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現生人類の起源と拡散をめぐる新展開

2018/07/23 16:36
 近年、現生人類(Homo sapiens)の起源と拡散をめぐって大きな進展があり、じゅうらいの有力説は大きく見直されつつあります。そうした動向を詳細に取り上げるだけの気力はまだありませんが、とりあえず、思いついたことを短くまとめておきます。じゅうらいの有力説を大まかにまとめると、現生人類はアフリカの一地域(東部もしくは南部)において20万年前頃に出現して、6万〜5万年前頃にアフリカから世界中へと拡散し、この非アフリカ系現代人の祖先集団の出アフリカは1回のみで、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などの先住人類とは交雑しなかった、となります。

 しかし、近年では、30万年以上前に現生人類の派生的特徴を有する人類集団がアフリカ北部に存在した、と明らかになっています(関連記事)。さらに、出アフリカに関しても、現生人類(的な特徴を有する集団)が、レヴァントでは194000〜177000年前頃(関連記事)、アラビア半島では88000年前頃(関連記事)、東アジアでは12万〜8万年前頃(関連記事)、東南アジアでは73000〜63000年前頃(関連記事)に存在した、との見解が提示されています。これらの現生人類(的な特徴を有する)遺骸は、現生人類の起源と拡散に関するじゅうらいの有力説に大きな見直しを迫るものです。

 まず、現生人類の起源に関しては、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。現生人類の派生的な形態学的特徴はアフリカでのみ進化したものの、それは単一の地域・集団のみではなく、複数の地域・集団で異なる年代に出現した、というわけです。じっさい、たとえば現生人類系統の頭蓋に関して、現代人の変異内に収まるようになったのは、脳容量では30万年前頃までさかのぼりますが、球状の形態では100000〜35000年前頃の間と推定されています(関連記事)。

 現生人類アフリカ多地域進化説を前提とすると、現時点での形態学・遺伝学の知見を整合的に解釈しやすいように思われます。遺伝学、とくにミトコンドリアDNA(mtDNA)の分析から、非アフリカ系現代人の祖先集団の出アフリカは1回のみで、7万年前頃以降のことだった、と考えられていました(関連記事)。しかし、上述したように、8万年以上前となりそうなアフリカ外の現生人類(的な特徴を有する)遺骸も増えつつあります。しかも、東アジアの12万〜8万年前頃の人類の歯に関しては、近い年代のレヴァントの現生人類(的な人類集団)よりも派生的で現代人に似ている、とさえ指摘されています。

 じゅうらいの有力説では、こうした知見は矛盾と考えられ、色々と苦しい説明を強いられたのですが、現生人類アフリカ多地域進化説では、整合的に説明可能です。アフリカ多地域進化説では、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現したと想定されていますから、現生人類系統において、歯がより派生的(現代人的)な系統と現代人より祖先的な系統との混在もじゅうぶん考えられ、東アジアに12万〜8万年前頃に拡散した集団は、とくに歯が派生的(現代人的)だった、と解釈できます。東南アジアの73000〜63000年前頃の人類の歯も明確に現生人類のものと考えられており、ユーラシア東部には十数万年前より派生的な歯を有する現生人類系統が拡散していたのかもしれません。

 また、非アフリカ系現代人の祖先集団の出アフリカは1回のみで、その年代は7万年前頃以降との見解については、10万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散した現生人類系統は、絶滅するか人口で上回る後続の出アフリカ現生人類系統に吸収され、非アフリカ系現代人には初期出アフリカ現生人類集団固有のmtDNA系統が継承されなかった、と解釈できます。この新旧出アフリカ現生人類集団の存在は遺伝学からも示唆されており、現代パプア人のゲノムの少なくとも2%は、旧出アフリカ現生人類集団に由来する、と推測されています(関連記事)。もっとも、こうした解釈はじゅうらいの有力説でも成立しますが。また、現生人類とネアンデルタール人などユーラシアの先住人類との交雑も明らかになりました(関連記事)。

 現時点で現生人類の起源と拡散について簡潔にまとめると、以下のようになります。現生人類の派生的な形態学的特徴は、50万〜40万年前頃以降に、アフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成されていきました。現生人類系統の形態学的特徴が最終的におおむね現代人の範囲に収まったのは、10万年前以降だと思われます。現生人類系統は20万年以上前よりアフリカからユーラシアへと拡散し、ネアンデルタール人などユーラシアの先住人類と交雑しました。しかし、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった集団は比較的小規模で、その出アフリカは7万〜5万年前頃の1回のみでした。それよりも前にアフリカから世界各地へと拡散した現生人類系統は、絶滅するか、人口がずっと多かった非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった集団に吸収されたため、現代人にはわずかしか遺伝的痕跡を残していません。こうした現生人類の拡散パターンは、世界神話学との関連でも注目されます(関連記事)。もちろん、今後の研究の進展により、以上のような見解も修正が必要になってくるでしょう。
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大河ドラマ『西郷どん』第27回「禁門の変」

2018/07/22 18:51
 西郷吉之助(隆盛)は一橋(徳川)慶喜を訪れた帰りに、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と遭遇します。この時点では変装していた桂ですが、吉之助を宿に訪ねてきます。長州藩強硬派が上京を計画しているなか、桂は吉之助に、慶喜との仲立ちを依頼します。長州藩の真意を慶喜に説明したい、と桂は考えていました。しかし慶喜は、孝明天皇に、長州藩討伐の勅命を要求します。慶喜は吉之助に招かれて料亭へと向かいますが、そこには吉之助と共に桂もいました。慶喜は桂に、長州藩強硬派の説得を条件に、桂の要求を受け入れる、と伝えます。しかし慶喜は、長州藩強硬派の計画を知ると、長州藩弾圧を決意します。と言いますか、最初から桂の要求を受けいるつもりはなかったように思われます。

 その後、池田屋事件により、長州藩強硬派がいよいよ上京してきます。慶喜は薩摩藩などと共に長州藩を討伐するつもりでしたが、吉之助は京都での戦いを避けようとします。慶喜は、生まれの水戸藩から暗殺されそうになったことで疑心暗鬼に陥っており、吉之助に、お前だけは裏切らないでほしい、と念押しします。孝明天皇の勅命が下ったことで、出兵を渋っていた吉之助も長州藩との戦いを決意します。薩摩軍の奮闘により、長州軍は撤退します。合戦場面は予想以上に迫力がありました。来島又兵衛の「ラリアット」は、娯楽ドラマとして有だと思います。

 今回は幕末政治ドラマとしてまずまず面白かったように思います。ほぼ吉之助と慶喜との思惑により話が進行し、桂も多少絡んできた程度だ、との批判もあるでしょうが、あくまでも娯楽ドラマなのですから、安政の大獄以前の吉之助と慶喜との(おそらくは創作の)深い関係を前提としつつ、上手い構成にしたな、と思います。今回は中村半次郎(桐野利秋)と吉之助との再会も描かれ、こちらも、吉之助と子供時代の半次郎との(おそらくは創作の)出会いを前提としつつ、上手く作ってきたと言えるでしょう。川路利良は今回が初登場で、明治編というか西南戦争編の重要人物もそろいつつあり、最後までまずまず楽しみに視聴できそうです。
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大相撲名古屋場所千秋楽

2018/07/22 17:32
 今場所は3横綱のうち稀勢の里関が初日から、白鵬関が4日目から、鶴竜関が6日目から休場し、3横綱全員が休場となりました。3横綱とも全員30代で、稀勢の里関の復活はないでしょうから、深刻な事態だと思います。大関陣では、新大関の場所となり初日から5連勝していた栃ノ心関が6日目の取り組みで負傷して7日目から休場となり、おそらくは少なからぬ人が有力な優勝候補と考えていただろう、白鵬関・鶴竜関・栃ノ心関の3人が、前半でいずれも休場するという何とも残念な場所となりました。栃ノ心関の休場は、新大関でしたから勇気の必要な決断だったでしょうが、今後を考えると英断だと思います。来場所での巻き返しに期待しています。

 上位陣は高安関を除いて全員30代で、高安関は20代とはいっても安定感に欠けます。本来は、照ノ富士関がとっくに横綱に昇進し、今頃は最強力士として君臨しているはずだったのですが、怪我と強引な出場により幕下まで陥落してしまいました。逸ノ城関も、現時点で少なくとも大関には昇進しておかねばならない逸材のはずですが、関脇に復帰して安心したのか、今場所の相撲内容は本当に悪く、何とか千秋楽に勝ち越して、8勝7敗としました。まあそれでも、高安関との一番はなかなか内容がよかったと思います。来場所以降はそんな感じで15日間相撲をとってほしいものです。上位陣がほぼ30代という状況を懸念していた相撲愛好者は私も含めて多かったでしょうが、今場所はそれがはっきりと現れたという感じで、今後が大いに心配です。

 大混戦となった今場所を制したのは、御嶽海関でした。現時点での実力では、白鵬関・鶴竜関・栃ノ心関が抜けているでしょうが、その3人がそろって休場し、対戦せずにすんだという幸運はあったにしても、13勝2敗での初優勝は見事だと思います。御嶽海関は先場所までの8場所ずっと三役の地位を保ち続けており、そのうち負け越しは1場所だけ、それも7勝8敗でしたから、安定感はあり、次の大関候補の一人でした。しかし、この間二桁勝利は1場所もなく、白鵬関・鶴竜関の両横綱よりもかなり見劣りするのは当然としても、上位での安定感では上回っていたはずの栃ノ心関にも、今年(2018)になって一気に追い抜かれ、先に大関に昇進されてしまいました。

 どうも、御嶽海関には安定感と一定以上の地力はあったにしても、上位との決定的な差があったように思うのですが、上述した幸運はあったにしても、今場所の結果は、ついに覚醒したのではないか、と期待させるのにじゅうぶんな内容でした。御嶽海関は来場所大関昇進に挑むことになりますが、12勝以上で確定、11勝で内容次第といったところでしょうか。正直なところ、御嶽海関と現時点での上位の実力者3人(白鵬関・鶴竜関・栃ノ心関)との間にはまだ大きな力の差がありそうですし、豪栄道関・高安関の先輩両大関との比較でも、瞬間的な強さという点ではまだ見劣りすると思います。その意味で、御嶽海関が大関に昇進できたとしても、豪栄道関や高安関程度の物足りない成績になってしまう可能性は低くないと思います。

 ただ、上述したように、上位陣はほぼ30代なので、今年12月に26歳を迎える御嶽海関が、現在の横綱・大関陣の引退により、繰り上がりで最強力士となって横綱に昇進する可能性もあるでしょう。しかし、できれば、現在の横綱・大関陣が決定的に衰える前に、横綱に昇進するくらいの活躍を見せてほしいものです。もちろん、御嶽海関よりも若い力士の台頭も期待されます。白鵬関・鶴竜関には、20代の力士が横綱に昇進するまで、休場を挟みつつ何とか現役を続けてもらいたいものです。稀勢の里関がこれだけ休場を続けても引退勧告されないのですから、白鵬関はもちろんのこと、稀勢の里関よりも実績が上の鶴竜関も、多少休場しても引退勧告すべきではないでしょう。
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玉木俊明『ヨーロッパ繁栄の19世紀史 消費社会・植民地・グローバリゼーション』

2018/07/22 06:28
 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2018年6月に刊行されました。本書はヨーロッパの「ベルエポック(良き時代)」がどのように成立したのか、さらにはその内実と影響を論じています。著者の他の著書としては、『ヨーロッパ覇権史』(関連記事)や『先生も知らない世界史』(関連記事)を当ブログで取り上げましたが、そのため、本書の見解で戸惑うことはありませんでした。大きな問題を取り上げているだけに、個々の分野の専門家からは突っ込みがあるかもしれませんが、なかなか興味深く読み進められました。

 本書が対象としているのは1815〜1914年で、ウィーン体制の成立から第一次世界大戦の直前までとなります。この時期(ベルエポック)にヨーロッパは(他地域との相対的比較で)最も輝いた、と本書は論じます。本書の基調は、ヨーロッパの繁栄は他地域、とくにアメリカ大陸からの収奪により成り立っており、ヨーロッパの工業化・経済発展は流通・金融・電信(情報)を抑えたイギリスのヘゲモニーに依拠するとともに、イギリスのヘゲモニーを強化した、というものです。ヨーロッパ、とくにイギリスの覇権における流通の重視は著者の一貫した見解で、本書でも強調されています。じっさい、イギリスは世界で最初に工業化の進展した国・地域ですが、その1年単位の貿易収支は18世紀後半〜20世紀初頭にかけて、ほぼ赤字だったそうです。本書は、ヨーロッパの繁栄を可能とした他地域からの収奪も、流通の掌握が前提条件になる、とその意義を強調しています。また、ヨーロッパの工業化・経済発展とはいっても、国により、さらには国内の地域間で違いが当然あったわけで、本書はヨーロッパの主要諸国の経済発展の様相の違いも簡潔に解説しており、この点でも有益だと思います。グローバリゼーションもベルエポックの重要な特徴で、この時期に蒸気船・鉄道・電信の発達により世界が一体化していったことを、本書は強調しています。

 本書の見解で私が注目したのは、いわゆる勤勉革命論の検証です。ヨーロッパと日本において近世に勤勉革命が起き、工業化も含む近代化・経済発展の前提条件になった、との見解は一般にもわりと広く浸透しているように思います。しかし本書は、勤勉革命論、さらには経済学(経済史)の欠陥として、家庭内労働がほとんど考慮されていない、と指摘します(これには、家庭内労働時間を定量化しにくい、といった要因もありますが)。確かに、市場での労働時間は増加したとしても、その分家庭内労働の時間は減少したかもしれない、というわけです。また、日本の江戸時代における勤勉革命論にしても、百姓の多くは多様な生業を営んでいたのであり、農耕労働の時間の増加は、狩猟・漁業など他の労働時間の減少と並行していたかもしれず、総労働時間の増加を意味するとは限らない、と指摘しています。本書は、そうした観点から、工業化により児童も含めて工場労働者の労働環境が悪化した、との見解にも、一概にそう言えるのか、疑問を呈しています。工業化の前に多様な商品を揃える市場と消費社会が成立し、そうした多様な商品の購入が経済成長と工業化をもたらした、との見解も注目されます。
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ディンゴのオーストラリアへの到来年代

2018/07/21 06:11
 ディンゴ(Canis lupus dingo)のオーストラリアへの到来年代に関する研究(Balme et al., 2018)が公表されました。ディンゴは完新世中期に東南アジア方面からオーストラリアへと到来した、と推測されています。完新世のオーストラリアは他の島・大陸とは陸続きではないので、人類がディンゴをオーストラリアに導入したと考えられています。ディンゴのオーストラリアへの到来は、フクロオオカミ(Thylacinus cynocephalus)などの動物の絶滅の一因になった、と推測されています。

 ディンゴのオーストラリアへの到来年代については、おもにディンゴが出土したと考えられる堆積層の年代測定結果と、遺伝学的な推定分岐年代に依拠していました。これまで、ディンゴの遺骸が直接年代測定されたことは少なく、その年代はほとんどが1000年前頃以降となっています。例外的に、オーストラリア南部のナラーバー平原で発見された1頭のディンゴの遺骸が、較正年代で2381〜1931年前頃と推定されています。遺伝学では、ディンゴがオーストラリアに到来した年代は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果から18000年前頃とも5000年前頃とも推定されています。前者は堆積層を測定した考古学の推定年代とは大きく離れていますが、後者の方は近く、ディンゴのオーストラリアへの到来年代を5000〜4000年前頃と推定するのがじゅうらいの有力説でした。

 本論文は、ナラーバー平原のマドゥーラ洞窟(Madura Cave)で発見されたディンゴ2頭の遺骸の年代を放射性炭素法で測定しました。その結果、較正年代では、1頭が2143〜1932年前、もう1頭が3348〜3081年前となりました。これは、ディンゴのオーストラリアへの推定到来年代としては、じゅうらいよりも新しくなります。本論文は、ディンゴは人類の家畜として急速にオーストラリアに拡散したのではないか、との見解を提示しています。

 ディンゴは、単に交易の結果オーストラリアに導入されたのかもしれませんが、インドからオーストラリアへの遺伝的流動が4230年前に起きた、との見解も提示されているのは注目されます(関連記事)。ディンゴの直接的年代とこの遺伝学的な推定年代にはまだ1000年ほどの違いがありますが、遺伝学的な推定年代には幅がありますし、ディンゴの年代がもっとさかのぼる可能性は低くないと思います。ディンゴをオーストラリアに導入した人々が、オーストラリアに定住して先住民集団と混合した可能性も考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】ディンゴがオーストラリアに到達したのは、これまで考えられていたより後のことなのか

 野犬の1種であるディンゴがオーストラリア南部に到達したのは3348〜3081年前であり、これまでの推定年代より最近のことだったとする研究報告が、今週掲載される。

 今回、Jane Balme、Sue O’Connor、Stewart Fallonの研究チームは、オーストラリア南部のナラーバー平原にあるマドゥーラ洞窟で見つかった2頭のディンゴの指先の骨の化石試料を選び出し、正確な放射性炭素年代測定法の1つである加速器質量分析法(AMS)を実施し、ディンゴが、これまでに複数の研究で推定されていた5000〜4000年前という範囲よりも後の、3348〜3081年前にオーストラリア南部に存在していたことを明らかにした。

 オーストラリアと東南アジアを結ぶ陸橋はないため、ディンゴが人間から離れて単独でオーストラリアに到達したとは考えにくい。今回の研究で得られた知見は、ディンゴが先住民のペットとして船に乗ってオーストラリアに到達した可能性があり、そのため、ディンゴの存在は、人間がオーストラリア本土の外からやって来たことを示す証拠と言えることを示唆している。また、ディンゴが人間のペットであったため、これまで考えられていたよりも早期にオーストラリア全土に広まった可能性があり、ディンゴがオーストラリアに到達した時期に関する従来の推定を修正する必要があるかもしれない。

 ディンゴのオーストラリアへの到達はフクロオオカミを含む一定数の動物種の絶滅と関連している可能性があるため、ディンゴの到達時期の解明を進めることが重要だと、研究チームは述べている。



参考文献:
Balme J, O’Connor S, and Fallon S.(2018): New dates on dingo bones from Madura Cave provide oldest firm evidence for arrival of the species in Australia. Scientific Reports, 8, 9933.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-28324-x
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ネアンデルタール人の火起こし

2018/07/20 19:05
 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の火起こしに関する研究(Sorensen et al., 2018)が報道されました。ネアンデルタール人が火を用いていたことは確実で、接着剤としてのタールの生産(関連記事)や木製棒の製作(関連記事)でも火を用いていた可能性が指摘されています。しかし、ネアンデルタール人が道具により火を起こせたのか、それとも自然火を集めて火を維持していたのか、議論が続いています。

 本論文は、おもに5万年前頃となる、フランスの広範な地域の遺跡で発見された、後期ムステリアン(Mousterian)層の石器群を分析し、この問題を検証しました。本論文の取り上げた後期ムステリアンはおもに、アシューリアン(Acheulean)伝統ムステリアン(MTA)に分類されます。本論文は、後期ムステリアンの燧石製の両面加工石器の使用痕を分析し、堅い金属物質との繰り返しの打撃および(もしくは)強烈な摩耗である可能性を指摘しています。石器の溝は縦軸に並行で、自然に生成されたものではない可能性が高そうです。

 本論文は、実験考古学的手法も用いました。火起こしに用いたと考えられるネアンデルタール人の両面加工石器の痕跡と最も近いものが生じたのは、黄鉄鉱に打ち付けた時でした。現生人類(Homo sapiens)の遺跡からは、黄鉄鉱と燧石製の石器とを打ち合わせて火を起こしていた証拠が確認されています。この点からも、ネアンデルタール人が火を起こしていた可能性は高い、と考えられます。火の制御により、火は必要とする度に起こせばよくなるわけですから、自然火を維持するために大量の燃料を必要としないという点で、ネアンデルタール人が寒冷な地域で生存していくさいに有利となったでしょう。

 ネアンデルタール人が火を制御できていた証拠は、まだ本論文のような水準で広範な時空間にて確認されたわけではありませんが、ネアンデルタール人はアフリカの多くの地域よりも寒冷なヨーロッパにおいて長年進化してきた系統なわけで、5万年前頃よりもずっと前から、火を制御できていた可能性は高いと思います。もちろん、ネアンデルタール人の火の制御が現生人類よりも劣っていた可能性はありますが。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】やはりネアンデルタール人は火をおこしていた

 ネアンデルタール人は、現生人類と同じように、石器を使って火をおこす方法を知っていた、とする研究報告が、今週発表される。

 ネアンデルタール人が火を利用していたことは過去の研究で明らかになっているが、火をどのようにして手に入れていたのか(野火を集めていたのか、あるいは自分でおこしていたのか)をめぐる論争は決着していない。黄鉄鉱(鉄を含む鉱物の1種)とフリント(石英の微細結晶からなる黒灰色の硬い岩石)を打ち合わせて火をおこしていたことの証拠となる、独特の形状のフリント製石器がユーラシア全土の数多くのホモサピエンスの遺跡から出土している。しかし、そのような石器は、ネアンデルタール人の遺跡からは見つかっていない。

 今回、Andrew Sorensenたちの研究グループは、過去に発見されたフリント製石器で、ネアンデルタール人が他の作業(例えば、動物の食肉処理)に用いていたとされるものを対象に、火をおこすために用いられていた可能性を示す痕跡がないかどうかを調べた。その結果、このフリント製石器に鉱物の痕跡が同定され、硬い無機物質が繰り返し打ち付けられていたことが示唆された。次にSorensenたちは、フリント製石器のレプリカを作り、それらを使ってさまざまな石質材が関係する数々の作業(黄鉄鉱の破片を使って火をおこすなど)を行い、8個のレプリカに鉱物の痕跡を残した。

 Sorensenたちは、こうした各作業においてフリント製石器のレプリカに残されたさまざまな痕跡を分析し、火をおこす作業によって残された痕跡が、過去に発見されたネアンデルタール人の石器に見られる鉱物の痕跡との一致度が最も高いと結論付けた。このことから、ネアンデルタール人自身が石器を使って火をおこしていたことが示唆される。



参考文献:
Sorensen AC, Claud E, and Soressi M.(2018): SNeandertal fire-making technology inferred from microwear analysis. Scientific Reports, 8, 10065.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-28342-9
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抗生物質を食べる細菌

2018/07/19 16:27
 抗生物質を食べる細菌に関する研究(Crofts et al., 2018)が公表されました。抗生物質の存在下で生存する微生物(汚染土壌などに存在します)は、拡散して人畜の健康を脅かすと考えられますが、一部の細菌はこの能力をもう一段進歩させ、じっさいに抗生物質を食物として利用することができます。この研究は、一部の土壌細菌がペニシリンを利用可能な断片に分解するさいに働く酵素と遺伝子を同定しました。この研究は、この種の細菌が、まずβラクタマーゼという酵素を使いペニシリンを不活性化させることを発見しました。これは、耐性細菌株に共通の戦略です。しかし、抗生物質を食べるこの細菌には新たに発見された特別な酵素も備わっており、不活性化したペニシリンをさらに分解し、食物として利用可能な断片とします。この研究は、今回同定された酵素や遺伝子を利用することにより、新規抗生物質の合成や抗生物質汚染土壌の浄化が実現される可能性がある、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


抗生物質を食べる細菌

 細菌の中には、抗生物質ペニシリンを食物として利用できるものがいる。その仕組みを明らかにした論文が、今週掲載される。このような微生物がペニシリンの存在下でどうやって増殖するかを理解することは、危険な抗生物質耐性株の拡散への対処に役立つ可能性がある。抗生物質の存在下で生存する微生物(汚染土壌などにみられる)は、拡散して人畜の健康を脅かすと考えられるが、一部の細菌はこの能力をもう一段進歩させ、実際に抗生物質を食物として利用することができる。

 Gautam Dantasたちは、一部の土壌細菌がペニシリンを利用可能な断片に分解する際に働く酵素と遺伝子を同定した。研究チームは、この種の細菌が、まずβラクタマーゼという酵素を使ってペニシリンを不活性化させることを発見した。これは、耐性細菌株に共通の戦略である。しかし、抗生物質を食べる今回の細菌には、この研究で新たに発見された特別な酵素も備わっており、不活性化したペニシリンをさらに分解し、食物として利用可能な断片とする。

 研究チームは、今回の研究で同定された酵素や遺伝子を利用することにより、新規抗生物質の合成や抗生物質汚染土壌の浄化が実現される可能性があると結んでいる。



参考文献:
Crofts TS. et al.(2018): Shared strategies for β-lactam catabolism in the soil microbiome. Nature Chemical Biology, 14, 6, 556–564.
https://dx.doi.org/10.1038/s41589-018-0052-1
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農耕よりもさかのぼるパン作り

2018/07/18 17:02
 農耕開始前のパンについて報告した研究(Arranz-Otaegui et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。パンは現代世界では一般的な食品ですが、その起源には不明なところが多く残っています。これまで、パンの生産・消費の始まりを西アジアにおける本格的な農耕の開始と関連づける見解が有力でした。本論文は、ヨルダン北東部のシュベイカ1(Shubayqa 1)遺跡の炭化食料遺物を分析し、パンが農耕開始前に作られていたことを明らかにしました。

 本論文が調査したシュベイカ1遺跡は較正年代で14600〜11600年前となり、本格的な農耕の開始直前で定住化が進んだとされるナトゥーフィアン(Natufian)期に属します。シュバヤカ1遺跡では多くの遺物が発見されていますが、本論文が注目したのは炭化食料遺物です。本論文は24点の炭化食料遺物を分析し、調理前に穀類が擦り砕かれ、篩にかけられ、こねられたことを明らかにしました。本論文はこれを、酵母を用いないフラットブレッドのようなパン状の食物と呼んでいます。

 このパン(に類似した食品)の材料となった穀類は、後に栽培化された品種の祖先種となる野生種でした。たとえば、野生ヒトツブコムギ(Triticum boeoticum)や野生カラスムギ(Avena sp.)です。野生ヒトツブコムギはシュバヤカ1遺跡では一般的に検出されます。また、ウキヤガラ類の植物(Bolboschoenus glaucus)の塊茎といった、経済的価値は低いと考えられてじゅうらいは考古学的に注目されていなかった植物も、パンの材料として用いられました。

 注目されるのは、分析された炭化食料遺物のうち7点の較正年代が14400〜14200年前となり、本格的な農耕の開始よりも少なくとも4000年はさかのぼることです。上述した、本格的な農耕の開始とパンの生産・消費の始まりを関連づける見解は見直しが必要ではないか、というわけです。本論文は、他の遺跡の炭化食料遺物の見直しを提言しており、今後、本格的な農耕開始前のパン(に類似した食品)の生産・消費の痕跡は西アジアのさらに広範囲で確認されるようになるのではないか、と思います。

 レヴァントのナトゥーフィアン遺跡で発見される燧石製の鎌は、植物をより効率的な方法で採取するための道具だったのではないか、と長年考えられてきました。その意味で、ナトゥーフィアン期のシュバヤカ1遺跡で当時の住民が野生穀類を採取していたことは、とくに不思議ではないでしょう。また、西アジアにおいては、完新世以降の本格的な農耕とは直接的につながっていないとしても、すでに23000年前頃に耕作が行なわれ、穀類が挽かれていた、という可能性が指摘されています(関連記事)。

 ただ、本論文は、このパン作りが農耕革命の一因になった可能性も指摘しつつ、遺跡の全体的な分析からは、シュバヤカ1遺跡ではパン(に類似した食品)の生産・消費は一般的ではなかっただろう、と指摘しています。パンの生産の意図は不明ですが、単に栄養面や保存性や容易な運搬といった実用的目的だけではなく、客人に振舞うような象徴的なご馳走で、いわば威信材だった可能性もある、と推測されています。そうだとすると、パン作りが農耕革命の動機の一つになった可能性も、じゅうぶん考えられるでしょう。


参考文献:
Arranz-Otaegui A. et al.(2018): Archaeobotanical evidence reveals the origins of bread 14,400 years ago in northeastern Jordan. PNAS.
https://doi.org/10.1073/pnas.1801071115
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ペキンアヒルのゲノム解析

2018/07/18 17:00
 ペキンアヒルのゲノム解析に関する研究(Zhou et al., 2018)が公表されました。マガモが中国中央部で紀元前500年頃に家畜化されて以降、さまざまな在来種のアヒルが作られています。その一つがペキンアヒルで、数百年にわたって人為選択が集中的に行なわれました。しかし、白い羽毛や成長速度などといった、ペキンアヒルの望ましい特徴の一部に寄与する遺伝的変異は同定されていませんでした。この研究は、マガモ40羽・中国の在来種のアヒル12種(シャオシンアヒル、ガオヨウアヒルなど)36羽・ペキンアヒル30羽のゲノムを比較しました。

 この研究では、人為選択のシグナルが同定された上で、マガモとペキンアヒルが交配され、1026羽という大集団のアヒルの交配が行なわれました。この集団を調べた結果、ペキンアヒルにおいて白い綿羽・大きな体サイズ・飼料効率の高さに関連する遺伝的変異が二つ同定されました。MITF遺伝子の変異により白い綿羽の説明がつき、別の変異が出生後のIGF2BP1遺伝子の持続的発現を引き起こし、肉生産量の増加につながった可能性がある、と明らかになりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】ペキンアヒルのゲノム解析

 ペキンアヒルのゲノム解析が行われ、白い羽毛と大きな体サイズに関連する遺伝的変異が同定されたことを報告する論文が、今週掲載される。この新知見は、ペキンアヒルにおいて数百年にわたって選択されてきた特徴の一部について、遺伝的基盤の手掛かりをもたらしている。

 マガモが中国中央部で紀元前500年頃に家畜化されて以降、さまざまな在来種のアヒルが作られている。その1つがペキンアヒルで、数百年にわたって人為選択が集中的に行われた。しかし、ペキンアヒルの望ましい特徴の一部(例えば、白い羽毛や成長速度)に寄与する遺伝的変異は同定されていなかった。

 今回、Shuisheng Hou、Yu Jiangたちの研究グループは、マガモ40羽、中国の在来種のアヒル12種(シャオシンアヒル、ガオヨウアヒルなど)36羽、ペキンアヒル30羽のゲノムを比較した。今回の研究でHouたちは、人為選択のシグナルを同定した上で、マガモとペキンアヒルを交配して、1026羽という大集団のアヒルの交配を行った。この集団を調べた結果、ペキンアヒルにおいて白い綿羽、大きな体サイズ、飼料効率の高さに関連する遺伝的変異が2つ同定された。すなわち、MITF遺伝子の変異によって白い綿羽の説明がつくこと、また、別の変異が出生後のIGF2BP1遺伝子の持続的発現を引き起こして肉生産量の増加につながった可能性のあることが明らかになった。



参考文献:
Zhou Z. et al.(2018): An intercross population study reveals genes associated with body size and plumage color in ducks. Nature Communications, 9, 2648.
https://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-04868-4
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日本列島における土器利用の変遷

2018/07/17 18:28
 日本列島における土器利用の変遷に関する研究(Lucquin et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。土器の製作は後期更新世に始まり、完新世の温暖化に伴い、より広範な地域で製作が始まり、製作数も増加していきました。これは、温暖化に伴い食資源の対象となる陸生植物・動物の範囲が広がり、土器での処理が要求されるようになったからだ、と考えられてきました。しかし、この仮説は直接的には検証されていませんでした。

 本論文は、後期更新世〜完新世にかけての約1万年にわたる、日本列島の広範な地域の土器800個以上の有機残留物を分析し、土器がどのような食資源に用いられたのか、検証しました。日本列島は土器製作の始まりのかなり早い地域です。検証の結果、予想に反して、更新世でも完新世でも、土器はおもに水産資源の処理に用いられた、と明らかになりました。これは、生態系に関わらず、広範な地域で同様の傾向が見られました。南方地域では、完新世になって気候が温暖化していくと森林が拡大し、土器で処理する割合としては、新たに採集・狩猟の対象になった陸生植物・動物が増えたのではないか、と予想されていたのですが、南方地域でも他地域と同様に、更新世でも完新世でも土器の利用は水産資源の処理が主流でした。

 もちろん、更新世〜完新世にかけて、土器にも変化は見られました。まず、土器生産量が増え、形状とサイズはより多様になりました。しかし、それは土器使用における陸生食資源への依存度の高まりには向かいませんでした。更新世〜完新世にかけての土器の変化は、釣りの増加・貝採集の始まり・定住化といった動向と対応しているのではないか、と本論文は推測しています。たいへん興味深い分析結果ですが、他地域ではどうだったのか、今後の研究の進展が期待されます。おそらく、地域によりかなりの違いがあり、それは現生人類(Homo sapiens)の柔軟さを反映しているのではないか、と思います。もっとも、行動の柔軟さは現生人類だけではなく、現生人類との違いはあったかもしれないとしても、ホモ属の他系統においても広く見られるものだろう、とも考えていますが。


参考文献:
Lucquin A. et al.(2018): The impact of environmental change on the use of early pottery by East Asian hunter-gatherers. PNAS.
https://doi.org/10.1073/pnas.1803782115
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人類の器用な手の進化の要因

2018/07/16 07:53
 人類の器用な手の進化の要因を検証した研究(Williams-Hatala et al., 2018)が報道されました。石器の製作・使用による身体力学的圧力は、人類の手の進化に影響を与えた、と考えられています。この見解は広く受け入れられていますが、人類は石器を製作・使用し始めた頃より、石器をさまざまな目的で用いていたと推測されており、石器関連のすべての行動が、人類の手の進化に等しく影響を及ぼした、というわけではなさそうです。

 本論文は、手にかかる圧力が、人類の手の進化への選択圧になったのではないか、との前提で、実験考古学的手法によりこの問題を検証しました。本論文は、鮮新世〜更新世の初期人類が取ったと思われる石器関連の行動を39人の参加者に実施させ、そのさいに手にかかる圧力を測定しました。その行動とは、堅果の破砕・ハンマーストーンによる高カロリーの骨髄の抽出や剥片生産などです。その結果、行動の違いに影響を受けにくい基節骨のような領域もありましたが、その他の領域では、行動の違いによりかかる圧力に違いが見られ、とくに重要なのは親指・人差し指・中指でした。

 一貫して手に最大の圧力をかけた行動は、ハンマーストーンによる骨髄採取や剥片生産でした。本論文は、骨髄は高カロリーで、その入手が生存・繁殖に重要だったと考えられることからも、骨髄の入手およびそのための石器製作が、人類の手の進化の重要な選択圧になったのではないか、と推測しています。一方、堅果の破砕にはさほどの圧力はかからず、人類の手の進化の要因として不充分であるとともに、堅果の破砕に長けた他の霊長類の手に、人類のような手への進化を促す選択圧がかからなかった一因になったのではないか、と指摘されています。


参考文献:
Williams-Hatala EM. et al.(2016): The manual pressures of stone tool behaviors and their implications for the evolution of the human hand. Journal of Human Evolution, 119, 14–26.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2018.02.008
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NHKスペシャル『人類誕生』第3集「ホモ・サピエンス ついに日本へ!」

2018/07/15 22:26
 第1集(関連記事)と第2集(関連記事)は当ブログで取り上げました。今回は第3集で、現生人類(Homo sapiens)の日本列島への到達が解説されました。海路での日本列島への到達に関しては、実験考古学の成果が長く紹介されていました。当時と現代とでは、地形や海流に違いがあったのではないか、との批判もあるでしょうが、興味深い試みだと思います。ただ、南方からの海路とその検証としての実験考古学的試みに時間を割き過ぎたかな、との印象は否めません。北方経路について、もっと取り上げてもらいたかったものです。

 全体的な論調として気になったのは、現生人類は複雑な工程を要する道具製作や、未知の世界に乗り出す探求心により世界中に拡散でき、それはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他系統の人類にはできなかったことだ、というような論調が強かったことです。確かに、たとえば縫い針をネアンデルタール人が用いた証拠はまだありませんし、今後も得られる可能性はきわめて低そうですが、一方で、縫い針など現生人類特有とされる行動や道具の多くが、ネアンデルタール人の滅亡後に現れることも考慮すべきではないか、と思います。現生人類特有とされる行動や道具がネアンデルタール人に見られないのは、先天的な違いに起因するのではなく、人口増やそれに伴う他集団との交流密度の高まりなどといった、後天的な社会的要因に起因する可能性もあると思います。ネアンデルタール人も、後数万年ほど生き延びていたら、現生人類特有とされる行動や道具の一部が見られるようになったかもしれず、その可能性は無視してよいほど低いわけではない、と私は考えています。じっさい、現生人類ほど長い距離ではありませんが、ネアンデルタール人が航海を行なっていた可能性も指摘されており(関連記事)、その時代にはまだ現生人類が長距離航海を行なっていた証拠は得られていないと思います。

 洞窟壁画に関しては、インドネシアの壁画(関連記事)が現生人類のものとしては最古と紹介されていましたが、スペイン北部の洞窟壁画の方がやや早いかもしれません(関連記事)。もっとも、スペイン北部の洞窟壁画を描いたのが現生人類とは確定していませんが。それはともかく、洞窟壁画に関して現時点の証拠では、ネアンデルタール人の方がずっと早いことになりそうです(関連記事)。ただ、今回取り上げられていたような、動物など具象的絵画に関しては、ほぼ間違いなくネアンデルタール人所産のものはまだ確認されていません。しかし、ネアンデルタール人の所産と思われる壁画のある洞窟には具象的なものもあり、まだ年代が確定していないのでネアンデルタール人の所産とは確定していないものの、その可能性は低くないと思います。また、仮にネアンデルタール人が具象的な壁画を残さなかったとしても、上述の東南アジアやスペイン北部の事例がそうであるように、現生人類の初期の洞窟壁画も手形のような稚拙なもので、具象的で「高度」とされるような壁画はネアンデルタール人滅亡後のものです。洞窟壁画に関しても、ネアンデルタール人が後数万年ほど生き延びていたら、「高度な」具象的絵画を描けた可能性は、無視してよいほど低いものではないと思います。ネアンデルタール人と現生人類との間に何らかの認知能力の違いがあり、それが現生人類の世界中への拡散とネアンデルタール人の絶滅の要因となった可能性は低くないでしょうが、少なくとも現時点では、断定は時期尚早だと思います。
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大河ドラマ『西郷どん』第26回「西郷、京へ」

2018/07/15 18:45
 薩摩に戻った西郷吉之助(隆盛)は、大久保一蔵(正助、利通)の要請により京都へと向かいます。京都では参与会議で一橋(徳川)慶喜が島津久光たちに傍若無人に振る舞い、愚弄された久光は激昂し、帰国すると言い出します。一蔵は事態解決のために吉之助に助けを求め、吉之助は久光と対面します。吉之助への嫌悪感を露にする久光にたいして、吉之助は抗弁することもなく退出します。それでも、久光は一蔵の進言を受け入れ、吉之助を慶喜と会わせることにします。

 久々に慶喜と対面した吉之助は、慶喜に臆することなく進言し、慶喜もおそらくは他人には見せない本音を垣間見せます。ここは、安政の大獄前の吉之助と慶喜との深い関わり合いという創作が活かされており、悪くはなかったと思います。しかし、吉之助の進言で慶喜は久光に会う気になったものの、久光は慶喜と会わないまま帰国し、吉之助は慶喜に謝罪します。しかし、慶喜は笑顔で吉之助に対応し、久光に謝りたい、と言います。ここは、慶喜の意図が不明だと視聴者に印象づけるような不気味な演出になっており、人間ドラマとしても面白くなっていました。

 今回は幕末激動期の始まりで、オープニングの映像も変わりましたし、ほとんど顔見世程度の出番でしたが、岩倉具視・勝麟太郎(海舟)・坂本龍馬という著名人も新たに登場しました。作中ではこの3人ほど重要な役割を担わないでしょうが、山内容堂や松平容保や伊達宗城も登場しました。文久の政変が大山格之助(綱良)や海江田武次(信義、有村俊斎)と吉之助との語りで少し触れられただけなのは残念でしたが、吉之助が長い島流しの間、中央政界に関われなかったことを象徴的に描いた、と好意的に解釈できるかもしれません。まあ、苦しい解釈ではありますが。まあそれでも、新章初回として全体的には悪くなかったように思います。
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松田洋一『性の進化史 いまヒトの染色体で何が起きているのか』

2018/07/15 12:51
 新潮選書の一冊として、新潮社から2018年5月に刊行されました。本書はヒトを中心とした性の進化史を染色体、とくに性染色体の観点から解説しています。一般向けを意識したのか、やや繰り返しが多くてくどいところもありますが、それは丁寧な解説ということでもあり、良書だと思います。本書は一般向けであることを意識してか、おもにヒトを取り上げていますが、ヒト以外の哺乳類だけではなく、爬虫類・鳥類など多様な生物を取り上げており、性の進化史がじつに多様であることを改めて思い知らされます。生物における多様な性の決定法はじつに興味深く、読み物としても面白くなっているので、この点では一般向け書籍として成功している、と言えるでしょう。

 ヒトのY染色体の消滅に関する問題をまず取り上げ、これを意識した全体的構成としてなっていることも、一般向け書籍としてよいと思います。この問題については、以前当ブログで取り上げました(関連記事)。ヒトのY染色体は退化の一途をたどり、やがて(500万〜600万年後)Y染色体は消滅してしまう、との見解は日本でも一般層にそれなりに浸透しているようで、衝撃的だったようです。当ブログではそれに否定的な見解を取り上げましたが、本書でも、Y染色体において重要な遺伝子は数億年という長期にわたって存続しており、今後600万年程度で消えるものではないだろう、との見解が提示されています。また、ヒトというか哺乳類においてはゲノムインプリンティング機構のため単為発生ができず、雄の消滅は種の絶滅につながる、との指摘も一般向け書籍として重要だと思います。

 本書は性染色体の機能がどのように解明されてきたのか、ということなど研究史にも一定以上の分量を割いており、この点でも知らないことが多々あったので、有益でした。本書の提示した論点で社会的に最も重要なのは、生殖補助医療をめぐる問題だと思います。そもそも、生殖補助医療に関しては倫理的問題が解決されたとはとても言えない状況で、今後も容易には解決されないでしょうが、本書は、生殖補助医療により遺伝的な不妊症が将来の世代に継承されていき、生殖補助医療に強く依存した社会になってしまう危険性を強く訴えています。生殖補助医療には高度な技術と社会基盤が必要となるわけで、生殖補助医療が一般化した後に、ローマ帝国(西方領土)の崩壊(関連記事)のようにそうした高度な社会基盤が失われてしまえば、「先進」地域においては、人口の激減による地域集団の劇的な衰退、さらには絶滅まで想定されるわけで、生殖補助医療に関してはさまざまな観点から議論されるべきだと思います。


参考文献:
松田洋一(2018)『性の進化史 いまヒトの染色体で何が起きているのか』(新潮社)
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現代ペルー人の形成史

2018/07/14 12:23
 現代ペルー人の形成史に関する研究(Harris et al., 2018)が公表されました。本論文は、ペルーのアンデス地域・アマゾン地域・沿岸地域の13集団計150人の高網羅率(平均35倍)のゲノム配列および追加の130人の遺伝子型配列標本から、現代ペルー人がどのように形成されてきたのか、調べました。この13集団のなかには、ヨーロッパ系やアフリカ系など外来集団の遺伝的影響をあまり受けていないアメリカ大陸先住民集団と、ヨーロッパ系(おもにスペイン系)とアメリカ大陸先住民系との混合により形成されたメスティーソ集団とが含まれます。アフリカ系の遺伝的影響の強い集団は、少ないながらも沿岸地域に存在します。

 分析の結果、現代ペルー人の複雑な形成史が明らかになりました。アメリカ大陸先住民系統は23000年前頃までに東アジア系と分岐し、16000年前頃までにアメリカ大陸への拡散を始めました。ペルーへの人類の移住は12000年前頃と推測されています。これは、12000〜11000年前頃までさかのぼるペルーの考古学的証拠と整合的と言えるでしょう。ただ、これはあくまでも現代ペルー人の主要な遺伝子源の一つとなった人類集団の定着時期で、それ以前にペルーというか南アメリカ大陸に人類が拡散していた可能性は高いと思います(関連記事)。ただ、早期に南アメリカ大陸へと拡散した集団は時空間的に孤立しており、偶発的で継続的な移住とはならなかったのかもしれません(関連記事)。

 ペルーではまず、アマゾン地域集団とアンデス地域集団および沿岸地域集団とが分岐します。これは、(現代人の主要な遺伝子源となった)南アメリカ大陸最初の移住集団が、アンデス山脈の両側でまず分岐したことを示唆します。その後で、アンデス地域系統と沿岸地域系統とが分岐します。これら3地域集団は比較的早期に分岐し、それは農耕の開始よりさかのぼるようです。ペルーの各地域における最古の考古学的痕跡と最古の農耕の痕跡との間には、アマゾン地域において約6000年、沿岸地域において約4000年、アンデス地域において約400年の差があるので、ペルーの各地域に人類が移住して何世代も経過した後に、農耕が始まったようです。ただ、農耕が各地域で独立して始まったのか、それとも単一地域から他地域へと拡散したのか、まだ確証は得られていません。

 外来集団の遺伝的影響が小さいアメリカ大陸先住民集団は比較的孤立してきた歴史を有しており、有効人口規模が小さく、遺伝的多様性が低くなっています。一方メスティーソ集団は、ヨーロッパ系(おもにスペイン系)集団とアメリカ大陸先住民集団との混合により形成されましたが、アメリカ大陸先住民集団の遺伝的要素においても、異なる地域の複数集団の混合と推測されました。メスティーソ系統におけるアメリカ大陸先住民集団の混合は、スペインの征服前に始まっていました。スペイン征服前のアメリカ大陸先住民集団の複雑な混合には長い歴史があったようですが、インカ帝国の拡大も影響を及ぼしたようです。また、こうした移住・混合においては非対称性も見られ、移住の主要な方向は、少なくともメスティーソ系統においては、高地のアンデス地域から低地のアマゾン地域・沿岸地域でした。これは、アンデス地域への移住には高地適応が必要なので、低地から高地への移住が難しかったためとも考えられますが、スペインの政策や先スペイン期の複雑な社会情勢の結果かもしれません。

 メスティーソ集団を形成するにいたったアメリカ大陸先住民系とヨーロッパ系との混合の大きな波は、19世紀半ばに起きました。つまり、16世紀前半〜半ばにかけてのスペインによるペルーの征服後300年間ほどは、アメリカ大陸先住民集団とスペイン系集団との間で混合はさほど起きなかった、というわけです。本論文は、両者の混合が19世紀半ばに大きく進展した要因として、19世紀前半のペルー独立戦争およびその結果としてのペルーの独立という社会政治的変動を挙げています。現代ペルー人の形成はたいへん複雑な経過をたどったようで、南アメリカ大陸の他地域でも同様の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Harris DN. et al.(2018): Evolutionary genomic dynamics of Peruvians before, during, and after the Inca Empire. PNAS, 115, 28, E6526–E6535.
https://doi.org/10.1073/pnas.1720798115
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確率論的ゲームにおける協力の進化

2018/07/13 18:01
 確率論的ゲームにおける協力の進化に関する研究(Hilbe et al., 2018)が公表されました。個人に対する誘因が集団の利益からずれたものである場合、社会的ジレンマが生じます。「共有地の悲劇」則によれば、そのようなずれは公共資源の過剰利用および崩壊につながる場合があります。その結果として生じる行動は、ゲーム理論のツールで分析できます。直接互恵性理論は、反復的な相互作用がそうしたジレンマを緩和できると示唆していますが、過去の研究は、公共資源が長い期間一定であることを前提としていました。

 本論文は、公共資源が一定ではなく可変的で、個人の戦略的選択に依存するという考え方を導入しました。直観的なシナリオでは、公共資源は協力により増加し、非協力により減少します。したがって、協力は報酬の大きい価値の高いゲームが行なわれる可能性を生みますが、非協力ではゲームの価値が低くなります。本論文は、確率論的ゲームの理論および進化ゲーム理論を用いてこの考え方を分析しました。

 その結果、過去の相互作用への公共資源の依存が協力性向を大幅に高める場合がある、と明らかになりました。こうした結果にとって、互恵性と報酬フィードバックとの間の相互作用はきわめて重要で、安定した環境における反復的相互作用でも、変化する環境での1回の相互作用でも、同等の協力率は得られません。本論文の理論的枠組みは、自然発生的なものであれ設計されたものであれ、利用と環境との間のどのフィードバックが社会的ジレンマの克服に役立つのか、明らかにしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化論:確率論的ゲームにおける協力の進化

進化論:公共財ゲームで協力を最大にするには

 ゲームに複数回のラウンドがあるモデルの多くでは、プレーヤーは各ラウンドで同じゲームを行う。しかし、現実の生活では、過去のラウンドの結果次第でプレーヤーが行動を変化させることが分かっており、それにはもちろん以前の競争についての記憶があるかないかが関わっている。加えて、プレーヤーは最も合理的な結果を選ぶだろうと一般に想定されており、人々が第一印象や評判などに基づいて意思決定を行う傾向があることが現在ではよく知られている。今回M Nowakたちは、公共財ゲームにおいてプレーヤーが協力すると分け前が増え協力しないと分け前が減るようにラウンド間で報酬が変化する場合、協力が進化しやすくなることを報告している。これは、環境の悪化のような事例に応用することができる。天然資源は生息地の破壊や密猟の結果として希少化するため、残りの資源の価値が上がり、それを保全しようとする人々の動機が高まるからである。



参考文献:
Hilbe C. et al.(2018): Evolution of cooperation in stochastic games. Nature, 559, 7713, 246–249.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0277-x
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現生人類アフリカ多地域進化説

2018/07/12 19:53
 現生人類(Homo sapiens)の進化に関する新たな見解を提示した研究(Scerri et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類アフリカ単一起源説は、今では定説と言えるでしょう。じゅうらいの単一起源説では、現生人類は単一の地域・(比較的小規模な)集団で進化し、アフリカ各地、さらには世界中へと拡散した、との想定が有力でした。アフリカにおける現生人類の起源地としては、人類化石証拠などから、東部と南部が有力視されていました。

 本論文は形態学・考古学・遺伝学・古環境学の研究成果を統合し、現生人類の起源に関してじゅうらいの有力な見解を見直しています。現生人類の派生的な形態学的特徴としては、球状の頭蓋・頤・弱い眉上隆起・小さな顔面などがあります。本論文が問題としているのは、現時点での証拠からは、これらの特徴が異なる場所・年代に最初に出現したように見えることです。たとえば頭蓋に関して、現代人の変異内に収まるようになったのは、脳容量では30万年前頃までさかのぼりますが、球状の形態では100000〜35000年前頃の間と推定されています(関連記事)。

 アフリカにおいて、現生人類の派生的な形態学的特徴を有する人類遺骸として初期のものは30万〜20万年前頃となりますが、その地域は広範囲に及んでいます。南部では南アフリカ共和国の26万年前頃となるフロリスバッド(Florisbad)化石、東部ではエチオピアの195000年前頃となるオモ(Omo)化石、北部では30万年以上前となるモロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)化石(関連記事)です。これらの人類遺骸には、現生人類の派生的な形態学的特徴も祖先的特徴も認められ、現生人類の起源地に関して議論となってきました。一つの解釈は、アフリカ全域にわたる単一の巨大集団が存在した、というものです。もう一つの解釈は、これら初期の現生人類的な人類遺骸のいくつかは現生人類と近縁な絶滅系統で、現生人類は単一の地域・集団で進化して拡散した、というものです。

 本論文は、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が出現した、との見解を提示しています。現生人類の進化はモザイク状だったのではないか、というわけです。本論文はこの見解を「アフリカ多地域進化説」と呼んでいます。現生人類の派生的な形態学的特徴の唯一の起源地をアフリカとする点では、じゅうらいの現生人類アフリカ単一起源説と同じですが、アフリカ内での現生人類の進化を多地域進化説的に説明するという点で、じゅうらいの有力説とは異なります。アフリカ多地域進化説により、初期の現生人類的な化石群のうちどれが現生人類系統でどれが絶滅系統だったのか、また起源地は東部なのか南部なのか、といった議論は止揚される、とも言えるでしょう。

 本論文は、複数の集団間の交流により現生人類が形成されていった要因として、多様な環境への適応と、川・砂漠・森林・山脈などの障壁により、各集団が孤立していったことを挙げています。孤立して各環境へと適応していった比較的小規模な各集団において、異なる年代に現生人類の派生的な形態学的特徴が出現し、その後に気候変動によりそうした障壁が除去されたり、乾燥化などに伴い移住したりしたことで、比較的孤立していた各集団が交流するようになり、そうした複雑な過程を経て現生人類が形成されたのではないか、というわけです。こうした推測は古環境学の研究成果に基づいていますが、現時点ではまだ確固たる結論を提示できるほどの水準ではない、とも指摘されています。

 こうした交流は考古学的にも証明される、と本論文は指摘します。現生人類の形成は、中期〜後期更新世となる中期石器時代に相当します。調整石核技術に代表される中期石器時代への技術的移行は、アフリカの大半の地域でほぼ同時に起きたようです。ただ、現時点での証拠では、アフリカ西部は他地域よりも遅れます。中期石器時代には石器技術の地域化が進み、各環境に適応したと考えられます。これは、各地域集団の環境への適応という本論文の想定と整合的と言えるでしょう。しかし、たとえばアフリカ東部では石器文化に地域的多様性があるものの、中期石器時代を通じて継続性も見られます。これは、一定水準以上の人的交流を示しているかもしれず、そうした交流により交雑も生じ、現生人類が形成されていったのかもしれません。交流のより直接的な証拠としては、アフリカ東部において20万年以上前までさかのぼる石材の長距離輸送があり、集団間の交易が想定されています(関連記事)。

 遺伝学的には、現生人類の最も深い分岐の年代が35万〜26万年前頃と推定されていることは、本論文の見解と整合的と言えるかもしれません(関連記事)。また本論文は、多様な現生人類系統と非現生人類系統のホモ属との交雑の可能性も想定しています。じっさい、現生人類系統と200万〜150万年前頃に分岐した遺伝学的に未知のホモ属が、現生人類と15万年前頃に交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。ただ、本論文は、交雑の根拠とされる合着年代の古さが交雑を意味するとも限らない、とも指摘しています。この問題に関しては、古代DNA研究の進展を俟つしかありませんが、アフリカの環境はDNAの保存に適していないので、ヨーロッパのような高緯度地域と比較すると、残念ながら今後も劇的な進展は期待しにくい、と思います。

 アフリカにおいては、非現生人類系統のホモ属がほぼ確実に中期更新世までは存在していました。南アフリカ共和国においては、現生人類とは形態が大きく異なるホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)が、335000〜236000年前頃まで存在していました。また本論文は、300000〜125000年前頃と推定されているザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)頭蓋を、現生人類とは異なる系統ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)と分類しています。後期更新世まで、現生人類とは異なる系統がアフリカに存在した可能性は高いだろう、と思います。これらの非現生人類系統のホモ属と現生人類系統との関係については、上述したアフリカにおける古代DNA研究の難しさという問題もあり、なかなか進展しないとは思いますが、大いに注目される分野です。

 本論文の著者の一人は、現生人類アフリカ単一起源説の大御所であるストリンガー(Chris Stringer)氏です。ストリンガー氏はすでに、最近取り上げた論文において、アフリカ多地域進化説を採用していました(関連記事)。アフリカ多地域進化説については、当ブログで5年前(2013年)にすでに取り上げていましたし(関連記事)、上述したモロッコで発見された30万年以上前の現生人類的な化石を取り上げたさいに、妥当な見解だろう、とも述べました(関連記事)。その意味で、本論文の見解には驚かないというか、基本的には同意しています。今後、現生人類アフリカ単一起源説でも、アフリカ多地域進化説と、他系統の人類との交雑(交配説)を組み合わせた見解が有力になっていくのではないか、と思います。


参考文献:
Scerri EML. et al.(2018): Did Our Species Evolve in Subdivided Populations across Africa, and Why Does It Matter? Trends in Ecology & Evolution.
https://doi.org/10.1016/j.tree.2018.05.005
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中国北部の212万年前頃の石器(追記有)

2018/07/12 05:28
 中国北部の212万年前頃までさかのぼる石器についての研究(Zhu et al., 2018)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。人類の出アフリカの最古の証拠の年代は、これまで185万年前頃とされていました。これは、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見された人類遺骸・石器群に基づいています(関連記事)。

 ユーラシア東部では、中国で前期更新世の人類の痕跡が発見されています。中国南部の雲南省楚雄イ族自治州元謀(Yuanmou)県では170万年前頃の人類遺骸が発見されており、陝西省藍田県(Lantian County)公王嶺(Gongwangling)の人類遺骸の年代は165万〜163万年前頃と推定されています(関連記事)。河北省陽原県の泥河湾盆地(The Nihewan Basin)にある馬圏溝3(Majuangou III)遺跡と上砂嘴(Shangshazui)遺跡(関連記事)の人工物層の年代は170万〜160万年前頃と推定されています。東南アジアでは、ジャワ島のサンギラン(Sangiran)遺跡の人類遺骸が160万〜150万年前と推定されています。

 本論文は、公王嶺の近くにある尚晨(Shangchen)で発見された石器群の年代を報告しています。尚晨遺跡では96個の石器が発見されており、おもに小さな剥片と礫器の単純な技術で製作されています。尚晨遺跡付近では古代の川が知られていないことから、石器群は本物だ、と研究者たちは確信しています。川の作用による偽石器ではない、というわけです。尚晨遺跡の石器群は、技術的にはアフリカの同年代の石器群と類似しています。発見された石器で接合したものはなかったので、別の場所で剥離した可能性が指摘されています。石材は秦嶺山脈(Qinling Mountains)から南方へ運ばれたと推測されており、石材の場所が特定されれば、当時の人類の行動範囲についてもより詳細に明らかになるのではないか、と期待されます。尚晨遺跡では石器群とともに、ウシ・ブタ・シカの遺骸も発見されています。ただ、石器がこれらの動物の解体に用いられていたのか否か、まだ明らかにはなっていません。

 尚晨遺跡の石器群で注目されるのは、その年代です。地磁気学的な年代測定の結果、尚晨遺跡の年代は212万〜126万年前頃と推定されました。これは現時点では、アフリカ外で最古の確実な人類の痕跡となります。インドとパキスタンの国境付近では240万年前頃とされる石器が発見されていますが、その証拠は尚晨遺跡ほど強力ではないそうです。さらに、尚晨遺跡では現在耕作が活発なこともあり、最下層まで調べられていないので、年代はさらにさかのぼる可能性がある、とも指摘されています。

 尚晨遺跡では人類遺骸が発見されていないので、石器群の製作者は不明ですが、(広義の)ホモ属である可能性が高そうです。エレクトス(Homo erectus)もその候補ですが、240万〜140万年前頃にアフリカにいた、ハビリス(Homo habilis)のようなエレクトス以前の種である可能性も指摘されています。さらに、ホモ属よりも前(一部はホモ属と共存)の人類であるアウストラロピテクス属が製作者である可能性も指摘されています。いずれにしても、人類の出アフリカは200万年以上前までさかのぼり、早期にユーラシア東部まで拡散した可能性が高そうです。


参考文献:
Zhu Z. et al.(2018): Hominin occupation of the Chinese Loess Plateau since about 2.1 million years ago. Nature.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0299-4


追記(2018年7月13日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。また、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



【考古学】中国で最古のヒト族の存在を示す証拠となるか

 Shangchen(中国・陝西省)で、人工遺物を含むほぼ連続して累重した地層群が発見され、これらが約210〜130万年前のものであると年代決定したことを報告する論文が、今週掲載される。この研究知見は、これまで考えられていたよりも前からアフリカ以外の地域にヒト族が存在していた可能性を示唆している。

 アフリカ以外の地域にヒト族が存在していたことを示す最古の証拠は、ドマニシ(ジョージア)で見つかったホモ・エレクトス(Homo erectus)の骨と道具で、185万年前のものだった。この他にも初期ヒト族の化石が中国とジャワ島(インドネシア)で見つかっており、170〜150万年前のものとされている。しかし、200万年前よりも昔にヒト族が活動していたことを示す証拠がある、とする主張も度々なされている。

 今回のZhaoya Zhuたちの論文によれば、打ち砕いて加工された石82点と加工されていない石14点が中国黄土高原のShangchenで発見され、更新世前期のものと特定された。これらの石には、石核、剥片、スクレイパー(削器)、ポイント(尖頭器)、ボーラー(穴あけ器)、ピック(尖った部分を持つ石器)が含まれており、初期の道具の証拠であることが示唆されている。また、Zhuたちは、衝撃によって損傷したハンマーストーン2個も見つけた。この遺跡の周辺での発掘調査では、石核器と剥片器と共にシカの下顎骨片が見つかった他、ウシ科動物(偶蹄類の反芻哺乳動物)などの化石骨片も見つかっている。

 Zhuたちは、これらの連続した地層群には人工遺物を含む層が17層あることを明らかにしている。石器は、主として温暖湿潤な気候で形成された11層で見つかったのに対し、人工遺物が発見されたのは黄土層の6層だけだった。黄土はシルト大の細粒性の堆積物で、風で運ばれた塵が蓄積して形成されることから、より寒冷で乾燥した気候であったことが示唆される。Zhuたちは、上記のパターンがタジキスタンで発見された類似の人工遺物を含む地層群と一致しているという見解を示している。さらに、Zhuたちは、この17層が85万年という長い期間をかけて形成されたものであることを指摘し、ヒト族は210〜130万年前の中国黄土高原に、必ずしも継続的でないにせよ、何度も繰り返し生活していた可能性があると述べている。
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鳥の移動の理由

2018/07/11 16:56
 鳥の移動の理由に関する研究(Somveille et al., 2018)が公表されました。世界の鳥類種の約15%は繁殖地とそれ以外の生息地との間で渡りを行なうことにより、たとえば食物の不足や冬季の厳しい天候から逃れることができます。しかし、渡り鳥と渡りを行なわない鳥の全種に共通して移動を行なわせている行なわせている要因は、これまで明らかにできていません。この研究は、世界の渡り鳥種の移動パターンを使い、移動・生殖・体温調節の代謝コストに関する理論に基づき、二つの異なる生息地の間を移動するときのエネルギーコストを算出しました。さらに、地域で利用可能なエネルギーの量(植生の量、すなわち一次生産量から推定)に基づき、「バーチャルワールド(仮想世界)」のシミュレーションの中に地球の全鳥類のデータを投入しました。

 その結果、エネルギーが重視されない世界と比較して、エネルギー効率を組み込んだモデルでのみ、実際の全世界の鳥類の季節的な分布パターンが再現される、と示されました。鳥が渡りを行うのは、エネルギーの摂取と支出とのバランスを最適化させるためではないか、というわけです。この研究は、そうしたモデルは充分に一般的で、イルカやクジラや魚類など、移動性の高い他の動物への応用が可能だと示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


鳥類が渡りを行うのはエネルギーを節約するためである

 鳥が渡りを行うのは、エネルギーの摂取と支出とのバランスを最適化させるためであることを明らかにした論文が、今週掲載される。この規則は渡りを行わない種にも当てはまり、世界の全鳥類の分布を包括的に説明するものである。

 世界の鳥類種の約15%は繁殖地とそれ以外の生息地との間で渡りを行い、それにより、例えば食物の不足や冬季の厳しい天候から逃れることができる。しかし、渡り鳥と渡りを行わない鳥の全ての種に共通して移動を行わせている要因は、これまで明らかにできていない。

 Marius Somveilleたちは、世界の渡り鳥種の移動パターンを使い、移動、生殖、および体温調節の代謝コストに関する理論に基づいて、2つの異なる生息地の間を移動するときのエネルギーコストを算出した。そして、地域で利用可能なエネルギーの量(植生の量、すなわち一次生産量から推定)に基づいて、「バーチャルワールド(仮想世界)」のシミュレーションの中に地球の全鳥類のデータを投入した。その結果、エネルギーが重視されない世界と比較して、エネルギー効率を組み込んだモデルでのみ、実際の全世界の鳥類の季節的な分布パターンが再現されることが示された。研究チームは、このモデルは十分に一般的であり、イルカや魚類、クジラなど、移動性の高い他の動物への応用が可能であることも示唆している。



参考文献:
Somveille M, Rodrigues ASL, and Manica A.(2018): Energy efficiency drives the global seasonal distribution of birds. Nature Ecology & Evolution, 2, 962–969.
https://dx.doi.org/10.1038/s41559-018-0556-9
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中世ヨーロッパにおけるハンセン病の遺伝的リスク

2018/07/10 16:38
 中世ヨーロッパにおけるハンセン病の遺伝的リスクに関する研究(Krause-Kyora et al., 2018)が公表されました。この研究は、中世ヨーロッパで地域的に流行したハンセン病の原因となった基礎的な遺伝的因子の解明を進めるため、デンマークのセントヨルゲン(St. Jørgen)ハンセン病病院に保存されている12〜14世紀の69人のハンセン病患者の骨病変から採取された古いDNAを解析しました。その結果、こうした中世のハンセン病症例では、現代と中世のヨーロッパ人対照群よりも、リスク対立遺伝子「DRB1*15:01」が検出される頻度は高い、と明らかになりました。この対立遺伝子は、今でもライ菌(Mycobacterium leprae)感染症が流行しているインド・中国・ブラジルにおいて最も強力な遺伝的リスク因子です。ハンセン病のリスク対立遺伝子である「DRB1*15:01」は、中世と比べて頻度は若干低下しているものの、現代ヨーロッパ人においても保有者が多くなっています。この研究は、「DRB1*15:01」が拮抗的な適応度効果と関連している可能性があり、これがヨーロッパ人の遺伝子プールから「DRB1*15:01」が完全に消えるのを阻んできたと推論しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】中世ヨーロッパにおけるハンセン病の遺伝的リスク

 現代のハンセン病の遺伝的リスク因子が中世ヨーロッパ人のハンセン病にも関連していたことを報告する論文が、今週掲載される。今回の研究によって、ハンセン病の原因細菌であるライ菌(Mycobacterium leprae)への感染の感受性が、約1000年を隔てて異なる地域で生きる2つの人間集団に共通する遺伝的リスク対立遺伝子によって少なくとも部分的に介在されることが示唆された。

 今回、Ben Krause-Kyoraたちの研究グループは、中世ヨーロッパで地域的に流行したハンセン病の原因となった基礎的な遺伝的因子の解明を進めるため、デンマークのセントヨルゲン・ハンセン病病院に保存されている12〜14世紀の69人のハンセン病患者の骨病変から採取された古いDNAの解析を行った。その結果、こうした中世のハンセン病症例では、現代と中世のヨーロッパ人対照群よりも、リスク対立遺伝子DRB1*15:01が検出される頻度の高いことが明らかになった。この対立遺伝子は、今でもM. leprae感染症が流行しているインド、中国、ブラジルにおいて最も強力な遺伝的リスク因子だ。

 ハンセン病のリスク対立遺伝子であるDRB1*15:01は、中世と比べて頻度は若干低下しているものの、現代ヨーロッパ人においても保有者が多い。Krause-Kyoraたちは、DRB1*15:01が拮抗的な適応度効果と関連している可能性があり、これがヨーロッパ人の遺伝子プールからDRB1*15:01が完全に消えるのを阻んできたと推論している。



参考文献:
Krause-Kyora B. et al.(2018): Ancient DNA study reveals HLA susceptibility locus for leprosy in medieval Europeans. Nature Communications, 9, 1569.
https://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-03857-x
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高木の寿命が長い遺伝的理由

2018/07/09 17:04
 高木の寿命が長い遺伝的理由に関する研究(Plomion et al., 2018)が公表されました。ユーラシア・アメリカ大陸の各地に450種が分布するナラ類は、その遍在性と長寿ゆえに、世界中で文化的な象徴となってきました。また、このナラ類は先史時代以来、人間社会に食物や住居などきわめて価値あるサービスを供給してきました。この研究は、ヨーロッパナラのゲノム塩基配列を解読し、アセンブリーとアノテーションを実施しました。このヨーロッパナラのゲノムを、木本植物・草本植物の両方を含む他の植物の既存の全ゲノム塩基配列と比較したところ、ヨーロッパナラが最近になって爆発的な縦列遺伝子重複を経験した、と明らかになりました。これは、ヨーロッパナラの全遺伝子ファミリーの拡大の73%に寄与したと推定されています。拡大したこれらの遺伝子ファミリーの大部分は病害抵抗性遺伝子と関係し、正の選択の特徴を示しています。

 しかし、ヨーロッパナラは例外ではありません。この研究は、草本種と比較すると、他のさまざまな高木のゲノムにも同様の病害抵抗性遺伝子が広がっている、と明らかにしました。この研究は、こうした並列的な遺伝子の広がりは、高木の長寿を確かなものとするうえで、免疫系がきわめて重要な役割を果たしていることを示唆している、と結論づけています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


高木の寿命は病害抵抗性遺伝子が延ばした

 高木の寿命が長いのは、病害抵抗性遺伝子の広がりによって説明される可能性がある示した論文が今週掲載される。この知見は、ナラなど一部の高木が、長期間にわたりさまざまな脅威にさらされながら、どうやって数世紀を生き抜くことができるのかを説明するのに役立つ。

 アジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸の各地に450種が分布するナラ類は、その遍在性と長寿ゆえに、世界中で文化的な象徴となってきた。また、この高木は人間社会に、先史時代以来、食物や住居などの極めて価値あるサービスを供給してきた。

 Christophe Plomionたちは、ヨーロッパナラのゲノム塩基配列を解読して、アセンブリーとアノテーションを行った。そして、このヨーロッパナラのゲノムを、木本植物・草本植物の両方を含む他の植物の既存の全ゲノム塩基配列と比較したところ、ヨーロッパナラが最近になって爆発的な縦列遺伝子重複を経験したことが明らかになった。この出来事は、ヨーロッパナラの全遺伝子ファミリーの拡大の73%に寄与したとみられる。拡大したこれらの遺伝子ファミリーの大部分は病害抵抗性遺伝子と関係し、正の選択の特徴を示している。

 しかし、ヨーロッパナラは例外ではない。Plomionたちは、草本種と比べると、他のさまざまな高木のゲノムにも同様の病害抵抗性遺伝子が広がっていることを見いだしている。Plomionたちは、この並列的な遺伝子の広がりは、高木の長寿を確かなものとする上で免疫系が極めて重要な役割を果たしていることを示唆していると結論付けている。



参考文献:
Plomion C. et al.(2018): Oak genome reveals facets of long lifespan. Nature Plants, 4, 7, 440–452.
https://dx.doi.org/10.1038/s41477-018-0172-3
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アメリカ大陸在来イヌの起源と現代のイヌへの影響(追記有)

2018/07/08 18:11
 アメリカ大陸在来イヌの起源と現代のイヌへの影響に関する研究(Leathlobhair et al., 2018)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。アメリカ大陸には古くからイヌがおり、アメリカ大陸最初のイヌは暦年代で10190〜9630年前と推定されているので、アメリカ大陸への人類最初の拡散よりも数千年遅れたようです。19世紀にアメリカ大陸在来イヌを見たヨーロッパ系アメリカ人は、ヨーロッパ系のイヌとは異なりオオカミに似ていることに驚きました。しかし、アメリカ大陸在来イヌの起源と、現代のイヌへの影響については、多くが未解明です。

 本論文は、10000〜1000年前頃におよぶ、北アメリカ大陸とシベリアのイヌのDNAを解析しました。内訳は、71匹分のミトコンドリアDNA(mtDNA)と7匹の核DNAです。これらは現代および古代の145頭のイヌと比較されました。その結果、アメリカ大陸の品古代イヌは他のイヌに見られない遺伝的特徴を有している、と明らかになりました。19世紀にヨーロッパ系アメリカ人が遭遇したアメリカ大陸在来イヌは、ヨーロッパ系のイヌとは遺伝的に異なっていたわけです。

 mtDNAの解析でアメリカ大陸在来イヌと最も類似していたのは、シベリアの北方にあるジョホフ(Zhokhov)島の9000年前頃のイヌでした。両系統の推定分岐年代は16000年前頃で、この頃にイヌが家畜化された、との見解も提示されています。アメリカ大陸在来イヌの起源は、北アメリカ大陸のオオカミではなく、シベリアの集団だと考えられます。先コロンブス期のアメリカ大陸のイヌ7匹の核DNA解析でも、アメリカ大陸の在来イヌは他のイヌと遺伝的に異なっており、最も近い現生種はアラスカンマラミュートやシベリアンハスキーのような北極圏の品種と明らかになりました。

 アメリカ大陸在来イヌ系統は、現代のイヌに遺伝的影響をほとんど与えていません。これに関しては、アメリカ大陸先住民集団がヨーロッパ系人類集団のアメリカ大陸への侵出にともない、大打撃を受けたこととの類似性が指摘されています。ヨーロッパ系のイヌがアメリカ大陸へと導入されたことで、アメリカ大陸在来イヌ系統は衰退していったのではないか、というわけです。また、ヨーロッパ系アメリカ人がオオカミに似た外見のアメリカ大陸在来イヌを駆除した影響があった可能性も指摘されています。このように、アメリカ大陸在来イヌ系統は現代のイヌにほとんど遺伝的影響を及ぼしていないようですが、イヌ性感染腫瘍に関しては、アメリカ大陸在来イヌ系統から現代のイヌへの影響が指摘されています。


参考文献:
Leathlobhair MN. et al.(2018): The evolutionary history of dogs in the Americas. Science, 361, 6397, 81–85.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aao4776


追記(2018年7月9日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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古代日本の女性首長

2018/07/08 18:09
 古墳時代、とくに前期の日本列島には女性首長が多く、近畿地方では1/3程度、全国規模では半分程度と推定されています(関連記事)。これと関連して興味深いのは、『日本書紀』巻七に、景行「天皇」の時代のこととして、現在の山口県(周防国)に神夏磯媛という「一國之魁帥(ヒトコノカミ)」たる女性がいる、と見えることです。さらに同じく『日本書紀』巻七に、現在の大分県(豊後国)の「速見邑(大分県日出町?)」に速津媛という「一處之長」がいる、と見えます。

 景行「天皇」は、実在したとしたら、その時期は古墳時代前期となりそうです。まあ私は、どこまで「実在性」が認められるのか、怪しいと考えていますが。上記の『日本書紀』の記事は、日本列島規模では女性首長が珍しくなかった時代の事実を反映している、とも解釈できるかもしれませんが、「中央(都)」より「未開な地方」の首長には女性が相応しい、という偏見が反映された、多分に創作である可能性もじゅうぶん想定されると思います。ただ、『日本書紀』編纂の頃には「女帝」が珍しくなく、女性首長の存在自体は、当時の「中央」支配層にとって想定外のことではなかった、とは言えると思います。

 古代日本において、最初の「女帝」とされる推古「天皇」よりも前においても、首長(王)位の父系継承が徹底されていなかったことは、他の記事からも窺えます。飯豊青「皇女」は清寧「天皇」の没後、顕宗「天皇」即位前に「ミカドマツリコトシタマフ」とあり、実質的に王(大王)位にあった、とも考えられます。欽明「天皇」の即位前に、その先々代の「皇后」だった春日山田「皇女」に即位する(というか政務を執る)よう要請があったという事例もあります。これらの記事がどこまで史実を反映していたのか、定かではありませんが、7〜8世紀に「女帝」が珍しくなかったのは、女性が首長・王位を継承したり代行したりすることが珍しくなかった、という社会構造が背景にあったからなのでしょう。
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柿沼陽平『劉備と諸葛亮 カネ勘定の『三国志』』

2018/07/08 08:01
 文春新書の一冊として、文藝春秋社から2018年5月に刊行されました。劉備と諸葛亮を中心に、『三国志』の時代を経済と民衆への負担という観点から見直しています。『三国志』の時代から1000年以上経過して成立した『三国志演義』を源とする、さまざまな小説・漫画・映像作品・ゲームにより、現代日本社会では『三国志』の時代はきわめて人気の高い歴史分野となっています。その人気の要因は、やはり魅力的な英雄たちの言動なのでしょう。本書は、そうした「英雄史観」的な『三国志』像、とくに、劉備と諸葛亮を民衆に配慮した「善玉」とするような歴史観を強く意識し、経済的な観点から、「素朴な英雄史観」・「劉備・諸葛亮善玉史観」を批判しています。

 しかし正直なところ、本書を読むくらい『三国志』に関心のある人々のうち、劉備や諸葛亮を民衆想いの「善玉」と単純に考えているような層の割合はかなり低いのではないか、との疑問は残ります。本書からは、「劉備・諸葛亮善玉史観」を見直す、という強い意気込みが窺えますが、率直に言って、空回りしているところが多分にあると思います。ただ、「素朴な英雄史観」の批判と、経済を重要な視点とし、民衆の負担に着目したところは、新書の『三国志』ものとしてよかったのではないか、と思います。

 本書は、劉備や諸葛亮(に限らず『三国志の時代の英雄の多く』)の政策・決断が民衆に重い負担を強いるものだった、と強調します。確かに、それは間違いないのでしょうが、一方で、本書も指摘するように、諸葛亮は後世の人々からのみならず、すでに(準)同時代の人々からも為政者としての手腕が高く評価されています。本書が指摘するように、諸葛亮が蜀(蜀漢、漢)をよく統治していたことは間違いなく、諸葛亮の統率力が優れていたことを疑う余地はないようです。しかし本書は、諸葛亮を賛美する史料を残した人々もまた、支配層側の知識人だったことを指摘します。当時の支配層には、民衆の負担と苦しみへの視線は弱く、諸葛亮の統治が民衆に重い負担を強いたことと、諸葛亮の賛美は両立し得る、というわけです。諸葛亮に限らず、本書のこうした観点は、とくに前近代史において重要となるでしょう。
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ヤギの家畜化

2018/07/07 11:55
 ヤギの家畜化に関する研究(Daly et al., 2018)が報道されました。ヤギは現在約10憶頭存在し、代表的な家畜の一種です。ヤギが最初に家畜化された地域はいわゆる肥沃な三日月地帯で、10500年前頃と推測されています。しかし、ヤギがどのように家畜化されたのか、不明でした。本論文は、旧石器時代から中世までの、野生種と家畜種を含む83頭の古代ヤギのミトコンドリアDNA(mtDNA)を解析しました。また、そのうち51頭に関しては全ゲノム配列も得られました。

 その結果明らかになったのは、ヤギは単一の野生集団から家畜化されていったのではなく、複数の多様な野生ヤギ集団に起源があり、肥沃な三日月地帯から複数の経路で拡散していった、ということです。さらに、家畜化されていったヤギと野生種との交雑が継続し、また家畜種のヤギ同士の交雑も進んだ、と明らかになりました。現代の家畜ヤギは多様な遺伝的起源を有しており、アジア・アフリカ・ヨーロッパそれぞれで異なる遺伝的構成を示すことになりました。現代のヤギは、mtDNAにおいては特定のハプログループが支配的ですが、全ゲノム配列では多様な起源が判明した、というわけです。他の家畜種でも、似たような事例が見られるかもしれません。

 また、色素沈着遺伝子の証拠から、家畜種のヤギは早くも8000年前頃には体色においてヒト社会から選択を受けていた、と推測されています。こうしたヒトによるヤギの特徴の選択に関しては、身体サイズ・成長・繁殖・搾乳・食性変化への対応などでも可能性が指摘されています。たとえば、ヤギの飼料として真菌類が利用されるようになると、毒素への耐性向上をもたらすような肝臓酵素への選択圧が人為的にかけられていったのではないか、と推測されています。ヤギが人為的選択を受けてきたことはすでに指摘されていましたが(関連記事)、古代DNA解析により、改めて確認された、と言えるでしょう。


参考文献:
Daly KG. et al.(2018): Ancient goat genomes reveal mosaic domestication in the Fertile Crescent. Science, 361, 6397, 85–88.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aas9411
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現代東南アジア人の形成過程

2018/07/06 20:22
 現代東南アジア人の形成過程に関する研究(McColl et al., 2018)が公表されました。この研究は、最近取り上げた東南アジアの古代ゲノム解析の研究(関連記事)と一対になっている、と言えるでしょう。現生人類(Homo sapiens)は73000〜63000年前頃には東南アジアに到達していたと指摘されていますが、この初期現生人類集団が現代人にどの程度の遺伝的影響を及ぼしているのか、まだ不明と言うべきでしょう(関連記事)。東南アジアにおいては、44000年前頃までには狩猟採集のホアビン文化(Hòabìnhian)が形成されます。

 東南アジアにおける農耕の開始は、東アジアからの影響が指摘されています。これに関しては、ホアビン文化集団が外部からの遺伝的影響をあまり受けずに農耕文化を採用したという見解や、東アジアから南下してきた移住民が先住民たるホアビン文化集団を置換した、という見解が提示されています。東南アジアの環境条件は古代DNA解析に適していないため、東アジアから東南アジアへの遺伝的影響の程度については、最近までよく分かっていませんでした。

 本論文は、マレーシア・タイ・フィリピン・ベトナム・インドネシア・ラオス・日本の、8000〜200年前頃の古代人のDNA解析結果を報告しています。農耕開始前となるホアビン文化集団の個体から、新石器時代を経て青銅器時代、さらには鉄器時代までの個体群が含まれていることになります。日本の古代人とは、2600年前頃となる、愛知県田原市伊川津町の貝塚で発見された縄文人です。これら古代人の合計26個体分の低網羅率の全ゲノム配列が得られ、現代人や古代人も含む既知のゲノム配列と比較されました。

 その結果、以下のように推測されています。出アフリカ現生人類系統のうち、アフリカから東進してきた集団は、南アジアもしくは東南アジアで北上した系統(北方系統)と南下した系統(南方系統)とに分岐します。北上した系統からは、北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性の系統が分岐しますが(関連記事)、この系統は現代人にはほとんど遺伝的影響を残していない、と推測されています。南方系統の一部は北上し、北方系統と融合して東アジア系現代人の主要な祖先集団を形成しますが、そのさいに南方系統の方が北方系統よりも大きな遺伝的影響力を有したようです(およそ4:1の比率)。

 南方系統では、まずパプア人系統が、次にホアビン文化系統とアンダマン諸島のオンゲ語族系統とが分岐します。ホアビン文化系統は現代東南アジア人の基層集団となり、新石器時代に南下してきた、おそらくはオーストロアジア語族(の祖語系統)の東アジア系統と混合しましたが、両者の遺伝的影響はさほど変わらず、東アジア系統が先住のホアビン文化集団系統を置換したわけでも、ホアビン文化集団系統が外来の他集団の遺伝的影響をほとんど受けずに農耕文化を採用したわけでもなさそうです。

 その後2000年前頃までには、東アジアからタイ・カダイ語族およびオーストロネシア語族系統が東南アジアへと南下してきて先住集団と融合し、現代東南アジア人と類似した遺伝的構成が確立しました。現代東南アジア人は、ホアビン文化集団を基層とし、東アジアから東南アジアへと南下してきた、最初に農耕をもたらしたオーストロアジア語族、2000年前頃までに到達したタイ・カダイ語族およびオーストロネシア語族の融合により形成された、と推測されます。オーストロネシア語族は、おそらく東アジア系から分岐して台湾へと拡散し、そこから東南アジア島嶼部やオセアニアへと拡散しました。オーストロネシア語族は東南アジア島嶼部では、インドネシアへは2100年前頃までに、フィリピンには1800年前頃までに到達した、と推測されています。

 本論文は縄文人にも言及しています。伊川津縄文人は、ホアビン文化集団系統と近縁な南方系統と、東アジアの北方系統との混合により形成され、その遺伝的影響は前者が38%で後者が62%程度だったようです。伊川津縄文人の現代日本人への遺伝的影響は21%程度で、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の縄文人ではその割合が15%程度と推測されていますから(関連記事)、縄文人とはいっても地域・年代によりある程度の違いがあったと思われます。


参考文献:
McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aat3628
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仔犬の社会的学習技能

2018/07/06 20:18
 仔犬の社会的学習技能に関する研究(Fugazza et al., 2018)が公表されました。この研究は、さまざまな品種の生後8週齢の仔犬48匹を対象に、問題箱を開けて中にある食餌の報酬を得る行動を学習する能力について、そのやり方を示したのがヒト・仔犬の母親・見知らぬイヌの場合にどのように異なるのか、評価しました。その結果、やり方を示したのがイヌかヒトかにかかわらず、仔犬はこの課題の遂行法を学習した、と明らかになりました。1時間後に再び同じ課題を行なった場合には、仔犬は成犬と同じように学習した情報を記憶していました。

 予想外だったのは、母親より見知らぬイヌから学習する確率が高いことでした。この研究はその原因として、見知らぬイヌがやり方を見せた時に、仔犬が注意を向けた時間(平均約44秒)が、母親がやり方を見せた時間(平均約30秒)より長かったことを挙げています。高齢のイヌの社会的学習は過去の研究によって実証されていますが、この研究は、若齢の仔犬が高齢のイヌと同じような社会的学習技能を備えている、との見解を提示しています。今後は、今回と異なる成長段階にあるイヌを用いた研究などを実施することで、イヌの社会的学習の基盤となる機構についてさらなる手掛かりを得られる可能性がある、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【心理学】:仔犬は他のイヌとヒトからどれほどうまく学べるのか

 仔犬は、早ければ生後8週頃からイヌとヒトの両方を観察して学習する技能(社会的学習技能)を備えていることを明らかにした予備的研究について報告する論文が、今週掲載される。 今回、Claudia Fugazzaたちの研究グループは、さまざまな品種の生後8週齢の仔犬48匹を対象とした研究を行い、問題箱を開けて中にある食餌の報酬を得る行動を学習する能力について、そのやり方を示したのがヒト、仔犬の母親、見知らぬイヌの場合にどのように異なるのかを評価した。その結果、やり方を示したのがイヌかヒトかにかかわらず、仔犬はこの課題を遂行する方法を学習したことが分かった。この課題を行ってから1時間後に再び同じ課題を行った場合には、仔犬は、成犬と同じように学習した情報を記憶していた。予想外だったのは、母親より見知らぬイヌから学習する確率が高いことだった。その原因として、Fugazzaたちは、見知らぬイヌがやり方を見せた時に仔犬が注意を向けた時間(平均約44秒)が、母親がやり方を見せた時間(平均約30秒)より長かったことを挙げている。高齢のイヌの社会的学習は過去の研究によって実証されているが、Fugazzaたちは、若齢の仔犬が高齢のイヌと同じような社会的学習技能を備えていると考えている。今後は、今回と異なる成長段階にあるイヌを用いた研究などを実施することで、イヌの社会的学習の基盤となる機構についてさらなる手掛かりが得られる可能性がある。



参考文献:
Fugazza C. et al.(2018): Social learning from conspecifics and humans in dog puppies. Scientific Reports, 8, 9257.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-27654-0
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アファレンシスの幼児の足(追記有)

2018/07/05 16:50
 エチオピアのディキカ(Dikika)で2002年に発見されたアウストラロピテクス属の幼児化石の足に関する研究(DeSilva et al., 2018)が報道されました。この幼児化石(DIK-1-1)はアファレンシス(Australopithecus afarensis)に分類されており、エチオピアの公用語であるアムハラ語で「平和」を意味するセラム(Selam)と呼ばれています。DIK-1-1の年代は332万年前頃、年齢は2歳半、性別は女性と推定されています。DIK-1-1に関しては、二足歩行をしていたものの、肩や腕には類人猿と類似した特徴が見られ、現代人よりも樹上生活に適していたのではないか、と考えられています(関連記事)。また、DIK-1-1の脊椎骨に関しては、現生類人猿とは異なっており、現代人とは類似点と相違点の双方が見られる、とも指摘されています(関連記事)。

 本論文は、DIK-1-1のほぼ完全な足の骨を分析しました。DIK-1-1は、アファレンシスの成体標本に見られるに二足歩行の特徴の多くを有しており、アファレンシスは2歳半の時点で二足歩行をしていた、と推測されます。しかし、DIK-1-1には、母指可動性の増大および華奢な踵骨隆起と関連する外側楔状骨の特徴も見られ、アファレンシスの成体からは予期しにくい特徴でした。本論文は、DIK-1-1は絶滅人類の足の個体発生の実例としても貴重だ、と指摘しています。

 母指可動性の増大は、木登りの能力、さらには樹上生活への適応度を高める、と考えられます。アファレンシスは、それ以前に存在したアルディピテクス属(Ardipithecus)よりも移動様式では現代人に近いものの、確実に最初のホモ属と言ってよいだろうエレクトス(Homo erectus)と比較すると、現代人との違いがずっと多く見られます。と言いますか、エレクトスと現代人の移動様式は基本的には変わりません。

 アファレンシスは、祖先から継承した木登りの能力を高めるような形態的特徴を幼児期にはより強く保持していましたが、これは、まだ火を制御できなかっただろうアウストラロピテクス属において、幼児が捕食者から身を守るのに地上よりも樹上の方が適していたことによる、選択圧が反映されているのかもしれません。また、アファレンシスの母親が子供を抱えて移動するさいに、木登りの能力を高めるような子供の形態的特徴が有利に作用した可能性も指摘されています。これもまた、アファレンシスの幼児の足の形態の選択圧になったかもしれません。


参考文献:
DeSilva JM. et al.(2018): A nearly complete foot from Dikika, Ethiopia and its implications for the ontogeny and function of Australopithecus afarensis. Science Advances, 4, 7, eaar7723.
https://dx.doi.org/10.1126/sciadv.aar7723


追記(2018年7月6日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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検索にも訓練・経験が必要

2018/07/05 16:48
 インターネットが広く普及し、ネットで調べれば何でもすぐに分かるといった幻想を抱いている人は、さすがに今ではほとんどいないでしょうが(インターネットを始めたばかりの子供はそう思うかもしれませんが)、確かに、調べたい該当分野について、ある程度の訓練・経験を積まねば、どのように情報を得るのか、またその情報がどれくらい正確なのか、といったことを判断するのは難しいでしょう。ただ、人間は基本的に楽観的にできているので、ネットで調べれば何でもすぐに分かるわけではない、と理解しつつも、特定のサイトの解説を鵜呑みにしてしまう人は、私自身も含めて少なくないでしょう。最近の例では、伊藤詩織氏の自宅で盗聴器が発見された、との情報の拡散が実例です(関連記事)。

 また、人間は基本的に楽観的ですから、検索は必要ないと考えたり、そもそも検索するという発想が浮かばなかったりすることも珍しくないと思います。検索なんて簡単にできるではないか、と私もつい考えてしまうのですが、こまめに検索する習慣のない人は、見慣れない用語・概念などを見かけると、つい自分の知見・常識で判断してしまいがちなのでしょう。最近偶然知った事例では、「パヨク」について、以下のように的外れな呟き をしてしまった人がいます。

まともな知性の持ち主で「パヨク」なる呼称を使う者はいるまい。たぶん「パーのサヨク」の意味の略称だと思うが、「パーのウヨク」と解釈することも可能であり、全く略称にさえなっていない。このような言辞を好んで振りまわすことで、自分たちの所属集団の知的レベルを敢て低く設定しているのだ。

 私は「パヨク」の語源となった騒動(関連記事)をほぼ同時期に多少追いかけていたので、「パヨク」について知っていましたが、たとえ知らなくとも、検索すればすぐに分かることです。しかし、検索する習慣があまりない人は経験値が低いので、見慣れない用語・概念などを見かけても、つい自分の知見・常識で判断してしまったり、そもそも検索するという発想が浮かばなかったりするのでしょう。まあ私も、多くの分野であまりにも無知なので、せめて検索する習慣を身に着けるとともに、ほとんど知見のない分野については、的確な検索およびその結果の判断ができていない、ということを常に自覚しておかねばなりません。
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社会的相互作用の遺伝的決定因子

2018/07/04 17:12
 社会的相互作用の遺伝的決定因子に関する研究(Day et al., 2018)が公表されました。本論文は、孤独感・他者との相互作用の頻度・およびこの相互作用の質の高さ(秘密を打ち明けることのできる者の存在)に関する質問票に回答した、イギリスのバイオバンク研究参加者487647人の遺伝的多様性を解析しました。本論文は、複数形質のゲノム規模関連解析の手法を用いて、個人の遺伝的構成が孤独に対する感受性をどのように決定するのか調べて、ゲノム上の15ヶ所の座位における遺伝的変異が、この被験者集団における社会的孤立に関連している、と明らかにしました。さらに本論文が、パブに行く・宗教団体に所属している・スポーツクラブやジムの会員になっているなど、特定の活動への参加について解析したところ、細かな遺伝的差異が明らかになり、特定の活動を選ぶという共通点も見られました。

 また本論文は、孤独に影響を及ぼすと考えられる遺伝的変異が、神経症傾向や主観的幸福といった精神的・心理的形質と、ボディマス指数のような身体的形質に影響を及ぼすことがある、と報告しています。これらから、社会的孤立・メンタルヘルス・心血管代謝の健康の間に、遺伝的連関が成立している可能性が示唆されています。本論文は、これらの知見が自己申告と関連解析に基づくものであるため、同定された遺伝的多様体が上記の過程において因果的役割を果たしていると確認するためには、さらなる研究が必要である、とも指摘しています。人類進化の観点からも注目される研究だと思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】社会的相互作用の遺伝的決定因子

 ヒトが孤独感に苛まれるか、あるいは特定の社会的活動に参加するかは、特定のゲノム領域内の遺伝的変異の影響を受けている可能性があることを報告する論文が、今週掲載される。

 今回、John Perryたちの研究グループは、孤独感、他者との相互作用の頻度、およびこの相互作用の質の高さ(つまり、秘密を打ち明けることのできる者の存在)に関する質問票に回答した英国バイオバンク研究参加者48万7647人の遺伝的多様性を解析した。Perryたちは、複数形質のゲノム規模関連解析の手法を用いて、個人の遺伝的構成が孤独に対する感受性をどのように決定するのかを調べ、ゲノム上の15か所の座位における遺伝的変異が、この被験者集団における社会的孤立に関連していることを明らかにした。さらに、特定の活動への参加(例えば、パブに行く、宗教団体に所属している、スポーツクラブやジムの会員になっているなど)について解析を行ったところ、細かな遺伝的差異が明らかになり、特定の活動を選ぶという共通点も見られた。

 さらにPerryたちは、孤独に影響を及ぼすと考えられる遺伝的変異が、神経症傾向や主観的幸福といった精神的・心理的形質と、ボディマス指数のような身体的形質に影響を及ぼすことがあると報告している。このことから、社会的孤立、メンタルヘルス、および心血管代謝の健康の間に遺伝的連関が成立している可能性が示唆される。

 Perryたちは、今回の知見が自己申告と関連解析に基づくものであるため、同定された遺伝的バリアントが上記の過程において因果的役割を果たしていることを確認するためには、さらなる研究が必要であることも指摘している。



参考文献:
Day FR, Ong KK, and Perry JRB.(2018): Elucidating the genetic basis of social interaction and isolation. Nature Communications, 9, 2475.
https://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-04930-1
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