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mtDNAハプログループL3系統の起源

2018/06/25 04:31
 現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループL3系統の起源に関する研究(Cabrera et al., 2018)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)の起源がアフリカにあることは、今では通説となっています。非アフリカ系現代人では、mtDNAのハプログループのうち、L3系統から派生したMおよびN系統のみが見られます。一方、アフリカ系現代人においては、L3系統のみならず、L0・L1など多様な系統が見られます。mtDNAハプログループにおいて、まずL0系統とその他の系統がし、次にL1系統とL2〜6系統が、といったように分岐していきました。

 L3系統はアフリカの多様な系統のなかの下位区分の一つにすぎず、非アフリカ系現代人のM・N系統は、そのL3系統のさらに下位区分にすぎない、というわけです。mtDNAでは、非アフリカ系現代人の多様性はアフリカ系現代人よりもずっと乏しくなっています。これはY染色体DNA(YD)においても同様で、まずハプログループA系統が他系統と、次にB系統と他系統とが分岐し、A・B系統はアフリカ系現代人のみに見られます。Y染色体DNAでも、非アフリカ系現代人の多様性はアフリカ系現代人よりもずっと低くなっています。

 L3系統において、非アフリカ系現代人のM・N系統でも、アフリカのL3系統でも推定合着年代は71000年前頃で、大きな違いはありません。そのため、現生人類の出アフリカは70000〜55000年前頃で、M・N系統はアフリカかその周辺地域で分岐した、と推定されてきました。現生人類の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。経路に関しては、アフリカ東部→アラビア半島南岸→西アジア南岸→南アジアという南岸経路説と、アフリカ北東部→シナイ半島→レヴァントという北方経路説とが提示されています。

 現在はやや優勢かもしれない南岸経路説では、mtDNAハプログループM・N系統はアフリカもしくはその周辺地域でL3系統から分岐し、ユーラシア南岸経由でオセアニアへと急速に到達した、と想定されています。したがって、アフリカからオセアニアにかけて(西から東にかけて)、mtDNAハプログループ間の分岐年代は新しくなっていく、と予想されます。しかし、mtDNAハプログループM・Nで最古の系統は東アジア南部とオセアニアに存在します。また、ハプログループM・N系統におけるそれぞれの合着年代は、西から東へという予想とは逆に、東から西へと新しくなっていきます。

 また、現生人類の出アフリカの年代に関しても、レヴァントには12万〜8万年前頃に初期現生人類が存在していましたし、ユーラシア東部では中国南部で12万〜8万年前頃の現生人類的な歯が発見されていますから(関連記事)、南岸経路説の想定よりも前に現生人類がアフリカからユーラシアへと拡散していたことになります。もっとも、これに関しては、こうした最初期のアフリカ外現生人類集団は、絶滅したか、非アフリカ系現代人にほとんど遺伝的影響を与えていない、とも説明できます。

 そこで本論文は、現生人類の出アフリカ経路の北方説を前提に、以前から一部で主張されていた、mtDNAハプログループL3系統のアジア起源説を検証しています。本論文の北方経路説の注目点は、現生人類の出アフリカの年代を125000年前頃と推測していることです。これにより、ユーラシア各地の初期現生人類(的な)化石の存在を説明できる、というわけです。もっとも、本論文はすでに昨年(2017年)査読前に公開されていたので、今年になって公表された研究は引用されていませんが、今年1月に、レヴァントの現生人類的な上顎の推定年代は194000〜177000年前頃になる、という研究が公表されています(関連記事)。したがって、このレヴァントの現生人類(的な)集団は早期にアフリカに撤退したと考えるか、本論文の出アフリカの年代を繰り上げる必要がありそうです。

 その問題はさておき、本論文が注目したのは、アフリカにおけるYDハプログループEの分布です。YDハプログループEは、一般的にはアフリカ起源と考えられていますが、ユーラシア起源ではないか、との見解も以前から提示されていました。本論文はまず、YDハプログループE系統とD系統との分岐年代が69000±14700年前と推定されており、L3系統における推定合着年代と近い、と指摘します。さらに本論文は、アフリカ内において、mtDNAハプログループL3系統とYDハプログループE系統との頻度分布が強い正の相関関係にある、と指摘します。しかし、この相関関係は、地理的および言語的には強く現れていませんでした。文化的相関関係は見られない、というわけです。これは、mtDNAハプログループL3系統とYDハプログループE系統との頻度分布の強い正の相関関係が、後期更新世もしくは完新世以降の大規模な移動、たとえば農耕民の拡散といった事象の反映ではないことを示しているのかもしれません。

 M・N系統におけるそれぞれの合着年代と地理的分布の関係、mtDNAハプログループL3系統とYDハプログループE系統の分布頻度の正の相関関係、化石記録、古気候などを根拠として、本論文は以下のような仮説を提示しています。まず、125000年前頃に、L3系統の祖型を有する現生人類がアフリカからユーラシアへと、シナイ半島→レヴァントを経由して中央アジアまで拡散しました(北方経路説)。中央アジアのヒマラヤ山脈に近いあたりで、L3系統の祖型を有する現生人類集団からL3系統が分岐し、75000年前頃以降の寒冷化にともない、南下しつつ東西へと拡散しました。西方へと向かった現生人類集団はL3基底部系統を有してアフリカへと拡散していきました。mtDNAハプログループL3系統の推定合着年代と、YDハプログループEとDの推定分岐年代から、E系統のアフリカへの推定流入年代は7万年前頃です。この頃に一部現生人類集団がユーラシアからアフリカへと「戻った」と推測されます。一方、ユーラシアに留まったL3系統からMおよびN系統が分岐し、6万年前頃よりユーラシア各地、さらにはオセアニアへと拡散していきました。また、このような初期現生人類集団の移動には、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属の存在も影響を与えたかもしれません。

 以上、本論文の見解についてざっと見てきました。現生人類の拡散はアフリカからユーラシアへの一方通行だけではなかった、との見解は以前から提示されていましたし(関連記事)、mtDNAハプログループL3系統のユーラシア起源説についてもわずかながら情報を得ていたので、本論文の見解に驚愕することはありませんでしたが、じゅうらいの有力な仮説を否定するものだけに、一定以上の衝撃はあります。本論文の想定では、初期現生人類集団の拡散において性的非対称はなかったか強くなかったように思われますが、この観点からの研究の進展も期待されます。本論文の見解を確証するには、更新世の古代DNA解析数の蓄積が必要となるので、現時点では全面的に支持することはできません。本論文で問題となる期間・地域の人類遺骸はそもそも少なく、さらに低緯度地帯では更新世の古代DNA解析は困難という事情もありますが、この分野の技術革新には目覚ましいものがあるので、今後の研究の進展が大いに期待されます。


参考文献:
Cabrera VM. et al.(2008): Carriers of mitochondrial DNA macrohaplogroup L3 basal lineages migrated back to Africa from Asia around 70,000 years ago. BMC Evolutionary Biology, 18:98.
https://doi.org/10.1186/s12862-018-1211-4
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『コズミック フロント☆NEXT』「ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか?」

2018/06/24 18:53
 BSプレミアムでの放送を視聴しました。時間的制約があるなかで、近年の諸研究成果がよく取り込まれた構成になっていましたし、諸遺跡の映像やドラマ仕立ての再現映像には迫力がありました。最近、NHKスペシャルでもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が取り上げられ、なかなかよかったと思いますが、本番組はそれ以上の出来だったと思います(関連記事)。時間的制約があるので、ある見解を取り上げ、その都度異論・反論も紹介することは難しく、ある程度偏ってしまうのは仕方のないところだと思います。本番組はそれでも、かなりのところ穏当な構成になっていたと思います。以下、本番組では取り上げられなかった異論にも触れつつ、感想を述べていきます。

 全体的な構成は、前半でネアンデルタール人がどのような人類だったのか紹介し、後半でネアンデルタール人の絶滅理由を推測する、というものでした。全体的に、言語能力や象徴的行動など、じゅうらいはネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との違いが強調されていた分野でも、両者の類似性が指摘されていました。近年のネアンデルタール人見直しの傾向(関連記事)が強く反映されていたように思いますが、その傾向はおおむね妥当だろう、と私は考えています。本番組では、ネアンデルタール人のヨーロッパ進出は30万年前頃とされていましたが、43万年前頃にはイベリア半島北部に最初期ネアンデルタール人もしくはネアンデルタール人の祖先集団、あるいはそのきわめて近縁な集団が存在していたと考えられるので(関連記事)、ネアンデルタール人のヨーロッパ進出は30万年前よりもさかのぼる可能性が高いと思います。

 ネアンデルタール人の絶滅に関して本番組では、ヨーロッパでは39000年前頃までに起きた、とされていましたが、イベリア半島では37000年前頃までネアンデルタール人が存在していたかもしれない、との見解も提示されています(関連記事)。ネアンデルタール人の絶滅理由については多くの仮説があります(関連記事)。本番組では、食人説・現生人類との闘争(戦争)説・遺伝的多様性の喪失説が取り上げられていました。食人説では、ネアンデルタール人社会において食人行為が見られることから、伝達性海綿状脳症が広がり、人口が減少していき、やがて絶滅したのではないか、と想定されます。当ブログでも最近この説を否定的に取り上げましたが(関連記事)、本番組でも、ネアンデルタール人の食人行為には儀式的側面が強く、食人行為の最盛期は10万年前頃で、そもそもネアンデルタール人社会において広く食人行為が見られるわけでもないので、絶滅の要因ではないだろう、と指摘されていました。

 現生人類との闘争(戦争)説は、現生人類がヨーロッパに拡散してきた頃のネアンデルタール人遺骸に殺害の痕跡があることから主張されました。本番組では、当時は食料が豊富で土地は広かった、との理由から闘争説が否定されていました。しかし、ネアンデルタール人社会では飢餓が日常的だった、との見解も提示されており(関連記事)、現生人類がヨーロッパに拡散してきた頃のネアンデルタール人社会において食料が豊富だったのか、疑わしいと思います。ただ、当時の人口密度の低さから考えると、現生人類とネアンデルタール人との間で闘争はあったにせよ、おそらくその頻度は低く、ネアンデルタール人の絶滅要因ではなかったと思います。

 遺伝的多様性の喪失説が、本番組では有力視されています。ネアンデルタール人は過酷な環境で小集団を形成して暮らしており、近親交配を繰り返して遺伝的多様性が失われていき、病気への抵抗力が低下していった結果、人口が減少して絶滅したのではないか、というわけです。現生人類がヨーロッパへ拡散してきたさい、現生人類はネアンデルタール人社会に伝染病を持ち込み、ネアンデルタール人社会に大打撃を与えたのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。

 ネアンデルタール人の遺伝的多様性低下の根拠として、アルタイ地域のネアンデルタール人集団では近親交配が繰り返されていた可能性がある(関連記事)、と指摘されていました。しかし、本番組では言及されていませんでしたが、クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列では、近親交配の痕跡は見られませんでした(関連記事)。おそらく、人口密度の点から考えても、ネアンデルタール人社会において近親交配の頻度は現代社会よりも高かったのでしょうが、それでも、一般的とまでは言えないのかもしれません。

 ただ、近親交配が一般的ではなかったとしても、ネアンデルタール人の遺伝的多様性が現代人より低かった可能性は高いと思います。もちろん、現時点でのネアンデルタール人の遺伝的多様性は、あくまでもDNA解析に成功したごく少数の個体に基づくもので、今後増加していく可能性は高いでしょう。しかし、長期の年代ではなく、ある時点での遺伝的多様性では、人口比からいって、ネアンデルタール人の遺伝的多様性は現代人より低かったでしょう。本番組でも、ネアンデルタール人は何度も寒冷化のような厳しい環境を経験してきた、と指摘されていましたが、そのさいにある地域集団が絶滅したことも珍しくなかったのではないか、と思います。じっさい、西方の後期ネアンデルタール人集団の間では、相互に移動・置換があったのではないか、と推測されています(関連記事)。

 おそらく、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返しており、寒冷期に人口が減少し、温暖期に人口が増加したのではないか、と思います(関連記事)。この過程で、ボトルネック(瓶首効果)によりネアンデルタール人の遺伝的多様性は低下します。また、ネアンデルタール人は複数の小規模集団に細分化されていき、集団間相互の交流は稀だった、との見解も提示されています。おそらく、ネアンデルタール人の個々の集団の遺伝的多様性はかなり低かったのでしょう。

 それでも、他に強力な競合者がいなければ、寒冷期に減少したネアンデルタール人は温暖期には人口が増加し、その繰り返しで数十万年にわたってヨーロッパで存続してきたのでしょう。しかし、48000年前頃のハインリッヒイベント5における寒冷化・乾燥化によりヨーロッパのネアンデルタール人の人口が減少した後、ヨーロッパには現生人類という強力な競合者が拡散してきた、と推測されています(関連記事)。じゅうらいは、ヨーロッパには競合者がいなかったので、ネアンデルタール人の人口は温暖期には増加していったのですが、他集団とのつながりなどの社会組織や技術革新の点で現生人類がネアンデルタール人にたいしてわずかでも優位に立っていたのだとしたら、ネアンデルタール人は最終的に現生人類への吸収・同化も含む形で敗北し、絶滅したのかもしれません。

 もっとも、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは非アフリカ系現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。本番組でもネアンデルタール人と現生人類との交雑が取り上げられていましたが、ドラマ風の再現映像では、ネアンデルタール人男性と現生人類女性との間に娘が生まれた、という演出になっていました。ネアンデルタール人と現生人類との交雑においては、本番組の再現映像のように、ネアンデルタール人男性と現生人類女性との組合せだった、との理解が一般には根強いように思えますが、交雑の組合せに性的非対称があったのか、現時点では不明だと思います(関連記事)。
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大河ドラマ『西郷どん』第24回「地の果てにて」

2018/06/24 18:51
 西郷吉之助(隆盛)は薩摩藩の国父である島津久光の命に逆らったため、徳之島へと流罪となります。そこへ愛加那(とぅま)が子供二人とともに訪ねてきます。妻子との再会に吉之助は喜び、穏やかな日々を過ごします。上京した久光の工作もあり、中央政界では安政の大獄にて失脚した一橋(徳川)慶喜と松平春嶽が復権し、慶喜は将軍後見職、春嶽は政事総裁職に就任します。久光は慶喜・春嶽と面会しますが、慶喜は久光を徹底的に侮辱し、自分と話をしたいのなら吉之助を連れてこい、と言います。

 吉之助は徳之島から沖永良部島へと流されることになり、穏やかで楽しき日々はわずか5日で終わりとなります。吉之助は沖永良部島では牢に閉じ込められることになり、かなり自由だった大島(奄美大島)の時とは異なる流罪生活となります。薩摩からの書状により、海江田武次(信義、有村俊斎)と大山格之助(綱良)が久光の側近として台頭する大久保一蔵(正助、利通)に反感を抱くようになった、と吉之助は知ります。さらに、同じく沖永良部島に流罪となって10年以上が経過していた川口雪篷は、本当は吉之助には粗食を与えるよう命令が出ている、吉之助にいつ切腹命令が下るか分からない、と真相を伝えます。それでも吉之助は一蔵を信じ、粗食に耐えて衰弱していきます。

 今回は吉之助の2回目の島流しが描かれました。正直なところ、物語としてはさほど面白くはなかったのですが、2回目の島流し編の評価は時期尚早といった感じで、次回で吉之助の心境がどう描かれるのか、注目しています。中央政界の話も少し描かれ、慶喜は久しぶりの登場となります。慶喜が吉之助の名前を出したのは、江戸編の創作(だと思います)が活かされていて、まずまずよかったと思います。海江田武次と大山格之助の一蔵への反感、とくに後者は、明治時代になっての展開の布石とも考えられるので、明治編でどのように描かれるのか、楽しみです。
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森恒二『創世のタイガ』第3巻(講談社)

2018/06/24 07:33
 本書は2018年6月に刊行されました。第1巻第2巻がたいへん面白かったので、第3巻も楽しみにしていました。第3巻は、タイガと現生人類(Homo sapiens)の少女ティアリとの出会いから始まります。タイガは、仲間の女性がネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に襲われていると勘違いして助けに行ったのですが、襲われていたのはティアリだった、というわけです。タイガは、言葉が通じないながらも、自分の根拠地に案内してくれいないか、とティアリに頼み、タイガに恩を受けたティアリは、恩を返さねばならない、と考えてタイガを案内することにします。ティアリは、自集団の賢者ムジャンジャに、受けた恩は必ず返さねばならない、という教えを受けていました。

 ティアリはタイガに生きていくための知恵がほとんどないことに呆れ、タイガの方もそれを自覚し、早く旧石器時代で生きていく術を学ぼうとします。そんな二人を、ネアンデルタール人が集団で執拗に追いかけます。タイガは、ネアンデルタール人には自分たちと変わらない知性があるのか、と感心しますが、ティアリと同じく、どう対処すべきか、名案が浮かびません。しかし、狼が近づいていることを知ったタイガは、狼を利用して見事にネアンデルタール人たちを殲滅することに成功します。ティアリはタイガの勇気と知恵に感嘆しますが、タイガは人間を殺したことに落ち込み、悩んでいました。

 ネアンデルタール人を殲滅した現場からやや離れたところで、タイガとティアリは狼の子供2匹を発見します。タイガはそのうち1匹を手なずけ、ティアリとともに自分たちの根拠地にたどり着きます。しかし、そこには仲間はおらず、洞窟には大量の乾いた血が残されていました。タイガは絶望し、号泣しますが、仲間の死体がないことから、殺されたのではなく連行された可能性も考えます。タイガは、無気力状態の自分を支えてくれたティアリに感謝します。

 タイガと狼の子供はティアリに導かれて、ティアリの集団の根拠地らしき場所まで到達します。そこには、タイガの仲間のうち男性3人が囚われており、女性3人は他の場所で働かされていることが明らかになります。ティアリは何とかタイガを自集団に受け入れさせようとしますが、ティアリの仲間はタイガを受け入れようとはしません。そこへ賢者ムジャンジャが現れ、ティアリの主張するようにタイガが戦士だというのなら証明するのだ、とティアリを諭します。タイガはその証明のために、ティアリの仲間のナクムという屈強な男性と戦うことになり、両者が対峙するところで第3巻は終わりです。


 第3巻は、タイガとティアリの出会いから、ネアンデルタール人との戦いを経て、狼の子供を手なずけ、ティアリの集団と出会い、タイガが仲間たちのうち男性陣と再会したところまで描かれました。特殊な舞台ではありますが、普遍的なサバイバルドラマとしての性格が強くなっています。やはり、広く受け入れられるには、普遍的な物語として面白い必要があるのでしょうが、その点では本作は成功しているように思います。格闘場面は、漫画として迫力のある描写になっていたと思います。また本作は、狼の子供もそうですが、動物の描写がとくに優れていると思います。

 本作は普遍的な物語としても面白いのですが、人類進化史に関心のある私は、第1巻の帯に「人類創世の謎を解き明かす、命懸けの冒険が始まる!」とあったことから、謎解き要素の方も大いに気になります。第3巻では、タイガが狼の子供を手なずけましたが、これは、現生人類が狼を家畜化(犬)したことでネアンデルタール人にたいして優位に立ち、ネアンデルタール人は絶滅に追いやられた、との見解(関連記事)を意識したものかもしれません。今後、タイガが手なずけた狼の子供がどのような役割を担うのか、注目されます。

 謎解き要素という点で気になるのは、相変わらず、旧石器時代の女性はティアリしか登場していないことです。第3巻ではティアリの集団の根拠地らしき場所が描かれましたが、そこにも男性しかいないようでした。ティアリの集団に囚われたタイガの仲間たちのうち、女性陣は離れたところで働かされている、とのことでしたから、女性はもっと奥にというか、もっと安全と考えられている場所にいるのかもしれません。タイガがたどり着いた場所は、集落もしくは本城の前線にある要塞・出城といったところでしょうか。

 ネアンデルタール人の方も女性がまだ登場していませんが、こちらも現生人類の殺害は成人男性の役割と決まっており、女性や子供は後方の集落にいるのかもしれません。ネアンデルタール人が自分たちの活動範囲に侵出してきた現生人類を敵視するのは分かりますが、本作におけるネアンデルタール人の現生人類にたいする敵意は、尋常ではないようにも思えます。その敵意の理由は本作の謎解き要素の鍵になるのではないか、と思います。また、今のところは現生人類とネアンデルタール人の敵対的関係しか描かれていませんが、両者の友好的な関係も描かれるのか、という点も注目しています。第4巻の刊行も今から楽しみです。
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ネアンデルタール人の雌とホモサピエンスの雄は生殖することがほとんどないか、全くない?

2018/06/23 07:29

 「人が動物とセックスすると何が起きるのか?」と題した記事がそこそこ話題になっており、以下のように述べられています。

一方で、比較的近い祖先を持っていれば、異種動物であってもつがいを持つことができます。私たちホモサピエンスはネアンデルタール人と子どもを持つことが可能。
ただし、これはホモサピエンスが雌で、ネアンデルタール人が雄の場合のみ。その逆の、ネアンデルタール人の雌とホモサピエンスの雄は生殖することがほとんどないか、全くないかです。


 本文中ではこの見解についてとくに根拠は提示されていません。現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の交雑の組合せについては最近言及しましたが(関連記事)、その主流の組合せが現生人類女性とネアンデルタール人男性だったのか、それともその逆だったのか、現時点では判断できるだけの根拠はないと思います。しかし、上記の記事のように、現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せだった、との見解は一般にもそれなりに根強く浸透しているように思います。

 これは、現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)にはネアンデルタール人由来のものはない、という事実(と言ってもよいと思います)がよく知られているからでしょう。mtDNAは基本的には母系のみで継承されます。しかし逆に、基本的には父系のみで継承されるY染色体DNA(厳密には、X染色体との間でわずかながら組み換えはありますが)も、現代人ではネアンデルタール人由来のものは見つかっていません(関連記事)。したがって、現代人の性染色体を根拠に、現生人類とネアンデルタール人の交雑の組合せが現生人類女性とネアンデルタール人男性だったのか、あるいはその逆だったのか、また両方あり得たのか、判断することはできません。

 現生人類とネアンデルタール人の交雑の組合せは現生人類女性とネアンデルタール人男性だった、という仮説の根拠となり得るのは、現代人の常染色体と性染色体とで、ネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なることです。現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度です(関連記事)。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。

 ネアンデルタール人と現生人類との交雑において、ある程度は配偶行動の性的非対称があったかもしれません。しかしおそらくは、遺伝的不適合と偶発系統損失により、ネアンデルタール人のDNAはわずかながら現代人に継承されても、ネアンデルタール人のmtDNAもY染色体DNAも現代人には継承されなかったのではないか、と思います。mtDNAもY染色体DNAも基本的に母系・父系での単系統遺伝となるので、系統損失が生じやすくなります。

 たとえば、ネアンデルタール人の父親と現生人類の母親との間の子供で、現代にも子孫を残しているのが女性のみだった場合、もしくは男性の子供もいたものの、その男性の子供には女性しかいなかったような場合、ネアンデルタール人由来のDNAは現代人に伝わっても、ネアンデルタール人由来のmtDNAもY染色体DNAも現代人には伝わりません。現生人類の父親とネアンデルタール人の母親という逆の組み合わせでは、現代にも子孫を残しているのが男性のみだったか、女性の子供もいたものの、その女性の子供には男性しかいないと、やはりネアンデルタール人由来のmtDNAもY染色体DNAも現代人には伝わりません。

 現生人類がネアンデルタール人と接触して交雑した時、現生人類の人口がネアンデルタール人よりも多かった場合、配偶行動の組合せが男女もしくはその逆のいずか、あるいはその両方でも、ネアンデルタール人由来のmtDNAもY染色体DNAも失われやすくなるでしょう。現生人類とネアンデルタール人との交雑において、配偶行動の性的非対称があったと仮定するよりは、人口の多寡や遺伝的不適合の方が、現代人にはネアンデルタール人由来のDNAがわずかながら存在するものの、ネアンデルタール人由来のmtDNAもY染色体DNAも存在しない、という事実の説明としてはより節約的ではないか、と思います。
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現生人類はどのように進化したのか

2018/06/22 18:02
 現生人類(Homo sapiens)の起源に関する研究史を整理した論文(Galway-Witham, and Stringer., 2018)が公表されました。本論文の一方の著者である、現生人類アフリカ単一起源説の大御所であるストリンガー(Chris Stringer)氏の近年の見解(関連記事)を改定するものとも言えそうで、現生人類の起源に関する研究史と現状が簡潔に解説されており、図も分かりやすく、たいへん有益だと思います。本論文の見解はおおむね妥当だと思いますが、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との分岐年代が50万年前頃以降とされているのは、やや新しすぎるのではないか、と思います。ネアンデルタール人とデニソワ人とは、遅くとも43万年前頃には明らかに分岐していたと考えられるからです(関連記事)。

 現生人類の起源に関しては、1980年代に多地域進化説とアフリカ単一起源説との間で激論が展開されましたが、当時は、どちらが妥当なのか、判断するのに充分な証拠はまだ得られていませんでした。多地域進化説では、100万年以上前にユーラシア大陸に広範に拡散したホモ属が、他地域集団との複雑な相互作用(交雑)を経て、その地域で現代の各地域集団へと進化した、と想定されました。アフリカ単一起源説では、現生人類共通の派生的特徴はアフリカでのみ進化し、10万〜5万年前頃以降に現生人類がアフリカから世界各地へと拡散した、と想定されました。アフリカ単一起源説は、現生人類が世界各地へと拡散したさい、ネアンデルタール人など先住ホモ属と完全に置換したとする見解(完全置換説)と、低頻度ながら交雑して現代の地域集団が形成された、とする見解(交配説)とに区分できます。

 1980年代後半以降、現生人類の起源に関して遺伝学的研究が発展し、まずはミトコンドリアDNA(mtDNA)、次にY染色体DNAが対象となり、21世紀になってからは、ゲノム解析によりさらに高精度の遺伝学的研究が進みました。当初、mtDNAでもY染色体DNAでも、現代人の間では推定合着年代が多地域進化説の想定よりずっと新しかったことから、アフリカ単一起源説が優勢となりました。さらに、ネアンデルタール人のmtDNA解析により、現生人類とネアンデルタール人の間には明らかな違いがあることから、完全置換説が優勢となりました。もちろん、遺伝的証拠だけではなく、化石証拠の蓄積や年代測定技術の改良もあり、そうした証拠もアフリカ単一起源説を優勢としていきました。

 しかし、本論文が指摘するように、現代人だけではなくネアンデルタール人のゲノム解析も進められると、現生人類とネアンデルタール人の交雑が明らかになり(関連記事)、アフリカ単一起源説のなかでも完全置換説は見直しが必要となりました。この交雑はユーラシア大陸において起きたと考えられていますが、本論文は、アフリカ大陸においても現生人類と古代型ホモ属との交雑が起きた可能性を想定し、まだ最古でも15000年前頃となるアフリカの古代DNA解析(関連記事)がさらにさかのぼることを期待しています。1990年代になると、次第に劣勢になっていった多地域進化説は、複雑な相互作用を想定しつつも、基本的には現代の各地域集団は同じ地域で100万年近く独自に進化してきた、とするじゅうらいの見解(旧多地域進化説)から、ネアンデルタール人などユーラシア大陸の先住人類は数的に圧倒的に優勢な外来の現生人類に吸収されて消滅した、という見解(新多地域進化説)へと変わりました(関連記事)。

 2010年以降、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人との交雑が明らかになってきたことから、多地域進化説の復権も一部で言われています。そうした見解では、たとえば、顔面があまり突出していないなどといった点で、現生人類的とされる30万年前頃のモロッコの化石(関連記事)と、中国の陝西省大茘(Dali)で発見されたホモ属化石との、頭蓋形状の類似が指摘されています。しかし本論文は、現生人類の頭蓋形状の進化は漸進的で(関連記事)、大茘化石とジェベルイルード化石の頭蓋形状の類似点は派生的というよりも祖先的ではないか、と指摘しています。

 本論文は、アフリカでのみ現生人類に共通する派生的特徴が進化した、とするアフリカ単一起源説の基本は現在でも有力だ、と指摘します。ただ、本論文の図では、現生人類に共通する派生的特徴はアフリカの単一地域のみではなく複数の地域で進化し、交雑によりアフリカ全体に拡散していった、という見解が採用されています。これは、現生人類アフリカ単一起源説でも、「アフリカ多地域進化説」と呼ばれる見解です(関連記事)。

 本論文は、旧多地域進化説も完全置換説も現在ではほぼ否定されており、アフリカ起源の現生人類とネアンデルタール人など古代型ホモ属との間に、交雑を含む複雑な相互作用があり、古代型ホモ属は現生人類に同化された、との見解が現在は最有力だと主張します。じゅうらいの現生人類の起源に関する仮説群でいえば、交配説が現時点では最も妥当だと言えそうです。もっとも、現生人類の出現や出アフリカの年代など、1980年代の交配説が現在でもそのまま通用するわけではありませんが。

 このように、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人との交雑が明らかになってくると、現生人類とネアンデルタール人とは同一種ではないか、との見解が復活してくるのも当然と言えます。形態学的には、頭蓋・中耳・内耳などの相違から、現生人類とネアンデルタール人は別種だと考えられてきました。また、ネアンデルタール人の芸術的活動の証拠も蓄積されつつあり(関連記事)、そうした観点からも、ネアンデルタール人と現生人類との類似性が強調されつつあります。

 種の概念は長く議論されており、すべての事例を整合的に説明できる種区分は事実上存在しないと思います。それでも本論文は、種の概念には生物学的根拠が必要で、ネアンデルタール人の洗練された能力は、現生人類との交雑にも関わらず、両者が同一種であることを意味しない、と強調します。これは、新多地域進化説において、サピエンス(Homo sapiens)は150万年以上前から存在している、と主張されていること(関連記事)を強く意識し、それは妥当ではない、と反論するためでもあるのでしょう。

 新多地域進化説では、一般的にはエルガスター(Homo ergaster)やエレクトス(Homo erectus)と区分される初期ホモ属種も、サピエンスと区分されています。人類単一種説を継承し、ホモ属単一種説を前提とした旧多地域進化説を何とか生かそうとすると、150万年以上前から現在までホモ属は単一種(Homo sapiens)だった、と主張せざるを得なかった、という側面もあるのでしょう。さすがに、新多地域進化説のこの種区分を支持する研究者はひじょうに少ないと思われます。


参考文献:
Galway-Witham J, and Stringer C.(2018): How did Homo sapiens evolve? Science, 360, 6395, 1296-1298.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aat6659
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有袋類の系統樹の見直し

2018/06/21 16:42
 有袋類の系統樹を見直した研究(Bi et al., 2018)が公表されました。哺乳類における有胎盤類と有袋類の、さらにはそれらの上位単系統群である真獣類と後獣類の間の分岐年代は、複数の分子証拠からジュラ紀と推定されています。この推定を補強する証拠として、中国北東部の後期ジュラ紀前期(約1億6000万年前)の層から発見された、最古の真獣類とされるジュラマイア(Juramaia)があります。一方、最古の後獣類とされてきたシノデルフィス(Sinodelphys)は、地理的には同じではあるものの、年代が3500万年新しい熱河生物相に由来します。

 本論文は、熱河生物相の新たな真獣類(Ambolestes zhoui)を報告しています。この新標本はほぼ完全な骨格を有し、外鼓骨や舌骨器官など、同時期の哺乳類では知られていない解剖学的要素が保存されていました。この新標本は最古の真獣類ではなく、一見すると最近発見された他の多くの真獣類とさほど差異はありませんが、哺乳類の系統樹を書き換えることになりました。

 本論文がこの新標本の分析により明らかにしたのは、まず、シノデルフィスが真獣類でだった、ということです。シノデルフィスと熱河生物相の別の真獣類エオマイア(Eomaia)との間に見られる体骨格の差異は、じゅうらいは登攀性ニッチに真獣類と後獣類が個別に侵入したことを示す、と考えられてきましたが、そうではありませんでした。初期の有胎盤類系統はじゅうらいの想定よりも多様だった、ということになります。これにより、既知最古の後獣類は東アジアではなく、北アメリカ大陸西部の約1億1000万年前の標本となり、後獣類に5000万年に及ぶゴースト系統が生じることになりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


古生物学:前期白亜紀の真獣類および有胎盤類と有袋類の二分岐

古生物学:新たな真獣類化石と系統発生から明らかになった有胎盤類と有袋類の分岐

 真獣類は、有胎盤哺乳類および絶滅したその近縁種を含み、後獣類、すなわち有袋類とは完全に別の分類群を構成する。これら2つの分類群は哺乳類史においてはるか昔に分岐したが、その年代の正確な特定は、特に各分類群の動物が時代をさかのぼるほど互いに似てくる傾向があるため困難である。今回、中国で発見された新たな化石真獣類哺乳類が記載されている。この新種は既知最古の真獣類ではなく、一見すると最近発見された他の多くの真獣類とさほど差異はない。しかし、この標本が哺乳類系統内での相互関係に与える影響は大きく、この新種を哺乳類の系統発生に加えることで、かつて既知最古のステム群有袋類とされていたシノデルフィス(Sinodelphys)が実は真獣類に属することが明らかになった。これにより、既知最古の有袋類がアジアではなく北米に由来するものとなり、その年代が大幅に更新されて、後獣類に5000万年に及ぶゴースト系統が生じることとなった。



参考文献:
Bi S. et al.(2018): An Early Cretaceous eutherian and the placental–marsupial dichotomy. Nature, 558, 7710, 390–395.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0210-3
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クローヴィス文化の埋葬遺骸の年代の見直し

2018/06/20 16:30
 クローヴィス(Clovis)文化の埋葬遺骸の年代を見直した研究(Becerra-Valdivia et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。以下の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代です。本論文は、クローヴィス文化としては現時点で唯一の埋葬遺骸となる、アメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡の男児(Anzick-1)の年代を測定し直しました。クローヴィス文化集団は最初のアメリカ大陸の住民ではありませんが、13000年前頃に出現した、アメリカ大陸では最初の広範な文化です。

 アンジック1(Anzick-1)は幼児でゲノムが解析されており、クローヴィス文化集団は遺伝的に現代のアメリカ大陸先住民集団に大きな影響を及ぼしている、と推測されています(関連記事)。その意味で、クローヴィス文化集団はアメリカ大陸最初の住民ではなくとも、その意義は大きいと言えるでしょう。じっさい、先クローヴィス文化期の遺跡はクローヴィス文化期以降の遺跡と比較して少なく、時空間的に孤立しており、継続的な移住とはならなかった偶発的な拡散にすぎなかった、との見解も提示されています(関連記事)。

 アンジック1集団は、現代のアメリカ大陸先住民でも北部よりも中部・南部の集団の方と遺伝的に近縁と推測されており、アメリカ大陸先住民集団は、アメリカ大陸への移住から早い時期に「北部系統」と「南部系統」に分岐し、中央および南アメリカ大陸の先住民集団の祖先は南部系統のみだった、と考えられていましたが、その後、現代の南アメリカ大陸先住民集団には、南部系統だけではなく北部系統の遺伝的影響もある、と明らかになりました(関連記事)。

 アンジック遺跡では、鹿の枝角の骨角器や石器などクローヴィス文化の人工遺物が発見されました。これまで問題となってきたのは、アンジック1よりもクローヴィス文化の人工遺物である鹿の枝角の骨角器の年代の方が古いことでした。そのため、アンジック1はクローヴィス文化集団に属していたわけではない、とも考えられていました。本論文は、異なる前処理法を用いて改めて年代を測定し直し、アンジック1と骨角器の年代はともに12900〜12725年前頃でほぼ一致し、13000〜12700年前というクローヴィス文化終末期に収まることを明らかにしました。アンジック1はやはりクローヴィス文化集団に属していたわけです。


参考文献:
Becerra-Valdivia L. et al.(2018): Reassessing the chronology of the archaeological site of Anzick. PNAS.
https://doi.org/10.1073/pnas.1803624115
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22000年前頃のパンダのmtDNA解析(追記有)

2018/06/19 17:17
 22000年前頃のジャイアントパンダ(Ailuropoda melanoleuca)のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Ko et al., 2018)が報道されました。本論文は、現在では野生のパンダの存在しない、中華人民共和国広西チワン族自治区百色市楽業県(Leye County)の慈竹坨洞(Cizhutuo)で発見されたジャイアントパンダ(以下、パンダと省略)の頭蓋のmtDNAを解析し、他の現生パンダ・138頭の現生熊・32頭の古代熊と比較しました。慈竹坨洞パンダは、放射性炭素年代測定により較正年代で21910〜21495年前と推定されており、パンダのDNA解析としては最古の事例となります。

 mtDNA解析・比較の結果、慈竹坨洞パンダは他の熊よりも現生パンダの方と類似していましたが、現生パンダの多様性の範囲内には収まりませんでした。mtDNAにおいて、現生パンダの間の推定合着年代72000年前(95%の信頼性で94000〜55000年前)となりますが、慈竹坨洞パンダと現生パンダとの推定分岐年代は183000年前(95%の信頼性で227000〜144000年前)となります。慈竹坨洞パンダは、現生パンダ系統とは異なる独自の進化史を有する、と考えられます。しかし、より詳しいパンダの進化史解明のためには、核DNA解析が必要だ、と指摘されています。mtDNAでは、パンダと他の熊との推定分岐年代は1000万年前(95%の信頼性で1200万〜800万年前)です。ヨーロッパで発見されたジャイアントパンダ系統のKretzoiarctos標本は1200万〜1100万年前頃、中国では現時点で最古のパンダとなる元謀(Yuanmou)標本は800万〜700万年前頃と推定されています。

 慈竹坨洞パンダのmtDNAにおいては、コード領域に46ヶ所の同義置換と18ヶ所の非同義置換が確認されました。18ヶ所の非同義置換は、呼吸と関連する6ヶ所の遺伝子に位置しており、現生パンダとは異なる環境への適応の結果である可能性も指摘されています。慈竹坨洞パンダの存在した22000年前頃は最終最大氷期(LGM)で、広西チワン族自治区も現在とは異なる環境だった、と推測されます。慈竹坨洞パンダと現生パンダとで異なる環境への適応と関連した遺伝的相違が見られたとしても不思議ではありませんが、その詳細な解明は、現生パンダ系統の更新世標本も対象とした、核DNA解析・比較が必要となるでしょう。また、かつては現在よりも広範に分布していたパンダの古代DNA解析数を蓄積していくことも必要だと思います。

 慈竹坨洞パンダのmtDNA解析の成功は、亜熱帯環境、それも更新世の標本からということで、たいへん意義深いと思います。慈竹坨洞とさほど変わらない緯度の中華人民共和国雲南省の馬鹿洞(Maludong)では、放射性炭素年代測定法による較正年代では14310±340〜13590±160年前となるホモ属遺骸が発見されており、現生人類(Homo sapiens)なのか、それとも異なる系統のホモ属種なのか、議論が続いています(関連記事)。馬鹿洞人遺骸は慈竹坨洞パンダ頭蓋より8000年ほど新しいので、DNA解析の成功が期待されます。

 私はパンダにはとくに思い入れがないので、現生個体間のmtDNAにおける推定合着年代が現代人の間のそれよりも新しいことさえ知りませんでした。パンダにとくに思い入れのない私は、東京都の上野公園でのパンダの動向に大騒ぎする傾向を以前から苦々しく思っていました。その一つは、和歌山アドベンチャーワールドでは上野公園を大きく上回る繁殖実績を挙げているのに、全国規模の報道機関では上野公園の動向よりもずっと扱いが小さいことです。些細なことかもしれませんが、これは地域間格差の固定化・拡大の象徴とも言えるのではないか、と考えています。

 もう一つは、希少動物のパンダを高額で外国の動物園に貸し出していることです。これは、「パンダ外交」と揶揄されるような中華人民共和国政府の方針にも問題がありますが、中央政府・自治体など受け入れ側の国の行政機関と、パンダが間近で見られることを歓迎する受け入れ側の国の住民の方も、中国政府と同等以上に罪深いのではないか、と思います。見た目の愛らしい希少動物を間近で見られることを喜び歓迎するような心性は、現代日本社会における、鰻や鮪など激減と絶滅の可能性さえ指摘されている生物を平然とじゅうらい通り確保・調理し、食べる行為と根底で相通じているのではないか、と思います。

 欲望の抑制は格差の固定・拡大にも容易につながりかねないので(逆に、欲望の解放も格差の固定・拡大にも容易につながりかねませんが)、安易に主張したくはありませんが、見た目の愛らしい希少動物であるパンダを間近で見たい、という欲望を現代日本社会は抑えるべきだと思います。この議論は、そもそも動物園は倫理的に許されるのか、という大問題ともつながるのですが、そこまで社会的反発の大きそうな具体策にまでいかずとも、まずは、希少動物の外国への貸し出し・受け入れは抑制することが重要だと思います。今はネットで高画質の映像を視聴することも可能なのですから、パンダの生息地域にある保護・研究機関が映像を提供することで、日本も含めて諸外国の国民は当面満足すべきだと思います。まあ、私も悪しき欲望の抑制がじゅうぶんだとはとても言えませんが、たとえ特定の問題に関連する分野に限定しても、倫理的に潔癖でなければある社会問題を提起する資格がない、とはまったく考えていないので、以前からの雑感を述べた次第です。


参考文献:
Ko AMS. et al.(2018): Mitochondrial genome of a 22,000-year-old giant panda from southern China reveals a new panda lineage. Current Biology, 28, 12, R693–R694.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2018.05.008


追記(2018年6月20日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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中国における対北朝鮮認識・感情

2018/06/18 17:36
 中華人民共和国における朝鮮民主主義人民共和国への認識・感情について、これまでそれなりに新聞や雑誌などで読んできましたが、記憶が曖昧になってきたので、備忘録として検索して見つけた近年の記事を引用し、短い雑感を述べておきます。大韓民国外交部が統一研究院に発注し、2017年末に作成された「中国人の韓国に対する認識調査」報告書には、中国の一般人1000人を対象に2017年9月19日〜10月19日に行なわれた個別面談調査の結果が掲載されているそうです(関連記事)。

 それによると、中国人の周辺8ヶ国にたいする好感度調査(10点満点)は、アメリカ合衆国(5.84点)→日本(4.49点)→ロシア(3.77点)→インド(3.44点)→韓国(3.40点)→ベトナム(3.37点)→フィリピン(3.31点)→北朝鮮(3.23点)の順番だったそうです。アメリカ合衆国がずば抜けて、日本はやや抜けて、ロシアは頭一つ抜けて高い感がありますが、インド・韓国・ベトナム・フィリピン・北朝鮮では大きな差はない、と言えそうです。

 こうして見ると、米中関係には競合的側面も多分にあるとはいえ、やはり多くの中国人にとってアメリカ合衆国は憧れの先進国という印象が強いのでしょう。それは、政府間の関係が悪い日本にたいしても同様なのだと思います。日本は衰退国家と言われ続けていそうですし、その認識は実態としてかなり妥当なところもあると思いますが、少なからぬ中国人にとって憧れる要素があることも確かなのでしょう。もちろん、それが虚像である側面も多分にあるでしょうが、それだけとも言えないとは思います。ロシアに対する好感度の高さは、政治的関係が少なくとも表面的には良好であることが大きいのかもしれませんが、かつての社会主義国の模範という印象がまだあるためなのかもしれません。

 残りの5ヶ国にたいする認識はさほど変わりませんが、これは、まだ中国人にとって模範とすべき国ではない、との印象が強いためでしょうか。この中では、政治的には対立する側面も少なくないインドに対する好感度が最も高いのは注目されます。あるいは、将来、中国にとって強力な競合相手になりそうだ、との警戒を込めた敬意もあるのでしょうか。韓国に対する好感度は高くありませんが、注目されるのは、50代では4.33点と高いのに、10代では2.76点と低いことです。若い世代の中国人にとって、韓国はもはや完全に格下の国ということでしょうか。門外漢なので、的外れなことを言っているかもしれませんが。

 ベトナムとフィリピンは中国との間に深刻な領土問題を抱えていますが、中国にとって唯一の同盟国とさえ言えるかもしれない北朝鮮は、その両国よりも好感度が低く、最下位となっています。中国では2018年になって憲法改正により国家主席の任期が撤廃されましたが、これにたいして、「ああ、われわれは北朝鮮になるのか」と嘆きの声が挙がったそうです(関連記事)。これは政府批判となるので削除されたそうですが、中国人の北朝鮮にたいする軽蔑が感じられ、「唯一の同盟国」にも関わらず、領土問題で揉めている日本・ベトナム・フィリピンよりも好感度が低かったのは、もっともな結果なのかもしれません。

 じっさい、北朝鮮で2011年末に金正恩政権が発足して以降、中国では「棄朝鮮」「厭朝鮮」関連の論調が多く見られるようになり、近年では、2013〜2014年頃と比較して、各種媒体で幅広く公然と議論されるようになって、中国の報道機関では以前とは異なり、北朝鮮の最高指導者である金正恩氏にたいする批判が公然となされているそうです(関連記事)。中国においてこうした言説が許可されているということは、中国の政治指導部にとって北朝鮮は丁重に扱い配慮すべき対象ではなく、国内世論を圧力に使ってもよいような低く見ている存在ということなのでしょう。

 今年になって、金正恩委員長が中国の習近平首席と2回会談しましたが、だからといって、中朝双方の政治指導層の間の相互不信が解消されたわけではないでしょうし、中国人の間の対北朝鮮感情が改善されたわけでもないでしょう。北朝鮮における一般国民の対中感情がどのようなものか、信頼できる情報がなさそうなので、よく分かりません。北朝鮮政府が意図的に反感を煽ったせいで、北朝鮮国民の間では最近、反日感情より反中感情の方が強くなっている、との情報もありますが(関連記事)、北朝鮮がせめて現在の中国並に開放的な社会にならないと、その真偽を論ずることは難しそうです。
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人類史における移住・配偶の性的非対称

2018/06/17 18:51
 人類史において、移住・配偶で性的非対称が生じることは珍しくありません。そもそも、有性生殖の生物種において、雄と雌とで繁殖の負担が著しく異なることは一般的で、大半の場合、雄よりも雌の方がずっと負担は重くなります。もちろん人類もその例外ではなく、人類史における移住・配偶の性的非対称の重要な基盤になっているのでしょう。とはいっても、それらが繁殖負担の性的非対称だけで説明できるわけではないのでしょうが。当ブログでも、人類史における移住・配偶の性的非対称についてそれなりに取り上げてきましたので、一度短くまとめてみます。

 霊長類学からは、人類の旅は採食だけではなく繁殖相手を探すものでもあり、他の類人猿と同じく人類の祖先も、男が生まれ育った集団を離れて別の集団に入り配偶者を見つけるのは難しかっただろうから、ゴリラのように男が旅先で配偶者を誘い出して新たな集団を作るか、チンパンジーのように旅をしてきた女を父系的つながりのある男たちが受け入れることから集団間の関係を作ったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。人類系統がチンパンジー系統と分岐した時点で、すでに配偶行動において何らかの性的非対称が存在した可能性は高いと思います。

 初期人類については、「華奢型」とされるアウストラロピテクス属や「頑丈型」とされるパラントロプス属において移動の性差が見られる、と指摘されています(関連記事)。具体的には、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス属ではロブストス(Paranthropus robustus)です。240万〜170万年前頃のアフリカヌスとロブストスのストロンチウム同位体含有比の分析の結果、小柄な個体のほうが、発見された地域とは異なるストロンチウム同位体組成を有している割合が高い、と明らかになりました。初期人類では体格の性差が大きかった(性的二型)との有力説を考慮すると、初期人類においては、女性は男性よりも移動範囲が広く、出生集団から拡散していくことが多かったのではないか、と言えそうです。つまり、父方居住的な配偶行動があったのではないか、というわけです。ただ、初期人類の性的二型については、大きかったとの見解が有力ではあるものの、異論もあるので(関連記事)、体格の違いによる性別判断の信頼性は高くない可能性もあると思います。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住的な配偶行動の可能性が指摘されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見された49000年前頃のネアンデルタール人遺骸群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果、3人の成人女性がそれぞれ異なるハプログループに分類されるのにたいして、3人の成人男性は同じハプログループに分類されました。もっとも、これは父方居住的な配偶行動の証拠となり得るものの、そうだとしても、あくまでもイベリア半島の49000年前頃の事例にすぎず、ネアンデルタール人社会全体の傾向だったのか、現時点では不明です。

 ただ、現代人への遺伝的影響はほとんどなかったとしても、同じホモ属で現代人と近縁なイベリア半島のネアンデルタール人と、現代人とは属が違い、おそらくは現代人の祖先ではなさそうなアフリカヌスやロブストスにおいて、父方居住的な配偶行動が存在したのだとしたら、人類系統において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、というわけです。それが、現生人類(Homo sapiens)の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との交雑についても、性的非対称の可能性が指摘されています(関連記事)。現代人のミトコンドリアでもY染色体でも、ネアンデルタール人由来の領域は確認されていません。したがって、母系でも父系でも、現代人にネアンデルタール人直系の子孫はいない可能性がきわめて高そうです。しかし、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度であることから(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑では、現生人類の女性とネアンデルタール人の男性という組合せの方が多かったというか、一般的だったのではないか、とも指摘されています。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。現生人類と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑でも、X染色体と精巣に関わる遺伝子領域では、現代人にデニソワ人の痕跡がひじょうに少ない、と指摘されています(関連記事)。現時点では、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属との交雑において、性的非対称があったのか、推測は難しいと思います。

 現代人では多様な移住・配偶行動が見られ、その中には強い性的非対称が存在する事例もあります。たとえば、15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて遺伝的にも大きな影響を及ぼしましたが、この事例では大きな性的非対称が見られます。現代パナマ人は、mtDNAでは83%がアメリカ大陸先住民系ですが、Y染色体DNAでは約60%が西ユーラシアおよび北アフリカ系、約22%がアメリカ大陸先住民系、約6%がサハラ砂漠以南のアフリカ系、約2%がおそらくは中国またはインドの南アジア系となります(関連記事)。これは、単身男性を中心としたイベリア半島勢力によるラテンアメリカの征服という、歴史学など他分野からの知見と整合的です。

 ヨーロッパの事例と併せて考えると、大規模な征服活動では、移住・配偶行動に性的非対称が見られる傾向にある、と言えるかもしれません。青銅器時代のヨーロッパにおいては、ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団から精巧な武器やウマに牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じ、古代ゲノム解析からも大規模な移動が推測される、と指摘されています(関連記事)。さらに、このヨーロッパにおける青銅器時代の大きな文化的・人的構成の変容にさいしては、男性人口拡大の可能性も指摘されています(関連記事)。精巧な金属器とウマを用いての、機動力に優れた男性主体の集団による広範な征服活動がヨーロッパで起きたのではないか、というわけです。

 ヨーロッパにおける青銅器時代と新石器時代初期の大規模な移住を比較した研究では、青銅器時代の大規模な移住は男性主体で、女性1人にたいして男性は5〜14人と推定されているのにたいして、新石器時代初期にはそうした性差はなかった、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパの新石器時代は中東からの農耕民集団の移住により始まりましたが、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民集団とがじょじょに融合していったと推測されているように(関連記事)、征服的な移住ではなかったのかもしれません。

 ヨーロッパにおいては、青銅器時代の征服活動的な大規模移住において、男性が主体になって広範に拡散していった様子が窺えますが、それは例外的な事例だったかもしれません。上述したように、人類史において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいても、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、と推測されています(関連記事)。mtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していき、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身である、と明らかになりました。また、地元出身ではない女性の子孫は確認されませんでした。

 中世初期のバイエルンにおいても、男性よりも女性の方が遺伝的に多様で、女性は婚姻のために外部からバイエルンに移住してきたのではないか、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパに限定しても一般化できるのか、まだ確定したとは言えないでしょうが、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなく、安定期には人類史の古くからの一般的傾向が反映されて、男性が出生集団(地域)に留まる一方で、女性は配偶のために他集団(地域)に移住する、という傾向があるのかもしれません。こうした傾向が人類史全体に当てはまるのか、現在の私の知見ではとても断定できませんが、今後、そうした観点から色々と調べていこう、と考えています。
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大河ドラマ『西郷どん』第23回「寺田屋騒動」

2018/06/17 18:50
 西郷吉之助(隆盛)は薩摩藩の「国父」である島津久光の命に逆らい、下関から京都へと向かったので、久光は激怒して吉之助に切腹させるよう、大久保一蔵(正助、利通)に命じます。一蔵は京都へと急行し、吉之助を探します。吉之助は、土佐の吉村虎太郎や長州の久坂玄瑞と会い、その動向を探ろうとしていました。思いつめた一蔵は吉之助を見つけ、心中しよう、と迫りますが、吉之助は一蔵を諭します。吉之助は切腹命令が下ったと聞いても泰然自若としており、一蔵や有馬新七や大山格之助(綱良)たちと共に鰻捕りに興じます。これは寺田屋騒動の悲劇を印象づけるための描写なのでしょうが、陳腐ではあるものの、無難でもあると思います。

 吉之助は村田新八とともに捕縛され、久光の前に差し出されます。一蔵は必死に吉之助を擁護しますが、吉之助は堂々と久光に諌言します。激昂した久光を鎮めたのは、小松帯刀の諌言でした。吉之助を使いこなせるかは主君の器量次第だと島津斉彬は言っていた、と小松は久光に伝えます。久光が斉彬を慕っているというか、崇拝していることを熟知した諌言で、ここは無難な展開になっていたと思います。吉之助は切腹を免れ、島流しとなります。それにしても、これまで空気だった小松がいきなり存在感を示したのには驚きました。あるいは、今後作中で重要な役割を果たすのでしょうか。

 久光は京都の過激派浪士を薩摩藩の武力で鎮圧するよう朝廷から命じられ、次々と浪士たちを弾圧していきます。これに不満を抱いた浪士たちは有馬新七の下に集結します。有馬新七たちが寺田屋にいることを知った久光は、大山格之助たちを寺田屋に向かわせ、説得してもなお歯向かうようなら切り捨てよ、と命じます。有馬新七を慕って行動を共にしていた吉之助の弟の信吾(従道)の懇願も空しく、斬り合いが始まり、有馬新七は殺され、浪士たちは鎮圧されます。信吾は大山格之助と有馬新七に庇われ、何とか生き残ります。これも吉之助の人望のおかげという話になっており、信吾の情けなさ・未熟さが強調されていました。前回までの描写からすると、ある程度は納得のいく展開ではありました。
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兵頭裕己『後醍醐天皇』

2018/06/17 07:09
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店から2018年4月に刊行されました。本書は、同時代から現代まで評価の分かれる後醍醐天皇について、それらの評価を踏まえて統一的に理解しようとしています。本書は後醍醐の伝記というだけではなく、後醍醐とその治世がどのように評価されてきたのか、その評価が後世にいかなる政治思想的影響を及ぼしたのか、という観点を強く打ち出しています。中世のみならず、近世・近現代をも視野に入れた、射程の長い後醍醐論と言えるでしょう。

 後醍醐はそもそも一代限りの「中継ぎ」だった、との見解は一般層にも広く浸透しているのではないか、と思います。本書は、後醍醐が当時日本の知識層(当時は支配層と大きく重なるわけですが)にも浸透しつつあった宋学の影響を強く受け、宋のような中央集権体制(皇帝専制政治)を目指した、と強調しています。後醍醐の「新政」で目指されたのは一君万民的な天皇「親政」で、君と民の間の臣は理念的には排除されるべきものでした。

 それが、後醍醐の家格・前例を無視した人事となります。これは、後醍醐が一代限りの「中継ぎ」とされたことにも起因しているのでしょう。後醍醐は、家柄により官位とそれに基づく利権が決まっているような体制を「破壊」していき、それが同時代と後世の公家社会における後醍醐の悪評を決定づけました。このような知識層たる公家社会における悪評は、後世の後醍醐認識にも影響を及ぼしました。また、後醍醐の家格・先例無視の政治が失敗した要因として、唐代までの貴族層が没落し、知識層(士大夫層)が官僚予備軍として広範に存在した宋とは異なり、当時の日本にはそうした広範な知識層が存在しなかった、ということが指摘されています。

 しかし、後醍醐の「新政」は失敗に終わったものの、それは身分制社会にたいするアンチテーゼとして「王政」への幻想を醸成し、近世・近代に大きな影響を及ぼした、と本書は指摘します。後世の後醍醐評価と関連して興味深いのは、南朝正統論を打ち出したとしてその画期性が言われる『大日本史』の当初の意図は、後期水戸学的な意味での「勤王」ではなく、徳川が南朝に仕えた新田の後裔を称したことから、南朝を正統とすることにより徳川幕藩体制を正当化することにあった、との見解です。

 本書は、後醍醐の家格・先例無視の政治を当時の公家社会の常識から外れた異端的なものと評価しつつも、「異形の王権」との評価には行きすぎがあった、と指摘しています。これと関連して本書は、文観を「妖僧」ではなく、当時としては常識的な高僧だった、と評価しています。なお、正中の変に関しては、後醍醐にはその時点では討幕の意思がなく、後醍醐を退位に追い込もうとするための謀略だった、との見解も提示されており(関連記事)、『陰謀の日本中世史』でも肯定的に取り上げられていたのですが(関連記事)、本書では言及されていませんでした。
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現生人類の起源と進化

2018/06/16 13:53
 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、現生人類(Homo sapiens)の起源と進化に関する研究(Stringer., 2016)が公表されました。以前からいつか読もうと思っていたのですが、怠惰なので先延ばしにし続けていました。2年前の論文ですが、進展の速い分野なので、今となってはやや古いとさえ言えるかもしれません。しかし、現生人類アフリカ単一起源説の大御所であるストリンガー(Chris Stringer)氏による、おもに形態学てき観点からの現生人類の起源と進化に関する総説なので、現在でもたいへん有益だと思います。

 現生人類アフリカ単一起源説は、現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑が明らかになり、修正されつつありますが、今でも通説の地位を保っている、と言って大過はないでしょう。本論文は、現生人類アフリカ単一起源説の証拠とされてきたアフリカおよびレヴァントの中期〜後期更新世の人類遺骸を取り上げ、どのような特徴が現生人類と類似しているのか、あるいは異なるのか、取り上げていきます。本論文が指摘するように、中期〜後期更新世のアフリカの人類遺骸は少なく、その中では年代が曖昧なものもあるため、現生人類の進化史にはまだ不明なところが多分にあります。本論文はそうした限界を踏まえつつ、アフリカ各地およびレヴァントの中期〜後期更新世の人類遺骸を概観していきます。

 アフリカ北部では、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡の人骨群が16万年前頃と推定されており(後述するように、この遺跡に関しては、その後新たな展開がありました)、その中でもっとも保存状態の良好なジェベルイルード1は現生人類と断定できないまでも、初期現生人類との類似性が認められます。考古学的には、モロッコでは中期更新世に、非アテーリアン(non-Aterian)中部旧石器/中期石器インダストリーから、海洋酸素同位体ステージ(MIS)6のアテーリアン(Aterian)へと移行していきます。しかし、その周辺の一部地域では、アテーリアンと並行して非アテーリアン中期石器インダストリーが継続し、アテーリアンの終焉後にさえ継続しています。これが人類系統の進化とどう関係しているのか、注目されますが、現時点では証拠があまりにも少なく、推測の難しいところです。

 アフリカ南部では、やはり発掘・研究の進んでいる南アフリカ共和国の人類遺骸が中心となり、以下の人類遺骸は全て南アフリカ共和国で発見されています。フロリスバッド(Florisbad)頭蓋は259000年前頃と推定されており、初期現生人類とも、後期ホモ属種ヘルメイ(Homo helmei)とも分類されています。クラシーズリヴァーマウス(Klasies River Mouth)では中期石器時代の人骨群が発見されており、明確に現生人類と分類できる要素もあるものの、現生人類と容易には分類できない要素もあります。ボーダー洞窟(Border Cave)では中期石器時代の人類化石が発見されており、年代は74000年前頃と推定されていますが、現生人類的ではあるものの、上腕骨や尺骨では祖先的な特徴も見られます。

 アフリカ東部はアフリカ南部とともに現生人類の起源地の有力候補で、アフリカでは南部(実質的には南アフリカ共和国)とともに発掘・研究の進んだ地域です。ケニアでは、エリースプリングス(Eliye Springs)で発見された人類頭蓋に、上述のジェベルイルードやフロリスバッドの頭蓋との類似性が見られます。タンザニアのエヤシ湖(Lake Eyasi)では、130000〜88000年前頃の人類頭蓋や下顎が発見されており、現生人類的特徴が見られます。しかし、断片的なので評価は困難ですが、現生人類とは分類しにくい頭蓋もあります。エチオピア南西部のオモ川下流沿いのキビシュ層群で発見された人類化石のうち、オモ1号は明らかに現生人類に分類されますが、オモ2号には祖先的特徴が見られ、分類は曖昧です。ケニアの東トゥルカナのグオモデ層(Guomde Formation)では大腿骨と頭蓋が発見されており、大腿骨は現代的ですが、頭蓋にはオモ1号とオモ2号のような特徴が混在しており、つまりは現代的でも祖先的でもあります。エチオピアのヘルト(Herto)遺跡の16万年前頃の人類化石は、現代人とは区別される特徴もあるものの、初期現生人類と分類されています。135000〜131000年前頃と推定されているスーダンのシンガ(Singa)頭蓋冠は現代的ではあるものの、頭頂部には現生人類とは異なる特徴が見られます。しかし、これは病変のためかもしれません。

 西アジアでは、レヴァントのスフール(Skhul)洞窟で130000〜100000年前頃の、カフゼー(Qafzeh)洞窟で120000〜90000年前頃の、初期現生人類と分類されている人骨群が発見されています。これらレヴァントの初期現生人類人骨群は、レヴァントの一部のネアンデルタール人遺骸よりも古いので、ネアンデルタール人から現生人類へという単線的な進化図式は破綻しました。レヴァントでは、初期現生人類の遺骸の一部に副葬品が共伴することも注目されます。これは、現時点での明確な副葬品としては最古になるばかりか、突出して古いとも言えそうです。

 現生人類の起源地がアフリカであることは上述の人類化石証拠から明らかになってきましたが、それらからも窺えるように、アフリカにおいて人類は現生人類の形態へと単線的に進化したのではなく、祖先的特徴と派生的特徴が混在し、「祖先型」の特徴が強く現れている個体(群)と、「派生型(現代的)」の特徴が強く現れている個体(群)とが年代的に重なり合っている、と本論文は強調しています。アフリカにおける現生人類の進化は複雑で、本論文刊行後の研究では、アフリカにおいて、現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先系統と200万〜150万年前頃に分岐したと推定されている、遺伝学的に未知の(おそらくは)ホモ属と現生人類とが、15万年前頃に交雑した可能性も指摘されています(関連記事)。じっさい、初期現生人類と交雑があったのか不明ですが、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも現生人類とは遠い関係にあると考えられるホモ属(Homo naledi)が中期更新世後期まで存在していました(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人の最終共通祖先については、一般的にハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)と想定されています。その場合、ハイデルベルク人から、シュタインハイム人(Homo steinheimensis)を経てネアンデルタール人が、ヘルメイ(Homo helmei)を経て現生人類が出現した、とも考えられます。しかし、シュタインハイム人やヘルメイといった分類を設定する必要はない、とも考えられます。また、ゲノム解析からは、現生人類系統とネアンデルタール人およびデニソワ人系統との分岐は古いと考えられるので、ハイデルベルク人は現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人の最終共通祖先である未知のホモ属種(遺骸はすでに発見されているかもしれませんが)から派生した、現生人類やネアンデルタール人やデニソワ人とは異なる単系統群である可能性も考えられます。本論文はこのように、現生人類の進化史について複数の可能性を提示しています。

 ネアンデルタール人およびデニソワ人と現生人類との最終共通祖先について、以前は、ネアンデルタール人や現生人類の派生的特徴はなく、祖先的だと考えられていました。しかし本論文は、じっさいには、祖先的特徴と派生的特徴が混在しており、特定の派生的特徴が一方の系統のみに継承された可能性を提示しています。たとえば、スペインのグランドリナ(Gran Dolina)遺跡で発見された96万〜80万年前頃のホモ属化石はアンテセッサー(Homo antecessor)と分類されていますが、その頬骨上顎は明らかに現代人との類似性を示しています。現生人類の進化過程は、私にとってとくに関心の高い分野なので、今後もできるだけ新たな知見を得ていきたいものです。

 本論文刊行後の、現生人類の起源と進化に関する研究は、とくにゲノム解析において目覚ましい発展を遂げつつあり、現生人類と古代型ホモ属との交雑という観点からのまとめ(関連記事)など、関連する問題をまとめたこともありますが、改めてここで整理するだけの気力はとてもないので、今後の課題とします。ゲノム解析ほど飛躍的ではありませんが、形態学というか人類遺骸でも、現生人類の起源と進化に関する研究は進展しています。現生人類の起源という観点から特筆すべきなのは、やはりモロッコで発見された30万年前頃の現生人類的な化石でしょう(関連記事)。本論文でも、このジェベルイルード3化石は言及されていましたが、年代が30万年前頃と新たに推定されたことで、現生人類の起源をめぐる問題に新展開をもたらしました。もっとも、さらに複雑化させた、とも言えるかもしれませんが。現生人類の出アフリカという観点からは、スマトラ島の73000〜63000年前頃となる現生人類化石や(関連記事)、レヴァントの194000〜177000年前頃となる現生人類的な化石や(関連記事)、アラビア半島の8万年以上前となる現生人類化石(関連記事)が注目されます。


参考文献:
Stringer C.(2016): The origin and evolution of Homo sapiens. Philosophical Transactions of the Royal Society B, 371, 1698, 20150237.
https://dx.doi.org/10.1098/rstb.2015.0237
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子供は外国語を話す相手でも声の調子から感情を認識できる

2018/06/15 16:28
 子供が外国語を話す相手の感情を認識できるのか、検証した研究(Chronaki et al., 2018)が公表されました。この研究は、外国語の経験のない子供57人と若年成人22人に感情音声認識課題を実施しました。この課題では、声優が、怒り・幸福・悲しみ・恐怖・中間状態のいずれかを表現した声で疑似文を読み、被験者はそれを聞いて読み手の感情を判断します。課題は、被験者の母国語(英語)とスペイン語・中国語・アラビア語の3外国語で実施されました。

 その結果、子供たちは、母国語の場合に感情声音をより正確に認識できるものの、外国語の場合でも感情声音を認識できる、と明らかになりました。また子供たちは、幸福や恐怖を表現した声よりも、怒りや悲しみを表現した声をより正確に認識できました。この課題では無意味な内容の疑似文を用いたため、感情の認識は、言語的側面ではなく発声的側面に特異なものだ、と指摘されています。さらに本論文は、他人の声を聞いて、何を言っているかではなく、声音(音の高低・音量・リズム)から感情を認識する能力は小児期から備わっており普遍的ではあるものの、社会・文化的規範を背景として母国語の方が正確な感情の認識ができるという「内集団優位性」も見られる、と指摘しています。

 また本論文は、感情音声の認識能力が、小児期から青年期よりも、青年期から成人期の間に大きく向上することを明らかにしました。これは、青年期が感情認識技能の発達にとって重要な時期であることを示唆しています。声の調子から感情を認識できる能力は、人類進化史においてかなり古い起源を有するというよりも、他の動物にも現代人と似たような能力は備わっており、ひじょうに古い進化的起源を有するのではないか、と思われます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【人間行動】子どもは外国語であっても、その声の調子から相手の感情を認識できる

 子どもは、声音から相手の感情を認識でき、母国語の方が正確に認識できるが、外国語であってもそうした感情を認識できるということを示した論文が、今週掲載される。

 今回、Georgia Chronakiたちの研究グループは、外国語の経験のない子ども(57人)と若年成人(22人)に感情音声認識課題を実施した。この課題では、声優が、怒り、幸福、悲しみ、恐怖、中間状態のいずれかを表現した声で疑似文を読み、被験者はそれを聞いて読み手の感情を判断する。課題は、被験者の母国語(英語)と3つの外国語(スペイン語、中国語、アラビア語)で行われた。

 その結果、子どもたちは、母国語の場合に感情声音をより正確に認識できるが、外国語の場合でも感情声音を認識できることが分かった。また、子どもたちは、幸福や恐怖を表現した声よりも、怒りや悲しみを表現した声をより正確に認識できた。今回の課題では無意味な内容の疑似文を用いたため、感情の認識は、言語的側面ではなく発声的側面に特異なものだとChronakiたちは考えている。また、Chronakiたちは、他人の声を聞いて、何を言っているかではなく、声音(音の高低、音量、リズム)から感情を認識する能力は、小児期から備わっている普遍的な能力だが、社会・文化的規範を背景として母国語の方が正確な感情の認識ができるという「内集団優位性」も見られるという考えを示している。

 またChronakiたちは、感情音声の認識能力が、小児期から青年期よりも、青年期から成人期の間に大きく向上することを明らかにした。これは、青年期が感情認識技能の発達にとって重要な時期であることを示唆している。



参考文献:
Chronaki G. et al.(2018): The development of cross-cultural recognition of vocal emotion during childhood and adolescence. Scientific Reports, 8, 8659.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-26889-1
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熱帯雨林最古のカエル化石(追記有)

2018/06/15 16:27
 熱帯雨林最古のカエル化石に関する研究(Xing et al., 2018)が公表されました。カエル類の起源は今から約2億年前にさかのぼりますが、そうした初期両生類の化石記録は比較的少ないのが現状です。現在は、世界中の熱帯雨林にさまざまな種のカエルが生息しています。現生種のカエルの起源は、約6600万〜2300万年前となる古第三紀であった可能性が高いものの、熱帯生息地に出現した時期を示す直接的証拠は、ほとんど見つかっていません。

 本論文は、約9900万年前となる白亜紀中期のものと推定されているというカエル種(Electrorana limoae)の化石試料4点を報告しています。この化石試料は、ミャンマーのカチン州で見つかった琥珀堆積物に保存されていたもので、白亜紀に存在していた森林生態系の記録となっています。本論文は、その時代のカエル類とヒキガエル類について、通常では得られない詳細な三次元生体構造を明らかにしました。また、この琥珀堆積物の中には、カエルと共に植物・クモ類・昆虫・海生軟体動物が保存されていました。これは、カエル類が、少なくともある程度の淡水生息地を含む高温多湿の熱帯林生態系に生息していたことを示す証拠となります。

 また本論文は、このカエル類の化石を現生種のCTスキャン像と比較して、絶滅したカエル種の特徴を明らかにしました。このカエル種(Electrorana limoae)と温帯地方に生息する特定の現生種との間には身体的類似点があったので、現生種のカエルの祖先が、現生種より多様な生息地を占有していた可能性が示唆されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【動物学】熱帯雨林に生息するカエルの最古の証拠となる琥珀化石

 ミャンマーで見つかった4点の小型のカエルの化石が、熱帯雨林に生息する無尾類(カエル類やヒキガエル類が属する)の最古の直接的証拠であることを示した論文が、今週掲載される。

 カエル類の起源は今から約2億年前にさかのぼるが、そうした初期両生類の化石記録は比較的少ない。現在は、世界中の熱帯雨林にさまざまな種のカエルが生息している。現生種のカエルの起源は、古第三紀(約6600〜2300万年前)であった可能性が高いが、熱帯生息地に出現した時期を示す直接的証拠は、ほとんど見つかっていない。

 今回のLida Xingたちの論文では、白亜紀中期(約9900万年前)のものとされるElectrorana limoaeというカエル種の化石試料4点が記述されている。この化石試料は、ミャンマーのカチン州で見つかった琥珀堆積物に保存されていたもので、白亜紀に存在していた森林生態系の記録となっている。Xingたちは、その時代のカエル類とヒキガエル類について、通常では得られない詳細な三次元生体構造を明らかにした。また、この琥珀堆積物の中には、カエルと共に植物、クモ類、昆虫、海生軟体動物が保存されていた。今回の研究は、カエル類が、少なくともある程度の淡水生息地を含む高温多湿の熱帯林生態系に生息していたことを示す証拠をもたらしている。

 また、Xingたちは、このカエル類の化石を現生種のCTスキャン像と比較して、絶滅したカエル種の特徴を明らかにした。Electroranaと温帯地方に生息する特定の現生種との間には身体的類似点があったことから、現生種のカエルの祖先が、現生種より多様な生息地を占有していた可能性が示唆された。



参考文献:
Xing L. et al.(2018): The earliest direct evidence of frogs in wet tropical forests from Cretaceous Burmese amber. Scientific Reports, 8, 8770.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-26848-w


追記(2018年6月19日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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白亜紀末の大量絶滅後の小惑星衝突地点における生態系の急速な回復

2018/06/14 16:40
 白亜紀末の大量絶滅後の生態系回復に関する研究(Lowery et al., 2018)が公表されました。6600万年前頃の白亜紀末の大量絶滅では、非鳥類恐竜類・翼竜類・大型海生爬虫類・アンモナイト類など、地球上の全生物種の約76%が絶滅しました。この大絶滅は、メキシコ湾南部のユカタン炭酸塩プラットフォームに小惑星が衝突して引き起こされ、現在は海底に埋もれているチクシュルーブ衝突クレーターが形成されました。

 この大量絶滅の後、全球の海洋生態系の回復(一次生産力として測定)は地理的に不均一で、メキシコ湾・北大西洋・テチス海西部における輸出生産の回復は他の多くの海域よりも遅く、後期白亜紀に近いレベルまで回復するのに30万年を要しました。クレーター付近での海洋生産力の回復の遅延は、有害金属の海水中への溶出など小惑星衝突に関連する環境要因が回復時間を制御していた、と示唆しています。衝突地点からの距離と回復時間との間にこうしたパターンが存在しなければ、観察される不均一性は、栄養段階間の相互作用・種の既存優位性(incumbency)・日和見生物による競争的排除などの、生態学的要因と「偶然」との組み合わせによる説明が最も節約的です。小惑星衝突後の海洋生産力の回復がクレーターに近いほど遅かったのかどうかという問題は、人為的に乱された生態系での今後の回復パターンの予測にも関係してきます。衝突地点からの距離と海洋生産力の回復との間に関係があるとすれば、回復速度はクレーター内部で最も遅いと予測されます。

 本論文は、チクシュルーブクレーターの内部に由来し、年代が暁新世の最初の約20万年間のものと推定される、有孔虫類・石灰質ナノプランクトン・生痕化石の変化を、生物学的活動の痕跡の化石とさまざまな元素の含有量(たとえば、地球外由来のヘリウム3の流量からは堆積速度を推定できます)と共に調べました。その結果、このクレーター内では衝突のわずか数年後に生物が再び現れ、3万年以内に生産力の高い生態系が確立された、と明らかになりました。これは、衝突地点との近接性により回復が遅れてはおらず、衝突関連の環境要因による回復の制御が存在しなかったことを示しています。白亜紀末の大量絶滅後に生産力の回復を制御していたのはおそらく生態学的な過程なので、他の急速な絶滅事象に対する海洋生態系の応答でも、これらの過程が重要であると考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【古生物学】恐竜を絶滅させた小惑星の衝突現場における生物の急速な回復

 恐竜を死滅させた小惑星の衝突現場で、生物が急速に回復していたことを報告する論文が、今週掲載される。

 非鳥類型恐竜が絶滅したことで非常に有名な白亜紀末期(6600万年前)の大量絶滅では、全生物種の75%以上が絶滅した。この絶滅事象を引き起こしたのは、ユカタン半島(メキシコ)のチクシュルーブ近くの浅海に衝突した小惑星であった。この大惨事から全球規模の海洋生態系が回復する速度は地域によって差があり、メキシコ湾と北大西洋では最長30万年かかった。これは、チクシュルーブの衝突クレーターから離れた他の地域よりもかなり遅い。そのため、有毒金属中毒のような衝突に関連する環境効果によって、衝突クレーターに近い地域での回復が遅くなった可能性がある、とする学説が提唱された。

 今回、Christopher Loweryたちの研究グループは、衝突クレーターの直下から掘削された岩石試料を分析した。この岩石試料には、衝突後20万年間の記録が保存されている。Loweryたちは、さまざまな微小化石(殻を持つ単細胞生物である有孔虫類や石灰質ナンノプランクトンなど)の変化を、生物学的活動の痕跡の化石とさまざまな元素の含有量(例えば、地球外由来のヘリウム3の流量からは堆積速度を推定できる)と共に調べた。

 Loweryたちは、この衝突クレーターでは、大惨事のわずか数年後に生物が回復し、3万年以内にはチクシュルーブに多様で生産力の高い生態系が復活しており、その速度が衝突クレーターから遠く離れた場所と比べてはるかに高かったことを明らかにした。この新知見から、生物の回復に対して衝突関連の制御は働いていなかったことが示唆される。むしろ、衝突クレーター内では生物間の相互作用のような生態学的過程が生物の回復を制御していた可能性が非常に高く、Loweryたちは、このことが同様の急速な絶滅事象に対する海洋生態系の応答を解明する上で重要だという考えを提唱している。


古生物学:白亜紀末の大量絶滅後の小惑星衝突地点における生命の急速な回復

古生物学:小惑星衝突地点での生命の急速な回復

 約6600万年前に起こった白亜紀末の大量絶滅では、非鳥類恐竜類、翼竜類、大型海生爬虫類、アンモナイト類など、地球上の全生物種の実に4分の3が絶滅した。この絶滅事象は、メキシコ湾南部のユカタン炭酸塩プラットフォームに小惑星が衝突して引き起こされたもので、この衝突によってチクシュルーブ衝突クレーター(現在は海底に埋もれている)が形成された。一次生産力が衝突前のレベルまで回復するには30万年を要したが、果たして衝突地点の状況はどうだったのか。衝突地点に近いほど回復に時間がかかったのではないかという説もあるが、C Loweryたちは今回、クレーター内部では衝突から数年以内に生命が戻っていたことを明らかにしている。チクシュルーブ衝突クレーターには、衝突からわずか3万年後に生産力の高い豊かな生態系が存在していた可能性があり、これは年代が白亜紀/古第三紀境界付近と推定される他の多くの地域での回復時間よりもはるかに早い。この結果は、クレーターとの近さが回復に対する重大な制御要因ではなかったことを示している。



参考文献:
Lowery CM. et al.(2018): Rapid recovery of life at ground zero of the end-Cretaceous mass extinction. Nature, 558, 7709, 288–291.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0163-6
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「縄文人」の起源

2018/06/13 16:10
 日本人の起源に関しては、「南方系」の「縄文人」と「北方系」の弥生時代以降の渡来民との混合により形成されたとする、「二重構造モデル」が一般層にもそれなりに浸透しているように思います。この仮説では縄文人は南方系と想定されているのですが、形態学でも遺伝学でも、縄文人は南方系との合意が形成されているわけではありません。頭蓋形態の変異量の地域差からは、縄文人が北方系との見解が提示されています(関連記事)。6750〜5530年前頃の文時代前期となる富山県富山市呉羽地区の小竹貝塚の人骨群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、北方系と南方系が混在している、と指摘されています(関連記事)。

 縄文人の核DNA解析も行なわれており、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚で発見された3000年前頃の人類遺骸からは、縄文人が現代の東ユーラシア各地域集団との比較において最も早く分岐した、と推測されています(関連記事)。ただ、あくまでも、3000年前頃の東北地方南部の縄文人の事例であり、縄文人も地域・年代によりある程度以上の違いがあった、と考えられます。三貫地縄文人の核DNA解析からは、縄文人が北方系と南方系のどちらなのか、判断できません。縄文人の起源の解明には、多様な地域・時代の縄文人とともに、ユーラシア東部の多様な地域における更新世後期〜完新世中期までの人類遺骸のゲノム解析が必要となるでしょう。ただ、ユーラシア東部でも南方地域の更新世人類遺骸のゲノム解析は難しいでしょうし、日本列島でも、更新世の人類遺骸は南方諸島を除いてほとんど発見されていません。おそらく今後もこの状況が大きく改善されるとは期待しにくいので、縄文人の起源については、半永久的にかなりの程度推測の域に留まらざるを得ないでしょう。

 現時点での証拠からあえて推測すると、縄文人は北方系と南方系の混合集団で、ユーラシア東部にかつて存在した縄文人の(複数の)祖先集団というか近縁集団は、その後の移住・混合・置換により当初の遺伝的構成を喪失したのではないでしょうか。この問題に関しては、ユーラシア大陸を北方と南方それぞれで東進してきてユーラシア東部で混合した集団が、対馬海峡経由で日本列島へと渡って日本列島最初期の住民となり、縄文人の主要な祖先集団となったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。現時点では、縄文人の起源についてはこの見解が有力ではないか、と思います。
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協力行動と不確実性の許容との関係

2018/06/13 16:07
 協力行動と不確実性の許容との関係についての研究(Vives, and FeldmanHall., 2018)が公表されました。心理学と経済学においてこれまで、リスク(将来的な結果のそれぞれの発生確率が分かっている場合)と多義性(将来的な結果のそれぞれの発生確率が分かっていない場合)という2種類の不確実性が明らかになっています。この2種類の不確実性に対する耐性には、個人差のあることが知られています。

 この研究は、女性106人と男性94人から構成される計200人のボランティアの被験者を対象として、一連の実験を実施しました。最初の実験では、被験者が単独でギャンブルゲームを行ない、リスクと不確実性に対する各人の耐性が評価されました。次の実験では、被験者が他のプレーヤーらと協力すべきかどうかを決めるソーシャルゲームを行ないました。協力行動は協力する双方のプレーヤーの利益になる可能性がありましたが、協力者が裏切られて損をするリスクを伴っていました。

 以上の実験の結果から、多義性に対する耐性と向社会的行動の量は正の相関関係にある、と明らかになりました。どの程度報われる可能性があるのかを分からなくてもリスクを負うことに前向きな人ほど、他人と協力したり、他人を信頼したりしやすい、というわけです。これに対して、リスクに対する耐性と社会的意思決定の間に関連は認められなかった。この研究は、人間が他人を信頼するかどうかの決定と勝つ確率の分からないギャンブルとを同視しており、多義的な不確実性に対する耐性という性格特性が、社会的行動を促進する上で役立っている、との見解を提示しています得。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【心理学】不確実性を許容する心が協力行動を生み出す

 どの程度報われる可能性があるのかを分からなくてもリスクを負うことに前向きな人ほど、他人と協力したり、他人を信頼したりしやすいという考えを示した論文が、今週掲載される。

 心理学者と経済学者はこれまでに、リスク(将来的な結果のそれぞれの発生確率が分かっている場合)と多義性(将来的な結果のそれぞれの発生確率が分かっていない場合)という2種類の不確実性を明らかにしている。この2種類の不確実性に対する耐性には、個人差のあることが知られている。

 今回、Oriel FeldmannHallの研究チームは、合計200人(女性106人、男性94人)のボランティアの被験者を対象として、一連の実験を実施した。最初の実験では、被験者が単独でギャンブルゲームを行い、リスクと不確実性に対する各人の耐性が評価された。次の実験では、被験者が他のプレーヤーらと協力すべきかどうかを決めるソーシャルゲームを行った。協力行動は協力する双方のプレーヤーの利益になる可能性があったが、協力者が裏切られて損をするリスクを伴った。以上の実験の結果から、多義性に対する耐性と向社会的行動の量は正の相関関係にあることが判明した。これに対して、リスクに対する耐性と社会的意思決定の間に関連は認められなかった。

 FeldmannHallたちは、我々が、他人を信頼するかどうかの決定と勝つ確率が分からないギャンブルとを同視しており、多義的な不確実性に対する耐性という性格特性が我々の社会的行動を促進する上で役立っているという考えを示している。



参考文献:
Vives ML, and FeldmanHall O.(2018): Tolerance to ambiguous uncertainty predicts prosocial behavior. Nature Communications, 9, 2156.
https://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-04631-9
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完新世最初期の急激な気候変動に対応した人類

2018/06/12 16:36
 完新世最初期の急激な気候変動への人類の対応に関する研究(Blockley et al., 2018)が公表されました。この研究は、イギリスのノースヨークシャー州にある中石器時代のスターカー(Star Carr)遺跡に隣接する湖の堆積物を調べました。スターカー遺跡は、湿地の狩猟採集民の営みがきわめて良好に保存されていることで知られています。この研究は、化石化した動植物および安定同位体比の調査結果と、放射性炭素年代測定法および遠く離れた火山の噴火による火山灰から割り出した年代に基づき、過去の環境の記録を組み立て、この記録をスターカー遺跡から直接得た新たな放射性炭素年代測定結果および考古学的データと相関させました。その結果、こうした高分解能の記録により、気候事象がこの遺跡での人類の活動と初めて結びつけられました。

 この場所に居住していた人類は、木材や動物材料(儀礼的活動に使用していたと考えられるアカシカの枝角の頭飾りなど)を加工し、家屋と考えられる木製構造物を建設し、湖辺の湿地に木製の高床を構築していました。この研究は、11000年前頃に、それぞれわずか1世紀ほどの急激な気候事象が2回起きたことを明らかにしました。そのさい、気温がそれぞれ10℃および4℃低下したと推定され、現地の森林の成長に連鎖的に影響を及ぼしました。このような不安定な気候にもかかわらず、この地の居住者たちは、地元で入手することができた豊富な環境資源や自らの文化的適応に支えられて、彼らの生活様式を維持していました。この頃のブリテン島の人類は、急激な気候変動に耐える能力を備えていたようです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


中石器時代の英国の急激な気候変動を乗り切る

 約1万1000年前の前期完新世の英国で、中石器時代の狩猟採集民がわずか数世紀の間に繰り返された急激な厳しい気候事象に適応し、生き抜いていたことを明らかにした論文が、今週掲載される。今回の知見は、後氷期最初期の欧州定住に関する理解に寄与するとともに、人類が急激な気候変動に耐える能力を備えていたことを示している。

 Simon Blockleyたちは、英国ノースヨークシャー州の中石器時代のスターカー遺跡に隣接する湖の堆積物を調べた。この遺跡は、湿地の狩猟採集民の営みが極めて良好に保存されていることで知られている。著者たちは、化石化した動植物および安定同位体比の調査結果と、放射性炭素年代測定法および遠く離れた火山の噴火による火山灰から割り出した年代に基づき、過去の環境の記録を組み立てた。そして、この記録を、スターカー遺跡から直接得た新たな放射性炭素年代測定結果および考古学的データと相関させた。その結果、こうした高分解能の記録により、気候事象がこの遺跡での人類の活動と初めて結び付けられた。

 この場所に居住していた人類は、木材や動物材料(儀礼的活動に使用していたと考えられるアカシカの枝角の頭飾りなど)を加工し、家屋と考えられる木製構造物を建設し、湖辺の湿地に木製の高床を構築していた。著者たちは、この年代に、それぞれわずか1世紀ほどの急激な気候事象が2回起こっていたことを明らかにした。その際は、気温がそれぞれ10℃および4℃低下したと考えられ、現地の森林の成長に連鎖的に影響を及ぼした。このような不安定な気候にもかかわらず、この地の居住者たちは、地元で入手することができた豊富な環境資源や自らの文化的適応に支えられて、彼らの生活様式を維持していた。



参考文献:
Blockley B. et al.(2018): The resilience of postglacial hunter-gatherers to abrupt climate change. Nature Ecology & Evolution, 2, 810–818.
https://dx.doi.org/10.1038/s41559-018-0508-4
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意欲的な正当性に欠ける政治指導者

2018/06/11 17:34
 昔からたまに考えていることを、一度短くまとめてみます。時代・地域を問わず、正当性に欠ける状況で就任した政治指導者は、意欲的になることが珍しくないように思います。日本史において天皇でいえば、天武・桓武・後鳥羽・後醍醐が代表例でしょうか。この他には、宇多・醍醐・後白河・光格も該当しそうです。征夷大将軍というか武家の棟梁では足利義教・足利義昭・徳川吉宗が、海外の事例では漢の宣帝・隋の煬帝(明帝)・唐の太宗が思い浮かびます。

 これらの政治指導者たちは、本来はその地位(皇帝や将軍など)に就くはずではなかったのに、正当な後継者の失脚・夭逝などにより就任した、という共通点があります。おそらく、身近な重臣たちやもっと広範な「輿論」の評価を気にかけて、自らの権威確立のためにも意欲的に事業を進めよう、と考えたのでしょう。これは普遍的な人間心理でもあるのでしょう。その事業は、それぞれの指導者の置かれた状況や個人的志向によりさまざまですが、おもに、政治体制の整備・改革、経済・社会改革、軍事行動(征服)、文化事業に区分されると思います。

 こうした意欲的な事業推進は、財政を圧迫したり、既得権を侵害して反発を招来したりする側面もあるので、失敗もしくは中途半端に終わるばかりか、指導者が悲惨な最期を迎えることもあります。上記の人々のうち、殺害された足利義教と煬帝はその典型的事例です。殺されなかったとはいえ、後鳥羽と後醍醐は明らかに失意の最期を迎えた、と言えそうです。後白河は「終わりを全うした」と言えるかもしれませんが、一時は幽閉されており、後鳥羽や後醍醐のように都から追放され、幽閉されて亡くなったとしても不思議ではなさそうな生涯でした。

 終わりを全うしたというか、「成功を収めた」と言えそうな指導者(もちろん、当人の主観は違うのかもしれませんが)としては、通俗的な評価では、天武・桓武・光格・唐の太宗が挙げられるでしょうか。ただ、桓武については、晩年に意欲的な事業の二本柱と言える「軍事(蝦夷征服)と造作(新京造営)」が国を圧迫していると指摘されており、後鳥羽や後醍醐のように破綻し、終わりを全うできなかった可能性もじゅうぶんあったと思います。同様のことは、代表的な名君とされる唐の太宗にも当てはまり、治世晩期の高句麗遠征の失敗は、国を傾け、あるいは悲惨な最期を迎える事態を招来したかもしれません。意欲的な政治指導者において、成功者と失敗者の違いは、紙一重とまでは言えない事例も多いとしても、大きな違いがあるわけではないのかもしれません。
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ネアンデルタール人の食人行為

2018/06/10 18:55
 食人行為は、その背徳性もあってか、関心が高いように思われます。当ブログでも食人について何度か取り上げてきましたが、おもにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に関するものだったので、ネアンデルタール人とは言えないかもしれない事例も含めて、一度短くまとめてみます。

 スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)洞窟は、複数のネアンデルタール人遺骸が発見されたことで有名な遺跡ですが、骨に解体痕(cut marks)が見られ、骨髄や脳を取り出したのではないか、とも解釈されています(関連記事)。ネアンデルタール人の歯の分析からは、幼年期に飢餓か栄養不良を経験したと推測されているので、そうした時に食人があったのかもしれません。ただ、病死や餓死の後に食べられたのか、それとも食人のために殺害したのか、また、食人を行なったのは同じ集団と他集団のどちらの構成員だったのか、といったことは不明です。解体痕のあるエルシドロン遺跡のネアンデルタール人遺骸のうち、学童期(juvenile、6〜7歳から12〜13歳頃)の男性と推定されている個体の成長速度は、現生人類(Homo sapiens)とあまり変わらなかったのではないか、と推測されています(関連記事)。

 フランス南西部のラロア(Les Rois)遺跡で発見された若年個体の下顎骨には解体痕が見られますが、この個体はネアンデルタール人と現生人類の特徴が混在している、と指摘されています(関連記事)。ただ、食人の可能性は低そうだ、とも指摘されています。この個体の推定年代は30000〜28000年前頃で、ヨーロッパ初期現生人類の多様な形態を反映している、という可能性が高そうです。ただ、歯にネアンデルタール人的特徴が見られると指摘されているので、現生人類とネアンデルタール人との交雑による形態的特徴がこの年代にも現れていた、とも解釈できるかもしれません。

 フランスのシャラント(Charente)県にあるマリヤック(Marillac)遺跡のネアンデルタール人遺骸では、3個体で明らかに人為的な解体痕や打撃痕(percussion marks)が確認されています(関連記事)。ただ、マリヤック遺跡には豊富な動物化石が存在することと、これらネアンデルタール人3個体の同位体分析の結果がハイエナとオオカミのような捕食動物や他のネアンデルタール人と同様だったので、このネアンデルタール人3個体もおもにその食資源を草食動物に依拠していたと考えられることから、飢餓状態での食人行為とは断定できない、と指摘されています。その他の可能性として、「食道楽」としての食人や葬儀などの儀式が挙げられています。

 ベルギー南部のゴイエット(Goyet)の「第三洞窟(Troisième caverne)」遺跡で発見された、較正年代でおおむね45500〜40500年前頃のネアンデルタール人遺骸のなかには、解体痕・打撃痕・修正痕(retouching marks)といった人為的損傷が見られるものもありました(関連記事)。これらネアンデルタール人遺骸の人為的損傷の痕跡は第三洞窟遺跡のウマやトナカイの骨と同様なので、皮を剥ぐ・解体する・骨髄を抽出するという過程を経た食人行為の結果だと考えられています。また、ネアンデルタール人遺骸の修正痕については、石器製作のために骨を道具として用いた痕跡ではないか、と解釈されています。

 こうしたネアンデルタール人遺骸に見られる解体痕・打撃痕は、少なくともそうのち一定以上の割合で、食人行為の結果と考えられます。ただ、マリヤック遺跡の事例からも窺えるように、葬儀もしくは他の何らかの儀式の一環である可能性も考えられます。さらに、食人行為と葬儀(もしくは他の何らかの儀式)とは常に明確に区分できるわけではなく、食人行為が葬儀の一環だった可能性も考えられます。もちろん、エルシドロン遺跡の事例からは、飢餓状態で栄養不足のなか必要に迫られての行為だった可能性も考えられます。おそらく、ネアンデルタール人の食人行為には多様な意味合いがあったのでしょう。

 ヒトの栄養価はホモ属がしばしば狩猟対象としたマンモスなどの大型動物と比較すると有意に低く、また、ホモ属の認知能力からホモ属狩りは危険だと指摘されています(関連記事)。おそらく、飢餓状態で栄養不足のなか、弱ったもしくは死亡した個体が間近にいるという状況でもない限り、ネアンデルタール人も含めてホモ属は栄養摂取のみを目的とした同類狩りを行なわなかったのでしょう。ネアンデルタール人の祖先集団もしくはそのきわめて近縁な集団と考えられている、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡の人骨群のなかには、殺人の痕跡が見られるものもあります(関連記事)。おそらく、ネアンデルタール人社会においても殺人はきょくたんに珍しいものではなく、敵意・復讐心などによる食人行為もあったのかもしれません。

 なお、ネアンデルタール人社会では、食人習慣のために伝達性海綿状脳症が広がり、人口が減少した結果、現生人類がネアンデルタール人の領域に拡散してきた時に対抗できず絶滅した、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、ネアンデルタール人はヨーロッパにおいて数十万年ほど存続し、人口の増減を繰り返していたと考えられますので(関連記事)、絶滅の一因になるほど人口を減少させるほどの影響を及ぼすような食事習慣があったとは想定しにくいと思います。
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大河ドラマ『西郷どん』第22回「偉大な兄 地ごろな弟」

2018/06/10 18:53
 大久保一蔵(正助、利通)の尽力により、西郷吉之助(隆盛)は大島(奄美大島)から薩摩に呼び戻されます。吉之助は死亡したことになっているので、大島三右衛門と名乗ります。吉之助は一蔵とともに薩摩藩の国父たる島津久光に拝謁します。久光は、亡兄斉彬の遺志を継いで国政改革に乗り出す、と力強く宣言します。しかし、吉之助は、久光には斉彬の真似はできない、出兵は時期尚早だと諌言します。斉彬とは異なり、久光には幕府・他藩の要人との面識さえない、というわけです。久光は吉之助に強い憎悪を抱いたようです。

 吉之助の帰還を祝って精忠組の構成員が集まりますが、挙兵は時期尚早だと考える吉之助に有馬新七は強く反発し、脱藩して他藩の志士と共に倒幕に動き出します。久光は吉之助の諌言を退けて上洛出兵を強行し、吉之助はその準備のため下関へと向かい、弟の信吾(従道)が京都に向かった、と聞きます。信吾は京都で、土佐の吉村虎太郎や長州の久坂玄瑞と交際していました。薩摩藩の出兵に応じて挙兵し、倒幕へと動き出す計画があると知った吉之助は、久光の命に背き、京都へと向かいます。久光はこれに激怒し、吉之助を切腹させるよう、一蔵に命じます。

 吉之助は京都で信吾と会いますが、信吾は有馬新七に心酔しており、吉之助に反発します。吉之助は寺田屋で有馬新七と会い、倒幕は時期尚早と説得し、有馬新七は吉之助に身柄を預けることしにます。今回は幕末歴史ドラマといった感じで、幕末に詳しい大河ドラマ愛好者からすると不満は色々とあるのでしょうが、有馬新七と一蔵たちとの確執や、久光が兄の斉彬を慕い、それが妄執の域にまで達していることは前から描かれていたので、幕末史に疎い私は、まあこんなものだろうと、それなりに楽しんで視聴できました。この感じで進めば、最終回まで視聴と感想記事の執筆を続けられそうです。
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ジャスティファイが41年振りに無敗で米国三冠達成

2018/06/10 08:38
 ジャスティファイ(Justify)がベルモントステークスに勝ち、1977年のシアトルスルー(Seattle Slew)以来となる無敗での米国三冠を達成しました。3歳デビューでの米国三冠は初となり、快挙と言えるでしょう。まあ、米国三冠達成自体が快挙ですが。米国三冠馬としては、2015年のアメリカンファラオ(American Pharoah)以来となります(関連記事)。ジャスティファイは好スタートからそのまま逃げ、終始先頭を譲らず、2着のグロンコウスキー(Gronkowski)を1馬身3/4差で退けて勝ちました。ジャスティファイは直線に向いた時、手応えがなかなかよいように見えたので、勝ちそうだな、と思ったものの、何しろ10ハロン以上のダートの大レースは現在の米国ではベルモントステークスしかありませんし、バリバリのステイヤー血統というわけでもなさそうなので、直線で失速するかな、と多少不安でもありました。それでも直線で失速しなかったのは、ジャスティファイの強さもありますが、楽にレースができた、ということでもあるのでしょう。

 勝ち時計は2分28秒18で、平凡だと言えるかもしれませんが、最近10年間では3番目の好時計となります。3年前の三冠馬アメリカンファラオは、ベルモントステークスでの勝ち時計が2分26秒65と優秀で、三冠達成後、トラヴァーズステークスこそ2着に負けたものの、ハスケル招待ステークスとBCクラシックを勝ち、しかもBCクラシックでは6馬身半差のレコード勝ちだったので、さらに評価を高めました。アメリカンファラオと比較すると、確たる時計の裏づけがないという意味で、ジャスティファイの今後には多少不安も残りますが、古馬一線級相手にも勝ち続けてほしいものです。とはいっても、三冠馬ですから、アメリカンファラオの例からも、3歳で引退でしょうか。あるいは、来年1月に行なわれるだろうペガサスワールドカップが引退レースとなるかもしれません。ともかく、ジャスティファイが今後どのレースに出走するのか、大いに注目されます。
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原田隆之『サイコパスの真実』

2018/06/10 08:37
 ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2018年4月に刊行されました。サイコパス関連の一般向け書籍は少なくないでしょうし、中には大きな話題になったものもあります。しかし、どうも胡散臭そうだったこともあり、これまでサイコパス関連の一般向け書籍を読んだことはありませんでした。しかし本書は、少し読んでみてなかなか面白そうだったので、購入して読みました。期待通り本書は当たりで、長くサイコパス関連の入門書として読まれていくのではないか、と思います。まあ、私はこの問題の門外漢なので、専門家の評価はまた違うのかもしれませんが。

 本書は、高知能で冷酷な凶悪犯などといったサイコパスの通俗的な印象を訂正していきます。もちろん、サイコパスの中に高知能で冷酷な凶悪犯もいますが、それは例外的で、社会全体でサイコパスは1〜3%程度存在する、と推定されていいます。本書は、サイコパスとはそれぞれ程度の異なる複数の特徴から成る多様な存在である、と強調しています。サイコパスが必ず犯罪者になるわけではなく、「成功者」もいれば、社会でそれなりに溶け込んでいる「マイルド」なタイプもいる、というわけです。

 サイコパスの特徴は色々とあり、本書では、対人・感情・生活様式・反社会性の4因子から説明されていますが(ただ、本書で指摘されているように、異なる区分もあります)、中心的なものは、良心と共感の欠如です。また、不安感・恐怖の欠如も重要な特徴です。本書はサイコパスが生まれる要因として、生得的なものと環境的なものとの相互作用を挙げていますが、これまでの研究からは、生得的なものが主因である可能性が高いそうです。サイコパスへの対処は難しく、現時点では決定的な解決策はないようです。本書は、サイコパスの中心的特徴は良心と共感の欠如なので、それを踏まえていない犯罪矯正計画ではかえってサイコパスの再犯率を上げかねず、専門家の間でさえ認識の甘さが見られる、と指摘しています。

 サイコパスがなぜずっと存在し続けているのか、という問題も本書は取り上げており、人類進化史に関心のある私も興味深く読み進められました。不安感・恐怖の欠如したサイコパスは、混乱した状況や、命のかかった手術や、大きな大会などで、冷静に実力を発揮できます。現代では、たとえば医師・指導者・運動選手などは、サイコパスだと優れた業績を残せる可能性があります。また、不安感・恐怖の欠如は、勇気がある、との評価につながりやすいとも言えます。こうした理由から、サイコパスは人類史において淘汰されず、今後も存在し続けるのでしょう。

 良心・共感の欠如したサイコパスは、認知能力に関してはサイコパスではない人々と変わらないので(つまり、認知能力には個体差があり、様々ということです)、規範(法律)や他者への共感が社会で果たす重要な役割を理解でき、そのように装うことができます。生得的に他者に共感できる利他的な傾向の強い人々の多い社会において、能力と環境(運)に恵まれたサイコパスはフリーライダーとして政治権力・経済力・繁殖などの点できわめて大きな利益を得ることが可能なので、狩猟採集社会よりもずっと大規模な社会においては、サイコパスを淘汰することがより難しくなっている、と言えるかもしれません。

 ただ、「有能な」サイコパスが大きな利益を得られるというか、高い適応度となるのは、あくまでも利他的な傾向の強い人々の多い社会においてであり、サイコパスが多数派となれば、少なくとも今のような社会は崩壊し、「有能な」サイコパスが現在得られるような大きな利益を得るのは困難でしょう。確かに、「有能な」サイコパスの適応度は現代社会においては高そうですが、それはあくまでもサイコパス、とくにその中でも「有能な」人の割合がきわめて低いからで、このように特性・形質の頻度に適応度が依存していることは、進化史において珍しくない、と言えるでしょう。


参考文献:
原田隆之(2018) 『サイコパスの真実』(筑摩書房)
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「朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主」との言説に関する備忘録

2018/06/09 18:09
 今でもわりとよく、表題のような言説というかコピペをネットで見かけます。そのたびに、どんな関連記事があったのか、検索するのは面倒なので、一度短く集約しておくことにします。コピペなので、ブログ・掲示板などでよく見かけますが、たとえばあるブログ記事では、以下のように引用されています。

米人類学者Cavalii−Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表します。
(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution. 1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)


 遺伝的浮動(genetic drift)の理解が間違っているのですが、それはさておき、参考文献も挙げられているものの、じっさいに検証した人によると(関連記事)、「朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主」といった見解は提示されていないそうです。また、別の参考文献を根拠に、「コリアンのデータが、普通ではありえないほど均一なものになっている」と主張する人もいますが(関連記事)、こちらも、その参考文献を直接読んだ方がデマだと断定しています(関連記事)。

 上記コピペのような認識の根拠としてその他には、「ネイチャー電子版で2015年に発表されたと思う」とあるスレッドに投稿した人がおり(レス番号596)、その二つ後のスレッドで、「nature 538 7624」とやや具体的な情報を挙げた人もいます(レス番号562)。おそらくこれは、『ネイチャー』に掲載された韓国人の高品質なゲノム配列に関する研究(Seo et al., 2016)だと思います。しかし、この研究は、韓国人は遺伝的に均一だとか、韓国人では近親婚の頻度が高いとかいったことを一切述べていません。あるいは、ヒト参照ゲノムとの直接比較から、未知の(というか、その時点では報告されていない)挿入が多数見つかった、との知見が曲解されているのかもしれませんが、その多くはアジア人集団全体で共通している、とこの研究は指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


遺伝学:韓国人のゲノムのde novoアセンブリとフェージング解析

遺伝学:韓国人のゲノム

 今回J Seoたちは、PacBio社のロングリード塩基配列解読、イルミナ社のショートリード塩基配列解読、10X Genomics社のlinked read(合成ロングリード)、細菌人工染色体(BAC)を用いた塩基配列解読、およびBioNano Genomics社の光学マッピングを用いて、韓国人1個体のゲノムのde novoアセンブリおよびフェージング解析を行った。得られたデータは、集団特異的な参照ゲノムとして有用な、これまでで最も連続的なヒトゲノムアセンブリである。この研究により、ヒト参照ゲノムに存在していた数多くのギャップが埋められ、構造的多様性が明らかになった。



 まず間違いなく、韓国人、あるいは朝鮮半島全体に対象を拡大して朝鮮民族(朝鮮半島地域集団)が、他民族と比較して著しく遺伝的に均一だ、と報告した研究はないと思います。おそらく、朝鮮半島地域集団が他地域集団との比較でより遺伝的に均一だとか、その要因として近親婚の頻度が他地域集団より高いとか報告したまともな研究もないだろう、と思います。現代日本社会で浸透している朝鮮半島関連の情報にはガセネタが少なくないようですから、私も注意しておかねばなりません。

 なお、地域集団単位で近親婚の頻度が高いことはゲノム解析により推測でき、たとえばアラビア人やイラン人は歴史的に高頻度の近親婚が行なわれてきた、と推測されています(関連記事)。また、パキスタン人についても、高頻度の近親婚が指摘されています(関連記事)。個人単位でも、両親が近親だったか否か、ゲノム解析により推測でき、たとえば、アルタイ地域のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は、両親が半きょうだい(片方の親のみを同じくするきょうだい)のような近親関係にあったのではないか、と推測されています(関連記事)。一方、クロアチアのネアンデルタール人に関しては、両親はアルタイ地域のネアンデルタール人ほどの近縁関係にはなかっただろう、と推測されています(関連記事)。


参考文献:
Seo JS. et al.(2016): De novo assembly and phasing of a Korean human genome. Nature, 538, 7624, 243–247.
https://dx.doi.org/10.1038/nature20098
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繰り返されていたグレートバリアリーフの移動

2018/06/09 09:44
 過去3万年のグレートバリアリーフの移動に関する研究(Webster et al., 2018)が公表されました。海水面は過去3万年にわたり、大陸氷床の拡大・縮小とともに劇的に変化してきました。21000年前頃の最終氷期極大期には、海水面は現在よりも約120メートル低く、その分、現在よりも陸地が広がっていました。少なからぬ当時の人類の痕跡は現在では海面下にあり、発見は容易ではなさそうですが、それだけに、調査が進めば多くの知見が得られそうで、今後の研究の進展が期待されます。この研究は、現在のグレートバリアリーフの近くで採集された掘削コアを調べ、サンゴ礁群が過去の海水面変動にどのように応答したのか、評価しました。

 その結果、サンゴ礁の死滅事象は過去に5回あり、そのうち2回では海水面が降下したときにサンゴ礁が露出したことが、他の3回ではサンゴが成長する速度よりも速く、海水面が上昇したことが原因と明らかになりました。最後にサンゴが死滅したのは1万年前頃で、堆積物が急激に流入したことで起き、その結果、サンゴ礁が現在の場所に定着しました。この研究はまた、サンゴ礁は、それぞれの事象の後の数百〜数千年以内に、より生息に適した深さで再定着できたことを明らかにしました。このことから、サンゴ礁の長期のレジリエンスは、移動して再生息した場所の周囲のサンゴ礁との連携により支持されていたと考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


複数にわたるグレートバリアリーフの移動

 過去3万年の大きな海水面変動に伴って、グレートバリアリーフは海底で前進と後進を繰り返し移動していることを報告する論文が、今週掲載される。

 海水面は、過去3万年にわたって、大陸氷床の拡大・縮小とともに劇的に変化してきた。約2万1000年前の最終氷期極大期には、海水面は現在よりも約120メートル低かった。

 Jody Websterたちは、現在のグレートバリアリーフの近くで採集された掘削コアを調べ、サンゴ礁群が過去の海水面変動にどのように応答したかを評価した。その結果、サンゴ礁の死滅事象は過去に5回あり、うち2回は海水面が降下したときにサンゴ礁が露出したことが、3回は海水面がサンゴが成長する速度よりも速く上昇したことが原因だと判明した。最後にサンゴが死滅したのは1万年前で、堆積物が急激に流入したことで起こり、その結果、サンゴ礁が現在の場所に定着した。Websterたちはまた、サンゴ礁は、それぞれの事象の後の数百〜数千年以内に、より生息に適した深さで再定着できたことを見いだした。このことから、サンゴ礁の長期のレジリエンスは、移動して再生息した場所の周囲のサンゴ礁との連携により支持されていたと考えられる。



参考文献:
Webster JM. et al.(2018): Response of the Great Barrier Reef to sea-level and environmental changes over the past 30,000 years. Nature Geoscience, 11, 6, 426–432.
https://dx.doi.org/10.1038/s41561-018-0127-3
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類人猿の新たな高解像度ゲノム

2018/06/08 20:35
 類人猿の新たな高解像度ゲノムを報告した研究(Kronenberg et al., 2018)が報道されました。本論文は、これまでの非ヒト霊長類ゲノムについて、その多くがヒトゲノム参照配列に依存してきたため、「ヒト化」されていることが問題だ、と指摘しています。そこで本論文は、ヒトゲノム参照配列に依存せず、ヒト2人・チンパンジーとオランウータン1頭ずつの高品質なゲノム配列を新たに決定し、既知のゴリラのゲノム配列と比較しました。これにより、じゅうらいは見落とされてきたヒトと(非ヒト)類人猿との相違もより明確になる、と指摘されています。

 注目されるのは、ヒト系統特有の挿入および欠失が17789ヶ所特定され、その中には機能的な違いをもたらすものもある、ということです。本論文は、ヒトゲノムにおいて、遺伝子を破壊すると予測される90ヶ所と、おそらく調節領域に影響を及ぼす643ヶ所の領域を同定しています。このうち、とくに注目されるのは、脳に関する領域です。ヒトと最近縁の現生種はチンパンジー(Pan troglodytes)とボノボ(Pan paniscus)ですが、本論文は、チンパンジーとヒトの脳の原形質類器官を生成し、両者の脳の違いが何に起因するのか、検証しています。

 その結果、ヒトにおいては、放射状グリア細胞から生成される神経前駆細胞に関わる遺伝子が、チンパンジーと比較してヒトでは下方制御されている、と明らかになりました。これは、遺伝子欠失による進化という仮説と整合的です。遺伝子欠失による機能的要素の喪失がヒト進化の重要な側面だった、というわけです。ヒト系統では、脂肪酸合成に関する遺伝子でも欠失が確認されています。もちろん、機能的要素の喪失のみで進化を説明できるわけではなく、興奮性神経細胞に関しては、ヒトでは上方制御が見られます。つまり、重複が進化をもたらした、というわけです。

 ヒトと(非ヒト)類人猿との比較で大きな違いとして注目されるのは、やはり脳容量です。本論文の知見は、じゅうらいの研究でも推測されていた、ヒト系統における遺伝子欠失による脳の大型化という見解と整合的と言えるでしょう。もちろん、ヒト系統に特異的な表現型は脳だけではなく、直立二足歩行への特化などもあります。それと関連して注目されるのは、チンパンジーとゴリラのナックル歩行は収斂進化だった、との見解です(関連記事)。今後、類人猿の高品質なゲノム配列の比較研究が進めば、チンパンジーとゴリラのナックル歩行の遺伝的基盤の相違も明らかになるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Kronenberg ZN. et al.(2018A): High-resolution comparative analysis of great ape genomes. Science, 360, 6393, eaar6343.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aar6343
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危険な行動を助長するかもしれない酸味

2018/06/08 20:35
 酸味が危険な行動を助長するかもしれない可能性を指摘した研究(Vi, and Obrist., 2018)が公表されました。この研究は、ギャンブル課題を用いて、五つの基本的な味と危険を冒す行動との関係を調べました。この研究では、イギリスでの参加者70人(女性46人と男性24人、平均年齢25歳)とベトナムでの参加者71人(女性45人と男性26人、平均年齢20歳)が、甘味・酸味・苦味・塩味・うま味のいずれかの味の液体を飲んでから、パソコン上でギャンブル課題に取り組みました。この課題は、参加者がエアーポンプで風船を膨らませて報酬を得るというコンピューターゲームで、風船が大きくなるにつれて金銭的報酬が増加するようになっています。

 じっさいに報酬を得るには、風船が爆発する前に空気の注入を止めて「清算」しなければなりません。危険を冒す行動かどうかは、参加者がエアーポンプをクリックした回数に基づいて判定されました。ゲームの前に酸味の液体を飲んだ参加者のクリック数は平均で40回であったのに対して、その他の味の液体を飲んだ参加者では平均で20〜30回でした。この研究は、酸味を抑えた食事または酸味の強い食事が危険を冒す行動に影響を及ぼすのかどうかを判断するには、さらなる研究が必要だ、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【心理学】酸っぱい味が危険な行動を助長するのかもしれない

 酸味には、危険を冒す行動を助長する可能性が秘められているという初めての研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 今回、Chi Thanh Viたちの研究グループは、ギャンブル課題を用いて、5つの基本的な味と危険を冒す行動との関係を調べた。今回の研究では、英国での参加者70人(女性46人と男性24人、平均年齢25歳)とベトナムでの参加者71人(女性45人と男性26人、平均年齢20歳)が、甘味、酸味、苦味、塩味、うま味のいずれかの味の液体を飲んでからパソコン上でギャンブル課題に取り組んだ。この課題は、参加者がエアーポンプで風船を膨らませて報酬を得るというコンピューターゲームで、風船が大きくなるにつれて金銭的報酬が増加するようになっている。実際に報酬を得るためには、風船が爆発する前に空気の注入を止めて「清算」しなければならない。危険を冒す行動かどうかは、参加者がエアーポンプをクリックした回数に基づいて判定された。ゲームの前に酸っぱい味の液体を飲んだ参加者のクリック数は平均で40回であったのに対し、その他の味の液体を飲んだ参加者では平均で20〜30回だった。

 Viたちは、酸味を抑えた食事または酸味の強い食事が危険を冒す行動に影響を及ぼすのかどうかを判断するには、さらなる研究が必要だという考えを示している。



参考文献:
Vi CT, and Obrist L.(2018): Sour Promotes Risk-Taking: An Investigation into the Effect of Taste on Risk-Taking Behaviour in Humans. Scientific Reports, 8, 7987.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-26164-3
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都市部の動物の身体サイズの変化

2018/06/07 17:08
 都市部の動物の身体サイズの変化に関する研究(Merckx et al., 2018)が公表されました。身体サイズは代謝速度や生活史形質と本質的に関連しており、食物網および群集動態の重要な決定要因となります。都市のヒートアイランド現象に関連した温度上昇によって代謝コストは高くなり、より小型の体サイズへの移行が駆動されると予想されます。一方で、都市環境にはまた、生息地の分断化が著しいという特徴があり、こうした環境では移動性の種が有利となります。

 本論文は、ベルギー北部の都市部から非都市部を対象に、チョウやクモなど700種以上の動物10分類群において、空間的入れ子構造を持つ標本設計で繰り返し抽出を実行し、都市群集が一般により小型の生物種から構成されている、と明らかにしました。さらに本論文は、3通りの生息地タイプで都市が温暖化しており、これに関連して4分類群で身体サイズの群集加重平均値が減少したものの、3分類群では都市化勾配に沿ってより大型の種への移行が見られた、と明らかにしました。その理由として、大型の動物の方が分散能力と新規生息地の発見能力が高い場合があるから、と指摘されています。

 この結果は、身体サイズと分散との間に正の共変動がある場合には、より小型の種に向かうという一般的な傾向が、より大型の種に対する選別効果によって無効化されることを明らかにしています。これは、都市環境において生態資源の接続性の低下を緩和できる過程を意味する。故に、都市のヒートアイランド現象および生息地分断化は、身体サイズの群集レベルでの対照的な移行と関連しており、これらの移行は身体サイズと分散との間の関係に大いに依存していることが実証された、と指摘されています。身体サイズは生態学的ネットワークの構造および動態を決定するため、こうした移行は都市生態系の機能に影響を及ぼす可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【進化】都市部の動物の体サイズの変化

 都市化によって動物の体サイズが変化していることを報告する論文が、今週掲載される。動物種とその都市部生息地との進化的関係の解明は、都市化の生態学的影響と進化的影響を予測する上で役立つため、大事なことであり、時宜にもかなっている。

 都市環境に伴う気温上昇は、都市に生息する動物の代謝コストを増やしており、体サイズの小型化が促進されることが予測されている。今回、Thomas Merckxたちの研究グループは、ベルギー北部の都市部から非都市部に至る生息地の勾配において、そこに生息するチョウとクモなど、10分類群の700以上の動物種の個体を調べた。予想されたように、都市部の群集は一般的に体サイズの小さな種によって構成されていたが、必ずしもそうというわけではないことが分かった。研究対象となった分類群のうちの3分類群で、体サイズの大型化の傾向が見られた。Merckxたちは、その理由として、大型の動物の方が分散能力と新規生息地の発見能力が高い場合があることを挙げている。都市化によって自然の生息地が分断されるため、分散と新たな生息地の発見は、有用な進化戦略となり得る。


群集生態学:水生および陸生の都市群集における体サイズの移行

群集生態学:都市化が体サイズに及ぼす影響

 都市環境に関連する温度の上昇は、そこに生息するタクソンの代謝コストを高め、より小型の体サイズへの移行を駆動すると予想されている。T Merckxたちは今回、ベルギー北部で都市化勾配に沿って陸生と水生のタクソンについてのデータを集め、これを用いて都市化が群集レベルでの体サイズに及ぼす影響を評価した。その結果、都市群集は一般に、より小型の種から構成されることが分かった。しかし、サイズと分散との間に正の関連があるタクソンでは逆の傾向が見られ、著者らは、こうしたより大型の種に対する選別によって、都市の分断化された生息環境では分散が促進されていると示唆している。



参考文献:
Merckx T. et al.(2018): Body-size shifts in aquatic and terrestrial urban communities. Nature, 558, 7708, 113–116.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0140-0
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