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長谷川貴彦『イギリス現代史』

2017/11/26 00:00
 これは11月26日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店から2017年9月に刊行されました。本書は、第二次世界大戦から、昨年(2016年)の国民投票でのEU(ヨーロッパ連合)離脱の決定と、今年の総選挙までを取り上げています。まさに現代史といった感じで、手堅くまとめられており、私のような門外漢にとって手ごろな入門書になっているのではないか、と思います。

 本書は、1940年代・1950年代・1960年代・1970年代・1980〜1990年代・1990〜2000年代・2010年代に区分して、イギリス現代史を概観しています。イギリスでは第二次世界大戦が契機となり福祉国家が成立し、私企業と公共企業の混合経済・帝国からの撤退なども含めて「コンセンサス」が成立し、保守党と労働党の二大政党間で政権が交代しても、その枠組みは維持されました。

 この「コンセンサス」のもとでイギリスは豊かになっていき、個人主義的傾向が強くなっていくとともに、それまで社会の枠組みの大前提だった階級が人々の意識からは溶解していき、人種・民族・ジェンダー・宗教など、新たな枠組みが社会的に重視されていき、本書はこうした1960年代の変化を文化革命と定義します。この文化革命を経て社会は変化していきますが、そこには肯定的な印象も否定的な印象もありました。

 この文化革命を経て「英国病」と呼ばれる1970年代を迎えます。ここではイギリスの停滞と混乱が強調されましたが、本書は、それが政治論争のなかで増幅された印象であり、豊かさという観点からは停滞とも言い難く、可能性を秘めた時代でもあったことを指摘します。しかし、戦後成立した「コンセンサス」としての福祉国家が行き詰まっていた側面もあり、それへの対応策として、新自由主義的改革と社会主義的政策の強化という異なる方針が提示されるようになった、と本書は指摘します。

 この社会的混乱を収拾しようとしたのが保守党のサッチャー政権で、1980年代以降のイギリスでは、政府が強い反対を押し切り、新自由主義的政策が強く進められることになります。1990年代後半にはサッチャー・メイジャーと長く続いた保守党政権から労働党政権へと交代しますが、労働党は「第三の道」を主張し、1970年代のような社会主義的枠組みの強化を進めたわけではありませんでした。

 このように、1960年代の文化革命以降、個人主義的傾向は強くなり、それが新自由主義に取り込まれていくなど、古典的な枠組みである階級はすっかり衰退したように見えましたが、2008年のリーマンショック以降、拡大した格差への抵抗運動も盛り上がっていき、労働党は2015年以降、コービン党首のもとで「左傾化」していきます。あるいは、イギリスにおいて再び、階級が社会の重要な枠組みとして認識されるようになるのかもしれません。
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テレビが壊れたのでモニターを購入

2017/11/25 00:00
 これは11月25日分の記事として掲載しておきます。ほぼ8年間使用していた37インチのフルハイビジョン液晶テレビ「REGZA 37Z9000」が今月(2017年11月)17日に故障したことは、このブログで述べました(関連記事)。そのさい、20〜24インチ程度のデスクトップパソコン用の安価なモニターをとりあえず購入し、しばらく代用することも考慮に入れている、と述べましたが、デスクトップパソコン用のモニターにて録画機経由でテレビを視聴してみて、とりあえずは我慢できる画質・音質だったので、21.5インチのモニターBenQ「GW2265HM 21.5」を新たに購入しました。

 このままデスクトップパソコン用のモニターでテレビを視聴し、その間はノートパソコンを使用してもよかったのですが、さすがに不便なので、とりあえずテレビ用の安いモニターを購入した、というわけです。まあそれでも、HDMI端子が1個しかないので、録画機と光テレビのチューナーを視聴のたびに接続し直す必要があるわけで、やや面倒ではありますが。そのうち、改めてテレビを購入する予定なので、無駄な出費かとも思ったのですが、現在使用しているデスクトップパソコン用のモニターも購入してから6年以上経過し、いつ壊れても不思議ではないので、予備として1台所有しておくのも悪くはないかな、と思いました。ただ、それなら現在使用しているモニターと同じく27インチにすべきだったかな、とやや後悔していますが。

 覚悟はしていましたが、やはり安物のデスクトップパソコン用のモニターでは、画質は「REGZA 37Z9000」と比較してかなり劣ります。光デジタル音声も使えないので音質もかなり劣るのですが、ブルーレイディスクに保存している九寨溝のドキュメンタリーなど、高画質で視聴したい録画番組をこの環境で再生しようとは思いませんし、未読の本・論文がたまる一方で、そうした録画番組を視聴する余裕はありませんから、当分はこの環境でよいかな、と思います。『太陽にほえろ!』の再放送や大河ドラマや朝の連続テレビ小説は、このくらいの画質・音質でも我慢できそうです。

 当初は、安めの4k対応のテレビを購入するつもりでしたが、テレビは長く使い続けたい大型家電なので、妥協したくないと思い、じっくり検討する時間を作るためにも、臨時で安物のデスクトップパソコン用のモニターを購入しました。できれば、本格的な4k放送が始まってから対応するテレビを購入したいものです。まあ、やはり以前の環境と比較して画質・音質が劣ることに我慢できなかったり、ぜひ高画質で視聴したいと思うような番組が放送されたりして、1ヶ月もしないうちに、改めて調べてテレビを購入することになるかもしれませんが。
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初期人類による屠殺の証拠の見直し

2017/11/24 00:00
 これは11月24日分の記事として掲載しておきます。初期人類による屠殺の証拠を再検証した研究(Sahlea et al., 2017)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。初期人類がいつから動物を解体して肉や骨髄を食べるようになったのか、という問題は大きな関心を集めてきました。中には、ホモ属と人類の初期石器文化であるオルドワン(Oldowan)の出現以前の340万年前頃に、人類は石器を用いて動物を解体していた、との見解も提示されています(関連記事)。そこまで古くなくとも、200万年以上前から人類が動物を解体していた、との見解も提示されています(関連記事)。

 そうした見解の証拠とされているのは、動物の骨の表面に見られる線状の痕跡や窪みです。こうした解体痕(cut marks)や打撃痕(percussion marks)は、人類が石器を用いて動物を解体して食べた証拠とされています。しかし、この研究は、近年の実験考古学的手法も用いて、そうした200万年以上前の動物の骨の表面に見られる痕跡が、本当に人類が石器を用いた結果なのか、確定的ではない、と注意を喚起しています。

 この研究で重要になる概念が等結果性です。等結果性とは、異なる手法でも最終的に類似した結果が生じることを意味します。この研究で具体的に指摘されているのは、動物が踏んだり噛みついたりすることにより生じる動物の骨の表面の痕跡を、人類が石器により動物を解体した結果としての痕跡と区別するのは困難だ、ということです。この研究では、エチオピアの鮮新世〜更新世の化石を再検証し、とくにワニ(クロコダイル)の噛みついた痕跡が、人類の所産と誤認される可能性を重視しています。この研究は、動物の骨の表面に見られる痕跡が人類の所産なのか、ワニなど人類ではない動物の所産なのか、判断するには、もっと多くの野外調査と実験考古学的手法が必要になる、と指摘しています。


参考文献:
Sahlea Y, Zaatarib SE, and White TD.(2017): Hominid butchers and biting crocodiles in the African Plio–Pleistocene. PNAS.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1716317114
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』678話〜682話

2017/11/23 00:00
678話「山村刑事の報酬なき戦い」7
 2時間スペシャル放送となります。静岡県の八崎署の管内でジャーナリストが若い刑事に追跡されて小屋に籠り、刑事を銃撃しようとしたところ、刑事に撃たれてガス爆発で死んでしまいます。八崎署には不正の噂があり、山さんは不正捜査の密命を帯びて八崎署へと向かいます。山さん主演作でも過去にありましたが、警察の汚職は本作で何度か描かれており、強大な権力との対峙という本作の定番の一つになっています。今回も、地元の有力者が絡んできて山さんが窮地に陥るという、本作ではよくある展開になっています。それでも、山さん主演作らしく、複雑な家庭事情も絡んだ大人向けの話になっていて、なかなか楽しめました。


679話「ホラ吹きの街」5
 商事会社の金庫から金塊が盗まれます。犯人と思われる若者たちと直前までつるんでいたのは、その商事会社の社長の息子である大学生でした。一係は大学生を疑いますが、大学生はふざけた返答を繰り返し、確証もないので釈放されます。ドックは大学生に徹底的に付き合いますが、大学生と若者たちとの関係は希薄で、なかなか手がかりがつかめません。今回は喜劇調になっており、ドック主演作らしい軽い話になっています。ドック登場以降の話を再視聴するようになるまで、こうした軽さがどうも嫌だったのですが、このところ重い話が多かったので、たまにはこうした軽い作風も悪くはないと思うのですが、全体的に盛り上がりに欠けた感は否めません。


680話「陽ざしの中を」6
 マイコンが自宅にいると、女性から間違い電話がかかってきます。女性は人違いだとマイコンから聞いても話し続け、人を殺した、と告白します。何とも謎めいた女性の行動ですが、すぐに死体はバーのマスターだと分かり、電話をかけてきた女性の身許も判明します。殺されたマスターは遊び人でしたが、女性との関係がよく分からず、一係は行方不明の女性を調べます。女性の経歴には不明なところが多かったのですが、コールガールだったことが分かります。何とも不可解なところの多い事件で、謎解き作品としてまずまず楽しめました。また、暗い過去のある女性の必死な生きざまにはヒューマンドラマとして共感するところもありました。女性が自白する場面でボギーのテーマが流れたのはよかったと思います。


681話「それでも貴女は女なの!」6
 経済研究所で強盗事件が発生し、犯人はすぐにその経済研究所の元秘書の男性だと特定されます。その経済研究所には汚職の噂があり、元秘書の男性は汚職の事情を知りすぎたので解雇されたのではないか、と一係は推理します。マミーは、その元秘書の男性と交際していた女性を訪ねます。かつて、その女性が店長を務める店でロッキーがマミーへのプレゼントを購入しており、マミーはその女性と面識がありました。マミーとロッキーの想い出も絡めつつ、男女の情念が描かれ、まずまず楽しめました。マミーが女性には身許を明かしていないという設定を上手く話に活かしていましたが、なぜマミーがそうしたのか、明かされず、ここはやや不自然に思いました。


682話「揺れる生命」7
 妊娠中の女性が自動車に同乗していた男性と言い争って道路に出て、自動車にひかれて意識不明の重体となります。女性をひいた自動車の運転手は逃亡します。ブルースは女性と同乗していた男性に話を聞き、男性の様子が不審なことから、男性が父親ではないか、と疑います。この男性は栄転が決まり、上司の娘との婚約の話も出ていました。胎児と女性の命のどちらかを選ばねばならない状況となったものの、父親が同意すれば、限界まで胎児の成長を待ち、出産も可能かもしれない、と聞いたブルースは、妻が妊娠中であることから、出産の可能性に拘ります。ブルースの妻の妊娠という設定を活かし、なかなか上手く話が作られていたと思います。胎児の父親の男性は真正のクズだと思ったのですが、意外にも多少なりとも良心が残っていたのか、辞職して重体の女性とともに生きていく決断をくだします。女性を自動車でひいてしまった男性にも、不運な人生を送ってきて警察不信になった、という設定があり、話を面白くしていたように思います。この男性を演じたのは竹中直人氏で、これはすっかり忘れていました。
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第46回「悪女について」

2017/11/22 00:00
 これは11月22日分の記事として掲載しておきます。徳川家康は織田信長の圧力に屈し、一度は信康(竹千代)を殺すと決めましたが、それでもなお諦めきれず、北条と結んで武田を追い詰め、その代わりに信康の助命を願い出ようと奔走します。家康は今川氏真に北条との仲介を依頼します。なかなか信康を殺そうとはしないことに織田が苛立ち始めた頃、瀬名(築山殿)は武田との密通の証である書状を残して、石川数正とともに姿を消します。瀬名は信康の罪を一身に引き受けようとしていました。井伊谷を通過しようとした瀬名は、直虎(次郎法師)と遭遇します。直虎は瀬名の覚悟を見抜き、瀬名を引き留めようとします。そこへ万千代(虎松)が現れ、立場上、家康は瀬名と石川数正に追手を差し向けているものの、ここは家康の真意に従って井伊谷に隠れるよう、進言します。直虎も、必死に瀬名を説得しますが、瀬名は殺されるべく井伊谷を立ち去ります。

 瀬名は追手に捕まり、殺されます。家康は、自分が不甲斐ないために瀬名は死んだのだ、と悔やみます。家康は瀬名の首を安土城にいる信長に差し出します。家康は、武田と内通したのは瀬名のみで、信康は無実だ、と信長に訴えます。しかし信長は家康に、好きにするがよい、ただし自分も好きにする、と言い放ち、家康も万策尽き、信康は自害に追い込まれます。今回は、信康事件の結末が描かれました。瀬名が序盤から登場し、子供時代の信康(竹千代)も登場したことから、信康事件の扱いは大きいのだろうな、と予想していましたが、小野政次(鶴丸)の最期ほどではないにしても、終盤の山場で盛り上がったと思います。直親(亀之丞)や政次などの生き様も踏まえての話になっており、長期放送の大河ドラマとしての特性を上手く用いた構成になっていたと思います。創作というか独自解釈の余地が大きいと思われる本作の信康事件でしたが、歴史ドラマとしてよかったのではないでしょうか。
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イベリア半島で他地域よりも遅くまで生存していたネアンデルタール人

2017/11/21 00:00
 これは11月21日分の記事として掲載しておきます。イベリア半島における後期〜末期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の年代に関する研究(Zilhão et al., 2017)が報道されました。イベリア半島はネアンデルタール人終焉の有力候補地で、24000年前頃まで生存していた、との見解(後期絶滅説)も提示されています(関連記事)。イベリア半島は末期ネアンデルタール人にとって待避所になっていたのではないか、というわけです。もっとも、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは(非アフリカ系)現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。

 後期絶滅説でイベリア半島を末期ネアンデルタール人の待避所とする見解では、近隣地域が中部旧石器時代〜上部旧石器時代へと移行する時期に、イベリア半島ではムステリアン(Mousterian)の中部旧石器時代が続いた、とされます。ピレネー山脈地域〜フランス南西部における中部旧石器時代〜上部旧石器時代への移行期は、ムステリアン(Mousterian)→シャテルペロニアン(Châtelperronian)→プロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)→早期オーリナシアン(Early Aurignacian)とも呼ばれるオーリナシアン1(Aurignacian I)→オーリナシアン2(Aurignacian II)と続く、とされます。ヨーロッパにおけるムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみで、オーリナシアン1・2の担い手は現生人類とされています。

 ヨーロッパの他地域で中部旧石器時代〜上部旧石器時代へと移行する時期に、イベリア半島では中部旧石器時代が続いた要因として、生物地理学的にはイベリア半島はエブロ川を境に区分される、という古環境学的証拠が提示されています。この生態系の違いが現生人類のイベリア半島への侵出を阻止したのではないか、というわけです(エブロ境界地帯モデル仮説)。この仮説は、そのためにエブロ川以南のイベリア半島はネアンデルタール人の待避所たり得て、エブロ川以南のイベリア半島のネアンデルタール人は他地域よりも遅くまで生存していた、と想定しています。

 しかし、21世紀になって、ヨーロッパの中部旧石器時代末期〜上部旧石器時代の年代の見直しが進んでおり(関連記事)、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人の生存が確認できるのは4万年前頃までで、それ以降とされる年代は信頼性に問題がある、との見解(早期絶滅説)も提示されています(関連記事)。イベリア半島に関しても中部旧石器時代末期〜上部旧石器時代の移行期のより正確な年代が提示されるようになっており、近年では早期絶滅説が提唱されるようになっていました(関連記事)。

 この研究は、新たに発掘されたイベリア半島南東部の遺跡の年代を測定し、その他のイベリア半島の既知の遺跡の年代と比較しています。新たに発掘されたイベリア半島南東部の3ヶ所の遺跡は、ムラ盆地(Mula basin)内の相互に2kmも離れていない、アントン洞窟(Cueva Antón)・フィンカドーニャマルティナ(Finca Doña Martina)・アブリゴデラボーヤ(Abrigo de La Boja)です。この研究で用いられた年代測定法は、放射性炭素年代測定法・光刺激ルミネッセンス法(OSL)・ウラン系列法ですが、放射性炭素年代測定法では、厳密な前処理により、信頼性の高い年代測定結果を提示しています。これまで、後期絶滅説の根拠とされてきた遺跡の年代に関しては、信頼性に疑問が呈されることもあったので、そうした懸念を払拭しようとしたわけです。

 この新たな3遺跡の年代測定の結果、暦年代では、アントン洞窟のムステリアン層I〜Kが37100年以上前となる一方で、アブリゴデラボーヤの最古のオーリナシアンは36500年以上前よりもさかのぼりません。そのためこの研究は、エブロ川以南のイベリア半島においては、中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行は37000〜36500年前頃に起き、この移行年代は他のイベリア半島南部・西部の遺跡の証拠とも整合的なので、移行が42000〜40000年前頃に起きたヨーロッパの他地域と比較して、イベリア半島南部・西部では移行が少なくとも3000年遅れている、との見解を提示しています。オーリナシアン1が他の場所で見られる時代に、イベリア半島南部・西部ではムステリアンが続いており、ネアンデルタール人が生存していた、というわけです。この研究は、エブロ川以南のイベリア半島の37000年前以前の人為的痕跡は、すべてネアンデルタール人またはその祖先の所産だろう、と指摘しています。

 この研究は、こうしたイベリア半島南部・西部における中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行の遅れは、エブロ川を境とする生態系の違いが障壁として作用したからだろう、と推測しています。さらにこの研究は、イタリアのフレグレイ平野の39850年前に起きたカルデラ爆発が、当時ヨーロッパにいた現生人類とネアンデルタール人に打撃を与え、ヨーロッパにおける現生人類の西進を停滞させたのではないか、と推測しています。またこの研究は、このカルデラ爆発の後のグリーンランド亜間氷期8に気候が改善し、イベリア半島南部において森林が顕著に拡大したことも、エブロ川の境界としての効果を強めただろう、と指摘しています。

 上述したように、ネアンデルタール人は絶滅したとはいっても、それは現生人類との交雑を通じての置換もしくは同化です。その様相は地域により異なっており、均一ではない、とこの研究は強調しています。現生人類が近隣まで侵出してきたら、ネアンデルタール人は直ちに衰退して置換もしくは同化されたのではなく、環境の違いにより、その過程にはさまざまな展開があり得た、というわけです。その意味で、ネアンデルタール人と現生人類との最初の接触と交雑が起きたであろう西アジア、とくにレヴァントにおいて、どのような過程で現生人類からネアンデルタール人への置換、もしくはネアンデルタール人の現生人類への同化が最終的に起きたのか、たいへん興味深く、研究の進展が期待されます。


参考文献:
Zilhão J. et al.(2017): Precise dating of the Middle-to-Upper Paleolithic transition in Murcia (Spain) supports late Neandertal persistence in Iberia. Heliyon, 3, 11, e00435.
https://doi.org//10.1016/j.heliyon.2017.e00435
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テレビが壊れる

2017/11/20 00:00
 これは11月20日分の記事として掲載しておきます。8年前に37インチのフルハイビジョン液晶テレビ「REGZA 37Z9000」を購入したのですが(関連記事)、ついに故障してしまいました。今月(2017年11月)17日に、B-CASカードが正しく挿入されていない、との表示が出てBS放送が見られなくなり、その後に操作していないのに画面が映らなくなり、すぐに画面が映るようになる、という現象が数分間隔くらいで複数回起き、ついには画面が映らなくなりました。コンセントを抜いて差し直し再起動すると、10分くらいは正常に映っているのですが、その後はまた画面が消えたり映ったりして、ついには画面がまったく映らなくなります。

 検索したところ、典型的な故障の症状で、購入してほぼ8年経過し、保証期間もとっくに過ぎていることから、買い替えることにしました。本当は、4K放送が本格的に始まるまで「REGZA 37Z9000」を使い続けるつもりだったのですが、ほぼ8年使っていただけに、仕方のないところでしょうか。テレビに接続していたハードディスクの録画データが消えてしまうのは惜しいのですが、おもだった番組は録画機に接続しているハードディスクにコピーしていますし、再視聴する機会もめったにないでしょうから、もうすべて消去し、これまでテレビで使用していたハードディスクは、可能ならば今後購入するテレビに接続することにします。

 「REGZA 37Z9000」は、それなりに長い時間をかけて調べて購入したこともあり、総合的にはなかなか満足しているので、テレビが映らなくて困るとはいっても、長く使うものだけに、慌てて購入するのは避けたいところです。ただ、20〜24インチ程度のデスクトップパソコン用の安価なモニターをとりあえず購入し、しばらく代用してもよいかな、とも思います。録画機はまだ故障していないので、録画機経由で地上波とBSの放送および録画データを視聴する、というわけです。できれば、HDMI端子が2個以上あるとよいのですが、高価なものを購入するわけにはいかないので、不便ではあるものの、1個あれば満足すべきでしょうか。まあ、今時HDMI端子のないモニターはそうそう見つからないでしょうが。音声入力装置も必須となるので、条件に合致する安価なモニターをこれから探します。

 一時は故障かと思っていた冷蔵庫は、たんに扉を開けっぱなしだったのが原因だったようでその後はとくに問題はなかったので、デスクトップパソコンの買い替えを優先しようと考えていたのですが、今年4月以降に悩まされたKernel-Power 41問題」は、さまざまな対策が功を奏したのか(関連記事)、今年6月8日を最後に発生していませんし、ワードが重いことに不満とはいっても、オーバークロックすれば快適性は向上しますし、普段はダウンクロックしてもそれなりに快適に使えていますので、とりあえず当分は使い続けることにしました。ただ、今年10月に新たなセキュリティソフトを導入したところ、安価とはいえ、以前のものよりもかなり重いので、テレビが故障しなければ、今年中にデスクトップパソコンを買い替えていたかもしれません。
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小林武彦『DNAの98%は謎 生命の鍵を握る「非コードDNA」とは何か』

2017/11/19 00:00
 これは11月19日分の記事として掲載しておきます。講談社ブルーバックスの一冊として、講談社から2017年10月に刊行されました。本書は、ヒトのDNAのうち98%を占めると推定されているタンパク質をコードしていない領域(非コードDNA領域)について解説しています。本文は200ページにも満たない新書サイズですが、遺伝の基礎から非コードDNA領域の役割まで丁寧に解説されており、遺伝に関する一般向けの良書になっていると思います。ただ、たいへん充実した内容なので、私の見識・能力では一度読んだだけでおおむね把握できたとはとても言えず、今後何度か再読していく必要があります。

 非コードDNA領域はタンパク質をコードしていないことから、かつては軽視されていたそうですが、近年では、遺伝子発現の調整や遺伝子の安定性など多くの役割を担っていると明らかになってきて、たいへん注目されているようです。本書は三毛猫のように身近な事例も挙げつつ、非コードDNA領域の多様な役割を解説しています。長大な非コードDNA領域が、活性酸素や放射線や化学物質によるDNAの損傷を引き受けることにより、人体への悪影響を小さくするなど、タンパク質をコードしていなくとも、その役割はひじょうに重要だと了解されます。

 本書は進化にも1章を割いており、非コードDNA領域がヒトの進化にも重要な役割を果たしてきたことが解説されています。非コードDNA領域の変化は遺伝子の発現量を変えることもあり、それが表現型にも大きく影響を及ぼす、というわけです。また、非コードDNA領域だと思われていたDNA領域が、じつはコード領域だと判明したこともあるそうで、今後の研究の進展が注目されます。やや気になったのは、Y染色体について、500万年後には消滅するという仮説が取り上げられている一方で、それに否定的な見解(関連記事)は言及されていないことです。とはいえ、それが本書の価値を大きく下げていることにはならないと思います。


参考文献:
小林武彦(2017)『DNAの98%は謎 生命の鍵を握る「非コードDNA」とは何か』(講談社)
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水資源保全対策における文化の違い

2017/11/18 00:00
 これは11月18日分の記事として掲載しておきます。水資源保全対策における文化の違いに関する研究(Castilla-Rho et al., 2017)が公表されました。地下水は、気候変動に直面する世界の食糧安全保障と、数百万世帯の農村生活の維持に重要です。農業のための水資源の濫用は世界中で深刻に懸念されていますが、地下水利用者による保全政策への遵守を促すものが何かということについては、ほとんど分かっていません。地下水保全のモニタリングおよび執行は長い時間とコストを要し、政治的に困難な側面があります。文化によって異なる考え方を理解することは、費用効果の高い管理法の立案において重要です。

 この研究は、農民による灌漑のための地下水利用を、地下水の汲み上げの抑制が必要な3地域(オーストラリアのマレーダーリング盆地、アメリカ合衆国カリフォルニア州のセントラルバレー、インド・パキスタン国境付近のパンジャーブ地方)を対象にモデル化を行ないました。さまざまな地域における協力および法令遵守に対する社会的態度に関するデータを集めた結果、パンジャーブ地方のような協力的とされる文化においては強い懲罰的な手段が有効であるものの、マレーダーリング盆地やセントラルバレーのように個人主義がより強いとされる文化では、懲罰的な手段はそれほど有効ではない、と明らかになりました。

 この研究は、地下水の保全に対する社会規範を変化させる最も有効な介入法は、ロールモデルとなる法令遵守者の数を集団中に増やすことである、と明らかにしましたが、社会における受け入れの規模を変えるために必要な法令遵守者の数は地域差が大きい、とも指摘しています。この研究は、同様のモデルは水産物や森林といった他の共有天然資源にも適用できる、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


水資源保全の文化を理解する

 水資源の保全法に対する人々の反応に文化の違いがどのように影響するかということと、そうした知見を踏まえて各国の文化に適した有効な介入手段を見つける方法が、今週のオンライン版に掲載された論文で報告されている。

 地下水は、気候変動に直面する世界の食糧安全保障、および数百万世帯の農村生活の維持に重要である。農業のための水資源の濫用は世界中で深刻に懸念されているが、地下水利用者による保全政策への遵守を促すものが何かということについてはほとんど分かっていない。地下水保全のモニタリングおよび執行は長い時間を要し、コストを要し、政治的に困難な側面がある。文化によって異なる考え方を理解することは、費用効果の高い管理法の立案においてカギとなる。

 Juan Carlos Castilla-Rhoの研究チームは、農民による灌漑のための地下水利用を、地下水の汲み上げの抑制が必要な3つの地域(オーストラリアのマレー・ダーリング盆地、米国カリフォルニア州のセントラル・バレー、インド・パキスタン国境付近のパンジャーブ地方)を対象にモデル化を行った。さまざまな地域における協力および法令遵守に対する社会的態度に関するデータを集めた結果、協力的な文化(パンジャーブ地方)においては強い懲罰的な手段が有効であるが、個人主義のより強い文化(米国やオーストラリア)においては、懲罰的な手段はそれほど有効ではないことが分かった。研究チームは、地下水の保全に対する社会規範を変化させる最も有効な介入法は、ロールモデルとなる法令遵守者の数を集団中に増やすことであることを見出したが、社会における受け入れの規模を変えるために必要な法令遵守者の数は地域差が大きい。研究チームは、同様のモデルは、水産物や森林といった他の共有天然資源にも適用できると結論している。



参考文献:
Castilla-Rho JC. et al.(2017): Social tipping points in global groundwater management. Nature Human Behaviour, 1, 640–649.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0181-7
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地域により異なる新石器時代以降の不平等化の進展

2017/11/17 00:00
 これは11月17日分の記事として掲載しておきます。新石器時代以降の地域間の不平等化の進展に関する研究(Kohler et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、北アメリカ・メソアメリカ・ユーラシアを対象として、考古学的遺跡からジニ係数を推定して富の不平等化の進展の指標とし、新石器時代以降の地域間の不平等化の進展の違いと、その要因を検証しています。

 一般的に、ジニ係数は狩猟採集社会では低く、農耕が発達していくと高くなります。遊動性の狩猟採集社会では、世代を超えて富を蓄積していくことが困難だからです。大まかなジニ係数は、狩猟採集社会では0.17、規模が小さく素朴な栽培段階の社会では0.27、大規模で本格的な農耕社会では0.35となります。狩猟採集社会よりも農業社会の方が不平等性は高い、というわけです。しかし、この研究は、農耕社会でも、ユーラシアと北アメリカおよびメソアメリカでは、不平等化が異なることを明らかにしています。ユーラシアでは不平等化が上昇していったのにたいして、北アメリカおよびメソアメリカでは不平等化は停滞していた、というわけです。

 この研究はその要因として、大型動物の家畜化を挙げています。ユーラシア大陸ではウマやウシなど大型動物の家畜化が発達したのにたいして、アメリカ大陸では大型動物の家畜化はほとんど進みませんでした。大型動物の家畜化により、耕作地の拡大と新たな土地への進出が進み、不平等化が進展したのではないか、との見解をこの研究は提示しています。また、ユーラシアにおける大型動物の家畜化、とくにウマの場合、移動・軍事での利用により、アメリカ大陸ではヨーロッパ勢力の侵出前には困難だっただろう、大規模な政治組織の結成・維持を可能としたことも、不平等化を進展させたのではないか、と指摘されています。富の不平等は一般的に、植物の栽培化と動物の家畜化および増大する社会政治的規模と共に上昇していく、というわけです。

 この研究は、不平等な社会の危険性を指摘しています。不平等な社会では健康状態が悪化する一方で、平等な社会では平均寿命や社会への信頼性や他者への関心が高く、他者を助けようという利他的な意欲を有しています。しかしこの研究は、社会の平等化がたいへん困難であることも指摘しています。社会の平等化は多くの場合、伝染病・革命・大規模な戦争・国家崩壊により実現するからです。社会の平等化という観点からの研究は、さらに対象地域を拡大して進展していくことが期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】富の不平等はどのように生まれたのか

 新石器時代以降の旧世界の社会は、新世界の社会よりも富の不平等が拡大していたことを明らかにした論文が、今週掲載される。今回の研究は、この新知見を植物の栽培化と動物の家畜化が盛んになったことと関連付けており、不平等の起源を解明する上で役立つ。

 今回、Timothy Kohlerたちの研究グループは、家屋の大きさ(面積)を富の代理指標として用いて、考古学上明らかになっている北米とヨーロッパ、アジアの63の社会とアフリカの2つの社会の数千軒の家屋を分析した。これらの社会によって、狩猟採集民の集落、古代都市など、過去1万1000年間にわたるさまざまな経済システムが網羅されている。富の不平等は時とともに拡大し、この点は予想どおりだったが、北米よりもユーラシアではるかに顕著に拡大したことは予想外だった。非常に都会的な新世界の社会でも家屋は同じような大きさだった。

 こうした貧富の格差が生じた理由について、Kohlerたちは、大型の家畜(ウマ、ウシ、ブタなど)がユーラシアに存在し、北米にほとんど存在していなかったことを挙げる。これらの家畜は、畑を耕し、物資を輸送するために利用でき、戦闘時の乗り物として使える可能性があるため、エリート騎馬兵士の養成につながり、その結果、ユーラシアの社会が領地を拡大し、より多くの富を獲得できたと考えられている。



参考文献:
Kohler TA. et al.(2017): Greater post-Neolithic wealth disparities in Eurasia than in North America and Mesoamerica. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/nature24646
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クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列と古代の近親交配

2017/11/16 00:00
 これは11月16日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)では2例目となる高品質のゲノム配列を報告した論文(Prüfer et al., 2017)を、先月(2017年10月)このブログで取り上げました(関連記事)。その後、この論文が『サイエンス』本誌に掲載されたので、以前の記事で触れていなかったことを中心に、より詳しく見ていくことにします。追記で対応しようかとも考えたのですが、人類進化史における近親交配の問題にも触れることにし、やや長くなりそうだったので、新規の記事とします。

 これまで、ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列としては、南西シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された女性個体(デニソワ5)のもの(網羅率50倍)が知られていました(関連記事)。現生人類(Homo sapiens)ではない人類の高品質なゲノム配列としてはこの他に、同じくデニソワ洞窟で発見された種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の女性個体(デニソワ3)のもの(網羅率30倍)が知られています。

 クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃のネアンデルタール人女性の高品質なゲノム配列(網羅率30倍)は、上述したようにネアンデルタール人の高品質なゲノム配列としては2例目という点でも貴重なのですが、確認されているネアンデルタール人の活動範囲としては東限と言ってもよいだろうデニソワ洞窟の個体にたいして、ずっと西方のネアンデルタール人個体であるという点でも、貴重だと言えるでしょう。ネアンデルタール人の各地域集団間の違いは、形態学(関連記事)でも遺伝学(関連記事)でも以前より指摘されており、東西のネアンデルタール人の高品質なゲノム配列は、地域集団間の違いを詳しく解明するうえで、たいへん重要な手がかりになりそうだからです。

 ヴィンディヤ洞窟のネアンデルタール人標本のうち高品質なゲノム配列が得られたのはヴィンディヤ33.19(Vindija 33.19)で、同じくヴィンディヤ洞窟で発見されたネアンデルタール人標本であるヴィンディヤ33.15(Vindija 33.15)の21番染色体のヘテロ接合部位の99%が「Vindija 33.19」と共有されているので、両者は同一個体のものと推測されています。放射性炭素年代測定法により、ヴィンディヤ33.19の年代は非較正で45500年以上前と推定されています。X染色体の網羅率は常染色体と類似していたので、ヴィンディヤ33.19は女性と推定されました。ヴィンディヤ洞窟のネアンデルタール人標本のうちヴィンディヤ33.19と異なる2点は、ヴィンディヤ33.19と同じミトコンドリアDNA(mtDNA)を有しているので、近い世代で母系祖先を共有しているかもしれません。

 デニソワ洞窟で発見されたネアンデルタール人(デニソワ5)とデニソワ人(デニソワ3)のヘテロ接合性は、アフリカ系現代人の1/5、ユーラシア系現代人の1/3で、現代人よりも人口規模がずっと小さかったことを示唆しています。ヴィンディヤ33.19の常染色体のヘテロ接合性はアルタイ地域ネアンデルタール人(デニソワ5)とほぼ同じで、デニソワ人(デニソワ3)よりわずかに低くなります。このことから、古代型ホモ属において低いヘテロ接合性は特徴的であり、ネアンデルタール人とデニソワ人は、約3000人の有効人口規模の孤立した小規模集団だった、と推定されています。

 低いヘテロ接合性に加えて、東方ネアンデルタール人(デニソワ5)は長いホモ接合性領域の割合が多く、両親が半きょうだい(片方の親のみを同じくするきょうだい)のような近親関係にあったのではないか、と推測されています(関連記事)。ヴィンディヤ33.19ではこのような配列はほぼなく、デニソワ5のような水準の近親交配はネアンデルタール人の間では普遍的ではなかっただろう、と推測されています。しかし、この研究は、ヴィンディヤ33.19のゲノムには、孤立したアメリカ大陸先住民集団並のやや長いホモ接合性領域が見られる、と注意を喚起しています。

 以前は、ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列としては東方ネアンデルタール人(デニソワ5)の例しか知られておらず、一方で現生人類社会においては上部旧石器時代の時点で近親交配を回避する配偶行動が見られると解釈できるような事例もあるため、ネアンデルタール人絶滅の一因として近親交配が想定されたこともありました(関連記事)。しかし、少なくとも西方ネアンデルタール人社会において両親が近親ではなかっただろう個体が存在したわけですから、この研究が指摘しているように、近親交配はネアンデルタール人社会の普遍的行動ではなかった可能性もじゅうぶん考えられます。

 近親交配が行なわれる理由としては、人口密度が希薄で、交通手段の未発達やそれとも関連する1世代での活動範囲の狭さなどにより、他集団との接触機会が少なかったことが考えられます。人類にも、近親交配を避けるような認知メカニズムが生得的に備わっている可能性は高いと思うのですが、それはさほど強い抑制ではなく、人類の配偶行動は状況により柔軟に変わるのでしょう。その他に近親交配が行なわれる理由としては、何らかの閉鎖性が考えられます。それは、宗教的だったり社会身分的なものだったりするのでしょうが、高貴性と財産の保持という観点からの、古代エジプトや古代日本の王族の事例がよく該当すると言えそうです。また、更新世よりもずっと人口密度が高く、他地域よりもむしろ移住が活発で、交通手段も発達していたのに、アラブ地域やイランのように、王族のような最上級の階層に限らず、広範に長期にわたって近親婚が推奨されてきた地域もあります(関連記事)。

 デニソワ3(デニソワ人)・デニソワ5(アルタイ地域ネアンデルタール人)・ヴィンディヤ33.19(西方ネアンデルタール人)という3点の古代型ホモ属の高品質なゲノム配列が得られたことにより、現代人と現生類人猿との塩基置換数から、これら古代型ホモ属3個体の年代も推定されました。その結果、ヴィンディヤ33.19は52000年前頃、デニソワ5は122000年前頃、デニソワ3は72000年前頃と推定されました。しかし、これは暫定的な推定だと、この研究は注意を喚起しています。

 ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統の分岐年代は44万〜39万年前頃、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統との分岐年代が63万〜52万年前頃、西方ネアンデルタール人(ヴィンディヤ33.19)系統と東方ネアンデルタール人(デニソワ5)系統の分岐年代が145000〜130000年前頃と推定されています。これらの推定分岐年代は、現生人類系統とネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統との分岐は751690年前頃、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統の分岐年代は744000年前頃という最近の研究の推定年代(関連記事)よりも大きく繰り下がります。ネアンデルタール人的な形態学的特徴と、デニソワ人よりもネアンデルタール人と類似するゲノム配列を有する個体群が遅くとも43万年前頃には出現していたことからも(関連記事)、この研究の推定分岐年代は新しすぎるように思われます。

 これまで、東方ネアンデルタール人(デニソワ5)はデニソワ人やヴィンディヤ洞窟の西方ネアンデルタール人とは異なり、10万年前頃に現生人類と交雑していたのではないか、と推測されていました(関連記事)。しかし、ヴィンディヤ33.19とデニソワ5では、アフリカ系現代人との派生アレルの共有で顕著には異ならないことから、ネアンデルタール人と現生人類との交雑は、西方ネアンデルタール人(ヴィンディヤ33.19)系統と東方ネアンデルタール人(デニソワ5)系統の分岐(145000〜130000年前頃)よりも前ではないか、と推測されています。

 ヴィンディヤ33.19と黒海沿岸で発見されたネアンデルタール人標本のメズマイスカヤ1(Mezmaiskaya 1)は、東方ネアンデルタール人(デニソワ5)よりも多くのアレルを非アフリカ系現代人とアレルを共有しており、非アフリカ系現代人におけるネアンデルタール人由来と推定されるゲノム領域の大半は、ヴィンディヤ33.19系統およびメズマイスカヤ1系統から10万〜8万年前頃に分岐したネアンデルタール人系統に由来する、と推測されています。オセアニア以外の非アフリカ系現代人のゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の割合は、以前の1.5〜2.1%よりもやや高い1.8〜2.6%と推定されました。そのなかでも、東アジア系現代人のゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域は、西ユーラシア系現代人の1.8〜2.4%よりもやや高く、2.3〜2.6%と推定されています。


参考文献:
Prüfer K. et al.(2017): A high-coverage Neandertal genome from Vindija Cave in Croatia. Science, 358, 6363, 655–658.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aao1887
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第45回「魔王のいけにえ」

2017/11/15 00:00
 これは11月15日分の記事として掲載しておきます。徳川家康の命を狙ったのが、嫡男である信康の家臣だったことから、岡崎衆は一斉に城下町から追放の処罰を受けます。岡崎衆は浜松衆に不満を抱きますが、信康は岡崎衆を抑え、武功を立てるべく励みます。家康はそんな信康に満足げですが、浜松衆の酒井忠次は岡崎衆への処分を解くことに消極的です。さらに、家康の側室が男子(後の秀忠)を出産したことから、信康とその母である瀬名(築山殿)の立場はさらに弱くなります。信康にはまだ息子はいなかったので、新たに誕生した信康の異母弟が信康の後継者になっては困る、と焦った瀬名は直虎(次郎法師)に書状を出し、信康の側室を探してほしい、と依頼します。

 しかし、その動きが信康の義父である織田信長に知られます。この場で、信長の娘にして信康の妻である徳姫からの書状を信長に取り次いだのは、明智光秀でした。信長は光秀を岡崎城に派遣し、信康に家康と同じ位階を授けるよう朝廷に取り次ぐ、と伝えますが、信康は丁重に断ります。信康は、信長が自分を家康に対抗させようとしているのではないか、と警戒していました。家康は、信康を浜松城に移し、自身は岡崎城へと移ると決め、酒井忠次を信長の居城の安土城に派遣します。信長は、信康が武田に通じていると徳姫から書状が届いた、と言って酒井忠次を詰問します。信長は、信康を取り込めないので排除しようとしているのではないか、と酒井忠次は推測し、信長に信康の首を差し出すよう進言しますが、家康は激昂し、織田に去れ、と忠次に言い渡します。そこへ家康の母である於大の方が家康を訪れます。於大の方の兄はかつて、武田に通じたと信長に言いがかりをつけられ、殺されました。於大の方は、信康を殺すよう、家康を説得します。家康は反発しますが、徳川家の保全を考えて信康を殺す決断を下します。

 直虎は岡崎城を訪ね、久々に瀬名(築山殿)と再会し、談笑します。そこに家康が榊原康政・万千代(虎松)たちと現れ、信康は武田と内通したので死罪とする、と申し渡します。激昂する岡崎衆を信康は宥めます。家康は密かに今川氏真に助力を頼みます。今回は信康事件の前半となるのでしょうが、これまで通り、信康は終始優等生的な人物として描かれました。じっさいの信康がどんな人物だったのか、よく知りませんが、さすがにこれは美化されすぎなのではないか、と思います。小野政次(鶴丸)とともに作中では優遇されている人物と言えるでしょう。それにたいして、気賀の件もそうでしたが、酒井忠次の扱いはかなり悪いように思われます。今回、於大の方が重要な役割を果たしましたが、これまで1回、それも顔見世程度の登場でしたので、もっと人物像を描いておくべきだったのではないか、と思います。ただ、次回を見るまでは、信康事件の話の評価は難しいところです。小野政次の最期のように、多くの視聴者を驚かせるような仕掛けがあるのか、注目しています。
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ヨーロッパの初期農耕民と狩猟採集民との関係

2017/11/14 00:00
 これは11月14日分の記事として掲載しておきます。ヨーロッパの初期農耕民と狩猟採集民との関係についての研究(Lipson et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。古代DNA研究から、ヨーロッパの初期農耕民はアナトリア半島からヨーロッパへと移住してきた、と明らかになっています。しかし、ヨーロッパ新石器時代の農耕民と狩猟採集民との関係については、交雑の程度や時空的な違いなど、明らかになっていないことも少なくありません。

 この研究は、新石器時代〜銅器時代のハンガリー・ドイツ・スペインの人類遺骸標本から得られた、高解像度のゲノム規模のデータセットを用いて、農耕民と狩猟採集民との関係を時間的・地域的に検証しています。用いられた標本は180人分で、そのうち130人分はこの研究で新たに報告されるものです。内訳は、ハンガリーが紀元前6000〜紀元前2900年の100人分、ドイツが紀元前5500〜紀元前3000年の42人分、スペインが紀元前5500〜2200年の38人分となります。

 分析の結果明らかになったのは、ヨーロッパ在来の狩猟採集民が、アナトリア半島からヨーロッパへと移住してきた初期農耕民にゆっくりと同化されていったことです。新石器時代の農耕民が在来の狩猟採集民を駆逐したわけではなく、長期の共存期間があった、というわけです。ヨーロッパの新石器時代農耕民に見られるヨーロッパ在来の狩猟採集民の遺伝的影響は高水準ではないものの、時間の経過とともに増加していったようです。

 また、ヨーロッパの各地域の初期農耕民は、その地域の狩猟採集民とのみ交雑し、他地域の狩猟採集民または農耕民とは交雑しない傾向にあったことも明らかになりました。ヨーロッパの初期農耕民は、一度定住したらその地に留まる傾向にあったようです。ヨーロッパは環境的に古代DNA研究に適した地域でもあるので、このような詳細な解析が可能という側面もあり、ただちに同程度の水準の解析が他地域でも可能というわけではないとしても、今後他地域でも同様の研究が進展することを期待しています。


参考文献:
Lipson M. et al.(2017): Parallel palaeogenomic transects reveal complex genetic history of early European farmers. Nature, 551, 7680, 368–372.
http://dx.doi.org/10.1038/nature24476
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長期にわたる人類の身長と体重の進化

2017/11/13 00:00
 これは11月13日分の記事として掲載しておきます。長期にわたる人類の身長と体重の進化を包括的に検証した研究(Will et al., 2017)が報道されました。この研究は、440万年前から完新世までの311個の人類標本から、254個体の体重と204個体の身長の推移を分析しています。もちろん、440万年にわたる人類の体格の進化を包括的に検証するといっても、現在の標本数は明らかに不足しているわけですが、この問題は半永久的に解決できないでしょうし、ともかくその時点で最善を尽くすしかないわけですから、この研究の意義は大きいと思います。440万年前頃の人類は、平均して身長125〜130cm、体重25kgだった、と推定されています。

 この研究は、440万年にわたる人類進化史において、体格が増加していく傾向にあったことを指摘しています。しかし、単純な直線的増加でもない、とこの研究は注意を喚起しています。体格は、急激な増加の期間と中断された相対的な停滞の段階を示している、というわけです。また、320万〜220万年前頃のアウストラロピテクス的な人類(アウストラロピテクス属と頑丈型とされるパラントロプス属を含みます)において、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)やセディバ(Australopithecus sediba)、およびアウストラロピテクス属から進化したと考えられるパラントロプス属が、それ以前のアウストラロピテクス属であるアファレンシス(Australopithecus afarensis)より体格が小さかった、と指摘されています。体格が増大していく傾向にある人類進化史440万年において、これは第一の例外である、とこの研究は指摘しています。

 第二の例外は、人類がホモ属のみとなった中期〜後期更新世に存在した、30万年前頃のナレディ(Homo naledi)や6万年前頃まで存在したフロレシエンシス(Homo floresiensis)です。これらの例外に関しては、フロレシエンシスの場合に推測されている島嶼化など、何らかの適応があったと考えられます。しかし、ナレディとフロレシエンシスを例外として、ホモ属の200万年以上にわたる進化史においても、体格の増大傾向が見られる、とこの研究は指摘しています。

 ただ、この研究は、ホモ属の身長と体重の増加に関して、常に同時だったわけではない、と注意を喚起しています。ホモ属において、まず体格の増大が起きたのは220万〜190万年前頃で、この時期に身長は20cm、体重は15〜20kg増加しました。その後、160万〜140万年前頃に身長が10cm増加しましたが、この時には体重は増加しませんでした。この頃には、現代人とあまり変わらない程度の平均身長になっています。その後、50万〜40万年前頃に体重のみが10〜15kg増加し、現代人とさほど変わらない程度になり、それ以降は大きな体格の進化はなく、現代に至っています。

 この研究はホモ属の体格の進化について、環境への適応があるのではないか、と推測しています。160万〜140万年前頃の身長のみの増加については、乾燥したアフリカのサバンナ地帯において、ほっそりとした体型は排熱が効率的という点で適応的だったのではないか、というわけです。体重にたいする体表の比率が大きいと、排熱は効率的になります。一方、50万〜40万年前頃の体重のみの増加は、高緯度地帯への進出と関わっているのではないか、とこの研究は推測しています。より寒冷な高緯度地帯では、体温を維持するために、体重にたいする体表の比率は小さい方がよい、というわけです。性的二型については、初期人類においては大きかったものの、次第に縮小していったのではないか、と推測されています。


参考文献:
Will M, Pablos A, and Stock JT.(2017): Long-term patterns of body mass and stature evolution within the hominin lineage. ROYAL SOCIETY OPEN SCIENCE, 4, 11, 171339.
http://dx.doi.org/10.1098/rsos.171339
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瀧浪貞子『光明皇后 平城京にかけた夢と祈り』

2017/11/12 00:00
 これは11月12日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年10月に刊行されました。本書は光明皇后(安宿媛、光明子)の生涯を、両親・息子・異母兄・夫という肉親の死の観点から描き出そうとしています。なお、安宿媛という名前は、光明皇后の父親である藤原不比等を養育した田辺史一族の本拠地に因むものだろう、と本書は推測しています。光明皇后は慈悲深く信仰心の篤い人物との印象もあるでしょうが、本書は、息子の基王に続く母親の三千代の死が、光明皇后を仏教へ深く傾斜させたのではないか、と推測しています。

 これと関連して本書の見解で興味深いのは、光明皇后と聖徳太子信仰との関わりを、三千代の影響ではないか、と推測していることです。河内の帰化氏族との深いつながりのなかで育った三千代は、早くから聖徳太子への追慕の念を抱いており、光明皇后は母が帰依した聖徳太子への崇敬を継承することが、母への供養と考えたのではないか、というわけです。法隆寺は奈良時代初期まで国家から特別扱いされることはなかったのですが、三千代の死後、光明皇后はたびたび仏具を献納するとともに、東院を造営します。

 光明皇后には、強気で権勢欲の強い人物だったとの印象もあるでしょうが、これは、夫である聖武天皇が病弱で弱気な人物であり、母も妻も藤原不比等の娘であることから藤原氏の言いなりになっていた、との印象と一体のものと言えるでしょう。しかし本書は、聖武天皇は政治に意欲的で剛直なところがあり、藤原氏を牽制することもあった、との見解を提示しています。光明皇后は夫となる聖武天皇とともに不比等のもとで育ち、夫の性格をよく理解していたので、そのような夫を支えたのではないか、と本書は推測しています。飛鳥時代には皇后から天皇(大王)に即位した例もありますが、光明皇后は自身の即位をまったく想定しておらず、それは周囲も同様だっただろう、というのが本書の見解です。

 光明皇后にとって異母姉であり、聖武天皇の母親でもあった宮古は、聖武天皇を出産直後に鬱病と思われる状態に陥り、長きにわたって息子と面会することがありませんでした。その面会に功績のあったのが玄ムと吉備真備で、二人は光明皇后・聖武天皇の信頼を得ていくことになります。本書は、宮古と聖武天皇の対面が天平年間の藤原四兄弟の相次ぐ死の後であることから、宮古を聖武天皇から隔離したのは、不比等とその息子たちである四兄弟の意向ではないか、と推測しています。
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アフリカ南部における初期の顔料使用

2017/11/11 00:00
 これは11月11日分の記事として掲載しておきます。取り上げるのがたいへん遅れましたが、アフリカ南部における初期の顔料使用に関する研究(Watts et al., 2016)が公表されました。「現代的行動」は現生人類(Homo sapiens)にのみ見られ、現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他の人類とを区別する重要な指標とされてきました。「現代的行動」とはいっても曖昧であり、今でも簡潔にして的確な定義はなされていない、と言えるかもしれませんが、最大公約数的には、象徴的思考とそれに基づく表現や高い計画性などが該当するでしょうか。「現代的行動」の指標とされる具体的な考古学的証拠としては、オーカーなどの顔料の使用(およびそれを用いて行なわれたと考えられる儀式)や、壁画・彫像・装飾品などが挙げられます。

 この研究は、南アフリカ共和国のカサパン1(Kathu Pan 1)・ワンダーワーク洞窟(Wonderwerk Cave)・キャンティーンコプジェ(Canteen Kopje)という3遺跡における顔料使用の事例を検証しています。カサパン1遺跡は、前期石器時代のアシューリアン(Acheulean)から中期石器時代への移行を示す重要な遺跡です(関連記事)。これらの遺跡の調査から、顔料使用はカサパン1遺跡でも見られるフォーレスミス(Fauresmith)文化において確認され、カサパン1遺跡の事例から不定的だとしても遅くとも50万年前頃には地域内の素材を用いて始まっていた、と推測されています。さらに、30万年前頃までには、鏡鉄鉱と赤鉄鉱といった顔料の長距離輸送(短くとも38km以上)と、広範で定期的な顔料使用があっただろう、とも推測されています。

 こうした顔料使用の社会的文脈について、この研究は「女性化粧連合」仮説と「安いが誠実な標識」仮説を検証しています。「女性化粧連合」仮説は、中期更新世(78万〜13万年前頃)におけるホモ属の脳容量の増加による出産のさいの女性のストレス増大への対処と、配偶相手の男性と自分以外の女性との性行動を阻止するための女性間連合が散発的に始まり、当初は地域内の素材を使用して月経の代理として赤色素材を優先し、やがて男性側の暴走的な性選択の抑止策としてしだいに定期的になっていき、素材が遠隔地から調達されるようにもなった、と想定しています。「安いが誠実な標識」仮説は、安上がりな費用で集団共通の自己認識と協力を促進していった、とされます。

 この研究は、検証したアフリカ南部の中期更新世の顔料使用の変化から、「女性化粧連合」仮説の方が妥当だ、との見解を提示しています。「安いが誠実な標識」仮説は、中期更新世における顔料使用については安価になる現地調達を、遠隔地素材の調達については後期更新世になってからを想定していますが、中期更新世の時点で素材の長距離調達がすでに見られる、というわけです。アフリカ南部ではなく東部の事例ですが、20万年以上前の黒曜石の長距離輸送の事例が確認されており(関連記事)、30万年前頃の顔料の長距離輸送もとくに不思議とは言えないでしょう。

 象徴的行動の少なくとも一部が50万〜30万年前頃にすでに出現していたならば、なぜ本格的な象徴的文化の確立に長い時間を要したのか、という疑問も呈されています。しかし近年では、ネアンデルタール人においても「現代的行動」の少なくとも一部が確認されており、顔料使用もその一例で、それが25万年前頃までさかのぼる可能性も指摘されています(関連記事)。象徴的行動を可能とする潜在的能力は現生人類とネアンデルタール人の共通祖先の時点ですでにかなり確立されており、人口規模やそれとも関連する他集団との接触などといった社会的要素も象徴的行動の確立に重要なのだとすると、ネアンデルタール人系統と現生人類系統とが分岐した後だろう50万年前頃のアフリカ南部において象徴的行動が散発的に見られ、ずっと年代のくだる後期石器時代や上部旧石器時代になって本格的に確立したとしても、不思議ではないと思います。また、ヨーロッパのネアンデルタール人系統における顔料使用などの「現代的行動」が、40万年前頃に散発的に確認されたとしても、不思議ではないでしょう。


参考文献:
Watts I, Chazan M, and Wilkins J.(2016): Early Evidence for Brilliant Ritualized Display: Specularite Use in the Northern Cape (South Africa) between ∼500 and ∼300 Ka. Current Anthropology, 57, 3, 287-310.
http://dx.doi.org/10.1086/686484
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無神論者にたいする偏見

2017/11/10 00:00
 これは11月10日分の記事として掲載しておきます。無神論者にたいする偏見に関する研究(Gervais et al., 2017)が公表されました。この研究は、宗教性のひじょうに強い社会(アラブ首長国連邦やインド)から世俗性のひじょうに強い社会(中国やオランダ)まで、5大陸13ヶ国の3000人を対象に、不道徳な行為と無神論を結びつける認識について調べました。この研究は、無神論者にたいする偏見の程度を定量化するために、調査参加者たちに動物への虐待が高じてスリルを求めて殺人に及ぶ「モラルに反する人物」について書かれた文章を読ませました。この研究は、参加者の半数にたいして、罪を犯したその人物が(1)教師か(2)宗教心のある教師のどちらの可能性が高いか、残りの半数には、(1)教師か(2)神の存在を信じない教師のどちらの可能性が高いか尋ね、各群の回答者がどれほどの頻度で(2)より(1)を選択したかを測定しました。

 その結果、参加者はきょくたんな不道徳性を、信仰者の指標としてよりも、無神論者の指標としてほぼ2倍多く見なしていること(フィンランドと、程度は低いもののニュージーランドの2ヶ国を除く)と、自身を無神論者と認める参加者たちも、無神論者にたいして同様の偏見を抱いていることが明らかとなりました。この研究から、無神論者にたいする道徳上の直感的な疑念は、普遍的とまでは言えないにしても、文化の壁を越えて広く認められ、世俗的および宗教的な社会を問わず、さらには信仰者の間にも無神論者の間にも認められることが判明しました。また、宗教と道徳性の関係をめぐる科学的および一般的な認識にはかなりの多様性があることも明らかになりました。この研究は、中心となる道徳的直感は宗教とほぼ無関係に現れたようではあるものの、道徳性と宗教の間には避けがたい結びつきがあるとする一般的な見方は、ひじょうに根強いことを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


無神論者でさえ、「モラルのない人はおそらく無神論者である」と直感的に推測する

 信仰心の厚い人も神の存在を信じない無神論者も、連続殺人などの極度に不道徳な行為を犯す者はおそらく無神論者だろうと直感的に推定することが、今週オンライン版に掲載される論文で報告される。研究では、無神論者に対するこうした偏見が、対象とされた13の宗教的な国および世俗的な国の大半で認められることが明らかとなった。この結果は、多くの国であからさまな宗教性が否定されつつある状況であっても、長年に及ぶ人類の宗教経験が、「道徳性には信仰が必要である」という払拭しがたい思考を強めてきたことを示唆している。

 Will Gervaisの研究チームは、宗教性の非常に強い社会(アラブ首長国連邦やインド)から世俗性の非常に強い社会(中国やオランダ)まで、5大陸13か国の3000人を対象に、不道徳な行為と無神論を結びつける認識について調べた。無神論者に対する偏見の程度を定量化するために、研究チームは調査参加者たちに、動物への虐待が高じてスリルを求めて殺人に及ぶ〈モラルに反する人物〉について書かれた文章を読ませた。そして参加者の半数に対しては、罪を犯したその人物が(1)「教師である」か、または(2)「宗教心のある教師である」のどちらである可能性が高いかを尋ねた。また残りの半数には、(1)「教師である」か、または(2)「神の存在を信じない教師である」のどちらである可能性が高いかを尋ねた。そして研究チームは、各群の回答者がどれほどの頻度で(2)より(1)を選択したかを測定した。

 その結果、参加者は極端な不道徳性を、信仰者の指標としてよりも、無神論者の指標としてほぼ2倍多く見なしていること(フィンランドと、程度は低いもののニュージーランドの2か国を除く)、そして自身を無神論者と認める参加者たちも、無神論者に対して同様の偏見を抱いていることが明らかとなった。今回の研究から、無神論者に対する道徳上の直感的な疑念は、普遍的とまでは言えないにしても、文化の壁を越えて広く認められ、世俗的および宗教的な社会を問わず、さらには信仰者の間にも無神論者の間にも認められることが判明した。また、宗教と道徳性の関係をめぐる科学的および一般的な認識にはかなりの多様性があることも分かった。今回の研究は、中心となる道徳的直感は宗教とほぼ無関係に現れたようであるものの、道徳性と宗教の間には避けがたい結びつきがあるとする一般的な見方は非常に根強いことを示唆している。



参考文献:
Gervais WM. et al.(2017): Global evidence of extreme intuitive moral prejudice against atheists. Nature Human Behaviour, 1, 0151.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0151
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初期の石器は文化的伝達の産物なのか

2017/11/09 00:00
 これは11月9日分の記事として掲載しておきます。初期の石器が文化的伝達の産物なのか、検証した研究(Tennie et al., 2017)が報道されました。人類の初期石器として広く認められているのは、260万年前頃までさかのぼるオルドワン(Oldowan)です。それよりもずっとさかのぼる330万年前頃の石器群をロメクウィアン(Lomekwian)と分類する見解も提示されていますが(関連記事)、まだ定説になっているとは言えないように思います。この研究は、初期の石器としておもにオルドワンを対象としています。

 人間の道具の多くは他の動物の道具と決定的に異なっており、高い正確さでの文化的伝達が要求されます。この研究は、こうした高い正確さでの文化的伝達が生じた年代・場所・理由について理解するには、考古学的記録の精査が必要だ、と指摘します。しかしこれまで、最初期の石器でも、高い正確さでの文化的伝達の証拠とされる傾向がありました。この研究は初期の石器製作に関して、認知メカニズムが過剰に評価されているのではないか、と指摘しています。この研究は、初期の石器製作における高い正確さでの文化的伝達という前提を改めて検証しようと提言しており、帰無仮説の再設定と表現しています。

 人間を除く動物の道具のなかには、チンパンジーの棒(シロアリを釣るため)やミツバチおよびビーバーの巣のように、高い正確さでの文化的伝達なしに作られる複雑なものもあります。オルドワン石器群は、その次に出現した新たな技術段階(関連記事)であるアシューリアン(Acheulian)の出現までの約100万年間ほとんど変わらず、素朴な技術にとどまったことから、文化的伝達の産物というよりもむしろ、人間を除く動物の道具に見られるように「潜在的解決」だったのではないか、という帰無仮説をこの研究は提示しています。潜在的解決とは、道具製作が、個人から個人への文化的手段による伝達ではなく、個体学習もしくは低い正確さの社会学習に依拠していること、とされています。この提案の前提として、文化的に伝達される技術は、現代社会で見られるように頻繁な革新ではなくとも、少なくとも多少の変化を経験する傾向がある、との認識があります。

 この研究は、オルドワンのような初期の石器と上部旧石器時代の石器とでは大きな違いがあり、その違いが生じた年代・場所・理由を今後解明していくよう、提言していますが、その要因の一つとして、ホモ属における脳容量の拡大を挙げています。しかしこの研究は、後期ホモ属であるフロレシエンシス(Homo floresiensis)の事例から、脳容量と洗練された技術との関係が単純なものではなかった可能性も指摘しています。この研究が提言しているように、最初期の石器の製作に高い正確さでの文化的伝達が必要なのか、改めて検証されるべきなのでしょう。


参考文献:
Tennie C. et al.(2017): Early Stone Tools and Cultural Transmission: Resetting the Null Hypothesis. Current Anthropology, 58, 5, 652-672.
http://dx.doi.org/10.1086/693846
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フェイクニュースや作り話が広まる理由

2017/11/08 00:00
 これは11月8日分の記事として掲載しておきます。フェイクニュースや作り話が広まる理由に関する研究(Qiu et al., 2017)が公表されました。これまでの研究では、ソーシャルネットワークの構造と、人の注意力の有限性の組み合わせが、急速に伝播するミーム(伝達され得る情報やアイデアの断片)が出現する十分条件だと示されていました。情報の質が、どの情報が急激に伝播するかを決めることは当然のように思えますが、ソーシャルメディア上におけるフェイクニュースの誤った情報の伝播についてはそうではないことが示唆されています。

 この研究は、行動上の限界が、ソーシャルメディア・プラットフォームによる、情報の質の高低を識別する能力を低くする、と明らかにしました。この研究は、ミームの拡散モデルを開発し、情報負荷(単位時間あたりに受け取られるミームの平均数)ならびに個人の注意力が、ミームの質と相互作用し、その注目度にどのように影響するのか、調べました。

 この研究は、情報の質と多様性との間の良好なトレードオフが達成されるソーシャルメディア市場が、理論的に可能なことを明らかにしたものの、このモデルを、ツイッターやタンブラーからの情報負荷および注意に関する現実世界の測定値で較正したところ、情報はその質の高低を問わず同程度の速度で共有されることも明らかにしました。この研究は、ソーシャルメディアによる識別力を高め、誤った情報の伝播を防ぐ一つの方法として、ソーシャルメディアを質の低い情報で満たす「ボット」の使用を抑制することを提案しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


フェイクニュースや作り話が広まる理由

 人の注意力には限界があることと情報量の増大によって、フェイクニュースや作り話などの質の低い情報がソーシャルメディア上にあっという間に広まる現象を説明できるかもしれないとの報告が、今週のオンライン版に掲載される。フェイクニュースが急速に拡散する理由が分かれば、虚偽の情報の伝播を抑える新たなツールを開発する上で大いに役に立つ。

 これまでの研究では、ソーシャルネットワークの構造と、人の注意力の有限性の組み合わせが、急速に伝播するミームが出現する十分条件であることが示されていた。情報の質が、どの情報が急激に伝播するかを決めるというのは当然のように思えるが、ソーシャルメディア上におけるフェイクニュースの誤った情報の伝播についてはそうではないことが示唆されている。

 Diego Fregolente Mendes de Oliveiraたちの研究チームは、行動上の限界が、ソーシャルメディア・プラットフォームによる、情報の質の高低を識別する能力を低くすることを明らかにした。今回の研究では、ミーム(伝達されうる情報やアイデアの断片)の拡散モデルが開発され、情報負荷(単位時間あたりに受け取られるミームの平均数)ならびに個人の注意力がミームの質と相互作用してその注目度にどのように影響するかが調べられた。研究チームは、情報の質と多様性との間の良好なトレードオフが達成されるソーシャルメディア市場が理論的に可能なことを明らかにした。しかし、このモデルを、ツイッターやタンブラーからの情報負荷および注意に関する現実世界の測定値で較正したところ、情報はその質の高低を問わず同程度の速度で共有されることが分かった。

 結論として研究チームは、ソーシャルメディアによる識別力を高め、誤った情報の伝播を防ぐ1つの方法として、ソーシャルメディアを質の低い情報で満たす「ボット」の使用を抑制することを提案している。



参考文献:
Qiu X. et al.(2017): Limited individual attention and online virality of low-quality information. Nature Human Behaviour, 1, 0132.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0132
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スマトラ島の新種オランウータン

2017/11/07 00:00
 これは11月7日分の記事として掲載しておきます。スマトラ島の新種オランウータンについての研究(Nater et al., 2017)が報道されました。朝日新聞でも報道されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヒトを除く現生大型類人猿(ヒト科)としては、オランウータン属(Pongo)・ゴリラ属(Gorilla)・パン属(Pan)が知られています。このうち、オランウータンはスマトラ島とボルネオ島、ゴリラは東部と西部、パン属はチンパンジーとボノボに種区分されています。オランウータン属は伝統的に、スマトラ島北部のトバ湖北側のアベリイ(Pongo abelii)とボルネオ島全域のピグマエウス(Pongo pygmaeus)という2種に区分されてきました。

 1997年になって初めて、スマトラ島のオランウータンであるアベリイの生息範囲の南側(トバ湖南側)となるバタントル(Batang Toru)地域に、それまで噂の水準でしかなかったアベリイとは異なる分類群が確認されました。行動学と遺伝学の知見から、この分類群はアベリイとは異なる種である、と以前の研究では示唆されていましたが、まだ確実な証拠は提示されていませんでした。この研究は、形態とDNA解析の結果から、このトバ湖南側のオランウータンの分類群を新種タパヌリエンシス(Pongo tapanuliensis)と命名しました。

 オランウータンは絶滅危惧種とされており、タパヌリエンシスの研究が大きく進展したのも、2013年11月に人間に殺された成体雄個体を研究者たちが分析できるようになって以降のことでした。この成体雄個体がタパヌリエンシスの正基準標本となります。形態学的には、頭蓋・下顎・歯の特徴が、この成体雄個体と33頭の成体オランウータンとの間で比較され、タパヌリエンシスが他のオランウータンとは異なる、と明らかになりました。また、タパヌリエンシスはアベリイと似た細長い体格ではあるものの、体毛はアベリイよりも細く縮れており、ピグマエウスと比較すると体毛はシナモン色が濃いことも明らかになりました。さらに、タパヌリエンシスの犬歯がアベリイおよびピグマエウスよりも発達していることも指摘されています。

 DNA解析では、37頭のオランウータンが対象となりました。ゲノム解析の結果、オランウータン3種のなかでボルネオ島のピグマエウス(Pongo pygmaeus)およびスマトラ島トバ湖南側のタパヌリエンシス(Pongo tapanuliensis)の共通祖先系統と、トバ湖北側のアベリイ(Pongo abelii)の祖先系統が338万年前頃に分岐し、674000年前頃にタパヌリエンシスの祖先系統とピグマエウスの祖先系統が分岐した、と推定されています。各系統の分岐後も、タパヌリエンシスの祖先系統はピグマエウスの祖先系統およびアベリイの祖先系統と交雑しており、タパヌリエンシスの祖先系統とアベリイの祖先系統との間では2万もしくは1万年前まで接触があった、と推測されています。

 母系遺伝のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、ボルネオ島のピグマエウスおよびトバ湖南側のタパヌリエンシスの共通祖先系統と、スマトラ島北部のアベリイの祖先系統とが397万年前頃に分岐し、241万年前頃にタパヌリエンシスの祖先系統とピグマエウスの祖先系統が分岐した、と推定されています。推定年代は異なりますが、この分基順はゲノム解析の結果と同じです。一方、父系遺伝のY染色体DNA解析では、タパヌリエンシスおよびアベリイの共通祖先系統とピグマエウスの祖先系統とが43万年前頃に、タパヌリエンシスおよび一部のアベリイの共通祖先系統と、その他のアベリイの共通祖先系統とが13万年前頃に分岐した、と推定されています。これは、ゲノム解析やmtDNA解析の結果とは異なる分基順で、年代もずっと新しくなっています。オランウータンは雄の方が移動範囲は広いとされているので、そうした生態やそれに起因する社会構造とも関わっているのでしょう。

 上述したように、オランウータンは絶滅危惧種とされていますが、タパヌリエンシスは現在800頭未満しか生息していないと推定されており、絶滅の危険性がきわめて高いと言えそうです。何とかオランウータン3種とも絶滅しないことを願ってはいますが、やはり最大の脅威はヒトであり、改めて人類が地球環境へ大きな負荷をかけていることを思い知らされます。まあ私も、その地球への大きな負荷のおかげで、ある程度以上快適な生活ができているわけですから、他人事のように言っている場合ではないわけですが・・・。


参考文献:
Nater A. et al.(2017): Morphometric, Behavioral, and Genomic Evidence for a New Orangutan Species. Current Biology, 27, 22, 3487–3498.e10.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.047
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第44回「井伊谷のばら」

2017/11/06 00:00
 これは11月6日分の記事として掲載しておきます。万千代(虎松)はついに初陣を迎えます。万千代は徳川家康に近侍して田中城攻めに同行します。家康の嫡男の信康(竹千代)も参陣し、万千代は信康に家康への元服の口添えを依頼しますが、体よく断られます。万千代は戦いの場への同行を切望しますが、徳川首脳部はなかなか許可せず、万千代の苛立ちは募るばかりです。しかし万千代は、不審者の存在に気づき、家康暗殺の計画を見事に見破ります。家康暗殺を実行に移したのは、信康が戦場に連れてきた者でした。信康事件の伏線ということでしょうか。万千代はこの功績により1万石を与えられますが、徳川家臣団は万千代が色小姓であると考えているので、このことを揶揄します。万千代はすぐにでも元服を許可してもらい、武功を立てようとします。徳川関連の史料はほとんど読んだことがなく、勉強不足なので的外れな疑問かもしれませんが、この時期の徳川家では所領は「貫」ではなく「石」表示だったのでしょうか?

 井伊谷では直虎(次郎法師)の母である祐椿尼が病気がちとなり、直虎は自分がこれまで孝行できなかったことを悔います。祐椿尼は折り合いの悪い直虎と万千代を和解させようとします。直虎と万千代は二人きりになって本音をぶつけ合います。しかし、二人の考えはすれ違ったままで、喧嘩別れとなってしまいます。ここは、新旧主役の対峙といった感じで、悪くはなかったと思います。まあ、万千代の顔芸がやり過ぎなどといった批判もあるでしょうが。祐椿尼は今回で退場となります。非凡とは言えませんが、直虎をずっと暖かく見守ってきた穏やかな人でした。次回は信康事件で、優等生的に描かれてきた信康がどのように失脚するのか、注目されます。
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倉本一宏『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで 』

2017/11/05 00:00
 これは11月5日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社から2017年5月に刊行されました。本書は、日本古代史における「対外」戦争と「対外」認識を中心に解説し、古代日本において形成された朝鮮観が、中世と近世の「対外」戦争を経て増幅・変容していき、近代以降の日本の帝国主義的行動にも影響を及ぼし、現代の朝鮮観をも規定しているところがあるのではないか、と論じています。表題にあるように、基本的には戦争の観点からの古代史ですが、射程の長い一冊になっている、と言えるでしょう。

 本書の基調は、日本は「対外」戦争の経験に乏しく、「内乱」も大規模なものではなかったので、戦争に疎く、それが大日本帝国崩壊の遠因になり、戦後の人々の戦争認識にも影響を及ぼしている、というものです。本書は、前近代における日本の「対外」戦争として、4世紀末〜5世紀初頭の対高句麗戦(この時代には、まだ「日本」とは称していませんでした)・7世紀半ばの白村江の戦い(この時代にも、まだ「日本」とは称していなかったでしょう)・13世紀後半のモンゴル襲来・16世紀後半の文禄慶長の役しかなかった、と指摘します(このうち、モンゴル襲来は日本が攻め入ったのではなく、攻め込まれたわけですが)。この「対外」戦争経験の少なさのゆえに、近代以降の日本は戦争が下手であり、戦後日本の強固に見える反戦主義も、状況の変化により容易に変わり得る脆弱なものにすぎない、というわけです。

 また本書は、こうした「対外」戦争の少なさを背景として、日本の「対外」認識、とくに古代に形成された対朝鮮認識が、その後の日本の「外交」方針に影響を与え、現代にも及んでいる、と論じています。それは、朝鮮にたいする敵国視・属国視であり、古代朝鮮諸国が状況により日本(倭)に迎合的な姿勢をとった場合もあることや、中華王朝が朝鮮にたいする日本の優位を「無責任」に認めたことが、朝鮮にたいする日本の優位という観念を増幅させていった、というわけです。ただ本書は、新羅の海賊による日本への襲撃など現実の脅威も含めて、日本が朝鮮を脅威に思っていたことや、朝鮮が日本にたいして優越意識を抱いていたことも指摘しています。こうした複雑な相互認識が、日本による朝鮮の植民地支配を経て、現代の日韓(おそらくは日朝)関係にも影響を及ぼしている、というのが本書の見通しです。

 中世史以降の専門家にとっては、本書の突っ込みどころは少なくないのかもしれませんが、全体的にはなかなか興味深く読み進められました。もちろん、それは本書の見解を鵜呑みにすることではありませんが。なお、本書では、「倭国女王卑弥呼(ひめみこ)」は北部九州の地域政権とされています。その見解を前提とすると、「倭の五王」のみが、日本史上「中央王権」として中華王朝から冊封された事例になる、と本書では指摘されています。足利義満は日本国内では君主とは言い難かった、というわけです。
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甲殻類も食べていた大型草食恐竜

2017/11/04 00:00
 これは11月4日分の記事として掲載しておきます。大型草食恐竜の食性に関する研究(Chin et al., 2017)が公表されました。大型の草食恐竜は厳密に草食性だった、と通常は考えられていますが、その根拠は、歯と顎の分析により繊維質の植物性食物を処理できると示唆されたことです。これまでの大型鳥盤類(草食恐竜の一群)の摂食行動を復元する研究の大部分で、体のサイズが同等と考えられている巨大草食哺乳類が用いられていました。しかし、鳥盤類の食物の選択に関する具体的な情報は、ほとんど得られていません。

 この研究は、アメリカ合衆国ユタ州南部のカイパロウィッツ累層から出土した化石化した糞(糞石)を分析し、白亜紀後期の大型恐竜が甲殻類と朽ちた丸太を繰り返し摂食していた、と示唆しています。この糞石からは大型の木質成分が検出されており、この糞塊を排泄したのが大型草食恐竜で、繊維質の食餌を処理できる歯列を有していた、と示唆されています。一方、この糞石には甲殻類の殻に似た物質が散在しており、この恐竜が、朽ちた丸太に避難していた相当な大きさの甲殻類を摂食していたことも示唆されています。この研究は、前回のカイパロウィッツ累層での発掘作業での発見を根拠に、この糞塊を排泄したのがハドロサウルスだった可能性がある、と考えています。

 この研究は、複数の糞石に甲殻類が存在していることは、定期的でおそらくは季節的な摂食戦略があったことを意味し、大部分の巨大草食哺乳類の厳密な草食性の食餌よりも鳥類の食餌に近かったと考えており、この知見は、巨大草食恐竜の食性をあまりにも単純に解釈する従来の学説に疑問を投げ掛けている、と主張しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】草や葉だけが餌ではなかった草食恐竜

 大型草食恐竜の一群が、これまで考えられていたように草や葉だけを食べていたのではなかった可能性を報告する論文が、今週掲載される。1年間に甲殻類動物をときどき食べていた草食恐竜の存在が今回の研究で示唆されている。

 大型の草食恐竜は厳密に草食性だった、と通常は考えられているが、これは、歯と顎の分析によって繊維質の植物性食物を処理できることが示唆されたことによる。確かに、これまでに行われた大型鳥盤類(草食恐竜の一群)の摂食行動を復元する研究の大部分で、体のサイズが同等と考えられている巨大草食哺乳類が用いられていた。ところが、鳥盤類の食物の選択に関する具体的な情報は、ほとんど得られていない。

 この論文で、Karen Chinたちの研究グループは、白亜紀後期の大型恐竜が甲殻類と朽ちた丸太を繰り返し摂食していたことが、米国ユタ州南部のカイパロウィッツ累層から出土した化石化した糞(糞石)から示唆されていると説明している。この糞石からは大型で木質成分が検出されており、この糞塊を排泄したのが大型草食恐竜で、繊維質の食餌を処理できる歯列を有していたことが示唆されている。一方、この糞石には甲殻類の殻に似た物質が散在しており、この恐竜が、朽ちた丸太に避難していた相当な大きさの甲殻類を摂食していたことも示唆されている。Chinたちは、前回のカイパロウィッツ累層での発掘作業での発見をもとに、この糞塊を排泄したのがハドロサウルスだった可能性があると考えている。

 Chinたちは、複数の糞石に甲殻類が存在していることは、定期的でおそらくは季節的な摂食戦略があったことを意味し、大部分の巨大草食哺乳類の厳密な草食性の食餌よりも鳥類の食餌に近かったと考えており、今回の研究で得られた知見は、巨大草食恐竜の食性をあまりにも単純に解釈する従来の学説に疑問を投げ掛けていると主張している。



参考文献:
Chin K, Feldmann RM, and Tashman JN.(2017): Consumption of crustaceans by megaherbivorous dinosaurs: dietary flexibility and dinosaur life history strategies. Scientific Reports, 7, 11163.
http://dx.doi.org/10.1038/s41598-017-11538-w
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カナリア諸島先住民のDNA解析

2017/11/03 00:00
 これは11月3日分の記事として掲載しておきます。カナリア諸島の先住民であるグアンチェ人のDNA解析結果を報告した研究 (Rodríguez-Varela et al., 2017)が 報道されました。木炭・種子・家畜の骨などの放射性炭素年代測定により、人類がカナリア諸島に最初に居住したのは紀元前5世紀と推定されています。その後、グアンチェ人は船と航海の技術を喪失したようで、紀元後15世紀にヨーロッパ人がカナリア諸島に到達して征服した時には、グアンチェ人は新石器時代のような生活を送っていたようです。

 グアンチェ人の起源については、言語学・考古学・人類学の諸研究から、北アフリカのベルベル人と密接に関連した集団ではないか、と推測されていました。グアンチェ人のDNA解析でも、その推測と整合的な結果が得られていました。グアンチェ人のY染色体ハプログループでは、ユーラシアで一般的なものだけではなく、北アフリカで一般的なものも確認されましたし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループでも、北アフリカで一般的なU6bが見られました。しかし、こうした古代DNA解析はmtDNAやY染色体DNAのような母系・父系での単系統遺伝に限定されており、グアンチェ人の起源をより正確に調べるために必要な、常染色体のDNAはまだ解析されていませんでした。

 この研究は、カナリア諸島のうちグランカナリア島とテネリフェ島から、ヨーロッパ征服以前の11人のDNAを解析しました。そのうち5人の放射性炭素年代測定法による較正年代は、紀元後621±9年〜1089.4±65.5年までの範囲となります。Y染色体は3人分確定しており、いずれもE1b1b1b1a1というベルベル人によく見られるハプロタイプです。mtDNAのハプログループは11人分解析されており、いずれもユーラシアで広く見られます。Y染色体DNAにしてもmtDNAにしても、以前の研究と整合的な結果が得られました。mtDNAのハプログループのうち、11人中3人で見られたU6b1aはカナリア諸島固有で、カナリア諸島で出現したと考えられています。

 常染色体に関しては、全員解析されたものの、集団分析にじゅうぶんなだけの、ある程度以上の信頼性の結果が得られたのは5人です(網羅率0.21倍〜3.90倍)。常染色体のDNA解析の結果から、グアンチェ人は時間が経過しても遺伝的に類似しており、最も類似している現代人は北西アフリカ人であることが明らかになりました。これらの結果から、グアンチェ人の起源はベルベル人と密接に関連した集団であるという仮説が強く支持される、と指摘されています。

 また、グアンチェ人が、7000年前頃の新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパへと移住していった農耕民と密接に関連する集団の遺伝的影響をわずかに受けているのではないか、とも推測されています。カナリア諸島は15世紀以降ヨーロッパ人の支配を受けてグアンチェ人は大打撃を受け、ほぼヨーロッパ人に吸収されたとも言えるかもしれませんが、この研究は、現代カナリア諸島の住民の常染色体においては、グアンチェ人より16〜31%の遺伝的影響が見られる、と推定しています。また、常染色体のDNA解析の結果、グアンチェ人は乳糖耐性遺伝子を有しておらず、目は茶色で髪は黒く、肌の色は薄いかやや濃いと推測されています。

 『イリヤッド』ではカナリア諸島はアトランティスの候補地とされており、主人公たちがグランカナリア島とテネリフェ島を訪れています(単行本では12巻、文庫版では8巻)。『イリヤッド』の主人公は当初、カナリア諸島はアトランティスとは無縁で、グアンチェ人は古代ユーロ・アフリカンと述べていますが(関連記事)、グランカナリア島の博物館を訪れた時には、カナリア諸島最古の住民はクロマニヨン人(Cro-Magnon)で、アトランティスと関係があるかもしれない、と意見を変えています(関連記事)。けっきょく、グアンチェ人の起源は『イリヤッド』で主人公が最初に述べた当時の通説が妥当だと改めて確認されたわけですが、『イリヤッド』が刊行当時の通説を踏まえつつ創作されていることを再確認するとともに、懐かしくなりました。また、時間を作って『イリヤッド』を再読したいものです。


参考文献:
Rodríguez-Varela R. et al.(2017): Genomic Analyses of Pre-European Conquest Human Remains from the Canary Islands Reveal Close Affinity to Modern North Africans. Current Biology, 27, 21, 3396–3402.e5.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.059
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現生人類の優位性に起因しないかもしれないネアンデルタール人の絶滅

2017/11/02 00:00
 これは11月2日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅要因に関する研究(Kolodny, and Feldman., 2017)が公表されました。もっとも、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは(非アフリカ系)現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。

 ネアンデルタール人の絶滅要因への関心は高く、さまざまな見解が提示されてきましたが(関連記事)、大きく分けると、寒冷化などといった環境説と、現生人類(Homo sapiens)との直接的・間接的競合を想定する人為説とがあります。人為説では、現生人類がネアンデルタール人にたいして何らかの点で優位に立っていたと想定されることが多く、認知能力の違いのような先天的要因を重視する見解が主流と言えるでしょうが、人口規模の違いといった後天的な社会要因を重視する見解も提示されています。

 この研究は、人類集団内の浮動に基づくネアンデルタール人の置換モデルを作成し、検証しました。このモデルでは、考古学的証拠から推測される、ネアンデルタール人と現生人類との接触からネアンデルタール人の絶滅までの期間において、ネアンデルタール人にたいする現生人類の選択的優位がなくとも、ネアンデルタール人から現生人類への置換は起き得る、とされています。また、この置換は現生人類集団の人口の急増ではなくとも、小集団により繰り返される移住および低い人口増加率によっても起き得る、とも指摘されています。

 この研究は、ネアンデルタール人にたいする現生人類の選択的優位や環境変動がネアンデルタール人の絶滅に何らかの役割を果たした可能性を否定していませんが、そうした想定なしでもネアンデルタール人の絶滅を説明できる、と強調しています。また、認知能力などにおける、ネアンデルタール人にたいする現生人類の優位性を示すとされる考古学的証拠の解釈には慎重であるべきだ、とも指摘されています。この点には私も同意します。

 もちろん、ネアンデルタール人と現生人類とでは、認知能力などの点で、程度はともかくとして何らかの違いがあった可能性は高いでしょうが、それを大前提としなくともネアンデルタール人から現生人類への置換はあり得るとの見解は、なかなか興味深いと思います。ネアンデルタール人の絶滅は昔からたいへん関心の高い問題であり、研究も盛んなので、今後の進展には大いに注目しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化学】ネアンデルタール人はそんなに簡単にいなくなったのだろうか?

 現生人類がネアンデルタール人に取って代わったことは、現生人類のアフリカからユーラシアへの移住動態によって十分に説明できると示唆するモデルについて記述された論文が、今週掲載される。ネアンデルタール人が絶滅した原因をめぐるこれまでの議論では、環境圧、現生人類との競争に敗れたこと、あるいは、その両方とする主張がある。

 今回、Oren KolodnyとMarcus Feldmanは、ヒト族集団内の浮動に基づくネアンデルタール人の置換モデルを作成した。このモデルでは、種の出現頻度に変化が生じる原因は偶発的な出来事であり、選択的優位性ではないとされる。今回の研究で、移住パターンと当初の集団サイズ以外の点でネアンデルタール人と現生人類が同等だったと仮定した場合であっても、現生人類がアフリカからユーラシアへの移住を何度も繰り返したために現生人類がネアンデルタール人に取って代わることが確実になっていたことが明らかになった。現生人類が徐々にネアンデルタール人に取って代わったのであり、アフリカから外へ移住し、ユーラシアで定着した1つかそれ以上の小規模な現生人類の集団の子孫がネアンデルタール人に取って代わり、人口増加を経てヒト族集団の全体を占めるようになったことがこのモデルによって示唆されている。

 ネアンデルタール人の絶滅が環境要因や現生人類の優位性によって早まった可能性は否定しきれないが、今回の研究で明らかになったモデルは、ネアンデルタール人の置換が必然だったことを示唆するだけでなく、他の原因因子の相対的役割の検証をさらに進める際の基準となっている。



参考文献:
Kolodny O, and Feldman MW.(2017): A parsimonious neutral model suggests Neanderthal replacement was determined by migration and random species drift. Nature Communications, 8, 1040.
http://dx.doi.org/10.1038/s41467-017-01043-z
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火山の噴火と古代エジプトの衰退の関係

2017/11/01 00:00
 火山の噴火と古代エジプトの衰退の関係についての研究(Manning et al., 2017)が公表されました。AFPナショナルジオグラフィックでも報道されています。大都市アレクサンドリアに首都を置いたプトレマイオス朝時代(紀元前305〜30年)のエジプトの繁栄は、ナイル川と直接結びついていました。夏になると発生するナイル川の洪水は、おもにエチオピア高原でのモンスーンによる降水に起因しており、ナイル川流域の農業を成立させるために必須でした。詳細に記述された当時の文献には、ナイル川の洪水がないことと社会不安との相関が示されています。しかし、洪水が抑止された根本原因は明らかになっていません。

 この研究は、火山-気候の数値モデリング・氷床コア記録に基づく火山の噴火時期のカタログ・社会経済的行動に関する古代エジプトの文献・イスラム時代のナイロメーターの測定記録(古い時代のナイル川の水位の記録)を併用し、ナイル川の洪水能力に対する火山噴火の影響可能性を調べました。その結果、ナイル川流域の降水帯が弱まり、ナイル川の洪水が系統的に抑止された時期が、火山が噴火した時期と一致していたと判明し、これまで説明できていなかった複数の社会暴動の事例について、噴火現象との関連が統計的に示されました。

 さらにこの研究は、歴史上の重大事件について記述された古代の文献と氷床コア記録を比較することにより、プトレマイオス朝の終局的崩壊とローマの属州としてのエジプトの誕生において、火山の噴火が中心的役割を担っていた可能性のあることを明らかにしました。この研究で、プトレマイオス朝時代のエジプトが火山の噴火に弱かったことが明らかになりましたが、これは、モンスーンに依存する農業地帯全体に対する警告でもあり、現在、世界の総人口の70%にあたる人々がこうした農業地帯に居住している、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】火山の噴火と古代エジプトの衰退

 古代エジプトにおける社会暴動のきっかけは、火山の噴火、気候変動、そして、ナイル川の夏の洪水の抑止であった可能性を示した論文が、今週掲載される。この新知見は、火山活動と気候と社会の相互作用があったことを実証している。

 大都市アレクサンドリアに首都を置いたプトレマイオス朝時代(紀元前305〜30年)のエジプトの繁栄は、ナイル川と直接結び付いていた。夏になると発生するナイル川の洪水は、主にエチオピア高原でのモンスーンによる降水に起因しており、ナイル川流域の農業を成立させるために必須だった。詳細に記述された当時の文献には、ナイル川の洪水がないことと社会不安との相関が示されている。ただし、洪水が抑止された根本原因は明らかになっていない。

 今回、Francis Ludlowたちの研究グループは、火山-気候の数値モデリング、氷床コア記録に基づく火山の噴火時期のカタログ、社会経済的行動に関する古代エジプトの文献、イスラム時代のナイロメーターの測定記録(古い時代のナイル川の水位の記録)を併用して、ナイル川の洪水能力に対する火山噴火の影響可能性を調べた。その結果、ナイル川流域の降水帯が弱まって、ナイル川の洪水が系統的に抑止された時期が、火山が噴火した時期と一致していたことが判明し、これまで説明できていなかった複数の社会暴動の事例について、噴火現象との関連が統計的に示された。さらにLudlowたちは、歴史上の重大事件について記述された古代の文献と氷床コア記録を比較することによって、プトレマイオス朝の終局的崩壊とローマの属州としてのエジプトの誕生において火山の噴火が中心的役割を担っていた可能性のあることを明らかにした。

 今回の研究で、プトレマイオス朝時代のエジプトが火山の噴火に弱かったことが明らかになったが、このことは、モンスーンに依存する農業地帯全体に対する警告である。現在、世界の総人口の70%にあたる人々が、こうした農業地帯に居住している。



参考文献:
Sauquet JG. et al.(2017): Volcanic suppression of Nile summer flooding triggers revolt and constrains interstate conflict in ancient Egypt. Nature Communications, 8, 900.
http://dx.doi.org/10.1038/s41467-017-00957-y
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』674話〜677話

2017/10/31 18:46
674話「友よ、君が犯人なのか!」6
 ルポライターの男性の死体が発見されます。ドックは病死と考えますが、男性は友人に、金になる情報を警察から買ったと伝えており、友人は男性が殺されたのではないか、と考えて警察に通報したのでした。一係が男性の資料を調べると、警察のデータが漏れていたと分かります。マイコンは本庁からコンピュータを使って極秘に捜査するよう命じられ、本庁の刑事とともに捜査に従事します。捜査を進めると、容疑者が4人に絞られますが、そのなかにデュークがいました。マイコンはドックたちに問い詰められ、デュークに容疑がかけられていることを知り、ドックたちはデュークに事情を問い質し、無実であることが証明されます。ところが、他の3人の容疑者は、警察上層部が個人情報を集めていたことをマスコミに知られないためにも、事情を問い質されることもなく、左遷されて有耶無耶のうちに事件が葬られることになります。マイコンもボスもこれに反発し、3人を調べると、2人が容疑者から外れます。その直後、マイコンとともに捜査に従事していた本庁の刑事の死体が発見されます。しかし、残り1人の容疑者も犯人ではありませんでした。けっきょく、マイコンとともに捜査に従事していた刑事が、親しかった刑事に容疑がかかったことから確認し、一度は容疑者から外したところ、疑われた刑事が隠蔽のために殺害した、と判明します。なかなか謎めいた展開になっていて楽しめましたが、真犯人が最後の方でわずかに登場しただけだったのは残念でした。もっと前から登場させてもよかったのではないか、とも思います。


675話「死にゆく女のために」5
 2人組の犯人による銀行強盗事件が発生し、女性行員が人質にとられます。犯人は女性を銃で撃って放り出し、逃走します。女性は救急車で搬送中に死亡します。犯人はトシさんやブルースに追われて逃亡しますが、自動車が横転して炎上し、2人とも死亡します。マミーは、死亡した女性が最後に言い残した坂本という男性を訪ねます。一方、銀行強盗事件の方は、犯人が逃走に使った自動車に細工されていたことが判明し、他にも犯人がいるのではないか、と一係は推理します。横須賀に坂本を訪ねたマミーですが、坂本は女性が思っていたような素晴らしい男性ではなく、女たらしでした。坂本は暴力団員らしき男性から狙われ、マミーは坂本を助け、ボスの命令でしばらく坂本を見張ることにします。マミーは外出した坂本をつけようとして、暴力団員らしき男性に襲われて監禁されます。じつは、人質にとられて殺害された女性行員が、坂本との結婚資金のために犯行の手引きをしたのでした。刑事が監禁される展開、男女のすれ違いと綺麗ごとではない関係、ぎりぎりのところで救出に現れる一係の刑事たちと、本作の王道的な話となっています。つまらないという程ではありませんでしたが、やや陳腐な感は否めません。話の方はほとんど忘れていましたが、最後のボスとマミーのやり取りはよく覚えていました。


676話「地図にない道」6
 酔って暴れ、逮捕された男性の証言により、迷宮入りになっていた5年前の殺人事件の凶器が発見されます。発見されたナイフから、容疑者はすぐに絞り込まれます。当時の容疑者の行動は怪しく、山さんが容疑者の男性を問い詰めると、当時記憶喪失だった、と男性は証言します。容疑者の男性は、当時を思い出したくない、と言って捜査への協力を拒みますが、山さんは執拗に張り込みを続けます。山さんは男性を説得し、男性は一旦捜査に協力しますが、頭痛で一時入院した後、捜査への協力を拒みます。何とも謎めいた事件でしたが、けっきょく、犯人は男性の妻で、男性はその衝撃から記憶喪失となり、記憶を回復した後は、妻を庇うために捜査への協力を拒んだのでした。謎解きものとして、まずまず楽しめましたが、やや盛り上がりに欠けた感もあります。今回は、迷宮入りになった5年前の殺人事件の捜査ということで、当時の捜査の様子も少し描かれました。当時、ドックは登場したばかりで、山さんとドックの捜査の様子が描かれており、もちろん、この場面は今回新たに撮影されたもので、5年前の映像が使用されているわけではありませんが、マイコンがロッキーに言及したこともあり、長さん・ゴリさん・スコッチ・スニーカーのことも思い出して懐かしくなりました。また、やや懐かしい選曲だったこともよかったと思います。


677話「あなたを告訴する!」5
 デュークとマイコンは偶然男子大学生の飲酒運転の現場を目撃し、追跡します。デュークが強引に止めようとすると、男子大学生は運転を誤って土手から転落して負傷し、病院に運ばれましたが、死亡します。男子大学生の父親は、息子は酒を飲めない体質だと言ってデュークを告訴します。手術を担当した医師も、男子大学生の体内からはアルコールが検出されなかった、と証言します。デュークは窮地に陥りますが、あくまでも、男子大学生には逃亡するだけの理由が何かあったのだ、と自分の正当性を主張し続けます。さらにデュークは、男子大学生が運転していた自動車の引き取りを強く要求した父親を逮捕しようとします。トシさんが何とかその場を収めて自動車の検証が進められます。しかし、自動車には不審な点がありませんでした。デュークはさらに窮地に陥りますが、強引に自宅を捜索するなど、あくまでも強気の姿勢を貫きます。けっきょく、死亡した男子大学生は麻薬に手を出していたことが分かります。謎解き要素があり、デューク無双も見られましたが、デュークの捜査は本当に強引で、かなり無理のある話だった感は否めません。結果的に男子大学生は犯罪に手を染めていたとはいっても、これでは免職になるのではないか、と思います。まあ、私は警察組織には詳しくないので、じっさいのところどうなのか分かりませんが。
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大河ドラマ『おんな城主 直虎』第43回「恩賞の彼方に」

2017/10/31 00:00
 これは10月31日分の記事として掲載しておきます。長篠の戦いの留守居役での功績を認められた万千代(虎松)は、小姓に引き立てられます。万千代は先任の小姓の嫌がらせを受けつつも、立身出世のために必死に役目を務めます。徳川家康は長篠の戦いの勲功認定に苦慮していました。榊原康政は家康に、後方守備の任務のために武功を立てる機会の少ない岡崎衆への恩賞の配慮を諦めるよう、進言します。そんな家康を見て万千代は家康のために情報整理を申し出て、さらに家康の信用を得たようです。万千代は家康との肉体関係をでっち上げ、妨害してくる他の小姓を威嚇します。岡崎衆の処遇に苦慮する家康は万千代を岡崎に派遣し、岡崎衆に今川の厚遇と岡崎衆への少ない恩賞を認めさせるよう、命じます。石川数正は岡崎衆への厚遇を訴えますが、家康の嫡男である信康は家康の指示を受け入れます。

 井伊谷では、材木の乱伐により山崩れが起きていました。直虎(次郎法師)は近藤康用に対策を願い出ますが、多大な出費になりそうなことから、近藤康用は渋ります。そんな近藤康用を、直虎は巧みに説得します。井伊谷は、万千代の図面も活かしつつ、松を植えていき山崩れ対策を進めていきます。今回は、穏やかな話となりましたが、浜松衆と岡崎衆との微妙な関係が底流にあり、信康事件の伏線となっています。信康は優秀で穏やかな人物として描かれており、ここからどのように終盤の山場となるだろう信康事件へとつながっていくのか、序盤から登場している瀬名(築山殿)も深く関わってくるだけに、注目されます。
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現代西アジア人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響

2017/10/30 00:00
 これは10月30日分の記事として掲載しておきます。現代西アジア人におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺伝的影響に関する研究(Taskent et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との交雑は、今ではほぼ定説になっている、と言えるでしょう。しかし、ネアンデルタール人の遺伝的影響は、サハラ砂漠以南の現代アフリカ人ではほとんどなく、それ以外の地域の現代人では地域間の違いは大きくありません。

 そのため、ネアンデルタール人と交雑したのは出アフリカ現生人類集団であり、サハラ砂漠以南の現生人類はネアンデルタール人と交雑しなかった、と考えられています。もっとも、サハラ砂漠以南の現代アフリカ人現代人の多くも、出アフリカ現生人類集団がアフリカに「戻ったり」、イスラーム勢力や近代以降のヨーロッパ勢力がアフリカへ侵出したりして、間接的にわずかながらネアンデルタール人の遺伝的影響を受けていると思われます。

 ただ、ネアンデルタール人の遺伝的影響は非アフリカ系現代人のなかでは大きな違いがないとはいっても、地域間で多少の違いはあります。ユーラシアでは西部よりも東部の方でネアンデルタール人の遺伝的影響が強く、ユーラシア西部でも西アジアは他地域よりもネアンデルタール人の遺伝的影響が弱い、と推定されています。この研究は、トルコからの16人を含む世界各地の現代人のゲノム規模のデータを分析・比較し、ネアンデルタール人の遺伝的影響の多様性と機能的影響を改めて検証しています。

 ネアンデルタール人由来の遺伝子の機能的影響に関しては、以前の諸研究と同じく、免疫や代謝で改めて確認されました。また、セリアック病関連の遺伝子でもネアンデルタール人の影響が確認されています。他地域と比較してのネアンデルタール人の遺伝的影響に関しても、以前の諸研究と同じく、いくつかの例外はあるとしても、西アジアにおいては他地域よりもネアンデルタール人の遺伝的影響が平均的に弱い、と改めて確認されました。これに関しては、非アフリカ系現代人の祖先集団は西アジアから世界各地に拡散したので、その過程でネアンデルタール人と再度交雑した可能性も指摘されています(関連記事)。

 この研究は、アフリカ以外の地域間の比較で、西アジアにおいてネアンデルタール人の遺伝的影響が他地域よりも弱い理由として、ネアンデルタール人の遺伝的影響が皆無かきわめて弱いアフリカの現生人類集団の影響が続いた可能性を提示しています。またこの研究は、まだ化石の確認されていない仮定的存在である、ネアンデルタール人の遺伝的影響が皆無かきわめて弱い「基底部ユーラシア人」系統の遺伝的影響を、現代西アジア人の祖先集団が受けた可能性も指摘しています。「基底部ユーラシア人」は出アフリカ後の現生人類集団で最初に分岐した系統で、もう一方の系統はその後に現代につながる各地域集団に分岐していき、西アジアの初期農耕民のゲノムにおいて「基底部ユーラシア人」系統由来の領域が5割に達する、とも想定されています(関連記事)。

 このように、現代西アジア人集団におけるネアンデルタール人の遺伝的影響は複雑で、それは他地域も同様なのだと思います。ヨーロッパ系現代人は東アジア系現代人よりもネアンデルタール人の遺伝的影響が弱いと推測されていますが、これも「基底部ユーラシア人」系統の遺伝的影響による可能性が考えられます。また、アルタイ地域までネアンデルタール人が進出していたことから、ユーラシア東部の現代人集団がユーラシア東部でネアンデルタール人と再度交雑した可能性は低くないでしょう。ただ、この研究は、現在利用可能なゲノムデータは現代西アジア人集団の遺伝的多様性をじゅうぶんには反映していないかもしれない、とも注意を喚起しています。


参考文献:
Taskent RO. et al.(2017): Variation and functional impact of Neanderthal ancestry in Western Asia. Genome Biology and Evolution.
https://doi.org/10.1093/gbe/evx216
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平井上総『兵農分離はあったのか』

2017/10/29 00:00
 これは10月29日分の記事として掲載しておきます。シリーズ「中世から近世へ」の一冊として、平凡社より2017年9月に刊行されました。私はかつて兵農分離について熱心に調べていましたが、この十数年ほどは優先順位が以前ほど高くはなくなり、ほとんど勉強が進んでいません。それでも、まだ関心の高い問題なので、最新の研究成果を知る好機と思い読んでみました。本書の提示する歴史像は違和感のないもので、期待通りに、知らなかった史実やよく理解していなかった論点の解説がありました。私のような非専門家層にとっても、長く兵農分離についての基本書となるでしょう。

 兵農分離は、中世と近世を分かつ重要な指標とされています。織田信長は、戦国大名のなかでいち早く兵農分離を達成したために、勢力を拡大して近世の扉を開いた、というような俗説はまだ一般層には根強いと思います。信長とその後継者である羽柴秀吉の成功の一因として兵農分離があり、それが武田・上杉・北条・毛利などといった旧態依然たる戦国大名との大きな違いで、兵農分離は織豊政権の先進的政策の象徴で覇権の要因だった、というわけです。こうした俗説に限らず、専門家の間でも、中世と近世を分かつ重要な指標としての兵農分離という見解は根強いようです。

 本書は、このようにマジックワードとして使われている感のある兵農分離を具体的に検証し、兵農分離を志向・意図するような政策は、織豊政権・徳川政権でも基本的にはなかった、との見解を提示しています。本書は、マジックワードとして使われている兵農分離を5要素に分解し、関連する政策・事象を具体的に検証しています。その5要素とは、(1)農民兵から専業兵へ、(2)武士と百姓の土地所有形態の分離、(3)武士の居住地の変化、(4)百姓の武器所持否定、(5)武士と百姓の身分分離です。

 本書は、すでに戦国時代の時点で武士と百姓の間に軍事関連の負担分離の明確な観念(戦闘員としての武士と非戦闘員としての百姓)があったことや、江戸時代になっても百姓が兵たる武家奉公人の重要な供給源だったことや、江戸時代にも武士の耕地所有や村落住居が認められていたこと(一定以上の割合の武家奉公人は城下町に居住していたわけではなかったこと)や、刀狩により百姓が武器を所有しなくなったわけではないことなどを挙げ、これまで漠然と考えられてきた兵農分離という用語で、中世と近世を明確に区分できるわけではないことを指摘します。

 そのうえで本書は、近世になって、武士の城下町への集住傾向が強まり、武士と百姓の身分の違いの視覚化が強化されるなど、じゅうらい考えられてきた兵農分離的な事象の一部が進行したことを認めつつも、それらは兵農分離を意図した政策の結果というよりは、変化する状況への対応策としての側面が強かったのではないか、と指摘します。強力な統一政権を築いた羽柴秀吉により達成された「平和」により、近隣との抗争よりも遠征が主体となったことや、転封が頻繁に行なわれるようになったことから、多くの武家奉公人にとって、村落での散居よりも城下町集住の方が合理的になったのではないか、というわけです。

 また本書は、兵農分離の指標として重要とされる地方知行制から俸禄制への移行に関しても、江戸時代には一定以上の割合で地方知行制が残っていることを指摘するとともに、俸禄制への移行など知行制の変化は武家奉公人の困窮化への対応という側面が強かったのではないか、と推測しています。また、俸禄制への移行の背景として、重い負担などから、武家奉公人が領主であることを忌避する傾向が生じていたのではないか、と推測されています。こうした武家奉公人の困窮化については、城下町への集住に起因するところが多分にあり、これまで中世と近世を分かつ重要な指標とされてきた、一般的に考えられている兵農分離とは、状況の変化(強力な統一政権の誕生など)への諸々の対応策が複雑に絡み合った結果であり、意図して進められた一貫的政策ではない、と本書は指摘しています。

 現生人類(Homo sapiens)の思考傾向として、どうしても筋道の通った解釈を採用してしまうものですから、江戸時代に見られる兵農分離的状況を、特定の個人もしくは政権が意図的に推進した、という見解は分かりやすく、受け入れられやすいのだと思います。しかし、この兵農分離の問題に限りませんが、世の中の多くの事象はそのように単純なものではなく、もっと複雑なのでしょう。複雑な事象を複雑なまま理解するのは難しく、たとえ可能だとしても、その数は能力・時間に制約されます。私の場合はとくにその限界数が少なそうですが、複雑な事象をできるだけ多くそのままに理解していきたいものです。
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