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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』590話〜593話

2016/12/06 00:36
590話「怪盗107号」6
 一係が麻薬取引の現場を押さえようと夜中に張り込んでいたところ、偶然、麻薬の隠し場所にある絵を盗もうと進入してきた犯人が、麻薬を発見して盗みます。その犯行手口から、美術品専門の窃盗犯である怪盗107号だと考えられました。ドックは犯人の姿を目撃し、手がかりのバイクから、その犯人が女性の歯科衛生士だと推理します。その女性は、かつて美術商の夫が詐欺にあって自殺したことから、復讐のために美術品の窃盗を繰り返していました。一係は、何とか女性から麻薬を押収しようと、女性に食い下がります。アクションシーンはなかなか見ごたえがありましたし、話もさほど悪くはなかったと思います。今回のような、女性心理も描く作品となると、やはり現在のメンバーではドックが適任です。


591話「ボギーの妹?」9
 ボギーはある女性に付け狙われ、その若い女性を問い質します。道路に飛び出した女性を助けようとしたボギーは自動車にはねられ、行方不明となります。一係はボギーを探しますが、3日経っても見つからず、公開捜査に踏み切ります。ボギーは記憶喪失となり、ボギーを狙っていた若い女性の家にその兄として住んでいました。ドックとブルースは偶然ボギーを見かけますが、見失います。ドックはボギーが記憶喪失ではないか、と推理します。女性の意図が不明で不気味な印象を残しますが、ボギーの姉の証言により、ボギーの妹と称する女性がボギーに恨みを抱いていることが明らかになります。143話「霧の旅」のように、本作で刑事が記憶喪失になる話もありますが(関連記事)、珍しいので、新鮮な感じで視聴できました。ボギーを恨んでいる女性の心理が今回の主題で、女性心理に疎いボギーとの組み合わせでボギーの不器用さや優しさが浮き彫りになり、かえって面白くなったように思います。


592話「空白0.5秒」9
 ラガーは女性を人質に取った男性の拳銃強盗犯を説得しようとします。その犯人もラガーと同じく母子家庭で育ったので、ラガーには共感するところがありました。母親を乗せたパトカーのサイレン音を聴いたラガーは、窓の方を見て犯人から一瞬目を離します。その間に、犯人はライフルで射殺されます。撃ったのはブルースでした。ラガーは、犯人が自分の説得に応じて銃を下げたところを見ていましたが、ブルースにはそれは見えていませんでした。しかし、ラガーが目を離した隙に、犯人はラガーに銃を向けた、とブルースは言います。ブルースは査問委員会にかけられることになります。ボギーは、ブルースを庇おうとしないラガーに苛立ちます。一係は、殺された犯人を改めて調べるとともに、人質の女性にも証言を求めますが、女性は分からないとしか言いません。ラガーは査問委員会で、ブルースが射殺したのは誤りだった、と証言します。ブルースに不利な雰囲気となるなか、人質だった女性が、犯人は再びラガーに銃を向けた、と証言します。自分の説得が成功したと確信していたラガーは動揺します。捜査を進めると、犯人と母親の仲は悪く、犯人は母親に暴力を振るっていたことが明らかになります。母親が自殺未遂しようとした時点でオチは見えてきましたが、査問委員会でのやり取りや、ボギーがブルースを思って激昂したところなど、緊張感があった見ごたえがありました。動揺しまくるラガーにたいして、終始冷静なブルースが対照的で、この点も話を面白くしていたと思います。


593話「ジプシー再び」7
  545話で他の警察署に転勤となった原が再登場する話で、原の再登場自体は覚えていたのですが、内容自体はほとんど忘れていました。話の方は、暴走族の構成員が殺されるところから始まります。なかなか謎めいたところのある事件で、ボギーの活躍も含めてなかなか楽しめましたが、今回はあくまでも、原の再登場を楽しむべきということかな、と思います。原の再登場は今回だけで、殉職ではなく転勤という形での退場だったので、スコッチのようにレギュラー刑事として復帰とまではいかなくても、もう1回くらい再登場があってもよかったのではないか、と思います。
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大河ドラマ『真田丸』第48回「引鉄」

2016/12/05 00:00
 これは12月5日分の記事として掲載しておきます。豊臣方と徳川方の和議が成立しますが、幸村(信繁)は徳川軍が再び攻めてくると考え、家康の暗殺を計画します。佐助は幸村の命により家康を殺害しようとしますが、殺したのは影武者でした。徳川軍がそれぞれ自領へと帰還するなか、幸村は佐助に再度家康の命を狙うよう指示するとともに、防衛計画を練ります。幸村は、牢人衆の士気を高めるために、大坂城にその家族を呼び寄せるよう、秀頼に進言します。幸村は息子の大助とともに、甥の信吉・信政を訪ねます。

 今回は、大坂夏の陣へといたる人間模様が描かれました。豊臣方は負けるべくして負けた、というところがよく描かれていたと思います。主人公である幸村を美化しているところはもちろんあるのですが、幸村の見通しの甘さも描かれてあり、この点はなかなかよいと思います。織田有楽斎は今回で退場なのでしょうが、胡散臭さ全開で、短い登場ながら印象に残りました。大野治房もそうですが、登場場面の少ない人物もしっかりとキャラ立てされているのが、本作の魅力になっていると思います。
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平野明夫編『家康研究の最前線 ここまでわかった「東照神君」の実像』

2016/12/04 00:00
 これは12月4日分の記事として掲載しておきます。日本史史料研究会監修で、歴史新書の一冊として洋泉社より2016年11月に刊行されました。本書は、同じく歴史新書の一冊として、一昨年(2014年)刊行された『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』(関連記事)と、昨年(2015年)刊行された『秀吉研究の最前線 ここまでわかった「天下人」の実像』(関連記事)の続編と言えそうです。本書は4部構成で、各部は複数の論考から構成されています。本書で提示された見解のなかには、すでに他の一般向け書籍で知ったものもありましたが、柏書房より昨年刊行された『家康伝説の嘘』(関連記事)とあわせて読むと、徳川家康についての近年の研究動向を手軽に知ることができ、たいへん有益だと思います。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。なお、以下の西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。



●平野明夫「はじめに─家康の伝記と松平・徳川中心史観をめぐって」P3〜16
 江戸時代における家康についての諸伝記の成立過程とその特徴について簡潔に解説されています。すでに江戸時代初期において、史実に反して、家康の伝記で家康個人、さらには徳川(松平)氏を称揚する傾向が見られるそうです。続いて、近現代歴史学における家康および徳川(松平)氏の研究について概観されていますが、実証性の高まった近現代歴史学においても、「徳川(松平)中心史観」的な側面が見られることもあったようです。1970年代以降、「徳川中心史観」への自覚的な反省も見られるようになり、現在まで続く動向となっているようです。



第1部 戦国大名への道


●村岡幹生「家康のルーツ・三河松平八代 松平氏「有徳人」の系譜と徳川「正史」のあいだ」P22〜46
 家康へといたる松平氏の動向が解説されています。家康の前の松平氏については、史料が少なく、曖昧としたところが多分にあるようですが、諸史料からより妥当な松平氏像を提示する試みになっていると思います。本論考でも、家康の祖父である清康による東三河遠征と三河統一など、後世の文献による松平氏顕彰の傾向が指摘されています。清康に関しては、英雄とする人物像に少なからぬ捏造があるようです。また、松平氏が、15世紀には賀茂姓を称したこともある、との指摘も興味深いものです。


●平野明夫「人質時代の家康 家康は、いつ、今川氏から完全に自立したのか」P47〜65
 家康の幼少期から桶狭間の戦いの後の今川氏からの自立までが検証されています。色々と興味深い見解が提示されているのですが、まず、今川氏と織田氏はずっと対立していたわけではなく、三河での軍事行動で協調していた時期もあり、その時には松平氏は今川氏に従属していたのではなく、今川・織田両氏と対立していた、ということです。次に、家康(竹千代)は幼少期には駿府ではなく吉田にいた可能性が高い、ということです。後世の史書には、家康は駿府で厚遇されていた、とする「徳川・松平中心史観」による作為が見られるのでないか、というわけです。桶狭間の戦いの後、家康(元康)は今川義元の後継者である氏真から直ちに離反したわけではなく、仇討ちを勧めたものの、氏真にはそれを実行する様子が見られなかったので、家康は今川かを見限った、との俗説にたいして、それは家康神格化のための捏造であり、家康は桶狭間の戦いの直後から自立を図っていた、との見解も注目されます。


●安藤弥「領国支配と一向宗 「三河一向一揆」は、家康にとって何であったのか」P66〜84
 三河一向一揆は、家康による三河領国化の進展の重要な契機になった、と評価されています。ただ、家康の家臣団の分裂や戦況の推移などから、家康が意図的に起こしたものではなく偶発的だった、とも指摘されています。三河一向一揆の背景として、当時激しかった松平(徳川)氏と今川氏との対立があり、時代が下ると、三河の一向一揆教団にのみ「反乱」の責任を負わせるような言説が出てきますが、本論考は、だからといって三河の一向一揆教団の重要性を軽視してはならない、と注意を喚起しています。また本論考は、本能寺の変後に、家康が三河の一向一揆教団を赦免したことも視野に入れていく必要がある、と提言しています。


●堀江登志実「家康の譜代家臣 家康の家臣団は、どのように形成されたのか」P85〜100
 家康の家臣団が西三河を基盤として、東三河から遠江へと領地が拡大し、さらには武田氏の滅亡と本能寺の変により駿河・信濃・甲斐も所領としていき、後北条氏滅亡後に関東に移封となる過程で、今川・武田・後北条の旧臣を取り込んでいったことが指摘されています。武田旧臣の取り込みのさいには、井伊直政が重要な役割を担ったようです。関東移封後にとくに重用された本多忠勝・榊原康政・井伊直政には、徳川氏から与力が付属させられ、この与力は本多・榊原・井伊の家臣というより、徳川の家臣という意識が強く、その意識は江戸時代にも続いた、と指摘されています。



第2部 戦国大名 徳川家康


●遠藤英弥「今川氏真と家康 義元の死後、家康と今川家との関係はどうなったのか」P102〜114
 本論考は、上述の平野明夫「人質時代の家康」とは異なり、家康と今川氏真との対立は、桶狭間の戦いの直後ではなく、その翌年からだと推測しています。その一因として、今川氏が同盟相手の北条氏に援軍を送ったため、三河にまで援軍を派遣する余裕がなかっただろう、ということが挙げられています。氏真の器量については、後々まで付き従った家臣がいることからも、暗愚説は後世の創作が多分にあるのではないか、と指摘されています。また、家康が氏真を保護した理由として、武田との抗争における名分の確保が指摘されています。


●平野明夫「名将たちと家康の関係 信長・信玄・謙信を相手に独自外交を展開した家康」P115〜129
 家康が信長・武田信玄・上杉謙信を相手に独自の外交を展開したことが検証されています。この問題で重要となるのは家康と信長との関係で、1570年以前は、徳川から織田への援軍は足利義昭の要請によるものであり、家康が信長に従属するようになったのは1575年以降だとされます。1575年以前は、信長と謙信を巻き込んで武田包囲網を形成しようとした家康の外交方針が、信長のそれとは齟齬をきたすようなこともあった、と指摘されています。また、家康が今川から自立した時期は桶狭間の戦いの直後であるものの、氏真が家康の反逆を認識したのはそれから少し経過してからではないか、と推測されています。


●宮川展夫「北条氏と家康 徳川氏と北条氏の関係は、関東にいかなる影響を与えたのか」P130〜146
 家康と北条氏との関係は断続的なものだった、と指摘されています。桶狭間の戦いの後、家康が今川氏と対立するようになると、北条氏は和睦仲介者として家康と接触しますが、この和睦は成立しませんでした。家康も北条氏も武田氏と対立するようになると、家康と北条氏は関係を復活させますが、北条氏が武田氏との同盟を復活させ、再び関係が途絶えます。武田氏が衰退するなか、北条氏は家康との交渉を再開しますが、これは、織田体制での生き残りをかけたもので、家康が織田体制において関東の「惣無事」を担当していたからでした。この体制は本能寺の変の後も続き、家康は秀吉との対立を経て、今度は豊臣体制において同様の役割を担い、北条氏と接触します。しかし、この家康の立場は、北関東の反北条氏の有力者との関係も含むものであり、家康の立場が北条氏にとって微妙なものでもあったことが指摘されています。



第3部 豊臣大名 徳川家康


●播磨良紀「秀吉と家康 豊臣政権の中枢で、積極的な役割を果たした家康」P148〜160
 家康と秀吉との関係は、小牧・長久手の戦い前には良好であり、対立関係を経て家康が秀吉に従属した後は、家康は豊臣政権の重鎮として行動し、実績を積み重ねていった、と指摘されています。家康が豊臣政権において面従腹背だったのか、定かではないものの、少なくとも史料に見える行動からは、豊臣政権を崩壊させようという意図は窺えない、というのが本書の見解です。後の結果からの逆算や、それも反映した後の時代の文献により、当時の両者の関係が的確に把握できていない、ということもあるようです。これは、秀吉と家康の関係に限らない問題なのでしょう。


●谷口央「五か国総検地と太閤検地 家康の検地は、秀吉に比べ時代遅れだったのか」P161〜179
 家康は秀吉に臣従した後まもなく、五ヶ国の領地において検地を実施しています。この検地の性格をめぐって、太閤検地論争以降に議論が続いており、時代遅れだった、との見解も提示されました。本論考は、この領国総検地により、有力農民層に基づく年貢収納体制から村請制へと転換していったとして、豊臣政権からの直接の指示は史料上確認できないものの、事実上の太閤検地として位置づけられる、との見解を提示しています。豊臣政権の奉行ではなく、大名が主導した検地ということでしょうか。


●中野達哉「関東転封と領国整備 家康の「関東転封」は、何をもたらしたのか」P180〜201
 関東転封後の家康の領国整備について解説されています。関東転封後は、まだ各村の石高を把握できていないので、上級家臣団の領地については、まず拠点となる城が指定され、それと同時かやや遅れて石高が確定した後、じっさいの領地が決まっていったようです。関東転封の翌年から領国内での検地が進み、上級家臣団の領地も確定していきますが、これには時間を要したようです。こうした関東での徳川氏による領国整備により、関東は近世へと移行していった、との見通しが提示されています。


●佐藤貴浩「家康と奥州 「関東入国」直後、「奥羽仕置」で大活躍した家康」P202〜219
 1590年、秀吉は伊達政宗を臣従させ、奥羽も支配下に置きますが、奥羽の情勢は安定せず、大崎・葛西一揆や九戸一揆など動乱が続きます。家康はこうした不穏な奥羽情勢への対応に忙殺され、知行割といった重要な問題にも豊臣秀次とともに関与していました。家康は豊臣政権の家臣としてその維持に奔走しており、これが後の家康の政治的基盤の形成に役立った、と考えられます。また家康は、奥羽情勢への対応から、新たな所領である関東の領国整備を進めることがなかなかできなかったようです。



第4部 天下人 徳川家康


●鍋本由徳「イギリス商人の家康理解 大御所 徳川家康はエンペラーかキングか」P222〜239
 17世紀初頭のイギリス商人は家康を皇帝として認識しており、それは家康の死まで変わらなかった、と指摘されています。家康の息子である秀忠は、すでに1605年に征夷大将軍に就任していましたが、当時のイギリス商人は、あくまでも家康を最高権力者として把握していました。こうした認識の背景として、ヨーロッパにおいては譲位・隠居が一般的ではなかったことが指摘されています。当時のイギリス商人にとっての日本の皇帝は天下人という概念とよく一致する、と言えるかもしれません。


●大嶌聖子「大御所・家康と駿府 家康最晩年の「政権移譲構想」と隠居問題とは」P240〜258
 家康は1605年に征夷大将軍職を息子の秀忠に譲り、駿府城に移りました。しかし、秀忠が担ったのは徳川の家政であり、家康は大御所として全国統治権を掌握し続けました。これも隠居の一例ですが、当時の隠居には多層的な意味合いが含まれていたことと、家督を譲った先代と新たな当主とが職務を分担し、先代が実質的な最高権力者として君臨するような体制は、戦国時代にも見られることが指摘されています。その家康が、1615年には隠居を計画し、隠居所も選定していったことが本論考では取り上げられており、それは、家康にとって孫である家光(竹千代)の元服の後見役を務めることと関連づけられていた政権移譲構想だった、というのが本書の見解です。


●生駒哲郎「家康の信仰と宗教政策 東照大権現への神格化は、家康の意志だったのか」P259〜282
 家康の存命時の信仰と家康死後の江戸幕府の宗教政策が比較・検証されています。家康の宗教観については、天海との出会いが転機になったのではないか、と指摘されています。家康の死後、遺言は一部守られず、家康の遺体は久能山から日光山へと移されました。これには、日本の諸神はすべて日光山の東照大権現の分身であり、日光山は諸神の中心でなければならないとの観念があったから、と本論考は推測しています。また、家康の本格的な神格化は家康死後に始まったのであり、家康は秀吉とは異なり、死後に日本を守護する神として祀られるような意図はなかっただろう、というのが本書の見解です。
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ネアンデルタール人とされていたイタリアの化石の再検証

2016/12/03 00:00
 これは12月3日分の記事として掲載しておきます。取り上げるのが遅れましたが、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とされていた化石を再検証した研究(Talamo et al., 2016)が公表されました。この研究が再検証の対象としたのは、イタリア北部のリパロメツェナ(Riparo Mezzena)遺跡(関連記事)の断片的な骨の化石です。リパロメツェナ遺跡は、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との共存の根拠になるのではないか、ということで注目されています。

 リパロメツェナ遺跡は上から(つまり、新しい方から)順に第1層→第2層→第3層と区分されています。第3層と第2層からはムステリアン(Mousterian)に分類される石器群が、第1層からは旧石器時代〜鉄器時代の人工物が発見されています。じゅうらいの研究では、第1層からの9個の断片的な骨と第2層・第3層からの4個の断片的な骨はすべて人間のものと判断されていました。これら13個の断片的な人骨の内訳は、1個の不完全な下顎・11個の頭蓋・1個の頭蓋以外の骨とされていました。

 じゅうらいの研究では、下顎「IGVR 203334」は3層すべてにムステリアン石器が確認されることから、形態というより石器との関連でネアンデルタール人女性と推定されていました。しかしこの研究は、第1層で発見された下顎断片「IGVR 203334」の形態が現生人類的だと指摘しています。また、じゅうらいの研究のDNA解析では、頭蓋断片の一つ「MLS 1」がミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析から、鎖骨断片「IGVR 63017-5-MLS 3」がmtDNAおよび核DNAの解析からネアンデルタール人と推定され、下顎「IGVR 203334」からもネアンデルタール人の変異内に収まるmtDNAが検出されました。

 この研究は、こうしたじゅうらいの研究の分析結果を、放射性炭素年代測定法・新たなDNA解析技術・質量分析法による動物考古学(ZooMS)・同位体分析を用いて再検証しています。ただ、リパロメツェナ遺跡で発見された13個の断片的な骨のうち「MLS 1」を含む2個はヴェローナ自然史博物館に返却されていないため、再分析できませんでした。そのため、11個の断片的な骨が再分析されたのですが、その結果は意外なものでした。

 まず、放射性炭素年代測定法による分析(以下、この記事ではすべて較正年代)が可能だった5個の断片的な骨のうち、最古のものは出土層を特定できなかった「IGVR 63017-4」の30090〜29290年前(95.4%の信頼性)で、次に古いのが第3層から発見された頭蓋断片「IGVR 63017-12」の12050〜11750年前(95.4%の信頼性)であり、他の3個はいずれも6400年前頃でした。この3個の中には、ネアンデルタール人のものと推定されていた下顎「IGVR 203334」が含まれます。

 次に、mtDNA解析とZooMS による11個の断片的な骨の分析の結果、ネアンデルタール人と分類されたものはなく、現生人類のものが4個、人間ではない哺乳類のものが4個、人類のものが1個、不明が2個と分類されました。1万年以上前と推定された「IGVR 63017-4」も「IGVR 63017-12」も、人間ではない哺乳類のものでした。ネアンデルタール人のものと推定されていた下顎「IGVR 203334」は、mtDNAの分析では現生人類と区分されました。これは、「IGVR 203334」の6410〜6300年前(95.4%の信頼性)という年代や、現生人類的だとする形態学的な見解と整合的な結果です。

 じゅうらいのDNA解析ではネアンデルタール人と区分されていた「IGVR 63017-5-MLS 3」や「IGVR 203334」からネアンデルタール人だという証拠が見つからず、現生人類のものだとさえ結果が覆った(IGVR 203334)理由について、じゅうらいの研究はポリメラーゼ連鎖反応(PCR)によるDNAの短い配列の増幅に依拠しており、現在の配列技術よりも精度が劣るからではないか、とこの研究は指摘しています。また、この研究では分析できなかった「MLS 1」の以前のDNA解析結果についても、PCRによるDNA解析なので、汚染されたネアンデルタール人と現生人類のDNA配列の寄せ集めになっているかもしれない、と指摘されています。

 この研究は、リパロメツェナ遺跡においてネアンデルタール人の遺骸の証拠が得られなかったことを指摘し、リパロメツェナ遺跡周辺において、後期更新世にネアンデルタール人と現生人類との共存があった、とする見解に慎重な姿勢を示しています。またこの研究は、新たな放射性炭素年代測定からも第1層の年代はかなり新しいと考えられるのに、完新世の人工物だけではなくムステリアン石器群も発見されていることに疑問を呈し、リパロメツェナ遺跡の形成過程の解明が必要だと指摘しています。この研究のように、再検証によりヨーロッパの旧石器時代の遺跡の年代・化石の人類系統の区分が見直されることは今後もありそうで、大いに注目されます。


参考文献:
Talamo S. et al.(2016): Direct radiocarbon dating and genetic analyses on the purported Neanderthal mandible from the Monti Lessini (Italy). Scientific Reports, 6, 29144.
http://dx.doi.org/10.1038/srep29144
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アファレンシスの樹上生活への適応

2016/12/02 00:00
 エチオピアで1974年に発見された有名な人類化石「ルーシー(Lucy)」の四肢骨を分析し、現代人やチンパンジーと比較した研究(Ruff et al., 2016)が報道されました。ルーシー(A.L. 288-1)はアウストラロピテクス属のアファレンシス(Australopithecus afarensis)に分類されており、その年代は318万年前頃と推定されています。アファレンシスの歩行形態が地上での直立二足歩行だったことは確実と考えられているものの、樹上生活にどれだけ適応していたのか、という問題については議論が続いています。ルーシーは比較的長い上肢を有しており、これは樹上生活への適応とも考えられるものの、単に祖先的特徴を保持しているだけで、じっさいの行動にはあまり反映されていなかった可能性も想定されます。この研究は、ルーシーの四肢骨のマイクロCTスキャンデータを用いて、現代人やチンパンジーと比較することにより、この問題を改めて検証しています。

 この研究は、ルーシーの大腿骨と上腕骨の強度比が現代人とチンパンジーの中間であり、現代人よりも前肢の負荷が大きいことから、ルーシーはかなりの時間を樹上生活に費やしていたのではないか、と推測しています。また、ルーシーの地上での直立二足歩行の歩行パターンは現代人と異なっており、ルーシーの地上での直立二足歩行は現代人よりもずっと非効率的だっただろう、と指摘されています。そのため、ルーシーの長距離歩行能力は現代人よりも劣っていただろう、と考えられています。ルーシーが樹上生活にかなりの時間を費やしていた理由としては、食べ物の獲得や捕食者からの防衛が想定されています。ルーシーは夜間に樹上生活を送っていたのではないか、というわけです。

 身体サイズと関連する全体的な筋力ではホモ属よりもルーシーの方が大きく、この点でルーシーは現代人よりもチンパンジーに近く、ルーシーは採食や防衛に関して、ホモ属よりも技術への依存度が低かっただろう、と指摘されています。こうしたことから、アウストラロピテクス属とホモ属との間で生態・行動の違いは大きかっただろう、とこの研究は推測していますが、一方で、ホモ属とはいっても、初期のハビリス(Homo habilis)とその後に出現したエレクトス(Homo erectus)以降では違っており、ハビリスとルーシーも含むアファレンシスやその他のアウストラロピテクス属との類似性が指摘されています。

 一方、エレクトス以降のホモ属は、地上での直立二足歩行についても、現代人との強い類似性が指摘されています(関連記事)。この研究は、ホモ属の進化において筋力の低下と脳の増大という交換(トレードオフ)が起き、それは技術の発達による必要な身体的物理力の低下と関連しているのではないか、との見通しを提示しています。この研究は、ルーシーの死因は木からの落下と推測する最近の研究(関連記事)とも整合的であり、この研究で改めて、アウストラロピテクス属までの人類は、地上での直立二足歩行も可能だったものの、樹上生活にもかなりの時間を費やしていた可能性が高い、と示されたように思います。


参考文献:
Ruff CB, Burgess ML, Ketcham RA, Kappelman J (2016) Limb Bone Structural Proportions and Locomotor Behavior in A.L. 288-1 ("Lucy"). PLoS ONE 11(11): e0166095.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0166095
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じゅうらいの推定よりも多様性の大きい細菌

2016/12/01 00:00
 細菌(真正細菌)の多様性の見直しに関する研究(Hug et al., 2016)が公表されました。現在、生物の最上位の分類水準とされるドメインでは、細菌(真正細菌)・古細菌・真核生物という3区分が一般的です。じゅうらい、系統樹の作成にさいしては、ヒトを含む真核生物の詳しく分類されている既知の系統に焦点が絞られていましたが、これまで調べられていなかった環境からのゲノム採集やゲノム塩基配列解読の新しい手法が登場し、生命の多様性に関する理解は大きく変化しつつあります。

 この研究は、公的データベースに収載されたゲノムと、さまざまな環境から採集して新たに再構築した1011のゲノムから新しい系統樹を作成しました。このゲノム再構築にさいしては、その生物の実験室での増殖・培養が可能かどうかにかかわらず行なえるゲノム科学手法が利用されました。その結果、最も多様性の高い枝は、これまで培養例が皆無の「Candidate Phyla Radiation」と呼ばれる細菌群で、現在の多様な生命の大部分を占めることが明らかになりました。細菌の多様性は古細菌および真核生物と比較してはるかに大きい、というわけです。その理由について、この細菌群の多様性が進化の初期に出現したか、進化が速いか、その両方によるためではないか、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


新しい系統樹では細菌が圧倒的に優勢

 ほとんど知られていない1000種以上の生物の新しいゲノムデータと公的データベースのゲノムデータに基づいて、飛躍的に拡大した系統樹を作製したとの報告が寄せられている。この研究によって、細菌ドメインの多様性が他の2つのドメイン(古細菌と真核生物)に比べてはるかに大きいことが明らかになり、系統樹で現在は実際より小さく表されている枝や今後の進化解析に重要になりそうな枝が明確になった。

 系統樹は、生物学で最も重要な体系化原理の1つだが、膨大な数の枝があり、その全体規模を見積もるのは難しい。従来は系統樹を描くときに、真核生物(ヒトを始めとするあらゆる動物を含むドメイン)の詳しく分類されている既知の系統に焦点が絞られていたが、これまで調べられていなかった環境からのゲノム採集やゲノム塩基配列解読の新しい手法が登場して、生命の多様性に関する我々の理解は現在大きく変化しつつある。

 Jill Banfieldたちは、公的データベースに収載されたゲノムと、さまざまな環境から採集して新たに再構築した1,011のゲノムから新しい系統樹を作製した。このゲノム再構築には、その生物の実験室での増殖、培養が可能かどうかにかかわらず行えるゲノム科学手法を利用した。作製に6,000コンピューター時間を超える時間を要したこの最新の系統樹により、各枝内部の多様性の実態が見えてきた。最も多様性の高い枝は、これまで培養例が皆無の“Candidate Phyla Radiation”と呼ばれる細菌群で、現在の多様な生命の大部分を占めることが分かった。著者たちは、この細菌群の多様性は、進化の初期に出現したこと、あるいは進化が速いこと、あるいはその両方によるのではないかと述べている。



参考文献:
Hug LA. et al.(2016): A new view of the tree of life. Nature Microbiology, 1, 16048.
http://dx.doi.org/10.1038/nmicrobiol.2016.48
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夏目琢史『井伊直虎 女領主・山の民・悪党』

2016/11/30 00:00
 これは11月30日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社から2016年10月に刊行されました。来年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の予習になると思い、読んでみました。本書は、第一章で井伊直虎(次郎法師)の生涯と井伊氏の動向について解説し、第二章で直虎の正体というか、歴史的位置づけを解明しようと試みています。井伊直虎についても、井伊直政の登場前の井伊氏についてもほとんど知識がなかったので、基礎知識を得ようという目的もありました。

 第一章を読むと、直虎についても、その時期までの井伊氏についても、よく分からないことがまだ多いようで、今後の研究の進展が期待されます。直政登場前の井伊氏は、一族が上位権力の今川氏に処刑されたり、当主が戦死したりと、厳しい状況のなか何とか生き延びてきたようで、そうした中で直虎の人生も翻弄されたようです。本書によると、後世の記録では、井伊氏の重臣である小野氏が井伊氏の一族を陥れたり、所領を横領したりと、悪役として描かれているようですが、もちろん本書も指摘するように、実際のところはどうだったのか、よく分かりません。本書は、井伊氏内部の微妙な対抗関係が要因ではないか、と推測していますが、来年の大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか。

 第一章を踏まえたうえで展開される第二章には、率直に言ってかなり困惑させられました。本書は、「山の民」・「未開」と「都市」・「文明」というように、二項対立的に中世社会を把握し、後者が前者を圧倒していき、近世社会が成立した、という見通しを提示しています。本書は、井伊氏は「山の民」を統率する有力な一族だったものの、「都市」・「文明」が次第に優位に立つ時代のなか、「都市」・「文明」の側の今川氏に従属するものの、「山の民」としての誇り・拘りも依然として強く、それが内紛の要因になったのではないか、と推測しています。

 本書は、「山の民」・「未開」が「都市」・「文明」に従属する形で融合していく時代の大きな流れに直虎を位置づけ、直虎はこの転換期の象徴的人物だった、と把握しています。正直なところ、「山の民」は母系制社会で、井伊氏もそうした背景のなかで存続してきた、との見解も含めて、第二章の説得力は乏しかったように思います。もっとも、私の現在の見識と気力では、本書の問題点を的確かつ簡潔に述べることは無理なので、素朴な感想を述べることしかできませんが。率直に言って、本書はかなり期待外れの一冊でした。
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大河ドラマ『真田丸』第47回「反撃」

2016/11/29 00:00
 これは11月29日分の記事として掲載しておきます。大坂城の天守閣に徳川軍から放たれた砲弾が到達し、茶々の侍女にも死者が出ます。幸村(信繁)の説得により、一度は継戦を決断して秀頼を説得した茶々ですが、徳川方との和睦に傾きます。大坂城の牢人衆は和睦に反対しますが、徳川方と豊臣方との和睦交渉が始まります。幸村は牢人衆を豊臣家臣として雇うよう進言しますが、大蔵卿局は強く反対します。幸村は牢人衆と茶々をはじめとする豊臣方首脳部との間で板挟みのような形になり、苦境に立たされます。

 徳川方との交渉にさいして、幸村は茶々の妹である初(常高院)を使者とするよう進言し、常高院・大蔵卿局が交渉に臨み、「きり」も同行します。和睦交渉では、徳川方の使者である阿茶局の巧みな話術により大蔵卿局が説得され、大坂城の堀は埋め立てられ、真田丸は破却となります。徳川方の思惑通りの和睦になったわけです。幸村は、もはや豊臣方に勝機はなくなったとして、牢人衆に退去を勧告します。牢人衆の多くは退去を考えますが、後藤又兵衛はあくまでも戦おうとします。

 又兵衛の説得により牢人衆は徳川方と再度戦うことを決断し、幸村に勝つための策を立てるよう要求します。秀頼も、自分はまだ諦めていないと幸村を説得し、幸村も覚悟を決めて、徳川方相手に戦うことにします。今回は、豊臣方と徳川方との重苦しい駆け引きが中心になりましたが、そうしたなかで、信之(信幸)をめぐる女性たちのやり取りは喜劇調でした。意図的にこうした場面を取り入れているのでしょう。なかなか工夫された構成になっていると思います。
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大相撲九州場所千秋楽

2016/11/28 00:00
 これは11月28日分の記事として掲載しておきます。今場所は、14日目で鶴竜関が3回目の優勝を決めるという意外な展開になりました。鶴竜関は千秋楽結びの一番で日馬富士関に勝ち、14勝1敗としました。鶴竜関は、横綱に昇進して初めて13勝以上をあげたことになります。鶴竜関は先場所まで、横綱在位15場所で1回優勝しているものの、12勝が3場所・11勝が3場所・10勝が4場所・9勝が2場所・途中休場が2場所(そのうち1場所は実質的に全休で、もう1場所は序盤で休場)・全休が1場所で、やや強い大関といった程度の成績しか残せていませんでした。休場3場所を考慮すると、並の大関と言われても仕方のないところです。鶴竜関は大関時代も、12場所のうち、最後の2場所こそ14勝でしたが、その前の10場所では負け越しこそないとはいっても、11勝が1場所・10勝が2場所・9勝が4場所・8勝が3場所で、クンロク大関と言われても仕方のない成績でした。率直に言って、今でも鶴竜関が横綱に相応しいとは思えないのですが、ともかく、横綱として2回目の優勝を果たしたことは何よりでした。

 白鵬関は11勝4敗で、全休明けということもあって、勝負勘が戻っていないように見えました。ただ、しばらくはまだ優勝争いの中心にい続けるでしょう。確かに全盛期からの衰えは否めませんが、勝負勘が戻れば、全勝優勝できるだけの力はまだ残っていると思います。何とか40回まで優勝回数を伸ばしてもらいたいものです。日馬富士関は満身創痍といった感じですが、やはりまだしばらくは優勝争いに加わることができるでしょう。ただ、もう全勝優勝するだけの力はなさそうです。

 今場所は豪栄道関の横綱昇進と高安関の大関昇進が注目されたのですが、ともに失敗に終わり、出直しとなりました。豪栄道関が横綱に相応しい器だとはとても思えないので、この結果には納得しています。ただ、豪栄道関は立ち合いの当たりが強くなり、以前よりも安定感が増したように思います。今後しばらくは安定して勝ち越せるでしょうし、三横綱が不調なようなら、2回目の優勝もあるでしょう。照ノ富士関は何とか勝ち越しました。ただ、どん底からは脱したようですが、怪我の前の強さにはまだ遠く及ばない感じです。素質という点では、現在の大関陣で唯一横綱の器だと思いますので、何とか以前の力を取り戻してもらいたいものです。
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美川圭『日本史リブレット人021 後三条天皇 中世の基礎を築いた君主』

2016/11/27 00:00
 これは11月27日分の記事として掲載しておきます。山川出版社から2016年9月に刊行されました。本書は、後三条天皇(尊仁親王)の出自についてやや詳しく解説しています。一般には、後三条天皇は宇多天皇以来久しぶりに藤原氏を外戚としない天皇でとされています。しかし、後三条天皇の母である禎子内親王(陽明門院)の母方祖父は藤原道長ですし、後三条天皇の父である後朱雀天皇の母方祖父も藤原道長です。そのため、摂関家はいぜんとして後三条天皇の外戚だった、との見解も提示されているようです。

 しかし本書は、醍醐天皇から後冷泉天皇までの約170年間、歴代の天皇の母が藤原氏(摂関の家系)だったなか、後三条天皇の母が皇女だったことは大きな変化であり、藤原頼通が後三条天皇の即位を執拗に阻止しようとしたこともその傍証になるとして、外戚とは母方祖父もしくはそれに準ずる母方オジまでに限定される、という通説が妥当だ、と指摘しています。また、三条天皇の娘である禎子内親王は、男子を望んでいた藤原道長にとって好ましくない存在であり、そのことを禎子内親王も早くから認識していただろう、ということも指摘されています。

 藤原頼通の妨害を受けながらも尊仁親王が即位できた理由として、道長の息子たちの間の対立が指摘されています。道長の息子たちでは、源倫子を母とする者と、源明子を母とする者がいますが、摂関に就任できた前者の頼通や教通と比較して、後者の頼宗・能信たちは冷遇されています(とはいえ、貴族社会においては高位にあるわけですが)。頼宗・能信たちが尊仁親王を強く支持したことで、尊仁親王は即位することができました。藤原氏恒例の兄弟争いが後三条天皇を生んだ、というわけです。しかし本書は、後三条天皇がもはや外戚となる可能性の低い教通を引き続き関白として、外戚となる可能性のある能長(頼宗の子で能信の養子)を関白としなかったことから、後三条天皇が摂関家との距離を置こうとしていた、と指摘しています。

 後三条天皇の治世で有名な荘園整理令と記録荘園券契所の設置(あくまで臨時的組織ですが)については、荘園存廃の最終的判断を下すのは天皇となり、天皇(王家)の求心力を高めるとともに、荘園制が公認され、中世社会の基盤になっていった、とその重要性が指摘されています。天皇の求心力が高まったことについては、天皇(王家)への所領集積の道を切り開いたことと、土地をめぐる裁判の増加にともない、裁判機構が充実していき、最終判断者たる天皇の権力が強化されていったことも指摘されています。天皇権力の強化は、荘園整理令・焼失した内裏の再興・全国共通の枡の制定・荘園と公領を問わず課される一国平均役などと関連しており、摂関家との距離を置こうとしたことと併せて、後三条天皇の諸政策が整合的なものだったことを窺わせます。

 後三条天皇の治世も含む前後の時代の東北地方の動向についても言及されており、河内源氏が大和源氏に東北地方での軍事貴族の座を脅かされそうになったものの、それを阻止することができ、やがて大和源氏の地位が大きく低下していったことが指摘されています。また、後三条天皇の御願寺についての解説から、摂関家の外戚政策が皇統の分裂を招くものであったので、摂関家を抑制した後三条天皇により、対立していた「冷泉皇統」と「円融皇統」を合流させたのだ、とする見解も提示されており、興味深いと思います。

 後三条天皇が院政開始の意図を持っていたのか、近代以降に議論されましたが、これには皇国史観も関わっていたようです(摂関政治や院政や武家政治を望ましくない変則的な政治制度とし、天皇親政を理想とします)。現在では、後三条天皇の早い(と思われる)息子の白河天皇への譲位は、白河天皇の弟である実仁親王の即位を早めることにあり、後三条天皇に院政開始の意図はなかった、との見解が通説となっているそうです。しかし本書は、院政において皇位継承権の掌握が重要であり、白河天皇も、譲位後にずっと実権を掌握できていたわけではない(関白の藤原師通と息子である堀河天皇により専権が阻止されました)として、白河天皇が譲位した1086年を白河院政成立、堀河天皇が崩御した1107年を白河院政確立とすると、譲位後の後三条上皇の時代も院政と言わねばならないだろう、とも指摘しています。

 本書は上述したような事績から、後三条天皇を、摂関政治の幕を引き、中世の基礎を築いた君主と位置づけています。後三条天皇以降、摂関が外戚となることは稀で、一時的に政治を主導することがあっても、それが長続きすることはほぼなくなりました。後三条天皇の荘園政策は王家への荘園集積をもたらし、王家の家長の政治力・経済力を飛躍的に向上させ、院政の前提条件となりました。後三条天皇の治世が画期的だったとの認識は前近代において珍しくなかったようで、もちろん、近現代の歴史学と視点が完全に一致するわけではないでしょうが、後三条天皇が歴史の転換において重要な役割を果たしたことは間違いないのでしょう。
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ドマニシ遺跡の初期ホモ属に関する会議

2016/11/26 00:25
 ジョージア(グルジア)にあるドマニシ遺跡の初期ホモ属(ドマニシ人)に関する会議についての報告(Gibbons., 2017)が公表されました。この会議は、今年(2016年)9月20日〜24日にかけてジョージアのトビリシで開催されました。ドマニシ人については、以前にもこのブログでまとめたことがあります(関連記事)。ドマニシ遺跡においては、185万〜176万年前頃の層で、大量の石器とともに初期ホモ属化石が発見されています。また、剣歯虎・エトルリア狼ハイエナといった動物の骨も発見されています。ドマニシ遺跡は、年代の確実なアフリカ外の人類の痕跡として最古になるため、たいへん注目されています。

 ドマニシ人の発見まで、人類の出アフリカは異論の余地のないホモ属であるエレクトス(Homo erectus)になってからで、大きな脳と技術革新が必要だった、と考えられてきました。なお、アフリカの初期エレクトスをエルガスター(Homo ergaster)と分類する見解も提示されています。技術革新とは、伝統的な石器製作技術の区分(関連記事)では様式2(Mode 2)となるアシューリアン(Acheulian)のことで、176万年前頃までにアフリカ東部において(おそらくはエレクトスにより)開発されました(関連記事)。様式2を代表する石器は握斧(hand axe)です。

 しかし、ドマニシ人は脳容量が最大でもが730㎤程度で、その1個体のみがエレクトスの範囲に収まり、脳容量が546㎤の個体も存在します。また、ドマニシ遺跡では15000個以上の石器の剥片・石核が発見されていますが、いずれも様式1(Mode 1)に区分されているオルドワン(Oldowan)石器でした。これに関しては、少なくとも現時点では、ドマニシ遺跡の人類最古の痕跡よりも後に最古のアシューリアン石器が発見されているので、とくに不思議ではないでしょう。また、技術革新については、ドマニシ遺跡では火の使用が確認されていないことも指摘されています。脳容量がエレクトスよりも小さく、石器製作技術も様式2ではなく様式1しか見られないドマニシ人の発見により、人類最初の出アフリカについて再考が必要になったとともに、ドマニシ人の人類進化史における位置づけについて、議論が活発になりました。この会議では、多くの興味深い研究が報告されており、以下に記載していきます。


 2014年には、ドマニシ遺跡で4個の頭蓋を含む50個の人骨が発見されていますが、まだ論文としては公表されていないそうです。

 ドマニシ人は、ナッツなどの植物だけではなく、動物も食べていました。しかし、ドマニシ人の骨の分析から、ドマニシ人が肉食獣の犠牲になったことも明らかになっています。

 ドマニシ人の歯の健康状態は、グリーンランドやオーストラリアの現代の採集者と比較すると悪かったようです。ドマニシ人の1個体の歯には空洞や歯の密集や形成不全が見られ、子供の時点で栄養不良か病気のために歯のエナメル質の成長が止まったことを示しています。別の個体は深刻な歯の感染症に苦しみ、顎骨が損傷しており、それが死因となったかもしれません。歯の摩耗からは、歯が道具として用いられた可能性が提示されています。

 ドマニシ遺跡のオルドワン石器は50種類の異なる石材から製作されており、ドマニシ人はとくに石材を選択せず、あらゆる石材を用いていたようです。これは、後のホモ属との認知能力の違いを示しているかもしれません。峡谷の入口では大量の石が発見されており、ドマニシ人が動物に投石して逃げるか、投石により動物を狩っていた可能性が指摘されています。

 エレクトスが最初の出アフリカ人類だと考えられていた時、エレクトスは獲物を追って出アフリカを果たした、と推測されていました。しかし、ドマニシ遺跡の動物の骨17000個の分析から、それらはユーラシア種でありアフリカ種ではないことが明らかになりました。人類は新たな地域への進出により、人類を恐れていない動物を狩ることが可能になったのではないか、と指摘されています。これは、現生人類(Homo sapiens)による人類未踏の地だったオーストラリア大陸やアメリカ大陸への進出のさいに、動物の大量絶滅が起きたこととも関連しているのでしょう。

 ドマニシ人の祖先集団の出アフリカの経路に関しては、手がかりがほとんど得られていないようです。そうした中で、重要な手がかりとなりそうなのが、アルジェリア北東部の高原地帯にあるアインブーシェルト(Ain Boucherit)で発見された、石器と解体痕(cut marks)のある骨で、年代は220万年前頃となります。この頃までには、人類はサハラ砂漠を横断したことになります。

 ドマニシ人の分類については、ホモ属という点では一致しているものの、まだ見解は一致していません。当初はエレクトスと分類されましたが、その祖先的特徴から、最初期のホモ属(アウストラロピテクス属に分類する見解もあります)であるハビリス(Homo habilis)や、新たな区分であるゲオルギクス(Homo georgicus)とも分類されました。ドマニシ人の頭蓋の再分析から、脳容量が546㎤の個体はハビリスと密接に関連している、と指摘されています。爪先の骨の分析からは、ドマニシ人が現代人のようには歩いていなかった可能性が提示されています。

 こうした祖先的特徴の多さから、ドマニシ人をエレクトスではなくハビリスと分類する見解も提示されているわけですが、ドマニシ人の頭蓋と歯の口蓋の形状は多くがエレクトスと合致します。ドマニシ人の小さな体格と頭蓋はハビリスと合致しますが、ドマニシ人の比較的長い脚と現代人的な身体比は、エレクトスとの類似性を示しています。こうしたことから、ドマニシ人をハビリスからエレクトスへと進化する初期過程の分類群と位置づける見解も提示されています。ドマニシ人が東南アジアのエレクトスの祖先集団だった可能性も提示されており、人類進化史の研究において重要な手がかりを提供しているドマニシ人についての今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Gibbons A.(2016): The wanderers. Science, 354, 6315, 958-961.
http://dx.doi.org/10.1126/science.354.6315.958
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ネオニコチノイド系殺虫剤の野生ミツバチへの長期的影響

2016/11/25 00:00
 これは11月17日分の記事として掲載しておきます。ネオニコチノイド系殺虫剤の野生ミツバチへの長期的影響に関する研究(Woodcock et al., 2016)が公表されました。すでにネオニコチノイド系薬剤によるミツバチのコロニーへの悪影響は指摘されていますが(関連記事)、これまでの研究のほとんどは、実験的状況で短期的影響だけを調べていました。この研究は、1994〜2011年にかけての、栽培作物であるセイヨウアブラナへのネオニコチノイドの大量使用が、イギリス国内の62種の野生ミツバチの個体数変化にどのような影響を与えたのか、調べました。その結果、ネオニコチノイド系殺虫剤が散布されたセイヨウアブラナから餌を集める野生ミツバチは、それ以外の作物や野生植物から餌を集める野生ミツバチと比較して、個体数減少に陥る確率が3倍高いことが明らかになり、ネオニコチノイドが野生ミツバチの群集に持続的な長期的影響を及ぼすことが実証されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態】野生ミツバチの個体数減少とネオニコチノイド系殺虫剤が関連づけられた

 ネオニコチノイド系殺虫剤が散布されたセイヨウアブラナから餌を集める野生ミツバチは、それ以外の作物や植物から餌を集める野生ミツバチと比べて長期的な個体数減少に陥る可能性が高いことが18年にわたる研究によって明らかになった。英国内の62種の野生ミツバチを調べた今回の研究で、18年間の個体数減少とネオニコチノイド系殺虫剤の使用増加が関連づけられた。この研究成果を報告する論文が、今週掲載される。

 世界中でさまざまな種類の作物に使用されているネオニコチノイド系殺虫剤は、商業的に飼育されたミツバチとマルハナバチに有害なことが明らかになっているが、実験的状況で短期的影響だけを調べた研究がほとんどだ。英国でネオニコチノイドを殺虫剤として使用することが初めて認可されたのは2002年のことだったが、2011年にはネオニコチノイド系殺虫剤が散布されたセイヨウアブラナが全体の83%に達している。

 今回、Ben Woodcockたちは、1994〜2011年に栽培作物のセイヨウアブラナに対するネオニコチノイドの大量使用が英国内の62種の野生ミツバチの個体数変化にどのような影響を与えたのかを調べた。その結果、ネオニコチノイド系殺虫剤が散布されたセイヨウアブラナから餌を集める野生ミツバチは、それ以外の作物や野生植物から餌を集める野生ミツバチと比べて、個体数減少に陥る確率が3倍高いことが明らかになった。

 以上の結果は、ネオニコチノイドが野生ミツバチの群集に持続的な長期的影響を及ぼすことを実証している。これまで長期的影響については、ほとんど研究されていなかった。



参考文献:
Woodcock BA. et al.(2016): Impacts of neonicotinoid use on long-term population changes in wild bees in England. Nature Communications, 7, 12459.
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms12459
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クジラを食べていた古代グリーンランド人

2016/11/24 00:00
 古代グリーンランド人がクジラを食べていた証拠を報告した研究(Seersholm et al., 2016)が公表されました。過去4500年の間に人類は何度もグリーンランドに移動していますが、グリーンランドでクジラの本格的な狩猟・利用を始めたのは、紀元後1200〜1400年頃にグリーンランドに移動したトゥーレ文化のイヌイットだと考えられています。その主な根拠は、これ以前には捕鯨に適した武器を示す証拠が発見されていないことです。

 この研究は、最古のものでは紀元前2000年となる考古学的堆積物から抽出されたDNAの解析により、この時期のグリーンランド人の生存にとって、ホッキョククジラとその他の大型動物(トナカイやセイウチなど)が重要だったことを示しています。またこの研究は、当時のグリーンランド人が住居とは別の場所で発見もしくは狩猟したクジラの死骸から肉・皮膚・脂肪を集めていた、という見解を提示しています。当時、クジラは豊富な海洋資源だったので、広く利用されていたと考えられ、他の初期文化のイヌイットにも普及していた可能性がある、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝】グリーンランドの古代人はクジラを食事にしていた

 クジラとその他の大型哺乳類は、先史時代のグリーンランド人の食事として、これまで考えられていた以上に重要な役割を果たしていたことを明らかにした論文が、今週掲載される。

 ヒトは、過去4,500年の間に何度もグリーンランドに移動しており、その文化に関する知識は、保存された化石の考古学的分析という従来の方法に主として基づいている。今回、Frederik Seersholmの研究グループは、最も古いもので紀元前2,000年の考古学的堆積物から抽出されたDNAの解析によって、この化石記録の欠落部分を明らかにした。特に、こうした堆積物からシロイルカの化石が発見されることはまれだが、約4,000年前のグリーンランド人の生存にとって、ホッキョククジラとその他の大型動物(トナカイ、セイウチなど)が重要だったことがDNA証拠によって示唆されている。調査対象となった遺跡でクジラの骨が見つからなかったが、Seersholmたちは、当時のヒトが、住居とは別の場所で発見し、あるいは狩猟したクジラの死骸からクジラの肉、皮膚、脂肪を集めていたという考えを示している。

 クジラの利用と狩猟を初めて大々的に行ったのは、紀元1200〜1400年にグリーンランドに移動したトゥーレ文化のイヌイットだと考えられているが、その主な根拠は、それより古い時代のものとされる捕鯨に適した武器を示す証拠が見つかっていないことだ。しかし、その当時のクジラは豊富な海洋資源で、広く利用されていたと考えられ、他の初期文化のイヌイットにも普及していた可能性がある。



参考文献:
Seersholm FV. et al.(2016): DNA evidence of bowhead whale exploitation by Greenlandic Paleo-Inuit 4,000 years ago. Nature Communications, 7, 13389.
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms13389
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呉座勇一『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』

2016/11/23 00:00
 これは11月23日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年10月に刊行されました。本書の特徴としてまず挙げられるのが、応仁の乱そのものだけではなく、その前史と応仁の乱後の情勢の解説にもかなりの分量が割かれていることです。応仁の乱の前提条件と応仁の乱の影響が解説され、戦国時代への展望が提示されており、射程が長いと言えるでしょう。大和国からの視点となっていることも本書の特徴です。本書は、興福寺の僧である経覚と尋尊の日記を用いて、同時代の人々の思惑・反応を復元していきます。

 階級闘争・革命史観への批判的視点も本書の特徴です。その観点から本書は、新たな情勢を嘆くだけの懐古的で無力な旧勢力の一人として扱われがちだった尋尊を再評価し、現実的で精力的だったところも多分にある、と指摘しています。本書のもう一つの特徴は、応仁の乱と第一次世界大戦とに共通点を見出していることです。主要人物は短期決戦を想定していたにも関わらず、防御施設の発達など戦法の変化により長期化したことと、戦乱が長期化したことが社会・政治体制を変容させていった、ということが共通点として指摘されています。

 戦乱が長期化した要因として、細川勝元と山名宗全が相手より優位に立つために諸大名を引き込もうとしたことも指摘されています。勝元と宗全の間には姻戚関係があったように、不俱戴天の仇というわけではなく、応仁の乱直前の文正の政変までは、ともかく協調関係を維持できていました。応仁の乱勃発後も、おそらく当事者の誰にとっても予想外の長期戦となったことから、負担が大きくなり、勝元と宗全の間で和睦交渉が行なわれました。しかし、それがなかなか成立しなかったのは、東西両軍に多くの有力者たちが参加したため、誰もが納得のいく条件が成立しなかったからでした。けっきょく、勝元と宗全が相次いで病没し、細川と山名の単独和睦が成立した後も、戦乱がだらだらと続きました。

 本書は、応仁の乱が大きな影響を及ぼした、と指摘しています。各国の守護の統治が、室町幕府将軍の権威ではなく、自らの実力により保証されるような時代に移行し、守護大名や守護代たちが在京して成立していた幕府体制は崩壊していき(最終的には明応の政変でほぼ完全に崩壊)、守護大名は在国して実力で領地を維持していかねばならなくなりました。これは、守護大名にとって、在地の武力の動員が必要になったことで、在京して守護代などの代官に在地を支配させ、京都で在地からの収入を消費する体制が維持できなくなったことを反映しており、大名が在地と向き合い、統治を深化させる契機となりました。これらは戦国大名が進めたことであり、応仁の乱は戦国時代の幕開けになった、というわけです。本書を読むと、戦国大名の先駆的存在としての畠山義就が強く印象に残ります。また、応仁の乱以前、京都において文化の庇護者だった有力武士たちが領国に帰還したことで、文化が地方に伝播していったことも指摘されています。

 応仁の乱は、めまぐるしい離合集散の末に何ともすっきりとしない結末を迎え、本書も指摘するように、明確な勝者のいない戦いとなりました。この時代が現代日本社会において不人気なのも、ある程度仕方ないのかな、とも思います。この時代を扱った司馬遼太郎氏の作品に『妖怪』がありますが、率直に言って、私が読んだ司馬作品の中編・長編では最も面白くありませんでした。もちろん、この時代を扱った面白い小説もあり得るとは思いますが、司馬遼太郎氏でさえ失敗したと言えるわけで、この時代が戦国時代に匹敵するような人気を有することは今後もないのでしょう。一般向け書籍とはいえ、小説ではなく学術的な本書が、どれだけこの時代の人気を高められるのかというと、厳しいものがありそうですが、この時代に多少なりとも関心のある人にとっては、射程の長さと文化面の解説もある視野の広さにより、たいへん興味深い一冊になっているのではないか、と思います。
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』586話〜589話

2016/11/22 00:00
586話「生と死の賭け」6
 警官が殺害され、拳銃が奪われます。犯人の男性はその拳銃で相次いで人を殺害し、最後の一発で警官を殺害し、新たな拳銃を入手します。犯人の意図がなかなか明かされず、平然として働いている様子も描かれたので、不気味な印象を強く受け、謎解き要素が強くなっており、この点ではなかなか楽しめました。しかし、けっきょく犯人の人物像はほとんど描かれず、謎解き・人間ドラマとしては全体的には期待外れでした。ただ、ブルース主演作ということで、アクションシーンにはなかなか見どころがありました。ブルースの走る姿は、スニーカーと比較すると美しさではやや劣るものの、迫力があり、映像作品として魅力的になっていると思います。


587話「殺人広告」7
 ひき逃げ事件が発生し、その目撃者も殺されます。この二つの事件が結びつきそうだということで、一係は捜査を進めます。トシさんは、おとりの応募広告で目撃者が身元を確認され、殺されたのではないか、と推理します。トシさんは、その応募で採用された男性から情報を得ようと食い下がります。同じような年ごろのトシさん・殺害された目撃者・採用された男性の悲哀を軸に、トシさんの家庭事情も絡めつつ、話が展開していきます。トシさん主演作らしく、人間ドラマとしてなかなか面白くなっていました。私も今では同じような年齢だけに、共感するところのある話でした。


588話「夏子という女」6
 暴力団を脅迫しようとした男が、暴力団に依頼された殺し屋に殺されます。有力な容疑者と親しい夏子という女性に一係は目をつけ、夏子を尾行していたマミーは負傷したところを夏子に手当され、そのまま夏子の店で働くことになります。夏子は異様なまでにマミーに親切で、一係にはその意図がよくつかめません。夏子が殺し屋を匿うなか、なかなか緊張した展開となっていて、サスペンスとしてもまずまず楽しめました。暴力団は殺し屋を消そうとして失敗し、殺し屋も襲撃してきた暴力団員も逮捕されます。決定的証拠がつかめないなか、夏子はそれでもマミーに親切に接します。けっきょく、夏子を自首させたのは、最初からマミーが刑事だと感づいていながら、短い付き合いのなかでマミーに親切に接し、友情を感じていた夏子へのマミーの本気の説教でした。人間ドラマとして、まずまず楽しめる内容になっています。


589話「共謀」9
 ドック・ボギー・ラガーは、夜中にラーメンを食べに行こうとしたところ、偶然車中の女性の死体を発見します。現場から逃走した若い男性二人はすぐに逮捕されますが、二人は容疑を否認します。山さんは、二人は殺害犯ではないと考え、一係は被害者であるホステスの女性の交友関係から容疑者を探します。捜査を進めるなか、殺された女性は交際のあった男性を脅迫していたことが明らかになります。脅迫されていた男性の一人を山さんが調べると、犯行時間に妻と電話中だった、というアリバイがありました。それでも一係は、やはりその男性が最有力の容疑者だと考えますが、決定的証拠は見つかりません。男性の海外出張が近づくなか、山さんは男性に任意同行を求めますが、男性は拒否します。すると山さんは、決定的証拠がないのに逮捕します。しかし、一係はなかなか証拠をつかめません。アリバイ崩しに苦戦するなか、山さんは現場から逃走した若い男性に当時の様子を思い出させようとします。山さんは若い男性の証言から、トリックに気づきますが、証拠はつかめません。捜査を進めると、男性だけではなく、その妻も殺害された女性から脅迫されている疑惑が浮上し、共通の利害のために夫婦が共謀したのではないか、と山さんは推理します。山さんは、裏切りへの恐怖に怯えながら利害関係だけで夫婦を続けられるのか、と妻を説得して自白させます。本作では定番の山さん推理もの・対決ものですが、かなり強引な捜査だった感は否めません。ただ、山さんの人間心理への高い洞察力という設定を活かして、人間ドラマとしてなかなか面白くなっていたと思います。山さんと犯人役の寺田農氏とのやり取りはさすがに高水準で、この点もあって評価を高くしました。
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大河ドラマ『真田丸』第46回「砲弾」

2016/11/21 00:00
 これは11月21日分の記事として掲載しておきます。真田丸に攻めかかった徳川軍は撃退され、家康は、大軍を三分して夜間に鬨の声をあげさせたり、幸村(信繁)の叔父である信尹に幸村の調略を命じたりと、さまざまな手段を用いて豊臣方の切り崩しを画策します。家康は、寝返れば10万石を与える、との約束で幸村を調略しようとしますが、幸村は信尹から渡された徳川方からの書状を読まずに破棄します。信尹は久々の登場となりますが、相変わらず存在感があります。

 幸村の調略に失敗した家康は、徳川方と内通している織田有楽斎に豊臣方を和議でまとめるよう命じます。大蔵卿局も和議に賛成し、秀頼もその圧力に屈して賛成します。幸村は、秀頼を翻意させるよう、茶々に依頼します。茶々は、秀頼・幸村と共にいられるならば大坂城から出てもかまわない、と幸村に打ち明け、秀頼を説得します。こうして、豊臣方は引き続き戦うことを決断しますが、徳川方に大砲が届き、天守閣に向けて砲弾が放たれ、茶々の侍女たちのなかにも犠牲者が出ます。

 今回は、豊臣方の人間模様と、徳川と豊臣との駆け引きを中心に話が進みました。徳川と豊臣との駆け引きと、豊臣方の二転三転する動向は、ドラマとしてなかなか面白くなっていました。出番は少なかったものの、信之(信幸)の決意とその挫折も、これまでの人物描写を踏まえた面白い話になっていました。久々の登場となる出浦昌相の存在感はさすがです。平野長泰の屈折した心理も印象に残りました。あまり出番のない人物もしっかりキャラ立ちしていることが多く、本作の魅力の一つになっていると思います。
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鮮新世〜更新世の移行期のアフリカ東部の人類の食性

2016/11/20 00:00
 これは11月20日分の記事として掲載しておきます。鮮新世〜更新世の移行期のアフリカ東部の人類の食性に関する研究(Martínez et al., 2016)が報道されました。この研究がおもに分析対象としたのは、アウストラロピテクスよりも頑丈な形態のパラントロプス属のエチオピクス(Paranthropus aethiopicus)およびボイセイ(Paranthropus boisei)と、初期ホモ属であるエルガスター(Homo ergaster)です。エルガスターという種区分を認めず、アジアの初期ホモ属も含めてエレクトス(Homo erectus)としてまとめる見解も根強くあります。

 その頑丈な形態・大きな下顎と臼歯から、パラントロプス属は歯を摩耗させるような硬いC4植物を食べていたのではないか、と考えられていました。これは、パラントロプス属が出現した頃に、アフリカ東部の生態系がC3植物からC4植物へと移行していったことや、炭素13同位体比の分析からも支持されていました。しかし、歯の微小摩耗パターンの分析では、パラントロプス属が硬いC4植物を常食していた証拠は得られていませんでした。

 この研究は、エチオピア・ケニア・タンザニアというアフリカ東部の各遺跡からパラントロプス属や初期ホモ属の167点の化石標本を集め、頬側の歯の微小摩耗痕を分析しました。その結果、パラントロプス属の歯の頬側のエナメル表面の摩耗痕の密度は低く、初期ホモ属である(アウストラロピテクス属に分類する見解もあります)ハビリス(Homo habilis)のそれと類似しており、エルガスターとは明確に異なることが明らかになりました。一方、エルガスターの歯の方は、歯を摩耗させるような硬い食べ物を広範な種類にわたって消費していた痕跡が見られました。

 これらの観察結果は、パラントロプス属が以前の推定よりも柔らかな食べ物を消費していたことを示唆する一方で、エルガスターの方は、じゅうらい想定されていた肉食の証拠が見られず、歯を摩耗させるような硬い食べ物を広範に消費していたことを窺わせます。この研究は、パラントロプス属が、歯を摩耗させることが少なくてもっと柔らかいC4植物を食べていたとすると、歯の微小摩耗痕と同位体の分析が一致するかもしれない、と指摘しています。

 ボイセイが硬い食べ物だけではなく果物も食していた可能性は以前から指摘されており(関連記事)、この研究で改めて、パラントロプス属の食性が硬い食べ物に特化していたわけではなさそうだ、ということが示されたと思います。高度に派生した形態が特化した食性を反映している必要はないわけで、形態から食性も含めて行動を単純化して推測することの危険性を再認識させられます。初期ホモ属についての分析も興味深く、肉食がホモ属の脳の巨大化を可能にした、とも言われていますが、そうした見解も検証を積み重ねていく必要があるのでしょう。


参考文献:
Martínez LM, Estebaranz-Sánchez F, Galbany J, Pérez-Pérez A (2016) Testing Dietary Hypotheses of East African Hominines Using Buccal Dental Microwear Data. PLoS ONE 11(11): e0165447.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0165447
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縄文時代の妊娠・出産回数の地域的違い

2016/11/19 00:00
 これは11月19日分の記事として掲載しておきます。2016年11月16日付読売新聞の朝刊で、縄文時代の妊娠・出産回数の地域的違いに関する研究が取り上げられました。これは、日本大松戸歯学部の五十嵐由里子・専任講師の調査によるもので、まだ予備的段階とのことです。この研究で調査対象となった人骨は、頭蓋・骨盤などから女性と確認できた208体のうち、骨の状態などを考慮して選ばれた、おおむね20歳以上と推定される190体です。その内訳は、北海道では伊達市の黄金貝塚などの12体、岩手県では一関市の蝦島貝塚の27体、福島県では新地町の三貫地貝塚の43体、愛知県田原市では吉胡貝塚の54体および伊川津貝塚の25体、岡山県では津雲貝塚の29体です。

 この研究では、骨盤を構成する仙骨と寛骨の間接面の耳状面にできる妊娠・出産痕の有無や強弱が調べられました。妊娠中や出産直後の女性はホルモンの影響で骨盤の靭帯が肥大し、出産時に壊れた軟骨の破片が嚢胞に吸収されます。その結果、肥大した靭帯や軟骨を吸収した嚢胞が寛骨に押しつけられ、耳状面に妊娠・出産痕と呼ばれる窪みや溝が刻まれます。妊娠・出産痕は妊娠・出産回数が増えると強く現れます。妊娠・出産痕は、北海道・岩手では全個体で確認されましたが、その他の地域では9割程度でした。

 また、妊娠・出産痕の状態を強弱に二分して調べたところ、最も強い割合は北海道の6割で、岩手県と福島県が約5割、愛知県は2割前後、岡山県は約1割と、北から南へ行くほど低くなりました。五十嵐氏は、北海道の縄文人は集団の安定的存続のために他地域より多産である必要があったのではないか、と推測しています。現代では、遊動的な狩猟民の出産回数が少ないことから、定住により出産回数が増えた可能性が指摘されています。また、女性は体内の脂肪の不足や授乳により排卵が起きにくくなるので、栄養状態が悪かったり、離乳食がなくて母乳を与え続けたりするような場合に妊娠・出産回数が減ることから、北海道では高タンパク質で脂肪分の多い海獣類の消費により妊娠・出産回数が多かったのではないか、と推測されています。

 歯や骨の状態からの年齢推定の結果、岩手県や福島県では若年者が多く、岡山県では高齢者がいたことも確認されています。そこから、人口を維持するため、北海道や東北地方では多産戦略が、(比較的)長寿の岡山県では出産回数を少なくする戦略が採用され、地域によって人口構造が異なっていた可能性がある、と指摘されています。ひじょうに興味深い研究ですが、報道では各人骨の年代が不明なので、地域とともに、年代による差もあるのではないか、とも思います。
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古川隆久『昭和天皇 「理性の君主」の孤独』第5版第2刷

2016/11/18 00:00
 これは11月18日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2012年2月に刊行されました。初版の刊行は2011年4月です。本書は新書としてはかなりの大部となり、即位前と第二次世界大戦の敗戦後にも1章ずつ割きつつ、5章構成で昭和天皇の生涯を叙述します。副題にもあるように、本書は昭和天皇を孤独な理性の君主として描きます。儒教的徳治主義と生物学や大正デモクラシーの思潮といった西欧的普遍主義的傾向の諸思想を基盤として、政党政治と協調外交を国是とする民主的な立憲君主国を理想としつつも、大日本帝国憲法の近代国家の憲法としての欠陥と1930年代以降の民意との乖離により挫折した、というのが本書の昭和天皇についての評価です。

 本書を読むと、協調外交を国是とした昭和天皇にとって対英米戦が不本意だったことが了解されますが、一方で本書は、昭和天皇の選択が軍部の拡大・過激化と戦争を避けるうえで、最善とは言えなかったことも指摘しています。もちろん本書は、政治指導者が最善の選択を続けることの不可能を踏まえたうえで、政治上の対立が最終的に天皇の決断によらなければ収拾できない仕組みとなっていた大日本帝国憲法体制に、近代日本の凄惨な挫折の要因を見出しています。前近代の国家と比較して、指導者の業務が飛躍的に多くなり、問題も解決方法も複雑になった近代国家においては、君主は象徴的存在にとどまり、実質的な指導者は公正な選挙により常にその能力を監視され、必要に応じて交代すべきである、というわけです。

 吉田裕『昭和天皇の終戦史』(関連記事)との対比という観点からも本書を読んでみました。『昭和天皇の終戦史』と比較すると、全体的に本書の方が昭和天皇に同情的だと思います。『昭和天皇の終戦史』では、昭和天皇も含めて敗戦前後の日本の支配層の多くが国体護持を至上命題としていた、とされています。本書を読むと、昭和天皇にとってこの場合の国体とは、狭義の国体というよりは広義の国体で、具体的には皇統維持のことだと言えそうです。

 また、『昭和天皇の終戦史』を読むと、敗戦前後の昭和天皇は国体護持(皇統維持)を至上命題とし、国民の生命を軽視しているというか、そもそもあまり意識していなかったのではないかとさえ思えるのですが、本書を読むと、この時期の昭和天皇が国民の安否・動向を気遣っていたことが窺えます。もちろんそれは、皇統維持のためでもあるのでしょうが。

 もう一つ挙げると、『昭和天皇の終戦史』を読むと、昭和天皇の戦争責任感には中国がほとんど入っておらず、昭和天皇は中国への侵略をほとんど問題視していないかのような印象を受けたのですが、本書では、昭和天皇の協調外交の対象には中国も含まれており、日本の帝国主義路線・既得権維持方針という限界はあったものの、そのなかで中国との協調外交にも積極的だったことが了解されます。
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2019年の大河ドラマはオリンピックが題材(通算4000本目の記事)

2016/11/17 00:00
 これは11月17日分の記事として掲載しておきます。2019年の大河ドラマの題材は、近現代における日本とオリンピックとの関わりに決定した、と発表されました。対象となる期間は、日本のオリンピック初参加(1912年開催のストックホルム大会)から1964年開催の東京オリンピックまでとなります。この間、東京開催が決定しながら返上になるなど、ドラマとなりそうな題材には事欠かないので、オリジナル脚本を担当する宮藤官九郎氏の力量に期待しています。

 21世紀になって、20世紀の頃と比較して大河ドラマの制作発表時期が早くなっているように思うのですが、それにしても、放送3年前に発表するのは異例というか、初めてのことだと思います。朝ドラ『あまちゃん』の制作発表の時も、宮藤官九郎氏には合わないのではないか、と懸念しましたが、大河ドラマにはなおのこと合わないように思えましたし、本人からは大河ドラマの脚本執筆に否定的な発言がありましたから、この決定は意外でした。

 公式に群像劇と明記していることも異例です。大河ドラマでは主人公が一人であることがほとんどで、せいぜいダブル主人公(1980年放送の『獅子の時代』や1990年放送の『翔ぶが如く』など)か、主人公の交代にともなう2〜3人程度(1973年放送の『国盗り物語』や2000年放送の『葵 徳川三代』など)が限度だと言えるでしょうから、この点でも不安に思う昔ながらの大河ドラマ愛好者は少なくないだろう、と思います。もっとも、1979放送の『草燃える』は、主人公の交代によるダブル主人公とも、北条義時も含めて3が人主人公の作品とも言えるかもしれませんが、群像劇的性格が強いと私は考えているので、大河ドラマで群像劇という試みがなかったわけではない、とも思います。

 ただそれでも、ある程度軸になる人物を定めて、時代の変遷にともない主人公的人物が交代していく、という形にならないと、長丁場のドラマとしては厳しいかな、とも思います。色々と不安もありますが、完全な近現代の大河ドラマとしては33年振りとなりますし、面白い作品になることを期待しています。それから、干されているらしい『あまちゃん』の主演俳優が、本作が放送される頃には本格的に復帰し、本作にも出演することを願っています。


 なお、1回目は
http://sicambre.at.webry.info/201611/article_6.html
2回目は
http://sicambre.at.webry.info/201611/article_7.html
を通算4000本目と追記したのですが、いずれも数え間違えており、この記事が通算4000本目となります(今度は間違いないと思います・・・)。2回も間抜けな間違いをしてしまうとは、本当に恥ずかしい限りです。それぞれの記事の長さに差はあるものの、ブログを開始してから10年以上、ほぼ毎日よくもこれだけ更新してきたものだと思います。一度更新をしないとそのままずるずると更新しなくなるだろうから、との考えでブログ開始当初から毎日更新するよう心掛けていたのですが、怠惰な私にしては上出来だと思います。

 ちなみに、1000本目は、『太陽にほえろ! 1979 DVD-BOX I』
http://sicambre.at.webry.info/200901/article_2.html
2000本目は、ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』117・118話
http://sicambre.at.webry.info/201109/article_29.html
3000本目は、現代人の発祥地の推定
http://sicambre.at.webry.info/201405/article_10.html
でした。
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チンパンジー社会におけるストレスと仲間の関係

2016/11/16 00:00
 これは11月16日分の記事として掲載しておきます。チンパンジー社会におけるストレスと仲間の関係についての研究(Wittig et al., 2016)が公表されました。肉体的ストレスと心理的ストレスは、身体の多くの生活機能を調節する神経内分泌系の主たる要素の視床下部-下垂体-副腎皮質軸を撹乱することがあります。ヒトの場合、社会的相互作用がストレスの影響を和らげることがありますが、他の動物においてストレスがどのように調節されているのか、それほどよく分かっていませんでした。

 この研究は、17匹の野生のチンパンジーが安静・毛繕い・ストレスのかかる経験をした後で、尿に含まれるグルココルチコイド(ストレス関連ホルモンの一種)の濃度を測定して比較しました。この実験では、ライバルのチンバンジーの群れと自然に出会うことと、ライバルのチンパンジーが木を叩くさいと似た音を実験者が発することがストレスのかかる経験とされましたが、いずれも同じような行動反応を生み出しました。ストレスのかかる事象において、チンパンジーの社会的絆のパートナーがその場にいた時には、グルココルチコイド濃度の上昇が抑制され、社会的パートナーに毛繕いをしてもらった後のグルココルチコイド濃度は、安静後の測定値を下回りました。こうしたことから、社会的相互作用がストレスのレベルを下げる上で重要な役割を果たし、健康の維持にとって重要な役割を果たしている可能性がある、と示唆されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【動物行動】友人の助けによって苦境を乗り切るチンパンジー

 野生のチンパンジーは、社会的パートナーがいるとストレスホルモンの濃度が低いことを報告する論文が、今週に掲載される。こうしたストレスホルモン濃度の低さは、ストレスのかかる状況とストレスのない状況のいずれにおいても観察されており、社会的絆の恩恵を受けるのが激しいストレスを感じる時だけではないことも明らかになった。

 肉体的ストレスと心理的ストレスは、身体の多くの生活機能を調節する神経内分泌系の主たる要素である視床下部-下垂体-副腎皮質軸を撹乱することがある。ヒトの場合、社会的相互作用がストレスの影響を和らげることがあるが、他の動物においてストレスがどのように調節されているのか、という点はそれほどよく分かっていない。

 今回、Roman Wittigの研究チームは、17匹の野生のチンパンジーが安静、毛繕いやストレスのかかる経験をした後で、尿に含まれるグルココルチコイド(ストレス関連ホルモンの一種)の濃度を測定し、比較した。この実験では、ライバルのチンバンジーの群れと自然に出会うことと、実験者がライバルのチンパンジーが木を叩く音を真似して発することをストレスのかかる経験としたが、いずれも同じような行動反応を生み出した。ストレスのかかる事象においてチンパンジーの社会的絆のパートナーがその場にいた時には、グルココルチコイド濃度の上昇が抑制され、社会的パートナーに毛繕いをしてもらった後のグルココルチコイド濃度は安静後の測定値を下回った。

 以上の知見は、社会的相互作用がストレスのレベルを下げる上で重要な役割を果たし、健康の維持にとって重要な役割を果たしている可能性のあることも示唆している。



参考文献:
Wittig RM. et al.(2016): Social support reduces stress hormone levels in wild chimpanzees across stressful events and everyday affiliations. Nature Communications, 7, 13361.
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms13361
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吉田裕『昭和天皇の終戦史』第5刷

2016/11/15 00:00
 これは11月15日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より1993年12月に刊行されました。第1刷の刊行は1992年12月です。昭和天皇についての研究は本書刊行後にかなり進展しているでしょうから、もっと適当な一般向け書籍があるのではないか、とも思ったのですが、古書店で安い値段にて売られていたので、購入して読んでみました。本書は、平成になってから発見され、大きく報道された「昭和天皇独白録」を徹底的に検証しつつ、第二次世界大戦での敗戦前後の日本の政治状況を、昭和天皇を中心に叙述しています。

 本書を読むと、敗戦前後の日本の支配層が国体の護持を至上命題としていた、との印象が強く残ります。そこでは、昭和天皇の退位の是非も、国体護持に有利か否かという観点で語られていました。もちろん、支配層を構成する各個人には保身的な言動も多々見られるわけですが、陸軍を中心としていわば「貧乏籤」を引かされた支配層の人々が、東京裁判や占領軍からの尋問の場などで、自覚的に国体を傷つけるような発言を大々的にすることはなかったようです。とはいえ、そこは生身の人間だけに、恨み言のようなものも見られます。

 恨み言めいたものも見られるとはいえ、当時の支配層を律する規範はそこまで強かったということなのでしょうが、これは、日本兵が捕虜になることを躊躇した大きな理由とも通ずる、社会的規範(もちろん、支配層と一般庶民とでは、帰属する社会の様相が異なっているわけですが)というか同調圧力の強さでもあるのでしょう。私のように高度経済成長以降に日本社会に生まれて育った人間には、この国体護持至上主義とでも言うべき観念はなかなか理解しにくいのかもしれませんが、現代でも、自覚しにくいだけでまた別の強力な社会的規範があるのではないか、とも思います。

 東京裁判が、占領軍、とくに実質的に単独で日本の占領を担ったアメリカ合衆国の意向だけで進められたのではなく、そこには国体を護持すべく昭和天皇を免責しようとした日本の「穏健派」の意向もかなり取り入れられたことを、本書は指摘します。そうした日本の「穏健派」の意向がアメリカ合衆国の対ソ連強硬派の意向とも合わさり、昭和天皇が免責されるなど、東京裁判には欠けたところが多分にあった、というのが本書の見解です。

 また、そうした日本の「穏健派」の意向は、おもにアメリカ合衆国への開戦責任にのみ向けられたものであり、アジアへの戦争責任はそこにはほとんど見られなかったことも、本書は強調しています。こうした日本の「穏健派」の意向は、次第に形成されつつあった冷戦構造の進展にともない、アメリカ合衆国の支配層の意向とも合致していき、東京裁判だけではなく、その後の日本における歴史認識にも大きな影響を及ぼしました。

 その歴史認識においては、「穏健派」の代表的存在たる昭和天皇は、平和を志向する君主として描かれました。敗戦前後の昭和天皇は、何よりも国体護持を至上命題とし、自身の在位にもこだわり、側近を中心に支配層の人々と共にさまざまな政治工作に努めました。本書は、「昭和天皇独白録」もこうした文脈で解釈しなければならず、「昭和天皇独白録」は昭和天皇の戦争責任についての「弁明書」であり、そこでの責任とは、アメリカ合衆国にたいするものだった、と指摘します。また本書は、昭和天皇(やその側近集団)と軍部との距離が次第に縮まっていき、対米開戦以降、昭和天皇は近衛文麿などの終戦・戦後構想に冷ややかで、大戦末期まで戦争継続に意欲的だったことを指摘します。

 本書は全体として、第二次世界大戦後の日本における戦争責任論の欠落部分の主要な淵源の一つを、この時期の支配層の国体護持活動に強く求めている、との印象を強く受けました。確かに、「穏健派」が戦後日本の保守政治を担っていた、との本書の見通しからしても、それは否定できないところでしょう。本書は全体的に昭和天皇に厳しい評価を下しており、あとがきからは、著者自身も昭和天皇に冷ややかな視線を向けてきたことが窺えます。とはいえ、そこは歴史学の研究者だけあって、全体的には、煽るような文章ではなく抑制的なものとなっており、読みやすいと思います。
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大河ドラマ『真田丸』第45回「完封」

2016/11/14 00:00
 これは11月14日分の記事として掲載しておきます。今回は、大坂冬の陣における真田丸での攻防が描かれました。主人公の幸村(信繁)にとって、確実な実績としては初の本格的見せ場になる、と言えるかもしれません。本作では、大坂夏の陣での野戦とともに山場になるのではないか、と期待していたのですが、合戦場面は、CGも駆使してなかなか迫力のあるものになっていたのではないか、と思います。30年以上前の水曜時代劇『真田太平記』と比較すると、映像技術が大きく発展した、とよく分かります。それにしても、さりげなく来年の大河ドラマの宣伝をした場面には笑えました。

 豊臣方の人間模様では、前線に出て自ら戦おうとした秀頼を幸村や織田有楽斎が制止し、代わりに茶々が甲冑を着用して前線に出てきて兵を鼓舞したことが注目されます。登場初期の頃から描かれてきた茶々の奔放さとも言え、これがその最期でも大きな意味を持ってきそうです。大坂の陣には参戦しなかった福島正則が久々に登場して、信之(信幸)も絡んできて、今後の展開との関連で注目されます。徳川方の人間模様では、やはり家康と上杉主従とのやり取りが印象に残りました。これまでの人物造形と因縁をしっかりと活かした場面になっていたと思います。上杉主従は本当にキャラが立っており、今後しばらくは、本作の人物像が戦国時代に関心のある一般層では基準になるのではないか、とさえ思えるくらいです。
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古代型ホモ属との交雑により新たな環境に適応した現生人類

2016/11/13 00:00
 これは11月13日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属との交雑による、現生人類(Homo sapiens)の適応度への影響に関する研究(Gittelman et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人との交雑はすでに多くの研究で確認されており、現代人に見られる、ネアンデルタール人とデニソワ人に由来する免疫に関連する遺伝子が、出アフリカ後の現生人類にとって、新たな環境に適応するのに有益だったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。

 この研究は、現代人に高頻度で見られる古代型ホモ属由来の遺伝子座126領域を特定しました。この研究で対象となった現代人は、東アジア系・ヨーロッパ系・南アジア系がそれぞれ約500人、メラネシア系(この研究ではインドネシアも含みます)が27人です。通常、現代人に見られる古代型ホモ属由来のDNA配列の頻度は5%未満ですが、この126領域では、65%に達する場合もあります。これら126領域のうち107領域は、1集団でのみ高頻度です。その1集団にのみ高頻度な領域の割合は、ヨーロッパでは66%、南アジアでは58%なのにたいして、東アジアでは84%、メラネシアでは86%です。これは、(ヨーロッパ系や南アジア系現代人の祖先集団と分岐した後の)東アジア系やメラネシア系現代人の祖先集団と古代型ホモ属との追加の交雑を認める見解と一致する、と指摘されています。

 これら126領域のうち、7領域(OCA2とBNC2を含みます)は肌の色素形成に役割を果たすことが知られており、31領域(OAS1/2/3、TLR1/6/10、TNFAIP3など)は免疫に関連しています。この研究は、こうした古代型ホモ属由来の変異は、出アフリカ後の現生人類が新たな環境に急速に適応するのに有利だったために、現代人において高頻度で継承されているのではないか、と指摘しています。ただ、現時点では、現代人のゲノムデータが地理的に偏っていることも指摘されており、今後の目標として、さらに多様な地域からデータを集めることが挙げられています。


参考文献:
Gittelman RM. et al.(2016): Archaic Hominin Admixture Facilitated Adaptation to Out-of-Africa Environments. Current Biology.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2016.10.041
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服部龍二『田中角栄 昭和の光と闇』

2016/11/12 00:00
 これは11月12日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社より2016年9月に刊行されました。近年、田中角栄への注目が高まっているようで、バブル崩壊後、長期にわたって経済の低迷が続くなか、高度経済成長期を象徴する政治家の一人である田中への郷愁が強くなっているためかもしれません。本書は研究者による田中の伝記ということで、時代背景と田中の選択の影響・意義、さらには田中の個性について、断罪に偏るわけでも称賛に偏るわけでもなく、冷静な評価が提示されているように思います。だからといって、一般層にとってつまらない叙述になっているわけではなく、田中とその周囲の人間の人物像・思惑がなかなか活き活きと描写されており、読み物としても面白くなっているのではないか、と思います。

 本書は、新書という制約のなかで田中の生涯を丁寧にたどっているように思いますが、やはり、首相在任中の叙述が最も濃厚になっています。本書は、田中の功罪を冷静に評価しつつ、田中が退陣した最大の理由は経済失政にあった、と指摘します。上述したように、現在の田中角栄熱は高度経済成長期への郷愁のためだと思われますが、本書は、バラマキ予算を特徴として金で解決しようとする田中の政治手法は高度経済成長期に適合的なものであり、石油危機以降の低成長期には不向きだった、との評価を提示しています。したがって本書は、政治家としての田中は財政難で低成長の現代日本社会には不向きか、よく言って未知数ではないか、と指摘し、現在一部?で言われているような田中角栄待望論には冷ややかな姿勢を示しています。まあ、本書も認めるように田中は優秀な頭脳の持ち主なので、たとえば40年以上遅れて生まれてきて政治家を志すのであれば、政治手法もまた違うのではないか、とも思いますが。もっとも、その場合、首相にまで上り詰めることができたのか怪しい、とも言えそうですが。

 著者の専門が日本政治外交史・東アジア国際政治史ということもあって、外交に関する記述が多めなのも本書の特徴です。外交についてはやはり、首相在任中の記述が多めなのですが、首相就任前についても言及されています。首相就任前の田中は、外交や安全保障についてさほど関心は高くなく、同時代の自民党の政治家と比較して、とくに見識が優れていたというわけでもないようです。田中の外交というと、最大の功績とも言われる日中共同声明については、すでに著者による新書が刊行されているためか(関連記事)控えめで、その分、ヨーロッパ歴訪や資源外交についてやや詳しく解説されています。今年末(2016年12月)にロシアのプーチン大統領の訪日が予定されるなか、田中政権時の日ソ首脳会談が改めて注目されているようなので、その意味でも、本書は一般層の関心を惹きそうです。本書は、一般向けの田中の伝記として、長く読み続けられるだけの価値があるのではないか、と思います。
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米国大統領選

2016/11/11 00:00
 これは11月11日分の記事として掲載しておきます。民主党と共和党の両候補がともに嫌われ者で、中傷合戦もひどかったと言われる今回のアメリカ合衆国大統領選の一般投票では、大方の予想を覆して、共和党のトランプ候補が民主党のクリントン候補を破り、実質的に当選を決めました。じつは、クリントン候補の勝利を想定した予定稿を準備していたのですが、ほとんど使い物にならなくなりました。選挙人獲得数ではトランプ候補が290人にたいしてクリントン候補が228人だったのにたいして、得票率ではトランプ候補が47.5%にたいしてクリントン候補が47.7%で、2000年の大統領選と同じく、選挙人獲得数と得票率の勝者が一致しませんでした。

 世論調査ではほぼ終始一貫して、クリントン候補の支持率がトランプ候補を上回っていただけに、本当に意外な結果でした。世論調査が予想を外したことについては、すでに各種報道機関などで、世論調査の信頼性の低下(携帯電話のみの所有者が基本的に調査対象外、回答率の低下など)が指摘されており、もちろん、門外漢の私から新たな論点を提示できるはずもありません。そもそもトランプ候補がなぜ勝ったのか、という点についても多くの人が見解を提示しており、こちらでも門外漢の私が新たな論点を提示できるはずもありませんが、そうした見解のうち、私が説得的だと思ったものを自分なりに簡潔にまとめておきます。

 今回の大統領選の結果をポリティカルコレクトネス(PC)の敗北として認識する見解と、そうした見解を嘲笑したり危惧したりする「リベラル派」の見解が私の観測範囲では目につきましたが、PCが今回の大統領選の結果を検証するうえで重要な論点の一つであることは間違いないと思います。投票日前から一部で言われていたことですが、上述した世論調査の信頼性低下の根本的要因とともに懸念・指摘されていたのが、「隠れトランプ支持者」の存在です。PCが定着している米国社会の上層では、トランプ候補への支持を公言しにくく、世論調査がトランプ候補への支持率を実態よりも過小評価してしまうのではないか、というわけです。

 また、発言力が大きいというか目立つ、各種報道機関の記者や「識者」は社会上層にいるので、そもそも本気でトランプ候補を忌避する人々や、PCを意識してトランプ候補への支持を公言できないような人々との付き合いが中心になり、どうしてもトランプ候補の支持率を過小評価してしまう認知の偏りに陥ってしまったのかもしれません。米国社会の分断化がそれだけ進んでいるということなのでしょうが、じっさい、今回の大統領選では、クリントン候補がおおむね都市部でしか勝っていない、と指摘されています。

 世論調査がおおむね予測を外してしまったことは、このように解釈できるかもしれませんが、それにしても、当初は泡沫候補としか思えず、共和党の予備選で早期に脱落するだろう、と予想していたトランプ候補が実質的に次期大統領に決まるとは、本当に意外でした。クリントン候補がかなり嫌われていることは日本の報道機関でも伝えられていましたが、私の想像以上にクリントン候補は米国社会で嫌われているようです。民主党の予備選でサンダース候補に苦戦したことである程度は理解していたつもりですが、既存支配層・ワシントン政治のインサイダーとしての印象がそれだけ強く、忌避されていた、ということなのでしょう。トランプ候補の勝利は、その政策・人柄への支持というよりは、クリントン候補を忌避する有権者の消極的選択という側面が大きいのかもしれません。

 トランプ候補が大統領に就任してどのように政権を運営するのか、予測の難しいところですが、日本国民の多くにとっては、クリントン候補が当選した場合よりも不利益が多いような気はします。これが門外漢のたんなる杞憂に終わればよいのですが。2000年の大統領選の頃より、米国社会の亀裂の深刻さを指摘する見解が目立つようになってきた印象があるのですが、今回の大統領選では、亀裂がますます深まったように思えます。得票率ではクリントン候補がわずかに上回っているわけで、トランプ政権でもこの亀裂が修復されるとは思えず、さらに深まる可能性が高そうです。

 大統領選と同時に行なわれた上院選(議席数の1/3の改選)と下院選の結果、民主党の議席数は選挙前より増えたものの(上院では2議席増、下院では6議席増)、両院ともに共和党が過半数を制している状況は変わらないので、この点では、トランプ次期大統領の政権運営には好材料と言えるでしょう。もっとも、トランプ次期大統領は、共和党主流派との関係も悪く、それが「中央政界のアウトサイダー」としての印象を強めて、勝利の一因にもなったのでしょうが、やはり議会対策では苦労しそうで、政権運営が迷走し、一期で政権は終わるのではないか、と思います。あるいは、トランプ次期大統領の年齢からも、一期もたない可能性もありますが、ペンス次期副大統領の手腕次第では、二期目もありえるかもしれません。何とも不安なトランプ政権ですが、発足後は「意外と現実的で穏和」と言われるような運営を願っています。
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現生人類においてネアンデルタール人由来の遺伝子が除去された理由

2016/11/10 00:00
 現生人類(Homo sapiens)においてネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の遺伝子が除去された理由についての研究(Juric et al., 2016)が報道されました。非アフリカ系現代人のゲノムには、わずかながら(常染色体において1.5〜2.1%)ネアンデルタール人由来の領域が確認されています。これは、出アフリカ後の現生人類集団のみがネアンデルタール人と交雑した結果と考えられています。この研究は、非アフリカ系現代人のゲノムに見られるネアンデルタール人由来と推定される対立遺伝子頻度の推定から、この問題を検証しています。

 すでに、ネアンデルタール人は現生人類よりも人口規模が小さく、そのためにネアンデルタール人由来の遺伝子が現生人類において除去された、という見解が提示されています(関連記事)。小規模な集団では大規模な集団よりも近親交配の頻度が高まり、弱い有害な(適応度を下げる)遺伝的変異を除去する選択圧が弱まる傾向にあるからです。この研究もその見解を改めて支持しており、より小規模な集団であるネアンデルタール人では除去されなかった(強い選択圧に曝されなかった)弱い有害な遺伝的変異が、交雑の結果より大規模な集団である現生人類に浸透すると除去される、と指摘しています。両者の交雑の初期世代では、ネアンデルタール人においては潜在的だった遺伝的負荷が顕在化するのではないか、というわけです。

 現生人類のゲノムにおいてネアンデルタール人由来の領域の割合が低水準になった理由として、交雑のさいの両者の遺伝的不適合も指摘されています(関連記事)。しかしこの研究は、ネアンデルタール人と現生人類との長期間の人口規模の違いの方を重視しています。ただ、人口規模の違いですべてを説明すると断定はできない、と本論文の筆頭著者であるジュリック(Ivan Juric)博士は慎重な姿勢を示しています。交雑のさいの両者の遺伝的不適合や性選択など何らかの選択が作用したかもしれない、というわけです。またこの研究は、ヨーロッパ系現代人よりも東アジア系現代人のゲノムにおいて、ネアンデルタール人由来の領域の割合がわずかに高いことを改めて確認するとともに、ネアンデルタール人が現生人類からかなりの量の適応的な遺伝的変異を得た可能性も指摘しています。


参考文献:
Juric I, Aeschbacher S, Coop G (2016) The Strength of Selection against Neanderthal Introgression. PLoS Genet 12(11): e1006340.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pgen.1006340
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Robin Dunbar『人類進化の謎を解き明かす』

2016/11/09 00:26
 ロビン=ダンバー(Robin Dunbar)著、鍛原多惠子訳、真柴隆弘解説で、インターシフトより2016年6月に刊行されました。原書の刊行は2014年です。著者は「ダンパー数」で有名であり、本書でも、時間収支モデルとダンパー数を導く社会脳仮説に基づき、人類の進化を解明していきます。時間収支モデルとは、摂食・移動・休息・社会的関係の形成(社交)といった主要な活動に霊長類がどう時間を配分するのか、その身体的特徴と環境(集団規模といった社会環境も含まれます)から予測する方法です。社会脳仮説では、脳の大きさから社会集団の規模を予測できる、とされます。

 本書は、第1章で人類の進化について簡潔に解説した後、第2章と第3章で時間収支モデルと社会脳仮説について解説します。本書は第1章にて、人類史には大きく5度の画期があった、と指摘しています。第1期は直立二足歩行の確立で、アウストラロピテクス属の出現までが対象となります。この時期には、脳容量や認知に重大な変化があった証拠はない、とされます。第2期は180万年前頃で、(異論の余地のほとんどない)ホモ属が出現して、脳容量が増大します。第3期は60万〜50万年前頃で、ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)が出現し、さらに脳容量が増大します。第4期は20万年前頃で、解剖学的現代人(Homo sapiens)が出現し、脳のサイズがさらに大きくなります。第5期は12000〜8000年前頃の新石器革命で、まず西アジアにおいて定住と農耕が始まりますが、本書は定住の方が真の革命だった、との見解を提示しています。第4章以降では、第1期〜第5期がそれぞれ解説されていきます。

 第1章で提示される人類進化史の概説は、引っかかるところもあるものの、全体的には妥当なものになっていると思います。現生人類(Homo sapiens)の西ヨーロッパへの到達がわずか32000年ほど前だったとされていることや(現時点では、4万年以上前までさかのぼる、との見解が有力だと思います)、20万年前頃にアフリカに出現した解剖学的現代人はあっという間に「旧人」と置換したとの見解(アフリカでも現生人類と非現生人類の人類系統との更新世後期の交雑の可能性が指摘されています)や、遺伝学的研究により、大型類人猿系統(ヒト科)における人類位置づけに大きな変更がもたらされたのは1980年代(じっさいには1960年代)との認識が、やや気にかかるところです。

 第2章は霊長類社会の一般的原理についての解説で、人類もその例外ではない、と指摘されています。霊長類においては、社会集団の規模が大きくなるにつれてメスはストレスにさらされていき、オスは他の同性との競争に明け暮れるようになります。人類史においては、この問題との関連で脳の大きさと時間収支が鍵となり、それについては霊長類全般を対象として第3章で解説されます。

 霊長類において、親密な関係を築いて維持できる集団(の最大)規模は脳の大きさというか、新皮質比、とくに前頭葉比と相関しており、現代人の場合は150人程度とされます。集団規模を決定する直接的要因として社交があり、集団規模が大きくなると、摂食のための移動に費やす時間が増え、社交の時間が減少するので、集団規模には限界があります。摂食のための移動時間は食性とも関連しており、人間も含めて類人猿は未熟な果実を消化できないので、他の霊長類よりも長くなります。チンパンジーは、摂食のさいに小集団に分かれて移動することで、摂食のための移動時間を節約しています。この食性の制限は、たとえばヒヒなど他の霊長類と比較して類人猿の生息地を限定するため、中新世後期以降、類人猿は他の霊長類よりも衰退する傾向にありました。また、生息域を制限する条件として、捕食者の存在も指摘されています。

 そうした衰退傾向の中で例外となったのが人類系統で、その初期から、チンパンジーやゴリラといった現生アフリカ類人猿よりも広範な地域に拡散していました。初期人類はどのようにして広範な地域に拡散していったのか、という問題を考察するのが第4章です。アウストラロピテクス属の脳サイズはチンパンジーとさほど変わらなかったので、集団規模もさほど変わらず、摂食・休息の時間配分が違っていたのではないか、と本書は推測します。その要因として本書は、アウストラロピテクス属の歩行形態が直立二足歩行だったことを挙げています。直立二足歩行により、消費エネルギーが低下して移動能力を高めるとともに、冷却効果を高めた可能性を指摘しています。もっとも、冷却効果については、見直す見解があることも提示されています。また本書は、アウストラロピテクス属において食性が変わり、骨髄や根菜類といった、より効率的に消化できたり栄養価が高かったりするものを食べ始めたことで、摂食時間が減少した可能性も提示しています。アウストラロピテクス属は、その化石が湖や川の近くで発見されることから、草原地帯では植生の豊かな地域において、根菜類(や時として骨髄など)を新たな食資源とすることにより、チンパンジーと同程度の規模の共同体を、チンパンジーとは異なり離合集散することなく維持したのではないか、と推測しています。アウストラロピテクス属の社会構造については、同位体分析でメスの方の移動距離が長かったと推測されること(関連記事)や、チンパンジー以上の性差などから、ゴリラのようなハーレム型の多婚だった可能性が指摘されています。もっとも、アウストラロピテクス属でもアファレンシス(Australopithecus afarensis)の性差については、現代人とさほど変わらない、との見解も提示されています(関連記事)。

 第5章では異論の余地のないホモ属出現の意義が解説されています。本書では、まだホモ属に分類する見解の根強いハビリス(Homo habilis)は、アウストラロピテクス属に分類されています。ホモ属の脳と身体は(おそらくはその祖先系統だったであろう)アウストラロピテクス属よりもかなり大きくなっています。その分、必要なカロリーも増大し、より大きな共同体を形成するようになったと思われることから、摂食と社交の時間をどう捻出したのか、あるいは効率化したのか、という問題が生じます。本書はホモ属の直面したこれらの問題への可能性の高い解決策として、直立二足歩行に特化したことによる移動能力の向上と、毛づくろいより効率的な笑いという社交を挙げています。調理については、初期ホモ属の時点では習慣的な火の使用の証拠がないので、脳や身体の大型化に強い影響を及ぼさなかっただろう、と指摘されています。初期ホモ属の脳の巨大化の要因としては、捕食者もしくは同種からの圧力の可能性が提示されています。また、初期ホモ属の性差も現代人より大きいことから、社会構造としては多婚形態が想定されています。

 第6章では「旧人」の出現が解説されています。原書を読んでいないので断定はできませんが、おそらく本書の「旧人」は「archaic humans」の訳語であり、「猿人→原人→旧人→新人」という日本でお馴染みの人類進化の枠組みにおける「旧人」の原語である「Paleanthropine」が原書で用いられているわけではない、と思います。この第6章に限りませんが、本書の全体的な傾向として気になるのは、アフリカからユーラシアまで広く拡散したホモ属を、同じ分類群として扱っていることです。第6章では、60万年前頃にアフリカに突如として出現したハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)が、急速に西アジアとヨーロッパに拡散した、とされます。しかし、この時期にアフリカからユーラシアの広範な地域に存在したホモ属が、それほどの近縁な関係にあったのか、確証はないと思います。本書は、この「旧人」段階で脳容量の増大が確認される、と指摘します。本書は、これを可能とした一因として、調理による効率的な摂食を挙げており、この頃より火の習慣的な使用の証拠が確認されることをその傍証としています。また本書は、調理とその後の食事や音楽が社交の効率を高めたことも指摘しています。社会脳仮説では、脳容量の増大は集団規模の拡大につながりますが、ここで重要なのは、単なる脳容量の増大ではなく新皮質、とくに前頭葉のサイズです。本書は、高緯度地帯で進化したネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)においては視覚野が大きくなったのであり、前頭葉はさほど大きくならなかったことから、ネアンデルタール人とハイデルベルゲンシスの共同体の規模は110人程度で変わらず、75人程度の初期ホモ属よりは大きかったものの、150人の現生人類よりも小さかったのではないか、との見解を提示しています。ただ、ネアンデルタール人の視覚野が現生人類よりも発達していた、との見解にはまだ議論の余地があるようです(関連記事)。

 第7章では現生人類の拡散が検証されています。20万年前頃に出現した現生人類の脳は10万年前頃に突如として大きくなり、前頭葉が大きくなったために共同体の規模も拡大した、と本書は主張します。しかし、10万年前頃に現生人類の脳がとつじょとして大きくなったと言えるのか、化石証拠は少ないわけですから、かなり疑問の残るところです。現生人類の共同体はそれまでの人類よりも大規模で、それを支えたのは発達した言語能力ではないか、との見解を本書は提示しています。本書は、ネアンデルタール人にも言語能力があったことを認めつつ、それが現生人類ほど複雑ではなく、社交の効率という点でも現生人類より劣っていたのではないか、と指摘しています。また、火の効率的な使用は現生人類の活動時間を長くしたのではないか、とも推測しています。全体的に本書は、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向にあり、確かに両者の間で認知能力に何らかの違いがあった可能性は高いのでしょうが、本書はやや強調しすぎているようにも思います。

 第8章では言語の意義が検証されています。本書は、言語が技術に関わる情報の交換のためではなく、小規模で排他的な共同体の形成のために進化した、との見解を提示しており、その根拠として、言語が急速に変化していき、地理的にも時間的にも細分化された方言が乱立していくことを挙げています。また本書は、言語が笑いをいっそう効果的にしたことも指摘しています。親族名称体系は生物学では説明できない、とする(一部?の)人類学者の見解にたいして、生物学的な血縁関係にほぼ準じるのであり、血縁淘汰によって生まれる、との見解が提示されているのも注目されます。本書は、言語と宗教により、現生人類において初めて、文化・道徳観の共有に基づく150人の規模を超える延長された社会ネットワークが形成・維持されたと論じ、これがネアンデルタール人との競争における現生人類の勝利の根本的要因になった可能性を指摘しています。また、宗教に健康上の利点はないとの見解は、教理宗教の高度な概念のみに着目しているからで、祝祭などの宗教的経験による利点が無視されているからではないか、との見解も注目されます。

 第9章では、新石器時代の大きな変化が検証されています。新石器時代には150人を大きく超えるような規模の集落が形成されていきます。集住によるストレスは大きな問題になったはずだ、と本書は指摘します。本書は、新石器時代の大きな変化としては、農耕よりも定住の方が重要だった、と指摘します。それは、農耕開始の前に定住が始まっているという考古学的成果と、農耕は定住により生じた問題にたいする比較的容易な解決策の一つだった、との認識に基づいています。本書は、大規模な集住を可能とした要因として、シャーマニズム宗教から教理宗教への転換を挙げています。これにより、拡張された共同体への帰属意識が醸成されていきました。しかし本書は、教理宗教もシャーマニズム宗教の影響から完全に脱することはできず、言語と同様に、分離拡散していく傾向が強く見られる、とも指摘しています。人類史における単婚(一夫一婦制)と多婚という問題も改めて検証されており、人類史においては類人猿に似た多婚の時期が長く、「旧人」もしくは初期ホモ属以降は、ゴリラに似た単婚寄りの一夫多妻制となり、現生人類において初めて、やや強力な単婚に移行したものの、完全な単婚とも、種全体の特徴とも言い難い、というのが本書の見解です。

 本書は時間収支モデルと社会脳仮説に基づく人類進化史になっており、得るところが多々ありました。たいへん有益な一冊になっていると思います。ただ、全体的に理論というか手法を用いての人類進化史の検証で、演繹的なところがあるので、そのまま受け入れるのではなく、今後も詳細な検証が必要でしょう。本書の見解で修正される点も今後出てくるでしょうが、それでも、本書が提示した見解は検証に値する重要な者であり、本書の意義は大きいと思います。


参考文献:
Dunbar R.著(2016)、鍛原多惠子訳、真柴隆弘解説『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト、原書の刊行は2014年)
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』582話〜585話

2016/11/08 00:00
582話「犯罪ツアー」9
 銀行強盗事件が発生し、ボギーとブルースが急行しますが、犯人を捕まえることはできませんでした。しかし、犯人の手がかりとなるコートと覆面は回収できました。犯人の使用した拳銃は、未解決の殺人事件で使われたものであることが分かります。銀行強盗事件の直後、バスの爆破予告があり、ボギーとブルースが再び急行します。ボギーとブルースがバスを止めさせて調べると、男性の乗客が拳銃を取り出し、運転手を脅迫します。ブルースがバスを追いかけ、男性を逮捕しますが、その男性の持っていた拳銃は、直前の銀行強盗事件で使われたものでした。しかし、バスには爆弾も奪った金もありませんでした。一係は、爆破予告の電話をかけてきた男性が共犯者ではないか、と疑います。ブルースはバスガイドの女性の証言により共犯者を逮捕しますが、盗まれた現金は見つからず、共犯者の男性は爆破予告の電話をかけたわけでもありませんでした。けっきょく、バスガイドが銀行強盗事件を目撃しており、ブルースを利用して共犯者を逮捕させ、その隙に愛人の男性のために現金を奪っていたのでした。なかなかひねった展開になっており、楽しめました。本作の定番である若手刑事の悲恋もの的な性格もありますが、ブルースは既婚者なので、ブルースが犯人の女性に惹かれていたというわけではなく、この点でもひねってきた感があります。アクションシーンもそうですが、ブルースはこれまでのところかなり魅力的なキャラになっていると思います。本放送時は、さほど好きなキャラではなかったのですが。


583話「3人の未亡人」6
 銀行強盗事件が発生し、警官が撃たれ死亡します。死亡した警官の妻は、マミーの交通課時代の同僚でした。未亡人となった交通課の警官は、マミーに仇討ちを懇願します。二人組の犯人は、引き続いて店を襲撃し、店主を撃ちますが、店主は一命をとりとめ、犯人のうち一人が顔見知りだと証言します。この証言により、容疑者がすぐに浮かび上がりますが、死体で発見されます。そのため、共犯者の特定は難航しますが、殺された犯人の東南アジア旅行を調べると、有力な容疑者が浮上します。その容疑者は、一ヶ月前まで同郷の女性と同棲していました。その女性は実家に戻り、マミーとボギーはその実家近くで張り込みを続けます。マミーの予想通り、犯人は女性の前に現れ、マミーとブルースが現れると、女性を人質にとり、ブルースを撃って逃走します。マミーは撃たれながらも犯人を追いますが、犯人を射殺してしまいます。女性は、犯人に人質に取られながら、犯人を殺されて号泣し、マミーを人殺しと罵倒します。未亡人というマミーの設定を活かした話で、悲劇的な要素も盛り込みつつ、まずまず面白くなっていました。


584話「盗聴」7
 ドックとラガーは偶然、盗聴されていた電話での会話を傍受します。男性の犯人は電話での会話を盗聴し、宝石店の店員を脅迫していました。金の受け取りに現れたのは女性で、この女性も犯人に脅迫されて金の受け取り役をやらされていたのでした。一係は女性に捜査への協力を要請し、女性の前に現れた男性は逮捕されますが、この男性も盗聴犯から脅迫されていました。一係は女性の行方を見失い、女性は犯人に監禁されます。犯人は、捜査から手を引かねば女性を殺害する、と一係を脅迫します。女性の婚約者は、捜査から手を引くよう、一係に要請します。警察に協力的ではない婚約者から情報を得るために、ラガーは婚約者の電話に盗聴器を仕掛けます。ボギーとラガーは盗聴した情報をもとに男性を逮捕しますが、男性はとぼけ続けます。婚約者も男性を庇い、盗聴した情報を証拠にすることもできず、捜査は行き詰ります。男性は釈放されたものの、一係は必死に捜査を続け、監禁された女性を救出し、男性を逮捕します。盗聴を用いた巧妙な犯罪の謎解きと、ラガーも捜査に盗聴を用いてしまったことからくる、一係の覚悟とが描かれ、なかなか楽しめました。


585話「ボギー名推理」9
 小説家の女性の夫から、仕事場の妻の様子がおかしい、と一係に電話があり、ボギーが仕事場に急行します。仕事場は荒らされており、女性はおらず、誘拐したという脅迫状が残されていました。犯人からの電話を待つなか、ボギーは偶然、憔悴したように見せかけるために髪をかき乱す夫の姿を目撃します。その直後、3000万円を要求する犯人からの手紙が届きます。夫が3000万円を用意して待っていたところ、河原で女性の死体が発見されます。女性は、夫が一係に電話をかけてきた時点で、すでに殺されていました。山さんは、この犯行は金目当てではなく殺害ではないか、と推理し、ボギーは、夫が犯人ではないか、と疑います。売れっ子のルポライターだった夫が、今では自分よりもはるかに売れっ子の小説家となった妻を疎ましく思っていたのではないか、というわけです。夫のアリバイは念入りで、一係はなかなか崩せず、決定的な証拠をつかめません。しかし、ボギーの執念の捜査と的確な推理を恐れた夫は、ボギーがいつか本当に決定的な証拠を得るのではないか、と考えて自白します。熱血漢のボギーと計算高く冷酷な夫のキャラを対比させ、なかなか上手い話になっていたと思います。この時期の話は少なくとも一度は視聴しているはずなのですが、内容はほとんど覚えていません。しかし今回は、面白いので印象に残っていたということなのか、わりとよく覚えていました。
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大河ドラマ『真田丸』第44回「築城」

2016/11/07 00:00
 これは11月7日分の記事として掲載しておきます。豊臣方と徳川方の戦いが迫り、牢人衆の提案を聞き入れて、秀頼も一度は出撃を決意するものの、母である茶々に説得され、籠城と決めます。幸村(信繁)は、大坂城で最も脆弱な南側に出城を造ろうと考えますが、後藤又兵衛も同じことを考えていました。幸村と又兵衛は話し合い、幸村は自分の策を打ち明け、又兵衛を説得して、南側に出城を造ることになり、陣立を考えます。幸村の陣立に秀頼は賛成しますが、牢人衆を信じられない織田有楽斎と大蔵卿局は反対し、又兵衛と毛利勝永は大坂城を出る、と言い出します。

 幸村は茶々を説得しますが、茶々も信繁は信用しているものの、他の牢人衆は信用しておらず、幸村の説得は失敗します。しかし、大野治長は覚悟を決め、大坂城の南側に出城を造ることを幸村に許可し、他の諸将の陣立も以前の案を認めます。これを知った有楽斎はただちに秀頼に進言し、秀頼の命と称して幸村に出城の築造を中止させます。これに憤った又兵衛と毛利勝永は大坂城を出る、と再度言い出します。そこへ秀頼が現れ、幸村に出城の築造を許可し、牢人衆を信じる、と宣言します。今回は、大坂城内の暗闘・駆け引きを中心に物語が進み、これまでに描かれてきたキャラを活かして、なかなか面白くなっていました。徳川方の人間模様もなかなか面白く描かれていましたし、「真田丸」にはかなりの予算が投じられているようなので、迫力のある映像が期待できそうです。
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