小さかったので、除去されなかった(強い選択圧に曝されなかった)弱い有害な遺伝的変異が、交雑の結果、より大規模な集団である現生人類に浸透すると除去されるのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。


 以上、デニソワ人に関する情報を自分なりに整理してみましたが、やはり上述したように、形態学的情報がほとんど得られておらず、DNAが解析されていない他の中期〜後期更新世のホモ属化石と照合できないことが、デニソワ人の研究を大きく制約しています。多くの形態学的情報を得られるようなホモ属遺骸のDNA解析に成功し、現生人類やネアンデルタール人との比較でデニソワ人の分類群に区分され得るようなことがあれば、デニソワ人を遺伝学だけではなく形態学的にも定義できるようになり、中期〜後期更新世のホモ属化石と照合できるようになるでしょう。そうすると、デニソワ人に分類されるホモ属化石も増えていき、デニソワ人の存在範囲や多様性、さらには現生人類と交雑した場所と時間や考古学的文脈など、多くのことが明らかになっていくのではないか、と期待されます。今後、デニソワ人に関する研究は大きく進展する可能性を秘めており、楽しみです。
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第38回「井伊を共に去りぬ」

2017/09/27 00:00
 これは9月27日分の記事として掲載しておきます。武田軍が井伊谷に攻めて来ますが、近藤康用は武田に帰順せず、城に火を放って逃亡します。これに怒った武田軍は村に火を放ち、井伊谷は焦土と化します。南渓和尚は単身武田軍の陣へと乗り込み、武田信玄と対面して井伊の家名復興と本領安堵を願い出ます。井伊は武田のために決起し、近藤を倒そうとした、と南渓和尚は信玄に説明します。はったりで何とかしよう、というわけです。信玄は、井伊の家名復興の条件として、近藤康用の首を要求します。直虎(次郎法師)は近藤康用に、井伊と近藤が対立しているように見せかけて、徳川と武田のどちらが優勢か見極めていくのはどうか、と提案しますが、近藤康用は直虎の申し出に乗ろうとはしません。しかし、近藤康用は改めて直虎と会い、直虎の策に乗る、と伝えます。

 龍雲丸は高瀬の様子がおかしいのに気づき、直虎に伝えてともに高瀬を問い詰めます。高瀬は借金のために武田の間者として井伊に入り込んだのでした。ただ、直親(亀之丞)の娘であることは事実だ、と高瀬は言います。高瀬は井伊のために近藤康用を毒殺しようとしたのでしたが、直虎は高瀬を叱り、このままただの娘として井伊にいてよいのだ、と高瀬を諭します。武田軍は西方へと去り、直虎は、井伊の所領ではなくなったにも関わらず、村人たちとともに村を再建しようとします。中村屋が堺からやって来て、直虎と龍雲丸を堺に迎え入れようとします。直虎は村の再建が気にかかっていましたが、南渓和尚に説得されて堺に行く決意を固めます。しかし、龍雲丸は、理想の世を築くためにも村に留まるよう、直虎を説得します。しかし直虎は、堺に行く決意を変えようとはしません。

 徳川は領内に侵攻してきた武田軍に圧倒され、窮地に立たされていましたが、上機嫌の信玄は陣中で吐血して倒れ、死亡します。徳川は勢いを盛り返し、井伊谷は徳川の支配下に戻ります。本作の信玄は吐血するまで健康そのものといった感じでしたが、南渓和尚が高瀬から毒を入手して毒殺した、ということでしょうか。まあ、単に病没で、寿桂尼の怨念と絡めていただけかもしれませんが。いよいよ直虎と龍雲丸が堺に行く日を迎えましたが、龍雲丸はあくまでも直虎を井伊谷に留まらせようとします。直虎はそれでも堺に行こうとしますが、龍雲丸の説得を受け入れて井伊谷に残ることにします。今回は、直虎と龍雲丸との長きにわたる関係に一応の決着がつき、最後に成人役の虎松(井伊直政)が登場するなど、重要な区切りになったのではないか、と思います。今回は、信玄と南渓和尚とのやり取りや、徳川家康と今川氏真とのやり取りなど、見どころもありましたが、全体的には盛り上がりに欠けた感が否めません。直虎と龍雲丸との関係は、いつかは決着をつけねばならなかったでしょうから、率直に言ってあまり楽しめませんでしたが、こういう描写もありかな、とは思います。
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大相撲秋場所千秋楽

2017/09/26 00:00
 これは9月26日分の記事として掲載しておきます。今場所は四横綱・三大関という豪華な番付でしたが、初日から白鵬関・稀勢の里関・鶴竜関の三横綱が、大関のうち、高安関が3日目から、照ノ富士関が6日目から途中休場となり、千秋楽まで出場したのは横綱が日馬富士関1人、大関が豪栄道関1人となりました。異例の事態で、4敗まで優勝圏内だったことも含めて、盛り上がりに欠ける場所になってしまった感は否めません。相撲人気が復調傾向にあっただけに、何とも残念です。

 照ノ富士関は大関から陥落することとなり、大関昇進後に負傷した時、強引に出場せず休場しておけば、と惜しまれます。照ノ富士関は、一時は完全に実力で稀勢の里関を上回ったように思われ、最も横綱に近い力士だっただけに、このまま以前の実力を取り戻せないとなると、残念でなりません。まあ、照ノ富士関の強引な取り口では、稀勢の里関との取り組みで負傷せずとも、いつかは大怪我となっていたかもしれませんが。おそらく相撲協会にとって最大の誤算だったのは、横綱・大関陣では体調面で最も不安の少なそうな高安関が負傷して途中休場したことで、横綱・大関陣で唯一優勝経験のない高安関が優勝争いに加わっていれば、もっと盛り上がったのではないか、と思います。

 優勝争いは、終盤に入って豪栄道関が星二つの差をつけて独走するのかと思っていたら、12・13日目と連敗し、混沌としてきました。14日目が終わった時点で優勝争いは3敗の豪栄道関と4敗の日馬富士関に絞られました。満身創痍の日馬富士関は途中3連敗し、立ち直りかけたところで負けて4敗となり、優勝争いから脱落したと思っていたのですが、豪栄道関が自滅して失速したため、優勝争いに加わってきました。まあ、負けていたとはいえ、動き自体はさほど悪くなかったように見えましたので、低水準の優勝争いとなった今場所は何とか踏みとどまった、といった感じでしょうか。

 日馬富士関と豪栄道関は千秋楽結びの一番で対戦し、日馬富士関が寄り切って勝ってともに4敗で並び、優勝決定戦でも日馬富士関が豪栄道関を圧倒して寄り切って勝ち、9回目の優勝を果たしました。終盤の勢いの差から考えて、日馬富士関の逆転優勝を予想していた人は私も含めて多かったでしょうし、この結果はとくに意外ではありませんでした。日馬富士関は優勝したとはいえ、三横綱・二大関が休場し、4敗ですから、低水準なのは間違いありません。

 率直に言って、三横綱・二大関が休場したことも含めて、白けた場所になってしまった感は否めません。ただ、横綱・大関陣で千秋楽まで出場した2人が千秋楽結びの一番まで優勝争いに加わったので、何とか格好はついたかな、とも思います。これだけ横綱・大関陣が不振だったのに、関脇以下で千秋楽まで優勝争いに加わった力士がいないのは、まだ横綱・大関陣と関脇以下で大きな実力差がある、ということなのでしょう。横綱・大関陣7人(このうち照ノ富士関は今場所で陥落となりましたが)のうち5人は30代で、横綱4人は全員30代で状態の不安が大きいわけですから、そろそろ世代交代が本格的に進まないと本当に困ります。
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アフリカ人の古代DNA

2017/09/25 00:00
 これは9月25日分の記事として掲載しておきます。アフリカ人の古代DNAに関する研究(Skoglund et al., 2017)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。アフリカは、その気候条件のため、ヨーロッパなどと比較して古代DNAの解析が難しく、この分野の研究の遅れている地域と言えるでしょう。この研究は、新たにアフリカの15人の古代DNAを解析し、以前に報告されているエチオピアで発見された4500年前頃の男性の古代DNA(関連記事)を併せて、59集団の584人の現代アフリカ人および世界の142集団の300人のゲノムデータと比較しました。新たに解析された15人の古代DNAの内訳は、南アフリカ共和国の3人(2000〜1200年前頃)、マラウイの7人(8100〜2500年前頃)、タンザニアの4人(3100〜600年前頃)、ケニアの1人(400年前頃)です。

 その結果、アフリカ人の古代DNAはほとんどの場合、現代のその地の住民のDNAと最も類似していましたが、例外もいくつか確認されました。現代人の各地域集団において、アフリカの遺伝的多様性は世界で最も高く、最初期の分岐はアフリカ南部で生じたことが示唆されています(関連記事)。アフリカ南部のサン人は現代人のなかで最初期に分岐した集団とされており、現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説は今ではほぼ通説として認められていますが、遺伝学ではアフリカでも南部起源説が有力と言えるでしょう(形態学ではアフリカでも東部起源説が有力)。

 この研究は、古代アフリカ人と現代人のDNAの解析・比較の結果、サン人の祖先集団は過去にはもっと広範に分散しており、8100〜2500年前頃のマラウィ(Malawi)の狩猟採集民には約2/3、1400年前頃のタンザニアの狩猟採集民には約1/3の遺伝的影響を及ぼしていたのではないか、と推定しています。サン人も含むアフリカ南部の先住民系統は、アフリカ東部から拡散し、アフリカ西部の先住民系統と数千年前に分岐したのではないか、とこの研究は推測しています。

 このように、現代と古代とで住民のDNA構成が異なっている地域もある大きな理由は、アフリカで4000年前頃に始まったバンツー語族の農耕民集団の拡散と考えられています。じっさい、マラウイの現代人は、古代の狩猟採集民の子孫というよりは、アフリカ西部から拡散してきた農耕民の子孫のようです。アフリカの一部地域では、アフリカ西部からの農耕民の拡散が狩猟採集民集団に大きな影響を及ぼし、ほぼ完全な置換が起きたようです。

 また、アフリカにおける農耕民の拡散の影響が広範に及ぶ前に、タンザニアの3100年前頃の牧畜民が、1200年前までの南部アフリカの牧畜民も含む北東部〜南部アフリカの人々に遺伝的影響を及ぼしていたことも明らかになるなど、アフリカにおいては過去に複雑な人類の移動があったようです。この研究は、アフリカに関しても、現代人のDNAからのみでは過去の移動・住民の遺伝的構成の復元が容易ではない、と指摘しています。毒性植物の検出の学習に重要な味覚受容体の遺伝子の選択の証拠や、アフリカ南部のカラハリ砂漠の住民の間での紫外線放射にたいする適応が指摘されていることも注目されます。


参考文献:
Skoglund P. et al.(2017): Reconstructing Prehistoric African Population Structure. Cell, 171, 1, 59–71.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cell.2017.08.049
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