アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
雑記帳
ブログ紹介
普段考えていることや気になっていることを気軽に書いていきます。文中の赤字の箇所にはリンクが張られています。文中の青字の箇所は引用文です。文中の緑字の箇所は追記です。
当ブログの記事を引用されたり、当ブログの記事へリンクなさったりする場合、とくに通知は必要ありませんが、トラックバックを送信していただければ幸いです。
長文のコメントはできれば控えてください。当ブログの記事へ長文のコメントをなさりたい場合は、ご自身のブログにて述べて、当ブログの該当記事へトラックバックを送信していただければ幸いです。
なお、本・漫画・ドラマを取り上げた当ブログの記事のなかには、内容を詳細に紹介したものも少なくないので、未読・未視聴の方はご注意ください。

メールアドレスは
alksnjdb@yahoo.co.jp
です。スパムよけのため、「@」としていますので、「@」に変更して送信してください。

ホームページのアドレスは
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htm
です。

当ブログにおけるトラックバックとコメントの扱いについては、以下の記事をご参照ください。
http://sicambre.at.webry.info/200709/article_16.html
help RSS

大河ドラマ『平清盛』第20回「前夜の決断」

2012/05/21 00:00
 保元の乱を目前にして、さすがに主人公側らしく伊勢平氏を中心として各陣営の動向・思惑が描かれ、全体的にかなり緊張感の漂うなかなか面白い回になりました。中盤の第一の山場である保元の乱に向けて盛り上げてきたな、と思います。ただ、伊勢平氏一門の動向を中心に創作が多く、今後の展開というか、史実では物語上の解釈を予想しにくいので、保元の乱の戦後処理まで見てみないと、今回の脚本が成功だったと言えるのか、判断の難しいところがあるのは否めません。

 大乱の予感がするなか、清盛はいぜんとして天皇方と上皇方のどちらにつくのか、態度を明らかにしません。それは、どちらの陣営も伊勢平氏の加勢を求めているので、ぎりぎりまで粘って高く売りつけようという意図によるものでした。このように損得で動く伊勢平氏の棟梁としての清盛を見たかったという思いはありますが、前回で最後に崇徳院を突き放したように、一応の区切りをつけて棟梁らしい冷徹なところを強調したとはいえ、これまで未熟なところが目立っただけに、計算高さが強調されると、唐突なところがあるのは否めません。また、前回で崇徳院を追い帰したのに、まだどちらにつくか決めていないというのも、話の流れとして不自然かな、とは思います。

 じっさいの清盛は、作中のように保元の乱の2日前までどちらの陣営につくか態度を表明しなかったというわけではなく、その前に態度を表明しているのですが、清盛というか伊勢平氏一門がどちらの陣営につくのか、保元の乱の直前まではっきりとしなかったのは史実で、それは、頼盛の動向に清盛が確信を持てなかったからだろう、と思います。おそらく清盛は、天皇方有利と考えて、内心ではわりと早くから天皇方に傾いていたように思うのですが、父の忠盛の正室だった池禅尼(宗子)が、崇徳院の長男で近衛帝の後継者として最有力候補だった重仁親王の乳母でしたから、池禅尼の実子である頼盛の動向が定かではないところがあり、清盛は棟梁とはいえ、伊勢平氏一門の深刻な分裂と、その結果としての自身の没落を懸念し、なかなか態度を明らかにできなかったのではないか、と私は考えています。

 しかしこの作品では、池禅尼が重仁親王の乳母という史実が採用されておらず、棟梁である清盛に忠実ではない頼盛の動向も、清盛が池禅尼の実子ではなく、それどころか忠盛の実子でさえないという、微妙な立場に起因するわだかまりが理由であるかのような話の構造になっています。また、以前に一度頼長に仕えていることを示唆するような発言があったのに、その後は頼長に仕えている様子がまったく描かれず、今回も乱の直前まで清盛と行動を共にしていた忠正の動向も、多分に創作なので、その意図と物語上の位置づけ・解釈を、理解・予想しにくいところがあります。

 史実の忠正は、おそらくそれほどの勢力ではなく、清盛にとってあまり脅威ではなかったと思われます。忠正は頼長の家人として上皇方に加わったのでしょうが、この作品では、池禅尼の忠告により伊勢平氏一門の存続のために保険をかけ、あえて清盛とは逆の選択をして、自分が不利だと考えていた上皇方につこうとした頼盛も救おうとしたのではないか、と私は現時点では解釈しています。忠正は、ずっと嫌ってきた清盛の成長を認め、あえて苦難の道を選択したのではないか、と思うのですが、その解釈の是非はさておくとして、今回の創作が物語として成功するか否かは、保元の乱後の忠正の処刑まで見てみないと、判断の難しいところです。また、清盛はあるていど忠正の意図に気づいており、頼盛が自分に背こうとしていたことも察しているようで、それが物語として活かされるのではないか、と私は予想しています。

 現時点で意図するところがよく分からない人物は他にもおり、冒頭に登場した西行の登場場面は、今回は省略してもとくに問題なかったように思います。あるいは、今後の展開に活かされるのかもしれませんが、たんに、たまには登場させないと存在を忘れ去られてしまうから、という配慮なのでしょうか。為義の陣に顔を出して冷やかした鬼若(後の弁慶)も現時点での評価が難しく、鬼若の行動と物語上の役割は、私には現時点ではさっぱり分かりません。主要人物の一人だけに、単に知名度の高い人物(とはいっても、実像は定かではないのですが)なので登場させた、ということではなさそうに思うのですが。

 今回は当然のことながら保元の乱へといたる話が中心となっており、河内源氏の話は相変わらず面白くなっていて、保元の乱の戦後処理がどのように描かれるのか、大いに注目しています。また、保元の乱後の布石も描かれており、重盛と家成の娘である経子とが出会いました。常盤と由良との覚悟の違いが対照的に描かれたのも興味深く、あるいは、頼朝と義経との関係にも影響してくるのかもしれません。面白うないのう、が口癖の信頼も気になる存在で、平治の乱の初期には、面白いのう、との発言を連発するのでしょうか。次回はいよいよ保元の乱で、このところ面白くなってきただけに、たいへん楽しみです。とくに、為朝の活躍がどのように描かれるのか、大いに期待しています。その為朝の活躍により、今回が初登場となった伊藤忠直がすぐに戦死するのかと思うと、何とも物悲しくなります。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


大相撲夏場所千秋楽

2012/05/20 18:49
 昨日、14日目を終えた時点では、4敗での優勝の可能性さえあったのですが、今日になって3敗の栃煌山関と対戦予定だった琴欧洲関が休場し、優勝は3敗の旭天鵬関・栃煌山関・稀勢の里関の3人に絞られました。まず旭天鵬関が豪栄道関相手に危ない相撲ながらも勝ちましたが、とり終えた直後の旭天鵬関は、豪栄道関の足が出ていたことに気づかず、負けたと思っていたように見えました。栃煌山関は不戦勝となり、最後に稀勢の里関が登場し、把瑠都関相手に攻め込んだのですが、上手をとられて逆転の上手投げをくらって負けてしまいました。これで、旭天鵬関と栃煌山関による優勝決定戦となったのですが、おそらく、平幕同士での優勝決定戦は史上初のことだろうと思います。優勝決定戦では、旭天鵬関が栃煌山関を叩き込みで破り、初優勝を果たしました。旭天鵬関は37歳8ヶ月での優勝となり、6場所制になってからでは最年長での優勝ということになりそうです。

 場所前にこのような大波乱になると予想していた人はほとんどいなかったでしょう。その原因はもちろん白鵬関の不調にあったわけですが、白鵬関は日馬富士関に上手く相撲を取られて負け、10勝5敗で場所を終え、横綱に昇進して以降では最低の成績となりました。日馬富士関は7勝7敗で、白鵬関にはもう優勝の可能性がなかっただけに、色々と言われることでしょう。今場所の白鵬関の不調は左手人差し指の骨折が原因でしょうから、来場所は怪我が癒えたら今場所のような不調はないでしょうが、白鵬関は昨年夏場所以降の7場所で4回優勝しているとはいえ、14勝1敗が1場所、13勝2敗が3場所、12勝3敗が2場所、10勝5敗が1場所ですから、明らかに一時期よりも白鵬関と他の力士との力の差が縮まっていると思います。その意味では、来場所以降も優勝争いは盛り上がりそうです。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直し

2012/05/19 04:13
 『ネイチャー』の5月3日号にて、現生人類(ホモ=サピエンス)の世界各地への拡散の様相についての特集が組まれていることを、以前このブログにて紹介しましたが、そのうちの、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しについての解説(Callaway., 2012)を読みました。近年になって、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しが進んでいますが、この解説では、そうした動向の中心的人物の一人である、考古学者のトム=ハイアム氏の見解を中心に、年代の見直しとその影響について論じられています。

 ハイアム氏のチームは、土壌の腐敗した有機物など試料の不純物を取り除く新たな技術を用いた放射性炭素年代測定法により、50000〜30000年前頃のヨーロッパの人骨・遺跡の年代の見直しを進めています。この年代は、アフリカ起源の現生人類(ホモ=サピエンス)がヨーロッパへと進出し、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)が絶滅した相当中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期に相当しているということもあり、たいへん関心の高い時期です。そのため、この時代のヨーロッパの人類史を復元するうえで重要な手がかりとなる新たな年代測定は、大いに注目されています。

 ハイアム氏のチームなどによる、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しは、ヨーロッパの更新世末期の人骨の年代を次々と繰り上げています。たとえば、じゅうらいはルーマニア南西部で発見された40000年前頃の現生人類人骨がヨーロッパ最古の現生人類人骨とされていましたが、ハイアム氏のチームは、ブリテン島で発見された現生人類人骨の年代を新技術で検証しなおした結果、41000年以上前になると主張しています(関連記事)。また、ハイアム氏のチームによる人骨の年代の見直しは現生人類にかぎらず、クロアチアとコーカサスのネアンデルタール人骨の年代の見直しにより、これらの地域のネアンデルタール人は40000年前頃に絶滅した、と主張されています(関連記事)。ただ、ネアンデルタール人が24000年前頃までイベリア半島で生存していた可能性を主張する見解もあります。

 50000年前頃に現生人類に起きた神経系の突然変異により、現生人類は象徴的思考などの現代的行動が可能になり、世界各地へと進出してネアンデルタール人などユーラシア各地の先住人類を絶滅へと追いやった、という神経学仮説の主張者として著名なリチャード=クライン氏は、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との共存期間は短く、短期間のうちにネアンデルタール人から現生人類への置換がおきたのではないか、と考えています。この神経学仮説は、後期石器時代・上部旧石器時代における文化的大発展という見解を前提としています。

 しかしハイアム氏は、ネアンデルタール人と現生人類は数千年間共存していて、両者の間には文化的・性的交流があった可能性もあり、ネアンデルタール人は緩やかに絶滅していった、と考えています。指摘しています。ただ、現代のヨーロッパ人とアジア人は同程度にネアンデルタール人の遺伝子を継承していると推測されているので、ネアンデルタール人と現生人類との交雑は、現生人類がヨーロッパへと進出する前のことだった、と遺伝学者たちは推測しています。もっとも、それはヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との間の低頻度の交雑の可能性を否定するわけではないだろう、と私は考えています。

 ネアンデルタール人の絶滅理由は高い関心を集めており、それと関連して、ネアンデルタール人に象徴的思考が可能だったという問題についての議論も盛んです。ネアンデルタール人に象徴的思考が可能だったという見解の根拠はシャテルペロニアン(シャテルペロン文化)なのですが、ハイアム氏は、フランスの遺跡のシャテルペロニアン層で出土した動物の骨の年代が49000年前〜21000年前であることから、層位の乱れや嵌入の可能性を指摘し、シャテルペロニアンはネアンデルタール人の象徴的思考能力の根拠にはならない、と考えています。

 これにたいして、近年の「ネアンデルタール人見直し論」の中心的人物の一人であるジョアン=ジルホー氏は、シャテルペロニアン層の人工物について、層位の乱れや嵌入の可能性を否定しています。しかし、ジルホー氏とハイアム氏の議論は学術的なものであって個人的怨恨・感情的対立ではなく、両者は共同研究を続けています。またハイアム氏のチームは、2010年に発表された、現生人類ともネアンデルタール人とも異なる系統の人類であるデニソワ人(種もしくは亜種区分は未定)の研究にも着手する予定で、デニソワ人の存在年代を絞り込もうとしているようなので、その研究成果が大いに期待されます。

 以上、この解説についてざっと紹介してきましたが、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しは、現生人類とネアンデルタール人との関係や、ネアンデルタール人の絶滅理由についても大いに関係してくるので、私もたいへん注目しています。今後は、年代の見直し例を増やしていくことで、さらに正確なこの時期の人類史の復元が可能になるでしょう。さらに、新たな技術を用いた放射性炭素年代測定法が、ヨーロッパだけではなく他の地域でも用いられることにより、世界規模での更新世末期の人類史の見直しが進むのではないか、と大いに期待しています。


参考文献:
Callaway E.(2012): Archaeology: Date with history. Nature, 485, 27-29.
http://dx.doi.org/10.1038/485027a
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


元木泰雄『平清盛と後白河院』

2012/05/18 00:00
 新潮選書の一冊として、新潮社から2012年3月に刊行されました。平清盛と後白河との関係を軸に、平安時代末期の政治史が詳しく解説されています。著者の他の著書や論考などを読んでいたので、著者の見解には馴染みがあり、違和感なく読み進められました。一般には、この時代の政治史は複雑で難しいと言われることが多いように思いますが、たとえばこの時代よりも一般的には人気・関心の高い時代である戦国時代と比較して、より複雑で難しいと言えるか疑問で、要は馴染み深さの問題なのではないか、とも思います。

 本書は、平清盛と後白河が相互依存的に密接な関係を築いていき、両者がそれにより権威・権力を強めていった様と、皇位継承問題や人事権や地方の問題などをめぐって清盛と後白河との対立が強まっていき、治承三年政変での両社の決裂へといたる過程を、当時の政治状況を踏まえて分かりやすく解説しています。本書の特徴として挙げられるのが読みやすさで、平安時代末期の政治史についての一般向け概説書としてかなりの出来なのではないか、と思います。

 今年の大河ドラマ『平清盛』などを契機として、平安時代末期の政治史に関心を持ち始めた人にはお勧めの一冊で、平安時代末期の政治史の面白さを堪能することができるでしょう。本書を読むと、今年の大河ドラマ『平清盛』も史実に忠実に描けばもっと面白くなりそうなのに、とつい考えてしまうのですが、一般向けとはいえ学術的な書物の面白さを、テレビドラマという映像の娯楽作品で表現することは、そう簡単なことではないだろうな、とも思います。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


源平合戦!「宿命のライバルの原点を追う〜平清盛vs源義朝〜」

2012/05/17 00:00
 先週このブログにて、今年の大河ドラマ『平清盛』の特番が5月15日に放送される予定であることを取り上げましたが、
http://sicambre.at.webry.info/201205/article_10.html
一昨日に表題の特番が放送され、録画して視聴しました。『平清盛』の視聴率が低迷しており、中盤の第一の山場である保元の乱の放送が間近ということもあって、番宣により少しでも関心を集めよう、という意図なのでしょう。

 全体的にはやや薄い内容となっており、番宣としての効果がどれだけあったのかというと疑問ですが、それなりに楽しめました。保元の乱の映像も一部先行公開されるとのことで、注目していたのですが、伊勢平氏と河内源氏の肉親同士の戦いを中心に話が構成されているのかな、との印象を受けました。兎丸らしき人物も登場して活躍するようで、この先行公開映像を見たかぎりでは、不安になってきたところもありますが、それでも中盤の第一の山場だけに、大いに期待しています。

 過去の大河ドラマも取り上げられ、私がこれまでに視聴した大河ドラマのなかでもっとも好きな1976放送の『風と雲と虹と』の映像も流れたのですが、その前の解説で武士は源氏と平氏しか取り上げられず、藤原氏は無視されていました。そのためなのか、平将門は同じ平氏一族に討たれた、としか解説されなかったのはなんとも残念でした。ただ、じっさいに流された映像では山口崇氏の演じた平貞盛は出てこず、露口茂氏の演じた藤原秀郷(田原藤太)が出ていました。わずかながら地上波で露口氏を見られたのはなんとも嬉しいものです。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1


現生人類の東方への拡散をめぐる議論

2012/05/16 06:13
 『ネイチャー』の5月3日号にて、現生人類(ホモ=サピエンス)の世界各地への拡散の様相についての特集が組まれていることを、以前このブログにて紹介しましたが、そのうちの、現生人類の東方への拡散をめぐる議論についての解説(Appenzeller., 2012)を読みました。この解説では、現生人類の出アフリカと東方(アジア大陸・オーストラリア大陸)への進出について、その時期と経路を巡る議論が取り上げられています。この解説では、早期拡散説(トバ大噴火前仮説)と後期拡散説(トバ大噴火後仮説)という、大きく分けて二つの仮説についてやや詳しく述べられています。この解説では、前者の代表的主張者としてポール=メラーズ氏、後者の代表的主張者としてマイケル=ペトラグリア氏が紹介されています。

 まずは近年まで支配的な仮説だったといってよい後期拡散説についてです。後期拡散説では、74000年前頃のトバ大噴火以降に、南アジア沿岸伝いで(インド洋沿いに)現生人類のアジア大陸・オーストラリア大陸への進出が始まった、とされます。インドやスリランカでは、トバ大噴火前には単純な石器しか発見されていないのに、トバ大噴火以降は、細石刃へといたる洗練された石器やビーズのような装飾品が出土するようになり、それは45000年前頃のヨーロッパにおける現生人類の出現と似た変化であり、短期間でのことだった、とされます。後期拡散説の特徴の一つは、出アフリカ後の現生人類の急速な拡散を想定していることです。

 しかしながら、想定される時期の南アジアにおける人骨や石器などの人工物の証拠が乏しく、解釈に曖昧なところがあるのは否定できません。後期拡散説では、当時の現生人類の主要な拡散経路はアジア大陸南岸沿いであり、更新世末期〜完新世にかけての海面上昇で水没して現在は海面下にあるので、証拠が乏しいのだ、と説明されます。これは合理的な説明であり、私もそうした可能性について何度か言及した記憶がありますが、後述するように、私の考える早期拡散説でもこうした説明が可能ですので、もちろん矛盾するわけではなく、整合的とも言えますが、後期拡散説の根拠にはならないと思います。

 後期拡散説は遺伝学の研究でも支持されています。ミトコンドリアDNAの研究では、非アフリカ系現代人全員はL3系統から派生したMもしくはN系統に分類されます(当然のことながら、M系統もN系統もそれぞれさらに細分化されます)。そこで、L3系統やそこから派生したM系統・N系統の分岐年代が問題になってくるのですが、いずれもトバ大噴火以降とされており、出アフリカの年代もそれ以降と考えられます。Y染色体の研究からは、さらに出アフリカの年代が下ると考えられ、後期拡散説では、現生人類の出アフリカとアジア大陸・オーストラリア大陸への進出は早くても60000年前以降であり、アジア大陸南岸沿いに急速にオーストラリア大陸まで拡散していった、と主張されます。

 さらに後期拡散説の特徴として挙げられるのが、現生人類の出アフリカとアジア大陸・オーストラリア大陸への進出の要因として、技術革新が想定されていることです。具体的には、アフリカ南部で65000〜50000年前に栄えたハウイソンズプールト文化のような洗練された技術を携えて、現生人類は出アフリカを果たしたのではないか、と考えられています。技術革新により、現生人類はネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)など他のユーラシア大陸の先住人類との競争に勝利したのではないか、ということなのでしょう。

 一方、早期拡散説では、現生人類はアジアに遅くとも74000年前頃に、おそらくは125000年前頃には進出しており、その道具は先住人類と比較して洗練されていたわけではない、とされます。早期拡散説では、急速な拡散を想定する後期拡散説にたいして、55000年前頃という想定される南アジアへの現生人類の進出時期と、40000年前以降という南アジアにおける細石刃の出現時期との間隔を指摘します。また、南アジアにおいてトバ大噴火前の77000〜74000年前頃の層から発見されるスクレーパーの担い手は現生人類かネアンデルタール人と考えられますが、南アジアにはネアンデルタール人は存在しないので、トバ大噴火前に現生人類が南アジアに進出していたのだ、と主張されます。

 早期拡散説では、時期だけではなく経路も後期拡散説とは異なっており、インド洋沿いに南アジアへと進出したとする後期拡散説にたいして、川・湖沿いに人類は拡散したのではないか、と推測されています。また、早期拡散説では現生人類拡散の要因として気候・生態系の変動が重視されます。近年のアラビア半島における研究成果では、ヌビアで発見された石器と類似した石器が、100000年以上前のアラビア半島の遺跡で発見され、その時期に現生人類がアラビア半島へ進出していた可能性は高く、それはアラビア半島が湿潤な気候だったからだ、と説明されます。また早期拡散説では、後期拡散説の遺伝学的根拠についても、現代人の分布からの推測であり、早期に出アフリカを果たした現生人類の遺伝的痕跡が失われた可能性が指摘されています。

 こうした早期拡散説の指摘にたいして後期拡散説では、ヌビアで発見された石器と類似したものはインドでは発見されておらず、100000年以上前にアラビア半島に進出した現生人類は、同じ頃にレヴァントに進出した現生人類と同様に、気候変動によりアラビア半島が乾燥化したために、絶滅したかアフリカに戻ったのであり、さらに東方のイランやインドにまで進出したのではない、と早期拡散説が批判されます。これにたいして後期拡散説では、ヌビア出土の石器と類似していないにしても、他のアフリカ東部の中期石器時代の石器と類似した石器がアラビア半島のジェベルファーヤ遺跡で発見されている(関連記事)、と反論されています。

 こうした両説の応酬にたいして、クリス=ストリンガー氏のような他の研究者たちは、人骨・人工物の証拠が乏しいことから、もっとデータが得られるまでどちらかを支持することはしない、という慎重な判断を示しています。また、クリス=クラークソン氏は、早期拡散説で現生人類の所産とされるインドやアラビア半島での人工物は、未知の古代型人類集団の所産かもしれない、と考えています。早期拡散説も後期拡散説も、乏しく曖昧な人工物に依拠している、とクラークソン博士は指摘しています。

 以上、この解説をざっと紹介しましたが、私は早期拡散説の方に傾いています。ただ、早期拡散説といっても、川沿い・湖沿いだけではなく、インド洋沿いの南アジアへの進出もあっただろう、と思います。ただし、現時点での遺伝学的な研究成果から、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源は、80000〜50000年前頃に出アフリカを果たした比較的小さな現生人類集団に由来するだろう、と考えています。おそらく、100000年以上前に出アフリカを果たした現生人類は、絶滅したか、環境変動に伴いアフリカに戻ったか、後から進出してきた現生人類集団に吸収され、ネアンデルタール人やデニソワ人のように、現代人のミトコンドリアやY染色体に遺伝的痕跡を残していないのではないか、と考えています。


参考文献:
Appenzeller T.(2012): Human migrations: Eastern odyssey. Nature, 485, 24-26.
http://dx.doi.org/10.1038/485024a
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


大相撲夏場所9日目

2012/05/15 06:06
 昨日、夏場所9日目を迎えました。注目は連敗中の白鵬関だったのですが、白鵬関は結びの一番で豊ノ島関に首投げで負けてしまい、7日目から3連敗となってしまいました。白鵬関は豊ノ島関相手に攻め続けていたのですが、不充分な体勢のまま攻めていったところを、逆転の首投げを喰らってしまいました。これで白鵬関は5勝4敗となり、横綱に昇進して以降、9日目の時点で4敗というのは初めてのことで、場所前にはとても想像のつかない結果となりました。

 白鵬関は、左手人差し指を骨折しているということもあってか、焦りが見られるように思われ、不充分な体勢のまま強引に出ていって土俵際で逆転されるところが見られます。それ故に、怪我から回復すれば、このまま急速に衰えて引退するのではなく、再び強さを取り戻すでしょう。ただ、このところ一時期よりも白鵬関と他の力士との力の差が縮まってきた感があり、白鵬関の体調が万全になったとしても、以前のような白鵬関の独走はないだろう、と思います。その意味で、今後は優勝争いが面白くなることが多そうではあります。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


続きを見る

トップへ

月別リンク

雑記帳/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]