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大河ドラマ『真田丸』第38回「昌幸」

2016/09/27 00:00
 これは9月27日分の記事として掲載しておきます。信繁・昌幸たちは九度山村での蟄居生活を送ります。昌幸は信之を通じて何度も徳川に赦免を申し出ますが、家康は無視します。家康には、昌幸を許すつもりはまったくありませんでした。九度山村での蟄居生活は駆け足で描かれ、その間に徳川の覇権が確立していくなか、昌幸は老いて気力を失っていき、死を迎えます。死に臨んで昌幸は、徳川と豊臣が戦うことになった場合の策を信繁に授けます。それはかなり楽観的というか、希望的観測の強いものでした。昌幸の策が通ずるのか、信繁も疑問に思っているような感じでしたが、軍勢を一つの塊と考えるな、人それぞれに想いがあるのだ、という教えは信繁に強く響いたようです。

 今回は、昌幸の最期が描かれました。先の見えない蟄居生活のなか、重苦しくなってしまうのを避けるためか、やや喜劇調だったように思います。放送開始前には、九度山村での蟄居生活にはそれなりに時間がかけられるのかと思ったのですが、大坂の陣に時間を割かねばならないことを考えると、駆け足なのは仕方のないところでしょうか。ここまで昌幸の存在感がたいへん大きかったので、なんとも寂しいものです。今回から秀頼が成人役となり、秀頼を支える加藤清正の豊臣への想いも描かれ、失脚した三成が清正に伝えた言葉も明かされました。清正は家康に暗殺され、本多忠勝も今回で退場となります。両者ともに存在感を示し続けただけに、やはり寂しいものです。
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大相撲秋場所千秋楽

2016/09/26 00:00
 これは9月26日分の記事として掲載しておきます。今場所は、14日目に豪栄道関が初優勝を決めるという、場所前にはまったく予想していなかった展開となりました。豪栄道関は先場所の時点で、大関在位12場所で二桁以上勝ったのは1場所のみ(12勝)であり、9勝が2場所・8勝が5場所・負け越しが4場所、大関としての通算成績が93勝86敗1休だったのですから、クンロク大関以下と言ってよいでしょう。豪栄道関は大関にはふさわしくない、と私はずっと考えていたくらいです。しかも、稀勢の里関に14勝の壁があるように、豪栄道関には13勝の壁がありましたから、初日からの13連勝は本当に意外でした。

 豪栄道関は14日目に玉鷲関に勝って初優勝を決め、千秋楽に琴奨菊関を破り、全勝で初優勝を果たしました。青龍関・白鵬関・日馬富士関以外の全勝優勝は20年前の秋場所の貴乃花関以来となります。いかに白鵬関が休場し、日馬富士関が満身創痍で、照ノ富士関が大怪我のために以前よりかなり力が落ちているとはいっても、豪栄道関の優勝、しかも全勝はまったく予想できませんでした。琴奨菊関が初優勝後、以前のような水準以下の大関に戻ってしまったように、豪栄道関も、来場所以降、クンロク大関以下に戻ってしまう可能性は低くないと思います。しかし、豪栄道関は満身創痍の琴奨菊関よりも状態は良さそうですから、あるいは今後、安定して毎場所二桁勝てるようになるのかもしれません。

 ただ、今場所の豪栄道関は初優勝した時の琴奨菊関と同じく、勢いに乗っていただけ、というところが多分にあるように思われるので、横綱に昇進する可能性はたいへん低いでしょう。白鵬関が実力を発揮できる状態で復帰してきたとしたら、横綱昇進の可能性はさらに低くなるでしょう。ただ、白鵬関は身体面だけではなく意欲という点でも心配ですし、日馬富士関は上述したように満身創痍で、今場所も10勝5敗という横綱としては褒められない成績の鶴竜関はそもそも横綱の器ではなく、稀勢の里関は相変わらず重圧に弱いうえにもう全盛期の力はないようですし、琴奨菊関も満身創痍で、若い照ノ富士関も大怪我で力がかなり衰えたとなると、今場所の初優勝で自信をつけた豪栄道関が今後何回か優勝できる可能性はあると思います。

 稀勢の里関は10勝5敗で場所を終え、ついに横綱昇進は白紙に戻りました。相撲協会は本当に稀勢の里関に甘いのですが、さすがにこの成績では横綱昇進場所を継続させるわけにはいかないでしょう。稀勢の里関が横綱にふさわしい器だとはまったく思えませんし、もう全盛期を過ぎた感があるので、横綱昇進は難しいでしょうが、大怪我でもう以前の力を取り戻せないかもしれない照ノ富士関を除く横綱・大関陣のなかではもっとも若く、身体面で大きな不安点もないので、今後しばらくは二桁勝利を続けられそうです。他の横綱・大関陣が不調ならば、優勝する可能性もあるのですが、稀勢の里関の勝負弱さからは、優勝する姿がとても思い浮かびません。稀勢の里関の弟弟子である高安関は10勝5敗で、来場所は大関昇進に挑戦することになります。来場所12勝以上ならば大関昇進はほぼ確実でしょうか。ただ、地力をつけてきたとはいっても、千秋楽の相撲内容からは、来場所後の大関昇進はやや厳しいように思われます。照ノ富士関が大関から陥落しそうで、琴奨菊関も近いうちに大関から陥落しても不思議ではないだけに、相撲協会も高安関には期待をかけていることでしょう。
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リアンブア洞窟の後期更新世の現生人類の歯

2016/09/25 00:00
 これは9月25日分の記事として掲載しておきます。インドネシア領フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡で46000年前頃の現生人類(Homo sapiens)の歯が発見された、と報道されました。この研究(Sutikna et al., 2016)は、今月(2016年9月)14日〜18日にかけてマドリードで開催された人間進化研究ヨーロッパ協会の第6回総会で報告されており、まだ論文としては刊行されていません。この研究の要約は、PDFファイルで読めます(P232)。

 リアンブア洞窟では、人骨・石器といった後期更新世の人類の痕跡が確認されています。この人骨群は、病変の現生人類(Homo sapiens)とも主張されていますが、現在では、ホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類する見解がほぼ確立したと思います。フロレシエンシスがどの人類系統から分岐したのか、まだ確定したとは言い難い状況で、同じくホモ属のエレクトス(Homo erectus)から進化したという見解と、より祖先的なホモ属であるハビリス(Homo habilis)のような人類系統か、さらに祖先的な後期アウストラロピテクス属から進化した、という見解とに大別されます。

 じゅうらい、フロレシエンシスの下限年代は17000年前頃もしくは13000〜11000年前頃と推定されていましたが、リアンブア洞窟遺跡の堆積層の再検証により、人骨の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と考えられる石器群の下限年代は5万年前頃と見直されました(関連記事)。これにより、フロレシエンシスの痕跡が見られなくなる年代と、フローレス島の近隣地域であるサフルランドへの現生人類の進出時期とが近くなり、ユーラシアにおいてネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅に現生人類が重要な役割を果たしたであろうように、フロレシエンシスの絶滅にも現生人類が関わっている可能性が提示されました。

 しかし、リアンブア洞窟の更新世の層からは現生人類の痕跡が発見されていない、と言われており、それも後期更新世の人骨群を新種フロレシエンシスと分類する根拠の一つとされていたわけですが、一方で、現生人類が近隣地域であるサフルランドに進出した後数万年間、なぜフローレス島には進出しなかったのか、という問題が生じました。しかし今年になって、リアンブア洞窟では41000〜24000年前頃の現生人類の痕跡が確認される、との見解が提示されました(関連記事)。しかし、人為的な燃焼の痕跡が根拠とされており、人類化石という直接的な証拠は提示されていませんでした。

 この研究は、リアンブア洞窟における石器・動物相の変化と、新たに発見した臼歯2個から、現生人類はフローレス島に遅くとも46000年前頃までに進出していた、という見解を提示しています。石器に関しては、46000年前頃までに主要な石材が、広範な地域で現生人類に好まれていたチャートへと変わっていたことが指摘されています。ただ、東南アジア島嶼部では更新世の現生人類が存在しなかった頃から完新世まで石器技術が継続しており、それはリアンブア洞窟でも同様だった、とも指摘されています(関連記事)。

 動物相に関しては、現時点でフロレシエンシスの下限年代となる5万年前頃までに、小型象であるステゴドン(Stegodon florensis insularis)や巨大なコウノトリであるアフリカハゲコウ(Leptoptilos robustus)やハゲワシ(Trigonoceps sp.)が絶滅したことが指摘されています。アメリカ大陸やオーストラリア大陸(更新世の寒冷期にはタスマニア島・ニューギニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)では、現生人類の進出と大型動物の大量絶滅との関連が指摘されており、フローレス島でも同様だったのかもしれません。一方、リアンブア洞窟の46000年前頃以降の堆積層からは、貝殻が発見されています。現生人類は初期から貝など海産資源をよく食べていました(ネアンデルタール人も海産資源を食べていましたが)。

 石材や動物相の変化は間接的な証拠と言えますが、歯は直接的な証拠となります。2010年と2011年に上下の顎の臼歯が2点発見され、その近くの炭から、年代は46000年前頃と測定されました。ただ、下顎臼歯の方は現生人類的であるものの、上顎臼歯はやや祖先的特徴があるように見える、とも指摘されています。これらの間接的・直接的証拠から、現生人類が遅くとも46000年前頃にはフローレス島に到達していた可能性は高い、とこの研究は指摘しています。

 この研究に関わっていないストリンガー(Chris Stringer)博士は、フロレシエンシスと現生人類との短期間の共存があったのかまだ確定していない、と慎重な姿勢を示しつつ、もし両者が共存していたならば交雑もありえた、と指摘します。来年4月、研究チームはリアンブア洞窟に戻り、50000〜46000年前の堆積層を発掘する予定とのことで、今年になって一気に飛躍した感のあるフロレシエンシスの研究(関連記事)が、新たな発見でさらに進展するのではないか、と大いに期待されます。


参考文献:
Sutikna T. et al.(2016B): Modern humans on Flores by 46 thousand years ago: New evidence from Liang Bua. The 6th Annual ESHE Meeting.
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現生人類の出アフリカの回数

2016/09/24 00:00
 これは9月24日分の記事として掲載しておきます。現生人類(Homo sapiens)の出アフリカの回数についての二つの研究が相次いで公表されました。この二つの研究はともにオンライン版での先行公開となります。一方の研究(Mallick et al., 2016)と報道 では、142の多様な集団から得られた300人の高精度なゲノム配列に基づく分析が取り上げられています。この研究では、51集団から各2人のゲノムが選択され、次に、ゲノム規模の研究では以前には含まれていなかった、アメリカ大陸先住民・南アジア人・アフリカ人集団を含む他の91集団の人々からゲノムが選択されました。こうして得られたゲノム配列のなかには、参照ゲノムには存在しない塩基対が少なくとも580万も含まれています。

 これらのゲノム配列に基づく分析の結果、現代人の各集団のいくつかは10万年前頃までに実質的に分岐していた、と明らかになりました。これは、「現代的行動」が考古学的証拠で明確に証明される前のことだ、と指摘されています。また、非アフリカ系現代人集団は単一の出アフリカ現生人類集団から分岐したのであり、オーストラリアの先住民やニューギニア人やアンダマン諸島人も、一部の現生人類早期拡散説で想定されるような、他の非アフリカ系現代人の祖先集団よりも前にアフリカ系と分岐した集団の子孫ではない、と指摘されています。また、出アフリカ後の現生人類の急速な社会的変化の理由として、環境・生活様式・遺伝子などを含む複数の要因が想定されています。

 もう一方の研究(Pagani et al., 2016)と報道では、世界規模の148集団からの483人の高精度なゲノム配列に基づく分析が取り上げられています。この研究は、非アフリカ系現代人集団は基本的に主要な1回の出アフリカ集団の子孫であるものの、パプア人のゲノムの少なくとも2%は、その主要な出アフリカ以前にアフリカ系現生人類集団と分岐し、出アフリカを果たした現生人類集団に由来する、と推測しています。このパプア人のゲノムの2%に関しては、アフリカのヨルバ人とパプア人との分岐年代が12万年前頃と推定されています。この早期出アフリカ現生人類集団のゲノムは、ごく一部がパプア人に継承されているものの、基本的には絶滅した、と考えられています。

 非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源は、75000年前頃(この年代は確定的ではなく、前後する可能性はありますが)の1回の出アフリカ現生人類集団に由来するものの、それ以前にも現生人類の出アフリカは起きており、非アフリカ系現代人の一部に早期の出アフリカ現生人類集団のゲノムがわずかながら継承されているのではないか、というわけです。この研究は、パプア人にわずかながらそうしたゲノムが継承された理由として、ウォレス線が障壁となっていた可能性を指摘しています。主要な出アフリカ現生人類集団の前に出アフリカを果たした現生人類集団のゲノムは、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と同様に、一部の現代人にわずかながら継承されているものの、そうした早期の出アフリカ現生人類の特徴を形態学的・遺伝学的に一括して有する集団は絶滅した、ということなのでしょう。今後、解析数が増えていけば、そうした早期の出アフリカ現生人類集団の遺伝的痕跡がいくつかの地域集団で見つかる可能性は低くないでしょう。


参考文献:
Mallick S. et al.(2016): The Simons Genome Diversity Project: 300 genomes from 142 diverse populations. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/nature18964

Pagani L. et al.(2016): A genomic history of Aboriginal Australia. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/nature19792
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オーストラリア先住民のゲノム史

2016/09/23 00:00
 これは9月23日分の記事として掲載しておきます。オーストラリア先住民(アボリジニ)のゲノム史に関する研究(Malaspinas et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。これまでのオーストラリア先住民のゲノム史は3人のゲノム解析結果に依拠していましたが、この研究は、現代の83人のオーストラリア先住民とニューギニアの25人のパプア人の高精度のゲノム配列を作成し、他地域の現代人やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)という現生人類ではない系統の人類のゲノムとも比較しています。なお、この研究が対象としたのは、パマ-ニュンガン語族(Pama–Nyungan languages)話者のオーストラリア先住民です。

 この研究は、まず現代のオーストラリア先住民およびパプア人と現代の他の非アフリカ系集団との分岐年代を72000〜51000年前頃と推定しています。この推定年代は、現生人類の出アフリカとも関わってきます。現生人類の出アフリカについては、回数・年代・経路をめぐってさまざまな仮説が提示されています(関連記事)。そうした諸見解のなかには、オーストラリア先住民やパプア人の祖先集団は他地域の非アフリカ系集団よりも前にアフリカ系集団と分岐し(ヨーロッパ系や東アジア系などの祖先集団は、オーストラリア先住民やパプア人の祖先集団がアフリカ系と分岐した後に、アフリカ系と分岐した、と想定されます)、より早く出アフリカを果たした、と想定するものもあります。しかしこの研究は、オーストラリア先住民およびパプア人と他の非アフリカ系集団との72000〜51000年前頃という推定分岐年代と、ネアンデルタール人やデニソワ人といった現生人類ではない系統のホモ属との交雑から、その可能性は低いと推測し、現生人類による単一の出アフリカを想定しています。

 オーストラリア先住民の系統とパプア人の系統との分岐は、ニューギニア島とオーストラリア大陸が現在のように分離するずっと前の40000〜25000年前頃と推定されています。オーストラリア先住民の祖先集団は32000〜10000年前頃に分岐し始め、現在のオーストラリア先住民集団が形成されます。オーストラリアは、たとえば北アメリカ大陸やシベリアなどと比較すると、現生人類が長く継続的に居住してきた地域となります。そのため、オーストラリア先住民の遺伝的多様性は、北アメリカ大陸やシベリアの先住民集団よりも高い、と指摘されています。また完新世になると、オーストラリア北東の地域集団が拡大し、オーストラリアの他地域への遺伝子流動が見られます。これは、言語学的に推定されるパマ-ニュンガン語の拡大と一致する、と指摘されています。

 この研究は、オーストラリア先住民のゲノムをこれまでよりもずっと大規模に解析したので、今後の研究の進展に大きく寄与することになるでしょう。その意味で、注目される研究だと思います。オーストラリアというか、サフルランドへの現生人類の進出は、現生人類の出アフリカをめぐる議論において重要な意味を有するので、その意味でも、この研究は注目されます。この研究では、現生人類の(成功した)出アフリカは1回と想定されていますが、この問題については、今後も議論が続きそうです。


参考文献:
Malaspinas AS. et al.(2016): A genomic history of Aboriginal Australia. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/nature18299
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『地球ドラマチック』「洞窟に眠る新種の人類」

2016/09/22 00:00
 これは9月22日分の記事として掲載しておきます。NHK教育テレビで放送されたので、視聴しました。2013年、南アフリカ共和国のライジングスター洞窟(Rising Star Cave)にあるディナレディ空洞(Dinaledi Chamber)で大量の人骨が発見されました。この発見は大きく取り上げられ(関連記事)、手と足に関する研究が公表され(関連記事)、『ナショナルジオグラフィック』でも特集が組まれました(関連記事)。この人骨群はホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)と命名されました。

 ナレディは、アウストラロピテクス属とホモ属とをつなぐというか、ホモ属の起源に関わってくるのではないか、ということで大いに注目されました。この番組でも、そうした観点が強調されていました。ただ、現時点ではナレディの年代は不明なので、人類進化史における位置づけは確定していません。この番組でも、年代について新たな情報は提示されませんでした。ただ、どのような年代であれ、ナレディ発見の意義がたいへん大きいことは間違いない、と言えるでしょう。

 この番組では、年代も含めて目新しい情報が提示されていたわけではありませんが、ディナレディ空洞と発掘状況が映像で詳しく紹介され、たいへん見ごたえがありました。じっさいに発掘に関わった人々の証言を中心とした番組構成になっていて、語りの方も浮ついたところや大きく逸脱したようなところがなく、全体的に穏当なものであり、なかなか良心的だったと思います。まあ、この番組は外国制作の翻訳であり、日本の主要テレビ局の制作だと、変な構成になってしまいそうですが・・・。ナレディは人類進化史において大いに注目されるので、今後の研究の進展が期待されます。
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井上寿一『終戦後史 1945-1955』

2016/09/21 00:00
 これは9月21日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2015年7月に刊行されました。本書は、現代の日本の原型が形成された期間として1945〜1955年を取り上げています。本書はその期間における戦前と戦後の連続と断絶の問題を検証しています。本書はまた、この時期には日本が現代とは異なる社会になった可能性があった、とも指摘しています。本書はそうした問題意識から、1945〜1955年の日本を政治・外交・経済・社会・文化の視点で検証しています。

 特定の分野に重点を置いた解説とは異なり、多様な観点から1945〜1955年の日本を検証する本書は、やや分かりにくかったというか、雑多ですっきりしないところがあったのは否めません。もっとも、これは私が不勉強な非専門家だからなのかもしれません。しかし、多様な観点からの戦後史の検証により、当時の人々のさまざまな価値観・思惑が浮き彫りにされているため、日本社会の多様性をじゅうらいよりも深く認識できたように思えるのは、有益でした。

 戦前と戦後の連続性は、とくに経済において強く指摘されています。戦前、とくに日中戦争以降に強化された統制経済的枠組みが戦後の日本経済をも律し、それが「グローバルな時代」においては日本経済の桎梏になっている、というような論調は、1990年代半ば以降、よく聞くように思われます。確かに、そうした経済面での戦前と戦後の連続性は否定できないように思います。本書では、戦前から続く統制経済志向とともに、そこから脱却して自由経済へ移行しようとする志向もあったことが指摘されています。

 もちろん、おそらく多くの日本人もそう考えているであろうように、戦前と戦後とは単純に連続していたわけではなく、断絶・変容した側面も多分にありました。本書は、占領期の日本において権力関係の逆転が生じていた、と指摘します。それは、資本家・男性・大人・都市に対する、労働者・女性・子供・地方の地位の相対的上昇である、と本書では指摘されています。いつの時代もそうですが、1945〜1955年の日本についても、連続と断絶という観点が重要になるのでしょう。
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シャテルペロニアンの担い手

2016/09/20 00:00
 これは9月20日分の記事として掲載しておきます。シャテルペロニアン(Châtelperronian)の担い手に関する研究(Welker et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。シャテルペロニアンは、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から現生人類(Homo sapiens)への「交替劇」の解釈の重要な手がかりになりそうな文化だということで、大きな注目を集めてきました。シャテルペロニアンの担い手については、さまざまな見解が提示されています(関連記事)。当初は現生人類が担い手と考えられていましたが、その後、ネアンデルタール人の骨が共伴したことが明らかになりました。

 そのため、シャテルペロニアン層のネアンデルタール人の骨は攪乱の結果で現生人類が担い手という説(仮にA説としておきます)と、大きな攪乱はなく、ネアンデルタール人が担い手という説が提示されました。ネアンデルタール人が担い手という仮説はまず、シャテルペロニアンの象徴的思考を示す人工物が本当にシャテルペロニアンのものなのか否か、という点で分類されます。一方は、それら象徴的思考を示す人工物は後世の層からの嵌入であり、シャテルペロニアン期のものではない、と想定します(仮にB説としておきます)。

 さらに、それら象徴的思考を示す人工物がシャテルペロニアン期のものだと認めたうえで、その製作者が誰か、という点で分類されます。シャテルペロニアン期にフランス西部〜スペイン北部にまで現生人類が進出していたのか、微妙な問題です。当時すでに現生人類がこの地域に進出していたとする立場からは、シャテルペロニアンに見られる象徴的思考を示す人工物はネアンデルタール人が現生人類から入手したか(仮にC説としておきます)、ネアンデルタール人が(あるいはその象徴的意味を理解せずに)模倣して作ったのだ、との見解が提示されています(仮にD説としておきます)。

 これに対して、ネアンデルタール人が独自にシャテルペロニアンを発展させたと主張する見解もあります(仮にE説としておきます)。また、ネアンデルタール人の所産と考えられる遺跡数が減少するなか、フランス南西部〜スペイン北東部にかけてシャテルペロニアンの遺跡が増加していることから、シャテルペロニアン遺跡の全てがネアンデルタール人の所産と考えると矛盾点が多く、現生人類がその形成に大きく関与していたのではないか、との見解(仮にF説としておきます)も提示されています(関連記事)。

 前置きがやや長くなりましたが、この研究は、シャテルペロニアン層でネアンデルタール人の骨が発見された、フランスのトナカイ洞窟(Grotte du Renne)遺跡の人骨を分析しています。この研究は人骨のタンパク質に注目し、その総体(プロテオーム)を解析し、アミノ酸配列を識別することで、人骨の系統的分類と生理学的情報を示すことに成功しました。その結果、トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の人骨群は、現生人類ではなくネアンデルタール人に分類されることが示されました。現生人類のコラーゲンはアスパラギン酸と呼ばれるアミノ酸を大量に含んでいますが、ネアンデルタール人のアミノ酸はアスパラギンというアミノ酸が豊富で、ネアンデルタール人のDNA解析からは、アスパラギンが豊富になるようなコラーゲンを生産する遺伝子が特定されています。また、窒素同位体の分析から、これらネアンデルタール人の人骨群の中には、母乳で育てられた幼児が含まれることも明らかになっています。

 トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の人骨群のうち、断片2点のミトコンドリアDNAが解析されました。その結果、ネアンデルタール人の系統である可能性が高いと明らかになりました。タンパク質分析でもミトコンドリアDNA解析でも、トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の人骨群はネアンデルタール人に分類される可能性が高い、と示されたわけです。また、人骨の1点は、放射性炭素年代測定法により、非較正で36840±660年前という年代値が得られ、シャテルペロニアンの年代の範囲内に収まりました。これらの結果から、トナカイ洞窟のシャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人であり、シャテルペロニアン層の上に上部旧石器時代の層が後続しないフランスのカンシー(Quinçay)遺跡で、トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層と類似した人工物が発見されていることから、象徴的思考を示すとされる人工物も含めて、トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の人工物を製作したのはネアンデルタール人だろう、とこの研究は推測しています。

 この研究は、トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の人類が終末期のネアンデルタール人であることと、ネアンデルタール人から現生人類へ、またその逆方向で遺伝子流動が生じた可能性を指摘し、今後の核DNA解析への展望を提示しています。これと関連して、本論文の著者の一人であるハブリン(Jean-Jacques Hublin)博士は、シャテルペロニアンの人工物の少なくとも一部はネアンデルタール人の所産であり、ネアンデルタール人は新たな隣人たる現生人類から装飾品の発想を得たものの、装飾品自体は自らが製作した、と考えています(上記分類ではD説)。この研究には関わっていないストリンガー(Chris Stringer)博士は、トナカイ洞窟の終末期ネアンデルタール人に現生人類が遺伝的影響を与え、ネアンデルタール人の認知能力が向上した可能性を指摘しています。しかし、同じくこの研究には関わっていないジリャオン(João Zilhão)博士は、遺伝的であれ文化的など他のものであれ、トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層のネアンデルタール人が現生人類から「助け」を得たのか、疑問を呈しています(上記分類ではE説)。

 上述したように、シャテルペロニアンはヨーロッパにおけるネアンデルタール人から現生人類への置換を検証するうえで、重要な役割を担っています。その意味で、トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の担い手はネアンデルタール人である可能性がたいへん高い、と明らかにしたこの研究は大いに注目されます。ただ、シャテルペロニアンの担い手がネアンデルタール人のみなのか、ネアンデルタール人が主要な担い手だとして、現生人類の影響はあるのか、といった問題についてはまだ議論が続きそうであり、今後の研究の進展が大いに期待されます。


参考文献:
Welker F. et al.(2016): Palaeoproteomic evidence identifies archaic hominins associated with the Châtelperronian at the Grotte du Renne. PNAS.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1605834113
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大河ドラマ『真田丸』第37回「信之」

2016/09/19 00:00
 これは9月19日分の記事として掲載しておきます。関ヶ原の戦いはあっけなく決着がつき、徳川方が完勝します。昌幸はなおも反徳川方として軍事行動を続けますが、徳川軍が大坂城に入ったことを聞いた信繁は昌幸を説得し、昌幸も降伏を決断して、信幸の赦免工作に身を委ねることにします。信幸は大坂に赴き、家康に昌幸と信繁の助命を願い出ようとし、信幸の舅である本多忠勝も同行します。家康は昌幸と信繁を殺すつもりだと言いますが、忠勝は決死の覚悟で家康を説得し、家康はその代償として信幸に父親との絶縁と改名を命じます。こうして、信幸は信之と改めます。

 昌幸と信繁は高野山の九度山村への蟄居を命じられます。今回はやや展開が速く、信幸と忠勝による家康への助命嘆願も予想よりあっさりとした感があります。信繁が主人公なので、仕方のないところでしょうか。展開が速いといえば、次回で昌幸が退場となるようなのには驚きました。まあ、九度山村の生活を娯楽ドラマとして長々と描くわけにはいかないかもしれませんが。家康が昌幸と信繁を助けた真意が明かされた場面はなかなかよかったと思います。前回、語りだけですまされた関ヶ原の戦いですが、今回、回想で三成と吉継の最期が描かれたのは何よりでした。まあ、覚悟していたとはいえ、あっさりとしたものでしたが・・・。九度山村の長を演じるのは木之元亮氏で、『真田太平記』を想起させ、これは何とも嬉しい配役です。
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伊藤之雄『元老 近代日本の真の指導者たち』

2016/09/18 00:00
 これは9月18日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年6月に刊行されました。本書は元老からの視点の近代日本政治史となっています。新書ということで、もちろん一般向けであり、著者もそのように工夫して執筆していることが窺えますが、一方で、研究者にも読みごたえのある本にしようとした、との意図も語られています。そのため、引用元を明記した他の研究者の見解が、一般向け書籍にしては多く参照されています。新書とはいえ、私のような門外漢にとって、気楽に読み進められる一冊ではありませんでした。しかし、近代日本政治史の復習になるとともに、新たに得た知見も多々あり、有益な一冊でした。本書は今後長い間、元老についての入門書的な役割を果たすことでしょう。今後何度か再読したい、と思えるような一冊です。

 本書が冒頭で指摘しているように、元老は国家レベルのインフォーマルな人々と組織であり、国家に限らずさまざまな組織で、その黎明期にそうしたインフォーマルな組織が組織全体を運営する場合は少なくありません。本書も述べているように、インフォーマルな組織はいずれ克服されるのが望ましく、じっさい元老も、憲法・法令上の根拠がないことから、日露戦争前より批判が根強くありました。しかし本書は、未成熟な組織において、その内部のインフォーマルな組織による運営が、組織全体の安定的運営と発展に寄与することがある、と指摘します。本書は元老についても、国際協調・民主化・近代化を安定して進めていくことに全体として寄与した、と評価しています。

 本書は元老についての一般向け書籍なので、著者もそれを強く意識しているためか、元老の語源と成立経緯、誰が元老なのか、またいつ元老になったのか、といった基本的な事柄の解説が充実しています。本書からは、後継首相の選定などを行ない、天皇を補佐した元老の本質はインフォーマルな組織なので、詔勅のような公的根拠は元老の必要条件ではない、ということが窺えます。もっとも、憲法・法令上の根拠がないという批判を意識してか、大正期以降は詔勅を根拠とするような言説が、元老の側から語られることもありましたが。この判断基準が違うと、誰を元老と判断するのか、異なってきます。本書は、君主機関説を前提として一部の藩閥有力者が1890年代半ば頃までに元老として認知されていき、その後は元老による承認が元老となるための根本的条件だった、と論じています。本書はその観点から、伊藤博文・山県有朋・黒田清隆・井上馨・松方正義・西郷従道・大山巌・西園寺公望の8人を元老と認定しています。
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代謝や老化に影響するミトコンドリアDNA

2016/09/17 00:00
 これは9月17日分の記事として掲載しておきます。ミトコンドリアDNAの代謝や老化への影響に関する研究(Latorre-Pellicer et al., 2016)が公表されました。この研究は、マウスを用いて、ミトコンドリアが、インスリンシグナル伝達・肥満・テロメアの短縮などといったさまざまな生理学的性質に強い影響を及ぼし、その結果平均生存期間に違いが出ることを明らかにしました。病的ではないミトコンドリアDNA多様体でも代謝では幅広い影響をもたらし、高齢期になるとその影響が大きく現れます。この研究は、ミトコンドリアゲノムと核ゲノムとの相互作用がこの現象に影響する大きな要因かもしれない、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


遺伝学:ミトコンドリアDNAと核DNAのマッチングが代謝の形を決め、健康な老化をもたらす

遺伝学:ミトコンドリアDNAは代謝や老化に影響する

 今回、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の配列のばらつきの影響が、J Enríquezたちによってマウスのコンプラスティック系統を用いて調べられた。コンプラスティックなマウスは、同一の核ゲノムを持つが、ミトコンドリアDNAは異なっている。そして、ミトコンドリアゲノムは、インスリンシグナル伝達、肥満、テロメアの短縮などのさまざまな生理学的性質に強い影響を及ぼし、その結果平均生存期間に違いが出ることが明らかになった。従って、病的なものではないmtDNAバリアントでも代謝に対しては幅広い影響をもたらし、高齢期になるとその影響が大きく現れる。著者たちは、ミトコンドリアゲノムと核ゲノムとの相互作用がこの現象に影響する重要な要因かもしれないと考えている。このことは、ミトコンドリア置換療法の分野に大きく関係してきそうだ。



参考文献:
Latorre-Pellicer A. et al.(2016): Mitochondrial and nuclear DNA matching shapes metabolism and healthy ageing. Nature, 535, 7613, 561–565.
http://dx.doi.org/10.1038/nature18618
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フロレシエンシスに関する研究の進展

2016/09/16 00:00
 これは9月16日分の記事として掲載しておきます。今年(2016年)になって、インドネシア領フローレス島の更新世人類についての研究が大きく進展しました。この問題については『ネイチャー』のサイトに解説記事が掲載されていますが、改めてこのブログでもまとめてみます。なお、2年ほど前(2014年8月)にもこの問題についてまとめていますので(関連記事)、基本的にはそれ以降の研究の進展について述べていきます。

 フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡では後期更新世の人骨群が発見されており、2004年の公表からしばらくは、新種なのか、それとも病変の現生人類(Homo sapiens)なのか、という激論が展開されました。しかし現在では、この人骨群をホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と区分する見解がおおむね受け入れられているように思われます。じっさい、最近の頭蓋の研究(関連記事)やダウン症患者との比較研究(関連記事)でも、フローレス島の更新世人類は病変の現生人類ではなく、新種だと改めて確認されています。また、フロレシエンシスについての基本的な情報も見直されており、じゅうらい、フロレシエンシスの下限年代は17000年前頃もしくは13000〜11000年前頃と推定されていましたが、リアンブア洞窟遺跡の堆積層の再検証により、人骨の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と考えられる石器群の下限年代は5万年前頃と見直されました(関連記事)。

 では、フローレス島の更新世人類をホモ属の新種フロレシエンシスと区分するとして、次に問題となるのは、フロレシエンシスを人類進化史においてどう位置づけるのか、という問題です。この問題に関しては議論がまだ続いており、当分収束しそうにありません。この議論については、大別すると二つの見解が提示されています。一方の見解は当初提示されたもので、フロレシエンシスは東南アジアにまで進出していたホモ属であるエレクトス(Homo erectus)の子孫であり、島嶼化により小型化した、というものです。もう一方の見解は、研究の進展によりフロレシエンシスの祖先的特徴の確認例が増加してきたことから、フロレシエンシスはエレクトスよりもさらに祖先的な系統、たとえばハビリス(Homo habilis)から進化したのではないか、というものです。もっとも、後者の見解でも島嶼化による小型化が否定されているわけではありません。

 近年では、後者の見解がやや優勢かな、とも思えるのですが、歯の分析からは、フロレシエンシスはスンダランドの初期エレクトス集団もしくはスンダランドにいたその近縁集団から進化し、島嶼化により身体と脳が小型化した、との見解が提示されています(関連記事)。私は、フロレシエンシスが東南アジアの初期エレクトス集団から進化した、という見解を以前から支持していますが、まだ確定的とは言えないでしょう。

 今年になって、フロレシエンシスの起源と大きく関連してくる発見が公表されました(関連記事)。フローレス島中央のソア盆地では、マタメンゲ(Mata Menge)遺跡などですでに前期〜中期更新世の石器群が発見されており、ウォロセゲ(Wolo Sege)遺跡の石器群の年代は100万年以上前までさかのぼると推定されています(関連記事)。マタメンゲ遺跡では70万年前頃の人類の下顎と歯が発見され、下顎の第一大臼歯はフロレシエンシスよりも祖先的特徴を保持しており、下顎は華奢で、ハビリスのような頑丈な顎よりもエレクトスやフロレシエンシスの方と類似し、四角形の歯はエレクトスとフロレシエンシスの中間的形態を示しています。また、マタメンゲ遺跡の中期更新世の石器群と、リアンブア洞窟遺跡の後期更新世の石器群との技術的類似性も指摘されています。

 こうしたことから、フロレシエンシスの祖先集団は東南アジアの初期エレクトス集団で、フローレス島では最古の人類の痕跡が確認されている100万年前頃から70万年前頃までという比較的短期間に島嶼化により人類が小型化したのではないか、との見解が提示されています。しかし、フローレス島における人類の痕跡は今後さらにさかのぼるかもしれず、短期間で島嶼化により人類が小型化した、と確定したわけではないでしょう。

 現時点では、フロレシエンシスの祖先集団は東南アジアの初期エレクトスであり、100万年以上前にフローレス島に到達し、島嶼化により小型化して、5万年前頃に絶滅した、と考えるのが妥当かもしれません。ただ、フローレス島の更新世人類は、津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、スラウェシ島から意図せず何度も漂着したのではないか、とも推測されています(関連記事)。そうだとしても、フローレス島における中期更新世と後期更新世の人類の形態および石器技術の類似性は説明可能です。じっさい、スラウェシ島では10万年以上前の石器群が発見されており、中期更新世に現生人類ではない系統の人類が存在した可能性が指摘されています(関連記事)。

 上述したように、フロレシエンシスの推定下限年代は5万年前頃と見直されました。もちろん、これが絶滅年代とは限らないわけですが、そうだとすると、フローレス島の近隣地域であるサフルランドへの現生人類の進出時期と近いことが注目されます。サフルランドへの現生人類の最初の進出年代自体、まだ確定したとは言えないので、一つの仮説にすぎませんが、ユーラシアにおいて現生人類の本格的な拡散により先住人類たるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が絶滅したと考えられることから、フロレシエンシスも、現生人類の進出による競合により絶滅したのかもしれません。もっとも、リアンブア洞窟遺跡では、更新世における現生人類の痕跡は確認されていませんでした。しかし今年になって、41000〜24000年前頃に現生人類がリアンブア洞窟に存在していた可能性が指摘されています(関連記事)。現生人類との競合がフロレシエンシス絶滅の要因なのか、まだ確定したとはとても言えませんが、これは有力な仮説として真剣に検証されるだけの価値があると思います。
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クローン動物の老化

2016/09/15 00:00
 これは9月15日分の記事として掲載しておきます。クローンヒツジの健康の影響に関する研究(Sinclair et al., 2016)が公表されました。クローンヒツジのドリーは1996年7月に生まれ、6歳半という比較的若い頃に変形性関節症で死にました。この結果により、クローン動物が普通に生まれた動物よりも早く老化し、より不健康な老化を起こすのではないか、と懸念されました。この研究は、7〜9歳の13頭のクローンヒツジを調べました。そのうち4頭はドリーと同じ乳腺細胞株の核を用いて作製されたクローン動物で、ドリーの事実上のクローンとされています。クローンヒツジの筋骨格系評価・代謝検査・血圧測定だけではなく、おもな関節全ての放射線検査が行なわれ、対照群のヒツジ(5〜6歳)と比較されました。

 これらのローンヒツジはいずれも健康体で現在も生きており、1頭だけが中等度の変形性関節症で、残りは軽度の変形性関節症にかかっていたものの、代謝疾患の徴候は見られず、血圧も正常でした。この研究では、これらのクローンヒツジと同じ品種・年齢の普通に生まれたヒツジとの比較や老化に関連する分子マーカーの測定は行なわれていないものの、大型のクローン動物は正常に老化することを示すこれまでで最も強力な証拠が得られた、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【医学研究】「ドリー」のクローンたちは健康に老化している

 体細胞核移植という技術で作製されたクローンヒツジが正常に老化することを示唆する研究論文が掲載される。今回の研究では、13頭の高齢のクローンヒツジ(世界初のクローンヒツジ「ドリー」の作製に用いられたものと同じ遺伝物質を使って作製された4頭を含む)の解析が行われたが、これは、大型動物のクローニングの健康影響に関する初めての長期的研究である。

 クローンヒツジのドリーは、20年前の1996年7月に生まれ、6歳半という比較的若い頃に変形性関節症で死んだ。この結果は、クローン動物が普通に生まれた動物よりも早く老化し、より不健康な老化を起こすのではないかという懸念を生み出した。

 今回、Kevin Sinclairたちは、13頭のクローンヒツジ(7〜9歳)を調べた。そのうちの4頭は、ドリーと同じ乳腺細胞株の核を用いて作製されたクローン動物で、ドリーの事実上のクローン(ゲノムのコピー)とされる。Sinclairたちは、クローンヒツジの筋骨格系評価、代謝検査、血圧測定だけでなく、主な関節全ての放射線検査を行い、対照群のヒツジ(5〜6歳)と比較した。これらのクローンヒツジは、いずれも健康体で現在も生きており、1頭だけが中等度の変形性関節症で、残りは軽度の変形性関節症にかかっていたが、代謝疾患の徴候は見られず、血圧も正常だった。

 今回の研究では、これらのクローンヒツジと全く同じ品種と年齢の普通に生まれたヒツジを比較することや老化に関連する分子マーカーの測定は行われていないが、大型のクローン動物は正常に老化することを示すこれまでで最も強力な証拠が得られた。これらの研究成果は、クローニングの安全性とクローン動物の健康に対する長期的影響に関する重要な情報である。



参考文献:
Sinclair KD. et al.(2016): Healthy ageing of cloned sheep. Nature Communications, 7, 12359.
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms12359
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古川隆久『昭和史』第2刷

2016/09/14 00:00
 これは9月14日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2016年5月に刊行されました。第1刷の刊行は2016年5月です。本書の特徴は、著者の専門分野に重点が置かれているのではなく、幅広い分野が取り上げられていることです。著者の専門分野に重点を置いた通史は学問的良心と言えるかもしれませんが、新書での通史となると、やはりある程度幅広く事象を取り上げてもらいたいものです。昭和史となると62年と半月ほどの長きにわたりますし、史資料が豊富なだけに、さまざまな分野に言及しつつ新書としてまとめるのはたいへん難しそうですが、本書は上手く整理できており、入門書的な昭和の通史として優れているのではないか、と思います。もっとも、さまざまな分野を取り上げているだけに、それぞれの分野に詳しい人にとっては、物足りなかったり疑問に思ったりすることも少なくないのかもしれませんが。

 昭和は現代人にとって直近の時代であり、戦前・戦中の体験者もまだ多くいます。それだけに、政治的立場などが理由となって見解が分かれることも少なくありません。本書の特徴は、戦前・戦中期の日本の選択についての評価が厳しいことで、「愛国的」な見解への批判が随所で見られます。「愛国者」にとって、本書は「東京裁判史観」に「洗脳」された「自虐史観」の「悪書」なのかもしれませんが、全体的には抑制的な叙述になっていると思います。まあ、逆に、日本の評価が甘すぎる、と思う読者もいるのかもしれませんが。

 幅広い分野が取り上げられているだけに、映画やスポーツのスターへの言及もあり、この点でも一般層には親しみやすくなっていると思います。もっとも、平成生まれの読者の多くにとっては、戦前・戦中期のスター俳優は馴染みの薄い存在かもしれませんが。スポーツでは、大鵬関は取り上げられていましたが、双葉山関への言及がなかったのは残念でした。また、王貞治選手は取り上げられていたものの、長嶋茂雄選手への言及がなかったのも残念でした。記録より記憶とはよく言いますが、野球のように数字のスポーツで後世に語り継がれていくのは、記録の方なのでしょうか。まあ、長嶋選手の記録も超一流だとは思いますが。交通、とくに鉄道についての記述がやや多めなのも本書の特徴で、高度経済成長期に優等列車が大衆化したことが分かります。
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鉄の多い熱水環境で誕生した生物

2016/09/13 00:00
 これは9月13日分の記事として掲載しておきます。全生物最終共通祖先(LUCA)の誕生した環境に関する研究(Weiss et al., 2016)が公表されました。この研究は、LUCAに起源を持つ可能性のある古代の遺伝子を探すため、原核生物(単細胞)のタンパク質コード遺伝子610万個の進化上の関係を解析しました。この研究の厳しい基準に適合したのは355個のタンパク質群だけでしたが、LUCAが嫌気的(成長に酸素を必要としない)で、高温を好み(比較的高温で繁殖する)、二酸化炭素・窒素・水素を利用して代謝経路を維持していることを明らかにするには充分だった、と指摘されています。また、LUCAが鉄などの遷移金属やセレンなどの元素をも必要とすることが明らかになりました。

 これらの進化上の関係性に基づき、現在生存している生物の一部、たとえばクロストリジウム(細菌)やメタン生成菌(古細菌)などが、LUCAとよく似た生活様式を持つ、と結論づけられています。これらの知見は、地球の現在の生物が、熱水環境中の独立栄養生物(二酸化炭素のような無機物から栄養となる有機物を作ることができる生物)の子孫であることを裏づける新しい証拠である、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


生命は、鉄の多い温泉で誕生した

 あらゆる生命の進化の出発点になった生物の重要な代謝特性と、その生物が住んでいた可能性の高い環境を突き止めたとの報告が寄せられている。ゲノムデータ解析によって、いわゆるLUCA(全生物最終共通祖先)が、温かく無機物が豊富な無酸素環境で生存できるよう適応していたことが分かったという。それはおそらく、現在の地球上で見られる温泉に似た環境だろう。

 あらゆる細胞のLUCAという概念は、初期進化や生命の起源の研究では重要である。しかし、LUCAがどのような場所でどのような仕組みで生きていたのかについては、ほとんど情報がない。William Martinたちは、LUCAに起源を持つ可能性のある古代の遺伝子を探すため、原核生物(単細胞)のタンパク質コード遺伝子610万個の進化上の関係を解析した。

 Martinたちの厳しい基準に適合したのはわずか355個のタンパク質群だけだったが、これだけでも十分に、LUCAは嫌気的(成長に酸素を必要としない)で、高温を好み(比較的高温で繁殖する)、二酸化炭素、窒素、水素を利用して代謝経路を維持していることを明らかにできた。また、LUCAは鉄などの遷移金属やセレンなどの元素をも必要とすることが分かった。これらの進化上の関係性に基づいて、著者たちは、現在生存している生物の一部、例えばクロストリジウム(細菌)やメタン生成菌(古細菌)などが、LUCAとよく似た生活様式を持つと結論付けている。これらの知見は、地球の現在の生物が、熱水環境中の独立栄養生物(CO2のような無機物から栄養となる有機物を作ることができる生物)の子孫であることを裏付ける新しい証拠である。

 同時掲載のNews & Views記事では、James McInerneyが、「推定されたこのLUCAの代謝を見ると、細菌と古細菌の分岐よりも前から、地球に有力で極めて効率の良い代謝系が存在したのを見る思いだ。この研究は、40億年も昔の生命について、非常に興味深い手掛かりを与えてくれる。」と述べている。



参考文献:
Weiss MC. et al.(2016): The physiology and habitat of the last universal common ancestor. Nature Microbiology, 1, 16116.
http://dx.doi.org/10.1038/nmicrobiol.2016.116
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大河ドラマ『真田丸』第36回「勝負」

2016/09/12 00:00
 これは9月12日分の記事として掲載しておきます。真田家は、昌幸・信繁が反徳川側に、信幸が徳川側へと去就が分かれます。昌幸・信繁は上田城へと向かう途中、沼田城を訪れますが、一足早く沼田城に戻っていた稲により入城を拒まれます。昌幸・信繁は上田城で徳川秀忠の率いる軍を迎え撃つことにします。信幸は家康に、上田城攻めの先鋒を命じられます。徳川家には、本多正純など信幸の家康への忠誠を疑う者がいるので、信幸はその疑念を払拭する必要がありました。秀忠率いる大軍が上田城に迫ると、昌幸は秀忠に降伏の書状を送ります。しかし、その条件はあまりにも居丈高なものであり、昌幸は交渉決裂を前提として時間を稼ごうとしたのでした。秀忠は上田城攻めを決断します。

 信繁は信幸と直接戦うことを避けるために策を弄します。信繁の策は功を奏し、徳川軍が上田城を攻めている間、信幸と昌幸・信繁が直接衝突することはありませんでした。上田城の攻略が難航するなか、秀忠は焦り、総攻撃を命じるものの、家康からの指示により上田城から撤退し、西進します。今回は、久々に昌幸が活き活きとし、序盤の輝きが戻ってきた感があります。まあ、この後の展開から考えると、昌幸にとってこれが最後の輝きとなりそうですが。今回は佐助が関ヶ原の戦いの結果を伝えるところまで進みました。三成と吉継の扱いが大きく、小早川秀秋もなかなかキャラが立っているので、関ヶ原の戦いは、直接的な合戦場面自体は過去作の流用としても、人物描写にはわりと時間が割かれると予想していただけに、これは意外というか、失望しました。次回、回想という形で戦場での三成と吉継の様子が描かれるのでしょうか。
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島泰三『ヒト―異端のサルの1億年』

2016/09/11 00:00
 これは9月11日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年8月に刊行されました。霊長類とその下位区分である類人猿の進化史のなかに人類の進化を位置づけているのが本書の特徴で、大規模な環境変動を重視していることとあわせて、広い視野での考察になっていると思います。私は霊長類・類人猿の進化に疎いので、この点では有益でした。しかし、類人猿の起源地はアフリカではない、との本書の見解は一般的ではないと思います。この点については、今後も調べていく必要があります。

 現代人の祖先系統とチンパンジーの系統とが分岐した後の人類の進化史については、率直に言って本書の見解にはかなり疑問が残りました。そのすべてに突っ込みを入れる気力・見識は今の私にはとてもないので、いくつか気になった本書の見解について以下に述べていきます。

 アウストラロピテクス属の繁栄は骨食によって支えられていた、と本書は主張します。確かに、アウストラロピテクス属は動物の骨を食べていたでしょうが、それが主食だったかというと、疑問が残ります。本書は、形態的特徴から食性を推測できる、という前提で議論を進めていますが、確かにそれは有効な方法論ではあるものの、高度に派生した形態が特化した食性を反映しているとは限りません(関連記事)。また、本書はアウストラロピテクス属でもアファレンシス(Australopithecus afarensis)の性差は大きかった、との見解を採用していますが、否定的な見解も提示されています(関連記事)。

 ホモ属の進化では、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の石器文化は長期間ほとんど変わらなかった、とされていますが、この見解には疑問が残ります(関連記事)。また、ネアンデルタール人の推定絶滅年代を旧説に基づいて3万年前頃としていることも、疑問が残ります(関連記事)。

 人類がいつ「裸」になった(薄毛化した)のか、という問題は著者が長年論じてきたことで、本書でも、人類進化史で現生人類(Homo sapiens)において初めて「裸」になったとされ、その意義が強調されています。しかし、人類が「裸」になった時期については、遅くとも100万年以上前と考えるのが妥当なように思われます(関連記事)。現生人類が人類史において初めて海産資源を食し、それが現生人類の認知能力の向上の一因になった、との見解も疑問で、ネアンデルタール人も海産資源を食していたことが明らかになっています(関連記事)。

 日本列島の人類史について、竹岡俊樹氏の見解(関連記事)に依拠して、現生人類ではない系統の人類が存在した、との見解にも疑問が残ります。現代人のような言語の起源について、イヌの家畜化との関連を重視する見解も、オーストラリア大陸には現生人類が移住してから少なくとも数万年以上経過してイヌが持ち込まれたことを考えると、かなり疑問です。縄文時代を称揚するかのような見解にも疑問が残ります。この他にもいろいろと疑問が残るのですが、とりあえずここまでにしておきます。


参考文献:
島泰三(2016)『ヒト―異端のサルの1億年』(中央公論新社)
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再来年(2018年)の大河ドラマ『西郷どん』

2016/09/10 00:26
 再来年(2018年)の大河ドラマは西郷隆盛の生涯を描く『西郷どん』に決定した、と公式に発表されました。再来年の大河ドラマの主役は西郷隆盛だとすでに報道されており(関連記事)、やはり大手一般紙・スポーツ紙のこうした大河ドラマ(朝ドラも)に関する報道で外れはまずないのだな、と改めて思いました。ただ、主演は堤真一氏と報道されていましたが、今回の公式発表では主演は明かされていません。まだ交渉が続いていて発表できる段階ではないのか、あるいは堤真一氏に断られたのかもしれません。

 『西郷どん』は、大河ドラマとしては、2009年放送の『天地人』以来の原作ものとなります。中園ミホ氏の脚本ということで、『花子とアン』の内容からも、中園氏は歴史ものが苦手なように思われるので、さすがにNHKも原作ものにしたのでしょうか。中園氏の起用は、朝ドラでの(例外もありますが、あくまでも視聴率的な意味での)成功から大河ドラマへという、近年の大河ドラマの傾向に沿ったものと言えるでしょう。しかし、正直なところ、中園氏が脚本の大河ドラマにはまったく期待できません。『花燃ゆ』の制作発表時よりも期待値は低く、一応初回は視聴するつもりですが、序盤で挫折しそうです。
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6000年間ほとんど遺伝的に変わっていないオオムギ

2016/09/09 00:28
 オオムギのDNA解析を報告した論文2本が公表されました。一方の研究(Mascher et al., 2016)は、イスラエルの死海近くにある古代の要塞「マサダ」に位置する探査の難しい砂漠の洞窟で6000年前のオオムギ粒を発掘しました。この地域の気候は乾燥しているので、このオオムギのDNA解析に成功しました。もう一方の研究(Russell et al., 2016)は、世界中で260以上のオオムギ種の植物を収集し、そのDNAを解析しました。両者の比較により、6000年前のオオムギ粒と最も近縁で、ほとんど変化していないのは現代のイスラエルとヨルダンのオオムギであることが明らかになりました。これは、オオムギがヨルダン渓谷上流域で初めて栽培化され、その後世界中に広がったという仮説を裏づけている、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


過去6,000年間ほとんど変わっていないオオムギ

 現代と古代のイスラエルとヨルダンのオオムギのサンプルのDNA塩基配列を調べたところ、過去6,000年間ほとんど変化していないことが分かった。この結果を報告する2編の論文が、今週のオンライン版に掲載される。これは、これまでに重要な穀物であるオオムギに関して実施された遺伝的特性解析の中でも極めて網羅的なものと評することができる。こうしたデータを組み合わせることで、オオムギの栽培化過程と地球上のさまざまな環境に関するオオムギの地域レベルの適応機構が明らかになっている。

 Tzion Fahima、Johannes Krause、Ehud Weiss、Nils Steinたちの研究グループは、イスラエルの死海近くにある古代の要塞「マサダ」に位置する探査の難しい砂漠の洞窟で6,000年前のオオムギ粒を発掘した。この地域の乾燥環境は生物学的保存に適していたため、この研究グループは、遺伝物質を分離し、古代のオオムギのDNA塩基配列を解読できた。一方、Robbie Waughたちの研究グループは、世界中で260以上のオオムギ種の植物を収集し、そのDNAの塩基配列を解読した。こうした他に類のない2つのデータセットは解析、比較され、初期農耕民によるオオムギの栽培化の歴史に関する手掛かりが得られた。

 これらの研究グループは、過去6,000年間に農法の変化と気候変動の影響があったにもかかわらず、古代のオオムギ粒に最も近縁なのが現代のイスラエルとヨルダンのオオムギだとする見解を示している。この知見は、オオムギがヨルダン渓谷上流域で初めて栽培化され、その後世界中に広がったという仮説を裏付けている。



参考文献:
Mascher M. et al.(2016): Genomic analysis of 6,000-year-old cultivated grain illuminates the domestication history of barley. Nature Genetics, 48, 9, 1089–1093.
http://dx.doi.org/10.1038/ng.3611

Russell J. et al.(2016): Exome sequencing of geographically diverse barley landraces and wild relatives gives insights into environmental adaptation. Nature Genetics, 48, 9, 1024–1030.
http://dx.doi.org/10.1038/ng.3612
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冨田健之『世界史リブレット人012 武帝 始皇帝をこえた皇帝』

2016/09/08 00:00
 山川出版社より2016年2月に刊行されました。漢の武帝は恵まれた状況で即位した、と言われています。呉楚七国の乱で中央集権化が進み、大規模な「対外戦争」が長期にわたってなかったこともあり、国家財政では巨額の蓄えがあった、というわけです。しかし本書は、呉楚七国の乱により直轄領が激増したことで中央政府から派遣されるべき官吏が不足したことなど、武帝即位時にはその前の国政改革により政治状況は楽観的なものではなかった、と指摘しています。武帝は困難な政治状況下まだ十代で即位し、試行錯誤しつつ皇帝としての権威を確立していったのではないか、というのが本書の見通しです。

 本書のこうした見解の前提として、中央集権制を歴史の必然として、漢代前期の郡国制は妥協の産物だった、との歴史認識への見直しがあります。秦の失敗を踏まえて、広大な領地を安定して統治する方法として、郡国制は積極的に採用されたのではないか、というわけです。本書はこのような認識に基づき、始皇帝との比較で武帝の治世を評価しています。有能で勤勉な皇帝による激務を前提とする始皇帝的な政治支配から、安定した組織的な政治支配への移行が武帝の代に進み、古代帝国の枠組みが定まって漢王朝の統治は安定した、というのが本書の見通しです。

 中央政府の役割が激増するなか、宰相たる丞相には肥大化した官僚群の統制が求められ、一方で皇帝による支配の貫徹のために、皇帝の近臣群が形成されていき、やがて組織化されていきます。武帝期はそのような試行錯誤の時代であり、丞相の処刑が目立つのも、そうした時代背景で解釈されています。本書は皇帝支配という観点からの武帝の評伝で、経済政策や有名な対外政策についての記述は少ないのですが、古代史における武帝の位置づけを明確にした好著だと思います。
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』564話〜568話

2016/09/07 00:00
564話「夏の別れ」7
 山さんが息子の世話のためにお手伝いさんとして雇った高田加代子が今回で退場となります。加代子の初登場は308話で、初登場から退場までの期間が5年以上とけっこう長いのですが、登場回数はさほど多くないと記憶しています。加代子が結婚相手の医師とともに東南アジアに赴くことと、ボギーが加代子に想いを寄せていたことは覚えていましたが、話の本筋の方はすっかり忘れていました。加代子の家族背景と犯行動機を絡めたところはなかなか上手いな、と思います。まあ、かなり強引な展開ではありましたが。ナーコも3話前で正式に退場しましたし、昔からのレギュラー・セミレギュラーがいなくなるのは何とも寂しいものです。


565話「正義に拳銃を向けた男」7
 ブルースはボギーとともに二人の男性を逮捕したさい、銃を隠し持っていると思われる男性とぶつかり、タクシーに乗ってその男性を追いますが、逃がしてしまいます。そのさい、タクシーは4人組の暴走族に絡まれます。ブルースの勘は当たり、その男性は銃で一人を殺害します。狙った相手は、偶然にも4人組の暴走族でした。男性はその4人組の暴走族の一人に刺されるものの、逃亡します。犯人の男性はその後、4人組の暴走族の残った3人を再度銃で狙います。ブルースは、自分を乗せたタクシー運転手の態度が怪しく、犯人の男性に協力しているのではないか、と疑います。しかし、タクシー運転手は協力しているどころか、偶然タクシーに乗せたものの、自宅で介抱しているさいに死んだ犯人の男性の代わりに、4人組の暴走族の残った3人を狙っていたのでした。タクシー運転手が、娘を4人組の暴走族に殺された男性の遺言にしたがい、3人を殺そうとした、というわけです。タクシー運転手はうだつが上がらず、人に頼りにされたことにやりがいを感じ、正義感もあって暴走した、というわけです。タクシー運転手の年齢に近づいた今、私にとっては何とも苦い話でしたが、ひねったところがあり、なかなか楽しめました。ブルースのアクションシーンは、やはり絵になります。


566話「あいつが・・・・」7
 あるディスコに通っていた若い女性が相次いで殺害されます。被害者の状態から、犯人は左利きと推測されました。マミーはディスコに通い、手がかりを探ろうとします。そんなマミーに声をかけてきた谷という左利きの男性がいましたが、調べてもとくに怪しいところはありませんでした。しかし、マミーは再度谷と接触し、ディスコで自分に気味の悪い視線を向けていたのが谷だと気づきます。マミーは谷と合うことにし、左手で強い力で掴まれたことから、現行犯逮捕します。しかし、谷が留置されている間に、同じディスコに通っていた若い女性が殺されます。谷は釈放されますが、その後、マミーの前に現れ、マミーを警護する、と言ってマミーにつきまといます。マミーは恐怖に怯え、刑事を辞めようとしますが、山さんの説得により思いとどまります。結局、犯人は谷で、母親からの強い抑圧が根本的な要因でした。この時期の話は少なくとも一度は視聴しているはずなのですが、内容はほとんど覚えていません。しかし今回は、三浦浩一氏が犯人役だったことや谷と母親との強すぎるつながりなども含めて、内容を少し覚えていました。それだけ犯人が印象に残った、ということでしょうか。今回もブルース無双になっていて、新人なので見せ場を作ろうという制作意図があるように思います。


567話「純情よ、どこへゆく」9
 暴力団系金融会社の専務が社長を殺害します。殺害の動機は、社長が専務の恋人に暴行したことでした。専務と女性との関係は純情だと周囲の人は証言し、ボギーもそう確信します。しかし、ドックは二人の関係に冷ややかで、刑事としてあまり二人の関係に入れ込まないよう、ボギーに忠告します。この事件を純情物語として確信するボギーにたいして、ドックは、真相は違うと推理します。結局、専務は女性にたいして純情だったものの、女性の方は専務と別れたいと思っており、その気持ちを知った金融会社の部長が社長と専務を追い落とすべく画策した事件でした。話自体もかなり面白く、対照的な女性観のドックとボギーを対比させて話が進むところは、ありがちではありますが、なかなか上手かったと思います。今回は主演ではありませんでしたが、ブルースは今回も含めてこれまでのところなかなか存在感を示していて、新人刑事としては個人的には高評価です。本放送時は、さほど好きなキャラではなかったのですが。


568話「悲しい汗」7
 企業相手に恐喝を繰り返していた男性が殺害されます。トシさんが久々に再会した旧友の会社もその対象でした。トシさんの旧友に容疑がかかり、トシさんは辛い立場に追い込まれます。刑事の旧知の人物に容疑がかかる、という話は『太陽にほえろ!』の定番の一つであり、トシさんと旧友の家族問題も絡んできて、苦い結末ではありましたが、なかなか面白い話になっていました。本筋とは関係ありませんが、ラガーが太っていることがネタにされており、この頃には制作側でもラガーが登場当初より太ったことが話題になっていたのでしょう。
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再来年(2018年)の大河ドラマの主役は西郷隆盛?

2016/09/06 00:00
 これは9月6日分の記事として掲載しておきます。再来年(2018年)の大河ドラマの主役は西郷隆盛で、堤真一氏の主演と決まった、と報道されました。大手一般紙・スポーツ紙のこうした大河ドラマ(朝ドラも)に関する報道で外れはまずないので、確定と言ってよいでしょう。再来年は順番から言えば幕末もので男性主人公だと予想されたので、その点は意外ではなかったのですが、また薩摩視点で西郷隆盛が主役だとは予想していませんでした(関連記事)。西郷隆盛はすでに大河ドラマで一度主人公として取り上げられていますし(1990年放送の『翔ぶが如く』)、また薩摩視点の幕末ものということで、正直なところかなりうんざりしています。

 NHKは本当に『篤姫』幻想に囚われているのだなあ、と改めて思ったものです。確かに、『篤姫』は21世紀の大河ドラマとしては驚異的な視聴率を誇っていますが、いつまでもその成功体験に囚われているのはどうかと思います。『篤姫』の(あくまでも視聴率的な意味での)成功により、それ以前よりも幕末もの・女性主人公の頻度が高くなったように思いますが、NHKが重視しているだろう視聴率という点で成功しているとはとても言い難く、さりとて質の面で優れているとも言えないと思います(幕末もので女性主人公の『八重の桜』の質はなかなか高かったと思いますが)。

 視聴率という点では、西郷隆盛の知名度は高いとはいっても、視聴率に結びつくかとなると、かなり疑問です。西郷が主役の大河ドラマ『翔ぶが如く』は、その前後数年の大河ドラマのなかで最も視聴率が低く、前年(1989年放送の『春日局』)より10%近く平均視聴率は下がっています。そもそも、幕末ものの大河ドラマはその前後数年の他の時代の作品と比較して視聴率が低い傾向にあり、『篤姫』は例外と考えるべきなのでしょう。幕末と戦国の繰り返しからそろそろ脱出してもらいたいものですが、大河ドラマの視聴率の低迷が続くなか、なじみの薄い時代を扱うのは難しいでしょうか。

 NHKは大河ドラマに関しては視聴率への拘りがかなり強いように思われるので、目新しさのなさそうな西郷隆盛が主役なだけに、篤姫(天璋院)に宮アあおい氏、五代才助(友厚)にディーン・フジオカ氏といった配役を考えているのかな、とも思います。一般的に、俳優は特定の役柄の印象が強くなることを嫌う傾向にあるので、宮ア氏やフジオカ氏は以前の当たり役で出演を要請されても断るのかもしれませんが、目新しさのない題材だけに、すでに主演だけではなくそこまで配役を決めているのではないかな、と邪推したくなります。
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大河ドラマ『真田丸』第35回「犬伏」

2016/09/05 00:00
 これは9月5日分の記事として掲載しておきます。家康の率いる軍勢が上杉討伐のために大坂から会津へと向かった隙に、反家康陣営の三成たちが挙兵します。この報せは家康に従っていた真田軍にも届き、今後真田家はどう動くべきか、下野の犬伏にて昌幸・信幸・信繁の間で激論となります。昌幸は戦乱の長期化を予想し、家康側にも反家康(豊臣)側にも就かず、上田城に拠って力を蓄え、諸勢力が疲弊した後、旧武田領を攻めとろうとします。信繁は昌幸に、時代は変わった、戦乱は短期で治まる、と進言します。けっきょく、信幸の決断により、昌幸と信繁は反家康側に、信幸は家康側に就くことになります。どちらが勝っても真田家は存続できるような策だ、というわけです。

 今回は、真田家の兄弟・親子間の別れが描かれました。この三人の激論は、これまでの三人のキャラ・思考の描写を踏まえたもので、よかったのではないか、と思います。ひねってくるところのある本作ですが、今回の三人の激論と別れも、信繁が昌幸の考えをまず否定するなど、ひねってきたように思います。その他では、やはり石田三成と大谷吉継のやり取りが印象に残りました。二人とも重要人物として描かれてきただけに、脚本も気合が入っていたように思います。徳川秀忠の正室である江(崇源院)が今回初登場となり、なかなか強気な人物として描かれるようです。
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筒井清忠編『昭和史講義2─最新研究で見る戦争への道』

2016/09/04 00:00
 これは9月4日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2016年7月に刊行されました。筒井清忠編『昭和史講義─最新研究で見る戦争への道』(関連記事)の続編となります。『昭和史講義─最新研究で見る戦争への道』は好評だったとのことで、続編が刊行されたのは喜ばしいことです。本書もたいへん有益だったので、好評を博すことでしょう。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。


●高杉洋平「軍縮と軍人の社会的地位」P13〜28
 第一次世界大戦後の世界的な軍縮の風潮と、「大正デモクラシー」期の軍人蔑視の風潮とが、軍部における被害者意識を醸成し、昭和になってからの軍部の「急進化」へとつながったことが指摘されています。「大正デモクラシー」期の軍人蔑視の風潮については一応知っていましたが、本論考を読んでより詳しく知ることができました。本論考は、こうした軍人蔑視の風潮が劇的に変わったのが満州事変だと指摘しており、国民の多くにとって、恐慌下の行き詰った雰囲気を一掃する「壮挙」だったということでしょうか。


●中澤俊輔「治安維持法」P29〜44
 1925年の治安維持法成立の背景にロシア革命などの世界情勢の変化があることと、制定にさいして欧米諸国の社会主義対策が参考にされたことが指摘されています。治安維持法成立の直接的契機として、ソ連との国交樹立が大きく影響していたようです。治安維持法が猛威を振るった理由として、1928年に目的遂行罪を新設して改正されたことにより、拡大適用を可能としたことが挙げられています。治安維持法は1941年にはさらに大幅に改正されましたが、太平洋戦争が始まって以降は、人々の生活水準が下がり、社会の平等化が進んだこともあり、検挙者数は減少しました。


●等松春夫「中ソ戦争と日本」P45〜62
 1929年7月〜12月にかけての中ソ戦争の背景と日本への影響について解説されています。中ソ戦争は奉ソ戦争とも呼ばれており、当時の中国の中央政府と地方政権という二重構造を反映しています。ソ連とじっさいに戦ったのは、満州を実質的に支配していた奉天政権でした。中ソ戦争は、満州北部における中東鉄道の権益回収を企図した奉天政権のソ連への攻撃により始まりましたが、兵数では奉天政権よりも劣勢ながらも、装備で圧倒するソ連軍が完勝し、ソ連の要求がほぼ受け入れられる形で終結しました。この中ソ戦争により日本が得た教訓は、第一に、中央政府と地方政権という中国の二重構造が確固としており、南京国民政府の介入はないだろうから、奉天政権との戦争は全面的な日中戦争とはならない、ということです。第二は、兵数では劣勢でも、装備・訓練・作戦で圧倒していれば、奉天政権を短期間で撃破できる、ということです。第三は、ソ連の拡張的性格と優秀な軍備です。こうした教訓が、後に満州事変をもたらした、と言えそうです。


●小島庸平「世界恐慌下の日本」P63〜78
 世界恐慌は日本にも大きな影響を及ぼし、その中での金輸出解禁と緊縮財政により、日本経済の悪化は深刻なものとなりました。しかし、この過程で産業の「合理化」が進展したことも期待されています。この緊縮財政の後に蔵相に就任した高橋是清の一連の対策により、日本は当時の主要国でもいち早く恐慌から脱しました。世界恐慌は日本資本主義の構造的脆弱性ではなく、「強靭性」を示したのだ、と指摘されています。しかし、工業部門の回復は早かったものの、農業部門の回復は遅れ、また賃金の低下傾向にもなかなか歯止めがかかりませんでした。当時、主要国でも一次産業の割合が高かった日本では、それは深刻な問題でした。ただ、そうした農村の荒廃が戦争支持や「ファシズム」に直結したのではない、とも指摘されています。


●長谷川雄一「血盟団事件と五・一五事件」P79〜98
 血盟団事件と五・一五事件の背景について検証されています。どちらも昭和初期の恐慌を背景とした起きた事件でしたが、その前提として第一次世界大戦後に日本社会で盛んとなった国家改造・革新運動がありました。これは国内外の平等主義的革新を目指した運動で、恐慌と格差の拡大のなか、五・一五事件の首謀者たちに広範な同情が寄せられる要因となり、また二・二六事件へとつながっていきました。もっとも、平等主義的革新とはいっても、天皇の存在は大前提で(共産主義者はさてとおくとして)、天皇と国民の間の政党・財閥・官僚が排撃の対象とされました。


●小山俊樹「満州事変後の政局と政党政治の終焉」P99〜114
 五・一五事件で犬養首相が殺害され、戦前の政党政治は終焉します。犬養内閣で戦前の政党政治が終焉した理由を、満州事変後の政治状況の推移をやや詳しく見ていくことで、本論考は検証しています。満州事変後、軍部を抑えるという目的からも、二大政党による連立が協議されました。しかし結局、ポスト・政策などをめぐる対立から、二大政党ともに迷走し、連立は実現せず、単独内閣が続きます。こうした状況から昭和天皇やその側近が政党政治に失望したことが、五・一五事件での政党政治の中断につながり、けっきょく戦後になるまで政党政治は復活しませんでした。


●菅谷幸浩「帝人事件から国体明徴声明まで」P115〜130
 五・一五事件の後に成立した斎藤内閣と、その後に成立し、二・二六事件で退陣することになった岡田内閣について検証されています。この二つの内閣は「中間内閣」と呼ばれており、政党政治の中断後に成立しましたが、この時点ではまだ政党政治への復帰が模索されており、現実的な政治目標だったことが指摘されています。岡田内閣での天皇機関説事件とそれを受けての二度の国体明徴声明にしても、憲政に大きな転換の生じた「合法無血のクーデタ」ではなく、既存の法解釈への影響は最小限度にとどまった、と指摘されています。


●牧野邦昭「厚生省設置と人口政策」P131〜146
 厚生省の設置にさいしては複数の勢力からの要求があり、単一の目的に帰することはできない、と指摘されています。陸軍は、総力戦の時代における兵士の質の維持・向上のために、国民の健康状態に強い関心を寄せていました。一方、内務省は、以前より社会問題に取り組む中央行政機関の創設を目指しており、社会問題に強い関心を抱いていた近衛首相は内務省とともに、陸軍の要求を利用する形で厚生省を設置しました。厚生省設置当初は、国民の「質(健康状態)」の方が重視されていましたが、工業化・都市化の進展にともない、農村人口の縮小・出生率の低下傾向が明らかになると、国民の「量(人口数)」の方にも重要な関心が向けられるようになります。


●戸部良一「日中戦争における和平工作─日本側から見た」P147〜164
 日中戦争では絶えず和平工作が試みられました。その特徴として、外交官だけではなくジャーナリストなどの民間人や軍人が関わったことと、複数の工作が同時に行なわれていたことが指摘されています。これは、和平工作と同時に謀略工作が行なわれていたことと併せて、中国側の不信感を高めました。このように絶えず和平工作が続けられた理由として、利害の共通性(日本と蒋介石との間で共有されていると考えられていた、反共・反ソ)・運命共同体意識(欧米列強の圧力に抵抗する東アジア)・長年の人的交流が挙げられています。一方、そうした和平工作が失敗に終わった理由として、戦争に伴う犠牲の増大と、ほとんどの戦闘で日本が勝利していたことにより、日本国内の世論を納得させられるような和平条件が、中国側にとって呑めないような厳しいものになっていったことが挙げられています。


●岩谷將「日中戦争における和平工作─中国側から見た」P165〜182
 日中戦争における和平工作が中国側の視点から解説されています。この和平工作の特徴として、基本的な主導権を日本側が握っていたことが指摘されています。和平工作における両国の基本姿勢の違いとして、中国側は盧溝橋事件以前の状況への回復と満州は暫時不問に付すことを基本的な条件とし、状況に応じて関与の度合いを変えたのにたいして、日本側は状況に応じて条件を変えたことが指摘されています。それとともに、複数の交渉者がいたことが、日中戦争における和平工作失敗の要因となったことが指摘されています。


●渡邉公太「天津租界事件から日米通商航海条約廃棄通告へ」P183〜198
 二度にわたる天津租界封鎖事件の背景として、日中戦争後、中国における日本占領地域の拡大にともない、列強、とくにイギリスの権益が脅かされ、日本とイギリスとの経済的利害の対立が強まったことと、列強の租界が抗日テロの根拠地となっていたことが挙げられます。天津租界封鎖事件後、日本とイギリスとの交渉は、東アジアでの影響力を低下させていたイギリスに不利に進みました。アメリカ合衆国はこの状況に衝撃を受け、また日本の中国での行動に批判的な国内世論の突き上げもあり、日米通商航海条約の廃棄を日本に通告します。アメリカ合衆国における対日世論硬化の要因として、天津租界封鎖事件の前のいわゆる東亜新秩序声明があり、これにより日本は英米との協調路線を放棄したとみなされた、と指摘されています。


●筒井清忠「天皇指名制陸相の登場」P199〜218
 独ソ不可侵条約により平沼内閣が退陣した後の陸相人事について解説されています。陸軍の三長官会議で後任に推された多田駿は、昭和天皇の強い反対により陸相に就任できず、昭和天皇の意向が強く反映されて畑俊六が陸相に就任します。このように陸相人事で昭和天皇の意向が強く反映された理由として、陸軍内の派閥対立が激しく、一枚岩ではなったことが指摘されています。また、畑陸相の就任にさいしては、新聞報道の役割が大きかったようです。さらに、昭和天皇が多田駿を嫌ったのは石原莞爾派だったからなのですが、当時の石原も多田も昭和天皇と同じく日中戦争不拡大派だった、という歴史の皮肉が指摘されています。


●森山優「南部仏印進駐と関東軍特種演習」P219〜234
 太平洋戦争へとつながる重要な分岐点となった南部仏印進駐の背景と決定過程について解説されています。当時の日本の政策決定には、陸軍・海軍・有力政治家など主要な諸勢力が関与し、複数の意思が併記されることが珍しくありませんでした。また、陸軍・海軍ともに内部で意見が分かれており、重要な政策決定にさいしても一枚岩ではありませんでした。南部仏印進駐は米・英・蘭による対日全面禁輸の契機となりましたが、アメリカ合衆国の対日全面禁輸決定の過程に関しては現代でも確定的な説がないので、当時の日本の支配層が対日全面禁輸を予測することは困難だっただろう、と指摘されています。


●畑野勇「日米開戦と海軍」P235〜250
 対米開戦へといたる海軍の役割・責任について検証されています。太平洋戦争前、海軍には「下剋上」的な雰囲気もあったものの、海相が指導力を発揮できるだけの状況にあったようです。その意味で、対米開戦時の海相だった嶋田繁太郎の役割が注目されるのですが、嶋田に対米開戦を決意させたうえで重要な役割を果たした人物として、太平洋戦争の前まで軍令部総長だった伏見宮博恭王が挙げられています。海軍での影響力の強かった伏見宮に引き立てられた嶋田は、伏見宮の意向に逆らえなかったというか、影響を強く受けてしまったのではないか、というわけです。伏見宮をはじめとして海軍での対米開戦派の根拠となったのが作戦優先思考で、それが有力になったのは、統帥権干犯問題でいわゆる艦隊派が台頭してからだ、と指摘されています。


●花田智之「ゾルゲ事件」P251〜267
 ゾルゲ事件は日本では有名ですが、ゾルゲ諜報団がソ連にもたらした情報はソ連の政策に直接的影響を与えたわけではない、との見解が近年では有力なようです。本論考は、ゾルゲの生涯とゾルゲ諜報団の形成過程を簡潔に紹介しつつ、ゾルゲ諜報団の能力・影響力について検証しています。本論考は、ゾルゲ諜報団が日本の支配層の中枢にまで食い込み、その分析力も優秀だった、と評価しています。しかし、ゾルゲ諜報団のもたらした情報がソ連の政策決定の重要な判断要因となったわけではなさそうです。その要因として、ゾルゲがかつてブハーリン指揮下の諜報員だったことと、ゾルゲの上官が赤軍大粛清のさいに銃殺されたことなどで、スターリンからの信頼が得られていなかったことがあるようです。また、当時のソ連が複数の対日情報網を有していたことも、ゾルゲ諜報団からの情報が軽視された一因のようです。


●武田知己「大東亜会議の意味」P269〜286
 すでに戦局が日本に不利に傾いていた1943年11月、日本で大東亜会議が開催されました。この大東亜会議については、単なる政治プロパガンダとの見解が長年有力でしたが、限定的とはいえ、画期性も認められつつあるそうです。それは、アジア人の「サミット」であることや、自由主義的・普遍主義的思想および「戦後構想」的性格が見られることです。本論考は、この大東亜会議における重光葵の役割が近年では注目されている、と指摘しています。しかし、重光が大東亜会議および宣言に託した理想はほとんど実現しなかった、とも指摘されています。


●楠綾子「大西洋憲章からポツダム宣言まで」P287〜304
 大西洋憲章からポツダム宣言にいたるまでの連合国側の構想の変遷とその背景が解説されています。これらの戦後構想の前提としてあるのは、第一次世界大戦の戦後処理は失敗だった、との認識です。第一次世界大戦後の国際的平和・安定の維持が短期間で失敗に終わったことを踏まえて、普遍的国際機構による平和が模索され、国際連合として実現しました。また、国際的平和・安定の前提条件と考えられた通貨の安定と自由貿易への志向は、ブレトンウッズ体制へとつながりました。このような普遍的理念が第二次世界大戦後を規定したものの、一方で現実の政治・経済が、主要な国々の利害・力関係に左右されるところが多分にあったことも指摘されています。


●石井修「原爆投下とソ連参戦」P305〜318
 原爆投下とソ連参戦が日本の降伏決断に及ぼした影響について解説されています。原爆投下については、日米で「正統派」と「修正派」が逆である、と指摘されています。米国では、原爆投下が日本に降伏を決断させたのであり、米軍の被害を抑えるために原爆投下は必要だった、との見解が「正統派」で、原爆投下以前に日本は事実上降伏していたのであり、原爆投下はソ連の牽制という戦後を見据えたもので日本の降伏には不要だった、との見解が「修正派」となります。一方、日本ではこれが逆転した構図となります。本論考では、日本の「本土」に近づくにつれて米軍の犠牲者数が増加していったことを米国の指導層が懸念しており、日本の指導層が降伏するには衝撃的な「外圧」が必要だっただろうということや、原爆投下が日本の指導層に与えた衝撃が大きかったことから、米国の「修正派」(日本の「正統派」)の見解に問題があることが指摘されています。ただ、ソ連参戦が日本の指導層に大きな衝撃を与え、最終的に降伏を決断させた、との見解も取り上げられています。


●福永文夫「終戦から占領改革へ」P319〜332
 占領期の日本の諸改革について検証されています。これらは、米国・GHQからの一方的押し付けとは限らず、戦前から日本政府内で準備されつつあったものも少なくありませんでした。そうした改革に戦前から携わっていた官僚にとって、敗戦は「好機」だった、というわけです。具体的には、戦前から構想されていた労働改革は、日本側の改革案がほぼそのまま承認されました。一方、農地改革のように、戦前から構想されており、日本側の提示した案が、GHQの指示によりさらに急進的に改められたこともありました。財閥解体については、日本側にその発想がなかった、と指摘されています。このように、占領期の諸改革は、間接統治ということもあって、日本側の自主的改革という側面も認められ、日米合作により改革が徹底されていった、と評価されています。


●沼尻正之「昭和期における平準化の進展」P333〜345
 昭和期における平準化をめぐる研究史が解説されています。戦前・戦中と戦後との断絶を強調する見解が戦後しばらくは有力でしたが、その後、戦前・戦中の連続性を指摘する見解が提示されます。戦前・戦中の動向が戦後の近代化・民主化へとつながっていった、というわけです。こうした研究動向において、平準化が戦前から進展していたことが明らかになっていきます。こうした平準化をもたらした要因として、総力戦体制への強い志向が挙げられており、戦争により近代化・民主化が進展した側面が指摘されています。
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縄文時代の人類の核DNA解析

2016/09/03 00:17
 縄文時代の人類の核DNA解析結果を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2016)が報道されました。NHKでも報道されています。解説も公表されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の縄文時代(3000年前頃)の人類2人(男性と女性)の歯から核DNAのうち1億1500万塩基対を解析し、現代人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)も含む他の古代人と比較しています。これは、縄文時代の人類の核DNAの解析としては初の報告となります。なお、三貫地縄文人のミトコンドリアDNAのハプログループは、他の縄文人に関しても報告されていたN9bに分類されます。

 三貫地縄文人と現代人・他の古代人とのゲノムの比較の結果、三貫地縄文人は現代東ユーラシア集団の多様化の前に分岐し、他の大陸集団との間に遺伝子流動はなかった、と推測されました。現代人の各地域集団で三貫地縄文人と遺伝的に最も近縁なのはアイヌ人で、次に沖縄の琉球人、その次に東京周辺の集団でした。アイヌ人と沖縄の人々を除く現代の「本土日本人」に継承された縄文人ゲノムの割合は15%程度と推定されています。この研究は、現代日本人が縄文人と弥生時代以降の渡来系との交雑の結果として形成されたことが改めて確認された、と指摘しています。また、ネアンデルタール人やデニソワ人との比較では、三貫地縄文人は他の非アフリカ系現代人と比較して、遺伝的類似性に大きな差はないそうです。

 現時点では、縄文人の祖先集団は他の東ユーラシア集団と早期に分岐した後に日本列島に渡来し、遺伝的には比較的孤立して縄文時代の日本列島に居住し続けた後、弥生時代以降に渡来系と交雑し、現代の「本土日本人」が形成された、と考えられます。縄文時代の日本列島の人口は少ないと推定されており、弥生時代以降の渡来系も人数自体はさほど多くなかったのでしょうが、経済(本格的な水稲耕作)や文化(本格的な戦争文化)での優越により、縄文時代以来の在来系よりも人口増加率が高かった、ということなのかもしれません。ただ、縄文人とはいっても、年代は長期にわたり、地域は広範ですから、その遺伝的特徴は年代・地域によりかなり多様だったかもしれません。その意味で、縄文時代やその前後の時代の古代人のゲノム解析数が蓄積され、研究が進展することを期待しています。


参考文献:
Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2016): A partial nuclear genome of the Jomons who lived 3000 years ago in Fukushima, Japan. Journal of Human Genetics.
http://dx.doi.org/10.1038/jhg.2016.110
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『天智と天武〜新説・日本書紀〜』第10集・第11集発売

2016/09/02 00:17
 第10集と最終巻となる第11集が同時に発売されました。第10集には、

第78話「天啓」
http://sicambre.at.webry.info/201512/article_11.html

第79話「壬申の乱」
http://sicambre.at.webry.info/201512/article_26.html

第80話「奇襲」
http://sicambre.at.webry.info/201601/article_10.html

第81話「瀬田橋」
http://sicambre.at.webry.info/201601/article_28.html

第82話「決着」
http://sicambre.at.webry.info/201602/article_11.html

第83話「謎の訪問者」
http://sicambre.at.webry.info/201602/article_26.html

第84話「祟りの正体」
http://sicambre.at.webry.info/201603/article_11.html

第85話「最高級の名前」
http://sicambre.at.webry.info/201603/article_26.html

第11集には、

第86話「創作された聖人」
http://sicambre.at.webry.info/201604/article_10.html

第87話「夢殿」
http://sicambre.at.webry.info/201604/article_27.html

第88話「世界一の大仏」
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_11.html

第89話「怨霊封じの条件」
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_26.html

第90話「決闘」
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_11.html

第91話「厭魅の罪」
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_26.html

第92話「祟りの歴史」
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_10.html

第93話(最終回)「愛情」
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_27.html

が収録されています。それぞれの話については、上記の記事にて述べているので、ここでは繰り返しません。本作もついに完結となり、連載初期の頃よりこのブログで取り上げてきただけに、感慨深くも寂しくもあります。壬申の乱が駆け足気味に終わり、天武朝がわずか1ページの説明文のみだった時には、すぐに完結するのではないか、と愕然としました。しかし、希望していたほど長くなかったとはいえ、作中世界における上宮王家の謎もしっかりと解明されたので、満足しています。まあ、「解決編」というか「行信編」は長すぎたかな、とも思いますし、天智天皇だけではなく蘇我入鹿の子孫でもあることを知っているはずの行信の心情について、もっと明かしてほしかった気もしますが。

 追記・修正はとくになかったように思いますが、見落としがあるかもしれません。人物相関図では、行信・淡海三船・光明皇后(安宿媛)・聖武天皇(首皇子)が新たに登場し、大田皇女・大津皇子・有間皇子は退場しました。第11集では人物相関図に登場している人物のほとんどが故人扱いになっているのが寂しいところです。人物相関図の藤原四兄弟は、おそらく左から順に武智麻呂・房前・宇合・麻呂だと思います。そろそろ本作の検証を始めようと考えているのですが、未読の本・論文が多数あるので、なかなか執筆に取りかかる気になりません。
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古人類学の記事のまとめ(29)2016年5月〜2016年8月

2016/09/01 00:00
 2016年5月〜2016年8月のこのブログの古人類学関連の記事を以下に整理しておきます。なお、過去のまとめについては、2016年5月〜2016年8月の古人類学関連の記事の後に一括して記載します。私以外の人には役立たないまとめでしょうが、このブログは不特定多数の読者がいるという前提のもとに執筆しているとはいえ、基本的には備忘録的なものですので、今後もこのような自分だけのための記事が増えていくと思います。


●ホモ属登場以前の人類関連の記事

アメリカ大陸におけるサル類の移動
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_14.html

中期鮮新世の人類の多様性
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_9.html

ルーシーの死因
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_31.html


●ネアンデルタール人・現生人類以外のホモ属関連の記事

藍田人の年代の見直し
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_8.html

ギリシアの中期更新世の遺跡
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_19.html

150万年前頃の人類の足跡と社会構造
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_14.html

西アジアの中期更新世の人類の歯
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_7.html


●ネアンデルタール人関連の記事

気候変動によるネアンデルタール人の絶滅
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_13.html

ネアンデルタール人による洞窟深部の建造物
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_27.html

ネアンデルタール人との交雑による現生人類の適応度への影響
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_8.html

ネアンデルタール人像の見直し
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_19.html

2016年度アメリカ自然人類学会総会(ネアンデルタール人と現生人類の交雑について)
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_23.html

赤澤威、西秋良宏「ネアンデルタール人との交替劇の深層」
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_6.html

ベルギーで確認されたネアンデルタール人の食人行為
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_8.html

ドイツにおけるネアンデルタール人の人口変動
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_23.html


●フロレシエンシス関連の記事

中期更新世初期のフローレス島の人類化石
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_10.html

更新世フローレス島の人類はダウン症ではない
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_12.html

リアンブア洞窟における更新世の現生人類の痕跡
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_2.html


●現生人類の起源や象徴的思考に関する記事

上部旧石器時代初期における西アジアから北アフリカへの移動
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_22.html

更新世ヨーロッパの壁画の幾何学的な記号
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_5.html

篠田謙一「ホモ・サピエンスの本質をゲノムで探る」
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_30.html

中国での発見が書き換える人類史
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_15.html

門脇誠二「揺らぐ初期ホモ・サピエンス像 出アフリカ前後のアフリカと西アジアの考古記録から」
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_17.html

長沼正樹「考古学から見た人類活動の変化」
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_20.html

超巨大火山の噴火の仕組み
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_22.html

中期石器時代の気候変動と初期現生人類の革新的行動の関係
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_29.html

現生人類の拡散と多様性
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_31.html

現生人類に特異的な自閉症関連遺伝子
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_13.html

統合失調症の起源
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_17.html

仲田大人「日本旧石器時代の現代人的行動と交替劇」
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_20.html


●その他の記事

7000年前頃までのヨーロッパの現生人類の遺伝史(追記有)
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_4.html

顔面と頭部の毛髪に関連する遺伝子
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_10.html

北アメリカ大陸南東部における先クローヴィス期の人類の存在
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_18.html

David Christian『ビッグヒストリー入門 科学の力で読み解く世界史』
http://sicambre.at.webry.info/201605/article_28.html

複数回起きたかもしれないイヌの家畜化
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_4.html

ヨーロッパ勢力侵出前のオーストラリアの人類のミトコンドリアDNA
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_16.html

信頼性の印となる第三者による罰
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_18.html

古代DNAの解析でより詳細になる人類の進化史
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_21.html

諏訪元、山極寿一「プレ・ヒューマンへの想像力は何をもたらすか」
http://sicambre.at.webry.info/201606/article_25.html

白保竿根田原洞穴遺跡の十数体の人骨
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_1.html

長沼毅「ヒトの体と心のなりたちについて」
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_5.html

複数の形質に影響する遺伝学的多様体
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_7.html

早期新石器時代のザグロス地域の住民のゲノム解析
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_16.html

西アジアの初期農耕民のゲノム解析(追記有)
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_30.html

大規模化する社会における宗教の役割
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_32.html

人間社会における正直さと規則違反
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_4.html

人間の判断における偏り
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_10.html

アメリカ大陸最初の人類の移住経路(追記有)
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_12.html

社会的評判と社会的協力の関係
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_14.html

新生仔における母親との対面相互作用と後年の社交性との関係
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_16.html

父親の養育行動と母親の多産性との関係
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_18.html

アイスマンの衣服
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_21.html

攻撃の報酬性
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_23.html

親の社会的つながりを仔が相続する
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_25.html

アジアモンスーンの64万年間の記録
http://sicambre.at.webry.info/201608/article_27.html



過去のまとめ一覧

古人類学の記事のまとめ(0)
http://sicambre.at.webry.info/200709/article_29.html

古人類学の記事のまとめ(1)
http://sicambre.at.webry.info/200707/article_29.html

古人類学の記事のまとめ(2)
http://sicambre.at.webry.info/200712/article_31.html

古人類学の記事のまとめ(3)
http://sicambre.at.webry.info/200804/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(4)
http://sicambre.at.webry.info/200807/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(5)
http://sicambre.at.webry.info/200811/article_3.html

古人類学の記事のまとめ(6)
http://sicambre.at.webry.info/200812/article_26.html

古人類学の記事のまとめ(7)
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古人類学の記事のまとめ(8)
http://sicambre.at.webry.info/200909/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(9)
http://sicambre.at.webry.info/200912/article_26.html

古人類学の記事のまとめ(10)
http://sicambre.at.webry.info/201005/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(11)
http://sicambre.at.webry.info/201009/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(12)
http://sicambre.at.webry.info/201012/article_28.html

古人類学の記事のまとめ(13)
http://sicambre.at.webry.info/201105/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(14)
http://sicambre.at.webry.info/201109/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(15)
http://sicambre.at.webry.info/201112/article_28.html

古人類学の記事のまとめ(16)
http://sicambre.at.webry.info/201205/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(17)
http://sicambre.at.webry.info/201209/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(18)
http://sicambre.at.webry.info/201301/article_3.html

古人類学の記事のまとめ(19)
http://sicambre.at.webry.info/201305/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(20)
http://sicambre.at.webry.info/201309/article_5.html

古人類学の記事のまとめ(21)
http://sicambre.at.webry.info/201401/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(22)
http://sicambre.at.webry.info/201405/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(23)
http://sicambre.at.webry.info/201409/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(24)
http://sicambre.at.webry.info/201501/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(25)
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古人類学の記事のまとめ(26)
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古人類学の記事のまとめ(27)
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古人類学の記事のまとめ(28)
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ルーシーの死因(追記有)

2016/08/31 00:00
 これは8月31日分の記事として掲載しておきます。有名な人類化石「ルーシー(Lucy)」の死因に関する研究(Kappelman et al., 2016)が報道されました。朝日新聞でも報道されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。ルーシー(AL 288-1)はエチオピアで1974年に発見された318万年前頃の人類化石で、アウストラロピテクス属のアファレンシス(Australopithecus afarensis)に分類されています。300万年以上前の化石にも関わらず、保存状態が良好だったため、発見当初から大きな注目を集めてきました。

 この研究は、ルーシーの骨格のCTスキャンから、ルーシーの右上腕骨が通常では見られないくらい鋭く折れていることを明らかにしています。これは衝撃の瞬間に受け身を取るため両腕を伸ばしたことを示しているのではないか、と推測されています。足首・膝・骨盤・肋骨にも骨折の痕跡が見られ、治癒した痕跡がないことから、この骨折が原因でルーシーは死んだのではないか、と考えられています。また、内臓も重度の損傷を受けたのではないか、と推測されています。

 この研究は、ルーシーの骨格に見られる損傷の特徴から、かなりの高さ(12m以上)からの落下であり、ルーシーは高い木から落下したのではないか、と推測しています。ルーシーはその形態から直立二足歩行を上手く行なっていたものの、樹上生活にも適応していたのではないか、と考えられています。そのため、この研究により、アファレンシスが地上での直立二足歩行だけではなく、樹上生活にも適応していたことが改めて確認された、と指摘されています。もっとも、高さ12m以上からの落下となると、崖もしくは小高い丘からだったのではないか、とも考えられますが。


参考文献:
Kappelman J. et al.(2016): Perimortem fractures in Lucy suggest mortality from fall out of tall tree. Nature, 537, 7621, 503–507.
http://dx.doi.org/10.1038/nature19332


追記(2016年9月22日)
 ナショナルジオグラフィックで報道されました。また、論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



古生物学:ルーシーに見られる死戦期の骨折は高木からの落下による死を示唆する

古生物学:猿人「ルーシー」は墜落死した?ブックマーク

 「ルーシー」は、絶滅ヒト族であるアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の有名な部分骨格標本である。彼女は、300万年余り前に現在のエチオピアに当たる地域で生活していた。今回J Kappelmanたちは、ルーシーの骨を新たに分析してその死因を絞り込んだ。その結果、高木からの落下で負った怪我が命取りになったことが示唆された。アファール猿人は、二足歩行する能力がありながら、木登りも得意であったと長年考えられてきた。しかし、そうした適応には他の諸リスクが伴い、それでルーシーの命運が尽きてしまったのかもしれない。
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村井章介『シリーズ日本中世史4 分裂から天下統一へ』

2016/08/30 00:00
 これは8月30日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年7月に刊行されました。すでに第1巻第2巻第3巻はこのブログで取り上げています。本書は戦国時代〜17世紀前半までを扱っています。中世から近世への移行期が対象と言えるでしょうか。本書の特徴は、「対外関係」や当時は日本に「包摂」されきっていなかった地域というか、「日本」の「周辺地域」に関する叙述が中心となっていることです。本書はこのように「対外関係」や「周辺地域」を中心に据えることで、近世日本の特異な社会・政治構造がどのように形成されたのか、論じています。

 本書がこのように「対外関係」や「周辺地域」を中心に論じているのは、近世日本の形成が世界的な動向のなかに位置づけられている、との認識が前提にあるためです。確かに、ヨーロッパ勢力との接触のように、本書が対象とする時代において日本は世界の動向に大きく影響されました。しかし、本書は一方で、ヨーロッパ勢力との出会いが近代以降の日本では強調される傾向にあるものの、ヨーロッパ勢力の東アジア・東南アジアへの拡大は、じゅうらいのアジア東部における交易の枠組みの中で起きたことも指摘しています。

 このように「対外関係」や「周辺地域」が中心に論じられているため、戦国大名の支配や当時の社会の構造についてはやや手薄になっている感があり、この点は残念でした。また、本書が対象とする時代は現代日本社会ではたいへん人気が高いのですが、英雄譚的な叙述とはなっていないので、この点では一般受けする内容ではなさそうです。とはいえ、世界的な動向からの中近世移行期の通史として、なかなか堅実な内容になっていると思います。
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大河ドラマ『真田丸』第34回「挙兵」

2016/08/29 00:00
 これは8月29日分の記事として掲載しておきます。家康暗殺に失敗した三成は謹慎することになりますが、前田利家の死後、加藤清正・福島正則・細川忠興たちは三成を襲撃します。三成は伏見城の「治部少丸」と呼ばれる曲輪へと逃げます。旧説というか俗説ではこの時三成は家康邸に逃げたとされていますが、今回は新説が採用されており、これは作風からして予想通りでした。三成を引き渡せという清正・正則・忠興たちの要求を家康は退け、三成を蟄居させます。今回明かされなかった三成と清正との会話も気になるところですが、これは三成死後に清正から明かされるのでしょうか。三成と清正は単純な敵対関係として描かれておらず、なかなか興味深いと思います。

 三成を隠居に追い込んだ家康の政治的優位は確立し、家康は謀反の疑いのかかった上杉景勝に上洛を命じますが、景勝は家康との対決を覚悟し、重臣の直江兼続が家康に書状を送ります。そこには、秀吉死後の家康の振る舞いへの批判が書かれていました。家康は上杉家の討伐を決断します。景勝は昌幸に、味方に就くよう密書を送り、昌幸は上杉に就くことを決断します。昌幸は、家康を倒した後再び訪れるだろう戦乱の世で、武田家の旧領を取り戻そうと考えていました。家康が上杉討伐軍を率いて大坂城を出た後、三成は宇喜多秀家たちとともに反家康の兵を挙げます。重要人物では、後藤又兵衛が初登場となりますが、今回は顔見世程度の出番でした。今回もなかなか密度の濃い描写でした。いよいよ関ヶ原の戦いが近づいてきました。次回は昌幸・信繁と信幸との決別が描かれるようです。中盤の山場となるでしょうから、楽しみです。
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