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大河ドラマ『平清盛』第4回「殿上の闇討ち」

2012/01/30 00:00
 今回は、壇ノ浦の戦い後の源頼朝の回想からではなく、北面武士が流鏑馬の訓練をしている場面から始まりました。この作品の演出が一昨年の大河ドラマ『龍馬伝』のそれを志向しているのだろうということは、私も含めて多くの人が感じているでしょうが、頼朝の回想から始まるという構成は、『龍馬伝』で明治時代の弥太郎の回想から始まるという構成と通じるものがあります。ただ、四部構成の『龍馬伝』で明治時代の弥太郎の回想から始まったのは各部の初回だけだったのにたいして、この作品では初回から3回連続して壇ノ浦の戦い後の源頼朝の回想から始まったので、さすがに飽きてきたのですが、今回は本編から始まったので、常に壇ノ浦の戦い後の源頼朝の回想から始まるというわけではなさそうです。今後、各回の冒頭がどのような場面から始まるのか、まだ分かりませんが、頼朝の回想から始まるのは、『龍馬伝』のように節目の回だけにしてもらいたいものです。

 流鏑馬の訓練で佐藤義清(西行)が見事な腕を披露したのにたいして、清盛は無様な姿を晒してしまいます。流鏑馬の訓練の後、北面の武士は待賢門院(璋子)の警護に赴きますが、その前に化粧を始める他の北面武士たちを見て、清盛は唖然とします。待賢門院とその女房たちによる華やかな歌詠みの場で、北面武士も堀川局の詠んだ歌について意見を求められ、貴族社会の生活者らしく洗練された返答をしますが、なかでも義清は、添削までして待賢門院とその女房たちを感心させます。一方清盛は、意見を求められて見当はずれな返答をしてしまい、貴族社会に馴染めない粗野な武士であることが強調されます。じっさいには、清盛も貴族社会に順応し、かなり洗練された人物だったとは思うのですが、物語の構成上、このように分かりやすい人物造形とするのは仕方のないところでしょうか。

 毎回楽しみな鳥羽院周辺の物語は今回も面白く、待賢門院は相変わらず無邪気に鳥羽院を傷つけます。さすがに堀川局が待賢門院を諌めますが、待賢門院は何が悪かったのかまったく理解できていない様子です。この作品の待賢門院は、浮世離れした人物として描かれていますが、檀れい氏にとってはまさにはまり役といった感じで、脚本・演出もさることながら、何よりも配役を賞賛すべきでしょう。あるいは、檀れい氏が演じることを前提に、人物造形がなされたのかな、とも思いますが。

 待賢門院の件もあり、まだ白河院の呪縛から逃れられない鳥羽院の心の隙に取り入っていったのが忠盛で、得長寿院に千体観音を寄進し、傷ついた鳥羽院の心を慰めることに成功します。この件もあって、忠盛は内昇殿を許可され殿上人となりますが、白河院を否定しようとする鳥羽院が、白河院に重用された忠盛を信頼するようになった経緯を短時間で上手く説明できていたように思います。こうしたところは、しっかりと物語が作られているな、と安心します。殿上人となった忠盛に、清盛はわざとらしく祝いの言葉を述べますが、この時の台詞が説明口調でした。殿上人がいかなるものなのか、何とか違和感なく説明しようとする工夫が見られ、悪くはなかったように思います。

 宴の場に招かれた忠盛は藤原忠実の陰険な嫌がらせにあって恥辱を受けるのですが、当時の貴族層の感情として、新興の伊勢平氏の出世は不快なものだったろう、とは思います。もっともそれは、この作品で描かれていたような武士にたいする差別というよりは、少し前までは下層貴族層というか侍身分だった一族が急速に昇進してきたことにたいする反感だったのだろう、とは思います。この作品は武士と貴族とを対照的に描くという基本構成になっているので、これでもよいのでしょうが、そうした伝統的歴史観を批判してきた橋昌明氏が時代考証担当の一方だけに、もっと違う世界観も提示できたのではないか、とやや残念ではあります。それにしても、忠盛への嫌がらせといい為義への煽りといい、忠実は本当に陰険な人物で、身近にこういう人がいると困りますが、ドラマとして見る分には楽しめます。

 この後、有名な殿上闇討事件が描かれるのですが、この作品では、息子の父親への反発と、父親の息子への愛情という主題で貫かれていました。これは長期の物語での定番の一つというか王道ではあるものの、それだけに、脚本・演出で間違ってしまうと陳腐なものになってしまう危険もあります。しかし今回は、父親同士・息子同士を対照的に描くことにより、なかなか上手く見せていたのではないか、と思います。じっさいの為義はこの作品で描かれているほどには情けない人物ではなかったでしょうが、大物の忠盛とは対照的な分かりやすい人物造形になっており、物語としてはなかなか面白くなっています。

 この作品の主題の一つであろう、王家の犬としての武士がどのようにその立場を脱して日本の支配者となっていくのか、という点についても、親子関係と絡めて大きな展開が見られました。忠盛が王家の犬の立場にすっかり安住しているのではないか、と反発する清盛ですが、忠盛は清盛を自分の子として育てることを決めた日から、王家の犬では終わらないと決意していたことを明かしました。これはさすがに結果論的解釈に偏っているかな、とも思うのですが、作品の基本的な世界観に関わることでもあり、物語としては破綻していないので、仕方のないところでしょうか。

 今回もかなり面白く、今後の視聴が楽しみです。ここまで楽しみにしている大河ドラマとなると、2007年放送の『風林火山』以来ですが、さすがに第4回までの出来で比較すると、『風林火山』のほうが上かな、と思います。『風林火山』の序盤は、大河ドラマに限らず私が視聴したドラマの中ではもっとも面白かったのですが、『風林火山』は中盤以降に失速した感があり、話が進むにつれて面白くなっていった『風と雲と虹と』や『草燃える』の方を、私は総合的には高く評価しています。『平清盛』が、今後さらに面白くなることを願っていますが、案内本のあらすじを読んだ限りでは、脚本はさほど心配しなくてよさそうです。演出と演技、とくにコーンスターチを相変わらず多用している演出は不安ですが、脚本と演技がよければ、あまり気にはならないでしょう。
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通俗的歴史観

2012/01/29 04:57
 このブログにて今年の大河ドラマ『平清盛』について言及した記事にて、たびたび「通俗的歴史観」という表現を用いているのですが、具体的に念頭にあるのは、小学校6年生〜中学生の頃によく読んでいた、『図説学習 日本の歴史』(旺文社)の記述です。『図説学習 日本の歴史』は全8巻で、第1巻〜第5巻が通史(第1巻が原始〜大和時代、第2巻が奈良〜平安時代、第3巻が鎌倉〜室町時代、第4巻が安土桃山〜江戸時代、第5巻が明治時代以降)、第6巻と第7巻が人物伝(第6巻が安土桃山時代まで、第7巻が江戸時代以降)、第8巻が文化史・年表・総索引という構成になっています。

 この『図説学習 日本の歴史』全8巻は、元々教育熱心な叔父・叔母が子供(私にとっては1歳上の従兄弟)の歴史教育のために購入したのですが、従兄弟は歴史にはあまり興味を持たず、全8巻を購入後しばらくして仕事の都合で引っ越すことになり、私が1981年放送の大河ドラマ『おんな太閤記』を見てから歴史に興味を持ったということもあって、自転車で往来できるくらいの距離にあった私の実家が譲り受けることになり、その後私が独り暮らしを始めたさいに実家から持ってきて、現在も自室に置いている、という経緯があります。

 私の歴史知識・認識は、その基礎のほとんどがこの『図説学習 日本の歴史』全8巻により形成されたと言ってよく、義務教育での社会科の授業よりもはるかに多くの影響を受けました。それは、『図説学習 日本の歴史』全8巻は1巻平均300ページ以上の分量があり、小学校高学年〜中学生向けにしては詳しい内容ながら、豊富な図版と総振り仮名により読みやすい工夫がなされていたからで、学習書としてはかなり優れており、今読んでもなかなか面白いと思います。ただ、現在では残念ながら改訂版が刊行されていないようで、そのこととも関連して、刊行がかなり古い(初版は1970年代の刊行)こともあり、今となっては否定された見解が少なからず採用されています。

 こうした学習書には今でもかなりの需要があるように思うのですが、少子高齢化の時代だけに、残念ながら刊行は難しいのでしょうか。前置きが長くなり過ぎたというか、この記事はかなりのところ前置きだけになってしまうのですが、本題についてです。本書は刊行が古いだけに、提示されている見解が今となっては否定されていることも少なくないのですが、それだけに、現在でも根強い通俗的見解が見られるというところもあり、その意味でもなかなか興味深いところがあります。今年の大河ドラマ『平清盛』に関連する通俗的見解と言える記述としては、以下に引用する第2巻(初版の刊行は1977年、私が所有している重版の刊行は1983年)P261〜262の、保元の乱後の政治情勢についての一節があります。

 武士では、一族を自分の手で殺してしまった源義朝が、その後はあまり出世もできず、孤独な日を送っていた。
 それに引きかえ、平清盛は保元の乱では大きな働きもなかったのに、信西と結んで勢力をのばし、播磨(兵庫県)の国守になったりしていた。官位も四位で、義朝の五位より高く、義朝を引き離していた。
 しぜん義朝は信西・清盛と対立するようになり、信頼に近づいていった。


 現在では、保元の乱の前の時点で義朝と清盛との間の官位にかなりの開きがあり(清盛の正四位下にたいして、義朝は従五位下)、保元の乱後に従五位上から正五位下へと昇進した義朝が、清盛と比較して冷遇されたという説は否定されています。清盛は保元の乱後に播磨守や大宰大弐を歴任していますが、位階は正四位下のままで、正三位に昇進して公卿になったのは平治の乱後のことです。清盛が正四位下に昇進したのは保元の乱の10年前のことですが、その後昇進がなかったのは、正四位下昇進後の祇園闘乱事件の影響とも考えられますし、当時の伊勢平氏のような下級貴族にとって、上級貴族とも言うべき公卿に昇進するさいの壁はたいへん高かった、とも言えるでしょう。

 また、一時は有力な皇位継承候補だった重仁親王(崇徳上皇の長男)の乳母が池禅尼だったことから、保元の乱では伊勢平氏の主力が崇徳上皇方につく可能性もあったわけで、戦場での直接の働きは清盛よりも義朝のほうが上としても、伊勢平氏の主力が後白河天皇方について保元の乱の帰趨を決定づけたことは、清盛の大きな功績と言えるでしょう。今年の大河ドラマ『平清盛』では、保元の乱〜平治の乱にかけての政治史がどう描かれるのか、たいへん楽しみです。
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選抜出場校決定

2012/01/28 00:00
 第84回選抜高校野球大会の出場高が決定しました。
http://www2.asahi.com/koshien/news/OSK201201270072.html

 2008年と2009年が典型的でしたが、選抜は投手力の比重が高く、打力がやや見劣っていても、好投手がいれば優勝できるというところがあります。これは夏の選手権大会との大きな違いであり、時期的に選手が消耗しにくいということと、夏とは異なり、直近の公式戦から間隔があくので、投手の疲労があまり蓄積されていないことが原因なのでしょう。直近の公式戦から間隔が空くために、前年秋の成績があまり参考にならないことも選抜の特徴で、明治神宮大会優勝高は、選抜では期待外れの成績に終わることが多くなっています。その意味で、昨年の選手権大会の準優勝校で昨秋の明治神宮大会を制した光星学院にも全幅の信頼を置けないように思います。現時点では、光星学院・浦和学院・関東一・愛工大名電・大阪桐蔭・神村学園が優勝候補だと考えていますが、ともかく、今から開幕が楽しみです。
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現代の採集狩猟民から推定される人間のネットワークの特徴の起源

2012/01/27 00:00
 『ネイチャー』の今週号の表紙には、タンザニア北部のハツァ族の女性がngwilabeeという果実を摘んでいる様子の写真が掲載されています。これは、『ネイチャー』の今週号に掲載されている狩猟採集民の社会的ネットワークと協力についての研究(Apicella et al., 2012)に関連したものです。ハツァ族は現代の「先進社会」からほぼ完全に切り離された集団で、人類学で初期的な狩猟採集民の社会を調べるさいの有用なモデルになっている、とのことです。

 この研究では、個人間の結束や協力の傾向を定量した、ハツァ族の社会的ネットワークが調べられ、推移性や同族親和性など、現代社会のネットワークに見られる主な特徴がハツァ族で認められることが明らかにされました。さらに、社会的な結束は公共財ゲームで同レベルの贈与をする個人間のほうが強く、ハツァ族の集団では、協力の程度の差異はグループ間で大きく、グループ内では小さかった、とのことです。こうした結果から、人間のネットワークの重要な特徴は共通の起源を持ち、人類史の早い時点で生じた可能性があるのではない、と示唆されています。

 確かに、更新世の人類社会を推定するにあたって、現代の都市部の社会よりも、採集狩猟民の社会のほうが参考になるだろうとは思いますが、NHKスペシャル『ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった』についての雑感でも述べたように、
http://sicambre.at.webry.info/201201/article_24.html
現代の採集狩猟民は、更新世には存在しなかった広範な農耕と近代社会という条件下で生活しているということと、現代の採集狩猟民も現代の農耕民・都市民と同じ時間を過ごしており、程度の違いはあるかもしれないにしても、長期にわたる社会的変容を経験してきた、ということは大いに強調すべきだろう、とは思います。

 じっさい、「原始的な生活」を長期にわたって維持してきた、と考えられる傾向にあるアマゾン川流域の先住民については、過去に大規模な社会を構築した経験のあることがじゅうぶん想定され、
http://sicambre.at.webry.info/200801/article_27.html
http://sicambre.at.webry.info/201006/article_22.html
アマゾン川流域の先住民の現代の社会構造が、更新世の人類のそれとは大きく異なる可能性は低くないだろう、と私は考えています。

 もっとも、私は不勉強なので、ハツァ族がどのような経緯で成立したのか、まったくといってよいほど知りませんが、ハツァ族の社会と更新世の人類社会とを安易に結びつけてはならないだろう、とは思います。人間のネットワークの重要な特徴は共通の起源を持ち、人類史の早い時点で生じた可能性がある、と私も考えていますが、それは、「現代の先進社会からほぼ完全に切り離された集団」にも見られるからということではなく、ハツァ族も含めて世界の広範な社会集団で確認されて言えることだろう、と思います。


参考文献:
Apicella CL. et al.(2012): Social networks and cooperation in hunter-gatherers. Nature, 481, 497–501.
http://dx.doi.org/10.1038/nature10736
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『太陽にほえろ!』270話「殿下とライオン」9

2012/01/26 00:00
 殺人容疑のかけられたワンマン社長が、周囲の人には誤解されてしまうけど、じつは家族と社員を深く愛している、という話です。ワンマン社長を好演しているのは、今は亡き中条静夫氏で、ゲストの好演が作品の質を高めています。まあでも、確かに社員思いの社長なのでしょうが、じっさいにこんな社長の下で働くことになったら、何かと困ることが多いのでしょうなあ。
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杣田善雄『日本近世の歴史2 将軍権力の確立』

2012/01/25 06:21
 『日本近世の歴史』全6巻の第2巻として、2011年12月に吉川弘文館より刊行されました。本書の叙述範囲は、江戸幕府の将軍でいうと第三代の家光と第四代の家綱の時代を対象としていますが、家光の代とはいっても、第二代将軍秀忠没後がおもに叙述範囲となっており、家光が「天下人」となって以降ということになります。表題にあるように、この時代は将軍権力が確立していった時期なのですが、本書を読むと、むしろ将軍個人の資質に大きく左右されない安定した江戸幕府の統治体制の確立、との表現のほうが適しており、本書も基本的にはそうした論調で叙述が進められているように思います。それはまた、家光・家綱ともに病弱であったこととも関係があると言えそうです。

 まだ戦国時代の遺風が多分に残っていた家光の代の初期から、島原の乱と寛永の大飢饉を経て、江戸幕府の統治機構が確立していき、国内の政治情勢も安定していきます。しかし、家光から家綱への代替わりのさいにもなお、支配層には代替わりに伴う不安定化・騒乱の勃発がかなりの程度懸念されており、これには、秀忠・家光の将軍就任のさいには前代の将軍が健在だったのにたいして、家綱は前代の将軍の死により若くして「天下人」の地位を継承した、という事情があるのかもしれません。

 おそらくは現代日本人の多くが江戸幕府の政治制度として認識しているであろう枠組みの多くが、家光・家綱の時代に確立しており、現代日本社会では前後の時代と比較して人気の低い地味な時代かもしれませんが、近世の枠組みが定まった重要な時代だと思います。本書は、そうした政治・社会制度の確立期を、決められた分量のなかで過不足なく叙述しているなかなかの良書ではないか、と私は評価しています。この『日本の近世』全6巻の趣旨は、高校生・高校教科書をも強く意識した、あくまでも一般読者を対象とする分かりやすい政治史とのことですが、本書はかなりのていどそれを実現できているように思います。
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NHKスペシャル『ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった』

2012/01/24 06:35
 先日、このブログで取り上げたNHKスペシャル『ヒューマン なぜ人間になれたのか』シリーズの放送が一昨日より始まりました。
http://sicambre.at.webry.info/201201/article_18.html

 一昨日は第1集が放送され、現生人類(ホモ=サピエンス)が世界各地に進出する前に、アフリカでいかに危機を乗り越えたか、ということが解説されていました。全体的に、人類の生存・繁栄にとって他の生物には見られないような密接な協力が大事だという主題が貫かれており、その主題に沿って学説の中から都合のよいものが取り上げられたり、有力な学説が解釈されたりしていた、という印象を受けました。集団内および他集団との密接な協力を現生人類繁栄の要因とする見解は有力と言えるかもしれませんが、技術革新やそれを可能とする潜在的知的能力という問題も重視すべきだとは思います。全体的に疑問は少なくないのですが、CGも用いた再現映像はさすがにNHKらしく見応えがありましたし、ブロンボス洞窟のような著名な遺跡を見られるという貴重な機会でもあり、まずまず満足しています。以下、個別の見解への疑問です。

 まず問題なのは、20万年前頃から出アフリカの前までの現生人類が、現代の「黒人」のような外見をしていた、と印象づけられるような配役・演出です。現代の「黒人」も、現生人類の出アフリカ後に非アフリカ系現生人類と同様に進化してきたのだ、ということは大いに強調すべきだと思います。これと関連して、サン族の暮らしが20万年前頃の現代人の祖先と似たようなものである、と想定されていることも疑問です。現代の採集狩猟民の生活と更新世の人類の生活との間にどれだけの共通性があるのか、慎重に判断すべきでしょう。現代の採集狩猟民は、農耕の拡大、さらには近代社会の成立という条件下で生活しているわけで、それらの存在しなかった更新世社会の採集狩猟民の生活との類似性は慎重に推測すべきでしょう。

 また、現代の採集狩猟民も現代の農耕民・都市民と同じ時間を過ごしてきたわけで、程度の違いはあるかもしれないにしても、長期にわたる社会的変容を経験してきた、ということを考慮に入れておくべきでしょう。人類の過去の社会構成、とくに更新世のそれについては、現代の人類社会や他の霊長類社会からの推測に依拠したところが多分にあり、安易に現代の社会状況を過去に投影すべきではないでしょう。このことと関連して、サン族の首飾りと10万年前頃のアフリカの首飾りとにどの程度共通の意味合いがあったのか、慎重に推測すべきであり、同じ社会的意味を持っていた、と安易に判断することは避けるべきでしょう。また、オーカーが身体の装飾に用いられていた、と番組では説明されていましたが、その可能性は低くないにしても、確証はないと思います。

 以下、その他の問題について簡潔に述べていきます。直立二足歩行により人類の出産が困難になったことは間違いなく、それは脳の巨大化とともにさらに著しくなりますが、そのことが他の生物とは異なる人類の協力性をもたらしたという番組での見解には、慎重な検証が必要だと思います。相変わらず、猿人・原人・旧人・新人という枠組みで人類の進化が説明されていたことにも疑問が残ります。トバ大噴火により人類が絶滅の危機に瀕した、という見解は有名ですが、疑問が呈されています。
http://sicambre.at.webry.info/200707/article_8.html

 黒曜石の分布からの人類の交流に関する推測は有力な仮説ではありますが、黒曜石の産地一例を根拠に、トバ大噴火以降に黒曜石の分布範囲が10km以内から70kmに広がったことを示し、危機に瀕して広範な協力関係を築いていた集団が生き残っていった、という解釈には疑問が残ります。トバ大噴火により本当に人類が絶滅の危機に瀕したのならば、人口密度も減少したわけで、生存環境が厳しくなったにしても、人口密度が希薄になった中で遠方の他集団と安定的な交流を築くよりは、技術革新や生計手段の多様化(水産資源や球根など地下植物資源の開発など)により生き延びた可能性のほうが高いのではないか、と思います。交流・協力の広範囲化は、更新世においては、人類繁栄の要因というよりも、逆に人類の繁栄というか人口増加の産物であるという側面のほうが強いように思います。なお、黒曜石の広範な移動は、トバ大噴火前の十数万年前のアフリカ東部においてすでに確認されます(300km以上)。以上、色々と疑問点を述べてきましたが、まずまず楽しめましたので、次回も視聴する予定です。
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